Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
[TOP] [RSS] [すくすくBLOG]








ハードボイルドな夜
約束の時間5分前に行ったが、尾崎はもうすでに来ていた。

私が隣に座ると、あごを少し引いただけで、アーリータイムズのツゥーフィンガーをゆっくりと口元に運んだ。
三年ぶりに見る横顔は、ほとんど変わっていない。
日本人にしては高すぎる鼻が滑稽なほどだが、見慣れているので、違和感はない。
普段はカジュアルな格好しかしない男だが、今日は珍しく薄茶のスーツを着ていた。臙脂(えんじ)のネクタイも締めている。

三年前の夏も、このバーで会った。
それ以来会っていない。
電話は何度かしたが、簡単な近況報告だけで、お互いの生活が見えるほどの会話は交わさなかった。

「元気だったか」
ありきたりの挨拶だ。心もこもっていない。
バーテンに、フォアローゼスのロックを頼んだ。

「俺のことを聞いているのか、それとも恵実(めぐみ)のことか」
恵実というのは、彼の奥さんのことだ。
尾崎より、11歳年下。一緒に暮らして、確か八年がたつ。

恵実とは、三回会ったことがある。
彼らの住むマンションに招待されたことは、二回あった。
音楽や読書の趣味、料理の知識が私と似ているので、話が弾んだ。
「俺と話す時よりも、嬉しそうな顔をしている」
尾崎は、呆れたような顔で我々の顔を交互に見ていた。
恵実は、美人ではないが、ふくよかな印象を与える女性で、少しとがった顎と細い鼻筋が知性を感じさせた。

「俺たち、別れたんだ」
尾崎が、伏せた目をこちらに向けながら、無表情に言った。
私と同じで、無精ひげに白いものが、かなり混ざっていた。

この間の電話では、そんなことは言っていなかった。
確か昨年の暮れに電話したときは、恵実が電話に出た。
今年になって別れたのか。
私の考えていることがわかったのか、尾崎がアーリータイムズを飲み干して言った。
「別れたのは、今年の正月だ。おめでたいはずの元旦に出ていきやがった」
カウンターを叩いて、バーテンを呼び、グラスを指さした。
同じものを、というサインだ。

「浮気か」
おまえの浮気が原因か、という意味だ。
しかし、尾崎は浮気をするタイプではない。
本気にはなるが、浮気はしない。
「本気の相手ができたのか」
「いや、そんな元気はない」
渇いた笑い声。この笑い方は、付き合って25年たっても変わらない。

尾崎は、体型は私と同じで細い。
しかし、自ら「無敗の男」と言うように、喧嘩がめっぽう強い。
身体全体から「凄(すご)み」のオーラを発している。
十年以上前のことだが、夜、渋谷の宇田川町を歩いていたとき、6人の下品なお兄ちゃんに囲まれたことがある。
私は、ずっと逃げる準備をしていたが、尾崎は一人で、その6人を倒してしまったのだ。

空手や柔道の経験があるわけでもないのに、ケンカ道は名人級である。
普段は、私の方が敏捷で、体力的にはすべて勝っているが、喧嘩となると、尾崎はケダモノになる。
容赦がない。
ためらい、というものがないのだ。
6人は、可哀想だった。
暗くてよく見えなかったが、5人は顔面血だらけだった。

そして、倒したあとの尾崎が、また凄いのだ。
渇いた笑い声で、「明るいときに訪ねてきな」と言って、自分の名刺を落としていくのである。
リターンマッチを望んでいるのだ。

また、新宿の海鮮料理屋で、ヤクザっぽい二人組に絡まれたときも、ひと睨みで相手を黙らせていた。
良からぬ世界に生きるものたちには、彼の醸(かも)し出す「凄み」は、危険な匂いがするらしい。

ただ私の場合は、たとえ喧嘩の場面を見たとしても、彼の凄みを肌で感じることはないので、平気で付き合っていられる。
むしろ、尾崎の方が、私を苦手にしているように思える。
「長い間付き合っていても、おまえがよくわからないときがある。実態を掴めないんだ」
尾崎がよく私に対して言うことである。
「おまえと喧嘩しても、勝てる気がしない」とも言われた。
おそらく私が、尾崎のことを怖がらない、唯一の男だからだろう。
恵実にも言われたことがある。
「この人が、友だちに気を遣うなんて、はじめて見たわ」

尾崎のことはよく知らない。
25年前、一人旅の途中、立ち寄った長岡駅の待合室で、貧相な男に声をかけられた。
「東京に帰る旅費が少し足りなくなったので、これを買ってくれないか」と、ペリカンの万年筆を見せられた。
やせ細った病的な印象の男だったが、卑屈な感じはしなかった。
死に神を品良くしたら、こんな感じかもしれない。
話しながら、そんなことを思った。

万年筆は、新品ではなかったが、持ってみたら、手にしっくり来た。
新品なら相当値の張るものに違いない。
「こちらも貧乏旅だから、余裕はない。三千円くらいしか出せないが」
と言ったら、渇いた笑い声で「俺が考えていた額と一緒だ」と言われた。

商談が成立したあとに、「あんた変わってるね」と男に言われた。

なぜ。

「俺に対して、全然警戒心がない。何人かに話しかけたが、あんたはまったく身構えなかった。そんなやつは初めてだ」
旅先では、色々なことがある。いちいち身構えていたら、旅がつまらなくなる。
私がそう言うと、「まったくだ」と、また渇いた笑い声をたてた。
お互い別方向に行くので、長岡で別れたが、男は連絡先を書いた印刷物をくれた。
東京中野で、化粧品店をやっているらしい。
私と同じくらいの年なのに、もう店持ちか。
男の雰囲気と化粧品店は似合わない気がしたが、見かけと中身が違うのは、別に珍しいことではない。

それが尾崎との出会いだった。

尾崎とは、友だちらしい付き合いをしたことがない。
ただ、年に二、三回、中野か渋谷で酒を飲むだけだ。
深酒はしない。お互い、適当なところで切り上げて別れる。
そんな付き合いがずっと続いていた。
お互い、どんな生活をしているかは知らない。

だから、八年前「おまえに見せたい女がいるんだ」と尾崎に言われたとき、驚いた。
「俺でいいのか」と聞いたが、珍しく尾崎が緊張した顔をしていたのを見て、つい頷いた。
尾崎は、今日と同じ薄茶のスーツを着て、ネクタイを締めていた。

その相手が、恵実だった。
黒いロングのストレートヘアーと白いスーツが、鮮やかな印象の女だった。
顔は全体が小さくまとまった感じで、幼い感じがした。
しかし、話すと知性を感じさせる低音で、語尾をはっきりと言う女だった。

「こいつと暮らしたいんだが」
そう言われても、どう反応していいかわからなかった。
それはおまえの自由だ、と言えばいいのか、あるいは、いい女じゃないか、と言えばいいのか、ためらった。

「こいつを紹介するのは、おまえがはじめてだ」

目の前の酒に、一度も口を付けずに、私の顔を窺うように見る尾崎。そんな尾崎も初めてだった。
恵実はその横で、背筋を伸ばして、私を見つめている。いや、睨みつけていると言った方がいいかもしれない。
気の強い女だ、と思った。

私は、恵実を見て、何度か頷いた。
それを見て尾崎は、「テストは合格らしいな」と言って、はじめてグラスに口を付けた。
グラスを持つ手に、力が入っているのがわかった。
それほど、恵実のことが好きだったのだ。
しかし、その恵実と別れたという。

「価値観の違い、ってやつか」
からかうように聞いてみた。
尾崎は、アーリータイムズを飲む手を休めて、私に顔を向けた。

お互い歳を取った。肌に張りがない。目蓋も少したるんできたようだ。
スーツの似合う尾崎など、昔は想像したことがなかった。
しかし、目の前の尾崎は、コスメショップの社長として、まったく違和感がなかった。

さびしさ、がある。
歳を取るということは、さびしくなる、ということだ。

尾崎が自嘲気味に言う。
「俺もおまえも、さびしい歳になった、って言っちまったんだな」
「奥さんにか」
「ああ、それで幻滅されたらしい。このままジジイになるつもり、って。すごい剣幕だった。ジジイと結婚したつもりはないわ、って。はじめてだよ、恵実があんなに怒ったのは」

恵実なら、そう言うかもしれない。
尾崎はいつまでも尾崎のままでいて欲しいと、恵実は思っていたはずだ。
そのために自分は尾崎に尽くしているのだから。

だから裏切られた、と思ったのだろう。
尾崎でない尾崎など、見たくない。信じたくない。
そして、出ていった。
恵実らしい行動だと言っていい。

「ジジイと結婚したつもりはない、か。それは強烈だ。おまえ、何も言わなかったのか」
「ああ、何も言えなかった。黙ってたら、出ていっちまった」
「それ以来連絡は…。法律的にも離婚したのか」
「もともと入籍もしてなかった」
そのあたりは、尾崎らしいと言えた。
こだわらない男だ。

「恵実さんと、やり直そうとは思わないのか」
恵実が傍にいない尾崎は、さらに老け込むだろう。
それは無惨だ。
私は、そんな尾崎は見たくない。

「それでだ」
尾崎は、身体を私の方に少し回して、私の目を真っ直ぐに見た。
八年前もこんな目をしていたような気がする。

「おまえに見せたい女がいるんだ」

笑うしかない。

尾崎も笑っている。
馬鹿馬鹿しいが、付き合うしかなさそうだ。

私のスツールの横に、いつの間にか、黒いロングのストレートヘアーをした白いスーツの女が立っていた。



         2006.7.28夜_南青山 BAR Yにて



2006/07/29 AM 08:53:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]



(C)2004 copyright suk2.tok2.com. All rights reserved.