|
|
● 靖国 亀田 |
|
公約は生きているんだそうである。 では、その生きた公約を過去4年間守らなかったのは、一体誰なのだろう。
彼は、靖国神社にはいつ行ってもいいんです、とも言っていた。 それなら、なぜ公約通り、8月15日に参拝しなかったんだろうか。 いつ行ってもいいのなら、公約は守れたろうに。
それをなぜ、今さら開き直る? なぜ、メディアのせいにする?
「いつ行っても批判してんじゃないですか」
ソーリは、メディアに当たり散らしているが、幼児性丸出しである。 自己の言葉を省みて恥じるという明晰さがない。
もし、8月15日に参拝したら、 「公約を守れというから、参拝したんです! 公約を守ったじゃないですか!」 と強弁するんでしょうね。 そして、またしても支持率は上がる(不思議な世論だ)。
ベネズエラのランダエタが、試合前に亀田興毅におむつとおしゃぶりをプレゼントしたように、私もソーリにおむつとおしゃぶりを進呈したい気分だ。
子どもだ!
そもそも、この国のメディアは、時の政権を批判したりはしない。 ソーリがイスラエルやモンゴルではしゃぎ回っていても、それを伝えるだけである。 それらの訪問がどんな意味を持つのか、あるいは持たないのか、伝えようとしない。 その報道は、まるで夏休みの絵日記のように、無邪気で緊迫感がない。 メディアはいつも及び腰である。政権に気を遣う様は、独裁政権下のメディアに似ている。 しなくてもいい自己規制で、腰砕けの報道しかしない。
旧聞だが、731部隊のニュースで安部晋三のポスターが映ったといって大騒ぎをしていた。 そのニュースを見ていないので無責任な感想になるが、それが意図的にしろ、サブリミナルを狙ったにしろ、テレビ局が自己のポリシーに沿って作ったものなら、私はかまわないと思う。 国民の不利益にならない限り、報道は原則自由だ。規制すべきではない。自己規制などもってのほかだ。
安部晋三に対するネガティブ・キャンペーンを確信犯的にしたのなら、TBSもあっぱれと言っていい。 骨太な報道だと感心してもいい。
ソーリが開き直るように、メディアも開き直ればいい。 ただ、その後のTBSの言い訳を見ると、見事に腰が砕けている。 いつもながらの弱腰メディア丸出しになっている。 メディアは、実力者に対して喧嘩を売らない。 弱者に対しては、徹底的に叩き、根こそぎ人格を喪失させる。 そして、実力者が怒ると震え上がる。実にみっともない集団である。
靖国参拝にしても、批判はしていない。 ただ、周辺諸国の反応を伝えているだけである。 ソーリはそれを「批判されている」と勘違いしている。 どっちもどっちだ。
一頭のライオンがいる。 ライオンは本来は、王のようにゆったりとしているものだが、このライオンは些細な音にも敏感に反応する。しかも、意味もなく吠えることだけは忘れない。 格好の餌であるシマウマの群を見るときも、神経質な視線でしか見られない。 シマウマもライオンが臆病なのがわかっているのだが、力では明らかに分が悪い。 誰もが逃げ腰で、遠巻きに見つめるだけである。
ライオンは近々リーダーの座を降りる。 ライオンは、その前に伝説のライオンの墓に行きたいのだが、それをするには、シマウマの群を通っていかなければならない。
俺は強いんだ。俺は百獣の王だ。 ライオンは虚勢を張るが、シマウマの大群の反応も気にかかる。 だが、シマウマたちもこう思っている。 あのライオンはただ吠えるだけで、王としての力はない。 しかし、ライオンはライオンだ。 怖い。 だから、他のグループのライオンを連れてきて喧嘩をさせようか。
このように、シマウマはどんなときも自分で戦おうとしない、卑劣で臆病な集団である。
。+゚゚+。。+゚゚+。。+゚゚+。。+゚゚+。。+゚゚+。。+゚゚+。。+゚゚+。
続いて、亀田興毅。
戦う前、私は彼の負けを予想していた。また、たとえ負けるにしても、多少はまともに戦ってくれると思っていた。 しかし、予想に反して、亀田は防御が8回戦ボーイ並みにお粗末だったが、それなのに勝った。
試合後、色々言われているようだが、亀田は悪くない。 彼は、力を尽くして闘ったのである。 判定を下したのは、彼ではない。ジャッジだ。 だから、判定に文句があるなら、ジャッジを叩くべきで、亀田が叩かれるのは筋違いだ。
将来有望な選手を、筋違いのバッシングで消耗させてしまっていいのか。 メディアの役割は、バッシングに荷担することだけなのか。
以前私は、「亀田興毅は美しくない」と、このブログに書いた。 その考えは今も変わらない。 あのパフォーマンスは、王者に相応しくない。 父親も含めて、幼稚で、醜い。
だが、リング上の亀田は、悪くない。 美しくはないが、才能を感じさせる。 今回、その才能にも若干疑問符がついたが、最後まで立っていた精神力は認める(ランダエタに勝つ気がなかったという見方もできるが)。 だから、それから先のことは、亀田の責任ではない。
「ボクシングでは、あの判定は当たり前ですよ。それがボクシングというものです」 したり顔で言う、元王者。あるいは、ボクシング関係者。
つまり、あなたたちの過去の栄光も、それがダーティだったことを認めたわけだ。 ボクシングをスポーツと呼ばせたいなら、そろそろ判定のシステムを変えるべきではないだろうか。 判定の基準は、単純に有効打の優劣だけにした方が判りやすいかもしれない。 アマチュアボクシングのように、ダウンが判定基準にならないというのは問題だが、ダウンの評価基準を大きくすれば、今回のような矛盾点はなくなる。
今回はジャッジが亀田の有効打を、ランダエタの手数より評価した、などと言っている人もいるが、それは単に推測だろう。 ジャッジは何も言っていないのだ。 都合のいい解釈は、話をわかりにくくする。
今回、亀田は王者にはなったが、真の実力をさらけ出した。 亀田にとっては、負けた方が得るものが大きかったのではないか。 勝利に疑惑をもたれ、亀田フリークはさらに、感情的に亀田一家を弁護しなければいけなくなった。 どちらも惨めで、見苦しい。
ボクシングジムに通った経験があるものにとって、12ラウンド戦った選手の尊厳が失われるのを見るのはつらい。
ボクシングを、本来の意味のスポーツに戻して欲しいと思う。
|
2006/08/14 AM 09:11:26 |
Comment(0) |
TrackBack(0) |
[メディア論]
|
|
|
|
(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.
|