Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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捨てられるものと捨てられないもの
取引先と話をしていて、いつも思うことがある。

俺には、この仕事向いてないなあ。

口下手だし、人見知りするから、自分のことや仕事のことを満足に説明できない。
自分では、デザインの知識はあると思っているのだが、それを的確な言葉で説明できないのを、いつももどかしく感じている。
しかも、致命的なことに、デザインのセンスがない。

学生時代は、成績がよくて、スポーツで負けなければ、積極的に話さなくても自己表現ができた。
黙っていても、「ああ、こいつはこんなやつなんだ」とわかってもらって、何の不都合もなかった。

しかし、社会に出ると、説明能力の無さは、時に致命的である。
「おまえ、いったい何が言いたいんだ!」という罵声を浴びせられたこともあった。

え? いま説明しましたけど・・・・・。
「全然、わからないよ。まったく通じないね!」
同じ日本語で話しているにもかかわらず、異邦人扱いである。

そんな人間が、独立してデザインなどというものを職業にすることとなった。
そもそも、私は法学部出身である。
司法試験を8回受けて、毎回論文式試験で玉砕した。

「俺は、頭が悪いんだ」
結局、そう理解するのに、8年もかかったことになる。
どう考えたって、まともな人間じゃない。

法律とデザインに、共通点はあるか?
まったくない。
それが何故、デザインの世界で生きていくことになったのか。
自分に才能があると思ったわけでは、決してない。

絵は、子どもの頃から得意だった。
油絵やパステル画を描いた。
コミックを書いて、友人と同人誌を出したこともあった。

だが、私の作品を見た人は、みな同じことを言う。
「絵はうまいんだけどねえ・・・」

描いている自分でさえ、描きながらそう思う。
絵はうまい。
でも、それだけだな。個性がない。見たままを描いているだけだ。

そんな人間が、独立?
しかも、デザインだと!?
誰もが、鼻で笑った。
私も、つられるようにして笑った。
笑うしかないのである。

何故、デザインを?

それは、そこにMacがあったから。

法律事務所に勤めていたころ、事務所のボスからMacを与えられて、それで裁判記録などを整理していた。
勤めはじめのころは、NECの98を使って整理していた。
他の事務員は、完璧な文系だったので、パソコンをみな敬遠していた。
私も文系だったが、ひねくれた文系だったので、すぐに操作を覚えた。
ただ、NECの98を使っていても、心躍るような感覚は味わえなかった。

ボスが新しもの好きで、自分は使えもしないし、使う気もないのに、Macの評判を聞いて、すぐに導入し、それを私に押し付けた。
「Mくんは、うちで唯一の理系の人だから」(私も文系なんですが)
それが、きっかけだった。
初めてMacに触ったとき、心躍るものを感じた。

裁判記録の整理にはまったく必要ないのだが、ボスをだまして、イラストレータとフォトショップを買ってもらった。
イラストレータのバージョンは、1.9.2!
フォトショップは、1.0!

独学でMacと格闘し、イラストレータ、フォトショップに勝負を挑んだ。
二つとも手強かったが、何とかものにした。

そんなとき、8回目の司法試験挑戦に失敗して、「俺って、もしかして、バカ?」と、やっと気づいたのである。
バカとわかった以上、これから先、法律事務所にいても意味がない。
さらに、このバカには子どもができたから、もっと金を稼がなければならない。

辞めたいんですが、と言ったとき、ボスは「Mくん、冗談は、顔だけにしてよ」と、使い古されたギャグをかました。
私が「本気です」と言って、辞表をテーブルに置くと、彼は眼鏡がずれるほど驚いて、10秒ほど固まった。

しかし、10秒後に復活して、眼鏡がずれたまま「じゃあ、あのMacは君にやるよ。あったって、どうせ誰も使えないんだから」と、太っ腹なことを言ったのである。
当時のMacは高かった。
一式揃えて、車一台が変えるほど高価なものだった(これは大袈裟に言っているのではありません。本当にMacは高かった。いや、本当ですって!)。

辞める日、ボスは泣きながら、私を抱きしめてくれた。
そのとき私は、いいボスに出会ったことを感謝した。

そのMacは、いま押入にしまってある。
今でもおそらく使えるはずだが、OSが化石のように古いので、動くソフトがほとんどない。
だから、使う気はないのだが、捨てる気もない。
私の原点のようなものだから、これから先も同じ場所に、ずっと蹲(うずくま)っていることだろう。

Macは独学で覚えた。ソフトもすべて独学で習得した。
得意先も、ほとんど一人で開拓した。
なんでこんな不器用な自分に、そんなことができたのだろうかと、ずっと不思議に思っていた。

人間、その気になれば何でもできる・・・、などと思ったことはない。
世の中には、その気になったって、できないことの方が多いのだ。
だから、運がよかったと思うしかない。

子育てだって、そうだ。
まさか、自分が子どもをまともに育てられるとは、思っていなかったし、いま現在も半信半疑である。

俺が親? それも、二人の子どもの親だって?
しかも、飢えさせることなく、普通に成長している。
いまでも、信じられない。

こいつら、勝手に大きくなっている。
彼らの成長を感じるたびに、その感覚は強くなる。

普通の父親よりも、濃厚に子どもと接しているにもかかわらず、自分が父親だという実感がまるでない。
何かの間違いじゃないか。それとも、長い夢を見ているのか、といまだに思っている。

Mさんは、子煩悩ですよね、とよく言われる。
仕事人間ですよねえ、と言われることもある。

どちらも、当たっているようで当たっていない。
それは、私が生きていく上で必要なものだから、そうしているに過ぎない。
そして、その状態をいつも楽しみたいと思っている。

ただ、この2つには、明確に違うところが1点だけある。
それは、仕事は捨てることができるが、子どもは捨てることができないというところだ。
そして、私の場合、子どもに愛着はあるが、仕事には愛着を持っていない。

自分には、もっと向いている仕事があるのではないか・・・、絶えずそう思っている。

さてと・・・、いつ捨ててもいい仕事を、今日も真面目にやるとするか。


2007/09/24 AM 08:11:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]



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