Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








不機嫌なラーメン屋店員
また得意先が倒産した。

ただ今回は、請負代金を3か月前にいただいていたので、実害はなかった。
危ないところだった。

しかし、取引先が次々と消えていくのは、憂鬱である。
そして、最近の私には、もう一つ憂鬱なことがある。

その憂鬱の原因を作った男が、目の前にいる。
友人のスガ君である。
彼に関しては、このブログで何度か書いた(たとえば、コチラコチラ)。

バツイチの彼が結婚して、子どもが生まれた。
出来ちゃった婚(この表現、古い?)だったから、彼らは、まだ式を挙げていなかった。

彼らは、赤ん坊が、それなりに人間に近づいたので、式を挙げたいと言いやがるのである。
そして、私に仲人を頼みたいと言いやがるのである。

たいへん、憂鬱だ。

仲人は初めてではない。
11年前に、一度したことがある。
その時は、大変緊張した(特に式の前が)。

しかし、緊張しまくりの自分が嫌になって、披露宴前には、もうどうでもよくなり、披露宴では投げやりになって、かなりテキトーな仲人になっていた。
新郎新婦を歯の浮くような決めゼリフで褒めるのは止めにして、自分の言葉で紹介した。

それは、ごく一部では評判が良かったが、常識的な列席者からは、白い目で見られた。
だからと言うわけではないだろうが、それ以来仲人の依頼は来なくなった。
しめしめ、と思っていた。

しかし、スガ君は、「どうしてもMさんに」といって聞かないのである。
挙げ句の果ては、奥さんの父親まで連れてきて、頭を下げやがるのである。

そこまでされて断ったら、私は「薄情な男」のレッテルを貼られる。
「喜んでお引き受けいたします」と言いながら、心では大きな溜息をついていた。
気が重い。

スガ君との打ち合わせは、いつもラーメン屋だ。
上野のラーメン屋。
このラーメン屋は、3回目だったと思う。

濃厚な豚骨ラーメン。
味は悪くない。値段も手頃である。カウンター席はない。すべてがテーブル席だ。店構えは、綺麗とは言い難いが、年季を感じさせる雰囲気は悪くない。

ただ、今回気にくわなかったのが、注文を聞きに来た男が仏頂面で、いかにも不機嫌丸出しだったことである。
ふて腐れた態度で「いらっしゃいませ」も言わず、注文をしても、こちらの注文を確認もせず、能面のような顔で我々に背を向けたのだ。

前回来たときの彼は、こんな仏頂面ではなかった。
愛想がいいと言うほどではないが、常識的な接待をしていたと記憶している。

不機嫌な彼は、ラーメンを運んできたときも、不機嫌だった。
彼に、プライベートなことで不機嫌になる出来事があったのは確かだろうが、仕事中にそれを客相手に態度で表すのは、接客のプロとして、あまりに恥ずかしい行為ではないかと、私は思った。

店員に、こんな応対をされたら、誰だって腹が立つはずだ。
ただでさえ、仲人を頼まれて憂鬱な私は、こんな態度を見て、心のビッグウェーブを抑えることが出来なくなった。

ただ、私の場合、面と向かって相手に抗議するということはしない。
イタズラを思いつくだけである。

この店は、日曜祝日は、ライスがタダだった。しかも、お代わり自由。
それをイタズラのネタにしようと思った。
そこで私は、スガ君に、ライスを注文させた。
スガ君の特技は、おかずがなくても、飯だけを食うことができるというところである。

彼は、水だけで、ライスを普通盛りで2杯平らげた。
その後、豚骨ラーメンを食いながら、大盛りライスを4杯食った。
そして、私が残したスープをおかずにして、さらに2杯ライスを注文した。

合計8杯。

それを見て、仏頂面の店員の表情が少しだけ、変化した。

「このデブ、いくら何でも、食い過ぎだろう」
そんな顔で、スガ君のことを見つめていた。

その顔を見て、私もライスを注文した。
生卵も追加注文した。

そして、卵がけご飯をズルズルズルっと、かき込んだ。
これは、うまかった。
もしかしたら、豚骨ラーメンよりも美味かったかもしれない。

「やっぱり、日本人は、卵がけご飯だよね」
スガ君に向かって、そう言ったのだが、もちろんそれは仏頂面の店員に聞かせるための言葉だった。
スガ君は、長い付き合いで、私の性格がよくわかっているから、彼も生卵を注文して(彼の場合は3個)、大盛りライスに大量のしょう油をかけて、卵がけご飯をかき込んだ。

他に数人の客がいたが、仏頂面の店員は、もう私たちしか見ていなかった。

その後、私たちは、もう一度ライスを注文した。

ライスだけを、ゆっくりと食った(仏頂面の店員の視線を意識しながら)。

そして、店を出た。

ライスを2人で12杯食い、生卵を4個注文したが、払った金額は二人で1520円(スガ君の奢り)。
スガ君は、まったく平気な顔をしていたが、私は腹がパンパンだった。

帰るとき、テーブルの上にメモ書きを置いてきた。

ご飯は(ここだけ大文字)、たいへん美味しかったです(覆面調査員より)」

本当は、「ミシュランの覆面調査員」と書きたかったのだが、そこまでするとやり過ぎなので、我慢した。

これは、まったく、幼稚なイタズラだ。
程度が低い。

でも、それでスガ君の仲人をする踏ん切りがついたのだから、仏頂面の店員には、感謝すべきかもしれない。

今回もテキトーな仲人になると思うが、「Mさんは、テキトーが持ち味ですから」と、褒められた(?)ので、おそらく緊張することはないであろう。

幼稚なイタズラのおかげで、テキトーな仲人をする勇気が出たテキトーオヤジでした。



★テキトーな人は、CG「山小屋にひとり」


2008/04/30 AM 07:06:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

モンスターになれなかったオヤジ
オヤジは、いま反省しております。
余計なことをしてしまったのではないかと・・・。
とんだ勇み足。

眠れない夜は続く。

ことの発端は、中学1年の娘が吹奏楽部に入ったこと。
他の中学校の部活動はどうか知らないが、娘の行く学校の部活は午後6時45分に終わる。
3時半に授業が終わったとして、部活動の時間が約3時間。
そして、朝練(早朝練習?)なるものがある。
朝練は、7時半から1時間程度やるらしい。

無駄に長い。

私は、こういった悪しき伝統が、気にくわない。

一人ひとりの個性を無視して、みんな一緒に長い時間練習をしましょう、というのは個を認めない行為である、と常々思っている。
長い時間練習をしたとしても、練習の意味をそれぞれが理解した上でなければ、本当には身に付かないはずである。

吹奏楽は、全員の調和が大事である。
だから、揃って練習するというのならわかるが、1学期は、全体練習はないと言う。
全員が時間内に適当に音を鳴らして、時間がくれば、自動的にお終いという練習方法らしい。

意味がわからない。

「みんな考えながら練習してるのか」と私が聞くと、娘は首を振って「顧問の言う通りにやるだけ。そうしないと、音楽の授業にも影響するらしい」と言うのである。

まさかそんなことはないと思うが、もしそれが本当なら、あってはならないことだ。
部活動と音楽の授業は、まったく違うものである。
それは、一種のファシズムではないのか。

「でも、現実はそうなのさ。まあ、いいんじゃねえの。真面目にやってる振りしてりゃ、向こうも機嫌がいいんだからさ」
そう娘は、あっけらかんとして言う。

しかし、私は納得できない。
なんだ、この中学は!

そんな中学に対しての嫌悪感が、今回の勇み足の要因だったかもしれない。

先日、娘が夜の7時40分を過ぎても帰ってこないことがあった。
何だよ! 長い部活だな。こんな時間まで練習させるなんて、非常識じゃねえか。
そう思って、学校に電話をした。

文句の一つでも、言ってやろうかと思ったのである。
しかし、部活はいつも通り6時45分で終わって、生徒たちも帰り、顧問も帰ったというではないか。

学校から我が家までは、ゆっくり歩いても15分程度。
いままでは、遅くとも7時10分には帰っていた。
それを聞いて、私は「おかしい・・・・」と呟いた。

その呟きが、いけなかったのかもしれない。
電話に出た教師は、「そうですね、おかしいですね。お子さんの担任は帰りましたが、他のものと相談してみましょう」と早口で言って、電話を切ったのだ。

こちらは、無駄に長い部活動に文句を言おうと思って電話したのだが、事態は娘の「不明事件」へと発展してしまったのである。

それからが、大騒ぎだった。
私と高校3年の息子は、自転車で団地内を駆け回り、子どもたちがたむろしそうな場所を探し回った。
教師より早く見つけないと、娘の立場がない。
大袈裟な事件扱いになったら、娘が可哀想だ。

私と息子は、夜の団地を隅から隅まで、探し回った。
団地の集会所やベンチの置いてあるスペースが、一番可能性が高いと思ったが、全部空振り。
公園にもいない。コンビニにもいない。スーパーにもいない。ドラッグストアにもいない。
30分走り回ったが、娘の姿はどこにも見えない。

「どうしたんだ! まさか誘拐!」と蒼くなりかけたとき、私が住む棟のすぐ近くの棟の上階から娘の声が聞こえた。
「何だ、友だちの家にいたのか。よかった!」と思ったら、娘とお友だちが教師二人と階段を下りてくるのが見えた。

教師の方が、先に見つけやがったのである。
しまった! 最悪の事態だ!

友だちの家の前で、時間を忘れるほど話し込んでいたら、その声を巡回していた教師に聞かれて、捕まったらしい。
教師は不機嫌な顔をしていたが、娘と友だちは、無表情である。
あとで聞くと、謝ろうとしたが、何を言っても「言い訳をするな!」と叱られたらしい。

教師はまだ、高ぶった声で、「何で、早く家に帰らなかった!」と怒っている。
怒られた娘と友だちは、お互い顔を見合わせていた。
そして、娘は最初に友だちの顔を見たあとで、私の顔を見て、2度3度と頷いた。

親バカと言われるのを承知で書くが、私は娘と12年間濃厚な付き合いをしてきたから、彼女の表情で、ある程度のことは察することができる。

この頷きの意味は、「とりあえず、謝っておこうか」というものだったと思う。
自分たちは、おそらく大人たちに心配をかけたのだろう。
だから、ここは謝っておけば、無用な波風は立たない。
ここで、さからってはいけない。
だから、娘は、もう一度謝ろうという態度を見せた。

しかし、教師はただ怒るばかりで、娘たちの反省の意を汲むことをせず、「どれだけ、皆さんに迷惑をかけたのか」ということを延々と熱弁を振るうだけだった。

そうしている間に、探し回ってた教師たちが、教師の興奮した口調を聞きつけて、集まってきた。
その数3名。申し訳ないくらいの大事になってしまった。

教師にも申し訳ないと思ったが、娘たちにも申し訳ないという気持ちで、私は居たたまれない気持ちになった。

これ以上の説教はいい、と私は思った。
確かに遅くなった娘は悪いし、人に迷惑をかけた。それは、事実である。
だが、謝ろうと思っている人間に対して、長々と説教を続けるというのもいかがなものか。

我が家では、「悪いことをしたら、とりあえず謝ること」と教えてある。
まず謝ることが、第一番の礼儀である。
そうすれば、過ちを認めたことが相手にもわかる。
反省していることがわかれば、相手も冷静になる。
だから、その出来事が尾を引くことはない。

娘と友だちは、無表情ではあったが、明らかに謝ろうとしていた。
ただ、機先を制されてしまったのだ。
謝るタイミングを逸した。
教師が、そのタイミングを奪ってしまったのである。

怒ることを優先では、怒る側の一方通行にしかならない。
それでは、怒られた側は納得しないだろう。

娘たちに謝らせてくれなかったので、私は教師の説教に無理矢理割って入って、集まった教師全員に頭を下げた。
そうしたら、熱い教師は、叱るのをやめた。

しかし、彼は、娘たちに向かって「明日の朝、もう一度職員室に来なさい」という捨てぜりふを残すことだけは忘れなかった。

長い説教が終わって、全員にもう一度頭を下げてから、私と娘は、教師たちに背を向けた。

5メートルほど歩いて、娘が、「麻婆春雨、食いたいな」と突然言った。
何という偶然! 我が家の晩メシは、麻婆春雨だったのである。
二人の考えが一致したので、私たちは控えめにハイタッチをした。

しかし、この状況でハイタッチはまずいか、と後ろを振り向くと、娘の友だちを自宅まで送っていく教師と目があった。

これは、ヤバイ!
と思ったが、今さら取り繕っても、もう遅い。

知らんぷりをした。

だからというわけではないだろうが、翌日、娘と友だちは、それぞれの担任と学年主任に、強烈な説教を食らったという。

「ちゃんと謝ったか」
「謝ったけど、少しこちらが何か答えると、言い訳をするなって怒るんだよ。黙って、先生の言うことに頷いていたら、『本当にわかってるのか』って言うし。少し黙ると『聞いてるのか!』って言うし、どうすればいいかわからなかった」
娘は、納得いかない表情で言う。

教師には、独特の尺度があるようだ。
おそらく、彼らが反省していると見えなければ、反省していないことになるのだろう。
それは、あくまでも彼らの主観で、生徒の感情は多くの場合、無視される。

以前にも、ブログで書いたが、教師は生徒にとって王様である。
王様である教師は、おそらく支配を教育と勘違いしている。
3分で終わる説教を延々と続けるのは、支配者の愉悦以外の何ものでもない。

ため息が出る。

私が学校に電話しなければ、こんなことにはならなかった。
いっそ、今流行りのモンスターペアレントになって、「謝ってるんだから、ネチネチと説教してんじゃねえよ! カツアゲしたり、万引きしたわけじゃねえんだから!」と、談判してやろうかと思ったが、冷静な娘に、こう言われた。

「まあ、気にすんなよ。今回のことで、中学教師って、そんなもんだってのが、わかったからさ。いい勉強になったよ」

その娘の言葉だけが救いである。

モンスターにならなくてよかった・・・・・。

(余談ですが、いまモンスターペアレントがメディアで話題になっていますが、私の感覚では、モンスターティーチャーの方が多いような気がする。教室というほぼ密室の中での行為は、外には伝わりにくい。そして、独裁国家の不祥事は、独裁者自らの手で隠すことが出来る。だから、ペアレントだけがモンスターという報道の仕方に、私は疑問を感じています)



★モンスターになりたくない人は、CG「夫婦の距離」


2008/04/28 AM 07:01:13 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

ウナギが嫌いな理由
ウナギが嫌いだが、食わず嫌いというわけではない。

毎日ウナギを食っていたころがある。

それは、30年以上前にさかのぼる。
高校一年の夏休み、一人で祖母の墓参りのため出雲に行った時のことである。
そのとき、母の従兄弟の家に泊めてもらった。

その家には子どもが二人いて、長男が何かと私の面倒を見てくれた。
自転車を貸してくれたり、バイクの運転を教えてくれたり、畑仕事を一緒にしたり、時々キャッチボールもしてくれた、いい兄貴と言っていい人だった。
私は、その人を「タダ兄(ただにぃ)」と呼んでいた。

タダ兄は、料理が上手だった。
彼は、高校を卒業したあと東京に出てきて、ウナギ屋さんに就職した。
10年近く、その店で働いていたが、自分自身が体を壊したり、母親の具合が悪くなったりが続いて、故郷に帰ってきた。

ウナギの他、料理全般もプロレベルだったから、彼が作ってくれる料理は、いつも美味かった。
当然ウナギの蒲焼きなど、見事なものである。
朝自分でウナギをつかまえてきて、昼さばいたものが昼メシとして出るのだが、最初食ったとき、感動した。

それまで、ウナギを食ったことがなかった。
ウナギは、昔も今も高級な食べ物である。
それに、子どもには、それほど縁のない食材であるとも言える。
うな丼、と言われても、どこの国の料理だ、くらいにしか思っていなかった。

しかし、それが高級料理店並の味で食えるのである。
実に、贅沢だ。
しかし、その贅沢も、毎日続くと「勘弁して欲しい」という気分になる。

昼メシが、毎日うな丼。
いくらウナギが好きな人でも、果たして毎日「うな丼」を食っていられるだろうか。
うな丼を世界で一番愛している、という人なら食えるかもしれないが。

母の従兄弟の一家は、みな満足顔で食っていたから、おそらく彼らは、世界で一番ウナギが好きな家族なのだろう。
しかし、うな丼を初めて食った日から6日続けて、昼うな丼は、初心者にはきつい。

7日目の昼メシに、出雲名物・荒木屋の割子ソバをご馳走になった。
これは、サッパリしていて美味しかった。
「うな丼」6連発のあとだったから、余計そう感じたのかもしれない。

しかし、満足、満足、と安心したのもつかの間、あたりに漂う晩メシの匂いを嗅いで、私は愕然とした。めまいがした。
これは、もしかして・・・・・、ウナギの蒲焼きの匂い?。

普通、ウナギの蒲焼きの匂いを間違えることは、まずない。
うな丼を知らない1週間前だったら間違えたかもしれないが、すでにウナギ臭さが体に染みついてしまった当時の私が、この匂いを間違えるわけがない。
昼食わなかったから、夜にスライドしたのか・・・・・。

その匂いを嗅いで、私は人生で初めての絶望感に、ドップリと浸かった。

そして、夕食の食卓に並んだ、うな丼。
もう、匂いを嗅ぐのも見るのも嫌だったが、居候の身として、それを拒否するのは、あまりにも非常識な行為だと観念した。

脂汗を流し、吐き気に耐えながら、完食した。

出雲には、2週間滞在する予定でいたが、十日でリタイアした。
私が、「もう帰る!」と言いだしたとき、タダ兄一家は、「えーっ、どうしてぇ?」と、うろたえた。

80過ぎの爺ちゃんがいたが、入れ歯をモグモグさせながら、「にゃんで、にゃんで!(何で何で)」と叫んでいた。
タダ兄の嫁さんは、子どもに母乳を与えていたが、乳首から子どもの口を無理矢理はがして、立ち上がった。

ど〜してぇー!

まさか、そんな盛大なリアクションが返ってくると思わなかった私は、同じようにうろたえながら、「しゅ、しゅ、しゅ、しゅ、宿題を忘れた」と、説得力のない嘘をついた。

しかし、そんな説得力のない嘘でも、彼らは簡単に信じてくれた。
純朴な人たちなのである。

「あー、そうか、宿題か。宿題じゃしょうがないな」
「仕方ないか」
「高校生は、勉強が大事だからな」


うな丼は、もう飽きた。
そう素直に言っていれば、そんな嘘をつくことはなかった。
しかし、言えなかった。

そんな後ろめたさがあるから、なおさら私はウナギが嫌いになった。

そんなウナギ嫌いな男ひとり・・・・・。

目の前に同業者のミナミさんがいる。
彼は、よく私をメシに誘う。

昨日も「ウナギ食わない?」と、誘われた。
「奢るから」と、毎回言われる。
だが、私は毎回断る。
そして、いつも申し訳ない気持ちになる。

私がウナギが嫌いな理由を教えれば、話は早いのだろうが、果たして信じてもらえるかわからない。
ウナギ好きのひとから見れば、「そんなことでウナギ嫌いになるか?」と思われる可能性もある。
だから、ウナギ嫌いの理由は、誰にも言っていない。

人のいいミナミさんは、断られても、いつも軽く頷くだけである。
ただ、今回は、少々展開が違った。

「ああ、それじゃあ、Mさんの好きな立ち食いそばを一緒に食べませんか」と、無邪気な笑顔で言うのだ。
そして、「割り勘で」とも付け加えた。

この言葉を聞いて、私はわけもなく感動してしまったのである。
ミナミさんは、食べたいウナギを諦めて、一緒に立ち食いそばを食おうというのだ。
それはまるで、普段ロールスロイスに乗っている人間が、原付自転車に乗るようなものではないだろうか。
ミナミさんは、私が思った以上に、人間の器が大きい人なのかもしれない。

私の行きつけの立ち食いそば屋で、肉ソバを完食し、コロッケソバを追加注文したミナミさんを見たとき、私は「一度くらいウナギに付き合ってもいいかな」という気になった。

それが、彼の誠意に答える唯一の方法ではないかと思ったのだ。

うな丼を前にしたとき、はたして自分がどうなるか。
吐き気を催すか、脂汗が出るか、それとも、「久しぶりに食ううな丼って、意外にうめえな」と思うか。

さあ、どっちだろうか。



★うな丼に悩んだら、CG「木立を走る看護師」

2008/04/26 AM 07:53:15 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

オリンピックで自分を再発見
無知なせいか、知らないことが多い。

この間、中国が過去6度もオリンピックをボイコットしていたことを、ニュースで初めて知って驚いた。
6回もボイコットしているのに、IOC(国際オリンピック委員会)はよく中国を開催国に選んだな、というのが正直な感想である。

それは、高度な政治的な判断なのか、それとも世界情勢を深く読んだ上での決定なのか、素人には判断しかねる。
きっと、IOCは、世界各国で色々と騒動が起きることもすべてお見通しで、中国開催を決定したのだろう。

過去6度もボイコットをした中国、モスクワオリンピックをボイコットした米国。
政治とスポーツは別と言いながら、自ら政治に翻弄されることを選び、それらの国に開催権を与えるIOCという組織の存在は、私には理解しがたい。

彼らはただ、人々の愛国心をもてあそんで、金儲けの種をばらまいているだけのような気がする。
そして、オリンピックに理想などない、と言わんばかりの態度で、大国を優遇している。

スポーツが政治の道具にされるなら、世界の紛争は、すべてオリンピックで決着を付ければいいと、今どきの小学生の作文でも書かないようなことを私は考えているが、こんなことを言ったら、IOCに鼻で笑われるだけだろう。

騒ぎは一瞬だけさ、ひとしきり騒いで、オリンピックが始まったら、どうせ誰もが熱狂するに決まっている。
世論とは、そんなもんさ・・・、IOCは、きっと今回もそう思っている。

そう考えると、我が日本国の対応は大人である(もちろん、皮肉)。
目に見える抗議はせず、各国の対応を見るだけで、静観のポーズ。
それは、毎回のことだから、世界も「日本のことは眼中にない」と思っている感がある。
中国側も、「あいつら(日本)には、たくさん貸しがあるから、何も言ってこないだろう」と思っているフシもある。

チベットのことはよくわからない。
擾乱が起きた、という報道と中国側の弁解の声明だけがある。

ただ、チベットを旅行していた日本の観光客が、出国の際に「このことは口外するな。もし口外したら・・」と威されたという報道もある。
これが本当なら、ヤクザ国家と言っていいが、インターネットで流された記事を読んだだけだから、それだけで、チベットの現状を積極的に検証する材料にはならない。

世界の各地で抗議行動をしている人は、きっと正確な情報を知っていて、その情報に基づいて行動しているのだろうから、もっと事実を世界に発信すべきではないだろうか。
いや、あるいは彼らはちゃんと発信しているのに、日本のメディアがそのことに興味を失って、ただ抗議の様子だけを高いニュースバリューとして、報道しているだけなのかもしれない。

抗議行動を報道するのは大事だが、チベットで起きた事実を詳細に伝えてくれないと、抗議行動だけが肥大化して、その結果、抗議だけが正当化されるような気がする。
つまりそれは、いま中国を叩くことは、すべて正当化されるという飛躍に通じる場合もある。

表層的な報道は、大衆を煽動する役割しか果たさない。

先頃、パリで聖火リレーが妨害を受けたことに対する抗議として、中国がフランス製品の不買運動を繰り広げた、という記事を見た。
フランス大手スーパーの店舗に押しかけ、デモ行動を起こしているらしい。

中国当局は、今すべてがオリンピック優先だから、中国民の度の過ぎた愛国行動は、封じ込めているようである。
そのあたり、中国は確実に変化しているようだが、デモ行動自体は、以前の日本に対する感情的な愛国行動が、ただフランスに向けられているだけというような気もする。

オリンピックが終わったら、中国当局は、また知らんぷりを決め込むこともあり得る。

つまり、オリンピックの魔力は、それほど大きいということだろう。
中国はいつだって、自分たちの国で起きた「負の部分」を隠そうとしてきた。
しかし、それは他の国だって、多かれ少なかれ同じである。
ただ、その隠す度合いが、中国の場合、大きすぎることは確かだ。

隠すという行為は、いつでも犯罪的である。
後ろめたいから、隠す。あるいは、事実を歪める。
ひとは、事実を歪めるとき、ほとんどの人が威圧的になる。
だから、中国高官の口から流れる言葉は、その威圧的な物言いの裏を感じ取って、密度が薄い、と私には感じられる(これは、あくまでも私だけの感覚だが)。

密度の薄い言葉は、政治的には有効でも、説得力はない。
彼らは、政治には玄人でも、国際世論に関しては素人ではないかと、私は常々思っている。
まるで交戦国を攻撃するような高圧的な物言いは、自国では通用するだろうが、当事者以外には、舌打ちの対象にしかならない。

しかし、そんな言葉でも、メディアは嬉々として伝えるのである。
ニュースバリューとしてだけ伝えて、その詳しい検証は、なしだ。

報道するとき、「負の部分」をどれだけ正確に伝えることができるか。
メディアの役割として、それが一番重要ではないか、と私は思っている。

聖火リレーが、各国の抗議団体の行動により停滞している。
ニュースで、それは報道される。
しかし、その場面は本質の一面を映しているが、その本質を説明する報道は、驚くほど簡潔である。
ニュース番組としての制約はあるにしても、その報道はただ「たれ流す」の域を出ていない。

ただ、その本質の説明は、新聞には書いてあるのかもしれない。
それは新聞を取っていない私が、知らないだけなのかもしれない。

だから、このあたりで私の思考は、停止してしまうのである。
新聞を読めばいいのだろうが、新聞を公平な媒体だと信じていない私は、新聞から真実を判断する方法を知らない(いや、知ろうとしない)。

結局、真実から逃げて、いつも世界情勢に疎(うと)いままで、騒動の嵐が過ぎ去るのを待つというのが常である。

IOCはなぜ、6回も五輪をボイコットしている中国に、五輪開催国の権利を与えたのかという疑問も、私は、いつの間にか忘れてしまうのだ。

そして、大方の日本人と同じように、もし北島康介がメダルを取ったとしたら、チベット擾乱のことなど頭からキレイに追い出して、「取った! 取った!」と騒ぐかもしれない。
野口みずきがメダルを取っても「取った! 取った!」。
谷亮子が、「ママでも金」だったら、さらに「取った! 取った!」。

そして、俺も弱腰で他人事の日本政府とまったく同じだな、という小さな自己嫌悪に陥るが、節操のない自分には、この政府はお似合いだなという、都合のいい自己弁護で理論武装する。

オリンピックは、そんな自分の情けなさを再発見できるイベントだと、最近私はつくづく感じております。


話は変わりますが、最近疑問に思うことを一つ。
なぜ、コイズミ元総理が決めた「高齢者医療制度」の問題で、フクダ総理の支持率が下がるのでしょうか。
メディアは、制度の経緯をまともに伝えているのだろうか。
他の政党もそのことを冷静に伝えて、なおかつ制度の不備を追及するのなら、それは理に叶っているのだが、その気配はない。

ややこしや〜。



★ややこしい人は、CG「さびしい滑り台」

2008/04/24 AM 07:04:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | [メディア論]

エステが1万5千円
京橋のウチダ氏と仕事をした。

それは、リラクゼーション・サロンが、1周年記念に、お得意様にプレゼントするバッグを作るという仕事だった。
私はデザインを請け負ったのだが、これはそれほど難しいものではなかった。

サロンのイメージカラーは元々決まっていたし、ロゴもすでにある。
バッグの種類は、トートバッグにすることにしたから、形状も常識的なものだ。
ロゴの配置と紐の部分の色に気を配るだけだったから、デザインは一回で決まった。

仕事は、ウチダ氏の事務所で、ノートPCを2時間程度動かしただけで終わるくらいの、拍子抜けする仕事だった。
あまりにも簡単に終わったから申し訳なく思って、神田の鞄メーカーとの折衝を、多忙のウチダ氏に代わってしたのだが、これも簡単に終わった。

「この仕事、俺じゃなくても・・・」とウチダ氏に言うと、「ヒマなやつは、Mさんしかいなかったんだよ」と、憎らしいくらい爽やかな笑顔で、正直に言われた。

そう言われると、何も言えなくなる。

「請求書早く寄こせよ。支払いは早い方がいいだろ」とまで言ってくれる、ナイスガイ・ウチダ氏。
そして、「今回のお礼にビール一箱Mさんちに送っておいたからな」と付け加えたときは、ウチダ氏に抱きつきたくなった。

ただ、私には、そちらの方の気はないので、「サンキュー」と言うだけにした。

しかし、そんな厚いもてなしを受けながらも、私はウチダ氏の事務所で、スーパードライをご馳走になりながら、彼の好きなジャイアンツの悪口をボロクソに言うのである。
我ながら、どんな性格をしているのだろう、と自分を呪いたくなる。

「そんなひねくれたやつは、体の奥が腐ってるんだ! これをやるから、体を清めて来い!」
そう言って、ウチダ氏がテーブルの上に置いたのが、リラクゼーション・サロンの無料招待券だった。

今回、バッグを作ったリラクゼーション・サロンである。
有効期限4月30日まで、と書いてある(早く行かねば)。

無料、と書いてあるから、タダなのだろう(当たり前)。

タダで、体がリフレッシュできる。
こんなに素晴らしいことはない。
要予約、と書いてあったので、早速電話をした。
3時半からなら空いていると言われたので、予約をした。

時計を見ると、もう30分もないではないか。
「フレーフレー! ジャイアンツ!」と嫌味なエールを送って、ウチダ氏の事務所をあとにした(ウチダ氏の呆れ顔に見送られながら)。

ウチダ氏の事務所から、銀座のリラクゼーション・サロンまでは1キロくらいだ。
3時20分に着いた。

一度打ち合わせに来たことがあるので、中の雰囲気はもうわかっている。
受付の女性が、中島美嘉に似ているというのも知っている。
白のコスチュームを着た中島美嘉は、何となく巫女さんに見える。
厳かである。

その厳かな受付に、少し気後れを感じながら、無料招待券を置いた。
「無料? この貧乏人が!」という冷たい目で、中島美嘉に見られたら、どうしようかと思った。
ただ、この人は、そんな冷たい目が似合いそうだったので、見られてみたい気もしたが。

しかし、中島美嘉は、CGのような型通りの笑顔を作って、「かしこまりました」と頭を下げただけだった。
そして、「この券では、こちらのコースだけになりますが」と、手をさし向けられた方を見ると、「アロマコース90分・1万5千円」となっていた。
他のコースを見ると、「2万5千円」というのもある。

1万5千円!

それを見て、体が震えた。

1万5千円が、タダァ!

逃げ出したくなった。

巫女の中島美嘉が、私を見つめている。

ゴクッ!
静寂な空間に、みっともなく、ツバを飲み込む音が響く。

90分で、1万5千円?
それは、19円のもやしが、何個分だ!?

それだけあれば、一家四人のひと月分の食費になる。
何と、もったいない!
これをお金に換えてくれたら、どんなに嬉しいだろう!

大きな溜息が出た。
巫女の中島美嘉は、CG顔を崩さず、まだ私を見つめていた。

そこで、「もっと、お安いのは?」と、試しに聞いてみた。
中島美嘉が、ゆっくりと首を横に振る。
どうやら、これが一番安いコースのようである。

さすが銀座! 金持ちの街!

90分間、借りてきた猫のようにおとなしく施術を受けて、まるで他人の体に入れ替わったような感覚で、サロンを出た。

施術を受けている間も、1万5千円が、ずっと頭にこびり付いていたから、少しも気持ちよくなかった。
スタッフの方には申し訳ないが、無駄なことをしているとしか思えない。
わけもわからず、体をいじられて、1万5千円である。

そもそも、私は肩の凝らない体質なのである。
体も柔かい。
ただ、オヤジ臭いだけなのだ。
オヤジ臭さを取るだけなら、15分千円くらいでいいではないか。
もっとコースを増やして欲しいものだ。

そんな呪いの言葉を吐きながらの帰り道。
上野駅の売店で発泡酒を買い、ホームのベンチに座って飲んだ。
体内に注入された、気取った血液を流す勢いで、ほとんど一気飲みした。

プッハァー! と息を吐いて、ようやく落ち着いた。
普段の自分に戻れた気がした。

家に帰る途中で、部活帰りの中学1年の娘と出くわした。

「おや? 今日は、酒臭いだけじゃないな? なんか甘い匂いがするぞ! 怪しいぞ、これは? まさか、ユー、ダブリュー、エー、ケー、アイ、じゃないだろうな」

「エム、エー、エス、エー、ケー、エー!」



★娘に疑われたら、CG「ビル街のスケボー野郎」


2008/04/22 AM 07:00:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

マックでお仕事をゲット
仕事は、忙しいときもあるが、暇なときもあるという中途半端な状態。

毎月のレギュラーの仕事が少ないから、あとは単発でもらう仕事をこなしているというところだ。
時々、同業者から「ちょっと手が足りないから」と言って、溢れた仕事が回ってくることがある。
これは、半分以上ボランティアのようなもので、それほど厳しい仕事ではないが、儲からないというケースが多い。

時々、新規開拓の営業に出るが、もともと営業の才能がないせいか、得点率が極端に低い。
蹴っても蹴ってもボールがゴールに突き刺さらない、役立たずのフォワードのようなものである。

ヨメが独身時代勤めていた会社は社団法人だったため、彼女は営業の血の滲むような努力というのを目の当たりにしたことがない。
だから、営業の本質をよく知らない。

営業に回れば、必ず仕事がもらえるものだと思っている。
彼女にとって、わざわざ営業に回ったのに、仕事をもらえずに帰ってくることなど、考えられない出来事のようである。
独立したてのころ、ヨメのその考えを覆すのに、私は、かなりのエネルギーを必要とした。

基本的に、今の世の中の仕事の総量は、ほぼ決まっている(もちろん多少の増減はあるが)。
その決まった量の仕事の中で、たった一度営業に来ただけの男に、簡単に仕事を与えるお人好しは、ほとんどいないと言っていい。
仕事があまっていれば、そういうこともあるだろうが、現在はそんな時代ではない。

何度も顔を出して、顔を繋いで覚えてもらい、自分をアピールした上で判断してもらうという手順が必要になる。
この場合、選択権は、百パーセント相手にある。
相手の心のどこかを動かしたものだけが、仕事を得る権利を得る(コネは別として)。

その相手のどこかを動かすテクニックは、簡単に会得できるものではない。
場数を踏むしかない。
空振りを何度も重ねて、何度もキックの練習を重ねなければ、いい球は行かないのだ。
練習もせずに蹴ったシュートなど、キーパーに届きさえもしないだろう。

そんな説明を何度もしたのだが、果たしてヨメが理解してくれたかどうか。

あれは、いったい何度目のシュートだったろうか。

今年の1月の終わりに、神田の広告代理店を訪問した。
昨年末に、一度電話でコンタクトを取り、メールを3〜4度送った。
どれも、ほとんど無視されたも同然の扱いを受けたが、失礼を承知で、いきなり訪問した。

すると、担当者は、予想外に好意的な応対をしてくれた。
ただ、好意的な応対をしてくれたからといって、すぐに仕事を手にできるほど、世間は甘くない。
それからも、何度かメールを送った。
電話でもいいのだろうが、電話というのは、相手の都合を考えない行為である、と常々私は思っている。

もしかしたら、大事な用があるかもしれない相手に、突然電話をかけて相手の自由を奪う権利は誰にもない。
その種の電話は、仕事だから許される、と考える人は多いだろうが、私はそうは考えないのである。
電話は、いつだって「押し付け」だ。
それは、自己中心的な行為である。

しかし、メールは多少の押しつけがましさはあるにしても、相手の自由を奪う度合いが、電話より遥かに低い。
だから、私のような人間には、便利なツールである。

訪問後も、何度かメールを送った。
神田の広告代理店の担当者は、私のメールを何度か無視しながらも、数回は返事をくれた。
打率は1割5分くらいか。
とても、メジャーに上がれる数字ではない。

しかし、ごく稀にだが、奇跡は起きる。
それが、一昨日のことだった。
友人の京橋のウチダ氏の仕事の手伝いで、神田の鞄メーカーに行った帰りに、神田のマクドナルドで一人コーヒーを飲んでいたのである。

ボーッとして飲んでいた。
私の場合、仕事をしているとき以外はいつもボーッとしている。
時に、仕事中もボーッとしていることがあるから、ボーッとする確率は、一日のうち5割を超えるかもしれない。
かなりの打率である。これなら、メジャーでも通用する。

そんなことを思っていたら、私の顔を覗き込んでいる男に気付いた。
無礼な!
睨もうとしたが、睨まなくて良かったと思った。
神田の広告代理店の担当者だったのである。

「あのー、スカイデザインさんでしたよね」

物事がうまくいくときは、トントン拍子にすべてが決まる。
ちょうど急ぎの仕事を抱えていた担当のKさんが、マックでコーヒーを飲みながら、スケジュールを考えていたところ、ボーッとした顔の私を見つけたのである(ボーッとしていて良かった!)。

こいつは、確かしつこくメールを送ってきている三流デザイナーではないか。
三流デザイナーは、ヒマなはずだ。
だから、この急ぎの仕事を押し付けても断られることはないだろう。

そうです。
ヒマな四流デザイナーは、嬉々としてその仕事を引き受けました。
さらに嬉しいことに、「この仕事は毎月くる可能性があるから、その時は頼みますよ」とまで、言われたのだ。

マクドナルドでボーッとするのも悪くない。
仕事の欲しい営業さんは、時には歩き回るのをやめて、「マックでボーッ」は、いかがでしょうか。

家に帰って、早速ヨメに今日の出来事を報告すると、ラベンダーの鉢植えを持っていたヨメは、鉢を持ったまま、「あったらしい〜、しごと〜」と言いながら、踊り始めた。

あったらしい〜、しごと〜、ゲット! ゲット! 神田でゲット〜、マックでゲット〜!

実に楽しそうである。

また、営業に出かけてみようかな・・・・・。



★営業に出たくなったら、CG「海を見ていた朝」

2008/04/20 AM 07:48:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ハゲとカツラとバーベキュー
春はスポーツ。

気温が20度前後になると、ジョギングウエアが軽くなる。
Tシャツとトレーニングパンツだけで走るから、体が軽く感じられる。
風も優しい風に変わるから、タイムも上がる。

大変心地よい。

スポーツの秋、という言葉がある。
これは、夏は暑くて体を動かす気にならないから、涼しい秋はその反動でスポーツへの欲求が高まることから来ているのだと思う。

しかし、私のように夏も平気でジョギングをする人間にとって、秋の涼しさは、それほど恋しいものではない。
むしろ、冬の縮こまった筋肉をほぐしてくれる春の方が、歓迎すべき季節である、と言える。

一昨日、久しぶりにテニスをした。
友人の勤める会社が所有しているテニスコートを借りて、男4人で夕方の黄昏れテニス。

いや、黄昏れているのはテニスではなく、我々中年4人の方か・・・。

平均年齢50歳。
身長はまちまちだが、4人の平均体重は、おそらく約80キロ。
私が57キロだから、私を除いた3人の平均体重は90キロ近い。
デブが、ドタバタとコートを走りながらボールを追いかける姿は、まるで瀕死のブタがボールとじゃれ合っているようで、少しも美しくない。

ナイター用の照明に照らされた、ブタ3匹と栄養失調のサル1匹。
優雅なはずのテニスが、場末の動物園に思えてくる。

最初は20分ごとに休憩を取っていたが、開始1時間を過ぎたころは、10分で休憩。最後は、5分で休憩という情けない状態になった。
そして、夜の8時には、コートに大の字になった瀕死のブタ3匹。
栄養失調のサルだけは、日頃から駆け回っているので、元気である。

運動の後は、バーベキュー。
コートの外側に芝生のスペースがあり、金持ちのブタが一式を車に積めて持ってきたので、セッティングは簡単だった。

たいていのブタは、肉が好きだ。
しかし、ここでブタブタと何度も書くのは、本物の豚に失礼なので、呼び名を改めたいと思う。
デブ、ハゲ、カツラです(あまり変わらないか?)。

ビールで乾杯したと思ったら、デブ、ハゲ、カツラは、すぐ肉に食らいついた。
彼らは、なぜ自分たちがブタになったのかを、真剣に学習したことがないらしい。
動物の豚は、おそらく自分が豚だと言うことに気付いていない。
だから、こいつらも、気付いていないのか。

「いや〜、運動っていいな! ビールは美味いし、飯も美味い! やっぱり、体を動かさないとだめだな」
カツラが絶叫する。
「そうだよ! この気持ちよさを忘れたらだめだよ、ホントに!」とデブ。

ハゲは汗をしたたらせながら、必死の形相で焼きソバを作っている。口の中には、大量の焼肉が入っているから、口を絶えずモグモグと動かしながら「アッヒー! アッヒー!(通訳:熱い)」と叫んでいる。

彼らが満腹感を覚えるまで、1時間以上を必要とした。
その間に食ったのは、ロース、カルビ、豚バラ合わせて10人前。焼きソバ9人前。ホタテ10数個。車エビ10数尾。ほか野菜数種類。ビール1ダース。

私は、肉食動物ではないので、ほとんど肉は食わなかった。
焼きソバとナスやタマネギなどの焼き野菜を食べただけである。
ただ、ビールの半分は、私が飲んだ。

これだけ食ったら、2時間半の運動など、何の意味もないだろう。
むしろ確実にカロリー過多である。逆効果と言ってもいい。
しかし、ストレス解消ということを考えると、これはこれでいいのだ、という気もする。

デブ、ハゲ、カツラの嬉しそうな顔。
テニスをする前は、見るからに疲れ切っていた3人だったが、今は顔に生気が戻って、いい表情をしている。
声にも張りがある。うるさいくらいだ。

昔から食べ方の雑なカツラが、焼きソバをポロポロとこぼしながら、「今年はオリンピックイヤーだな」と言ってから、話題はオリンピックのことになった。
誰それが金メダルを取れそうだ、いや、取れない、と話が盛り上がった。

しかし、どんなときでも、話に水を差して、燃え上がった話の炎を消す私という男がそばにいた(空気が読めない男とも言う)。

「俺、オリンピック、あまり見ないんだよね」

デブ、ハゲ、カツラが固まった。
(また、こいつの悪い癖が出やがったな)

だが、彼らが固まったのは、一瞬だった。
彼らも馬鹿ではない。
長年の付き合いで、私の性格や考え方は知り尽くしている。

彼らは、大人だ。

「マツは、スポーツはやる方が好きだ。あまり見るのは好きじゃない、っていつも言ってたもんな」
「マツは、あの中身のない実況中継が嫌いなんだよな」
「オリンピックは、アメリカのテレビ中継の都合で試合時間が決まっているから、選手たちが可哀想だって言うんだろ」


他にも言いたいことはあったのだが、それを聞いて、私は何も言えなくなってしまった。
たとえメタボリックマンに姿を変えていたとしても、長い付き合いは、大きな財産である。
彼らにとって、栄養失調のサルを手玉に取ることなど、簡単なことだったようだ。

サルは、言いたいことを言わせてもらえなかったストレスを酒に向け、ビールをがぶ飲みした。
そして、カツラのカツラを取り上げ、それをテニスラケットで空高く打ち上げた。
夕闇高く上がったカツラは、バーベキューの熱気に吹き上げられ、ハゲ所有のハイラックスサーフの屋根の上に落ちた。

だが、酔っぱらったカツラは、屋根の上のカツラをそのままにして、ハゲと二人で頭を寄せ合って、無邪気にハゲ自慢をし始めた。

こいつら、大人だな(?)。

その姿を見て感動した私は、ハゲ自慢をし合う二人に、頭からビールをかけてやった。
しかし、二人は怒らない。
それどころか、「オー!、まるで優勝したみたいだぁ〜!」と言って、自分の頭を指し、「もっとビールをかけろ」と要求するハゲ二人。

・・・・・・・・・・。

こいつら、大人なのか、それとも、ただのバカなのか・・・・・。

(なお、帰りは全員が酔っぱらっていたので、デブの部下2人に来ていただき、車2台に分乗して家まで送っていただいた。デブの部下のヤマザキさんとアンザイさん、遅い時間に、大変ご迷惑をおかけしました。罪深いデブをお許し下さい)



★ただのバカは、CG「蹴る女」

2008/04/18 AM 07:04:48 | Comment(6) | TrackBack(0) | [日記]

羞恥心はあるか?
友人の一流デザイナー・ニシダ君に子どもが生まれて、約5か月(そのことに関しては、こちらのブログに書いた)。

はたして、新米のパパとママは、子育てを真面目にやっているのか。
それが心配だったので、彼らの「親修行」を見に行った。

マンションのドアを開けると、いきなりママのチヅルさんが歌を歌い始めた。
「しゅうーちしん! しゅうーちしん!」
左手には、生後5か月の子どもを抱いている。

赤ん坊は、首も座って、人間の顔をしていた。
しかし、「しゅうーちしん!」とチヅルさんが歌うたびに、頭が少しグラグラしている。
その姿を見ると、何か可哀想な気が・・・・・。

リビングの椅子に座って、チヅルさんと乾杯。
ニシダ君は、酒が飲めないのでミネラルウォーターを飲んでいる。
我々は、バドワイザーだ。

そこで、「羞恥心」の話題が出た。
「いや〜、俺って、羞恥心のかけらもないからさ」とボケると、チヅルさんが軽く舌打ちしながら、「オヤジギャグ」と一言。
ニシダ君も「先生、それはちょっと・・・、先生にしては(?)レベルが低い」と追い打ちをかける。

オヤジは、バドワイザーをヤケ飲みする。
そんな私をほったらかしにして、ニシダ君が「あの歌は程度が低くて、聞くに堪えない」と首を振る。
それに対してチヅルさんは、「程度が低くてどこが悪い!」とテーブルを叩く。

また赤ん坊の頭がグラグラしたが、赤ん坊は起きない。
チヅルさん譲りで、肝が座っているようである。
それにひきかえ、ニシダ君はチヅルさんがテーブルを叩いただけで、オロオロしている。

すでに、勝負はあった、と見た。

私は、試合終了の笛を吹いた。

「まあ、流行っているということは、それはそれで一つの事実なんだから、程度が高い低いを言ってもしようがないんじゃないかな」

そもそも、私は「はやりうた」に、程度が高い低いはない、と思っている。
時代が求めている歌が、ヒット曲である。
その時代に受け入れられた歌が、「はやりうた」として認められる。

だから、いい歌、悪い歌、という言い方も適当ではないと思う。
その時代に生きた人が、「共感できる歌」あるいは「共感できない歌」。
歌には、その2つしかないのではないか、と私は思っている。

「でも、洋楽に、こんなひどいのはないですよ」とニシダ君は言う。
そうだろうか。
たとえば、アメリカのショービズでは、10代の小娘が意味もなくセクシーさをアピールして、みな同じようなダンスをしながら腰を振っている。
40を超えたような歌手でも、一定のリズムで腰を振り、セクシーさを振りまく。

男のラッパーも、まるで「韻を踏むのが一番大事」というような歌を同じようなリズムで、まき散らしている。
洋楽だって、過剰な色気とヒップホップが幅を利かせているだけの世界だ。
これは程度の問題ではなく、ただ時代が要求しているから、同じような歌が蔓延する、ということではないだろうか。

時代が選んだ歌に、いちいち目くじらを立てることはない。
「ただ、俺にはちっともいい歌に聞こえないな」で済ませればいい。そして、聞かなければいい。
私はそうやって、いつも自分好みではない「はやりうた」を聞き流してきた。

「だから、ニシダ君もそうすればいい」
私がそう言うと、ニシダ君は、首を高速で左右に動かしながら、「無理です!」と叫んだ。

「だって、朝起きるとミニコンポから必ず流れるんですよ。しかも、大音量で。さらに、怖ろしいことにチヅルのダンス付きなんですよ。このひと、フリを全部覚えているんです。それを毎朝見せられるんです。逃げられないんです!」

(唖然)・・・・・・・・・・・。

「先生の言いたいことはわかります」とチヅルさん。

「羞恥心のない人間が、『羞恥心』を歌うな、と。そんな熱唱する母の恥ずかしい姿を見たら、子どもも羞恥心がなくなる、と」
そう言いながら、ミニコンポのリモコンを手にとって、ボタンを押すチヅルさん。

聞こえてきた歌は、当然「羞恥心」。

熱唱するチヅルさん。
子どもを抱いているので、振り付けはなしだが、歌いこんでいるせいか、かなり上手い。
そして、何といっても楽しそうである。
リズム感も、本物たちより、あるかもしれない。

楽しくなって、つい私も「しゅーちしん!」と歌ってしまった(基本的におバカが好きなので)。
チヅルさんと乾杯をする。

ドンマイ ドンマイ ドンマイ ドンマイ

ニシダ君にも調子を合わせるように勧めたが、ニシダ君は強く首を振るばかりだった。

やはり彼は、羞恥心が強いようだ。

まあ、それが普通なんでしょうが・・・。



★羞恥心の強い人は、CG「嵐の前に」

2008/04/16 AM 07:02:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

花粉症デビュー?
4月の初めにポスティングをしたことは、このブログに書いた。

ポスティングが終わって残ったものは、足の痛みと手の痛み、回復しがたい疲労、そして靴の破損。
それだけかと思ったが、次の日に異変があった。

朝、鼻水が止まらないのである。
くしゃみ6連発を2回。
目も痒い。
喉が痛くて、体も少々だるい。

これって、なんか、あの症状に似ていないか?

我がヨメは、毎年花粉症に苦しんでいる。
杉の花粉だけでなく、色々なアレルギーを持っているらしく、ほぼオールシーズン、朝、盛大なくしゃみをしている。
そして、目が痒い、喉が痛い、なんか体がだるい、と毎朝アピールをしている。

高校3年の息子は、ヨメの体質を素直に受け継いでいるから、彼の花粉症も筋金入りである。
起きがけと帰宅後に、いつも盛大なくしゃみをする。

二人の共通点は、花粉症に限らず、高熱が出ると、回復するまでに3〜5日かかるところだ。
一度寝込んだら、回復がかなり遅い。

それに対して、私と中学1年の娘は、花粉症には無縁だし、熱が出ても1日で下がる。
熱が尾を引かないから、熱が下がったら、すぐ普段通りの生活ができる。

そんな我々を見て、「ただ野蛮なだけよ」とヨメは言う。

はい、野蛮です。単純です。ワイルドです。

だから、私は絶対に花粉症にはならない、と思っていた。

しかし、この症状は?

くしゃみが止まりません。
鼻水が出まくりです。
頭痛も、ちょっと・・・・・。

私の場合、風邪をひいても、こんな症状にはならない。
喉が痛くなったら、一気に熱が出て、その後下がってお終いである。
実に、わかりやすいパターンだ。

ズルズルズルズル・・・・・、ヘックシ!。
鼻を何度もかむ私の姿を見て、ヨメが喜んでいる。
「とうとう来たわね! 花粉症! 花粉症は、突然来るものなのよ!」

嬉しそうである。

ヨメに言わせると、ヨメが花粉症になったのは、私との初デートで「港の見える丘公園」に言った次の日からだと言う。

あのデートがなければ、自分は花粉症になることはなかった!
つまり、その原因を作ったのは、私だと言うのである。

それに関して、反論は勿論できるだろうが、無理に波風を立てることはない、
「まあ、それも運命だよ」と言って、いつも笑って誤魔化している。

だから、その運命の花粉症に、私がなると思ったことはなかった。
私は、アレルギーとは無縁の生活を送ってきた。
讀賣新聞アレルギーや巨人アレルギー、演歌アレルギー、自民党アレルギー、昔は良かったアレルギーには、かかっているが、それは一過性のもので、全部に目をつぶれば、アレルギーが悪化することはない。

また、アレルギーとは関係ないが、20年くらい前に、友人の家族と団体旅行をしたとき、昼食に刺身定食を食ったことがある。
私を含めて14人いたが、そのうちの12人が腹を下した。
私を除く1名は、刺身が嫌いで刺身のつまだけを食ったので、腹をこわすことはなかった。

私はその刺身定食を完食したが、まったく何ごともなかった。
私は、どちらかというと腸が弱い方だが、その時は「この刺身、うめえな!」と、もう一人の残した分の刺身まで食ってしまったが、平気だったのである。

その時は、「おまえ、人間じゃねえな」と、参加者全員から褒められた(?)ものだ。

その私が、花粉症?
あり得ないだろう。

私が頻繁に鼻をかむ姿を見て、ヨメと息子は、「わーい! 花粉症だぁ!」と喜んでいる。
それに対して、娘はクールに「こいつが、そんなにデリケートかぁ?」と半信半疑である。

ズルズルズルズル・・・・・、ヘックシ!。

だが、この症状は、9日目に突然収まった。
目の痒みがなくなり、鼻水も完全に止まったのである。
喉の痛みも消え、だるさもない。

ここで、私は真剣に考える。
さあ、これは、いったい何だったんだ?

花粉症? それとも、風邪?
花粉症にしては、中途半端な気もするし・・・。

経験者の話を聞くと、花粉症は、かなりつらいという。
目が痒くて、目玉を取りだして、洗いたいくらいだ、と言う人もいる。
鼻を他の人の鼻と交換したい、と言う人もいる。
頭がボーッとして、集中力がなくなるから、仕事にならないと言う人もいる。

だが、私の場合は、それほどではなかった。
目はいつも痒かったし、鼻水が大量に出て、常時鼻に違和感があったが、我慢できないほどではない。
体は、だるかったが仕事をしている最中は、忘れられた。
所かまわずくしゃみは出たが、そんなときも「俺のくしゃみって、カトちゃんのくしゃみに似てるな」と思ったら、結構笑えた。

だから、それほど深刻なつらさは感じなかった。

これは、本当に花粉症なのか?
まさかね・・・。

そんなことを思っていたら、娘がくしゃみを5連発(ついでに屁も)。

えっ! まさか、君も・・・・・?

「おい! コショウをかけすぎだろ! 普通ポテトサラダにそんなにコショウはかけないぞ!」

夕食のポテトサラダ。
CDカセットから流れる東京事変の「積木遊び」に反応して、コショウをふりすぎたせいだったらしい。

娘が、茹でたポテトをこねながら、しみじみと言う。
「まったく! こんなバカが、花粉症にかかるわけがないよな」

はい、ごもっともです。

しかし・・・・・・・・・・・。



★コショウをかけすぎた人は、CG「女子高生は誰を待つ?」


2008/04/14 AM 07:09:11 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

自由業と自営業、そしてルックス
人間は見た目と肩書きなのか、というお話。

まずは、中学1年の娘とのおバカな会話。

「いいかい、人間を顔で判断してはいけないよ」

「『人間は心だ』なんて、当たり前なことは言うなよ!」

「いや、人間は顔じゃない! 心でもない! ルックスだ!」

ここで、必ず娘に、頭を叩かれる。
馬鹿な父娘(おやこ)である。

ルックスと肩書きは、大事だ。
しかし、時に大きな誤解を招く。
母が2年前、手術で入院する際に、担当の医師と方針について話し合うことになった。
つまり、インフォームド・コンセントというやつだ。

このとき私は、得意先のパーティの帰りだったから、三つ揃えのスーツを着ていた。
自慢するわけではないが(というフリの時はたいていは自慢だが)、私は身長180センチあるから、スーツを着ると、それだけでまともに見える。

普段は、まったく冴えない吐き気がするほど汚いオッサンだが、スーツを着るとまともに見える。
そして、その時、母が医者に余計なことをいった。
「この子は、自営業なんですよ」

それを聞いて、医者の目の奥が、キラッと光った(ような気がした)。

母は、フリーランスの意味がわからない。
いつも、フリーターと間違えていた。
だから、私は「自由業だよ」といつも言っていたのだが、母は、それを「自営業」と覚えてしまったのである。

自由業と自営業は、違う。
簡単に言えば、自営業には、金持ちの匂いがする。
庭付き一戸建て、外車、別荘、海外旅行、そして愛人・・・。

もちろん、自由業にも金持ちは沢山いるだろうが、私が貧乏だから、私の中では、自由業は貧乏という概念が完全に出来上がっている。

「自営業」という言葉を聞いた医者は、「今なら個室が空いていますが」と、鼻の穴をふくらませながら、私の目を見つめた。

いくら母が言ったとしても、私を自営業と信じるなど、彼も、たいした医者ではない。
スーツを着ているからまともに見えるとはいえ、私の顔をよく見れば、貧乏が染み込んでいるのは歴然としているだろう。

こいつ、ヤブ医者だな、と思ったが、病院も商売だから、個室を埋めて利益を上げなければいけないのは、理解できる。
ただ、彼は明らかに相手を間違えている、と思った。

だから、私は抵抗した。
「いや、4人部屋とか6人部屋でいいですよ」
すると、医者はゆっくりと首を振って、外人のように肩をすくめ、「社長さん」と言うのである。

俺は、社長さんじゃない!
それに、こんなとき普通は、「息子さん」とか言うんじゃないのか。
その言い方は、おかしいだろう、そう思ったが、何となくいい響きなので、その言葉の響きに酔っていた。
それが、間違いのもとだった。
医者は、その隙を見逃さずに、こう言ったのである。

「社長さん、生憎ただいま大部屋がふさがっていまして、個室しか用意することができません。もし大部屋がいいと仰るなら、空いた時点でそちらに移っていただくということで、いかがでしょうか? お母さまの病状から判断しますと、一刻も早く手術をされた方がいいと思われますので、ためらっている暇はありません」

そう言われたら、すぐにも入院させるしかない。

しかし、それは、まったく相手の思うつぼだった。
結局、約3週間、母は個室のままで、入院費は体が震えるほど高額なものになった。
このときは、ヨメに「いいじゃない。お義母さんが個室でノビノビできたんだから」というありがたいお言葉をいただき、ヨメの許しを得て、バンジージャンプで谷底に飛び込む気分で、定期預金を解約し、支払いにあてた。

今でも、あのとき医者に「自営業」と言っていなければ、こんなことにはならなかったと思っている。

人の判断基準で、見た目と肩書きは、大きい。
他に判断すべきデータがないときは、この2つさえあれば、いくらでも妄想をふくらませることができる。

この間、さらに、こんなことがあった。

リアルイラストの達人・イナバが、すかいらーくでの打ち合わせの最後に、こんなことを言ったのである。
「車、クラウンにしました」

イナバは、それまでダイハツ・ムーブに乗っていたが、子どもが大きくなったので、ムーブでは狭く感じるようになった。
そこで、買い換えることにしたのである。

イナバも私同様、貧乏くさい顔をしている。
しかも、背が私ほど高くないから、「金持ちルックス」からは、かなり遠い位置にいる。
そして、貧乏揺すりがひどい。
爪を噛む癖がある。慌てると、過呼吸になる。
哀れだ。

しかし、彼の奥さんは、美人である。スタイルもモデル並みだ。
車を買い換えるとき、奥さんが付いていった。
車の説明を受けたとき、まるで美人女優のそばに控えるマネージャーのような存在のイナバは、完全に主導権を奥さんに取られたまま、結局クラウンを買わされるはめになった。

中古車販売店の営業マンは言う。
「社長様の奥様は、やはりクラウンが一番お似合いです!」

美人の妻を持ったばっかりに、イナバは自由業を自営業と間違えられてしまったのである。

「車は気に入っているんだけど、俺は似合わないねえ。自分でもそう思うよ」
と、大きな溜息をつきながら語るイナバ。
しかし、彼は、だらしなく顔を崩して、こうも言うのである。

「でも、サユリは、クラウンがよく似合うんだなぁ〜。あいつは華があるからねえ! オレ、いつも、ウットリしてるよ!」

思いっきり、スネを蹴飛ばしてやった。



★美人妻を持った人は、CG「黄昏時の部屋」


2008/04/12 AM 07:35:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

家なきオジさんはケケケと笑う
勘違いもここまで来ると、笑える。

今年の1月、オープン前のレストランのメニューの依頼を受けた(こちらを参照)。
クライアントは、かなりこだわりを持った人、というより相当思い切りの悪い人だった。

2月の中旬に、全体のイメージも決まり、レイアウトも決まった。
メニューの内容も決まり、画像も揃い、ロゴも決まった。
あとは、料理の金額を決めるだけである。

しかし、開店準備をしている段階で、食材費がジワジワと高騰を続け、値段設定が何度も変わった。
2月末までに、4度価格を書き直した。
時に、朝なおしたものを夕方なおすということもあった。

開店はゴールデンウィーク前だから、まだ余裕はある。
だから、「少し、ゆっくり考えませんか」という提案をした。
その結果、1か月以上、この仕事は、ほったらかしにされた。

「価格が決まりました」という連絡があったのが、先週の土曜日のことだった。
そして、「来週の水曜日までに現物が欲しい」という、大変性急なリクエストを受けた。
ただ、大急ぎとはいっても、価格を入れるだけだから難しくはない。

6頁のメニューの所定の場所に価格を入れて、ファックスを送った。
これで決まりだろう、と思ったが、また価格改定。

どんだけ悩むんだ! 価格が決まったから、電話をかけてきたんじゃないのか!

舌打ちをしながら、直したものをファックスしたら、また10箇所以上を価格改定。
「これでは、水曜日には間に合いませんよ。もう限界です!」と、威してやっと価格が決まったのが、火曜日の午後10時過ぎだった。

価格が決まれば、このメニューをカラーレーザで14部プリントして、パウチ(ラミネート)をし、あらかじめ箔押しをしておいたファイルに閉じればいい。

プリントに要する時間は、たいしたものではない。
しかし、パウチは結構時間がかかる。
真夜中、近所の印刷会社に忍び込み、パウチの機械を貸してもらった。
機械が温まるまで、それなりに時間がかかる。
慣れていないから、余計時間がかかる。

その間は、何もすることがないので、さけるチーズをつまみにして発泡酒を飲んだ。

季節は春。

深夜の印刷会社は、冷える。
暖房を入れようかと思ったが、パウチをただで貸してもらって、さらに暖房を付けるというのは、あまりにも図々しい行為なので、それは思いとどまった。
ずっとここにいるわけではないのだから、少々の寒さなど、我慢すればいいだけのことである。

機械が温まったので、操作を開始した。
メニューは14部あればいいが、一回でパウチを成功する自信はないので、3部余計にプリントしてある。

つまり、102枚分、パウチすることになる。
地味な作業である。
しかも、意外と時間がかかる。
静かにゆっくりと熱で圧着して、一枚一枚排出されるメニュー。

全部終わったのが、午前4時過ぎだった。
さけるチーズを2本食い、発泡酒を3本飲んだ。
何となく胃が膨張した感じになったので、印刷会社の救急箱から胃薬を借りて飲んだ。
スッキリした。

出来上がりを全部点検して、不具合がないことを確かめ、出来上がりを紙袋に入れて、印刷会社を後にした。
印刷会社に来たときは、小雨が降っていたが、今は雨は上がっている。
空も少しだけ明るくなってきた。

今回は、自転車ではなく、徒歩で印刷会社まで来たから、当然帰りも歩きである。
「つっかれた〜〜!」と呟きながら、薄明るい朝の冷気の中を歩いていた。

そんなとき、白い軽のバンが私の横で止まったのである。
団地まであと100メートルというところだった。

白いバンだから、警察ではない。
以前何度か、真夜中に自転車をすっ飛ばしていたら、職務質問を受けたことがあった。

おそらく、全身から「あやしいオッサン・オーラ」をまき散らしていたのだろうから、職務質問を受けるのは仕方がない。
しかし、今回はパトカーではないから、職務質問ではないだろう(覆面パトカーの可能性もあるが)。

では、何か?

この時間に、道を聞かれるということは、まずないと思う。
では、某国家の工作員が、私を拉致しようとしているのか?
あるいは、親父狩りか?

そう思って、私の全身は、完全に戦闘モードになった。
紙袋をサツキ(?)の葉の上に置き、両手はグーにした。
右足を斜め後ろに下げて、腰を落とし、ジャブと右フックが出やすい態勢を取った。

俊足を飛ばして逃げてもいいが、工作員に我が家を突きとめられるのは、できれば避けたい。
だから、闘うことにした。

助手席側のドアが開いた。

降りてきた男の年格好は、60歳前後。
背が低く禿げた貧弱な男が、鼠色の作業着のようなものを来て、目を何度も瞬きしながら、こちらに歩いてきた。
運転手の方を見ると、彼も年は60歳前後の貧相な男だった。

これが、工作員?

貧相な工作員がいても不思議ではないが、彼らには強い「気」が、まったく感じられなかった。
波紋のない池のように穏やかな雰囲気を漂わせて、男が私に近づいてきた。

だが、害が無さそうに見えても、武道の達人は、寸前までそれを人に感じさせないものである。
突然、後ろ回し蹴りが飛んでくる場合もある。
だから、私は緊張をとかなかった。

両手をグーにしたまま、相手の様子をうかがった。

すると、男は、頭を少しだけ下げて、東北なまりを残した声でこう言ったのである。
「私たちは、○○協会のもので、ボランティアで家のない人の世話をしているものなんですがぁ・・・」

最初は、言っている意味が、全くわからなかった。
家のない人って、何だ?
誰のことを言ってるんだ?

両手をグーに構えたまま、私は男の顔を睨むように見た。

男は、「だぁからぁ〜」と、また同じことを繰り返した。

家のない人?
まさか、俺のことを言っているのか?

冷静になって、考えてみた。
明け方の5時前後に、紙袋を抱えて、疲れた足取りで歩いている男。
使い古したトレーニング用の上下のウィンドブレーカー。
貧相な顔。疲れ切った顔。

要するに、ホームレスに間違われた、ということか。

「家のない人?」
私が、魂が抜けたような声で聞き返すと、男は、慈悲深い光を湛えた目で頷きながら、「4月とはいえ、まだ寒いですから、大変ですよねえ」と言った。

俺って、今、確実に「家なきオジさん」に間違われているよね?

しかし、こんなことが、あり得るのか?

俺は確かに疲れてはいるが、仕事を終えて、我が家に帰ろうとしているところだぞ。
それなのに、男には、俺が「家なきオジさん」にしか見えないのか。

笑うしかない。

だから、笑った。
ハハハ、ではない。
ケケケ、と笑った。

ケケケ、ケケケ、ケケケ、ケケケ、ケケケ・・・・・。

その笑いを聞いて、男は、逃げるように去っていった。

ケケケ、ケケケ、ケケケ、ケケケ、ケケケ・・・・・。

明け方の街に、家なきオジさんの笑い声が、こだました。



★頑張る人は、CG「車いすのある風景」

2008/04/10 AM 07:38:50 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ポスティングは、とってもグー!
10日ほど前のことになるが、ポスティングをした。

3500軒の家のポストに印刷物を配布したのである。
これは、疲れる。
しかも、ただ働きだから、なおさら疲れる。

2月の終わりに、ここ3年、毎年請け負っていた塾の広告の仕事をいただいた。
これは、新年度の生徒を募集する広告である。
いつも、6万1千部印刷して、そのうちの5万部は新聞折り込みに入れ、残りをポスティングする仕事だった。

3年連続の仕事なので、段取りは把握している。
デザインも基本的に同じである。
新聞折り込みを頼む業者もいつも通りだ。
だから、簡単に終わると思っていた。

しかし、ポスティング業者が、突然単価の値上げを言い出す、という予想外の出来事があった。
私の場合、ポスティングに関しての儲けは、まったく取らない。
業者の言い値通りの請求額をクライアントに請求するだけである。

業者の請求額に、少し上乗せしてクライアントに請求するのが常識的な商売だとは思うのだが、「自分が汗一つかかない仕事に対して対価を得るのは、どうもね」という変な主義に凝り固まっているから、私はこの部分での儲けは取らない(だから、いつも貧乏なのです)。

今回仕事を請けるに当たって、前回と同じ単価で見積書を出したから、業者の値上げ分は、私が被ることになる。
しかし、いくらお人好しの私でも、それは絶対に嫌だ!
だから、ポスティング業者を変えた。

しかし、これが、間違いのもとだった。
新しい業者は、設立2年。
付き合いのあった業者は、設立20年以上。
この違いは、大きかった。

1万1千部を2日間で配ってもらった。
よし、予定通りだ! と安心した。

ただ頼みっぱなしでは、無責任なので、この仕事では、いつも独自にモニター調査をすることにしていた。
配り終わった後に、信頼できる女性に、配ったエリアの200軒を抽出して、本当に配られたかどうかを聞き回ってもらうのである。

過去3年間のモニター調査の平均は、配布率80パーセントを超えていた。
これは、常識的な数字である。
配られていないという家庭でも、「もしかしたら配られていたかもしれないけど、捨てたかも」という人が5パーセント以上はいたから、かなり高度な配布率を維持していたと思う。

しかし、今回の配布率は、なんと45パーセント!
あり得ない数字である。

同じ条件で、同じ調査員が調査をして、半分程度の配布率しかなかったのだ。
しかも、配布エリアを7つのブロックにわけて配布してもらったのだが、そのうちの2つのブロックの配布率が、25パーセントという驚くべき低さだった。
他のブロックは、70パーセント近い配布率があった。

この結果から導き出される答えは、おそらく一つしかない。
つまり、この2つのブロックを配布した人は同一人物で、何らかの事情で手を抜いたことが想像できる。
細かい事情はわからないが、この地域だけが突出して配布率が低いのだから、これは仕事を依頼した当方としては、抗議するのが当然の行為だと思う。

そこで、聞いてみた。

ここだけ、配布率が低いんですが・・・・・。

しかし、相手は露骨に眉をひそめて、「配りましたよ」と開き直るのである。

でも、モニター調査の結果を見るとですね・・・。

「その調査は、信頼できるんですか!」

過去3年の結果は、信頼できるものでした。

「でも、うちだって信頼できますよ!」

調査はしてるんですか?

「配り終わったところを塗りつぶした地図があります」

それは、配布員が自分で付けるんですよね?

「当たり前です。彼らが独自の責任において、処理しています」

会社側は、それを確認しないんですか?

「当方は、配布員を信頼しておりますので」

しかし、信頼というのは、確かな裏付けがあってこその信頼なのでは?

「信頼がなければ、この仕事はやっていけませんよ!」

配布員を信じるというのは当然でしょうが、確実に配布されたというのを確認するのは、とても大事なことだと思うんですが?

「地図を赤く塗りつぶしたところは、確実に配っているんですよ! 配ったから塗りつぶしたんです。それは、配布前にくどいくらい注意しました!」

話が、まったく噛み合わない。
人を信頼するのは、人間関係を構築する上で大変重要なことだが、ビジネスでは、それ以上のものを求められるはずである。
そうしないと、馴れ合いで終わってしまう。

その後、相手から渋々という形で「それでは、当社でも独自の調査をしますが、その結果、そちらとまったく違う結果が出る場合もありますので、ご了承ください」と、いかにも誠意のない提案をされたが、この提案を受けた時点で、私はこの会社には、まったく期待をしなくなった。
政治家の答弁と同じ匂いを感じ取ったからである。
(ただ、この場合、私の話の進め方が稚拙だったので、相手がへそを曲げたと捉えることもできるし、当方の調査が100パーセント正しいとは断言できないという事情もある)

そこで、配布率の低い2つのブロックだけ、私が再配布することにした。
約3500軒。
3500部、新たに印刷を頼んだ。
当然のことながら、これは、完全な自腹である。

そして、配布(ただ働き)。
簡単かと思ったが、一人で隅から隅まで回るのは、素人には、かなり過酷な作業だと思い知らされた。
1日でできるかと思ったが、朝の8時から夜の8時まで配っても、1500部がやっとという現実。
これでは、埒があかないと思って、次の日は朝の6時から配り始めたが、配布が完了したのが、夜の10時。

ほとんどノンストップで16時間配りまくったから、足は痛いし、腕も痛い。腹は減る。
配り終わって、帰り道。
コンビニでビールとおでんを買って、公園のベンチに座って、おでんに食らいつき、ビールを呷った。

公園の桜は、ほぼ満開。思いがけない夜桜見物。
風情はあるが、正直そんな余裕はない。心が痛い。体も痛い。

ポスティングが、こんなに大変だとは思わなかった。
今までは、郵便受けに訳のわからないチラシが入っていた場合は、即ゴミ箱行きだった。
しかし、これほどの苦労をして配っていただいた広告をおろそかにするなど、神を冒涜する行為であると、深く思い知った。

だから、これからは、広告はすべて丁寧に見ることを決意した。

ポスティング業者の皆様。
あなたたちが、日本の広告を支えているのです。

これからも頑張って下さい!

私は、この地球が存在する限り、あなたたちの味方です(何のこっちゃ!)。



★頑張る人は、CG「待ち合わせ」


2008/04/08 AM 07:06:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

あっぱれなヨメ
かなりリアルな話。

いきなり「別れたらどうだ」と言われて、驚いた。

ドラマや映画で、急に不自然に展開が変わることがあるが、まるでそんな感じだった。
いや、私にとっては、それ以上の、地球の自転が反転するほどの衝撃だった。

義理の兄が二人。
つまり、ヨメの長兄と次兄が前に座っている。

長兄はヨメより4歳上。次兄は2歳上。
ヨメと結婚して22年。
彼女の兄たちとは、あまり深く関わってこなかった。
顔を合わせるのは、5年前の義父の葬儀の時以来だ。

「もう、こんなことをやっていてもしょうがないだろ! やめたらどうだ! もう別れた方がいい。子どもたちは、俺たちが面倒を見るから」

私は、彼らに、私のやっていることを「こんなこと」と、言われてしまったのである。
それがどんなに非常識な言いがかりか、言った本人たちには、全くわかっていないようだった。

そもそも、彼らとは、最初から相容れない関係だった。
義兄たちは、妹であるヨメを可愛がっていた。
ただ、兄が実の妹を可愛いがるのは当たり前だから、それは理解できる。

しかし、私が彼女と結婚したいと言いだしたとき、「司法試験? 馬鹿じゃないの! 受かるわけねえだろ!」と、あからさまに言われた。
言葉をオブラートに包むという気遣いは、全くされなかった。

司法試験浪人のお前に、妹はやれないよ!

これが、最初の行き違いだった。
私は司法試験合格を目指していたが、浪人をしていたわけではない。
法律事務所に正社員として、勤めていたのである。
十分とは言えないが、定期的な収入はあった。

しかし、それを理解してもらえなかった。
あるいは、相手に理解するつもりがなかった、と言った方がいいかも知れない。

最初から、ボタンが掛け違っていたのだ。
私は、普通にボタンをかけたかったのだが、相手は上から2番目のボタンを無理矢理一番下の穴に遠そうとしていたように、私には感じた。
それほど、妹のことを心配していたのだろう、ということは理解できるが、当方が相手の事情を理解するほどに、相手は私たちのことを理解してくれなかった。

古くさい表現だが、ヨメは、駆け落ち同然に家を出た。
そんな極端な手段を取るしかなかった私たちは、もちろん「未熟」と誹(そし)られても仕方がない。

結局は、それが20年以上も尾を引いて、今回のことになったのだろう。

ただ、物事には順序がある。
明確な理由も必要だ。
それらをすべて飛ばして、結論だけを押し付けられても困る。
誰だって、起承転結の「結」だけでは、物語を理解することはできないはずである。

考え方や生き方の違いは、誰にでもある。
しかし、たとえ相手のことが嫌いだとしても、相手の考え方や生き方を認めない態度は、常識的な大人のものではない。

義兄たちと私では、生き方が違う。

長兄は、高校を卒業して、20歳そこそこで、職場で知り合った人と結婚し、男の子3人を設けた。
職場が倒産するという不運に何度も遭遇しながらも、子どもを育て上げ、一戸建ても手に入れた。
それは、尊敬できる。

子ども3人のうち一人は、かなりの問題児で、際どい環境に身を置いていた(我が家に逃亡してきたこともある)が、私はそのことで批判的なことは、決して言わなかった。
他人の家のことは、わからないからだ。

次兄は、高校卒業と同時に家を出て、堅実な会社で働き始めた。
彼は、営業としてかなりの実績を残し、40歳過ぎに「のれん分け」のような形で、有限会社を設立した。
設立するときに、金融機関から融資を受けるというので、私が保証人になった(長兄がその時、会社が倒産して無職だったので)。

次兄には、男の子がいて、大学に入り、ときどき父親の会社を手伝っている。
かなり大きな家も所有している。
その生き様は、やはり尊敬できる。

それに比べて、私には家がない。
昨年、車も売ってしまった。
見事なほどの貧乏暮らしである。

家を建てた建てないを、人間の判断基準にされたら、私などは、間違いなく人間のクズかもしれない。
価値観は、人それぞれあるだろうが、その価値観を無理強いされたら、私は黙るしかない。

貧乏デザイナー。

義兄たちは、このデザイナーという職業を胡散(うさん)臭く思っているらしい。

「あいつ、本当にまともに働いているのか?」
「普通、真面目に働いていれば、家の一つぐらい建てられるだろう」
「家族に惨めな思いをさせて、よく平気でいられるな」
「もう、見込みないんじゃないの」

彼らが、そんなことを義母に言っていたのは、義母経由で何度か耳にしたことがあった。
だが、私は気にしていなかった(いや、正直なところ、少しは腹が立っていたが)。
本当に言いたいことがあるなら、直接言ってくるだろう、と思ったのだ。

そして、彼らは、本当に直接言いに来たのである。
それも、唐突に、「別れたら」と。

私にしてみたら、これはかなり非常識な行為だと思うのだが、彼らは真面目なのである。
妹と甥・姪があまりにも可哀想だ、という大義名分があるから、彼らは「笑い話」を持ち込んできたわけではないのである。

娘が中学1年になる。
だから、丁度いい時期ではないか、と言うのである。

だが、彼らにとっては「笑い話」でなくても、私にとっては「笑い話」である。
こんなタチの悪い「笑い話」を真面目に答えていたら、私のプライドはズタズタになる。
だから、私は一言も喋らなかった。

そして、ヨメも口を開かなかった。
口を開けば、喧嘩になる。

高校3年の息子は、ノーテンキに自分の部屋でDSのゲームをしている。
中学1年の娘は、パソコンでYouTubeを見ている。

リビングだけに、沈黙が落ちている。

「飲み物はいらない!」と、長兄が言ったので、テーブルにはガラスの花瓶に生けた花が置いてあるだけだ。
心なしか、花も萎れて見える。

沈黙だけが、支配する空間。
馬鹿馬鹿しい空間。

こんなことは、時間の無駄だ。

だから、私は、義兄たちにそう言おうとした。
掛け違ったボタンは、お互いが気付かなければ、いつまでも掛け違ったままである。

今日の義兄たちの話を聞いて、私には、一生その掛け違いを直すつもりがない、という決意も生まれた。
だから、時間の無駄だ。

私が、そう言おうとしたとき・・・、

ヨメが、テーブルを叩いて、叫んだのである。

「アンちゃん! うちの子どもたちの幸せな顔を見て、わからないの!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

実に、あっぱれなヨメであった。



★あっぱれな人は、CG「工事中?」


2008/04/06 AM 07:49:22 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

怒らないで褒める
東京の新宿御苑近くに、得意先がある。

ただ、それほど付き合いは長くない(それについては、こちらを参照)。
そのとき、この会社で私が請け負ったのは、社長の奥さんが産休に入るので、その期間だけサポートをする、という仕事だった。
その仕事が終わって、その後、新たな仕事を1件いただいたが、それから9か月、音沙汰がなかった。

そこで、アポイントを取って訪問することにしたのである。

9か月ぶりに会う澁谷氏は、疲れているように見えた。
働き盛りの30代の顔に、隠しきれない疲労が滲み出ているような気がした。

「疲れているみたいですね」
私の言葉に、「いやあ」と言って、無理に笑顔を作ろうとしたが、思い直して、「ああ、そうかもしれませんねえ」と右手で顔をこすった澁谷氏。

仕事の打ち合わせを10分ほどで終えて、コーヒーブレーク。
奥さん(以下シブヤさんと書きます)が、淹れたての珈琲を持ってきてくれた。

「お子さんは、1歳を過ぎましたね」と私が言うと、「はい!」と弾けるような笑顔で頭を下げた。
それは、以前より顔がふくよかになって、すべてのものを包み込むような奥行きを感じさせる笑顔だった。

だが、その顔が少し曇る。
「社長が」とシブヤさんは言う。
会社では、夫のことを「社長」と呼んでいるようである。

「社員を怒れない人なんですよ」

詳しく聞くと、彼より年上の社員が得意先を怒らせてしまい、商談が破談になりかけた。
そこで、澁谷氏が出ていって、ひたすら謝ったところ、得意先は嫌味を言いながらも、仕事をくれたのだという。
ただ、年上の社員の方は、「俺は悪くない。先方が悪い」と言って、いまだに社長を困らせているらしい。

社長たるもの、たとえ部下が年上であっても、毅然とした態度で怒るべきだと、シブヤさんは夫を説得した。
しかし、澁谷氏は、「怒れない」と言う。

さあ、シブヤさんと澁谷氏、どっちが正しいのか、というお話である。
これは、難問か?

私は、難問ではないと思う。

怒っても意味はない。
怒らなくてもいい、と私は、澁谷氏に忠告した。
シブヤさんが、「でも、それではしめしが・・・」と言ったので、一応持論を述べさせてもらった。

「怒る」と「叱る」は違うと、もっともらしいことを言う人がいる。
もちろん、辞書を調べれば、意味が違うのは歴然としている。
それは、私も知っている。

しかし、怒られた方、あるいは叱られた方は、いずれにしても「俺は怒られた」と受けとめるはずである。
つまり、こちらが「叱ったつもり」でも、相手は「怒られた」と思って、それを根に持つ。

それなら、怒らなければいい。叱らなければいい。
相手に、根に持ってもらいたいという人は、怒ってもいいが・・・。

私事だが、たとえば、以前ブログにこんなことこんなことを書いた。

私は、人を怒ることで解決することなど、何もないと思っている。
解決したとしても、それは、怒った結果、怒った姿に対して恐怖心を感じて、反応しているだけである。
だから、それは教育ではなく支配だ。

怒らなくても、人を導くことは難しくない。

私が、大学時代に教職課程を取っていたとき、母校の中学に教育実習に行ったことがある。
そのとき、私が陸上部にいたということを聞いた教頭から「陸上部の練習を見てくれ」と言われた。
私は、走ることが大好きだったし、走る人間が大好きだったから、快諾した。

しかし、練習を一目見て、大きな幻滅を感じた。
陸上部の顧問が、練習の最初から最後まで、怒鳴りまくっていたからである。

丁度、夏の大会を控えていたから、グラウンドでは、リレーの練習をしている最中だった。

「馬鹿かお前! 何度言ったらわかるんだ、この野郎! 今日は、ぶっ倒れるまでやらせるぞ! いや、ぶっ倒れたら、ケツを蹴飛ばしてやる!」
その顧問の罵声と生徒の頭を叩く姿を見て、私は鳥肌が立った。めまいがした。

しかし、私はめまいを感じながらも、顧問に頭を下げて、1週間だけ私に指導を任せて欲しいと願い出た。
そんな私に対して、顧問は「お手並み拝見だな」と、まるで安っぽいドラマの脇役のような皮肉な態度で、渋々ながらも承諾してくれた。

私は、子どもたちが、どんなにミスをしても怒らなかった。
とにかく、褒めた。どんな小さなことでも褒めた。
強面顧問の呪縛から逃れた子どもたちは、最初こそ私を軽く見ていたが、私の走る姿を見せると、顔つきが変わった。

私は、彼らの走るフォームには注文を付けずに、バトンの受け渡しだけを、時に紙に書きながら根気よく教えた。
そうすると、3日もすると、スムーズにバトンが渡るようになり、タイムも上がった。
リレーは、バトンリレーの善し悪しで、タイムが大きく変わる競技なのである。
夏の大会の結果は3位だったが、彼らは、走り終わると真っ先に、私のところに挨拶に来てくれた。

顧問は、「3位で喜ぶんじゃない!」と、相変わらず強面だったが、生徒の顔は、みな誇らしげだった。
彼らの持ちタイムよりも、1秒近くいい記録で走れたのだから、相当な健闘と言っていい。

もちろん、それがすべて私の指導の結果である、と自惚れる気はない。
ただ、怒鳴ったり叩いたりする指導よりは、良かったのではないかとは思っている。

「喜怒哀楽」という言葉がある。
この中の「喜」と「楽」は共有して嬉しいが、「怒」と「哀」は、誰だって共有したくないはずだ。
誰だって、「怒」と「哀」を相手から一方的に押し付けられたくはない。

だから、怒るのは相手のことを思っているから、というのは言い訳で、私には自己中心的な行為としか思えないのである。

私は、自分の子どもたちを怒ったことがない。
私がたとえ、子どもたちと対等だと思っていても、子どもたちは、おそらくそう思っていない、と想像するからである。
対等でない関係の人間が怒っても、それは抑圧以外の何ものでもない。

だから、私は、それをフェアな行為とは認めない。

「では、この場合、ずっと黙っていろと?」
シブヤさんが、納得いかない顔で首をかしげた。
強く抗議したいところだが、強く抗議したら失礼かも、という迷いを含んだ目で、彼女は私を見つめていた。

いや、黙るのではなくて、私なら褒めます。

「○○さん。よく我慢しましたね。今回の場合、相手をぶん殴っても、俺は文句を言いませんよ。さすがに○○さんは大人ですね。本当によく我慢してくれました」

私がそう言うと、「ああ!」とシブヤさんは、一度強く手を叩いた。
そして、「その言い方、わたし、好きかも!」と言って、澁谷氏の方を見た。
澁谷氏も大きく頷いていた。

帰るとき、二人はわざわざ下まで降りて、見送ってくれた。
澁谷氏が私に、「褒めるんですよね」と聞いてきたので、「褒める褒める」と答えた。
シブヤさんも同じように「褒める褒める」と私の目を見つめて、呪文を唱えるように、呟いていた。

褒める褒める、褒める褒める・・・・・。

呪文を唱えながら、三人で、頷き合った。


★褒め上手な人は、CG「異次元から来た人たち」


2008/04/04 AM 08:20:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

カラーレーザープリンターが無料で
エプソンのプリンターが、死んだ。

店頭展示品を格安で手に入れて7年。
出力はされるが、紙はクシャクシャになるし、スジは入るし、トナーは満タンに近いのに、マゼンタとイエローがにじんでブレるし、ひどい症状である。

購入して1年過ぎたときに、具合が突然悪くなり、修理に出したことがある。
直って帰ってきたが、修理代があまりにも非常識な額だったので、それ以来故障しても自分で直すことにしていた。

ドラムの交換は1回。
それも新品ではなく、秋葉原のジャンクショップでバラされて売っていたものを4200円で買って、自分で交換した。
ローラーも同じジャンクショップで、型番は違っていたが、形が似ていたので買って取り付けたら、何ごともなく使えた。

そんな風に、手塩にかけて育てたプリンターだったが、今回のは制御部分の故障だと思うので、私が直すのは無理だと思う。
また、たとえ修理に出したとしても、おそらくメーカー側に部品は残っていないだろう。
永眠させてやった方が、「優しさ」というものかもしれない。

我が家には、他にA3対応のCANONのインクジェットプリンターがある。
これも古い。おそらく、使用年数6年以上。
今どきのインクジェットと比べたら、音はうるさいし、遅いし、でかいし、色は荒いし、いいところは一つもない。

だが、色を確認するだけだったら、これで十分である。
レーザープリンターで色を確認したかったら、近所の印刷会社まで行って、プリンターを借りればいいだけの話である。
それで、とりあえず不自由はしない。

だから、新しいレーザープリンターはいらない。
金もないし・・・・・。

ふん! いるもんか・・・・・(涙目)。

そんなことを思っていたら、近所の印刷会社の社長から、抜群のタイミングでいい話が舞い込んできた。

「Mさん、新品のレーザープリンターあげるよ」
「?」(夢?)
「聞いてるの? レーザープリンター、新品なんだよ!」

私は、思わず周りを見回していた。
まさか、隠しカメラで、社長が我が家を監視していたなんてことは・・・。

「Mさん、俺、怒るよ! 本当に、聞いてるの!」
ここで、社長を怒らせたら、せっかくのいい話が逃げていく。

私は、声を張り上げた。
「はい! いただきます! いただきます! ごちそうさまでした!」
この社長は、この手のボケが好きなので、軽くボケておいた。
すると、思った通り、社長は「グヒャヒャヒャヒャァ〜!」と笑いを炸裂させて、むせた。

私は仕事を中断し、自転車をすっ飛ばして、新品のプリンターを拝みに行った。
プリンターは、大きな箱に入れられたままの状態で、私を待っていた。
X社のカラーレーザープリンター。A3対応の新品だ。

でも、本当にいただいてもいいのだろうか。
このレーザープリンターの価格は知らないが、最低でも、我が家の食費半年分くらいはするのではないだろうか。

米に換算すると、何キロ分だ?
小麦粉何キロ分? ジャガイモ何個分? 豆腐何丁分? 卵何個分?(きりがない)。

そんなものをただでくれるなんて、何か悪い魂胆があるのでは?

そんな疑念が、私の顔に出たのかも知れない。
社長は、「俺は嘘はつかないよ。これ、本当にMさんにあげるからね。無条件でだよ」
この社長とは、10年以上の長い付き合いになるが、この時ほど、社長が大きく見えたことはない。

聞いてみると、X社の大型プリンターを機種替えしようとしたのだが、X社側の都合で、納期が4日遅れてしまい、そのお詫びにこのプリンターを置いていったのだという。
社長は、「無料」と聞いて、一応喜んだが、よく聞くとウィンドウズ専用のプリンターだった。
社長の会社に、ウィンドウズのPCはあるが、ウィンドウズからデータを出力することは、まったくない。
要するに、持っていても使い道がない。
だから、私にあげる、という気になったというのである。

私の場合は、ウィンドウズ専用でも、まったく構わない。
Macのデータをウィンドウズのマシンに送って、ウィンドウズのイラストレータで出力すれば、結果としては同じである。
データの作り方が多少違ってくるが、遅いインクジェットプリンターを使うよりは、確実に能率はいいはずだ。

早速、知り合いに小型トラックを借りて、プリンターを我が家に運んだ。
セッティングは、簡単だった。
LANで繋げて、ウィンドウズから出力した。
永眠したエプソンのプリンターと比べると、きめ細かさは劣るし、配色が不自然だが、ぜいたくは言わない。
言ったら罰が当たる。

それに、一つ嬉しい発見があった。
実は、Macでも使えたのである。
10.39以上のOS限定だったが、我が家のG3マック(800MHzのアクセラレータ装着)に入っているのは、ジャスト10.39だった。

これで、イラストレータCSから直接データを出力できる。
これなら能率も、悪くない。

世の中、捨てたもんじゃない。
貧しく正直な働き人に、天が下されし、感光体ラップ転写式多色印刷機。

ありがたや〜、ありがたや〜。

夜、印刷会社の社長からの電話。
「どう? 使えた? しかし、よりによって、ウィンドウズ専用のプリンターを置いていくなんて、ゼロックスも気がきかないよねえ。印刷屋はウィンドウズなんて使わないのにねえ」

「そうですよねえ。本当に困ったもんです。ウィンドウズ専用なんて、まったく・・・」
(ヘッヘッヘッヘッ・・・)


★ありがたい人は、CG「カラオケ自転車」


2008/04/02 AM 07:39:41 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.