Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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4つのアンビリバボー (その2)
前回の不思議体験の続き。

3つめは、29歳の時のこと。
当時私は、体の衰えを少しでも先延ばしするために、住まいのある私鉄沿線のボクシングジムに通っていた。

当時は今と違って「ボクササイズ」などというものはなくて、私以外の人はすべてが現役ボクサーかプロ志望の練習生だった。
ボクサーというと、今話題の亀田三兄弟のように闘争心丸出しのイメージを持つ人が多いと思う。
しかし、むしろ彼らは例外で、リングの外ではシャイで優しい人が多い。

ジムに練習生が何人いたかは忘れたが、しばらくすると、その中の一人とよく話をするようになった。
彼は18歳のプロ志望の青年で、ジムに来るとき愛犬を連れてきていて、練習が終わるまで、近所の骨董屋に預けていた。

犬は中型の雑種だ。名を「サム」と言う。(本当は「サムライ」と名付けたが、面倒くさいので縮めて呼んでいるらしい)
立派な巻き尾をしていて、雑種といえども凛々しさを感じさせるハンサムな白い犬だった。
私も動物が好きなので、ジムの帰りに、犬の散歩に一緒について行ったりした。

彼の家は、ジムのある駅から2つ目だが、いつも家から愛犬と走りながら来ていた。

事件は、彼と犬の散歩に付き合うようになって、2ヶ月が過ぎたころに起きた。
いつも通りジムに行くと、しょげて憔悴した彼がいて、私にこう言ったのだ。

「サムがいなくなったんです」

前日、多摩川の土手道を一緒に走っていたら、リードが手から離れた。するとサムは、全力で走って行った。名前を呼んでも、一度も振り向くことなく、すぐに彼の視界から消えていった。
だが、そういうことは今までにも度々あって、一時(いっとき)姿が見えなくなっても、走ったり探検するのに飽きたりすると、同じ場所で待っていたという。

だから彼は今回も慌てず、犬との待ち合わせ場所でずっと待っていた。
しかし、3時間待っても、サムは姿を見せなかった。
もしかして、車に轢かれたのかもしれない。
彼はそう思って、周りの道路を探し回り、最寄りの交番に行って聞いてみたが、それらしい事故はなかったという。

家に帰ったのかもしれない、と思い直して、帰って犬小屋を除いたが、サムの姿はそこにもなかった。

リードが着いたままだから、飼い犬だということは分かる。
首輪に「サムライ」の名と「電話番号」が彫ってあるから、親切な人が電話をしてくるかもしれない、そう思って昨晩は一睡もせずに待っていたそうだ。

今日はジムに行くのを止めて、心当たりを探し回ろうと思ったが、ジムの周りも犬の縄張りなので、一縷の望みを託して来てみたという。
彼の落ちくぼんだ目を見ると、私も練習に身が入らず、練習を中断してジムの半径1キロを探索した。しかし、犬は見つからなかった。

そして、それからさらに1ヶ月。
「もう、あきらめましたよ」と彼は言うが、顔には「未練」が貼り付いている。
「電柱に『迷子犬』の張り紙でもしてみたらどうかな」
可哀想になって、提案してみたが、彼は弱々しく首を振る。

「誰かがきっと持っていったんだと思いますよ。そうだとしたら、帰ってくる確率は低いでしょう。もういいです。本当に諦めましたから」

そんなとき、奇跡が起きた。

私が当時住んでいた賃貸マンションは、彼の最寄り駅から7つ目にあった。
途中、多摩川を渡る。
線路際の緩やかな坂の途中に、マンションはあった。
駅から歩いて5分。いい物件である。

ある日の夜の11時過ぎ。
仕事帰りで疲れた私が見たものは、マンションの入口に背筋をピンと伸ばして座る犬。

一目見て、それがサムだということが分かった。
リードは取れているが、首輪は見覚えのあるものだ。
だが、それをわざわざ確かめなくても、私にはわかった。
凛々しい姿、特徴のある巻き尾、そして雰囲気。すべてがサムのものだった。

なぜ、サムがこんなところに…、という疑問より、とにかく嬉しくて、私はサムに抱きついた。
サムも当然のことながら、私を覚えていた。
両方の前足を私の膝の上にのせて、私を見つめている。

「ゴー」と言って、指を指すと、サムは私が指さした方へ30メートルほどダッシュして、すぐに戻ってくる。
反対側へ「ゴー」というと、同じようにダッシュして戻ってくる。
私が教えたことを覚えていたのだ。

それから、彼へ電話をした。
私の話を聞いても、彼は半信半疑だったが、車を飛ばしてすぐにやって来た。

彼の顔を見た途端、サムは飛ぶようにして抱きついた。
さすがに、私に対する態度とは違う。
私の場合は、あくまでも知り合いに対する接し方だった。
しかし、飼い主には、思い切り甘える。

感動の再開のあと、残ったのは、「なぜサムがここに?」という疑問だ。
彼の家からここまでは、10キロ近く離れている。
しかも、1ヶ月以上たった今、なぜサムは私が住んでいるマンションの入口に現れたのか。

多摩川ではぐれたのなら、彼の家の方が近いはずだ。道筋もよく知っている。
何もわざわざこんな遠いところまで来ることはない。
迷ったとしても、なぜ私の住むマンションまで来ることができたのか。

この謎は今も解けない。
彼も考えたが、納得のいく答えは見つからなかったようだ。

犬の能力はすごい。
そんな陳腐な結論しか浮かばないところをみると、人間というのは案外、犬よりも劣っているのかもしれない。

次の不思議体験は6年前。
横浜の得意先に行くために、渋谷から東横線に乗ったときのことだ。

朝は地獄のような混み具合の東横線も、昼間はすいている。
始発なら、急行でも悠々と座れる。

私が座ろうとした、桜木町行きの急行1両目も、思った通りすいていた。
そして、2両目寄りの座席に座って、文庫本を読み始めたとき、私の隣に人が座った。
気配からすると、年配の男の人だ。70歳過ぎだろう。
電車に乗っていて、隣に老人が座るのは、日常では普通のことだ。
だから、その時はほとんど気にも留めなかった。

電車は定刻に走り始め、私は文庫本を読み進んでいた。そして「代官山駅」を通過する寸前、隣から老人の声が聞こえた。
「久しぶりですよ、東横線に乗るのは」

まさか、私に向かって話しかけたとは思わず、私は文庫本を読み続けていた。

「一番最初の結婚の時、菊名に住んでいましたからねえ。横浜で教師をやっていたんですよ」
その話し声に、誰も答えを返さないのを不思議に思って、私は隣を何となく見てみた。

70年配の丸顔の老人が私の顔を見て、微笑んでいた。
顔のシワは深いが、血色が良くて、健康そのものという感じだ。

私の方を見ているということは、私に話しかけたということか。
しかし、本を読んでいる人に向かって話しかけるというのは、あまり常識的な態度とは言えない。
知り合いならわかるが、初めて見かける顔だ。
そもそも、東横線に乗るのは、年に数回しかない。
しかも、老人の知り合いは一人もいない。
私は少し身構えた。

「今の家内は、3番目。つまりバツ2ですな。結婚するたびに相手は若くなる。今の家内は、23歳年下ですよ」

赤みがかった元気な顔は、奥さんが若いからか。
そう納得したが、なぜ私に話しかけたのか? その疑問は解けない。
老人特有の、「話したがり症候群(?)」か。
「嫁が私につらくあたるんですよ…ウウウ(泣)」という、あれか。

しかし、この血色のいい顔には、そんな湿っぽさは微塵もない。
人生を楽しんでいる顔だ。
彼は構わず話し続ける。

「僕の連れ合いになった人は、三人とも島根県出身でしてね。いやあ、島根の女性は日本一ですな」
ここで、なぜか私の心臓は、ドクンと一拍早くなった。
何かの予感がした。それが何かは、その時はわからなかった。

「島根県は地味な県ですから、県庁所在地を知らない人もいますが、僕は県庁所在地の松江というところの出です。失礼ですが、あなたはどちらのご出身?」
「私は東京ですが」と言って、私は次のことばを言うのを少しためらった。
今度は、心臓の鼓動が早くなった。

老人はそんな私の顔を見つめながら、次の私の言葉を待っていた。
このとき、なぜか私はほとんど確信に近いかたちで、この先の成り行きを想像することができた。

老人の目の奥に、祖母の顔が見えたような気がした。

私は老人の目を見通すように、話を続けた。

「私の父母と祖母は、島根県の出雲の出身です」
そして、まるで重大な秘密を打ち明けるように、こう言った。
「私の祖母は、松江で師範学校の教師をしていました」

「ああ」
老人も話の筋が、読めたのだろう。
納得するように、大きくうなずきながら、今までと違ったかすれた声で、私に問いかけた。

「お祖母様は、M先生ですね」
「そうです」


それから、老人が「日吉駅」で降りるまで、私たちはこの不思議な出会いについて語り合った。

「僕は普段、見ず知らずの人に話しかけることはないんですよ。昔は教師をしていましたから、人と話をするのは好きなんだけど、見ず知らずの人に話しかけるほど図々しくはない。若い人に嫌われたくないですからな。しかし、今日はまるで導かれるように、あなたに話しかけてしまった。不思議です。M先生が導いたとしかいいようがない」

老人も私も、この東横線に乗るのは、年に数回しかない。
そんな二人が、同じ日同じ時刻に、隣り合わせで座る確率というのは、どの程度なのだろう。
しかも、ただ隣り合わせになっただけでなく、初対面で自分のことを話す確率というのは、どれくらいなのだろう。
それは、確率という味気なく薄っぺらな統計学の範疇を越えて、違う領域の出来事だったような気がする。

6年たった今も、その老人は元気で、私たちは年賀状と暑中見舞いだけのお付き合いを続けている。

そして、老人は、最初の暑中見舞いでこんなことを書いてきた。

「あなたのお祖母様は、公平な方でした。今で言う『落ちこぼれ』の私を、呆れることなく、見捨てることもなく、他の生徒たちと同じように扱ってくれました。自分でも気付かなかった僕の長所を、M先生は教えてくれた。これが本当の教師というものです。僕も教師をしていたから、よくわかるが、簡単なようで、これが一番できないことなのです」

まったく不思議な体験だった。
私が老人の話に付き合っていなかったら、私たちは永遠に交わることのない関係だった。
押しつけがましい老人のことなど、電車を降りた途端に忘れていたことだろう。

誰かが書いたシナリオをなぞるように、老人と私は出会って、良いひとときを過ごした。
偶然と呼ぶには、重すぎる体験だった、と言えるだろう。

こんな不思議な体験なら、何度してもいいと思うのだが、残念ながら、それ以後の私は「不思議体験能力」が落ちてしまったらしい。

平凡すぎる日常には、アンビリバボーは入り込みにくいのかもしれない。


2006/06/02 AM 11:14:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]



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