Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








成人しないメディアと親
熱でうなされている間に、「成人の日」が終わっていた。

カネコの娘ショウコも、今年の暮れには二十歳(はたち)になる。
我が息子も、四年後には二十歳。娘も九年後には二十歳。

私が成人したのは、はるか昔。
元服」といってもいい年代である(こういう冗談を言うと信じる人がいるが、それは自由です)。

毎年思うのだが、いったい「成人式」って何?
二十歳になるのが、そんなに特別なことなのだろうか。
私の友人は、むかし成人の日に親に車を買って貰った。
大学で同級だった女の子は、高い振り袖の着物を買って貰った。

その時、私は車を買って貰った男にこう言った。

二十歳まで親にお世話になったのはお前なんだから、何で世話になった方がものを貰うんだ。
普通は逆だろう。
昔は医療事情が悪くて、子どもが成人するのは奇跡に近かったから成人を祝ったが、今はアクシデントがなければ、子どもは普通に大きくなる。
成人したって、ちっとも偉くはない。
お前の方が世話になったんだから、お前が親に何かしてあげるのが道理というものだろう。


それに対して彼はこう言う。

「へ〜、お前って変わってるな」

変わっている私は二十歳になった記念に、本屋でアルバイトをして、母親を熱海に招待した。
お世話になったからだ。
父親は、月に1度しか帰ってこないから、お世話になった記憶がない。だから招待しなかった。
母はその時、感激してバイクを買ってあげる、と言ってくれたが、それでは意味がない。
丁重にお断りした。

私はショウコや自分の子どもたちに、成人式には何もしない、何も上げないと宣言している。
俺が育てた、と偉そうに言うつもりはない。
だが、二十歳とそれ以前それ以後では、何の変わりもない、と私は思っている。

法律という「縛り」はあるが、酒や煙草は自己の責任でいくらでも飲め、と言ってある。
それがいいことか悪いことかを判断するのは、自分だ。誰の責任でもない。
たとえ人様に迷惑をかけても、二十歳前でも後でも、その責任はすべて自分にある。
他人が悪いのではない、お前が悪いのだ。

二十歳を超えたから、責任を持つわけではない。
二十歳前だって、悪いことをしたら、自分で責任を持て。

そう言うと、息子はおとなしく聞いているが、娘は、
「へ〜、まるで親みたいに偉そうなことを言うなぁ」
とカラカラと笑う。
こいつは、まったく私の子ども時代とそっくりなやつだ!

成人式が荒れる、と近年言われるようになった。
私は、メディアが報道しなければ、そんなことにはならないと思っている。
報道するから、「俺も」と言うことになる。
メディアは、報道しっぱなしで、ちっぽけな「報道の義務」という自己満足を手に入れる。
不純な集団であるメディアは、純情な大人に「最近の若い者は、まったく!」と言わせたいために、若者が荒れる様をどんなニュースよりも優先して伝える。
そして、チルドレンたちも「最近の若者は…」と大人に言われたがっているように私には思える。

卑小で自己中心的な不満を持った未熟な人間にとって、「目立つ」というのは、最大のご馳走である。
報道してくれるのなら、尻尾を大きく振って、「荒れるふり」をするだろう。ヨダレを垂らしながら。
そもそも、本当のワルは成人式なんかに出てこない。
ワルのふりをしたい人種だけが、成人式で「暴れるふりをする」と私は思っている。

現代の二十歳を侮(あなど)ってはいけない。
彼らは賢い。
二十歳になったからといって、自分が大きく変わることはない、ということを知っている。
メディアと親だけが、二十歳を特別扱いしている。

そろそろ、そのあたりに気づくべきである。
彼らは、メディアや親が考えているほど、無知ではない。(未熟ではあるが…)
自分の置かれている状況を計算できる賢さを備えている。

同時に、彼らは大人(昔気質の常識人・純情な人々)をからかっているのである。
高校球児は純粋で清潔である、という幻想を持っているような純な人は、その行動に眉をひそめるが、今のチルドレンは大人の幻想をあざ笑うたくましさを持っているのだ。

メディアもそのことに早く気づいて、「荒れる成人式」の報道を抑える時が来ているのではないか。
確信犯に手を貸すのは愚かである。
メディアは、瓦版の時代からトピックだけに食いつくダボハゼのようなものだが、もうそのことに気づいてもいい時だ。
あるいは、本当はとっくに気づいているのだろうが、年中行事になった「荒れる成人式」の美味しいネタが捨てがたいのかもしれない。

報道しなければ、彼らは「な〜んだ、つまらねえの!」と思って、何もしない。
与えられたおもちゃをすぐ投げ出すだろう。
チルドレンは、目立つ場所をお膳立てしてくれる人がいなければ集団から離れていく、波紋の外側の人間なのである。
積極的に波紋の中に飛び込んでいく人種ではない。

人の目、メディアの目こそが、彼らの物差しである。
つまりは、小賢しいほど計算できる人種である。
メディアや大人だけが、計算できないお人好しのままで、まったく進歩がない。

成人の日が来るたびに私はこう思う。

メディアや私たち親の「成人の日」はいったい、いつになるのだろうか、と……。



・・・(久しぶりに真面目な話をしたので、腕に鳥肌が立っている、寒い…)


2007/01/12 AM 07:58:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.