Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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モザイクの世界
事件の被害者というのは、死に損である。
自分の意思にかかわらず、その人の時が突然に止まる。いや、停止させられる。
昨日から今日へ、当然のように流れる時の流れが、その人だけ遮断されるのだ。

理不尽としか言いようがない。

犯罪者にも事情はある。
だからこそ、弁護士という職業が儲かっている。
その道理はわかる。
やむを得ない犯罪というものがあるのかもしれない、という想像力を働かせることはできる。
その人たちの言い分を聞くことは、決して無駄ではないだろう。

しかし、そんな現実を差し引いても、被害者は、無惨だ。
未成年者の場合は、特にそれを強く感じる。

犯罪者は未成年の場合、顔も名前も出ないのに、被害者は出てしまうのだ。
名前と顔を晒(さら)され、近所の風景も晒され、友人知人や恩師の他に、野次馬的な第三者までもが登場人物に加えられる。
彼らは好むと好まざるとに関わらず、犯罪劇の登場人物にさせられるのだ。(中には、積極的に登場したがる人もいるようだが)

未成年の被害者は、過去の写真を探し出され、衆目のもとに晒される。
映像があれば、その映像も晒される。
晴れやかな笑顔で日常を飾る彼らの姿と、いったいその犯罪とどんな関係があるのか。

こんなにも罪のない彼らの日常を壊した犯人が憎い。
犯罪に巻き込まれなければ、彼らはこの先もこの笑顔を人に見せることができただろう。
犯罪者は彼らからその機会を奪ってしまった。何と痛ましいことか…。
メディアは、この映像を使って、そう訴えたいのだろう。

だが、そんな映像などなくても、犯罪の酷(むご)さを伝えることは可能なはずだ。
被害者の日常を晒すより他に、手法を持たないニュースメディアというのは、確実に凶器である。
刃を被害者の方に向けている。

他の局と少しでも違う映像こそ特ダネである。
まるで、被害者にプライバシーなどない、と言わんばかりだ。

被害者たちは、関係者たちへのインタビューの中で、彼(彼女)の日常生活を暴かれ、たった数人の評価で、その人格を特定される。

明るい人だった。
優しい人だった。
礼儀正しい人だった。
取っつきにくい人だった。
派手な人だった。
トラブルをいつも抱えた人だった。

被害にさえ遭わなければ、彼らはそんな風に片方の視点だけで人格を定義されることなど、なかったに違いない。
たった数人の声が、彼らの人格を決定づける。

そして、未成年の犯罪者は、モザイクの向こうでどんな顔をしていても、晒し者にはならない。
たった数人の評価で人格を特定されるのは、被害者と一緒だが、奇妙なことに、彼らはモザイクの世界で完全に守られている。

被害者には未来がない。
しかし、犯罪者には未来がある。
未成年者なら尚更だ。
その未来を、モザイクで守ろうということなのだろう。

しかし、被害者に未来がないからといって、被害者の過去を晒し者にするという手法が、平然と常態化するというのが、私には理解できない。
だから、私はこう思う。

被害者は、二度殺される。

そして、犯罪者は、モザイクの世界で、たやすく未来を手に入れる。
さらに、メディアは報道しっぱなしで、終わる。



2006/09/02 AM 10:01:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | [メディア論]



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