Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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赤ん坊の目
尾崎に子どもが産まれた。
それは、今年の7月はじめのことだった。

早速、お祝いの品を送った。
ありきたりのものは送りたくなかったので、熟考のすえ、写真専用のコンパクトプリンターを選んだ。
尾崎がデジカメを持っているかどうかは知らなかったが、恵実(めぐみ)は絶対に持っているだろうと確信して、それに決めた。

産まれてすぐに、尾崎の家にお祝いに行くつもりだったが、ずるずると引き延ばして2か月がたってしまっていた。
今年の2月に、赤ん坊が産まれたら、ワイルドターキーのボトルに赤ん坊の名前を書いて、三人で飲もうと約束した。
そのことは、このブログに書いた。

すぐにでも行くつもりでいた。
しかし、私は照れてしまったである。

尾崎は、私にとって特別な友人だ。
彼との付き合いは、25年以上になる(詳しい経緯は、こちら参照)。
だが、実際に会って話をした回数は、25年間で50回を超える程度しかない。

電話もあまりしない。電話で話をしたとしても、1分も会話が続かない。
メールもしない。
尾崎の携帯の電話番号は知っているが、一度もかけたことがない。

尾崎とは、ずっとそんな関係が続いているが、それでも尾崎は私にとって特別な存在なのである。
どこが特別なんだ、と言われても、説明はできない。
ただ、離れていても、尾崎はずっと気になる友として私の中に存在している。

こいつとは、何かを共有しあっている。
尾崎が困っていたら、私は何をおいても彼を助けに行くだろう。
そして尾崎も、きっとそうするに違いない、と思っている。

だから、なおさら照れる。

恵実からは、3度電話がかかってきた。
そのうちの2回は、子どもの夜泣きに関しての相談だった。
そして、3回目は、「いつ子どもの顔を見に来てくれるんですか」という電話だった。

「Mさんが、照れるのはわかりますけどね。約束ですから、ワイルドターキー、一緒に飲みましょうよ。尾崎の禁酒をこれ以上続けさせるのは、酷ですよ」

尾崎は、子どもが産まれるまで酒を断つといっていたが、その後も酒を飲んでいなかったようである。
私とワイルドターキーを飲むまでは、飲まないと決めているようだ。
それを聞いたら、逃げるわけにはいかない。
行ってみることにした。

尾崎の家に入ると、子どもを抱いた恵実が、穏やかな笑みを浮かべて私を出迎えた。
恵実の顔は、わずか2か月なのに母親の顔になっていた。
女というのは、たったこれだけの期間で変わるものなのか。
子どもを見る目に、崇高な光が宿って、奥深い尊厳のようなものを感じた。

「尾崎が待ってますよ」
声にも、命を産み落とした人の自信が感じられて、圧倒させられた。

尾崎は、リビングのソファにもたれて、鼻歌を歌っていた。
私が、「よお」と言うと、尾崎は「よお」と返したが、私の方は見なかった。
ただ、右手にはすでにワイルドターキーを握っていて、尾崎はそれを無言で私の方に差し出した。

ラベルを見ると、尾崎と恵実、私の名前の横に子どもの名前が書かれていた。
子どもの名は、私が尾崎に告げたものと同じだった。
彼らは本当に、私が考えた名前を自分の子どもに付けたようだ。

それは、もちろん嬉しいことには違いないが、戸惑いも感じる。
第三者である私が、そこまでしていいのかという戸惑いである。

そんな私の思いを感じ取ったのか、恵実が「私たちも色々と名前考えたんですけどね、Mさんが付けてくれた名前が一番しっくり来たんですよ。私たちは、ダメですね。センスがありません」と言って口元に手を置いた。

尾崎は、恵実の隣で眉間に皺を寄せて、気むずかしそうに頷いていた。
照れているのである。
そして、口の端を少しだけ曲げて、乾いた笑い声をたてた。
そんないつもの尾崎の姿を見て、私はやっと落ち着いた。

尾崎が私のグラスにワイルドターキーを注いだ。
尾崎が恵実に注ぎ、恵実が尾崎のグラスに注いだ。
赤ん坊は、恵実の腕の中で、穏やかな顔をして眠っていた。

乾杯の儀式はない。
3人同時に、グラスに口を付けた。
1杯目はストレートだ。
熱い固まりが、喉を通りすぎていく。
濃い主張をしたバーボンが、喉から胃まで落ちていく。

熱い。
しかし、その熱さは、心地よい熱さだった。

「おめでとう」
言葉が、自然と口から出た。

恵実が、子どもの顔に目を落としながら、笑みをつくる。
艶のある長い髪が、まるで印象派の絵のモデルのように、優美だった。
そして、尾崎が、はじめて私の目を見て、小さく頷いた。

「M先輩、これからもよろしく」
尾崎が私に向かってグラスをかざしたが、それは25年以上の付き合いで、私がはじめて見た尾崎の仕草だった。
いつもは、ただ黙ってグラスを口に運ぶだけだ。

私は、その仕草に驚いて、思わずむせた。
喉が異様に熱い。
熱いまま、ワイルドターキーを喉に流し込んだから、喉がさらに灼けた。

痛い。

涙が出た。
それを見て、尾崎が素早く立ち上がって、キッチンからミネラルウォーターを持ってきて、私にくれた。

ミネラルウォーターを飲み、氷を口に含んだが、喉はまだ痛い。
声が出せないほどである。

恵実の方を見ると、肩を上下させて、深呼吸をするように身振りで私に伝えようとしていた。
私は、それに従って、深呼吸を繰り返した。
そんなとき、赤ん坊の目が開いた。
そして、私と赤ん坊の目が合った。

赤ん坊の目は、深遠な透明度をもった湖のように澄んでいた。
神聖で犯しがたいものを湛えたその目を見ていると、喉の痛みが嘘のように消えた。

私が「乾杯」と言って、赤ん坊にグラスをかざすと、赤ん坊の目が笑ったような気がした。
ワイルドターキーを喉に流し込んだが、喉に痛みは感じなかった。

「赤ん坊って、すごいな」
私がそう言うと、尾崎と恵実が同時に頷いた。

赤ん坊を抱かせてもらった。
赤ん坊の目が、また私を見つめた。

茫洋として、とらえどころのない目。
私を見ているのは間違いないが、それはもっとほかの、動かしがたい本質のようなものを見透かしているのではないかと思える目だった。
私の目は、まるでなにか違う力に導かれるように、その目に吸い寄せられていった。

赤ん坊の目が、私の視界いっぱいに広がる。
赤ん坊の目しか見えない。
そして、その目には確実に私の姿が映っていた。

それは、みすぼらしい顔だったが、ゆがんではいなかった。
「これが、俺の今の顔か。これが、俺のありのままの姿なのか」
そう思うと、なぜか涙が出た。

なぜ、涙が出たのかは、わからない。
忘れていたものや、なくしたものを思い出したからか。
それとも、人生の半ば以上を過ぎた現実に、突然気づかされたからか。

涙の意味はわからないが、泣くことは悪いことじゃない。
人前で泣くのは、はじめてのことだが、今はそれを少しも恥ずかしいとは感じていなかった。

顔を上げて尾崎を見ると、目を細めて小さく頷いていた。
目には、赤ん坊と同じような透明な光がある。
恵実の方を見ると、恵実の瞳もすこし濡れていた。

「赤ん坊ってやつは、本当にすごいな」
私を見つめながら言う尾崎の言葉に、恵実と私は無言で頷いた。

赤ん坊は、透明な目で、まだ私を見つめていた。


2007/09/30 PM 01:48:31 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]



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