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● 渡る世間は不可解ばかり |
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ウェブデザイナー・タカダ君が先日言ったことを考えてみた。
Mさんは、本心を明かさない。いつも距離を置いて話をしている。
そうだろうか。 私はいつも自分を素直に表現していると思う。 自分ほど素直に感情を出す人間は珍しい、とさえ思っている。
彼が私を誤解するのは、私が愚痴や泣き言を言わないからだろう。 しかし、それは本心を言わないということとは、根本的に違うものだ。 愚痴や泣き言を言うのは見苦しい、一度そう思ったら、愚痴や泣き言を言った途端、悪いことをした気になる。 格好つけているわけではない。自己嫌悪に陥るのが嫌なだけだ。
人というのは、ミスをなかなか認めない。 他人を責める。他人のせいにする。 しかし、私は平気でミスを認める。謝る。 だから、ひとを責めないし、ひとのせいにもしない。
友だちや取引先の相手との会話では、1対5くらいの割合で、会話のボリュームが相手側が多い。 時に、言われっぱなしの時がある。 言いがかりをつけてくる場合もある。 私は、それが「いいがかり」だと判断した場合は、脳のスイッチがオフになるので、受け流す。 要するに、聞いていない。 言いがかりを真面目に聞くと、ストレスが溜まるから、それは私流の防衛反応であると言える。
そういう、気のない態度が、「距離を置いている」と取られるなら、それは認める。 見解の相違、と言うしかない。
話変わって、「ヨメ」という人種は、私から見ると、羨ましい性格をしている。 自分のミスは、「あっ、間違っちゃった」で済ませるが、ひとのミスには容赦がない。 人のふり見て我がふりを直さない人種である。 「政治家」や「教師」、「医師」、「インチキ占い師」など、センセイと言われている人種も同様。 彼らは謝るのが下手な人種だ。ミスを隠し続ける。傲慢さを「力」だと勘違いしている。 私に言わせれば、無駄な言い訳が多い。
だが、世間では、これで十分通用するのだ。 また話の趣旨は変わるが、大学三年の時、家庭教師をしたことがある。 高校一年と二年の生徒に、数学と英語を教えていた。 ある日、その二人の親から、まったく同じことを言われた。
「もう少し、厳しく教えていただけませんか」
二人の生徒は、中間試験と比べて、期末試験の数学・英語は20点近く成績が上がっていた。 わずか二ヶ月で、それだけ成績が上がったというのは、驚くべき成果だ。 普通はそう考える。 しかし、私は生徒と友だちのように接していたから、親にとってはそれが不満だったのだろう。 勉強の成果よりも、私の教え方が生ぬるい、という印象だけで、クレームをつけてきたのである。 優しく教えると、点数が飛躍的に上がっても、それは偶然と取られる。 厳しく教えれば、成果がなくても納得する。なぜなら、一生懸命に見えるから。 一生懸命な人には、言いがかりをつけにくい。 一生懸命に見える人は、言い訳をしても許される。(それがたとえ自己中心的な言い訳でも)
同じ仕事を、鼻歌交じりで一時間で仕上げるよりも、目尻をつり上げて一心不乱(のフリをして)に、二時間で仕上げた方が、上司の評価は高い。 私は不可解に思うのだが、世間ではこれが常識らしい。
以下は、付き合いのある印刷会社の話。 終業時間の5時までに予定以上の量をこなして、仕事を仕上げる人がいる。その人はその後、仲間の「ちょっと一杯」という誘いを断って、趣味の彫刻を楽しむ。 その同僚で、予定通りの量しかこなさないが、規定時間を超えて、7時まで残業する人がいる。その後、仲間と赤提灯で一杯。
どちらが、優秀な社員だろうか。 私は一目瞭然だと思うのだが、その会社では、予定量の仕事しかしないのに、7時まで残業する社員の方が、重宝されているのだと言う。 そればかりか、5時までに予定以上の量をこなして帰る人を、変わり者扱いしていると言う。 突出して能率のいい人は、変わり者に見られるのだ。
もう一つ、付き合いのある広告代理店の話。 プレゼンテーション用の資料を独自で集め、期限より2日前に仕上げた社員がいる。出来上がりは、同僚社員も認めるほど完成度が高い。そして、残った時間で、もう一つ新しい企画書を作成した。 もう一人、プレゼンテーション用の資料を、上司のアドバイスを受けながら、期限ギリギリまでかかって仕上げた社員がいる。出来上がりは、上記の社員と甲乙つけがたかったという。
これを、課内で多数決を取ったところ、上司のアドバイスを受けた方が、全員一致で選ばれたと言うのだ。
青臭いことを言うつもりはない。 こういう「不可解な世の中」に生きているのは、誰のせいでもない。 それが常識なら、どうしようもない。
渡る世間は不可解だらけ。
この場合、その不可解さに合わせて、自分も不可解になるという手もある。 そうすれば、不可解が当たり前になって、常識人の仲間入りができる。 だが、それに対して、とことん抵抗するという手もある。
無駄を承知で、私はもう少し、この不可解さに抵抗してみようと思っている。
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2006/08/10 AM 09:30:52 |
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