Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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靖国 亀田
公約は生きているんだそうである。
では、その生きた公約を過去4年間守らなかったのは、一体誰なのだろう。

彼は、靖国神社にはいつ行ってもいいんです、とも言っていた。
それなら、なぜ公約通り、8月15日に参拝しなかったんだろうか。
いつ行ってもいいのなら、公約は守れたろうに。

それをなぜ、今さら開き直る?
なぜ、メディアのせいにする?

「いつ行っても批判してんじゃないですか」

ソーリは、メディアに当たり散らしているが、幼児性丸出しである。
自己の言葉を省みて恥じるという明晰さがない。

もし、8月15日に参拝したら、
「公約を守れというから、参拝したんです! 公約を守ったじゃないですか!」
と強弁するんでしょうね。
そして、またしても支持率は上がる(不思議な世論だ)。

ベネズエラのランダエタが、試合前に亀田興毅におむつとおしゃぶりをプレゼントしたように、私もソーリにおむつとおしゃぶりを進呈したい気分だ。

子どもだ!

そもそも、この国のメディアは、時の政権を批判したりはしない。
ソーリがイスラエルやモンゴルではしゃぎ回っていても、それを伝えるだけである。
それらの訪問がどんな意味を持つのか、あるいは持たないのか、伝えようとしない。
その報道は、まるで夏休みの絵日記のように、無邪気で緊迫感がない。
メディアはいつも及び腰である。政権に気を遣う様は、独裁政権下のメディアに似ている。
しなくてもいい自己規制で、腰砕けの報道しかしない。

旧聞だが、731部隊のニュースで安部晋三のポスターが映ったといって大騒ぎをしていた。
そのニュースを見ていないので無責任な感想になるが、それが意図的にしろ、サブリミナルを狙ったにしろ、テレビ局が自己のポリシーに沿って作ったものなら、私はかまわないと思う。
国民の不利益にならない限り、報道は原則自由だ。規制すべきではない。自己規制などもってのほかだ。

安部晋三に対するネガティブ・キャンペーンを確信犯的にしたのなら、TBSもあっぱれと言っていい。
骨太な報道だと感心してもいい。

ソーリが開き直るように、メディアも開き直ればいい。
ただ、その後のTBSの言い訳を見ると、見事に腰が砕けている。
いつもながらの弱腰メディア丸出しになっている。
メディアは、実力者に対して喧嘩を売らない。
弱者に対しては、徹底的に叩き、根こそぎ人格を喪失させる。
そして、実力者が怒ると震え上がる。実にみっともない集団である。

靖国参拝にしても、批判はしていない。
ただ、周辺諸国の反応を伝えているだけである。
ソーリはそれを「批判されている」と勘違いしている。
どっちもどっちだ。

一頭のライオンがいる。
ライオンは本来は、王のようにゆったりとしているものだが、このライオンは些細な音にも敏感に反応する。しかも、意味もなく吠えることだけは忘れない。
格好の餌であるシマウマの群を見るときも、神経質な視線でしか見られない。
シマウマもライオンが臆病なのがわかっているのだが、力では明らかに分が悪い。
誰もが逃げ腰で、遠巻きに見つめるだけである。

ライオンは近々リーダーの座を降りる。
ライオンは、その前に伝説のライオンの墓に行きたいのだが、それをするには、シマウマの群を通っていかなければならない。

俺は強いんだ。俺は百獣の王だ。
ライオンは虚勢を張るが、シマウマの大群の反応も気にかかる。
だが、シマウマたちもこう思っている。
あのライオンはただ吠えるだけで、王としての力はない。
しかし、ライオンはライオンだ。
怖い。
だから、他のグループのライオンを連れてきて喧嘩をさせようか。

このように、シマウマはどんなときも自分で戦おうとしない、卑劣で臆病な集団である。

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続いて、亀田興毅。

戦う前、私は彼の負けを予想していた。また、たとえ負けるにしても、多少はまともに戦ってくれると思っていた。
しかし、予想に反して、亀田は防御が8回戦ボーイ並みにお粗末だったが、それなのに勝った。

試合後、色々言われているようだが、亀田は悪くない。
彼は、力を尽くして闘ったのである。
判定を下したのは、彼ではない。ジャッジだ。
だから、判定に文句があるなら、ジャッジを叩くべきで、亀田が叩かれるのは筋違いだ。

将来有望な選手を、筋違いのバッシングで消耗させてしまっていいのか。
メディアの役割は、バッシングに荷担することだけなのか。

以前私は、「亀田興毅は美しくない」と、このブログに書いた。
その考えは今も変わらない。
あのパフォーマンスは、王者に相応しくない。
父親も含めて、幼稚で、醜い。

だが、リング上の亀田は、悪くない。
美しくはないが、才能を感じさせる。
今回、その才能にも若干疑問符がついたが、最後まで立っていた精神力は認める(ランダエタに勝つ気がなかったという見方もできるが)。
だから、それから先のことは、亀田の責任ではない。

「ボクシングでは、あの判定は当たり前ですよ。それがボクシングというものです」
したり顔で言う、元王者。あるいは、ボクシング関係者。

つまり、あなたたちの過去の栄光も、それがダーティだったことを認めたわけだ。
ボクシングをスポーツと呼ばせたいなら、そろそろ判定のシステムを変えるべきではないだろうか。
判定の基準は、単純に有効打の優劣だけにした方が判りやすいかもしれない。
アマチュアボクシングのように、ダウンが判定基準にならないというのは問題だが、ダウンの評価基準を大きくすれば、今回のような矛盾点はなくなる。

今回はジャッジが亀田の有効打を、ランダエタの手数より評価した、などと言っている人もいるが、それは単に推測だろう。
ジャッジは何も言っていないのだ。
都合のいい解釈は、話をわかりにくくする。

今回、亀田は王者にはなったが、真の実力をさらけ出した。
亀田にとっては、負けた方が得るものが大きかったのではないか。
勝利に疑惑をもたれ、亀田フリークはさらに、感情的に亀田一家を弁護しなければいけなくなった。
どちらも惨めで、見苦しい。

ボクシングジムに通った経験があるものにとって、12ラウンド戦った選手の尊厳が失われるのを見るのはつらい。

ボクシングを、本来の意味のスポーツに戻して欲しいと思う。



2006/08/14 AM 09:11:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]



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