Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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アベ氏は「タカ」になれるか
ニュース番組に総裁選3氏が出ていた。
筋書き通りのドラマを見ているようで違和感があったが、茶番だと思えば何でもない。
結末は、どうせ「水戸黄門」のようにわかりきっている。

そんなことより、いま私が気になるのは、アベ氏が前任者の方針を継いで、「ぶら下がり記者会見」をやるかどうか、だ。
メディアは、何としてでも「ぶら下がり記者会見」の権利が欲しいだろうが、私はアベ氏にはその手法は取らないで欲しい、と願っている。

なぜなら、政権を利するだけの会見は、フェアではないからだ。
あれは「報道」ではなく「宣伝」に過ぎない。

前任者は、「ぶら下がり記者会見」の恩恵を最大限受けて、政権を維持した。
実態の伴わない、勢いだけのフレーズを散りばめて、自己PRの種とした。
毎日、内容のない「ひとりごと」を電波に乗せて、支持率アップの材料とした。

それをメディアは、「ソーリの声」として、まるで大切な宝物のように、金の台座に押し上げるがごとく扱っていた。
その「お言葉」を崇(あが)める姿は、とても民主国家のメディアのものではない。
なぜ、ここまで無批判になれるのか、私には到底理解できない光景だった。

アベ氏がソーリを継ぐに当たってのメディアの予測記事にしても、いつもながらではあるが、単なるリポートに終始している。

海外メディアがどう思っているか、を伝える記事でお茶を濁している。
諸外国メディアの論調を伝えるだけで、他人の意見を書き写す作業しかしない。
あるいは、国内の有力者の論評を伝えるだけという、いつもながらの芸のない報道方法も。

立候補者3氏の政策を伝えることは、当然のこと。
誰がどういう政策をとっていて、その違いはどこにあるかを伝えることも、メディアとしては当然のことだ。
しかし、メディアにはそこから先の「論」がない。
「アソウ氏の政策には日本の未来像が見えない」と○○氏が批判した、というのは「論」ではなく、ただの「記事」である。
また、支持者に判断させて、○×で判定させるだけ、という思考能力ゼロの記事もあった。
もうそろそろ、メディアは人の意見の陰に隠れるのをやめたらどうか。

権力に阿(おもね)ることだけ覚えて、自らの言葉を使うことを忘れたメディアは末期的だ。

コイズミ氏は、政権初期から人気取りの道具として「会見」を利用していた。そして、任期が切れる寸前に、「もうお役ご免」と言って、会見の回数を削減した。
こんなことをされたら普通は「虚仮(コケ)にされた」と憤るはずなのだが、メディアは回数を減らされたことに、ただうろたえるだけだった。

コイズミ氏は、「同じ質問ばかりだから、2回は無意味じゃないかと思った」と、今さら言っているが、それがあったからこそ、彼は高い支持率をキープできた。
もしこの「(言い訳と強弁のための)会見」がなければ、歴代のソーリと同じ末路をたどったに違いない、と私は思っている。
コイズミ内閣に限っては、メディアは「会見」の中で、内閣の「弁護士」の役目を担っていた。

しかし、任期切れの段階になってしまえば、「会見」を辞めたとしても支持率に影響を及ぼすことはない。
コイズミ氏にとって、「会見」を義務化する必要は、もはやない。

つまり、メディアは、捨てられたわけだ。

「思い人」に捨てられたのに、気付かないメディアこそ、「あはれ」である。

そして、新しい「思い人」をアベ氏と定めたメディアは、「ぶら下がり記者会見」にすべてを託すだろうし、アベ氏は今の人気を維持するために、それを受け入れるかもしれない。

ただ、アベ氏が骨の髄まで「超タカ派」であるなら、こんな軟弱なメディアは相手にしないで欲しい。
前任者のように、まるでお調子者のプレイボーイ(死語?)のごとく、メディアを弄(もてあそ)ぶことはやめてほしい。
言葉だけでなく、筋の通った行動でこの国をリードして欲しい。

中身のないメッセージを毎日電波にのせることなどせずに、政策の魅力で無党派層を引きつけて、掲げた政策から逃げないでほしいものだ。

「私は何としても8月15日に、靖国神社に参拝する!」
そう言いながら、4年間公約を守らなかった男がいる。
そして、任期が切れる寸前に、厚顔にも「公約はまだ生きている」と宣言して、胸を張って参拝した男がいる。

年金問題で追求されたとき「人生いろいろ」と言って世間をバカにした男がいる。
「大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守れなかったというのは大したことではない」と開き直った男がいる。

特殊法人や財政投融資制度を骨抜きにして、史上に名を残すために「郵政改革」をひたすら主張した男がいる。

そして、改革をただ「言葉だけのレベル」に落とし込めた男がいる。

そんな男を模することは、「超タカ派」の名折れである、とアベ氏には思って欲しい。
そうでなければ、彼の同郷の先達「吉田松陰」に笑われるだろう。

鷹は鷹らしく…、私はそう願っている。(私自身、タカ派とは肌が合わないが…)



2006/09/19 AM 11:35:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]



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