Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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パラレルワールド
以前、このブログで「不思議体験」のことを書いたことがある。(6月1日と2日のブログ)
今考えても説明できない4つの出来事、と書いたのだが、その後4人の方から、ほとんど同じ内容のメールを頂いた。

それは、
あなたは、パラレルワールドを経験した
というものだった。

SFの世界で言う「平行社会」である。
私が、別の歴史を持った世界へ、一時的にトリップしたのではないか、というのだ。

確かに、私たちが暮らす世界とは異なる世界が、存在することはあるかもしれない。
「神隠し」などを、そのように説明している人もいるようだ。
だが、一旦別世界を経験したものが、そう簡単に元の世界に戻ってこられるものだろうか。

私自身は何もしていないのだ。
普通に生活しているだけなのに、何の意識もなく、行ったり戻ったりできるというのは、全然ドラマティックじゃない。

違う世界にいくのだから、稲妻が世界を切り裂いたり、信じられないほどの突風が吹いたりする、というような演出が欲しい。バック・トゥ・ザ・フューチャーか?)

私自身に実感がないのだから、「パラレルワールドを経験した」と言われても信じられない。

話は変わって。

大学3年の時、友だちにトリックを仕掛けたことがある。
彼は小松左京星新一筒井康隆などのSFものが好きで、いつもSFに関して熱っぽく語っていた。

私にパラレルワールドを教えてくれたのも、彼である。
こういう偏った分野に深い知識を持っている男というのは、騙(だま)しやすい。
こういう男を見ると、私はイタズラ心が湧いてくるのを抑えられない。

この時の小道具は、双子(ふたご)。
アルバイト先で、顔はもちろん、背丈も声もそっくりな双子と知り合った関係で浮かんだトリックだった。
この双子、違うのは、坊主頭のてっぺん、やや左寄りにある傷跡くらいなものだろう。
漫画のように、よく似た双子だった。

仕掛け場所は、大学の学食だ。
SFマニアの友人と昼食を摂るというシチュエーション。
私も彼も「かき揚げ丼」を食べた。
その他友人4人も「かき揚げ丼」を我々の周りで食べている。(かき揚げ丼に意味はない。ただ単に安かったから選んだだけだ)
この4人は、彼の注意を逸らす役目を持っていた。

彼の左隣の席と私の右隣の席は、わざと空けておいた。
そこへ双子の片割れ(双子A)が座り、「カレーライス」を食べ始める。
椅子はやや後方に引き、浅く座ってもらった。(双子は、我々とは違う大学だったが、わざわざこの仕掛けのために来てもらった。『うちの大学は可愛い子が沢山いるよ』と言ったら、快諾してくれた)

双子Aがカレーライスを一口食べて、むせる。咳き込む。それによって、彼に双子Aの存在を印象づける狙いだ。
案の定、友人は双子Aの顔をマジマジと見ていた。

次に双子Aは、凄い勢いでカレーライスを平らげた。
あまりに凄い勢いなので、友人は驚いてずっとその様を見ていた。
友人は気付かないが、後ろで双子Bがカレーライスを持って、スタンバイしていた。

そこで、友人4人が彼の気を惹こうと違う方向へ注意を逸らす。
その間に、双子が入れ替わる。
双子Bは、カレーライスを一口食べて、大きく咳き込んだ。

それを彼がまた見る。
今、平らげたはずのカレーライスがまだ山盛り残っているのを見て驚き、私の反応を見るように、こちらに視線を向けた。

私は何ごともなかったように「どうした?」と言って、かき揚げ丼を食べている。
「いや」
彼は、一度首を傾げただけで、自分の丼を掻き込み始めた。

そして、双子Bが、凄い勢いで、カレーライスを平らげる。
友人はその光景を、固まった状態で見ていた。
その時、双子Aがカレーライスを持って、後ろでスタンバイ。

双子Bは私の友人の方を向いて、「すみません。飲み物を買ってくるので、この席とっておいてもらえますか」と言った。
友人は、間抜けな固まった顔で、「はい」と頷く。

そこでまた他の連中が、彼の注意を5秒間くらい逸らし、その間に双子Aが隣に座って、カレーライスを食べ始めた。

彼は気配を感じて横を向き、「あっ、そこは先客が…」と言ったが、双子Aの顔を見て、思わず「ぐぇっ!」
双子Aは、また同じように、カレーライスをガツガツと食べ始める。

すがるように、私の顔を見るが、私は「どうした?」と言って、かき揚げ丼を食い終わり、味噌汁をすすった。(笑いをこらえるのに大変苦労した)

そこへ、飲み物を持った双子Bが来て、私の右隣の席に座る。

双子Bを見て、また彼の口から、「ぐぇっ!」
彼は、まばたきもせず、30秒くらい固まっていた。
そして、双子AとBを交互に見て、顔を机に伏せる。

「やられた〜! クッソー!」
机を叩いて悔しがっていた。

私と他の4人は、拍手とバンザイを繰り返した。
まわりの学生たちは、「?」顔の人や、眉をひそめる人もいたが、若い頃はそんなことは全然お構いなし。(今考えると、馬鹿丸出しですが…)

空気が落ち着いたあとで、「パラレルワールドを経験した感想はどうだね?」
私が得意気にそう言うと、彼は悔しそうに、ひとこと。

「このヒマ人が!」

これは全く単純なトリックなので、パラレルワールドでも何でもないが、ジョークということで、笑って済ませられる(と思う)。

ただ、「パラレルワールドですよ」と言いながら、ほとんど検証のない意見を言われた場合は、「それは、ちょっと」と思わざるを得ない。

だから、メールをくれた人には申し訳ないが、「私の不思議体験が、パラレルワールドだった」というご意見は、まったく信じられない。



2006/06/29 AM 07:10:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

カラオケボックスで打ち合わせ
世の中には、信じられない発想をする人がいる。

得意先の担当者に呼ばれて、先方に行くと、「1つしかない応接室がふさがっているので、外で打ち合わせをしましょう」と言われた。

どこに行くかと思ったら、会社から歩いて3、4分の所にあるカラオケBOXだった。
私が驚いた顔で看板を見上げていると、「今時分は客が少なくて静かだから、打ち合わせには丁度いい」と言いながら階段を上っていった。

朝の10時半。
確かに、この時間帯にカラオケに来るのは、暇な大学生か主婦ぐらいだろう。

そして、彼の言ったとおり、店内には全く音が漏れていなかった。
カラオケボックスの廊下が静かだと、何となく居心地が悪い。

ハワイアン風のデコレーションを施した部屋に入り、廊下の自販機で買った缶コーヒーを飲みながら打ち合わせをしたが、どうも落ち着かない。

それほど親しくもない人間と、密室に二人きりというのは、台風前の天気のような、妙な鬱陶(うっとう)しさがある。
しかも、打ち合わせの前に、「今回は予算がないので、いつもより、低めの設定でお願いしますよ」と言われたので、なおさら鬱陶しい。

簡単な仕事なら、その提案は納得出来るが、撮影を任され、納期も短い、報酬も少ないとなると、ただ忙しいだけのサービス仕事で終わってしまう。

そこで、「少なくとも、あと4日納期を延ばしていただけたら、お受けします。納期が延長できないなら、せめて普通の価格設定にしていただきたい」とお願いした。

「う〜ん、それができるならねえ」

要するに、「それが出来るなら、他のデザイナーに出すよ。時間も金もないから、あんたに頼むんだろ」ということだろう。

正直、どんなものでも仕事は欲しい。
フリーランスは、仕事が来なければ干上がってしまう生き物だ。
だから、どんな悪条件でも仕事を引き受ける、という哀しい性(さが)を持っている。
いつもなら、この条件でも引き受けていただろう。

しかし、この密室の鬱陶しさがいけない。
(冷房はかなり効いているが)気分的には、不快指数85以上。
全員不快。まるで熱帯地方にいるような感覚。
だから、すべてが面倒臭くなってしまった。

投げ遣りにこう言った。

「申し訳ありませんが、この条件では無理です。これだけタイトな仕事は、何人もスタッフを抱えているところでなくては、こなせないと思います。残念ながら、今回はご遠慮いたします」

相手は、一瞬気分を害したような顔になったが、思い直して、携帯電話を取って、電話をかけ始めた。
上司に報告しているのだろう。

「こんな仕事、やらねえよ」
とこちらは決めているから、相手の会話を聞くつもりはない。
テーブルの上にある「新曲リスト」を手にとって、ソファにもたれながら、中を見てみた。

ほう、上木彩矢の新曲がもう入っているのか。木村カエラもある。中島美嘉の新曲もある。へえー、Bzの「SPLASH」もあるじゃないか。

「Bzのサウンドはカッコイイぞ」と、私が常日頃言っているから、我が家の子ども二人は、最近やっとBzサウンドに芽生えてきて、MP3プレーヤーで「LOVE PHANTOM」や「Crazy Rendezvous」などを聞いている。
プロモーションビデオなども真剣に見るようになった。
おそらく、この「SPLASH」も、「ダウンロードしておいて」と言い出すことだろう。

などと思っていると、電話が終わったらしく、「わかりました」という担当者の声がした。

は?

「いま、上と相談しましたところ、納期は短くできませんが、価格はいつも通りで結構、ということになりました。来週の月曜朝までに初稿をメールでいただくということで、お願い出来ますか」

それを聞いて、今まで不快だった気分が、避暑地の高原にでもいるような爽快さに変わっていった。
人間の気分というのは、何と簡単に変わるものか。

おそらく、いつものように会社の応接室で仕事の話をしていたら、悪い条件でも引き受けていたかもしれない。
密室の居心地の悪い鬱陶しさが、不愉快をバネにして、自己主張が出来る雰囲気を作り出してくれたのだろう。

だから、たまには、カラオケボックスで打ち合わせというのもいいのかもしれない。



2006/06/27 AM 11:13:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

サムライ
十日ほど前、10数年ぶりに頼(らい)君から電話がかかってきた。
頼君は中国人。
私が昔、法律事務所に勤めていたときに、事務所で半年間アルバイトとして働いていた男だ。

頼君は中央大学で法律を勉強する留学生だった。
彼は、中国人独特の訛もなく、日本語の読み書きも完璧にこなせる、頭のいい男だった。

頼君は、大学卒業と同時に母国に帰り、国の研究機関に勤めたらしい。
だが、その後のことは知らない。
国に帰ってからは全く音信不通だったので、彼には申し訳ないが、完全に存在を忘れていた。

だから、受話器から「頼です」と聞こえてきても、全く思い出せなかった。

彼に笑いながら、「サムライのことで喧嘩したじゃないですか」と言われてやっと、記憶の引き出しが開いた。

サムライのことで喧嘩、では訳がわからないだろうが、私たちにとって、一番わかり合える「符帳(ふちょう)」がこのサムライなのである。

昔、仕事の帰りに彼を誘って、よく居酒屋「天狗」で飲んだものだった。
頭が良く、礼儀正しい彼は、思考方法が真っ直ぐで、愛国心も強かった。

13、4年前の中国は、まだ今ほど発展していなかった。
「一人ひとりを比べれば、中国人は日本人に負けていない。働き者だし、物覚えもよく、忠誠心も強い。それなのに何故、こんなにも日本と差があるのか。納得できない」
と言って、いつも彼は嘆いていた。

それに対して、私はこう言うのだ。

明治維新前まで日本には武士(サムライ)がいた。しかし、中国にはいなかった。その違いだよ。

日本には漢字を筆頭に、色々なものが大陸から入ってきた。日本文化のほとんどは、中国大陸からもたらされたものだ。
だから、日本にとって、漢・随・唐王朝は「師」と言っていいだろう。

ただ、唯一違うものがあるとしたら、それがサムライだ。
中国大陸や朝鮮半島では、「武」は下等のもので、「官(役人)」が大きな権限を持っていた。そこが日本とは違う。(江戸幕府は官僚が治めていたが、外様藩では武士が主導権を握っていた藩があった)
日本は色々なものを大陸や半島から取り入れたが、「侍という職業」「侍という意識」だけはオリジナルだ。

そして、その侍が、幕末の日本を救った。
彼らは欧米列強を怖れず、侍の論理で革命を起こした。
この小さな国が列強の植民地にならなかったのは、幾つかの幸運もあっただろうが、「官僚」よりも優秀な「侍」がいたからだと、俺は思っている。
だから、アジアの国のほとんどが列強の植民地化したのに対し、この国はどこの国にも侵略されることなく、JAPANを作り上げた。

しかし、清国には日本と同意義の侍がいなかったから、アヘン戦争で英国の餌食になった。
もし、清国に「官僚組織」を打破するサムライ集団がいたら、今の中国は変わったものになっていただろう。
今頃は日本より遙か先を進んでいたかもしれない。
俺は、中国は百年回り道をした、と思っているよ。


それに対して彼はこう言う。
「清国にも武士はいました。優れた軍人もいました。漢の時代、三国志の時代には数え切れないくらいの実力者がいました。日本の将軍などは、それに比べたら、規模が小さい。日本の武士などは、ただ闘うだけで野蛮で頭が悪い。それが日本を救ったというのは、買い被りです。

アヘン戦争に関しては、運が悪かった。英国がアジアを制するために、一番大きい清国に目を付け、無法に侵略した。清国にとって不運だったのは、「イギリス東洋艦隊」が当時世界で最強だったことでしょう。当時イギリス海軍に勝てる国はなかった。
日本だって、絶対に勝てなかったと思う。日本は運がよかっただけですよ」

確かに運はよかった。
アメリカやフランス、ロシアも日本に目を付けていて、英国はそれらの国と牽制し合わなければいけなかったからね。
しかし、君は知らないだろうが、「薩英戦争」というのがあってね。幕末に日本の薩摩藩とイギリス艦隊が戦ったんだ。
この戦争で、薩摩は負けなかった。勝ちもしなかったが、イギリス艦隊は1度だけの戦闘で、退却していったんだ。

薩摩というのは、日本のちっぽけな藩だよ。清国に比べたら、米粒みたいなもんだ。そんな米粒だって、イギリス艦隊を追っ払うことができたんだ。なぜ、大国である清国にそれができなかったんだ。


「英国は、清国のかなりの部分を手に入れたから、日本侵略に対して真剣ではなかったのでしょう。日本が無事だったのは、清国の犠牲があったからですよ。日本は諸外国にとって、真剣に手に入れるほどの価値がなかったんじゃないでしょうか」

それは、帝国主義というのを間違って解釈しているね。
彼らにとって、目の前にある獲物はすべて自分のものさ。手加減なんかしないよ。強国は、どんな小さな獲物でも逃さない。それが帝国主義という領土ゲームなんだからね。

獰猛な帝国主義から逃れるには、官僚や「官僚的な軍人」では駄目なんだ。強烈な自意識を持ったサムライが必要なんだ。
欧米列強から「クレージー」と怖れられるほど、強烈な存在感を持ったエイリアン(異人種)がね。
官僚的な軍人は国家意識が低いから、「不平等条約」「治外法権、関税自主権」の放棄の意味もわからず、催眠術にかかったようにサインしてしまう。

当時の清国にはこの「官僚」か「官僚的な軍人」しかいなかったんだろう。あるいは、武士はいただろうが、自主性がなかった。官僚と同じように、中華思想にあぐらをかいていた。
今、中国は「核保有」によって、かろうじて大国としての発言権を持っているが、そんな「おもちゃ」を持たないと、アメリカの顔を真っ直ぐに見られないようじゃ、「官僚」の意識は、清国時代と全く変わってないんじゃないかな。


「『核』の問題はデリケートですから、やめましょうよ」
最後はいつも、このあたりで話が止まったものである。

頼君は、2週間日本に滞在するので、その間に会えないかと言ってきたが、彼が都合のいい日と私の都合のいい日が合わないので、結局会うことはできなかった。

お互いのメールアドレスは交換したので、これからはメル友として「国際的に」付き合っていこうと思っている。

「でも、Mさん。サムライの話はもう止めにしましょうね」

そうだな、今さら侍の話でもないものね。侍は遠い昔の話だ。

「日本にはもう、侍はいませんか」

ああ、織田信長を気取った「丸投げの殿」はいるけどね。

「丸投げ? なんですか、それ? 最近の流行語ですか?」

メールで教えてあげる。


2006/06/25 AM 08:41:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ヒディングが監督だったら…
日本代表にとって、一番残念な結果に終わったワールドカップ。

敗戦には必ず理由がある。
第1戦のディフェンス陣だという人もいれば、第2戦の柳沢だという人もいるだろう。
しかし、今回の敗戦の責任を真っ先に負うべきは、ジーコ監督だ。

私は友人たちとの会話の中で、常日頃言っていたことがある。

ジーコ監督の頭の中には「用兵」という概念がない。

アジア大会レベルでなら、それでいいかもしれないが、ワールドカップレベルではそれは「無策」と言われる。
彼は、監督として、あまりに「動き」がない。

選手個々を見れば、ワールドカップレベルの選手は何人かいる。
そのレベルまであと一歩という選手もいる。
だから、ワールドカップを意識して「用兵」の妙を見せれば、それなりの戦いはできると思っていた。

しかし、ジーコ監督は、アジア大会レベルの「無策」に終始した。
だから、この敗戦は彼の責任である。

そして、負けたこと以上に、選手にとって無惨なのは、日本の代表選手が、各国(イタリア、スペインなど)のサッカー市場に「日本の選手は、せいぜいアジアレベルだな」という印象を強く与えたことだ。

ジーコ監督は、辞めればそれで済むが、選手はそうはいかない。
彼らの市場価値が下がってしまったら、これから世界はさらに遠くなる。選手の住む世界が狭くなる。

選手を信じる、というジーコ監督の心意気はいい。
しかし、有能な監督なら、選手個々のパフォーマンスをMAXまで上げることも求められる。

それが「用兵」だ。
監督が動かなければ、選手は生かされない。
彼に決定的に欠けているのが、その意識だった。

彼はブラジルの監督ではないのだ。
ブラジルの監督なら、動かなくても試合を作ることはできるが、日本の監督にそんな余裕はない。

ジーコの選手時代を尊敬している各国のメディアや関係者からは、「あんなチームの監督をしなければいけないなんて、ジーコが可哀想だ」と同情をされるだろうが、このチームを作ったのは、彼なのだ。
同情される謂われはない。

責任の所在をはっきりとしてもらいたい。
ジーコは神様ではない。
ただ「用兵」を知らない監督だった。


もしヒディングが監督だったら……。

考えるだけ虚しいが、ジーコ監督と対比してみると、明確な「監督像」が見えてくるのではないだろうか。

これから、ワールドカップはまだまだ続く。

私は決勝トーナメントを楽しみにしているが、日本が負けたことで、国内の熱気は一気に冷めるかもしれない。

メディアが騒ぐから、一緒に騒ぐにわかファン
ただ、周りにつられて騒ぐ便乗ファン
日本の勝ち負けにしか興味がないナショナリズムの強い愛国ファン

彼らは、「お祭り」から離れていくだろうから、丁度いい湯加減になる。

一流のアスリートをこよなく愛するオタクである私は、この程良い湯加減に浸かりながら、後半戦を楽しもうと思っている。



2006/06/23 PM 12:28:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

一瞬のためらいが…
仕事の帰りに、ジャンクショップを除いてみた。
別に何を買うという当てもなく、ただ寄っただけだった。

ジャンクショップはその名の通り、「がらくた」しか扱っていないが、たまに掘り出し物がある。そこが楽しい。
2時間くらい見ていても飽きない。時間がたつのを忘れる。

G4 Macの筐体だけとか、表示はできるが液晶の枠の上の部分だけ割れているモニタとか、プリントはできるがスキャンはできないオールインワンのプリンタなどが、驚くほど安い値段で売られている。

中には、どこから見ても新品と思えるようなパソコンディスクが「515円」の値札がついていたりする。
説明書きをよく見てみると、「裏板に焦げあと有り」とある。
そこで、裏を覗いてみると、確かに激しく焦げたあとがある。何カ所か黒くなっている。
しかし、見た目は「新品」。細かいことを気にしない人は、これで充分ではないだろうか。

他には、誰が改造したのか、スケルトンのノートパソコンがあった。
「完動品」と書いてあるから、使えるようだ。
ただ、ペンティアム2の200MHzだから、恐ろしく遅い。
しかし、インテリアとしては面白いかもしれない。
これが「3150円」。これを高いと感じるか、安いと感じるかは、PCをどう定義づけているかで違ってくるだろう。
私は、安いと思うが、PCを実用本位で使っている人は、高く感じるかもしれない。

そして、このノートパソコンの隣に何気なく置いてあったのが、「G4 Mac CUBE」。
今は生産していないので、中古しか手に入らないが、現在も根強い人気を誇る機種である。

以前から欲しいと思っていたが、中古でも結構値が張るので、「我慢我慢」と諦めていた。
それが「1万5千円」の値札をつけて、目の前にある。

ただし、小さく「メモリなし、ハードディスクなし、動作未確認」と書いてある。
頭の中で素早く計算してみた。
CUBEの中古は完動品なら5〜6万はする。
メモリは今512MBが8千円、ハードディスクは120GBで9千円くらい。
本体と合わせて、「3万2千円」。

これはかなり得かもしれない。

今財布には昼飯代の450円しか入っていないが、キャッシュカードは持っている。

カードには5万円がいつも入っているが、4年間以上使ったことがない。
これは緊急事態に備えて持っている「保険」のようなお金だ。
以前、得意先からの帰りに、バイクが壊れたことがある。
電車で帰ろうとしたが、小銭しかなかったので、このカードを使おうとした。
その時、運良く知り合いが車で通りかかって、家まで送ってくれたため、使わずに済んだ。

とうとう、これを使うときが来たか。

しかし、ジャンク品だから、もし動かなかったらどうしよう。
直す自信はあるが、面倒臭い気もする。
店内を周りながら、ゆっくり考えるとするか。


この一瞬の逡巡がいけなかった。

iPodコーナーを見ているときに、「すみません、これ欲しいんだけどォ」という大声が聞こえた。
振り返ると、スーツ姿の男が、CUBEを指さしていた。

俺のCUBEが!
と思ったが、世は無情である。
呼ばれた店員は、嬉々としてCUBEをレジに運んでいった。
陳列棚のその部分だけが、ぽっかりと空いていて、寒々しい。

スーツ姿の男の「いや、やっぱり止めとこう」
という言葉を期待したが、そんな都合のいい展開になることはなく、彼は財布から一万円札を二枚出してカウンターに置いた。

これ以上見ているとつらくなるので、「さよなら、CUBE」とつぶやいて、その店を後にした。

たった1分間のためらい。
その場で決断していたら、あのCUBEは今頃私のものだった。
しかし、人生とは、こんなもの。

帰りに駅の立ち食いそば屋で、かき揚げそばに竹輪の天ぷらをトッピングして食べた。
浅ましいが、お腹が一杯になると、私は急に楽天的になる。

あのCUBE、メモリやハードディスクを付けても、起動しないかもしれない。
買わなくて良かったな。
きっと、あれは「がらくた」だよ。
あー、買わなくてよかった。


まったく、ノーテンキな男である。



2006/06/22 PM 01:15:34 | Comment(0) | [Macなできごと]

寝たままイナバウアー
私の特技は、どこでも寝られること。

昨日の朝、仕事の打ち合わせのため、得意先に行った。
9時15分頃ついたが、約束は9時半。
「会議中なので、もうしばらくお待ち下さい」と言われて、応接室で待たされた。

昨日は朝5時前まで仕事。寝たのは5時過ぎ。
息子の弁当を作るため、起きたのが6時20分。睡眠時間1時間20分。眠い。
私は、寝不足でなくても、目を瞑(つむ)るとすぐ眠るという習性がある。
だから、目を瞑らないでおこうと懸命に我慢した。
しかし、真っ白い壁を見ていると、目蓋が重くなる。

「目を瞑るな! 目を瞑ったらおしまいだ! 我慢しろ!」

しかし、目蓋がほとんど閉じかける。
ダメだ! このままでは寝てしまう!

そこで、眠気覚ましに本を読むことにした。
昨年古本屋で買ったはいいが、百ページくらい読んで、「なんじゃこりゃ」と、抛(ほう)っておいた文庫本があった。

早乙女貢の「明智光秀」である。

明智光秀は生きていた。
山崎の合戦で死んだというのは間違いで、実は別人となって、百歳過ぎまで生きていた。
これこそ、歴史のミステリィだ。


こう書くと、いかにも興趣をそそられるが、読み進んでみると、スカスカの穴だらけで、歴史物でもなく、かといってミステリィでもない中途半端な内容だった。

ひとことで言うと「説得力がない」。
主人公が誰かわからない。
文体に勢いがない。

つまり、つまらない。
だから、抛っておいたのだが、読むものがなくなったので、仕方なくバッグに入れておいた。

それを読み始めたのだが、効果は全くなかった。
最初につまらないと思ってしまうと、物語によほど飛躍がないと、読むのがつらい。

本を両手に持ったまま、その姿勢で寝てしまった。

その後、ビクンとからだが痙攣して目が覚める。(よくありませんか? 寝ているとき、体が痙攣すること。まさか、私だけ?)

慌てて、壁の時計を見ると、9時50分。
応接室には誰もいない。

会議が長引いているんだな。
良かった、醜態を演じなくて済んだ。

そう思ったのもつかの間、担当者がドアを開けて顔を出した。
そして、嬉しそうに言う。

「あー、良かった、起きましたね。大いびきで寝ていたから、ビックリしましたよ」

(えっ、イビキ、かいてた? 私はイビキは、かかないはずなんだけど)

そう思って、うろたえていると、意地悪げに「うそうそ。さすがにMさん、眠りながら本を読む特技があるなんて、スゴイ、って感心しましたよ」と笑う。

その後、普段は打ち合わせだけで終わる会話が、世間話にまで発展した。
彼にとって、私の居眠りというのは、私を身近に感じる切っ掛けとなったようだ。

いつもよりフレンドリーに会話を進めることができた。

「Mさん、眠っているときも、隙がないですね。普通は前屈みになるか、後ろにのけ反ってイナバウアーするか、なんですけど、ほとんど真っ直ぐ寝ていましたよ。あれはスゴイ!」

そうか、寝たままイナバウアーかぁ。
これはウケルかもしれない。

寝たままイナバウアー。
いいかもしれない……。
今度やってみよう。


2006/06/20 AM 10:52:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

携帯電話を機種替えしたワケ
2ヶ月ほど前に、携帯電話の機種を替えた。

私の日常では携帯電話は、ほとんどの場合、仕事の電話を受けるときしか使っていなかった。
メールも、デジカメ機能も使っていなかった。
そんな状態だから、古いJフォンを使っていても、まったく不自由を感じたことはなかった。
だから、機種を新しくする気は全くなかったと言っていい。

だが、その携帯電話が壊れた。
いや、壊された。

お酢を切らしてしまったので、近所の業務用スーパーへ、自転車で買い物に行った帰りのこと。
スーパーを出て、最近出来たばかりの駐車場の前を通過しようとしたとき、後ろから車の気配。

慌てて振り向くと、駐車場に入ろうとして左にカーブしてきた軽自動車がある。

おいおい、俺の姿が見えないのか。
俺は、真っ直ぐ抜けようとしているところだぞ。
普通、お前は停まるところだろ!
このまま来たら、ぶつかるだろうが!


と思っていたら、軽自動車がこちらの存在に気付いて、急ブレーキ。
しかし、自転車の後輪とぶつかる。
普通だったら倒れるところだったが、間違いなく当たると思っていたので、とっさに右にハンドルを切っていた。
それで、衝撃が抑えられたのだろう。倒れずに済んだ。

九死に一生!

しかし、後輪は見事に変型し、くの字に曲がっていた。
カゴに入れたお酢は、カゴから飛び出して割れた。
ジーパンの尻のポケットに入れておいた携帯は外に飛び出して、これも液晶が割れ、バッテリーも飛び出していた。

この無茶苦茶な運転に、「仏のマツ」と言われた私も、さすがに怒らざるを得ない。

なんで止まんないんだよ!
どこ見てんだ、お前! 早く出てこいよ! なんか言え! このヤロー!


ほとんどヤクザである。

相手がなかなか出てこないので、さらに頭に来た私は、車のボディを蹴る寸前だった。
しかし、近くで一部始終を見ていた人が、慌てて私の腕を掴んでくれたので、蹴らずに済んだ。

「警官呼びますか?」とその人が言う。

こちらは、得意の「右フック」か「かかと落とし」をお見舞いしなければ気が済まないところだったが、「ああ、お手数をかけます」と言って、お願いした。

そして、「あんた、出てこなくちゃダメだろ」とその人が言ってくれて、やっと運転した男が出てきた。

なんだ、第三者の言うことだったら聞くのか、と思ったらまた腹が立ったが、「仏のマツ、仏のマツ」と心の中で唱えて、心を落ち着かせた。

その後、警官の検分、病院で診断、そして警察で調書取りという慌ただしい時間を過ごした。

倒れたわけではないので、どこも打っていないかと思ったが、左足のくるぶしの内側が結構腫れていた。
これは、ぶつかったときの反動で、自転車のペダルが当たったものらしい。

「全治1週間ということにしておきます」と医者から言われたので、頷いた。

最初放心状態だった「加害者」も、こちらの診断が終わる頃には落ち着いて、「できる限りのことはさせていただきます」と神妙な顔で言っていた。

もともと私は、怒りが長持ちしないタチだ。
相手が誠意を見せれば、簡単に怒りが収まる。(単純なんですね)
「片足を引きずって歩いた方がいいですよ」と医者に言われたが、そういう小芝居は嫌いなので、普通に歩いた。

話し合いの結果、壊れた自転車と携帯電話、そしてお酢を弁償してくれればいいということで、手打ちとした。

くるぶしの腫れは、医者の言ったとおり1週間引かなかったが、痛みは1日で収まった。
医者は湿布薬や痛み止めをくれたが、一度も使わずに済んだ。

新しくなった自転車は、ボロい自転車で我慢していた息子に与え、私は息子のボロい自転車を使うことになった。

そして、携帯電話は「地デジ」対応、「GPS」対応の新機種に変更。
デジカメも100万画素以上の高機能である。

マニュアルをひととおり読んだ(マニュアル嫌いの私にしては珍しい)ので、すべての機能を把握したが、ほとんど宝の持ち腐れ。
携帯で「着歌フル」を聞くのも面倒臭く、メールもしない。ネットにも繋がない。「地デジ」も見ない。デジカメも全く使わない。

Jフォン時代の携帯と同じ使い方で、2ヶ月たった今もただひたすら、仕事の電話だけに使う日々。

携帯電話は、電話が使えればいい……と思う私は、もしかして、お年寄り向けの「らくらくフォン」でも良かったのかも…、と思う今日この頃。



2006/06/18 AM 09:00:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ワールドカップを楽しむ方法
オーストラリア戦は、負け。

我が息子は、悔しくて悔しくて、その日は眠れなかったと言う。

彼は、試合の何日も前から、新聞やインターネット、テレビで情報を集め、「オーストラリアは強い」という感触を持っていた。
しかし、テレビの解説者の「予想」では、日本の勝利がほとんどだったので、心配を心の奥に閉じこめて、「日本の勝ち」を期待していた。

しかし、負けた。

「思った通りだよ。オールトラリアはあんなに強いのに、なんで専門家は『日本が勝つ』予想ばっかりだったんだろう」

負ける、なんて言ったら、ファンが抗議するからさ。
勝つ、と言っておけば、心の中では「本当かな」と思っていても、とりあえずは安心できる。
「負ける」とはっきり言われたら、いい気分じゃないからね。
それに、視聴率やグッズの売れ行きにも影響するし。

「もう、ワールドカップ、見る気なくした」
息子は投げ遣りに言って、自分の部屋に籠もった。

メディアを信じるべからず。

私も、今回の結果には大変落胆したが、ワールドカップ自体は楽しんでいる。
スポーツの面白さが詰まっているのが、ワールドカップだと思うからだ。

自国が負けるのを見るのはつらいが、見方によって、それも面白さに変わる。

私は、いつものことだが、戦前の予想というものに全く興味がない。
まるで競馬の予想みたいに、先発メンバーを予想して、「何対何で勝つ」、などというのは、スポーツの本来の楽しみ方とは違う。

23人の代表メンバーがいて、それぞれ体調が違うのだから、キックオフしなければ、本当の調子は見えてこない。
相手の戦術や、相手選手のフィジカルなどが、試合の時点でどの程度充実しているかで、結果は大きく変わってくる。

だから、戦前の予想など無意味だ。
無駄な先入観を持つと、純粋に試合を楽しめない。

私はまったくの素人なので、戦術はわからない。
フォーメーションがどうの、セットプレーがどうの、といっても、「何だそれ」という程度の馬鹿ファンである。

だから、独自の見方で試合を見ることにしている。
選手の動き、である。
選手の動きの善し悪しは、素人でもある程度わかる。

ボールまで到達するときの動き、ボールを持ってからの動き、パスの精度などは、それなりにわかるものだ。
ただ、全員の動きを見るほど目が肥えていないので、特定の選手の動きだけを見る。

今回は中村と高原だけを見ていた。

今回、中村は良かった。
ボールに対する反応が、いつも通りの俊輔の動きで、180度方向への気の配り方も万全だったように見えた。

しかし、高原はひどかった。
何を一人で焦っているのか。
闇雲にボールに向かって動いているだけで、連繋が取れていない。
相手ディフェンスの動きに惑わされている。
ボールを持ってからのスピードがない。

今回の敗因を一つあげるとしたら、前半で高原を替えなかったことだろう。
高原はいい選手だが、オーストラリア戦は最低だった。
フォワードが点を取れないチームは勝てない。
私は、単純にそう思っている。

次のクロアチア戦も、私はフォワードと中村の動きだけを見ていようと思う。

日本には勝って欲しいが、負けて決勝トーナメントにいけなかったとしても、サッカーがつまらなくなるわけではない。

アメリカなどは、自国が優勝できる競技でないと熱くならないが、それは底の浅いナショナリズムだ。
勝った負けたにしか興味がない彼らにとって、「ファンタジスタ」たちのプレイは、豚に真珠だろう。

私は、そんな「醜い豚」にはなりたくないので、勝ち負けを別にして、ワールドカップを楽しもうと思っている。



2006/06/16 AM 07:09:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

フリーランスは一人で闘っている
独立するとき、確たる成算があったわけではなかった。

固定客が3社と、単発で仕事をくれる会社が7〜8社もあれば何とか食っていけるな、程度の考えしかなかった。

幸運だったのは、独立する寸前に、「マニュアルを作らなければいけないので、手伝ってくれないか」と突然電話がかかってきたことだ。

それは小さいデザイン事務所の社長からの電話だったが、いまだに、どんな経緯で私の存在を知ったかは、教えてくれない。
ただ、どちらにしても、確実に仕事をくれる会社というのは、フリーランスにとって「神様、仏様」のような存在なので、今もその会社は、私にとって優先順位一番のお客である。

他に毎月仕事をくれる会社が2社。
単発で仕事をくれる会社が7社。合計10社が、私のメシの種である。
その他、飛び込みの仕事が年に4〜5件、知り合いのデザイナーから回ってくる仕事が年に2〜3件、「Mac出張講習」が年7〜8回といったところか。

多いときは定期的に仕事をくれる会社が5社。単発が12社あった。
しかし、私のルールに合わなかったり、あまりにフリーランスを小馬鹿にした態度を取る相手に対しては、我慢の限度を超えた場合、喧嘩を売ることにしている。
いや、喧嘩を買うというべきか。

フリーランスは、一人で仕事をしているわけだから、それなりのルールを持っていなければ、やっていけない。
普段は、相手は大事な客であるから、羊のようにおとなしく接しているが、ルールを踏みにじられた場合は、こちらも「阿修羅」になる。

私は、外見はのんびりしているように見えるし、口数も少ないので、穏やかに見られることが多い。
人間というのは、外見の印象で判断する生き物である。
概して「のんびり」「穏やか」な人間に対しては、侮(あなど)る傾向が強い。
稀に「誠意がある」と見てくれる人はいるが、軽んじる場合の方が圧倒的に多い。

逆に「強面(コワモテ)」あるいは「はったり」の強い人に対しては、一目置く傾向がある。
たとえ、張りぼてで作られた「はったり」でも、ひとは簡単に騙される。

私はこの「はったり」が嫌いなので、一番楽な「のんびり」「穏やか」で人と接することにしている。
それは、私の本質が「のんびり」「穏やか」だからだが、当然のことながら、怒らない人間などいるわけがない。

中には、私は怒らない人種だと決めつけて、言いたい放題で難癖をつける人がいる。

定期的な仕事と単発の仕事が減ったのは、そんなバカな客と「闘った」結果である。

今思い出しても、一番腹が立つ出来事。
それは、2年前のことだった。
犬の「飼育書」を編集する仕事を受けたときのことだ。
その会社からは、毎月ペットショップのチラシの仕事を貰っていた。

チラシの仕事を受けるたびに「Mさんの作るチラシは、インパクトがないよね。無難で、優しいだけだから、本当に効果があるかどうか、今ひとつわからないね」とよく言われた。

3年以上、毎月1回必ず出していたチラシの打ち合わせで、毎回同じことを言われた。
ペットショップのチラシだから、どぎついイメージのものは合わない。
だから、最初の打ち合わせで、「なごみ感」のあるイメージで、ということをお互い了解して、請け負った仕事だ。

その都度打ち合わせをして、デザインの方向性を決めているのに、毎回同じようにネチネチと「インパクトがない」と言われる。

しかし、いかにも定見のなさそうな担当者に、高尚なデザイン理論を言ったとしても、わからないだろうから「はいはい」と受け流して聞いていた。

そして、その会社が、犬の「飼育書」を出版したいと言って、私にデザインを依頼してきたときのこと。
104ページ、4色(フルカラー)。文章はコピーライターが書き、犬の写真は専門家が撮り、私はデザインだけ、という仕事。

2回目の打ち合わせの時、ラフデザインを提示して、その中から選んでもらった。
それほど急ぐ仕事ではなかったので、ラフを考える期間は2ヶ月以上あった。
だから、その時は、4種類のラフを考えて、提示した。

その打ち合わせの時、担当者の他に、コピーライター2人とカメラマン2人が同席した。
その4つのデザインの中で、担当者が選んだのは、オレンジを基調にした明るいものだった。
しかし、他のコピーライターとカメラマンが選んだのは、ブルーを基調にした落ち着いた、清潔感のあるものだった。

こういうときは、私は意見は言わない。
提示するだけで、余計な先入観を与えないようにする。
最終的に選ぶのは、担当者。
彼が「責任者」だから、彼に決めさせる。

そのとき、彼はアッサリと自分の意見を捨てて、コピーライターたちが選んだラフに決めた。
「このセンで進めてください」
彼はみんなの前で、キッパリとそう言ったのだった。

方向性が決まれば、進行は早い。
文章と写真が揃ってすぐ組み始めて、ほぼ1週間でレイアウトは終了。
大きな修正はなく、2稿、3稿で細かい修正をして、校了となった。

校了までは、彼と私とコピーライター、カメラマンは同時に責任を負うが、校了になったあとの責任は、すべて担当者にある。
そのあたりをはっきりさせないと、仕事がぼやけてくる。
責任が曖昧になる。

1ヶ月以上たって、「本、出来上がったんだけどさあ…」という電話をもらって行ってみると、担当者は仏頂面で腕組みをしていた。

出来上がった本を手に取ってみると、校了したときに、サンプルとしてレーザープリンタで出力して製本したものと、ほとんど変わらない出来栄えだった。
細かい誤字脱字はわからないが、落丁はないし、不自然なところもない、完成した本である。

しかし、眉間にしわを寄せて、彼はこう言うのだ。
「なんか、目立たねえなあ。インパクトがない。面白みがない。Mさんよお、アンタ、こんなの売れると思うかよ」

このとき、私は突然思ったのだ。
こんなバカとは、もう付き合いたくない。時間がもったいない!

言いたいことは沢山あったが、言うだけ空しい。
(だいいち、インパクトのある「犬の飼育書」ってどんな本だ! 書店にインパクトのある飼育書なんか置いてないぞ!

一度大きく舌打ちをしたあと、こう言った。

「一生悩んでいやがれ!」

それだけ言って、席を立った。
お茶を運んできた女子社員の大きく見開いた目、それは今でも鮮明に覚えている。

私にもう少し「こらえ性」があったら、得意先をなくすことはないだろうが、譲れない部分はある。

私の中のルールはただ一つ。
自分の言葉に責任を持てないやつとは付き合いたくない。

だから、これからもきっと、得意先をなくす場合が何度もあるだろう。

もしかして私は、フリーランスには向いてないのかもしれない。
最近、そんなことを思っている。



2006/06/14 PM 12:11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [フリーランスの心得]

頑張って欲しいですね
巨人戦のプロ野球中継の視聴率が、過去最低を記録したらしい。
生まれ落ちたときからのアンチ巨人としては、うれしい限り。

視聴率が低くなった理由は、「巨人が弱くなったから」というのが、多いと聞く。

しかし、ファンというのは、自分が応援するチームが弱くなったからといって、そう簡単に応援を放棄するものなのか。
むしろ、弱いからこそ応援するのではないか。

おそらく、読売という巨大メディアに踊らされた「にわかファン」だから、弱くなると離れていくのだろう。
そして、阪神タイガースファンほど愛情深いコアなファンがいないから、簡単に「やーめた」ということになるのだろう。

私はまったく野球中継を見ない。
見なくなって、おそらく20年近くなると思う。
巨人一辺倒の野球中継にウンザリしたこともあるが、もう一つの大きな理由は「解説」にある。

なぜ、プロ野球の解説者は、あんなにも理論的でなく、滑舌が悪く、ボキャブラリイに乏しく、情報量が少ないのだろう。
結果論だらけで、まともな野球理論をたてられないのは、現役時代のネームバリューだけで仕事をしているからか。

野村克也、広岡達朗、堀内恒雄など、名解説者と言われている人はいるが、私には解説者ではなく、小言人(こごとにん)にしか見えない。(ウジウジ、ネチネチ)

今までまともに人前で話をしたことのない有名選手が、引退した途端、本来は高度であるべき「解説」という仕事を請け負う。
こちらは、彼をスペシャリストとして期待するが、彼らはあまりにも「話し下手」である。
聞くに堪えない。

サッカー選手が引退して解説者になった場合、例外はあるが、理論体系がはっきりしているから、大変わかりやすい。
では、元野球選手と、元サッカー選手とでは、なぜこんなにも違うのだろう。

野球の場合、監督のサインの比重が大きすぎて、選手から「考える力」を奪っているのではないか。
それに対して、サッカーは動きが刻々と変わるから、選手個々に判断が委ねられる。
だから、サッカー選手はどのポジションにいても、その場の判断力が研ぎ澄まされる。

単純に考えれば、その違いが一番大きいのではないか。

ただ、サッカーの中継でも、野球の中継でも、その他マラソンや水泳の中継にしても、聞いていて「聞き苦しい言葉」というのが、私にはある。
これを聞くと、決まって私の額(ひたい)に「あおすじ」が浮く。

ここは、頑張って欲しいですね。

ちょっと、待って欲しい。
娘の運動会の応援をしているのではないのだから、プロのアスリートに向かって「頑張って欲しい」はないだろう。

私も昔アスリートの端くれだったが、この「励まし」には、いつもウンザリさせられた。

試合の前に、後輩からこう言われる。
「マツさん、頑張って下さい」

あのなあ、俺は頑張ってるんだよ。お前らの見えないところで、懸命に練習を積んでいるんだ。頑張って、ストイックなまでに頑張って、今ここにいるんだ! これ以上、どう頑張れっていうんだ!

「いや、あの〜、何て言ったらいいか……そういうつもりではなく……あのー」

いいか、こういう場合は、「いいタイムを期待しています」と言うんだ!

プロのアスリートである以上、頑張る才能があるからプロになったはず。
彼らは皆、懸命にスキルを磨いて、頂点に立とうとしている。
その頑張ることを知っている人たちに、軽々しく「頑張って欲しい」などと言うのは、失礼千万。
プロの解説者としては、失格だ。

例えば、

ここは、三塁ランナーを確実に刺さなければいけませんから、ライトは肩のいい○○選手に交代すべきですね。

1点を守りきるためには、フォワードを一枚落としても、ここはディフェンスの○○選手を入れるべきでしょう。

35キロ地点から、腕の振りが小さくなりました。上半身と下半身のバランスが崩れていますから、コーチが近くで指示を出すべきでしょう。

このラウンドは、左に回って、相手の右フックを警戒すべきです。左のガードはゼッタイに下げてはいけません。


など、いくらでも解説の仕方はある。
プロは、素人とは全く違う視点で、理論体系を組み立てられるからプロなのだ。
それを「頑張って欲しい」という、一番安易な言葉で、「その場を逃げる」など、視聴者に対しても失礼だろう。

この失礼の度合いが、プロ野球中継の場合、一番多い。だから、見るのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。(今の解説者のことは知りません。あくまでも、20年前の話)
おそらく、「解説がつまらない」と考えている人は、私だけではないと思う。
メジャーリーグなどは、日本語解説ではなく、「副音声」にして見れば、「ああ、ベースボールって結構面白い」と感じさせてくれる。

本来スポーツはドラマチックなもの。
解説次第で、ドラマチックに試合を作ることもできるのだ。

だから、解説者の皆様にも、ぜひ「頑張って欲しいですね」(ん?)



2006/06/11 PM 01:12:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

鳥瞰図イラスト
2週間前に、得意先から鳥瞰図を書いて欲しいと依頼を受けた。

鳥瞰図は、A3サイズ一杯に、わかりやすく立体的にとのご要望。

当然、空から撮った写真があると思って聞いてみたが、「ありません」。
キッパリと言われてしまった。

大学のパンフレットに使うらしいが、予算の関係上、空から撮影する余裕はないという。
では、大学全体の「平面図」はあるでしょうね。

「いや、それもない。貸してくれなかった」
またも、キッパリと言われた。

じゃあ、どうやって描けばいい?

「校舎やグラウンドを断片的に撮った写真があるから、それをつなぎ合わせて、『想像で』描いてください」

想像でいいんですか?

「先方に見せてみて、あまりにも変だったら、修正が入るでしょう」

まあ、そうだろう。
この程度のデータでは、正確に描く方が無理というもの。
一発で決まることは有り得ない。

こんな心細い仕事は、まともなデザイン事務所なら、おそらく断る仕事。
しかし、当方はまともではないフリーランサーなので、引き受けた。

渡された写真をパズルのように組み合わせて、自分が大学キャンパスを設計したらどうなるかを想像しながら、自分なりに平面図を作ってみた。

難しいかと思ったが、やってみると、これがかなり面白い。
想像力を駆使して、「このスロープは少し曲線だろう」とか「この写真の陰に隠れたものは、花壇に違いない」、「この木の回りに小さく映っているのは、円形のベンチだな」、「正門には守衛室が必要だ」などと考えていると、時のたつのを忘れる。

自分が行っていた頃の大学と、今の大学では、全然雰囲気が違うだろうから、それは参考にならない。
しかし、自分がもし今大学生だったら、ということを考えながら全体を想像すると、ある程度見えてくるものがある。

先々週の週末の真夜中、4日間かけてイラストレータで描いた平面図を、今週の木曜日の夜、鳥瞰図にしていった。

校舎は高さに応じて、個別に立体化していき、門、壁も個別に立体化していく。(これはKTP Vector Effectsというフィルタを使う)
そして、写真を参考にしながら、校舎の窓を付け加えていく。
校舎の影も付け加える。

さらに、樹木、花壇、道、グラウンドを、それらしい色、模様にマッピングしていく。
体育館は特殊な形をしているので、これはイラストレータのパスを駆使して、立体的に描き上げる。
他の建物と角度が違うと不自然なので、ここだけは神経を使った。

キャンパスの周辺は、道路プラス車、建物、樹木を追加して、道路、車以外はあとで「フォトショップ」でボカした。

取りかかってみると、意外と簡単。2時間半くらいで、できてしまった。
プリントしてみても、全く不自然さは感じない。
立派に絵として成り立っている。

朝、学校に行く前の娘に見せたが、「おまえ、結構やるじゃん」と褒められた。

それを早速、昨日の朝クライアントに持っていった。
子どもの感性は鋭く、正直だ。
クライアントにもほぼ同じニュアンスのことを言われた。

「さすが! やりますね。Mさん」

クライアントはその場で、先方にファックスを送った。
待っていると、30分くらいして、先方から電話がかかってきた。

「1カ所大きく違うところがあったが、他は大体合っている。すごい」と言われたらしい。

「2ヶ月以上かかるものと覚悟していましたけど、この分だと早く終わっちゃいそうですね。正直言うと、『Mさんには荷が重い』と言っていた人も社内にいるんですよ。私はそんなこと全然思わなかったですけどね」

最後に取って付けたように否定したところを見ると、彼も「こいつには無理」と思っていたクチだな。



2006/06/10 AM 11:09:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

エビちゃん、もえちゃん、優ちゃん
今週は、昼間は営業が多いので、夜中ばかり仕事をして、かなり寝不足。
先週は後半が暇だったから、体が「ゆるい時間」を覚えてしまったせいか、ちょっとばかりしんどい。

月曜日は、朝8時に家を出て、高崎まで行った。
新規の客なので、説明やら打ち合わせが長くなり、午後の打ち合わせの予定を2時間ずらしてもらった。

午後3時半に大宮の印刷会社に行き、3週間越しの仕事をその場で仕上げて、めでたく校了。
しかし、終わったのは夜の9時半。
遅れたこちらも悪いが、「夕食はどうしましょうか」くらい、聞くのが礼儀というもの。

自分たちだけ、宅配を頼んで、横で食っていた。
急いでいるのはわかるが、働かせっぱなしというのは、どんなもんでしょうか。

家に帰ったのは、10時半ごろ。
焼きおにぎりを食べながら、すぐ仕事にかかると、「ずるいよ」と子どもたちに言われたので、1個ずつ「焼きおにぎり」を分け与えた。

夜中の3時過ぎまで仕事をして、自棄(やけ)焼酎を飲んで寝る。

火曜日の朝は、母親が、退院して初めて「国立病院機構東京病院」に診察に行くので、東京の清瀬までついていった。
母の病気は「気管支拡張症」。
これは治る病気ではないが、だからといって、深刻な病気でもないらしい。
普段通りの生活をしていて、薬を忘れずに飲んでいれば、悪化することはないという。
しかし、この病名がわかるまで、有名な病院を4つハシゴ(そのうちの3つは入院)して、5つめで、やっとわかったのだから、大病院というのが、いかに怪しいところか身に染みてわかった。

「広尾日赤病院」「聖マリアンナ医科大学病院」「日医大武蔵小杉病院」「川崎市立井田病院」(井田病院は抗議のメールを送ったが、無視された)
反省してもらいたい。しかし、こんな病院を信じた私も悪いのか……

午後は、飯田橋の得意先で、プレゼンテーション。
FLASHでプレゼンをしたが、他の2社はオーソドックスなものだったので、スベッた感がしないでもない。
まあ、ダメモトかな。(期待度4パーセント。消費税以下)

そのあとは、午後7時から近所の印刷会社で1時間ほど作業して帰宅。
餃子、春巻き、小籠包の中華3本建ての夕食を作って、しばしの休息。

午後11時から仕事を開始。
2時間で終わると思っていた仕事が、倍の4時間もかかってしまい、前夜と同じく、午前3時、自棄(やけ)焼酎を飲んで寝る。

水曜日は、朝から「スイミングスクール」の写真を撮った。
ここの担当者は大変丁寧な人で、気持ちよく仕事ができた。
仕事をしている最中に、突然泳ぎたくなったので「海パン、売ってますか?」と聞いたら、レンタルがあると言われた。
「レンタルといっても、毎回クリーニングに出して消毒もしてあるから綺麗です」と言われ、借りることに。

ほぼ1年ぶりの泳ぎは快適。調子に乗って、300メートル泳いだ。
しかし、これが寝不足も重なって、後々ボディブローのように徐々に効いてくる。

午後久々の「Mac出張講習」をしているうちに、疲れて眠くなってしまった。
300メートル泳いだだけで、こんなに疲れるなんて、以前なら有り得ないことだが、これが現実だ。

90分の講習は、何とか無事やり遂げたが、あくびをかみ殺す私を、「生徒」はどう思っただろうか。

次の打ち合わせに行く途中、あまりにも眠いので、マクドナルドで爆睡。
気が付いたら、6時を過ぎていた。
マクドナルドに入ったのは、4時半だった。

幸い、次のクライアントとの打ち合わせは6時半だったので、何とか間に合った。
私の腫れぼったい目を見て、「寝不足ですか、忙しそうですね」と言われ、「いやあ、貧乏暇なしですよ」と、一番芸のないフレーズを言って誤魔化した。
なぜ、もっと気の利いたことが言えなかったのか。

自己嫌悪。

8時に家に帰り、「肉団子のトマトソース」と「ミックス野菜のカレースープ」を作って、食べ終えたのが、10時前。

この「肉団子のトマトソース」は、初めて作ったのだが、子どもたちに好評で、私の分も半分食われてしまった。
仕方ないので、「ミックス野菜のカレースープ」にハッシュポテトをぶち込んで食べたら、これがまたうまい!

でも、大袈裟に「うまい!」と言うと、また子どもたちに取られる恐れがあったので、「う〜ん」と首を傾げながら食べた。

10時半から仕事を始めて、真夜中の4時前に終了。
メールチェックを丸一日していなかったことを思い出し、アドレス3つ分をチェック。

その中で、リアルイラストの達人シマくんから、「新しい作品が出来上がったので、批評して欲しい」というメールが来ていた。
添付されていた「イラストレータデータ」を開けてみると、見事な車のイラスト。

完璧すぎて、ケチの付けようがない。
車のボディに映りこんだ街の風景まで、リアルに表現している。
これをどう批評すればいいというのか!
「見事」と言うしかない出来栄えだ。

しかし、私にそんな言葉は期待していないだろうから、こう返信した。

こんな素敵な車に乗る、君の彼女は、幸せな人だ。
ええと、確か君の彼女の名前は、エビちゃん? もえちゃん? それとも優ちゃんだったっけ?


返信したあとで、自分の文章を読み返し、あまりのひどさに鳥肌が立ったが、今さら遅い。

シマくん、このメール、削除しといてください。


話は変わって。

いささか旧聞に属する話題だが、村上ファンド代表の村上氏が逮捕された。

そのことに対して、野党が小泉改革を「市場万能主義」として、批判した。

しかし、株式市場がある限り、「市場万能主義」は当然の帰結だろう。
証券取引が公正になされることは、資本主義では、基本中の基本。
ただ、「とにかく儲けたい」という人間が出てきて、ルールを都合よく解釈して、いいとこどりしたくなるのも、金の魔力という点では、分かる気がする。

金の魔力を知っている議員センセイの言うことだから、「批判した」と言っても、本気で言っているわけではないだろう。

それを、ソーリは「何でも小泉批判に結びつけたがる」と、まともに反論している。

行政機関のトップなのだから、批判されるのは当たり前。
だいいち、自分だって、どんな些細な成功でも「小泉改革は大成功」などと言って、何でも「小泉改革のおかげ」的な態度を取っているのだから、どっちもどっちだ。

それに、毎日首相官邸で「ぶらさがり記者会見」を開いて、小泉内閣宣伝隊の番記者に向かって自己主張をしているのだから、バランス的には批判されすぎるくらいが丁度いい。

大政治家(ヨイショ)なんだから、「キレてないっスよ」(もう流行ってない?)と言うくらいの余裕がほしいものだ。



2006/06/08 PM 12:15:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [Macなできごと]

TAKESHIはどこへいく?
子は親の鏡。
多かれ少なかれ、子どもは親の影響を受けている。

息子は独自の世界観を持っているので、自分のペースを崩すことはないが、娘は思考方法や好みが、年々私に似てきている。

娘は、昨年あたりから、音楽の趣味も私に似てきて、彼女のMP3プレーヤーの中には、YUI、宇多田ヒカル、倖田來未、ミスチル、柴咲コウ、浜田省吾、MINMI、矢井田瞳の曲が入っている。
私と趣味が違うのは、KAT-TUNとジャンヌダルクくらいのものか。

つい半年前までは、SMAPも気に入っていたが、私がけなすので、最近では同じようにけなすようになった。

SMAPは5人もいるのに、ハモらない。ユニゾンで歌っているが、そのユニゾンさえも満足にできない。低い音、高い音で確実に音が外れる。ユニゾンは高い音がきれいに決まらないと、聞き苦しい。ボイストレーニングを満足にしていないのが、見え見えである。プロとしてみっともない。

これは私が以前から言っていたことだが、最近では娘も友だちにそう言っている。
「えー、SMAPチョーうまいじゃん!」と友だちは言っていたが、娘は音楽、特にコーラスのあり方について、私の教え通りに説明したので、今では友だちでSMAPファンは少なくなったという。

SMAPファンの方、ごめんなさい。

さらに、この間、娘の部屋から漏れてきた会話。

「タモリやタケシは、名前だけで、何もしてないよね」

「えー、トリビア面白いよ。うちでは面白いってみんな言ってるし」

「でも、タモリは何もしてないじゃない。面白いこと何も言ってない」

これは確実に私の「受け売り」である。

私は普段、こう言っている。

「お笑いの人は、普段バカなこと言ってるけど、本当は頭がいい」
そんなことを言う人がいる。

これは、何が根拠になっているか知らないが、こういう風に言う人は多い。

私が思うに、「お笑いの人は(特にタモリとタケシ)は、頭がいい」というのは、「こいつらの笑いがわかる俺は、同じように頭がいい」というプライドが満足できるからだろう。

タモリやタケシ本人(最近では島田伸介)も、「頭がいい」と思われることを意識しているから、少なくとも「お笑い芸人」としては、三流に成り下がっている。
人を貶(おとし)めて、楽に笑いをとろうとしている。
自分では何もせず、「格の違い」を強調して、差別を笑いの種にしている。
これは一番下等な「刹那的ないじり笑い」で、落語の「粋」と比べると、恥ずかしいほど幼児的である。

北野武は、映画監督として、一時代を築いている。
私も、「あの夏、いちばん静かな海」や「菊次郎の夏」、「キッズ・リターン」は、大変好きな映画で、これらは日本映画が誇るべき傑作だと思う。
特に、「キッズ・リターン」などは、後半きらめくようなシーンの連続で、エポックメーキングな作品だ。
また、金子賢と安藤政信を世に出したという点でも、画期的な作品だと思う。

しかし、最近の彼の作品、「TAKESHIS\\\\'」や「座頭市」は、目を覆いたくなるような出来だ。
混乱しているとしか、言いようがない。
評論家というのは、力関係でものを言う人種だから、太鼓持ちにならなければ生きていけない。
しかし、ファンだけは、もっとハッキリとものを言うべきだ。
駄作は駄作。
つまらないものは「つまらない」と言わないと、「タケシ教の盲目的信者」になるだけだ。

「『世界の』がついてからのタケシは、勘違いをするようになったよね」

娘は、私とまったく同じ言い方で、友だちを啓蒙する。
しかし、彼女の友だちは、ただこう言って聞き流す。

「へ〜! あの『カブリもの』のおじさん、映画も撮ってたの?」

余談だが、私は高田純次が好きだ。
あの力の抜けたバカさ加減がいい。
自分を貶(おとし)めることはあるが、人を貶めることはしない。
彼は絶対に、人から「アイツは頭がいい」と思われたがっていないと思う。

あの馬鹿馬鹿しさは、あっぱれだ。
彼は一流の芸人ではないが、「あっぱれな芸人」である、と思う。
その姿勢は、粋な江戸落語に通じるものがある。

毒舌、毒ガスなどは、いつか必ずその効果が薄れる。
私は「北野武」が見習うべきなのは、黒澤明やゴダールではなく、「高田純次のあり方」ではないかと思っている。

「BROTHER」以降の彼は、ただの器用貧乏にさえ、なれていない。

究極のバカになれた人こそ、一流で、愛すべき人である。

長島茂雄は「野球バカ」。
三浦知良は「サッカーバカ」。
高橋尚子は「マラソンバカ」。
岡本太郎は「芸術バカ」。
ガッツ石松は「OK牧場バカ」(?)


「自分の映画は客が入らない」などと、つまらない自虐ネタを言うよりは、高田純次が「おバカ」に徹しているように、北野武も「映像バカ」に徹するべきだと、私は思う。

人から「頭がいい」と言われたがっている、「ビートたけし」はもういらない。


2006/06/04 PM 06:08:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | [映画]

アンビリバボーじゃない偶然
前回、アンビリバボーな不思議体験を書いたら、それを読んだ友人から電話があり、「ひとつ忘れてないか?」と言われた。

いや、あれで全部のはずだが…。

「そんなことないだろ? あれだよ、俺とおまえとの出会いとか、その他諸々のやつだよ、忘れたのかよ」

ああ、そうだな、確かに色々と面白いことはあったが、あれはただの偶然だ。
アンビリバボーじゃない。

「いや、一応書いてくれよ。滅多にないことだからさ。ウケルと思うよ」

別にウケようと思って書いているわけじゃない。
ボケ防止に書いているだけだ。

「だから、ボケ防止のついでに書いてくれよ」

と泣きながら頭を下げるので、書くことにした。

彼、ノナカとは、大学1年の時、同じクラスになって、親友になった。
彼との最初の出会いは、まったくおバカを絵に描いたようなものだった。

私は大学で、第2外国語として「フランス語」を選択していた。
初めてのフランス語の授業を受けるため、講義室に入って待っていると、ヒョロッとしたヘチマ顔の男が隣の席に座った。

横目で見てみると、彼は隣で「フランス語」の教科書を広げて、左脇に辞書を置いていた。
その時、私も同じように教科書の左脇に辞書を置いていたから、「ああ、同じか」と単純な感想を持った。

そして、このヘチマ顔が同じクラスなら、俺が一番先にあだ名を付けてやろう、と思った。
ヘチマ。これで決まりだ、と思って心の中でニヤついているとき、講師が入ってきた。

講師は、黒板にいきなり字を書き始めた。
漢詩らしい、というのはわかった。
そして、講師は、それを本格的な中国語で読み始めた。

この人、中国人か。中国人が「フランス語」を教えるのか。
そう思っていると、講師が思いがけないことを言った。

「中国語は、日本人にとって大変なじみ深いものです。そして、漢字のルーツですから、習得することは決して難しくありません。この一年間、楽しみながら一緒に学びましょう」

中国語!
隣のヘチマと同じタイミングで顔を見合わせた。
真正面で見ると、さらにヘチマに似ている(?)。

「ここ、何号室?」
「842号室だよね」
「そうだよな、間違いないよな」

その会話を聞いていた後ろの女の子が、小さい声で「852」。

階を間違えたのだ。
私とヘチマは、慌てて教室を飛び出した。
教室の表示板を見ると、確かに「852」となっていた。

二人揃って、教室を間違えるなんて、なんておバカなふたり。
これが二人の出会いだった。

ヘチマ、いや、ノナカと私は、性格はあまり似ていない。
彼は、薄っぺらい顔から受ける印象と違って、皮肉屋で、言葉に鋭いトゲを持っていた。
バカな人間が我慢できないタイプだ。おそらく、頭が良すぎるせいだろう。(これって、褒めたことになるのかな、ノナカくん?)

評論家になったら、さぞ舌鋒鋭く攻撃するタイプになったに違いない。
彼は今は、故郷で塾を経営し、街の名士になっている。(褒めといたよ)

しかし、性格は違っても、どこかで繋がっているのではないかと思うほど、彼と私は波長が合う。

大学2年の春、友人3人と京都に旅行したときのことだ。
西本願寺の境内を歩いていると、庭園の池のそばに見覚えのある顔を見つけた。
間抜けなヘチマ顔で、口笛を吹いている男。
ノナカである。

お互い、春に京都を旅するなど、言っていなかったが、偶然にも出くわしてしまったのだ。

さらに、その夏、陸上部の合宿が終わって、友人3人と合宿の疲れを落とそうと「妻籠・馬込宿」に寄った。
そこの「梅の家」という民宿に泊まったのだが、食堂で夕食をとろうとしたとき、入口寄りのテーブルにヘチマがいたのだ。

このときも、お互い「妻籠・馬込宿」に行くとは、ひとことも言っていなかった。

まだまだ偶然がある。
これも大学時代だが、銀座の「ニュートーキョー」で皿洗いのバイトを募集していたとき、面接会場にヘチマ顔があった。
社会人になってから、お互い勤めている会社は全く違う場所なのに、昼間、銀座の旭屋書店の同じコーナーで出くわしたこともある。

そして、極めつけは、これだろう。
25、6歳の頃、私とノナカは、たまに駒沢公園でジョギングをしていた。
駒沢公園のジョギングコースを5周走ったあとで、いつもクーリングダウン(心拍数を緩やかに落とす)のため、サイクリングをした。

駒沢公園のサイクリングロードを、自由自在にペースを変えながら漕いでいたときのことだ。
6周目だったと思う。
坂道のちょっとした勾配。全く同時に、二人の漕ぐ自転車のチェーンが切れたのだ。

「うわぉっと!」
掛け声まで一緒だった。

これは、偶然としてはかなり高度な偶然だろう。
自転車を買った時期が違って、メーカーも違うのに、全く同じ時間にチェーンが切れるなんて、かなりレアな偶然に違いない。

この冬は、お互いの息子が全く同じ時期にインフルエンザに罹ったりもした。

この分でいくと、もしかして、死ぬときも同じ時間かもしれない。

だから、ノナカくんにお願いする。
私を道連れにしないでください。

君の地獄行きに付き合ってはいられない。


2006/06/03 PM 06:23:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

4つのアンビリバボー (その2)
前回の不思議体験の続き。

3つめは、29歳の時のこと。
当時私は、体の衰えを少しでも先延ばしするために、住まいのある私鉄沿線のボクシングジムに通っていた。

当時は今と違って「ボクササイズ」などというものはなくて、私以外の人はすべてが現役ボクサーかプロ志望の練習生だった。
ボクサーというと、今話題の亀田三兄弟のように闘争心丸出しのイメージを持つ人が多いと思う。
しかし、むしろ彼らは例外で、リングの外ではシャイで優しい人が多い。

ジムに練習生が何人いたかは忘れたが、しばらくすると、その中の一人とよく話をするようになった。
彼は18歳のプロ志望の青年で、ジムに来るとき愛犬を連れてきていて、練習が終わるまで、近所の骨董屋に預けていた。

犬は中型の雑種だ。名を「サム」と言う。(本当は「サムライ」と名付けたが、面倒くさいので縮めて呼んでいるらしい)
立派な巻き尾をしていて、雑種といえども凛々しさを感じさせるハンサムな白い犬だった。
私も動物が好きなので、ジムの帰りに、犬の散歩に一緒について行ったりした。

彼の家は、ジムのある駅から2つ目だが、いつも家から愛犬と走りながら来ていた。

事件は、彼と犬の散歩に付き合うようになって、2ヶ月が過ぎたころに起きた。
いつも通りジムに行くと、しょげて憔悴した彼がいて、私にこう言ったのだ。

「サムがいなくなったんです」

前日、多摩川の土手道を一緒に走っていたら、リードが手から離れた。するとサムは、全力で走って行った。名前を呼んでも、一度も振り向くことなく、すぐに彼の視界から消えていった。
だが、そういうことは今までにも度々あって、一時(いっとき)姿が見えなくなっても、走ったり探検するのに飽きたりすると、同じ場所で待っていたという。

だから彼は今回も慌てず、犬との待ち合わせ場所でずっと待っていた。
しかし、3時間待っても、サムは姿を見せなかった。
もしかして、車に轢かれたのかもしれない。
彼はそう思って、周りの道路を探し回り、最寄りの交番に行って聞いてみたが、それらしい事故はなかったという。

家に帰ったのかもしれない、と思い直して、帰って犬小屋を除いたが、サムの姿はそこにもなかった。

リードが着いたままだから、飼い犬だということは分かる。
首輪に「サムライ」の名と「電話番号」が彫ってあるから、親切な人が電話をしてくるかもしれない、そう思って昨晩は一睡もせずに待っていたそうだ。

今日はジムに行くのを止めて、心当たりを探し回ろうと思ったが、ジムの周りも犬の縄張りなので、一縷の望みを託して来てみたという。
彼の落ちくぼんだ目を見ると、私も練習に身が入らず、練習を中断してジムの半径1キロを探索した。しかし、犬は見つからなかった。

そして、それからさらに1ヶ月。
「もう、あきらめましたよ」と彼は言うが、顔には「未練」が貼り付いている。
「電柱に『迷子犬』の張り紙でもしてみたらどうかな」
可哀想になって、提案してみたが、彼は弱々しく首を振る。

「誰かがきっと持っていったんだと思いますよ。そうだとしたら、帰ってくる確率は低いでしょう。もういいです。本当に諦めましたから」

そんなとき、奇跡が起きた。

私が当時住んでいた賃貸マンションは、彼の最寄り駅から7つ目にあった。
途中、多摩川を渡る。
線路際の緩やかな坂の途中に、マンションはあった。
駅から歩いて5分。いい物件である。

ある日の夜の11時過ぎ。
仕事帰りで疲れた私が見たものは、マンションの入口に背筋をピンと伸ばして座る犬。

一目見て、それがサムだということが分かった。
リードは取れているが、首輪は見覚えのあるものだ。
だが、それをわざわざ確かめなくても、私にはわかった。
凛々しい姿、特徴のある巻き尾、そして雰囲気。すべてがサムのものだった。

なぜ、サムがこんなところに…、という疑問より、とにかく嬉しくて、私はサムに抱きついた。
サムも当然のことながら、私を覚えていた。
両方の前足を私の膝の上にのせて、私を見つめている。

「ゴー」と言って、指を指すと、サムは私が指さした方へ30メートルほどダッシュして、すぐに戻ってくる。
反対側へ「ゴー」というと、同じようにダッシュして戻ってくる。
私が教えたことを覚えていたのだ。

それから、彼へ電話をした。
私の話を聞いても、彼は半信半疑だったが、車を飛ばしてすぐにやって来た。

彼の顔を見た途端、サムは飛ぶようにして抱きついた。
さすがに、私に対する態度とは違う。
私の場合は、あくまでも知り合いに対する接し方だった。
しかし、飼い主には、思い切り甘える。

感動の再開のあと、残ったのは、「なぜサムがここに?」という疑問だ。
彼の家からここまでは、10キロ近く離れている。
しかも、1ヶ月以上たった今、なぜサムは私が住んでいるマンションの入口に現れたのか。

多摩川ではぐれたのなら、彼の家の方が近いはずだ。道筋もよく知っている。
何もわざわざこんな遠いところまで来ることはない。
迷ったとしても、なぜ私の住むマンションまで来ることができたのか。

この謎は今も解けない。
彼も考えたが、納得のいく答えは見つからなかったようだ。

犬の能力はすごい。
そんな陳腐な結論しか浮かばないところをみると、人間というのは案外、犬よりも劣っているのかもしれない。

次の不思議体験は6年前。
横浜の得意先に行くために、渋谷から東横線に乗ったときのことだ。

朝は地獄のような混み具合の東横線も、昼間はすいている。
始発なら、急行でも悠々と座れる。

私が座ろうとした、桜木町行きの急行1両目も、思った通りすいていた。
そして、2両目寄りの座席に座って、文庫本を読み始めたとき、私の隣に人が座った。
気配からすると、年配の男の人だ。70歳過ぎだろう。
電車に乗っていて、隣に老人が座るのは、日常では普通のことだ。
だから、その時はほとんど気にも留めなかった。

電車は定刻に走り始め、私は文庫本を読み進んでいた。そして「代官山駅」を通過する寸前、隣から老人の声が聞こえた。
「久しぶりですよ、東横線に乗るのは」

まさか、私に向かって話しかけたとは思わず、私は文庫本を読み続けていた。

「一番最初の結婚の時、菊名に住んでいましたからねえ。横浜で教師をやっていたんですよ」
その話し声に、誰も答えを返さないのを不思議に思って、私は隣を何となく見てみた。

70年配の丸顔の老人が私の顔を見て、微笑んでいた。
顔のシワは深いが、血色が良くて、健康そのものという感じだ。

私の方を見ているということは、私に話しかけたということか。
しかし、本を読んでいる人に向かって話しかけるというのは、あまり常識的な態度とは言えない。
知り合いならわかるが、初めて見かける顔だ。
そもそも、東横線に乗るのは、年に数回しかない。
しかも、老人の知り合いは一人もいない。
私は少し身構えた。

「今の家内は、3番目。つまりバツ2ですな。結婚するたびに相手は若くなる。今の家内は、23歳年下ですよ」

赤みがかった元気な顔は、奥さんが若いからか。
そう納得したが、なぜ私に話しかけたのか? その疑問は解けない。
老人特有の、「話したがり症候群(?)」か。
「嫁が私につらくあたるんですよ…ウウウ(泣)」という、あれか。

しかし、この血色のいい顔には、そんな湿っぽさは微塵もない。
人生を楽しんでいる顔だ。
彼は構わず話し続ける。

「僕の連れ合いになった人は、三人とも島根県出身でしてね。いやあ、島根の女性は日本一ですな」
ここで、なぜか私の心臓は、ドクンと一拍早くなった。
何かの予感がした。それが何かは、その時はわからなかった。

「島根県は地味な県ですから、県庁所在地を知らない人もいますが、僕は県庁所在地の松江というところの出です。失礼ですが、あなたはどちらのご出身?」
「私は東京ですが」と言って、私は次のことばを言うのを少しためらった。
今度は、心臓の鼓動が早くなった。

老人はそんな私の顔を見つめながら、次の私の言葉を待っていた。
このとき、なぜか私はほとんど確信に近いかたちで、この先の成り行きを想像することができた。

老人の目の奥に、祖母の顔が見えたような気がした。

私は老人の目を見通すように、話を続けた。

「私の父母と祖母は、島根県の出雲の出身です」
そして、まるで重大な秘密を打ち明けるように、こう言った。
「私の祖母は、松江で師範学校の教師をしていました」

「ああ」
老人も話の筋が、読めたのだろう。
納得するように、大きくうなずきながら、今までと違ったかすれた声で、私に問いかけた。

「お祖母様は、M先生ですね」
「そうです」


それから、老人が「日吉駅」で降りるまで、私たちはこの不思議な出会いについて語り合った。

「僕は普段、見ず知らずの人に話しかけることはないんですよ。昔は教師をしていましたから、人と話をするのは好きなんだけど、見ず知らずの人に話しかけるほど図々しくはない。若い人に嫌われたくないですからな。しかし、今日はまるで導かれるように、あなたに話しかけてしまった。不思議です。M先生が導いたとしかいいようがない」

老人も私も、この東横線に乗るのは、年に数回しかない。
そんな二人が、同じ日同じ時刻に、隣り合わせで座る確率というのは、どの程度なのだろう。
しかも、ただ隣り合わせになっただけでなく、初対面で自分のことを話す確率というのは、どれくらいなのだろう。
それは、確率という味気なく薄っぺらな統計学の範疇を越えて、違う領域の出来事だったような気がする。

6年たった今も、その老人は元気で、私たちは年賀状と暑中見舞いだけのお付き合いを続けている。

そして、老人は、最初の暑中見舞いでこんなことを書いてきた。

「あなたのお祖母様は、公平な方でした。今で言う『落ちこぼれ』の私を、呆れることなく、見捨てることもなく、他の生徒たちと同じように扱ってくれました。自分でも気付かなかった僕の長所を、M先生は教えてくれた。これが本当の教師というものです。僕も教師をしていたから、よくわかるが、簡単なようで、これが一番できないことなのです」

まったく不思議な体験だった。
私が老人の話に付き合っていなかったら、私たちは永遠に交わることのない関係だった。
押しつけがましい老人のことなど、電車を降りた途端に忘れていたことだろう。

誰かが書いたシナリオをなぞるように、老人と私は出会って、良いひとときを過ごした。
偶然と呼ぶには、重すぎる体験だった、と言えるだろう。

こんな不思議な体験なら、何度してもいいと思うのだが、残念ながら、それ以後の私は「不思議体験能力」が落ちてしまったらしい。

平凡すぎる日常には、アンビリバボーは入り込みにくいのかもしれない。


2006/06/02 AM 11:14:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

4つのアンビリバボー (その1)
前回、霊感のことを書いて、思い出したことがある。
それは、霊感とは全く関係ない出来事だが、今も私の中で説明がつかない4つの不思議な体験だ。

果たして、この程度の体験は、誰にでもあるものなのだろうか?

先ず、中学2年の時の運動会前の出来事から。

私は短距離が得意だったから、運動会では必ずリレーのアンカーを任されていた。
リレーは4人のチームワークで走るものだ。特に、バトンリレーの善し悪しで結果は大きく変わる。
そこで、他の3人から、早朝にバトンリレーの練習をしないか、と持ちかけられた。

しかし、生意気盛りの私は「いや、俺はいいよ」と断った。
当時の私は、すでに100メートルを11秒台で走っていた。
それに比べて、他の3人や、違うクラスのリレーの選手は、早い子でも12秒代後半がほとんど。傲慢な言い方だが、「力の差がありすぎる」状態だった。
だから、練習など必要ないと思ったのだ。(嫌なやつでした)

クラスの友だちは、運動会の前々日まで、早朝7時から8時まで練習をしていた。
そして、ここからが不思議体験。

運動会の前々日、つまり、早朝練習の最終日。
私がいつも通りの時間(授業開始5分前)に教室に入っていくと、リレーの仲間が寄ってきてこう言った。
「マツ、ご苦労さん。最終日になってやっと来てくれたな」
(?)
「校庭の隅を全速力で駆けているおまえを見て、嬉しくなったよ。バトンリレーの練習は出来なかったけど、あれだけ走れたら、勝ったも同然だな」
「え、なに言ってんだおまえ! 俺は朝練なんかしてねえぞ」
「またまた、なに照れてんだよ。この学校で、あんなに早く走れるやつは、おまえしかいないんだから」

この時、まず最初に頭に浮かんだのが、(こいつら、俺をからかってるんだ)ということ。
一度も早朝練習に付き合わなかったから、ちょっとお仕置きをしてやろうという魂胆か。

そこで、変わり身の早い私は、すぐその「からかい」に乗って、こう言った。
「ああ、そうそう、確かに走ったよ。朝走るのは気持ちいいね。もう優勝間違いなしだよ」

こう言えば、からかっている方は、意表をつかれて「冗談冗談」と言ってくると思ったのだが、案に相違して、彼らは真面目に「あの走りだったら、絶対負けねぇ」とうなずき合ったのだった。

しかし、朝7時といえば、私はまだ寝ていたのだから、どう考えても校庭の隅を走れるわけがない。
こいつら絶対、俺をからかっている!

そんな釈然としない思いを抱きながら、私はその日の授業を受けた。
そして、給食を食べたあとの昼休み、私はいつも通り、廊下の隅にあるテーブルに座って、中学1年の後輩たちと話をしていた。

今でもそうだが、なぜか私は、後輩(年下の男)にウケがいい。
最初は、教室に後輩たちが押し掛けてきたのだが、だんだん人数が多くなってきたので、廊下の隅に移動して、そこで相手をすることにしたのだ。

その会話の中で、最近転校してきたばかりの後輩の言った言葉が、私の背筋を寒くさせた。

「マツさん、今日の朝練、すごかったですね。僕らのクラスも朝練してたんですが、みんなマツさんのあまりの速さに、ビックリしてましたよ」

嘘だろ。
重ねて言うが、俺は、早朝練習なんかしていない。
こいつ、もしかして、うちのクラスの奴らと示し合わせて、俺をからかってるんじゃあるまいな。


しかし、彼は転校しておよそ1ヶ月くらい。おそらく、うちのクラスの連中は、彼の存在さえ知らないはずだ。
住んでいる地域も、学年もクラブも違うのだから。

私の両腕には、かすかに鳥肌が立っていた。
だが、精一杯の明るい声を出して、こう言った。
「ああ、なんだ、見ていたのか。見ていたなら、話しかけてくれればいいのに。おまえらしくないじゃないか」

「はい、でも、何となく、いつものマツさんと違って、声をかけるのが怖い雰囲気で、できませんでした」

これはいったい何なんだ。
当時私が通っていた中学には、私より早く走れる生徒はいなかった。そして、教師にもいなかった。

走っていたのは、一体誰だ!

家に帰ってから、私は祖母に聞いてみた。
「おれ、今朝の7時に何してた?」
「寝てたわよ。寝ながら大きなオナラをしてたよ」

祖母の言っていることは、絶対に間違いない。
祖母が冗談を言うわけがない。
では、彼らが見たものとはいったい……?

次は、大学2年の時の不思議体験。

祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。
この時は一人旅だった。

墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。
「日御碕」には、東洋一高い灯台がある。
そして、海猫の繁殖地としても、知られている。
中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがある。

海猫の声と、潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。

以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。

かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。
「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。
そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。

昼食を摂ってから電車に乗ったから、時刻はおそらく1時15分過ぎくらいだったと思う。
普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない。
乗り継ぎの時間も5分とかからなかったはずだ。

途中、電車が停まった記憶もない。
車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて、「出雲大社駅」に着いた。

かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。
これが「旅情」というものなのだろう。
肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。

そして、ここから先は、「日御碕」までバス。
駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。
乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。

見ると、1時50分の「日御碕」行きのバスがある。これに乗れそうだ。
そこで、自分の腕時計を見てみた。

2時25分。

えっ! 2時25分?
時計が狂ったか?

1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。
私の感覚では、1時45分から50分くらいだ。

そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。
「2時25分だね」

嘘だ。
「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。
「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。
途中、電車は停まらなかったし、乗り換えもスムーズにいった。
ここまで30分もかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。

もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。
「2時25分過ぎかな」

これは、どういうことだ。
時間の落差。
この空白の30分は、いったい…!

駅に戻って、駅員に聞いてみた。
「電車、遅れてましたか」

まったく正常運転だったそうだ。

これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。

誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。

しかし、私は、朝、寝屁ェはするが、昼、寝ぼけたことはない。



2006/06/01 AM 11:36:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]



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