Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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斉藤さん
私の小学6年の娘は、ドラマ好きだ。

彼女は小学1年の時に、私が見ていた「トリック」を気に入り、トリックマニアになった。
トリック全巻と映画を何度も見直し、セリフもほぼ暗記するほどになった。
ごくせん」シリーズも気に入っていて、これもかなりの完成度で暗記している。

娘は、つまり仲間由紀恵が大好きなのだ。
彼女の出ているドラマは必ず見る。
娘は、仲間由紀恵のことを、「世界一の美女」だと思っている。

だから、「ごくせん」の新しいシリーズが始まることを聞いて、今から叫んでいるのだ。
「ウォー! ヤンクミ〜〜! カ〜ンバ〜ック!」

そんな娘が、気に入っている今回のドラマのベストスリー。
第1位 1ポンドの福音
第2位 薔薇のない花屋
第3位 鹿男あをによし

「1ポンドの福音」は、HeySay! JUMP山田涼介が出ているから、というだけの理由で1位である。
ドラマとしては、ちっとも面白くないから、1時間真剣に見る気はないらしい。
だから、メールをしながらの「ながら見」で、山田涼介の場面だけ、画面に目を移すだけだ。
その割り切り方は、すごいと思う。

つまり、実質的な1位は、「薔薇のない花屋」ということになる。
ただ、これもどこが面白いというわけではなく、何となく展開が気になるから見ているのだと言う。
それに、竹内結子のことを「メッチャきれい! すごいよ! なんでこんなに綺麗な人がいるの! 表情が魅力的! 仲間由紀恵クラスだよ!」と気に入っているから、それもランクが高い理由だ。

「鹿男あをによし」に関しては、面白い、とはっきり言っている。
日本を救うために選ばれた男は、冴えないノイローゼ気味の男。
神の使いの鹿が喋ったり、主人公の顔が鹿になったり、キツネやネズミがキーワードとして出てきたり、大きな地震が続いたりと、展開が読めないところが、興味をそそられるらしい。
ドラマの舞台となっている奈良の町の雰囲気も、娘にとっては「絵になる風景」に映るらしく、「あれは、セット? もし本当の風景なら、行ってみたい」とも言っていた。

娘が今回見ているドラマは、「薔薇のない花屋」「ハチミツとクローバー」「あしたの、喜多善男」「斉藤さん」「鹿男あをによし」「1ポンドの福音」「ロス・タイム・ライフ」だ。
自分ひとりで見るのは嫌なので、いつも私に見ることを強要する。

仕事が忙しいときは、私は見ることができないので、ビデオに録って後で見るのだが、その時も「一人だけで見るなよ」と言って、一緒に見る。
ただ、最近は仕事が減ったので、リアルタイムに見ることの方が多いが(寂しい現状です)。

この中で私が気に入っているのは、「斉藤さん」だ。
これは、話がわかりやすくていい。
漫画が原作ということもあって、登場人物の性格設定が単純なところが、さらにいい。

正義感の強い主人公。お人好しの友だち。主人公と対極のママたちのリーダー。群れたがる幼稚園のママたち。気の弱い園長先生。馬鹿な不良たち。無関心な世間。

「ごくせん」に似たわかりやすさである。
娘は「ごくせん」が大好きだから、この手のドラマにはまるかと思ったが、「面白いけど、子役が下手過ぎ! 展開がベタ過ぎ!」と言って、少し冷めた目で見ている。

私は、この下手な子役がいい、と思っている。
「薔薇のない花屋」にも子役が出てくるが、こちらは上手すぎる。
上手すぎるから、逆に「これは無理がある」と思ってしまうのである。
大人から見た「理想の子ども」を演じさせているだけだから、見るのがつらくなる。

「薔薇のない花屋」は、きっとドラマ通の人から見れば、良くできたドラマ、ということになるのだろう。
ビッグネームの脚本家が、それなりにビッグネームの役者を揃えて、ビッグネームの歌手の歌声をエンディングテーマで流す。

いくつかの謎を物語の核として残しながら視聴者を引っぱる技術は、絶妙と言っていいかもしれない。
ひとことで言えば、職人芸だ。

だが、ドラマや映画にエンターテインメント性を求める私には、深刻ぶった話を作って、無理に深刻ぶった演技をする俳優が出るドラマは、押し付けがましく感じる。
「そんなに深刻ぶって、いったい何を伝えたいの?」と思ってしまうのである。

だから、鹿が喋る、というシチュエーションの「鹿男あをによし」の方が、私好みのエンターテインメントだし、それ以上に、「こんなわかりやすいキャラの人がいるわけない」と思わせる「斉藤さん」の方が好きなのだ。

私は、映画やドラマは、日常生活を反映させなくてもいいと思っている。
どんなに良くできたドラマでも、現実には絶対に勝てない。
現実を忠実になぞっても、ドラマはドラマだ。

現実とドラマとでは、表現世界が違うのだから、私はドラマや映画、演劇にリアリティを求めない。極端なことを言うなら、荒唐無稽でいいと思っている。
当たり前のことだが、現実をなぞったドラマは、現実のふりをしているだけだ。

人の苦悩や悲しみ、喜びの表現は、一律ではない。
一流の俳優は、色々な表現方法でそれを表現するが、人は本当に哀しいとき、哀しい表情が出来ないことがある。
だが、俳優は哀しい表情をしないと、それが見ている側に伝わりにくい。
だから、俳優は様々な表現方法で哀しみを表す。
しかし、その演技は、ただ哀しみを見る側に押し付けているだけではないのか、と思うときがある(かなりひねくれていますね)。

私はそこに、ドラマの限界を見てしまうのである(少し偉そうに言ってみました)。

だが、「斉藤さん」には、限界がない。
喜怒哀楽を型にはまった表現方法で、わかりやすく見せるだけだからだ。
このキャラなら、この場面では確実に怒るだろう、泣くだろう、笑うだろう、というのが、単純に伝わってくる。
子どもたちの演技は下手だが、演出家が自由にさせているのが感じられて、「いいんだよ、これで」と思ってしまうのだ。

そんな話を娘にすると、「そうか、そういう考え方もあるのか。『斉藤さん』は、わかりやすいからいいのか」と大きく頷いていた。

今日は珍しく素直だな、と思っていたら、「いまミーが何を表現しているかわかるか」と娘が聞いてきた。

顔を覗いてみると、娘が口を横に大きく開けて、満面の笑みを作っていた。

その顔を見て「何か嬉しいことがあったのか」と聞くと、「屁をしたんだよ。だから笑って誤魔化してるんだ」と言った。

く、くせえ〜!

これは、どんな演技力だ?!



★演技力のある人は、CG「交差点を走る人たち」


2008/02/28 AM 07:06:41 | Comment(5) | TrackBack(0) | [日記]

断った仕事
なんと大人気ないことをしたことか。

ただ、今回に関しては、反省はしていないし後悔もしていない。
自分の流儀に会わないことは、拒否したい。
たとえお客であっても、見境なく尻尾を振ることはしない。

新宿の広告代理店からメールをもらった。初めての客である。
そこで、昨日の午前10時、本社を訪問した。
担当の人は、若くて歯切れのいい話し方をする人で、姿勢も良く髪型の乱れもない、できるサラリーマンを絵に描いたような人だった。

私ができる仕事とできない仕事を丁寧に説明して、大まかな納期などを話し合った。
そして今回は、パッケージをデザインする仕事を請け負ったので、現場の人間と、とりあえず相談して欲しいと言われた。

現場は、神保町にあるという。
担当者が、「申し訳ないですが、私は急用ができたので、地図を書きますから、一人で行っていただけますか」と、すまなそうな表情をつくって言った。

神保町は土地勘があるので、迷うことはない。
相手に連絡をしてもらって、1時間後に伺うことにした。

ほぼ20年ぶりの神保町。
予想以上に雰囲気が変わっていたが、道筋は変わっていないので、目的地を間違えることはなかった。

古本屋街の道を1本外れた通りは、サラリーマンや学生風の人たち、土地の人たちが、それぞれの速度で歩いていて、この雰囲気は昔のままだな、と思った。

訪問先は、すぐに見つかった。
社名を書いた看板が、くすんだクリーム色をしていて、年季を感じさせる。
ビル自体もかなり古いようだ。
4階建てだが、「昭和」を色濃く残したセピアのイメージがある。

その古いビルの1階と2階が作業場のようだ。
ビルに足を踏み入れると、すぐ前の壁一面に下駄箱があり、下にスノコが引いてある。
あとは、横に長いスチール製の傘立てが置いてあるだけの、殺風景な入口だ。

スノコが引いてあるということは、靴を脱いで上がるのだろう、と判断した。
「土足厳禁」とは書いていないが、靴でそのまま入ってはいけないような気がした。
しかし、スリッパやサンダルの類は、置かれていない。
「履き物」とマジックで書かれた箱が、コーナーに置かれてあるのを見つけたので覗いてみた。
しかし、何も入っていなかった。

下駄箱の棚は6段あって、空いている箇所があったので、そこに靴を置いた。
もう一度、全体を見渡してみたが、スリッパなどはない。

私は、「すみませ〜ん! どなたかいらっしゃいませんか〜!」と叫んだ。
間をおいて、4回叫んだが、誰も出てきてくれなかった。
見渡したところ、呼び鈴などもないようだ。

だから、靴下履きのまま廊下を歩き、奥にあった1階のドアを開けた。
入ってすぐのところに人がいたので、本社の担当者の名を告げ、作業場の責任者を呼んでもらった。
その人に「スリッパがなかったんで」と足下を指さしたら、彼は「アハハ」と笑っていた。

責任者は、すぐにやってきた。
しかし、すぐに私は怒られてしまったのである。
それも、あり得ないほどの大声で、怒鳴られたのだ。

相手の年は、30を少し超えたくらいだろうか。
長い髪を後ろで束ねた、顔が丸々とした男だった。
背は160センチくらいだろうか。身体は太っているというほどではない。
ただ、顔だけが異様に膨張していて、血色がいい。
だから、顔の大きさだけが、目立つ男だった。

顔もでかいが、声もでかい。
その男が、私の足下を指さして、眉をつり上げるのだ。

「なんで、靴下なんだよ!」

はぁ?

私には、なぜ彼がこんなに怒っているのか、まったく理解できなかった。
土足で入ったら悪いと思ったから、靴を脱いで入っただけのことである。
何しろ、スリッパもサンダルもなかったのだ。
私に残された選択肢は、それ以外にないではないか。
宙を浮いて来い、とでも言うのだろうか。

私は憮然として、そう言った。
だいたい、初めて訪問した人間に対して、これほどの大声で怒鳴る男を私は見たことがない。

靴下で、会社に入ることがそんなに非常識なことなのか。

「非常識だろ! ここは大事な作業場なんだ! 汚い靴下で上がられたら、床が汚れるじゃないか!」

俺の靴下って、そんなに汚い?
まあ、穴が開きそうになっているところはあるが、格別汚くはないと思うのだが・・・。
それに、「大事な作業場」と言っても、それほど綺麗な床には見えないし・・・。

これは、意味不明な出来事だ。
「俺の会社に来るときは、上履きを用意してこい」ということなのか?
しかし私は、そんなことは一言も聞いていないし、入口にそんなことは書いてなかったではないか。
普通は、「ああ、スリッパなかった? 悪いですね」と言うのが先ではないのか。

「見ず知らずの会社に入るときは、まず声をかけるものだろ!」

かけましたよ!

「聞こえなかったよ!」

聞こえるまでずっと叫んでいろ、と言うのか!

これを世間では、「言いがかり」と言う。
この男は、いったい今日、どんな気にくわないことがあったのだろうか?
なんで、私に八つ当たりをしているのだろうか、と思った。

しかし、面倒臭くなったので、「はいはい、私が悪うございました」と謝った。
どの会社にもルールはある。
そのルールを踏みにじった私が悪かったのだろう。
だから、話を早く進めるためにも、ここは謝った方が無難である。
納得はできないが、私はそんな大人の対応をした。

そんな私に、相手は舌打ちで応えた。
その姿を見て、私は「俺は大人、俺は大人・・・」と呪文を唱え続けた。

冷え冷えとした空気の中、心に「怒りの爆弾」を抱えたまま、打ち合わせを終えた。

しかし、帰りの電車に揺られているときに、私の心の中で、抑えていた爆弾が発火してきたのである。
たいていは、時間が経てば冷静になることの方が多いと思うが、段々と腹が立ってくることも、時にはあるのではないだろうか。

今回は、とにかく腹が立って仕方がなかった。
なんだよ、あの言いがかり! アホか! あいつ!
という感情が、どんどんと膨れあがって、自分でもコントロールできなくなってきたのである。

その結果、この仕事は、断ることにした。
本社の担当者は、私の言い分を聞いて、「ああ、彼はちょっと独特ですからねぇ〜」と曖昧な表現をしたが、「そうですか、では、今回の話はなかったことに。次回またお願いします」と言って、あっさりと私の申し出を受け入れた。

新宿。そして、神田神保町。
都会の真ん中に、言いようのない理不尽なものが、未だに存在する不思議さ。
都会は、怖い。

その話を、小学6年の娘にすると、「都会は怖い、じゃねえよ! まったく、いい年をして我慢できないやつだなあ! いい加減大人になれよ!」と怒られた。

はい・・・、まことに申し訳ございません。

でも、反省してないよ。
後悔もしてないよ。



★後悔しない人は、CG「逆光のカップル」


2008/02/26 AM 07:05:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

銀座で財布を落とした日
今年初めて、京橋のウチダ氏に呼ばれて行った。

ウチダ氏との付き合いは長いが、彼が私に仕事を出すことは、ほとんどない。
いつも、スーパードライを飲みながら、彼の愚痴を聞くだけである。

彼はそれでスッキリするかもしれないが、私はストレスが溜まる。
ひとの心配事を聞いて喜ぶ人など、この世の中にいるだろうか。
いるとしたら、相当スケールが大きなひとに違いない。

私は、極めてスケールが小さい男なので、スーパードライだけを目当てに、いつも足を運んでいる。
そして、ビールを飲みながら適当に相づちを打って、適当なアドバイスをして事務所をあとにする。
これでいいのか、と思うのだが、ウチダ氏は結構喜んでくれているようだ。

だから、これでいいのだ、と思う。

事務所に顔を出すなり、「よし、銀座2丁目まで歩くぞ」と言われた。
彼の事務所の京橋から銀座2丁目までは、たいした距離ではないが、まるで「お供についてこい」というように言われると、カチンとくる。

「遠くから来たんだから、少しくらい休ませろ。ビールくらい飲ませろよ」
悪態をついたが、ウチダ氏に鼻で笑われた。
「これから行くのは、銀座のグリルだが、ちゃんとビールはある。好きなだけ飲ましてやるから、それまで我慢しろ」

偉そうに言っているが、ウチダ氏は、私より5歳年下である。
それなのに、タメ口だ。
考えてみると、私の友人は、尾崎といい、ススキダ、カネコといい、みんな私より年下なのに、私に対して遠慮なくタメ口を使う。

こいつら、俺を一体なんだと思ってるんだ!
俺は、人生の先輩だぞ!
無礼者!

と心の中で罵るが、冷静に考えると、私の場合、ただ彼らより年が上だというだけの存在でしかない。
だから、まあいいか、と思う。

京橋から、銀座2丁目までゆっくりと歩いていく。
途中で「ああ、そう言えば・・・」と呟く。
「なに?」とウチダ氏。

私のコートの左ポケットに違和感がある。
触ってみると、あるべきはずの財布がない。
たいした金は入っていないからいいか、と思うが、ウチダ氏は「なんだよ、落としたんじゃないか!」と騒ぐ。

「どこで落とした? ちょっと戻ってみようか」とウチダ氏が騒ぐので、来た道を戻りかけた。
そのとき、二人連れのサラリーマンが「あのー」と言って、駈けてきた。
右手に、私の財布を持っている。

「これ、落としましたけど・・・」
追いかけてきてくれたようだ。

ありがとうございます、と言って受け取った。
財布の中身は、おそらく400円弱とポイントカードが数枚。
落としても、あまり残念ではない金額である。
とは言っても、あるのとないのとでは、気分が違う(特にポイントカードが)。

深く腰を折って、感謝の意を表した。
外人だったら、ハグをするところだろうが、いくら銀座でも日本人同士でそんなことをしていたら、好奇の目で見られる。
日本人らしく淡泊に挨拶をして別れた。

「『ああ、そう言えば』って言うから何かと思ったら、財布を落としたのか。だったら、もっと慌てたらどうだ!」
ウチダ氏が、呆れた顔で私を責める。

「いいじゃないか、戻ってきたんだから。一所懸命探しても、適当に探しても結果は同じだよ。親切な人がいたら拾ってくれるし、無関心だったら、そのままだ。これは、慌てても仕方がないことだ」

「しかしなあ・・・、俺だったら、大騒ぎしてるところだぞ」
「それは、財布に福沢さんがいらっしゃるからだろ? 俺の財布には、丸いやつしかないから、騒ぐのはみっともない。銀座で400円の財布を落として騒いでいるやつを見たら、君ならどう思う? 哀しいだろ? みっともないだろ?」

「しかしなあ・・・」
釈然としない面持ちで、ウチダ氏が首をかしげる。
彼は、もしかしたら、真面目に心配してくれているのかもしれない。

しかし、私にはどうでもいいことだ。
「とにかく、腹が減った。何か食わせろ。ビールを飲ませろ」と催促したら、「Mさんは、俺の規格外のひとだな」と呟いて、また歩き出した。

歩いている最中に突然、「おい、帰りの電車賃はあるのか? 400円で足りるのか?」と聞かれたので、スーツの内ポケットからSUIKAを出して、ウチダ氏の目の前に突きつけた。
「これさえあれば、どこでも移動はできる。ええい! 頭が高い!」

そんな私の姿を見て、「Mさん・・・、あんたほど銀座が似合わないやつはいないな」と感心された。

俺もそう思う。

銀座が似合わない私は、ウチダ氏の友だちが経営しているグリルで、マグロの唐揚げを食いながら、生ビールを2杯お代わりした。

まわりの人たちは、優雅にランチを食っていたが、そんなことは、私には関係がない。
昼間からステーキを食う姿が似合う人は、ステーキを食えばいい。
似合わない私は、唐揚げで十分である。

「マイペースって言葉は、Mさんのためにあるんだって、俺はいま初めてわかったよ」

そうですか。やっと、わかってくれましたか。
じゃあ、ビールをもう1杯!



★マイペースな人は、CG「丘の上の家」


2008/02/24 AM 08:46:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

すごみのある嘘と悲しい嘘
「おい! 随分と寂しいところに住んでいるんだな」

そう言うノナカは、仙台に住んでいる。
仙台市さいたま市、どちらが寂しいかは、人それぞれ判断の基準が違うだろう。
仙台市は、街の中心にある広瀬川が、人々を見守るように優しく流れる、趣のある街である。

美しい街だ。
米がうまい。ラーメン屋も、ハズレがない。
牛タンもうまいし、街並みが整っていて「落ち着いた都会」というイメージがある。
先日行った名古屋は面白い街だと感じたが、仙台は居心地がいい街である。

だが、さいたま市だっていい街だぞ!
どこがいい、と具体的に言えないところがつらいところだが、古い表現でいえば、「住めば都」である。

だから、私はノナカに言ってやった。
「東北の田舎町から来て、偉そうなことを言うんじゃないよ!」
「どっちが田舎だ!」


すかいらーくで、延々と1時間、お互いの街の悪口を言い合い、その間にジョッキを3杯空けた。
ノナカは、年を取って酒が弱くなったのか、真っ赤な顔をしている。
そして、段々と呂律が回らなくなってきた。

「センライ(仙台)のワルウチ(悪口)を言うやつは、ウルサ(許さ)ねえじょ!」
と怪しげな口調で叫びながら、ノナカは突然鞄を開けて、デジカメを取り出し、紙ナプキンでテーブルを綺麗に拭いたあとで、それをそっとテーブルの上に置いた。
酔っぱらっても、几帳面さは変わらないようである。

3枚のクニコの画像を見せられた。
大学時代の同級生ハセガワの妹。そして同じ大学の1学年下(こちらを参照)。

26年ぶりに見るクニコは、大学時代の面影を色濃く残していた。
顔全体で作る笑顔が、歳月を超越して、私を26年前に戻してくれるようなそんな錯覚さえ覚える弾けた笑顔。

薄い紫色のスーツに身を包んだ姿は、昔と変わらぬ体型を保っているように思えた。
クニコは、170センチ以上の長身だったが、大きな体型の割りに肩幅が狭かった。
ただ、華奢、という感じではない。
立ち姿や歩く姿が、毅然としていたので、「颯爽」という言葉がよく似合う娘だった。

3枚の画像のクニコは、もちろん、それなりに年を感じさせたが、「颯爽」としたイメージは変わらなかった。

私が画像に見入っていると、ノナカが「どうだい? 10才以上若く見えるだろ? 変わってねえだろ?」と、酒臭い息を吹きかけながら聞いた。

「うるせえ! 変わってなかったから、なんだって言うんだ!」

ノナカの、にやけた笑い顔。
本当にヘチマ顔だ。
赤いヘチマ。笑うしかない。

「おお! 喜んでるな! そうかそうか! やっぱりつき合ってたんだな。それを認めるんだな。クニコは白状したぞ。はっきりつき合っていたって言ったぞ!」

・・・・・?

嘘だろ?
それを聞いて、私は、思わず得意の右フックをノナカの貧弱なアゴにお見舞いしようとするところだった。
右手のこぶしを握ったところで、注文した新しいジョッキが来たので、思いとどまった。

「クニコ、仕事が忙しいらしいぞ。ハセガワが取引で中国や東南アジアに行く機会が増えたから、クニコが国内の仕事をまとめているらしいな。忙しすぎて婚期を逃すなんて、俺からは想像できないが、あれだけ動き回っていたら、そんなこともあるかな、って思うよ」

ヘチマが、腕を組んで考え込む仕草をすると、緊張感がまるで感じられなくて、自然と笑いが出てくる。
新しいジョッキを口に運ぶ。
なぜか、少し苦く感じたが、その苦さが何から来ているのかを考えることに、何の意味もない。

ジョッキを一気に半分空けて、ノナカを見ると、ノナカが私を見つめていた。

「おまえたち、本当につき合っていたのか?」
目が真剣である。
なぜ、そんな小さなことにこだわるのか、と鬱陶しくなりかけたが、それも一つの友情の表現だと思えば、腹は立たない。

私は、面倒臭くなって、小さく頷いた。
「ああ、つき合っていたよ」

ノナカが、目を細めて、私の目を窺っていた。
細い目の奥に、慣れ親しんだものではない「何か」が見えた。
ノナカは、彼なりに私とクニコのことを心配してくれているようである。
それは、「何故」という意識を超えて、ただ「友だちだから」という感覚だけで表現されるものなのかもしれない。

クニコと私がつき合っていたかそうでないかなど、どうでもいいことである。
しかし、彼にとって、友だちの「過去」と「今」が、何故繋がらなかったかにこだわることは、私が思う以上に大事なことかもしれない、と思った。

ノナカは、時に辛辣なことを言って人を断罪する男だが、根は優しい男なのである。

ノナカが、細い目で私を見つめ続けている。
そして、ジョッキに少しだけ残ったビールを飲み干し、突然叫んだ。

「くそ! クニコにだまされたか! つき合ってなかったのか!」
悔しそうに、テーブルを軽く叩く。

「なんでつき合わなかったんだよ!」
こいつ、真剣に怒っていやがる。
目が充血して、細い目が殺気立っていた。

「つき合ってたって、言ったろ!」
私が言うと、ノナカは窓の外に目を向けて、舌打ちをした。

無言。

店内のスプーンやフォークを使う音だけが、耳に入ってくる。
ランチタイムのすかいらーくは、規則的な食器の音が、いいリズムをかもし出して、優雅な空間を作っていることに、今回初めて気付いた。

私が、そんな食器の音に心を奪われていると、ノナカがまるでスローモーション映像のようにゆっくりと、私の方に顔を回した。

「俺は、お似合いだと思っていたんだよ、おまえたちのこと・・・・・」
そして、「クソッ!」と、もう一度軽くテーブルを叩いた。

「だから、つき合っていたって・・・」

ノナカは、今度は大きく首を振って、私を睨んだ。

「クニコの嘘にはスゴみがあるが、おまえの嘘は、ただ悲しい。だから、おまえたちは、嘘をついている」
ヘチマ顔が、私の視界一杯に広がっていた。
その顔には、有無を言わせぬ迫力があった。

ノナカの言ってることは支離滅裂だったが、核心をついていると思った。

確かに、私の嘘は、悲しい。

それは、私が一番よくわかっていることだ。



★悲しくなったら、CG「水槽を持ち上げる女」


2008/02/22 AM 07:08:15 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

筋肉神社
無駄話をいくつか。

最近、よく思い出す出来事がある。

6年前、得意先の25周年記念パーティに呼ばれて行ったときのことである。
その会社は、OA機器の販売やメンテナンスをしている会社だった。
社員百人近くを抱える、中堅の手堅い会社だ。

バブルの頃は、ビルの賃貸事業などにも手を広げていたが、バブルが去った後は、普通の形態に戻ったという。

25周年記念パーティは、ホテルの宴会場を借りて、盛大に行われた。
立食形式である。
私はパーティが苦手なので断りたかったが、付き合い上、断ると角が立ちそうなので、すぐに退出するつもりで出席した。

宴会場のまわりに花がたくさん飾られた華やかな中で、パーティは始まった。
司会者は、会社の人だったようだ。年齢は30歳前後か。
つまり素人だったが、滑舌が滑らかで、話の間の取り方もうまかったし、壇上に上がった人へのインタビューも、ユーモアを交えながらうまく盛り上げ、会場をリードしていた。

私は、それを見ながら「たいしたものだ」と感心した。
会場全体に気を配っている様子が窺えて、下手なプロより、ずっと様になっているな、と思った。
来賓がスピーチをしているときは、直立不動で聞き入っている姿も好感が持てた。

これは、いい司会者だと思った。

しかし、私は気付かなかったし、社員たちも気付かなかったのだが、司会者が2度、来賓の肩書きを間違えたらしい。
あまりにも見事にパーティが進行していたので、おそらく当事者以外誰も気付かなかったのではないかと思う。

最後の来賓のスピーチが終わったとき、「申し訳ありませんが、訂正がございます」と言って、司会者が謝罪の言葉を述べたときに、はじめて我々はそれに気付いた。

司会者は、訂正をして、丁寧に詫びた。
謝罪の言葉のあと、90度以上に腰を深く折って、長い間頭を下げていた。
誠意のこもった謝り方だと、私は思った。

しかし、そのとき、壇上の隅から突然社長が大またでやって来たのだ。
そして、「馬鹿者!」と叫んだとき、誰もが息を呑んだ。

社長は「馬鹿者!」と叫ぶと、司会者の頭を強く抑え、彼に無理矢理土下座をさせ、自分も土下座をしたのである。
間違えた人の肩書きは、メインバンクの人だったから、社長はそれを重大に受けとめたようである。

確かに、よりによってメインバンクの来賓の肩書きを間違えたのは、大きなミスだ。
来賓は、気分を悪くしただろう。
それは、想像できる。
それが重大な失態であることは、間違いがない。

しかし、彼は丁寧に訂正をし、謝ったのだ。
世の中には、謝って済むことと済まないことがある。
人の人生を取り返しがつかないほど狂わせたりした場合は、謝って済む問題ではないかもしれないが、この場合は謝って済むタイプのミスではなかっただろうか。

来賓が、怒って帰ったというわけではないのだ。

会場が、凍りついている。
全員が固まったままだ。
特別な来賓だけが一つのテーブルに固まって座っていたが、どの人がメインバンクの人かわからなかった。
その来賓のグループも、一様に凍りついていた。

司会者は、謝ったのに・・・。

肩書きを間違えたことが、パーティの空気を壊して土下座するほどの大問題なのか。
壇上で謝り、後でもう一度本人に謝れば済む話ではないだろうか。
大問題だと言われてしまえば、それは見解の相違というしかないが・・・。

想像するに、社長はメインバンクの人に対するポーズで土下座をしたのだろう。
企業のトップは、演出家であり、名優でなければならない。
土下座は、日本では、いまだに最高の誠意の表現だと受けとめられている。
だから、社長は土下座をした。

ただこの場合、観客が、肩書きを間違えられたメインバンクの重役だけだったのなら、その芝居は有効だろうが、ほかの観客には、それは過剰な演出としか見えないような気がする。

過剰な演出は、ときに見苦しい。

そして、私にはその光景は、異質なものとしか映らなかった。

それ以後のパーティは、司会者を変更して粛々と進行したが、私の心には納得しがたいものが残った。

誰にでもミスはある。失言もする。
ミスをするのが、人間である。
その社長だって、小さなミスや大きなミスを繰り返しながら、会社を大きくしたのではないだろうか(時には、知らぬ間に人の心を傷つけながら)。

人間は、いつの時代も、他人には厳しく容赦がないものだ。
インターネットの時代になって、その傾向は、激流のように増している。

でも、それも、ほどほどに、ほどほどに・・・・・。


無駄話ついでに、神社のお話。

私は、神社にお詣りに行ったことがない罰当たりな人間である。
文化財としての神社を見に行くことはあるが、拝むことはない。
だから、初詣にも行かない。絵馬破魔矢も買ったことがない。

日本には、色々な御利益がある神社が存在している。
それは、文化と歴史を感じさせていいと思う。

人は誰でも、色々な悩み事や願い事を持っている。
それが叶うことを願ったり、解決することを願ったりするための心の拠り所として、神社は人々の暮らしに長く根付いてきた。

神社は、御利益は謳(うた)うが、当然のことながら人の姿はしていない。
ただその土地に存在して、人々を受け入れているだけである。
神社は、望んだ人にだけ、おみくじを授けるが、それで人を惑わすようなことは言わない。

おみくじを見た人は、小さな喜びや小さな失望を感じただけで、神社を後にする。
そして、そのことはたいていの場合、すぐに忘れる。

スピリチュアルが、流行っている(いた?)。

もちろん、神社と同一に語るべきものではないと思う。
精神世界の起源が違うのだから、この考え方が乱暴なのは自覚している。

だが、人々が縋りつきたくなる対象という点では、同じなのではないか、と私は思っている。

テレビに出てくる方たちは、素晴らしい能力を持っているように思える(見たことはないので、噂だけですが)。
それが実際のものなのか、演出なのか、それとも某教授が言うように、事前調査によるものであるかは、ご本人にしかわからない。

検証は出来るだろうが、かたちのないものを「ある」と言っている人と、まともに議論しても、元々一般人には見えないのだから、「ある」方に、冷笑されるに決まっている。

何かを信じている人ほど、強いものはないのです。

だから私は、あの方たちは、人間のかたちをした神社だと思うことにしている。
時に「毒のあるおみくじ」をばらまくときもあるが、有り難がる人がいるのだから、仕方がない。
たとえ今、あの方たちがテレビの世界から姿を消しても、有り難がる人がいる限り、新しい「あの方たち」が、これからも出てくるはずである。

神社もまた、大連立などはしないだろうから、これからも少しずつ増え続けていくことだろう。

ただ大きく違うところがあるとすれば、神社には文化の香りがするが、あの方たちには、ないというところだろうか。


野球選手の体格に関しての無駄話。

アメリカではドーピングが大問題になっているが、アメリカに限らず、日本の野球選手も、近年キン肉マンが増えたような気がする。

トレーニング機器が進歩したり、食に対する意識が変わったり、練習方法が科学的になったりと、選手を取り巻く環境が変わってきた。
だから、キン肉マンが増えた。

だが、体を強くするはずの筋肉増強だが、故障も以前より増えているように私には思える。
パワーさえあれば何でもいい、というメジャーリーグと、それを真似する日本野球。

足が遅くても、肩が弱くても、守備がアマチュア並みでも、とにかくパワーさえあれば高給がもらえるというプロの世界。

ドーピング選手が蔓延するのも、当然という気がする。
筋肉は鍛えたが、膝や肘、、関節などは鍛えていないから、すぐに故障する。
そして、手術する。
スポーツ(整形)外科の技術が飛躍的に進歩したから、選手の寿命は延びる。

年を取っても、パワーだけはあるというアンバランスさ。
筋肉増強した野球選手がダイヤモンドを走る姿は、まるでダイエット途中の相撲取りが、走っているかのようだ。

筋肉、筋肉、筋肉、キンニク、きんにく・・・・・。
筋肉信仰の野球選手に、筋肉神社でも作ってあげたらいいかもしれない。

意外と、これは流行るかもしれませんね。
となると、神主は、なかやまきんに君


★筋肉がほしかったら、今日のCGパース・・・。


2008/02/20 AM 07:07:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

結婚した理由
「サトルさん、老けたよね」
久しぶりに会ったショウコの口から出てきたのが、その言葉だった。

場所は、大宮駅東口の居酒屋だ。
ショウコの亭主・マサも一緒だった。
マサは酒が飲めない。
ショウコも昨年までは未成年だったから飲めなかったが、今は二十歳。

「サトルさん、酒飲もうよ」と言うので、一緒に飲むことにした。
ショウコとマサは、秋保温泉の一泊旅行の帰りに大宮駅で降りて、私を呼び出したのだ。

「旅館でも、お酒飲むのは私だけだったから、なんか物足りなくてね。飲める人と飲みたかったんだ」ということらしい。

二人は、日帰りのドライブは、たまにしているらしいが、泊まりがけでどこかに行くのは初めてだという。
ショウコは、私が以前「新婚旅行は、秋保温泉だった」と言ったことを覚えていて、いつか秋保に行ってみたいと思っていたようである(そのことに関しては、こちら)。

「まさか、新婚旅行は、これでお終いなんてことはないよな」
「これで、おしまい。ね!」

「ね!」は、隣のマサに向けて言っていた。
マサが頷く。
中学の英語の教師。
穏やかな光を放つ目が、ゆっくりと私に向けられる。

マサが、ビールの瓶を手にして、私に酌をした。
「先輩と同じことをしたかったんですよ、ショウコは。最初の旅行は、絶対に秋保温泉って、完全に決めていたんです。これは、動かしようがない決意なんです。誰にも止められません」
目を細めて笑うマサの目尻の皺が、丸みのある声と相まって、心地よい空気をかもし出す。
こちらの顔も自然とほころぶような、引き込まれる笑顔である。

「お土産はないけど、今日はマサの奢りだよ。じゃんじゃん、飲もうよ!」
ショウコが手酌で、ピッチを重ねている。
その姿を、マサが小さく頷きながら見ていた。

その様子は、私に「夫婦」を強く実感させた。
6歳のショウコが、結婚していま二十歳になった。
そして、一緒にいま酒を飲んでいる。
ソバカスの散った頬をピンク色に上気させて、グラスを傾けている。

その姿を見て、カネコのことを思った。
血の繋がりのない娘を、カネコがどんなに愛しているか。
ショウコのことを話すときの、カネコの誇らしい顔。
14年前、ショウコがカネコの子どもになった日から、その誇らしい顔は、ずっと変わっていない。

「パパ」と初めて呼ばれた日のことを、カネコに何度聞かされたことか。
初めて授業参観に行った日のことを嬉しそうに話すカネコ。
バレンタインデー。「ショウコがチョコくれたんだよ」と、ガッツポーズをしたカネコ。
そして、「ショウコが入籍した」と、すべての感情を消し去ったような声で電話をしてきたカネコ。

「パパは、元気だよ」
私の考えていることがわかったのか、ショウコが携帯電話の画面を私に見せながら言った。
画面の中で、カネコは、ショウコと腕を組んで、誇らしげな顔をしていた。
また、太ったようである。

私は、ショウコが答えにくいことを聞いてみた。
「親父とは会っているのか」
「親父」というのは、ショウコの本当の父親のことである。
ショウコは、本当の父親のことを「親父」と言い、カネコのことを「パパ」と言って使い分けていた。

ショウコは、ビールを飲む動作を止めて、少し上目遣いに私を見た。
そして、軽い口調で言った。

「会ってるよ」
また、グラスを傾ける。

「先月、会った。結婚してから、初めて会ったんだ。でもね、いきなり『なんでそんなに早く結婚したんだ』って言われて、驚いちゃった。パパやサトルさんは、絶対にそんなこと聞かないからね」
手酌をしながら、首をかしげる。
長い睫毛が、子どもの頃のショウコを感じさせて、少し郷愁がよみがえる。

「で、どう答えたんだ」
「答えなかった。笑って誤魔化した」
そう言ったあとで、ショウコは少し身を乗り出して、私の目をのぞき込んだ。

「パパがそれを聞かないのは、怖いからだと思うけど、サトルさんが聞かないのは、面倒臭いからだよね」

茶色の目が、悪戯っぽさを湛えて、私を探るように見ている。
この目は、6歳の頃のショウコの目だと思った。

「まあ、面倒臭いということも確かにあるが、俺にはわかっているからね。なんで君が18歳で結婚をしたのか」

ショウコが、小さく微笑みながら、私を見つめる。
そして、何度か瞬きをしたあとで、頷きながら言った。
「じゃあ、言ってみて。絶対、当たってないと思うから」

私はショウコの目を見つめながら、ゆっくりと、一語一語噛みしめるように言った。
「マサ・・・、だからだよ。相手が、マサだから・・・結婚した。これは、笑えるくらい、当たり前のことだ」

ショウコとマサが、顔を見合わせた。
笑っている。
二人とも、いい顔をしていると思った。

ショウコは、私の推測が当たっているとも違うとも言わずに、私の目を見ながら、私のグラスにビールを注いだ。
私がそれを飲み干すと、今度はマサが注いでくれた。
二人の仕草が似ていると思ったとき、何かが私の心の中を吹き抜けたが、私はそれを無視することにした。

帰り際、大宮駅で、ショウコに肩を強く叩かれた。
「今日から、サトルさんは私の飲み友だちだよ! こんなに若い飲み友だちがいて、嬉しいでしょ。老後が楽しみになったでしょ」
ショウコの酔って充血した目が、私を覗き込んでいる。

「カネコとも親父とも飲まないのか」
「うん。お酒を飲むのは、サトルさんとだけ。いいでしょ。これって、最高のプレゼントだよね」

ショウコが私の右手を掴んで、無理矢理握手をしてきた。
左手はマサの手。

二人の温かさが、細胞のすみずみにまで染み込んできて、私は、自分の身体が軽くなったのを感じた。

私は、二人と別れたあとで、宇都宮線の車内で自分の両手を見つめていた。
ショウコとマサの温かい手の感触が、今も克明に残っている。

そして、車内の窓ガラスを見ると、そこには、微笑んでいる私がいた。



★微笑みたくなったら、今日のCGインテリア・・・。


2008/02/18 AM 07:02:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

寝だめした一日
ヨウスイが腐る、というのを聞いて、井上陽水はどう思っただろうか。
俺って腐るのか・・・・・。

35才の頃の井上陽水氏は、「いっそセレナーデ」がヒットしていたから、腐っていなかったようだが(完璧なオヤジトーク)。

それはさておき・・・、
出張したり、熱を出したり、徹夜をしたり、疲れることばかり。
だから、眠い。

寝だめがしたい。
丸一日寝ていたい。

今日は、大宮の印刷会社から呼ばれているので、行かなければならないが、億劫だ。
気が乗らない。面倒臭い。

そう思っていたら、願いが通じた。
「原稿が揃わないので、打ち合わせの日にちを延ばしてください」
はい、延ばしましょう、延ばしましょう!

これで、今日一日、身体が空いた。
眠ってやる。むさぼるように眠ってやる。

しかし、自宅で寝ていたら、電話がかかってきたり、娘からは「なんだ、ヒマだな」と言われたり、ヨメからは「働け光線」を浴びせられるのは、目に見えている。

そこで、「隠れ家」である。
このブログでも何度か書いているが、取引先の倉庫が、我が家から約1.5キロのところにある。
そこは、倉庫ではあるが、衝立で仕切られた事務所もあるし、エアコンとトイレも付いているので、隠れ家としては最適な環境だ。

その取引先の社長から、パソコンのメンテナンスを無料でするなら、いつでも倉庫を使わせてやるというお墨付きをもらっていた。
だから、この隠れ家で、丸一日寝てやろうかと考えた。

社長に電話で確かめると、今日は倉庫を使う予定はまったくない、と言われた。
しめしめ、である。

朝メシを食って、机の上に「オヤジは夜7時22分まで旅に出る。腹が減ったら、冷蔵庫のパウンドケーキを食え。・・・決して私を探さないでください」と書き置きをして、家を出た。

午前9時過ぎ。
自転車をすっ飛ばせば、隠れ家までは10分ほど。
倉庫脇の扉を開けて中にはいると、表と変わらない冷気が身体を包む。
無人の倉庫は、寒いものである。

ドアに鍵をかけて、一目散に事務所に滑り込む。
エアコンのスイッチを入れ「急速暖房」にする。
体感温度5度くらいか。
今の時期は、エアコンを1時間かけても、20度まで上がることはない。
せいぜい18度くらいまでしか上がらない。

自宅から持ってきて置きっぱなしの毛布を2枚身にまとって、事務所の隅に置いた特大段ボールを開ける。
中には、文庫本やカップラーメン、「いいちこ」などが入っている。

ハードオフで買った電熱器でお湯を沸かし、いいちこをホットで飲む。
立て続けに2杯飲むと、指先の冷たさがとれて、温かい血液が身体を流れていくのを実感する。

事務所に長いソファがある。
これは、年代物で、しかも雑に扱っていたらしく、無惨な姿をしていたが、我が家から持ってきたシーツをかぶせたら、男前になった。
その男前のソファに腰を下ろし、3杯目のホット焼酎をゆっくり飲み始めた。

たまにトラックの通る音が聞こえるが、ほとんど気にならないレベルである。
置きっぱなしのCDラジカセにCDを入れた。
気に入った曲をCD-Rに焼いたものだ。

ロック編、ジャズ編、クラシック編、浜田省吾編、倖田來未編(世間からどんなに叩かれても、私は彼女の味方です)、椎名林檎・東京事変編(トウキョウジヘンヘンって変?)、柴咲コウ編など色々あるが、今回はロックをかけた。

ランダムスイッチを押して、演奏順を機械任せにした。
最初に聞こえてきたのは、Jimi Hendrixの「All along the watchtower」だった。
ジミヘンが、ボブディランの曲をカバーしたものである。

天才ギタリストが、天才ソングライターの歌を歌う。
荒削りのジミヘンのギターが、自由自在にうねる。
そして、孤独を凝縮したようなジミヘンのしゃがれ声が、冷気を切り裂くように鋭く斬りつける。
24歳で死んだ天才ギタリストは、どんな曲でも、孤独をまき散らしたまま、我々を置き去りにする。
まるで、「俺に近寄るな! 俺はギターだけが友だちなんだ」と言っているように。

Led Zeppelin、Neil Young、Freeを聞いたところまでは覚えていた。

目が覚めたのは、3時50分頃だった。
5時間以上眠っていたようだ。
ソファから落ちることもなく、毛布を2枚身体に巻き付けて、熟睡していたようである。

リピートさせておいたCDラジカセからは、Creamの「White Room」が流れているところだった。
次は、Guess Whoの「American Woman」、そこまでは覚えていた。

次に目が覚めたのは、6時35分。
2時間以上眠っていたことになる。

身体を起こした。
少々からだ全体が強張った感じがするが、脳細胞は、余分なデータを消し去って、空き容量が増えたハードディスクのように回転が軽やかだ。

「気持ちいー!」
と叫んでみる。
声が天井に跳ね返って、余韻が残る。

今度は、いいちこをラッパ飲みして、「エイドリア〜〜ン!」と叫んでみる。
もう一度ラッパ飲みして、「@#$%のバカヤロー!」と叫んでみる(@#$%のところは、ご想像におまかせします)。

景気づけにもう一度ラッパ飲みをして、「隠れ家道具」を特大段ボールに格納した。
隠れ家を出たのが、7時5分。
外は、かなり寒かったが、睡眠不足の朝と睡眠タップリの今とでは、気分がまったく違う。
このまま、ETの自転車のように、月までも行けそうな気がするほどである。

家に帰ったのが、7時20分ジャスト。

ドアを開けると、玄関に、小学6年の娘が立っていた。
「おお、旅から帰ってきたか。おや? 酒臭いな。おまえの旅ってのは、酒を飲むことなのか。一日中酒を飲んでいたのか? おい! 白状しろ!」
仁王立ちである。

娘の手に500円玉を握らせて、許してもらった。

結局、脳細胞の無駄なデータだけでなく、財布の残高も減った一日だった。


2008/02/16 AM 08:44:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ちっともワイルドではない
明け方4時まで仕事をしていた(病み上がりなのに)。

今回の風邪は、熱は一日で下がった。
いまは、鼻水だけが出る状態だ。

ズルズルズル・・・ズズズズ・・・・ズルズルッ・・。

鼻水のほかに不快な症状はない。
この程度の風邪で寝込むほど、私の身体はヤワではない。
俺はワイルドなのだ、と少し気取ってみる。

ただ、私以外の人間は、「おまえの身体は、ただ単純にできてるだけだよ」と口を揃えて言う。
いいじゃないか。
単純イコール、ワイルドだと思えば(頭の中もワイルド、つまり単純)。

いま、頭も身体もワイルドな男は、単純に眠い。

しかし、この時間は、少し中途半端である。
これから眠ったとしても、6時に起きて、息子の弁当や家族の朝飯を作らなければいけないから、2時間しか寝られない。

いまは眠いのを我慢して、家族を送り出してから眠った方が、いい睡眠が取れる。
だから起きていよう、と思った。

しかし、何をして時間を潰せばいいかと考えた。
ずっとパソコンの画面を見つめっぱなしだったので、もう目を使うのはやめたい。

本や雑誌の類は読みたくない。
横になって身体を休めたら、確実に寝てしまう。
かといって、身体を動かすのも億劫である。
どうすればいい、と考えた。

半身浴でもするか、と思った。
半身浴なら、眠くはならないのではないか。
ということで、半身浴をすることにした。

浴槽には、昨晩入ったままのお湯が張ってあるので、それを半分ほど抜いて「わかすボタン」を押した。
設定温度は、43度。
我が家では、普通の風呂の場合は39度の設定だが、半身浴は熱い方がいいと勝手に解釈した。

10分後に沸いた。
まず、発泡酒缶を手に持って湯船に入る。
上半身までお湯は来ていないから、当然のことながら、上半身が寒い。
そこで、厚手のバスタオルを肩に羽織ってみたら、それほど寒さを感じなくなった。

その状態で、350缶の発泡酒を一気に飲む。
疲れた身体に、炭酸が染み渡って、力が抜ける。
至福の時である。
発泡酒をこんなにも美味く感じられるのなら、毎日徹夜してもいいかな、と思う。

バケツには、氷を大量に入れて、発泡酒2缶と日本酒の5合入り紙パック、烏龍茶を浮かべてある。
それを全部飲むつもりはないが、少しずつ味わっていこうと思っている。
つまみは、もらい物のキムチだ。
これはかなり辛いから、眠気覚ましにもなる。

仕事のことは、すべて頭から追い出し、煩わしい雑念はシャットアウトして、ただひたすら酒を楽しむことだけを考えた。
お湯がぬるく感じてきたら、また「わかすボタン」を押す。

発泡酒を飲む。
2本目は、ゆっくりと飲む。
30分も浸かっていると、こめかみあたりから汗が流れ出してきた。
暑い、という感覚はないが、身体の奥から温まっているという感じはする。

日本酒を飲んでみた。
胃が温かくなる。そこが、発泡酒と違うところだ。

紙パックをラッパ飲みしながら、「俺って、ワイルドだな」と言ってみる。
浅野忠信を意識して、少し照れ加減に無精髭をさすりながら、ぶっきらぼうに呟く。

完全なバカである。

汗が全身から噴き出してくる。
肩に羽織ったバスタオルは、もういらない。
丁寧に畳んで、浴室のバーにかけておいた。
ちっともワイルドではない。

3本目の発泡酒を飲んだ。
飲み終わった発泡酒の缶を浴室の縁に、向きを同じにして綺麗に並べてみた。
3本綺麗に並んでいる。
ちっともワイルドではない。

キムチを食べ、日本酒を飲む。
ときどき、烏龍茶を飲む。
このキムチがなくなったら、半身浴をやめようと思っていた。

キムチの瓶が空になったのが、午前5時40分。
日本酒はまだ半分以上残っていたが、無理に飲み干さなくてもいいだろう。

汗まみれになったので、身体にかけ湯をして、丁寧に拭いた。
そして、脱衣場で、身体を拭いていたとき・・・、

「おい、いま何時だと思っている! 酒臭いな! キムチ臭いな! バカかおまえ!」

娘の声に、跳び上がらんばかりに驚いて、一瞬頭が真っ白になった。鳥肌が立った。

ちっともワイルドではない。


2008/02/14 AM 07:05:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

オカンが走った
建国記念の日。
池袋の得意先に行った帰りに、急激に寒気がしてきたので、赤羽駅のコーヒーショップに避難して、ホットミルクを頼んだ。
温かくて美味しかったが、寒気は消えない。

体の節々が痛む。
頭も痛い。頭の両側に、重い痛みがある。
熱もある。
朝、熱を計ったら、38度以上あったような気がしたが、朦朧としてきたので正確なことは覚えていない(これは名古屋風邪か)。

寒気がする。
視野も狭い。
果たして、我が家まで無事にたどり着くことができるだろうか?

私は、痛いとかつらいとか、自己申告をしない人間だから、人から心配されることがない。
「痛いよー!」「つらいよー!」と、世界の中心で叫べる人を羨ましく感じることがある。

痛いとかつらいとか言っても、それで治るわけないんだから、無駄じゃない?
それに、あまり騒ぐのも、鬱陶しいんじゃない?

そう思ってしまうタチなので、痛みや辛さはすべて、自分の中で処理するようにしている。
だから、当たり前のことだが、誰も心配してくれない。

やせ我慢は、つらいよ。

しかし、たとえ「おまえ、具合悪そうだな?」と聞かれても「うるせえよ! 具合なんか悪くねえよ!」と、可愛げのないことを言うから、自業自得でもある。

変人は、つらいよ。

などと思っていたとき、「これ読んで」という声が聞こえた。
声の方を見ると、革ジャンを着た男が、私の座ったカウンター席の上に、紙袋を置こうとしていた。

は?

男は、私の返事を待たずに紙袋を置き、店を足早に出ていこうとした。

「チョット!」
と言ったが、男は振り向かなかった。
元気なときなら、俊足を飛ばして男を追いかけるところだったが、立ち上がるのも面倒だったので、男が出ていくのを狭い視野の中で、ボーッと見送っていた。

紙袋がカウンターの上にある。
表に「伊良湖岬」と印刷された手提げ袋だ。

「見ず知らずの人に、伊良湖岬のお土産をもらってもなあ」と思いながら中を覗くと、エロ漫画雑誌2冊とカバーされた本が1冊入っていた。
見るのも恥ずかしい表紙のエロ漫画雑誌。

寒気が増す。

このセンスの無さは、犯罪的である。
絵が下手だ。
配色も最悪だ。
吐き気を催す。

だから、それは無視して、もう一つの本の中身を確かめようとした。
「エロ本だったら、速効でゴミ箱だな」と思いながら、表紙をめくったら、あのベストセラー「ホームレス中学生」だった。

私は、ベストセラーは読まない主義だから、何が世間で読まれているかには、まったく興味がないが、さすがにこの本のことは知っていた。
確か200万部近く売れていて、映像化も計画されていることを、インターネットの記事で見た記憶がある。

この本を私に渡して逃げた男は、きっと旅行中にポテトチップスでもつまみながら読破したのだろう。
ところどころ小さく折れたところや、油が付いて薄茶色になったところがあった。

そして、一度読んで満足して、家に持って帰るのを面倒に思ったのかもしれない。
面倒には思ったが、捨てるのももったいない。
何しろベストセラーである。
もしかして、有り難がって読むやつがいるかもしれない、とでも思ったか。

有り難がりそうなやつを物色していたら、ちょうど熱で朦朧としている私を見つけた。
彼は、私が朦朧としている姿を、「ヒマ」と勘違いして、私に押し付けたのではないだろうか。

折角もらったが、私は読む気はない。
どうしようか、と考えた。
このまま、席に置いて立ち去るという手もあったが、それは無責任な気がした。

身体全体がだるくて、立ち上がるのも億劫だったが、ずっとここにいるわけにはいかない。
すぐに体調が良くなるとも言えない状態だから、これを機に、この紙袋を「落とし物」として店内スタッフに預けて、店を出ようと思った。

気合いを込めて、ドッコイショウイチッ、と立ち上がる。
女性スタッフを見つけて、「落とし物ですが」と、紙袋を渡そうとした。
振り向いたスタッフの顔を見て、「オオ!」と思った。

私の好きなタイプの顔だったのだ。
エビちゃん似の子だった。背も高い。170センチはありそうである。
モデル体型だ。立ち姿も美しい。
そのエビちゃん似が、いかにも作り笑い的な笑顔で、「ハイ!」と明るく応対してくれた。
五月晴れの笑顔。
まぶしいほどである。

「落とし物ですね」
紙袋の口を開けて、中身を覗く。
しかし、五月晴れの笑顔が、途端に曇った。2月の日本海だ。

それはそうだろう。中にはエロ雑誌が入っているのだ。
見事なほど「エロ雑誌」ということを主張した表紙が、一気に目に侵入してきたはずだ。
笑いも凍るだろう。

「落とし物なんです」

・・・・・。

「カウンターにあったんですよ」

・・・・・。

エビちゃん似は、まだショックから立ち直れないようである。
目線は、紙袋から離れ、その曇った目が私を見つめていた。
顔から微笑が消えると、エビちゃんとは違う顔になった。
美形ではあるが、エビちゃんではない。
そして、徐々に目が、エイリアンに遭遇したときのシガニー・ウィーバーのようになってきた。

それを見て、背筋に悪寒が走った。
一瞬気持ち悪くなりかけたが、そのとき「悪寒が走った」を「オカンが走った」と書き換えると、面白いブログが書けるかもしれない、というアイディアが突然浮かんだ。

しかし、すぐにそれを打ち消した。
それでは、あまりに馬鹿馬鹿しすぎる。
この場面で、なんでそんな言葉が浮かぶんだ?
信じられない発想である。

熱のせいだ、熱のせいだ・・・。

そう呟きながら、私はコーヒーショップを後にした。

熱のせいだ、熱のせいだ、熱のせいで・・・。

オカンが・・・走った・・・・・。


2008/02/12 AM 07:03:16 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

靖国神社でトラウマ
「甘いんだよ、おまえは!」と怒られた。

すかいらーくで、2日続けて打ち合わせ。
前日は、リアルイラストの達人イナバだったが、今日はコピーライターのススキダである。
隣には、小柄なススキダ夫人がいる。

ススキダ夫人と私は、昼間から生ビールを飲んでいる。
ススキダは紅茶だ。
彼らは横須賀から車でやって来たから、ドライバーであるススキダはアルコール厳禁だ。
しかし、ススキダは顔に似合わず酒が飲めないから、どちらにしてもソフトドリンクを飲むことになる。

何が似合わないといって、ススキダと紅茶の組み合わせほど、似合わないものはない。
紅茶は、貴族の香りがする。
気品漂う人が飲んでこそ、紅茶が生きる。

だが、ススキダには、極道の香りがする。
背中の刺青(いれずみ)を見せながら、一升瓶を抱えている姿こそふさわしい(ススキダの背に刺青はないが)。

そして、ススキダが怒ると怖い。
何といっても、顔が怖い。
前科2犯程度のチンピラなら、ビビって腰を抜かすかもしれない。
気の弱い人なら、トラウマになって、PTSDを患うかもしれない。

私も気が弱いので、ススキダと別れた後は、いつも布団をかぶって泣いている。

「俺たちは自由業だから、社員はいないが、家族はいる。家族のためにも、もっと厳しくなれよ!」

そう言われたので、一応厳しい顔をしてみた。

すると、「顔じゃねえよ!」と怒られた。

なぜ私がススキダに怒られているのか。
それは、新しい仕事の打ち合わせが終わって、お互いが昨年の収支のことを報告し合っていた時のことだった。
私の昨年の未回収金が、総額の23パーセントあるというのを聞いて、「なんじゃ、そりゃあ!」とススキダが眉をつり上げたのだ。
そして、「俺には、未回収金も欠損もないぞ!」と威張るのである。

さらに、鬼も怖がるような形相で私を睨む。
「自由業ごっこをやってるわけじゃないんだから、危ない会社くらい肌で感じろよ! 昨日今日、仕事始めたわけじゃないだろ。なんでギリギリまでわからなかったんだ?」

いやあ、まいったまいった、靖国神社。

「あー、靖国神社は行ったことないですねえ。どこにあるんでしたっけ?」

ススキダ夫人が、ジョッキを口に運ぶのを止めて、優しい笑顔を向けた。
優しい顔と怖い顔。
美女と野獣。
元ナースと極道顔。
なんというミスマッチ!

九段下ですよ。
知ってますか? 東京地方の桜の開花は、あそこのソメイヨシノをみて判断するんですよ。

「知ってますよ。でも日中問題も大変なときですから、私は行かない方がいいかしら?」
ススキダ夫人は、香港生まれの中国人なのである。

そうですねえ。微妙な時期ですからね。冷凍餃子問題もありましたし、北京オリンピックに影響してもいけませんから、自粛した方がいいんじゃないでしょうか(何を言ってんだか)。

「おまえらなあ・・・」
ススキダが、肩を落とし、呆れたような顔をして首を振った。
「なんで、靖国神社が出てくるんだよ。未回収金の話をしていたんじゃなかったのか!」

ススキダは、顔に似合わず真面目な男である。
冗談を言っても、反応するのが人より遅い。20秒後に笑い始めることもあるし、怒ることもある。
私が言う冗談の10分の1も、わかってくれない堅物だ。
ただ、時に鋭いツッコミがジャストミートするときがあって、そのときは漫才の相方として強力にマッチする。

すまん、すまん、す曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。

「ああ、曼珠沙華って、彼岸花のことをいうんですよね。あれ、強い毒を持っているの知ってました?」

さすが、元ナース。よくご存知で。
死人花(しびとばな)という別名もあるんですよ。こわいですよねえ。
まあ、ススキダは何食っても死なないでしょうけどね。

(二人同時に)ハハハハハ・・・・・。

「俺は、漫才を聞きに来たわけじゃない! おい、帰るぞ!」
ススキダが立ち上がろうとした。
しかし、ススキダ夫人が、「ダメ! まだビールが残ってるでしょ」と、自分のジョッキを指さしながらススキダの上着の裾を掴んだ。

ススキダは、叱られた小学2年生のような顔をして、また腰を下ろした。
そして、つぶやく。
「まいったなあ」

違う! まいったまいった、靖国神社だ!

また、睨まれた。
トラウマに・・・・・。


2008/02/10 AM 08:29:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

サンルームと品格
だいぶ前の話だが、朝青龍が復活したらしい。
私は相撲にまったく興味がないので、その話題を素通りしていた。

昨日、名古屋の同業者との会話の中で、初場所の話題が出た。
横綱審議委員会(横審というらしい)のメンバーの一部が、「合格だ」「みそぎは済んだ」と述べていたと言うのである。

しかし、あれほどの大騒動になった背景には、「品格」の問題があったのではないだろうか。
結局、勝てば「品格」はどうでもいいのか?

横綱は、強けりゃいいんだよ! か・・・。
それなら、最初から「品格」など問題にしなければいいと思うのだが。
横審に品格はあるのでしょうか?

もっとも、日本社会に品格がないから、「品格」を書いた本がベストセラーになる、という考え方もできる。
国会議事堂で、大事な会議中に居眠りをしている方々に品格を求めるのは無理だろうし、テレビで毎日見かける司会者や他人の悪口で笑いを取る「笑わせ屋」に品格を求めるのも野暮である。

私は断言するが、ひとかけらも「品格」を持っていない。
そもそも、品格が必要だとも思っていない。
その都度尺度の変わる物差しで測られた品格など、「お偉いさん」にご都合よく使われる、こじつけの道具に過ぎない、と思っている。
だから、ことさらに「品格」を持ち出すメディアを「笑止」と思っていた。
朝青龍騒動は、ひとしきり騒いで、落ち着くところに落ち着いたというだけのことかもしれない。

そんなことを思いながら、すかいらーくで人を待っていた。
約束は夜10時。
名古屋から帰ってきたばかりである。
家に帰らずに、待ち合わせ場所のすかいらーくに直行。

フリーランスは、けっこう大変なんですよ。

私は、待ち合わせ時間は必ず守る。
たいてい、10分前には待ち合わせ場所に行くことにしている。

これは当たり前のことだから、品格とは何の関係もない。
そして、相手が遅れてきたとしても、「お前、品格がねえなあ!」と責めることはしない。
品格の大安売りはしないのである。

しかし、遅い!
もう約束の時間を6分も過ぎている。
オレ様を待たせるなんて、いい度胸を・・・、品格、ねえんじゃねえの(?)。

そんなとき、
「ねえねえ、うちサンルーム作ったのよ!」
後ろで大きな声がした。
60歳前後のおばさんの声だ。

どういう話の展開で、そういう話になったのかはわからない。
突然「サンルーム」ということばが降ってきたのだ。

「サンルームはいいわよ。暖かくて、冬は最高よね。今まで何でこれに気付かなかったのかしら。まったく損した気分よ。あなたも作りなさいよサンルーム! ホントに快適よ!」
「でも、うちは借家だから、サンルームなんか夢のまた夢よ」
「あら、あなたの家、借家だったの。でも、サンルームくらい作れるんじゃない?」

借家で、勝手にサンルームを作ったらまずいだろう。
解約されてしまうかもしれない。

「この年になると、寒いのは体に応えるから、理想的よ、サンルーム。今年は灯油が高いから、自然の光で暖を取るって、環境にもいいんじゃない? サンルーム。地球にやさしいことをしてるって感じるわ」

それは、確かに環境に優しいと思う。
素晴らしいことだと思いますよ。
しかし、もう少し声を低くして、しゃべっていただけませんかね。
地球環境も大事ですが、店内環境も考えてほしいですね。

「それでね、うちの猫のアズキがね、サンルームを気に入っちゃって、毎日幸せそうな顔で日向ぼっこしてるのよ。可愛いわよ。あなたのうち、猫はいなかったんでしたっけ?」
「うちは借家だから、動物を飼うときは、大家さんの許可がいるの。それに主人が猫アレルギーだから、駄目なのよ。」
「あら、そうなの。でも、そんなの気持ちの持ちようじゃない? 好きだったら、アレルギーにならないわよ。ホントはただ猫が嫌いなだけなんじゃないの?」

アレルギーは、気持ちの持ちようでどうなるというものではない、と思うんですが。
気持ちで何とかなるなら、花粉症はこんなに蔓延していないのでは?

「サンルームに猫と二人(?)でいると、幸せを感じるわぁ〜! ねえ、ホントにいいんだから、あなたもだまされたと思って、サンルーム作ってみたら?」

人の話を聞いてませんね。
相手のかたは、借家だからサンルームを作れないと言っていましたよ(しかも2度も言わせていたような気が)。
ほら、相手が機嫌を悪くして黙ったじゃないですか。
だが、サンルームパワーはすごい。こちらの心配など、どこ吹く風。
相手のことなどお構いなしである。

「心配することないわよ! 思ったほど高くないから。もっとかかるかと思ったけど、意外と安いのね。紹介しましょうか、その業者」

・・・・・。

外は北風が強い。
すかいらーくの中にも、強烈な北風が吹いているようである。

待ち合わせ時間を17分遅れて、リアルイラストの達人イナバがやってきた。
そして、席に腰を下ろすなり、大きな声で言った。
「あれー、Mさん、珍しくビール飲んでないじゃん! ダメダメ! 俺が奢るから、ジャンジャン飲んでよ。遠慮しなくていいから」

イナバくん。
君って、「品格」があるねえ!


2008/02/09 AM 08:08:30 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

車内でシンクロ
只今名古屋に出張中。
5日から8日まで、名古屋の同業者のサポート隊として出動。
毎日、日帰り出張です。

事務所に泊まれと言われたが、「息子の弁当を作らないといけない」と強く主張したら、呆れられながらも許してくれたので、毎日新幹線通勤をしております(帰宅時間は11時半を過ぎますが)。

心の広い同業者を持つと、得をした気分になります。

_______________________

さて今回は、世の中には、同じことを考えている人がいるんだなぁ、というお話。

名古屋の同業者から、8か月ぶりにお呼びがかかったので、5日の昼、久しぶりに新幹線に乗った。
車内はすいていた。
昼メシを作ってきたので、車内で食べた。

チャーハンおにぎり2個と魚肉ソーセージを甘辛に炒めて小松菜の葉で巻いたもの、それに自家製シュウマイ5個である。
飲み物は、ホットコーヒーをステンレスボトルに入れて持ってきている。

おにぎりを食いながら、車窓を眺める。
慣れ親しんだ景色が、ゆっくりと流れていき、次第に飛ぶように流れていった。

そんなとき、男の声が私の耳に入ってきた。

「いいかい。自分が一番不幸だなんて思うんじゃないよ。誰だって悩みはあるんだ。みな色々な問題を抱えている。だが、それを自分の力で何とかしようと、誰もが頑張っているんだ。大学を出て20年間、まともに定職についたこともないお前が、『俺は世界一不幸な人間だ』なんてのは、おかしいだろう?」

世界一不幸な人間?

50年以上生きてきて、まともに働きもせず、何も生産せず、毎日パチンコして酒飲んでいる人間が、「私は世界一不幸な人間なの」なんて言うなよ!

それは昨夜、私が姉に言ったことばである。

車内から聞こえてきた男の声と、怖いくらいシンクロ(同期)しているではないか。

「仕事を持っていて、家庭も持っている兄さんに俺の気持ちなんか、わからないよ!」
細い声で抗議する男の声。
顔は見えないが、震えた声に不安定な感情が混じって病的なものが感じられる。

アンタに私の気持ちなんかわからないわよ! 私のことなんか誰もわかってくれない!

それは、昨夜の姉の叫びである。

震えた男の声が、ひときわ甲高くなる。

「誰も俺の苦しみをわかってくれない!」

「わかるわけないだろ。健康な40男が、職にも就かず結婚もせず、親の年金をあてにして毎日ブラブラしてるんだ。そんな気持ち、どうやってわかれって言うんだ!」
相手の男の声も、興奮でうわずってきている。

わからないよ! じゃあ、アンタはひとの気持ちがわかるのか!

これは、過去何度も繰り返してきた私のことばだ。
1ミリグラムほどの努力もしたことがない姉の気持ちなど、私にわかるわけがない。
私は、聖者ではなく、日々をただ忙しく暮らすだけの「生活追い人」でしかない。
自分のことを考える余裕はないが、人のことは常に考えている。
だが、自分勝手な人間のことを考える時間は、私にはない。

「あのなあ、みんな生きていくことに一所懸命なんだよ。自分で社会から外れていこうとしている人間のことなんか、相手にしているヒマはないんだ。自分のことをわかってほしかったら、お前が人のことを理解するのが先だ。そうじゃないと、誰も相手にしてくれないぞ」

そのことばは、また私の昨夜のことばと見事にシンクロしていた。

まずは、他人を理解する努力をすること。その努力もできない人間が、人にわかってもらおうなんて、虫が良すぎるんだよ! 一度自分を捨ててみな。自分のことを考える余裕がなくなるくらい、人のために生きてみろよ! 自分しか見てないから、「世界一不幸な女だ」って話になるんだよ。

「誰も俺を助けてくれないじゃないか!」

「それは、お前が何もやろうとしないからだ。お前はゼロから百を取り出そうとしているんだ。自分では何もしないのに、人には何かをしてもらおうと思っている。そんなやつを助けるやつなんか、どこにもいない」

どうして誰も助けてくれないの!

「じゃあ、今までアンタはいったい誰を助けたんだ?(パチンコ屋と酒屋を儲けさせただけじゃないか…これは、思うだけで言えなかったが)」

「自分だけが不幸だと思っているのなら、確かめてみればいいじゃないか。一度自分だけで生きてみたらいい。誰にも頼らずに、自分だけで立派に生活してみろよ。社会は厳しいが、何かをすれば必ず何か返ってくるものがある。悪いことも沢山あるが、悪いことばかりじゃない。いいこともある。だけど、何もしなかったら、そのいいことに巡り会うチャンスはないんだ。今のままでは、俺にはお前の気持ちなんて、サッパリわからないよ」

自分が世界一不幸だと思うのなら、自分でそれを確かめろよ。社会に出て、自分で感じ取ってみたらいい。家に引きこもっていたら、本当に不幸かどうかもわからないだろ? 外の空気は、寒いし冷たいよ。でも、触れてみなければ、寒いか冷たいかもわからない。閉ざした世界から飛び出さないと、アンタのことは誰にもわからないよ。これから先も、誰も気付いてくれない。

・・・・・・・。

会話が、途絶えた。

車窓の景色が、ただ通り過ぎていく。

私は、大きなため息をつきながら、最後のシュウマイを口にほうり込んだ。


2008/02/07 AM 07:00:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

心が寒い日 その2
毎月5日締めの仕事がある。
担当者のハヤシさんとのバトルに関しては、このブログで何度か書いている。
しかし、今回、バトルはなかった。

ただ、今回の原稿の中に、故人ではあるが、ある事件に関して個人名を上げて、その家族にも不名誉なことを断言している箇所が気になった。

そこで、無駄かと思ったが、一応ハヤシさんに、こう聞いてみた。
「この箇所は、読者に誤解を与えるかもしれませんから、作者にもう一度確認してください。
印刷をした後で、『不適切でした』と言うのは避けたいですからね」

それに対してのハヤシさんの答え。
「どこが不適切なんですか? いいじゃないですか。作者がいいと思って書いてるんですから。余計なことをして、作者の機嫌を損ねたら怒られるのは俺ですから、ほっときましょうよ。こんな本、その家族が読むわけないですよ」

自分の会社が出している本を「こんな本」呼ばわりである。

しかし、人生には、どこにでも落とし穴が待ち受けているものである。
たとえ「こんな本」であっても、まわり回って、いつか目にすることもあり得る。
私は、そういうケースを1回経験したことがあるので、今回も慎重を期したい。

ハヤシさんのご意見は受け流して、その事件に関して調べようと思い、インターネットで検索してみた。
だが、詳しいことは載っていなかった。

日曜日。
さいたま市では朝から雪が降っていたが、図書館に行って調べることにした。
新聞の縮刷版を調べれば、インターネットよりも詳しいことがわかるのではないか、と思ったのだ。

我が家の近所にある図書館は、いつも人が少なくて居心地がいい。
蔵書の数は少ないが、広くて明るいところがいい。
それに、暖かい。静かだ。
たいへん、落ち着く。

カウンターで縮刷版を出してもらって、虫眼鏡を借りて、調べ始めた。
6人がけのテーブルは、誰も使っていない。私の独占状態だ。
ほかに、ソファに座って、新聞を読んでいる人が1人。雑誌を読んでいる人が3人。
館内をうろついている人が2人程度である。
たいへん、落ち着く。

ほどよい館内の暖かさが、気持ちいい。
自然な流れで、目をつぶった。
そして、眠った。

目が覚めて驚いた。
すべてのものが横になっているではないか。
地震でも起きたのか、と思った。
しかし、本は崩れていないようだ。
人々が慌てふためいている様子もない。
館内は明るく、そして、暖かい。

その時、気付いた。
右の頬が、軽くチクチクする。
それに、普通だったら何もないはずの体の右側に、じゅうたんの感触がある。

俺は、椅子に座って調べものをしていたはずではなかったか?
それなのに、なぜじゅうたんの上で横になっているんだ!
起きた。
6人がけのテーブルが、そばにあった。
その上に縮刷版が置いてある。
私が座っていた椅子は、斜めの方向を向いていたが、倒れてはいなかった。

つまり、私だけが倒れて横になっていたのである。
そして、眠っていた。

まわりを見渡してみた。
館内には、5人いた。
カウンターには、職員が2人いる。
誰も私とは、目を合わさない。
知らんぷりである。

私が寝ているとき、この人たちは何をしていたのだろう。
一応、私の様子をうかがったのだろうか。
それで、ただ寝ていることがわかって、ほったらかしにしておいたのか。

しかし、私が起きたら、何らかの反応はあっていいはずだ。
それなのに、何だこの寒い雰囲気は!

完全に無視?
完全に置いてけぼり?

柱の方を振り返って、上に掛けてある時計を見た。
10分くらい寝ていたようである。
10分間、図書館のじゅうたんの上に、置かれっぱなし?

ため息をつく。
寒々とした心を抱えながらも、縮刷版を開いて閲覧を再開した。
しかし、心が動揺して、気持ちが縮刷版の方に入り込めない。

全員の顔を窺ってみた。
やはり、誰もこちらに目を向けない。

外は雪。

寒い。

すごく寒い。
心も・・・寒い。
そう呟きながら、私は図書館を後にした。

そして、翌朝8時過ぎ。団地の駐輪場。
駅まで自転車で行こうとしたが、自転車の鍵が開かなかった。

昨日の雪と寒さで、鍵が凍ったか、と思い、コップにお湯を入れて、鍵と錠の両方にかけてみた。
しかし、鍵穴に鍵がはいらないのだ。
何度やっても、はいらない。

クソッ! ダイソーの鍵はすぐダメになるから、ヤダよ!
と八つ当たりしているときに、ご近所のご主人Kさんが後ろを通りかかった。

「あれ、鍵壊れましたか?」
「はい、まったく動かないんですよ」
「大変ですね」
Kさんの自転車は簡単に鍵がとけて、彼は「失礼」とにこやかに言って、雪道を走っていった。
彼も駅まで自転車で行くはずである。

仕方がない。
「雪のために遅れる」と取引先に連絡をして、駅まで歩いていこうと思った。
駅までは、歩きだと40分弱だが、雪道を歩くのだから1時間はかかるかもしれない。
しかし、今さら焦ってもしょうがない。のんびり行こう。

遊歩道は、ほとんど雪がまだ残っていて、サクサクと踏みしめながらゆっくりと歩いた。
目の前をノラ猫が走っていく。
こいつら、昨日はどこで夜を過ごしたんだろう。猫に、この寒さはつらいだろうな、などと思っていたら、救急車の音がすぐ近くで聞こえて、そして止まった。

誰か転んで怪我でもしたか、と思って、あたりを見回したが、それらしい事故は視界に入ってこなかった。
野次馬根性が頭をもたげたが、これ以上遅れたら迷惑がかかるので、駅まで黙々と歩いた。

その日の夕方、家に帰ると、ヨメが珍しく玄関に出迎えて、「Kさんのご主人、自転車で転んで鎖骨を折ったんですって。あなたは、大丈夫だった?」と聞かれた。

あの事故は、Kさんだったようだ。
そこで私は、朝の出来事をヨメに話した。

「ああ、それは、偶然じゃないわよ! 自転車が使えたら、あなたが怪我をしていたかもしれないわ。きっと、自転車は危険だから、乗らないようにっていう『何かの力』が働いたんだわ。絶対そうだわ!」

そんなことあり得ないよ。これは、偶然だろ。
「じゃあ、自転車の鍵を確かめてみたら? 今は直っているんじゃない? もし朝だけ壊れていたとしたら、それはやっぱり『何かの力』が働いたんだわ!」

駐輪場に行って、自転車の鍵を開けてみた。
開いた。

しかし、同時に気付いたことがある。

10日前に自転車の鍵が壊れたので、ダイソーで色違いの同じタイプの鍵を買ったのである。
つまり、壊れた自転車の鍵と、いま現在使っている鍵は、形状が同じなのだ。
錠は捨ててしまったが、鍵は残っていた。
そして、今朝は、その残しておいた鍵を使って開けようとしたから、鍵が開かなかった。
要するに、私が間違えたのだ。

何かの力が働いたわけではなかった!

「ねえ、どうだった? 開いた?」
興味津々のヨメの顔。
この顔を見て、「鍵、間違えちゃったんだ」などと、夢を壊すようなことを言えるわけがない。

「開いたよ」
それを聞いたときの、ヨメの嬉しそうな顔と言ったら・・・。

だから、私は今、とても心が・・・、寒い・・・・・。


2008/02/05 AM 06:57:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ヒマな主夫
貧乏くさい話をしたいと思います。

先月の食費が2万円を切った。
4人家族の平均的な食費がいくらなのかは知らないが、これは我が家としては画期的な数字だ。

それも、2万円を大きく切って、1万7千円である。
正月なのに、これだけの食費で抑えられたのは、奇跡と言っていい。
ちなみに、昨年の1月は、3万7千円だった。
半分以下の出費である。

しつこく言うことをお許しください。
これは、奇跡だ!

ただ、節約はしたが、それほど貧弱な食事は出さなかったはずである。
高校2年の息子が大好きな肉料理は毎日出したし、食卓に4品以上の料理は、必ず並べた。
たとえば、餃子、野菜炒め、麻婆豆腐、あんかけ焼きそば、などというように。

息子の弁当には、ハンバーグや豚肉の生姜焼き、アスパラ、ニンジンの豚肉巻きなどを必ず入れた。
コストは下げたが、品質はそれほど落とさなかった。
アメリカにおける日本車のような理想的な経済性。

米は、あきたこまち1俵をグループ買いした。そのうちの15キロが我が家の分。5千円弱だった。
贅沢を言わなければ、味はこれで十分。
牛豚挽肉は、特売の時2キロを1100円で買って、200グラムずつに分けて冷凍保存しておいた。
これは、ハンバーグ、ロールキャベツ、ピーマンの肉詰めや肉団子に使う。

小麦粉は、中力粉を2キロ特売で買って(1キロ98円!)、うどんを打った。
20食分の大変コシのあるうどんができた。これも1食分ずつ冷凍しておく。
我が家の二人の子はうどんが大好きで、温かいもの、冷たいもの、鍋、焼きうどん、あんかけうどん、カレーうどんをローテーションで回せば、飽きずに「うめえ!」と言って食べてくれる。

あとは1缶69円のトマト缶を10個買って、ピザソースを作ったり、クラムチャウダー、トマト鍋などに使う。
最後にトマト鍋の残りに、パスタを入れて食べるのが家族に好評で、冬は週に1度はこれをやる。

たまに一丁19円で売っている豆腐は、10丁まとめて買う。これは、麻婆豆腐の他に、ハンバーグや豆腐ステーキ、プリン風デザートにする。
余ったら、豆腐を冷凍して、凍み豆腐にし、唐揚げにする。これは娘に好評だ。

15円で売っているもやしは、野菜炒めのほか、ハムと和えてサラダにしたり、オムレツに入れたりする。油揚げ、スパゲッティと組み合わせてペペロンチーノ風にすると、結構オシャレである。

5袋138円で売られているインスタントラーメンは、豚バラ肉をチャーシュー風の味付けにして、ネギを大量にのせれば、ボリュームタップリのラーメンになる。

ネギは、近所の無人販売所で泥付きのやつを大量に買って、10センチくらいにカットして冷凍保存しておく。
これは、主菜にも薬味にも使えるから便利である。

カレーは直径38センチの大鍋で20皿分を一気に作り、小分けにして冷凍保存しておく。
これは、カレーライスはもちろん、うどん、鍋、スパゲッティ、カレーパン、ドリア、グラタンにも使える。

ただ、今回は、ラッキーだった面もある。
昨年の11月に友人が送ってくれたパスタと乾麺が、少し残っていた。
調味料も買い置きがあったので、調味料やパスタなどを買い足すことがなかった。
これが大きかったと思う。

私の場合、食材は安さを優先するが、調味料にはこだわる。
私は、高い食材を使えば、誰でもそれなりのものを作れると思っている。
高い食材を揃えられない貧乏人の私は、だから調味料にこだわる。
塩、油、酢、しょう油、味噌、ソース、マヨネーズ、料理酒は、自分で納得のいったものだけを買う。
これらは、まとめて揃えると1万円を超える。

今回はこの出費がなかったのが大きい。
だから、食費を抑えられたのだと思う。
逆に言えば、調味料も安いもので我慢すれば、毎月の食費はかなり抑えられるのだが、そこまでやると自分が惨めになる。
味もかなり落ちる。

そこにだけは、こだわりたい。

しかし、今回の食費ひと月1万7千円という結果は変わらない。
見事である。

よくやった!
すごい!

誰も褒めてくれないので、自分で褒める。

「オレって、天才だな」
パソコンの家計簿を見ながら、一人つぶやいていると、娘がひとこと。

「おまえは、ヒマな主婦か!」

違う! 主夫だ!


  *.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

と、料理ネタを書いたところで、例の「冷凍餃子」のお話。

中国野菜が農薬まみれだということは、以前メディアが報道していたので、多くの人がご存知のはず。
中国の食が「あぶない」ことを今さらコメンテーターに聞いても、同じことの繰り返しにしか聞こえない。

現実的にどうしたらいいのか、を中心に議論していただきたい。
「あぶない」を何万回言うよりも、冷静に対処方法を提示してほしいものである。

私は、「食は万人に対して安全であるべきだ」と思っている。
だから、「国も食品会社も、国民や購買者に、安全を保証する義務がある」と思っている。

それが税金を払う意味であり、購入するときの対価の意味である。
安全でない食料を輸入したり売ったりすることに平然としていられる国や会社に、対価を得る権利はない。

だから、疑わしきものは、輸入してはいけないし、売ってはいけない。
そして、対価を得ている以上、完璧に安全な状態を作るべきである。
いま、中国の食が安全でないというのなら、安全が確認できない食品は輸入を止めるべきだ。
少々意味は違うだろうが、狂牛病問題のように。

「食は、万人に対して安全に」
それを徹底しなければ、今回のような事件は、これからも起こるに違いない。


少々話がそれますが、テレビニュースを見ていたら、コメンテーターが、「昔はみんな手作りでしたよ。冷凍食品なんかありませんでしたよ! 冷凍食品に頼りすぎるのはいけない」と言っているのを聞いた。

その意見は、かなりピントがずれている、と私は思う。
確かに、昔はそうだったろう。
しかし、食環境が昔と今ではまったく違うのだ。

今の時代には、冷凍食品を使わざるを得ない人が、沢山いるのだ。
冷凍庫の機能も格段に向上した。
つまり、時代が違うのですよ。

冷凍食品に限らず、食の安全を議論しなければいけないのに、なんで「昔は手作りで、よかった」という発想になるのか、私は理解に苦しむ。
手作りは、確かに理想だろうが、料理を手作りできない環境の人は、これからも増え続けるだろう。
もっと現実を見ていただきたい。

そんなピントのずれたことを言うコメンテーターが、テレビ局の食堂で、冷凍物のチャーハンやハンバーグを食っていたとしたら、少し笑えますが・・・。

さらに、余計なお話。
我が家は、料理はすべて手作りである。
自分の作ったものを冷凍はするが、冷凍食品は「フライドポテト」しか買わない。

それは、ただ単に自分ですべて作った方が安上がりだから、そうしているに過ぎない。
もし我が家に経済的な余裕があったら、きっと(中国産と確かめずに)冷凍食品を買っていたことだろう。
だから、今回の事件は他人事ではない。
(ちなみに、我が家は貧乏ですが、いくら安くても中国産野菜は買いません)

食は、万人に対して安全に。
くどいようですが、我が家では、それを徹底しております。
ただ、賞味期限切れ、消費期限切れは、平気で食います(自分の鼻と舌を信用して)。

でも、疑わしきものは、家族には出しませんよ。
私が食うだけです(念のため)。


2008/02/03 AM 08:40:38 | Comment(7) | TrackBack(0) | [料理]

梅干しとアンラッキー
「去年、梅干しを漬けなかったのがいけなかったのかなあ」
ヨメが、遠慮がちにつぶやく。

我が家では、毎年梅干しを漬けている。
同じ時期に、梅酒も作る。

らっきょうも漬ける。
去年、らっきょうは漬けた。
しかし、梅干しは漬けなかった。梅酒も作らなかった。
理由は簡単だ。
なんとなく、作る気にならなかったから。

これは、いま高校2年の息子が生まれる前から続けていた行事だから、17年間続けていたことになる。

それをしなかったから、得意先が2件倒産した。
だから、我が家が貧乏になった。

ヨメは、そう言いたいようである。
彼女がそう考えたくなるのは、わからなくもない。

当たり前のことだが、梅干しと取引先の倒産は、まったく関係がない。
誰が考えたって、それはわかるだろう。

ヨメも、もちろんわかっているはずである。
しかし、何か理由を見つけたい。
毎年続けていたことが途切れたから、不幸になった。
そう思うことで、納得したい。

だが、私にはそれができない。
取引先が倒産するのを見抜けなかった自分が悪い、と思ってしまうのである。

我が家が貧乏な理由は、明白だ。
それは、私の能力が足りないからで、私の努力が足りないからだ。

だいいち、梅干しのせいになんかしたら、自分がさらに惨めになるだけではないか。
ヨメのつぶやきを聞いて、「今年も梅干しを漬けるのは、やめよう」と思った。
それは、つまらない意地だったが、そう思った。

ただ、我が家で漬ける梅干しは、けっこう評判がいい。
毎年15キロの梅を漬けているから、4人家族では消費しきれない量だ。
そこで、知り合いに配るのだが、毎年楽しみにしてくれる人が2人いる。

「Mの梅干しを食べたら、他のは食べられないよ」と、いかにもお世辞丸出しでいうやつがいるが、言われて悪い気はしない。
だから、梅干しづくりに、毎年力が入ったのである。

しかし、昨年は配らなかった。
相手も大人だから、「なんで」とは聞いてこなかったが、一度世間話の中で「市販の梅干しは、何か物足りないなあ」と言われたことがある。

友人のサカイが家に遊びに来たときに、手打ちうどんにカツオダシをかけて、その上に我が家で作った梅肉をのせただけのものを出したことがあった。
彼は、ひとくち食べて、「うまい!」と叫んだ。そして、「うまい!」と何度も言いながら、それを瞬く間に平らげた。

彼は、自宅に帰って、それを市販の梅を使ってやってみたが、まったく感動を味わえなかったと言う。

それを聞いて、「どうせ、お世辞だろう」と思った。
そこまで、自分が作った梅干しがすごいとは思っていない。
話半分に聞いておいた方が無難である。
私は、疑り深い性格なのだ。

ただ、先週末、違う友人チバが我が家にやってきて、「あれを食わせろ」と言ったのである。

あれ?

「うどんに梅をのっけただけのやつ。サカイが感動して言ってたよ。『あれはすごい! Mのうちに行ったら、絶対あれを食え! だまされたと思って食ってみろ』ってな。だから、食わせろ!」

あまりにもうるさく言うので、リクエスト通り作って出した。
うどんの上にのせたのは、一昨年作った梅干しをペースト状にして、梅肉として保存したものだ。
それは、サカイに出したものとは少々違うが、チバは2杯お代わりをした。

食い終わった後で、チバは遠慮がちに「今年は、漬けろよ」と言う。
「楽しみにしている人がいる限り、それは、必要とされているということだろ? だから、続けろよ。おまえの性格は、よくわかってるけどさ。たかが梅干しだけど、その『たかが』が大事なときもあるんだよ」

彼らは、私が梅干しを漬けなかったことを、特別な意味を感じて、そう言ってくれているようである。
それは、大きな勘違いだったが、その言葉は嬉しかった。

「わかった。作ってやる」

「よし、うめ〜梅を頼んだぜ!」
Vサインを出しながら、気持ち悪い顔で微笑んだチバ。
前歯に、梅肉がこびり付いていた。

私はそれを見て、近くにあった麺棒で、チバの出っ張った腹を叩いてやった。


2008/02/01 AM 07:04:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [料理]



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