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● どろろは、まだ観ていない |
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「どろろ 観た?」
私が以前このブログで、柴咲コウが好きだと書いたら、友人や同業者から同じことを聞かれるようになった。 どいつもこいつも、まったく同じ反応をするんだから、私の周りの人間は単純に出来ているらしい。
しかし、どろろは、まだ観ていない。
中には「一緒に観に行きましょうか」と親切に言ってくれる人もいる。 だが、映画は一人で観るものだろう。
2時間前後、ずっと前を向いて、動く画面に集中しているわけだから、複数で行く必要はない。 会話もスキンシップもない2時間は、一人だからこそ我慢できる。 もし友だちや恋人なら、その2時間はもったいない。 一緒にダーツでもした方が、楽しいのではないか。
だから、悪いね。俺は映画は一人で観る主義なんだ。
そう言うと、「Mさんって、変わってますね」と必ず言われる。 そんなに改めて強調しなくても、私が変わっているのは、自分が一番よく知っている。 ほっといて欲しい!
だいいち、二人や三人で見たからといって、映画の楽しさが二倍や三倍になるわけでもないだろう。黙って画面を見ているのだから、一人で観ても同じではないのか。
だから、なぜ、私をそんな目で見る?!
何度でも言うが、私が変態、いや、変人なのは、自分が一番よく知っているのだから、いいじゃないか!
「どろろ、観たんですけどね。漫画の方が良かったです」
予想はしていたが、やっぱりこういうことを言うやつがいたか。 いいんだよ、そんなことは。 私は、柴咲コウが出ているから見たいだけで、漫画と映画の比較論はどうだっていいんだ。
そもそも、映画という媒体になってしまえば、映画は原作とは別物のはずだ。 脚本家と監督の頭の世界の「どろろ」があればいいはずだろう。 君たちは、そんなことも知らないのか。
そんなことをしたり顔で言うなんて、「映画を知らない」と言っているようなものだ。 漫画の「どろろ」がそれほど好きなら、映画は観なければいい。 だいいち、漫画と映画がまったく同じものだったら、映像にする意味がないではないか!
素人だねぇ。
「どろろ」は観ていない。しかし、先日、レンタルで「メゾン・ド・ヒミコ」は観た。 かなり良かった。 特殊な設定の映画だが、無理なく展開して、監督である犬童一心の力量を存分に感じる作品に仕上がっている。
ゲイの老人ホームという設定が、奇怪な感じになっていなくて、自然である。 柴咲コウは、ほとんどの場面でスッピンを晒(さら)している。 しかし、その方が、彼女が本来持っている「目力(めぢから)」が活きるのである。 父やゲイに対する嫌悪感がその目に宿って、物語に説得力を持たせている。
オダギリジョーもいい。 彼は異能の役者だが、それがはまりすぎるほど、うまくはまっている。
どうでもいいことだが、オダギリジョーのことを「オダジョー」と言うらしい。 まったくセンスがない。 縮める意味がわからない。
志村けんを「シムケン」と言うらしいが、ただ「ら」を抜いただけじゃないか。 一文字だけ省く意味があるのか。 じゃあ、柴咲コウは、「シバコー」か。 柴咲コウになら、シバいてもらってもいいかもしれないが……。 いや、こんなことを言うから、「変態だ! 変人だ!」と言われる。 世間の人は意外と真面目だから、言葉には気を付けなければいけない。
話変わって、これは本当のことか判断はつきがたい話だが、昨年だったか、一昨年だったか、友人が彼のブログで、某有名人のことを「キムタク」と書いたら、フアンからクレームが来たらしい。 彼のブログには、ほとんどコメントがつかないが、その時は珍しく11件もコメントがあったという。 喜んで読んでみると、すべて批判的な内容で、しかも強烈なくらい感情的なものだったので、彼は大変ガッカリした。そして、恐怖心を持った。
まったく意味不明の出来事だが、フアンというのは怖い。
「オダジョー」 ああ、いいネーミングですね。 センスが溢れています。
さすが! オダジョー 最高!
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2007/02/28 PM 12:10:44 |
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