Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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どろろは、まだ観ていない
どろろ 観た?」

私が以前このブログで、柴咲コウが好きだと書いたら、友人や同業者から同じことを聞かれるようになった。
どいつもこいつも、まったく同じ反応をするんだから、私の周りの人間は単純に出来ているらしい。

しかし、どろろは、まだ観ていない。

中には「一緒に観に行きましょうか」と親切に言ってくれる人もいる。
だが、映画は一人で観るものだろう。

2時間前後、ずっと前を向いて、動く画面に集中しているわけだから、複数で行く必要はない。
会話もスキンシップもない2時間は、一人だからこそ我慢できる。
もし友だちや恋人なら、その2時間はもったいない。
一緒にダーツでもした方が、楽しいのではないか。

だから、悪いね。俺は映画は一人で観る主義なんだ。

そう言うと、「Mさんって、変わってますね」と必ず言われる。
そんなに改めて強調しなくても、私が変わっているのは、自分が一番よく知っている。
ほっといて欲しい!

だいいち、二人や三人で見たからといって、映画の楽しさが二倍や三倍になるわけでもないだろう。黙って画面を見ているのだから、一人で観ても同じではないのか。

だから、なぜ、私をそんな目で見る?!

何度でも言うが、私が変態、いや、変人なのは、自分が一番よく知っているのだから、いいじゃないか!

「どろろ、観たんですけどね。漫画の方が良かったです」

予想はしていたが、やっぱりこういうことを言うやつがいたか。
いいんだよ、そんなことは。
私は、柴咲コウが出ているから見たいだけで、漫画と映画の比較論はどうだっていいんだ。

そもそも、映画という媒体になってしまえば、映画は原作とは別物のはずだ。
脚本家と監督の頭の世界の「どろろ」があればいいはずだろう。
君たちは、そんなことも知らないのか。

そんなことをしたり顔で言うなんて、「映画を知らない」と言っているようなものだ。
漫画の「どろろ」がそれほど好きなら、映画は観なければいい。
だいいち、漫画と映画がまったく同じものだったら、映像にする意味がないではないか!

素人だねぇ。

「どろろ」は観ていない。しかし、先日、レンタルで「メゾン・ド・ヒミコ」は観た。
かなり良かった。
特殊な設定の映画だが、無理なく展開して、監督である犬童一心の力量を存分に感じる作品に仕上がっている。

ゲイの老人ホームという設定が、奇怪な感じになっていなくて、自然である。
柴咲コウは、ほとんどの場面でスッピンを晒(さら)している。
しかし、その方が、彼女が本来持っている「目力(めぢから)」が活きるのである。
父やゲイに対する嫌悪感がその目に宿って、物語に説得力を持たせている。

オダギリジョーもいい。
彼は異能の役者だが、それがはまりすぎるほど、うまくはまっている。

どうでもいいことだが、オダギリジョーのことを「オダジョー」と言うらしい。
まったくセンスがない。
縮める意味がわからない。

志村けんを「シムケン」と言うらしいが、ただ「ら」を抜いただけじゃないか。
一文字だけ省く意味があるのか。
じゃあ、柴咲コウは、「シバコー」か。
柴咲コウになら、シバいてもらってもいいかもしれないが……。
いや、こんなことを言うから、「変態だ! 変人だ!」と言われる。
世間の人は意外と真面目だから、言葉には気を付けなければいけない。

話変わって、これは本当のことか判断はつきがたい話だが、昨年だったか、一昨年だったか、友人が彼のブログで、某有名人のことを「キムタク」と書いたら、フアンからクレームが来たらしい。
彼のブログには、ほとんどコメントがつかないが、その時は珍しく11件もコメントがあったという。
喜んで読んでみると、すべて批判的な内容で、しかも強烈なくらい感情的なものだったので、彼は大変ガッカリした。そして、恐怖心を持った。

まったく意味不明の出来事だが、フアンというのは怖い。

「オダジョー」
ああ、いいネーミングですね。
センスが溢れています。


さすが!
オダジョー 最高!



2007/02/28 PM 12:10:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]



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