Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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惨めな電話
ときどき自分の性格がわからなくなることがある。

基本的に大雑把だが、それなりに気配りもできる性格である、というのが自己分析だが、当然のことながら人の性格というのは、それほど単純ではない。

昨年の12月に、4年半ぶりに友人(旧友人?)から電話がかかってきた。
その電話の内容が、今頃気になっているのである。
これは、今までの私には、なかったことだ。

ササキという名の一歳年下の友人は、大手のPC販売会社の営業をしていたが、その後独立した。
彼の会社は、PC販売とメンテナンス、イベント企画、パソコン教室などを手広く扱って、一年目から黒字を出すという幸運なスタートを切った。

私が彼と知り合ったのは、彼が独立する二年前に、彼が個人的にもらってきた印刷の仕事を手伝ったのがきっかけだった。
彼は誠実な男で、相手に提示した見積書を私に見せて、「悪いけど、Mさんには、これしか出せないけど、次に必ず埋め合わせをしますから」と言って、次回には必ず約束を守ってくれたのである。

彼と仕事をしたのは、四回。
彼は毎回クライアントの我が儘を、手際よく抑えてくれたものである。

クライアントの我が儘というのは、際限がない。
たとえクライアントに勘違いがあったとしても、ミスを全てこちらになすりつけて、相手は平気な顔でいるのだ。
クライアントが勘違いを認めて謝る確率は、わずか数パーセントに過ぎない。
私は、自分が悪くない時は決して謝らない主義だから、そこでクライアントとの軋轢(あつれき)が生じる。
しかし、彼はそんな頑固な私とクライアントのご機嫌を取りながら、巧く舵取りをしてくれたのである。
そして、私のスケジュールが狂わないように、調整もしてくれたのだ。

これは、出来そうで出来ないことである。
営業のほとんどは、トラブルがあっても知らんぷりである。自分の仕事なのに、他人事の対応しか取れない人が多い。そして、クライアントの言うことしか聞かない。
だから、私はいつも、彼のその能力に感心し、全幅の信頼を置いていた。
彼は、私が知る中で、おそらく最高の営業マンだった。

そんなササキが、「俺、独立するんですよ」と言って、私に出資金を出さないか、と持ちかけてきた。
貧乏な私としては大いに迷ったが、「出資金」ではなくて、貸すということであればいいよ、と一大決心をしてその旨を伝えた。

「Mさんに役員になっていただければ、安心なんですが…」と言われたが、50万円で大きな顔をしたくないので、それは断った。
いま思えば、この金があれば新しいMacが買えたし、バイクも新しくできたのだが、ササキの志と意気込みに心を動かされて、資金を調達した。

「いつか儲かったら、返してくれよ」と、いかにも余裕のあるごとく振る舞ったが、内心は「あ〜、もったいねぇなあ」と後悔していた。
私は、ホントに小さな人間である。

ササキは、毎年律儀に「決算報告書」を送ってくれたから、彼の会社の業績は書類上で把握していた。
彼の会社は、特別儲かってはいないが、損もしていないという、丁度いい塩梅(あんばい)の会社経営で、今年5年目を迎えたのである。

そんなとき、ササキから電話があった。
4年半ぶりの電話である。

「ご無沙汰してます。お元気でしたか?」
というのが、第一声だった。
ササキという名を聞いたとき、彼の顔を思い出すまでに数秒かかった。
このあたりのタイムラグは、年月の経過を考えると、これくらいは許容できる範囲であろう。
決して、私がボケたわけではない(と思う)。

「Mさんのご活躍の様子、陰ながらうかがっております」
という明瞭な発音で、ササキが言う。
すっかり経営者の口調が染みついた、口先だけの挨拶を聞き流して、「事業は順調ですか」と聞いてみた。

「それがですねェ〜」
と、妙に沈んだトーンの芝居がかった言い方は、かつてのササキにはないものだった。
「忙しいだけで、なんの実りもありません。この間も腎臓結石で入院したんですよ」

「それはそれは、大変なことで…」
何となく胡散臭いものを感じながら、私は適当に相づちを打った。
この会話は早く終わらした方がいいと、私の本能が告げていた。
そうしないと、私の中のササキのイメージが崩れていく。

そして、彼は世間話を続けながら、合間に「儲かっていないんですよ、悲しいですね〜」と強調した。
決算報告書を見れば、彼の会社の現状は把握できる。
私は、馬鹿ではないのだ。

ことさらに、それを強調しなくても、それは理解できる。
会社経営が「バラ色」なのは、一握りの人たちだけだ。
その一握りの人たちに、私とササキが入っていないのは、自明の理である。

だから、私は黙っていた。
言い訳は、とりあえず全部聞かなければ、彼の意図するところがわからないからだ。

しかし、ササキは「決算報告書」に書いてあることをなぞるだけで、彼の話はそれ以上発展しそうになかった。
要するに、貸した50万円は返せそうにない、と彼は強調したいらしいのだ。
しかし、昔も今も、私はそのことに全く執着していない。

50万円は、私にとって大変な大金だが、無理に返して欲しいとは思わない。
彼には、養わなければいけない社員や家族がいるのだから、私はそんな無理は言わない。
私は、そういう人間なのである。

この4年半、彼に「50万円を返して欲しい」と思ったことは一度もない。
無理なことは要求しない。
そんな私の性格を、彼も理解してくれていると思っていた。

しかし、言い訳がましい彼の話を聞いていると、そうではないことを現実に突きつけられた思いがした。
ここで私は、大きくヘコんだのである。

俺って、そんなに「せせこましい人間」に見られていたのか?

私は今まで一度だって、ササキに催促がましいことを言ったことがなかった。
4年半、私からは彼に何も言わなかったのに、何で今さらそんなことを言ってくるのか。

その現実が、私を打ちのめすのである。

「いいよ、いいよ! 気にするなよ! あれは君にあげたと思っているからさ」
そう言った言葉が、私を縛って、さらに私は落ち込むのである。

あまりの馬鹿馬鹿しさに、私は一方的に電話を切っていた。

忘れていたことを、思い出させやがって!

そんな私の苛立ちは、ササキの思うツボだったのかもしれない。
ササキから電話があって一ヶ月半が経つが、いまだに彼の言葉にこだわっている自分が情けなくなる。

これなら、一生電話をかけないでくれた方が良かったのに……。

そんなことを思うと、自分の愚かさが倍加されて、自分がひどく惨めになってくるのだった。



2007/01/30 AM 09:49:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

身近にいた浜田省吾ファン
明け方まで仕事をしていたので、睡眠不足である。
今日(27日)は、夕方までのんびりして、仕事は夜からにするか、と思っていたときに、電話がかかってきた。

時計を見ると、10時15分。
仕事の電話でなければよいのだが。
いや、仕事の電話でもいいが、長話でなければいいのだが。

「センセイ、今日の夜のご予定は、どうなっていますか?」
電話は、一流デザイナーのニシダ君からだった。

「今夜は、お仕事のご予定です」
と答えたら、「ああ〜、そーですかぁ〜」と魂のこもってない声とともに、大きな溜息が聞こえた。

「夜は仕事だが、今は暇だぞ」
かなり眠かったが、そう答えてしまった。
「ああ、ホントですか、じゃあ、これから迎えに行きますから」

何となくピンとくるものはあった。
自宅の電話を娘の携帯に転送するようにセットしてから、50分後にはニシダ君の車に乗っていた。
車はホンダの「Odyssey」。かなりいい乗り心地である。

乗ってすぐ、新年早々、ニシダ君に頼んだデザインを私のミスでボツにしてしまったことを謝った。

「いや、センセイの作ったの見ましたけど、写真が活きてましたよ。僕のはテキストを活かすデザインで、センセイのは写真を活かすデザインでした。どちらにしても、センセイの方が選ばれたと思いますよ」
とニシダ君は言ってくれたが、力の差は、私が一番感じていることである。
申し訳ない、と思っている。

車中で、彼の同居人チヅルさんの酒豪伝説を語り合っている間に、彼の住むマンションに着いた。
玄関を開けると、「入籍しました」と、自分でクラッカーを鳴らすチヅルさん。
それも、普通より3倍以上でかいクラッカーである。

驚いたフリをした。
おそらく、こんなことをしてくるのではないかと思っていたからだ。

すかさず私の方は、ポケットに隠し持っていたカラフルな紙吹雪をばらまいた。
「結婚、おめでとう!」
いったい、掃除は誰がやるんだろう。玄関に紙吹雪が散乱している。

「クッソー、読まれていたか!」
とチヅルさんが悔しそうな顔で、両手で握り拳(にぎりこぶし)を作る。
その仕草が可愛いらしい。
ニシダ君は、いいパートナーを見つけたと思う。

「これから、ニシダシンジとチヅルの結婚披露パーティを始めます」
チヅルさんが、右手を挙げて宣言した。

ダイニングに通されたが、客は誰もいない。
招待されたのは私だけのようだ。料理もまだ作っていないようである。
そこで、私が「料理、まだなら、俺に作らせてくれない?」と言った。
「いや、お客様にそんなことは…」とニシダ君。
「ああ、Mさんの手料理、食べてみたいな」とチヅルさん。

どんなときでもチヅルさんの意見の方が重いので、私が料理を作ることに決定した。

キッチンに入って食材を点検すると、それなりに揃っているので、「1時間以内にパパッと作るから、凝ったものは期待しないで」と言った。

考えたのは4品。
リゾットオムレツとサーモンのマリネ、小松菜とベーコン、タマゴマカロニのサラダ、サーモンのオーブン焼きである。

その中で評判の良かったリゾットオムレツの簡単レシピ。

・ニンニク一片をみじん切りにし、オリーブオイルで炒める。
・香りが付いたら、タマネギのみじん切りを加えて炒める。
・熱湯に30秒ほどつけて皮をむいたトマト4個を、つぶしながら加える。
・赤ワインを適当に振りかけ、ある程度水分が飛ぶまで弱火で煮込む。
・その後、塩とコショウで味を調える。
・少量のバルサミコ酢を加えてもいい(無い場合はいらない)。
・沸々としてきたら、ご飯を3人分ぶち込んでトマトソースにからめる。
・コンソメスープ200ccを加えて、一度煮込んだら火を止めて、パルメザンチーズを振りかける。
・卵は、1人前大2個を使用。軽く溶いてマヨネーズを加える。
・オムレツを作るときは、マヨネーズの油を利用するので、油はひかない。
・温めたフライパンで40秒ほど卵を火にかけたらすぐ止めて、オムレツの形を整える。そして、皿に盛ったリゾットにオムレツをのせる。

以上である。

これは、全ての要素が絡み合って、上品な味わいのオムレツになった。
二人とも、チキンライスのオムレツよりもうまいと言ってくれた(お世辞かもしれないが)。

1月25日、ニシダ君の誕生日に入籍した二人は、披露パーティを仲のいい20人ほどを招待してする予定でいた。
私も招待しようかと思ったが、まわりが知らない人ばかりだと私が気詰まりすると思って、今回特別にこの場を儲けてくれたらしい。
つまり、気を遣ってくれたわけである。
嬉しいことだ。

「二人の永遠の愛に乾杯!」
私がくさいセリフを言うと、二人とも顔を赤くして照れている。
チヅルさんの赤くなった顔も可愛いのである。

私がそのへんを突っこもうとしたら、チヅルさんが機先を制して言った。
「Mさん、私とMさんの共通点、知ってます?」

「ビールが好物、人生は冗談で出来上がっていると思っている、何ごともいい加減、寝たいときに寝、飲みたいときに飲む」
と私が言ったら、「そうそう、いつもグータラして、酒ばっかり食らっている……、コラッ、私はグータラ女か!」ノリツッコミで返す。

私がもう少し若かったら、間違いなく漫才の相方に選んでいただろう。

浜田省吾が好き!」
チヅルさんが右手を挙げて宣言した。

若いのに、何とマニアックな!
「Mさんにとって、ハマショウは特別な存在なんですよね?」

私は大きく頷いた。
色々なジャンルの音楽を聴いているが、私にとって「浜田省吾」は、それを超越する存在なのである。
チヅルさんもまた、私と同じ感覚で浜田省吾を捉えているらしい。

それからは、「浜田省吾談義」に終始して、ニシダ君を置いてきぼりにした。
彼は、私たちの顔を交互に眺めながら、半ばヤケクソになって料理をつついていた。

「ねえ、Mさん、ひとから『浜田省吾の曲で何が一番好き?』って聞かれると、腹立ちません?」
「そうそう、頭来るよねぇ。全部好きなんだから、一曲選ぶことなんかできるわけないんだから!」

チヅルさんは、首を何度も大きく縦に振りながら、右手に握りしめた「ミラーライト」をグビグビっと呷(あお)る。
「すべてが『浜田省吾』なんですよ! どれか一つが『浜田省吾』なんじゃない! だから、一番なんて選べない!」

よくぞ言った、チヅル!
二人両手で握手した姿を見て、ニシダ君が明らかに「エイリアン」を見る目になっていた。

その後もずっと、ニシダ君を置いてきぼりにして、二人して「浜田省吾論」を闘わせた。
ふたり肩を組んで「I am a father」を歌う姿を横目で見ながら、サーモンマリネを頬張るニシダ君の顔は、明らかに強張っていた。

これが、二人のこれからに影を落とさないことを祈るしかない。

ヤケクソで酔っぱらったニシダ君に車の運転をさせるわけにいかないので、帰りは電車で帰ったが、頭の中で「I am a father」がリフレインしている。
それは今も続いていて、チヅルさんのサビのハーモニーが今も耳に残っている。

ニシダ君、君のお気に入りの「松浦亜弥」の話題に触れなくて悪かったね。
どちらにしても、結婚おめでとう。


2007/01/28 AM 09:51:56 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

早朝チャリンコレース
自転車で無茶をしてしまった。
いま思い出しても鳥肌が立つ、馬鹿げたチャリンコレースである。

高校一年の息子が卓球の大会に出ることになった。
彼は、中学時代はレギュラーになれなかったが、高校はレベルが低いのか、それとも息子の努力のたまものか、レギュラーの座を勝ち取ることができた。
今回が、息子のレギュラーとしての初めての試合である。

めでたいことだ。
そこで、朝早く起きて、必勝を願ってボリューム満点の弁当をつくった。
出来上がった弁当を見て「これは傑作だ」などと、一人満足していたところまでは良かった。

その後、試合用のユニフォームにゼッケンを付け、弁当をバッグに入れた。
ヨメが花屋のパートに行く前に、車で駅まで息子を送ってくれるというので、6時50分に送り出した。

そして、台所で「PUSHIM」のCDを流しながら、小学五年の娘と私の朝食をノンビリと作った。
娘は7時頃起きる。
二人とも朝食は軽めである。

今回は、ポタージュスープと、食パンにツナマヨネーズを載せ、チーズとパン粉をまぶしてトーストしたものを半分ずつ食べた。

娘と二人、パンを頬張っているとき、電話が鳴った。
ヨメの携帯からである。

「体育館シューズがない!」
そういえば、入れた覚えがなかった。
息子も確認しなかったようだ。

裸足では試合に出ることはできない。そして、靴を二足持ってくる友達などいないだろうから、このままでは彼は試合に出られないことになる。
「卓球命」の彼が試合に出られないとなると、その落胆は、宝くじで二億円が当たったものの、当選番号を見るのをうっかり忘れて、気が付いたら期限が過ぎていた時と同じくらい、大きいものになる。(なんのこっちゃ!)

ヨメが吠える!
「あと、15分で電車が来ちゃうわよ! それに乗らないと集合時間に間に合わない! 私がこれから帰っても間に合わないから、パパが試合会場に届けてくれない?」

それは無理だ。
9時半に「すかいらーく」で仕事の打ち合わせの約束がある。
その人は、わざわざ川越から来てくれるのだから、時間をずらしてもらうわけにはいかない。
午後は、熊谷のハウスメーカーに行く約束がある。

「じゃあ、どうするの。試合に出られないじゃない!」
「今から、チャリンコで駅まで届ける」
「えー! 何いってんの! もう15分もないのよ! 無理でしょ」
「俺の足をナメんなよ!」(誰もナメてはいないが…)

私は慌てて、ジャージの上にダウンジャケットを着込み、息子の靴を抱え、飛び出そうとした。
「おい、アタシはどうするんだよ」
「気をつけて学校へ行けよ。面倒だから、戸締まりはしなくていいぞ。とられるものは何もない!

貧乏くさい啖呵を切って、私は階段を飛ぶようにして降りた。
リミットまで、おそらくあと12分
私の住む団地から、最寄りの駅までは最短距離で約3キロ。

普通にチャリンコを走らせて、15分くらいかかる。
以前、最短時間にチャレンジしたときは、約10分かかった。
信号をノンストップでクリアすれば、9分でいける可能性がある。少ない可能性だが、「できない」とは思わない。
楽観的なのか、馬鹿なのか……。

駐輪場からチャリンコを出して乗る。あと11分、か。

これから私の無茶が始まる。
遊歩道を前屈みになって漕ぐ。
朝早いので、幸い歩いている人はいない。だから、飛ばす。

最初の信号。
20メートルほど手前で「黄色」になったが、また「俺をナメんなよ!」と小さく叫んで、風のように通過。

2番目の信号も、「赤」になる寸前。通過しようとしたときは、「赤」になっていたが、車の姿は見えない。
「俺は色盲だから、『赤』が『青』に見えるんだよね」などと呟きながら、突っ走る。(渡っていた途中で赤に変わったときって、戻らないといけないんでしたっけ。記憶喪失)

信号を抜けて、最初の坂道を疾走する。
ジョギングなどでも上り坂は得意なので、一気に駆け上がり、ゆるやかな下りをすっ飛ばす。

住宅街を右に左に、さらに右左右左とチャリンコを走らせる。
小さなカーブのところで、犬の散歩をしていたオバさんにぶつかりそうになる。
犬が驚いて「キャン」と吠えるが、知らんぷり。オバさんが少し遅れて、「何よ、危ないわねえ!」と罵声を浴びせてきたので、「すいませ〜ん」と小さく言って、さらに加速。

このあたりでやっと半分のルートか。
時間を確認するものを持ってきていないし、たとえ持っていたとしても、見る余裕はない。
おそらく、あと6分、か。

住宅街の最後で、路上駐車の車が数台あって、先の見通しが悪かったが、ここでスピードを落としたら、間に合わない。
対向車が来ないことを祈りつつ、やや減速して(そうは言っても、かなりのスピード)通過する。

最後に一回、右左右とカーブをやり過ごし、メインストリートへ。
ここまで来ると、チャリンコで駅へ急ぐ人が、かなりいる。

これはレースだ!
こいつらに、負けるわけにはいかない!
と思うと、血が騒ぐ。(間違いなくバカ)

3つ目の信号は幸い「青」だった。
ここで、4台のチャリンコを追い抜いた。
さらに、前を行くマフラーをなびかせた女子高生に狙いを定めて、抜きにかかる。
抜いた。
次は、前屈みで力強い漕ぎっぷりの若いサラリーマンをターゲットにした。その距離20メートル

しかし、この男、かなり早い。
私の方は、長い距離を飛ばしてきたせいで、乳酸が膝に溜まってきたのだろう。脚が思い通りに動かなくなってきた。
4つ目の信号を超えたが、差は依然20メートルのままだ。

駅まではあと二百メートル弱。
タイムリミットまで、おそらく、あと3分
そこで、こう思った。

そうだ! この20メートル先の人ではなく、さらに先の人をターゲットにすれば、早く漕げるのではないか。
30メートル先の禿げオヤジをターゲットにすればいい。

これは、私がジョギング大会に出て、途中疲れて足が上がらなくなったときに、よくとる方法である。
これは、意外と効果があるのだ。
ジョギングでうまくいくのだから、チャリンコでもうまくいくはずだ!

馬鹿な男ほど、こういう暗示に弱い。
最後の信号の手前で、若いサラリーマンを追い越し、ターゲットにした禿げオヤジも追い越した。

ロータリーを迂回して、自転車を止め、鍵をかけずに駅の階段の前まで走った。
まだ、電車は来ていないようだ。
いや、あるいは、行ってしまったあとか。

駅のロータリーの時計を確かめようとしたが、眼鏡がないので文字盤が見えない。
よく考えたら、眼鏡もかけずに、これだけすっ飛ばして、よく無事に来られたものである。

しかし、今はそんなことに感心しているときではない。
階段を二段飛ばしで駆け上がった。
階段の最上段には、息子のまん丸目の顔。

「えー! ホントに自転車で来たの。スゲェー! まさかぁ」
「驚いてる暇はないから、さっさと行け。遅れるぞ」
と言ったとき、上り電車が来る音がした。
息子は、「ヤバッ!」と、改札めがけて駈けていった。

間に合ったようである。
ひと安心だ。

しかし、まわりを見回して愕然とした。
眼鏡がないから、すべてがぼやけて見える。
よくこの状態で、この距離を走って来られたものである。

ただ、途中追い抜いていくチャリンコの姿だけは、確実に捉えていたのだから、不思議と言うしかない。
動体視力だけは、別ものなのだろうか。
研究の余地があるかもしれない(?)。

しかし、どちらにしても、よい子の皆さんは、くれぐれも真似をしないでいただきたい。




2007/01/26 AM 09:43:07 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

さいたま市在住のボケ・デザイナー
桶川の得意先に三ヶ月ぶりに行ってきた。

遅ればせながら、「今年もよろしくお願いします」と言ったら、担当者のフクシマさんが「固いことは抜きにして乾杯!」と、麒麟の「一番搾り」を渡してくれた。

私がいつ来るか、と待っていて、ずっと冷蔵庫に置いていたものらしい。
私はまったく営業に熱心ではないので、得意先に新年の挨拶をしたことがない。
フクシマさんも、そのことは知っているはずなのに、私のためにビールを用意してずっと待っていてくれたのである。

有り難いことだ。
しかし、朝の9時半に会社内で乾杯しても、誰からも文句を言われない会社というのは、すごい!
社長が奥に座っているのだが、平気な顔で鼻毛を抜いている。
この雰囲気は、かなり好きである。

フクシマさんは、顔を赤くして仕事の説明を始めたが、説明するたびに納期の日にちを間違えるから、これは後で「しらふ」のときに確認し直さなければ。
それに、車の運転もしないように、釘を刺しておかなければいけない。

「車の運転? ハハハ、おれ、免停食らったから、それはダイジョーブ! ハハハ」
要するに、やけ酒か!

一時間弱の打ち合わせを終えて、「バイビー」というフクシマさんの声で送り出されて、得意先から出ようとしたとき、入口で知っている顔に出会った。

新宿の企画・編集会社の社長、シブヤ氏である。
シブヤ氏と会うのは、4ヶ月ぶりだが、昨日の夜も彼の会社の仕事をしたばかりである。

昨年の9月に彼の奥さんが産休に入るので、奥さんがしていた仕事を少し手伝うように頼まれ、最終工程のチェックの仕事を不定期にすることになった。

これは、まずシブヤ氏の会社のサーバから、校了の仕事をダウンロードして、それが正常にフィルム製版できるデータかをチェックする仕事である。
件数は月によって違うが、大体4、5件だろうか。それほどタイトな仕事ではない。
わざわざ新宿まで行かなくても済むから、肉体的にも楽である。
また、仕事自体も、神経は使うが要点さえ押さえておけば、それほど難しいものではない。
私が普段している仕事とは違うので、気分転換にもなって、結構楽しんでいる。

「あれ、Mさん、この会社に出入りしているんですか」
「あれ、シブヤさんこそ、わざわざ新宿から来たんですか」
「僕、独立前はここで働いていたんですよ」

世間とは、本当に狭いものである。
このように、色々な要素が絡み合い、人と人が出会って、社会は形成される。
そして、こういう出会いがあるからこそ、人生は面白い。

偶然、というのは、人の暮らしの中で、その人の人生に最も彩りを与えるものではないだろうか。

私とシブヤ氏の関係も、むかし彼の奥さんに私がPCの操作を教えたことがきっかけである。
そして、彼の奥さんが妊娠して、彼女がしていた仕事の一部を私が手伝うことになったのも、偶然と言えば偶然だ。

たまたま、奥さんが私のことを思い出したので、シブヤ氏とも繋がりが出来たからである。

「人と人との出会いは、まるでジグソーパズルのようである」
と、さいたま市在住のボケ・デザイナーは言った。

「ああ、そういえば、そろそろ産まれる頃なんじゃないですか」
私がそう言うと、シブヤ氏は、両手でガッツポーズを作って、「産まれたんですよぉ〜!」と絞り出すような声を出した。

その、全身で喜びを表す仕草につられて、私はシブヤ氏をハグしていた。

「おめでとうございます、いつ産まれたんですか」
「1月4日の午後7時22分です!」


ハグの次は、両手で握手。
失礼だと思ったが、あまりに嬉しくて、肩を強く叩いてしまった。
シブヤ氏の方も私に肩を強く叩かれて、クシャクシャの笑顔で大きく頷いている。

喜びの共有。
一人の命が、この世に生を受けただけで、これだけ喜ぶ人間がいる。

「ひとの命は、何よりも重いものである」
と、さいたま市在住のボケ・デザイナーは言った。

感動の共有をした余韻に浸りながら、桶川駅までの道を歩いているとき、携帯電話(娘の携帯を拝借。待ち受け画面が『スティッチ』。ストラップも『スティッチ』)が鳴った。
「お父さんが倒れて、救急車で運ばれた」というヨメからの電話である。

今日は、このあと熊谷のハウスメーカーに行く予定だったが、打ち合わせの日にちをずらしてもらって、川崎に駆け付けた。
行く前は「意識不明」と言われたが、病院に行ってみると、一週間程度の入院で済むだろうと言われた。

父親は寝ていたので、医師に挨拶をして、夕方には病院をあとにした。
渋谷駅から「湘南ライナー」に乗り、運良く「池袋駅」で座ることができた。
そして、座った途端、爆睡。

目が覚めたときは「東大宮駅」をはるかに過ぎて「古河駅」に着いたところだった。
飛び跳ねるように電車を降りて、反対方面の電車に乗り、引き返した。
上りの電車の中は空いていたが、座らなかった。座ると眠ってしまうからだ。

「電車の乗り過ごしには、注意しましょう」
と、さいたま市在住のボケ・デザイナーは、しみじみと言った。



2007/01/24 AM 09:42:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

パンダのお父さん
一匹のノラ猫と仲がいい。

顔の模様がパンダに似ているので、私はその猫のことを、密かに「パンダ」と呼んでいる。
パンダは、オスだ。
小さい頃から人なつっこいヤツで、私の顔を見ると「ニャアニャア」といつも鳴いていた。
そして、すぐ腹を見せるのである。

猫の世界で腹を見せるのは、「あんたに服従します」という意味がある。
こんな風に懐かれてはいるが、私は彼にエサはやらない。
近所に猫好きの人が何人かいて、エサをあげているから、特別私があげなくても、彼らが食料に困ることはないからだ。

だから、私とパンダの関係は、エサを抜きにした関係である。

団地のノラ猫たちは、結構いい毛並みをしているし、やせ衰えた猫も見たことがない。
そして、みんないい面構えをしている。
パンダも子どもの頃はあどけない顔をしていたが、4年もたつと、不敵な面構えになってきた。

しかし、そんな強面(こわもて)になっても、私の顔を見ると「ニャアニャア」と鳴いて、すぐ腹を見せるのである。
私が、彼の耳を裏返したり、尻尾を掴んだりしても、怒らない。
「パンダ」と呼ぶと、必ず「ニャア」と応える。

ときに3ヶ月以上見かけないことがあって、「交通事故にでも遭ったか」と心配することがあるのだが、いつも何ごともなかったように姿を現して「ニャア」と鳴く。

そんなときは、妙にホッとするのである。

猫のテリトリーは狭いと言われているが、パンダの場合、半径2キロくらいをウロチョロしているようである。結構広いテリトリーだ。
その半径2キロ以内に、彼のエサ場が何カ所かあるようだ。
思いがけないところで、エサを食っている姿を見かけて、「パンダ」と呼ぶが、そんなときでも彼は、律儀に「ニャア」と鳴いてくれるのである。

昨日の昼間、遊歩道をジョギングしていると、長い尻尾をピンと立てて歩く黒い後ろ姿を発見した。
普通の猫は、ジョギング中に遭遇すると、足音に驚いて、大抵は「なんだ! なんだ!」というような顔をして、ササッと逃げる。

しかし、パンダは悠々とした歩きを変えずに、足音の方を振り向くだけである。
そして、「なんだ、騒々しいな」というような顔をして、見上げるのだ。

「おい、パンダ」
「ニャアー!」

「ニャア」と鳴いた途端、もうすでに私に腹を見せている。
そんな、カワイイやつだ。

遊歩道には、木のベンチがある。
私がジョギングをやめて、木のベンチに腰掛けると、パンダもベンチに上がってきた。
そして、また腹を見せながら、体をクネクネさせるのである。

その腹を、ツンツンと軽くつついてやると、私の指に両手をからめて、また「ニャア」と鳴く。
ノラ猫のくせに、大変な甘えん坊である。
「今日の飯はどこで食った」と聞くと、「ニャウワウ」と応える。
何となく、人の言葉がわかっている風情(ふぜい)である。

そして、驚くべきことに、このパンダ、私のヒザの上に乗ってきたのである。
いくら親しくしているとはいえ、用心深いノラ猫が、ヒザの上に乗ってくるとは思わなかったから、ビックリした。

パンダは、そんな私の驚きなど意に介さずに、私のヒザの上で、丸くなった。
首筋を撫でてやると、恍惚の表情でノドを鳴らしている。
「ググググググ」

まるで、コタツの中でご主人様に可愛がられている飼い猫のようである。
そんな風に思っていると、「わぁー、カワイイ!」という声が聞こえた。
声の方を見ると、女子中学生が二人、立ち止まって、丸まったパンダを見ていた。

「ええっ、俺ってそんなにカワイイ!」
と私がボケたら、我が娘なら「お前じゃネエよ!」とツッコんでくれるところだが、そんな漫才を他人に期待するのは無理というものだろう。
だから、黙っていた。

すると、二人のうち、いかにも「ワタシ、動物が好きで好きでたまりません」という感じの女子が、「触ってもいいですか」と聞いてきたので、「汚いから手が汚れるかもね」と言ったが、彼女は全くかまわずに触ってきた。
パンダは触られるままにしていたが、何となく「面倒臭ェなぁ」というような顔をしている。

撫でながら、彼女が「名前は何というんですか」と聞いてきた。
私の飼い猫だと勘違いしているようである。
しかし、そんなことはたいした問題ではないので、「パンダ」と応えた。

「パンダ! パンダ!」
女の子は、何度かそう呼んだが、パンダは知らんぷりである。
「気安く呼ぶなよ」という感じで、眉間に皺を寄せて(?)、丸まっている。
尻尾も振らない。

私が「パンダ、お前、可愛い女の子が呼んでるんだぜ、もっと愛想よくしろよ」と言うと、「ニャアニャニャ」と鳴きながら、私の顔を抗議するように見る。
「勘弁してよ、いちいち愛想よくしてらんネェよ」という感じ、か。

「ああ、やっぱり飼い主にしか、返事をしないんですね。頭いいーっ!
女の子は、感心してパンダの背中をまた撫でる。
その姿を、もう一人の女の子が携帯のカメラで撮ろうとしたら、パンダはいきなり体を起こして、遊歩道を全力で走っていった。
プライバシーを撮られるのは、嫌いのようである。

「あー、もうちょっとだったのにぃ!」
女の子が悔しがる声が聞こえたのか、パンダは20メートルほど行ったところで止まって、こちらを振り向いた。

私が彼に手を振ると、私をジーッと見てから、「ニャア」と一回鳴いて、車道を超えて向こう側にわたっていった。

「またな」という意味かもしれない。

「パンダは、自分の家、覚えてるんですか?」
女の子は私の隣に座ったまま、私を見上げて聞いてきた。
「そうだね、頭がいいからね」と私が答えると、彼女は大きく頷いて「ああ、やっぱり」と言った。

そして、「でも」と言って、少し言いにくそうに、もう一度私を見上げた。
「体、かなり汚かったですから、お風呂に入れてあげた方がいいですよ。そうすれば、もっと可愛くなると思う」
そう言いながら、私の顔を見上げて、同意を求めるように何度も頷いていた。

「うん、ありがとう、今度そうするよ」
そう言うしかない。
私が「じゃあ」と言って立ち上がると、女の子は「さよなら、パンダのお父さん」と言って、手を振ってくれた。

パンダのお父さん、か。
きっと彼女は、私を見かけるたびに「パンダのお父さん」と言って、声をかけてくるのだろうな。
まあ、それはそれで、面白いかもしれない。

じゃあ、パンダのお父さんは、もうひとっ走りしてくるか。



2007/01/22 AM 09:48:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

マジメな遺伝学
遺伝、ということをまじめに考えてみた。

昨年の終わりに、私の姉が、言葉にするのも恥ずかしい不始末を立て続けにしでかし、各方面に迷惑をかけた。
そのことが、今でも我が家に大きな影を落としている。
年末の忙しいときに「なぜこんなことを!」と言っても、本人は自分のことしか考えていないから、虚しくなるだけである。
しかも風邪まで感染(うつ)してくれる、というおまけまでついて、年末年始はそれで苦しめられた。

「子どもは、産まれるとき、親を選ぶことが出来ない」とは、よく言われることだ。
ただ、二人の子どもを持つ親の心情としては、私とヨメは、この子どもたちに巡り会うために人生を辿(たど)ってきたと思いたい。
そして、彼らにも、私たち親と巡り会うためにこの世に生を受けた、と思って欲しい。

しかし、私はこうも考えるのだ。
兄弟を選ぶこと、これだけは出来ない。
これはまったく別のものだと思っている。

だから、「遺伝」ということを考えてみたのである。
姉が悪いのではなくて、彼女を形づくる遺伝子が悪いのではないか、と思ったのだ。
つまり、代々受け継がれた血が絡み合って、悪さをしているのではないか、と。

わかる範囲でたどってみると、父方の祖父は、大分県の生まれで、郷土史研究家をしていたという。
私の父は、四人兄弟の四男で、長男は父親を継いで郷土史研究家、次男は漫画家、三男は絵描きだったらしい。
つまり、三人ともサラリーマンではなかった。人付き合いは悪かったようである。

人付き合いの悪いところを、姉は受け継いだようだ。

私の父は、働きながら小説家を目指していた。
勤めていた会社は、それなりに名の知れた会社だったが、彼は稼いだ金を自分のためだけに使った。
「小説家は、銀座新橋で名が売れなければいけない」といって、新橋にアパートを借りて、毎晩新橋、銀座で飲み歩いていたのである。
だから、我が家には月に1回程度しか、帰ってこなかった。
そして、我が家には、お金を一銭も入れないという徹底ぶりだった。

このあたり、私の姉に似ている。
彼女も、人のために何かをする、という観念が見事に抜け落ちている人だからだ。
これは確実に、父親の遺伝子を受け継いでいる。

父方の祖母は、「小町」といわれたほどの美人だったらしい。
若い頃の写真などを見ると、目元ぱっちりで小顔である。可愛いらしいお姫様という感じだ。
これは、親類の誰にも似ていない。
彼女の器量は、誰も受け継がなかったようである。小顔というところだけ、私の娘に似ている。

私の母方の祖父は、島根県出身の日本画家だっが、33才の若さで肺結核で死んだ。
帝展(今の日展)にも、何度か当選していたから、それなりに成功した画家だったのだろう。
祖母に言わせると「あの人は、絵を描くのと鳥を撃つだけの人だった」らしい。
毎日鳥を撃ちに行き、それを自分で器用に剥製にして、その絵を描く。
絵が描ければいい。他には何もいらない。そして何もしない。芸術家の典型のような人だ。
そして、煩わしいことからは徹底的に逃避する、怠け者だったようである。

このあたり、私の姉に似ているようである。

母方の祖母は、島根県で師範学校の先生をしていた。
いつも穏やかで、私は彼女が、怒ったり、人の悪口を言うところを見たことがなかった。
どんな状況でも、物事を冷静に判断して、理詰めで人を諭す。
教師になるために生まれてきたような人だが、決して自分の意見を押し付けることはしない人だった。

この祖母の持つ「人間の優美さ、崇高さ」というものを受け継いだ人は、祖母ほどのレベルではないが、二人いる。
私の母と私の息子である。

私の母は、人を疑うことが苦手である。
人間性善説の固まりのような人だ。しかし、現代ではこの種の人は多大なストレスに晒(さら)される。
お人好しを騙す人は、刈っても刈っても芽を出す雑草のごとく大勢いる。
母は何度も人に裏切られてきた。
しかし、それでも人を信じるのである。80年間もこれを維持できるというのは、たいした才能だと私は思っている。

私の息子も人を信じる。そして、嘘がつけない。
こういう話を聞いた人は皆、「嘘をつかない人間などいない」と必ず断言する。
私もいないと思う。
ただ、どんなことにも必ず例外はある。
息子がその例外である。

私と娘は、そろって悪戯(いたずら)好きなので、ヨメや友だちを騙して楽しんでいる。
それを息子にもやらせようとするのだが、彼の表情で、必ずばれてしまうのである。
嘘をつこうとすると「心臓がバクバクする」と言って、真っ赤な顔になるのだ。
息も荒くなる。ハァハァ言っているから、それでアウトである。

「オレ、嘘をついたら、心臓麻痺で死んでしまうかもしれない」
息子は、顔を真っ赤にしながら、そう言うのである。
部活から遅く帰ってきた彼に、私が「モスバーガーで何か食ってきたな」というと、すぐに顔を赤くして固まるのだ。
そして、心臓を抑えてこう言う。
「しっ、死ぬかも!」

何と可愛い高校一年生ではないか!(親バカ)

彼は人の悪口を言わない。人からからかわれたら人並みに怒るが、からかった人間を悪く言うことはしない。
彼は人を裏切らない。
しかし、人は平気で彼を裏切る。そのために、いつも泣くことになるのだが、それでも悪口が言えないのである。

成長期だから、情緒不安定なところはあるが、人間の出来という点では、はるかに父親(私)を凌いでいる。
このまま成長していって欲しいものだが、世の中は悪意に満ちている。その悪意を真正面から受けて、彼の「いい性格」が歪まないように、親が見守らなければいけない。

私の姉の性格と息子の性格は、地球の表と裏側ほども違う。
しかし、不思議なことに、彼は心配しているのである。
「俺って、叔母さんにちょっと似てるんじゃないかな」

私が、「まったく似ていないから心配するな」と言っても、「そうかなぁ、だって、人の話を聞いていないって、たまに怒られることがあるジャン!」と心配する。
確かにたまに集中力が途切れて、人の話を聞いていないときがあるが、それは私もヨメも娘もそうである。
人の話を聞いていないのは、「M家の呪われた血」によるものである。気にすることはない。
威張ることでもないが……。

姉の悪口を書いてきたが、彼女も負の部分だけがあるのではない。
絵の才能と手先の器用さは、祖父譲りで天才的だし、文章の才能は父親譲りである。そして、怖ろしいまでの記憶力の良さは、祖母譲りである。
この天賦の才能は、「無敵」と言っていいものだ。

しかし、残念なことに、彼女は人を信じない。そして自分自身でさえも信じていない。
だから、自分の才能をまったく信じていない。
人がどんなにその才能を褒めても、その言葉は岩に打ち寄せる波しぶきのように、はじけ飛んでしまって、実体がない。
一人の天才が、ひきこもってその才を発揮できないのは損失だが、天の岩戸よりも頑丈なその戸をこじ開けることは、誰にも出来ない。

我が家系のすべての「負の要素」が、いたずらに絡み合って彼女を創造したのだから、これは血を恨むしかない。
そして、この負の血脈がこれから先、誰にも受け継がれることがないように祈ることしか、私に出来ることはないのである。

こんなことを書いていると、私のブログを事前にチェックしている娘がこれを見て、私の足を蹴飛ばした。

「アタシのこと、また書いてるだろ! 出演料百円出せ!」

いったい、この性格は、誰に似たのか。



2007/01/20 AM 09:52:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

ニシダ君、ごめんなさい
あまり書きたくなかったが、心に溜めておくと身体に悪いので書くことにした。
多少、クライアントに対して批判的なニュアンスが含まれるので、仕事を受ける側としては、こんなことを書くのは少々後ろめたい気がする。

昨年、得意先からある会社を紹介された。
そこは、関東に6件の飲食店を持っている会社である。
業績がいいかどうかはわからない。得意先の担当者に言わせれば、「料理の味はそこそこだよ」ということだ。

そこそこ、というのは「まずくない」という意味だろうから、まあ「そこそこ」なんだろうな、つまりは美味くないんだな、と意味のないことを考えた。

昨年の9月にその会社に出かけて、社長に挨拶をした。
彼は、年は30代後半から40代前半くらいだろうか。
一見して、「危険な世界を渡り歩いてきました」という雰囲気を感じさせる人だった。
つまり、堅気(かたぎ)には見えない風貌をしていた。
目つきが鋭い。まばたきをしない。その目で人を値踏みするように睨む。両足を180度開いてソファに腰掛けている。葉巻を吸っている。薄いオレンジ色のレンズのサングラスをかけている。左手にシルバーのブレスレットを付けてジャラジャラさせている。シャツの前をはだけている。そこから濃い胸毛とシルバーのネックレスが覗いている。

挨拶もそこそこに、「先生さあ、とりあえず見積もり出してよ。それで決めさせてもらうからさぁ。他にも3社、見積もりを出させてるんだ。人の紹介なんて当てにならないから、俺は見積もりだけで判断するよ。ビジネスだからね」と大声で宣言した。
最初から、「先生」呼ばわりである。背筋が寒い。

しかし、彼の言うことは、大声で言うほどのことではない。
私もビジネスとはそういうものだと思っている。
最初は、見積り金額が判断材料になる。
我々が電化製品を買うときも、同じ製品なら安い方がいいに決まっている。
それと同じだ。それが経済原則だからである。

仕事の内容は、新規にインターネット喫茶を開店するので、チラシと割引券、パンフレット、メニューをデザインしてほしいというものだった。
開店日は11月の初めを予定している、と言われた。

私は先方の言う期日までに、細かい見積書を出した。9月中旬のことだった。
だが、それからまったく音沙汰がない。
一度だけ、社長の携帯に電話をかけたが、「あとでかけ直す」と言われたまま、その後完全に無視された。

きっと他に頼んだのだろう、と思って、こちらもそのことは忘れていた。
ところが、12月の下旬に、社長から突然電話がかかってきたのである。
ただその時は、あのインターネット喫茶の件は11月に終わっているから、違う件で電話をしてきたのだと思った。

社長に大声で「ああ、先生、ネットの件だがね」と言われたとき、「ネット? 何だネットって、熱湯じゃないよな、いやナットーかな」と心の中でボケた。

「先生、ネットのやつ、パンフレットとメニューは他に頼んだから、チラシと割引券だけ、やってくんない?」

「ヤダ、やってくんない!」と言ってしまったら、メシの食い上げだから、「細かいことをお聞きしたいんですが」と言って、打ち合わせの日時を聞いてみた。

「俺、年末は忙しいから、打ち合わせできなくてね。資料を宅急便で送ったから、そこに書いてあるとおりにやってくれる? ああ、できれば、チラシは2種類考えてみてくれるかな。その中から選ばせてよ。1種類だとイメージ湧かないからさ」
と言って、電話を切ろうとしたが、慌てて付け加えた。
「時間ないんだよ、先生。1月26日がオープンだから、三日前までに印刷上がってないとね。わかるだろ、段取りよく頼んだよ

どうやら、オープンが予定より延びたようである。
しかし、こちらが仕事を受けるかどうかもわからないのに、資料を宅急便で送ってくるというのだから、羨ましい性格である。
私が断ったらどうするつもりだったのだろう。ヤキを入れるつもりだったか……。

こちらも、社長同様、年末年始は忙しいので、2種類のうち一つは、友人の一流デザイナー・ニシダ君に頼むことにした。

「センセイ、了解です。やっとお役に立てるときが来ましたね」
ニシダ君は快く引き受けてくれたが、同じ「先生」でもニシダ君が言うと、格段に品がよく聞こえるのはなぜだろう?

ニシダ君は、約束通り今月の12日に「さすが一流!」という出来栄えのものを創ってくれた。
私の作ったものと比べると、明らかにランクが二つは違う。
パッと見て、一目で捉える表現力、カラーリング、テキストの配置、テキストの読ませ方、そのすべてが光っている。

私の場合、6つの書体を使っているが、ニシダ君は3書体だけだ。
私の半分の書体しか使っていないのに、文字が目立つのである。
余白も上手に活かして、余白自体がデザインを形づくっている。
全体のトーンはおとなしめだが、全体が無理なく目に入ってくる。だから、読みやすい。

完敗、と言ってもいい。
これは、2種類出さなくてもいいのではないか、ニシダ君のだけで充分ではないか、と思った。
そんなことを考えながら、15日の夕方、先方に出向いて、プリントしたものを見せた。

しかし、ここで私は大きなミスをしてしまったのだ。
「これは、大手の会社のパンフレットなどを数多く手がけている、一流のデザイナーがやったものです」と言って、プリントを社長の前に置いた。
そのプリントを見て、出した私がビックリした。
それは、私がデザインしたものだったからだ。

ここで素早く訂正すればよかったのだが、社長が「ああ、ホントだ。これは素晴らしい。一流の輝きを感じるよ」と言ったため、訂正がきかなくなってしまったのである。

「先生、これでいいよ! いいのを作ってくれたね。割引券もいいジャン!」
そう言われると、ニシダ君のデザインしたものを出しづらくなる。

しかし、せっかく作ってくれたものを出さないわけにはいかない。
「あのぉー、もう一つデザインしたのがあるのですが……」
自分でも情けない声を出しているのがわかる。みっともないうろたえぶりである。

私がニシダ君の作品を封筒から出そうとしたところ、社長は顔の前で大きく手を振って、「いいよ、これでいい! だって、一流の人が創ったんだろ、これで充分だから」と言って、満面の笑みである。
この笑顔は怖い。だから、結局出せなかった。

その後、数カ所の直しをしただけで、その仕事は今日の朝校了となった。
しかし、私はちっとも嬉しくない。
いま、私の心の中には寒い風が吹いている。
流氷ツアー地吹雪ツアーに行ったとしても、これほどの寒風は吹かないであろう。
ハァー、とため息をつくと、その息さえも寒く感じる。

社長、そしてニシダ君。
このボケ・デザイナーをおゆるし下さい。



2007/01/18 AM 09:48:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

つき合ってねェよ!
友だちの数は少ない。
十人に満たないだろう。

友だちが少ないのは、私の心が狭いからである。
その自覚は、いつも持っている。

昨日の夜かかってきた電話で、さらにその思いを強くした。
昨年の10月に、大学時代の友人タカハシと10数年ぶりに遭遇したが、急いでいたので、その場はすぐに別れた。
そして一ヶ月後の夜遅い時間に、タカハシに「大宮に出てこないか」と言われたとき、運悪く子どもたちの晩飯を作っていたので、しつこく誘われたことに腹を立て、邪険な態度を取ってしまったのである。

あとで謝って、それはそれで収まった。
一件落着して、完全にそのことは忘れていた。

忘れてもいいことは忘れる。
そうしないと、脳のハードディスクが一杯になるので、肝腎なことが記憶できなくなる。
私の脳は、回転数も容量も一昔前のハードディスク並みなので、古いデータからサッサと捨てていかないと能率が著しく落ちてくる。

情けない脳ミソである。

そして、昨日の夜の電話。
「あのさあ、俺、オオバだけど、憶えてるか?」

もちろん、憶えている。
大学時代の同級生だ。忘れるわけがない。
大学時代の思い出は、他のハードディスクに保存してある。

当時私は陸上部の人間との付き合いを優先していたが、クラスではオオバを含め、いつも5、6人で行動していた。
オオバは、その中のリーダー格だった。

オオバは、三浪して入ったから、当然年は私より3歳上である。
ただ、同級生だから、敬語は使わない。みな「オオバ」と呼んでいた。彼もそれでいいと言っていた。
気の小さいタカハシも、遠慮がちに「オオバ」と呼んでいた。

オオバとは、大学卒業以来、2回しか会っていない。
オオバの1回目の結婚式と、2回目の結婚式だけである。
私は二次会には行かなかったから、オオバとの会話は、披露宴で交わしたほんの短いものだけだった。
だから、オオバと親しく話をするのは、大学時代以来になる。20年ぶり以上のことだ。

オオバは、タカハシから私の家の電話番号を聞いて、懐かしくなってかけた、と言った。
「デザインやってるんだって?」という話から始まって、お互いの近況報告をした。
オオバは2度目の奥さんの実家で働いているらしい。
「近いうちに養子になって、嫁さんちの家業を継ぐつもりだ」と言う。

大学時代のオオバは、モテた。
彼は外見は背も低いし、イケメンでもないが、女性に対しは優しくてマメだった。
いつもモデルのように綺麗な女の子を連れているので、皆で羨ましがったものである。
1度目の結婚相手も、実際にモデルをしている人だった。

彼の家は裕福ではなかったが、なぜかいつも札入れの中は「万札」が賑(にぎ)わっていた。
そして、我々に頻繁に奢(おご)ってくれたものである。
そのカラクリはいまだにわからないが、当時の我々には、「奢ってくれる人」イコール「いい人」であるから、余計な詮索はしなかった。

「ハセガワの妹、クニコって言ったっけ? ハセガワが会社を引き継いで社長をやってるんだが、実権はそのクニコが握っていて、会社、すごくでっかくなったらしいぞ」
オオバが興奮した口調で、いきなり言い出した。

ハセガワは、大学時代のグループの一人である。
中堅商社の御曹司だから、いかにもお坊ちゃんという感じだったが、性格は穏やかで思いやりのある男だった。
私がグループの中で一番親しく話をしたのが、このハセガワである。

クニコというのは、このハセガワの一歳下の妹で、同じ大学の英文科に通っていた。
170センチ以上の長身だったが、今で言えば女優の「榮倉奈々」のような感じで、我々のマスコット的存在だった。

「おまえ、つき合ってたよな」

は!?

「ほら、クニコとつき合ってただろ、惜しかったな」

つき合ってた? 惜しかった? なんだ、それ!
どこから、そんな話が出てくるんだ。
私の頭は、一気に混乱してきた。

「ちょっと、待て! それは冗談で言ってるんだろうな!」
「いや、何でこんなつまらない冗談を俺が言わなきゃいけないんだ。なあ、つき合ってたんだろ、クニコと?」

「つき合ってネェよ!」
「隠すなよ、昔お前とクニコが仲良く話しているところを何度も見たぜ」

ハセガワの妹クニコとは、学食で顔を会わせれば話をしたし、話しながらキャンパスをうろついたこともあった。
しかし、大学内だけのことだ。
大学の外で話をしたことは、一度もない。

友人の妹であり、社長令嬢であり、みんなのアイドルだった子とつき合う勇気は、当時の私にはなかった。
クニコの方も、そんな気はなかったと思う。

「今さら、嘘を言ってもしょうがないだろ、だから、本当につき合ったことはない!」
私はムキになって言った。

それに対してオオバは、教師が落ちこぼれの生徒を諭すように、こう言う。

「そんなに熱くなるなよ。いいじゃないか、マツ。つき合っていたことにしておけば。
それで誰に迷惑をかけるわけでもない。
ハセガワの妹も、今では立派な実業家だ。お前が『昔、クニコとつき合っていた』と言ったって、笑って受け流すさ。たいしたことじゃない。
大昔のことなんだから、誰も傷つけるわけじゃないだろ。
大学時代のマツは、クールで落ち着いていて、俺たちはお前が怒ったり慌てたところを一度も見たことがなかった。
運動神経もいいし、カッコイイと思っていたんだぜ。クニコともお似合いだった。ガッカリさせないでくれよ」


返す言葉がなかった。

オオバも、私が思っている以上に大人になっていたのだ。

大人になっていないのは、私だけなのかもしれない。
その現実は、自分の器の小ささを目の前に突きつけて、私を冷笑する。

ハセガワの妹の無邪気な笑顔が思い浮かんだが、それは私を憂鬱にさせるだけだった。

そして、実業家になったクニコの笑顔を、今の私には想像することができない……。
それは、とてつもなく、悲しいことだった。


2007/01/16 AM 09:48:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ひ弱なボディ
久しぶりにボクシングジムに行った。
取材のためである。

出身大学の起業家のネットワークに形だけ参加しているが、そこで知り合った6年後輩のミナミから時々仕事を貰っている。
私は不熱心なOBなので、そのネットワークの会合には2回しか参加したことがなかった。

その種の会合で、自分の居場所を見つけるのは大変である。
みんなが偉そうにしているので、偉くない私は隅へ隅へと移動してしまうのだ。

二回目の会合に出たとき、そんな風に隅っこで壁をお友だちにしていたとき、ミナミから声をかけられた。
「スプリンターのM先輩ですよね」
「はい、スプリンターのMです」
この種の会話にすぐ乗ってしまうのが、私の軽薄なところである。

名刺交換をして、ミナミとはすぐに打ち解けた。
彼は高校では陸上部にいたが、大学では部に入らなかったらしい。私のことは、高校のときから噂で聞いていたと言う。
先輩OBの自尊心をくすぐる方法を知っているミナミは、業界紙のオーナーをしていた。
一社で4つの業界紙を出しているというから、たいした社長さんである。

それ以後、彼の会社から取材の仕事の依頼がたまに来るようになった。
デザインではなく、取材記事を書く仕事である。
これは私の得意分野ではないので、3回に1回くらいしか仕事を受けない。
得意でもない仕事を受けて、ひとに迷惑をかけるのは申し訳ないし、取材は精神的に疲れるということもある。

彼から、一番最近仕事を頼まれたのは、一年半前だった。
パティシエへの取材とインタビュー記事だ。これはパティシエが若い女の子だったので、楽しくやらせて貰った。
その後一回仕事の依頼が来たが、私の趣味に合わない相手だったので断った。
今回も病み上がりだったから断ろうかと思ったが、ボクシングジムと聞いて、即座に引き受けた。

何故かというと、29歳の時、約一年間ジムに通っていたことがあるからだ。
当然のことだが、プロになる気はなかった。
ただ、ジワジワと衰えていく肉体を少しでも生き返らせることができれば、という思いだけで通っていた。
だから、私にとってボクシングは、陸上競技に次いで馴染みの深いスポーツなのである。

久しぶりに足を踏み入れたボクシングジムは綺麗だった。
都心の一等地にあるということもあって、仕事帰りのOLなどがボクササイズをしに来るらしく、半数以上が「健康のために」ジムに通っている人だという。
ロッカールームも男女別に分かれていて、女性用の方も覗かせて貰ったが、大きな鏡が置いてあったり、カラフルな椅子が置いてあったりして、ボクシングジムという感じはしない。
そして、ボクシングのジメッとした汗くささが、ほとんどない。

こんなジムからは、カメダ兄弟は出てこないだろうな……。

ジムのオーナーも若い。
つい何年か前までランキングボクサーだったが、昨年の春にスポンサーの薦めで、ジムを始めたという。
彼は、口数は少ないが、的確な受け答えをする人だった。一見すると、ボクサーというタイプでも経営者というタイプでもない。
どちらかと言えば、信用金庫の営業マンという感じだ。

インタビューが終わった後、オーナーが「Mさん、実際にやってみませんか、やりたそうな顔をしてますよ」と悪戯っぽく笑った。
目が本気ではないので、冗談のつもりで言ったようである。
年寄りが困る様を見てやろうか、という気持ちも少しはあったかもしれない。

私が「ああ、やらせてもらえますか」と言うと、一瞬、彼の目が泳いだ。

「ほんとに、やるつもりですか?」
「はい、取材しに来たわけですから」

呆れた顔をしていたが、Tシャツとトランクス、靴を貸してくれた。
シャドーボクシングは今でもしているので、これはオーナーを驚かせたようである。
だが、ロープスキッピング(縄跳び)とパンチングボールは、以前から苦手だった。
リズム感がないので、すぐに動作が止まる。
そんな私の姿を、40歳前後のちょっと苦み走った、イケメン・トレーナーが妙に安心したような顔で見ていた。

へっ、所詮はトウシロ(素人)か!

そんな目である。
しかし、そんな目で見られると、私の負けじ魂に火がつく。

トレーナーに「じゃあ、ちょっとだけ、ミット打ち、してみるかい?」と言われて、リングに上がった。グローブをはめると気が引き締まる。
病み上がりで息は上がっていたが、ムキになってトレーナーの動かすミットにパンチを浴びせた。
ほとんどがミットの真ん中に当たったので、いい音がする。
合間のウィービングもぎごちないが、徐々に体が思い出して、それほど上体を動かさずに出来るようになった。

そうすると、相手もムキになるのである。
どんどん前に出て、圧力をかけてくるのだ。
普通、初心者相手の練習のとき、ミットは受けるものであって、押すものではない。
だが、このトレーナーは少しずつ押してきたのだ。

彼はきっと、私が少しボクシングが出来るのが気にくわなかったのだろう。
モタモタ・ヨロヨロとしていれば彼の機嫌は良かったに違いない。
しかし、こちらも久しぶりなので嬉しくて仕方がない。
相手の自尊心など、完全に無視していた。

さらに、最後のロードワークでは、見事に彼の期待を裏切ってしまった。
ロードワークは、トレーナーが自転車で後ろを走りながら、練習生を見守っている。
このジムでは、毎回最後に、皆で代々木公園まで走って戻るのがきまりらしい。
今回は私以外に練習生が5人いた。つまり、6人で走った。

その時、約8キロのランニングで、私は先頭で帰ってきてしまったのである。
最後はトレーナーの自転車と競争という形でジムに帰ってきた。
何と大人気ないことをしたのか、と思うのだが、走った以上は負けたくない性分なのだ。
それによって、トレーナーの自尊心はズタズタになったようである。

彼は、4、5分遅れで帰ってきた、私よりはるかに若い練習生を睨みつけ、大きく舌打ちをしていた。
(こんな中年に負けやがって!)という悔しさが、彼の顔から滲み出ていた。

それから、私はシャワーを貸してもらい、着替えて、オーナーに挨拶をし、別れの握手をした。
トレーナーとも同じようにした。

彼と握手したとき、その目が笑っていなかった。
端正な顔は、口だけ笑っていて、頭も下げなかった。目は私を凝視していた。
「もしかして」という気配を感じて、私は腹筋に力を入れた。
我ながら、いい勘をしていると思った。
彼は、握手を終わってすぐ、軽く私のボディを打ってきたのである。

予測していたので、ある程度は躱(かわ)すことができた。
「勘弁してくださいよ」と笑って、余裕の表情でジムを後にした。

しかし、今になって鈍い痛みが!
前屈みになると、さらに痛い!


腹筋は毎日やっているが、パンチを想定した腹筋はしていないから、突然のパンチには弱い。
かすった程度だと思ったが、相手は素手である。結構効く。

痛いぞ! あー、痛いぞ!
くっそー、あの野郎〜!!



2007/01/14 AM 10:12:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

成人しないメディアと親
熱でうなされている間に、「成人の日」が終わっていた。

カネコの娘ショウコも、今年の暮れには二十歳(はたち)になる。
我が息子も、四年後には二十歳。娘も九年後には二十歳。

私が成人したのは、はるか昔。
元服」といってもいい年代である(こういう冗談を言うと信じる人がいるが、それは自由です)。

毎年思うのだが、いったい「成人式」って何?
二十歳になるのが、そんなに特別なことなのだろうか。
私の友人は、むかし成人の日に親に車を買って貰った。
大学で同級だった女の子は、高い振り袖の着物を買って貰った。

その時、私は車を買って貰った男にこう言った。

二十歳まで親にお世話になったのはお前なんだから、何で世話になった方がものを貰うんだ。
普通は逆だろう。
昔は医療事情が悪くて、子どもが成人するのは奇跡に近かったから成人を祝ったが、今はアクシデントがなければ、子どもは普通に大きくなる。
成人したって、ちっとも偉くはない。
お前の方が世話になったんだから、お前が親に何かしてあげるのが道理というものだろう。


それに対して彼はこう言う。

「へ〜、お前って変わってるな」

変わっている私は二十歳になった記念に、本屋でアルバイトをして、母親を熱海に招待した。
お世話になったからだ。
父親は、月に1度しか帰ってこないから、お世話になった記憶がない。だから招待しなかった。
母はその時、感激してバイクを買ってあげる、と言ってくれたが、それでは意味がない。
丁重にお断りした。

私はショウコや自分の子どもたちに、成人式には何もしない、何も上げないと宣言している。
俺が育てた、と偉そうに言うつもりはない。
だが、二十歳とそれ以前それ以後では、何の変わりもない、と私は思っている。

法律という「縛り」はあるが、酒や煙草は自己の責任でいくらでも飲め、と言ってある。
それがいいことか悪いことかを判断するのは、自分だ。誰の責任でもない。
たとえ人様に迷惑をかけても、二十歳前でも後でも、その責任はすべて自分にある。
他人が悪いのではない、お前が悪いのだ。

二十歳を超えたから、責任を持つわけではない。
二十歳前だって、悪いことをしたら、自分で責任を持て。

そう言うと、息子はおとなしく聞いているが、娘は、
「へ〜、まるで親みたいに偉そうなことを言うなぁ」
とカラカラと笑う。
こいつは、まったく私の子ども時代とそっくりなやつだ!

成人式が荒れる、と近年言われるようになった。
私は、メディアが報道しなければ、そんなことにはならないと思っている。
報道するから、「俺も」と言うことになる。
メディアは、報道しっぱなしで、ちっぽけな「報道の義務」という自己満足を手に入れる。
不純な集団であるメディアは、純情な大人に「最近の若い者は、まったく!」と言わせたいために、若者が荒れる様をどんなニュースよりも優先して伝える。
そして、チルドレンたちも「最近の若者は…」と大人に言われたがっているように私には思える。

卑小で自己中心的な不満を持った未熟な人間にとって、「目立つ」というのは、最大のご馳走である。
報道してくれるのなら、尻尾を大きく振って、「荒れるふり」をするだろう。ヨダレを垂らしながら。
そもそも、本当のワルは成人式なんかに出てこない。
ワルのふりをしたい人種だけが、成人式で「暴れるふりをする」と私は思っている。

現代の二十歳を侮(あなど)ってはいけない。
彼らは賢い。
二十歳になったからといって、自分が大きく変わることはない、ということを知っている。
メディアと親だけが、二十歳を特別扱いしている。

そろそろ、そのあたりに気づくべきである。
彼らは、メディアや親が考えているほど、無知ではない。(未熟ではあるが…)
自分の置かれている状況を計算できる賢さを備えている。

同時に、彼らは大人(昔気質の常識人・純情な人々)をからかっているのである。
高校球児は純粋で清潔である、という幻想を持っているような純な人は、その行動に眉をひそめるが、今のチルドレンは大人の幻想をあざ笑うたくましさを持っているのだ。

メディアもそのことに早く気づいて、「荒れる成人式」の報道を抑える時が来ているのではないか。
確信犯に手を貸すのは愚かである。
メディアは、瓦版の時代からトピックだけに食いつくダボハゼのようなものだが、もうそのことに気づいてもいい時だ。
あるいは、本当はとっくに気づいているのだろうが、年中行事になった「荒れる成人式」の美味しいネタが捨てがたいのかもしれない。

報道しなければ、彼らは「な〜んだ、つまらねえの!」と思って、何もしない。
与えられたおもちゃをすぐ投げ出すだろう。
チルドレンは、目立つ場所をお膳立てしてくれる人がいなければ集団から離れていく、波紋の外側の人間なのである。
積極的に波紋の中に飛び込んでいく人種ではない。

人の目、メディアの目こそが、彼らの物差しである。
つまりは、小賢しいほど計算できる人種である。
メディアや大人だけが、計算できないお人好しのままで、まったく進歩がない。

成人の日が来るたびに私はこう思う。

メディアや私たち親の「成人の日」はいったい、いつになるのだろうか、と……。



・・・(久しぶりに真面目な話をしたので、腕に鳥肌が立っている、寒い…)


2007/01/12 AM 07:58:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

野蛮人の風邪退治
突然熱が出た。
体温を測ったら、38.7度。

年末から風邪をひいていたが、体がダルいだけで、悪化せずに年始まで引きずってきた。
普通だったら、徐々に直って、自然消滅するはずだった。
だから、薬も飲まなかった。

8日は、12頁の社内報の2稿修正を特急で仕上げて、夜の7時に宅急便で送った。
その後、夕食を作って、家族で「はじめてのおつかい」を見ながら食べた。
見ているときに手足が冷える感じがしたが、風呂で温まれば治まると思って、番組が終わってすぐ熱めのお湯にいつもより長めに浸かった。

湯に入っているときは温まっていた体が、湯から上がるとすぐに冷え、猛烈な震えが襲ってきた。
どうやら、熱があるのは間違いない。
しかし、それを家族に悟られるのは嫌だ。
平気な顔をして、ヨメと寝酒のホット焼酎を飲んだ。
隣では子どもたちがホットミルクを飲んでいる。

「はじめてのお使い」の感想で盛り上がりながら、12時過ぎに寝た。
布団に入ってすぐ、強烈な悪寒が、膝から肩のあたりまで襲ってくる。
こんなときは、バファリンを飲むと熱が一気に下がるのだが、それは一時的で、かえって風邪を長引かせる場合がある。

だから、今回は自力で汗をかいて熱を下げようと思った。
普段は毛布一枚で寝ているが、これでは体が寒くなるばかりだ。
そこで、掛け布団を2枚かけた。
それでも悪寒は容赦なく襲ってくる。
頭も痛い。
額のあたりに、小さい釘が何本か刺さっているような痛みである。

とりあえず水分補給、と思って、冷蔵庫まで歩いた。
膝がガクガクする。肘と肩の関節が痛くて、冷蔵庫の扉を開けるのもひと苦労だ。
顔を歪めながら懸命にこじ開けて、常備している「ゲータレード」を冷蔵庫から出して飲んだ。

飲んでいるときに、体が震えて手先も震えて、コップをうまい具合に口まで運ぶことが出来なかった。
その無様(ぶざま)さが、我ながら可笑しくて、つい声を出して笑ってしまった。

飲み終わって、ガクガクと震えながら、また布団に戻る。
冷静に考えてみると、関節の痛みと急激な高熱、咳はないという症状。
これって、インフルエンザではないのか。
インフルエンザの潜伏期間が3日とすると、その頃出歩いたのは、5日に大宮に行った頃か。
BOOK OFF、ゲーセン、漫画喫茶、カラオケ。
一体どこで感染(うつ)ったのか。

あれこれ考えても仕方がないので、今は熱を下げることに集中しようと思った。
そこで、むかし自分なりに熱を下げる方法を考えて、成果を上げたことを思い出した。

ひと昔前「突発性難聴」に罹ったとき、ステロイド剤の点滴の副作用で免疫力が低下してしまったことがあった。
私の場合、普段風邪をひいても熱までは出ないのだが、それ以後風邪をひくと必ず高熱が出るようになった。

しかし、熱があるからといって、仕事を休ませてくれる優しい会社には、当時勤めていなかった。
だから、熱があっても仕事に行った。
陸上で鍛えた体が、この程度の熱に負けるわけがない、という非科学的な信仰だけにすがって、仕事をした。
当然、体はきつい。治りも遅くなる。仕事の能率も落ちる。
こんなことを繰り返していたら、いつか壊れてしまうだろう。

では、どうすればいい。
そこで、熱をなるべく早く体から追い出すことを考えた。薬の力を借りずに。

その方法をまた実行してみようと思ったのだ。
だが、ここでは、これ以上のことは書かない。
真似されても困るからだ。
これは心臓に負担がかかる。陸上で鍛えた体でも、心臓が早鐘のように拍動するのだ。

私のような陸上バカでない人は、風邪は、ゆっくりと治してください。

しばらくすると、膝の後ろに汗をかいてきた。背中と胸にもかいてきた。
そうすると、体が軽くなって、自然に眠りに落ちた。
目が覚めたのは、6時。
9日は、新学期の始まりである。
子どもやヨメの朝食を作らなければならない。

起きあがろうとしたが、身体全体に薄く膜がかかっているようで、自分の体ではないような感覚がした。視野も狭い。
体の汗はひいているようだが、首筋だけネットリと汗をかいている。
熱を測ってみると、36.9度。

しかし、これで下がったと思ってはいけない。
髪の毛を触ってみると、少し湿り気がある程度である。
私の場合は、髪の毛がビッショリと濡れるくらい汗をかかないと、本当に熱が下がったことにならない。

あとで、もうひと汗かかなければならない。
そこで、手を綺麗に消毒して、マスクをかけながら全員の朝食を作って、子どもたちが学校から帰ってきて食べるお昼の弁当も作った。
始業式の日は帰りが早いので、「父いない。弁当あり、夕方帰る」と書き置きをしておいた。
そして、みんなを送り出した後で、毛布とジャージの上下、ゲータレード、「キムチの素」を抱えて、我が家から1.5キロ離れた「隠れ家」に行った。

新年初の「隠れ家」である。
年末に掃除をしておいたが、十日もほっとくと、当然埃をかぶる。
しかし、今はそんなことを気にしてはいられない。

まずはエアコンを急速暖房にして、ジャージに着替えた。
そして、とりあえず毛布を二枚かぶって寝た。
少し眠ったが、寒気がしてきたので目覚めた。全身に不快感がある。
熱を絞り出さねばならない。
夜は体に負荷を与えたが、今度は内臓に負荷を与える番である。

これには、焼酎と瓶詰めの「キムチの素」を使うが、これも詳しいことは書かない。
内臓の弱い人が真似をすると、確実に胃を壊すと思うからだ。
私のように野蛮な内臓を持っている人でなければ、この方法はお薦めできない。

風邪は、ゆっくり休んで治しましょう。

胃が熱くなる。
毛布をかぶる。まず額と首筋から汗がジワジワと出てくる。次に、脇の下、胸、腹、背中、腿の順番に汗が噴き出してきた。
ゲータレードを飲む。水分補給をしないと、脱水症状を起こす。
不快感がなくなって、また眠りに落ちた。

次に目覚めたときには、髪の毛がぐっしょりと濡れるほど、そして全身がシャワーを浴びたように汗をかいていた。
ゲータレードをまた飲んで、起きあがった。全身の汗を拭く。その後体温を測ると、35.9度。
ウイルスを退治したようである。
夜にもう一度汗をかくかもしれないが、高熱が出ることはもうないだろう。

時計を見ると、3時過ぎ。
予定より早く熱が下がったようである。
口がキムチ臭いので、焼酎のお湯わりを飲んで口を綺麗にしてから家に帰った。

家に帰ると、早速熊谷のハウスメーカーから打ち合わせの電話がかかってきた。
立て続けに、100キロのウェッブデザイナー・タカダから「師匠、手伝ってください。仕事がパンクしそうです!」。

よしわかった、タカダ、お助けマンは元気になったから、手伝うぞ。

社内報の修正もファックスで来ていた。
修正箇所は11点。それをすぐ修正して、ファックスで送った。
「明日一日で丁寧に最終校正をします」という電話を貰って、何とかこの仕事の目途はついた。

何ごともなかったように、夕食に「焼きカレー」と「和風キノコサラダ」を作って、家族揃って食べた。

その後、みんなで「トリック2劇場版」のDVDを観て、寝ることにした。

しかし、目が冴えて眠れない。
こんなことは久しぶりである。10年以上なかったことだ。
熱も下がって、体調は戻った。食欲もある。
では、なぜだろう? 悩みは人並みにあるが、眠りを妨げるほどではない。
騒音に悩まされているわけでもない。
なぜ眠れないのか…?

そんなとき……、
当たり前だろ! 昼間寝過ぎたからだよ!

耳鳴りとともに、誰かのツッコミが耳に響いた。



2007/01/10 PM 12:04:50 | Comment(8) | TrackBack(0) | [日記]

「あ」で始まる新婚旅行
社内報の仕事は、画像データとテキストデータを一括で貰ったので、進行は早い。
とりあえず12頁組み終わって、3部プリントしたものを宅急便で送った。
先方は、それを明日中に校正して、修正箇所をファックスで送ってくれるはずだ。

その合間に、私は昨年の10月から取りかかっている、新規開店のブティックのホームページの仕上げをしていく。
そして、iTunesから、季節はずれのWham !の「Last Christmas」が流れているとき、電話が鳴った。

「おめでとうございます」
ショウコの声である。

ショウコは、大学時代の友人カネコの娘である。
彼女は、カネコの奥さんの連れ子だ。
ショウコのことは6歳の時から知っている。テニスや料理、勉強を教えたこともある。
昭和記念公園のレインボープールに連れて行ったこともあった。

ショウコは、昨年の7月に18才の若さで結婚をした。
結婚を急いだ理由は知らない。
聞いたら答えてくれるだろうが、私にそれを聞く趣味はない。
ショウコは高校を出て、大学に進学した。私とカネコ、そして彼女の旦那と同じ出身大学に。

「年賀状、くれないのか」
と私が言うと、憤慨したようにショウコが早口で言う。
「だって、サトルさんは、世話になった人には年賀状は出すけど、友だちには出さない・貰わないのが俺の主義だ、っていつも言ってたじゃない」
そして、少し間を開けて、「私はサトルさんの友だちだったよね」と鼻を鳴らすように言った。

そうだった。
私は友だちには年賀状を出さない。
新年の挨拶をハガキでするなど、他人行儀としか思えない。意味がないと思っている。
しかし、世話になった人には、礼儀として出す。
年賀状とは、そういうものだと思っている。

私は、慌てて弁明した。
「いや、君のさ、ほら、新しい住所を教えてもらってないだろ。だから、年賀状をもらったら、わかると思ってね」
「メールで教えますから」
「ああ、じゃあ、こちらのアドレスを教えるから」
「知ってます。パパに聞きました」

どうやら、ショウコは本気で怒っているようである。
ショウコとは、カネコの娘としてより、本当に友だちとして付き合ってきた。
だから、ショウコがむくれるのは理解できる。
完全に私の失言だった。

「ごめん。謝る。俺が無神経だった。本当にごめん」
こういうときは、素直に謝る。不器用な男には、それしか方法はない。

「許します」
あっさりとショウコが答えた。
「ありがとう」

「ねえ、サトルさん、新婚旅行、行った?」
突然、話が変わるのがショウコのすごいところである。
「行ったといえば、行った」
ヨメとは、結婚前に10回以上旅行に行っていたから、あらたまって新婚旅行に行くこともないと思ったが、運良く懸賞でJTBの旅行券が当たったので、それを新婚旅行に使うことにした。

秋保温泉に行ったよ」
「アキウ? どこ?」
秋保温泉は宮城県にある、仙台から車で40分くらいのところにある温泉街だ。
温泉街としての規模は大きくないが、旅館はみな立派なものばかりである。
ただ、設備は豪華だが、宿泊料金は伊豆・箱根ほど高くはない。見所もそれなりにある。

行く場所は、「あ」のつくところならどこでも良かった。
「あ」ということで、最初に思い浮かんだのが、この「秋保温泉」だっただけのことだ。

「『あ』の付くところに何で?」
「アイウエオ順の『あ』は、始まりの『あ』でもある。結婚のスタートには相応しいと思わないか」
「さすが、サトルさん、変わってるね」
「ありがとう、ほめてくれて」
「じゃあ、秋田でも青森でもアラスカでも良かったわけだ」
「そう言われれば、そうだな」

ショウコが笑い始めた。
ショウコは一度笑い出すと止まらない。
笑いが終わるまで待った。
カネコは、この笑いを嫌がるが、私はショウコの笑い方が好きである。ひとの笑い顔を見るのは楽しい(電話では見えないが)。

笑い終わって、ショウコが言った。
「私たち、式も披露宴もしていないから、新婚旅行くらいはしようかって相談してたところなの。私たちもその秋保温泉にしようかな。『あ』から始まる新婚旅行に、ね…」
「ね」は旦那に言ったようだ。ということは、そばに旦那がいるということか。

「サトルさん、私の旦那と話したい?」
ショウコのパートナーだ、一度くらい話をしてもいいだろう。
電話を代わってもらった。

「ショウコから、いつもお話は聞いています」
という滑舌のいい声が聞こえてきた。
確か彼は中学の英語の教師をしているはずだ。声だけで判断するなら、教え上手な教師という感じである。

ここで私が、彼にかける言葉は、一つしかない。
「ショウコがしたいと思っていることを、自由にさせて上げてください。結婚がその障害にならないように」
ショウコはまだ19才になったばかりだ。結婚で夢を途切れさせるのは、もったいない。
彼女が何を夢見ているか知らないが、結婚はゴールではないし、出産がゴールでもないはずだ。
結婚したために、それ以外のゴールへの道を閉ざさないでもらいたい。その思いを言葉に籠めた。

「わかりました」
簡潔だが、彼は力強く応えてくれた。

また電話を代わったショウコに、私は言った。
「合格だな」
ショウコのパートナーに相応しいという意味である。
余計なことを言わない点も、合格である。

「ありがとう、サトルさん。涙が出そうだよ」
ショウコが言葉に詰まった。

本気で泣かれたら困るので、「カネコにも、たまには電話しろと言っておいてくれ、元気かどうか教えろってな」と言って、慌てて電話を切った。

切った後で、予想していなかった寂しい感情が、体の奥から渦を巻いてこみ上げてきた。
まるで嫁いだ娘から電話をもらった父親の心境である。
友人の娘相手でさえこうなのだから、実の娘の場合はどうなってしまうのか。

ハァ〜〜〜〜〜・・・・・(怯)



2007/01/08 AM 09:27:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

BOOK OFFにセレブ
56頁のカタログのデータを印刷会社のサーバに送って、年始の仕事の一つは片づいた。
あとは、12頁の社内報である。

しかし、続けて仕事をしても、疲れて能率は上がらない。
風邪がまだ治りきっていないので、半日くらいのんびりしたい。
だから、仕事部屋でボーッとしていた。

すると、子どもたちが来て、「あー、仕事していない!」と二人同時に叫んだ。
「今日仕事は?」
娘が聞く。

「少し休もうかと思ってね」
そうすると、二人はこれ以上ないくらいに嬉しそうな顔をして、
「大宮行こうぜ!」

この笑顔を見て、断れる親はいない。
体は少々ダルいが、家にいても結局は仕事をしてしまいそうなので、行くことにした。
それに、多少親らしいことをしないと、仕事もスムーズに運ばない。

今日は、ヨメの方も花屋のパートが休みだというので、家族全員で行くことにした。
しかし、大宮に来たからといって、何か目的があるわけではない。
息子も娘も「まずは、BOOK OFF!」と言うので、BOOK OFFに行った。
娘によると、その後ゲーセン、カラオケという順番らしい。

私の場合、新刊の本は買わない。いつも古本である。
子どもたちにそれを強制したことはないのだが、彼らも本といえば古本しか買わないのである。
貧乏が、身に染みついている親子である。

小学五年の娘は、2階の少女漫画コーナーで、立ち読みしながら欲しい本を籠に入れていく。幸福そうな顔をしている。
高校一年の息子は、地下1階のCDコーナーで、浜崎あゆみの昔のアルバムを中心に買いあさっている。顔がにやけている。
ヨメは、2階の実用書のコーナーで、花の本を手に取っている。顔が老けてきた。
私はと言えば、1階の漫画本のコーナーで「ドラゴン桜 8巻」を立ち読みしている。顔が間抜けである。

「ドラゴン桜」は、かなり無理のある設定だが、情報漫画としてはレベルが高い。
高度な受験のノウハウを、今までの受験書とは違った視点で解説してくれるので、いつも感心させられる。

東大に行くほどの頭脳は持っていなかったので、最初から東大は志望校から外していたが、当時こんな漫画があったら、受けてみようという気になったかもしれない。
それほど、人をその気にさせてくれる漫画である。

そう思いながら読んでいたとき、何となく視線を感じた。
まわりを見回してみると、右隣のトイ・プードルと目があった。
BOOK OFFにトイ・プードル? 予想外である。
ラーメン屋のメニューに、シフォンケーキがあるようなものだ。

トイ・プードルは、女性の腕に抱かれている。
その腕から上に視線を移していくと、20代半ばの女性の顔があって、彼女も私を見ていた。
目が合ったからといって、微笑むのは変である。初対面なのだ。
彼女が私を知っているという可能性も少しはあるが、私の方に心当たりはない。
ただ、最近ボケが始まっているので、「もしかして、どこかで接点があるかも」と心が揺らいだ。

その女性は、美人ではないが、品のいい顔立ちをしていた。表情に優雅さがある。そして賢そうだ。
まるでIntel社製のCPUが入っているかのように、目の奥に知的な光がある。

私の方は、任天堂の初代のファミコンのチップしか入っていないから、ちょっとしたことで思考が中断する。
たまに間違ってリセットボタンを押してしまうと、すべてのデータが消えてしまうのだ。

今もその状態に近い。
思考停止。
スロット部分の接触が悪くなって、データが読み込めない状態である。
だから、黙っていた。

「あのー、その手におもちの本……」
と彼女に声をかけられたが、それが「お餅の本」に聞こえた。
私は「お餅の本」は読んでいないぞ。
いくら新年とはいえ、「お餅の本」は読まない。ここは料理コーナーではないのだ。

「お餅の本、ですか?」
間抜けな顔で答えた。
「はい、その手にお持ちの本、もしかして『ドラゴン桜 8巻』ではないですか」

ここで、初めて理解した。
彼女は「ドラゴン桜 8巻」が欲しかったのだ。
しかし、棚には8巻がない。隣を見ると、間抜け面のオヤジが、真剣な顔をして読みふけっている。
それが、どうも8巻らしい。そこで、私を見つめていたというわけだ。

「ああ、これがご希望なんですね」
私はまるでBOOK OFFの店員のように、丁寧な言葉で答えた。
「はい」と彼女は、申し訳なさそうにはにかむ。
トイ・プードルも、はにかんでいるように見えた。

ダブルではにかまれたら、「どうぞ」と差し出すしかない。
まだ、前半4話ほどしか読んでいなかったが、読む義務があるわけではない。読みたい人が読むべきである。
「よろしいんですか?」
彼女は、軽く一歩後ろに下がって、私の顔を見た。
私が頷くと、二歩前進して、頭を下げながら本を受け取った。

「ありがとうございます」と何度も頭を下げながら、彼女は私の横を通っていった。
トイ・プードルが私の方を見ていたので、「バイバイ」と手を振ったが、トイ・プードルの表情は変わらなかった(当たり前か)。

彼女の後ろ姿を見ると、高そうなコートを着て、右手には高そうなバッグ、そして左手にはトイ・プードル。
セレブか、と思ったが、BOOK OFFにセレブ?
何か違和感がある。

彼女は、レジカウンターの手前まで来ると、カウンターのそばに立っている男に手を振った。
男も手を振り返している。
彼氏か旦那のようである。

その彼を見ると、顔は私に負けないくらい貧乏くさい顔をしている。身なりも私と同等の貧乏くささである。
それを見たとき、妙に嬉しくなって、右手で軽くガッツポーズをしていた。

なぜ?


2007/01/06 AM 10:45:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

新年から2連敗
1月3日の朝、突然、近所の印刷会社の社長から電話がかかってきた。
三が日から何だ、暇な人もいるもんだ、と思いながら電話を取った。
社長は笑いを含んだ声で、こう言った。
「Mさん、あなたは優しい人だよねえ」
「は?」

「うちの会社が儲かってないから、可哀想に思ってくれたんだね」
私は、社長がいったい何のことを言っているのか、全くわからなかった。
オレ、何か変なことしたっけ? 心当たりがない。

そうすると彼は、入れ歯をガチャガチャさせながら、こう言った。
「去年の11月と12月分の請求書、出してないでしょ」

そうだった。

出そう、という意志は、心の片隅にいつもあったが、何かあるとすぐに忘れてしまうのだ。
要するに、ボケた、ということか。
フリーランスにとって、一番大事なものを忘れるのだから、救いようがない。末期的だ。
だから我が家は、いつまでたっても貧乏なんだな。
このことは、ヨメには内緒にしておかなければ……。

反省しながら電話を切ると、また呼び出し音が鳴った。
ナンバーディスプレイを見ると、「0547-」とある。
どこだろう?
見当もつかない。

正月から、「振り込め詐欺」か?
もし、振り込め詐欺だったら、振り込む余裕はないから、逆に「振り込め」と頼んでみるか。
などと思いながら、受話器を取った。

「おい、忘れているだろう」
いきなり本題から話し始める男。友人のススキダである。

ススキダとは、時候の挨拶などしたことがない。
年賀状を交わしたこともない。
お互い、あらたまったことが嫌いなタチで、しかも照れ屋だから「おめでとう」などと言おうものなら、その後の話が続かなくなる。
だから、新年の挨拶や年賀状を忘れているということではないはずだ。

昨年、ススキダにはかなり世話になったが、彼はそのことで恩着せがましく言う男ではない。
こちらとしても、いきなり「忘れているだろう」と言われても、わけがわからない。
そこでこう言った。
「Who are you? Which do you call?(おまえ誰だ。どこに電話をかけている?)」

しかし、これが失敗だった。
敵はこう返してきたのだ。
「I am calling a free designer. The free designer is ■※*#〓×〜〜〜〜」
ススキダは、英語がペラペラだったのだ。

新年早々、ズッシリと重い敗北感。

「お前、今どこだ」
こんなときは、日本語が妙に軽く感じる。

寸又峡温泉だ。お前が昔いいところだって言ってたろ。だから今家族で来てるんだ」
携帯電話の電波が届かないので、宿から電話をしてきたようだ。

確かに寸又峡はいいところだ。
秘境だから、行くまでが大変だが、まわりから孤立した感じが落ち着きを与えてくれる。
観光地のけばけばしさがない。
温泉も気持ちがいい。「美人湯」でも有名である。

しかし、お肌がツルツルのススキダを想像すると………?
自分の想像力を呪いたくなる。

「家族と一緒だって?」
ススキダの家族といえば、元ナースの奥さんしか知らない。
彼の両親のことは知らないが、奥さんのご両親は香港にいる。
彼から子どもの話を聞いたことはないが、この言い方では、子どもと一緒にいると取ることも出来る。

「ああ、16になる娘がアメリカに留学していてな。正月帰ってきたんだ。それで一緒に旅行をしているというわけだ」
「アメリカのどこだ?」
「ボストン」
「オー! マツザーカ!」
「ダイスーケ!」


今年も二人で漫才が出来そうである。

しかし、ススキダとは今年で五年目の付き合いになるが、そんな話は一回も出たことがない。
もしかして、本当にボケが始まって、聞いていたが忘れたのか。
そこで、おそるおそる聞いてみた。

「その話、前に聞いたっけ?」
「いや、娘の話は一度もしたことがない」

良かった。ホッとした。
「そこで聞くが、オレが一体何を忘れていると言うんだ」
「去年の八月、漬物屋の包装紙と袋のデザインを頼んだよな。あれまだ請求書もらってねえぞ」

そうでした。
これも頭の片隅にはあったが、忘れてしまっていたものだ。

昨年の夏、ススキダに頼まれて、漬物屋の包装紙のデザインをした。
そこは小さな漬物屋で、70歳を過ぎた老夫婦が40年以上店を開いていたが、店名も何も入っていない包装紙をずっと使っていた。
最近になって、店名と電話番号が入ってた方がいい、とお客さんに言われて、初めて自前の包装紙を作ることにしたと言う。

その時、ススキダと一緒に老夫婦に会って話を聞いた。
ご主人は、小柄だがサッパリとした感じの人で、腰が低く丁寧な話し方をする人だった。奥さんは口数は少ないが、いつもニコニコしていて、たまに喋ると顔を赤くするシャイな人だった。
話せば話すほど、その二人の醸(かも)し出す、誠実さのオーラのようなものが心に染み込んで、迂闊にも、つい涙が出てしまった。

ススキダも私につられて泣いていた。
強面(こわもて)の気持ち悪い顔で、鼻を啜りながら泣くのである。
いい大人が二人、まるで老夫婦に怒られているような光景だった。

仕事の打ち合わせを済ませて、老夫婦の店を辞した後、私は「俺はあの夫婦からは金を取れないな」とススキダに言った。
ススキダはまだ赤い目をこちらに向けて、「いや、それは彼らに失礼だろう。俺たちはプロだ。プロがプロから金を取れなくなったら、プロでいる資格はない」と怒った。

確かに、そうである。
「わかった」とその時は言った。
仕事は無事終わり、夏が終わった頃、ススキダから電話がかかってきた。

「漬物屋の件、俺がお前の分の請求もしておいたから、デザイン料は俺に請求してくれ」と言われた。
その時も「わかった」と答えたが、請求書は出さずにいた。
ススキダは、新年早々そのことを怒っているのだ。

「お互いプロなんだから、やることはキッチリやろうぜ」
「わかった。請求書必ず送るよ」
そう言いながら、頭に「2007」という数字が浮かんだ。今年の年号分だけ請求しよう。請求さえすれば、ススキダも文句は言わないだろう。

「どうせ、2007円だろ、お前が付ける請求額は?」
ススキダが、呆れたような声で投げ出すように言った。

顔は怖くて気持ち悪いが、鋭い男である。
読まれていた。
あまりにも見事に当てられたので、黙り込んでしまった。
ぐーの音も出ない、とはこのことだ。

「寸又峡の土産、送るからな。しっかりと仕事しろよ、ボケ・デザイナー」
呆れたような笑い声とともに、電話が切られた。

新年から、ススキダに2連敗である。



2007/01/04 AM 09:26:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

新年は「ツボ」で始まった
56頁のカタログの組み版。
これが、年をまたがった仕事である。
この仕事は、1月5日までに印刷会社にデータを送らなければ間に合わない。つまり、今がまさにピークである。
こちらも大変だが、クライアントも校正をしなくてはいけないので、2日から会社に出て来るというから、彼も可哀想だ。

「年末も年始も仕事かよ! マッタク!」
というのは、贅沢な怒りである。
正月働いている人はいくらでもいる。
暖かい室内で仕事を出来るだけでも、幸運だと思うべきだろう。
中には、寒風吹きすさぶ戸外で働いている人も大勢いるはずだ。

ノロウィルスには、ご用心を!

当方の仕事は、今現在、商品406点をデジカメで撮って、フォトショップで画像を切り抜き終わったところである。
あとはこれを、あらかじめレイアウトしておいた頁にはめ込んでいくだけだ。
この作業は半日もあれば出来る。
そしてそれを2部プリントして、バイク便でクライアントに送る。

先方は2日に、二人がかりでそれを校正するのである。
その校正原稿が帰ってくるのが、3日。
それを修正したら、今度はファックスとメールで確認して、4日中に校了までこぎつけなければならない。
そのデータを5日朝までに、印刷会社のサーバに送って、この仕事は終了。

しかし、私の仕事はまだ終わらない。
4日の昼に、ある会社の社内報の原稿が来る。
これは季刊で、年4回のうちの3回までは、他のデザイン事務所がやっている。
だが、正月は事務所がいつも七日あたりまで正月休みを取るので、冬季号だけは、こちらにまわってくるのである。
しかも、他の3回は8頁なのに、冬季号だけは、12頁なのだ。

これは、テキストデータも写真データも一括で送ってくるからスケジュールは立てやすい。
しかし、校正をする人が3人いるから、いつもまとまりがない。
3人が別々の頁を校正するのなら、能率はいいのだが、そうではない。一緒に校正するのである。
ちょっと信じられない光景ではないか。
だから、一人の人がいいと思っても、他の人からクレームが来るという、紛らわしいシステムになっている。
修正をするたびに訳がわからなくなることがたまにある。
結局、初稿が正しかった、ということも度々ある。

何年やっても、このシステムだけは直らない。
正直、無駄なことをしている、と思うときもある。
だが、こちらがそれを言ってもしょうがない。
相手が、それがベストだ、と思っているのだから、口を挟む余地はない。

彼らはきっと、正月早々仕事をすることに意義を感じているのだろう。
たとえ、端(はた)から見てまとまりがないと思っても、その意気込みを批判することは失礼である。
彼らが、その時間を無駄だと思わなければ、無駄ではないのだ。

この仕事は、11日が校了である。
これでやっと、一段落できる。
しかし、その頃には、学校の冬休みはすでに終わっている。
今年も、子どもたちへのサービスは、親としての責任を果たせずに終わりそうだ。

これが一番つらいところである。
子どもに対しては、申し訳ない、という思いしかない。

気持ちの中では、「仕事よりも家族」と思っているが、実際は逆のことをしているという、自己嫌悪。
仕事人間、と呼ばれることを一番嫌っている人間が、結果的に仕事を優先しているという、嫌悪感。

今年も、この嫌悪感に苛(さいな)まれながら、私は仕事をしていくのだろうな。
そんな風に「反省猿」になっていたところに、息子と娘がやってきた。

二人が口調を合わせて言う。
「テレビ、全然面白くない!」
「駅伝やレベルの低いお笑い、体力自慢バカ自慢の番組ばっか! 出ている人も同じだし、五分見たら飽きる!」


テレビ番組というのは、大抵はタダである。
だから、面白いわけがない。
それにお笑い番組の場合、「笑ってやろう!」と待ちかまえている客相手だから、何をやっても笑いが取れる。レベルが低いのは当たり前だ。
駅伝の場合は、誰が走っても一所懸命に見えるから、感動したい人には打って付けである。

また、世の中には自分の肉体を見てもらいたい人が沢山いる。そして、力自慢を見たい人も沢山いる。
番組の手法としては、その人たちを集めて戦わせ、それを見せるというのは、一番楽な方法である。
見ている方は、出場者のうちの一人を選んで、その一人に入れ込み感情移入をする。その人が勝ち上がって、いいところまでいけば気持ちがいい。
こういう方法がテレビ局にとって、一番簡単なんだよ。


そんな説明をしたのだが、娘の考え方は実に単純である。
「つまらねえものは、つまらねえ!」

そこで、息抜きのため、近所のコンビニに3人で行くことにした。
おでんと雑誌数種を買わされること、しめて2572円。

子どもたちの機嫌も直り(単純な子どもたちである)、道をゆっくりと歩いていた。

すると、我々の前には、女子中学生とおぼしき女子が3人。
「チョーウケルンダケド〜〜」
携帯電話を見ながら、甲高い声で笑っていた。

数歩歩くたびに、
「チョーウケルンダケド〜〜! ツボハイッタ! ツボハイッタ!」
「チョーウケルンダケド〜〜! ツボッ! ツボッ!」
「チョーウケルンダケド〜〜! ツボニキタ! ツボニキタ!」

けたたましい笑い声を上げている。

ほ〜〜、若いのにそんなに壺に興味があるのか?
感心していると、3人は最初の角を曲がっていった。
「ツボ」に超ウケながら。

我々親子はそれを呆然と見送っていた。
そして、私は肩をすくめながらこう言った。
「オーマイガッ!」

すると、子どもたちは間髪入れずに欧米か!(本気で頭をハタキやがった)

お後がよろしいようで……。



2007/01/02 AM 09:21:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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