Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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平和ボケのワタシ
東京事変「OSCA」に聴き入ってしまって、クライアントの話を聞いていなかった。
仕事はなんとか貰うことができたが、後味が悪い。
そんな反省しっぱなしの一日のお話。

京浜東北線沿線の居酒屋が、秋に開店10周年を迎える。
そこで、チラシとメニューのデザインを頼まれたのである。

開店前の午後4時、仕込みが忙しい中、打合せの時間を作ってもらった。
チラシはB4の二つ折りで、開店10周年を大々的にアピールし、クーポン券を大量に付けるというものである。
メニューの方はB4の両面が2種類。

料理はすべてデジカメで撮る。
来週の月曜日に、開店前から開店後にかけて、店の休憩室を使って、70点近い数の料理を撮ることになった。
慌ただしいが、たとえお盆でも店を休むわけにはいかないと言うから、この方法しかない。
それに、4時間もあればできるので、それほど手間がかかるというわけではない。

居酒屋は、壁に珪藻土を使い、内部は間接照明でやさしい空間を作っている。
カウンターだけの店だが、狭い感じはしない。
後ろの通路が広くとってあるので、移動がスムーズだ。
なかなか居心地のいい店である。

打合せが終わって、「今日は、車?」と聞かれて、「いえ」と答えた。
すると、カウンターにサッポロ黒ラベルのボトルと冷えたグラスが置かれた。
「えっ、いいんですか」と言いながら、頬がゆるむ。
60歳前後と思われる四角い顔のご主人が、大きく頷く。
枝豆も出してくれた。しかも、冷凍ではない。
かなり、いい待遇である。

グラスに手酌で注いだビールを一気に飲む。立て続けに飲む。
うまい!
枝豆を口に入れる。ほどよい塩味とプリプリ感が絶妙だ。
嬉しくなる。

調子に乗っていた。
それがいけなかった。
いつもなら、クライアントに対しては従順なのだが、気が大きくなって、議論を闘わせてしまったのである。

この居酒屋は、基本的にご主人と彼の息子のふたりで切り回しているらしい。
彼の息子は、30歳くらいの、親父さんそっくりの四角い顔をした、頑固そうな男だった。

話の途中で、タリバンによる韓国人人質事件を、彼が突然話題にしたのである。
「あり得ないことですよねえ」と言っているうちは、まだよかった。

話が進むうちに、「俺は、若い頃、20カ国以上を旅して回ったが、危険な国も沢山あった」、と息子が言うのである。
俺は色々な国の事情を知っている。だから、国際派である。俺の言っていることはすべて正しい。
鼻の穴を膨らませて、眉は逆八の字になっていた。
そんな思い上がった口調に、私は大人気なく反応してしまったのである。

「日本はさあ、平和ボケなんだよね!」と息子は言う。
それに対して、「平和ボケのどこが悪い」と私。

では聞くが、平和は悪いことなのか。
銃を構え、それを生身の人間に当てることを正当化していいのか。
彼らは本当に平和を欲しがっているのか。
彼らには、平和が見えていないんじゃないか。
やられたからやり返す、ただそれだけのために銃を構えているんじゃないか。

昔、日本にもそんな時代があったらしい。
授業では教えてくれないので、正直なところ、私は深く考えたことがなかった。
それを平和ボケというのなら、確かに俺は平和ボケなんだろう。

でも、平和でいいじゃないか、と思う。
紛争で苦しんでいる人の苦しみがわからない、他国の犠牲の上に成り立っている、という非難はある。
日本の平和は、多数の血によって創り上げられた蜃気楼のような平和に過ぎない。
そういう見方があったとしても、平和という現実が悪いわけではない。
先人が平和な世界を創り上げるために、多数の犠牲を払い努力したことは、誇りに思っていいのではないか(靖国問題は別の話です)。

アメリカや他国が日本を平和にしてくれたのだとしても、それを維持し続けたのは、日本人の努力である。
それを「平和ボケ」と言って、一刀のもとに切り捨ててもいいのものなのか。

つい最近まで、「日本人は、安全と水はただだと思っている」と言われてきた。
私の心許ない記憶では、これは「日本人とユダヤ人」という中に書かれた一部分を取り上げて、ご都合主義の文化人が流したお話だと記憶している。

青臭い理想論を言えば、「すべての国が、安全と水はただになればいいと思うし、平和であって欲しい」と思う。
安全と水がただで(実際はただではないが)、平和ボケの国というのは、国家としての理想ではないか、と私は思うのである。

確かに、色々な国がある。
あなたは、色々な国を見てきたのだから、私よりはるかに知識は上だ。
だから、その深い知識を歪めることなく、第三者の目で見て、平和ボケの日本は悪で、まわりの国に貢献していない、というなら、それは経験者の意見として尊重できる。

だが、どの国も平和を求めているはずである。
そして、どの国も平和であるべきである。
しかし、それが押し付けられた平和だとしても、今現在平和な日本を「平和ボケ」という言葉で否定するのが、私には理解できない。
平和ボケというのは、本当に恥ずべきことなのか。


私がそう言ったとき、店内に流れたのが東京事変の「OSCA」だったのである。
息子は、私の意見に対して、かなり強い口調で言い返したと思うのだが、私は聞いていなかった。

東京事変はすごい!
椎名林檎の紡ぐ言葉、密度の濃いメロディ、完璧な演奏、そして、椎名林檎の神懸かり的な歌い方、そのすべてに心を奪われて、私の魂のすべてが「OSCA」に入り込んでしまったのである。

曲が終わって、わけのわからないラップに音楽が変わったとき、息子の厚い唇が激しく動くのを見て、我に返った。
「〜世界があっての日本だろ!」
というのだけが聞こえた。

ああ・・・・・・、そうですよねえ。
はい・・・・・・、そうですね、確かに・・・・。

しぼんだ風船のように、言葉の勢いを失った私を見て息子は、「アホかこいつ!」というような顔をして睨んでいた。
それを見て、ご主人が「Mさん、一気にビール飲んだから、酔っぱらっちまったかな」と間を収めてくれたので、話はそれで終わった。
仕事も無事いただいた。

平和ボケはいいが、ボケたデザイナーは仕事をなくす恐れがある。
これが、今回の教訓である。


2007/08/11 AM 08:18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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