Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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ハードボイルドな夜 その後
尾崎と恵実(めぐみ)が、よりを戻した。
離ればなれだった七ヶ月は、二人にとって重かったのか軽かったのか。
再開した二人は、以前と変わらずに、無関心さを装いながらも、無意識にいたわり合っていた。
そんな二人を横目で見ながら、私はフォアローゼズのロックを口に運ぶしかなかった。

そして、一週間がたった。
恵実から、話したいことがある、と携帯に電話がかかってきた。
「デートなら大歓迎だ」
私の軽口に、小さな笑い声をたてながら、恵実は待ち合わせ場所を告げた。

井の頭公園だった。
真夏の土曜の昼間は、男女の姿が多くて、日差しが強い。
暑い。
だが、汗はそれほどかかない。
吉祥寺駅から歩いて15分ほどの距離。日向の中を歩いたが、汗が噴き出すことはない。
暑さには強い。

恵実はすでに、池の畔のベンチに座っていた。
白のブラウスと黒のパンツという、シンプルな格好だ。
黒いストレートのロングヘアーが、そのスタイルにはまりすぎていて、妙な気後れを感じた。
私はと言えば、灰色のTシャツと裾がボロボロのジーパンである。
デートには似つかわしくない。

私が恵実の姿を認めたとき、髪を整髪料でテカテカにした30歳くらいの男が、恵実に話しかけているところだった。
ベージュのスーツを着た、気障な印象の男だ。
私はかまうことなく、恵実の横の開いてる空間に座った。

男と目が合う。
ちんぴらの目ではない。
しかし、目に卑しさと敵意がある。つまり、品がない。
睨み合う。

恵実がさりげなく、私に腕を絡ませてきた。
そして、私を見つめる。
化粧はほとんどしていない。
おそらくルージュだけかもしれない。
だが、それが恵実の女を際立たせていた。
自分をよく知っている女だ。

「遅かったのね」
前に立つ男を無視して、笑いかける。
目尻の皺に、菩薩のような優美さがある。
尾崎が、一番好きだという恵実の顔の皺。
今それが実感できた。

男が舌打ちをして、背を向けた。
恵実が笑いをこらえている。
黒い髪が揺れていた。
池の表面がきらきら光っている。
尾崎にとって、恵実はこの池の煌(きら)めきのような女なのだろう。
まぶしいが、目を細めて見ていたい女。

「この七ヶ月、尾崎はどんな生活をしてたんだろう」
つぶやくように私が言うと、恵実はゆっくりとこちらに顔を向けて、伏し目がちに言った。
「抜け殻だったって」
「尾崎がそんな風に正直に言うとはね」
「私もびっくりしたけど、真面目な顔で言うのよ」
「よほど堪えたんだな」

いつも何かに怒っているような、尾崎の顔を思い出して、私はおかしくなった。
気が付いたら、大声で笑っていた。
恵実もつられて笑っている。
おかしな二人連れだと思われていたかもしれない。
池の魚に餌をやっていた親子二人連れが、こちらを見ていた。

笑いが終わったあと、私たちは無言で池を見つめていた。
私から話すことはない。
恵実が口を開くのを待つだけだ。
恵実はバッグからハンカチを取り出して、頬のあたりを軽く叩くように拭いていた。
背筋はいつも通り伸ばして、綺麗なL字形になっている。

考えてみると、尾崎と恵実がどのようにして知り合ったか、聞いてなかったし、恵実がどういう経歴を持っているのかも知らなかった。
知っているのは、36歳という今の年齢だけだ。
そして、友人の連れ合い、という事実。
そんな薄い関係の二人が、暑い盛りの真っ昼間、デートスポットで有名な公園のベンチに座っている。

また、笑いが出た。
照れ笑い、というやつだ。
恵実もまた、つられて笑っている。

「尾崎がね、子どもが欲しい、というの」
笑い声に紛らすように、軽い調子で恵実が言った。
目は、私を真っ直ぐ見ている。
細い鼻筋の上に乗った目は、大きい。
黒目が大きいので、なおさら大きく感じる。
自分の意志をそのまま目で表現できるというのは、女にとって武器なのか、あるいは弱点なのか。

「尾崎はいつも、私の目を見ないで話をするのよ」
以前、恵実が言っていたが、この真っ直ぐな目を見返すのは、かなり勇気がいる。
尾崎はきっと、この目が苦手なのだろう。
おそらく恵実は何も意識していないのだろうが、媚びる部分がないだけに、男にとって怖さを感じさせる目だ。

「子どもが欲しくないといったのは、尾崎かな」
「そうね、暮らしはじめたとき、前の奥さんとの間に娘さんが一人いるというのを聞かされたわ。俺には充分だって、言ってた」
尾崎らしい考え方だ。
子どもはひとり。自分の血を引く人間は一人いればいい。それで義務は果たしたことになる。
そんな尾崎の考えはわかるが、格好つけすぎだ。

しかし、彼は今揺らいでいる。
「この七ヶ月、尾崎は何を一番失いたくないか、考えていたんじゃないかな。仕事なんかじゃない。バイクでもない。サックスでもない。アナログレコードでもない。他のすべてでもない。恵実さんだったんだ。あいつにとって、君は今失いたくない一番のものだったんだ」
そう言っている私が照れている。
消えてしまいたいほど、恥ずかしい。
しかし、尾崎の気持ちを代弁できるのは、私だけだ。
友のために、言うしかない。

恵実の瞳が、揺れた。
泣くかもしれない、と思った。
しかし、泣かなかった。

「それと同じようなことを尾崎から言われたわ。でも、尾崎らしくない言葉だわ。尾崎と繁華街を歩いていると、ちんぴらが尾崎の顔を見ると避けるのよ。今まで肩で風を切っていたのに、早足で逃げるようにね。そんな尾崎から、甘い言葉を聞かされるなんて、八年間、有り得なかったことだわ」
恵実は早口で言ったが、顔には嬉しさを含んだ笑いがある。
おそらく、恵実がこの八年間で一番言って欲しかった言葉を、尾崎が言ったからだろう。

「尾崎を変えたのは君だ。尾崎を親父にしてやれよ。そして、尾崎を縛ってやるんだ。あいつはきっと、そうされたがっている」

恵実が私を見つめる。
私も意志を自分の目で表現してみようとした。
尾崎に成り代わって、恵実を口説くつもりで。

恵実の目尻の皺。
皺がこんなにも美しい女がいる。
歳を取ることも悪くない、そう思わせる皺だ。

「尾崎がMさんを認めている理由が、わかるような気がするわ。Mさんと尾崎はすごく似ている。外見とか性格とかではなく、友だちに対して無心になれるところが」
恵実がまるで外人のように、肩をすくめながら、両手を広げた。

「もう一度言う。尾崎の子どもを産んでやってくれ。あいつは、君が心配するように、そんなことで老け込んだりはしないさ。君と子どもが、あいつを若返らせるはずだ」

恵実の目尻の皺が、一段と深くなった。
本当に嬉しいときの、恵実の笑顔だ。
瞳からは、涙が盛り上がって、溢れそうになっている。
それが、池の表面の煌めきと重なって、綺麗だった。

「ありがとう」
そう言った途端、涙が恵実の膝に落ちた。

私の役割は果たした。
ふうー。
大きな溜息が出た。
それを聞いて、恵実が声を出して笑った。

泣き笑いの恵実の顔は、なぜか尾崎の顔に似ていた。



2006/08/06 PM 03:52:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



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