Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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貝になる
「親の七光りのくせに威張りやがって!」

取引先の担当者が、席に着くなり吠えた。
おそらく、社長に叱られたのだろう。
目が吊り上がっている。

こういうときは、何を言っても無駄だろうから、私は知らんぷりをしている。
仕事の話もしないし、世間話もしない。
気持ちよく話ができるわけないのだから、ひたすら黙っている。

そうすると、相手は気まずそうな顔になって、機嫌を取るようにこう言った。
「イヤになりますよ、親の七光りで社長になったのに威張り散らすなんて。他の会社だったら、課長にだってなれっこないのに、それがわかってないんだから」

こういう時はどう答えていいのか、答えに窮する。
「親の七光り、本当に嫌ですよね。苦労知らずのお坊ちゃんに務まるわけがありませんよ」
と言えばいいのか、
「まあ、どこの会社も二代目はそんなもんですよ」と言えばいいのか。

どちらにしても、当たり障りのないことを言うしかないが、大抵は面倒臭いので黙っている。
たとえ心の中では、こんなことを思っていたとしても…。

社長が代替わりしても、この会社の業績は変わってないように見える。
つまり、二代目はそれなりに能力があると言うことだ。
日本の社長の約95パーセントが世襲だというデータがある。
つまり、親から子へ、社長の椅子が当たり前のように移っているのだ。
現代は、町中で石を投げれば二代目に当たる、という時代だと言ってもいい。
しかし、私が一番彼らに同情するのは、こんな点だ。
彼らは、事業が順調にいけば「親の七光り」と言われ、失敗したら「バカ息子」と言われる。
どちらにしても、何か言われる運命にある。
それに比べて、我々は成功しても失敗しても、すべてが自分の力だ。色眼鏡で見られることがない。
だから我々は、二代目より、はるかに気が楽だ。


ただ、こんなことを言ったら、メシの種が逃げていくから、無表情に頷くしかない。
何か言うと、本音が出そうになるので、黙っている。
自分の顔が少しずつ不機嫌な顔になっていくのがわかるが、沈黙は金である。貝になるしかない。
余計なことを言うよりはいい。

そんな風に黙っていたら、相手は突然話題を変えてきた。

私の苦手な「高校野球」の話である。
コマダイなんとかとワセダなんとかの試合を見て感動した、というものだ。
これは私にとって、「親の七光り問題」よりも困る話題である。

高校野球にはまったく興味がない。全身が拒絶反応を起こす。
20年以上テレビ中継を見たことがないし、ニュースも見ない。高校野球の話題になると、チャンネルをすぐ切り替える。
もともと新聞のスポーツ欄を飛ばして見る方だから、甲子園大会がいつ始まって、いつ終わるのかも知らないし、有力校がどこかも知らない。

あんな未熟で前時代的なもののどこが面白いのか、理解できないからだ。
高校野球には、サッカーで言うところの「ファンタジスタ(創造性溢れる選手)」がいない。
「型破り」は、真っ先に排除される。
監督と投手だけが目立っているだけ。だから、選手に個性がない。
基本に忠実という言葉で誤魔化されているが、選手に主体性を持たせない教え方をしているとしか思えない。

そして、高校野球ほど「勝つことにこだわる」スポーツはないのに、きれいごとに終始している点がうさん臭い。
炎天下、高校生に二日続けて百何十球も投げさせる神経がわからない。(時に三日続けて、という場合もある)
それは私には虐待に見えるが、誰も何とも感じないところが不思議だ。
肩が消耗品だというのは、もはや常識である。しかも、彼らは高校生。まだ、成長途中なのに、これほど酷使するのは、監督の頭の中には勝つことしかないからだろう。育てるという意識がない。
チームが勝つためなら、選手が一人ぐらい潰れても許される、という勝利至上主義。

なぜサッカーのように、一週間に一度、あるいは二度という対戦スケジュールが組めないのか。
誰も選手のことなど考えていない。

連投できないのは、「根性」がないからだ!
これは明らかに論理のすり替えだが、こんな前時代的な指導者が優秀だともてはやされるのが、高校野球である。

身体の出来上がったプロでさえ中5日が常識なのに、高校野球では連投が常識である。
どんなに非科学的でも、それが常識になってしまえば、誰も文句を言わない。
文句を言う私などは、変わりもの扱いである。(確かに「変わりもの」だが…)

誰も彼の肩を壊す権利はないのに、「汗と涙の甲子園」のキャッチフレーズのもとなら、どんな非科学的なことをしても許される、とみんな思っている。
監督や学校経営者、新聞社、テレビのためだけに存在する「甲子園大会」。
そして、試合を見て感動すれば、それで満足の観客たち。

甲子園大会は、感動するための道具になっている。
誰も選手のことなど考えていない。

しかし、感動真っ直中の人に、こんなことを言っても喧嘩を売っていると取られかねないので、「甲子園」の話題が出た時は、私はひたすら黙るだけである。

だから、甲子園の話題が出ると、私は貝になる。



2006/08/22 AM 10:42:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]



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