Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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「品格」ということ
川崎での打ち合わせを終えて、東海道線に乗った。
すいていたので、座って文庫本を読んだ。

北方謙三の「されど君は微笑む」である。
これは北方の傑作「ブラディドール」シリーズの登場人物と「約束の街」シリーズの登場人物が交叉して織りなす、エンターテインメント小説である。

一人ひとりのキャラクターが強烈だから、力のない作家だと、持てあまし気味になるはずだが、北方は押しては引き、引いては押すという、絶妙の名人芸を見せてくれる。

複雑に綾なすドラマの断片が、すべて生き生きと活写されて、場面が間近に浮かぶ描写がいくつも散りばめられている。
映像にしたら、さぞかしダイナミックなスクリーン世界を創出してくれそうだが、そんな洒落た心意気のある映像作家はいないようである。

最近の映画製作者には、「泣かせる映画」にしか興味がないセンチメンタルな観客しか見えていないのではないか、と思うことがある。
あるいは、アニメーションでしか、人間の心象世界を表現できないのではないか、と。

また、宣伝だけしか印象に残らない映画というのもある。
カドカワは、30年以上前の方式を相も変わらず踏襲して、仰々しいスペクタクル風の映画に巨額の費用を投じたが、興ざめである。
いまなぜ「チンギス・ハーン」なのか。
英雄賞賛だけではないメッセージが込められているのならいいが、「ただ、とにかく賑やかに作りました」で終わってしまったとしたら、それは無駄な浪費というものである。

チンギス・ハーンが描いた夢と、民族意識の高揚のようなものを、スケールだけを強調することなく描ききれたら、映像としては成功だろうが、それを期待していいのかどうか。
実際に観ていないから、軽はずみなことは言えないが、以前のカドカワ映画には宣伝しか印象に残るものがなかっただけに、今回も懐疑的にならざるを得ない。
なんせ「犬神家の一族」をリメークし、「口裂け女」を映像化するという意味不明なことをする会社なのだ。

カドカワ方式は、無駄の象徴のように、私には見える。
カドカワに、「品格」はあるのか?

以前カドカワは、北方謙三の「友よ、静かに瞑れ」という作品を映画にしたとき、安っぽいサスペンスドラマにしてしまったことがある。
テレビの2時間ドラマは20年以上前に何回か見たことがあるが、ほとんどそれと同じレベルだったので、唖然とした。

崔洋一監督は、画面をやや暗いトーンにして、物語に陰影を与えようとしたようだが、空回りしていた。
原作に対しては比較的忠実だったが、映画自体は沖縄っぽいロケーションだけが見所という、4、5回使用したティーバッグのように薄い味わいの映画に成り下がっていた。

映画っぽい小説が、テレビっぽい安っぽさに終始したという点で、いかにも日本的でありカドカワ的だと思った。
カドカワ映画の功績というのは、横溝正史森村誠一を人気作家にしたことぐらいしかないのではないか、と私は思っている。

76ページ。
「川中が大きく息を吐いたが、坂井は視線すら動かそうとしなかった」
を読み終えた頃、サラリーマンの会話が耳に入ってきた。

「『ハケンの品格』見てる? あれ、馬鹿馬鹿しくない? あんなすごい派遣いるわけネェよな。あれじゃ、会社員なんかいらなくなっちゃうよ」

ハケンの品格 − 私の小学5年の娘が「花より男子2」の次に気に入っているドラマである。
スーパーハケン(スーパーの派遣ではない。念のため)の女性が主人公で、毎回彼女の持っている資格で、派遣先の会社を危機から救うというのが、大まかなストーリーだ。

「俺たちの会社の派遣は、たいしたことやってネェぞ。あれ見てると嘘くさくて、呆れるな。リアリティ全然ねぇじゃん!」

言っている人間の顔を見ると、50歳前後のサラリーマンだ。
いい年したオッサンが、「リアリティ全然ねぇじゃん!」という言い方をすることの方が、私には馬鹿馬鹿しく聞こえるのだが……。

「そうそう、あんなのは漫画だよ、漫画! 真面目に見る気しないよ。うちの会社の女の子なんか、あれに熱中してるけど、まったく世間を知らないね。アホクサッ!」
という50年配の男の膝の上には、「週刊少年ジャンプ」。
そして、新橋駅で降りたときには、網棚の上に置き捨ててあった「東京スポーツ」をしっかりと手に取っていくという、貧乏くささ。

サラリーマンに、「品格」は必要ないのか!?



2007/03/07 PM 04:31:17 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]



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