Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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12月31日と1月1日の間には…
今年の走り納めのジョギングをした。

今年の走り納めといっても、それで今年を総括しようというわけではない。
ただ、風邪をひいてダルイので、そのダルさを取るために走ってみようかと考えただけである。

私の場合、ジョギングは5キロ〜25キロの距離を走る。
いつも、走る前に何キロ走るということは決めずに、自分の体調と相談しながら走る。
つらかったら、すぐに止める。
ジョギングで体を壊してしまったら、ジョギングの意味がない。
たまに2キロぐらいで止めることがある。
その気になれば、もう少し走れるかもしれないが、ジョギングは「根性」で走るものではない。
だから、無理だと思ったらすぐに止める。

私の友人タカダは、今ではジョギングを辞めてしまったが、大学時代はかなりのアスリートで20キロを1時間10分以内で走っていたらしい。
今は太ってしまって、その面影はまったくないが、走るフォームだけはアスリートっぽい走り方をする。

彼と何度か一緒に走ったことがあるが、彼は「今日20キロ走る」と決めたら、本当に20キロ走るのである。
体調は関係ない。
事前に決めたことは、必ず実行するのである。
結果、「イテテ! イテテ!」と苦しむことになる。
大学時代は、年代は違うが、私は短距離専門のアスリート、彼は長距離専門のアスリートだった。
その違いがあるのかもしれない。

短距離の一番の敵は、風。
向かい風、横風に影響を及ぼされやすい。
次に湿度と雨。
空気抵抗が少しでも増えると、零コンマの世界だが、わずかの差が順位や記録に影響する。
私のように体が細身だと尚更である。
その結果、体調や気候と相談しながら走るという感覚が、体に染み込んでいる。

長距離の場合も向かい風は大敵だが、距離が長いので、調整が可能である。
だから、長距離専門のアスリート・タカダは、走りながら体調の調節が出来ると思って、頑張ってしまうのである。
しかし、もはや彼は昔の彼ではない。
今では、百キロ近い巨漢を持てあましている、ただのデブに過ぎない。
だから、「イテテ! イテテ!」となる。
己(おのれ)を知らぬ、ただのブタである。

今回のジョギングは、5キロまでは調子がよかった。
しかし、8キロを過ぎたあたりで、強烈な向かい風になり、うっすらとかいていた汗が急速に冷たくなった。
頑張れば、10キロあたりまでは行けただろうが、たかがジョギングである。
9キロ手前で走るのを止めた。

そして、体が冷えるといけないので、16号沿いのマクドナルドに入って、休むことにした。
汗をかくのはいいが、冷たい汗は良くない。風邪を悪化させる。
マクドナルドの店内は、暖かくて気持ちよかった。

百円の珈琲を飲んだ。
暖かさが体中に染み渡り、熱い汗が噴き出してきた。
この汗が気持ちいいのだ。
最近の若い人と話をすると、「汗をかくのが嫌い」「汗をかくと気持ち悪い」という人が意外と多い。

いま、若い人に「冷え症」が冷えている。
私は、汗のかきかたが下手な人が、「冷え症」になると思っている。
体内の熱のコントロール機能が低下していると、体の末端が冷える。
汗は、高度な体温調節機能を持っている。
しかし、この汗を普段の生活で避けている人は、この体温調節がしにくい。
だから、「冷え症」になる。
素人考えだが、私はこの説は正しいと確信している。
だが、他人にその考えを押し付けようとは思わない。

「冷え症」で死んだ人はいない。
まだ氷河期までは、間がある。
恐竜と同じ末路をたどることはないであろう。

家に帰ると、出来すぎのタイミングだが、タカダから電話があった。

「師匠、今年も終わりですね。今年もお世話になりっぱなしで、何とお礼を言ったらいいか」
「お礼は、物質でもらったから、もういいよ」
「は?」
「お歳暮で、カニを送ってくれただろ、あれで充分にお礼はしてもらったから、もうお礼はいらない。あのカニは美味しかったらしいぞ」
「らしい?」
「我が家では、美味いものは、子どもたちの独占だ。俺はそれを見ているだけだ」
「師匠。あの〜、もう一杯、カニ送りましょうか。お子さんたちには内緒で」
「いや、我が家の子どもに『内緒』は通用しない。嗅覚が異常に鋭いんだ」

あまりに貧乏くさい会話に、話が途切れた。
あるいは、タカダが私に憐れみを覚えたからか……。

25秒ほどの沈黙のあと、タカダがこう言った。
「来年はどんな年になるでしょうかね。師匠の『新年の誓い』は、何ですか?」

しばしの沈黙のあと、私は言った。
「一昨年も、昨年も、12月31日に、君は同じことを聞いてきたな。君には学習能力がないのか」

百キロのタカダは、それを思い出したのだろう。
しどろもどろになって、「あ、あ、あ、あ」と言った。

「そ、そうですね。え〜〜〜っと、確か…………、師匠はいつも、こう言ってましたっけ……。12月31日と1月1日の間には何もない。普段と同じ時が流れているだけだ。だから、『誓いもクソもない』と…」

「正解!」

考えてみれば、三年続けて、同じことを言われて怒られるタカダこそ、いい迷惑である。
それでも明るく「良いお年を!」と言ってくれるのだから、彼は紛れもなくいいやつである。

「新年の誓い」は、君にいいパートナーを見つけてやることかな。

こんなことを言ったら、百キロのダルマは、ゆでダコのように赤くなって、おせちの中に収まってしまうかもしれない。
だから、心の中で唱えただけで、黙っていた。

来年こそは、いいパートナーを見つけるからな。
タカダ、良いお年を!



2006/12/31 AM 11:28:09 | Comment(8) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

たったの0.09パーセント
年末、一番最後になって嫌な仕事をした。

独立当初、頻繁に仕事をいただいていた印刷会社がある。
その時の営業は気配りの利く人で、校了までのスケジュールを勘案しながら、コスト面をキッチリとそれに反映してくれる人だった。

しかし、四年前に、その人が他の部署に移って、営業(担当者)が変わった。
営業が変わってからは、見積もりの電話は年に十数回かかってくるのだが、交渉がまとまるのが、年に一回か二回になった。
この営業は、毎回理屈に合わない価格設定を提示してくる。そして、態度も横柄である。

中堅の印刷会社だが、そこの社長は苦労人らしく、いつも腰が低い。
毎年、年賀状なども自筆で内容の籠もったものをいただいている。
しかし、そんな社長に相反して、この営業は仕事の単価の話しかしないのである。
安い額で人を使うことが優秀な営業である、という観念に凝り固まっている。
だから、交渉をしている最中に、「こんな仕事いらねえよ!」と思ってしまって、こちらも歩み寄ろうという気にならない。

仕事だから、儲けが重要なのはわかるが、そんな話ばかりでは気持ちのいい仕事は出来ない。
昨年もこんなことがあった。
変形のリーフレットのデザインの見積もりを依頼された。
制作内容は、ロゴをこちらで考え素材もこちらで調達して、6日間で作ってほしいというものである。

ロゴというのは、重要である。
だから、見積額にその分を上乗せしたのだが、彼はそれが気にくわなかったらしい。

ロゴは簡単なものでいい。それに関してはクレームが来ても自分が抑えるから、見積もりはロゴ抜きでお願いしたい、といつもながらの強引さで押してきたのだ。

しかし、こちらの経験上、ロゴがそんなにすんなりと行くとは思えない。
それに、彼が相手のクレームを抑えてくれたことは過去一度もない。

ロゴというのは、会社の、あるいは商品の顔である。
場合によっては、ロゴこそがすべてと言ってもいい。
それを、簡単に考える方がおかしい。
だが、彼は自分の考えを全く譲らないのである。
ロゴは、あくまでも「おまけ」というスタンスだ。

その額では無理ですね、と私も譲らなかった。
仕事は、気持ちよくしたい。
得意先の営業の方針が気にくわなければ、断固として拒否する。フリーランスにもそれぐらいの気概は必要である。

相手は、それ以上何も言わなかった。
他に頼めばいい、と思ったのだろう。
仕事をするやつは他にいくらでもいる。頑固な三流デザイナーなど放っておこう、そう思ったに違いない。

しかし、それから二日後、彼から電話がかかってきた。
「Mさんの見積もり、オーケーです。でも、お願いがあります。ロゴのデザイン料、500円ほど負けてくれませんか。納期そのままで…」

他のデザイナーに当たったが、結局私の見積もりが一番低かったのだろう。
しかし、それでも私の見積額をそのまま受け入れるのには抵抗がある。だから、値切ってきた。

たった500円にこだわっていやがる! 小せぇ野郎だ! と思ったが、一応相手が折れてくれたのだから、こちらも折れるのが礼儀というものだろう。
その仕事は、受けることにした。
これは、仕事もスムーズに運んで、ロゴの修正を一回しただけで校了になった。

だが、この担当者、それだけでは終わらせてくれないのである。
「あのロゴは安ぽかったですね。いくら時間がないとはいえ、よくあれで通ったと思いますよ。あれは奇跡に近い」
ロゴは「おまけ扱い」のはずなのに、散々嫌みを言われた。
そんなにひどいロゴだとは思わなかっただけに、後味の悪さだけが残った。

そして、27日の夕方の電話。
「文字入力をお願いしたいんですが、大変急いでいます。一日でしてくれませんか。四百字詰め原稿用紙、110枚分です」

当方では、文字入力だけというのは受けていない。
もともと、文字入力は得意分野ではない。
だから外注になる。
しかし、この外注の人が神業的な達人で、いつも助かっている。
私の場合、一時間に4〜5千字が限度だが、この人「ナガイさん」は、8千字を平気で打つのである。
しかも、正確なのだ。
もっと早く打つ人は沢山いるかもしれないが、正確さと言うことを考えたら、ナガイさんこそ、「プロ中のプロ」と言えるだろう。

文字入力、と言われてナガイさんのことを思い浮かべたが、彼女は主婦である。年末は忙しい。
その忙しい人に、一日で四百字詰め110枚(4万4千字)をお願いするのは、気が引ける。
だから、断った。

しかし、この担当者は、そんなことでは引き下がらない。
「急いでるんですよ。今年中にテキストデータを上げないと、スケジュールが狂うんです!」
勝手に吠えている。

それはお前の事情で、俺には関係ねえよ!

「他にも頼む人はいるでしょう。フクザワさんは、顔が広いんですから」
一応、おだててやった。

「まあ、他にもいるんですがね。今回はMさんにお願いしたいんですよ。付き合いも長いんで」

これ以上、嘘くさい会話をしたくなかったので、一応ナガイさんに聞いてみるということで、電話を切った。
背筋に悪寒が走る。
私が一番嫌いな展開である。

ナガイさんに電話をしてお願いしたら、「じゃあ、やってみます」と言われたので、受けることにした。
こんなことは書きたくないが、今回私の儲けはまったくない。
一文字「0.5円」。ナガイさんに支払う額だが、私の方も先方にはその額しか請求はしない。
特急料金も取らない。
仕事を取り次ぐだけで、私にはまったく「うま味」のない仕事である。

ナガイさんは、責任感が強い。
27日の夜、原稿を渡して、翌日の朝にはテキストデータをメールで送ってくれた。
内稿をしてみたが、4万4千字のうち、私の見た限り80文字くらいしか打ち間違いがなかった。
手書き原稿なので、判読不能な文字がある。それを入れても、たった80文字なのである。
つまり、0.18パーセントの間違いである。
これは驚異的だ。
普通、どんなに正確な人でも、打ち間違いは0.5パーセントはある。これでも奇跡に近い。
つまり1万字打てば、50文字の打ち間違いはある。4万4千字なら、220だ。
重ねて言うが、これでもかなり優秀な部類に入る。

内稿したあと修正をして、昼間のうちにデータを送った。
超特急で仕上げたのだから、普通なら感謝の言葉の一つもあっていいはずだ。
年末の切羽詰まった時期に仕事を受けて、約束の時間より4時間早くデータを送ったのだ。
しかし、相手はこう言うのである。

「40文字近い打ち間違いがありました」

コイツ、喧嘩売ってるのか!
40文字の打ち間違いと言ったら、細かいことを言うが、たった「0.09パーセント」だぞ!

感謝の言葉の変わりに、わずかなミスをあげつらう。
この時点でもう私は嫌になったのである。
こんなやつとは一秒たりとも会話したくない。
そこでこう言う。

「上司を出せ!」

上司は物わかりのいい人で、謝ってくれたが、それだけで済む問題ではない。
今回は、無理を聞き入れて、超特急で入力をしてくれたナガイさんの名誉、ということもある。

だから、「あの営業がいる限り、そちら様とのお付き合いはご遠慮させていただきます」と言った。
年末だから、嫌な思いはしたくない。
仕事を貰う側としては、「もっと耐えるべきだ」という考え方も出来る。
耐えるのが大人、と言われたら返す言葉もない。
しかし、だからといって、我慢できないものはできない。年末に悔いを残さないためにも、ここは譲れない。

まったく、損な性分だと思う。
おとなしく言うことを聞いていれば、これからもそれなりに仕事は回ってくるだろうに…。

上司は、「また是非お願いしますよ。Mさんには、いつも助けてもらってますから…」
と言ってくれたが、二度と仕事は来ないだろう。それは確信できる。

この会社が私に仕事をくれる確率は、「0.09パーセント」以下だと思っている。



2006/12/29 AM 08:27:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

バラード嫌い
26日締切の仕事も無事終わり、あとは56頁のカタログを残すだけとなった。
これは商品の数が多いので、時間が空いたときにデジカメで撮影していたが、まだ110点ほどが残っている。
担当者の話では、全部で406点あるらしい。つまり、4分の3は撮り終わったということだ。

撮影が終わったら、これを全部Photoshopで切り抜いていく作業が待っている。
これが面倒だ。単純な作業だから、やっている間に眠くなる。
なるべくテンポのいい音楽をかけながらやると、多少効率はいい。
この種の仕事をするときは、Destinys Childや、初期のDeep PurpleWeather Reportなどがいつも流れている。
あるいは、倖田來未のアップテンポのものだけをチョイスして流している。

こういう時は、あまりバラードは合わない。
マウスの滑りが悪くなる。
元々あまりバラードが好きではないので、余計能率が落ちる。
アップテンポの曲の中に、アクセントの一つとしてバラードがあるのならいいが、バラードだらけだとイライラしてくる。

もったいぶった詞に思い入れタップリのメロディを載せて歌われると、鳥肌が立つ。
小学校五年の私の娘は、私の影響を受けているので倖田來未をよく聴いている。
彼女は、倖田來未のバラードがいたくお気に入りだ。

ウットリとした顔で聴いている。
「うまいなあ、ホントに」とため息さえつく。
BoAも、歌って踊る曲よりバラードの方が好き」と言っている。

そんなとき、ひねくれ親父はこう言う。
「若いのに、バラードばかり歌っていてはダメだよ。若さが弾けるような歌の合間にバラードを挟むのならいいけど、バラードに逃げちゃいけない」
「いいじゃん、だってバラードの方が歌詞の内容がよく聴こえて、イメージがしやすいんだから」

そうか、娘は歌詞をしっかりと聴いているのか。
確かに、アップテンポの曲は歌詞が聴きづらい。特に最近の歌は英語の歌詞が(意味もなく?)ついているから、バラードの方が小学五年の娘にはわかりやすいのかもしれない。
バラードでは、英語の歌詞があったとしても、ゆっくりだから何となくわかるというのはあるだろう。

娘は歌詞と真面目に向き合っているようである。
テレビでMr.Childrenが「しるし」などを歌っていると、真剣に聴き入っている。
気が付いたら、正座などをしているときもある。
姿勢を正して聴いているのである。

「ミスチルはプロだよね。歌詞の一つひとつが、生きてるもん。細かい一つひとつの言葉が詞の世界を作っているから、聴き終わると、すごい幸せな気分になるよ」

そんなことを言うのである。

「『Rain』っていう歌は、倖田來未の心が泣いているのがよくわかるよ。こんな恋はしたくないね」

こんなことを言うのである。

ついこの間まで一緒に風呂に入っていた娘が、歌詞の中に埋め込まれた、言葉の襞(ひだ)がわかるようになってきたのである。
そう考えると、娘にとってバラードというのは、言葉の勉強という側面もあるのかもしれない。
学校では決して教えない「心」を教える役割を果たしている。そう捉えることも出来る。

そんな娘が先日、友だちの家のクリスマスパーティに招待された。
仲のいい友だちとプレゼント交換やゲームなどをして、いい時間を過ごしたらしいが、家に帰ってきて言った第一声がこうである。

「ミズキの親父、最悪だよ! 最後にカラオケでみんなで盛り上がっていたら、突然マイクを取るんだぜ! それで、一体何を歌ったと思う。中島みゆきだぜ! クリスマスに何で中島みゆきなんだよ! 思わずミズキが、親父の○○○○に蹴りを食らわしてたよ!」

「○○○○」のところは、ご想像におまかせします。





2006/12/27 AM 09:15:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

コラムのピンチヒッター
毎月5日締めのレギュラーの仕事が、新年の始まりが9日ということで、今回だけ12月26日が締め日となった。

準備期間が短かったせいで、原稿が揃わない。
私が原稿を揃えるわけではないので、他力本願だから余計困る。自分のペースで仕事ができない。
十日前に、とりあえず表紙だけ決めたところまでは段取りがよかったが、それ以後データがポツポツとしか入ってこないから、ペースが全く上がらなくて困っている。

16頁のうち12頁の原稿をもらい、それなりに組み終わったのが23日。
それを担当者が今校正しているところである。
しかし、まだ2頁のコラムが残っている。
これは、毎回ある大学の教授が書いてくれて、本人が直接テキストデータを送ってくれるのだが、その原稿がいまだに送られてこない。

ただ、25日夜までにテキストデータをもらえれば、あとはそれを流し込んで、手書きのイラストを入れるだけだから、2次校正をしている間に届くものだと楽観していた。
25日の夜までは、まだ間があるし……。

だが、昨日の夜の担当者からのメールが、その甘い考えを打ち砕いた。
「教授が、『25日までには書けない。年末は忙しいから暇がない。だから、そちらで何とかしろ』と言ってきた。他の執筆者を捜している時間はない。だから、Mさんが2頁のコラムを書いて欲しい。健康に関することなら何でもいい。ヨロシク!」

書けないなら、もっと早く言え!
締切前の切羽詰まったこの時期にドタキャンするなんて、なんて無責任なやつ!
自分のスケジュールぐらい把握するのが、常識ある大人というものだろう。
年末が忙しいのは、お前だけじゃない!

と、憤っても問題は解決しないので、仕方なくコラムを書くことにした。
ピンチヒッターだから、ホームランは狙わなくていい。
ボテボテの内野安打でも文句は言われないだろう。
ただ、ボテボテの内野安打さえも打てないかもしれない。
何しろ、時間がない。
二軍から上がったばかりで、まさか自分に打席が回ってくるとは思っていなかった、故障上がりの控え選手のような心境である。

健康に関するコラム、か。

健康に関しては、多少気になってはいる。
腹は出ていないし、コレステロールも血圧も高くはないが、あちこちガタが来ているのは間違いない。

25キロも走ると、両膝は痛くなるし、ビールは美味いし…(?)。
フットサルでオーバーヘッドキックをしたあと、右耳を強打して血をタラタラ流したが、ビールは美味いし…。
30年ぶりに剣道をしたら、二段の人から一本を取ってしまい、腹いせに強烈なコテを決められて右手に大きな痣ができたが、ビールは美味いし…。

自分の健康のことなら、いくらでもネタはある。
めまい突発性難聴弱視腰痛胃下垂、O脚、不整脈飛蚊症、薄毛、意志薄弱など…。

しかし、こんなことを書いても人生相談のネタにはなるが、コラムとしては使えない。

こんな風にネタ探しに困っていたとき、いいタイミングで電話がかかってきた。
昨年、11月に電話で喧嘩をして、それ以来一度も接触のなかったセキ君からだ。

セキ君は、40過ぎの独身。
昨年、彼が大失恋をしたとき、真夜中に何度も泣きの電話をかけてきたので、そのあまりの女々しさに腹が立ち、口汚く罵ってしまった。
そして、絶交。
言い過ぎたかも…、と後悔したが、絶交して一ヶ月以上たつと電話もかけづらくなったので、結局そのまま音信不通となった。

それ以来の電話である。

「Mさん、その節はご迷惑をおかけしました。俺は今年のクリスマスは、いいクリスマスを迎えられそうですよ。バツイチ、子持ちですが、同い年の女性と付き合っています。ルンルンな気分ですよ」

ルンルン? それ、いつの時代の言葉だ?
元禄時代だったっけ?

あまりに軽い口調に、ドン引き!(娘がよく使う単語を使ってみました)
「それはそれは、結構なことで」
そう言うしかなかった。

「いやあ、去年のクリスマスは、どん底でしたが、今年はチョー最高ですよ! チョー気持ちいい〜〜!(もう古い)」

さらに、ドン引き! Σ(=゚ω゚=;) マジ!?(この絵文字も、娘がよく使います)

しかし、恋愛というのは、こうも人間を変えるものなのか。
それなら、これをコラムのネタにしたらどうだろうか、と電話中に閃いた。
健康と直接の関係はないかもしれないが、「メンタル」というものを広義に捉えたら、健康に分類されるのではないか。

多少ピントがボケたことを書いても、締切までもう時間がないから、ボツになることはないだろう。
できるだけアカデミックな例を取り上げれば、中身の軽さを誤魔化すこともできる。
それで行こう!

「あのぉ、もしもし…、Mさん? 聞いてますゥ?」

ああ、聞いてますよ。
助かったよ。
じゃあ、メリークリスマス!


2006/12/25 AM 08:46:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

青島・夏目・奈保子
むかし話を少しだけ。

13、4年前の冬のことだった。確か2月の終わり頃のことだ。
私はまだ独立はしていなかった。
会社から日帰り出張を命じられて、京都に行ったことがある。

朝早く出かけて、京都駅に着いたのは10時過ぎ。雪が降っていた。
そして、ひと仕事終えたのが午後3時過ぎ。外に出ると大雪で、すでに10センチ以上積もっていた。
京都の雪景色は風情がある。
雪の銀閣寺清水寺などを見るのもいい、こんなチャンスは滅多にない、そう思って銀閣寺に行こうとしたが、交通機関が麻痺しているという情報があり、その目論見は外れた。
そこで、帰れなくなったら困ると思って、その時いた河原町から一番近い八坂神社を見るだけで我慢した。

白く化粧をした八坂神社は、時代を受けとめた重みが感じられて、ため息が出るくらい美しかった。
20分ほど散策しただけだが、サクサクと雪を踏む音が耳に心地よくて、気持ちが和んだ。

京都駅までタクシーで行こうと、通りでずっと待っていたが、空車を掴まえるまで20分かかった。
しかし、この時はまだ事態を楽観視していた。
焦ったのは、京都駅に着いてからだ。
関ヶ原付近で大雪が降っているので、新幹線が大幅に遅れているというのだ。

私の予定では、5時〜6時台の新幹線に乗るつもりでいた。
時計を見ると、5時10分前。
とりあえず切符を買って、ホームまで行った。
列車はホームに停まっている。しかし、発車のめどは立たない、というアナウンスが流れていた。

列車はもうすでに満杯状態。
中で待つのは鬱陶しいので、待合室に行って待つことにした。
待合室は比較的空いていて、座ることができた。

見回すと30人ほどの人が、眉間に皺を寄せながら黙って座っていた。
しかし、その中で私の斜め横の席にいるサラリーマン二人のうちのひとりが、しきりに「遅ぇ、遅ぇ、やばいっすよ、今日中に帰らないと資料をまとめるヒマがない」などと言って、隣の同僚らしき人に顔を赤くして愚痴をこぼしている。
いや、愚痴をこぼしているというより、ダダをこねている。

同僚は彼より明らかに5才くらい上で落ち着いた雰囲気を持っていたが、彼をなだめるでもなく、ただ上を向いて煙草をふかしていた。
その態度が気に障るのか、彼は余計ナーバスになって、ワンカップの日本酒をあおっていた。
足元を見ると、ワンカップの瓶が2つ転がっていた。おそらくそれが3本目の酒なのだろう。
要するに、ただの酔っぱらいである。

隣が相手にしてくれないとわかると、この酔っぱらいは、近くの人間に声をかけ始めた。
「JRは何をしてるんだ! たかが雪で何で新幹線が止まるんだ! なあ!」

しかし、当然のことながら、誰も酔っぱらいの相手などしない。
誰もが、「コイツ、うるせえ!」と心の中で思っているはずだ。

私も相手をしなかったが、運悪く彼と目が合ってしまった。
そして、彼が言う。
「ねえ、そこのインテリっぽい人。そうは思わないかい?」

インテリ? なんだそのインテリっぽいってのは?
初めて言われたし、古くさいし……。
私は思わず軽く笑ってしまった。彼を笑ったわけではないのだが、酔っぱらい相手に道理は通用しない。
それが彼の不機嫌さに火を付けてしまったようだ。

いきなり立ち上がって、私のそばまで来て、私の襟を掴んで立たせようとした。
「何、笑ってやがるんだよ!」
しかし、彼の力では私を立たせることはできなかった。彼は酔っぱらっているのだ。無駄に力を入れているだけだ。

私は彼の同僚に目を走らせたが、彼の同僚は知らんぷりをしている。
なんてやつだ。
私はこの酔っぱらいより、その同僚に腹を立てた。
そこで、こう言った。
「おい! 知らんぷりかよ! お前、友だちのお守りもできないのか!」

すると、酔っぱらいは自分のことを無視されたのかと思って、余計熱くなったようだ。
私を殴ろうとした。
私は咄嗟に、彼の腹に頭突きを食らわした。
酔っぱらいが尻餅をついた。
彼は事態が把握できなかったのか、一瞬痴呆のように無表情になったが、また立ち上がると、私に襲いかかろうとした。

そのとき、止めに入った男がいた。
小柄な男だ。
その男は薄茶のコートを着ていた。彼は酔っぱらいを羽交い締めにして、軽く振り回したと思ったら、近くの椅子に座らせるという器用なことをした。

酔っぱらいは、なおも立ち上がろうとしたが、男は彼の肩を強く押して、「やめなさい。君が暴れたって、新幹線が動くわけじゃない」と言った。
まだ酔っぱらいは暴れようとしたが、男の顔を見て固まった。
知っている顔だったようだ。
もう一人知り合いがいて、止めに入ってくれたのか。そう思ったが、そうではなかった。

酔っぱらいが「暴力だろ、今の。俺はコイツに殴られたんだぞ」と言って、私の方を指さした。
男がゆっくりと私に顔を回した。

青島幸男だった。
彼は私を見つめながら静かに言った。
「俺はほとんど見てましたがね、先に殴ろうとしたのは君の方だ。彼はそれを防いだだけだ。誰が見ても、君の方が悪い」
すると酔っぱらいは、また大声で「痛ぇんだけど、ケツが! 骨が折れてたらどうすんだよ。コイツのせいだろ!」と喚く。

「わかった。じゃあ、何かあったら私のところに訪ねてきなさい。私は『青島だぁ!』の青島だ。わかったね」
青島は彼の肩に両手をおいて、顔をのぞき込んだ。
酔っぱらいは、素直に頷いていた。

そして、青島は私の肩を一回ポンと叩くと、待合室を早足で出ていった。
アッと言う間の出来事だった。礼を言う間もなかった。
あの時の青島は格好良かった。
まだ都知事にはなっていなかった。おそらく参議院議員の時代だろう。しかし、取り巻きは一人も連れていなかったように思う。
それがさらに、格好良く映った。

その時礼を言えなかったことを、今でも悔やんでいる。

その青島幸男が亡くなった。
ご冥福をお祈りする。

さらに……。
今から20年以上前のことになる。
南青山の比較的庶民的なイタリアンレストランに行ったとき、店が混んでいて、店の外で順番を待っている人が5、6人いた。

その中に夏目雅子がいた。
有名な女優が、普通に一人で並んでいる姿が面白くて、「『時代屋の女房』二回見ました」と気安く声をかけた。
そうすると、彼女は振り返って私を真正面から見た。
そのあまりの美しさに、頭が空白になって、その時彼女が何と言ったかわからなかった。

ただ、「あ、ああ…」と声を返しただけで、私は逃げるようにその場を去ってしまった。
今思えば、悔しい。
なぜ、何も言えなかったのか。
ずっと、それを悔やんでいる。

二人とも亡くなってしまったので、もう話す機会は永遠に訪れない。
もっとも、生きておられたとしても、話す機会などは巡ってこなかったろうが……。

そう考えると、もうひとり会話したことがある有名人を思いだした。
河合奈保子である。
25年くらい前、目黒に大きなスタジオがあった。
そこの駐車場の前に、彼女がいたのである。
人待ち顔で立っていたので、気楽に声をかけた。
「何してるの?」

すると、彼女は普通に答えてくれた。
「マネージャーを待ってるんですけど、まだ来ないんです」
笑顔が素敵だった。

たしか、河合奈保子はまだ生きてましたよね……?



2006/12/23 PM 12:26:51 | Comment(12) | TrackBack(0) | [日記]

ロリちゃんの結婚
年末年始は、三流デザイナーに一流・二流から溢れた仕事が回ってくる。
だから忙しい。

「貧乏暇なし」と言うが、私の場合は「どビンボーヒマなし。寝る間なし、ノルマあり」という状況である。

18日は朝から熊谷のハウスメーカー、昼は浦和の一流デザイナーからのSOSで駆けつけ、その後大宮の印刷会社と近所の印刷会社で作業。寝る間もなく、朝まで諸々の仕事の修正に追われた。
19日は、ハウスメーカーの修正に追われ、その合間にデジカメで商品画像160点の撮影をする。
20日は、近所の印刷会社でホテルのパンフレットの最終校正をほぼ丸一日。
我が家のプリンターを正月の仕事に合わせてメンテナンスに出したので、ちゃっかり印刷会社のプリンターを使わせてもらい、かなりの量を出力した(もちろんタダで)。

なんか、もうかった気分。

しかし、この間、睡眠時間一日平均1.5時間。
疲れる。

だが、いいこともある。
18日に浦和の一流デザイナー・ニシダ君に呼ばれて行ったとき、嬉しいことがあった。

以前作ったデータをCD-Rに焼いたのだが、「そのデータが開かない」というトラブルで呼ばれた。
大手のメーカーのパンフレットを新しく作る予定でデザインを依頼され、2種類のデザインを提示してそのうちの一つを担当者に気に入ってもらえた。
しかし、土壇場で社長の「神の声」があり、2年前のデータをキャッチコピーだけ変えて印刷するということになった。

結果、彼が一所懸命頭を悩ませて出来上がったデザインはになり、二年前のデータを掘り起こすだけで終わったのである。
三流の会社ではよくあることだが、大手の会社ではそういったことはあまりないようだ。
彼のクライアントはほとんど一流会社だが、こんな屈辱は初めてだという。

そして、その二年前のデータが開かないというのだ。
CD-Rに焼いたデータを開こうとしたら、エラーメッセージしか出ない。
そこで私の登場である。

ニシダ君の仕事場には、SOSの時しか行かない。
しかし、一流デザイナーの仕事を、垣間(かいま)だけでも見るのは楽しいので、大抵は行く。
外国のビールも飲ませてくれるし(本心を言えばこれがメインである)。

熊谷のハウスメーカーとの打ち合わせを済ませ、昼飯を取らずに浦和の事務所に駆け付けた。
ニシダ君は「センセイ、今日中に何とかなるでしょうか」と言って、蒼い顔。
聞けば、明日の朝までに印刷所にデータを送らないと、印刷が間に合わないという。
クライアントの我が儘なんだから、少しくらい焦らせてもいいと思うのだが、真面目な彼にはそれができない。
ストレスが溜まって、ほとんど泣きそうな顔である。

トラブルデータのことは、メールや電話で把握した。
メールでもらった問題のデータを我が家で検証して、ほぼ復活できることはわかった。
ただ、それは我が家のPCでのことで、ニシダ君のPCでもちゃんと復活するかどうかは、やってみなければわからない。

パソコンのソフトというのは、それほど厄介なものなのだ。
性悪女みたいなものだ。
幸運なことに私の人生では、一度しか性悪女に出会ったことはないが(私の実の姉以外は)。

まず、CD−Rのデータをハードディスクにコピーする。
アイコンは白いままだ。ファイル名も文字化けしている。
つまり、どのソフトで作ったのか、パソコンが理解していないということだ。
そこで、PCを再起動してPRAMをクリアした。

アイコンはまだ白紙のまま。ファイル名も文字化けしている。
そしてこのファイルを、「MacSOHO」を介して、Windowsに送る。
Windowsの「イラストレータCS」でデータを開く。
そうしたら、あら不思議! データがちゃんと開けた。

「えーーーーー!?」
ニシダ君が、叫ぶ。

私は何ごともなかったように、それを別名で保存した。
それから、そのデータを「MacSOHO」で受け取り、「イラストレータ10」で開き、「イラストレータ8」形式で保存し直した。

これで終了である。

「えーーーーーーーーーっ、な、何でですか!?」 

種明かしは、こうだ。
おそらく、ニシダ君はデータをCD-Rに焼くときに、ISO形式で焼いてしまったのだ。
普段はハイブリッド形式(WinでもMacでも読める)で焼いていたのだろうが、たまたまこの時だけISO形式で焼いたのだと思う。
そこで、このデータはMacで読めなくなった。読める場合もあるのだが、今回は読めなくなった。

だから、一度Windowsのイラストレータで開く必要があった。
そして、Mac用のファイル名を再度付けなおして保存したのだ。
我が家のWindowsには、「イラストレータ8」しかないので、復元が中途半端だった。
だから、ニシダ君のところの「イラストレータCS」が必要だったのだ。
簡単なことである。
しかし、一流のデザイナーではあるが、小学生並みの機械音痴の彼には、それがわからない。

だが、それでも彼が一流であることには変わりはない。
トラブルは、三流以下のデザイナーに任せておけばいいのだ。
私の存在価値は、そこにある。

「さあ、ビールだな」
私がそう言うと、ニシダ君は嬉しそうに、「彼女も待っていますから」と言った。
彼女、というのはニシダ君の同居人チヅルさんのことだ。
私は彼女のことを「酒豪」と呼んでいる。
彼女が酒を飲んでいない姿を見たことがないからだ。

そこで、彼の仕事場の隣の号室に移動した。
そこには「酒豪」が待っていた。
いつもはダテ眼鏡をかけているのだが、今日はない。
幼い印象がして、少しドキッとした。

「昼食、まだなんじゃないですか?」
とチヅルさんに微笑まれて、ダイニングに通された。
テーブルにはクラブハウス・サンドとバドワイザーのボトル。

「お忙しいでしょうが、しばし忘年会のお付き合いを、ねっ、ロリちゃん!
と言って、彼女はニシダ君を見た。

ロリちゃん?

「ロリちゃん?」
私がニシダ君の方を見ると、ニシダ君は真っ赤な顔をして俯いていた。

笑いながら「まあ、座ってください」と促されたので、座った。
そして、彼女は嬉しそうに話をし始めた。

「この間、私の実家に彼を連れて行ったんですけどね。私には、一回り年の離れた中学二年の妹がいるんですよ。それを見た彼が、あとで私に何度も『シオリちゃん、可愛いね』って言うんですよ。確かに妹は可愛い部類に入りますけど、あまりにしつこいんで、『きみ、ロリコンだね、今度からロリちゃんって呼ぶから』って言ってやったんです。彼もそれを否定しないので、それからずっと『ロリちゃん』って呼んでるんですよ」

ハハハ、笑うしかない。

しかし、彼女の実家に行ったということは、もしかして……。
そこで、聞いてみた。
「とうとう、決心を…」

チヅルさんは、笑みを浮かべて大きく頷いた。
ロリちゃん、いやニシダ君はまだ赤い顔をしている。

「やったね、ロリちゃん」と私が言うと、ニシダ君は笑っていいのか、怒っていいのかという顔をして、悲しげに首を傾げた。

「そうか、それでチヅルさんは、眼鏡を取ったんだね。幼い感じになったんでビックリしたよ。つまり、それがニシダ君の好みというわけだ」
「さすが、Mさん、鋭い。そして、乾杯!」

三人で乾杯した。

「結婚はいつ?」
「入籍は彼の誕生日、来年の1月25日の予定です。結婚式はしません。無駄なことはしたくないんで」

それは、チヅルさんらしいかもしれない。
彼女のことをよく知っているわけではないが、彼女ならそう思っても不思議はない。

「Mさんも、結婚式はしなかったクチじゃないんですか?」
「いや、ヨメさんの母親が『カッコがつかないから』ってしきりに気にするんで、一応挙げたよ。でも、オレは嫌だったんで、それをアピールするために俺の方は両親しか出席させなかった」
「それは変則的ですね。披露宴もそうですか」
「いや、披露宴はお互いの友だちを呼んで、小さなレストランを借り切ってやった。お互いの両親は呼ばなかった。だから今でも、あの時結婚式を何で断れなかったんだ、ってずっと後悔している」

「いやあ、でも一度だけですからね、いい経験じゃないですか、お義母さんが喜んだならそれでいいんじゃないですか」
チヅルさんは、バドワイザーをラッパ飲みしながら「ガハハ」と言った。

私は「チヅルさんの妹さんはそんなに可愛いの」とニシダ君に聞いてみた。
ニシダ君は、新鮮な唐辛子のように赤くなって、少々どもりながら言った。
「あ、あ、あ、新垣結衣みたいに、笑顔が可愛いです!

すかさず、チヅルさんの左ストレートがニシダ君の右頬に炸裂した。



2006/12/21 AM 10:59:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ひとり忘年会 その2
ひとり忘年会の続き。

金曜の夜は、家族が早く寝たので、夜の12時半過ぎに家を抜け出して、「隠れ家」に行った。
早速、ゴミ捨て場で拾ったギターの弦を張り替えることにした。
手にとってよく見ると、全体的に埃でくすんでいたが、傷んでいるところはなさそうである。

まず、弦をすべて取り外した。
これは、20年ぶりにやる作業である。
大宮の楽器店で、ワゴンに積まれていたスチール弦を買った。久しぶりなので、固い弦ではなく柔らかいものを選んだ。ついでに、ストリングワインダー(弦を巻き取る道具)も買って、隠れ家に置いておいた。

エンドピンを抜くのに少々苦労したが、弦を一本ずつ、昔を思い出しながら張り替えていく。
最初の一本目は手間取ったが、コツをすぐ掴んで、残りの5本を一気に張り替えた。
意外と覚えているものである。

そして、チューニング。
これは昔から得意である。
普通の人よりは、圧倒的に早い。その他の技術は進歩しなかったが、なぜかチューニングだけは早いのだ。

スリー・フィンガー」もひとより早く覚えた。
しかし、あまり上達しなかった。
友人がギターを持って遊びに来ることがあるので、ギターはたまに弾く。
この「スリー・フィンガー奏法」を娘の前でやると、「お前、やるジャン!」などと言われるが、ただ「できる」というレベルに過ぎない。

友人からは、「ひでぇ自己流だな」と笑われる。
その程度である。

チューニングが終わったので、ロジャースの袋から「フォアローゼス」を取り出し、百円均一で買ったグラスに注いだ。
行きがけに、コンビニで氷を買ってきたので、その氷を二つ浮かべてロックで飲んだ。
フォアローゼスは、必ずロックで飲むべきである。水割りはダメだ。どうしてもというのなら、ソーダ割りがいい。

バーボンを嫌いな人は多いが、それはおそらく最初に飲んだのが「アーリー・タイムス」の水割りだからだろう。
バーボンの水割り、というと居酒屋ではこのアーリー・タイムスが圧倒的に多い。
アーリー・タイムスは、バーボンらしいバーボンだが、香りが独特だ。それをミネラルウォーターで薄めても、その独特の香りは消えない。
むしろ、薄まった分だけエグい口当たりになる。
嫌いになるのは当たり前だ。

だから、バーボンを初めて飲む人は、フォアローゼスかワイルドターキーを飲むといい。
まずは、ソーダ割りにして飲む。飲めそうだと思ったら、ストレートかオン・ザ・ロックで飲むという手順を踏んだ方がいい。
これが一番馴染みやすい飲み方だと思う。

フォアローゼスのロックを飲んで、カマンベールをつまんだ。
カマンベールは、6等分に切ってあるものだから、食べやすい。
次は、スモークチーズ。チーズ好きのひとに言わせると、スモークチーズは邪道らしいが、世の中には邪道が溢れている。
チーズにだけ邪道を許さないという心の狭い人間こそ、チーズを語る資格はない。
美味ければいいのだ。

さて、ギターである。
ピックも買ってきたが、深夜にピックを使ってジャカジャカというのは、よろしくない。
そこで、むかし懸命に覚えた、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」をスリー・フィンガーで弾いてみようと思った。

スリー・フィンガーといえば「ボクサー」というくらいポピュラーな曲である。
ひとと同じことはしたくないひねくれた性格だが、ギターの上達度を測るのには丁度いいので、飽きもせず毎日練習した。
それを覚えているかどうか。

意外と覚えているものである。
もちろん流れるように指が動くということはないが、思ったほどつっかえずにできた。
練習して損はなかったということだ。
何となく、嬉しくなった。

調子に乗って、今度はイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のイントロの部分を弾き始めた。
これもそれなりに指が覚えていたが、慣れないことをしたせいで中指がつってしまった。
弦を押さえる左手の指先も痛い。

今日はこれくらいにしておこう。
別に誰も聴いていないのだから、無理することはない。
あとは、フォアローゼスを飲むだけ。
スモークを口に運びながら、二杯目からはチビリチビリと飲む。
何も考えない。気障な言い方だが、酒と会話をするように、ゆっくりと飲んだ。
隠れ家の壁のシミが、色々な形をしているのを見ながら、チーズを食べバーボンを飲んだ。

四杯目を飲んだところで眠くなった。
まぶたを閉じる前に、毛布をかぶった。そして目を閉じて、すぐ寝た。
起きたのは、朝の6時半だった。
起き抜けだが、フォアローゼスを少しラッパ飲みにして、体を温めてから家に帰った。
家族はまだ寝ているようだ。

仕事部屋の床の絨毯の上に寝っ転がって、また寝た。
目が覚めると、娘の顔がすぐ近くにあった。
「おい、酒くさいな! しかし、いつものビールの匂いじゃないな」
といいながら、私の周りを嗅ぎ回っている。

「何か隠していることがありそうだな」

するどく追求されそうだったので、残っていた600円を娘に与えた。
「ワイロか!」
と突っこまれたが、そう言っただけで、ニヤニヤしながら自分の部屋に帰っていった。

結局、今回の「ひとり忘年会」で、得したのは娘だけのようだ。



2006/12/17 PM 12:12:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

ひとり忘年会 その1
今年はまだ忘年会が一度もない。

例年、同業者の忘年会が最低2回はあるのだが、皆のスケジュールが合わなくて今年は一つも話がまとまらない。
この調子では、忘年会はゼロになりそうな気配。
これは、独立して初めてのことだ。

といっても、別に忘年会が好きなわけではない。
むしろ、嫌いな方だから、ないことは歓迎すべきことである。
6、7人で集まっても、二次会まで盛り上がることはない。
二次会に行くのもいるようだが、私はいつも二次会を断っている。
とりあえず、忘年会だけはお付き合いするが、それ以上のことは面倒臭い。
他人の下手なカラオケなど聴きたくない。頭が痛くなる。皿を投げつけたくなる。後ろ回し蹴りをしたくなる。

しかし、人間というのは勝手な生き物だ。
忘年会がないとなると、何となく寂しさを感じる。

そこで、馬鹿なことを考えた。
ひとり忘年会、である。
「隠れ家」で、ひとりで盛り上がろうと思ったのだ。

きっかけは、宮部みゆきの「ぼんくら」
本の整理をしていて、この「ぼんくら」の下巻を手に取ったら、お札らしきものが床に落ちたのである。
拾ってみると、二つ折りにした本物のお札だった。
数えてみると、三千円。二千円札一枚と千円札一枚である。

自分では全く覚えがないのだが、我が家では私の本棚に触る人間はいない。
別に「触るな」と厳命したわけではないが、私の読む本には家族の誰も関心を示さない。
しかも、「ぼんくら」に金を隠すというボンクラはいない(?)。

だから、これは私の金である。
そこで、これを使い切ろうと思ったのだ。
しかし、普段金を持ち慣れていないから、我が娘の鋭い眼力は誤魔化しきれなかった。
「金、持ってるだろ。バレバレだぞ。みんなには黙っててやるから…」
と脅されて、「少女コミック」と「のだめカンタービレ」を買わされた。
将来が恐い女である。

だが、それでも手元には2300円も残っている。
「ひとり忘年会」の会費としては、充分な額だ。
忘年会といえばまず、酒。
隠れ家には、「いいちこ」が常備してあるが、ここは奮発したいところである。

そこで、ロジャースで「フォア・ローゼス」を1170円の特価で売っていたので、これを購入した。
もっとも、奮発したといっても「いいちこ」と30円しか違わないが。
次におつまみとして、カマンベールチーズスモークチーズを買い求めた。

以上である。

私は食べ物に対する欲求が薄いので、これといって食べたいものがない。
たまたま、ロジャース内を巡り歩いて目に留まったものを買っただけである。
腹が減ったら、隠れ家にストックしてあるカップラーメンを食えばいい。
ゴミをあまり出したくないという「環境に優しい気持ち」を持っている私としては、これ以上地球を汚したくないのだ。

忘年会決行の日は、金曜日の深夜。
しかし、夜中に家族の目を盗んで家を抜け出すときに、荷物があっては邪魔なので、購入したものは、朝のうちに運び込んでおいた。
ゴミ捨て場で拾ったギターも、ついでに。

このギターは、先週の金曜日の朝、東京の新川2丁目の得意先に行こうと朝早く家を出たとき、ゴミ捨て場で見つけたものだ。
いくら私が意地汚い性格だといっても、今までにゴミ捨て場からものを拾ってきたことはない。

いや、一度しかない(結局あるのか!)。

それ以来のことである。
横目で見たところ、弦が数本切れてはいるが大きな傷や汚れはなさそうだし、破れているところも折れているところもない。
つまり、弦を張り替えれば使えるのではないか。
そう思いながら、ゴミ捨て場を通り過ぎた。
いつもは風のように自転車を走らせるのだが、この日だけは風といっても微風である。

どうしよう。拾っちまうか。いや、誰かに見られたら恥ずかしい。
「Mさんのご主人、とうとうゴミまで漁るようになったみたいよ」という井戸端で交わされる会話などが、頭の中を駆けめぐる。


しかし、生まれつきの意地汚さには勝てない。
引き返すときは風のようである。
周囲に誰もいないことを確かめると、バーゲンに群がるおばちゃんのような素早さでギターをゴミの山から抜き出し、我が家の玄関脇のメーターボックスに慌てて隠した。

(その2に続く)


2006/12/16 AM 10:31:41 | Comment(2) | TrackBack(1) | [Macなできごと]

あるある
取引先で世間話をしていると、「あるある大事典」の話題が頻繁に出る。

「『あるある大事典』では、こう言っていた」
「『あるある大事典』で、これが紹介されていたけど、見ました?」
「『あるある』でやっていたので試したが、結構調子いいよ!」
などなど。

私もこの「発掘あるある大事典2」は何度か見たことがあるが、この番組は主婦の見るものという印象が強い。
いかにも勿体ぶった進行をするので、大体20分ぐらいで興味をなくして、私自身は最後まで見たことは一度もない。
しかし、取引先などで話をすると、意外と若い男性なども見ているようである。

この番組は、健康法などを紹介することが多い。
我が家のヨメなども、ほとんど毎回見ていて、そのたびに「ダイエットしなくちゃ」などと言っているが、実行した試しはない。
見ただけでダイエットした気分になり、満足しているようである。

我が家では公共放送はまったく見ないのだが、「ためしてガッテン」を見ている人も結構多くて、たまに話題が出る。
私が「見ていない」と言うと、「騙されたと思って見てみなよ、結構ためになるから」などと言われる。
そして、昨日の番組ではこう言っていた、ということを事細かに説明してくれるのである。

彼は「プロジェクトX」を大変気に入っていて、「何でこんないい番組を見ないの! もったいないなあ。この時間は何を見てるの! 何をしてるの!」と言って、まるでTVリポーターのように、見ない私を責めるのである。
プロジェクトXが終了したときは、「国家的損失だ!」と嘆いていた。
きっと彼は、テレビが伝えることはすべて真実だ、ということを全く信じ切っている「いい人」なのだろう。

私も自分のことを「いい人」だとは思っているが、「テレビは真実を伝えるが、『洗脳』もする媒体である」と思う、ひねくれた人でもある。

だから、「これをやれば健康になります」というような番組を見ると、眉間に皺が寄る。
いかにも調子の良さそうな出演者の反応を見ると、それだけで「やらせか」と思ってしまう。
どうせ「やらせ」なら、もっとエンターテインメントに徹すればいいと思うのだが、大抵は司会者が強引に結論を急いで決め付けるので、嘘臭さしか感じないのである。

インターネットのテレビ欄などを見ると、現代人の健康に対して警鐘を鳴らす番組が毎日のようにある。
現代人はそれだけ、健康に対する知識に飢えているのだろう。
その中には正しく有効な健康法もあるのだろうが、ほとんどのものが翌週には忘れ去られるものばかりである。

番組の制作者自身も、その場限りの企画だと思っているから、どの番組も同じようなバネラーを集めて、感心させているだけである。
その結果、番組の穴埋め企画の「健康法」が、電波を占領する。
その全部を見た人は、さぞ健康になったことだろう。

ヨメと息子は「あるある大事典」のファンなので、二人して「ふんふん」と頷きながら画面にかぶりついている。
そして、テレビに向かってこう話しかける。
「スッゲェ! こんなに変わるんだぁ〜!
わあ! 嘘みたい!
これはゼッタイ、やらなくっちゃ!
これだったら、簡単にできる!」


それを横目で見ながら、私と娘は、
「『志村けん』は笑いの天才なんだけどなぁ」
「アイ〜〜〜ン!」
「アッイ〜〜〜〜〜〜〜ン!」
「ダッフンダ」
などと言って茶化すから、二人からいつも睨まれている。




2006/12/14 AM 08:34:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

同人誌に小説を頼まれた
先月末、このブログを読んでいる人からメールをいただいた。

同人誌を出しているのだが、小説を書いてくれないか」というのである。
同人誌? 小説?
随分突飛な話である。

最初は冗談かと思ったが、メールをやり取りしているうちに、相手がどうやら本気らしいということがわかった。
思いもよらないことだったので、戸惑った。
しかも、「同人誌」などという言葉を聞くのは、何年ぶりだろうか。
失礼だが、「オタク」という言葉を思い浮かべた。

「まあ、オタクの一種ですかね」と依頼主のサワダさんは言っていたが、とにかく今どき珍しい話である。
サワダさんは、自費で年2回、同人誌を出しているという。
レギュラーの執筆者は彼を含めて3人で、あとは毎回新しい人のものを載せているらしい。

「なぜ、私なんかに…」と聞くと、「勘ですね」と一言だけ。
失礼ながら、あまりいい勘はしていないようだ。
しかし、引き受けた。
無報酬だから、好き勝手なことができる。
報酬をもらっていたら、縛られた感じがして、アイディアも浮かばないだろう。
それが引き受けた理由だ。

「気に入らなかったら、没にしてください」ということをこちらの条件にした。

実は恥ずかしながら、小説は10年前から書いている。

10年前の私は、キータイピングが苦手で、少しでもキーを叩くのが早くなりたいと思って、プロの小説家の小説を「テキストエディタ」を使って打っていた。
宮部みゆきの「とり残されて」という短編である。
これはそれなりに効果を上げたが、人より少し早いというほどの上達度だった。
そこで、もっと早く打つにはどうすればいいかを考えた末、自分で小説を書くことを思いついたのである。

この場合、自分の頭に浮かんだ文をすぐ打たないと忘れてしまうから、私のタイピングは急速に上達した。
キータイピングが上達すると、文章を打つのが面白くなって、話がどんどんと膨らんでいった。

私が書いているのは、冒険小説とミステリィが混ざったようなものだが、文が稚拙だからすべてを細かく説明しようと思って文章が長くなる。
結果、今現在物語の半分ほどを執筆したが、今のペースでは完成まであと10年はかかりそうである。
きっと、「指輪物語」並の壮大な冒険小説になるであろう(?)。

発表しようという気はないので、こちらの方はどれほど時間がかかっても構わない。
しかし、今回依頼されたものは、来年の2月末までという制約もあるし、文字数の制約もある。
先月の終わりに依頼されたのだが、いまだに頭の中でストーリーがウロチョロしている。

短編は難しい、とはよく言われることだが、文章の贅肉をそぎ落とすのはダイエットよりも苦労する(ダイエットをしたことはないが)。
身近な人をモデルにしてキャラクタを設定するのが一番楽だが、私のまわりの人間は「漫画」にはなるが「ドラマ」にはならない奴らばかりだ。

そう考えたら、別に「おもしろ小説」でもいいのではないかと、いい加減なことを思いついた。
「ギャグ漫画」というのはあるが、「ギャグ小説」というジャンルはないようだ。
これは受けるかもしれない。
スベッたときは無惨だが、どうせ没になるだけである。

そこで、ラーメン店を経営したが、4年で店をつぶしたスガ君をモデルにして、「ギャグ小説」を書いてみることにした。
120キロの巨漢、大メシ喰らい、バツイチ、そして失恋経験豊富な彼なら確実に主役ができる。

「スガ君、君をモデルに、小説を書きたいのだけど、いいかな?」
昨日、彼に電話をするとスガ君は、「ええ〜、俺がですか〜! スゴイ出世じゃないですか!」と喜んでくれた。

しかし、「ギャグ小説」の主人公であることは、教えなかった。
世の中には、知らないままの方がいい場合もある。




2006/12/12 AM 10:11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

頑張らなくたっていいのに
子どものマラソン大会が、ふたつ。

先月は小学校でマラソン大会があり、今週は息子の通う高校であった。
小学校は1キロ強。高校は9キロ。
私にとって、学校行事のなかで意味のわからない一番のものが、この「マラソン大会」である。

長距離は走りたい者だけが走ればいい。
体調の悪い子は自己申告をする、というのは建前に過ぎず、学校や親の「頑張れ」ムードのなかで、どれだけの子が本心を言えるだろうか。
学校行事だからということで、走りたくない者に強制を暗示するのは、教育としていかがなものか。
小学校の会合などでは、私ひとりだけが反対論を唱えて、ほとんど変人扱いされている。

大半の親の意見として、
「子どもの頑張っている姿を見たい。
運動会と同じく恒例の行事だから、続けるべきだ。
完走することで、子どもたちに達成感を味わわせてやりたい。
冬に向かって体力が付くからいいことである。
自由参加にすると、走らない子は虐められたり、からかわれたりする。」


父兄の間では、私だけがいつも反対の立場なので、「Mさんはスポーツが苦手なんだ」という悪意を含んだ噂が広まっている。

自慢ではないが…、という前フリがつく場合は、大抵自慢話である。
私は、中学一年から大学三年まで陸上部で短距離の選手だった。
百メートル、二百メートル、走り幅跳びを専門にしていた。
全盛期では、百メートルを十秒代後半で走ったから、そこそこのアスリートだった(明らかに自慢!)。

膝と腰を痛めた二十代後半からは有酸素運動に少しずつ移行して、今では5キロから25キロの距離を走っている。
だから、走るのは好きである。
そして、他の人よりも走ることに関しての知識は深い(さらに自慢!)。

その私が言う。
高々、一回のマラソンを走ったからといって、体力は付かない。
そのために懸命に練習をしたとしても、行事が終わって走らなくなればすぐ元に戻る。
達成感もその場限りである。
意味がない。

みんなが同じ距離を走ったからといって、平等とは言えない。
みんなで同じことをしたからといって、友情は生まれない。

陸上に限らず、スポーツは種目に分かれているものが多い。
陸上の場合は、短距離、長距離、投擲(とうてき)、ジャンプ、障害物などがある。
誰もその全部をやろうとは思わないだろう。大抵は自分の得意な種目だけをやる。
短距離の選手、長距離の選手、ハンマー投げの選手などを一緒くたにして、全員でマラソンをしましょう、などという乱暴なことはしない。

水泳の選手を集めて、「さあ、皆さん、一万メートルを全員で泳ぎましょう」などとは言わない。
いくら「無差別級」があるからといって、40キロの人と150キロの人が柔道の試合をしているのを私は見たことがない。
リトルリーグとメジャーリーグの試合も見たことがない。

みんな得意分野が違うからだ。
なぜ、学校もそういう考え方ができないのだろうか。
学校の授業だけはそれが許されるという根拠は、いったい何なのだろう。
生徒の個性を認めると、教師の仕事が煩雑になるから、か。

私は、体育の授業のときも、自分が短距離を走るにあたって無駄になることはやらなかった。
千五百メートル走など私には必要ないから、最初と最後だけ全力で走って、途中は歩いた。
教師の側から見れば、「和を乱すやつ」だったが、これは私としてはどうしても譲れない一線だった。
走る、ということを、学校はなぜこんなにも安易に考えてしまうのか。走る、ということは簡単にプログラム化できるものではないはずだ。

いま、マラソン大会は、行事のための行事になっている。
教師は、管理がしやすいから、皆を同じスタート地点に立たせたがる。
体育大出身の体育教師は、オレができたんだからコイツもできる、コイツができたんだからアイツもできる、だから「できないやつはやる気がない」という思い込みでスポーツをやらせているように思える。
他人と同じことができないと「やる気がない」生徒に見られる。しかし、それは教師や親の思い込みであり思い上がりである。

教師も親も自分は頑張らないくせに、ひとには頑張りを強要する。
「がんばってー!」
「もっと、頑張れ!」
「手を抜くなー!」


先日のマラソン大会でも、「無理すんなよ。力抜け」などと言っている父兄は私だけである。
言われた児童は、キョトンとしてこちらの顔をマジマジと見る。
「何言ってんだ。このオッサン」という顔をする子もいる。
しかし、それでも私は「頑張れ」とは絶対に言わない。

息子の通う高校では、マラソンを完走しないと体育の単位を取れないという。
愚かしいことである。
教師は、監獄の看守ではない。
それなのに、なぜ生徒を檻に入れたがるのだろうか。確かに皆に同じことをさせておけば優劣がわかりやすいし、管理がしやすい。
しかし、それは教師側の都合に過ぎない。

誰も個人を尊重しようとしない。
みんなが頑張っているんだから、という根拠のない押し付け。
頑張っているように見えない子は、やる気がないという決め付け。

高校野球でもそうだ。
誰も彼の肩を壊す権利はないのに、連戦連投の投手に「頑張れ」と言う。

箱根駅伝でも同じ。
関東の大学しか出ないローカルな大会に過ぎないのに、まるでそれが頂上決戦であるかのようにマスコミが煽りたて、「頑張れ」の連呼。
結果、箱根駅伝をピークにして伸び悩んだ選手が何人いたことか。

懸命に練習を積んで選ばれたアスリートたちに、「頑張れ」などと言うのは、応援とは言わない。
彼らは充分に頑張ってきたから、その場所にいるのだ。
そして、子どもに安易に「頑張れ」などというのも、応援ではない。
アスリートや子どもたちを檻に入れて、檻の外からものを言うことはやめろ、と言いたい。

頑張ったかどうかは、他人が決めることではない。
政治家や出世欲の強い人などは、自分から「頑張っています」と見せつける人種ではあるが、それは例外だと思いたい。

極端なことを言うなら、ひとは他人に頑張っているように見られるために何かをするわけではない。
少なくとも、私はずっとそうだった。

だから、
「チカラ、抜けよ」
私は、自分の子どもたちには、いつもそう言っている。

その結果、二人とも随分とユルいキャラになってしまったが……。



2006/12/10 AM 10:05:20 | Comment(8) | TrackBack(0) | [子育て]

携帯電話がない生活
一ヶ月ほど前のことであるが、携帯電話をやめた。

発端は、電話会社からの請求書だった。
高校一年の息子の携帯電話の先月の請求額が、4万円弱だった。
それを見たヨメが、爆発したのである。
それから敏腕刑事も驚くほどの、厳しいヨメの取り調べが始まった。

息子は「パケ・ホーダイ」で契約しているから、メールやネットは契約額以上は取られるはずがない。
そして彼はあまり、電話をかけることはしないから、それは電話料の請求ではない。
そこで、何か怪しいサイトを見て、そこからの法外な請求が来たのではないかと、ヨメは疑った。

厳しく追及した。しかし、そうではなかった。
「着歌フル」が原因らしい。
最近、息子が気に入っている浜崎あゆみの「着歌フル」を何十曲もダウンロードしたために請求額が膨れあがったらしい。
携帯電話の仕組みがわからない彼が、あちこちの音楽サイトに入会した。それが原因のようだ。
そのあたりの詳細はさらによく調べてみなければわからないが、今のところ、それしか考えられない。
要するに、彼が世間知らずだっただけのことだ。

私の友人の娘は4年ほど前、通話料だけで12万円請求されて、携帯電話を親に没収された。
子どもに携帯電話を持たせるときは、ある程度の取り決めが必要だということだろう。
我が息子は、電話をあまり使わないから、こちらが油断していたのだ。
だから、これは親も悪い。

あらゆる事態を想定して、ことに対処するのが親の役目である。
だから、子どもだけを責めるのは公平ではない。
しかし、母親というのは、その道理がわからない。

息子は十分に反省しているのだが、反省だけでは納得しないのだ。
切れ味鋭い銘刀で、スパッと切り捨てなければ気がすまない。
骨をも裁(た)つほどの、鋭さで人を斬る。
息子の携帯電話を没収すると言う。小遣いも与えないと言う。
卓球部なんか辞めちまえ、その時間でアルバイトをしろとまで言う。
結果、息子は落ち込み、逆ギレする。

彼の側からすれば、反省の態度を示しているのに、なお追い打ちをかけられて居場所がない状態である。
戦争に負けて、賠償金を支払わされ、領土も取られたようなものだ。

私は、自分でもわかっているのだが、バカな親である。
この場合は、母親の言うことの方が概して正しいことはわかっている。
息子の携帯電話は没収すべきなのだろう。
世間の親なら、大半の人がそうする。

しかし、私は息子から卓球も携帯電話も取り上げたくないのだ。
世の中には、卓球や携帯よりももっと大事なものがある。しかし、それは親が無理に教えることではなくて、彼が自分で感じ取るものである。
そのきっかけが、たかが携帯電話の請求書というのでは、私の感覚としては、かなり虚しい。

今までも、何度かこのブログに書いてきたが、最近の私は投げ遣りである。
たかが携帯電話じゃないか、と思う。
私からしてみれば、小さな過ちである。
毎月4万円の請求が来るわけではない。今回だけである。
確かに、埼玉で一番の貧乏家族としては痛い出費だが、一家で浜崎あゆみのコンサートに行ったと思えばいいだけのことだ。

「それとこれとでは、話が天と地ほども違うわ!」

ごもっともですが、むかしヨメが訪問販売の営業に言葉巧みに買わされて、結局本棚に仕舞ったままになった30万円以上もする教材セットのことを思えば、小さい小さい。

ヨメのお怒りはわかるが、この話を終わらせるためにも、誰かが犠牲にならなければならない。
面倒臭いので、「じゃあ、オレが携帯をやめるよ」ということを提案した。

「いや、そこまでは……」とヨメ。
「いいよ、オレの携帯を取り上げてよ」と息子。
「どうでもいいんじゃない」と娘。
「いいから、早くエサをくれよ」と水槽の金魚。

ひとしきり騒いだが、面倒臭い。
だから、私の携帯電話を解約した。
冷静に考えれば、解約金は取られるし、我が家で一番携帯電話を必要としているのは、自由業の私なのだが、面倒臭いという感情だけは、抑えられない。

たかが、携帯電話なのだ。

仕事に支障をきたすかとも思ったが、得意先から「携帯つながりませんが…」と聞かれても、「ああ、ちょっと電話会社とトラブルがありましてね」の言い訳で済んでいる。
今のところ、それで仕事をしくじったということもない。

家にいても、電車に乗っていても、打ち合わせの最中も、「モノクロームの虹」がかからない生活。
これは、意外と快適である。

それに、姉からの速射砲のようなCメール攻撃を受けないという幸福感にも浸れる。

文明を捨てた男、
ひとり気取りながら、私は密かに自分のことをそう呼んでいる。



2006/12/08 AM 11:23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

五十女と機関銃
毎月5日締めの仕事が、昨日の夜データを印刷会社のサーバにFTP経由で送って終了した。
この仕事は、例年正月を挟むときは新年は10日前後が締め日となるが、今回は先方が8日まで正月休暇だということで、次号は12月26日が締め日になった。
つまり、もう次の仕事の締切まで3週間しかないということになる。
慌ただしいことである。

年末を実感させられる。

と思っていたら、電話がかかってきた。
ナンバーディスプレイを見ると「新丸子」とあるから、私の実家からである。

嫌な予感。

取るのをためらったが、緊急の用事だと困るので、取った。
そして、突然の泣き声。
普通の泣き声ではない。
号泣? 慟哭? 咆吼? 雄叫び?

どの形容も生ぬるいほどの泣き声である。
ライオンと象が喧嘩して、仲裁にトラが入って、結局三つどもえで喧嘩をしたような。
あるいは、ヤクザの出入りで弾丸が乱れ飛ぶ中、女子高生が入ってきて機関銃を乱射した感じか(?)。

肝が冷えた。
老父母に何か悪いことが起きたのではないか、と思ったのだが、この電話の主はもし私が「泣くのをやめて冷静に」などと言おうものなら、さらに事態は悪くなる。
ライオンと象、トラの喧嘩に恐竜が入ってくるようなもの、あるいは、ヤクザの出入りに参加した女子高生が機関銃を捨ててバズーカ砲をぶっ放したような悲惨な状況になる。

だから、彼女が泣きやむのを待つしかない。
電話を切るという手もあるが、もし父母の身に何かあった場合は、取り返しがつかない。

想像して欲しい。
この世のものとも思えない「騒音」を5分以上も聞かされるという不幸を。
私は何も悪いことはしていないのだ。
もし私が何かしたのなら謝ればいいのだが、それさえもさせてくれない理不尽さ。

そもそも私は、この電話の主「戸籍上、血縁上の繋がりは姉」となっている人に、なるべく関わらないようにしている。
自分から電話をしたことは数えるほどしかない。
話しかけることもしない。
要するに、接点がないのだ。
だから、私が彼女の怒りをかうことは、地球にエイリアンが侵入する確率より遥かに低い。

私も同じように叫んでやろうか、と思ったが、私の中に残されたごく僅かの理性がそれを押しとどめた。
しかし、これほどの騒音となると、必ず受話器から音は漏れる。
私の仕事部屋で期末試験の勉強をしていた高校一年の息子が、その声を聞きつけて「警察呼んだら」という提案をした。
考えようによっては、これは「電話の暴力」ということで立件できるかもしれない。

しかし、いくら何でも実の姉を警察に売るわけにはいかない。
私は息子に向かって、口に人差し指を当てて、「シー」という仕草をした。
息子は、「いつも大変だねえ」という慰めの言葉を残して、仕事部屋を出ていった。

泣き声は止まない。
時折、大声を出し過ぎて「苦しい」という声を漏らすが、またすぐに泣き出す。
午後9時。
夜の動物園なら、夜行性の動物以外はそろそろ眠りにつく頃ではないだろうか。
しかし、この24時間態勢の動物は、決して眠りにつかない。

今度は、娘が仕事部屋に顔を出した。
白い紙に手書きで「ファイト!」と書いてある。
同情しているようである(茶化しているのか)。

その時である。
「ぐぁああああああ!」という声のあと、「いつも上からものを言ってよぉ!」と叫んで電話が切れた。

うーん?
わけがわからない。
私は彼女に何も言っていないのだから、「上からものを言う」ことはありえない。
すると、これは間違い電話か。
他の誰かの家にかけたつもりが、間違って私にかかってしまったのか?
しかし、友だちのいない彼女に、他に電話をかける相手がいるとも思えない。

では、これは一体なんだったんだ!
といっても、誰もこの説明ができるわけがない。
異常現象は、学者の数だけ様々な考え方がある。

だから、災難、のひとことで片づけるのが一番いいかもしれない。

災いはいつも、突然やってくるものだから。

       □・*・■・*・□・*・■・*・□・*・■・*・□・*・■

しかし、腹が立つ。
こういうときは、私の嫌いな「讀賣新聞」の悪口を言ってみよう。

仕事で調べなければいけないことがあったので、昨日図書館に行って新聞を読んだ。
我が家では新聞を取っていないので、新聞を読みたいときは図書館に行く。
今回は、讀賣と朝日、日経新聞の記事をメモった。

メモを終わって、讀賣新聞の一面を見ると、FAで入団した小笠原と監督の写真がデカデカと載っていた。
静かな図書館ではあるが、思わず「ケッ!」と声に出して言ってしまった。
隣に40才前後の女性がいて、私の顔を盗み見ているが、知った顔ではないので気にしない。

他の新聞の一面は、自民党に復党した「11人のこびと」か、宮崎の談合事件が大きな扱いである。
讀賣も一応トップ記事は、宮崎の談合事件だが、小笠原の写真がデーンと真ん中にあるのだから、誰もがこちらをトップ記事だと思うだろう。
この讀賣新聞の体質の意地汚さは救いようがない。

いつだったか、ヤンキースタジアムのフェンスに大きな文字で「讀賣新聞」と描いてあったのを見たことがある。
私はそれを見て、あまりの醜悪さにもう二度とヤンキースタジアムでのBS中継は見ないと心に誓った。
アメリカの球団の本拠地に、日本語で宣伝をデカデカと載せるこの無神経さと想像力の無さは呆れたのを通り越して、情けなくなる。
今、その広告がヤンキースタジアムにあるかどうかはわからない。
まったく見る気が失せたので、確かめようがない。

この新聞社の品のない体質は、もはや如何ともし難い。
小笠原がどれほどの一流選手だったとしても、すべての記事を差し置いてトップ記事扱いする価値はない。
讀賣はスポーツ新聞ではないのだ。曲がりなりにも全国紙である。それなりの節度が必要だろう。
彼らは、あまりにも長いこと傘下の球団に肩入れしすぎて、「私物化」という言葉の意味を忘れてしまったのかもしれない。
勘ぐれば、自民党の応援団である讀賣が、「11人のこびとの復党問題」を誤魔化すために、わざと小笠原を一面に持ってきたと言えなくもない。

腹が立つが、あまりに露骨なので笑いのネタとしては、使える。
もう一度「ケッ!」と言って、新聞を所定の場所に置いた。

隣の女の人が、今度は盗み見るのではなく、露骨に私の顔を凝視している。
彼女に小さく頭を下げて図書館を出てきたが、もう一度「ケッ!」と言うと、警備の人が椅子から立ち上がるのが見えたので、慌てて自転車に飛び乗って逃げた。




2006/12/06 AM 09:47:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

類は友を呼ぶ
日曜日の昼間、娘にPhotoshopを教えていたとき、電話がかかってきた。
ディスプレイを見ると、Sデザインのようだ。

また、スドウ氏か。
この間、彼から依頼された仕事を、かなり失礼な断り方をした。
これで、完全にSデザインと縁が切れると思って、喜んだ。
彼は最後に捨てぜりふを吐いたから、かなり怒っているはずだ。
彼の性格からしたら、耐え難い屈辱を感じているに違いない。
それなのに、電話?

もしかして、嫌がらせの電話か。
よし、受けて立とう!
電話に出た。しかし、声は出さない。

「ああ、スドウだが……ちょっと話がしたい」
いつもながらの、こちらが「もしもし」と言う前に話しかける押しつけがましさは健在である。

黙る。
娘が、不思議な顔で私を見ている。
私は、電話を指さしたあとで、親指を下に向けた。
「こいつは、敵だ」という意味だ(ブーイングの意味もある)。
娘も無言で頷きながら、親指を下に向けた。

「ああ…、聞いとるかな。この間は悪かったね、君が随分と変わったんで、少々ビックリしたんだ」
私が初めて聞く、スドウ氏の穏やかな声である。
しかし、だからといってスドウ氏が丸くなったとは思わない。
スドウ氏は、骨の髄まで「俺サマ」が染み込んでいる人だ。

私は、黙り続けた。
こんな風に黙っていたら、きっとまた彼は怒り出すはずだ。
その時に話しかければいい。

「いや、こんなことを言ったら何だが、今までのMさんは面白みがない男だった」
スドウ氏は、私が黙り続けていても無視して話し始めた。
これは彼のいつものペースではあるが、声はいつになく落ち着いている。
私が首を傾げると、娘も一緒に首を傾げた。
「だれ?」と声を出さずに聞いてきたので、思い切り偉そうな顔をしながら怖い顔を作った。そして、眉をつり上げた。
それを見て、娘は机を叩きながら笑っている。

スドウ氏のひとりごとは続く。
「しかし、最近の君は、なかなか興味深い男になったよ。自己主張ができるようになった。どうかね、一度話をしてみたいんだが。もちろん仕事の話もしたいと思っている」

いつまでこの穏やかな声が保つか興味津々だったが、ちょうど我が愛機Macでは、娘がPhotoshopのフィルターをかけたところで「爆弾」が出たところだった。

そこで私はこう言った。
「申し訳ない、『爆弾』が出たので、切らせてもらいます」
「は? 『爆弾』?」
「Macの『爆弾』です」
切った。

スドウ氏はデザイン事務所の社長だった人だが、経営者専任だから機械に関しては疎いはずだ。
だから、「Macの爆弾」と言ってもわけがわからないだろう。
馬鹿にされた、と思うかもしれない。
しかし、それはそれでいい。
電話を切るほどの緊急事態ではないし、私の態度は礼を失しているが、これで本当に彼と縁が切れるなら、タイミングのいい「爆弾」だったと言える。

Photoshopを長く使っていると、メモリが解放されずにシステムを圧迫する。私の場合は、時々Photoshopでメモリをクリアしたり、「File Buddy」でファインダーを再起動したりして、メモリを解放するのだが、小学五年の娘は当然のことながらそれを知らない。
だから、「風フィルタ」などを使うと、運悪く爆弾が出てしまうのだ。
だが、爆弾が出たからといって、Macが炎上するわけではない(当たり前か)。再起動すれば、大抵は何ごともなく使える。
今回も、問題なく起動した。

「まったく、Macってやつは、手のかかるやつだぜ!」
娘は偉そうに言うが、娘は普段Windowsを使っている。
今日はたまたま私が暇だったから、私の隣でMacを動かしていただけである。

スドウ氏からの電話を切ってから10分もたたずに、また電話が鳴った。
娘と顔を見合わせた。
二人して同時に、親指を下に向けた(変な親子だ!)。
ディスプレイを見ると、予想通りスドウ氏だった。
娘がまた、大袈裟な身振りで親指を下に向けた(大丈夫か、こいつ!)。

「爆弾は消えたかな。さっきの話の続きだが、本当に考えてくれんかな。君がこちらに来るのが嫌だというのなら、私がそちらに出向いてもいいんだが」
背中に悪寒が走るほど、下手に出たスドウ氏の声。

もしかして、オレ、好かれた?

私が胴震いをすると、それを見た娘がまた机を叩いて笑った。
そこまで言われたら、邪険にするわけにもいかないので、私はこう答えた。
「私の方から伺いますが、いつ伺えるかはわかりません。来年になるかもしれません、あるいは再来年になるかも…」
できるだけ、感情を出さずに素っ気なく言った。

そうすると、スドウ氏は大きな声で、「おお、そうか! ありがとう! わかった、じゃあ、よろしく」と嬉々として言って、電話を切った。

電話を切ったあとで、
これって、結局、スドウ氏のペースにはめられたってことだよな……。
それに気づいて、私は今、ものすごい自己嫌悪に陥っている。



2006/12/04 AM 10:24:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

怖がる60代
近所に、変なおばさんがいる。
歳は60歳前後か。
今までに5回、自転車に乗っているとき、遭遇した。

おばさんは、前二輪、後ろ一輪の三輪自転車に乗っている。
おばさんに遭遇するのはいつも、団地の遊歩道だ。
団地の遊歩道は、幅が比較的広い。自転車だったら、二台がすれ違ってもかなり余裕がある幅である。

しかし、この変なおばさんには、その幅はあまり関係ないようだ。
私の前をおばさんの自転車がトロトロと走っている。
遅い。
どう考えても歩く方が早い、と思われるほどのスピードだ。
しかし、それぞれ事情はあるだろうから、スピードに関しては文句は言えない。

ただ、文句は言わないが、そのスピードにこちらが付き合う義務もない。
だから、当然追い越すということになる。
右側から、追い抜いていった。

すると、ものすごい大声で、おばさんが吠えた。
「あ〜ぶ・な・い! 気を付けなさいよ。びっくりするじゃない! まったく!」

私は、おばさんの右側1メートルほど離れた地点を通過していった。
スピードは出していない。
おばさんより、少し早い程度のスピードである。
私の感覚では、少しも危なくない。
振り返って、おばさんの顔を見た。
おばさんは、顔を真っ赤にして私を睨んでいる。

血圧が高そうだ。

だから、「すみません」と謝った。
謝る必要はないのだが、口答えをできる雰囲気ではない。
平和主義者の私としては、謝るほかない状況である。
納得はいかないが、無理に波風を立てることもない。

二回目。
同じく遊歩道。
前回と同じく、亀の歩みで自転車を走らせるおばさんを発見。
今度は、二メートルほど外側を追い越していった。

しかし、「び〜っくりした! あっぶないじゃない!」
とまた怒鳴られた。
この時も、とりあえず謝った。

三回目と四回目は遊歩道の途中の横断歩道。
状況は若干違うが、場所と反応は一緒である。
そこは、信号のない横断歩道。
横断歩道は広いので、今度は三メートル以上離れて追い越した。

この時は、停止してくれている車があったから、待たせては悪いと思って、スピードを出して追い越した。
だが、またも、
「ちょ〜っと! あっぶないじゃない!」
怒鳴られた。

こうなると、さすがに謝る気にはならない。
横断歩道を渡ったところで停まって、振り返った。
すると、おばさんは横断歩道の真ん中で自転車を止め、腐りかけのトマトのような顔をして私を睨んでいた。

車が何台も停止しているので、私が文句を言ったら、余計停滞するだろう。
だから、無視してその場を去った。
「この、くそばばあ!」と罵りながら(もちろん心の中で)。

そして、昨日のことだった。
また、腐りかけトマトおばさんに遭遇した。
同じように、遊歩道を時速2キロのスピードで自転車を走らせている。

引き返して、他の道を行こうかとも思ったが、そこまで気を遣うこともないだろう。
怒鳴られるのには、慣れた。
しかし、どうせ怒鳴られるのなら、派手に仕掛けてやろう、と思ったのだ。

そこで、呼び鈴をチリンチリンと乱暴に鳴らし、「はい、通りますよ、どいてどいて!」と言って、おばさんのすぐそばを通り抜けていった。

そうすると、信じられないことに、おばさんは「ああ、ごめんなさい」と言って、停まったのである。
え!?
まさか、謝られるとは思っていなかったから、思わず振り向くと、おばさんはまだ頭を下げていた。

これは、どういうことだろう。
随分と、しおらしいではないか。
今回と前4回と違うのは、呼び鈴を鳴らしながら、声をかけたこと。
ということは、おばさんは予告なく追い越されることに対して、恐怖心を持っていると推測できる。

予想外のことが起きると、過剰に反応するタイプだとも言える。
こういうタイプは意外と多いようだ。

十日ほど前だが、得意先から仕事を貰って帰ろうとしたときのことだ。
得意先のビルを出ようとしたとき、おばさん二人がおしゃべりしながら道を歩いているのが見えた。
狭い道路だったので、私はビルの入口の端のところに立って、二人が通り過ぎるのを待っていた。

ところが、おしゃべりに夢中のおばさん二人は、ビルの前まで来て、「ぎゃっ!」と叫んだのである。
私はただ立っていただけなのだが、私のそばを通過するとき、手前にいたおばさんが、どういうわけかビルの方を向いたのだ。
おしゃべりに夢中になっていたから、そばに人が立っていることなど思いもよらなかったのだろう。

「何よ! びっくりするじゃない!」
おばさんの体は5センチほど浮き上がっていた。いくら何でも驚きすぎだ。
歳は60才前後。いかにも「染めました」というブラウンの髪がわざとらしかった。

びっくりするじゃない、と言われても、私は立っていただけである。
立っていて文句を言われるのなら、忠犬ハチ公はどうなる!

そして同じ日、この得意先から百メートルほど離れたところに、バッティングセンターがあるので、気晴らしに寄っていこうと思った。

バッティングセンターに入るには、駐車場を通って、数段の階段を上らなければいけない。
私が、その階段を上る手前まで来たところ、左側からやって来た男の人が突然「何だ、ビックリするじゃねえか!」と怒ったのである。

私は人を驚かせることは何もしていない。
普通に階段を上ろうとしていただけである。
むしろ、謂われもなく怒られた私の方が、ビックリしたと言っていい。

相手を見ると、背の低い60年配の男である。150センチそこそこという感じだ。
おそらく、考え事をしていて、前を通る私のことに気づくのが遅れた。だから、過剰に反応した。
私は、身長180センチある。彼からしたら、大男である。
つまり、突然大男が目の前を横切ったので、勝手に驚いたのではないだろうか。勝手に驚いた自分の臆病さを隠すために、怒鳴ったような感じだ。
面倒臭くなったので、バッティングセンターに入るのはやめて、そのまま帰った。

そして、これはそれから数日後のことだが、私は埼京線に乗って文庫本を読んでいた。
午後の埼京線の各駅はすいているので、ゆったりした気分で本を読んだ。
読み疲れたので、目を休めようと思って、眼鏡を外し、目の前の車窓を眺めていたときのことだ。
「なに見てんだよ! この百姓!」と怒鳴る声を聞いた。

近くを見回すと、私以外はいないようだ。
ということは、その言葉は、私に投げかけられたようである。
私は、眼鏡をかけて、前に座っている男を見た。
60年配の貧相な男である。怒っているようだが、目はオドオドしている。

また60か、とウンザリする思い。

舌打ちとともに、勢いよく立ち上がり、右足で床を「ドン」と踏みしめた。
すると、男は首を振りながら、隣の車両に逃げていった。
素早い逃げ足である。

これによって私は、今の60代は怖がりで、いつも何かにビクビクしている、と結論づけた。
少ないサンプルで結論づけるのは賢明とは言えないが、わずか十日で何度も同じような事態に遭遇すると、腹立ちまぎれにそう思いたくなる。

私の耳には「なに見てんだよ! この百姓!」という声が、いまだに残っている。
この私が百姓?
それでは、お百姓さんに失礼ではないか!



2006/12/02 AM 08:55:24 | Comment(9) | TrackBack(0) | [日記]



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