Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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怒らないで褒める
東京の新宿御苑近くに、得意先がある。

ただ、それほど付き合いは長くない(それについては、こちらを参照)。
そのとき、この会社で私が請け負ったのは、社長の奥さんが産休に入るので、その期間だけサポートをする、という仕事だった。
その仕事が終わって、その後、新たな仕事を1件いただいたが、それから9か月、音沙汰がなかった。

そこで、アポイントを取って訪問することにしたのである。

9か月ぶりに会う澁谷氏は、疲れているように見えた。
働き盛りの30代の顔に、隠しきれない疲労が滲み出ているような気がした。

「疲れているみたいですね」
私の言葉に、「いやあ」と言って、無理に笑顔を作ろうとしたが、思い直して、「ああ、そうかもしれませんねえ」と右手で顔をこすった澁谷氏。

仕事の打ち合わせを10分ほどで終えて、コーヒーブレーク。
奥さん(以下シブヤさんと書きます)が、淹れたての珈琲を持ってきてくれた。

「お子さんは、1歳を過ぎましたね」と私が言うと、「はい!」と弾けるような笑顔で頭を下げた。
それは、以前より顔がふくよかになって、すべてのものを包み込むような奥行きを感じさせる笑顔だった。

だが、その顔が少し曇る。
「社長が」とシブヤさんは言う。
会社では、夫のことを「社長」と呼んでいるようである。

「社員を怒れない人なんですよ」

詳しく聞くと、彼より年上の社員が得意先を怒らせてしまい、商談が破談になりかけた。
そこで、澁谷氏が出ていって、ひたすら謝ったところ、得意先は嫌味を言いながらも、仕事をくれたのだという。
ただ、年上の社員の方は、「俺は悪くない。先方が悪い」と言って、いまだに社長を困らせているらしい。

社長たるもの、たとえ部下が年上であっても、毅然とした態度で怒るべきだと、シブヤさんは夫を説得した。
しかし、澁谷氏は、「怒れない」と言う。

さあ、シブヤさんと澁谷氏、どっちが正しいのか、というお話である。
これは、難問か?

私は、難問ではないと思う。

怒っても意味はない。
怒らなくてもいい、と私は、澁谷氏に忠告した。
シブヤさんが、「でも、それではしめしが・・・」と言ったので、一応持論を述べさせてもらった。

「怒る」と「叱る」は違うと、もっともらしいことを言う人がいる。
もちろん、辞書を調べれば、意味が違うのは歴然としている。
それは、私も知っている。

しかし、怒られた方、あるいは叱られた方は、いずれにしても「俺は怒られた」と受けとめるはずである。
つまり、こちらが「叱ったつもり」でも、相手は「怒られた」と思って、それを根に持つ。

それなら、怒らなければいい。叱らなければいい。
相手に、根に持ってもらいたいという人は、怒ってもいいが・・・。

私事だが、たとえば、以前ブログにこんなことこんなことを書いた。

私は、人を怒ることで解決することなど、何もないと思っている。
解決したとしても、それは、怒った結果、怒った姿に対して恐怖心を感じて、反応しているだけである。
だから、それは教育ではなく支配だ。

怒らなくても、人を導くことは難しくない。

私が、大学時代に教職課程を取っていたとき、母校の中学に教育実習に行ったことがある。
そのとき、私が陸上部にいたということを聞いた教頭から「陸上部の練習を見てくれ」と言われた。
私は、走ることが大好きだったし、走る人間が大好きだったから、快諾した。

しかし、練習を一目見て、大きな幻滅を感じた。
陸上部の顧問が、練習の最初から最後まで、怒鳴りまくっていたからである。

丁度、夏の大会を控えていたから、グラウンドでは、リレーの練習をしている最中だった。

「馬鹿かお前! 何度言ったらわかるんだ、この野郎! 今日は、ぶっ倒れるまでやらせるぞ! いや、ぶっ倒れたら、ケツを蹴飛ばしてやる!」
その顧問の罵声と生徒の頭を叩く姿を見て、私は鳥肌が立った。めまいがした。

しかし、私はめまいを感じながらも、顧問に頭を下げて、1週間だけ私に指導を任せて欲しいと願い出た。
そんな私に対して、顧問は「お手並み拝見だな」と、まるで安っぽいドラマの脇役のような皮肉な態度で、渋々ながらも承諾してくれた。

私は、子どもたちが、どんなにミスをしても怒らなかった。
とにかく、褒めた。どんな小さなことでも褒めた。
強面顧問の呪縛から逃れた子どもたちは、最初こそ私を軽く見ていたが、私の走る姿を見せると、顔つきが変わった。

私は、彼らの走るフォームには注文を付けずに、バトンの受け渡しだけを、時に紙に書きながら根気よく教えた。
そうすると、3日もすると、スムーズにバトンが渡るようになり、タイムも上がった。
リレーは、バトンリレーの善し悪しで、タイムが大きく変わる競技なのである。
夏の大会の結果は3位だったが、彼らは、走り終わると真っ先に、私のところに挨拶に来てくれた。

顧問は、「3位で喜ぶんじゃない!」と、相変わらず強面だったが、生徒の顔は、みな誇らしげだった。
彼らの持ちタイムよりも、1秒近くいい記録で走れたのだから、相当な健闘と言っていい。

もちろん、それがすべて私の指導の結果である、と自惚れる気はない。
ただ、怒鳴ったり叩いたりする指導よりは、良かったのではないかとは思っている。

「喜怒哀楽」という言葉がある。
この中の「喜」と「楽」は共有して嬉しいが、「怒」と「哀」は、誰だって共有したくないはずだ。
誰だって、「怒」と「哀」を相手から一方的に押し付けられたくはない。

だから、怒るのは相手のことを思っているから、というのは言い訳で、私には自己中心的な行為としか思えないのである。

私は、自分の子どもたちを怒ったことがない。
私がたとえ、子どもたちと対等だと思っていても、子どもたちは、おそらくそう思っていない、と想像するからである。
対等でない関係の人間が怒っても、それは抑圧以外の何ものでもない。

だから、私は、それをフェアな行為とは認めない。

「では、この場合、ずっと黙っていろと?」
シブヤさんが、納得いかない顔で首をかしげた。
強く抗議したいところだが、強く抗議したら失礼かも、という迷いを含んだ目で、彼女は私を見つめていた。

いや、黙るのではなくて、私なら褒めます。

「○○さん。よく我慢しましたね。今回の場合、相手をぶん殴っても、俺は文句を言いませんよ。さすがに○○さんは大人ですね。本当によく我慢してくれました」

私がそう言うと、「ああ!」とシブヤさんは、一度強く手を叩いた。
そして、「その言い方、わたし、好きかも!」と言って、澁谷氏の方を見た。
澁谷氏も大きく頷いていた。

帰るとき、二人はわざわざ下まで降りて、見送ってくれた。
澁谷氏が私に、「褒めるんですよね」と聞いてきたので、「褒める褒める」と答えた。
シブヤさんも同じように「褒める褒める」と私の目を見つめて、呪文を唱えるように、呟いていた。

褒める褒める、褒める褒める・・・・・。

呪文を唱えながら、三人で、頷き合った。


★褒め上手な人は、CG「異次元から来た人たち」


2008/04/04 AM 08:20:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]



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