Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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ひとはヤドカリ
誰にでも苦手な人はいる。
私が唯一苦手とする、Sデザインのスドウさんから電話がかかってきた。

スドウ氏は中堅デザイン事務所の社長だったが、半年前に息子に社長の座を譲ると宣言した。
半年前、呼ばれたので行ってみたが、親父そっくりの息子から「あんたに仕事を出すつもりはない」と失礼なことを言われた。

もうすでに忘れていたことだったが、電話でスドウ氏の声を聞いて、その時の屈辱感がよみがえってきた。
スドウ氏の声を聞いた途端、自分の顔が少し歪んだような気がしたが、首を一回ポキッと鳴らすと、すぐに落ち着いた。

「Mさんかね」
いつものことだが、いかにも大物ぶった物言いが、少々気に障る。
隠居したはずなのに、いったい何の用だ。仕事の話でないことは確かだ。
スドウ氏が、暇つぶしに電話してくるとも思えない。
今まで、親しく話をしたことは一度もない。
向こうが一方的に喋って、独演会を開くだけである。
スドウ氏はいつだって、こちらの言うことなど、聞く耳持たない。

窓の向こうの青空を見ながら、私はずっと黙っていた。
私は半年前の私ではない。
今の私は、自分でも不思議に思うのだが、投げやりである。

長年、私にストレスを与え続けてきた姉に対しても、平気で無視を決め込むことができる。
「お前の相手なんかしてやるか!」と思えるようになった。
以前は、姉の奇行に関して怖れて逃げ腰だったが、今はそんなことはない。
むしろ、「俺に頼るな!」とキッパリと言えるようになった。
私の中で、何かが変わった。
切っ掛けは、つい最近の「プチ家出」だが、これで吹っ切れたようだ。

「もしもし」と言われたが、まだ黙っていた。
「Mさんのお宅だよね。もしもし、もしもし」
少しうろたえているようだ。
スドウ氏の初めて聞く、うろたえた声。

こちらの勝ちである。
勝負事は、先にうろたえた方が負けだ。

「はい、Mです」
私が答えると、スドウ氏は「ああ、忙しかったの……、かな」と、大物気取りの声を出したが、もう遅い。
電話の声というのは、時に人間の感情が生で響く。
慌てて繕っても、本質が見えてしまったら、怖れることはない。

「仕事の話ですか」
冷めた声で答える。
「まあ、そういうことになるかな。先ずは、見積もりだが」
ことさらに低い声で威厳を保とうとしているのが見え見えで、笑いたくなる。

「社長の座は、息子さんに譲って、隠居なさったんじゃないんですか」
我ながら、よくこれほど突っ放した言い方ができるものだと感心した。

「いや、確かに息子に譲ったが、これが頼りなくてね。この間なんかも……」
スドウ氏は、自分の話に酔うタイプだ。
自分の話をすべて相手に聞かすまで、話をやめない。
こちらが話の腰を折っても、お構いなし。エンディングまで一気に突っ走る人だ。

これを電話でやられたら、たまらない。
以前の私なら聞いてやったが、今はそんな無駄なことは願い下げだ。
だから、彼の話にかぶせて、こう言った。
「息子さんへの愚痴は、今回の仕事の話と関係ありますか。あるのなら伺いますが、もしないのなら、切らせてもらいますよ」

スドウ氏が、一瞬言葉に詰まった。
以前の私と違うことに気づいたのだろう。
「いや、だから、息子がさ、まったく…、役に立たなくて……この間も…」
同じ言葉を繰り返している。

「申し訳ないが、切りますよ」
本当に切った。

これは、クライアントに対して、かなり失礼なことだとは思うが、電話で何十分も彼の息子に対する愚痴を聞く義務は、私にはない。
これで、スドウ氏に対する苦手意識は、完全に消え去った。
簡単なことだった。
いままで、なぜあんなに遠慮していたのか、不思議である。

先月、一週間ほどだが、独立してから一番の暇な時間を過ごした。
その時に、仕事をいただく有り難みを痛切に感じた。
フリーランスは、仕事がなければ、無職に等しい。
だから、これはかなり堪(こた)えた。
まわりのうろたえぶりも、鬱陶しかった。

しかし、逆に「仕事がなくても、俺は俺だ」という開き直りも生まれた。
フリーランスの自分と、仕事をしていない時の自分は重なってはいるが、すべてが重なっているわけではない。

どちらが本当の自分かと言われれば、仕事をしていない時の方が、生の自分である。
つまり、フリーランスの私は、「ヤドカリ」なのだ。
たまたま、フリーランスの殻を背負っているに過ぎない。

他の人も、おそらくそうに違いない、と私は思っている。
サラリーマンという殻を背負っていたり、社長、政治家、教師という殻を背負っている。
殻だから、それは本質ではない。
仮の姿である。仕事を辞めたあとも、殻を背負うことはできない。

仕事を辞めたあとで、殻の重さにこだわり続けるか、あるいは「スッキリした」と思うかで、その人のその後が決まるのではないか。

俺は、フリーランスの殻を背負っているだけだ。
そう思ったら、気が楽になった。

仕事が来なくても、俺は俺だ。
いざとなったら、フリーランスの殻を抛り捨てればいい。
私の本質は、そうなっても何も変わらない。
そう思ったのだ。

そして、相手も殻を背負っていると思ったら、何てことはない。
全員、同じ「ヤドカリ」じゃないか。
たとえ、本質を見せないようにして、必要以上に大きな殻を背負っていたとしても、それもただの殻である。
あるのは、大きいか小さいかの違いだけ。
大きい殻を背負いたいのなら、背負えばいい。しかし、殻は殻だ。

スドウ氏も、また「ヤドカリ」だ。

そのヤドカリからすぐに、電話がかかってきた。
「アンタ、本当にMさん?」
初めて聞く、スドウ氏の戸惑いを含んだ声である。

私はそれには取り合わず、「仕事の話ですよね」と念を入れた。
「ああ、B4の4色のチラシ裏表だが、急いでいる。とりあえず、今日中にファックスで見積もりをお願いしたいのだが」

「わかりました。夕方5時までにファックスを送ります。ただ、急いでいる、と漠然と言われても予定が立たないので、校了日を教えて下さい」
「22日に折り込みを入れたいので、17日朝が校了だな」
「了解しました」
「アンタ、ホントに…」とスドウ氏がまた言ったが、「失礼します」と言ってすぐ切った。

おそらく、スドウ氏相手の電話としては、最短記録だろう。
いつもは、10分以内に終わることはありえない。
毎回、その時々のニュースに関して、自説を滔々(とうとう)と述べるのだ。ピントのずれた評論ほど、聞き苦しいものはない。大変なストレスである。

それから解放された喜び。

おそらく見積もりだけで終わるだろうが、私はいま、かなり清々しい気持ちで仕事をしている。


2006/11/14 AM 08:32:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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