Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








追憶の中目黒
二年前から、メールだけの付き合いをしているデザイナーがいる。
彼と会ったのは、昨年の5月の1回だけ。
そのことは、このブログに書いた。

ただ、その時は、個人的な追憶に浸ってしまって、彼のことはまったく書かなかった。
彼はそれをいまだに根に持っていて、何回かメールで抗議をしてきた。
そこで、あまりにうるさいので、彼のことを書くことにした。

こんなつまらないブログでも、「なぜ俺のことを書かない」と本気で怒る同業者がいるのは、驚くべきことだ。
しかし、ギャラを払う必要がないし、人の悪口がネタになるのだから、こちらとしては歓迎すべきことである。
それに、ちょうど書くネタがなかったので、こちらとしても都合がいい。

メル友オオイシは、東横線中目黒駅から歩いて10分程にあるマンションを事務所兼自宅にしていた。
彼の年は聞いたことがない。
見たところ、30歳は超えているように見えるが、私は人の年を当てるのが下手なので、当たっているかどうかわからない。

それなら、年を聞けばいいではないか、と思われそうだが、それが面倒臭い。そんなことは、どうでもいい。
30〜40歳の間と思っていれば間違いない。私より年下だということだけ、わかればいい。

1年半ぶりに行った彼の仕事場。
前回もパソコンの修理で行ったのだが、今回もそうだった。
彼は一流のデザイナーらしい(?)が、機械の調子が悪いときは、その脳味噌が極めて幼稚になる。
「どうしてこんなことになるんでしょうか」というメールが頻繁に届く。
だから、彼から来るメールは、ほとんどが機械に関する相談である。
彼は、パソコンの中を一度も覗いたことがない機械オンチなのだ。

今回は、Firewireで繋げたハードディスクを認識しなくなったという内容のメールが、1日に10回以上送られてきた。
「1回送ればわかるから」と私が返信すると、「1回じゃ、俺の苦労がわからないじゃないですか」と開き直るオオイシ。
つまらないメールでメールボックスを占領されたくないので、仕方なく駆けつけたという次第である。

しかし、これは簡単だった。
私の使い古しのFirewireのカードを彼のマシンに入れたら、すぐにドライブを認識するようになった。
時間にして、10分もかからなかった。

「ありゃりゃ」
無精髭のばし放題のオオイシが、上体をのけ反らせながらリアクションをしたが、その時「ボキッ」と、腰の骨が鳴る音がした。
「運動不足だな」
「俺、高校卒業してから、運動したことないですから」
威張ってやがる。

確かに、見るからに運動が嫌いそうな体をしている。
全体がブヨブヨだ。腕などは、白くてムチムチしていて気持ちが悪い。

「時には、運動して体を活性化した方がいいよ。折角いいところに事務所構えてるんだからさ」
「まあ、いいところではありますが、運動とは関係ないでしょ」
「近くに駒沢公園があるだろ」
「なに言ってるんですか。無茶苦茶遠いですよ。5キロ以上あるじゃないですか」
「4.5キロだ。俺は昔、週に何回か、中目黒の自宅から駒沢公園まで走って、公園内を3周して戻ってきたんだぜ。走れる距離だから、それは近いってことだ」
「・・・・・」

オオイシは大袈裟に首を横に振って、横目で私の顔を見た。尊敬の眼差しではない。
白ムチのお前に流し目で見られても、私の心はときめかないぞ! 気持ち悪いだけだ。

「じゃ、直してくれたお礼に、お昼おごりますんで」
「ラーメン!」
「え! もっといいもの食べましょうよ。俺、昨日ラーメン食べちゃったんですよ」
「それは君の事情。今日のゲストは俺。ゲストの言うことは素直に聞くのが、礼儀ってもんだろ」

渋るオオイシの背を押しながら、目黒警察署近くのラーメン屋に入った。
彼の事務所からは、たった5分ほどの距離だが、オオイシは「めっちゃ、遠いわ!」と露骨に嫌な顔をしていた。
しかし、私は一人思い出に浸る。

たのんだ豚骨ラーメンは、サッパリしすぎていて個性はなかったが、自分が育ったところのラーメンの味だと思えば、それは許せる。
数分歩けば昔の我が家がある、と考えただけで、ラーメンが美味しく感じる。
このラーメン屋は、私がいたころはなかったが、そんなことはどうでもいい。
少し息を吸っただけで、何もかもが、中目黒の匂いがする。

店の前にバス停があるが、私が高校生の時、大雪の日にバスを降りようとして母が転んで、尾てい骨を骨折して救急車を呼んだことを思い出した。
尾てい骨を骨折しても、たった1日で退院して、次の日には銀行に勤めに行った母を思い出して、「俺も、まだまだ苦労が足りない」とため息をつく。
母は強し。私は、いつになったら、母の強さを手にできるのだろうか。
いや、永久に手にできないからこそ、母は偉大なのかもしれない。

「Mさん、これ美味いっすね。これなら、俺、毎日来てもいいですよ」
「うるさいよ! 思い出に浸ってるんだから、話しかけないでくれよ!」
「・・・・・」

食べ終わって店を出た。
店の前は、山手通だ。
中目黒の手前から、真っ直ぐ品川方面に続く道。

私の子どもの頃も、その道は存在していた。
毎日当たり前のように歩いて、学校に通った。
ランドセルやバッグを手にして、そして時に陸上のスパイクを持ったバッグを手に提げて、この道を歩いた。

それは、過去通った道だ。祖母も母も、友だちも通った道だ。
そして、今も続く道でもある。
道は、ただそこにあるだけだが、さまざまな人の人生が通る道だ。
色々な人の人生が染み込んだ道。

慣れ親しんだ東急バスが、私の前を通り過ぎていく。
乗客は数人しかいなかったが、このバスも人の人生を乗せて毎日走っているんだな。

そんなことを思いながら、品川方面に遠ざかっていくバスを私はずっと見つめていた。
バスがどんどん小さくなっていく。
いつか私の思い出も、小さくなっていくあのバスのように、見えなくなる日が来るのだろうか。
それは、とてつもなく怖いことのように思える。

そんなとき、
「Mさん、コーヒー飲みましょうよ。俺、食後には珈琲飲まないと、落ち着かなくて」
爪楊枝を口にくわえたオオイシが、出っ張った腹をさすりながら言った。

「うるさいよ! 勝手に一人で飲めよ! 俺は今、人生を考えてるんだからさ!」

オオイシの目が点になっていた。

悪いね、オオイシ君。
また、機械の調子が悪くなったら、呼んでくれ。必ず駆けつけるから。

でも、また思い出に浸っちゃうかもしれないけどね。


2007/10/30 AM 07:03:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

内田康夫の文庫本が5冊
本は、比較的よく読む方だ。

電車で長時間移動するときなどは、目をつぶると必ず眠ってしまうので、眠気防止に本を読むことにしている(何度も乗り過ごしたことがあるので)。
眠気を誘うような本は読まないようにしているので、エンターテインメント系を読むことが多い。

東野圭吾宮部みゆき船戸与一佐々木譲志水辰夫浅倉卓弥北方謙三藤田宜永真保祐一乃南アサ京極夏彦などが多い。
全て文庫本で、ほとんどブックオフなどの古本屋で買う。
それも100円コーナーのものだけである。

100円コーナーには、新しい本は置いてないので、古い作品ばかり読むことになる。
ベストセラー作家になる前の宮部みゆきや東野圭吾は、新しいものが100円コーナーに並べられてあったが、今はよほどの幸運がない限り、そんなことはない。

だから、最近彼らがどんな本を出しているのか、私はまったく把握していない。
ベストセラーには興味がないので、何が売れているのかまったくわからない。
ただ、小説のいいところは、年月が過ぎていたとしても、文学的価値が下がらないところだ。
年月がたっても、小説の世界が色褪せるわけではない。
だから、古い小説を読んでも、まったく違和感を持つことがない。

私の場合、暇なときに100円の古本をまとめ買いをする。
10冊くらい買って、ストックしておく。
それを、適当に読んでいく。

3か月前に、文庫本を10冊、メッセという古本屋で買った。
ここは消費税込みなので、丁度千円である。区切りがいい。これがブックオフなら1050円取られる。50円は半端なので、損した気分になる。
消費税が7パーセントになったら、もっと中途半端になる。
消費税は、なくてはならないものだろうが、古本にはかけないで欲しい。
貧乏人をいじめないでください。

この10冊の古本は、先週10冊目の真保祐一の「ボーダーライン」ですべて読み終わったから、私の場合、3ヶ月間で10冊のペースということになる。
これが、多いのか少ないのかはわからない。
私の友人は、あらゆるジャンルの読み物を月に50冊読むというから、彼に比べれば、かなり少ない数と言える。

今週は、読む本がなくなった。
しかし、古本屋に行っている暇がない。金もない。
そこで、昔読んだ本をもう一度読み返そうと思った。

本棚がわりの段ボール箱を漁(あさ)って、もう一度読みたい本を点検していった。
京極夏彦の本は全てが厚いから、段ボール箱の中で激しく自己主張している。
どれも面白かったが、今は超長編を読む気にならない。

宮部みゆきの「蒲生邸事件」も厚い。隆慶一郎の「影武者徳川家康」も上中下巻に別れていて、厚い。浅倉卓弥の「君の名残を」も上下巻に別れていて、厚い。
こうしてみると、私は結構長編好きだということがわかる。

自分では意識していなかったが、これはおそらく同じ100円払うなら、分厚い本の方が得をした気分になる、という貧乏くささによるものだと思う。
300ページの本より、600ページの本の方が、絶対に得だ。
普通のハンバーガーと、ビッグマック。どちらも100円だと言われたら、ほとんどの人がビッグマックを手に取るのではないだろうか。これと同じことである(?)。

そんな風に段ボール漁りをしていると、内田康夫の本が5冊あるのを見つけた。
これは、ミステリィ好きの友人が、これだけは読めなかったといって、私にくれたものである。
彼は、ベストセラー作家が書いたものだから面白いに違いない、と思って読み始めたが、20ページくらい読んで挫折したらしい。

だが、一冊読んで、彼はこう思った。
これは、この本が、たまたまつまらなかっただけだ。たくさんの本を書いているのだから、中にはハズレもあるだろう。きっと、他の作品は面白いに違いない。
そこで、もう1冊買って読んでみるが、また20ページで挫折。
それを繰り返すこと、4度。結局一つも読破できなかったという。

「おまえ、内田康夫の本、読んだことあるか?」
「ああ、『箱庭』というのを読んだ記憶がある」
「面白かったか?」
「いや、ただ長いだけだった」
「そうか、でも最後まで読んだんだな」
「ああ」
「じゃあ、やる」

ということで、もらったのだ。
しかし、読む気にならず、3年以上段ボールにしまったままだった。
「箱庭」は、つまらないとは思わなかったが、長すぎると思った。
ダラダラと行き当たりばったりで書いている印象が強かった。

他の本はどうなのだろうか。
「〜殺人事件」というタイトルのものが多い。それだけで、私の読む気は萎える。
本格派のミステリィ作家が、一種のシャレで「殺人事件」と付けるのは許容範囲だが、真面目に「殺人事件」と付けられると、手を抜いているような気がして、本を開こうという気にならない。

そこで、5冊のうち唯一「殺人事件」のタイトルのない「ユタが愛した探偵」というのを読むことにした。

これはつらかった。文体にまったく緊張感がないのだ。
しかし、これは最初はわざと緊張感のない文章を書いて、徐々に盛り上げる手法なのだろうと思った。
そうでなければ、これほどのベストセラー作家が、こんなゆるい文章を書くはずがない。

そう好意的に解釈したが、3分の1読み進んでも、まるで女性向け雑誌の紀行文のような文章が延々と続く。
たとえば「るるぶ」の文章は3頁くらいで終わるから、スッキリ気持ちよく読めるのである。
それが延々と続いたら、間違いなく、ダレる。飽きてくる。

最後に期待しよう。
きっと、最後にピンと張りつめた描写で、一気に盛り上げてくれるに違いない。
そう思って、我慢に我慢を重ねて読み進んだ。
しかし、エピローグの前あたりまで読んで、とうとう匙を投げた。
どこまでいっても、緊張感がない。

もう最後まで読んでも意味がない。
これは、そもそも小説にする程の題材とは思えない。

沖縄が舞台だから、沖縄に興味のある人は感情移入がしやすいかもしれない。
しかし、沖縄に何の先入観も持っていない人間に、紀行文もどきの説明をされてもミステリィとして受け止められない。
ユタをもっと克明に書いていれば、物語に緊張感は出ただろうが、ユタに関しては、又聞きの歴史的背景と感想に終始しているから、沖縄に関する感想文としか思えないのである。

これを傑作と評している人は、当然いるだろう。
沖縄が舞台というだけで、エキゾチックなものや歴史的なものを感じる人には、文体に緊張感がなくても満足は得られるかもしれない。
だが、ミステリィに緊張感を求める私には、ベストセラー作家の筆休めにしか思えなかった。

本を読んでこんなに腹が立ったのは、久しぶりだ。
もし、これを自分で100円払って買っていたら、悔しくて涙を流したことだろう。
100円のハンバーガーを食った方がましだった、と思ったことだろう。
人にもらった本でよかった。

それだけが、救いだった。
(内田康夫ファンの方、ゴメンなさい)


2007/10/28 AM 07:45:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | [こんな本読みました]

先生と呼ばないで
61歳の女性にパソコンを教えることになった。

「通っていたパソコンスクールが突然閉鎖してしまったので、困っている人がいる。
他のパソコンスクールに通おうとしても、遠いから行く気にならないらしい。
折角途中までパソコンを覚えたのだから、何とか年賀状印刷くらいは出来るようになりたい、とその人は言っている。」

同じ団地の知り合いを介して、そんな話を聞いたので、週に1回出張で教えることになった。

同じ団地内ということもあって、歩いて4、5分で行ける距離にその人の家はある。
基本的に土曜日か日曜日に、相手の都合のいい時間を聞いて訪問することにした。
教えるのは、Windows。先方は富士通製の最新のノートパソコンを持っている。

ただ私の場合、Windowsは仕事では全く使わないので、得意とは言えない。

しかし、仕事を受けた以上、得意でないとは言っていられない。
教える前に、一夜漬けでWORDやEXCELの操作を確認し直した。
WORD、EXCELはMacにもあるので、大体のことは把握している。

ただ、真剣に使ったことがない。
今回真剣に使ってみて、「何じゃこりゃ!」と思う点が沢山あったが、Windows使いの人がMacを触ったら、やはり「何じゃこりゃ」になるだろうから、おあいこだと言える。

Windowsは、漢字変換を MS-IME がやっている。
これが今ひとつ、慣れない。
Windowsの達人に言わせると、「OSに組み込まれている漢字変換ソフトで、これほど使いやすくて賢いものはない」らしいのだが、Macの凡人である私はATOKの方が、はるかに使いやすくて賢く思える。

これは、要するに「慣れ」というやつで、使えば使うほど、今使っているソフトが最強のものに思えてくるのは、当たり前のことだ。
俺はATOKの方がいいんだけどな・・・と言っても、今回教える61歳の女性には、通用しないだろう。

とにかく彼女は、来年の年賀状をパソコンで作りたいのである。
そのご要望に応えるのが、プロとしての私の努めだ。
年賀状を印刷するだけだったら、「宛名職人」という便利なソフトがあるが、それだけ使えてもあまり楽しくないので、とりあえずひととおりのソフトを覚えてもらってからにしようと思った。

徹夜でWORDとEXCEL、 MS-IME の癖を何とか把握して、最初の講義の日を迎えた。

61歳のウチダさんは、入力はできる。
速くはないが、正確だ。
文節の変換をするときに、打ち間違いをすることがあるが、変換ソフトの癖を把握して、遅いなりに間違えずに打っている。

素晴らしい! ブラボー!
と私が言うと、「嫌ですよ、先生。からかっちゃ」と頬を赤くする。
こんなことを言っては、ウチダさんに失礼かもしれないが、可愛いおばちゃんである。

しかし、私はパソコンを教えるが、「先生」ではない。
先生という呼び方は困る。
こんなときはいつも「名前で呼んでください」と言っている。

なぜなら私は、ただ意味もなく笑う政治家ではないし、患者を粗末な椅子に座らせて尊大に振る舞う医者でもなく、いじめを見逃す教師でもないからだ。

わからないことをほんの少しだけ、人に教える仕事をしているだけだ。
そして、ウチダさんよりも「先に生まれた」わけでもない。
だから、先生というのは、勘弁してください。

「あらぁ! 先生、面白いですねえ。こんな先生はじめてだわ!」
いや、だから私は先生ではない、と・・・・・。

「じゃあ、何と呼べばいいんですか?」
ですから、名前で。
「ということは、Mセンセイでよろしいんですね?」
まるで、コントである。

私はパソコンを教えに来たのであって、コントをしに来たわけではない。
これでは、2時間の授業が、ほとんどコントで終わってしまう。
だから、冗談交じりに「では、教授と呼んでください」と言った。

「わかりました。教授と呼べばいいのですね? センセイ」
このオバさん。本当に私とコントをするつもりなのか?
それとも私があまりにも頼りなく見えるので、からかっているのか。

もうどちらでもいい!
「では、WORDのページ設定から始めましょうか」
ヤケクソで、講義を始めた。

しかし、「ああ、ページ設定はスクールで習いましたから、他のところを教えて下さい、センセイ。あら、教授だったかしら。どっちだったかしら? Mちゃんじゃ、ちょっと馴れ馴れしいわよねえ。どうすればいいの?」
このオバさん、とことんコントを演じるつもりらしいぞ。

「じゃあ、教官で」
「わかりました、センセイ!」
この日の講義は、結局このやり取りで30分近くを費やしてしまった。

この状態では、いつになったら、年賀状を作れるようになるのか。

「気長にやりましょうよ。まだ2か月もあるんですから。センセイはスクールの先生よりも教え方は上手ですから、大丈夫ですよ、いえ、教官、いえ、教授? あらまぁ、センセイだったり、教授だったり、ごめんなさいねえ」

はいはい、もう好きにしてください。
こうなりゃ、大臣でも、総理でも大統領でもいいですよ。


2007/10/26 AM 07:08:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

だまされて運動会
21日の朝、友人のススキダから電話がかかってきた。

「おい、今日はめまい記念日だな。元気にしてるか?」
「めまい記念日? なんだそれは?」

「去年、おまえがぶっ倒れた日じゃないか」
そう言われて思い出した。去年ススキダの仕事場に行ったとき、強烈なめまいに襲われて、彼に迷惑をかけたことがあった。
その情けない顛末については、コチラコチラ、そしてコチラをお読みいただければわかります。

「どうだ、最近はめまいは大丈夫なのか?」
ススキダは、顔は、まわりが避けて通るほど怖くて気持ち悪いが、気配りの出来る男だ。
絶えず私の体調を気にかけてくれるから、ひとに心配されるのを嫌がる私としては、鬱陶しいのだが、彼には元ナースのキュートな奥さんがいる。
それだけで、私は許してしまうのである。

「相変わらず、走ってるか」
「週に1回ぐらいは、走っている」
「じゃあ、ちょっと降りてこい。いまお前の団地の大きな通りに車を止めている。走る用意をして出てきてくれ」

どういうことだ。
突然、朝早く横須賀からやって来て、「走る用意をしろ」とは、何のつもりだ。
ススキダがジョギングを始めたので、一緒に走ろうということか。
聞くのが面倒臭いので、とりあえず降りていくことにした。

降りていくと、バス通りに停めた車の横に立っていた元ナースが大きく手を振っていた。
薄い青のジャージの上下を着ていた。
背は低いが、均整は取れている。スポーティな格好も似合うようだ。とても、40過ぎには見えない。

「用事が済んだら、ビールをタップリ飲ませてあげますよー!」
「何ですか、用事って?」
「それは、ススキダから聞いてください」

車に押し込まれ、ほとんど何の説明もないまま、千代田区のグラウンドに連れて行かれた。
車の中では、世間話しかしなかった。
それもほとんど、ススキダの奥さんがしゃべりっぱなしだった。
俺は一体、何のために、どこに連れて行かれるのかと思ったが、ススキダの奥さんの話が面白かったので、聞きそびれてしまった。

グラウンドでは、運動会が始まっていた。
グラウンドに散らばっていたのは、大人ばかりだったので、おそらく企業の秋の運動会なのだろう。
しかし、私と同じフリーランスのススキダが、なぜ企業の運動会を見に来るのだ。
もしかして、これは彼のお得意さんの会社の運動会か。

そんなことを思っていると、案の定「大体想像がつくだろうが、俺の得意先の運動会に呼ばれた」と言われた。
ススキダもジャージを着ているので、彼も参加するつもりでいるのだろう。
彼が混じると、どこかの危ない組の運動会と間違われそうだが、そんなことは彼の顔が怖いのでとても言えない。

「最近の若いやつは、走るとあそこが痛いここが痛いと言って、走るのを嫌がるそうだ。だから、走りのスペシャリストのお前に来てもらった。百メートルと部対抗リレーに出てくれればいい。賞品は出る。特に部対抗リレーでは1番を取ってくれ。それが向こうさんのご要望だ」

リレーで1番を取れといっても、私ひとり早くても、他の3人が遅かったら仕方ないではないか。
「大丈夫だ。今回だけ、アンカーは2周走ることにしてもらった。どうせ、運動不足の奴らばかりだ。ビリでバトンを受け取ったとしても、簡単に抜けるさ」

人ごとだと思って、無責任なことを言ってくれるよ。
とは思ったが、運動会と聞くと、なぜか血が騒ぐ。
グラウンドに立った途端、走りたくてウズウズしている自分を感じて、笑いたくなった。

百メートルはご要望通り、1位を取った。
タイムは計っていなかったが、2位を10メートル近く引き離したと思う。
1位の賞品は、電動シェーバーだった。
私は電動シェーバーを使わないので、ススキダにやった。
ススキダは「ラッキー!」と喜んでいた。
キモかった!

リレーは、午前の部、最後の種目だった。
私以外の3人はみな30代はじめ。みんな太っていて、見るからに、不健康な体をしている。特に上半身に筋肉がついていないから、腹だけが目立つ。
他の6つの部のメンバーを見ても、走れそうな人は5人もいない。

移動はいつも車。電車に乗っても、すぐ座席に座りたがる。階段を敬遠して、エスカレーターやエレベーターを探す。
そして、仕事が終わって、うまいもの食って、酒飲んで、家には寝に帰るだけ。
そんなサラリーマンの現実を感じさせる人ばかりだった。

こんな奴らに負けるわけにはいかない。
気合いを入れた。
幸い、私が助っ人をした部は、2位で私にバトンを渡してくれた。
1位との差は10メートルもない。前を走る男の走る姿を見たら、ドタバタ走りである。
若いころは速かったのかもしれないが、今は無惨である。足の筋力がないから、腿がまったく上がっていない。

30メートル走ったところで、追いついた。
2周もいらなかった。1周で十分だった。
後の目標は、全ての奴らを周回遅れにしてやることである。

ゆるい運動会の雰囲気の中で、一人だけしゃかりきになって疾走した。
残念ながら、全員を周回遅れには出来なかったが、ぶっちぎりの1位だった。
チームの人たちとハイタッチをした。ススキダと彼の奥さんともハイタッチをした。
大変いい気分だった。

優勝賞品を受け取った。
スーツの仕立券だった。
私は、クライアントのところに行くときは、ほとんどスーツだが、スーツは夏冬1着ずつあればいいという主義だ。
オーダーメードのスーツなど「ケッ!」という感じである。

それを知っているススキダは、私がもらった仕立券を見て、「お前、そんなものいらないんじゃないか。もしよかったら、ビール3箱と交換しないか。車の後ろに積んであるんだけど、どうだ? 缶ビール72個だぜ。どっちがいい?」と言ってきた。
もちろん、缶ビールの方がいい。

ん? ということは・・・・・。
ススキダの奥さんが、「ビールタップリ飲ませてあげますよ」と言ったのは、このことだったのか。
つまり、彼らは、スーツの仕立券欲しさに、私を運動会まで拉致して、ビールで釣るつもりだったということになる。

なんと、手間のかかることを!

呆れている私に、ススキダがさらに追い打ちをかける。
「午後の部で3千メートルがあるんだけど、お前出ないか? 賞品は、ロデオボーイだ。もし優勝したら、あと3箱追加だ」
ススキダの横で元ナースがウインクをしていた。
それが可愛かったので、即答した。

もちろん、走らせてもらうよ!

一日にビール6箱分を、足で稼いだ。
缶ビール144本!

夢のような一日だった!


2007/10/24 AM 07:02:10 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

気にくわない
「俺たちの時代にシゴキなんてあったかな?」
大学時代の陸上部の仲間サエキが、友だちの近況報告の後、突然言い出した。
彼は、前歯が突出しているので、みんなから「出っ歯」と呼ばれていた(小学生並み。あまりにもネーミングセンスがないと今では反省している)。

「俺は殴られたことはないが、お前は何度か殴られていたような気がするが」
「ああ、でもあれは『愛のムチ』だよ。シゴキじゃない」

そうだろうか。
体育会系のクラブでは、鉄拳制裁は日常茶飯事のようだが、それは本当に「愛のムチ」なのだろうか。
「愛の」とついた時点で、暴力が美化されていないか。

私は仲間も後輩も殴ったことがない(威張るほどのことではないが)。
サエキが後輩を殴るところも見たことがない。

私は、自分たちがコントロールできない人間を「愛のムチ」と言って殴るのは、殴る方に原因があると思っている。
つまり、教える側の説明能力不足。あるいは、腹いせ。

これは極端な話かもしれないが、同じ大学の柔道部の友人は、大学1年の時、髪の毛が5ミリ伸びただけで「たるんでいる!」と言って、殴られたという。
さらに、柔道着を綺麗に洗濯して、真っ白な状態で道場に出てきたら、「ファッションショーをするつもりか!」と言って、殴られたという。

たちが悪い。
これでは、ただの言いがかりだ。
これは、殴りたいやつは、どんな些細なことでも理由をつけて殴る、という典型である。
そこに「愛」など、あるわけがない。

「愛の」と言った時点で、殴ることに対する言い訳になっている。
彼らの頭の中の構図では「自分もそうやって殴られて強くなったのだから、俺だって後輩を殴ってもいいんだ」という意識があるのだと思う。

後輩の時は、我慢して殴られていた。だが、俺が先輩になったら、後輩に同じことをしてやるぞ。
つまり、歪んだ伝統の連鎖の中で彼らは生きているのだ。
その歪んだ伝統を断ち切らないと、シゴキはなくならない、と私は思っている。

私がいた陸上部では、2年生が1年生を教える習慣になっていた。
2年生は、後輩に教えることによって、自分の練習方法を再確認して、悪いところは改めて、後輩と一緒に試行錯誤を繰り返す。
そして、3年4年は、後輩の指導はせずに、自分の練習に専念する。その方が、練習の質が上がるからだ。

3年4年が、後輩の練習に口を挟むことは、ほとんどなかった。
それは、極めて合理的な練習方法だった、と今でも思っている。

ただ、そんなときでも、陸上部OBの顧問から「たるんでいる」という鉄拳が下ることがあった。
そんなときは、完全ボイコットをした。
1年2年のうち誰か一人でも先輩や顧問に殴られたら、全員で示し合わせて、練習に出ないようにした。

もともと実業団に入りたいという希望を持っている部員が少なかったから、練習に執着していなかった。
それに、他の競技と違って、走ることはどこででもできる。
ボイコットの最中は、1年2年全員で駒沢公園に集合して、自主練をした。

部にこだわる必要がないという点では、我々は恵まれていたと思う。
2週間も部の練習に出ないと、必ず顧問がご機嫌伺いに来た。
話し合いをして、顧問は不承不承ではあるが、鉄拳制裁を詫びる、ということで一件落着した。
何度か、そんなことを繰り返すと、それが部の伝統になる。

その結果、私が3年になると「愛のムチ」は、ほとんどなくなった。
時に勘違いした別の熱血顧問が、部員を殴ることはあったが、その時は全員で練習をサボった。

練習するのは、本人であって、他人ではない。
他人に気に入られるために、我々は練習をしているわけではない。
他人に「お前らの練習、気にくわない」と言って、殴られる謂われはない。

鉄拳制裁を美化する人は、この「気にくわない」という感情が、おそらく人一倍強い人ではないだろうか、と私は思っている。

誰だって、他人の言動・行動を「気にくわない」と思うことは、数限りなくあるはずである。
普通はそれを理性で抑える。

しかし、「先輩」という自己の存在を過大に評価する人間は、「気にくわない」というだけで、殴ることを正当化できるのである。
それが、シゴキの構図だと私は思っている。

先頃の相撲部屋での密室殺人に荷担した人たちも、元親方を含めて、その「気にくわない」という感情が、普通の人よりも強かったのだろう。
そして、彼らはそれを自分で制御できないほど、幼稚な人間の集まりだった。

それは、相撲協会というのが、おそらく伝統を勘違いして、幼稚な人間を養成しまくった結果、密室殺人が起こりやすい器になったからではないだろうか。
その伝統というカビの生えた塗料で塗り込まれた器を有り難がる人は、いまだに多い。

相撲協会を擁護する人は、亡くなった若者の生活態度を糾弾する。
だが、生活態度の悪い人間は、若者に限らずどこにでもいる。
それを、相撲社会の特殊性という理由でシゴキを正当化したら、刑務所員による刑務所内の殺人も擁護しなければいけなくなる。

私は、こう思う。
死者が何人も出ているのに、自分たちだけの論理で事態を処理して平然とする相撲社会、そして、それを容認する相撲愛好家という人種も伝統に絡め取られた、ただの「伝統バカ」である、と。

何度も言うが、「気にくわない」というだけで、人を簡単に制裁・消滅し、それを容認するシステムは、明らかにおかしい。

とは言っても、体育会系の集合体側に、この幼稚な連鎖を断ち切る強い意志がなければ、ただ基本的なモラルを彼らに押し付けただけで終わるだろう。

まずは、「愛のムチ」などという、サディスティックマゾヒスティックな言葉を容認している伝統に冒された大人たちを教育し直さないと、この種の悲劇はこれからも起きるに違いない。

私は、そんな自説を、出っ歯相手に力説した。
しかし、出っ歯はこう言う。
「あのさあ、マツ。俺は何度かお前に頭を叩かれたり、ケツを蹴られたりしているんだが、あれは何だったんだ?」

それは、愛の・・・・、いや、神のムチだよ。俺ではなく、神が俺にさせているのだ。神の意志は絶対だ! 出っ歯に、神のご加護がありますように(注記・私はキリスト教徒ではありません)。

「・・・・・・・」


2007/10/22 AM 07:00:38 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

様にならない
大宮駅でばったり会った同業者から、「おごってあげますよ」と言われた。
しかし、「うまいものを食いましょうよ」と言われて、私はためらった。

私は、タダ酒は好きだが、タダメシはあまり好きではない。
寿司を奢ってくれると言われても、あまり嬉しくない(寿司は大好物なのだが)。
ステーキも食いたくない。焼肉もしかり。

高い食い物、と聞いただけで、拒否反応を示す。
これは、子どもの頃の貧しい食生活が影響していると思うのだが、そんなことを人に言っても仕方がない。

だから、「最近ハラ減らないんですよね」と言って逃げるのだが、すると必ずこう言われる。
「駄目だよ、Mさん、だから太れないんだよ」

なんで、俺が太らなきゃいけないんだ?
今の時代、太るというのは、一番敬遠されることではないのか。
それなのに、なぜ私に太ることを強要するのだ。
時代に逆行してないか?

「いやあ、Mさんは、痩せすぎだから。太りすぎはよくないけど、痩せ過ぎもよくないでしょ」
痩せていたって、お前より体力はあるぞ。
お前、20キロを1時間26分で走れるか?
39時間、寝ないで仕事が出来るか?(さりげなく自慢)
人の痩せすぎを心配する前に、その出っ張った腹を何とかしろ!

しかし、抵抗むなしく、彼の行きつけの店まで拉致されてしまった。
大宮駅から歩いて15分ほどのところにある小料理屋である。
一軒家を改築したらしく、京風の日本家屋の古風なたたずまいが、落ち着きを感じさせる店だった。
左右に配置した竹が、ノスタルジーを誘って、小京都を強調した造りになっている。

玄関を入ると、バリアフリーの石畳のエントランスで、6歩進むと竹を貼った床がある。
その感触が大変心地よい。凸凹しているのだが、歩きにくくはない。
壁も珪藻土を使っていて、空気が澄んでいる感じがする。
係の女性も渋い緑色の無地の着物を着ていて、挙措が優雅だ。

これは、高いんじゃないか。
こんなところでご馳走になっていいのか?
もしかして、何か魂胆があったりして・・・。

おれは、金はないぞ。貸してくれ、なんて言われても無理だ。
仕事を回してくれと言われても、ひとに回す仕事はない。
これ以上稼ぎが少なくなったら、父親としての威厳がなくなる(元々ないが)。

そんな余計なことを考えながら、部屋に案内された。
個室である。
10畳くらいあるだろう。床の間がついていて、お決まりのように意味不明の書が掛けてあった。

障子の向こう側には中庭があって、竹林が見える。
これは、高いぞ!
緊張した。

同業者は、席に座るなり、「とりあえず、ビールを」と言ったあとで「おまかせを二人分」と二本指を係の女性に突き出した。

おまかせ料理?
高いんじゃないか・・・・・・。
さらに、緊張した。

「もしかして、ここの常連?」
声が、緊張で裏返ったかもしれない。
喉がカラカラである。

「常連ってほどではないが、月に2回は来るかな」
それは、確実に常連だ。
同業者の着ている服をあらためて観察してみると、高級そうである。
今まで意識したことはなかったが、金持ちなのか?
顔は下品だが、下品な金持ちはいくらでもいる。
人間を顔で判断してはいけないと、むかし祖母に言われたことを思い出した。

ビールと突き出しが運ばれてきた。
あまりにも喉が渇いていたので、ビールをラッパ飲みしようとしたが、上品な係の女性が見ているので、かろうじて思いとどまった。

「お疲れさん」と、同業者がコップにビールを注いでくれた。
なにが「お疲れさん」なのかわからないが、私も「お疲れさん」と返した。
エビスビールの芳醇な味が、喉を潤す。
しかし、1杯では喉の渇きは癒されない。
手酌で、立て続けに飲んだ。

それを見て、係の女性が、「かなり、いける口ですね」と酌をしてくれた。
2本持ってきたうちの8割方を一気に私が飲んだ。
それで、やっと落ち着いた。

「Mさん、飲むとは聞いていたけど、かなりのハイペースだねえ」
同業者が、手を叩いて喜んでいる。

そして、「じゃあ、始めますか」と言われた。

一体何を始めるんだ?
芸者でもよぶのか? 人生初のどんちゃん騒ぎか? しかし大宮に芸者はいるのか?
ドキドキしたが、同業者が持ったのはマイクだった。
来たときから気づいていたが、上品な和室の隅にカラオケセットが置いてあったのだ。
あまりにもアンバランスなので、目を向けないようにしていたのだが、同業者はためらうことなくマイクを持ちやがったのである。

嫌な予感がする。
私は腰を少し浮かして、逃げる準備をした。
同業者が最初に歌ったのは、思った通り演歌だった。

それが誰の歌かは知らない。
しかし、曲調ですぐに演歌だとわかった。
しかも、うまい。得意気である。出っ張った腹が誇らしげだ。相当歌い込んでいるようだ。

だが、私は演歌が苦手だ。
それは、自分の好み以外の音楽を人が評するときに、「ロックは喧しくて聴く気がしないよ。ジャズは、よくわからん。クラシックは、高尚すぎて近寄りがたいね」というのと同じレベルで、演歌が苦手なのである。
ただ、演歌好きの人をとやかく言うつもりはない。私の個人的な趣味で避けているだけだから、演歌が好きな人を否定しようとは思わない。

しかし、目の前で聴かされるのは困る。
これは暴力だ。

2曲目が始まった。これも演歌である。
さらに私の腰が浮いた。
食事がまだ運ばれていない状態で逃げるのは、常軌を逸しているだろうか。
それは、人間としてやってはいけないことだろうか。

もし、沢尻エリカだったらどうするだろうか、と考えた。
しかし、マスコミが作り上げた虚像をもとに推測しても意味はない。
それに、私はホテルや結婚式場以外で「様」を付けられた記憶がない。

3曲目に、やっと料理が運ばれてきた。
私は、これを食べることに集中した。そうすれば、歌に惑わされずに済む。
一心不乱に食った。ビールもおかわりした。
大変うまかった。

同業者の料理は手付かずだったが、私は10分弱で、自分の分を全部食い終わった。
5曲終わったところで、同業者はおもむろに座った。そして、私にマイクを渡した。

私は迷ったあげく、BON JOBIの「Its My Life」をシャウトしまくった。
音程が外れて、ひどいもんだった。同業者は、手拍子もせず、目を泳がせていた。

そして、彼の歌を5曲聴いて、自分で1曲歌ったのだから、義理は果たしただろうと思い、「悪いね。急な用事を思い出したので、帰るよ」と言った。
同業者は、エビの天麩羅を箸でつまんだまま、固まった。
だが、私は「悪いね、悪いね」と同業者に頭を下げ、係の女性に頭を下げながら、全ての人の反応を無視して店を後にした。

これは、非常識な行為だったろうか。

この話を友人のウチダ氏にすると、「おまえがもし有名人だったら」と、呆れた顔でこう言われた。
「Mは、食事を奢ってもらった恩を忘れ、相手が演歌を歌ったというだけで、ふて腐れ、タダ飲みタダ食いをして平気な顔で店を出ていった。彼はわがままで非常識で未熟な人間である。そう言って、マスコミにたたかれるだろうな。きっと、その騒動は2週間は続くだろう。そして、大物女性歌手が出てきて『殴るぞ』と言うかもしれない」

「ということは、俺はM様と呼ばれるのか?」
「いや、おまえに『様』は似合わない。おまえでは様にならない」

わかりにくいシャレをいう友人の頭を、私は腹立ちまぎれに容赦なく張り倒した。


2007/10/20 AM 08:04:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

新聞の解約
またカメダさんの話で恐縮ですが、亀田大毅のボクシング中継で、TBSが亀田寄りの実況、解説をしたといって非難されていた。
私は、中継を見ていないので、それが本当かどうか判断できないのだが、その非難を聞いて、何となく釈然としないものを感じた。

では、讀賣新聞や日本テレビが巨人寄りの解説者を揃えて、巨人寄りの実況をし、紙面で巨人寄りの報道をするのは問題ないのか。
また、これは言いがかりに近い意見だが、朝日新聞やテレビ朝日、NHKが、長いこと電波を占領して、何が何でも「高校野球は清く正しく美しい。みんなで感動しましょう」という放送をするのは、いかがなものか。

ボクシング中継にしたって、世界タイトルマッチとなったら、日本選手寄りの実況、解説をしていると思うし、オリンピック、サッカーのワールドカップやバレーボールの中継の時も、そうだと思うのだが、それはひねくれ者の思い込みに過ぎないのか。

ジャーナリズムやマスコミは、公平であって欲しいとは思うが、権力寄りの報道をしてきた過去のジャーナリズムの歴史を見ると、それが砂上の楼閣であることは、残念ながら疑いようがない。

TBSと亀田一家との利害関係を考えたとき、TBSが実況アナウンサーや解説者に、ある程度の「含み」を持たせるという勘違いは、彼らの過去の経験に照らし合わせると、当然のことのように思える。
そして、その勘違いは、利益を第一に考える企業なら、どこでも起きることである。

メディアの真っ当な正義と、儲けは比例しないのだ。
彼らの志は、いつも「利益」や「スポンサー」に負けているが、企業戦士である彼らはそんなジレンマをいつも感じながら、報道をしているに違いない。

ただし、この構図を理解するのは、至って簡単だ。
TBSは、自社の利益のために、亀田寄りの報道をした(視聴率が取れるから)。
日本テレビは、自社の利益のために、巨人寄りの報道をし続ける(新聞が売れるから)。
テレビ朝日は、自社の利益のために、高校野球を神聖で特別なものとして報道する(安い予算で感動を演出できるから)。

おそらく、こんなことは、今回TBSを批判している人もわかりきっているのだろうが、あまりにも度が過ぎたので、言わずにおれなかったのだろう。
それは、きっと効果を発揮して、利に聡いTBSはこれからは冷静になるはずである。
ただ、あまりにも冷静になりすぎて、最近の報道では、見事な「手の平返し」をしていると聞く。

お決まりのことだが、持ち上げるだけ持ち上げておいて、最後になってハシゴを外すということをしているらしい。
それはつまり、世論と他のメディアに混じって、TBSもこれ幸いと、池に落ちた犬を叩きまくっているということになる。
いくらなんでも、TBSが亀田家をポイ捨てにしたら、それはそれでモラルが問われると思うのだが・・・。


話変わって、ヨメが、讀賣新聞の勧誘員の言葉に負けてしまった。
新聞を6か月取る契約を交わしてしまったのである。
ヨメは、私の讀賣アレルギーを知っているにもかかわらず、洗剤8個と一番搾り6本に負けて、契約してしまったのだ。

冷静に考えて欲しい。
たとえ、洗剤を8個もらって、ビールを6本もらったとしても、せいぜい3千円ではないか。
今新聞を取ると1か月いくらかかるのだろう。5年以上新聞をとっていなかったので正確な金額は忘れてしまったが、4千円近くはするだろう。

4千円が6か月なら、2万4千円。
私は、一行たりとも読まないから、ただゴミにしかならないものを購読して、2万1千円の赤字である。
これほど、もったいないことはない。

まだ洗剤は使っていない。ビールも飲んでいない。趣味の悪いジャイアンツのタオルも袋に入ったまま置き捨ててある。
これを返せば、いまなら、解約できるのではないだろうか。

そう思って、専売所に電話をかけるのだが、いつかけても誰も出ない。
朝と夕方は忙しいだろうからと思って、昼と夜にかけるのだが、無駄に呼び出し音が鳴るだけである。

そこで、今朝早く専売所にかけてみたら、2回目の呼び出しで相手が出た。
しかし、「いやあ、私そういうことはわからないのよ」と電話先のおばちゃんに言われた。
さらに、「責任者の名前は何というのですか」と私が聞くと、「えっ! 責任者なんているのかしら、ここ」と、とぼけたことを言われた。

「じゃあ、伝言をお願いできますか」と聞いたら、「誰に? 誰に伝言すればいいわけ? それがわからないと、伝言のしようがないじゃない」と突っ込まれた。

手強い。

しかし、私は負けないぞ。
絶対に、解約してやる。

「そちらの経営者に、折り返し電話を下さるよう、お伝え願えますか」
「ああ、経営者ね。最初から、そう言えばいいのに」
すみませんね、余計な時間を取らせて。

「経営者なら、すぐそばにいるわよ」
拍子抜けするほど、アッサリと言われた。
私は、この女にからかわれていたのか。
確かに責任者と経営者は別人ということはあり得るが、すぐそばに経営者がいるのなら、すぐ繋げばいいではないか。

絶対に解約してやる。その思いが、さらに強くなった。
電話が経営者に変わった。
私が解約したいと言うと、「ああ、本当は出来ないんですけどねえ」と最初は言ったが、すぐに「じゃあ、とりあえず1か月だけとってください。あとは結構です」と言われた。

ん? こんなに簡単でいいのか。
こちらも悪いのだから、1か月くらいなら我慢できる。もしかして、2か月くらいなら・・・。

「ホントですか? じゃあ、もらった洗剤とかは?」
「ああ。それは受け取っておいてください」と簡単に言われた。
「ええっ! いいんですか?」
自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。

「また、いつかお願いに上がることがあると思いますので、その時はよろしくお願いします」
丁寧な口調で言われた。

つまり、損して得取れ、ということか。
これは、商売の基本である。
専売所の店主に、商売の真髄を見た思いがした。

はたして、TBSの場合、亀田問題で損して得を取ることが出来るか。
経営者の手腕が問われることであろう。

偉そうに結論づけたが、「新聞を取る取らないでバタバタしている男が、偉そうなことを言うんじゃない」という声が聞こえたような気が・・・・・。


2007/10/18 AM 07:00:42 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

クライアントとフリーランスの限界
「あれっ、Mさんの腕、すごいですね。傷だらけじゃないですか。まるで、虐待の跡みたいみたいに見えますけど」
得意先のフクシマさんが、腕まくりした私の両腕を見て言った。

そうなのだ。
私の腕には、火傷の跡や傷跡が無数にある。
火傷の跡は、フライを揚げているときに、飛び散った油を浴びて出来たものである。
すぐに冷やせば跡に残ることはなかったのだろうが、冷やすのが面倒臭くて放っておいた。
その結果として、火傷の跡が残ってしまったのだ。それが無数にある。

その他の傷跡は、子どもの頃飼っていた猫や犬に噛まれたり、引っかかれたりして出来たものである。
猫が、じゃれて両手の甲を思いっきりひっかくと、傷口が盛り上がったようになってかなり痛い。血も出る。
だが、薬も付けずにそのままにしておくから、傷跡が残る。

犬と遊んでいて、犬が面白がって私の手首の上あたりを噛む。
痛いが、犬に悪意はないので、噛ませるままにしていた。すると、その歯形が残って、痣のようになる。
そんなことを何度もしていると、痣が皮膚に染み込んで、その部分だけ赤黒くなるのだ。そんな痣がいまだに残っている。

肘についた歯形は、いま高校2年の息子が2歳頃、私の肘を噛む癖があったため、ついたものである。
彼は、何か嬉しいことがあったり、満たされないことがあるたびに、私の肘を噛んだ。
容赦なく噛むから、皮膚が切れて血が滲んでくるのだが、私は彼の気が済むまで噛ませていた。
その結果、私の両方の肘に、息子の2歳のころの歯形が残ることとなった。

私にとって、これは思い出の傷跡である。

そんな傷は、別にたいしたことではない。
油だって、時に跳ねたいだろう。犬や猫だって、人を噛みたいだろう。
子どもだって、親を噛みたくなるときがあるだろう。
それが、普通じゃないのか。
しかし、人から見ると、それは「変だ」ということになる。

「変ですよ、変! Mさん、変なおじさんですよ。さあ、一緒に!」

フクシマさんが立ち上がって、「変なおじさん」と言いながら踊っている。
私は座って、手拍子をとりながら「変なおじさん」と言う。
フクシマさんと私は、年は20歳離れていて、全てに関して興味の対象や意見が違うが、志村けん高田純次のファンということだけは共通している。

営業に出払って、他に誰もいない彼の会社の応接セットの前で、「変なおじさん」と言いながら踊るフクシマさんと手拍子をする私。
明らかに変である。
酒も入っていないのに、よくこんなことができるものだ。

最後にフクシマさんが「ダッフンダ!」と言って、私がズッコケる。そして、何ごともなかったように、席に戻って向かい合う二人。
なんと微笑ましい光景ではないか。
私は、他の会社では、借りてきた猫以上におとなしく振る舞うが、フクシマさんとは相性がいいのか、たまにつまらないことで盛り上がることがあって、通常なら20分程度で終わる打合せが、1時間半くらいかかることがあった。

フクシマさんは、今年の7月に結婚したばかりの新婚さんだが、彼のデスクの上には、にしおかすみこ似の奥さんの写真ではなく、井上真央の笑った顔がフォトスタンドに入れて置いてある。

「いいんですか。井上真央の写真なんか飾って。にしおかすみこにムチで叩かれるんじゃないですか」
「いやあ、それが快感で」
「変態か!」(頭を叩くマネ)

こんなことができるクライアントは、他にいない。
フクシマさんは、貴重な人である。
漫才の相方にしてもいいかもしれない。
いや、私たちの場合、二人ともボケだから、二人でボケてしまったら漫才は成り立たない。
これは、諦めるしかない。

「で、亀田大毅なんですが、あれはひどかったですねえ」
いきなり話題が変わるフクシマさん。
しかし、これはいつものことだから、こちらにも心の準備はできている。

「ひどかったですねえ」
「本当にひどかったですよ。あれだけでかいことを言って、あれはないでしょ。負けたら切腹って言ってませんでした? いま時分、切腹なんて言うあのセンスのなさは、いったい何なんでしょう。しかも、チャンピオンに対して、ゴキブリですよ。あれは、本当に何なんでしょう」
「何なんでしょう」

「よく見たら、亀田大毅はランキング14位じゃないですか。それで世界に挑戦するなんて、無謀ですよ。なに考えてるんですかね」
「なに考えてるんですかね」

「負けるなら、もう少しいい負けっぷりを見せてくれたらよかったのに、最後はプロレスわざですよ。情けないですよ」
「情けないですよ」

「あれは、マスコミも悪いですね。18歳の子どもを祭りあげて、まるでカリスマ扱いにして。あれじゃ、本人も勘違いしますよ。ひどいもんだ」
「ひどいもんだ」

「・・・・・・」(フクシマさんが、私の顔をじっと見ている)

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました」
「おじいさんは、川に洗濯に、おばあさんは山に芝刈りに・・・」

間髪入れずに、フクシマさんが、「逆だろ!」

こいつ、本当に私の頭を叩きやがった。
「親にもぶたれたことないのに!」
安室奈美恵か!」
アムロ・レイだろ!」

私も頭を叩こうと思ったが、クライアントに対してそんなことはできない。
これが、クライアントとフリーランス漫才の限界である。

「で、亀田大毅の切腹なんですがね」と私。
「おなかにおできが出来たので、それを切って切腹しました、というのは、どうでしょうか」
「あー、それは確かに切腹だ。そうすれば、日本中の人が納得するでしょう」
そのあと、フクシマさんは一拍あけて
「そんなわけないだろう!」

ノリツッコミで、また頭を叩かれた。

このブタ野郎!

と、話をここで終わらせれば、いいオチに(?)なると思ったのだが、書き足りないことがあったので、追加します。

このブログでも何度か書いているのだが、私は29歳の時に、約1年間ボクシングジムに通っていたことがあった。
衰えていく肉体をなんとか蘇生させたいとの思いから、真面目にジムに通った。

プロを目指す人と同じ真剣さはないにしても、ボクシングを肌で知っているのだから、私にも言う権利はある。
それは、レフェリーが勝者のコールをした後のことについてである。

ボクシングは、殴り合うスポーツだが、相手を憎くて殴り合うわけではない。スポーツのルールにのっとって、ルールの範囲内でパンチを使うのである。
私は、負けた相手が勝者を讃え、敬意を表する光景をいつも美しいと感じていた。

判定が出た後は、お互いを讃えて、グローブを合わせたり抱き合うのが、長いラウンドを戦った相手に対するマナーだと思っていた。
そして、観に来てくれた観客に対して、感謝の意を表す(たとえ負けたとしても)。

そんなことは、もちろんルールブックには載っていないが、スポーツを愛するものなら、当然してくれるものだと信じていた。

私は、実況を見ていないので、又聞きではあるが、亀田選手は、それをしなかったという。
それでは、ゴキブリ呼ばわりが、ただの嫌がらせだったことになる。
まるで幼稚園児のように、ただ感情をぶつけただけだったことになる。

プロとしてリングに立った以上、降りるときもプロとして降りて欲しかった。
極道だって、もう少しまともなスジの通し方をするのではないだろうか(極道の世界は、よく知らないので、これは無責任な感想だが)。

どちらにしても、同じリングに立ったもの同士、最後は相手を尊敬して、お互い納得してリングを降りるべきだと思う。

それをさせなかったのは、いったい誰だったのか。

私は、今回のことで一番重要なのは、そこだと思っている。
果たしてJBCの処分は、そのことがわかった上での処分だったのか・・・。


2007/10/16 AM 07:06:47 | Comment(6) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ズバリ言ってくれ
仕事は、絶好調だ。
同時進行の仕事が3件あったが、そのうちの2件は、最初に提示したイメージ戦略のデザインが通って、1週間弱で校了になった。
ハウスメーカーのチラシだけは、イメージ重視のデザインが没になったが、これは毎度のことなので、気にしていない。

仕事が順調にいくと、発泡酒が美味い。
しかし、そんなときに川崎の実家から電話がかかってきた。
「あのね〜」という空気が漏れたような声を聞くと、気持ちよくのど元を通り過ぎていった発泡酒が逆流してくるような気がして、思わず口を押さえた。

私は冷淡な男である。
血の繋がった姉に対して、これほど冷淡な弟はいないのではないかと、常日頃思っている。
私が、姉に対して冷淡になる理由は数限りなくあるのだが、それを言っても言い訳にしかならない。

ただ、姉はアル中である、とだけ記しておきます。
そのアル中の姉から「あのね〜」という電話。
いつもは、泣き喚くか、見ず知らずの他人を罵倒するか、意味不明の叫び声をあげるだけの電話しかしてこないから、この「あのね〜」には、驚いた。

新しいテクニックを覚えたのかと思って、緊張した。
電話を切ってもいいのだが、母に辛く当たられても困るので、切るのを我慢した。

午後8時過ぎ。
毎晩必ず7時丁度に缶酎ハイを飲み始めるから、この時刻は、酔いが脳神経の隅々まで回り始めるころだろう。
姉から意味不明の電話がかかってくるのは、大体この時刻だ。

そして、姉が私に電話をかけてくるのは、母が具合が悪くて、早く寝てしまったときだけだ。
欲求不満のはけ口が寝てしまうと、残されたはけ口は、この冷淡な弟しかいない。
どんなに冷淡な弟であっても、彼女にとっては、いないよりはましな存在である。

「あのね〜」
いったい、何度その言葉を繰り返したら、話が前に進むのだろう。
しかし、それを言っても、意味はない。
彼女には、私の声が届かないからだ。
子どもの時からそうだった。

自分のことを理解してもらえないと、すぐ逆上するが、人の話にはそっぽを向く。それどころか、「うるさいわね」と言って、耳を塞ぐ。
彼女にとって、ひとの言葉は全て暴力なのだ。
そんな姉の性格は、この50年間まったく変わっていない。

「あのね〜、犬を飼いたいんだけど」
ようやく、話が進んだ。
犬を飼いたい?
それは、無理だ。病弱な母親の世話もできない人間が、犬の世話などできるわけがない。
そう思ったが、それを口に出していうほど、私は残酷な男ではない。

それに、アニマルセラピーという療法もある。
動物の世話をすることにより、姉が、他者を思いやるこころを持つ可能性もある。
限りなく低い可能性ではあるが、ゼロではない。

だから私は言った。
「ああ、いいかもね。でも、いきなり犬を飼うのはどうかと思うよ。今は、大きなペットショップで動物のレンタルをしているところがあるから、何度かそういうところに行って、慣れてから飼うことにした方がいいね」

それに対して姉は、
「もういい! 面倒臭い!」
一方的に電話を切ったのだ。

何がお気に召さなかったのだろうか?
よくわからないが、これはメモしておいた方がいいだろう。

私は極めて冷淡な弟だが、母のために、姉のことでメンタルクリニックなどに何度か相談に行ったことがある。
姉の日常を細かく書いて、最近の出来事を時間軸に沿ってメモをしておくのだ。
それは、多少は役に立つらしく、それを読んだ医者は「ああ、これは参考になります」と言ってくれる。

ただ、どの医者も診察結果は同じである。
「アルコール中毒ですね。一回、ご本人をお連れ下さい」

本人が医者に行ってくれたら、私が何度も医者に相談に行く必要はない。
本人が頑として動かないから、私が相談に行っているのだ。

「しかし、ご本人がその気にならなければ、治療は無理です。アルコール中毒さえ治れば、お姉さんは、いたって普通の人ですよ」
直接診てもいないのに、医者は、自信を持って断言した。

普通の人か。
本当に姉は、普通の人なのか。

私が小学4年の時、こんなことがあった。姉は、中学1年だった。
我が家では、犬を飼っていた。中型の雑種である。
名前は姉が付けた。チャコという名だった(オスだったが)。

姉はチャコの世話はまったくしない。
近づこうともしない。自分が名前を付けたのに、名前を呼ぶことさえしない。
しつけやエサやり、散歩は全て私の役目だった。

姉はこう言う。
「私は、猫の方が好きなんだ。猫の方が可愛いから」
それを聞いた母が、子猫のいっぱい載った写真集を買ってきて、姉に与えた。
姉は「わー、可愛い! やっぱり猫は可愛いよー!」と、毎日飽きずに写真集を見ては、声を上げていた。

猫は可愛い! 猫は可愛い! 犬なんか大っ嫌い!

そんなとき、私の同級生から、「俺のうちの猫が子どもをたくさん産んだから、1匹子猫をもらってくれないか」と言われた。
私は、姉が喜ぶだろうと思って、その子猫をもらうことにした。
猫の名も、姉が付けた。リリィという名だった(オスだったが)。

しかし、リリィが姉のそばに寄ってくると、姉は「来ないでよ!」と金切り声を上げるのだ。
最初は、「怖いのかな、でもすぐに慣れるだろう」と思ったが、姉の態度はずっと変わらなかった。
写真集の猫を見ると「可愛い!」と言うのだが、本物の猫に対しては「来ないでよ!」というばかりだった。

ただ、動物の嫌いな人はいくらでもいる。
好きだ、と言いながら触れない人もいるだろう。
だから、これは取り立てて変なことではない。

私が「この人は変だ」と強烈な印象として残った出来事。
それは、子猫が我が家に来て2週間が過ぎたころのことだった。

庭で姉が、犬小屋で寝ているチャコに向かって、何か言っているのが庭の外にいた私の耳に入ってきた。
庭を覗いてみると、姉が犬小屋から3メートル近く離れたところで及び腰になって、犬に向かって話しかけていたのである。

「アタシには、リリィちゃんがいるんだからな。あんたの世話なんかしないよ。エサだってあげないよ。おまえみたいな女、大っ嫌いだよ!」
それを聞いて、この人は、いったい何を言ってるんだと思った。
姉は、一度だって犬の世話をしたことはないし、エサをあげたこともない。
それに、チャコはオスである。メスではない。

姉は、女性に対して、なぜか敵意を持っている。
相手が、頭脳明晰な人か高学歴だとなおさらだ。
ただ、美人は好きなようだ。姉は子どもの頃から吉永小百合に憧れている。松嶋菜々子のことも気に入っているようだ。

以前、一度だけ、姉がとても機嫌がいいときがあって、珍しく抵抗なくメンタルクリニックまで連れ行くことができた。
人生には、一度くらいは奇跡があるものだ、とその時思った。

しかし、姉は主治医が女医だとわかると、途端に顔色が変わって、暴れ出したのだ。
あまりの醜態に、母は具合が悪くなってそのまま入院したが、そんな母を見ても姉は「女医なんか信用できるか!」と叫ぶだけだった。

目をつぶっているチャコに対して、姉は続けて言う。
「リリィちゃんは可愛いぞ。女の子だからな(オスだったが)。私の言うことは何でも聞くんだぞ。おまえとは、違うんだぞ」
彼女はそのあと、とても書き記すことができない強烈な言葉を吐いた。
今こうして書いていても、その時の光景が、つい最近のことのようによみがえってきて、背筋が寒くなる。

その時の私は、何かおそろしいものを見たような重い呪縛に囚われて、まるで内臓や筋肉が凍りついたように立ち尽くしていた。
しかし、もう一人、立ち尽くしていた人がいたのだ。
私たちの(母方の)祖母だ。

祖母は、縁側で姉の姿を見ていた。
祖母の横顔は青ざめていて、小さく唇をかんだまま、無防備に硬直していた。

祖母は若いころ、師範学校の先生をしていて、教え子たちが、たまに我が家に挨拶に来たときに、誰もが「先生には、いつも褒めていただきました」と言って、同じような感謝の言葉を述べていた。

そうなのだ。祖母は、いつも褒める人だった。
本人がいないときでも、彼女は誰彼なく褒めて、人のことを悪し様に言うことのない人だった。
人を褒めるときの、彼女の笑みを湛えた細まった目が、私は好きだった。

その祖母が、青ざめた顔をして、無表情に立っている。
それは、10歳の私にとって、初めてと言っていいほどの衝撃だった。
祖母は、何となく気配を感じたのかもしれない。
顔を横に小さく動かして、私の姿を認めた。
祖母の顔には、戸惑いと哀しみが薄い影をさしていた。
そして彼女は、私がはじめて見る弱々しい笑みを作って、私を手招きした。

まだ犬に向かって汚い言葉を吐いている姉に気づかれないように、私は耳を塞ぎながら、祖母のいる縁側まで足音をたてずに歩いていった。

そんな私に祖母が言う。
「私はね、おまえのお父さんも心配だけど、おまえの姉さんの方がもっと心配だよ。あの子は、臆病だから他人を傷つけることはできないけど、家族は傷つけるだろうね。傷つけても何とも思わないだろうね。それだけは、百歳になっても治らないと思うよ」

どんな教え子でも褒めて育ててきた祖母が、こころを動かせなかった人間が二人いる。
それは、彼女の娘の夫と私の姉だ。
いま思えば、祖母は私が想像する以上に、姉に対して無力感を抱いていたのかもしれない。

その祖母は、その5年後に亡くなった。
彼女の予言を、私は忘れることができない。

医者は「お姉さんは、アルコールさえ控えれば確実に治りますよ。普通の人ですから」と断言した。
祖母は「あの子の性格は、百歳になっても治らないよ」と予言した。

いったい、どちらが当たっているのか?

誰かさんに、ズバリ言ってもらいたいものである。


2007/10/14 AM 07:57:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

4年ぶりの再会
「オレが今どこにいると思う?」
午後8時過ぎ、カネコの声が受話器から聞こえてきた。
酔っているようだ。

「Wだろ? それも、一人で飲んでるんだな」
Wは、私とカネコたちが、大学時代よく通った飲み屋である。
ここは、渋谷警察場外馬券売り場の間にある店で、当時大学生にも「つけ」が聞く店だった。

金のないときでも飲めるので、大変重宝した。
しかし、2回以上支払いが滞ると出入り禁止になるので、支払いにはいつも気をつかっていた。
思えば、金の計画的な使い方や飲み屋での会話のマナーなど、社会人になる準備をこの店でさせてもらったような気がする。
つまり、いい飲み屋だったということだ。

Wは、奥行きはあるが間口が狭いカウンターだけの店だ。
主人は当時50過ぎの愛想のいいオヤジだったが、今は代替わりして、彼の長女が妹と二人で切り盛りしていた。
娘二人は、オヤジと違って、ものすごく口が悪かった。

もう三年以上行っていないが、以前行ったときは昔とまったく変わらないたたずまいで存在していた。
古い芸人の色紙が壁に貼ってあるが、一番新しいものでも1980年代のものだから、まるで時が止まったような風情の飲み屋である。

「いま、芋焼酎を飲んでいるところだ」
カネコの声の後ろには、古いフォークソングが流れていた。
この店では、いつも吉田拓郎泉谷しげるかぐや姫などの古い歌が流れている。
私は、昔を懐かしむ趣味があまりないので、これだけは辟易する。

私がWから足が遠ざかった理由は、この音楽にある。
カネコは、「これがいいんだよ」と力を入れて賞賛するが、私は受け入れられない。
これさえなければ、居心地のいい飲み屋だけに、もったいない気がする。

カネコからの電話は1年ぶり以上だ。
私からは、今年の3月にかけたので、7か月ぶりの会話になる。
私は、友人とはあまり濃厚な付き合い方をしない。
会えばいつも「オレ、おまえ」で話すから距離感は感じないが、普段はあまり友だちの存在を思い出すことはない。
電話もしないし、メールもしない。

3年4年会わないことも、珍しいことではない。
カネコとも4年近く会っていないはずである。
みんな生きていくことで精一杯の年頃だ。
友だちの顔を思い出したとしても、仕事が飛び込んでくるわけではない。

「ショウコが、この夏帰ってこなかったんだよ」
ため息とともに、言葉が吐き出されてきた。
酒臭さが、受話器を通して押し寄せてきそうな錯覚を覚えるほど、濃厚なため息だった。

ショウコは、カネコの奥さんの連れ子だ。
ショウコとカネコに血の繋がりはないが、二人は誰よりも親子らしい親子だった。
話の重複を避けるため、二人のことは以前ブログに書いたので、こちらを参考にしてください。

カネコに関しては、コチラコチラ
ショウコに関しては、コチラコチラ

ショウコは、昨年18歳で結婚して、今年の正月は実家に帰ってきたが、この夏は帰ってこなかったことをカネコは嘆いているのである。

「おまえ、とっくに夏は過ぎているのに、なんで今頃ウジウジ言ってるんだ」
「何度も電話したんだよ。そうしたら、忙しいって言うばかりでよ。『パパ、いい加減、子離れしなよ』なんて言うんだぜ。悔しくて悔しくて」

私の中のショウコのイメージは、父親に対してそんなことを言う子ではない。
それは、間違いだろう。
私がカネコにそう言うと、カネコは「言ったんだよ!」と叫ぶのだ。

これほど大きな声でカネコが叫ぶのは、今までなかったことだ。
カネコは、いつも何かに耐えているような雰囲気を漂わせている寡黙な男である。
私は、カネコが声を荒げたところを一度も見たことがない。

よほどショウコと会うことを心待ちにしていたのだろう。
それができなかったので、酒を飲んで私に電話をするしかなかったというところか。
たとえ血の繋がりはなくても、親心は同じである。
むしろ、血が繋がっていない分だけ、それが濃いのかもしれない。

「わかった。今から行く」
私は、渋谷のWに行くことにした。
Wへは、私の家からは1時間半以上かかるが、すねて自分の感情を持てあましている友だちをほうっておくわけにはいかない。

Wのドアを開けると、いきなり女将(長女)に、「おい、いい加減にしろよ。こいつ同じことを大声で何度も言ってさ。うるさいったらありゃしない」と笑いながら言われた。
カネコの隣の席は、ずっと空けておいてくれたのだろう。店は混んでいたが、そこだけは誰も座っていなかった。
私は女将と妹に頭を下げながら、そこに座った。

カネコは、カウンターに顔をつけて目をつぶっていた。
しかし、眠ってはいなかった。
「遅い」とひとこと言って、芋焼酎の入ったボトルを私に渡した。

「それはMさんの分だから、あんたが飲んだら、店追い出すからね、って威しておいたから」
女将が気をつかって、カネコに酒を飲ませなかったようである。
カネコは赤い顔をしていたが、目の奥に気恥ずかしそうな光があった。
完全には酔いつぶれていなかったようだ。

「ごめんな、嘘なんだ。ショウコが家に帰ってこなかったのは本当だが、俺はショウコに電話できなかったんだよ」
そうだろうと思った。
ショウコは、絶対にそんなことは言わない子だ。

6歳からショウコのことを見ているのだ。
それくらいは、私にもわかる。

「でもなあ、結婚したとは言っても、あいつは大学生だぜ。夏休みはヒマだろう? なんで帰ってこなかったんだ。それがわからないんだよ」
カネコは、下を向いて小さな声で言い、カウンターを強く叩いた。

「オイ! 商売道具を叩くんじゃないよ!」
女将の妹が、笑いながら腕まくりをして、げんこつを作った。
私は、妹に頭を下げて、カネコの頭をはり倒した。

「ウジウジ言ってないで、電話かけろよ。俺に電話かけるより、話がわかりやすいだろうが」
私がそう言うと、カネコは頭を大きく振って、涙目で私を見つめた。
だらしない親父だ。
娘に遠慮してやがる、と思った。

だが、その感情はよくわかる。
カネコは、怖かったのだと思う。
ショウコが帰って来なかったのには理由があるにしても、それが彼の納得のいく理由でなかったら、父親として、これから娘とどう接すればいいか、わからなくなるからだ。

仕方がないので、私がカネコの携帯を借りて、ショウコに電話をした。

「あれっ、サトルさん? パパの携帯でかけているということは、パパがそばにいるんだね。珍しいね。パパとは何年ぶりの再会? 4年ぶりくらいかな。パパ老けたでしょ。まあ、サトルさんも老けたけどね」

ショウコとの、この距離感が私は好きなのである。
ショウコはどんなに久しぶりの会話でも、いつも娘のような口調で私と接してくれる。
ショウコは、確実に私を幸せな気分にしてくれる。

「大体想像がつくよ。今年の夏、家に帰らなかったから、パパがすねてサトルさんに相談したんだね」
「正解!」
「今年の夏はね、私が全身ジンマシンになっちゃって、ひどい状態だったんだ。だから、どこにも行けなかった。でもさ、それをパパに言うと、心配するから連絡しなかったんだ。ママには言ったんだけど、内緒にしといてもらったんだ。それって、かえって悪かったかな」

「ああ、悪かった。それは、君らしくないな。心配させてやればいいじゃないか。それが親子ってもんだろ」
「そうか、そうだよね。いつものことだけど、サトルさん、カッコいいこと言うねえ。顔に似合わず」

一件落着である。
カネコに携帯を渡そうとしたが、カネコは首を大きく横に振って、それを拒んだ。

「君のパパは、面倒臭い男だな。娘の君の方が、よほどしっかりしているよ」
「でしょでしょ」
「で、ジンマシンは治ったのか」
「完璧!」
「じゃあ、また近いうちに、君んちにお邪魔させてもらうよ」
「待ってる」
電話を切った。

終わった途端、カネコは、自分の携帯を恨めしそうな顔で見つめていた。
カネコの前に、女将がかなり薄い色のウーロンハイを置いた。

お互いのグラスを軽く触れ合わせた。
電話の内容を手短に告げると、カネコの垂れたまぶたが大きく開いて、目に力が戻ってきた。

そして、まるで初めて気づいたようにカネコが言った。
「ああ、久しぶりだな。4年ぶりだったっけ、おまえに会うのは」

私は、ダウンタウンのハマちゃんばりに、愛情を込めてカネコの頭をはり倒した。
できすぎだったが、吉田拓郎の「人生を語らず」が流れていた。


2007/10/12 AM 07:10:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

16才の母
近所のダイソーをうろついていた。
自転車の後輪がパンクしてしまったので、修理セットを買うためである。

こういうとき、100円ショップは便利だ。
ダイソーで扱う商品の耐久度に関しては、言いたいことは沢山あるが、自転車のパンクに関しては、感謝している。
自転車屋に持ち込んだら、千円近くとられるが、自分で修理すれば105円で済む。
この差は大きい。

105円を払って店を出て、外のベンチに腰掛けようとしたとき、ベンチに座っていた赤ん坊を抱いた若いお母さんが、私を見て「アラ」と言うのが聞こえた。
これは、予想外の出来事である。
私には、若いお母さんの知り合いはいない。
娘(小学6年)の友だちのお母さんは、こんなに若くない。

人違いだろうと思った。
だから、曖昧に笑って、無言で腰を下ろした。
私以外の人に向かって「アラ」と言った可能性もあるので、一応あたりを見回してみた。
しかし、誰もいなかった。

オレか!?
本当にオレか?

ゆっくりと彼女の方を盗み見ようとしたが、真っ直ぐ私のことを見つめている彼女の顔を見たら、照れた。
ドキドキした。
私には、若い娘に見つめられる習慣がない。

これは何かの間違いだ。きっとからかっているんだ。
最近の若いやつは、平気で大人をからかう。
まったく困ったもんだ!
そう思いこもうとした。

そうしたら・・・。
「マッちゃんのお父さんだよね?」
私の目を真っ直ぐ見たまま、友だちのような口調で話しかけられた。

確かに私は、息子の友だちから「マッちゃんのお父さん」と呼ばれているが、この子のことは知らない。
私の息子を知ってるということなら、むかし彼の同級生だった子なのだろう。
そうなると、この子は若いお母さんではなくて、彼女の腕の中で眠っている子は、彼女の弟か妹という可能性もある。
だが、それにしては、年が離れすぎているような気がする。あるいは、親戚の子のお守りをしているのか。
彼女と赤ちゃんの顔を見比べた。

しかし、目の前の彼女は、かなり勘がいいようである。
私の考えを読みとったのだろう。
「この子、私の子だよ。私が産んだんだよ」
と言ったのである。

若い子の顔を見つめるのは勇気がいることだったが、最大限の勇気を振り絞って、彼女の顔を見つめた。
化粧気はない。
口紅もさしていない。
きつい印象の目と茶髪、ピアス、蓮っ葉な口調。
一見すると、年寄りが眉をひそめるタイプの子だが、自分を飾ろうとしないところは、好感が持てる。

息子と同い年なら、16か17歳。
声の甲高さと表情の幼さから、母親のイメージは浮かんでこない。
しかし、本人が自分の子だというのだから、それを疑う理由はない。
二人して、見つめ合った。
私は照れたが、彼女は照れない。

「マッちゃん、学校行ってる? 相変わらず、無口? でも、あいつ、いつもニコニコしてるから憎めないんだよね。ああ、アタシ、Tって言うんだよ。ウワサ聞いてない? 16歳で子ども産んだって、結構評判になってるらしいよ。自分で言うのも変だけどね」

屈託のない顔で一気にしゃべられたが、早口なので、こちらの思考が話についていけなかった。
マッちゃん、無口、ニコニコ、T、16歳、ウワサ、子ども?・・・というのを断片的につなげて、内容を理解するまで30秒かかった。

理解してみて、やっと思い出した。
たしかに、以前ヨメがそんな噂をしていたことがあった。
ただ、ヨメはTさんには小学校の時からいい印象を持っていなかったらしく、批判的なことを言っていたような気がする。
息子も、何度か同じクラスになったが、あまり人のことを悪く言わない彼も、Tさんのことは苦手だと言っていた。

「アタシ、マッちゃんのお父さんとは2回話したことあるんだよ。覚えてる? その顔じゃ、覚えてないよなあ?」
もちろん、覚えていない。

「中学1年の運動会の時と、3年の三者面談の時」
よく覚えているものだ。悪いが、私は全然覚えていない。
しかし、彼女は、そんなことにはお構いなしに話し続ける。

「マッちゃんのお父さん、必ず授業参観や運動会に来てたでしょ。男子が『マッちゃんのお父さん』って声かけると、必ず『オスッ!』って答えてたよね。あれ、面白かったよ。すごい印象に残ってる」

確かに、そんなこともあった。
私の息子は、気が優しくて無口。いつもニコニコしている。
こういう子は、からかいやいじめの対象になりやすい。
だから、父親が存在感を出せば、いじめられることはないだろうと思って、私は学校行事には、必ず参加した。発言もした。

それ以外にも、息子の友だちとプールに行ったり、ボーリングをしたり、卓球をしたりした。
そして、その中で一番頼りがいのありそうな子に「息子をよろしく」と頼んだから、息子はいじめの対象にされずにすんだ。

授業参観の日に、廊下を歩いていると、あっちこっちの教室から「マッちゃんのお父さん」と声がかかった。
それに対して、私が必ず「オッス!」と答えたことを、彼女は覚えていたのである。

彼女のことはまったく覚えていないが、彼女に関しての悪い噂は、いくつか耳に入ってきたことがある。
ただ、噂は噂である。
それは本当かもしれないし、本当ではないかもしれない。
どんな噂であっても、私は自分で体験したもの以外は信じない、というひねくれ者だから、すべての話を受け流していた(右から左に?)。

可愛い赤ちゃんを抱いた16歳の娘。
かつての息子の同級生が、もう母親になっている。
これは、事実だから、この事実は認める。

しかし、それ以上のことを私は聞きたいとは思わない。
細かいことを聞いたら、彼女は答えてくれるかもしれないが、そんなことには何の意味もない。

ただ、赤ちゃんの名前だけは聞いた。
今どきのしゃれた名前だった。

「いいもんだろ? 赤ちゃんって」
私がそう言うと、「あったり前じゃん!」と言って鼻に皺を寄せて笑っていた。
そして、「でも、やっぱ、大変だよ。だって、アタシだって、子どもだよォ!」と言ったときの笑顔がすごくよかった。
後悔していない顔だと思った。

「いや、今の顔はお母さんの顔だったよ」
と私が言うと、16才の母に強く肩を叩かれた。

赤ちゃんが目を覚ました。
赤ちゃんと握手をして、私はその場を離れた。

その柔らかい感触が、いまだに指に残っている。


2007/10/10 AM 07:11:35 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

すごいひと
人間には、相性があるようだ。
相性の悪い人とは、何をしても駄目だ。

5日締めの仕事が、5日の午前中に無事終わった。
「お疲れさまでした」も「また次回お願いします」の言葉もなく、そしてサヨナラの挨拶もなく、データの入ったMOと最終プリントを抱えて立ち上がったHさん。
私とHさんとの相性度は、間違いなくゼロパーセントだと私は確信している。

しかし、今回はましな方だった。原稿は一括でそろったし、校正も2回で済んだ。
この仕事に対して、最近はかなり負担を感じていたので、今回予想外に順調に終えることができてホッとした。

この日は、これ以外急ぎの仕事はない。
そこで、我が家から1.5キロ離れた隠れ家に行って、のんびりすることにした。

隠れ家と言っても、取引先の倉庫だから、全体がいつもホコリっぽい。
窓がないので、換気が悪く、機械油の匂いが漂っている。
決していい環境ではないが、取引先の人間は、ほとんど顔を出さないし、倉庫の隅に衝立で仕切られた事務室があって、エアコンやソファがあるので、のんびり・まったりするにはいい空間である。

早速、電熱器でお湯を沸かして、日清麺職人を食いながら、いいちこのお湯わりを飲んだ。
家から持ってきたCDラジカセで音楽を聴く。
東京事変の「娯楽(バラエティ)」である。

これは、ウェッブデザイナーのタカダに「これはいいぞ! いますぐ買え! 買わないと師弟関係を解消する!」と脅して買わせたものだ。
それを1回聴いたタカダは、「師匠、オレ、理解できません! これは、一体どういう音楽なんですか」と言って、完全にお手上げ状態。
私の目論見通り、「これ、師匠にあげます」とタカダが言うので、「よし、もらってやる」と言って、もらったものである。

東京事変が、音楽史上、類を見ない最強のユニットであることについて、私はいくらでも書くことができるが、それは今回関係がないので、またの機会に。

人間というのは、腹が一杯になって、酒でおなかが熱くなれば、必ず眠くなるものである。
だから、寝た。
起きたのは、6時前だった。5時間近く寝ていたようだ。いい睡眠だった。

家族の夕飯を作らなければいけないので、いいちこをもう一杯飲んで、満足感に浸りながら、家に帰った。
家に帰ってすぐ、留守電を確認すると、Hさんから4件入っていた。
Hさんから、いい電話が来るわけがない。
それが悪い内容であるのは、海外で財布をなくしたら還ってこない確率よりも、5パーセント高いと断言できる。

留守電を聞かないで、4件まとめて消去してやろうか、と一瞬考えた。
それをしたら、どんなにスッキリすることだろう。
せっかく、久しぶりにいい睡眠をとったのだ。悪夢は、できることなら回避したい。

しかし、そんなことができるわけもない。
聞いてみた。

「Mさん、大変です。セリザワ先生の原稿、すべて差し替えです。至急連絡下さい(午後2時18分)」
「Mさん、どこにいますか。早く連絡下さい(午後2時46分)」
「今日の9時までにデータがないと、明日の印刷に間に合わないそうです。どうしよう・・・・・(午後4時4分)」
「早く連絡を! 何してんのかなあ・・・・(午後5時19分)」


何してるのかなあ、って。
仕事が終わって、爆睡してたんだよ。
校了になって私の手元を離れてしまえば、私はもう自由の身だ。
何しようが、余計なお世話だろう!

と、電話に毒づいていたとき、電話が鳴った。
ナンバーディスプレイを見ると、Hさんの携帯からである。
焦らしてやろうかと思ったが、私はそこまで底意地の悪い人間ではない(意地汚い人間ではあるが)。

「あー! いたいた!」
確かにいますよ。だから、電話をとったんですよ。

「セリザワ先生の原稿、うちの若いやつが打ってテキストにしましたから、今メールで送りました。すぐにやり直してください。印刷所にはストップをお願いしてますんで、終わったら、電話下さい。すぐにとりにいきます!」

しかし、時刻はすでに7時前だ。
ここで作業して、原稿を印刷所に届けるより、印刷所の機械を借りて作業して、そのまま渡した方が早くはないか。
私がそう言うと、「ああ、そうだ! じゃあ、いま行く!」と言って、Hさんは電話を切った。

7時20分頃に車で迎えに来てくれて、Hさんの運転で川口(埼玉県)の印刷会社に行くことにした。
車内で仕事の打合せを1分間で済ませたあと、印刷会社に着くまでの40分間、二人とも無言だった。
私はHさんのことを知らない。共通の話題があるのかさえ、わからない。

Hさんとは、仕事上では5年近い付き合いになるが、プライベートなことを話したことは一度もない。
聞くのも面倒臭い。
そして、彼の方も私のことを聞いてこない。
だから、話すことが何もない。
ただ、私はその方がいい。今さら友好を深めたいとは思わないし、私の場合、黙っている方が楽だからである。

無言のまま車を降り、無言のまま彼のあとについて、印刷会社に入った。
そして、印刷会社のMacを借りて作業をした。
テキストデータはあるので、それをフォーマットに流し込むだけである。
写真の変更はないというので、普通なら10分もかからない仕事だ。

流し込んで、ページの余白を若干修正して、作業は終了。
プリントしたものを見ると、Hさんが満足そうに頷いていた。
しかし、念のため聞いてみた。
「文字校正はしましたか」

「ザッとしましたよ。目に付いたところは、オレが直させましたよ」
ムスッとした顔で言われた。

「作家には確認したんですか」
「そんなの、してるヒマあるわけないじゃないですか! 責任校正ですよ! 普通だったら、とっくに終わってる仕事ですよ! 文字打つだけだって、大変だったんだ!」
おいおい、逆ギレかよ!
それに、おまえが文字を打ったわけじゃないだろうが。

「丁寧に文字校正をしないと、取り返しがつかないことになりますよ。すぐにやりましょう」
私がそう言うと、Hさんは、胸を反らせてこう言うのである。
「だって、今まで文字の大きな間違いはなかったですよ。オレがやったんだから、大丈夫でしょ」

それはね、Hくん。
私がいつも内校正を丁寧にやっていたからだよ。
今まで大きな間違いがなかったのは、運がよかったからでもなく、君が営業マンとして優秀だったからでもない。
私が、寝る間を惜しんで、文字チェックをしていたからなんだ。
君にそんなことを言っても無駄だろうがね。

不機嫌な顔のHさんの横で、私は校正をした。
そして、あまりの打ち間違いの多さに、呆れることになる。これで、本当に校正をしたのか。
「これ、Hさんの会社の人が打ったんですよね。その人は、普段も文字を打っている人なんですか」
「さあ、オレはいつも外にいるから、見たことないなあ」
Hさんは、いつの間にか、右手に缶コーヒーを持っていた。

私が真剣に校正をしているときに、自分だけコーヒーを買いにいったようである。
「コーヒー飲みませんか」の一言もない。
これは毎回のことだが、そのマイペースさは、羨ましいと言わざるを得ない。

ため息をつきながら、文字の間違いを直していく。
よくもこれだけ間違って打てるものだと感心する。
しかも、これを簡単な校正をしただけで印刷に回そうとするのだから、見事と言うしかない。

そんなとき、2行まるまる文章が抜け落ちているのを発見した。
私がそれを指摘すると、Hさんは「急いでましたからね、間違いはあるでしょうよ!」と横を向いて答えていた。

間違いはあるでしょうよ、と言うのなら、なおさら丁寧に校正をするべきだろう。
しかし、彼に何を言っても無駄である。
無言で修正を終え、もう一度プリントをして確認。
これは、本来なら営業がやる仕事だが、クライアントをこんなにも甘やかしてきた私も悪い。
自業自得である。

深い自己嫌悪に陥っているとき、「あー、Mさん、約束の9時過ぎちゃいましたよ。印刷会社の人に謝っておいてくださいよ」ハヤシが言うではないか。

はいはい。
もう甘やかしついでですから、何でも言うことを聞きますよォ(出来の悪い子どもを持った親の心境です)。

印刷会社の担当者に謝って、今回の仕事は、無事終了。
だが、当然のことながらハヤシの口から、「ご苦労様」も「ご迷惑をおかけしました」もない。
前年度比30パーセント利益減の中小企業のボーナスのように、それを期待するだけ無駄というものだ。

それどころか、彼はこう言うのである。
「送っていきますけど、川口駅でいいですよね。オレ今日疲れちゃったんで」

おいおい! 君のうちと我が家は、方角が一緒じゃないか。
普通は、家まで送ってくれるんじゃないのか。

すごいわ、このひと。

私もこんな生き方がしてみたい。

だが、私にも意地があるので、「いや、オレは駅まで歩きますから、お気遣いなく」と答えた。
予測はしていたが、「ああ、じゃあ、オレはこれで」とアッサリ言われた。

しっかし、駅までの道の暗くて遠いことといったら・・・(悔)。


2007/10/08 AM 07:41:19 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

かんちがい
朝10時過ぎ、母から電話がかかってきた。
珍しく泣いている。
彼女は気丈な人で、昨年3度手術をし、今年も1度手術をしたのだが、そのことで一度も泣き言を言わなかった人だ。

「手術をすれば、絶対に治る」
その信念で、4度の手術に耐えた。
彼女は、今月の8日に82歳になる。
彼女の気力は、まだ衰えていない。

そんな気丈な母が、泣きながら電話をしてきたのである。
その原因については想像がつくが、朝というのが少し意外だった。

家族の恥を書くのは心苦しいが、私の姉はアル中である。
彼女は、毎晩7時から缶酎ハイを飲み始めて、人格が壊れる。
そのことに関しては、以前のブログに書いた。

ただ、アルコールが切れてしまえば、彼女はただの引きこもりだから、それほど害はない人である。
その姉が、素面であるはずの朝に、母親を罵倒したという。
日本語で書くと生々しいので、英語で書きます。

「Granny ,you die !」

姉が母を罵倒したのは、まったく愚かな理由からだった。
10時前に起きて、何か食べようと冷蔵庫を開けたら、彼女の大好物の肉がなかったのだ。
私の母は、肉をまったく食べない。
つまり、冷蔵庫に肉がないということは、姉が自分で食ってしまったからないのであって、これは母のせいではない。

しかし、食べたいと思った肉がないから、そのことだけで姉は逆上してしまったのである。
その結果、母親を罵倒した。
分別のある人間なら、それがどんなに理不尽なことかわかるのだが、50歳を超えても自分以外のものを思いやる心のない姉には、それがわからない。

母が、泣いている。
「私の育て方が悪かったんだね・・・・・」

断言するが、母は悪くない。
これほど、懸命に働いた人間を私は他に知らない。
彼女の人生は、一編の大河小説になるほど気高いものだ。

彼女の夫は、小説家志望だった。
ただ、職はきちんと持っていた。
名前を聞けば、ほとんどの人が知っている大きな会社に勤めていた。
彼は、会社勤めをしながら、小説を書いた。

懸賞小説に応募して、何度も最終審査までいったから、そこそこ才能はあったのだろう。
しかし、彼は一つの大きな思い違いをしていた。
「小説家というのは、遊ばなければ駄目だ。一流の小説家は、銀座や新橋で遊んでいる。俺もそうしなければ、小説家になれないのではないか」

その結果、彼は時に新橋、時に京橋のはずれにアパートを借りて、毎日銀座に飲みに行くことにしたのである。
だから、彼は稼いだ金すべてを銀座や新橋につぎ込んだ。そのために、借金もした。
我が家には、まったくお金を入れない。
家に帰ってくるのも、月に1回あるかないかである。

母親が働かなければ、我が家は全員野垂れ死にをする。
幸い母は教員免許を持っていたから、高校で国語を教えることになった。
最初は代用教員だったが、評判がよかったため、正式に採用された。

しかし、すぐに彼女は結核にかかって、学校をやめざるを得なくなった。
そんなときでも、彼女の夫は帰ってこない。
家族が食うために、祖母が自宅で塾を始めた。祖母は、若いころ、師範学校の教師をしていたのである。

母は、結核が治ってすぐ、銀行に職を得て働き始めた。
そのときの無理がたたって、70過ぎに結核が再発するのだが、そんな懸命な母の姿を見ても、彼女の夫と娘は自分のペースを崩そうとしなかった。

父は、銀座や新橋で飲むことが仕事だという生活態度をまったく改めない。
姉は、19歳から引きこもって、自分は世界で一番不幸な人間だと言い続けている。

いったい、一番不幸な人間は誰なのだろう、と考えてみた。
私は、母だろう、と思っている。
若いころ結核に罹った。そして、晩年に再発した。
その時投与されたクスリの副作用で、再生不良性貧血という難病に罹った。
これは不治の病だが、彼女は気力でそれを乗り越えた。

そして、いま気管支拡張症という病気と闘っている。
2年間で4度の手術をし、いまだにその気力は衰えていない。

すごい人だ、と思う。

そのすごさを直視せず、「自分はクマさんだ」と言って逃げる姉の心理構造は、おそらくどんな高名な精神科医でも解き明かすことはできないだろう。

姉と私の思春期、母は働いていて、家に帰るのが遅かった。
私たちは、おふくろの味を知らずに育った。
授業参観や卒業式、入学式などの学校の行事に、彼女は一度も来なかった。
しかし、それが一体なんだというのだろう(姉は、このことに異常なほどこだわっているようだが)。

人間の体は、一つしかない。
食っていくことを優先して、何が悪いのか。
私たちを育ててくれたのは、紛れもなく、母だったのである。

そんな母が、「私の育て方が悪かった」と自分を責めるのだ。
あんなに懸命に働いたのに・・・、病気と闘うことに晩年を費やしたのに・・・、誰もご褒美を与えてくれないこの悔しさ。

そんな母に、私は、こう言うことしかできなかった。

「うちにおいでよ。来て、孫と遊びなよ。クマさん(姉)は、しばらくほっといてさ」

しかし、母はこう言う。
「でも、私は親だからね。投げ出せないんだよ」

あまりのせつなさに、電話を切りたくなったが、次に言った彼女のこの言葉に、私は笑ってしまったのである。

「それで、おまえ。仕事は見つかったのかい。いい年をしてフリーターじゃ、子どもが可哀想だろ?」

母は、フリーランスとフリーターをずっと間違えているのだ(似たようなものかもしれないが)。
彼女は、教養のある人だが、これだけは理解できないようだ。

「何でもいいからさ。とにかく就職しなよ。年とってもできる仕事はあるんだからね。贅沢を言ってちゃ駄目だよ」
涙声でさとす、母親の声。

「わかったよ、真面目に働くよ」

私は、そう言うしかなかった。


2007/10/06 AM 08:00:35 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

まけないよ
仕事で、よく見積書を出す。
私の場合、見積書を出しただけで終わる場合が多い。
だが、同業者に聞いても、そんなものらしい。
私だけが、空振りをしているわけではないようだ。

見積書を出して、すんなりと仕事を貰えるほど、フリーランスは楽な稼業ではない。
その上、私の場合は融通が利かないから、なおさら仕事が私の前を素通りすることが多い。

私は、クライアントから見積もりを要求されたとしても、特別安い価格を設定したりはしない。
なぜなら、もともとの設定価格が安いから。

近所の印刷会社の社長が、いつも驚いている。
「Mさん、あんた、もうそろそろボランティアはやめたほうがいいよ。これじゃ、いつまでたっても金持ちになれないよ。太れないよ。ベンツが遠ざかるよ」
ご親切にも、そう言ってくれるのである。

確かに、私の仕事の単価は安いと思う。
すべての単価を安く設定してある。
しかし、だからといって、自分の能力に対して卑屈になっているわけではない。
ただ、駆け引きをするのが面倒臭いだけだ。

「もっと、安くならないかな?」、「長年の付き合いだから、もう少し下げてくれない?」
そういう儀式が嫌いなのである。
レストランのレジの前でよく、「ここは私が払います」「いやいや、私が」とやっている人を見かけるが、私はあれが苦手だ。

だから、奢ってくれると言われたら、すぐ首を縦に強く振る。
即座に「ごちそうさまです」と言う。
「ここは、俺が」なんてことは、一度も言ったことがない。
そんな儀式は、時間の無駄だ。
レジの前では、静かにかつ速やかに金を払うべきである。

見積書に関しても、それと同じだ。
面倒臭い駆け引きをしたくないので、最初から安い価格を提示する。
その結果、価格があまりにも安いので、「こいつは、信用できない」と思って、敬遠される場合もあるのだが、それはそれでいい。

駆け引きは、疲れる。
そんな余計なことにエネルギーを使うなら、仕事が私の前を素通りしてもいいとさえ思っている。
要するに、私はこの仕事に向いていないのである。

だが、こんなに安く設定しているにも関わらず、仕事を出すときに「もっとまけてくれ」と言う人がたまにいる。
この種のひとは、世間の相場を知らない人だ。
同じ仕事を他の人に頼んだら、どれだけ高いかをご存知ない。

まったく同じ仕事を、たとえば私の友人の一流デザイナー・ニシダ君に頼んだら、3倍以上の数字が書かれた請求書が送られてくる。
一流デザイナーでなくても、私の設定価格より5割方高い。
しかし、この種の人に、そんなことを言っても通じないのだ。

何ごとも「まけてくれよ」というのが、仕事だと思っているからだ。
こういう人は、相手に少しでもまけさせたら大満足で、「俺って仕事ができるなあ」と安心するタイプの人種である。

私は、商売熱心な男ではない。
営業マンのマニュアルに、「少しでも安く下請けを使うことが、一流の営業マンである」と書いてあったとしても、それは、そちらの勝手で私には関係がないと思っている。
「まけろ」と言われて、営業マンの顔を立てるほど、私はいい人ではない。

しつこく食い下がられたとしても、価格を下げることはない。
「これからも長いお付き合いをお願いしますから」という泣き落としをかけてきても、私の心は動かない。
他のことは譲っても、これだけは譲らない。譲れない。

だって、もともと安いんだもん!

最近、4頁のパンフレットのデザインをした。
印刷も無事終わって、先週末に納品も済ませた。請求書も送った。
終わった終わった、とホッとしていたところに、担当者から電話があった。

「Mさん、あの請求書なんですがね」と言われたとき、キター! と思った。
「あのォ・・・、きりのいいところで、1100円負けてくれませんか」

確かに、1100円まけたら、きりがいいですが、それが何か?
私は、1100円まけるような仕事をしたつもりはないんですが・・・。
何のミスもなく、納期も遅れることなく、すべての仕事を順調にこなしたのだから、「きりがいい」というわけのわからない理由を付けられてまける理由が、私には全くない。
ただでさえ、他より安い価格で仕事をしているのだ。
「この無礼者が!」と言う権利が、私にはある。

しかし、そんなことを言っては、友好関係が保てないので、「申し訳ありませんが、今回は無理です。次回仕事をいただいたときに、考えさせていただきます」と言うだけにした。

クライアントに仕事を貰うときは、私はいつでも相手のわがままを聞くから、おそらく彼は「こいつなら、1100円くらいまけるだろう」と思ったに違いない。
しかし、彼の意に反して、私が抵抗をした。
それが彼には、面白くなかったのだろう。
「次、仕事を出すかどうかは、わかりませんよ」と、固い声で言い返してきた。

こういう駆け引きをされると、私は鳥肌が立つのだ。
そして、怒りが足の底から頭のてっぺんまで、渦を巻いたように湧き上がる。

「では、次回からは、きりのいい数字で請求書を送りますので、その時はよろしくお願いします」と言って、一方的に電話を切った。

まだまだ、まだまだまだまだ・・・私の貧乏暮らしは続く。
家族には悪いが、この性格だけは変えようがない。


2007/10/04 AM 07:03:56 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

モンスターのお話
今回の話は、少々長くなります(いつも長いですが)。

東京品川のリフォーム会社の専務から、昨日の朝、突然電話がかかってきた。
この会社のことについては、先日このブログで書いた。

「あのさあ、この間の件、見積もりを出して欲しいんだけどね」
おそらく、私以外にも何件か見積もりを取っているのだろう。
それは、当たり前のことなので、「わかりました」と答えた。

ただ、そのあとに彼が言った言葉が、私は気にくわなくて、ゴミ箱を蹴飛ばしたくなるほど、不機嫌になってしまったのである。
「この間、アンタ専門用語を使って説明しただろ」と、彼は言葉を投げつけるように話し出した。
彼のその「〜だろ」という言い方が、まず気にくわなかった。

いくら仕事を出す側だとは言っても、私の方が明らかに年上である。
少しは敬意を表してもいいのではないだろうか。
「〜だろ」と言われた途端、コロンの匂いを思い出した。

前回会ったとき、彼はコロンの香りをまき散らしていたのである。
そもそも私は、コロンを使う男が好きじゃない。
鼻の奥にまで、乱暴に入ってくるその強い匂いを思い出して、私は受話器を少し耳から遠ざけた。
しかし、彼はそんなことなどお構いなしに、横柄な口調で話し続ける。

「得意気に説明してくれたけどさ、俺ちっともわからなかったんだよ。何か馬鹿にされたような気がしてよぉ。ごまかされた気分がして、心はアクビしてたよ。あんた、あんな専門用語使っても、相手に伝わらなきゃ意味ないだろ。要するに、あのまんまだと印刷できないから、自分のところでつくらせてくれって、言いたかったんだろ」

私は、黙っていた。
この仕事、いらねえや! と思った。
見積もりは一応常識的な額で出すが、もし仕事が取れたとしても、同業者を紹介して、私はノータッチでいようと思った。

「いるんだよ。仕事が欲しいばかりに、口先で適当なことを言って誤魔化そうとするやつ。仕事が欲しいんなら、なんでもっとストレートに言えないんだ。インテリぶったって、俺にはお見通しなんだよ」

寒気がした。
私が言ったことをまったく理解していないだけでなく、彼はまったく違う意味で捉えていたのである。
これ以上勝手なことを言わせるのは嫌なので、私は「見積もりだけは、送ります」と言って、一方的に電話を切った。

いったい、彼は何が言いたかったのだろうか。
私に仕事を頼みたいのか、それとも、ご親切にも私のいたらない性格を直してくれようとしたのか。

他のフリーランスの人は、どうなのだろう。
私の場合、なぜかこういう無礼な人にぶつかる確率が、異常に高いような気がする。
私がクライアントに対して、あまりにも従順すぎるからだろうか。

毎月5日締めの仕事があるが、この担当者のHさんは、私より20歳近く年下だ。
彼も、目上の人間を敬う意識が欠如している人だ。
そのHさんが、先日の日曜日夜11時半過ぎに電話をかけてきたのである。

「原稿全部そろいました。いま、すかいらーくにいますんで!」

物ごとの順序として、まず、原稿がそろった時点で「何時にどこそこで会いたいのですが、いかがでしょうか」と、相手の都合を確認するのが先のはず。
いくら原稿を早く渡したいといっても、夜遅くに近所まで来ていきなり電話をするのは、非常識である、となぜ考えられないのか。

私がすかいらーくに行くと、Hさんは得意気な顔をして、「日曜日なのに、朝から原稿を揃えるために走り回って、こんな時間になっちまいましたよ」とふんぞり返った。
彼は、私に頭を「よしよし」と撫でてもらいたかったのだろうか。
徹夜明けで39時間眠っていなくて、やっと風呂に入って脱力状態の私の髪が、濡れていたことに彼が気づいたかどうか。

文句を言う気力もない。
だから、私は余計に従順に見られるのかもしれない。
私にとって、リフォーム会社の専務もHさんも、モンスターにしか見えない。

自己だけが大きく肥大した、オレ様モンスターだ。

先日、娘の運動会でこんなことがあった。
運動会には、入場門と退場門がある。
この退場門は、生徒たちが競技を終えて戻ってくるところだが、徒競走の時などのゴールに近いせいもあって、写真を撮るには絶好の場所だった。

だから、子どもたちが競技しているときは、退場門には父兄がカメラを持ってひしめき合っている。
私も当然のことながら、そこでシャッターチャンスを狙っていた。
ただ、競技が終わるとすぐ退場門からは離れた。
離れなければ、子どもたちが門を通ることができないからだ。

しかし、今どきの父兄や祖父母の中には、退場門から離れずに「通せんぼ」をする人が数多くいる。
その結果、競技が終わるたびに、「退場門を開けてください」と アナウンスを繰り返すことになる。
だが、アナウンスを聞いても、何人かの父母祖父母は、仁王立ちである。
こんなことは、今までなかった。これが、今の流行なのか。

また、こんな光景もあった。
会場には、敬老席というのがあって、テントの中にお年寄りのための席が設けてある。
その敬老席は、20席くらいあって、一番いいポジションで運動会の全体を見ることができる特等席だった。

しかし、その敬老席に座っているのは、ほとんどが若いお母さんで、お年寄りは2、3人しか座っていないのである。
お年寄りが座りたくても、若いお母さんが、わが物顔で歓声を上げているから座ることができない。
お年寄りは、隅の方に小さくなって座っていた。
さすがに見かねて、教師が注意をして、彼らはいなくなったが、1時間もすると、また舞い戻ってくるのである。
そして、また注意してはいなくなり、すぐに舞い戻る。

午後の部が始まると、教師も注意をするのに疲れたのか、誰も注意しなくなった。
その結果、午後はすべての老人席が若いお母さんたちに占拠される始末。

一番ひどかったのは、ベビーカーを手にした若いお母さんだった。
競技が終わっても、退場門から動こうとせず、ベビーカーのせいで狭くなった出口に、競技を終えた子どもたちが殺到するのを見て、「危ないわねえ、ベビーカーが倒れたらどうすんの! 気を付けなさいよ!」と毒づいたのだ。

こいつらも、モンスターだ。

最近知ったのだが、モンスターペアレンツという言葉があるらしい。
これは、学校側に対して、理不尽な要求や非常識な抗議をする親のことを言うらしい。

これを聞いて私は、これは「都市伝説」のようなもので、教育界が意図的にばらまいた噂だと思っていた。
教育界が日頃の鬱憤晴らしに、父兄に対して、ネガティブ・キャンペーンをしているのだと思っていた。
しかし、運動会の光景を見ていると、それは都市伝説ではないことを思い知らされた。

ただ、今までは教師の側だけがモンスターだったわけだが、これでやっと親も対等になったという見方もできる。

クライアントはモンスター。
教師も父兄も、爺ちゃん婆ちゃんもモンスター。

メディアもモンスター

フクダ氏が総理大臣になった。
私の中で、フクダ氏は、消えたも同然の存在だった。
前回の総裁選に、フクダ氏は出馬しなかった。

アベ氏が圧倒的に有利だったからだ。
アベ氏は、総裁選以前から「次の総理は彼だ」とメディアが宣伝するから、世論は誰も彼の実態を知らないのに「アベ氏を支持する」と言って、高い支持を表明した。
そして、彼は総理になった。

だが今度は、「アベ氏には、実行力がない」とメディアが言うから、支持率が急落して、選挙に大敗した。

今回の総裁選。
この1年間、消えたも同然のフクダ氏が突然姿を現すと、すべてのメディアが「フクダ氏が有利」と宣伝した。
その結果、フクダ氏を忘れていた人も、誰が総理にふさわしいかと聞かれたら、60パーセントの人が「フクダ氏」と答えていた。

アベ政権の約一年間、フクダ氏が何をしていたか、メディアも世論も知っていたのだろうか。
私は知らない。
いや、もしかして、私だけが知らなかったのか!

フクダ氏が、アベ氏やアソウ氏、オザワ氏よりも有能で、今の日本の危機を救える最高の政治家であることをメディアは以前から報道していたのだが、私だけが見逃していたのか

そうか、だから、あんなにメディアは「フクダ氏有利、フクダ氏有利」と大声で宣伝していたのだな。
彼らは、フクダ氏こそが、日本の総理にふさわしいと、この一年間、ことあるごとに報道していたに違いない。
それを見逃していた私は、日本国民失格だ。

しかし、このモンスターは、何か不祥事があるとまた、現象を深く掘り下げることもなく、「実行力がない」とか「古い体質の政治家はいらない、若返りしろ」と宣伝し出すんだろうな。

そして、次は「アソウ氏有利、アソウ氏有利」と・・・。
あるいは、自民党が分裂しそうになったら、「自民党分裂、自民党分裂」と・・・。

でも、そんなときでも、若者に人気があるアソウ氏は、「アッ、ソウ」と言うのかどうか・・・。

すみません。
わたし、オヤジギャグ・モンスターなもんで・・・・・。


2007/10/02 AM 07:12:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.