Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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どろろは、まだ観ていない
どろろ 観た?」

私が以前このブログで、柴咲コウが好きだと書いたら、友人や同業者から同じことを聞かれるようになった。
どいつもこいつも、まったく同じ反応をするんだから、私の周りの人間は単純に出来ているらしい。

しかし、どろろは、まだ観ていない。

中には「一緒に観に行きましょうか」と親切に言ってくれる人もいる。
だが、映画は一人で観るものだろう。

2時間前後、ずっと前を向いて、動く画面に集中しているわけだから、複数で行く必要はない。
会話もスキンシップもない2時間は、一人だからこそ我慢できる。
もし友だちや恋人なら、その2時間はもったいない。
一緒にダーツでもした方が、楽しいのではないか。

だから、悪いね。俺は映画は一人で観る主義なんだ。

そう言うと、「Mさんって、変わってますね」と必ず言われる。
そんなに改めて強調しなくても、私が変わっているのは、自分が一番よく知っている。
ほっといて欲しい!

だいいち、二人や三人で見たからといって、映画の楽しさが二倍や三倍になるわけでもないだろう。黙って画面を見ているのだから、一人で観ても同じではないのか。

だから、なぜ、私をそんな目で見る?!

何度でも言うが、私が変態、いや、変人なのは、自分が一番よく知っているのだから、いいじゃないか!

「どろろ、観たんですけどね。漫画の方が良かったです」

予想はしていたが、やっぱりこういうことを言うやつがいたか。
いいんだよ、そんなことは。
私は、柴咲コウが出ているから見たいだけで、漫画と映画の比較論はどうだっていいんだ。

そもそも、映画という媒体になってしまえば、映画は原作とは別物のはずだ。
脚本家と監督の頭の世界の「どろろ」があればいいはずだろう。
君たちは、そんなことも知らないのか。

そんなことをしたり顔で言うなんて、「映画を知らない」と言っているようなものだ。
漫画の「どろろ」がそれほど好きなら、映画は観なければいい。
だいいち、漫画と映画がまったく同じものだったら、映像にする意味がないではないか!

素人だねぇ。

「どろろ」は観ていない。しかし、先日、レンタルで「メゾン・ド・ヒミコ」は観た。
かなり良かった。
特殊な設定の映画だが、無理なく展開して、監督である犬童一心の力量を存分に感じる作品に仕上がっている。

ゲイの老人ホームという設定が、奇怪な感じになっていなくて、自然である。
柴咲コウは、ほとんどの場面でスッピンを晒(さら)している。
しかし、その方が、彼女が本来持っている「目力(めぢから)」が活きるのである。
父やゲイに対する嫌悪感がその目に宿って、物語に説得力を持たせている。

オダギリジョーもいい。
彼は異能の役者だが、それがはまりすぎるほど、うまくはまっている。

どうでもいいことだが、オダギリジョーのことを「オダジョー」と言うらしい。
まったくセンスがない。
縮める意味がわからない。

志村けんを「シムケン」と言うらしいが、ただ「ら」を抜いただけじゃないか。
一文字だけ省く意味があるのか。
じゃあ、柴咲コウは、「シバコー」か。
柴咲コウになら、シバいてもらってもいいかもしれないが……。
いや、こんなことを言うから、「変態だ! 変人だ!」と言われる。
世間の人は意外と真面目だから、言葉には気を付けなければいけない。

話変わって、これは本当のことか判断はつきがたい話だが、昨年だったか、一昨年だったか、友人が彼のブログで、某有名人のことを「キムタク」と書いたら、フアンからクレームが来たらしい。
彼のブログには、ほとんどコメントがつかないが、その時は珍しく11件もコメントがあったという。
喜んで読んでみると、すべて批判的な内容で、しかも強烈なくらい感情的なものだったので、彼は大変ガッカリした。そして、恐怖心を持った。

まったく意味不明の出来事だが、フアンというのは怖い。

「オダジョー」
ああ、いいネーミングですね。
センスが溢れています。


さすが!
オダジョー 最高!



2007/02/28 PM 12:10:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

セブンイレブンの前で乾杯
団地の遊歩道は、冬は特に風が強い。
だから、ジョギングをしていると、向かい風がきつくて無性に腹が立つことがある。

昨日の土曜日もそうだった。
天気はおそろしく良かったが、風が、切れ味鋭い剣道5段の太刀風のように前後左右から襲いかかってくるのだ。
そのたびに私の痩せた体は、右に流され後ろに押され、身体の体温を奪われ、やる気を喪失させられる。
それでも1周7キロを、いつもより4分30秒遅いタイムで走り、2周目に入った。

しかし、2周目を走りきるつもりはない。
風を相手に根性を見せてもしょうがない。
この日のジョギングは、昨晩、姉からかかってきた電話を忘れるためのものだから、納得がいけば適当なところで切り上げるつもりだった。

ジョギングをしながら思った。
「普通は、どうなのだろう」、と。
世間の人は、同じ日本語で話をしていても、言葉が通じない人に遭遇したことがあるのだろうか。
私には、物心ついたときから、三歳早く生まれた「姉」と呼ばれる人がいる。
私には、その人とまともなコミュニケーションが取れた記憶がない。

彼女は、知能は人より優れているが、生来の臆病で怠け者。そして、同じ言語を有しているはずなのに、話がまったく通じない異人種。
彼女の言っていることは、こちらにはわかるが、こちらが言っていることは、まったく受け入れられることがない、という実体のない蜃気楼のような生物。

たとえば、親の委任状を持って、私が役所に手続きに行く約束をしたとする。
そしてその日、私が運悪く「地方選」に出馬する候補者のポスターとハガキ、リーフレットを大急ぎで依頼されてしまったとする。
候補者は、忙しいのでその日しか時間が取れない。
もし私が「他の日に」と言ったら、その仕事は私の前を素通りしてしまうのである。

フリーランスに限らず、仕事というものは一度チャンスを逃すと、なかなか巡ってこないものではないだろうか。
一度逃した魚が、同じ釣り針にかかる確率は極めて低いのである。
しかし、そういった理屈をまったく理解できない人種が存在することが、私を苦しめるのだ。

「あなたは私たちを見捨てた」と言うのである。
見捨てたわけではない。
忙しいからいけなかった。
だから、月曜日の朝一番に行くことにする、と私は言った。

これは本来なら姉がしてもいいことなのだが、彼女は人が怖いから、それが出来ない。
そして、金曜日の夜、私は同じ血を引くはずの異人種から「私たちを見捨てた」と罵られたのである。

今回のことは、別に緊急を要することではなかった。
多少遅れたからと言って、誰も困らないのだ。

私があらかじめ話した「金曜日に行く予定だが、緊急の仕事が入ったら翌週になる場合もある」という話の後半を完全にすっ飛ばして、「金曜日」という言葉だけが異人種の頭にインプットされた結果、この話は異人種だけの世界で処理されることになった。

つまり、金曜日に行かなかった私が一方的に非難されることになったのである。
それも、獣のような号泣とともに。

朝の8時半から、候補者に付き合ってポスターをつくり、ハガキとリーフレットのデザインをして校了になったのが、夜の9時半。
長く働けば偉いというものではないが、候補者というのも、言ってみれば異人種だ。
彼らは当選しなければ、ただの人である。だから必死だ。
納得のいくまで細かいところにこだわる。
そうしなければ、不安だからだ。
私は仕事を受けた以上、それに付き合わなければならない。

それが、私の仕事だからだ。

しかし、そう言った諸々(もろもろ)のことが、私と血のつながった「姉」という異人種にはわからない。
そもそも、これは母のことなのだ。
彼女には何の関係もない。
だが、なぜか彼女は私を責めて、泣き喚くのである。

それは、とてもおかしなことなのだが、「約束を破った」という一点だけで、私は深い負い目を背負うことになる。
最初は「悪かった」と言ったが、低姿勢になる自分に腹を立てて、最後の方は、「うるせえ! お前も、いい年こいて、ただメシ食らってねぇで、働け、この役立たずが!」と感情丸出しで怒鳴るという醜態。
深く地中に潜るモグラのように、私は自己嫌悪で「後悔のモグラ」になるのである。

襲いかかる風が、まるで異人種の雄叫(おたけ)びに聞こえる。
ジョギングコースの中学校を過ぎたあたりで、風はさらにその威力を増した。
私はアッサリと風に負けた。

中学校そばの「セブンイレブン」に非難したのである。
セブンイレブンは暖かい。おでんの匂いが鼻腔をくすぐって、暖かさを実感する。
肉まんも美味しそうだ。

肉まんをひとつ買った。
それを店の前の駐車場の空いているスペースで食った。
美味い! 冷えた身体が、濃厚な味の肉まんで満たされる満足感!
至福の時である。
昨晩の電話など、この肉まんの幸福感に勝てるはずもない。この肉まんの持つ威力は、今日の風のように強力で、濃密である。

そんなとき、「ああ、マッちゃんのお父さん」という声がした。
見上げると、見覚えのある顔があった。
しかし、名前は思い出せない。
息子の小・中学校の時の同級生だったと思うが、記憶のハードディスクをフル回転させても、名前が出てこなかった。

「やあ、久しぶり、オッス!」
名前が思い出せないまま、照れ隠しに大声で答えた。
「マッちゃん、元気ですか」
「元気元気! 楽しそうに高校に行ってるよ」

「ああ、そうですか」と少し老成したような表情で、名前の浮かばない彼は微妙な表情で笑った。
高校生活が楽しくないのかもしれない。
名前が思い出せぬまま、セブンイレブンの駐車場の片隅で、彼の高校生活について聞いた。

私はもう、肉まんは食い終わっている。
手持ちぶさただ。
そこで、彼に千円札を渡して、「これで肉まん2個と君の好きなもの、そして缶ビールをひとつ買ってくれないか。ああ、君も好きな飲み物を買っていいぞ」と言った。
彼は、最初は遠慮していたが、私が店内を指さすと、素直に中に入っていった。

彼は私の指示通り、肉まん2個と彼の飲むコーラ、そして缶ビールを買ってきた。
缶ビールは「スーパードライ」!
そうか、ビールといったから、ビールを買ったんだな。
発泡酒といえば良かったか。

肉まんを食いながら、ビールとコーラで乾杯をした。
彼の高校生活のことなどを聞き、鬱憤を吐き出させた。
友だちのこと、教師のこと、学校のこと。

「何だかわからないんだけど、つまらないんだなぁ。高校をやめることも考えてるんだ」
と肉まんを頬張りながら言う、息子のかつての同級生。
左の耳にはピアスがついている。
顎髭もうっすらと伸ばしている。
しかし、全体は幼い感じで、エネルギーが感じられない。

「俺にとってはさ、学校ってのは玉手箱みたいなもので、色々なものが出てきて毎日が楽しかったけど、それは人それぞれだもんな。
つまらないなら、とことんつまらなくなって、新しいことを見つけた方がいい。
高校をやめたって、人生が終わるわけじゃない。
俺が見える道と、君が見ている道が違うのは当たり前だから、自分で通る道は自分で決めなくっちゃな。
正直言って、君の親にも君の道は見えていないと思うよ。
ただ、どれを選んだとしても、親を恨んじゃいけないし、教師や他人を恨んでもいけない。
俺には、それしか言えないな」


私がそう言っても、彼の反応は薄かったが、何度か小さく頷いてくれた。

「おでん、食いたくねぇか」
唐突に私が言うと、彼は「おれ、はんぺんが好きなんですよ」と答えた。
私がもう一度千円札を渡すと、彼は店内に入って、はんぺんと大根、ちくわ、つみれとタマゴを買ってきた。
左手にはスーパードライとコーラ。(また、ビールだ!)

駐車場までは、強風は入ってこない。意外といい空間である。
また、二人で乾杯をしながら、二人してあぐらをかいて、熱々のおでんを黙々と食った。

食べ終わると彼は、「ごちそうさまでした。じゃあ、マッちゃんによろしく」と言って立ち上がった。
私が握手を求めると、彼は少しためらいながらも、私の手を握ってくれた。
暖かくて力強い手だった。

これ以上、何を言っても彼のためにはならない。
彼の背中を黙って見送ることしか私には出来ない。
「頑張れ」と言うのも、余計なお世話である。

ただ、同じ場所で乾杯して、肉まんとおでんを食ったということが、私に出来る精一杯のことだ。

そう言えば、いまだに彼の名前を思い出していない。
いつか思い出すだろうが、私の頭の中のハードディスクは回転が著しく遅い。
もしかして、永久に思い出すことはないのかもしれない。

しかし、いま、私は彼に感謝している。
彼のおかげで、昨晩の嫌な電話のことが、霞のように消えてしまったのだから。



2007/02/25 PM 06:22:18 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

三カ国語バトル
友人のススキダと会った。
電話では、たまに話をしているが、会うのは3ヶ月ぶりである。

ススキダは、相変わらず怖い顔をしている。
茶のブルゾンの下に、黄色いセーターを着ているのだが、何を着ても「その筋の人」に見える。
私が警官なら、すぐ職務質問をするところだ。
白い粉は、どこに隠した!

隣には、彼の奥さんがいる。
こちらは大きな目がよく動いて愛嬌のある、見るからに良妻という感じの人である。

あまりにも不釣り合いなので、一度ススキダに夫婦のなれそめを聞いたことがある。
「お前、いったいどこで拉致してきたんだ」
「病院」

彼女は、元ナースだから、それは充分想像できたが、その拉致の仕方が問題である。
もっと詳しく聞きたかったが、顔が怖いのでやめた。

ススキダはそのように顔は怖いし、薄気味悪い笑い方をする男ではあるが、大変な気配りの男である。
昨年彼の事務所に行ったとき、私の体調は最悪で、彼にみっともない姿を見せてしまったことがあった。
それ以後、何か用事があると、彼の方からこちらに来てくれるようになった。
私の体調を気遣ってくれているのだ。
そして、元ナースも必ず連れてくる。

「レイコが、買い物があるって言うからさ。ついでに寄ったんだよ」
いつもそんな嘘くさい言い訳を、肩を揉みながら言うのである。
ススキダは、照れたとき必ず左手で、自分の右の肩を揉む。
人間誰しも、照れると少しは可愛く見えるものだが、彼の顔は怖いままだ。
珍しい男である。

「ニーハオ!」
待ち合わせ場所のすかいらーくに、約束の時間15分前に行ったが、ススキダ夫妻はもう来ていた。

また負けてしまった。

前々回は5分前に行き、前回は10分前に行ったが、彼らはすでに来ていた。
だから、今回は15分前に行ったのだが、それでも先を越された。
こいつら、いったい何分前に来てるんだ!
次は一時間前に行ってみようか。
こんな小さなことでも、私は負けず嫌いなのである。

旧正月に、こいつの実家に里帰りしてきた。悪いが……、また土産だ」
ススキダが肩を揉みながら、私の方へ紙袋を滑らせた。
ススキダは、正月には、寸又峡温泉の土産を送ってくれた。
今度は、香港の土産である。

「悪いが…」というところが、いかにもススキダらしい。
中身を覗いてみたが、ストラップやキーホルダーが10個くらい入っていた。
見るからに中国っぽいキャラのものが多い。

その中に、チャイナドレスを着た少女のストラップがあった。
つまみ上げてみると、ススキダの奥さんが「やっぱり!」と手を叩いた。

「Mさんは、真っ先にそれを手に取るって、わたし言ったんですよ。ヨシッ! 勝った!」と言って、ススキダにVサインを送るススキダ夫人。これで43歳なのである。
悔しそうに、握り拳で自分の額を叩くススキダ。こいつは47歳。

おもろい夫婦である。

私と奥さんは生ビール、ススキダはコーヒーを飲みながら、香港の旧正月の話題で盛り上がった。
そして、ピザを頬張りながら楽しく会話をしていたとき、馬鹿げたイタズラが私の頭に浮かんだ。
ススキダの奥さんの広東語が聞きたいと思ったのだ。
こういうときの私は、自制がきかない。馬鹿馬鹿しさを自覚していても、抑えられないのである。

ススキダの気持ち悪い顔に顔を寄せて、彼に私のイタズラを話した。
彼は無表情に頷いて、流暢な英語で話し始めた。
ススキダが、奥さんに英語で「君は広東語で話せ」と言うと、奥さんは、私の目を見て一度頷いてから、広東語で話し始めた。
あうんの呼吸というやつだ。
広東語は、不思議と普通に話しても少々甲高く聞こえる。
すかいらーくの店内に広東語が響き渡った。

そして、私は日本語。声の大きさはやや抑えめである。
ススキダが英語で話し、それに私が日本語で答え、奥さんが頷きながら広東語で答える。
広東語のトーンが高いので、それだけが浮き上がって聞こえる。
まわりを見回さなくても、まわりの空気が固まっていくのがわかる。

三人とも照れるかと思ったが、意外に堂々と出来るものである。
私の日本語と彼らの外国語は噛み合っていないはずだが、それが楽しい。
ススキダ夫妻は3つの言語がすべてわかっているから、私の話に合わせて話をうまい具合に誘導している。
しかし、店内の客には何を言っているかわからないだろう。

私にもわからない。

ときどき三人で同じ箇所で笑いながら、大袈裟な身振りで語りかける。
いま思えば、失笑ものの、程度の低いイタズラだが、ストレス解消にはなる。
ススキダも、彼の奥さんも確実に楽しんでいた。

そんなおふざけを演じているときに、ススキダの携帯が鳴った。
そして、携帯を取って話し始めたススキダの手元を見ると、チャイナドレスのストラップが揺れていた。
土産物とまったく同じものである。

携帯電話を持っていなくて良かった、と思った。
携帯電話を持っていたら、私は確実にこのストラップをしていただろう。
それは身の毛がよだつ行為である。

ススキダと同じストラップをするなんて、そんな怖ろしいことは、
It is absolutely unpleasant!
有而討厭(?)
(絶対に嫌だ!)



2007/02/24 AM 10:19:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

バカな親
友人の子どもが、いじめに遭っているらしい。
クラスの子の一部から無視されているようである。

ただ、親にその自覚があまりない。

「本人は、それほど深刻でもないみたいだよ」

バカな親である。だから、叱った。
当たり前のことだが、子どもにも色々なタイプがいる。
感情をそのまま出す子や、我慢する子、気持ちを押し込めて隠す子など、様々である。

平静に見えたとしても、いじめられて平気な子などいない。
深刻そうに見えるか見えないかは関係なく、いじめられているという事実が重要なのである。
親の主観など、どうでもいい。

友人は、その事実を知っても、担任に相談することもなく、夫婦で話し合ったりもしなかったという。
バカな親である。
親がやるべきことを、まったくしていない。

「君は、親なのか、それとも教師と同じく傍観者なのか」
私がそう言っても、反応は鈍い。
詳しく聞いてみると、中学2年の彼の息子は、あまり勉強は出来ないらしい。
運動も苦手である。人付き合いもそれほど上手ではない、という。

友人は自分の息子に対して、こんな思いを持っている。
「出来が悪いから、どうしても学校行事なんかも参加しづらくてね。他の出来のいい子を見てると、嫌になっちゃってさ」

何度も言うが、バカな親である。
これではまるで、出来が悪いから、愛情が持てないと言っているのと同じではないか。
彼には2歳下の妹がいて、こちらは出来がいいらしい。
娘の学校行事には、夫婦して積極的に参加しているというのである。

ため息が出る。
情けない、と言ってもいい。

「本人は、それほど深刻でもないみたいだよ」と言うが、親のお前が真剣に受け止めていないだけの話ではないのか。
つまり、親の怠慢である。

そこで、「お前、もし自分が会社の同僚から無視されたら、どんな気がする? 泣き喚くのか? 喧嘩するか? 会社辞めるか?」と聞いてみた。

「いや、とりあえず、我慢するかな」
「だったら、お前の息子も我慢してるんじゃないのか。自分の息子に我慢させておいて、親のお前は知らんぷりか。『深刻に見えない』のは、お前に想像力がないだけじゃないのか。自分に置き換えて考えてみろよ。お前が嫌なことは、息子も嫌に決まっているだろ!」

しかし、このバカな親は、反応が鈍いままだ。
「ああ・・・」と言い、「でもなあ・・」と言い、「何かなあ・・・」と言うだけである。

腹が立ったので、奥さんを出せ! と怒鳴った。
しかし、彼の奥さんは、近所の奥さんと飲み会に行っているのだという。

彼の息子が可哀想である。
親にも無視されている。

「じゃあ、お前の息子を出してくれ」
お節介だとは思ったが、そう言った。
そうすると、彼は怒ったのである。
「お前にそこまで言われる筋合いはない!」

確かにそうである。
親としてのプライドは、かろうじて持っているようだ。

そこで、私はこう言った。
「学校に金八先生はいない。ヤンクミもいない。グレートティーチャーオニヅカもいない。いるのは、傍観者の教師だけだ。親はこんな傍観者には何も期待してはいけない。そして、親は教師のように傍観者になってはいけない。そばで見てるだけではダメなんだ。子どもを感じなければいけないんだ。子ども全体を感じるからこそ、親なんだ」

こんな言い方で、彼に伝わったのかどうか。
彼は、「でもなあ・・・」とモゾモゾ言うだけだったので、私は一方的に電話を切った。

「親バカ」はまだいいが、「バカな親」は救いようがない。
そして、バカな親を持った子どもは、いっそう哀れである。



2007/02/22 AM 10:16:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

深夜にMacトラブル…
眠い。
二日続けて、Macの調子が悪くなって、夜はメンテナンスで時間を取られた。

今は、メインマシンとして、オークションで格安で手に入れたG4/450MHzを使っている。OSは9.2.2。
メモリは1GBである。
特別重いデータを扱わなければ、それなりにキビキビと動くので、満足している。

しかし、内蔵のハードディスクの寿命が近いせいか、たまに保存途中にフリーズする。
ノートンなどでディスクの断片化を調べてみるが、すぐにファイルが分断されて、断片化率が高くなる。

断片か!

何度、断片化解消をしても直らないので、放っておいたら、さらに事態は悪くなってきた。
フォトショップのPSDファイルが開けなくなったのだ。
レイヤーを使ってイメージを加工するときは、EPS保存する前のPSDファイルは取っておくことにしている。
レイヤー情報を保持しておけば、クライアントが我が儘を言って、修正を希望しても対応できるのである。

しかし、開けない!
開いている途中で固まる。

フリーズか!

120GBの内蔵ハードディスクを2個ストックしてあるので、それに交換すればこれは解消されるのだが、Macを分解する時間がもったいない。
だから、だましだまし作業してきた。

しかしこんな場合は、Macには、困ったときの「ディスクウォーリア」というのがある。
外付けのハードディスクから起動して、ディスクウォーリアでディスクのお掃除をしてもらった。

ディスクウォーリアは賢い。役に立つ。
たちまちPSDファイルが読めるようになったのである。
また開けなくなると怖いので、MOに保存し、CD-Rに保存し、ネットワークを使って、他の3台のMacに保存した。

さあ、これで大丈夫だろうと思ったら、今度は「イラストレータ10」で作った一番新しいデータを開こうと思ったが、開けないというトラブル。
途中まで開こうとするのだが、イラストレータ10が勝手に終了してしまうのである。

終了か!(しつこい)

イラストレータ10を再インストールしても、データは開けない。
ただ、それで諦めるほど、私は諦めのいい男ではない。
それに、ダテに10数年も、Macの意地の悪さと付き合ってきたわけではない。

データを一流デザイナーのニシダ君に送って、彼の持っている「イラストレータ10」で開いてもらうことにした。
「センセイ、開けましたよ」
その後、彼に「イラストレータ10形式」で保存し直してもらった。
それを送り返してもらい、こちらで開いたら、データは正常に開いたのである。

Macってのは、ホントに面倒臭ぇやつである。
しかし、それを言ったら、またきっとへそを曲げるので、「えらいなぁ、お前は働き者だよ。これからも頼んだぜ、ヨロシク!」とおだてる。
そして、頭を撫でたり、ボディを撫でたりしてやる。

深夜に、機械に向かって、こんなことをしているのだから、我ながら気持ち悪いと思う。

編隊か!

変換を間違えた。

変態か!



2007/02/20 AM 09:21:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

パクリとオリジナルの境目
ある会社からマスコット・デザインを頼まれた。
それは、某パチスロのキャラクタを参考にして、独自にマスコットのキャラクタを考えて欲しい、というものだった。

私は、酒、煙草、女とギャンブルはやらない主義だ。(この中に、ひとつ嘘があるが、それはナイショです)
だから、パチスロのキャラクタのことはよく知らなかったが、お得意様なので引き受けた。

威張るわけではないが、私はイラストには、まったく自信がない。
だから、イラストを本業にしている同業者に「丸投げ」することにした。

しかしこれが、今回、大きな失敗を招くことになった。
不得意な仕事を受けた場合は、専門家に任せるのが一番だ、という私の方針は、トラブルの元になる場合もあることを思い知らされたのである。

ただ、不得意な仕事を自分でやるほど、私はうぬぼれ屋ではない。これも私の揺るぎない信念なのである。
私よりも絵のうまい人は、この日本に一千万人はいることだろう。
私は、その人たちと競争をしたいとは思わないのだ。

仕事を受けたその日にイラストの専門家に、クライアントの要望をそのまま伝えた。
そして、それから3日後に、イラストは出来上がった。

描かれたイラストを見て、「面白いキャラクタだが、子どもっぽい。うまいイラストだが、無難すぎる」という印象を持った。
私は自分の感性に自信がない場合は、人の意見を必ず参考にする。
自分の感性が一番正しい、という「うぬぼれ」も持っていないからだ。
そこで、16才の息子を含め、6人の意見を聞いた。男5人女1人である。
年齢層は、16才から40才くらい。

私の息子は、「ちょっとアンバランス。可愛い感じはするけど、何か変!」という意見だった。
3人は、「可愛いくてユニーク。悪くない」という感想。
残り二人のうち一人は、「子供じみている。キャラクタは、もう少し毒がある方がインパクトが強い」と答えてくれた。
もう一人は、「企業のキャラクタとして目立つが、ネーミングがダサい!」という反応だった。

どれも「ごもっとも」という感想である。
しかし、決めるのは、私ではない。クライアントである。
こういった場合、私は意見を言わないことが多い。
「外部のイラストレーターに頼みました」とだけ告げて、後は先方の判断に任せた。
何といっても、このマスコットのコンセプトを一番理解しているのは、クライアントだからだ。

その場では、何も言われなかったが、後日「キャラクタがパチスロのキャラに似ている」というクレームが来た。
言われてパチスロのキャラクタと比べてみたが、「確かに似ているかもしれない」と思った。しかし、「あのキャラを参考にと言ったのだから、似てるのは当たり前だな」とも思った。

前回、感想を聞いた6人のうち、パチスロ狂いの男がいたが、彼はその時はまったく反応を示さなかった。
「ネーミングがダサい」とは言ったが、「似てる」とも「どこかで見たことがある」とも言わなかった。
今回改めて彼に意見を聞いてみたが、「別に気にならなかった。そりゃ、人それぞれですからね。俺はそれほど細かくないんで」と少々憤慨しながら言っていた。

イラストレータにも、クレームが来たことを電話で告げた。
そうすると、彼はこう言った。
「確かにあれをベースに考えたんだから、似てるでしょうよ! でもそれは、『ジャングル大帝』と『ライオンキング』と同程度の問題ですよ。もし、もっとオリジナル性の高いものを書くとしたら、報酬は10倍増しにしてもらわないと! あの程度の報酬と時間では、アレが限度ですね!」
かなり怒っているようである。

要するに、安い報酬で頼んだ私が悪かったということか。
この雰囲気では、彼に修正してくれ、と頼みづらくなったので、クライアントの要望に添って自分で修正した。
修正後のキャラは、携帯のストラップやステッカーにすれば、それなりに受けるのではないか、と思えるくらい味のあるキャラクタになった。
そして、その仕事は校了となった。

ただ、あまり後味の良くない仕事だったので、気になって、その後も友人や同業者にメールで意見を聞いてみた。

その中で一番多い意見を要約すると、「俺も『ライオンキング』が世間でずっと通用しているんだから、この程度なら『パクリ』ではないと思うよ。もっと似ているキャラクタは、世の中に溢れている。その程度のことを気にしていたら、何もできない。オリジナルはすべて模倣から始まるんだから、気にすることはねェよ」というものだった。

それを聞いて安心したが、そうは言っても一番悪いのは、「あのパチスロのキャラを参考にして」と言って、そのまま「丸投げ」した私であることは間違いない。

そこで、今回の反省その一。
「丸投げ」する前に、もう少し仕事をよく確かめよう。
反省その二。
もう少しイラストのスキルを磨こう。そうすれば、他人に迷惑を掛けない。
反省その三。
三流のデザイナーは、人にものを頼むときも三流である。

以上。



2007/02/18 AM 11:34:09 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

どろろ!
私が柴咲コウが好きだというと、みんな意外な顔をする。

一流デザイナーのニシダ君が、松浦亜弥が好きだと言っても、私は何も言わない。
WEBデザイナーのタカダが、上戸彩が好きでもいい。
取引先の広告代理店の社長が、「高島礼子が誘ってくれたら、オレは妻も子どもも捨てるぞ」と言っても、認める。
取引先の29才の営業・フクシマさんが「オレ、井上真央ちゃんが付き合ってくれると言ったら、何でも買ってあげる!」と言っても、許す。


しかし、なぜ私が「柴咲コウがいい」というと、みんな引くのだ。
なぜ、みな一様に固まって、2拍、3拍おいて「ああ、シバザキコウねぇ」と言って、私の顔をマジマジと見るのだ。

しかも、「シバザキコウ」ではなくて、「シバサキコウ」なのに!

「えーっと、あのォ、シバザキコウのどこがいいの?」

「シバサキ」だろ、この野郎!
いいだろ どこがよくても! 何だよ、その差別的な目は!

柴咲コウといえば、歌はうまいし、詞も独創的だし、演技も個性的で、独自の世界を持っている女優さんである。
何で、そんな不思議な顔をして、見られなきゃいけないんだ!

N社のフジイくん。藤原紀香好きの君の泣き言に付き合ってあげたのに、その批判的な目は一体なんだ!?
はっきり言わせてもらうが、柴咲コウは君の好きな女優よりも遥かに演技はうまいぞ。
なぜ、そんな目で私を見る!?

どろろ!

いったい、私が誰が好きだったら、みな納得するのだろう?
松浦亜弥? 上戸彩? 高島礼子? 井上真央? 藤原紀香?

ケッ!

君たちは、柴咲コウの書き綴る言霊(ことだま)を、真剣に受け止めたことがあるのか?
彼女の書く、広くて深い心象風景は、波間を漂う箱舟のように、自らの内面を不規則に揺らして、はっきりとした残像を、心の投影機に映し出すのだ。

どろろ!

彼女は、紛れもなく詩人であり、有能な女優である。
彼女の代わりは、どこにもいないし、その存在は、「確固たる一人称」を形成している。
そんな女優は、稀である。

それなのになぜ、君たちはそんな目で私を見るのだ!

私が黒木瞳が好き! と言ったら、納得してくれるのか?
篠原涼子が好き! と言ったら、喜んでくれるのか?
サザエさんが理想の女性! とボケたら、ウケてくれるのか?

どろろ!

しかし、そうは言っても、「どろろ」は観ていない。
メゾン・ド・ヒミコ」も「県庁の星」も「日本沈没」も観ていない。

観たのは、「黄泉がえり」と「Dr.コトー診療所 」だけである。
そして、数々のプロモーションビデオ (PV)。
彼女のプロモーションビデオは、何度もしつこく観ている。

だから、私の中の柴咲コウのイメージは、PVによって作られている。
彼女の書く詞に、特別な想いを抱いている、と言ってもいいかもしれない。
実をいうと、その程度なのだが、それでもフアン はフアンだ。

「エッ! 『どろろ』見てないんですかぁ!?」
そう言うが、デブ、いや、他人よりかなり脂肪が多いスガ君。
君は確か広末涼子 のフアンだと聞いたが、「バブルへGO ! 」は観たのかい?

「もちろん、初日に観ましたよ! 感激しましたよ!」

それは悪かった。

そうか、そうだよなー。
フアンは、そうでなくっちゃいけないよねー。

やっぱり、「どろろ」観ようかな〜・・・・・。


2007/02/16 AM 09:47:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

「バカ殿」のススメ
2月13日、火曜日。
同時進行の仕事が3つある。
すべて違うタイプのものなので、頭を使う。

その中で特に、和菓子店のチラシで苦労している。
これは私にとって初めてのタイプの仕事だが、「優雅な雰囲気で」とクライアントに言われても、自分が「優雅」ではないので、イメージが湧きづらい。

チャイコフスキーの「ピアノコンチェルト第1番」をBGMにして、イメージを膨らませようとしたが、聴き入ってしまって、何のイメージも湧いてこない。
そんなことをしているうちに6時を過ぎてしまい、息子の弁当を作る時間になった。
窓の外は、やっと少し明るくなってきたところである。

豚肉の生姜焼きをフライパンでジュージューしているときに、脈が飛んだ。
私には、不整脈の持病がある。
これは、学生時代、陸上の短距離をしていた頃からの持病である。
おそらく、それまでも脈が飛ぶことはあったのだろうが、強く意識するようになったのは、大学一年の時だ。

30メートルダッシュを繰り返している最中に、「ドクッ!」と1拍飛んだ。
何となく違和感があったが、ダッシュはやめなかった。
気にはなったが、別段苦しくもなかったので、その日は普段通りにメニューをこなした。

だが、それ以後、練習中によく脈が飛ぶことに気づくようになった。
脈が飛んだからといって、具合が悪くなることはないのだが、少し気にするようになった。

医者嫌いなので、診てもらうことはしなかったが、自分で書物などを読んで調べた。
そこで、勝手に「スポーツ心臓」なのだろう、と結論づけた。
中学一年の頃から、自分の体を極限まで追い込んで練習を積んできたのだ。
ひとと違う心臓になったとしても、おかしくはない。

そう結論づけると、安心した。
医学的な根拠はまったくないが、自分でそう思っていれば、気持ちは落ちつく。
今でも、ジョギングなどをしているときに脈が飛ぶが、死んではいない。
だから、たいした症状ではないと思っている。

しかし、今回脈が飛んだとき、一瞬だが、体が沈み込むような感じがした。
苦しくはないのだが、意識に若干の空白ができた。
視野も狭くなった。

おかしい、と思ったが、弁当を作ることに意識を集中したら、それもすぐに治まった。
気付けに、と思って、台所に置いてあった「麦盛り」という焼酎をラッパ飲みした。
胃が熱くなって、体全体に血液が充満する感覚がして、力が戻ってきた。

息子の弁当をつくり、ヨメ、息子、娘の朝飯を作った。
しかし、家族に朝飯を食わせて送り出した途端、心臓が全力疾走をし始めた。
立っていられないので、リビングの座椅子に腰掛けて脈を測った。
一分間に170。
ジョギングでもここまで脈が上がることはない。

ただ、心臓の鼓動は、強い。弱かったら危険だが、強いのだから、心配はないと思った。
一過性の、いつもと種類の違う不整脈だと思って、安静にした。
おそらく10分もすれば治まるだろう。

しかし、15分経っても治まらなかった。
医者に行くか。しかし、まだ8時にもなっていない。
それに、私は医者が嫌いである。

「ああ、寝不足か過労ですね。働き過ぎじゃないですか、ワッハッハッ」
医者と政治家とダジャレ好きなオヤジは、意味もなく笑う。
そんなバカ笑いは聞きたくない。

体の毛穴から、ジワーッと力が抜けていく感覚。
気分は悪くないが、不安感はある。

しかし、このまま安静にしていていいものか。
手足を動かしてみるが、両方とも感覚が、和紙のように薄い。
景気付けに発泡酒でも飲んでみるか、と思ったが、台所までの距離が遠い。

じっと、不整脈が治まるのを待つのは、時間の経過が遅く感じられて、嫌だ。
そんなとき、テレビラックの下に陳列してあるビデオテープの中で、「バカ殿」というラベルが目に入った。
そう言えば、一番新しい「バカ殿」を観ていなかった。

そこで、スローモーションのように這ってラックに近づいて行き、ビデオをデッキに入れて、亀のように鈍い動きで座椅子に戻った。

リモコンの再生ボタンを押す。
CMは飛ばして、毎度お馴染み「バカ殿」の下品な笑いに没頭した。
そうすると10分も観ていたら、脈が正常に戻ったのである。
おそるべし、バカ殿の威力。

発泡酒を飲みながら、ベビーチーズをつまんで、一時間ほど観ていたら、体がリラックスして、爽快になった。
全部を観ると本当の「バカ」になるので(もう充分にバカだが)、残りは次回のお楽しみ、ということにした。

「バカ殿」は、いい。

あの下品な馬鹿馬鹿しさは、クスリになる。
全国の病院で処方すべきだと思う。

いま、本気でそう思っている。


2007/02/14 AM 09:40:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ギャグ小説を書き上げた
昨年11月の終わり頃、同人誌を出しているサワダ氏から、小説を書いてくれないかと頼まれた。
そこで、色々と悩んだ結果「ギャグ小説」なら書いてもいいと返答して、サワダ氏の了解を得た。

2月末が締切だったが、初めてのことだから早く仕上げた方がいいと思って、仕事の合間にテキストエディタでせっせと打ち込んでいった。
物語の大筋が決まったら、意外とスイスイといった。
しかし、慣れていないので、描写がしつこくなってしまい、決められた文字数内に収まらなくなった。

不要だと思われる部分をダイエットするのだが、それでもまだ多い。
さらに、文字を削るのだが、削りすぎると、話が飛躍して前後関係がわからなくなる。
シロートの悲しさである。

「ギャグ小説」は、オレには荷が重いか、と激しくヘコみながら、何度も手直しをした。
何度か無理なダイエットを繰り返し、リバウンドしながら、とりあえず一昨日、小説は完成した。
予定より二週間以上早かったが、早いほうがサワダ氏も「ダメ出し」がしやすいだろう。

私の中では、90パーセント以上没(ボツ)になることを想定しているから、迷惑を掛けるなら結論は早い方がいい。

今日、メールでサワダ氏にテキストデータを送ったら、2時間後に返信があった。

「何と表現していいかわかりませんが、私は面白いと思います。しかし、2カ所辻褄の合わないところがありました」

彼の指摘した箇所を改めて読んでみると、確かにその部分だけ、話が浮いている。
書き上げて、自分で読み直しているときは、自分では話の流れがわかっているから気づかなかったが、ひとから指摘されると、確かに辻褄が合わない。

さすが、サワダ氏の読解力はたいしたものだ、と失礼ながら感心した。
すぐに修正を入れて、テキストデータを送った。

サワダ氏は、またすぐに返信をくれた。
これで校了とします、と書いてあったが、「大変ユニークな作品なので、賛否で言えば、おそらく9割方『否』と取る人が多いでしょう。なぜなら、当方の同人誌の読者は比較的年配の方が多く、保守的だからです。そこで、最後から二番目に掲載することにしたので、悪しからず」とも書いてあった。

おそらく、自分から頼んだ手前、載せないわけにはいかないので、一番目立たない場所に載せて埋もれさせようということだろう、と判断した。

しかし、私もそれは賢明な方法だと思った。
自分でも、これは活字にするほどの価値はないと思っている。
真面目に小説を書いている方々には申し訳ないが、眉間に皺を寄せたり、呻吟したりして文章を書くというのが、私の肌には合わない。

お気楽、が一番いい。
だから、今回は徹頭徹尾「独りよがり」に書いた。
出来の悪いコントのような作品だが、誰も感動しない馬鹿馬鹿しさがいい、と自分では思っている。

娘に読ませると、「おまえ、ほんとにバカだな」と言いながらも、笑ってくれた。
一方、日常生活でも冗談の通じない息子は、「なにこれ! 意味がわからない! 最後まで読む気にならないよ」と言って、途中で抛り投げた。

おそらく、息子の反応が正常で、娘と私が異常なのだろう。

ところで、この小説には、モデルがいる。
友人の120キロ(もしかして130キロ?)の巨漢グルメ、スガ君である。
これは、大食漢で、バツイチの彼のドタバタ行動を一人称で描写したものである。

だから、一応、この小説のモデルにも読んでもらわなければ筋が通らないし、正当な評価も得られないと思った。
そこで、昼飯をご馳走しながら、彼にこの小説を読んでもらうことにした。

大きめの文字でプリントされた原稿を、恭(うやうや)しく受け取って、スガ君は老眼鏡を掛けて(30代半ばなのに!)読み始めた。

場所は、大宮駅近くの「中華食堂 日高屋」である。
おそらく、こだわりを持ったラーメン通の人には、鼻で笑われるかもしれないが、私はここのラーメンが好きである。

まず、安い。そして、味が安定している。また、胡散臭い「ラーメン道」の雰囲気がないのもいい。
当たり前のことだが、ラーメンはただのラーメンであって、特別なものではない。
行列ができる必要はない。
ラーメンよりうまい食べ物は、この世の中には、いくらでもある。
ラーメンだけを無理に格上げする必要はない、と私は思っている。

スガ君は、かつて4年ほどラーメン店を経営したことがあるが、「はったり」のない性格が災いして、店は行列のできない店となり、泣く泣く店を閉めた。
しかし、今でもラーメンに対する彼の愛情と執着は深い。
彼は、年に200食以上、ラーメンの食べ歩きをしている。
彼の体重の4分の3は、ラーメンで出来上がっているのではないか、と思うくらいラーメン臭い男である。

私が「行列のできるラーメン屋」に批判的ということもあって、二年前に、彼が恐る恐る紹介してくれたのがこの「日高屋」である。

「特別うまくもない庶民的な味ですが、ラーメン屋の原点のような味ですよ」
と、彼に教えられて家族四人で行ったところ、全員で気に入って、我が家では「ラーメン屋」といえば、「日高屋」ということになった。

餃子と中華スープだけは二度と口にしたくないが、他のメニューは値段のわりに、悪くない。
スガ君の採点では、5点満点で2.5点だが、「行列ができる」だけで点が高かったり、店主が「こだわるふり」を見せただけで点が高くなる店よりはいい。

この日のスガ君は、「温玉旨辛ラーメン」と「おつまみチャーシュー」2人前と生ビール。
彼は4分40秒で、すべてを食い終わって、原稿を読み始めた。
顔全体に大粒の汗が浮かんで、それを特大のタオルで拭いている。

スガ君、真っ赤なタオルはやめた方がいいんじゃないか!?
暑苦しいぞ!


私は、生ビールをほとんど一気に飲んでから、「中華そば」を食べ始めた。
うちのヨメによると、「むかしデパートの食堂で食べたラーメンの味に似ている」ということだが、
私はデパートの食堂に行ったことがないので、それが適切な表現なのかはわからない。

要するに、ヨメは「庶民的」ということを言いたかったのだろうが、私としては最高の褒め言葉として、この「庶民的」という言葉を使いたい。
誰でも安心して食えるものが、私にとって最高の食事だと思っているからだ。

「Mさん、美味しそうに食べてますね。しかし、前歯どうしたんですか?」

ほっとけ! ピスタチオが悪いんだよ!

読んでいる途中、4回、スガ君は痙攣(けいれん)したように笑った。
多少はウケてくれたようである。

そして、眼鏡を外して、私の顔を見たあとスガ君が言った。
「Mさん、ありがとうございます。俺のこと書いてくれて、本当に嬉しいです。でも、オレ心配ですよ」
「は?」
「Mさん、脳味噌の中どうなってるんですか? これ馬鹿馬鹿しすぎます! 大丈夫なんですか、Mさん。オレ、本当に心配ですよ」

ありがとう、スガ君。
それは、私にとって最高の「褒め言葉」だよ。


2007/02/12 AM 09:47:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | [日記]

男二人のドライブ
尾崎と男二人のドライブ。
車はセルシオ。乗り心地は悪くない。

しかし、尾崎との会話はない。

カーステレオからは、オスカー・ピーターソンが流れていた。
「お前、オスカー・ピーターソンはつまらないって言ってなかったか」
「ああ、つまらないが、男二人のドライブには丁度いい」

尾崎との会話はそれだけである。
25年間、尾崎とはこんな風に付き合ってきた。

一年に一、二回、一緒に酒を飲むが、会話が弾むことはない。
しかし、それでも何となく居心地がいいのである。
話をしないことが、あるいは会話の空白が苦痛にならないことが当たり前の関係というのは、意外と居心地がいいものなのである。
これは、かなり珍しいことなのではないだろうか。稀に見る幸運と言っていいのかもしれない。

尾崎の安全運転で、彼の中野のマンションに着いた。
彼の家に入るのは、おそらく三回目。
25年間で、たった三回である。
それでも、私と尾崎は友だちなのだ。
密度が濃いか薄いかは関係なく、紛れもなく、25年間同じ時代を共有してきた友なのである。

「無言のドライブはいかがでしたか」
玄関のドアを開けると、おそらく妊娠5ヶ月目の、尾崎の妻「恵実」が立っていた。
化粧気はまったくないが、匂うような女としての存在感が私を圧倒する。

「たいへん快適なドライブでした」
一番つまらない受け答えだったが、恵実は目に優しい光をたたえて、尾崎と私を交互に見て頷いた。
そんな些細な仕草でも、「幸せ」を発散する女の神々しい輝きのようなものに、私は圧倒されるのである。

リビングに通されたとき、私は持ってきたオリジナルのレシピ集を恵実に渡した。
これは、私が創作したレシピの一部をプリントして、ファイルに閉じたものである。
以前から、恵実に所望されていたものだ。

恵実は、ファイルを丁寧にめくって、外人のように肩を上げる仕草をして、感嘆の表情を浮かべる。
その顔を見て、尾崎が言う。
「まるで、大切なプレゼントをもらったような顔をしてるな」

「そうよ、これ以上のプレゼントはないわ」
と言って、恵実が私に頭を下げた。
長く艶のある髪が、まるでスローモーションのように動く様が、映画のワンシーンのようで、心の中でため息をついた。

「おなかすきません? この中のレシピから作ってもいいですか」
「腹減ったよ。最短時間で作れるものがいい」
そう言いながら、尾崎が私の前に「ワイルドターキー」のボトルを置いた。
封の切られていないボトルである。
グラスは一つだけだ。

私は、恵実に指でレシピを指し示しながら、尾崎に向かって「何でグラスが一つなんだ」と聞いた。
「俺はいいんだ。お前を車で送るからな」
「いや、それはいいよ。これから寄るところがあるからな、電車で帰るさ」

この後、中野の同業者に、仕事のアドバイスをもらう予定になっている。
「じゃあ、打ち合わせが終わったら、電話しろ。送ってやる」
「どうしたんだ、お前。変だな、今日は」
「お前は、今日はゲストだ。だから、俺が運転手になる」

お互い照れ屋だから、お互いの顔を見ない会話である。
会話の間(ま)も、鈍重、と言っていいくらい遅い。
ただ、言葉の感じから、尾崎が冗談を言っているのではないことはわかる。
そして、そんな会話の中で、もう一つ感じるものがあった。

「子どもが生まれるまでは、『飲まない』と言うことか。つまり、酒断ちをしてるんだな」
「よくわかったな」
私もそうだったからだ。
友だちというのは、同じ思考回路を持っている生き物らしい。

「しかし、お前は飲め。ゲストなんだからな」
「じゃあ、俺もワイルドターキーを断つことにしよう。それ以外の酒はないか」
尾崎が持ってきたのは、焼酎の「二階堂」だった。

「これは、恵実が妊娠する前に、よく飲んでいたやつだ。だから、5ヶ月以上前のものだが、それでもいいか」
私は頷いた。

「あら、珍しく会話が弾んでいるのね」
と言って、恵実が料理を運んできた。

「早いな、こんなに短くて、まともな食いものなのか」
テーブルに並べられたのは、二品。
手際よくやれば、20分以内にできるものである。

もやしと細かく刻んだハムを、ニンニクとオリーブオイルで炒めて、塩コショウで味を調え、パルメザンチーズを振りかけた後、レタスを下に敷いて盛るだけの前菜。
そして、白菜とベーコンの豆乳のスープ・スパゲッティが主菜である。

ひとくち食べて尾崎が「美味いな、M先輩。ほんとにお前、ちゃんと仕事してるのか。こんなことばかり考えて一日過ごしてるんじゃないのか」と言った。
感心したときや、ひどく言いにくいことを言おうとしているとき、尾崎は私のことを「M先輩」と呼ぶ。
私の方が、彼より二歳年上だからだ。

「仕事? 俺にとっては料理も立派な仕事だ」
二階堂をロックで飲みながら、恵実の顔を見た。そして、尾崎の顔を見た。
貧相でいつも険しい顔をしている尾崎。波紋が一つもない池のように、穏やかな表情の恵実。
端(はた)から見れば、一体どこに接点があるのか、と思える夫婦だが、私には最高の夫婦に見える。

二人の心のシルエットは、見事に寄り添って、一つの世界を形づくっている。
そんな二人だが、つい最近までは「内縁関係」だった。
それも、八年間もだ。

「籍は、入れたんだよな」
尾崎に向かって、私が言うと「ええ、Mさんから怒られたその日に、すぐ入れに行ってくれたんですよ」と恵実が、優しい目を尾崎に向けた。

昨年の11月に、「早く籍を入れろ」と私が言ったことを、尾崎はすぐ実行に移したようである。
尾崎にはそういうところがある。
20年ほど前のことだが、「おれ、禁煙するぜ」と言って、本当にその日から禁煙して、今に至るまで吸っていない男なのである。
わかりやすい男である、とも言える。
外見は、危険な香りを醸し出しているので怖い印象を与えるが、奥底に流れているものは、熱くて、そして優しい。

しかし、そんな尾崎の本質をわかっているのは、恵実と私だけのようである。
だから尾崎は、恵実と私の前では、素(す)になれる。
構えたところがまったくない一人の人間として、私たちの前にいる。

同業者との打ち合わせの時間が近づいたので、帰ることにした。
「お腹の症状でわからないことがあったら、いつでも電話してください。俺は、産婦人科の医者よりも詳しいですから」
私がそう言うと、恵実は弾けるような笑顔で大きく頷いて言った。
「Mさん、頼りにしていますから。私も、そして尾崎も」

そんな会話をしているときに、尾崎が私にワイルドターキーのボトルを前に差し出した。
「これにM先輩の名前を書いてくれ」
あごで指図するように、私に黒いペンを渡した。

無言で私がそれに名前を書くと、次に尾崎が名前を書き、恵実が書いた。
それを見てから尾崎は、横を向いて、感情を押し殺すようにして、こう言った。
「赤ん坊が生まれたら、ここに赤ん坊の名前を書いて、三人で飲もうぜ」
口元の白い無精髭が、ほころんでいた。

「ああ、いいね」と言ってから、私が「だが、俺に赤ん坊の名前を考えてくれ、なんて言うなよ」と冗談のつもりで言うと、尾崎は今回初めて私の目を真正面から見た。
「ああ、それも……、いいかもしれないな」

「冗談だろ」
私が恵実の顔を見ると、恵実が小さく頷いていた。
尾崎と同じ目をしている、と思った。

「俺は、センスがないぞ」
「それは、お前の子どもの名前を見ればわかる」
私は、尾崎のボディに軽くパンチを入れた。
そんな私たちを見て、恵実が全身で笑みを作った。

帰りのドライブのBGMは、オスカー・ピーターソンではなく、私の好きなセロニアス・モンクだった。
しかし、私は疲れて寝てしまったので、尾崎の気遣いは無駄になった。




2007/02/10 PM 12:13:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

怖〜〜〜い話
久しぶりに「いいちこ」が飲みたくなったので、「隠れ家」に行った。
今年二回目。時刻は午後5時過ぎである。

隠れ家には、「いいちこ」が常備してある。
普段、寝酒には「麦盛り」という、ロジャースで800円台で売っている焼酎を飲んでいるが、これは香りがきついので、たまには上品な味わいの「いいちこ」を飲みたいと思ったのだ。

倉庫に入ると、天井の明かりがすべて点いていた。
誰かいるのか、と思って声を掛けた。
「あの〜、誰かいますか。M ですYO!

しばらく待ったが、誰も出てこない。
壊れた事務機の陰からも、衝立で仕切られた事務所からも、誰も出てくる気配はない。
「かくれんぼ」をしている人は、いないようである。

ということは、消し忘れか。
ほぼ一ヶ月ぶりの隠れ家は、さぞ埃が積もっているかと思ったら、そうでもなかったから、倉庫の所有会社の社員が、掃除をしたのかもしれない。
そして、明かりを消し忘れた。
おそらく、そういうことだろう。

しかし、一応倉庫の持ち主に電話で確認をしてみた。
ひと月遅れの新年の挨拶を交わしてから、明かりのことを聞いてみた。
「いんやぁ、この一ヶ月は誰も行ってねぇんじゃねぇの。おそらく、Mさん以外には YO!」
社長は、素晴らしく品のいい話し方で答えてくれた。
近くにいる社員にも聞いてもらったが、誰も行っていないと言う。

ということは、一ヶ月前に私が行ったときに消し忘れたのか。
あのときは、高熱と闘っているときだったから、うっかり消し忘れたのかもしれない。
そうだとしたら、この件は、これ以上掘りかえさない方がいいのかもしれない。

「もしかして、私の勘違いですかねぇ〜、最近ボケてますから…」と適当なことを言って、電話を切った。
ついでに、事務所以外の明かりも切った。
ほの暗い灯りがいい感じである。
そして、事務所の隅っこに置いた大型の段ボール箱から「いいちこ」を取りだして、ホット焼酎にして飲んだ。

これは、いつ飲んでも、上品な香りと柔らかなのどごしの、品のいい味である。
まったりとした味に満足しながら、事務所のソファに足を投げ出し、段ボール箱に入れておいた司馬遼太郎の「項羽と劉邦/上巻」を読み始めた。
BGMは、ジョーサンプルの「虹の楽園」である。

読み始めて、20分くらい経った頃に、倉庫の蛍光灯がいきなり点いた。
倉庫の蛍光灯は1列に4基並んでいて、それが3列ある。
その中の一列が、何もしないのに点いたのである。

これにはビックリした。
事務所の衝立から出て、「何だ! 何だ!」と叫んで、ドアの鍵を確かめに行ったが、鍵は閉まっていた。
つまり、誰かが入ってきたわけではないようである。

試しに、「あの〜、誰かいますかぁ〜」と声を掛けたが、返事はなかった。
電圧の影響か、と思って配電盤を確かめようとしたが、配電盤は外にある。
懐中電灯を持っていないので、点検するのは難しいだろう。だから、それはやめた。

結局、ソファに戻って、文庫本をまた手に取った。
しかし、また一つ気が付いたことがあった。

トイレの電気が点いている!

つい今し方までは、トイレの明かりは点いていなかった(はずである)。
そこで、恐る恐る、トイレに近づき、ドアを「エイッ!」と開けてみた。

当たり前のことだが、誰もいない。
ホッとした。
トイレの電気を切ると、トイレの暗闇が何となく怖くなって、かなりの勢いを付けてドアをバタン! と閉めた。

しかし、これは一体どういうことだ!

何で、電気が勝手に点いたりするんだ!

これは、もしかして…………(怯)。

そこで、「いいちこ」のホットをまた飲んだ。
文庫本に目を移して文字を追ったが、活字が全く頭に入ってこない。

「だれか、いるんですかぁ〜!」
かなりの大声で叫んでみたが、返事はない。

大きい声を出すと、腹が減る。
段ボールには、カップ麺が数種類入れてあるので、ノンフライのカップ麺を選んで、食べることにした。
339Kcalと書いてある。おやつ程度のカロリーだから、晩飯に負担がかかることはないだろう。

ズルズルッと、大きな音を立てて麺を啜っていたとき、また電気が点いた。
今度は、全部である。
しかし、トイレの明かりだけは点かなかった。

もしかして、本当に呪われたのか………、あるいは、ポルターガイスト? (震)。

そのとき、音楽が突然止(や)んだ。
ビクッとしたが、これはただ単に、CDの再生が終わっただけである。
この程度のことでも、ビクつく自分がおかしい。

ズルズルッ!
キョロキョロとまわりを見回しながら、カップ麺を食べ終わった。

さすがに、文庫本を続けて読む気にはならない。
「いいちこ」も飲みたくない。

なんか、不気味である。
そこで、天井に向かって、「ワー!」と叫んでみた。
2回叫んだ。

しかし、ノドが痛くなっただけである。

私には稲川淳二のような霊感はない。
しかし、もしかして、これがきっかけで霊感に目覚める可能性があるかもしれないので、目を閉じて五感を澄ませてみた。

何も感じない……、どころか、寝てしまったのである。

馬鹿馬鹿しくなったので、我が家に帰ることにした。
すべての電気を、入念に確認しながら、消した。
その後、扉の前で5分ほど待ったが、電気は点かなかった。

「よし!」と意味のない気合いを入れて、自転車にまたがった。
しかし、ここで私はまた驚くのである。

壊れていた自転車のライトが、点いているではないか!
これは、一週間前から調子が悪くて、直さなければ、と思っていたのだが、つい先延ばしにしていたものである。
それが、点いている。光っている。

背筋が寒くなった。
まさかね〜、偶然だよねぇ〜、ありえないよねぇ〜。
一人ブツブツと呟きながら、私は懸命に自転車を飛ばして帰った。



2007/02/07 AM 07:46:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

吠える犬と吠えない犬
アベ内閣の支持率が下がっているらしい。

しかし、下がっているといっても、ブッシュのように30パーセントそこそこの末期的な状態ではない。
発足当時の世論調査の結果が良かったのと、前内閣との比較で、「下がった下がった」の大合唱になっているだけのようである。

私は、前内閣の支持率は「上げ底」だったと思っている。
コイズミ内閣は、一昨年あたりからの「お笑いブーム」のような現象で、支持率を維持していたと考えている。

「お笑いブーム」というのは、大変不思議なもので、百人いたら、そのうちの半数以上は「何があっても、笑ってやろう」と構えている人たちに支えられている。
最初から「笑ってやろう」と思っているから、ネタがつまらなくてもかまわない。

笑うことが重要なのである。

前内閣も、「何をやっても認めてやろう」という、メディアも含めての「ブーム」で底上げされているから、政策などはどうでもいい。
コイズミ氏が、「こう言った、ああ言った」という現象を追うだけで、中身の検証は二の次である。

しかし、人(首相)が変わると、当然のことながら「上げ底ブーム」はリセットされる。
遅ればせながら、有権者も多少は冷静になって、「何でも〜」というのはなくなる。

政権の初っぱなは、ご祝儀の意味合いもあって、「一応、内閣を支持してやろうか」と気を遣うが、前内閣とよほど変わったところがない限り、メディアの露出度に左右されて、興を失う。
だから、支持率が下がる。

メディアに定見はない。
「ナントカ劇場」という冠を付けられない総理大臣は、「華がない」のひとことで片づけてしまうのである。

そして、メディアが「華がない、顔が見えない」とひとたび言えば、もともと浮き草のようにフラフラした支持者は、「あー、アベ氏には、華がないんだ、顔が見えないんだ」と納得して、無党派層に逆戻りする。
その程度のことなのである。

前内閣は、政権初期の頃、確かに仕事をした。

まずは、無理矢理に抵抗勢力を作った。
次に、トップダウンの方式で、ハンセン病の控訴断念という決断をした。
しかし、長期政権を目論むには、もう一押しが欲しい、と思ったのだろう。
その後、北朝鮮に行った。
これは凄いことである。歴代の内閣が誰もなし得なかったことをしたのだから、これは評価されていい。

しかし、印象としては地味であるが、アベ氏も前政権でボロボロになった韓国、中国との関係を、小なりとはいえ、修復した。
北朝鮮との外交と、韓国、中国との外交。
どれに重きをおくかで、判断は分かれるだろうが、これからのアジアの時代を考えるとき、「日本と韓国、中国との関係」は北朝鮮よりも重要である、と私は思っている。

しかし、メディアに言わせれば、それでは「華がない」ことになる。
鬣(たてがみ)を震わせて、敵陣に単身乗り込んでいく方が「華がある」ことになるのである。
それが本当の「指導力」だったかは、その後の北朝鮮との無視されっぱなしの外交で、判断できることだが、メディアは「華がある」という感想しか報道しないから、幸運にも、彼は「華がある首相」ということで任期を終えた。

メディアはただ単に「ナントカ劇場」が恋しいだけで、冷静な評価を与えないのである。

コイズミ氏は、「ブーム」だけの人だった、と私は思っている。
彼には「位人臣を極めた人」としての風格がない。
些細なことに反応して論戦を受けて立つが、言葉が勢いだけだから、すぐに飛び散ってしまって、聞く側の脳の言語視野に浸透しないのだ。

東京都知事もそうだが、相手の気勢を削(そ)ぐ短いフレーズは、反論を抑える効果はあるが、彼らの言ったことを言葉にして読んでみると、見事なほど「空虚」である。
彼らが抛(ほう)り投げる言葉からは、日本語が本来持っているはずの、細かい機微が全く伝わってこない。

昔から、人の上に立つ人間は「茫洋さ」で民を包み込む人こそ英雄の資質ありとされたが、コイズミ氏らは子犬が弱いもの同士吠えているかのように、小さなことで眉間に皺を寄せ、そして、歯をむき出しにして吠えかかる。

彼らは、「何をした」よりも、人から「どう見られているか」が重要であり、さらに反論されることを病的なまでに嫌う人種である。
その点、アベ氏は、違うように思える。

私のアベ氏観は、「超タカ派」以外の何ものでもない。
外見はソフトな印象だが、それを隠そうとして隠しきれない、極めて温度の低い「凄み」のようなものを感じる。

彼は、まるで遅れてきた「韓流スター」のように、時流からずれて首相になった。
ちまたに数多(あまた)溢れる「韓流スター」が、「ヨン様の残像」から逃れられずに、そろそろ食傷気味であるように、アベ氏もコイズミ政権の幻影に絡め取られて、胸焼けを起こしかけている(おそらく、半分以上はメディアの感想のせいで)。

茫洋、という資質は、アベ氏の方がコイズミ氏より、色濃く持っている。
鈍い、という言い方もできるかもしれないが、判で押したような笑顔で、感情を隠す様は見事と言っていい。

古来の王がそうだったように、人を断罪して、表情を変えることがない人種である。
たとえいま、開戦の決意をしたとしても、彼なら、その後も平気でフランス料理のフルコースを食することができるだろう。

そういった意味では、コイズミ氏よりずっと怖い存在と言っていいかもしれない。

だから、彼の内閣の支持率が低いのは、私としては望ましいことだが、それがコイズミ氏の「回帰」を招くとしたら、それも困る。

無闇に吠える犬は嫌だが、吠えない犬も、何となく不気味である。

強いて言えば、雪山で遭難者を救助するセントバーナードのような、「奥ゆかしい賢明さ」「勇気溢れる懸命さ」を持った指導者を望んでいるのだが、それは高望みに過ぎるだろうか。



2007/02/05 AM 09:40:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

ダルマのダイエット
大戸屋」で、WEBデザイナー・タカダ君と昼飯を食べた。

タカダとは、今年二回目の会食である。
前回は、3週間前に、「師匠、仕事がパンクしそうです! ヘルプ・ミー!」という電話をもらって、丸一日「助っ人稼業」に従事した。

タカダは、売れっ子である。
いつも大量に仕事を抱えている。
これは、彼が独立するときに、私が「とりあえず、仕事は全部受けろ、受けてからスケジュールを考えればいい」とアドバイスしたことを、忠実に守っているからである。

タカダは馬力があるので、どんなに忙しくても弱音を吐かないが、今回は新年に仕事がなだれ込んできたので、収拾がつかなくなったようである。

「その節は、たいへんお世話になりました」
とビールのジョッキを、カチンと合わせた。

「少し、痩せた?」
私が聞くと、タカダは嬉しそうに「わかりますかぁ!」と四角い顔を丸くして笑った。

「1ヶ月で7キロも痩せたんですよ! あと20キロ絞るつもりですから!」
「いま、何キロになったんだ」
「それ言ったら、元の体重もわかっちゃうじゃないですか」
「85キロ」
「ゲッ!」

真剣にダイエットをし始めたのは、きっと「アレ」のためだろう。
「今年こそ、結婚したい! だろ?」と、私がタカダの顔をのぞき込むように見ると、ダルマのように赤くなって、「し、師匠オ、もう〜、かなわないなぁ〜」と照れた。

今では醜いダルマも、昔アスリートだった頃の写真を見ると、それなりにシャープな顔をしていた。
つまり、タカダも痩せれば希望が持てるということに、遅ればせながら気づいたのだろう。

タカダは、「上戸彩」が理想の女性である。
彼の仕事場に行くと、上戸彩のカレンダーが四隅に掛けてある。4つすべて同じものである。
それをキョロキョロと眺めながら、ウットリした顔をしている。
神経を疑う。

「俺が、上戸彩みたいな子と結婚できる確率は、何パーセントですかね?」
「10年前の消費税」
「えっ! ということは、3パーセントもあるということですか! ヨッシャー! 希望が持てたぞ!」

楽天的なダルマである。

「しかし、何で太っちゃったんですかね、5年で30キロ近く太っちゃいましたからねえ。そんなに食べた記憶はないんですが…」
「それは、朝晩ワンパックずつ納豆を食わなかったからだろう」

「・・・」
タカダは、あきれ顔で私の顔をマジマジと見た。
「師匠……、最近ジョークに切れがないですよ」

「キレてないっスか?」

「・・・・」
タカダは無言で「めかぶのおひたし」をつまみながら、ジョッキをグビッと傾けた。

ちなみに、今回の彼の昼飯は、「三陸産めかぶのおひたし」(9kcl)、「北海道産黒豆とひじきの煮物」(59kcal)、「じゃこと豆腐のサラダ」(291kcal)だけである。
私は「めかぶとろろのまぐろ漬け丼と鳴門わかめうどんせっと」(803kcal)と「奴豆腐」(98kcal)。

一つひとつを、タカダに見せびらかしながら食べた。
ビールも、おかわりした。
すべてタカダのおごりである。
我ながら、いい性格だと思う。

「師匠、気になっていることがあるんですが…」
「なに?」
「前歯、どうしたんですか?」

そうなのだ、ピスタチオを食べていたら、間違って殻も食べてしまって、前歯の先端が欠けてしまったのだ。
(ピスタチオを食べるときは、必ず殻を取ってください)
だから、いまの私は、以前にも増して間抜けな顔をしている。
自分でも笑える顔である。

「歯医者、行った方がいいんじゃないですか」
「だって、歯医者、嫌いなんだもん!」

「・・・・・」

私の娘なら、(タカアンドトシ風に)「子どもか!」と突っこんでくれるところだったが、タカダ君にそれを期待するのは、無理だったようである。

「大戸屋」の空気が、急速に冷えていった……。


2007/02/03 AM 08:25:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

あるある
朝10時過ぎに宇都宮線に乗った。
北浦和の新規の顧客に行くためである。

大宮で乗り換えて、京浜東北線に乗れば20分くらいで着く。
車内は混んでいたが、大宮までは二駅である。
少し我慢すればいい、と思っていたら、土呂駅で私の前に座っていた人が降りた。
座らなくてもいいか、と思ったが、誰も座る気配がないので、座った。

こんなとき、目を閉じてはいけない。
目を瞑ったら、確実に眠る。
10秒で眠ってしまうのである。

だから、懸命に目を開けていた。
車内の客を観察しながら、目を瞑らないように努力した。
ひととおり見渡して飽きた頃に、大宮駅に着くだろう。

目の前には、薄茶のチェックのコートを着た若い娘が立っていた。
そのチェックの柄を、何となく見ていた。

すると、「赤羽〜」というアナウンスが聞こえた。

眠っていたようである。
そこで、半分以上ボケて、
「息子に弁当は、持たせたかな〜、確か、持たせたな。よしよし……。
娘には朝飯にカニクリームコロッケを食わせたが、息子は朝飯食っただろうか。
おにぎりとみそ汁を作った記憶があるが、食べているところは見なかったな。
しかし、彼が朝飯を食わないことはありえないので、きっと食べたんだろうな。よしよし……」

などと納得して、また眠った。

「終点ですよ。上野駅に着きましたよ」
肩を叩かれて、目を開けると、60年配の女性が私に向かって、微笑んでいた。

「どうも」
慌てて、上野駅のホームに降りた。

よく眠った。
しかし、まだ体が半分以上、寝ている状態である。
頭は、覚醒とは、ほど遠い状態だ。

おれ、何で上野駅にいるんだろう?

「東大宮駅」でもなく、「大宮駅」でもなく、なぜ「上野駅」なんだろう!

とりあえず、歩き出した。
階段を上る。

階段を上まで上って、駅の行き先表示板を見た。
「京浜東北線」、というのが目に入った。

京浜東北線………、北浦和? 北浦和!!

ここでやっと思い出したのである。

新規の会社に、遅刻!
初めての訪問で、遅刻!


絶望的である。まだ約束の時間までは15分あるが、間に合うわけがない。
だが、一応電話した。

「行く途中で、腹を下(くだ)しまして……」
というベタな言い訳だったが、相手は納得してくれた。

これは、ボケたのか、ただ緊張感がないだけなのか。
どちらにしても、脳の老化、で片づけるのが一番いいのかもしれない。

脳の老化を防止する方法があったら。「発掘! あるある大事典2」で特集してもらいたいと思った。
ねつ造でも何でもいい。
嘘くさい盛り上げ方でいいから、もう一度、やっていただけないだろうか。



2007/02/01 AM 09:45:23 | Comment(10) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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