Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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一字違いで
一昨日の午後10時前、前回見逃した「働きマン」のビデオを見る前にメールボックスを開けてみたところ、「緊急連絡」というタイトルのメールが受信されていた。
受信時刻は、午後9時41分。
差出人は、L企画のサイトウさん。

L企画からは、先月初めて仕事をもらった。
それは、L企画の系列の塾の講師たちに配布する伝達書のようなものを作って、カラーレーザープリンタで200部プリントする仕事だった。

仕事の難易度は、かなり低い。
ロゴは先方からの支給だし、テキストもすでに打ってある。
タイトルの書体や色、サイズの指定もされている。
使う写真もデジカメ画像が2点。それを配置する場所も指定されている。
唯一工夫しなければいけないのは、「空いている箇所には、適当なイラストを適当に入れておいて」という点だが、これは工夫と言うほどのものではない。
あまりにも楽な仕事だ。

これは、はたして仕事と言えるのか。
そんな疑問が、一瞬頭をよぎる。
しかし、だからといって、「こんなの俺じゃなくてもいいじゃん!」などと思ってはいけない。
どんな仕事でも、仕事は仕事。
だいいち、私にしかできない仕事など、この世には存在しないのだから、身の程を知らなければいけない。

ありがたい、ありがたい・・・・・(拝)。

この仕事は、1時間もかからずに初稿を上げて、すぐ校了になった。
そして、プリントにかかった時間が、1時間と少し。
前日の午前中に仕事をもらって、翌日の午後には納品。

ストレスの溜まらない仕事は、気持ちはいいが、物足りなさも感じる。
それが、贅沢で勝手な感想だというのは承知している。
しかし、罪深い私は、「もう少し複雑な仕事を」と思ってしまうのです。
それは、いけないことなのでしょうか・・・・・(神様)。

そんなことを思っていた一昨日の朝、またL企画から仕事の依頼が来た。
仕事の内容は、前回とほぼ同じ。違うのは部数だけ。今回は400部だった。

仕事は、前回同様順調に進み、一昨日の午後5時には、プリントも完了した。
そして、それをすぐに梱包してヤマト運輸の集配センターに持っていき、配送手続きを済ませた。
もう送ってしまったから、いまさら「修正しろ」と言われても困るぞ、と思いながらメールを読むと、思った通り「修正あり、仕事を停止せよ」と書いてあった。

しかし、緊急の用なら電話をすればいいではないか。
この場合、まず電話で確認というのが、常識的な手段ではないだろうか。
私は、一昨日は一日中家で仕事をしていた。
電話ならすぐに対応できたが、メールでは対応が送れる。

電話連絡という方法をとらずに、なぜメールで「緊急連絡」をしてきたのか。
しかも、夜の10時前にメールを送ってきて「緊急連絡」と言われても、対応が遅れるのは、目に見えているではないか。

サイトウさんに電話をした。
会社にはいないかもしれないと思ったが、10時過ぎていても、サイトウさんは会社に残っていた。
「ああ、Mさん、メール見ましたか? まいりましたよ、連絡がつかなくて(自宅に電話してくれれば連絡付きましたよ)。修正箇所は、メールで指示した通り、2カ所です。至急なおしてくれませんか。納期は1日延ばしてもかまいませんから」

そう言われても、もうプリントして宅急便の手配をしてしまったし・・・。

「ああ、そうですよねえ。でも、その分はもちろん支払いますよ」(なんと話のわかるクライアント!)

ああ、それなら私に異存はない。
すぐに直して、プリントしよう。

今回なぜ電話連絡でなくて、メールで連絡をしてきたのか、その理由を聞くのも忘れて、私は電話を切った。
切った後に、聞かなかったことを悔やんだが、「損はしてないんだから、いいじゃん!」とお気楽に考えて、すぐに修正にかかった。

修正は、5分もかからなかった。
責任校正なので、プリントした修正箇所を確認して、400部プリントしようとした。
しかし、上質紙のストックがなかったことを思い出した。

この時間に開いている店はない。
コンビニに上質紙は売っていない。
普通だったら、翌日まで待ってプリントするところだろうが、プリントは寝ている間に済ませた方が能率がいい。

だから、今夜中にプリントしてしまいたい。
そこで、近所の印刷会社に忍び込み、上質紙を500枚借りてくることにした。
黒のジャージの上下に黒のダウンを着込んだ怪しい格好で、印刷会社まで自転車で行った。
鍵は、印刷会社のMacのメンテナンスをしている関係上預かっているから、忍び込むのは簡単である。

午後11時20分過ぎ。
だだっ広い印刷所の空気は、冷え切っていた。
柱の温度計は、9度を表示している。

寒い。手袋をしてこなかったのが悔やまれる。手がかじかんで、指先が痛い。
手に息を吹きかけると、白い息が薄暗闇に浮かび上がる。
少し怖い。

そして、続いて壁がミシッと鳴る。
乾燥していた壁が、私が入ったことによる少しの温度変化で膨張して音が鳴ったのだろう。
その仕組みは、何となく分かるのだが、一人の時はそんな小さな音でも怖く感じるものだ。

「オドカスンジャネェ〜ヨ〜!」
ボビー・オロゴン風の口調で呟いてみるが、言葉は、むなしく暗闇に消えていく。
景気づけに、「そんなの関係ねえ!」と流行の振りをしてみたが、余計むなしくなって、寒さが体を包み込む。

早めに退散した方がよさそうだ。
プリントルームに足を踏み入れて、用紙をひと梱包手にした。
それを脇に抱えて、社長のデスクまで行き、「上質紙500枚お借りします スカイデザイン」と書いたポストイットを貼っておいた。

夜の冷気が充満するなか、白い息をまき散らしながら自転車を漕いで家に帰り、早速プリントをし始めた。
20枚プリントをして、汚れやかすれがないことを確かめてから、残りの枚数を設定して寝ることにした。

朝起きてプリントを確認したが、すべて正常にプリントされていた。
ホッとした。

朝9時。家族を送り出したあとで洗濯物を干し、一段落してコーヒーを飲んでいたときに印刷会社の社長から電話がかかってきた。

「Mさん、ヌカイデザインって知ってる?」
「はっ? ヌカイデザイン?」
「だって、朝会社に来たら、机にヌカイデザインって書かれた紙が貼ってあったんだよ。俺ヌカイデザインなんて知らないから、なんか不気味でさぁ。これ、警察に届けようかと思うんだけど、どう思う?」

「スカイデザイン」と書いたつもりが、手がかじかんでいたせいで「ヌカイデザイン」と書いてしまったようである。

「自首しますので、お許しください」
私がそう言うと、勝ち誇ったような社長のバカ笑いが聞こえた。
グヘハホヘ、グヘハホヘ!

私は、心に誓った。
この仕返しは、ゼッタイにしてやる! と・・・・・。


2007/11/29 AM 06:50:35 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

未完の小説
 幅広の坂道をゆっくりと上っていくと、右手にギリシャ神殿を思わせるようなホールがある。そのホールを行き過ぎて右に折れると、人ふたりが肩を寄せて擦れ違えるほどの急斜面の石段があり、左右に生い茂った木の葉が昼間でも辺りに濃い影を作っている。
 石段に猫が佇んでいる。老婆のような顔をした大柄な猫だ。口笛を吹いてみるが、彫像のように目を閉じたままだ。
 百段ほどの階段を上りきると、急に視界が開けて、子どもがキャッチボールをするのに十分な広場があった。
 現に子どもが四人、軟式のボールでキャッチボールをしていた。
 十歳前後の少年たちだ。どの顔も日に灼けて健康そうな、そして無邪気な表情をしている。
「智(さとし)」と呼んでみる。
 4人の中でも一番小柄な少年が、グローブを持った手を小さく上げる。
「よう」
 私はすべての感情をそこに集約させるように、頬をゆるめながら少年に近づいた。
「よくここがわかったね」
「仮の父親としての勘さ」さらに頬をゆるめながら言う。
 智は、細い肩を軽く上下させながら私を見上げた。
「お母さんはまだ…」
(見つからないの)という問いをまるで自分に納得させるかのようにのみ込んだ。
 右手につかんだ泥だらけの野球のボールが微かに震えていた。
「あせるなよ、智。まだ2日しかたっていない」
「そうだね」
 不思議なほど大人びた表情が、私をどきりとさせた。小さな顔の中にあきらめと希望と、幼さをかくして、少年は私を見上げていた。
「痣、一昨日よりひどくなったみたい」
 少年が私の右頬を見て言った。
「俺は、元ボクサーだ。殴られるのは慣れている」
「でも、痛そう」
「痛いさ。本気で殴ってきたんだからな」
「僕のパパが」
「そう、無責任なおまえの親父がな」
 私と智の父親とは、この2年間同じ会社で働いていた。つまり、同僚だったわけだ。だったというのは、4日前に会社の上司を殺した容疑で智の父親は今、警察で取り調べを受けていた。
 会社は馘首。だから今は、同僚ではない。

 智の父親、伴野吾郎が上司の田中を殺したと言って、深夜私の家に来たとき、驚きはあったが、彼とはたいして親しい間柄ではなかったせいか、戸惑いの方が強かった。
 伴野は人を殺したというわりには、表情にこわ張ったものはなかった。
 会社で見る生真面目な表情を少しくずしただけで立っている姿に、私は違和感を持ったものだった。
「田中が死んだ。」と伴野は言った。
 自分が殺したとは、最初は言わなかった。伴野は、いつものように私から視線を少しはずして、抑揚のない声で言った。
 田中が…死んだ。唐突な出来ごとではあったが、悲しくはなかった。驚きもそれほど強くはなかった。
 直属の上司であること以外に、とりたてて接点のない中年男の死など、私の生活に入り込む余地などはない、私は伴野にそんなことを言ったように思う。
 伴野はそんな私の言葉に驚きもせず、「そうだな。おまえにはなんの関係もないよな。だが、俺が…俺が、やつの人生を止めた男だったとしたら…」と、こもったような声で言葉を繋いだ。
 そう言ったときの伴野もやはり、いつものままだった。
「つまり、おまえが殺ったというのか。あの田中を」
「そういうことだ」
 伴野は、はじめて微かに感情を出して笑った。
 自棄気味の笑いというのではない。普通に笑った。そうとしか言いようのない笑い方だった。
「理由を、聞こうか」
 パトカーのサイレンが聞こえた。遠くだ。闇に消えるように遠ざかっていくサイレンの音。私たちには関係のないサイレンだろう。
 伴野は、首をサイレンの音の方にまわしたが、頬にはまだ笑いがあった。
しかし、闇に目を凝らすと伴野の頬の右側が、かすかに痙攣しているのが見て取れた。


これは、10年以上前から書いている小説の冒頭である。

10数年前の私のキータイピングは大変お粗末で、10行の文字を打つのに30分近くかかっていた。
だから、「文字打ちはちっとも面白くない!」と、苦手なものから逃げて、お絵描きだけに没頭していた。

しかし、没頭していたからといって、そのお絵描きが群を抜いてうまかったわけではなかった。
せいぜい素人を感心させる程度のものだった。
この程度でプロの冠を付けるのは、あまりにも面の皮が厚すぎる。
それは無謀である。
そう考えた私は、広く浅い技術で世の中を渡っていこうと思った。

そう考えると、「文字打ちなんて面白くない」とは言っていられなくなった。
最低限、一般人よりは早く正確に打てるようになりたい。
そう思って、キータイピングに真剣に取り組むことにしたのである。

だが、やっぱり文字打ちは退屈だし、上達の速度も遅々としたものだった。
そこで、それまでの闇雲に打つ方法をあらためて、好きな小説を正確にタイピングすることにした。
これは、ある程度効果はあったが、この方式では集中力が続かないということがわかった。

じゃあ、どうすればいい?
それなら、小説でも書いてみるか、と思った。
他人の書いた小説は面白いが、所詮はひとの言葉だから、のめり込めない。
しかし、自分の考えた文章なら、のめり込むことによって、文章は上達するし、タイピングも上達するのではないか。
そう思ったのである。

その目論見は、ものの見事に当たって、わずかの間に私のタイピングは長足の進歩を遂げた。

頭の中にあるイメージを早く文章にしたい。そうしなければ、忘れてしまう。
そんなもどかしさと競争しながら、キーボードと向き合い、ブラインドタッチに近い打ち方ができるようになった。

だから、私が文字打ちが早くできるようになったのは、この小説のおかげである。

だが、この小説は完結していない。
10年以上かけて、147120文字を打ったというのに、やっと半分が終わったところである。
147120文字といえば、四百字詰めの原稿用紙で約370枚分だ。
それでやっと半分とは、無駄に多く文字を打ったものである。

この小説は、一体いつ終わるのか。
高校2年の息子が、成人するまでに終わるだろうか。
あるいは、小学6年の娘が成人するまで、かかるか。

あるいは、私の肉体が・・・・・・。


2007/11/27 AM 06:55:43 | Comment(6) | TrackBack(0) | [日記]

運命のオナラ
金がない、金がない、と他人に言うのは、下品な行為である。

私が金を持っていようがいまいが、人には関係がない。
金がないことを強調するのは、物欲しげに見えて、人間としての品位を落とす。
親切にも、そう忠告してくれた男がいた。

東京の京橋に事務所を構えるイケメン社長のウチダ氏である。
ウチダ氏は、坂口憲二の彫りをもっと深くしたようなルックスと仏のような心を持った百点満点マイナス一点の男だ。

仕事はできる(と思う)。
人にやさしい(と思う)。
家族思いの男である(と思う)。

彼の事務所に行くと、必ず昼メシを奢ってくれる。
大抵は、ホカ弁だが、それは私が望んだことである。
昼メシは、ノリ弁で十分だ。それ以上の食い物を奢ってもらっても、俺は絶対に有り難がらないぞ! と威張って以来、彼は忠実にそれを守ってくれている。

ウチダ氏は、そんないいヤツなのである。
ただ自分だけ1200円の特注弁当を食い、百グラム4千円の烏龍茶を飲むという成金趣味だけは、何とかして欲しいと思うが。

しかし、スーパードライをいつも必ず飲ませてくれるので、彼の成金趣味には目をつぶってやっている。
彼は、私のために冷蔵庫にスーパードライを常備してくれているのである。
本物の坂口憲二だったら、絶対にそんなことはしない(と思う)。
医龍2」は見ていないので、断言はできないが・・・。

「Mさん、俺が金を貸すよって言っても、絶対にウンと言わないだろ?」
「言ってみろ」
「金、少しばかり都合しようか?」
「ヤダ!!(本当は欲しい)

ヤダ!! と私が言うと同時に、ウチダ氏が大きなオナラをした。

彼は、私が知る限りルックスも含めて完璧に近い人間だが、人前でオナラをこくときだけ、急に偏差値が低くなる。
一点マイナスしたくなる。

以前、彼が会社勤めをしていたとき、彼からよく仕事を貰ったが、その打合せの最中も平気でオナラをしていた。
そして、それを女子事務員が喜ぶものだから、彼は大きな勘違いをして、「俺のオナラは美しい」と思ってしまったようである。

実際は、その会社の女子事務員がオナラフェチだっただけのことだが、ウチダ氏を調子づかせた罪は重い。
目の前で「ブボッ!」という音を毎回聞かされるこちらの身にもなって欲しい。
オナラ好きの女子社員は雇わない、という法案を国会に提出して欲しいものである。

「奥さんの前でも、オナラをするのか?」と以前聞いてみたら、「俺はまだ死にたくない!」と青い顔をして怯えていた。
ヘコキ王子は、奥さんが苦手なようだ。

「どうだ、儲かっているか?」
訪問した側の礼儀なので、一応聞いてみた。
すると、ウチダ氏は、もう一度「ブボッ!」という音をさせながら、「もちろん」と大きく頷いた。

「俺は、Mさんと違って、危ない会社とはすぐに縁を切るんだよ。危ない会社には、必ず前兆があるもんだ。それを見逃すか、見逃さないかで、その人のすべてが判断できる」
「つまり、俺はバカだと・・・」
「そうだ」

耳の痛いことを平気で言う男だが、不思議と腹が立たない。
変に気を遣われるより、断言してくれた方が、気持ちにわだかまりを残さないからだろう。

「でも、Mさんは、それでいいのかもな。偉そうなことを言っても、俺もバカだからさ。Mさんと一緒だと、ホッとするんだよ」
「だが、君は儲かってるんだろ? だったら、バカじゃないんじゃないか」

私がそう言うと、まるで「わかってねえな」というように首を振って、ウチダ氏は、私を指さした。
「運だよ、運! 危ない会社を見逃す見逃さないってのも、運なんだ。そして、人間は運がないときだけバカになるんだ。俺が今ノっているのは、ただ単にMさんより運があるからだよ。本当だったら、Mさんも見逃さなかったはずだが、今回は見逃した。つまり、Mさんに運がなかった。それだけのことだ」

ウチダ氏は、運命論者だったのか。
しかし、彼に運命論はまるで似合わない。
私には、彼は成功するべくして成功した人種に見える。

私が首をかしげていると、ウチダ氏はこう言った。
「俺たちは、前に俺が勤めていた会社がMさんに仕事を出して、親しく話をするようになった。実はあの時は、俺が担当になるはずじゃなかったんだ。最初は、大学を出たばかりの新人が担当だったんだよ。でも、そいつが他の仕事でヘマをして、俺に担当が回ってきたんだ。なあ、これって運だよな? 新人がヘマをしていなければ、いま頃Mさんは、俺の前にはいなかったんだからな」

「そうか、その新人がヘマをしなければ、君のオナラの音を聞くこともなかったわけだな」
「そうだよ。そう思えば、俺のオナラも感動的に聞こえるんじゃないか?」

私の右側の腸が、動き始めていた。
ガスが溜まってきた気配がある。
もしかしたら、今なら出せるかもしれない、と思った。
でかい音が出せそうな気がする。

しかし、ウチダ氏に先を越されてしまった。

あと一秒早ければ・・・・・。
今すぐにでも出そうだったが、この場合、遅れて出しても意味はない。
だから、我慢した。

これも、運命なのか。


2007/11/25 AM 08:17:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

キモチのいいおごられかた
大宮の印刷会社で仕事をした帰り道、また同業者に出くわした。
その同業者のことは、このブログに書いた。

一ヶ月前のことだったが、せっかくお昼をご馳走してくれたというのに、相手がカラオケで演歌を歌ったというだけで、途中で逃げ出すという恥さらしなことをしてしまったのである。

なんて非常識なやつ!
無礼者!

と罵られても仕方のない行為だった、と今は深く反省している。

だから、出っ張った腹をゆさゆさと揺らしながら歩いてくる彼を認めたとき、逃げることを考えた。
会わす顔がない。
今なら逃げられる。
気づかれないうちに、回れ右をしようとした。

しかし・・・・・、
「Mさぁ〜ん!」
大きな声で呼ばれてしまったのである。
しかも、派手に手まで振っている。

まん丸の笑顔を作って、近づいてきた。
どう考えても、前回のことを根に持っていない顔だ。
私が思っている以上に、人間の器が大きいのかもしれない(腹も大きいが)。

「Mさん、カラオケが嫌いだったら、嫌いと言ってよ。俺、カラオケのない世界は考えられないからさ。自分が好きだから、きっと他人も好きだろうって考えちゃったんだよね。いやあ、悪かったね。それでさ、今日は偶然また会ったことだし、お詫びにMさんの好きなもの奢りたいんだけど、いいかな?」

お詫びしなければいけないのは、私の方である。
高級料亭で高い料理をご馳走になったのに、途中で帰ってしまうなど、まともな大人がすることじゃない。
絶交を言い渡されても、文句は言えないところだ。

それを彼は、「俺が悪かった」と言うのである。
明らかに、人間の器が違う。
この人は、とてつもなく大きい人だ・・・心底、そう思った。

心底そう思ったが、「好きなものを奢りたい」と言われると、またも構えてしまう私なのだ。
好きな酒は沢山あるが、奢ってもらいたい食べ物はほとんどない。
寿司は好きだが、奢ってもらうには高すぎる。
ウナギや焼肉、バイキングも心理的に負担になる。

かといって、「マクドナルドのハンバーガーや立ち食いそばでいい」などと言ったら、相手は馬鹿にされたと思うだろう。
喧嘩になるかもしれない。

だから、それは避けたい。
相手の機嫌を損ねずに、この場を逃げる方法はないだろうか。
一瞬考えたが、また逃げたりしたら、誠意を疑われるだろう。
では、どうしたらいい?

迷っていると、「Mさん、俺の言っていること、迷惑?」と見透かされたように言われた。

慌てて、首を左右に大きく振った。

同業者は、それを見て、ホッとしたような顔をして大きく頷いた。
そして、両手を大袈裟に叩いて、私の目を探るように見つめた。
「ああ、もしかして、もうお昼食べちゃったの?」

そうか! その手があったか!
昼メシはもう食った、と言えば、強く誘われることはないはずである。
なぜ、そんな簡単なことが気づかなかったのだろうか。

私は、出来の悪いロボットのように強く首を振って「そう! 食べちゃったんだよね! 食べた食べた!」と声を張り上げた。

同業者は、そんな私を見て、小さく肩をすくめながら「Mさん、嘘が下手だね。俺に気を遣って、そう言ってるのが見え見えですよ。じゃあ、手打ちうどんでどう? うまいうどん屋さんがあるんだけど、一人で入るのは寂しいから、つき合ってくれない? そこ、いい日本酒も置いてあるんだよね。誰にもナイショだったけど、Mさんならいいかな。ねっ、行こうよ!」と一気に言った。

負けました。

駆け引きの苦手な私が、すべてが私より数段大人の彼に勝てるわけがない。
完敗です。
素直に負けを認めて、彼の後について、うどん屋の黒く重々しい門をくぐった。

まず「瀧自慢」という初めて名前を聞く日本酒をご馳走になった。
日本酒はあまり飲まないので表現方法がわからないが、一口飲んで「まったり」という言葉が浮かんだ。
美味いのか不味いのかは、わからない。ただ、「まったり」とだけ感じた。

「うまいでしょ、これ?」
と体を乗り出して、同業者が私の顔をのぞき込んだが、私は「はい、まあ」とだけ答えた。
奢ってやっている相手にこんなことを言われたら、私なら卓袱台をひっくり返すところだが、彼はどこまでも鷹揚である。

「ハハハ、俺もよくわからねえんだけど、ここの大将がいつも薦めるから『美味いね』って言ってるんだ。これ、大将には、ナイショナイショ・・・、ハハハ」
本当にいい人なんですね、この人。

こうなるとなおさら、前回の自分の無礼な行為が思い起こされて、深い反省の念が体中を駆けめぐって、自然と頭が下がり、肩を落としてしまう私なのである。

運ばれてきた手打ちうどんを肩を落としたまま食ったが、太さとコシのバランスが絶妙で、美味かった。
肩が少しだけ上がった。
天麩羅の盛り合わせも、上品な味で衣のサクサク感が最高だった。
肩がさらに上がって、平行になった。

「Mさん、これ美味いよね。ああ、でも・・・Mさんの口には合わなかったかな。俺、自分がいいと思うと、人の好み考えないからねえ。悪いねえ、無理矢理つき合わせちゃって・・・」
天麩羅のカスが付いたテカテカの前歯を全開にして、同業者が頭を下げた。

私も、両手をテーブルについて、深く頭を下げた。
まん丸のおなかをした中年男とカマキリのように細い中年男が、同時に頭を下げている図は、相当おかしい。

笑うしかない。
笑いながらまた「瀧自慢」を飲んだ。

「いやあ、いいねえ。こういう美味いものは、一人で食べても美味しくないからね。今日はよかったよ。ホント楽しかったァ!」

いるんですね、こういう「いい人」って。
久しぶりに、いい時間を過ごした、と実感できたひとときだった。

いや、これは奢ってもらったから言っているわけではありませんよ。ホントに・・・。


2007/11/23 AM 08:18:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

出産には二度立ち合った
予定日よりだいぶ遅れたようだが、友人の一流デザイナー・ニシダ君に、初めての子どもが生まれた。
女の子だった。

ニシダ君はこのブログにも、たびたび登場する(たとえば、コチラコチラ)。

ニシダ君とは、6年前に、私が彼にMacの操作を教えたことで、付き合いが始まった。
しかし、彼は、わずか半年で私を簡単に追い越し、さらにデザイナーとしての感性も瞬く間に追い越していった、情け容赦ない男でもある。

いまや彼は、一流企業をクライアントに持ち、海外でも仕事をこなすという恥知らずなことをしている。
うらやましすぎるではないか。
しかも、彼には女優の仲間由紀恵ナウシカを注入したような若くて美人の奥さんもいる。

しかし、だからといって、世の中が不公平にできているとは思わない。
才能のある人間が受け入れられるのは、当然のことだ。
そして、才能のない人間が、世間から背を向けられるのも、当然のことだ。
ただ、彼に美人の奥さんがいるのは、気にくわないが・・・。

ニシダ君の奥さんのチヅルさんは、酒豪である。
私は、彼女がビールを飲んでいない姿を一度しか見たことがない。
それは、このブログで書いた。
そのときは妊娠中だったから、アルコールを飲まないのは、当然のことではあるが、チヅルさんの手にバドワイザーがないというのは、パソコンにキーボードがついていないのと同じくらい、違和感があると感じたものだった。

私は、この半年間で5回、ニシダ君の仕事場にバドワイザーを飲みにいったが、チヅルさんは5度とも私の前に姿を見せなかった。

「センセイに大きなおなかを見せたくないみたいですよ」とニシダ君は言っていたが、本当だろうか。
私の顔が胎教に悪いと思って、顔を見ないようにしていたのではないのか。
(あるいは私の顔を見ると、我慢していたビールを飲みたくなるので、見たくなかったのかもしれない)

久しぶりに会ったチヅルさんは、私の顔を見るなり、こう言った。
「バドワイザーが、20本しか残っていなかったんですけどォ!」

チヅルさんが、妊娠する前にストックしてあったバドワイザーが約70本。
そのうちの50本を私が飲んだ。
だからと言って、「20本しか・・・」と言われるのは、心外である。

古いビールを産後間もないお母さんに飲ませるわけにはいかない。
鮮度の落ちたビールは産後の体に悪いから、私が全部飲むつもりで、今回新鮮なバドワイザーを10本、手みやげとして持ってきたのだ。
だから、「20本しか、ではなくて20本も残ってしまった」というのならわかる。
私は、親切で飲んでやったのだ。

私の屁理屈に、チヅルさんは「まあ、どうでもいっか!」と早速新鮮なバドワイザーを開けて、私には古いバドワイザーを出してくれた。
しっかりした母親である。

「いつ頃から飲み始めたの」と私が聞くと、まるでそれが当然のような顔をして「もちろん、退院してすぐ」と答えた。
しかし、それはまずいだろう。
母乳に影響があるのではないか。

そうすると、チヅルさんは誇らしげに「努力はしたんですけどね、ワタシ母乳あまり出なかったんですよ。だから、市販のミルクでいいやと思って」と胸を張るのである。
まあ、酒まみれの母乳より市販のミルクの方が絶対に安全だろう。
それは、正しい選択だと言える。

あらためて、チヅルさんの顔をじっくりと見てみたが、産後2週間がたっていたが、母親の顔にはなっていないし、育児疲れの顔もしていない。
少々ふくよかになったが、7か月前に会ったときのイメージが、そのまま残っている。
むしろ、ニシダ君の方がやつれているように見える。

赤ちゃんを見せてもらったが、チヅルさん似で、酒豪顔(?)をしている。
将来が危ぶまれる。

「センセイ、聞いてくださいよ。シンジったら、薄情なんですよ。出産に立ち合ってよっていったら、ブルブル震えて、逃げちゃうんですから。センセイは、二度とも立ち合ったんですよね」
そう言いながら、チヅルさんの右のボディが、ニシダ君に炸裂した。
ニシダ君の顔が歪む。

「だって、そんなの見たら、毎晩夢に出てきそうで・・・」
今度は、左のボディが炸裂した。子どもを産んで、さらにパンチにキレが出てきたようである。

顔を歪めながら、ニシダ君が言う。
「センセイ、二度も立ち合うなんて、おそろしすぎますよ!」

私のまわりの男は皆そう言うが、私は立ち合うことが当たり前のことだと思っていた。
子どもが生まれるその瞬間に、自分が参加できる機会が回ってきたら、それを逃すのはもったいないと思っていた。
子育てに最初から関わる覚悟をしていた私にとって、このチャンスは絶対に逃したくなかった。
だから、立ち合った。

私のヨメも母乳の出が悪い体質だったので、夜中にヨメと交代で起きて、ミルクを飲ませた。
当然のことながら、寝不足になって、仕事中たまにボーッとすることがあったが、こんな経験は今しかできないと思って、その時間を楽しんだ。

子どもの離乳食も交代で作った。
この離乳食づくりが、私が料理にのめり込むきっかけを作ったのだから、何ごとも無駄にはならないと言うことだ。
いま思えば、若かったからできたことだが、この経験は貴重だと思っている。

そんな私の経験談を聞いて、ニシダ君とチヅルさんは、口をまん丸に開けて、こう言うのである。

「へ〜〜! センセイって変わっているんですねェ!」

はい! 私は変人です。
それは間違いありません。

変人は、両手に持ったバドワイザーを交互に一気飲みしながら、赤ん坊の寝顔を涙目で見つめた。
赤ん坊の顔には、命を凝縮した厳(おごそ)かさが宿っていた。
それを見て、また涙目になる。

「あのー、センセイ、泣いてる場合じゃないですよ。約束があったでしょ、半年前の」

半年前?
半年前の約束など、私には、鎌倉時代以前の出来事のように思える。
武蔵坊弁慶が、平泉で立ったまま矢を全身に浴びて息絶えたのは、確か1189年のことだったか。
あれは、壮絶な最期であった。あれこそ、男の死に様である。
アッパレアッパレ!

「おい、オヤジ! そうじゃなくて、ワインのラベルに名前を書くんだろ!」
鋭いチヅルさんのツッコミで思い出した。

そうだった。
ヴィンテージのワインボトルにみんなの名前を書いて、子どもの誕生を祝おうという約束を半年前にしたのである。

シャトーマルゴーの1977年。
名前を聞いても、なんじゃ、そりゃ! としか思わないが、とりあえず約束なので、ラベルに名前を書いて、3人で乾杯をした。

飲んでみて思った。
これは・・・・・、うまいのか?

きっと、うまいんだろうな。
でも俺は、ハイネケンの方がいいな。

ということで・・・、私だけハイネケンをリクエストした。
うまい!
シャトーなんとかよりも、こちらの方が断然キレがある。
最高だ!
ハイネケンをグビグビと呷った。

そんな私を新米の親たちは、ワイングラスを優雅に持ち、ため息をつきながら見つめていた。
そして、その二人の目線の先には、赤ん坊がいる。

「いいかい、決してあんな大人にはなるんじゃないよ」
二人の目は、間違いなく、そう語っていた。


2007/11/21 AM 06:53:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

高崎線の車内にて
熊谷のハウスメーカーが傾いてしまったので、高崎線に乗る機会が減った。

他に、高崎市には懇意にしていただいていたデザイン事務所があって、年に1、2回手伝いに行くことがあったが、その事務所も先週閉鎖されたというメールが届いた。

私のまわりは、景気が悪いようだ(私が一番景気が悪いが)。
もしかしたら、私は彼らにとって疫病神で、関わる人すべてを不幸にしてしまう忌まわしい運命を持っているのかもしれない。

そんな余計なことを思っていたからだろうか、大宮駅で宇都宮線に乗り換えるつもりが、高崎線に乗るというヘマをやらかしてしまったのである。
そして、それに気づかず、電車に乗るとすぐ眠ってしまったものだから、目が醒めたときは籠原駅を過ぎて、深谷駅に到着する寸前だった。

夢も見ずに寝てしまったから寝起きは良かったのだが、「フカヤ」というアナウンスを聞いて、身体全体が瞬時に反応して、飛び跳ねるようにして立ち上がってしまった。
無数の目が私を射るように見る。

なんだこいつ!?
という冷たい視線。

あなたは、そんな幾つもの蔑みの視線を投げかけられたことが、過去一度でもありましたか?
私は、一度だけあります。

20年近く前、友人の結婚式で、1時間遅刻して会場に入り、いきなりピンチヒッターでスピーチをやらされることになったときのことである。

新婦の名前を間違え、新郎が勤めている会社名も間違え、彼が留年をしていないのに、2年遅れて大学を卒業したという勘違いを披露し、新婦の両親が健在にもかかわらず、祖父母の愛情を一杯受けて育てられたと自信満々に語ったとき、まるでシベリア地方のツンドラの真ん中に放り出されたように、まわりが凍りついた。

スピーチの終わり近くに、それは先月出席した結婚式でのスピーチだったと気づいたのだが、時すでに遅し!
新婦の名前を間違えた時点で、なんで俺を壇上から引きずり下ろさねえんだよ! と、ピントのずれた逆ギレを列席した友人にまき散らしたのだが、誰もフォローしてくれなかった。

二次会にも呼ばれずに、背を丸めて結婚式場をあとにした、あの時の惨めさを私は、高崎線の車内で久々に体感した思いがした。

深谷駅でドアが開くと同時に、時速42キロで飛び出した私は、階段を猛スピードで上がり、線路を隔てた反対側のホームに立った。
それから一分もたたずにやって来た上りの電車に乗ると、今度は目をしっかりと開けて、車窓を眺めた。

無駄な時間を過ごしたせいで、心の奥に、とんがった感情が居座っている。
このツンツンした感情は、のどかな車窓を眺めていても、癒されることがなかった。
世界の車窓から」の音楽を頭に思い浮かべたが、ツンツンは消えなかった。

見慣れた高崎線の車窓を見ていると、電車の走る音が「ガッタントウサン、ガッタントウサン」と聞こえるような気がして、耳を塞ぎたくなった。
しかし、車内で耳を塞いだら、また好奇の視線にさらされることになるので、かろうじて我慢した。

耳を塞ぎたくなる衝動と闘っているうちに、熊谷駅に着いた。
午後6時前だったから、学校帰りの学生や仕事を終えたサラリーマンが乗ってくる。

みんな平和そうな顔をしてやがる! と心の中で悪態をつくと、小腹がすいてきた。
私は、怒ると腹が減るたちなので(昼メシを食う金がなかったので、抜いたせいもあるが)、得意先でもらった「ぬれ煎餅」とワンカップ月桂冠(なんでこんなものをくれたのだろう?)をバッグから取り出して、煎餅を一口二口三口かじり、ワンカップのプルトップを引いた。

フタを開けたとき少々酒をこぼしたが、幸い両隣には誰も座っていなかったので、人に迷惑はかけなかった。
私は、酒をチビチビ飲むのが嫌いである。
飲むときはグイグイ飲む派だ。

チビチビでは、酒の味もつまみの味もよくわからない。
ワンカップの3分の2ほどを一気に飲み、煎餅の残りをバリバリと噛み砕いた。
途端に胃が熱くなって、煎餅の芳醇な味と香りを日本酒の匂いが押しのけ、口中に酒臭さが充満した。

自分が臭く感じるということは、他人も臭く感じるということである。
ひとり分の席を置いた左隣の50年輩のサラリーマンが、「なんか、臭せえ!」というような表情をして、私を素早く見た。

すみませんねえ、ワンカップなんか飲んで。
でも、これは私が「いや、こんなものもらっても・・・」と懸命に拒んだのに、得意先のシミズさんが無理矢理押し付けたものなんですよ。
シミズさんは、変わった人ですから、常識が通じないんです。
だから、私は仕方なくもらったんですって!

そう心の中で言い訳をしながら、残りのワンカップを飲み干して、容器にフタをしてバッグにしまった。
そんな私の姿をサラリーマンは、ずっと見つめていた。

まだ、臭いですか?
そうですよねえ、私も臭いと思いますよ。
でも、しょうがないじゃないですか!
シミズさんがくれたんだから、飲まないわけにはいかないでしょう!
人の好意を無にしてはいけないと、幼いころ祖母にいわれたことを私は忠実に守っただけですよ。

ぬれ煎餅が入っていた袋もカップの容器も自分のバッグにしまったのだから、車内を汚してはいない。
私は、誰にも迷惑をかけていない!
文句があるか!


サラリーマンの方を向いて、眉間に皺を寄せて目を細めると、彼は脅えたように目をそらしたあと、慌てて立ち上がって、車両の端まで歩いていき、空いていた席に腰を下ろした。
たまに私の方をチラチラ盗み見るが、そのたびに私は眉間に皺を寄せて、軽く舌打ちをしながら、彼に「優しい視線」を送った。

はたして、彼の目には、私がどんな人種に見えただろうか?
下品な酒飲み? アル中? 職にあぶれたリストラ男?

まだまだ、私は修行が足りない。
頭を丸めて、謝罪会見を開きたいくらいである(古い?)。

懺悔の言葉を呟きながら、大宮駅で乗り換えのため降りようとしたとき、「トウサン」という声に鋭く反応して、声のした方を振り返った。

「うちのオトウサンが、珍しく風邪ひいて寝ているのよ。バカでも風邪はひくみたいよ」
市原悦子に激似の女性が、連れの女の人と肩を寄せ合って、真っ白な差し歯を誇らしげに露出しながら、話をしているところだった。
(どうでもいいことだが、私はよく市原悦子に激似の女性を見かけるのだが、他の人はどうなのだろうか?)

しかし、「トウサン」と「オトウサン」を聞き間違えるなんて、まるで小学校低学年レベルのダジャレ的反応だな。

まだまだ、私は修行が足りない・・・・・。


2007/11/19 AM 06:53:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

181センチのビヨンセ
徹夜明けの日。
徹夜明けというのは、何故か気分がハイになって、仕事が終わっても眠りたくないときがある。

徹夜をしながら、もらい物の「鬼ころし」を3合も飲んでしまったものだから、口は臭いし、体も酒臭いし、何となく居心地が悪い。
酒臭いまま、息子の弁当と家族の朝メシを作った。
家族を送り出したあと、シャワーを浴びようかと思ったが、ボディソープを切らしていたことを思い出した。

そこで、朝メシを食ったあとで、軽く走りながら、ボディソープをドラッグストアに買いに行くことにした。
一番近いドラッグストアは我が家から300メートルほどのところにあるが、その程度の距離を走ったとしても爽快感は得られない。

だから、駅のそばのドラッグストアまで走ることにした。
距離は約3キロ。往復で6キロだ。汗をかくには、丁度いい距離である。
ついでに買い物もするつもりで、小さめのデイパックを担いでいくことにした。

天気はいい。
まぶたは重いが、それは走っているうちにキリッとしてくるはずである。
遊歩道を半分ほど走り、それから細い道に入り、何度も角を曲がりながら駅から400メートル手前のドラッグストアに着いた。

時間は15分もかかっていない。
汗もそれほどかいていない。
ただ、水分補給は大事なので、ドラッグストアに入って、まず115円のアクエリアス500ミリリットルを買った。

これは自動販売機だと150円するが、このドラッグストアでは2割以上安い値段で買える。
115円で売っているものを150円払って買うのは、金持ちのすることである。
だから、私は自動販売機で飲み物を買うことは、ほとんどない。
喉が渇いて死にそうな時は仕方なく買うが、その時は後悔の炎が体中を駆けめぐって、からだ全体が熱くなる。

一旦店の外に出て、アクエリアスをゆっくりと飲んだ。
まれに、店内で買ったものをそのまま飲んだり食ったりしている人がいるが、私にはあれができない。
金を払ったんだから、飲み食いしてもおそらく誰も文句は言わないだろうが、それは何となく見栄えが悪い。

見栄えが悪いとは思うが、かといって、それを他人がやるのは別にかまわない。
自分が金を払って買ったものをどうしようが勝手である。
飲み食いしたものを適切にゴミ箱に捨てれば、文句は言わない。

ただ、私にはそれができないというだけのことである。
飲みかけのアクエリアスをデイパックに入れて、また店内に戻った。
ボディソープを探し「198円」という値段に惹かれ、手に取った。
あとは洗剤と弁当用小分けカップを買うだけである。

店内をゆっくりと歩いていると、先ほどアクエリアスを買った棚の前で声をかけられた。

What taste?(どんな味?)

黒い肌をした女の人が二人。
一人は母親だろう。年はわかりづらいが40歳前後か。
もう一人はその娘さんらしく、おそらく十代。
母親は160センチくらいだが、娘は私と同じくらいの身長がある。
つまり、180センチ。皮膚が黒くて艶がある。睫毛が異常に長い。
ビヨンセに似ている。つまり、美形である。
圧倒される。

その娘の方が、棚の缶コーヒーを指さして、「What taste?」と聞いてきたのである。
それは、カフェオレだった。
「cafe au lait」と書いてあるのだから、コーヒーということはわかるだろう、と思ったが、カフェオレは、彼女たちの生活に密着していない飲み物なのかもしれない。

だから、「milk in coffee」と答えた。
二人は大きく頷いた。
そして、また「What taste is this?(これは?)」と聞かれた。

それはカゴメの野菜ジュースだった。
「Vegetable」と答えた。
すると、二人は大袈裟な身振りで「ベジタボー!」と張りのある声を上げて、肩をすくめた。
野菜ジュースを知らないのだろうか?
ラベルに野菜の絵が描かれているので、わかると思うのだが・・・。

余計なお世話だと思ったが、缶を指さして「good for health(健康にいい)」と教えた。
そうすると、肩を大袈裟にすくめながら、二人して何語かわからない言葉で話し始めた。

「ほんまかいな?」
「野菜をジュースにして飲む? ありえへんやろ? こいつ、嘘言ってるのとちゃうか!」

という感じだったかもしれない。

そして、大柄な娘が私の目を真っ直ぐに見つめてきた。
黒目が綺麗だ。それがキラキラ光っていて、上の睫毛も下睫毛も長いから、少女漫画の世界に足を踏み入れた錯覚さえした。

「There is no tea(紅茶がないんだけど)」
そう聞かれたので、ペットボトルが陳列されている棚を指さすと、彼女は小さく首を振って、「In this type(このタイプで)」と缶飲料の棚を指さした。

そう言えば・・・、と思った。
缶紅茶というのを私は、ほとんど見たことがない。
コンビニでたまに見かけるが、ドラッグストアで見かけたことはない。
缶紅茶は缶コーヒーほど売れないから、小売店から冷たい扱いを受けているのかもしれない。

あるいは、「カンコウチャ」という語感が「カトウチャ」に間違われやすいからか。

カンコウチャ − カコウチャ − カトウチャ。

そんなことを思ったのだが、これを英語で説明する能力が私にはない。
それに、彼女たちが加藤茶を知ってるとは思えないので、「Tea has only bottle(紅茶はペットボトルだけ)」とだけ答えた。

すると、「Only this ?」とまた大袈裟な身振りで言われた。
そうなると、こちらも大袈裟に返すしかない。

「イエース! オンリィー!」

私のその姿を見て、ふたりとも完全にひいたようである。
無言でペットボトルの「午後の紅茶」を手に持って、レジの方に歩いていった。
虚しい心を抱えながら、私もその後ろに続いた。

娘の後ろに並んだのだが、改めて確認すると、でかい!
私より1センチくらい、でかいようだ。

圧倒される。

ビヨンセが私の方を振り向いて、手にしたペットボトルを指さして「ハウマッチ?」と聞いてきた。
レジの店員に聞いたら、「ヒャックナナエンです」と言うので、「ワン・オー・セヴン」と教えたら、「ヒャックナナエン? チョーウケル〜!」と、足踏みしながら笑っていた。

なんで?!


2007/11/17 AM 07:56:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

携帯を無表情に見る人
携帯電話がない生活を送るようになってから、一年以上がたつ。
携帯をやめた経緯に関しては、このブログに書いた。

自由業にとって、携帯電話がないのは致命的である。必ず仕事に支障をきたすだろう。
最初は、そう思っていたが、それほどでもない。
営業や打合せに出かける回数は多いが、あらかじめ固定電話やメールで、時間や場所を決めておけば、あらためて携帯で確認することはない。

また、緊急の呼び出しのとき困るのではないかと思ったが、取り返しがつかない緊急事態はほとんどない、ということが今回よくわかった。
携帯電話を持っていたとき、緊急事態でもないのに、「大変だ!」と電話をかけてくる人がいたが、緊急なのは気持ちだけで、実際の仕事はそれほど急を要さないことの方が多かった。

3〜4時間、連絡が取れなかったとしても、家に帰って対応してからでも間に合うことがほとんどだった。
「大変だ」と言って電話をかけるのは、安心を早く得たいからであって、仕事の緊急度とはまったく関係ないようだ。

それがわかったから、移動の途中は、安らかな気持ちでいることができるようになった。
携帯電話の呼び出しがない生活は、快適である。

電車に乗ってあたりを見回すと、半数以上の人が年齢に関係なく携帯画面を覗いている光景を目にする。
携帯を開いていない人は、たいていは眠っている。

携帯画面を見るか、眠るか、まるで車内ではその二つしか選択肢はないようだ。
昔は、男性の場合は新聞を読んでいる人が相当数いたが、今はあまり見かけない。
携帯電話が、車内では天下を取った感がある。

無表情に携帯の画面を見ながら、無表情に右手を動かす人たち。
その無表情さは、小さい画面を見ているから、どことなく不機嫌にも通じる無表情さである。

まるで誰かのコントを見ているかのように、携帯の画面を個々に見ながら、会話を交わしている女子高生がいた。
右手が器用に動き、口では隣の友だちに話しかけているのだが、無表情である。
隣の友だちの右手も素早く動いて、顔は頷いているのだが、同じように無表情だ。

時々「ハハハ」という笑い声が入るが、笑顔は一瞬で消える。
そして、目はすぐに、携帯画面に吸い込まれていく。
携帯画面に吸い込まれた目を持つ人々が、まわりを埋めている。
不気味ではあるが、それはすでにあたりまえの光景になっているから、誰も何とも思わない。

携帯電話は今さら言うまでもなく、大変便利で革命的なツールである。
人と人を、人と情報を、人と世界を結ぶ役割を、極めて小さな筐体に凝縮したその存在は、ある意味スーパーコンピュータと言ってもいいかもしれない。

このように驚異的な発明と言っていい携帯電話だが、使う人間によって、確実にイメージは変わる。

荻窪の喫茶店に、待ち合わせ時間5分前に行ったのだが、WEBデザイナーのタカダ(通称ダルマ)は、先に来て携帯の画面を食い入るように見ていた。

両目が寄っているから、歌舞伎の見栄を切っているような顔になっている。
ダルマの見栄、それは思いのほか絵になっていて、私は思わず見とれてしまった。
たとえ顔はブサイクでも、極端な絵ヅラというのは、人の目を惹くものがある。

ダルマと臙脂色の携帯電話は明らかにミスマッチだし、その姿からは文明の匂いはしてこない。
しかし、二つまとめてオブジェとしてみれば、これは一つの芸術である。
私は、思わず「ホーッ」とため息をついた。

そのため息を感じ取ったのか、ダルマは顔を上げて私を認めた。
そして、「師匠、師匠!」と言うのである。

「師匠、ブログ読んだんですけど、かなり財政が厳しいみたいですね。いいんですか、俺にサーティワンなんか奢って」
この話は、少々説明を必要とする。
しかし、説明するのは面倒臭いので、こちらを参照してください。

「いいんだよ。約束は約束だ。下手な遠慮なんかしたら、師弟関係を解消するからな!」
私がそう言うと、ダルマは大きく息を吸って、こう言葉を発した。
「いいんですか。オレ本当に食いまくりますよ。マジ食いしますよ」
「ああ、マジで食え」

そこで、サーティワンに移動して、ダルマにアイスクリームを奢ることにした。
ダルマは、アイスクリームにものすごい勢いで食らいつきながら、Tさんとのディズニーランド・デートの模様を、アイスクリームにむせながら休みなく話し続ける。

「うめえ! 今度ディズニーシーにも行きましょうよって話も出て、ああ、うめえ! その他にお台場もいいですねって話も出て、うわぁ、うめえ! みなとみらいもいいなあってオレが言ったらTさんもいいですねって言って、ワオ! 最高! うめえ! これうまいッスよ!」

そのすさまじい光景に、まわりの空気が凍りついているのも知らずに、ダルマはアイスを頬張り続けた。
アイスを食って、まわりを凍りつかせる芸当ができる人間は、この地球に60億の人間がいたとしても、おそらくダルマ一人しかいないであろう。
ダルマは珍種と言っていい。

その珍種が食ったアイスの額は、4千円を超える。
お前は、ギャル曽根か!

「ああ、嬉しいですねえ。オレ、ギャル曽根大好きですから」

ギャル曽根は、いくら食っても太らないが、君は今日で確実にリバウンドの世界に足を踏み入れたことだろう。
そうなるとディズニーシー・デートもお台場デートも、みなとみらいデートも消えてなくなるであろう。

フフフフ・・・・
ダルマよ! リバウンドの恐ろしさを知るがいい!

「えっ、師匠、何か言いました? で、師匠。なんで携帯電話持ってないんでしたっけ?」

うるせえよ!


2007/11/15 AM 06:56:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

タダほど素敵なものはない
突然自転車の後輪がパンクした。

自転車で桶川の得意先に行こうとした途中のことだった。
我が家から桶川までは、15キロ弱。
普段は、10キロ以上の距離は原付で行くことにしているのだが、エンジンオイルが切れているので、自転車で行くことにしたのである。

5年以上乗っているオンボロ自転車。
しかし、大事に使っているので、それほどくたびれた感じはしない(と思っている)。
ただ、何度もパンクしているので、チューブは補修の跡だらけである。
タイヤもよく見ると、擦り切れた跡が無数にある。

タイヤとチューブは、自転車の足である。
その足が、使えなくなった。
桶川の得意先まで、あと2キロの地点。

私の記憶では、近所に自転車屋はない。
ただ、1キロほど戻ると、北上尾のダイソーがあるから、そこでパンク用のパッチと簡易空気入れを買うことができる。

面倒臭いが、今はそれしか選択肢はない状況だ。
パンクした自転車を引きずって、戻りかけようとした。
しかし、思いとどまった。
よく考えたら、金がない。
財布を持ってこなかったのだ。

もっとも、財布を持ってきたとしても、中身が入っていないから意味はない。
得意先までの2キロを自転車を引きずって歩くしかない。
帰りも引きずって帰るしかないだろう。
他のことは全て自信がないが、体力だけには自信がある。

歩いた。
1キロほど歩いたころだろうか、私と同じ速度でトロトロと走っているオンボロワゴン車に気づいた。
白のワゴンだが、ところどころ泥がこびり付いている。
そして、車体の横には、「自転車修理巡回中」と茶色の文字で書いてあった。
おそらくその文字も、最初は赤だったのだろうが、変色して茶になってしまったのだろう。
私の自転車に負けないくらいオンボロだった。

そのオンボロワゴンが私に付きまとう理由は、ただ一つしかない。
「修理をさせろ」ということだろう。
私の自転車の後輪がパンクしているのは、誰が見てもわかる。
自転車の修理屋さんなら、ヨダレが出るほどの状況に出くわしたことになる。
しめしめ、と思ったことだろう。

しかし私は、ワゴンの運転者に「金がない光線」を冷たく送った。
この光線は、冷たくて鋭い。しかも、気体が固体になる氷点温度並に冷たい光線である。
敏感な人間なら「寒!」と言って、背筋が凍るはずだ。
ただ、この光線は受け手側が「冷てぇ!」と感じてくれなければ、何の意味も持たない。

そして、ワゴンの彼は、私が怖れていたごとく鈍感な人種だった。
私の「金がない光線」を「ヘルプ ミィ!」と勘違いしたらしく、車を止めて「パンクしたんですかぁ!」と叫びやがったのである。

はい、パンクしましたけど、それが何か!
無視して、通り過ぎようとしたが、ワゴンの彼はしつこい。
「引きずったままにしていると、タイヤが傷むから、早く修理した方がいいですよ」

そんなことは、わかっている。
金がない、と言ってしまえば、話は簡単に終わるのだろうが、それでは少し惨めだ。
そこで、私は「すぐそこが我が家だから、家に帰って自分で修理する」と言った。

これは、我ながら素晴らしい言い訳だと思った。
これなら、ワゴンの彼も諦めるはずだ。
自分で修理する、と言っている人間をかまっても一銭の得にもならないはずである。
舌打ちの一つもして、通り過ぎると思っていた。

しかし、「あー、でも無料で修理しようと思ったのにぃ」と、ワゴンの彼が言うではないか。

無料?
タダ?
Free?
まさか!

と、心では思ったのだが、顔はニヤケていたようである。
ワゴン車が止まって、ワゴンの彼が出てきて、すぐ私の自転車を点検し始めた。

無料? あり得ないだろう。タダ、と言って油断をさせておいて、実は法外な値段をふっかける新手の暴力自転車屋ではないだろうか?
そう思ったが、相手の体格を見ると、私よりはるかに背は低いし、胸板も薄い。存在感も薄い。
これなら勝てる、と判断して、彼の修理する様子を冷静に見守った。

プロの作業は早い。
「これは、使い込んでるなぁ。いつ空中分解しても、おかしくねえな」などと、失礼なことを言いながら、10分もたたずに修理が終わった。

修理代を請求されたら困る私は、また「金がない光線」を送って、身体全体にバリアを張ったが、彼には効かなかったようである。
「直りましたけど、これはそろそろ寿命ですね。もし新しい自転車を買う時が来たら、うちで買ってください。この券を持って来てもらえれば、2割引きで売るんで、よろしく」
白い歯をオープンにした笑顔で、そう言いながら、ポケットから出した割引券を差し出してきた。

「ホントに、今のタダでいいの?」
券を受け取りながら、私は彼の白い歯を食い入るように見つめた。
白い歯が、「はい」と言うのを確認して、深くお辞儀をした。

外人だったら、ハグをするところだろうが、純粋な大和民族の私には、そんな恥さらしなことはできない。
「ありがとう」を三回言って、また深く頭を下げた。

頭を上げたときには、ワゴンの彼はもう運転席に座ろうとしているところだった。
ワゴンは汚くてオンボロだが、持ち主はカリフォルニアの青い空のように澄んだ心を持っていた(カリフォルニアには行ったことがないが)。
彼は爽やかに左手を振ると、オンボロワゴンをスタートさせた。
オンボロワゴンが輝いて見えた。

そして、ボロい自転車に乗ったボロい男は、「タダほど素敵なものはない」と歌いながら、桶川の青く澄んだ空の下を駆け抜けていった。


2007/11/13 AM 06:48:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

ドタバタ、DOTABATA
私の身辺がドタバタしているときに、民主党もドタバタしていた。

同じドタバタ同士。しかし、そのドタバタの中身は、当然のことながら、まったく異なる。
私のドタバタは、少なくとも誰にも迷惑をかけてはいない。

党の未熟さは、党首の未熟さでもある。
党首が政界再編に関してどんな青写真を書いていようが、こんなドタバタを見せられては、その青写真は説得力のない、ただの空(から)構想としか思えなくなる。

党首は、マスコミに対する恨み辛みを述べているが、今さら何を、という感は否めない。
もともと読売と産経は、公権力の保護者を任じて紙面作りをしているように思える。
朝日は、公権力に逆らう紙面作りだ。
毎日と日経は、中立のふりをしているが、その振り子は、いつも中途半端に揺れ動いている。

こんなマスコミにいちいち反応する党首のどこがいったい「剛腕」なんだ?
ただの神経質な引きこもりオヤジじゃないか。

インターネットを見ると、色々な憶測が書き綴られているが、「剛腕」に期待している人が少なからずいることに、驚かされる。

先の参院選で大勝したから剛腕だ、というのは結果論にこだわる人の考え方である。
大勝した結果、「議会が膠着している」ことを必要以上に負担に感じて、次の一手に悩んでしまった党首の姿は、私にはとても滑稽に思える。
それでは、まるでピエロだ。

動かなくていいときに動く人間は、私には道化としか思えない。
また、責めるべき時に、相手に同調する人間も同じ道化である。

悩むと、人には必ず隙ができる。
そして、そんな人は、その隙に乗じて暗躍する人の餌食(えじき)となる。

噂では、陰で某大新聞の会長が、党首に「大連立」を吹き込んだと言われている。
これは、真偽の確かめようがない噂だから、それが真実かどうかはわからない。
デマかもしれない。しかし、本当である可能性もある。
これは、当事者以外、誰も確証を持つことができない「高次元の」噂である。

だから、このことで某大新聞の会長を責めるのはフェアではない。
噂だけで人を批判するのは、理論の根本が間違っている可能性があるのだから、その推測に説得力はない。

私は、何度も書いてきたが、筋金入りの讀賣アレルギーだ。
私は、讀賣新聞という存在を、心の中で抹消したいと常に思っている人種である。
そんな私であるが、いくら認めていない存在であっても、噂の段階で批判する勇気は持ち合わせていない。

それに・・・、と思うのだ。
大新聞の会長が、まさか政界を手玉にとろうなどという思い上がったことを考えるだろうか?
新聞は、自由に意見を言う媒体ではあるが、世の中をリードする権限は持っていない。
彼らが持っているのは、事実を脚色することなく、公に知らしめる役割だけだ。

そして、彼には政治に関する結果責任はまったくないのだ。
なぜなら、彼は選挙で選ばれた存在ではないからである。
選挙で選ばれた人なら、その人は政界の真っ直中で、正しくても間違っていても、自分の理論を披露し行動する権利と義務がある。

しかし、選挙という手続きを経ていない人が、政界をリードする権利を主張するのは、明らかに越権行為である。
まさか、位を極めた人が、それほど身勝手で盲目的な思考に陥ることはないであろう、と私は思う。
よほど、頭がボケていない限りは・・・・・、あるいは、甚だしい思い上がりを持っていない限りは・・・・・。

そして、国や国民、国益をリードする役割を持った党首が、権利や責任を持たない人間の言うことを聞くことはあり得ない、と私は信じている。
もし党首が、そんな思い上がった人間の意見を真に受けたとしたら、彼はピエロどころではなく、ただの操り人形に過ぎなくなる。

「剛腕」という名のミニ独裁者だけでも、十分に道化なのに、資格を持たない劇作家に操られる政治家など、危うくて日本の将来を託す価値はない。
だから、そんな噂は信じたくない。

ただ、ドタバタした党と党首の姿は、間違いなく私に幻滅を与えた。
私の生活もドタバタしているが、私の場合は、社会に及ぼす影響はゼロである。
私がどんなにドタバタしようが、社会は真っ当な方向に動いていく。

しかし、党首が本当のピエロになってしまったら、サーカスの指揮はいったい誰がとるのか。
ライオンも象もいない集団の指揮なら、ピエロでもできるかもしれないが、彼の戦う相手は、ライオンのふりをしたライオン、象のふりをした象を操る「時代遅れのピエロ」だ。

ピエロと時代遅れのピエロが、真面目に政局を語り合うなど、程度の低い喜劇としか思えない。

このドタバタ劇は、実は党首のシナリオだった、などとまことしやかに解説する人がいるようだが、もしそれが本当にシナリオなら、公人は説明責任を果たす義務がある。

それが説明できないのなら、彼はただのフィクサーであって、政治家とは言えない。
フィクサーは、表に出るべきではない。某大新聞の会長と引退した妖怪のそばで、井戸端会議をしていた方がいい。

民に選ばれた人は、選んだ人の期待に敬意を払うべきである。
涙目で茶番を演じる姿を公衆に見せるなど、政治家としての資格以前の問題である。

辞める、と言ったら辞めるのが、かろうじて彼に残された潔い選択だったはずなのに、彼は前言を撤回した。
その結果、お粗末なドタバタだけが残った。

ドタバタしたPIERO、ドタバタしたへっぽこデザイナー。

ドタバタ、DOTABATA、怒他罵汰、Don\\\\\\\\\\\'t you batter?

ここまで書いて、いつもブログをアップする前に、自分のことを悪く書いていないか毎回チェックしている小学6年の娘が、呆れた顔でこう言った。

「お前大丈夫か? なんだこれ? 意味がまったく通じないぞ。誰がこんなの読むと思ってるんだ。お前の真面目なブログなんて誰も読まないぞ。書き直せ!」 

まあ、たまには、オチのないブログも新鮮でいいかな、と・・・・・。
それに、最近ストレスが溜まっていたので、鬱憤晴らしにいいかな、と・・・・・。

「こんな中途半端なブログ、読むと思うか?」

う〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・?
しかし、オチが思い浮かばない・・・。


2007/11/11 AM 08:09:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

176万円の笑い話
災いは突然やってくる。
そして、連続してやってくる。

9月の終わりのことだった。
東京の弁護士事務所から一通の封書が届いた。

弁護士事務所? まさか? あれか?
と思ったら、本当にその「まさか」「あれ」だった。
長い付き合いの美術書出版会社が倒産したというお知らせである。

寒々とした心で文面を読むと、倒産に至った理由が綴られてあり、最後に債務整理のため、細かな請負代金を教えて欲しいと書いてあった。
教えてあげましょう。
114万3千7百円です。

その会社は、6か月ごとに6か月分の額を支払ってくれていたが、今年の3月と9月の支払いが滞っていた。
それが114万円強!

この会社に関しては、支払いの督促は頻繁にしていたし、部分的に少額訴訟を起こす準備もしていた(そのあたりのことは、このブログに書いた)。
また、我が家の財政が逼迫する前に、マイカーを売って、当座の生活に困らない準備はしていた。
だから、こうなることは、ある程度予測していた。

これは想定内の出来事だ。つまり、いつか倒産するだろう、という心の準備はあったのである。
しかし、そうは思っていても、心の中で膨れあがっていくストレスだけは、抑えようがない。
そして、そのことは誰にも言えない。
せいぜい仕事部屋で「ギャオー!」と叫ぶ程度である。
それで気分が晴れることはないが、とりあえず叫ぶことだけはしてみた。

友人に話したら、気分は多少収まるだろうが、聞かされる方はいい迷惑に違いない。
ひとのストレスのことを喜んで聞くやつはいない。
私も、他人のストレス話なんか聞きたくない。

そんなストレスまみれの1か月が過ぎた10月の終わりに、新たな事態が発生した。
5年以上のお付き合いがあるハウスメーカーからの入金がなかったのである。
ここは今まで、支払いが遅れたことは滅多になかった。
私の取引先の中では、優良と言っていい会社だった。

しかし、約束の日に入金がなかったので、電話をしてみると、社長に信じられないことを言われたのだ。
「不渡りを出しましてね。もう駄目ですよ」

最初は、冗談か、と思ったが、この社長は冗談を言うひとではない。
しかし、わずか5日前に、仕事の打合せをしたばかりである。
デジカメで出来上がったばかりの家を撮って次回のチラシに使う、という話までした。
それなのに、倒産?

青天の霹靂寝耳に水、とはこのことである。
まさか自分の身にこれほどの不幸が襲いかかってくるとは、思いもしなかった。
思いもしなかったが、私の心は冷静に「ああ、これで10社目だな」と思ってしまったのである。

独立して10年、自分が関わった会社が倒産するのを見るのが、10社目という意味である。
これはキリのいい数字だ。なかなか味わえない経験ではないか。
受話器から流れてくる社長の声を聞きながら、そんなことを思った。

現実問題として、ハウスメーカーには62万円の債権がある。
もう一つの会社の114万円と合わせて176万円
それがわずかひと月の間にゼロになるという現実は、笑えない出来事だが、あまりにも唐突なことなので、笑うしかない。

私の経験上、倒産した会社からは、一銭も取れない。
過去、一円でも払ってくれた会社は、一社もない。
仕事というのは、対価があるからこそ仕事なのであって、対価のない仕事は、帳簿だけで処理される「汚点」でしかない。

10回目の汚点。
この汚点は、私の生活にさまざまな影響を及ぼす。
家賃、生活費、子どもの学費、外注先への支払いなどなど。

しかし、「この176万円さえあれば、これほどの苦労は・・・」などと思ってみても、この先何の解決にもならない。
また、10社で500万円の損だな、と汚点の数を積み上げて眺めてみても、何の意味もない。
相手を呪ってもいいが、呪うにはエネルギーを必要とする。
私は、元々そんなエネルギーを持ち合わせていない。

倒産した会社も大変だよ、と思ってしまうタチなのである。
俺の方が大変だよ、とは思えないのだ。

この変に物わかりのいい思考方法は、私の父と姉のおかげだと思っている。

父は、働いた金を家に入れず、その全てを自分の遊びのために使った。
なんで俺が働いて得た金を家族に渡すの? 俺の金だろ?
子ども? 勝手に大きくなるよ。俺には関係ないね。
彼はそう言いながら、結核の手術で左肺の半分を失った自分の妻の前でも、平気で煙草を吸った。
私の父はそんな人だった。

だから、私はそれを見て、こんな風にはなりたくないと思った。
私の母は、そんな夫に何も言わず、勝手放題にさせていた。
「だって、私は働くのに精一杯だからね。それに、文句を言うのも疲れるし」と言って笑うのである。
だから、私は「俺に家族ができたら、できるだけ家族と濃密に接していたい」と思った。

姉の方は、少しでも困難なことがあると、すぐ引きこもり、自分は世界で一番可哀想な人間だと言って、ひとに呪いの言葉を吐いた。
何をしても、自分は悪くなくて、人が悪いと決めつけて世間から背を向けた。

こんな姉を見て、私はひとのせいにしない生き方をしようと思った。
大変なのは自分だけじゃない。息をしている限り、人間はみな大変だ。

しかしそれは、口で言うほど容易ではないから、いつも自分の甘い性格を呪っているが、他人を呪うよりはいいだろうと開き直っている。

人を呪っても、176万円は、どこからも湧いて出てこない。
ゼロになってしまったものにこだわっても、何も生まれてこない。

だから、こんなことは、笑い話にしてしまった方がいい。
笑っていれば、笑いながら生きていれば、笑いながら働いていれば、ゼロは必ずプラスになる。

だから私は、176万円分、笑ってやろうと思っている(まわりからは、気が狂っていると思われるかもしれないが)。


2007/11/09 AM 06:46:13 | Comment(4) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

似たもの同士
マンネリだって、読者からハガキが来たんですよ」
ハヤシさんが、1枚のハガキを私の前に出しながら言った。

それは、毎月5日締めの仕事の2稿目の時だった。
修正が思ったより少なかったので、ホッとしていたときに、突然そう言われたので「まったく!」と思った。
「この人は気分良く会話を終わらせることができないのだな」と心の中で呪った。

ハガキを読んでみた。
ハガキにしては長い文章だったが、要約するとこうなる。

いつも楽しく読んでいます。文字が大きくて読みやすく、スッキリした構成は、目にも優しくて負担にならない。毎号楽しみに見ているが、この方式をずっと続けるとなると、将来もしかしたらマンネリになるかもしれない。少しずつ印象を変えていった方がいいのではありませんか。

文面の中に「マンネリ」という言葉はあるが、「この本がマンネリだ」とは言っていない。
「将来マンネリになるかもしれない」と警鐘を鳴らしているだけである。
だから、私はハヤシさんにこう言った。

「マンネリだ、とは書いてませんね」
「でも、マンネリと書いてある。よく読んでください。『マンネリ』という言葉があるでしょう」
「よく読みましたが『将来もしかしたらマンネリになるかもしれない』としか書いてないですよ」
「だから、『マンネリ』と書いてあるわけでしょう」

殴りたい!

マンネリだ、と言うのと、将来マンネリになるかもしれない、と言うのでは、まったく意味が異なる。
私は、国語の先生になって、これを彼に丁寧に説明しなければいけないのか?

私が黙っているとハヤシさんは、すかいらーくのソファにふんぞり返りながら、勝ち誇ったように、こう言う。
「一人『マンネリ』と思ったら、その陰には、何百人もの声にならない声が存在しているわけですよ。つまりこれは、たった一人の声ではないのです」

確かにそうだ。
珍しく、いいことを言う。
ひとりの意見は、概してひとりの意見ではない。
必ずその裏に、同様の意見の人が隠されていることが多い。

つまり、将来マンネリになるかもしれない、という感想を持っている人が少なからずいる、と考えていい。
私は、ハヤシさんを見直した。

文章の読解力は小学校低学年並みだが、結論は間違っていない。
これがテストだったら、過程が間違っているのだから零点だろうが、答えとしては合格である。

普段だったら、大爆発しているところだった。
いつもだったら、大人気なく、バトルを繰り広げていただろう。
この性格を改めなければ、人間として進歩がない。
いけない、いけない・・・(反省)。

そんなことを思っていると、調子に乗ったハヤシさんが、「まあ、マンネリも一つの芸ですからね。しかし、果たしてMさんに芸があるかわかりませんがね」と言いやがるのである。

殴りたい!

20歳近く年上の人間に、普通そんなことを言うか?!
両手が思わず、グーになった。
左のジャブ2発と右フック1発で、確実にダウンさせる自信がある。
いや、ジャブ1発でダウンできるかもしれない。あるいは、ヒジを目に入れてもいい。

そう思ったが、それをやったら、頭を丸坊主にして謝罪会見を開かなければいけなくなる。
だから、グッと我慢した。

これ以上何か言うと、喧嘩の種が増えてしまうので、黙った。
仕事の打合せは終わったのだから、「では、修正はメールで」と言えば、この場は確実に収まるはずである。

しかし、それを言うのが面倒臭い。
このあたりが、私が大人になりきれないところだ。
黙るのは、トラブルの種を蒔くようなものだということはわかっているのだが、つい黙ってしまうのである。

その姿を見て、ハヤシさんはさらに頭に乗ったようだ。
「まあ、マンネリと言われて開き直るか、心を改めるかは、Mさん次第ですがね。しかし、Mさんが心を改めるとは思いませんが、ハッハッハッ・・・」

普通は、こんなことは言わない。
よほどの悪意がない限りは、絶対に言わない。
しかし、この人は平気で言うのだ。
そうなると、私としても戦闘開始せざるを得ない。

「5年前、この冊子を作ったころは、印刷部数は2千部だった。でも、今は8千部。5年間で4倍ですよ。出版不況と言われている時代に、4倍の実績を作った。それはもちろん俺の力ではないが、少なくとも文句を言われる数字ではない。確かに、将来マンネリになる恐れはあるかもしれない。しかし、レイアウトをするのは俺だが、最終的にそれを認めるのはあなただ。俺がマンネリだったら、そのレイアウトを認めたあなたもマンネリだということだ。評論家面して、自分だけが責任を逃れようなんて思うなよ!」

我ながら、よく言った!
しかし、仕事を請け負う側は、クライアントにこんなことは言わない。
これは、言ってはならないことである。

言ってはいけないことを、平然と人に言う。
つまり、ハヤシさんと私は、似たもの同士だと言うことになる。

5年間、こんなことを続けながら順調に仕事をこなしているのだから、これは一つの行事と言っていい。
我々にとって、このバトルは、クリスマスや正月と同じものなのかもしれない(毎月、クリスマスと正月が来たら大変だが)。

その日は、最後に睨み合って、無言で別れた。

そして、校了の日。
最終校正を渡して、ハヤシさんがそれを見て大きく頷いた。

二人して、すかいらーくでコーヒーを飲んでいた。
ハヤシさんは、いつもはコーヒーにミルクと砂糖を入れる。
しかし、この日、彼はどちらも入れなかった。

「ああ、ブラックもいいもんですね。コーヒーの味が、はっきりわかりますよ。これからは、ブラックにしようかな。これは、体にもいいかもしれない」

それを聞いて、私は身構えた。
珍しく、ハヤシさんの機嫌がいい。

いったい、どうした?
ボーナスでも出たか(いや、まだボーナスの季節ではない)。
彼女ができたのか?(その性格で?)
ミニロトが当たったのか?(神のイタズラで)
茶柱が立ったか?(コーヒーに茶柱は立たない)

色々と考えたが、全身にたつ鳥肌は消えない。
コーヒーが、余計苦く感じる。
吐き気が、のど元まで上ってくる。

鳥肌の粒が大きくなったようだ。

しかし、ハヤシさんは、そんな私を残して「ではお先に」と帰ってしまったのである。
呆然として、その姿を見送る私・・・・・。

なんか、寂しい。


2007/11/07 AM 06:41:28 | Comment(3) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ガリレオ中毒
月曜の夜を楽しみにしている。

ドラマ「ガリレオ」を見るためである。
東野圭吾の原作、主演は福山雅治
しかし、私にとっては、そんなことはどうでもいい。

ただ、柴咲コウを見たいだけで、月曜を楽しみにしている。

私が柴咲コウが好きだというと、なぜかみな「えっ」という顔をする。
どこが(いいの)?! というような顔をする。

その顔が鬱陶しい。

柴咲コウは、数々の名ドラマや数々の名作映画に出演し、たくさんのヒット曲があるにもかかわらず、私のまわりでは大変冷たい扱いしか受けていない。

松嶋菜々子の方が、よくないか?
伊東美咲の方が、美人だよ。
篠原涼子の方が、かっこいいね。

うるせえよ!

しかも、ご丁寧にこんなことまで言うやつがいる。
「ガリレオの原作は東野圭吾の『探偵ガリレオ』だろ? 俺あの小説読んだけどさ、柴咲コウの役は出てこないぜ。あれは、テレビだけのキャラクターじゃないか」

は? それが何か?

私も「探偵ガリレオ」は読んだ。
東野圭吾がベストセラー作家になる前だったから、大宮のブックオフで100円で売られていたものを買って、一日で読破した。

物理学者と刑事のコンビが異色ではあるが、話はそれほど突飛なものではない。
しかし、ミステリィの枠組みの中で、物理学現象を平易な文章で解説していくテクニックは、東野圭吾の作家としての底力を感じさせるものだ。
説明し過ぎない描写力は、短編作家としても、ただ者でないものを感じる。

余談だが、東野圭吾は「探偵ガリレオ」を佐野史郎をイメージして書いたという。
福山雅治とは、まったくイメージが異なる。
東野先生は、そのことをどう思っているのだろうか。ちょっと気になる。

話をもとに戻して・・・、原作にない役だからといって、それが何だというのだろう。
そんな作品は、劇というものがこの世に存在してから、数限りなくあった。
いまさら、何を言っているのだ。

この、ドシロウトが!

こういう馬鹿を相手にしていると疲れるので、「別に・・」と言って、話を進めることにする。

ドラマ「ガリレオ」は、よくできていると思う。
このドラマは、湯川という天才物理学者のキャラクターの秀逸さが、物語全体を引っぱっている。
事件を解明するための実験は、それほど克明に描写しているわけではない。

また、短編小説が原作だから、ミステリィの味付けは、かなり薄い。
物理学を基本とした謎解きは、あくまでもオマケである。

その薄い味付けの物語の中で、湯川というキャラクターは、バランスのいいスパイスになっている。
それを福山雅治が、軽妙に演じている。
彼のドラマを見るのは初めてだが、この軽妙さを見ると、彼の役者としての力量が感じ取れて、新鮮な驚きを感じた。

ただ、彼の軽妙さだけでは、連続テレビドラマとしては弱い。
だから、制作者側は、女刑事を登場させたのだろう。
軽妙さに対比するには、少し強いキャラが欲しい。
小説通りの男の刑事では、湯川とカラーが同じになるから、女刑事を創作して、色を変える。
それは、実に理にかなっている。

テレビドラマというのは、流れていくものである。
それに対して、小説は、言葉を作品の中に埋め込んでいくものだ。
小説では、登場人物の個性は、埋め込まれた文字を介して少しずつ読者に浸透していくが、ドラマの場合は、流れていく俳優の演技で、見る側の網膜に映像を丸ごと焼き付ける。
そこが決定的に違う。

だから、小説とドラマで登場人物が違っても、何の問題もない。
この二つは、最初から表現方法が違うのである。

「女刑事なんか出されると、シラケちゃうんだよね」と言ったマエダ。
君に小説とドラマを語る資格はない。

この、ドシロウトめ!

しかも、「目が怖いよ」なんて言いやがって!
君は、何かやましいことがあるから、あの目が怖いのだろう。
心が澄んでいれば、あの目の輝きが美しく感じられるはずだ。

君が大好きな滝川クリステルは、確かに優しい目をしているかもしれない。
しかし、彼女は女優じゃない。
アナウンサーに目力(めじから)は不要だ。
そこを混同してもらっては困る。

私は心が澄んでいるので、毎週「ガリレオ」を楽しみにしている。
ビデオに録って、MPEGにキャプチャーして(CMは当然カットして)、パソコンで何度も見返している。
仕事中も流しているから、最近は、ガリレオがBGM代わりになっている。

ガリレオ中毒の私。
笑ってやってください。


2007/11/05 AM 07:05:34 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

アホのイナバ
毎月5日締めの仕事で、いつも担当者の悪口ばかり書いている。
今回も2稿目を出したときに、険悪な雰囲気になって、お互い爆発しそうになった。

あまりにも馬鹿馬鹿しい言いがかりをつけられたので、今回も腹立ちまぎれに書いてやろうと思ったが、まだ校了になっていない。
おそらく校了時に、また一悶着あるだろう。
その時に書けばいい。
そう思って、今はグッとこらえている。

だから、書くことがなくなった。
そこで、馬鹿馬鹿しい理由で、奥さんの入り婿になった男・イナバのことを書こうと思う。
彼のことは、以前このブログで書いた。

イナバの旧姓はシマと言う。
彼は、リアルイラストを得意とするイラストレーターだ。
最初は、手書きで描いていたが、4、5年前から手書きの絵をパソコンで仕上げるという工程を踏むようになってから、技術が格段に上がった。

彼の作品は、大変精密に描かれていて、写真と見間違うほどだが、写真と明らかに違うのは、光の反射が強調されて作品全体に輝きがあるところだろう。
これは、見事と言うしかない。
まさしく「プロ」の業師(わざし)である。

ただ、イナバは、イラストレーターとしてはA級だが、人間はB級である。
彼は、カメさん一家のように、先輩に対する言葉遣いを知らない。
最初会ったときから、横柄で態度がでかかった。
彼は私より11歳年下だが、彼の言葉遣いを聞いて、何度か得意の右フックをお見舞いしてやろうか、と思ったことがあった。

礼儀を知らない人間というのは、大抵は世間知らずで、脳味噌のシワが少ない人が多い。
イナバもそうである。
ただ、私は怒りが長続きしないタチなので、なぜかすぐに仲良くなって、今も付き合いが続いている。

そのイナバが、シマからイナバに姓が変わったのが今年の2月のことだった。
その理由は、おバカ丸出しのイナバにふさわしいものだった。

イナバは、それまで東京世田谷の若林というところにあるマンションに住んでいた。
奥さん一匹、子ども一匹、犬一人(?)。
彼の奥さんは、家庭菜園を趣味としていたが、マンションの小さいベランダでは、あまりにも世界が狭くて、不満を持っていた。

そこで、彼女は、「家庭菜園ができる環境が欲しい。欲しい! 欲しい!」と毎日のように駄々をこねて、イナバを責めまくった。
普段は、人の言うことをまったく聞かないイナバだが、奥さんには、きっと弱みを握られていたのだろう。
彼は、奥さんの言うことを聞いて、東京都下に一戸建てを買うことにした。

近くに「貸し農園」があることを条件に、物件探しをし、手頃な物件があったので今年の1月末に引っ越した。
広い庭のある家を手に入れたが、彼の奥さんは「庭で家庭菜園はしたくない。だって貧乏くさいでしょ」というわけのわからない理由で、「貸し農園」にこだわった。
(マンションのベランダで家庭菜園をするのは、貧乏くさくないのか?)

彼は、引っ越したが、その場所には一つだけ問題があった。
普通は、何の問題にもならないものだが、彼はその問題を大きく受け止めた。
引っ越し先の隣の家も「シマ」姓だったのである。

「俺は、幼稚園の時からシマという名前のやつと一緒になったことがない。大学時代もいなかった。社会に出てからもシマという名前に遭遇したことはなかった。だから俺には、そのことに関しての免疫がなかった」
(余談だが、私には他にもう一人、同業者でシマという男がいたが、今は行方不明になっている。もしかして、シマというのは不吉な姓なのかもしれない)

ただ、私から見れば、どうでもいいことである。
誰だって、同じ姓の人に遭遇することは、数限りなくある。
今までなかったとしても、よほど地域的に珍しい名字でない限り、必ず遭遇する。
たとえ遭遇したとしても、「ああ同じですね」で済むことだ。

しかし、アホのイナバには、それが我慢できなかった。
さらに追い打ちをかけるように、彼が年間1万8千円で借りた貸し農園の隣の人が、「シマさん」だったのだ。
そのシマさんは、彼の隣人とは違うシマさんである。

30数年間遭遇しなかった「シマ」に、引っ越した早々二度も遭遇することになったアホのイナバ。
彼の頭は、一気に混乱した。
そこで、彼は常人には思いつかないことを思いつく。

俺が名字を変えればいいんだ!

普通は、誰もそんなことは考えない。
しかしイナバは、とびっきりのアホだから、そういう発想になる。

奥さんは驚いたが、彼女もイナバが「アホ」だということを知っているから、その提案をすんなりと受け入れた。
そして、奥さん以上にそれを喜んだのが、奥さんの両親だった。

イナバの奥さんは二人姉妹の長女だった。
両親は、当然のことながら、イナバ姓を残すには、二人の娘のどちらかに婿を取るのが一番いいと思っていた。
しかし、両親はそれを娘に押し付けなかった。
無理に婿を取るよりも、娘たちの幸せの方を優先したのである。
そして、二人の娘は、嫁に行った。

イナバ姓は、自分たち限りでいい。そんな寂しい覚悟をしていたときに、長女のアホ婿が突然「婿になる」と言いだしたのだ。
両親の喜びがどれほどのものだったか、想像できる気がする。

娘の婿がアホで良かった!
両親は、そう言って跳び上がって喜びを表したに違いない。
アホな婿に、キスの嵐を降らせたかもしれない。
イナバもキスの嵐を喜んで受け入れて、恍惚の表情を浮かべたことだろう。

そういうことで、シマが、イナバになった。
彼の方も4人兄弟の末っ子だったから、入り婿になることには何の抵抗もなかった。

彼がイナバ姓に変わった時、「今までシマで仕事をしていたんだから、名字が変わると不便じゃないか」と聞くと、アホのイナバは、鼻くそをほじりながらこう言うのである。

「いや、全然! シマのころは失敗すると『シマらねえな』と馬鹿にされたが、イナバになってからは、『イナバさん? じゃあ、イナバウアーできますか』って言われるんだよ。だから、得してるかもな」

イナバ君。
君って、ホントに幸せなやつだねえ(私はつくづく思うよ。君は正真正銘のアホだって)。


2007/11/03 AM 07:58:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

二重人格
得意先に行ったら、絵を描いてくれと言われた。
パソコンで? と聞いたら、「いや、手書きで」と言われた。
それも、「今日中に」という大変無茶なリクエストである。

先方の話では、いつも書いてもらっている挿し絵の先生が、子どもが入院したので、今回は絵を描く心境になれない。だから、今回だけ他の人に描いてもらって欲しい、と言ったらしい。

それは、子どもを持つ親の心境としてわかる。
しかし、なぜ、私に?
この人は、私の手書きの絵を見たことがないはず。なぜいきなり、そんな飛躍した話になるのだろうか。

そうすると、彼は「パソコンで絵が描けるんだから、手書きでもかけるんじゃないですか」と頷きながら言うのだ。
世の中には、こういう単純な考え方をする人が多い。

パソコンはパソコン、手書きは手書きだ。
まったく別物ではないか。
しかも挿し絵だ。文章の内容に沿った絵を描かなければいけないはずだ。
それは、かなりの力量を必要とする。

「今日中に」などと簡単に言うが、それは一等航海士に、今すぐセスナの操縦をしろと言っているようなものだ。
無理に決まっているではないか。
心の中では、そう思った。

しかし、そんな心とは裏腹に、私の口は「どんな挿し絵を描けばいいんですか」と聞いているのである。
我ながら、信じられない。つき合いきれない。困ったもんだ。
そう心の中でボヤキながら、クライアントの説明を聞いた。

絵は、携帯電話をかけている女性のポーズだという。
クライアントが親切にも雑誌の切り抜きの中から、同じようなポーズを選んでくれたので、これを描き写すだけでいいようだ。

「ああ、これなら簡単ですね」
と言ったが、簡単なわけがない。今日中とはいっても、午後4時までにというご要望だから、あと3時間くらいしかない。
本当に出来るのか。無理じゃないのか。

私の心はそう思うのだが、口は「頑張ってみます」と言ってしまうのである。
こんな自分が嫌になる。
しかし、自己嫌悪に陥っている暇はないので、早速下絵を描き始めた。

久しぶりのデッサンだ。
しかし、思ったよりも快適に進んだ。
ラフを描いてみたが、なかなかいい。

そんなとき、クライアントが「ああ、そうだ。いつも頼んでいる先生の画風に似せてもらわなくちゃね。画風が違ったら変だもんね」と言ってきた。
それは、最初に言うことではないのか。じゃあ、早くその先生の絵を見せろよ。まったく、段取りが悪いなあ。

そう思いながらも、私の口は「ああ、そうですね。それは似せないとまずいですよね」と言葉を返すのである。
まったくのイエスマンではないか。
情けない。恥知らずにも程がある。

と思いながら、黙々と描き続ける。
かなりいい感じである。俺ってこんなに絵がうまかったんだ。自画自賛。
作家のタッチを似せて描くと、プロっぽい雰囲気が出て表現力が増したような気になる。
描き始めて1時間で、9割方完成した。
線からわざとはみ出して色を塗るのだが、それが立体感を出して、リアリティを感じる絵になっている。

クライアントが覗きに来て、「Mさん、すごいねえ。まるでY先生が描いたみたいだよ。これは、見分けがつかないかもしれないね。よくこれだけ、雰囲気を真似できるねえ。さすがプロだねえ」

そうですよ。私はプロですよ。今頃わかったんですか。
そう思ったが、口では「いやあ、まぐれですよ、まぐれ。こんなにうまくいくなんて、自分でもビックリしてますよ」と言うのである。
深い自己嫌悪を感じながら、1時間半で描きあげた。

出来上がった絵は、自分でもうまいと思う。
プロの絵だと思う。
しかし、これは結局は真似である。
私の絵ではない。

「Mさん、俺、Mさんのこと見直したよ。今までは、何か頼りないと思ったけど、やるときはやる人なんだねえ」
頼りなくて悪かったですね!
まあ、確かに頼りない男ではありますが。

「今度は、Mさんのオリジナルの絵をぜひお願いしたいと思うんで、その時はよろしく」
どうせ、社交辞令だろ。
たとえ絵の仕事があったとしても、絶対Y先生に頼むに決まってるんだから、期待しないで待っていますよ。

しかし、口では「ああ、お願いしますよ。その時は、すぐ駆けつけますんで、よろしくお願いします!」と言うのである。
心の中で、自分を罵った。
二重人格者め!

帰り道、重いため息をつきながら、足どりまで重くなって、腹は減っていなかったが、駅で立ち食いそばをヤケ食いしてしまった。
それも、竹輪の天ぷらとイカの天ぷら、コロッケをトッピングをするという節度のないメニューだった。

家に帰ったら、胃がもたれて、気持ちの悪いことといったら・・・・・。


2007/11/01 AM 06:59:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]



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