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● 4つのアンビリバボー (その1) |
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前回、霊感のことを書いて、思い出したことがある。 それは、霊感とは全く関係ない出来事だが、今も私の中で説明がつかない4つの不思議な体験だ。
果たして、この程度の体験は、誰にでもあるものなのだろうか?
先ず、中学2年の時の運動会前の出来事から。
私は短距離が得意だったから、運動会では必ずリレーのアンカーを任されていた。 リレーは4人のチームワークで走るものだ。特に、バトンリレーの善し悪しで結果は大きく変わる。 そこで、他の3人から、早朝にバトンリレーの練習をしないか、と持ちかけられた。
しかし、生意気盛りの私は「いや、俺はいいよ」と断った。 当時の私は、すでに100メートルを11秒台で走っていた。 それに比べて、他の3人や、違うクラスのリレーの選手は、早い子でも12秒代後半がほとんど。傲慢な言い方だが、「力の差がありすぎる」状態だった。 だから、練習など必要ないと思ったのだ。(嫌なやつでした)
クラスの友だちは、運動会の前々日まで、早朝7時から8時まで練習をしていた。 そして、ここからが不思議体験。
運動会の前々日、つまり、早朝練習の最終日。 私がいつも通りの時間(授業開始5分前)に教室に入っていくと、リレーの仲間が寄ってきてこう言った。 「マツ、ご苦労さん。最終日になってやっと来てくれたな」 (?) 「校庭の隅を全速力で駆けているおまえを見て、嬉しくなったよ。バトンリレーの練習は出来なかったけど、あれだけ走れたら、勝ったも同然だな」 「え、なに言ってんだおまえ! 俺は朝練なんかしてねえぞ」 「またまた、なに照れてんだよ。この学校で、あんなに早く走れるやつは、おまえしかいないんだから」
この時、まず最初に頭に浮かんだのが、(こいつら、俺をからかってるんだ)ということ。 一度も早朝練習に付き合わなかったから、ちょっとお仕置きをしてやろうという魂胆か。
そこで、変わり身の早い私は、すぐその「からかい」に乗って、こう言った。 「ああ、そうそう、確かに走ったよ。朝走るのは気持ちいいね。もう優勝間違いなしだよ」
こう言えば、からかっている方は、意表をつかれて「冗談冗談」と言ってくると思ったのだが、案に相違して、彼らは真面目に「あの走りだったら、絶対負けねぇ」とうなずき合ったのだった。
しかし、朝7時といえば、私はまだ寝ていたのだから、どう考えても校庭の隅を走れるわけがない。 こいつら絶対、俺をからかっている!
そんな釈然としない思いを抱きながら、私はその日の授業を受けた。 そして、給食を食べたあとの昼休み、私はいつも通り、廊下の隅にあるテーブルに座って、中学1年の後輩たちと話をしていた。
今でもそうだが、なぜか私は、後輩(年下の男)にウケがいい。 最初は、教室に後輩たちが押し掛けてきたのだが、だんだん人数が多くなってきたので、廊下の隅に移動して、そこで相手をすることにしたのだ。
その会話の中で、最近転校してきたばかりの後輩の言った言葉が、私の背筋を寒くさせた。
「マツさん、今日の朝練、すごかったですね。僕らのクラスも朝練してたんですが、みんなマツさんのあまりの速さに、ビックリしてましたよ」
嘘だろ。 重ねて言うが、俺は、早朝練習なんかしていない。 こいつ、もしかして、うちのクラスの奴らと示し合わせて、俺をからかってるんじゃあるまいな。
しかし、彼は転校しておよそ1ヶ月くらい。おそらく、うちのクラスの連中は、彼の存在さえ知らないはずだ。 住んでいる地域も、学年もクラブも違うのだから。
私の両腕には、かすかに鳥肌が立っていた。 だが、精一杯の明るい声を出して、こう言った。 「ああ、なんだ、見ていたのか。見ていたなら、話しかけてくれればいいのに。おまえらしくないじゃないか」
「はい、でも、何となく、いつものマツさんと違って、声をかけるのが怖い雰囲気で、できませんでした」
これはいったい何なんだ。 当時私が通っていた中学には、私より早く走れる生徒はいなかった。そして、教師にもいなかった。
走っていたのは、一体誰だ!
家に帰ってから、私は祖母に聞いてみた。 「おれ、今朝の7時に何してた?」 「寝てたわよ。寝ながら大きなオナラをしてたよ」
祖母の言っていることは、絶対に間違いない。 祖母が冗談を言うわけがない。 では、彼らが見たものとはいったい……?
次は、大学2年の時の不思議体験。
祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。 この時は一人旅だった。
墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。 「日御碕」には、東洋一高い灯台がある。 そして、海猫の繁殖地としても、知られている。 中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがある。
海猫の声と、潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。
以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。
かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。 「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。 そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。
昼食を摂ってから電車に乗ったから、時刻はおそらく1時15分過ぎくらいだったと思う。 普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない。 乗り継ぎの時間も5分とかからなかったはずだ。
途中、電車が停まった記憶もない。 車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて、「出雲大社駅」に着いた。
かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。 これが「旅情」というものなのだろう。 肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。
そして、ここから先は、「日御碕」までバス。 駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。 乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。
見ると、1時50分の「日御碕」行きのバスがある。これに乗れそうだ。 そこで、自分の腕時計を見てみた。
2時25分。
えっ! 2時25分? 時計が狂ったか? 1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。 私の感覚では、1時45分から50分くらいだ。
そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。 「2時25分だね」
嘘だ。 「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。 「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。 途中、電車は停まらなかったし、乗り換えもスムーズにいった。 ここまで30分もかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。
もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。 「2時25分過ぎかな」
これは、どういうことだ。 時間の落差。 この空白の30分は、いったい…!
駅に戻って、駅員に聞いてみた。 「電車、遅れてましたか」
まったく正常運転だったそうだ。
これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。
誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。
しかし、私は、朝、寝屁ェはするが、昼、寝ぼけたことはない。
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2006/06/01 AM 11:36:45 |
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