Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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Salyu という天才歌手
Salyu という天才歌手がいる。
しかし、一般にはあまり知られていない。

彼女は、けた外れの歌唱力と表現力を持つポップスシンガーである。
私は、彼女ほど、プロの歌い手としての素養をほとんど持っているシンガーを、数えるほどしか知らない。

広い音域、声量、声の艶(つや)、高音と低音の伸びやかさ、リズム感、歌を解釈する能力。
そのすべてが一級品である。
しかし、彼女がポピュラーな存在であるとは言い難いのも現実である。

昨年、Bank Band with Salyu で 「to U」という曲がそれなりにヒットしたが、それはほとんどがMr.Childrenの桜井和寿と名プロデューサー・小林武史の力によるものである。
Salyuの実力でヒットしたとは言えない。

しかし、これほどの力量がありながら、一般受けしないというのは、今まで数多くの例があるとはいえ納得できないものがある。
歌がうまいからといって、すぐに第一線のポップシンガーになれるとは限らない。
あらゆる要素が絡み合って、時流とのタイミングが合って、時代が認める歌手になる、というのがスターのドラマチックな出現方法であることは承知している。

倖田來未のデビュー時も、もどかしさを感じた。
あれほどの存在感がありながら、デビューから数年、まったくショ−ビジネスの世界から無視され続けた。

affection」というアルバムを初めて聞いたとき、倖田來未が作りだす躍動感のとりこになった。
タイトルが示すとおり「愛情」溢れるその表現力に、打ちのめされたと言ってもいい。

歌手の声は楽器である。
楽器になりきれるかどうかで、歌手としての完成度が測れる。
その意味では、「affection」での倖田來未の声は、まさしく楽器だった。
良質のトランペットであり、熟練のヴァイオリンであり、タイトなドラムだった。
光沢のある声で、自身の世界を彩るという、「一級の表現力」を彼女は有していた。

そして、Salyuも、そうなのである。
PUSHIM も。

彼女らの声は、見事に最高の楽器として昇華されている。
そして、彼女らの声は、完璧に生の楽器を演じきっている。

しかし、それが受け入れられるかは、多分に運が作用している。

Salyuをプロデュースする小林武史は、プロデューサー としては、一流かもしれないが、メロディ・メーカーとしては、プロの領域に達していないように思える。

小林武史は、Southern All Stars や Mr.Children 、レミオロメンなど、個性的なユニットのプロデュースをして成功させているが、彼のコンポーザー(作曲家)としての才能は、平均点以下でしかない。
Salyu が委ねるプロデューサーがその程度だから、彼女が、飛躍できないでいるのではないか、と私はずっと思っている。

あれほど、きらめくほどの才能がありながら、埋もれているという現実。
それは本人が一番感じているのではないだろうか。
「プラットホーム」という曲を聴いて私が一番感じるのは、Salyuが訴えかける「停滞」である。

あの頃は 夢の向こうに見えて
時の隙間を流れていく
ずっと ずっと 追いかける

(「プラットホーム」より)

Salyu は、決して時の隙間を流れていくシンガーではない。
しかし、時流を追いかけようとして、追い越せないもどかしさを、私は彼女の歌声に感じてしまうのである。

天才が埋もれていく様を見るほど、心惜しく、悔しいことはない。
そんなことを思いながら、私はSalyuの「Terminal」を繰り返し聴いている。



2007/03/06 PM 01:43:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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