Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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フリーペーパーの苦い思い出
フリーペーパーが流行っている。
タウン誌、音楽誌、アルバイト、通販、クーポン系など種々雑多である。

私は、このタウン誌に、苦い思い出がある。
1999年のことだった。
まだ、それほどフリーペーパーが認知されていなかった頃、フリーペーパーを発行しようと思ったのだ。

内容はタウン誌。
大宮、岩槻を中心にショップやビストロを紹介し、クーポン券を付けるというお決まりのタイプのものである。
早速、企画・編集など、大筋のプランを立て、印刷会社にもその企画を持ち込んで、見積もりを取った。
2週間ほど、幾つかの店を一人でまわって、主旨を説明し前向きな答えをもらった店も10件近くあった。

当時、大宮では、リクルートが大がかりなものを出していたが、私の方はオープンしたての店を中心に紹介することで差別化を図った。
同じことをしていたら、大手には勝てない。

といっても、さすがに大手の網の目は細かくて、ほとんどがリクルートの営業の網に引っかかっていた。
しかし、ホームページを格安で開設します、という条件を提示すると、意外と話に乗ってくれる店があった。
当時はまだ、ホームページを持っている店はそれほど多くなかった。

こちらとしても、ホームページ込みならメリットも大きいので、ある程度は成功するのではないかと思っていた。

ただ、二つクリアしなければいけない問題があった。
一つは、軍資金だ。
細かい資金プランを立ててみたが、最初は予想外に金がかかることがわかった。
つまり、資金を調達しなければならない。

資金を借りるとなれば、銀行である。
30数ページに及ぶ、詳細な企画書と収益予想を立てた計画書で、銀行の牙城を崩そうとした。
個人だから、信用はない。
このプランの将来性をどれだけ銀行が買ってくれるか、その点だけに絞って、これ以上ないくらい細かい内容の企画書を幾つかの銀行に持ち込んだ。

しかし、「こんなもの流行りませんよ。無料の雑誌なんて、誰も信用しませんからね」という「こんなもの」扱いをされて、ほとんど門前払いだった。
説明をしようと思ったが、百分の一くらいの説明を聞いただけで、ダメ出しをされた。

しかし、私は「こんなもの」が流行る時代が、すぐそこに来ていることを確信していた。
だから、諦めなかった。
世の中には、いい意味での「物好き」がいるはずだ。

銀行がダメなら、スポンサーを探せばいい。
そう思って、大手の書店や不動産屋、カーディーラーや量販店などを回って、スポンサー探しに奔走した。

その中で、埼玉に幾つかの店舗を持つ不動産屋が、条件付きでスポンサーになってくれるところまでこぎつけた。
こちらは、隔週の発刊を予定していたが、月に1回ならいいというのだ。
そして、とにかく一回、ダミーの雑誌を作って見せて欲しいと言われた。

前向きな答えをもらった店の了解を得て、写真を撮り、文を書いた。
ロゴも決め、表紙も目立つものにして、10日間という突貫工事で16ページの雑誌のダミーを作った。
その中の2ページは、見開きで、不動産屋の目立つ広告を入れた。

広告は気に入ってくれたが、表紙のイメージが曖昧だ、と言われたので、友人に表紙だけを作り直してもらった。
それはスポンサーに気に入ってもらえて、とりあえず、初めの一歩を踏み出したのである。

ただ、もう一つクリアしなければいけない問題点があった。
これは、考えようによっては、資金面よりも難しい問題だった。
人である。

フリーペーパーに載せるショップを探してくる営業マンが必要だった。
私は、他のデザインの仕事もしなければいけないので、企画・編集だけで手一杯である。
この企画をスムーズに進めるためには、最低2人の営業マンが必要だった。

そこで、何人かの知り合いに話を持ちかけたが、ここでも銀行と同じく、門前払い状態だった。

「ただの雑誌なんか、仕事にならねえよ!」
「どんなにしゃれた本だろうが、無料じゃ馬鹿にされる。だいいち、こんなの儲かるわけがねえ!」
「こんな馬鹿なことを考えてる暇があったら、デザインの勉強をもっとするんだな!」


企画書の十分の一も読まずに、鼻で笑われた。
計画書を最後まで読んでくれる人間は、一人もいなかった。
それだけ、私が信用されていなかったということだろう。
スポンサーにも、人を回してくれるように頼んだが、相手は「そこまで深入りするつもりはない」と拒んだ。

挫折した。

私にもう少し粘りがあったら、あるいは、この企画だけに専念していたら、フリーペーパー発刊は成就したのだろうが、目先の仕事に追われて、結局この話は流れた。
新しいことをやるときは、根気と信念が必要だが、当時の私にはその二つともなかった。

そして、今のフリーペーパー・ブーム。
先見の明はあったとは思うが、企画を実現する「がむしゃらさ」が足りなかったと思う。

昨日、その当時、営業を打診した知人と電話で話をした。
その知人には、最近電話で話すたびに、こんなことを言われるのだ。
「フリーペーパー、あの時やっときゃ良かったな。Mさんが、もっと詳しく説明してくれたら、俺もその気になったんだけどな」
鼻で笑いながら、門前払いしたことなど、きれいさっぱり忘れている。

そのたびに、私は「俺の一番のミスは、いくら困っていたといっても、お前なんかにこの企画を持っていったことだ」と心の中で罵っている。

二人とも、完全に負け犬である。

今日は、これから午前中に赤羽、午後いちで桶川、午後3時に熊谷、午後7時に近所の印刷会社に行かなければいけないというのに、何だか気持ちが暗くなってしまった。



2006/11/30 AM 08:08:23 | Comment(0) | [Macなできごと]

サッポロ一番しょう油ラーメン
サッポロ一番しょう油ラーメン」を一箱もらった。
一箱に30食入っている。
「サッポロ一番塩ラーメン」はそこそこの味がするので、嬉しいもらい物かと思ったが、これがそうでもなかった。

食べたあと、情けない気にさせられるラーメンである。
スープの味が気にくわない。麺も気にくわない。
だから、どうしようかと思って、試行錯誤を繰り返した。

我が家では、インスタントラーメンは、マルちゃんの「昔ながらの中華そば(しょうゆ味)」が堂々の四番バッターである。
次が「明星チャルメラ」だが、これは「昔ながらの〜」が買えなかったときの代打である。

インスタントラーメンは、カップ麺はそれなりに味もしっかりしてきたので、それほど当たりはずれはないが、袋麺はかなりバラツキがある。
同じサッポロでも、「みそ」はそれなりに食えたが、「しょう油」はひどい。

まず、スープに工夫がない。塩気が強い。コクが1パーセントもない。これは使えない。
麺も3分も煮ていると、すぐ伸びてふやける。
強火で煮たり、弱火で煮たりしてみたが、どちらにしてもすぐ水分を吸って、だらしなくなる。

昔、「野菜と相性がいい」などと宣伝をしていたような気がするが、このスープと麺では台無しである。
そこで、チキンラーメン方式で、丼に入れて熱湯を注ぎ、卵を落として3分待つという方式を取ってみた。
しかし、これでは麺が固い。卵も半熟にさえならず、情けない状態である。

どうすればいいのか、悩んだ。
まだ、27袋もあるのだ。何とかしなければいけない。

まず、このスープをオリジナルのものにするということを考えてみた。
鶏ガラスープに、ホタテの缶詰のスープを小さじ一杯ほど垂らして、沸騰させ、それに麺を入れ2分間煮立たせてすぐ止めた。
具はフライパンで白菜の千切りともやし、ネギを千切りにして、ごま油で炒めた。
丼に盛った麺に、具材を乗せて、最後に半熟の生卵をのせた。

これは、それなりに食える。
慌てて食えば、麺も延びないし、スープも野菜と合っている。
しかし、オリジナルより美味いというだけである。
到底、納得できない。

それからは、スープづくりに励んだ。
鶏ガラをベースに、昆布ダシを入れたり、かつおダシを入れたり、野菜を塩で煮込んだあとのスープを使ったり、色々なものを試した。
スープにこだわるのは、麺がどうしようもないからだ。
すぐにフヤケるこの麺は、変えようがない。これを変えたら、結局まったく別の袋麺を買った方がいいことになる。
それでは、意味がない。

しかし、5種類のスープを作って試したが、どれも及第点とはいかない。
ゴ〜〜ル!! とはいかない。
いいところまではいくが、ゴールを奪えない、どこかの国の代表チームのようだ。

冷蔵庫の中を見渡しながら、考えてみた。
やるだけのことはやったが、まだ見落としているものがあるのではないか。
上から下まで、じっくりと観察した。
冷蔵庫内の汚さは、この際どうでもいい。
それは、ヨメの仕事だ。

チルドルームで、豚挽肉を見つけた。
それを見てひらめくものがあった。
キッチンの隅には、新聞紙にくるまれた、もらい物のネギが立てかけてある。
アレを作ったらどうだろう。アレならこの情けない麺を誤魔化せるかもしれない。

早速、豚挽肉をごま油で炒め始めた。パラパラになるまで炒め、ネギの青い部分だけをみじん切りにしたものをそれに加える。ネギがしんなりしたら、味噌を少々入れてからめ、鶏ガラスープを入れ、紹興酒を加える。
スープが煮立ってきたら、豆板醤とテンメンジャンを適当に加える。
最後に水溶き片栗粉を回し入れたあと、ラー油を少量垂らす。

麺は、沸騰したお湯で2分半茹でる。
そして、これが一番大事なのだが、完璧に水を切る。
これを完璧にしないと、麺がふやけて、締まりのない味になる。

この麺の上に、熱々の具をのせて出来上がりである。
名付けて「サッポロ一番坦々麺」(そのまんまのネーミング)。

これは成功したと思う。
オリジナルの中途半端さがない。
スープなしで、具と麺をからめて食べるのだが、具がコシのない麺の弱点をカバーしている。

高校一年の息子にも食べさせてみたが、「うんめぇ!」と言って、土日で三回作らされた。
娘は、辛いのが苦手なので、豆板醤抜きで作ったが、「うめぇな、一応」とほめてくれた。

しかし、ヨメには「おいしいんだけど、これ結局、麺だけしか使ってないんだから、別に『サッポロ一番』じゃなくてもいいんじゃない?」と冷静に言われた。

そう言われれば、確かにそうだった。

じゃあ、残ったあと16袋、どうすればいい?!



2006/11/28 AM 11:40:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [料理]

すかいらーく にて
「会いたいんだが」
友人のススキダが遠慮がちに、電話をかけてきた。

ススキダは、奥さんの里帰りに付き合って香港に帰っていたが、二週間前に戻ってきたらしい。
帰国後、律儀なススキダは、何度か連絡をくれたが、先週から今週にかけて私の方が営業で出回っていることが多かったので、時間が取れなかった。

ススキダには、先月世話になったので、近いうちに、こちらから出向こうと思っていた。
「今度の日曜日に行くから」と言ったが、「ダメだ、俺の方が行く」と強く言われた。
おそらく、私の体調を気遣ってくれたのだろうが、私は、そういうのは苦手なタチである。
心配をされていると思うと、居心地が悪くなって、わけもなく不機嫌になる。
自分でも、厄介な性格だとは思うが、これだけは子どものときから直らない。

小学・中学生のときも、心配されるのが嫌なので、39度近い熱があっても、学校へ行っていた。
「お前、熱あるだろ」と言われても、「うるせえ! ねえよ!」と言って怒るのである。

そんな風に、私は昔から可愛げのないやつだった。

そんな私の性格をススキダは知っているので、「ちょうど、レイコの友だちが川口にいてね、そこに行ったあと、ついでに寄るから」と言ってきた。
そして、「ついでじゃ、申し訳ないがな」と付け足した。
あくまでも、ついでに寄るという方式を取らないと、私がへそを曲げると思ったのだ。

レイコというのは、ススキダの奥さんのことだ。
彼には不似合いなくらいの、芯の強い良妻である。しかし、賢母かどうかはわからない。彼らに子どもがいるか、知らないからだ。
彼女は元ナース。目の奥に、安らいだ光を持っているひとだ。

「そうか、元ナースにまた会えるのか。それは楽しみだな」

ということで、近所の「すかいらーく」で会うことにした。

4時の約束で、10分前に行ったが、ススキダ夫婦はもうすでに来ていた。
一ヶ月ぶりに会うススキダの顔は、相変わらず怖かった。
剃り込みっぽく見える髪型と薄い眉が、その筋(スジ)のひとを連想させる。
スーツの下にカラーのワイシャツを着ているから、尚更それっぽく見える。
四年前、ススキダと初めて会ったときは、その姿を見て「回れ右」をする寸前だった。
ススキダが最初に丁寧な挨拶をしなかったら、きっと逃げ出していただろう。

「俺、顔で損してるんですよ」
とススキダが笑いながら言ったとき、細い目がV字形になって、目尻の皺と一体になったのを見て、妙に安心したのを覚えている。

「よお、ビールは、ジョッキでいいか」
ススキダは、いきなり飲み物を聞いてきた。
彼は、紅茶を飲んでいるようだ。
「何で、俺だけ、ビールなんだ」
「こいつがさ」と言って、ススキダがアゴを奥さんの方へ振った。
「アンタは、友だちが少ないんだから、数少ないお友達を大事にしなさいって言うんだ」
「だから、それがなぜビールなんだ」
「ビール飲みたくねえか」
「飲みたいよ、そりゃ」
「じゃ、決まりだ、おごるよ」

奥さんの方を見ると、「私もMさんが来たら、ビールを頼もうとしてたんですよ。一人だけビールは嫌ですよ」と口に手を当てて笑っていた。

ジョッキが来て、奥さんと乾杯をした。
「お帰りなさい」
「ただいま」

話題は当然、香港のことが中心になった。
奥さんの実家は、観光客相手に土産物屋をやっているらしい。
旧正月を含めて、一年に二回は必ず帰るようにしているという。
ススキダも香港に得意先があるので、年に三、四回は行っていると言っていた。
驚いたことに、ススキダ夫婦は、広東語と英語が喋れるのだという。
四年付き合っていても、知らないことは多いものだ。

「驚いた! そんな顔で随分インターナショナルなんだな」
「語学と顔は関係ねえよ」と、照れながら顎髭を撫でる様子が、怖い顔とアンバランスで、笑える。
そして、照れた顔のまま、「これ」と言って、私の前に紙袋を置いた。

香港土産かと思ったが、そうではないらしい。
「ギンナンだ。めまいとか貧血にいいらしいんだ……な」
最後の「な」は、奥さんに向かって言った。
奥さんが頷きながら、「粉末になっていますから、毎日少しずつ飲んでください。民間療法ですが、意外と効きますよ」と看護師の顔になって、説明してくれた。

「ありがとう」
ナースの言うことは絶対である。
言い付けを守らなければ、注射をされるだろう。だから、大きく頷いた。

「そして、これ」と言って、大きな紙袋を渡された。
「チャイナ服だ」と、ススキダが含み笑いをして、開けろ、という仕草をした。
開けてみると、中国語で書かれた包装紙で包まれた四角い箱と本が二冊入っていた。
香港土産のようだ。

「な〜んだ。チャイナ服じゃないのか。期待してたのに」
「悪いな、一番つまらないものを選んできた」

四角い箱の中身は、中国のスパイスセットらしい。
本は、中国のデザイナーを紹介するもののようだ。
珍品と言っていいだろう。スパイスはともかく、本の方は日本で手に入れるのは、おそらく難しいのではないか。

ススキダが考え抜いた土産物だということは、感じ取れた。
「ありがとう、大事にするよ」
頭を下げた。

「やっぱり、チャイナ服が欲しかったんじゃないのか」
ススキダが笑いながら、両手でドレスの形をなぞった。

「まあね。自分でも似合うと思っていたんだが」
私が上半身だけ、ポーズを取りながら言うと、
ススキダの奥さんが、飲んでいたビールを吹き出しそうになった。


2006/11/26 AM 08:20:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

黙りのプロ
祝日だというのに、嫌な声を聞いた。
Sデザインのスドウ氏の声だ。

「この間の見積もりだがね、もう少し下げてもらえんかな」
私が「もしもし」という前に、いきなり要件を切り出すいつものスドウ氏のペースには、辟易(へきえき)させられる。
これに乗せられたら、ろくなことがない。

だから、黙っていた。

今月の中旬に、Sデザインに、仕事の見積もりを出した。
以前なら、相場より三割程度低い見積もりを出すのだが、今回は常識的な額にした。
Sデザインからは、もう二年近く仕事を貰っていない。
二年前の仕事は、案内状だった。
請求した額は、家族4人でマクドナルドでセットを食ったら、なくなるほどの額である。

今さら、ディスカウントする理由はない。
それに、この仕事は17日校了で、22日に折り込みを入れるはずだった。
もう過ぎているではないか。

だから、黙っていた。

黙るのは、得意だ。
いつまででも、黙っていられる。
この分野で、世界一になる自信はある(?)。

「この電話、壊れてるのか、反応がないが……」
隣に誰かいるようだ。電話を叩きながら、話しかけている。

「あの仕事は、もう終わったんじゃないですか」
私が話しかけると、いかにもムッとした声で、「なんだ、聞いていたのか」と言ったあとで、すぐさま「何ですぐ返事をしないんだ!」と怒鳴られた。

黙っているこちらも悪いが、だからといって、怒鳴られる筋合いのものでもない。
私は彼の部下ではない。
黙秘権はあるはずだ。

「けんか腰では、まともな話はできませんね。切りますよ」
本当は、こちらの方がけんか腰ではあるが、とりあえず言ってみた。

すると、信じられない言葉が返ってきた。
「いや、すまんすまん。そんなつもりはなかったんだが……」
スドウ氏がひとに謝るのを初めて聞いた。

いつも尊大な態度で、「俺様キャラ」のスドウ氏から、謝罪の言葉が出るとは思いもよらなかった。
錯覚? 幻聴? 耳鳴り?
今度は、びっくりして黙った。

「あの仕事は、先方の都合で2週間先に延びた。だから、もう一度見積もりを考え直して欲しいんだが」
長生きはするものである。あのスドウ氏が、下手に出ている。
相手も年を取ったということか。

しかし、二年ぶりの仕事である。
しかも、急ぎの仕事になりそうだし、三割もディスカウントしたら、結局いつもと同じことになる。
だから、こう言った。

「スドウさんのところに仕事の依頼がありました。相手はせいぜい二年に一回小さな仕事を出すだけです。いつも急がされるだけの仕事で、儲けはまったくない。しかも、相手は図々しくも、いつも『まけろまけろ』と言う。二年に一回、小さな仕事しか出さないのに、スドウさんは、その仕事をやりたいと思いますか。どうでしょう?」

少々間があいたあと、スドウ氏は言った。
「いや、言いたいことはわかるが……、これからも必ず出すから、今回だけはぜひ、もう少し下げた額でやってもらいたいんだが」
一応、下手に出ているようである。
やってみようかな、という気に、少しはなった。

だが、こちらも素直に頷くのは癪(しゃく)である。
「本当に次も出してくれるか、保障はないですからね、次も二年後では、結局同じことです」

すると、スドウ氏は「この俺が、そう言っておるんだから、何を疑うことがある! 俺が責任を持つと言ったら持つんだ!」と怒鳴ってきた。

今どき、「この俺が」などという古いフレーズを聞くとは思わなかった。
「この俺が」今まで一度でも、まともな仕事をくれたことがあったか!
この言葉で、確実に「否」の方に、私の心のメーターが振れた。

「申し訳ないんですが。空手形は結構です。確実な保障がないのなら、たとえアベ氏だろうが、ブッシュ氏だろうが、キム氏に頼まれようが、割り引くつもりはありません」
プーチン氏も加えようと思ったが、KGBが怖いので、やめた。

スドウ氏は、黙っている。
仏頂面が、頭に浮かんでくる。
しかし、黙ることにかけては、私はプロである。
いくらでも、黙っていられる。

スドウ氏も、意地になっていたのかもしれない。電話を切る気配はない。
だからといって、こちらから話しかける気はないし、こちらから電話を切る気もない。

黙っていた。

意地の張り合いである。
だが、私はこの勝負にだけは、勝つ自信がある。

しばらくすると、舌打ちとともに、スドウ氏が言った。
「何があったか知らんが、あまりいい気になるなよ!」
そして、電話が切れた。

捨てぜりふはみっともない。
人間が小さく見える。

「ハハハ、勝った! 勝った!」
そう喜ぶ私も人間が小さいが、これで確実にスドウ氏と縁が切れると思うと、つい、そう言いたくなる。

だが、今の電話の様子を隣で聞いていた高校一年の息子は、怖いものを見るような顔をして、仕事部屋からそっと出ていった。

数分後、今度は小学五年の娘が顔を出した。
「お兄ちゃんが、『パパが狂った』って言ってるけど、私はそんなことはないと思う」
「うんうん」
「だって、お前は最初から狂っているし」

「………」



2006/11/24 AM 09:51:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

非常識なのは、ドッチ!
一ヶ月ほど前のことだが、十数年ぶりに大学時代の同級生タカハシと遭遇した。
大宮駅内の「エキュート」を歩いていたら、すれ違いざまに声をかけられた。

「M?」
と聞かれたので、「おお」と答えた。
「変わんねえな、すぐわかったぞ」
と言われたので、「誰ですか? あなたは」と聞いた。

「タカハシだよ! 大学で四年間一緒だった」
タカハシなら知っているが、私の記憶では、タカハシは山形県の天童市に逃げ帰ったはずだ。
それが、なぜ大宮にいるのか。
しかも、激しく太っているし、禿げてるし。

「ちょっと、お茶でもどうだ」と言われたが、川越線に乗って、川越に行く用事があった。
川越線は一つ電車を逃すと、20分来ない。
だから、「悪いけど、時間がない」と断った。その当時は、めまいがひどくて、偶然の出会いを喜ぶ余裕もなかった。
とりあえず、名刺交換をした。

「俺、明日山形に帰るんだ。また、出て来た時会おう」とタカハシが言ったので、手だけ振って別れた。

それっきり、タカハシのことは忘れていた。
そして、昨晩の8時半過ぎ、タカハシから電話がかかってきた。

「俺、いま大宮駅にいるんだ。ちょっと出てこないか」

私は、自分のことを常識を知らない人間だと思っている。
だが、いきなり夜の8時半に電話をかけて、「ちょっと出てこないか」などと人に言ったことはない。
まず、相手の都合を考える。あるいは、もっと前に電話をして、相手の予定を聞く。
私のシステムとしては、必ずその手順を踏む。

昨日は、午後熊谷のハウスメーカーに行き、帰りに大宮の印刷会社と近所の印刷会社に寄った。
帰ってすぐ、子どもたちの夕飯を作っているところだったので、疲れてもいる。
メニューは、ざるきしめんとかき揚げ、レンコンと里芋の煮っころがしだ。
かき揚げを作っている最中だから、なおさら電話に神経がいかない。

だから、「今、子どもたちのメシを作っているところだ。あとでかけ直すよ」
と言ったが、タカハシは「へぇ〜、お前が料理なんかするのか。大学時代からは考えられないな」と話を続ける。

「それにさ、お前がデザインをやってるなんて、想像できないよ。法律バカ、陸上バカのお前に、デザインなんてピンと来ないな。弁護士目指して、必死だったお前が、ホントにフリーでやってんの?」

細かいことだが、弁護士を目指していたわけではない。検事だ。

確かに、大学時代の私は、不思議人間に見られていた。
陸上部以外の人間とは、あまり真剣に付き合わなかった。
クラスに4、5人、一緒に酒を飲む仲間はいたが、飲み会に行っても端の方で黙って飲んでいることが多かった。

タカハシもその仲間の一人だったが、それほど打ち解けて話したという記憶がない。
タカハシがいつも女の子にフラレていたことだけは、鮮明に覚えている。
彼は、大学を卒業して大手の呉服メーカーに勤めたが、6年くらい勤めて、故郷の山形に帰った。
その後も年賀状のやり取りなどはしていたが、私が独立して大宮の方に引っ越してからは、まったく交渉はなくなった。

おそらく、お互い全くその存在を忘れていたと思う。
もちろん、懐かしさはあるが、私の子どもは、私の思い出よりも私が作るメシの方が大事なはずだ。

「悪いな、子どもたちが腹を減らしてるんだ。またかけるよ。携帯でいいんだな」
電話を切ろうとしたが、「じゃあ、俺がそちらに行こうか」というので、「そうしてくれ」と言って、詳しい場所を教えた。

しかし、「なんだ、よくわからないな。ここからそんなに遠いのか。無理だな、夜遅いし」とアッサリと言われた。
つまり、夜遅いということは、タカハシも認識しているようだ。

ダイニングの方から、「腹へったぁ〜、限界だぁ!」という声が聞こえた。
とりあえず、子どもたちの夕飯が優先だ。

「悪い、本当にあとで電話するから」
しかし、タカハシは、まだ話を続ける。
「あのさあ、オオバって知ってる? 今日会ったんだけど、お前の噂をしてたよ。俺が、外見は変わらないけど、デザインやってるんだぞって言ったら、びっくりしてたよ」

腹が立ってきた。
そして、静かにこう言った。私は怒ると声が低くなる。

「タカハシ、確かに俺は変わったよ。しかし、俺が昔と一番変わったところを教えてやろうか。昔の俺は怒らなかったが、今の俺は短気なんだよ。昔話はまたの機会にしてくれ! 今は、昔話より子どものメシの方が大事だ。切るぞ!

切ってから後悔したが、子どもたちが満足げに食べている顔を見たら、それもすぐに忘れた。
薄情な男である。

しかし、私は問いたい。
夜の8時半に、突然「出てこい」と電話してくる方が非常識なのか。
それとも、遠くから出てきた友だちを邪険にする私が非常識なのか。

ドッチだ!

おそらく、古い友だちを大事にしない私の方が悪いんだろうな。
とりあえず、今日、謝っておこう。気が重いが……。




2006/11/22 AM 10:25:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

「隠れ家」で夜明かし
私の家から約1.5キロ離れたところに、取引先の倉庫がある。
ここが私の「隠れ家」だ。

20帖強の狭いスペースだが、隅っこに壊れたデスクやOA製品が山積みになっているだけだから、結構広く感じる。
入口のそばに、衝立で仕切られた事務所があり、事務机2セットと長い応接ソファが置いてある。
電気も水道も使える。嬉しいことにエアコンまでついている。窓はない。

先月の今頃、取引先の社長に頼み込んで、この倉庫を使わせてもらうことにした。
パソコンのメンテナンスを無料でする、という条件付きだったが、こんな静かな環境が手にはいるなら、そんなサービスは何でもない。

事務所は埃が少々あったが、百円ショップで買ってきた、ほうき、ちりとり、雑巾で拭いたら、それなりに綺麗になった。
ソファにこびり付いた汚れは落ちなかったので、家から古いシーツを持ってきて、それをかぶせて使っている。

ガスはないが、HARD OFFで315円で買ったジャンク品電熱器を使って、百円ショップで買ったケトルでお湯を沸かせば、ラーメンも食えるし、珈琲も飲める。
CDラジカセと文庫本と毛布、焼酎「いいちこ(25度)」も持ってきて、置いてある。
それらを一式、普段は段ボール箱に入れておいて事務所の隅に置き、使う時だけ出す。
そうすれば、取引先の社員が来ても、邪魔にならないだろう。

段ボールには、私の名前を大きく三色のマジックで書いておいたから、捨てられることはない(だろう)。
私は太っ腹なので、「いいちこ」くらいは飲まれても構わないと思っている。
だから、段ボールに「中に『いいちこ』入っています。ご自由にどうぞ」と小さな字で書いておいた。
ただ、それが読めるかどうかは、努力次第である。

土曜日25時過ぎ、仕事を終えて、家族が寝たのを見計らって、家を抜け出し、自転車で「隠れ家」に行った。
寒い。倉庫はかなり冷えている。

蛍光灯の明かりを一カ所だけつけた。
ほの暗い明るさが丁度いい。
欲を言えば、間接照明が一つ欲しいところだが、それは贅沢というものだ。

まず、毛布をかぶった。
そして、エアコンをつけて、急速暖房にした。

段ボールから電熱器を取りだして、スイッチオン。お湯を沸かした。
百円ショップで買ったマグカップに「いいちこ」を半分ほど入れ、お湯を注いだ。
飲む。
三分の一を一気に飲むと、胃が熱くなり、その熱さが徐々に身体全体に回ってくる。

いつもはCDをかけるのだが、今夜は無音で過ごしてみようと思う。
少し離れた道路をたまにトラックが通るが、うるさいというほどではない。
今日は、霊も静かにしているようだ(?)。
ソファに足を投げ出し、残りを少しずつ飲んでいく。

体が温まってきたので、段ボール箱から、大沢在昌の「新宿鮫/炎蛹(ほのおさなぎ)」を手に取った。
新宿鮫シリーズは、かなり有名。
大沢在昌は、これで様々な賞を取ったので、このシリーズは彼の代表作の一つと言える。

私は「灰夜」まで7作は読んでいるが、この「炎蛹」だけは読んでいなかった。
いつも先入観なしで、本を読むことにしているが、このタイトルが今ひとつピンと来なくて、これだけを飛ばしてしまったのである。

「毒猿」「屍蘭」「無間人形」などは、新宿鮫に相応しいタイトルだと思うが、「炎蛹」には何となく違和感を感じた。
タイトルから見えてくるものがない。
「炎」と「蛹」というのが、物語に関係しているのは間違いないだろうが、この言葉から連想するものが薄い。
イメージしづらい。
そう思って、買ってから5年、読まずにいた。

それを、読み始めた。
物語は、窃盗品密売グループの追跡、という新宿鮫にしては地味な書き出しで始まっている。
ただ、大沢の落ち着いた文体は、ハードボイルド小説に完璧にはまっている。細部がイメージしやすい静かな出だしは彼の持ち味であり、物語にリアリティを与えている。

70ページあたりまで読み進むと疲れたので、またホット焼酎を作って飲んだ。
体がさらに温まってきたが、そうするとお腹がすいてきた。
段ボール箱には、カップラーメンも10数種類ストックしてある。
その中から、「一平ちゃん味噌味」を取りだした。

取り立てて美味くもないものだが、ドラッグストアで69円で買ったものだから、贅沢は言えない。
腹が満たされればいい。
夜食のあとは、珈琲。
百円ショップで買った怪しいインスタント珈琲なので、安っぽい味がする。
香りも足りない。だから、通常より濃くして飲んだ。濃くすれば、何とか飲める。

少々、ボーッとしたあと、また「炎蛹」を読み始めた。
115ページまで読み進み、疲れたので、本日の読書は終了。
壁の時計を見ると、5時20分になっていた。
今日は日曜なので、家族は8時過ぎまで寝ているはずだ。だから、それまでに帰ればいいが、6時に帰ることにした。

それまで時間があるので、またホット焼酎を作って飲んだ。
外が寒そうなので、身体を中から温めないと、外に出る気がしない。(これは、言い訳だが)
6時10分前に外に出たが、寒い。5度は切っている感じだ。

家に帰って、仕事部屋にそっと入った。
PCを立ち上げて、ミネラルウォーターを飲んでいると、娘が顔を出した。
トイレで起きてしまったようだ。

「おお、徹夜か。ご苦労さん。働けよ。あとで寝かせてやるからな。じゃあ、アタシはまた寝る」
そう言って、自分の部屋に入っていった。

気づかれなかったようだ。
危ないところだった。


2006/11/20 AM 11:09:45 | Comment(0) | [日記]

桶川西口公園にて
めまいは突然やってくる。

桶川の得意先の帰り、東武ストアの前を歩いていた時、右目が回るのを感じた。
これは、年に数回ある一過性のめまいの症状だ。
10分から30分程度で治まるものなので、じっとしていれば治るはずだ。
近くには休むところがなかったから、少し歩いて、西口公園まで行った。

木のベンチに横になった。
汚いベンチだったが、20年近く着ているスーツだから、汚れても構わない。
横になったが、目は瞑らなかった。気温が低いので、眠ってしまったら、風邪をひく。薄目を開けて、めまいが通り過ぎるのを待った。

10分ほど、そうしていると、かなり楽になった。
体を起こすと、四才くらいの男の子が私のそばに立って、私を見ていた。

「だいじょうぶ?」と聞かれた。
心配してくれているようだ。病人のような顔をしているのかもしれない。

「リョウ君!」
声の方を見ると、少し離れた隣のベンチに女の人がいて、男の子を手招きしている。
変なおじさんに関わっちゃダメ、ということだろう。
顔を小さく横に振っている。

「ありがとう、大丈夫だよ。ママが呼んでるから、行った方がいいね」
「ホント、だいじょうぶ?」
「リョウ君、優しいんだね」
「優しいだけじゃダメ、っていつもママに怒られてる」
口をとがらせ、うつむいて言う姿が可愛い。

余計なお世話だが、つい言ってしまった。
「優しいというのは、強いことなんだよ」

リョウ君は、首を傾げている。口はとがったままだ。
「どうして? ママはもっとしっかりしなさいっていつも言うけど」

「リョウくんは、乱暴な子の方が強いと思っているの?」
「うん、力が強いし」
「乱暴な子は、ただ人が怖いだけだ」
「どうして?」

「リョウ君は、ゴキブリは好き?」
「大っ嫌い!」
「もしゴキブリを見つけたら、どうする?」
「パパに頼んで、つぶしてもらう」
「ねっ、怖いからつぶすだろ。人間もそうなんだよ。相手が怖いから乱暴するんだ。本当に強い子は乱暴なんかしないんだよ」
「そうかな?」
子どもに、こんな論理はわからない。それがわかっていても言ってしまうのが、私の軽薄なところだ。

「リョウ君は、今日初めて会った、このおじさんのことが怖いかな」
「全然、怖くない」
「じゃあ、リョウ君は弱くないよ。しかも、おじさんのことを心配してくれたんだから、優しくて、そして強いんだ」
「へぇ〜、・・・、でも、よくわかんない」
納得がいかないようだ。
この年の子は、母親の存在が大きい。
母親の言うことが絶対正しいと思っている。
だから、私の言うことは、彼のためにも彼の母親のためにもなっていない。
言うだけ、無駄である。お節介はしない方がいい。

「じゃあ、ママのことは好きかい?」
「うん、大好き!」
「それなら、ママのところに行きなさい。君のママは、リョウ君が変なおじさんと話をしているから、心配なんだよ。ね、早くママのところへ」
「でも、ホントにだいじょうぶかな?」

立ち去りそうにないので、適当な嘘を言った。
多少、鬱陶しさもあった。
「ああ、今日はお財布をおウチに忘れちゃってね。朝から何も食べてないから、力が出ないだけだよ。ウチに帰ってご飯を食べれば、元気になるから。心配してくれてありがとう、じゃあね」
手を強く振ったら、彼も手を振ってくれて、母親の座るベンチに帰った。

目の端で、二人が手を繋いで去っていくのを見ながら、空を見上げて深呼吸をした。
風はないが、寒い。気温は10度を切っているかもしれない。
眠らないでよかったと思った。
一度眠ったら、30分は寝ていただろう。確実に風邪をひく。

座ったまま、手足を軽く動かしながら、体調が完全に戻るのを待っていたら、「おじさん」と言う声が聞こえた。
見ると、先ほどの男の子が手を振っている。
「おじさん」と言うからには、私のことだろう。
あたりを見回してみたが、「おじさん」らしき人は見あたらない。
だから、手を振り返した。

リョウ君は、右手に持ったコンビニの袋を私にくれた。
「なに?」
「おなかすいてるんでしょ? だから、あげる」

中を覗いてみると、サンドイッチとペットボトルのお茶が入っていた。
私が彼の母親の方を見ると、彼女は心底申し訳ない、という顔をして言った。
「こんなことしたら、失礼かと思ったんですが、この子がどうしても、と言って聞かないもんですから、すみません、あの、お気を悪くしたら、ごめんなさい」

思いがけない展開である。
子ども相手に嘘を言ってはいけないということだ。
失礼なのは、こちらの方だ。
立ち上がって、頭を下げた。
そして、リョウ君の厚意を無にしてはいけないので、有り難く頂くことにした。

おそらく、こちらが食べるところを見ないと子どもは納得しないだろうから、慌ててサンドイッチをパクついた。
お茶も一気に半分ほど飲んだ。

リョウ君は、満足げに私を見ながら、私の隣に座った。
「ありがとう、ホントに君は優しい子だ」

「でも、頼りなくて」
これは、お母さんのことばだ。

「さっきもリョウ君に言いましたが、優しいのと弱いのとは違いますよ。私が見る限り、リョウ君は弱くはない。強い子です」
「でも、将来いじめられるのではないかと心配で」
メディアが最近頻繁に取り上げるので、いじめに関して過敏になっている親が多い。
弱い子はいじめられる、という報道の仕方は、弱い子はいじめられる確率が高いという謝った認識を生んで、逆にいじめる側に言い訳を与えているのではないか。

弱いから、いじめる。
弱い子は、いじめていいんだ!

負の連鎖である。

「親が守るという強い意志を持っていたら、子どもはいじめられないと思いますよ。同じように、子どもに対する親の意志が強ければ、いじめる側にもならない。教師や社会は当てにならない。肝腎なのは親の強い意志だと、私は思います」

自分の子育てのことを言おうとしたが、今日初めてあった人に語ることではない。
そうでなくても、余計なことを語った、と反省している。

「サンドイッチ、おいしかったよ。これは忘れられないご馳走になった」
リョウ君の小さな手を握って、握手をした。
柔らかい手。

将来、この子がいじめられないように、祈ります。


2006/11/18 AM 11:20:44 | Comment(3) | [子育て]

死に神が父になる
友人の尾崎に、子どもができた。
生まれてはいないが、できた。

最近では、一番の嬉しいニュースだ。
尾崎とは、ベタベタの友だち付き合いはしてこなかった。
20年以上、出会った時と変わらない距離で付き合ってきた。

一年に一、二回、中野や渋谷などで酒を飲むが、会話はあまり弾んだことがない。
お互いの共通の趣味がジャズなので、「今度セッションでもしようぜ」と言いながらも、一度もしたことがない。

また、出会った時から変わらないことが一つある。
尾崎は、喧嘩を呼ぶ男だということだ。
外見は痩せて貧相な男だが、不良たちには、彼の醸し出す危険な香りが気に障るようだ。
街を歩いていたり、酒場で穏やかに飲んでいても、よくからまれる。

半分以上は彼が睨んだだけで、尻尾を巻くのだが、鈍感な人間はどこにでもいる。
しかし、彼らはすぐに自分の鈍感さに気づかされるはめになる。
喧嘩のことはよく知らないが、尾崎には手加減という概念がない。
だから、相手が可哀想になる。
痩せて腕力がないから、一撃で倒すということはないが、全身で相手に挑んでいく。
そして、倒す。
間近で6人の男を倒したのを見たことあるが、顔は笑いさえ浮かべているのだ。

まるで、ドラマの登場人物のように、喧嘩が似合う男だ。

しかし、私はかなり鈍感な男なので、彼の強さを見ても「スゴイ」としか思わない。
怖くないのだ。
尾崎の無表情の中に、彼の優しさを感じるのは、おそらく私と、彼の同居人恵実(めぐみ)だけだ。

八年間、尾崎と同居している女。歳は尾崎より11歳若い。
尾崎のすべてを知っている女だ。
美人ではないが、ふくよかな印象を与える人で、いつも目の光が強い。
しかし、笑うと菩薩のように慈悲深い顔になり、目尻の皺だけで、ひとに安らぎを与えることができる。
少しとがった顎と、細い鼻筋が、知性を感じさせる女だ。

恵実は、八年前初めて紹介された時よりも、確実にいい女になっていた。
四、五回しか会ったことはないが、今年の八月に会った時は、圧倒されるような包容力を持つ女として、そこにいた。

尾崎と恵実が同居して八年。
私はそのすべてを知っているわけではない。
むしろ、知らないことの方が多いとは思うが、私たちはそういう付き合いを好んでしてきた。

しかし、それでも、尾崎に子どもができたことは、嬉しい。

恵実に電話してみた。
恵実の携帯電話にかけるのは、初めてのことだ。

「そろそろ、かかってくるかなって、二人で噂してたんですよ」
恵実がいきなり言った。
普通の場合は、相手へのサービスとして言うことばだが、彼らにはそんな意識はない。
おそらく、本当に噂をしていたのだろう。

「だいたい、一週間くらい電話をするか悩んで、尾崎にかけるのは照れくさくて、私に電話してくるんじゃないかって、二人で結論を出したんです。Mさんって、思い通りの人ですね」

確かにそうだった。
尾崎から、「子どもができた」と聞かされたとき、「おめでとう」としか言えなかった。
他にも何か言いたいのだが、尾崎に直接言うのは、どこか照れくさい。
だから、一週間ずっと悩んでいた。

結局、恵実に電話をするということで、決着を付けた。
それを、二人に見透かされたようだ。
一週間悩んだのが、無駄になった。

「妊娠12周目くらいかな」
照れ隠しに、いきなり現実的な話題を投げた。
「はい、よくわかりましたね」
「俺は、尾崎とは違う。子育てのプロですからね」

尾崎は、バツイチで、前の奥さんとの間に娘さんが一人いたが、幼いうちに別れたので、子育ての経験はほとんどない。
尾崎と子育てというのは、まったくマッチしないので、彼は正しい選択をしたとも言えるが、今回はどうなのだろうか。

「尾崎は、優しくしてくれますか」
「ええ、気味が悪いほどに」
恵実の笑顔が間近に見えるような、丸みを帯びた声だった。

「まあ、彼にとっては孫みたいなもんですからね。ジイジになった気分じゃないですか」
「いえ、それが、俺は10歳以上若返ったよ、って言ってるんですよ。Mにはもう、そんな元気はねぇぞ、なんて威張ってました」
「まあ、確かに彼の方が俺より二つ下ですから、若いことには違いないが…」

「あら、尾崎の方がMさんより年下なんですか。見た目は尾崎の方が五才以上年上に見えますけど、ホントに」
最後の「ホントに」は、尾崎に向けて言ったようだ。
近くに尾崎がいるらしい。

「M先輩、暇なようだな」
尾崎に変わった。
尾崎にしては、軽口の会話である。

「お前に年上として、忠告してやる。恵実さんをいたわるのもいいが、もっと大事なことがあるだろう」
「珍しいな、お前がそんな回りくどい言い方をするなんて…。はっきり言えよ」

「籍を入れろ。けじめは付けた方がいい。面倒だって言うのは、お前の理屈だ。この世界のどこに、お前の子どもを産んでくれる人がいると思ってるんだ。もう観念しな」

「わかった。今日入れる」
あまりにもあっさりした言い方に驚くが、尾崎は必ずそうするだろう。
その場を誤魔化す、ということをしない男だ。

「安心した。今度、子育ての講義に行ってやるよ。お前の爺さん面も見てみたいからな」

「でも、本当に尾崎は若返ったんですよ。Mさん、ぜひいらしてください。イタリアン料理も教えて下さい。待ってますから」
電話は恵実に変わっていた。

「尾崎をお願いしますよ。あいつは、何も言わないかもしれないが、今が一番幸せなはずだ。あいつが言わないなら、俺が何度でも言う。尾崎は幸せ者だ」
そして、君がそばにいれば、その幸せには限りがない、と言おうとしたが、あまりにも気障なのでやめた。

「幸せなのは、きっと私の方です」

馬鹿馬鹿しくなってきたので、「お大事に」と言って、電話を切った。
だが、この馬鹿馬鹿しさは、悪くない。


2006/11/16 PM 12:02:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ひとはヤドカリ
誰にでも苦手な人はいる。
私が唯一苦手とする、Sデザインのスドウさんから電話がかかってきた。

スドウ氏は中堅デザイン事務所の社長だったが、半年前に息子に社長の座を譲ると宣言した。
半年前、呼ばれたので行ってみたが、親父そっくりの息子から「あんたに仕事を出すつもりはない」と失礼なことを言われた。

もうすでに忘れていたことだったが、電話でスドウ氏の声を聞いて、その時の屈辱感がよみがえってきた。
スドウ氏の声を聞いた途端、自分の顔が少し歪んだような気がしたが、首を一回ポキッと鳴らすと、すぐに落ち着いた。

「Mさんかね」
いつものことだが、いかにも大物ぶった物言いが、少々気に障る。
隠居したはずなのに、いったい何の用だ。仕事の話でないことは確かだ。
スドウ氏が、暇つぶしに電話してくるとも思えない。
今まで、親しく話をしたことは一度もない。
向こうが一方的に喋って、独演会を開くだけである。
スドウ氏はいつだって、こちらの言うことなど、聞く耳持たない。

窓の向こうの青空を見ながら、私はずっと黙っていた。
私は半年前の私ではない。
今の私は、自分でも不思議に思うのだが、投げやりである。

長年、私にストレスを与え続けてきた姉に対しても、平気で無視を決め込むことができる。
「お前の相手なんかしてやるか!」と思えるようになった。
以前は、姉の奇行に関して怖れて逃げ腰だったが、今はそんなことはない。
むしろ、「俺に頼るな!」とキッパリと言えるようになった。
私の中で、何かが変わった。
切っ掛けは、つい最近の「プチ家出」だが、これで吹っ切れたようだ。

「もしもし」と言われたが、まだ黙っていた。
「Mさんのお宅だよね。もしもし、もしもし」
少しうろたえているようだ。
スドウ氏の初めて聞く、うろたえた声。

こちらの勝ちである。
勝負事は、先にうろたえた方が負けだ。

「はい、Mです」
私が答えると、スドウ氏は「ああ、忙しかったの……、かな」と、大物気取りの声を出したが、もう遅い。
電話の声というのは、時に人間の感情が生で響く。
慌てて繕っても、本質が見えてしまったら、怖れることはない。

「仕事の話ですか」
冷めた声で答える。
「まあ、そういうことになるかな。先ずは、見積もりだが」
ことさらに低い声で威厳を保とうとしているのが見え見えで、笑いたくなる。

「社長の座は、息子さんに譲って、隠居なさったんじゃないんですか」
我ながら、よくこれほど突っ放した言い方ができるものだと感心した。

「いや、確かに息子に譲ったが、これが頼りなくてね。この間なんかも……」
スドウ氏は、自分の話に酔うタイプだ。
自分の話をすべて相手に聞かすまで、話をやめない。
こちらが話の腰を折っても、お構いなし。エンディングまで一気に突っ走る人だ。

これを電話でやられたら、たまらない。
以前の私なら聞いてやったが、今はそんな無駄なことは願い下げだ。
だから、彼の話にかぶせて、こう言った。
「息子さんへの愚痴は、今回の仕事の話と関係ありますか。あるのなら伺いますが、もしないのなら、切らせてもらいますよ」

スドウ氏が、一瞬言葉に詰まった。
以前の私と違うことに気づいたのだろう。
「いや、だから、息子がさ、まったく…、役に立たなくて……この間も…」
同じ言葉を繰り返している。

「申し訳ないが、切りますよ」
本当に切った。

これは、クライアントに対して、かなり失礼なことだとは思うが、電話で何十分も彼の息子に対する愚痴を聞く義務は、私にはない。
これで、スドウ氏に対する苦手意識は、完全に消え去った。
簡単なことだった。
いままで、なぜあんなに遠慮していたのか、不思議である。

先月、一週間ほどだが、独立してから一番の暇な時間を過ごした。
その時に、仕事をいただく有り難みを痛切に感じた。
フリーランスは、仕事がなければ、無職に等しい。
だから、これはかなり堪(こた)えた。
まわりのうろたえぶりも、鬱陶しかった。

しかし、逆に「仕事がなくても、俺は俺だ」という開き直りも生まれた。
フリーランスの自分と、仕事をしていない時の自分は重なってはいるが、すべてが重なっているわけではない。

どちらが本当の自分かと言われれば、仕事をしていない時の方が、生の自分である。
つまり、フリーランスの私は、「ヤドカリ」なのだ。
たまたま、フリーランスの殻を背負っているに過ぎない。

他の人も、おそらくそうに違いない、と私は思っている。
サラリーマンという殻を背負っていたり、社長、政治家、教師という殻を背負っている。
殻だから、それは本質ではない。
仮の姿である。仕事を辞めたあとも、殻を背負うことはできない。

仕事を辞めたあとで、殻の重さにこだわり続けるか、あるいは「スッキリした」と思うかで、その人のその後が決まるのではないか。

俺は、フリーランスの殻を背負っているだけだ。
そう思ったら、気が楽になった。

仕事が来なくても、俺は俺だ。
いざとなったら、フリーランスの殻を抛り捨てればいい。
私の本質は、そうなっても何も変わらない。
そう思ったのだ。

そして、相手も殻を背負っていると思ったら、何てことはない。
全員、同じ「ヤドカリ」じゃないか。
たとえ、本質を見せないようにして、必要以上に大きな殻を背負っていたとしても、それもただの殻である。
あるのは、大きいか小さいかの違いだけ。
大きい殻を背負いたいのなら、背負えばいい。しかし、殻は殻だ。

スドウ氏も、また「ヤドカリ」だ。

そのヤドカリからすぐに、電話がかかってきた。
「アンタ、本当にMさん?」
初めて聞く、スドウ氏の戸惑いを含んだ声である。

私はそれには取り合わず、「仕事の話ですよね」と念を入れた。
「ああ、B4の4色のチラシ裏表だが、急いでいる。とりあえず、今日中にファックスで見積もりをお願いしたいのだが」

「わかりました。夕方5時までにファックスを送ります。ただ、急いでいる、と漠然と言われても予定が立たないので、校了日を教えて下さい」
「22日に折り込みを入れたいので、17日朝が校了だな」
「了解しました」
「アンタ、ホントに…」とスドウ氏がまた言ったが、「失礼します」と言ってすぐ切った。

おそらく、スドウ氏相手の電話としては、最短記録だろう。
いつもは、10分以内に終わることはありえない。
毎回、その時々のニュースに関して、自説を滔々(とうとう)と述べるのだ。ピントのずれた評論ほど、聞き苦しいものはない。大変なストレスである。

それから解放された喜び。

おそらく見積もりだけで終わるだろうが、私はいま、かなり清々しい気持ちで仕事をしている。


2006/11/14 AM 08:32:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

教師にドロップキック
ここ数週間、ニュースで「いじめ自殺」という言葉が、飛び交っている。

人間は、弱いものをいじめる生き物である、ということはわかっていても、救われない思いでニュース画面を見ている。

その中で、いじめっ子といじめられっ子は紙一重、とコメンテーターがしたり顔で言っていた。
いじめっ子も立場が変われば、いじめられる可能性があるということを言いたいのだろうが、その意見は何の解決も与えてくれない。時間の無駄だ。

何かを改めれば、いじめが無くなるという考えもまた何の解決にもならない。
原因は一つや二つではなく、歴史や、現代の様々な媒体などが複合的に絡んだ複雑なものだと思うからだ。

ただ、私なりに無責任な解決方法を考えた。
もちろん、ただ考えただけではあるが。

昔はいじめがなかった、だから昔の教師は優秀だった、という井戸端会議的意見は無視した方がいい。
昔だっていじめはあったが、ニュースバリューが低かっただけだ、と私は思っている。
何でもニュースになる現代と、ニュース媒体の総量が少ない昔とでは、比較するには無理がある。
それに今は、インターネットやメールという「凶器」もある。

「いじめ」という言葉が、あらゆるニュース媒体を通り抜けることで、その現象は膨張し、「いじめ」がまるで流行病のように増幅される。
ニュースに乗らなければ、ここまで「いじめ」が蔓延することはなかったはずだ。
地域的な病で済んでいたはずである。
「いじめ」という言葉が、長年の報道で刷り込まれた結果、「いじめ」はインフルエンザのように規模が広がっていった。
「いじめ」が当たり前のように認知されて、いじめられる側を追いつめる。

いつの時代だって、人間が弱いものをいじめないわけがない。
それの集合体が国家や宗教などであって、パワーゲームの勝者になるためには、弱者は容赦なく排除される。

ただ、国家に想像力はないが、人間には想像力がある。
この想像力が豊かであれば、個人としてのいじめは減るのではないかと私は思っている。

いじめられた人間の感情が想像できないから、いじめが起きる。
殴られたら、「殴り返したい」と思う。しかし、殴り返せない人がいる。
「怖い」「悔しい」「痛い」。
「怖い」「悔しい」はわかっても、いじめる側の人間は、この「痛い」を想像することができないのではないか。

「痛い」は、心と体の両方だ。
私は、この二つの「痛い」、特に心の「痛い」を理解できない人間が、いじめを繰り返していると思っている。

そして、教師という存在がある。
私は、あらゆる職業のなかで、教師が最も想像力のない人種の集まりだと考えている。

彼らは、社会に出た時から「先生」なのだ。
医者も最初から先生だが、「研修医制度」で「丁稚奉公」を経験している。
しかし、教師は学校という組織のなかでの上下関係はあっても、教室の中では、最初から経営者であり支配者である。

最初から支配者の椅子に座った人間は、よほどの資質がない限り、想像力が働かないのではないか。
単に、私の偏見であればいいのだが。

普通、王様に想像力はいらない。
強くて、シンボライズされた人格が王だからだ。
シンボルに想像力は芽生えないし、教えられることもない。
想像力は、側近が働かせればいい。

しかし、教師に側近はいないことの方が多い。
校長に、教頭という役職としての側近はいるが、彼も教師のひとりであり、支配者の側である。
つまり、学校そのものが、想像力が働かないシステムになっている。

その想像力のない支配者が、子どもに「想像力」を教えることができるだろうか。
いじめられた子の、心が「痛い」ことを、支配者が想像できるのか。
私は悲観的である。

教師は、勉強を教えるプロでなくてはいけないが、支配者としての「先生」のままでは、いつまでたっても、教師の質は良くならない。
最近は、民間人を校長や教頭に登用する自治体も出てきたようだが、私にはポーズだけで終わっているように思える。
「一応、民間人にも門戸を開いてオープンな学校にしました」というポーズ。
だから、慣習の壁にぶつかって、民間人校長は孤立しているように見える。固陋(ころう)な教育界、保護者、メディアから孤立しているように感じる。
制度だけ作って、明確なサポートなし。
メディアもなぜか負の部分だけを報道しているような気がする。

話を教師の方に戻して、
これは大きな偏見かもしれないが、私は、教師に救われた生徒よりも、教師に失望した生徒や保護者の方が何十倍も多いのではないかと思っている。

私自身は、小学一年から高校二年までは、いい担任に当たったと思う。
高校三年の時は最悪だったが、12年間のうちのたった1年である。
運が良かったと思うべきだろう。

クラスには、それなりに「いじめ」らしきものはあったが、生徒同士で解決した。
運良く、想像力の豊かな子どもが沢山いたからだ。
しかし、多くの場合は、想像力のない教師の下で日々支配されているから、子どもたちに想像力がつくのは、運頼みである。

だから私は、想像力のない教師には頼らないことを提案する。
そして、そういう教師しか認めない教育委員会にも頼らない。

それらのシステムはすべて解体して、ゼロから作り直す、という考え方は単純すぎるだろうか。
「丁稚奉公」を知らない教師は、最初から王様の権利を手にする。それに反して、教育者としての義務は霞(かす)む。
生徒や親の目線にまで降りていくことは、教師の資質のみにかかっていて、誰もそれを教える環境をつくらない。
そんな心許ない教育者にものを教わる子どもは、悲劇である。

いじめをする子どもが一番悪い、これは当然だろう。
しかし、それを傍観する、あるいはそれに対処する能力がない教師もまた、同様に罪は重い。

それに、過去いじめによる自殺は「ゼロ」と報告した教育界が罪を負わないのでは、虫が良すぎる。
分析能力のない報告書は、ただの紙切れに過ぎない。
彼らは最早、教育のプロではないし、有能な学級経営者でもない。
自己の保身のみ考える、汚職政治家のようなものだ。

今の教育界こそ、「ゼロ」にすべきではないか。
教師は、支配者から降格すべきである。
私はそう思っている。



2006/11/12 AM 08:24:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

できた
一流デザイナーのニシダ君からSOSのメールが来た。

「センセイ、HELP! ドラムが死にそうです」

ニシダ君は仕事は一流だが、機械音痴。
何度もしつこく教えたので、レーザープリンターのトナー交換はできるようになったが、ドラム交換はできない。
私にとって、ドラム交換は簡単。おそらく10分もかからない。

仕事はそれなりにあったが、朝早く行けばすぐに終わるから、それほど仕事に支障はない。
だから、朝8時に家を出た。
ニシダ君の事務所は、浦和にある。
駅からノンビリ歩いていくと、ニシダ君の住むマンションの入口の前に警察官が立っていた。
私の前を歩いている人は、コンビニの袋を提げてマンションに入ろうとしたが、警官に呼び止められていた。
コンビニの袋を覗かれているようだ。

やましいことをした覚えはないが、今日は身分を証明するものを持っていない。
尋問されたらどうしよう。
引き返そうか、とも思ったが、よく考えたらビクつくのは変である。かえって挙動不審と思われる。
今日は運良く、チャカドスクスリも持っていない。マグナム機関銃は家に置いてきた(?)。

眉間に皺を寄せて、警官の前を通ろうとした。
すると、警官が「ご苦労様です」といって敬礼した(これはホント)。
心の中で首を傾げながら、マンションに入った。
アイツ、もしかしてニセ警官か? それともエキストラ? あるいは、新しいサービス?

ニシダ君の事務所に入ると、ニシダ君と一緒に、酒豪のチヅルさんがいた。
笑っている。そして、手にはバドワイザーの缶を両手に持っている。
左手に持った缶を私の方に差し出しながら、「おはようございます」と言った。
受け取るしかない。

「Mさんが来るって言ったら、彼女ついて来ちゃったんですよ」
頭をかきながら、ニシダ君が頭を下げる。
ニシダ君とチヅルさんは同居している。
生活の場は、事務所の隣の号室である。
だから、チヅルさんがついてきたと言っても、隣に移動してきただけだ。

「今日は、ドラム交換したら、すぐ帰ろうと思ってるんだ」と私が言うと、チヅルさんは「えー、朝から酒盛りしようと思っていたんですよ」と恐ろしいことを言う。

「それは、またの機会に」
「オー、マイガッ!」
大袈裟な身振りで肩をすくめるチヅルさん。その姿をニシダ君が嬉しそうに見ている。

馬鹿馬鹿しくなってきたので、話題を変えた。
「マンションの前に警官がいたけど」
「ああ、一階の部屋が空き巣に入られたみたいですよ。今ちょうど調べてるところじゃないですか。センセイ、入口で呼び止められませんでしたか」

私が、「いや、『ご苦労様です』って、敬礼されたよ」と言うと、冗談だと思ったらしく、二人して顔を見合わせて笑っていた。チヅルさんは、「ギャハハハ」と大笑い。

冗談のような人生を送っていると、誰も言うことを信じてくれない。
右手に持ったバドワイザーを乱暴に飲んだ。

黙ってプリンターの前に行き、ドラム交換を始めた。
チヅルさんは「M刑事、ご苦労様です」と言いながら敬礼をした。
その仕草が可愛いので、許してやることにした。

「チヅル刑事、ドラムを渡してくれないか」
「はっ、M刑事」
どこまでもおバカな、酔っぱらい二人である。

作業は、予定通り10分ほどで終了。
事務所のソファに座って、しばらく休憩した。
作業のあとのバドワイザーは美味い。
チヅルさんが、グビッと一口飲んで言った。

「めまいは治ったんですか」
「えっ、どうしてそれを知ってるの」
「ブログ読んでますから」

そうだった。これは人に読んでもらうために書いている。だから、彼女が見ていても不思議はない。
迂闊であった。彼らは登場人物だったのだ。
「私たち、勝手に書かれてますけど…」
案の定、ツッこまれた。

「日記には、色々な人が出てくるものでしょう」
苦し紛れのシラを切った。

「まあ、いいんですけどね。悪く書かれてないし、ただ『酒豪』というのが、少し人聞きが悪いかな」
ダテ眼鏡の下の鼻の穴を膨らませて、偉そうに腕を組んでいる。

「日記には、本当のことを書かなければならない」
私が言うと、「ハハ」とのけ反った。

「ところで」とチヅルさんが身を乗り出す。
「ブログに出てくる尾崎さんって、スゴイ気になるんですけど」
彼女の目が輝いている。興味津々という目だ。

尾崎は、私の古い友人で、喧嘩の達人である。
私は、彼のことを「死に神オザキ」と呼んでいる。
漫画に出てくる死に神そっくりの外見だが、喧嘩の時はケダモノになる。
とても堅気(かたぎ)とは思えないほどの、凄みのオーラを発散する男だ。
初めて彼の姿を見た人は、皆脅えた顔になる。

「あんな危険な男に興味を持つとはねえ。でも、もしよかったら、声だけでも聞かせてあげましょうか。チヅルさんは、化粧品に興味があるでしょ」
「えっ、お話しできるんですか。化粧品には興味はないですけど、話はしてみたいです」

私は事務所の電話を借りて、尾崎の店に電話をかけた。
死に神は、コスメショップの社長なのだ。
これほどのミスマッチはないと思うのだが、尾崎は20年以上同じ場所で店を出していた。
つまり、固定客がいると言うことだろう。
世の中は、面白くできている。いや、不可解と言うべきか。

一回目のコールで尾崎が出た。
「悪いが、化粧品のことで知りたいと言っている人がいるんだ。話を聞いてやってくれないか」
尾崎に挨拶などしない。尾崎も挨拶はしない。
そんな仲である。

「それは、お前の愛人か」
「いや、愛人ではなく、美人だ」
「くだらねえ、切るぞ」

本当に切りそうになったので、すぐにチヅルさんに変わってもらった。
型通りの如才ない挨拶のあと、チヅルさんが質問をしている。
化粧品のことはサッパリわからないので、ニシダ君と目を見合わせて微笑んだ(気持ち悪い二人)。

質問はすぐに終わったようだ。
チヅルさんが私に受話器を寄こした。

「お前の愛人、頭がいいな。質問に無駄がない。いそうでいないタイプだな」
「誉めてもらって光栄だ」

少し間があいて、尾崎が大きく息を吸う音が聞こえた。
こんなときの尾崎は、言いにくいことを言おうとしている場合が多い。

私の中で閃(ひらめ)くものがあったが、これは尾崎の口から言わせるべきだろう。
尾崎が口を開くまで黙って待った。
そして、突然尾崎が乾いた笑い声をたてた。
照れ笑いだろう。

「勘が鋭いな。お察しの通り……、できた」
「そうか、できたか」
「ああ」
「おめでとう」
「また、連絡する」
「わかった」

端(はた)から見れば、わけのわからない会話だろうが、我々の間では通じるのだ。

はたして、わけのわからないニシダ君が聞いてきた。
「センセイ、『できた』とか『おめでとう』とか、何ですか」

「尾崎に子どもができた」
私が言うと、私のブログを読んでくれているチヅルさんには、ピンと来たようだ。

「わあ、ホントですか! おめでとうございます」
「ありがとう」
私が礼を言うのもおかしなものだが、この場合はそう言うしかない。

「じゃあ、ギネスですね」
これもわけがわからないが、勢いで思わず頷いてしまった。

ギネスビールを持って、チヅルさんと乾杯。

ニシダ君が「わけがわからない」と言う顔をして、私たちの顔を交互に見ていた。



2006/11/10 AM 08:45:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

朝も昼も坦々麺
体重がとうとう55キロまで落ちた。

8月は61キロあったから、わずか三ヶ月足らずで6キロ減ったことになる。
自分でも、窶(やつ)れたと思う。

原因は、わかっている。
食わないから。
食べられないのではなく、食わない。

面倒臭い。
子どもの時から、食べることに興味がない。
今は家族の食事を作ったりしているから、料理は好きである。
ただ、自分が美味いものを食いたいとは思わない。

美味いものを食って、幸せだと感じたことは一度もない。
以前は、外食にいって、評判の店で評判の料理を食べたこともある。
しかし、食って美味しいとは思うが、「この食材なら俺にだってこの程度のものは作れる」と思ってしまうのだ。

あるいは、「行列のできる○○」というのがある。
私もたまに、友人の120キロの巨漢グルメ・スガ君に無理矢理誘われて、その種の店に行くことがある。
期待して食べるのだが、100パーセント期待は裏切られる。
「これで行列ができるのなら、行列のできない店は、どれほど不味いんだ!」と憤る。
金を取るんだから、プロなら美味いものを出すのは当たり前だろう。
料理人を甘やかさないでもらいたい。

料理は一に食材、二に料理人の勘だと思っている。
だから、質のいい食材さえ揃えられれば、あとは勘の勝負である。
勘がいいか悪いかで、料理の出来が決まる。

私の場合は、高級食材など揃えられないから、一に勘、二に工夫である。
そして私は、家庭で美味い料理を作るためには、この二つさえあればいいと思っている。
家庭に、高級食材はいらない。
貧乏人のひがみも多分に入っているが…。

しかし、6キロも体重が減ると、さすがに身体が食べ物を欲するようだ。
そこで、朝から坦々麺を作ることにした。
無性に坦々麺が食いたいと思ったからだ。

当然のことながら、我が坦々麺は自己流である。
しかし、何度か友人にも食べてもらったことがあるが、評判はいい。

豚挽肉とニンニクのみじん切りをゴマ油で炒める。
その後みじん切りにしたザーサイを加える。
パラパラになるまで炒めたら、豆板醤とテンメンジャンを入れる(適量、つまり好みで)。
全体的にからまったら、ヨーグルトを大さじ一杯ほど入れる。
これは好みが別れるところだが、酸味がついて、味が深まる効果がある。

スープは料理酒1:鶏ガラだし汁2を、一度だけ沸騰させる。
スープの量は少ない。200ccほどだ。その方が麺と具材が濃厚にからまる。
それと平行して、フライパンで、作り置きの冷凍餃子を焼く。
焼いて保存してあるので、そのまま温めるだけでもいいのだが、もう一度、油をひかずに二分間蒸し焼きにする。最後にゴマ油を垂らして30秒ほど強火にする。

大鍋の方には、沸騰した湯に冷凍した生麺をぶち込む。
我が家では、ラーメンは細めの生麺が基本である。
安い時に大量に買っておいて、そのまま冷凍する。これで二ヶ月以上は保つようだ。
吹きこぼれそうになったら、30秒弱火にする。

そして、ラーメン丼にスープを入れ、水気をよく切った麺を入れる。
その上に具材をのせ、最後にラー油を少し垂らす。
これで出来上がりである。

坦々麺と焼き餃子。そうなると当然ビールが欲しくなる。我が家にビールはないので、発泡酒を冷蔵庫から出した。

朝8時半。
朝から食うメニューではないが、身体が欲しているのだから仕方がない。
我が家の餃子は小さい。
餃子の皮も自分で作るが、試行錯誤の結果、皮は小さくした方が美味いという結論に至った。
家庭用のコンロは火力が弱いので、餃子を小さくして短時間で火を全体に通した方が、味が締まるようだ。
10個食べても、市販の餃子の7個分くらいのボリュームである。

熱々の坦々麺と熱々の餃子。そして発泡酒。
食が進む。
最後に残った汁に、冷やご飯をぶち込んで食べる。
ご飯を入れることによって、辛みが抑えられるので、最後は口がサッパリする。
絶品である。

満腹になったら横になる。
仕上げなければならない仕事が、まだ三種類残っているし、午後には熊谷に行かなければならない。でも、少しくらい休んでもいいだろう。
しかし、横になると寝てしまうのは必然だ。
だから、眠った。

目が覚めたら、11時を過ぎていた。
慌てて仕事をした。

12時過ぎ、ヨメが花屋のパートから帰ってきた。
台所に充満する餃子の匂いを嗅いで、「餃子食べた?」と聞くので、「坦々麺もね」と答えた。

「私も食べたいな」

昼も同じものを作って、ヨメと二人で食べた。
二回連続で食っても飽きない。

夕飯も、と思ったが、ヨメに人格を疑われるので、やめた。
夕飯は、娘のリクエストで、カニ玉丼にした。
チンゲンサイと肉団子を中心にした、野菜タップリの中華スープも作った。

久しぶりに、三食まともに食った。
夜、期待を込めてヘルスメータに乗ったが、表示は「55キロ」のまま!

どうしてだ!



2006/11/08 AM 10:27:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

元ナースはチャイニーズ
めまいで迷惑をかけてから、ススキダからよく連絡がくるようになった。

彼は、私が人から心配されるのを嫌がるひねくれ者だということを知っているから、私の身体のことを聞いてきたのは、一度きりである。
それ以外は、遠慮がちに色々な情報を教えてくれる。

「あのよぉ、アンタは物知りだからもうとっくに知ってるかもしれないけどさ、ギンナンがいいらしいな。今度送ってやるよ。農家やってる友だちがいるからさ」
「半身浴はいいぞ。じっくり体を温めるってのが、いいみたいだな」
「これはもう知ってるとは思うが、足は冷やさない方がいい。血の巡りが悪くなるからな」

おそらく、元ナースの奥さんの受け売りだろうが、仕事の話の途中に突然こういった話を入れてくるから、話が飛躍して、返答に窮する。
こちらとしては、笑うしかない。

ススキダは、六日間仕事で香港に行って来た。
そして、香港から帰ってきてすぐ、電話をしてきた。

「悪かったな、満足なのが書けなくて」
香港に行く前に、ススキダにハウスメーカーのキャッチコピーを頼んだ。
日本と香港間でメールのやり取りをしながら、コピーを練っていったのだが、メールだけだと歯がゆい部分がある。
うまく機能しなかった。
ススキダは、それを気にしているのだ。

電話で打ち合わせをすればよかったのだが、仕事の都合上、電話をかけられるのは夜遅くなるということでススキダが遠慮した。
ススキダは、律儀な男である。
朝9時前には絶対電話をかけてこないし、夜8時以降にもかけてこない。
ファックスやメールを送る時は、必ず事前に電話をしてくる。

今回香港からメールを送る時は、深夜近くなるので電話はなかったが、あらかじめ午後10時から12時までの間に必ずメールを送ると決めてあった。
そして、ススキダは、キッチリ午後10時にメールを毎日送ってきた。

そこまで、正確にしなくてもいいと思うのだが、それが彼の性分なのだろう。
強面(こわもて)の外観からは、想像できないくらい細やかな男である。

ススキダは、二日間日本で忙しく仕事をして、また香港に飛ぶらしい。
今度は仕事ではなく、奥さんの里帰りだという。
ススキダの奥さんの実家が、香港だというのだ。

知らなかった。

お互い余計なことは聞かないし、言わないという付き合いをしてきたが、友人の奥さんの出身を知らないというのは、間抜けである。

「香港生まれ? えっ、すると、あれかい? つまり……、外…、ん? ああ、つまり…」

「そうだよ、チャイニーズ。俺の親父も帰化したけど、中国人だったんだ。ニーハオ!」
「おう! ニーハオ。ランラン、カンカン」
「トントン」
そう言いながら、ススキダのかん高い笑い声が聞こえた。
笑い声だけは、女っぽいという変な男だ。

「うまい中華料理をたくさん食って、太って帰ってこい」
私がそう言うと、遠慮がちにススキダが言う。
「土産、買うつもりだが、もらってくれるか」

どこまでも律儀で謙虚なススキダである。
こんな男だから、彼との会話で不快感を感じたことは、一度もない。
知り合ってから四年、濃厚な付き合いをしてきたとは言い難いが、こんな友人がいてもいいのではないかと思っている。

「元ナースは、チャイナドレスを着るのか」
「へぇ〜、アンタ、そんな趣味があったのか。それも土産に考えておこう、じゃあな」
慌てて取り消そうとしたが、もう電話は切れていた。

チャイナドレスを土産にもらったら、どうすればいい?



2006/11/06 AM 08:15:11 | Comment(0) | TrackBack(6) | [Macなできごと]

新庄剛志
めまいも治り、毎月5日締めの仕事も2日夜に校了になった。
あとは3つ残っている仕事を、平行してこなしていくだけだ。

気が付くと、今年もあと二ヶ月。
そして、気が付いたら新庄剛志が引退していた。

最近の私は、アマチュア、プロに限らずメジャーリーグにも興味がない。
高校野球は未熟で非科学的だし、プロ野球はダラダラと試合時間が長いし、メジャーリーグは審判が下手だし、パワー信仰のせいでドーピングで汚染まみれだし、スポーツとしての美しさが感じられない。

今年の日本シリーズも、私の中では、いつの間にか始まって、知らない間に終わっていた感が強い。
ただ、「北海道日本ハムファイターズ」が優勝したのは知っている。
テレビのニュースで見た。

何十年ぶりかの日本一は、ファンにとって、最大のご褒美だろう。
しかし、そのご褒美の代わりに、新庄剛志がいなくなる。

新庄に関しては、私はあまり知らない。
メジャーリーグ時代も、それほど活躍したという記憶はないし、阪神時代も日本ハムに来てからも、私の中では記憶が薄い。

記録に残る選手より、記憶に残る選手になりたい。

これは、本当に新庄がこう言ったのかは定かではないが、スポーツニュース系のネットで、彼の言葉として紹介されていた。

ただ、申し訳ない言い方になるが、新庄剛志は、記録には残っていないし、記憶に残る選手だったとも言いがたい。
外野手としての守備力では、メジャーリーグを含めても、超一流の部類に属することは間違いない。しかし、打者としての彼は、良くて二流といったところではないだろうか。

私の記憶に残っているのは、新庄の外野手としての強肩だけだ。
あとは、様々なパフォーマンス。
パフォーマンスだけで記憶に残る、というのなら、確かに新庄は記憶に残っている。
ただ、それは野球選手としてではない。
エンターティナーとして、残っている。

そんな新庄を、私はいいと思う。
日本のプロ野球は、高校野球の無個性を引きずっているから、「基本」を言い訳にして、「魅せる」をおろそかにしている。

そんな中で、新庄剛志が果たした役割は大きいと思う。
新庄がいなければ、日本ハムは変わらなかったろうし、日本ハムが変わらなければ、今回の日本一はなかったはずだ。
だから、この日本一の最大の功労者は、新庄である。
たぐいまれな強肩と強運を持った、新庄剛志の果たした役割は大きい。
MVPという意味ではないが、最も価値ある存在だったと言えるだろう。

そう考えていたら、以前読んだ「読売新聞」のスポーツ欄を思い出した。
我が家では、新聞を取っていないので、同業者の事務所に置いてあったものを読んだ。
私は主要紙の新聞紙面の中で、スポーツ欄が一番つまらないと思っているので、いつも飛ばし読みをする。
特に読売は、見苦しいほど「巨人」を売り込んでいるので、目障りである。
それだけで、読む気がなくなる。

だから、いつもは読まないのだが、同業者のサガさんに「ここ読んで見ろよ」と言われたので、読んだ。

記事の主旨はこうだ。

新庄の、野球とはあまり関係のないパフォーマンスを喜ぶのは子どもだけで、大人にはわからない行為である。新庄が観客動員に関して貢献したのは認めるが、「所詮大人としては」理解しがたいパフォーマンスだ。

今どき、こんな紋切り型の拙劣な文を書く「大人」が大新聞にいるとは思わなかった。
新庄のパフォーマンスがわかるのは子どもだけで、「大人である私には」わからない、と決めつけているのだ。
つまり、新庄ファンはすべて子どもだと言っている。

この決めつけの根拠はいったい何なのだろう。
新庄の「かぶり物」が気にくわないから? マスコミを意識した言動が気にくわないから?
この「決めつけ」こそ、私には理解しがたいものだ。

サガさんは熱心な巨人ファンで、新聞は「読売」「報知」という人だが、この文章には呆れていた。

「人って、自分が理解できないことにぶつかると、それを否定するために、物事を決めつけないと落ち着かないんだろうね」

私も、サガさんの言うとおりだと思う。
この記事を書いた人にとって、新庄はエイリアンなのだろう。彼にとってエイリアンは存在してはいけないものなのだ。だから、否定しないと落ち着かない。
それを、「自分は大人だから」という理由付けで、誤魔化そうとしているのではないか。

しかし、本当の大人なら、こんなものは記事にするほどの価値はないと思うはずだが、それが通ってしまうところに、巨人ボケの読売新聞の幼稚さが表れている。

私は子どもなので、新庄のパフォーマンスが好きだった。

ただ、新庄は私の中では、記録にも記憶にも残らない。
それに、記憶に残るだけでは、アスリートとしては不完全だ。

記録にも記憶にも残るのが、一流のアスリートだと思うからだ。



2006/11/04 PM 01:06:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]

めまいが治った日
突然、めまいが治った。

発症の始点から換算すると、ほぼ二週間。
いつも二週間前後で治る持病だから、突然治ってもおかしくないのだが、治る時はいつも唐突である。

何の前触れもない。

朝目覚めると、地面が揺れていないという感覚。
立ち上がっても、歩いても揺れていない。
健康な時は当たり前のことだが、それが妙に嬉しい。

しかし、不思議な病気である。
突然始まって、突然終わる。
何が切っ掛けで始まるわけでもなく、何が切っ掛けで終わるわけでもない。

前日は普段通り朝起きて、息子の弁当を作り、家族の朝飯を作った。
その後、大宮の印刷会社に行って、Macのメンテナンスをした。
それから、同業者の事務所に行って、インターネットを使わせてもらい、「宅ふぁいる便」で取引先にデータを送った。
この時は、まだまわりが揺れていた。

午後は、熊谷のハウスメーカーとの打ち合わせ。
そして、4時半にまた同業者の事務所に図々しく押しかけ、PCを使わせてもらった。
そこで、SUNTORYの新しい発泡酒「ジョッキ黒」を飲ませてもらった。
発泡酒にしては、美味い! リッチな味がする。

感動していたら、2本、お土産にくれた。
感動してみるものである。

この時も、めまいは感じていた。
発泡酒を飲みながら、事務所の天井が揺れるのを感じていた。

帰りに、「隠れ家」に寄った。
途中にあるコンビニで、おでん(はんぺん、ゴボ天、大根、タコ串)を買ってきたので、それをつまみながら、同業者にもらった「ジョッキ黒」を飲んだ。

コンビニのおでんはなぜこんなにも美味いのか。
タコなど、絶品である。
我が家では、子どもがタコ嫌いなので、食卓にタコが並ぶことはない。
久しぶりのタコだが、それを差し引いても、コンビニのタコは美味い!

隠れ家は事務所だけの灯りなので、ほの暗いが、この暗さが落ち着くのだ。
たまにそばを通る大型トラックの音が聞こえるが、それ以外は静かだ。

ラジカセでCDをかける。
Joe Cockerの古いアルバム「Mad Dogs & Englishmen」である。
ジョー・コッカーというのは、今では忘れ去られたシンガーかもしれないが、ある時期まばゆいほど輝いていた、白人のR&B(リズム・アンド・ブルース)シンガーである。

今流行りのエアギターもどきのパフォーマンスと苦しげに声を振り絞る歌唱法は、海外の色々なアーティストに影響を与えていた。
そして、この「Mad Dogs & Englishmen」は、そのジョーのシンガーとしての頂点に立つものである。

神懸かりと言えるほど荒々しいライブのジョー・コッカー。
間近に飛び散る汗を想像できるほど熱唱するジョー・コッカー。
先年亡くなったRay Charlesを模倣したような構成だが、その完成度はレイ・チャールズを凌駕している。
今は過去の人になったLeon Russell(レオン・ラッセル)がバンドリーダーになってピアノを弾いているが、レオンにとってもこれが最高の作品と言えるほど、荒削りでパワフルなブルース・ピアノを弾いている。

全21曲、どこにも破綻がない。
これほど熱い音を連続で聞かされたら、途中でウンザリしてくるものだが、一気に聴けるのだ。
何もない空間に、Joe Cockerのソウルが充満する。
まるでここがフィルモア・イーストであるかのような臨場感。
「ジョッキ黒」を飲みながら、思わず両足でリズムを取る自分に、笑いが出る。

この時も、周囲は揺れていた。身体に馴染んだ揺らぎである。

Joeのライブを堪能して、家に帰った。
7時を過ぎていた。
夕飯はおでんだ。
私が作るおでんは、野菜が中心である。

大根、ジャガイモ、ニンジン、里芋、レンコン、タマネギをまるごと、キュウリ、セロリ、ピーマン、ブロッコリー、カリフラワー、ベーコン、竹輪、ちくわぶを、水1:日本酒1の割合で土鍋で煮込んでいく。
煮込んだあと灰汁を取ったら、顆粒のカツオダシと昆布ダシを入れて、また煮込む。
大根が柔らかくなったら、薄口しょう油と砂糖を入れて、また煮込む。

最後に、はんぺんを入れ、しゃぶしゃぶ用の豚肉スライスを巻いて爪楊枝で刺したものを入れて、5分ほど煮込んで火を止める。
これが我が家のオリジナルおでんである。
自慢ではないが、美味い。
今日食べたコンビニのタコ串には負けるかもしれないが、子どもたちは、「うめえぞ、これ」と言って、あっという間に平らげる。
残った汁にご飯を入れて雑炊にするのだが、これもあっという間になくなる。

夕飯の後は、いつもより長めに風呂に入り、一時間ほど仕事をして一時前に寝た。
寝る前もまだ、まわりは揺れていた。
それがもう当たり前になっていたので、気にしないで寝た。

そして、朝起きると、めまいは跡形もなく消えていた。
気まぐれなめまいの妖精に翻弄された二週間。

朝久しぶりに7キロほどジョギングをしてみたが、走った後の発泡酒の旨さを実感しただけで、めまいはまったく感じなかった。

汗が心地よかった。
そして、日常が戻ってきた。


2006/11/02 PM 12:49:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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