Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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男二人のドライブ
尾崎と男二人のドライブ。
車はセルシオ。乗り心地は悪くない。

しかし、尾崎との会話はない。

カーステレオからは、オスカー・ピーターソンが流れていた。
「お前、オスカー・ピーターソンはつまらないって言ってなかったか」
「ああ、つまらないが、男二人のドライブには丁度いい」

尾崎との会話はそれだけである。
25年間、尾崎とはこんな風に付き合ってきた。

一年に一、二回、一緒に酒を飲むが、会話が弾むことはない。
しかし、それでも何となく居心地がいいのである。
話をしないことが、あるいは会話の空白が苦痛にならないことが当たり前の関係というのは、意外と居心地がいいものなのである。
これは、かなり珍しいことなのではないだろうか。稀に見る幸運と言っていいのかもしれない。

尾崎の安全運転で、彼の中野のマンションに着いた。
彼の家に入るのは、おそらく三回目。
25年間で、たった三回である。
それでも、私と尾崎は友だちなのだ。
密度が濃いか薄いかは関係なく、紛れもなく、25年間同じ時代を共有してきた友なのである。

「無言のドライブはいかがでしたか」
玄関のドアを開けると、おそらく妊娠5ヶ月目の、尾崎の妻「恵実」が立っていた。
化粧気はまったくないが、匂うような女としての存在感が私を圧倒する。

「たいへん快適なドライブでした」
一番つまらない受け答えだったが、恵実は目に優しい光をたたえて、尾崎と私を交互に見て頷いた。
そんな些細な仕草でも、「幸せ」を発散する女の神々しい輝きのようなものに、私は圧倒されるのである。

リビングに通されたとき、私は持ってきたオリジナルのレシピ集を恵実に渡した。
これは、私が創作したレシピの一部をプリントして、ファイルに閉じたものである。
以前から、恵実に所望されていたものだ。

恵実は、ファイルを丁寧にめくって、外人のように肩を上げる仕草をして、感嘆の表情を浮かべる。
その顔を見て、尾崎が言う。
「まるで、大切なプレゼントをもらったような顔をしてるな」

「そうよ、これ以上のプレゼントはないわ」
と言って、恵実が私に頭を下げた。
長く艶のある髪が、まるでスローモーションのように動く様が、映画のワンシーンのようで、心の中でため息をついた。

「おなかすきません? この中のレシピから作ってもいいですか」
「腹減ったよ。最短時間で作れるものがいい」
そう言いながら、尾崎が私の前に「ワイルドターキー」のボトルを置いた。
封の切られていないボトルである。
グラスは一つだけだ。

私は、恵実に指でレシピを指し示しながら、尾崎に向かって「何でグラスが一つなんだ」と聞いた。
「俺はいいんだ。お前を車で送るからな」
「いや、それはいいよ。これから寄るところがあるからな、電車で帰るさ」

この後、中野の同業者に、仕事のアドバイスをもらう予定になっている。
「じゃあ、打ち合わせが終わったら、電話しろ。送ってやる」
「どうしたんだ、お前。変だな、今日は」
「お前は、今日はゲストだ。だから、俺が運転手になる」

お互い照れ屋だから、お互いの顔を見ない会話である。
会話の間(ま)も、鈍重、と言っていいくらい遅い。
ただ、言葉の感じから、尾崎が冗談を言っているのではないことはわかる。
そして、そんな会話の中で、もう一つ感じるものがあった。

「子どもが生まれるまでは、『飲まない』と言うことか。つまり、酒断ちをしてるんだな」
「よくわかったな」
私もそうだったからだ。
友だちというのは、同じ思考回路を持っている生き物らしい。

「しかし、お前は飲め。ゲストなんだからな」
「じゃあ、俺もワイルドターキーを断つことにしよう。それ以外の酒はないか」
尾崎が持ってきたのは、焼酎の「二階堂」だった。

「これは、恵実が妊娠する前に、よく飲んでいたやつだ。だから、5ヶ月以上前のものだが、それでもいいか」
私は頷いた。

「あら、珍しく会話が弾んでいるのね」
と言って、恵実が料理を運んできた。

「早いな、こんなに短くて、まともな食いものなのか」
テーブルに並べられたのは、二品。
手際よくやれば、20分以内にできるものである。

もやしと細かく刻んだハムを、ニンニクとオリーブオイルで炒めて、塩コショウで味を調え、パルメザンチーズを振りかけた後、レタスを下に敷いて盛るだけの前菜。
そして、白菜とベーコンの豆乳のスープ・スパゲッティが主菜である。

ひとくち食べて尾崎が「美味いな、M先輩。ほんとにお前、ちゃんと仕事してるのか。こんなことばかり考えて一日過ごしてるんじゃないのか」と言った。
感心したときや、ひどく言いにくいことを言おうとしているとき、尾崎は私のことを「M先輩」と呼ぶ。
私の方が、彼より二歳年上だからだ。

「仕事? 俺にとっては料理も立派な仕事だ」
二階堂をロックで飲みながら、恵実の顔を見た。そして、尾崎の顔を見た。
貧相でいつも険しい顔をしている尾崎。波紋が一つもない池のように、穏やかな表情の恵実。
端(はた)から見れば、一体どこに接点があるのか、と思える夫婦だが、私には最高の夫婦に見える。

二人の心のシルエットは、見事に寄り添って、一つの世界を形づくっている。
そんな二人だが、つい最近までは「内縁関係」だった。
それも、八年間もだ。

「籍は、入れたんだよな」
尾崎に向かって、私が言うと「ええ、Mさんから怒られたその日に、すぐ入れに行ってくれたんですよ」と恵実が、優しい目を尾崎に向けた。

昨年の11月に、「早く籍を入れろ」と私が言ったことを、尾崎はすぐ実行に移したようである。
尾崎にはそういうところがある。
20年ほど前のことだが、「おれ、禁煙するぜ」と言って、本当にその日から禁煙して、今に至るまで吸っていない男なのである。
わかりやすい男である、とも言える。
外見は、危険な香りを醸し出しているので怖い印象を与えるが、奥底に流れているものは、熱くて、そして優しい。

しかし、そんな尾崎の本質をわかっているのは、恵実と私だけのようである。
だから尾崎は、恵実と私の前では、素(す)になれる。
構えたところがまったくない一人の人間として、私たちの前にいる。

同業者との打ち合わせの時間が近づいたので、帰ることにした。
「お腹の症状でわからないことがあったら、いつでも電話してください。俺は、産婦人科の医者よりも詳しいですから」
私がそう言うと、恵実は弾けるような笑顔で大きく頷いて言った。
「Mさん、頼りにしていますから。私も、そして尾崎も」

そんな会話をしているときに、尾崎が私にワイルドターキーのボトルを前に差し出した。
「これにM先輩の名前を書いてくれ」
あごで指図するように、私に黒いペンを渡した。

無言で私がそれに名前を書くと、次に尾崎が名前を書き、恵実が書いた。
それを見てから尾崎は、横を向いて、感情を押し殺すようにして、こう言った。
「赤ん坊が生まれたら、ここに赤ん坊の名前を書いて、三人で飲もうぜ」
口元の白い無精髭が、ほころんでいた。

「ああ、いいね」と言ってから、私が「だが、俺に赤ん坊の名前を考えてくれ、なんて言うなよ」と冗談のつもりで言うと、尾崎は今回初めて私の目を真正面から見た。
「ああ、それも……、いいかもしれないな」

「冗談だろ」
私が恵実の顔を見ると、恵実が小さく頷いていた。
尾崎と同じ目をしている、と思った。

「俺は、センスがないぞ」
「それは、お前の子どもの名前を見ればわかる」
私は、尾崎のボディに軽くパンチを入れた。
そんな私たちを見て、恵実が全身で笑みを作った。

帰りのドライブのBGMは、オスカー・ピーターソンではなく、私の好きなセロニアス・モンクだった。
しかし、私は疲れて寝てしまったので、尾崎の気遣いは無駄になった。




2007/02/10 PM 12:13:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]



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