Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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ミッチーの死を聞いて泣いた
今年の初め、2年ぶりに電話をかけてきた大学時代の友人カジワラ(そのことはこちらに書きました)。

そのカジワラから呼び出しを受けた。
新宿駅東口のマクドナルドで待ち合わせ。
4年ぶりに会ったカジワラが最初に言った言葉は、「ラーメン奢るよ」だった。

カジワラに連れて行かれたラーメン屋は、午後1時を回った頃でも、店の外で順番を待っている人が数人いた。
つまり、行列の出来るラーメン屋だ。

カジワラに聞いてみた。
「何でラーメン屋だけに行列が出来るんだろうな? そば屋やカレー店、パスタ店で行列が出来るって話は聞いたことがないのに」
「いや、オフィス街に行けば、どこにでも行列はあるよ。人気のある定食屋なんか30分待たされることもある」
「しかし、オフィス街から外れた店では、行列が出来ることはないだろ? ラーメン屋は、オフィス街を外れた店の方が多いのに、行列が出来ている。何でだ?」

カジワラの答えは、いたって簡単だった。
「そりゃあ、美味いからだろ! それに、日本人は、ラーメンが好きなんだよ」

わかりやすい答えである。

こちらのブログにも、桶川の美女はラーメン好きだった、という話を書いた。
実際に行列に並んでいると、確かに「日本人はラーメンが好き」という説には、頷けるものがある。

「でもなあ、このラーメン屋の2軒隣はカレー屋だろ? 日本人は、カレーも好きじゃないか。でも、カレー屋で行列はない。ここに立っていても、カレーのいい匂いが流れてくるが、みんなその匂いを嗅ぎながらラーメン屋の前で、おとなしく並んで待っている」
「本当にラーメンが食べたいときは、浮気をしないんだよ。カレーには惑わされないんだ。俺たちは、本当にラーメンが好きなんだから」

カレー屋に行列ができていたら、他の食べ物を探すが、ラーメンの場合は、ラーメンを食べなければ気がすまないから並ぶ、と言うことか。
カレーは並んでまで食べたくないが、ラーメンは並んでも食べたい、と。

「それに、みんなが並んでまで食べている光景を実際に見ると、自分も絶対に食べたくなるというのはあるな。食べてないやつにも自慢できるから、優越感に浸れるじゃないか」

つまり、この行列ができる、ということが重要なんだな。
行列ができる光景を見ると、さらに食べたいという欲求が増す。
そして、食べると、それを人に言いたくなる。
しかし、その現象は、カレー屋やパスタ屋ではあまり見かけることはない。
そば屋では、ほとんどあり得ない。
この現象は、ラーメン屋の独占状態だと言っていい。

なんでだろうな?

そんな会話をしているうちに、カウンター席が空いて、二人してネギラーメンをたのんだ。
そして、ラーメンが出来上がるのを待った。

そこで、カジワラが声を落としてこう言った。
「ミッチーが死んだ」

ミッチーは、カジワラが飼っていた犬である。
最初ミッチェルという名を付けたが、誰もミッチェルとは呼ばずに、ミッチーと呼んでいた。
ハスキー犬
年は、13歳。人間なら、70〜80歳というところだろうか。

おとなしい犬だった。
13年前のことだった。
カジワラの子どもが、犬が欲しいと言ったとき、カジワラに頼まれて、一緒にペットショップまで行って、その中でも一番落ち着いた犬を選んだ。

ミッチーは、頭のいい犬だった。
人間の表情を読みとるのがうまくて、カジワラの家族ひとり一人に対して、微妙に違う態度で接していた。
カジワラに対しては、驚くほど従順で、絶対服従という接し方をした。
彼の奥さんに対しても従順だったが、カジワラに対する接し方と違う表情で応えていた。

カジワラの子どもに対しても従順さは変わらなかったが、子どもの無茶な要求には絶対に応じなかった。
「それは、オレにはできないぜ」というように、子どもをひと睨みしてから、タヌキ寝入りを決め込むのである。

そして、私に対しては、カジワラの友人というのを完全に把握していたようだ。
私がミッチーに何か命令すると、彼はカジワラの顔を一旦見てから、いつも要求に応えていた。
いつでも、カジワラからのサインを見逃さず、カジワラから命令を受けることを生き甲斐にしているような忠実な犬だった。

そのミッチーが死んだ。

鼻の奥が、ツンと痛くなる。

鋭いミッチーの目を思い出す。
しかし、体をすり寄せるときは、目を細めた穏やかな表情をして一度私を見上げるのだ。
柔らかい毛並みを思い出す。
首筋を撫でると、ウットリとした顔をして、腹を見せる。
ミッチーが吠えたのを聞いたことがない。
ときどき悟りきったような顔をして、家族の顔をひとり一人見回していた、愛情にあふれた、あの顔。

ラーメンが運ばれてきた。

涙が止まらなかった。
一緒に、じゃれ合った回数は、10回にも満たないのに・・・・・。
隣を見ると、箸を持ったカジワラの右手が震えていた。

それを見て思った。
こいつは、一緒に泣きたかったのではないか。

二人して、顔を伏せて、ラーメンを啜った。
ときどき小さな嗚咽が交じる。

おそらく、そのラーメンは美味しかったのだろうが、味はわからなかった。

きっと、ネギラーメンという言葉を聞くたびに、私はミッチーのことを思い出すに違いない。


2008/01/30 AM 07:01:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

オレは足軽
先週の金曜日、得意先で、「Mさん、太らないですねえ」と、言われた。
「ええ、まあ、運動してますから」と答えた。

私に聞いてきた人間は、太っている。
年に1回か2回しか会わないが、会うたびに全体が丸くなっていく。
ただ、肉のかたまりという感じはしない。
一見すると「ふくよか」という印象である。

その人は最初会った頃、角張った顔をしていたが、今はまん丸になって全体が柔和になった。
誰かに似てきた、と思って記憶回路をフル回転させたら、ある人の顔が浮かんできた。
「オーラのナントカ」に出ているらしい(?)ナントカいう人だ。

子細に観察すると、表情やしゃべり方も意識して似させている感じがする。
穏和な表情だ。しかし、よく見ると、顔は笑っているのだが、目が笑っていない。
いつも、人を観察するように、目の奥に怪しい暗闇が潜んでいる印象がある。

胡散臭い。

そう思っていたら、案の定、「Mさんは、戦国時代の足軽の生まれ変わりですね」と言われた。
前回は、守護霊の話(こちらを参照)を振られたと思ったら、今回は「生まれ変わり」の話である。

足軽ですか?

「そう、足軽。足が速くて、俊敏で、かなり優秀な足軽だったようですよ」

足の速い足軽? なんか、シャレっぽい。

「それで、ですね」と言いながら、彼は両手の指をテーブルの上で組み、芝居がかった表情で目線を下げ、一度唇を噛んだ。
言いにくいことを言おうとしているときの表情である。
「その人は、若くして死んでしまったんですよ。合戦で死んだのではなくて、病気のようですね。大変痩せた人だったから、抵抗力がなかったんでしょうね。病気にかかって、すぐ死んでしまいました。もし早死していなければ、大将に出世していたかもしれません。不運な人ですね。大変惜しいことをしました」

こういう話をされたとき、皆さんは、どんな反応を示しますか?
体を乗り出して、さらに根ほり葉ほり聞きますか?
そして、感心したり感動したりしますか?
あるいは、「適当なことを言うな! このバカ野郎!」と怒りますか?

相手は、得意先の人だから、さすがに「バカ野郎!」とは言えないでしょうが、この種の話を聞いたときの私は、身も心も冷めてしまう人間なのです。

オレが足軽?
そして、早死した?
でも、生きていれば出世していたかもしれない?

だから?

それが、どうしたの?

俺がそんなことを知ったからって、今の俺の人生に何の関係があるの?

私の知らないことが見えるのは、確かに素晴らしい能力だが、私に見えないことを、私は、どう確かめればいいんだろう。

「その人の名前は?」

私がそう聞くと、彼は、今度は腕を組んで首をかしげた。
「ゴトウ・・・・・、かもしれません」
絞り出すような声で言いながら、一人頷いていた。

しかし、足軽には、姓はなかったんじゃなかろうか。
自称ゴトウ、と言うことか?

いや、こんなことを真面目に考えてしまったら、相手の思うつぼではないか。

いかんいかん。危ないところだった。
この種の人の言うことは、誰にでも当てはまるキーワードが会話の中に隠されていて、どこにでも落とし穴は用意されているから、そこに食いついた方が負けなのだ。

「はい! ゴトウという足軽なんですね! ありがとうございます! では、仕事の話を始めましょうか」
私は、無理矢理話の方向転換を図ろうとした。

しかし・・・・・、
「いや、とにかくあまり痩せているのは身体に悪いです。そのゴトウさんのように早死しないように気をつけないと」

相手も、なかなかしつこいようだ。

「はい! 気をつけます! 腹一杯食って太るように心がけますので、仕事の話を・・・」

「いや、太るのはよくないです。足軽は、太ると動けませんから」

俺はいつから、足軽になったんだ?
今は、何時代だ?

「はい! 足軽は太りません! ですから、仕事の話を・・・」

「いや、太る太らないの問題ではなくて、足軽のゴトウさんはですね・・・」

だからァ! この話は、いつ終わるんだ!

結局、30分ですよ。この足軽物語。
いま私は、身も心も足軽になった気分です(相手の思うつぼ)。


2008/01/28 AM 06:56:14 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

心が寒い日
寒い・・・・・、心が、寒い。

冬は、当たり前のことだが、寒い。
しかし、「寒い」と言うだけではつまらないので、その後に「心が、寒い」と付け加えるのだが、私がそう言うと、たいていの人は、「なんだこいつ」というような顔をする。

まあ、それが普通の反応だろうとは思うが、その反応が私としては、どうも面白くない。
しかし、私の小学6年の娘は、それが面白いらしく、私が「寒い」と言うと、「心が、寒い」と、話を引き継いでくれるのである。

そんなことをしていたからだろう。
あるとき娘は学校で、ついこれをやってしまったらしい。

寒い・・・・、(体を寒そうに縮めて)心が、寒い。

当然、まわりからは白い目で見られたのではないか、と想像したが、彼女の友だちは「面白い!」と喜んでくれたと言うのだ。

だから、娘の友だちの間では、今これが流行っているのだという。

誰かが、「寒い」と言うと、みんなが寒そうに体を縮めて、「心が、寒い」と言うのである。
こんな馬鹿げたことにも反応してくれるのだから、娘は、いいお友だちを持ったと言っていいだろう。

しかし、世の中の多くの人は、馬鹿げたことにお付き合いはしてくれないものである。

私の口癖の中に、「まいったまいった」と言うのがある。
しかし、まいったまいった、では芸がないので、そのあとに「靖国神社」と付け加える。
「まいった」と「詣った」をかけたものだ。
これは、心の中で言うだけだから、人には伝わらない。

しかし、以前これを無防備に人前で言ってしまったことがあった。
しかも、冗談の通じない男の前で。

「もうあまり納期まで日にちがないんだよね。配送の準備に丸一日ほしいから、タイムリミットは半日だな。急いでよ!」

まいったまいった、靖国神社。

「なにぃ! 靖国神社に詣った?! 君は何を考えているんだ! いったい、近隣アジア諸国に対する日本帝国陸軍の所業を君はどう思っているんだ! そもそも・・・・・」

唾が飛びそうなほどの勢いで、延々と演説を聴かされる羽目になってしまった。

「まいったまいった、靖国神社」と言う私は、確かに変だ。それは自覚している。
しかし、それを聞いて、額に青筋を立てて興奮する人って、どうなんでしょうか?
それまでの話の流れで、それが冗談だってことは、わかるでしょうに・・・。

先日も同業者との会合で、こんなことがあった。

花の舞」という居酒屋で、たのんだ「竹盛りこだわり豆冨」を食っていたとき、思わず「おいしいな、おいしいな、おい椎名林檎」と言ってしまったのである。

しかし、誰も気付いてくれなかった。
誰も、何の反応もしてくれなかったのである。
そこで、続けて「さびしいな、さびしいな、さび椎名林檎」と言ったのだが、また無視された。

くやしいな、くやしいな、くや椎名林檎・・・・・。

「Mさん、そんなにリンゴが食べたいの? でも、メニューにリンゴはないみたいだよ」

かなしいな、かなしいな、かな椎名林檎・・・・・。

そう一人つぶやく私は、変でしょうか?


★変だと思ったら、今日のFLASH小説・・・。


2008/01/26 AM 08:25:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

時をかけるメール
変な現象を体験した。

相手はメールを送ったと言う。
しかし、私には届いていない。

同じデータを2回送ったと言う。
しかし、2回とも届いていないのだ。

一人だけの現象だったら、その人のメーラーかサーバに不具合がある、ということが想像できる。しかし、同じようにメールを送ったが、私に届かなかった人が、もう一人いるのである。

他の同業者からのメールは、無事届いている。
昨日の午前中に送られた3件のメールだけが、届いていない。
しかも、相手はその後も何度も私にメールを送ったと言っているのだ。
それが届いていない。

添付したデータは、それほど重くない。
テキストデータやJPEGのデータが、数個である。
相手は、総容量は2MBもないだろう、と言っている。

他の人からのメールは無事に届いているから、私の使っているサーバがおかしいわけではないようだ。
21MBの重いデータは、無事届いているのだ。
それはすぐサーバからピックアップしたから、容量不足もありえない。

おかしい。

一人だけなら、勘違い(操作ミス)と言うこともあるだろうが、違うメールサーバを使っている二人からメールが届かないというのは、理解不能の出来事である。

私の方のメールサーバを調べてもらったが、送られた履歴がないと言われた。
「しかし、俺は絶対に送ったぞ!」と、二人とも言っている。
そこで、「送付済みフォルダ」を見て、「私宛に送ったもの」がそこにあるか確認してもらった。
二人とも「そこにはない」と言っている。

では、「Draftフォルダにはありますか?」と聞いてみた。
「ない」と言う。
「送付ミスで還ってきたと言うことは?」とも聞いてみた。
それも「ない」と言う。
つまり、二人が言うには、メールは間違いなく送ったのだが、パソコン内に記録がないと言うのである。

これが一人だったら、「ああ、この人、もしかして勘違いしているんだな」と判断できるが、違う会社の人で、違うパソコンを使っているふたりの人が、ほぼ同じ時間にメールを送って、どちらも届かないと言うのは、不思議な現象と言うしかない。

では、そのメールは、一体どこに消えたんだ!

念のためもう一度、私のメールサーバを詳しく調べるよう、サーバ会社にお願いしたのだが、「メールの履歴はありません」と、重ねて言われた。

さまようメール。
ゴーストメール。

メールもきっと、「オレ、さびしいよう!」と言っているのではないだろうか。

そして、メールは、こう呟く。
「オレは、宙ぶらりんだ! 誰もオレに気付いてくれない。オレは、このまま、浮遊したまま朽ち果ててしまうのか? ああ、ヤダヤダ!」

いったい、メールはどこに行ったのか?
サーバのブラックホールに吸い寄せられて、暗闇をプカプカと、さまよっているのだろうか?

そのメールが、たとえば、ひと月後、あるいは半年後、または一年後に突然届いたりしたら、それは違った意味でタイムスリップと言えるかもしれない。

時をかけるメール。

そんな風に思えば、意外と、これは夢があることなのかも・・・。

そんなファンタジックな思考に浸っていたとき、立て続けに同じような電話がかかってきた。

「悪い悪い! 違う人に送っちゃったよ。Mさんに送ったつもりが、全然別の人に送っちゃったんだな。送付済みフォルダをよ〜〜く調べたら、あったよ。他の人に送ってたから、全然わからなかったんだ。いやあ、こんなことってあるんだね! ハッハッハッ」

・・・・・、コメントする気力なし。

君たち! 私のファンタジックな夢を返しなさい!


2008/01/24 AM 07:03:07 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

話は簡潔に
朝、メールボックスを開いてみたら、インテリアショップからメールが来ていた。

そのインテリアショップは、場所は栃木県宇都宮で、私との接点はまったくない会社だった。

HPをリニューアルしたいので、見積もりをお願いしたい、と書いてあった。
その文章全体を細かく読むと、書いた人の知性が感じられて、感心させられた。

難しい言葉は使っていない。
そして、文章が説明的でなく簡潔で、一度読んだだけで、内容がすべて把握できるわかりやすい文体だった。

普通は、初めての人に何かを説明するとき、誰でも物事を確実に伝えようとする。
その結果、本人は意識しなくても、紋切り型になるか、くどくなってしまうことがよくある。
逆に、簡潔に伝えようとすると、舌っ足らずに感じられて、「この人は、何を言いたいのか・・・」と思う場合もある。

メールの文章を読んで感心するということは、ほとんどない。
だから、今回のメールを読んで、新鮮な驚きを感じてしまったのである。

メールの最後に電話番号と担当者の名が記されていたので、早速電話してみた。
一回のコールで出た。
担当者の名を言うと、担当者は外出しているというので、伝言を頼んだ。

すぐに電話がかかってくるとは思っていなかったが、5分も経たずに、女性の声で電話がかかってきた。
出先から携帯でかけてきたようである。
この手際の良さも、たいしたものだと思う。

得意先相手ならわかるが、客でもない初めての相手に、出先からすぐ電話を寄こすのは、かなり誠意のある対応だと言っていい。
携帯電話だったせいもあるが、話は簡単に終わった。

今あるホームページを見て、足りないところを指摘してほしい。
もしあなたがHPを作るとしたら、どんなものにしたいか。
その場合、予算はいくらかかるか、見積もりをしてほしい。
見積もりは、今週の金曜日までにお願いしたい。
わざわざ会社まで来る必要はない。これからも、電話とメールだけでやり取りをしましょう。


会話は、1分半で終わった。
初対面(会ってはいないが)の余計な挨拶もなしの、メールの文章と同じくらい簡潔な内容の「接触」だった。

すべてのクライアントが同じくらい簡潔だったら、私たちの仕事は能率よく最短時間で終わるはずである。

しかし、これは特別なケースだ。
普通は、これとは正反対の場合が多い。

先週、あるレストランのメニューのデザインを請け負うことになった。
その打合せで、クライアントから、他店のメニューを紙袋一杯に詰め込んだものを貰った。
私が請け負うのは、洋食屋のものだが、その紙袋には寿司屋のものも、超高級ホテルのものもあった。

「まさか、このメニュー、黙って持ち帰ったわけでは?」と思ったが、クライアントにそんなことが聞けるわけがない。
それを見て、「すごい数ですねえ。よく集めましたねえ、ハハハ」と、愛想笑いをするしかなかった。

メニューというのは、結構重いものである。
それに、でかい。かさばる。
持ち帰るのに、ひと苦労だった。

数えると、27種類あった。
それを見ながら、クライアントとの会話を思い出す。

庶民的な洋食屋を目指しているが、だからといって、メニューまで安い印象を与えたくない。
明るい色を使いたいが、あまり軽い感じの色も困る。
料理画像はプロが撮った方がいいのだろうが、予算の関係上、そちらにお願いすることになるかもしれない。しかし、それは撮ったものを見てみないとわからないので、何とも言えない。
開店日はゴールデンウィーク前だが、少なくとも1か月前にはメニューが出来上がっていることが望ましい。
店のロゴは、専門家に4つのパターンを頼んでいて、それはもうできあがっている。だが、オーナーが決めかねているので、これはしばらく保留だ。


箇条書きにしてみると、驚くほど短いが、この話に、2時間近くを費やした。
時々、オーナーの性格の話や資本金の話を散りばめ、食べ物に関する蘊蓄(うんちく)も聞かされた。

話の途中で、チーズケーキが出てきた。
これは、美味かった。
口の中にゆっくりと広がるチーズの味が上品で、ほどよい酸味が後味を爽やかなものにしていた。
洋食屋で出すケーキかと思ったが、なぜか「三島のお土産だ」と言われた。

その時、三島の出張の話をタップリ20分聞かされた。
打合せが30分以内に終わっていたら、夕方のラッシュに遭遇せずにすんだはずだった。
そうすれば、車内での醜い言い争いを見ることもなかっただろう。
夜の闇の中、冷たい向かい風を浴びながら自転車を走らせることもなかっただろう。

だから、簡潔に・・・簡潔に。

話は、簡潔な方が美しい。
(私の文章は、少しも簡潔ではありませんが・・・)


2008/01/22 AM 06:53:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

吠える犬
高校大学が一緒だった友人がいる。
昨日、26年ぶりに、その友人フジモトの家を訪問した。

彼と同じクラスだったのは、高校2年の1年間だけだったし、クラブも生活圏も違うので、我々はそれほど深い付き合いはしてこなかった。
だから、10年近く連絡を取り合わないこともあった。

先週末に彼からかかってきた電話も3年ぶりだったから、端(はた)からは、かなり冷めた付き合いに見えるかもしれない。
ただ、ひとこと話し始めれば大学時代の空気感が戻るから、彼とはまだ友人と言っていい関係だと思っている。

「会社辞めたんで、暇になったから、パソコンを教えてくれ」
明るい声を出しているが、他の友人からの情報では、会社の上司との確執が10年近く続いて、疲れ果てた末での退社だったようである。

大手の出版社。
社員が多ければ、嫌なやつに当たる確率は高いだろうし、部下をモノとしか見ない上司に当たる確率も高くなるだろう。

「おまえは、俺の踏み台なんだよ!」
そんなことを言われたら、私だったら10年も我慢せずに、右フックをお見舞いして、ツバと一緒に辞表を叩き付けていたことだろう。

大学時代は、私の方が冷静で我慢強かったが、年月は人を変える。
今では、私の方が短気で、彼の方がはるかに忍耐強いようだ。
あるいは、打たれ強いと言うべきか。

電話は3年ぶりだったが、会うのは6年ぶりだった。
私も髪が薄くなったが、彼はその進行の度合いがさらに早いようで、笑福亭鶴餅のような頭になっていた。

「言っておくが、俺はウィンドウズは使える。会社で嫌と言うほど使っていたからな。しかし、今回買ったのはMacだ。パソコンはみんな同じだと思っていたが、違うんだな。色々とやってみたが、よくわからん。おまえに教わるのは嫌だったが、仕方がない。教わってやる」

そう偉そうに言われたので、もちろん、ツルベ頭を力一杯叩いてやった。
いい音がした。

フジモトにMacの操作を教えた。
しかし、長い前置きになったが(いつも長い?)、今回はこの話が主題ではない。
犬の話がメインである。

フジモトの家に、1歳の雑種犬がいた。
その犬は、昨年のゴールデンウィークに、彼の家族が伊豆に旅行に行ったとき、海岸で当時9歳の息子にまとわりついていた子犬だという。

息子は、その犬が可愛くなって、すぐにでも家に持って帰りたいと駄々をこねた。
首輪もリードも付いていないから、捨て犬かと思ったが、だからといって、勝手に連れて行っていいものでもない。

所定の手続きを経て、半年後に息子の願い通りに家にやって来た犬は、立派な成犬になっていた。
しかも、のべつ吠えまくる犬になっていたらしい。
飼い慣らすのは大変だったが、ひと月もすると、何とか家族には懐くようになったという。

しかし、家族以外にはまったく馴染まない犬だった。
来た当初は、庭で飼っていたが、通行人が通るたびに激しく吠えるから、室内で飼うことにした。
ただ散歩の時だけは、通行人に吠えることはなく、他の犬とすれ違っても敵意を示すことはないらしい。
つまり、頭のいい犬のようである。番犬としては最適の犬に思える。

ただ、とにかく、吠える、吠える。
その吠える犬を見て、フジモトは私を思い出したと言うのだ。

大学時代、フジモトは、この犬と同じくらい「吠える犬」を飼っていた。
誰に対しても吠える。家族の言うことも聞かない。うるさい。近所から苦情が来る。
しかし、捨てるわけにはいかない。

それを聞いた私は、「俺が教育してやるよ」と無謀な提案をした。
「無理無理! 専門家でもないおまえに何が出来る? 冗談はよせよ!」

しかし、私は5分で調教してしまったのである。
「嘘! うそ! ウソ!」
フジモト家の「嘘!」の大合唱は、今でも鮮明に耳に残っている。

特別なことはしなかった。
ただ、フジモトから上着を2枚借りてそれを着込み、つま先立ちになって、自分を大きく見せ、犬の前で仁王立ちになって、大きな声で話しかけただけである。
それを5分続けたら、立っていた犬の耳が次第に下がり、体も小さくなったのだ。
そして、吠えなくなった。

今回フジモトは、その時の私の真似をして、犬を手なずけたらしいが、彼はこの犬を見て、久しぶりに私を思い出したのだと言う。

この「吠える犬」は、私に対してどんな態度をとるか?
はたして、Mは、この犬もおとなしくすることが出来るのか?

俺は、ムツゴロウか!
と思ったが、私は彼の挑戦を受けることにした。

2畳の広さの納戸を塒(ねぐら)にした犬は、私を見て飛びかからんばかりの勢いで接近し、吠えた。
歯をむき出しにして、吠えまくる。
うるさい。

犬は、私の目を見ずに壁の方に顔を向けて、吠えていた。
私はそんな犬に話しかける。
「目を見て吠えなさい。俺を見なさい。俺はおまえの味方だ」

言うのは、それだけだ。
ただ同じことを話しかける。時に大きな声で、そして時に囁くように。
それを5分間続けて、私は納戸のドアを閉めた。

「どうだ? すごいだろ? おまえでも無理だったろ?」
フジモトが、勝ち誇ったように聞く。

しかし、次に納戸に入ったときは、犬は吠えることはなく、体を低くして私にすり寄ってきた。

「おいおい! 嘘だろ!」
フジモトは、腕を組んで悩む。
「なんで、おとなしくなるんだよ! おかしいだろ? あんなに誰にでも吠えるやつがさあ!」

納得がいかないようである。
私にも、何でそうなるのか、よくわからない。
ただ、犬が吠えるのには、必ず理由があるはずだ。

おそらく、「俺(私)が一番だ!」と言いたいのではないか、と思っている。

みんな敵だ! オレ様の言うことを聞け!
俺が吠えたら、みんな恐がれ! オレ様が一番だ!


悲しいほど自己中心的な動物。
しかし、それはヒトという生き物に、限りなく似てはいないだろうか。

吠える。
自分こそが、特別な存在である、と言わんばかりである。
むき出しにした歯は、自己顕示を表している。

俺を見ろ! だが、俺には近づくな!
俺を認めたものだけ、近づくことを許す。
わかったな! 俺だけを見てくれるやつが、俺の仲間だ!

「吠える犬」は、そう言っているのではないだろうか。

そんな犬には、「わかった、わかった! おまえが一番だよ。おまえの言いたいことはわかっている。俺はおまえの味方だ。俺はおまえを絶対に裏切らないから」と、わからせるのが一番いい。

どうです?
これって、人間にも使えると思いませんか?

しかし、人間はもう少し複雑に出来ているから、無理かな・・・。


2008/01/20 AM 08:56:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

塩ラーメン
今年初めて桶川の得意先に行って来た。

この会社のフクシマさんは、このブログに何度も登場している。
フクシマさんは、何を書いても文句を言わないから、彼には、いつも感謝している。

1月も半分を過ぎているから「明けましておめでとうございます」と言うのも変だったが、一応けじめとして、言ってみた。

案の定、「変!」と言われた。

「変ですよ。Mさん、変なオジさんですよ!」
この展開だと、フクシマさんは必ず志村けんの「変なオジさん」を踊り出すので、機先を制して「喉かわいた! あー、かわいた!」と叫んだ。

すると、フクシマさんは、「変・・・」と言ったまま固まった。
手を叩こうとした両手が、止まっている。
右足も少し浮いたままだ。

そのかたちのまま、ずっと固まっていた。
目線を動かさず、瞬きもしない。
目の前で手を振っても、まったく反応をしない。
たいした芸だ。

ただ、このままの状態を続けさせるのも悪いので、私は事務の女性に頭を下げて、部屋の隅の応接セットに移動した。
そして、やや堅めのソファに、ゆったりと腰を下ろす。

見回すと、部屋にいるのは、私と女性事務員、そして固まったままのフクシマさんの3人だけだ。
営業は、出払っているし、いつもマルチーズと遊んでいる社長もいない。
室井滋に似た、もう一人の事務員もいない。

ひととおり室内を見回したあとで、首をゴキゴキッと鳴らし、ついでに指の骨をボキボキッと鳴らした。
寝不足の麻生久美子という感じの事務員が、コーヒーを持ってきてくれた。
コーヒーを二つテーブルに置き、向かいのソファに彼女が座った。
そこは、本来ならフクシマさんが座るべき場所だが、彼女は平気な顔で座って、コーヒーを一口飲んだ。

微笑んでいる。

切れ長の目に、もう少し力があれば、女優にもなれたかもしれない、と思わせるほど整った顔立ちをしていた。
いつもは、フクシマさんとおバカな会話ばかりしているから、彼女の顔を正面から真剣に見たことがなかった。

化粧気は、ほとんどない。
紅を差していない口元に品があって、微笑んだときの口角が美しい。
「へぇ〜、このひと、美人だったんだぁ」などと思いながら、口元を見つめていると、その口が動いた。

「ラーメン、好きですか?」
「はあ?」
その品のいい口元から「ラーメン」という言葉が発せられるとは思っていなかったから、マヌケな声が出てしまった。

「ラーメンですかぁ?」
ラーメンは「好き」と強く宣言するほど好きではないが、「嫌い」という感情も持ったことがない。
美味しいラーメンに出会ったときは、とても嬉しい。
「ああ、ラーメンっていいな!」と思う。
好きなレベルは、その程度だから、愛好家と言うほどではない。

私がそう言うと、彼女は「ワタシ、ものすごく好きなんです」と言って、先ほどより5ミリ大きくなった目で私を見た。
好きな人に愛の告白をするときも、こんな目で見るのかと思うと、心臓の鼓動が少しだけ早くなった。

「正月に実家に帰ると、必ず行くラーメン屋があるんです。魚介類をベースにした塩ラーメンなんですけど、これが絶品なんです。スープが上品だけど濃厚で、太い麺によくからんで、ひと味ごとに違う魚介類の味がするんです。具は、海苔だけのシンプルなラーメンなんですけど、これを食べると、『ああ、実家に帰ってきたんだ。正月なんだ』って、いつも思うんですよ」

興奮すると、人はたいてい早口になるものだが、彼女はのんびりした口調で話す人だった。
だから、言葉の一つひとつが聞きやすいし、顔の動きもよく見ることができる。
彼女の話を聞いていると、「そのラーメンは、きっと美味いんだろうな」と思える。

食ってみたい、と思った。
だが、彼女の顔が曇る。

「でも、今年の正月に、同じラーメン屋に行って同じものを食べたんですけど・・・」
コーヒーカップを小さく回しながら、弄(もてあそ)んでいる。
細い指だ。マニキュアをしていない爪が、綺麗なピンク色である。スタイルのいい手だな、と思った。

コーヒーカップが、一周した。

そして、彼女の隣を見ると、いつの間にかフクシマさんが、すねた顔をして座っていた。
しかし、私はそれを無視した。
彼女の話の方が面白い。
続きが聞きたいと思った。

「一年ぶりに食べた塩ラーメンは、少し煮干し臭かったんです。以前も煮干しの味は少ししましたけど、調和が取れていました。他の素材にうまい具合に溶け込んで全然邪魔にならなかったんです」
「しかし、今回は、邪魔に感じた、と・・・」
「はい」
窓の外の冬空を借景にした憂い顔が、一瞬セピア色に感じた。
コーヒーカップに落とした彼女の視線が、アンニュイで少しなまめかしい。

その話を聞きながら、私は思った。
この話は、一体どこに向かっているんだろう?
ラーメンの味が変わった、という話は、私に何の関係があるのだろう?
彼女は、私にどんな答えを期待しているのだろう?

私は、隣のフクシマさんの顔を見た。
鼻毛を抜いていた。

(オバカさん・・・・・)

私の悪意を感じ取ったのか、フクシマさんは鼻毛を抜いた状態のまま、私の目線を真正面で受けた。
そして、両手を強く叩いた。

「はい! Mさん、コーヒーでなくて、ビールですね! わかりました!」
フクシマさんは、すごい勢いで席を立つと、瞬きをする間に姿を現し、一番搾りの瓶を私に手渡した。
フクシマさんも、瓶を持っている。

カンパ〜イ!

瓶をラッパ飲み。

一番搾りを2本、立て続けに飲んでから、フクシマさんの会社をあとにした。
そして、桶川駅までの道を歩いているとき、突然私の頭に侵入してきたことがある。

あのラーメンの話は、一体どうなったんだろう?
彼女は、いったい私に何が言いたかったんだろう?

高崎線に揺られているときも、家に帰ってからも、侵入してきた思考が頭の真ん中に居座っていたから、昨日の夜は魚介類をダシにした塩ラーメンを作ってしまった。
これは、私が作ったラーメンの中でも、一番の傑作になった。

しかし、私は思う。
彼女は一体何を・・・・・?


2008/01/18 AM 07:02:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ウザくてイタイ男
愚痴です。

昨年の暮れ、以前仕事を出してもらった会社を立て続けに訪問したことは、このブログに書いた。

私は基本的に楽観的な人間だから、営業に行っても、すぐに仕事をもらえるとは思っていなかった。
だから、まったく実りのない数日間ではあったが、それを悲観的に考えることはしなかった。

ただ最近、何とも言い難い感情が、ジワジワと押し寄せてきて、自分の感情を少々持てあまし気味にしていることがある。
それを書こうと思います。

もう一度言いますが、要するに、愚痴

川越に、一昨年まで仕事をいただいていたブティックがある。
開業と同時にホームページを作り、年に2〜3回、カラーのチラシを請け負っていた。

しかし、昨年の2月に電話がかかってきて、「ホームページ、他の人に頼んだから」と言われた。

どうしてだろう、と考えた。
アクセス数は、最初の契約時の約束で、半年後には月間1500を超すという件はクリアしていたし、新聞に折り込みチラシを入れたときや、HPで特価品情報を流したときは、3000を超すこともあった。

そのアクセス数は十分とは言えないが、不足しているとも思えなかった。
しかし、クライアントは不足していると判断して、HPをリニューアルすることを考えたのだろう。
不足していると言われたら、私としては「わかりました」と言うしかない。
ただ、「アクセス数が不足している」とは、一度も言われたことがないが。

3月にリニューアルしたHPを見てみたが、正直ガッカリした。
トップページがあまりにも派手だったからである。

そして、動きがない。
私が作ったものは、FLASHを使って、軽快な動きを見せながら店のカラーのオレンジを印象づける方式を取っていたが、新しいものは、全面がオレンジで、ボタンの文字がグリーンだった。
それだけの、シンプルなトップページである。

商品紹介も価格だけが強調されて、おしゃれな感じがまったくしない。
以前のHPを知っている人が見たら、「まったく別の店」と思うような内容に変わっていた。

しかし、これがクライアントの好みだと言われたら、私としては何も言うことはできない。
もし、それでアクセス数が飛躍的に上がっていたとしたら、と考えたら、なおさら私の出る幕はない(アクセス数の変化に関しては、もうノータッチなので判断のしようがない)。

HPの変更に合わせて、チラシの仕事も来なくなった。
どんなチラシに変わったかは、さいたま市と川越では、生活圏が違うので確かめようがない。

だから、その辺のことも知りたいと思って、昨年末に挨拶がてらブティックを訪問した。

私が訪問前に電話をすると、店主は一瞬ためらいを見せたが、訪問を拒否することはなかった。
店の雰囲気は、一年前とまったく変わっていなかった。
オーナーの態度も、表向きは以前と変わらないものだった。

新しいチラシも見せてもらった。
それを見て、私はまたガッカリすることになる。
HPと同じく、商品よりも価格が大きく強調されていたからである。

これは、オシャレなブティックのチラシでなく、量販店のものだ。
割引額がやたら強調されて、洋服の画像がまったく目に入ってこない。
店の外観が、30歳前後からの落ち着いた客層をターゲットにしているのと比較して、かなりの違和感を感じる。

しかし、それがオーナーの趣味だと言われたら、これも返す言葉がない。

失礼を承知で、「どうですか。客足は伸びてますか」と聞いてみた。
オーナーは、口をへの字に曲げて「いいや」と首を振った。

さらに、失礼を承知で、「なぜこんなチラシを出すんですか。イメージが合わないと思うんですが」と聞いてみた。
オーナーは、一瞬眉を上げて私を睨んだが、また口をへの字に曲げて、「今は、店を変えていく途中だからね」と言った。

そして、「それにね」と言葉を続けた。
その言葉を聞いて、私はへこんでしまったのである。

「Mさんは、よくやってくれました。勉強家だから、俺よりアパレル業界に詳しくなったし、知識も色々と教えてくれて、正直助かりました。でも、俺が望んでいたのは、そういうことじゃないんですよ。もっと腹を割った話し合いがしたかったんだ。Mさんの言うことは、いちいちもっともだけど、それだと情報だけで終わってしまうでしょ。会話にならないんですよ。今回頼んでいるデザイナーさんは、知識や情報はMさんに敵わないけど、会話が弾むんだ。つまり、俺はそっちを選んだわけ。だから、悪く思わないでください」

自分では、出来うる限り「知識」を取り入れて、役に立とうと会話していたつもりが、相手はそれを会話だと思っていなかったと言うのだ。

確かに、腹を割った話し合いはしてこなかったが、彼の店にとって一番大事な消費者の動向などには、十分気を配ったつもりである。
しかし、それは彼には必要ではなかった。

つまり、私はこの5年間、独り相撲をとっていたことになる。
これは、ショックだった。

俺より深い知識はいらないよ。
俺のことをわかって、話し相手になってくれればいいんだよ。
それ以上のものは求めていないから・・・。



5年間積んだ努力は、いったい何だったんだ!

そんな感情が、沸々と湧き上がってきたのだが・・・、
まあ、「努力」と言って力んでいるところが、ウザったくて、イタかったんでしょうけどね・・・。


2008/01/16 AM 07:01:33 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

リアリティ
エビちゃん、好きなんだよね。

私がそう言うと、みな「アハハ」と笑う。
海老にわざわざ「ちゃん」を付けるなよ!
好きなら好きでいいけどさ、「ちゃん」づけは、キモイよ。


こいつ、わざとボケているのかと様子をうかがってみるが、ボケている気配はない。
真面目に答えているようである。

「いいかい、俺だって海老フライにちゃんは付けない。海老の天ぷらにもちゃんは付けない。エビチリにもちゃんは付けないよ。そうじゃないだろ! エビちゃんだよ。あの、エビちゃん!」

何でこんなことを大声で言わなきゃいけないんだ?

「おいおい、まさか、モデルのエビちゃんじゃないよな? おまえ、シバキコウが好きだって言っていなかったか?」

シバキコウは大好きだが、エビちゃんも好きだ。

「おまえなあ、無理に若い子に迎合しなくてもいいんだよ! それは無理がある。なんか聞いていて、つらいぞ。そこまで若いやつに媚びるなんて!」
「だいいち、エビちゃんなんて、笑顔がわざとらしいし、スッピンなんか見たくないし、リアリティがねえぞ!」


来たぞ! リアリティ!

多いんですよ、こういう人。

東野圭吾の新作読んだけど、リアリティがねえなあ」
夏目漱石芥川龍之介は、リアリティがあるのか?

「『アイ・アム・レジェンド』観たけど、まったくリアリティが感じられないね」
ローマの休日」や「風と共に去りぬ」はリアリティがあるのか? 「七人の侍」はどうだ?

「漫画やアニメは、リアリティが感じられないから、興味がないね」
君は、「サザエさん」にリアリティを求めるのか? 「ミッキーマウス」は、しゃべっちゃいけないのか?

「今のドラマはみんなリアリティがないから、つまらないよ」
水戸黄門」で、助さんは印籠を出しちゃいけないのか? 「古畑任三郎」は、いつも捜査令状を提示しなければいけないのか?

歌を聴いても、「この歌には、リアリティがない」
コメンテーターのコメントにも、「リアリティのない意見だ」
絵画を鑑賞しても、「この絵、リアリティなし」
人が夢を語っても、「そんなの全然リアリティねえよ!」

リアリティって、一体なんだろう?

おまえたちが言う「リアリティ」って、結局自分の思い通りにいかないもの全部が、「リアリティがない」ってことなんじゃないのか。

つまり、「自分の思い通りのもの」だけが、「リアリティがある」ってことなんですね(おそらく)。

「おまえ、奥さんにリアリティを求めているか?」
「・・・・・」

「上司の意見にリアリティを求めるか? 求めたとして、それを上司に指摘できるか?」
「・・・・・」

「おまえの好きなニューハーフのエリカちゃんにリアリティを求めるか?」
「・・・・・」

私は、自分と自分の家族以外は、すべてリアリティがないものだと思っている。
自分の生活の枠から外れたものは、想像で接するしかない。
だからこそ、面白いとも言える。

自分以外はヴァーチャルだと思えば、想像する楽しみも出てくる。
人との付き合いも楽しくなる。

人との付き合いに、すべてリアリティを求めていたら、息が詰まる。
だから、リアリティを常套句にするのは、やめましょう。
リアリティが感じられない世界こそが、現実なんです。

俺は、エビちゃんにリアリティは求めないぞ。
どんなにわざとらしい笑顔を作っても、下手な芝居を見せられても、判で押したような表情を見せられても、俺はすべてを受け入れるぞ!

と、こんなことを言っても、エビちゃんには、さぞかしリアリティのない話で、ご迷惑でしょうが・・・。


2008/01/14 AM 08:24:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

看護師に感心する
病は気から、というお話しをしたいと思います。

このブログにたまに登場するリアルイラストの達人イナバ(彼に関してはコチラコチラを参照)。
私は、彼のことを「アホのイナバ」と呼んでいる。

そして、彼は私のことを「テキトーのMさん」と呼んでいる。

たとえば、イナバにリアルイラストを頼んだとする。
「この商品の購買層は何歳くらい?」
「テキトー」
「この光った部分には、映り込みを描いた方がいいかな?」
「テキトー」
「・・・・・、じゃあ」
「テキトー」

いつも、こういう会話になるので、私は「テキトーのMさん」なのである。

そのアホのイナバの奥さんから、昨年の暮れ、イナバが原因不明の熱が続いて入院したと連絡があった。
彼は昨年の6月にも、原因不明の高熱が1週間近く続いて入院したことがある。
その時は、検査しても原因を特定できなかった。
今回2回目ということもあり、その症状が心配だったが、年末は私もそれなりに忙しかったので、見舞いに行くことができなかった。

奥さんから電話で症状を聞いたところ、熱は38度前後。風邪の症状は全くなくて、ただ全身がだるい。食欲はあるが、食べ物の味がしない。吐いたりはしないが、胃にいつも不快感がある、と言っていた。

熱が続いているから、結核などの伝染病が疑われたが、それはなかったようである。
暮れの押し迫った時期だったので、細かい検査は年明けということになって、イナバは、とりあえず正月は自宅で過ごしたという。

正月も熱が下がらなかったから、イナバとしては、まったく正月を楽しめなかったようだ。
そして、アホはアホなりに自分の体のことを心配して、最悪のことを考えたりしたらしい。

「もしも、俺に万が一のことがあっても、生命保険が入るから、家のローンの心配はしなくていいからな」
「仕事は、Mさんは頼りない人だが、頼めば最低限のことはしてくれるから、彼に相談してくれ」
「子どものことが気がかりだが、親はなくとも子は育つ。おまえが立派に育ててくれ」
「葬式は、密葬でいい。俺は友だちが少ないから、どうせ誰も葬式には来ないだろう。先祖の墓が日野市にあるから、そこに葬ってくれ」


正月は、そんなことを奥さんに言い残すだけの暗い日々だったと言う。

そして、4日に再入院。
検査はすぐに始まった。

昨日私が見舞いに行くと、イナバは別人かと思うほど、痩せてやつれていた。
「6キロ痩せたんです」
奥さんが、目に涙をためながら、ため息をついた。

目だけが、ギョロッとしていて、頬はまるで包丁でそぎ落としたように丸みがなかった。
顔色も悪い。
血の気が全くなくて、肌にも艶がない。

「これがあの、アホのイナバか・・・」
私は、彼の姿を見て、絶句した。

これは、思った以上に重い病かもしれない・・・・・。

「食欲は?」
力なく横に首を振るイナバ。

「眠れるか?」
今度は、涙目で首を強く振った。

そんな友人の姿を見て、私はどう声をかけていいかわからなかった。

私は、立ち尽くしていた。
空気が、重い。

沈黙が流れる病室。
2人部屋だったが、もう一つのベッドは、今日退院したというから、空である。

私の母が入退院を繰り返しているから、病室の雰囲気には慣れていたが、これほどの重苦しい雰囲気を味わったことは、今までなかった。

そして、空気が・・・、とても寒い。

両手を強く握りしめて、その寒さに耐えていた頃、看護師が「お加減はどうですか〜」と明るい声をまき散らしながら入ってきた。

その温かい丸みのある声に、私の閉じていた両手が思わず開く。
看護師の存在というのは、たいしたものだと思う。
一瞬で、まわりの空気を一変させてしまうのである。

「検査の結果が出ましたよ〜。恐れ入りますが、担当の医師が別室で説明しますので、こちらへ」と、一片のかげりもない笑顔で愛嬌を振りまく看護師の姿に、私は感動すら覚えた。

看護師は、すごい!
この人は、天使だと思った(ルックスはともかく)。

よろけながらベッドから立ち上がるイナバ。
それを支えるイナバ夫人。
にこやかに微笑む看護師。

まるで、ドラマのワンシーンを見ているようだった。

そして、25分後。
病室に帰ってきたイナバは、25分前とは別人のイナバだった。

「過労ですって・・・。ハハハ、そう言えば、12月は忙しくて大阪や長野に行ったり、日帰りで福岡に出張したり、年末は印刷屋の締め切りが早いから徹夜が続いたりで、睡眠時間が極端に少なかったんですよ。オレ、睡眠時間が少ないと免疫力が極端に落ちるタイプなんですって。ハハハ、タップリ栄養をとって、タップリ寝ればすぐ治りますよ、だって、ハハハ・・・」

そう言って、奥さんをコンビニまで走らせて「焼肉弁当」を買いに行かせ、またたくまにそれを平らげたアホのイナバ。

生気のなかった顔には赤みがさし、あぐらをかいて、「あれっ! Mさん、Mさんこそ病人みたいにやつれてますけど」と言ったイナバ。

彼の肩を拳固で軽く叩くと、6キロ痩せたイナバは、簡単に横倒しになって、「ハハハ」と笑った。

「おまえってやつは、やっぱりアホだな・・・」

「ハハハハハ・・・・」


2008/01/12 AM 08:22:16 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

埼京線の酔っぱらい
1月は、酔っぱらいが多い。
9日を過ぎても、昼間から酔っぱらっているやつがいる。

池袋の得意先に新年の挨拶に行くために埼京線に乗っていたとき、隣に座ったサラリーマンが昼間から酒臭い息を吐いて、寝入っていた。
電車がスピードを上げたり落としたりするたびに、男の体がもたれかかってくる。

完全に酔っぱらっているから、体に力が入っていない。
そこで、男の全体重が私にかかることになる。
今度寄りかかってきたら立ち上がって、すっ転ばしてやろうと思ったが、それなりに混雑している電車の中でそれをやると、人間性が疑われるので懸命にこらえた。

臭い・・・、酒臭い。
頭も臭い。整髪料のにおいが強烈だ。
これは、一種の暴力とは言えまいか。

場所を移りたいが、立ち上がったら、間違いなくこの酔っぱらいは、倒れ込んでしまうだろう。
それは、避けたい。
しかし、このまま池袋まで寄りかかられっぱなしというのも嫌だ。
池袋まで寄りかからせていたら、ストレスが溜まる。

どうすればいい、と考えた。

起こせばいい、と思った。

私は、平均レベル以上の酒飲みだが、酔っぱらいは嫌いだ。
私は、わけがわからなくなるまで酒を飲んで人に迷惑をかけたことが、今まで一度もない(たぶん)。
だから、自分をコントロールできない人間が信じられないのだ。

自分の限界点ぐらい把握しろよ!

酒や煙草は、成人になったら誰だって飲む権利があるが、最低限のマナーはわきまえるべきだ。
おのれの限界点を知らない大人など、物理的に年をとっただけの「お子ちゃま」でしかない。

臭い・・・、本当に臭い。
イビキもすごいし・・・。
まだ昼の1時を少し回った程度なのに、この酔っぱらいようは、いったい何なんだ、と思う。

年は、30歳過ぎくらいか。
太ってはいない。爪なども綺麗に手入れされて色つやもいい。
高級そうなコートを着ているし、眼鏡も高そうだし、しゃれた時計もしているから、それなりの地位にいる男かもしれない。

だが、酔っぱらいは、酔っぱらいだ。

まず、もたれかかった頭を肩で押し上げてみる。
体は元に戻ったが、イビキはまだかいたままだ。
電車が駅に止まると、すぐにもたれかかってくる。

だらしなく両足を大きく開いているので、男の足がこちらの領分を完全に侵略している。
だから、こちらも腿に力を入れて、自分のスペースを確保してみた。
男の両足は閉じられたが、体が前のめりになって苦しそうである。
しかし、起きる気配はない。

男は、前のめりになっていた苦しい態勢を直そうと自分で顔を持ち上げた。今度は顔が天井を向いた。

フゴッ!

ブタの鳴き声が聞こえた。
そして、口からはヨダレ・・・。
それをコートの袖で拭いている。

そのヨダレが付いたコートの袖が、私のコートに密着しそうになったので、肘で押し戻した。
すると・・・、
男はバランスを崩し、今度は隣の人間の方に大きく体をもたれかけ、また「フゴッ!」とブタが鳴いた。

隣の人間の反応は、素早かった。
すぐに立ち上がったのだ。
男は、完全に支えを失って、崩れ落ちた。

横倒しである。

だが、起きる気配はない。
立ち上がった隣の男は、知らんぷり。
他の乗客も知らんぷりだ。

高級そうなコートが台無しだ。
ヨダレを垂らしながら横向きになり、眼鏡がずれた格好で熟睡している男を見ていたら、気の毒になった。
私が立ち上がれば、席に3人分の余裕ができる。
床に寝るよりは、座席で寝た方が寝覚めはいいだろう。

だから、男の腕をとって立ち上がらせようとした。
男の右腕をとると、酔っぱらって前後不覚のはずの男は、小さく「すみませんねえ」と言いながら、自分でヨロヨロと体を起こして、自力で3人分の空いた座席に横になった。

荒い寝息が聞こえる。
時々、鼻息がブタになる。

顔が幸せそうである。
前髪が乱れて、鼻息はフゴフゴうるさいが、目は穏やかだし、口元はだらしなく弛んで、ヨダレを垂らしまくっている。

3人分の座席を占領しているから、迷惑であることは間違いない。
しかし、隣に座っていたときは酒臭さが我慢できなかったが、見下ろしている分には、「まあ、いいか」と思ってしまう。

日本人は、子どもと酔っぱらいには甘い人種だ、とよく言われる。
「ああ、俺も日本人だなあ」と、変なところで再認識した一日だった。



話変わって・・・。
6日のブログで、箱根駅伝に関する意見を書いたところ、それを読んだ同業者から、電話をもらった。

彼は、自分はスポーツは全く駄目だが、駅伝は好きだという典型的な「お気軽感動人間」だ。
その彼が言う。
「やっぱり、途中棄権は異常だろう。駅伝はタスキを渡すスポーツなんだから、タスキを受け取った人間は、何があっても次の人にタスキを渡す義務があるんじゃないか」

それは、もっともらしい意見だが、タスキはただ単に道具で、走るのは生身の人間だ。
タスキが主役ではない。タスキに特別な意味を持たせることがおかしい。

野球のバットやボールは、野球をやるための道具にすぎない。
ボクシングのグローブは、闘うための道具だ。
サッカーのボールも点をとるための道具だ。

道具を大切にするのは当然だが、道具だけを特別扱いして、人間をないがしろにしていいものでもない。
確かに駅伝はタスキを渡すスポーツだ。
しかし、だからといって、タスキに必要以上の意味を持たせる必要はない。

最強のチャンピオンでも、調整を間違えれば負けることもある。
サッカーの得点王だって、試合中に故障してリタイアすることもあるだろう。
タイガー・ウッズだって、一度くらいは途中棄権したことがあるはずだ(たぶん)。

なぜ駅伝にだけ、それが許されないのか?
なぜ駅伝にだけ、君は寛容になれないのか?

「だって、オレ順天堂大応援してたんだもん!」
「なんで?」
「去年勝ったから」
「じゃあ、来年は?」
「もちろん、駒大を応援するよ!」

単なる浮気者じゃねえか!


2008/01/10 AM 06:59:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

突発性難聴
昨日の朝、ヤフーのトップページを見ると「あゆ告白『左耳の聴覚失った』」という記事が載っていた。

そこには、2000年に罹った突発性難聴の影響で、左耳の聴力が機能しておらず治療の方法がない、と自身のHPで報告した、と書いてあった。

私の高校二年の息子は、浜崎あゆみの大ファンだ。
新アルバムの「GUILTY」も早速買って、毎日聴いている。
出かけるときは、MP3に落としたものを「iPod Shuffle」で聴いている。

この記事を読んだ息子は、「大丈夫かなあ」と、真顔で心配していた。
そんな息子に対して、私は唐突にこう言った。

「あゆは左耳。パパは右耳。な〜んだ?」

「知ってるよ。同じ突発性難聴でしょ」
私が頷くと、息子は私の顔をじっと見て、こう言う。

「あゆはキレイなのに・・・・・」
オヤジは汚い・・・、という言葉はさすがに言い出せない、父親思いの息子であった。

「あゆは歌手だから、耳が聞こえないのは大変だけど・・・・・」
アンタは耳が聞こえなくても、別にいいだろう・・・と、その目が語っている。

確かにそうだ。
第一線の歌手が、片方の耳が聞こえないというのは、相当不便であろうことは想像できる。
音楽は、両方の耳のバランスで聴くものである。
片方の耳が聞こえないというストレスは、想像を絶するものだと思う。

しかし、一般人である私も、聞こえないことによるストレスは、それなりにあるのです。

私は右耳が聞こえないから、人が私の右側に立って何か言ってきても、ほとんど聞こえない。
だから、何度も聞き直すことになる。
時々、「こいつ聞こえないふりをしてるんじゃないか」という懐疑の目で見られることもある。

そんなとき、いちいち「すみませんねえ。右耳が聞こえないんですよ」と言うのも、面倒臭いものだ。
最初から、人を懐疑の目で見てる人に、そんなことを言っても信じてもらえないから、「いいや! めんどくせえ! もう無礼者に見られてもいい!」と、投げ遣りになることがよくある。

名前を呼ばれても聞こえないときがあるから、「この野郎、無視しやがって!」と誤解を受けたことも、何度かあった。

私の経験上、健康な人は、まず人を見た目で判断する。
顔色が悪い、やつれている、疲れ果てている。
そういう判りやすい状態の人に対しては、人は多少なりとも気を遣う。

しかし、右耳だけが聞こえない人間というのは、その状態をアピールすることができない。
外見では、判断できないからである。
相手は当然、両耳が聞こえるものとして話しかけてくるから、私の反応が鈍いと、「馬鹿にしてんのか!」と、腹を立てるのだ。

医者に「右耳が聞こえませんよカード」を作ってもらって、それを最初に提示するというシステムを採用したら、そんなことはなくなるかもしれない、と思ったりもする。
しかし、怒る人は、どんな状況でも怒るから、「なんだあ! 右耳が聞こえませんよカードだとぉ? ふざけんな!」と言って、殴りかかってくるかもしれない。

難聴はつらいよ。

しかし、威すわけではないが、これはおそらく誰にでも起こりうる不幸なのです。
皆さんもお気を付けください。

参考になるかわかりませんが、私が突発性難聴になった経緯をお話ししましょう。
15年前、法律事務所に勤めていたとき、風邪をひいて38度以上の熱があっても、仕事が集中していたため、休めなかったことがあった。

「俺は熱に強い」と暗示をかけながら4日我慢したが、2日目から右耳に膜が張ったような症状が出て、聞こえが悪くなった。
熱が下がれば治るだろうと、安易に考えていたが、5日目に熱が下がっても右耳の違和感は治まらなかった。

しかし、いつか治るに違いないと自分で勝手に思いこんで、2か月以上我慢したが、元に戻らなかった。
3か月近く経って、さすがにおかしいと思って耳鼻科に行くことにした。
だが、この時点でも、まだ私は楽天的だった。医者の治療を受ければ治ると思っていたのである。

医者から「突発性難聴です。もっと早く来ていれば回復した可能性はあります。しかし、時すでに遅し! 一応治療はしますが、期待しないでください」と言われたとき、「何だ、この美人女医! 笑えない冗談を言って」と思ったが、その美しい顔があまりにもまぶしくて、何も言えなかった。

あれから15年。
私の右耳は悪化の一途をたどり、右耳のそばでクラッカーを鳴らされても、まったく聞こえないという末期的な状態になった。

聞きたくない電話は、右耳で受ければ何も聞こえないから、その時だけは重宝する。
しかし、仕事の話をしていたとき、突然左耳が痒くなって掻いたりしたら、その瞬間は何も聞こえないから、痒いのを我慢しなければいけない。

これは、つらいですぞ・・・。

ですから、耳に異変を感じたら、手遅れにならないうちに耳鼻科に行くことをお勧めします。

耳鼻科の先生が、あんなに美人だったなんて・・・、最初から知っていれば、仕事なんか放り投げて行っていたのに・・・。

今さらながら、悔やみきれない思いがします。


2008/01/08 AM 07:37:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

選手の将来をドレミファドンを見ながら考える
年始の仕事は、昨日の朝、無事校了。
突然のタイトル文字変更など、想定外の修正があって、気持ちがキレかかったが、終わってみればメデタシメデタシ。

我が家の正月は、ここから。
昼間は、久しぶりに料理の腕を振るった。

我が家では、正月はいつも中華三昧。
つけ麺、餃子、シュウマイ、チャーシュー入り炒飯、あんかけ春巻き、肉団子入りフカヒレスープをテーブルに並べて、食いまくる(料理に3時間かかりました!)。
これをやると、正月が来たという感じになる。

腹一杯になって、家族そろって「ドレミファドン2008」(おそらく関東だけで放送されている番組)の録画を見ていたときに、電話が鳴った。
一番盛り上がっていた「超ウルトライントロクイズ」の場面だったから、無視してやろうかと思った。
しかし、ナンバーディスプレイを見ると、滅多に電話をかけてこない友人からのものだったので、とった。

「おい! 箱根駅伝見たか。ひでえな! 3校も棄権だろ、まったく情けない話だな」
昨日も他の友人から2件、同じようなメールが来ていたので、これは私としてはウンザリな話題だった。
テレビのクイズが気になったので、切ろうと思ったが、大学時代3年半同じ陸上部に籍を置いたカジワラからの電話は2年ぶりだったので、切るのを我慢した。

「俺、箱根駅伝は興味ないから、見てないんだよ。仕事も忙しいしね」
軽く話題をかわそうとして、そう言ったのだが、カジワラのボルテージは上がるばかりだった。

ただ、その論調は、インターネットで読んだ陸上関係者や素人評論家の論調をなぞっているだけだったので、聞いているうちに段々と面倒臭くなってきた。
そこで、投げ遣りになって、私はこう言った。

「世の中は、スピード時代。(陸上の)長距離もスピード時代。だから、昔と比較して今が情けないなんてのは、素人の発想だ。おまえも陸上競技にドップリ浸かった時代があったのなら、もっと深く時代を読めよ! 一時的に浮かれただけの他人の意見を、自分の意見みたいに言うんじゃない!」

これは、久しぶりに電話をかけてきた友人にたいして、かなりひどい言い方だったと思う。
カジワラも絶句して、次の言葉が出てこなかったようである。

しかし、「時流を見ない」表層だけの意見を取り上げて、「ああ! 今の選手や指導者は情けない」と言うばかりでは、まるで無責任に意見を池に放り投げて、ただ波紋を眺めているだけのようなものだ。

特に関東学連の青葉昌幸会長の「勝利至上主義(の悪影響)が出た。選手を守るために運営管理車に乗るはずの監督が、選手のお尻をたたいてオーバーペースを招いている」という談話は、当事者が言うべき言葉ではないと思った。

ここからは、酔っぱらいの言いがかりのような論調になりますが、しばしお赦しをいただいて・・・。

「勝利至上主義」が駄目だというなら、順位などつけなければいい。タイムも計らなければいい。
陸上競技は、順位がわかりやすい競技である。そして、その順位とタイムを上げるために、アスリートは懸命に練習を積んでいる。

つまり「勝利」と「記録」のためにある大会が、「勝利至上主義」と言われたら、その大会の存在価値はどこにあるかわからなくなる。
「みんな仲良く完走して良かったね・・・、ああ、感動した!」
そんな大会でいい、とはっきり言ってくれるのなら、それはそれでいいと思うが。

しかし、順位をつける以上、「仲良し大会」というのは、矛盾してはいないか。

話は飛躍するが、大手の新聞社所有のプロ野球チームYGが、大物選手を漁りまくっていると批判している論調を、ネットでよく見かける。
私は、YGは、名前を書くのも忌まわしく感じるほどのアンチだが、ルールに則って選手を獲得して、非難されるというのが、理解できない。

プロであるなら、勝つために努力をするのは当たり前のことだ。
そして、資金力があるなら、いい選手をたくさん取って「勝とう」という姿勢を見せるのも、当たり前のことだと思う。

ただ、それは品格の点では、かなり見苦しいことだが、ルール破りをしているわけではないから、許されると私は思っている。
他のチームだって、資金力があればYGと同じことをしているだろうから、ルールを認めたもの同士、品格がないという点では同一である。

駅伝だって、順位をつける以上、勝利にこだわるべきだ。
それを責任者に「勝利至上主義が悪い」と他人事のように言われたら、ハシゴをいきなり外されたようなものではないか。

今回、途中棄権が多かったのは、もちろん指導者の管理不足はあるだろうし、(私を含めて)素人評論家が言っているように、メディアを含めたまわりの「騒ぎ過ぎ」もあるだろう。
ただ、これに関しては、「何を今さら」としか思わないので、ここでは触れない。

ここからは、私独自の意見。

今の長距離走は、マラソンを含めて、「スピード時代」である。
年々その様相は強まって、スピードのない選手は生き残れないような時代になっている。
それは、駅伝も例外ではない。

いま一番長距離選手に求められているのは、そのスピードについていける能力だ。
そして、それはスピードをつけるための総合的な練習でだけ、身に付く能力である。
だから、今の選手と昔の選手を比較するのはナンセンスだし、昔の練習が良くて今の練習が悪いというのも、ピントのずれた意見としか思えない。
昔は、これほどのスピードを要求されなかった。長距離走には、持久力だけがあればよかった。

時代が違うのだ。

ただ、ひとつ言えるのは、どんな時代でも一番大事なのは、「選手個人の将来」だということだ。
学校の名誉が大事なのではない。チームの名誉、大会の名誉、陸上界の名誉などより、選手の将来の方が大事なのは、当然のことではないか。

ボクシングでは、選手が危ないと思ったら、セコンドが躊躇なくタオルを投げて試合を止める。
それは選手の将来を考えてのことだ。
他のスポーツも、そうあるべきだと私は思う。

根性だとか名誉だとかいう、目に見えない面子にこだわるより、まずは選手の将来の方が大事。
だから、選手の体調を危惧する以前に、いきなり「情けない」と言い出す陸上競技界のトップの存在が、私には信じられないのである。

選手の様子が明らかにおかしくなったら、関係者はすぐに止めるべきだ。
途中棄権は、決して恥ずかしいことではない。選手の将来を考えての英断である。
むしろ「よく止めた」と褒めるべきではないのか。
それを徹底してこそ強い選手が生まれる、と私は思っている。

スピードが求められる昨今の長距離レースで、レースの展開によっては、オーバーペースになるのはやむを得ないことだ。
そうならないように自己を制御するのが、一流選手の条件だが、大学生にそこまで求めるのは酷である(マスコミが宣伝するから、彼らのことを一流だと思っている人が多いようだが)。

成長過程でのミスを「情けない」といって、いちいち責めていたら、伸びる芽も伸びなくなる。

そして、これだけは強調して言っておきたい。

スピードをつけるために努力している彼らは、一流ではないが、決して「情けない」選手ではない、ということを。

好き勝手なことを書きましたが、私は箱根駅伝は見ていないし、これからも見る気はないので、以上の意見は、書き逃げという形になります(その理由は、1月3日のブログの後半に書きました)。悪しからず。

カジワラは、辛抱強く最後まで、こんな私の言いがかりを受けとめてくれて、最後にこう言った。
「マツ、おまえ相変わらずひねくれてるなあ・・・。まあ・・・、おまえらしくていいけどな」

ありがとう! 新年早々、褒めてくれて。

そして、私が熱弁を振るっている間に、「クイズドレミファドン」が終わっていた。

また、途中から見直さなければ・・・(巻き戻し)。

超イントロドン!
「三日月!」(正解!)


2008/01/06 AM 08:40:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

電話そしてメール
5日朝までに校了を義務づけられた仕事は、今が大詰め(1月4日午後10時10分現在)。

2稿目にトップページのタイトル文字に大幅な修正が入ったせいで、3日は完全な徹夜となった。
今さら何でタイトル文字を変えるのか、という意味がわからないまま作業をしたから、この徹夜は精神的にストレスが溜まった。

しかし、明け方の6時半、エスプレッソを飲みながら、ZARDの「あの微笑みを忘れないで」を聴いたら何故か癒されたので、クライアントを呪うのはやめた。
皆さんも、人を呪いたくなったら、ZARDの歌を聴いて、思いとどまってください(合掌)。

話は前後しますが、3日の夜10時ころ、私がタイトル文字の加工で鬼のような形相になっていたとき、友人から電話がかかってきた。

「コウハク見た?」
「見てない!」
「いやあ! オレ感動しちゃったよ」
「それはよかった。じゃあな」
「ちょっと待て! 俺ドリカムの歌、真面目に聞いたの初めてなんだけどさぁ。いいねえ! 響いたよ。泣けたね」
「一生泣いてなさい。じゃあな」
「待った待った! ホントに感動しちゃったんだよ。あのヴォーカル、なんて言ったっけ? ホラ、何だっけ・・・」
「吉田美和」
「ああ、そうそう、その吉田美和!」
「吉田茂の孫なんだぜ」
「ええ! 本当かよ!」
「嘘だよ」
電話を切った。

1時間後、他の友人が電話をかけてきた。
「アケオメ!」
「日本語で喋れ!」
電話を切った。

5秒後、同じ友人からの電話。
「すまん、あれ一度言ってみたかったんだ。仕事始めに、会社の若い女の子に使おうと思ってるんだけど、どう思う?」
「会社のロッカールームで、何を言われてもいいという覚悟があるのなら、やってみろ。出っ歯と短足のほかに陰口のネタを増やしたいなら、いいんじゃないか」
「出っ歯? 短足? 俺はそんな風に言われてるのか?」
「それは俺にはわからない。若い子に聞く勇気があるのなら、聞いてみればいい」
「出っ歯・・・・・、短足・・・・・」
「そして、アケオメ課長」
「アケオメ課長・・・・・」
可哀想なので、電話を切った。

4日の昼間。
3稿目の修正をメールで送ったあとで、強張った体をほぐそうと、軽くストレッチをしていたとき、ノナカから電話がかかってきた。

ノナカは、大学時代の同級生(彼に関してはこちらこちらを参照)。
私は彼のことを昔「ヘチマ」と呼んでいたが、彼は「ヘチマ」では返事をしてくれなかった。
しかし、なぜか「ヘチ」だと返事をしてくれるのである。

彼は「ヘチマ」よりも「ヘチ」の方がオシャレだと思っているらしく、「ヘチ」と呼ぶと機嫌がいいのだ。
だから、私はすぐに「ヘチ」と呼ぶのをやめて「ノナカ」と呼ぶようにした。

他の仲間は、みんな「ヘチ」と呼んでいたから、「名付け親のおまえだけ『ノナカ』ではおかしいだろう」、と彼は私を責めるのだが、私には彼から責められる意味がわからない。

「『ヘチ』なんて、捨て犬みたいな名前じゃないか」
「だって、おまえがつけたんだろ?」
「だから、俺は反省してるんだよ。おまえには『ノナカ』って、立派な名字があるんだから」
「・・・まあ、そうだけど・・・、なんかなぁ・・・」

そんなおバカなノナカからの電話。
「来月、東京に行くぞ。用事を済ませたら、大宮で会おうぜ。見せたいものがあるんだ」
「何だ、見せたいものって?」
「クニコの最近の画像だよ。この間、クニコが仙台に仕事で来たときに会ったんだ。携帯で撮ったんだよ。見たいだろ? クニコ、まだまだ若いぜ。見せてやるよ。それとも、これからメールで送ろうか」
電話を切った。

5秒後に電話がかかってきたが、出なかった。
20分後にメールが来たが、まだ開いていない。

このまま捨ててしまおうか・・・、すごく迷っている。


2008/01/05 AM 08:05:56 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

渋谷、表参道
新年最初の仕事は、元旦朝に初稿をPDFで送って、とりあえず一休みといったところである。

そこで、さいたま市の元日は寒かったが、風もない絶交のジョギング日和だったので、ジョギングに出かけようとトレーニングウエアに着替えようとした。
しかし、子どもたちの「どこか連れて行け!」という声が、狭い室内にこだまして、トレーニングウエアを着ようと伸びた手を止められた。

じゃあ、渋谷に行こうか、と言ったら「ワーイ!」と思いのほか喜んだので、元日に渋谷をぶらつくことにした。

なぜ、渋谷?
と言われても、説明のしようがない。
ただ「条件反射」と言うしかない。
高校大学を過ごした渋谷が、咄嗟に頭に浮かんでしまったのである。

元日に行って面白いか、などとは考えずに、とにかく行ってみた。
ヨメは、近所の新年会に参加しないとまずいというので、私が二人を連れて行った。

元日に渋谷に行くのは、20年ぶりくらいだろうか。
人混みは、いつもの半分以下。
デパートは閉まっているし、他の店も休みが多い。
最先端の街とは言っても、やはり元日なんだと思い知らされる。

着いた早々「腹減った!」と騒ぐので、マクドナルドに連れて行こうとしたら、「正月にマックかよ!」と不機嫌丸出しで怒られた。
それでは、とファミリーレストランを探したが、渋谷にファミレスはないのか、15分歩いても見つからなかった。

そんなとき、食い物に関しては異常に嗅覚が鋭い高校二年の息子が「パスタバイキング」という看板を見つけたので、そこに入ることにした。
1260円で、「フリードリンク、パスタとサラダが食い放題」と書いてあった。

店内は暗いが、広々としていて、テーブルとテーブルとの間隔もゆったり取ってある。
雑然とした感じがなくて、子どもたちも「いい! いい!」と喜んでいた。

味の方は、私からすると、かなり香辛料で誤魔化している感じがするのだが、息子などはパスタとサラダを3杯お代わりしていた。
普段はサラダを食わない小学6年の娘も、雰囲気が気に入ったのか、珍しくサラダを山盛りにして食っていた。

子どもたちが「いい!」と言うのだから、その店は間違いなくいい店だったと思う。
たとえボロネーゼが、眉をひそめたくなるほどオリーブ臭かったとしても、和風キノコスパゲッティの麺が、茹ですぎてフニャフニャだったとしても、子どもたちが認めるのなら、それはいい店なのだ。

バイキングのあと、渋谷の街をぶらついたが、デパートやテナントビルが休みなので、子どもたちにとっては拍子抜けだったようである。
「えー! 渋谷のくせに、正月休むのかよ!」

そこで、原宿に行くことにした。
原宿は、渋谷とうって変わって、人があふれていた。
表参道、竹下通り、明治通りのにぎわいは、子どもたちを興奮させた。

屋台がたくさん出ているのを見て、息子などは、腹が一杯なのにもかかわらず「トルネードポテト」なるものにかぶりついていた。
娘は、りんご飴。
二人とも幸せそうな顔をして食っていた。

食い終わると、ジャニーズショップ行こうぜ!」と言うので、渋々ついていったが、「申し訳ありません。整理券のない方はご遠慮ください」と言われたので、私はホッとした。子どもたちはガックリ肩を落としていた。
だが、二人は人混みにハイになって、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。時に焼きそば、時にフランクフルト、時にクレープを食いながら、狭い道を歩き回った。

気が付いたら、暗くなっていた。
そして、突然「疲れた!」と言うので、ウェンディーズに入って休むことにした。

そこで聞こえてきた会話。
女子高生らしき娘が3人、とりとめのない話を大声でしていたのだが、突然箱根駅伝の話になったのである。
「私、明日と明後日は箱根駅伝見るからね。遊べないよ」
「あー、アタシも毎年見てるんだ。あれを見なきゃ、正月って感じがしないよね」
「そうだよね。今年はどこが勝つのかな。ワセダ? コマダイ?」


まさか表参道の真ん真ん中の店で、若い子の口から「箱根駅伝」の話題が出るとは思っていなかった。
悪いとは思ったが、思わず振り返って、顔を見てしまった。
ファッション雑誌のファッションをそのまま真似しました、というスタイルの子が3人。フレンチフライポテトを頬張りながら、「ヤマナシガクインダイ」とか「ジュンテンドウダイ」とか言っている姿には、相当な違和感がある。

30秒くらい見つめていたかもしれない。
「おい、若い女に見とれるなよ!」と娘に言われて、我に返った。
「エロ親父はこれだから嫌だよ!」と、娘に毒づかれたので、一応言い訳だけはしておいた。

若い子が、駅伝に興味があるなんて思わなかったんだ。
そもそも正月に何が面白くて、駅伝などを見なければいけないのか。
パパは、走るのは好きだけど、箱根駅伝なんていう関東のローカルな大会を見ても少しも心は動かない。
自分の出た大学が参加しているならわかるけど、そうでもないのに応援する心理がわからない。
一流でもない大学生をスター扱いして、無理矢理スターを作る無責任ないつものメディアのやり方が我慢できないんだよ。
あれはね、ただ安上がりに人を感動させるために、テレビ局や大きな新聞社がお気軽に作った、安っぽいスポーツドラマなんだよ。


その話を真面目な顔で聞いていた娘は、小さく息を吐いてこう言った。
「へー、そう・・・。そうなんだ。それで・・・、あの3人の中で誰が一番いいと思うんだ?」

「やっぱり、オレンジのコートを着た子かな」

頭を殴られた。


2008/01/03 AM 08:53:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

零時20分の電話
2008年がやって来ました。

しかし、やって来ただけ。
私の場合、そこに新しいものを求めようとは思っていないから、普通に時が通過したとしか思わない。

年が変わったからといって、私の中の何が変わるわけでもない・・・、正月をそんな風に考えるようになったのは、いつ頃からだろうか。

大学時代は、毎年スキー場で新年を迎えていた。
馬鹿騒ぎをしている間に、年が明けた。
あの時は、年が明けることを喜んでいたわけではなかった。
ただ仲間と騒ぐのが、楽しかっただけだった。

社会人になってからも、毎年旅先で新年を迎えていた。
斑尾だったり、妙高草津だったり。

一度だけだったが、仙台のホテルで一人だけで新年を迎えたときがあった。
何故そんなことになったのか、まったく記憶にない。
どういう心境だったのかも覚えていない。
ただワイルドターキーを1本飲み干して、チーズを食い過ぎて、翌朝気持ち悪くなったことだけは覚えている。

結婚してからも、家で新年を迎えたことがない。
ヨメと二人で、高山金沢伊豆で新年を迎えた。
それは、新年をいつもとは違った空間で迎えたいと思っていたから、そうしていたのだと思う。

つまり、新年を特別なものとして捉えていたということだ。
新年に、新しいことは求めないが何かイベントが必要だ、と考えていたのかもしれない。

子どもができて初めて、自分の家で新年を迎えるようになった。
その時から、新年に特別な意味を持たなくなったように思う。

子どもの健康を願う気持ちは強いが、それは新年でなくてもいい。
いつも願っているのだから、特別新年だけ強く願う必要はない。
新年はただやって来て、ただ過ぎていく。
子どもの成長というプラスアルファはあるが、それは日々実感していくもので、新年だけ実感するものでもない。

我が家では、年末の大掃除はしないし、ナントカ歌合戦も見ない。年越しそばも食わないし、雑煮もおせち料理も食わず、初詣も行かない。
行事と言えば、年越しの乾杯くらいのものだ。

今や、私にとっての新年とは、子どもたちにお年玉をあげる日でしかない。
そして、子どもにお年玉をあげなくなったら、新年は、私にはまったく意味のない日になるだろう。
それは、きっとすぐそこまで近づいているはずだ。

新年の意味が、徐々に薄れてきている。

そんな新年らしからぬことを思っていた午前零時20分・・・。
電話がかかってきた。

誰からだろう?
ナンバーディスプレイを見る前に、推理してみた。
年が明けてすぐに電話をかけてくるのは、私の母親か、ヨメの友だちくらいのものだ。
私の友人は、私に怒られることがわかっているので、そんな無駄なことはしない。

私の母親なら、話はすぐ終わるが、ヨメの友だちなら1時間以上の長話を覚悟しなければならない。
新年早々、長話で電話を占領されるのは、幸先が悪い。
きっと、今年もろくな年にならないであろう。
ああ、ヤダヤダ!
早く眠っちまおう!

そんな絶望的な感情を心に浮かび上がらせながらディスプレイを見てみると、それはショウコの番号だった(ショウコに関しては、コチラのブログを参照)。

「起きてた?」
「起きてた」

3か月ぶりに聞くショウコの声は、眠そうでもなく、ハイでもなく、沈んでいるでもなく、いつもと変わらないものだった。
しかし、なぜ新年の20分過ぎに電話をかけてきたのか。
これは、初めてのことだった。

「なんで電話かけてきた、と思ってるんでしょ?」
「いい知らせか、悪い知らせか、色々と考えている。それとも、酔っぱらっているのか」
「近い! ほら、この間ワタシ二十歳になったでしょ。だから、初めてお酒を飲んで迎える新年なんですよ」

ショウコは、今どきの子にしては珍しいほどストイックな面を持っている娘だ。
私は小学生の頃からワインを飲んでいた不良だったが、ショウコは私がいくら勧めても一滴もアルコールを口にしない可愛げのない子だった。

彼女は、「酒は、二十歳からだぞ」と言って、かたくなに守ってきたのである。
そして、「地球上の生物の中で、唯一自分の意思で我慢できるのが、人間なんだ」とも言っていた。

「初めてのお酒は、誰に最初に報告したらいいかって考えたら、サトルさんが浮かんだわけ。だから、これはとても有りがたいことなんだからね」
「マサ(ショウコの亭主)は、飲めないんだよな」
「そう、だから、この喜びを誰かに伝えたくて」

自分の親を差し置いて、私に報告してくれたことには、感謝しなくてはいけないだろう。
私は嬉しくなって、思いついたことを言った。
「何を飲んでいるか、当ててやろうか・・・。モルツだな」

「当たりー! さすがだね、酒飲みは勘がいい」
初めてショウコの新婚家庭を訪れたときに出されたのが、モルツだった。
だからそう言っただけだが、ショウコは真面目に感心していた。

「これで楽しみが増えたな」
「何が」
「これからは、君と飲み歩くことができる。カネコと飲むよりも、はるかに楽しそうだ。キミの親父は、最近愚痴がひどくなって、聞くに堪えない。かなり老人化してるような気がする」
「孫ができたら、もっと老けちゃうかな」

「まさか! できたのか!」
「できるわけないでしょ。もしそうだったら、お酒なんか飲んでないよ」

確かにそうだ。
ショウコと話をしていると、本当の娘と話しているような気になる。
これは幸せなことだ。

新年早々、何かいい贈り物をもらったような気がした。
「ありがとう」
私がそう言うと、「サトルさん、元気出しなよ。ワタシは、パパよりもサトルさんの方が心配だよ」と言うのである。

その言葉を聞いて、泣きそうになったので、電話を切った。
そして、ショウコの顔を思い浮かべながら、金麦を飲んだ。
モルツでないところが、妙に悲しかった。


★泣きそうなときは、今日のFLASHムービー

2008/01/01 AM 08:25:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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