Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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「柿の種」中毒の娘
娘が、秋の林間学校に行っていたので、三日間いなかった。
いつも当たり前のように隣で寝ていた娘が、横にいないという現実は、私の睡眠にこれほど影響を与えるものなのか。

火曜の夜は、一時に仕事を終えて、寝た。
しかし、二時半に目が覚めた。隣を見ると、娘はいない。
それからは、目がさえて眠れない。
焼酎を炭酸で割って2杯飲んだが、興奮して余計眠れなかった。
結局、起きていた。

水曜の夜。
一時に仕事を終えて、NIKKAの黒ラベルをストレートで飲んで寝た。
寝不足もあって、すぐ眠りについたが、四時に目が覚めた。
隣を見ると、娘はいない。
またNIKKAの黒ラベルを飲んだが、寝られなかった。
結局、起きていた。

そして、木曜の午後5時過ぎ、娘が帰ってきた。
その第一声。

「柿の種、喰いてぇ〜!」

「柿の種」中毒の娘は、亀田製菓の柿の種を毎日食べる。
我が家は、米は切らしても、柿の種を切らしたことがない。

「どうだ、面白かったか」
それには答えず、重いバッグをドサっと置いて「柿の種、柿の種」と、柿の種めがけて走っていく娘。

父親との久しぶりの語らいより、「柿の種」が大事な娘。

いい子に育ってくれたものである。


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娘が帰ってきた嬉しい日、川崎の実家から電話があった。

「来月の十日、手術するから」
母が言う。

手術! 八月にしたばかりなのに、また手術?
ちょっと待った!
俺、聞いてないぞ!

「今、始めて言うんだから、聞いてないのは当たり前でしょ」

確かに、そうだ。

詳しく聞いてみたが、今ひとつ要領を得ない。
姉が付き添っていったのだが、医師に言われるままに「手術同意書」にサインをしてしまったと言うのだ。

私の姉は、判断能力がない。
母も八十を過ぎて、ボケてはいないが、理解能力が少々落ちている。
専門的なことを言われると、二人とも思考が停止する。
私の小学五年の娘の方が、物わかりがいい。

母は、今年になって二回手術をしたが、最初の手術はしなくてもよかったのではないか、と私は思っている。
術後、母の病状がまったく改善しなかったからだ。
この時は、仕事が詰まっていて、診察に立ち会うことができなかった。
姉は、医師の話を聞きっぱなしで、頷くことしかできない人だ。
疑問点を問いただす能力がない。
そこで、しなくてもいい手術に同意した。

そのことがあったから、二回目は病院を変えて、私が担当医と徹底的に話し合って、一番負担のない手術方法をお願いした。
その結果、母は普通の生活ができるようになった。

それからまだ二ヶ月しかたっていないのに、また手術!
八十過ぎの老人が、年に三回も手術するというのは、異常事態だ。
よほどの緊急性がなければ、必要ないだろう。

しかし、母は、こうして普通に電話で会話しているのだから、緊急性があるとは思えない。
私は、担当医に直接電話して、経緯を聞いた。
担当医は、母が血を少量吐いたので、いつかはもう一度手術をしなければいけないかもしれない、と言ったらしい。

それを姉が「いつか」というのを聞き飛ばして、「ぜひ手術してください」とお願いしたらしい。
医師は、もう少し経過を見ましょう、と言ったのだが、姉はその言葉を聞かず「ぜひ」と重ねてお願いしたのだという。

そこで、「まあ、いつかはしなければ」と思っていた医師も、それに同調して手術に踏み切った、という次第。

夜遅かったが、私は大慌てで川崎の病院まで出かけて、頭を下げ、手術同意書を破棄してもらった。

大病院の医師というのは、患者を見ない。
患者の病気や身体は診るが、患者自体を見ず、カルテを見る。

私の母は、八十過ぎて大病を患っているが、普通に歩ける。階段の上り下りも、ゆっくりだが一人でできる。
日常生活で、人の助けを必要としない。

医師は、そこだけを見て、元気だと言う。
血液検査の結果や血管の状態を見ても、問題ないと言う。
だから、手術にも耐えられるはずだと言う。

しかし、母の「人様に迷惑をかけたくない」という心意気は、彼らの目には見えない。
それは当たり前のことだ。
だから、家族が医師にそれを説明する必要がある。
カルテにないことを伝えるのが、患者の家族の役割だからだ。

医師というのは、多くの場合、馬鹿ではない(はずだ)。言えば分かる(はずだ)。
つまり彼らは、こちらが伝えなければ、患者の「本質」を理解できないのだ。
患者の家族は、そういったことを面倒臭がってはいけないと思う。
医師だって、我々と同じレベルの人間だ。特別ではない。ただ、医学の知識が、我々より少し豊富なだけだ。

今回、私は医師にこう言った。

母は階段も上れるし、食事も自分で作る。気丈だ。しかし、だからといって、八十過ぎた老女の現実はそんなに甘いものではない。
最初の手術の時、回復の遅さから「寝たきり」を覚悟し、「死」さえ覚悟したという。
それを精神力で乗りきった。
しかし、一度、精神力で乗り越えたからといって、次も乗り越えられるとは限らない。
だから、次の手術がもしあるとしたら、とにかく慎重にやって欲しい。
母は、普通なら「寝たきり」でもおかしくないほど重い病なのだから、カルテ以外のところを見て治療をして欲しい。


それを聞いて、私より若い医師は、鈍そうな表情を変えることなく、「はい」と面倒臭そうに頷いた。

その表情から察すると、本当にわかってくれたとは考えにくいが、伝えるべきことは伝えた。
こちらの主張が、カルテの「見えない部分」に少しでも痕跡を残してくれたら、決して母にとって、無駄ではないはずだ。

しかし、よく考えてみると、一人で歩けるんだから手術は大丈夫ですよ、という考えは少しも科学的ではない。
何となく説得力はあるような気がするが、騙されているような気もする。
もう少し、まともな基準がないものだろうか。




2006/09/29 PM 12:33:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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