Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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渡る世間は不可解ばかり
ウェブデザイナー・タカダ君が先日言ったことを考えてみた。

Mさんは、本心を明かさない。いつも距離を置いて話をしている。

そうだろうか。
私はいつも自分を素直に表現していると思う。
自分ほど素直に感情を出す人間は珍しい、とさえ思っている。

彼が私を誤解するのは、私が愚痴や泣き言を言わないからだろう。
しかし、それは本心を言わないということとは、根本的に違うものだ。
愚痴や泣き言を言うのは見苦しい、一度そう思ったら、愚痴や泣き言を言った途端、悪いことをした気になる。
格好つけているわけではない。自己嫌悪に陥るのが嫌なだけだ。

人というのは、ミスをなかなか認めない。
他人を責める。他人のせいにする。
しかし、私は平気でミスを認める。謝る。
だから、ひとを責めないし、ひとのせいにもしない。

友だちや取引先の相手との会話では、1対5くらいの割合で、会話のボリュームが相手側が多い。
時に、言われっぱなしの時がある。
言いがかりをつけてくる場合もある。
私は、それが「いいがかり」だと判断した場合は、脳のスイッチがオフになるので、受け流す。
要するに、聞いていない。
言いがかりを真面目に聞くと、ストレスが溜まるから、それは私流の防衛反応であると言える。

そういう、気のない態度が、「距離を置いている」と取られるなら、それは認める。
見解の相違、と言うしかない。

話変わって、「ヨメ」という人種は、私から見ると、羨ましい性格をしている。
自分のミスは、「あっ、間違っちゃった」で済ませるが、ひとのミスには容赦がない。
人のふり見て我がふりを直さない人種である。
「政治家」や「教師」、「医師」、「インチキ占い師」など、センセイと言われている人種も同様。
彼らは謝るのが下手な人種だ。ミスを隠し続ける。傲慢さを「力」だと勘違いしている。
私に言わせれば、無駄な言い訳が多い。

だが、世間では、これで十分通用するのだ。
また話の趣旨は変わるが、大学三年の時、家庭教師をしたことがある。
高校一年と二年の生徒に、数学と英語を教えていた。
ある日、その二人の親から、まったく同じことを言われた。

「もう少し、厳しく教えていただけませんか」

二人の生徒は、中間試験と比べて、期末試験の数学・英語は20点近く成績が上がっていた。
わずか二ヶ月で、それだけ成績が上がったというのは、驚くべき成果だ。
普通はそう考える。
しかし、私は生徒と友だちのように接していたから、親にとってはそれが不満だったのだろう。
勉強の成果よりも、私の教え方が生ぬるい、という印象だけで、クレームをつけてきたのである。
優しく教えると、点数が飛躍的に上がっても、それは偶然と取られる。
厳しく教えれば、成果がなくても納得する。なぜなら、一生懸命に見えるから。
一生懸命な人には、言いがかりをつけにくい。
一生懸命に見える人は、言い訳をしても許される。(それがたとえ自己中心的な言い訳でも)

同じ仕事を、鼻歌交じりで一時間で仕上げるよりも、目尻をつり上げて一心不乱(のフリをして)に、二時間で仕上げた方が、上司の評価は高い。
私は不可解に思うのだが、世間ではこれが常識らしい。

以下は、付き合いのある印刷会社の話。
終業時間の5時までに予定以上の量をこなして、仕事を仕上げる人がいる。その人はその後、仲間の「ちょっと一杯」という誘いを断って、趣味の彫刻を楽しむ。
その同僚で、予定通りの量しかこなさないが、規定時間を超えて、7時まで残業する人がいる。その後、仲間と赤提灯で一杯。

どちらが、優秀な社員だろうか。
私は一目瞭然だと思うのだが、その会社では、予定量の仕事しかしないのに、7時まで残業する社員の方が、重宝されているのだと言う。
そればかりか、5時までに予定以上の量をこなして帰る人を、変わり者扱いしていると言う。
突出して能率のいい人は、変わり者に見られるのだ。

もう一つ、付き合いのある広告代理店の話。
プレゼンテーション用の資料を独自で集め、期限より2日前に仕上げた社員がいる。出来上がりは、同僚社員も認めるほど完成度が高い。そして、残った時間で、もう一つ新しい企画書を作成した。
もう一人、プレゼンテーション用の資料を、上司のアドバイスを受けながら、期限ギリギリまでかかって仕上げた社員がいる。出来上がりは、上記の社員と甲乙つけがたかったという。

これを、課内で多数決を取ったところ、上司のアドバイスを受けた方が、全員一致で選ばれたと言うのだ。

青臭いことを言うつもりはない。
こういう「不可解な世の中」に生きているのは、誰のせいでもない。
それが常識なら、どうしようもない。

渡る世間は不可解だらけ。

この場合、その不可解さに合わせて、自分も不可解になるという手もある。
そうすれば、不可解が当たり前になって、常識人の仲間入りができる。
だが、それに対して、とことん抵抗するという手もある。

無駄を承知で、私はもう少し、この不可解さに抵抗してみようと思っている。


2006/08/10 AM 09:30:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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