Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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一日三回食べられるだけでも…
私の携帯電話で娘が「ワンセグ」を見ていた。何気なく横から覗いたら、特集で「子どもたちの食事が危ない」というのをやっていた。
全部を見たわけではない。せいぜい3分くらいしか見ていない。(画面が小さいから、疲れる)

私が見たのは、親が仕事が忙しくて、子どもをかまってやれない家庭をクローズアップしたところだ。
食事は子どもが、コンビニでおにぎりやパンを買って済ませる。
部屋は散らかり放題。しかし、三人の子どもは、それなりに役割を持ちながら、日々暮らしているらしい。
おふくろの味はないが、食べ物には困っていないようだ。

番組を見ていて思った。
それを言うなら、私の子ども時代の食事も危なかった。
我が家は、母親が働いていた。
父親は定職を持っていた(一流会社の部類に入る)が、家にはいない。
月に1、2度帰ってくるだけで、貰った給料はすべて自分のために使う人だった。だから、裕福とは言えない。
中学3年の4月までは、祖母がいたので、祖母が食事の支度をしてくれた。美味しい食事を食べることができた。

だが、祖母が死ぬと、私の食生活はガラリと変わった。
私には3歳年上の姉がいる。当時彼女は高校3年だった。
姉は変わった人で、他人への思いやりや気配りというものを持ち合わせていなかった。
ひとのために料理を作るとか、人に何かを分け与える、という法則を持っていない人だった。

夏休みに入ったとき、母が姉に「これでお昼を買って食べなさい」と言って置いていった金を、すべて自分のために使った。
毎日、自分の食事だけを近所の弁当屋で買って、余ったお金でシングルレコードを必ず一枚買っていた。

だから、私の分の昼食はない。
私は姉に抗議はしない。彼女が態度を改めることはない人種だとわかっていたからだ。
彼女には、人の言うことを聞く能力がない。自分を守ることしか興味がない。
だから私は、昨晩の残り物を、昼食として摂ることになる。
だが、残り物があった日はいいが、残り物がない日は悲惨だ。
食べるものがない。
育ち盛りで、受験を控えた夏休みとしては、決していい環境とは言えない。

そして、このあたりが私の変わっているところなのだが、そういった姉の行動に対して、母に告げ口をすることができないのだ。
今思うと、姉の仕打ちはひどいものだと思うが、当時は当然のように受け入れていたのである。

この人は、こういう人なんだ。
そういう、哀れさをいつも感じていた。
私は、いつも姉のことを避けていた。
一種、違う生き物を見るように、見ていた。

当時の私の夏休みの食生活を再現してみよう。
朝は、昨晩残ったわずかばかりのご飯と、母が朝、鍋一杯に作ってくれた味噌汁。
昼は、昨晩のおかずの残り物。(残らなかったときは、食事抜き)
夜は、母が仕事の帰りにスーパーで買ってきたお総菜。コロッケやポテトサラダの類だ。
一週間のうち、三日は昼食抜きだったと思う。
陸上部の練習がある日は、友だちにおにぎりを恵んで貰って食べていた。
このパターンは、冬休みも春休みも同じだ。

育ち盛りの子どもにしては、一日の摂取カロリーが圧倒的に不足していたと思うが、身長はその後順調に伸びて、180センチになった。
ただ、当然のことながら、体重は増えない。
俗に言うように、もやしのようにヒョロヒョロしていた。
しかし、それでも百メートルを11秒前後で走るのだ。
もし、普通の食生活をしていたら、私はオリンピックに出られたかもしれない。
そんな馬鹿げた空想で、自分を慰めたこともある。

だから、「子どもの食生活が危ない」という番組を見ていても、「なんだ、三食ちゃんと食ってるじゃないか」という、羨ましい感想しか浮かばない。
それは恵まれた人間の視点だけで構成した、偏った番組にしか見えない。
子どもたちの日常を、ことさらに大袈裟に扱っているだけではないのか。
部屋が汚いことが、特別なことだろうか。子どもがコンビニで好きな食べ物を買って食べることが、特別なことだろうか。親が、子どもにお金を渡して責任を果たすことが、そんなに特別なことだろうか。
食生活が貧しくても、普通に大きくなった大人がここにいる。

みっともない「ひがみ根性」だとは思うが、そんなことを思ってしまった。



2006/08/12 AM 11:00:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [メディア論]



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