Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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最高のおばちゃん
朝の5時からブログを更新しようとしている、ホームレス・デザイナーの「ホネホネ白髪おやじ」です。


昨日は、サーバが2度ダウンした。
今までの対応を見ていると、サーバ会社は、「シロウトさん」のようだ。


ところで、今朝のホームレス・オヤジは、暇である。

息子は、春休みのアルバイト。
娘は、高校の授業が午前中で終わるので、弁当を作らなくていい。
朝メシを作るだけでいいから、楽だ。

仕事も、町内会の年度末決算書を頼まれたのだが、これは昨年もしているから、フォーマットは既にある。
会長の挨拶文を打って、決算の数字を変えるだけでいいから、2時間もかからずに終わるであろう。

明日中に、浦和のドラッグ・ストアのチラシを校了にしなくてはならないが、今回は修正箇所が少なかったので、これも明日の朝から始めても、2時間程度で終わる。

しかし、我が家には、私が心身を休めていると、心配になる(仕事がなくなったと思うらしい)人がいるので、年度末決算書を5時間以上かけて、のんびり仕上げようかと思う。
一応、懸命に働いている振りだけは、しておこう。


ところで、仕事場では、今では化石となったG4/450MHzにiTunesだけを入れて、音楽を流しっぱなしにしていることが多い。

ただ、最近は、リサイクルショップで5千円で買った16インチの液晶テレビに、ハードオフで1050円で買ったジャンク品のDVDプレーヤーを繋げて、音楽DVDや映画を流すこともある。

もちろん仕事中は映像は見られないのだが、不思議なことに、音や声が聞こえるだけで仕事の効率が上がるのである。

椎名林檎/東京事変、柴咲コウ、宇多田ヒカル、安室奈美恵、浜田省吾、B\\\\\'zのライブ映像。
そして、映画は洋画と邦画が、8:2くらいの割合だろうか。

あとは、たまにBSやCS、WOWOWの放送を流すこともある。


今年の一月のことだった。
仕事の合間に、リモコンをいじってザッピングしていたら、WOWOWの「男はつらいよ」にチャンネルが合った。

男はつらいよ、かぁ。

私は、「男はつらいよ」は、あまり真剣に観たことがない。
おそらく1本フルに観たことは、ないと思う。

観ていて、寅さんのことを身勝手な男としか思えず、感情移入できなかったからだ。
それに、人情話が苦手ということもある。
登場人物が「いい人」ばかりで、類型化しているのも気に入らなかった。

つまり、私好みではなかった。

だから、すぐにチャンネルを変えようと思った。

しかし、画面に映った、浅丘ルリ子のハリウッド女優張りの堂々とした美人っぷりに見とれ、ついリモコンをテーブルに置いてしまったのである。

すでに映画は後半らしく、妹の櫻(倍賞千恵子)が、リリィ(浅岡ルリ子)に、兄の奥さんになってくれと頼むところだった。
リリィは、その気だったが、それを寅さんは照れながらはぐらかし、結局ふたりは「仲のいいふたり」ということで話は終わった。

そのシーンで俳優が見せるテンポのいい会話に、私は感心した。

全ての日本語を耳で聞き取ることができたというのも、私にとっては嬉しいことだった。

最近のドラマやバラエティ番組、あるいはニュースでさえも、私には早口すぎて聞き取れないことが多い。
右耳が聞こえないというハンデがある私には、この状況は好ましいものではないのだが、「男はつらいよ」は、テンポのいい会話でも早口になりすぎず、俳優さんたちの滑舌もいい。
たから、たいへん日本語が聞きやすかった。

それ以後は、WOWOWの「寅さんシリーズ」をすべて録画し、週に2、3回の割合で、仕事中に流すようになった。

画面を見なくても、小気味いい江戸っ子の会話が、耳を心地よく振動させて、いいリズムで仕事をすることができた。

ああ、俺は日本人なんだなあ、と再認識させられたものだ。

なぜ、もっと早く、この映画の良さがわからなかったのかと、最近の私は大きく後悔しているところである。

インターネットも携帯電話もない時代の話だから、古臭い感は否めないが、これが、ある意味で日本の原風景だと思えば、興味も湧く。

そして、何よりも俳優さんたちがいい。
以前は、人情話がくどすぎる部分が気に食わなかったのだが、俳優さんたちのテンポのいい日本語が、そのくどさを打ち消してくれることに気づいてからは、全く気にならなくなった。

我ながら、いい加減なものだと思う。

「男はつらいよ」の出演者の中では、亡くなった方も多い。

まず、主演の渥美清師匠が亡くなっている。
御前様役の笠智衆氏、タコ社長役の太宰久雄氏、おいちゃん役の下条正巳氏、そして「男はつらいよ」シリーズで私が一番好きなキャラクターである三崎千恵子さんも先月亡くなった。


仕事をしながら、三崎さんの声を聞いていると、なぜか癒される。
なぜ癒されるのだろうか、と思った。

そして、すぐにそれが、至極簡単な理由だったことに気づいた。

お人好しで、お節介で、馬鹿正直で、騙されやすく、心配性で泣き虫。


なんだ、私の母親と、まったく同じじゃないかと思ったのだ。


当たり前すぎて、拍子抜けするほどだ。

寅さんのおばちゃんが、日本の母親の典型だから、というような考え方は好きではない。

ただ、あの声を聞いていると、ときに私の目から「何か」が出ることがある。


寅さんは、気づかないで死んでいったかもしれない。

もしかしたら、他の人も気づいていないかもしれない。


だが、たぶん、おそらく、間違いなく、おばちゃんは(子供がいない設定だが)、最高の母親なのではないか、と私は思うのだ。



遅ればせながら、おばちゃん(三崎千恵子さん)のご冥福をお祈りする。




2012/03/13 AM 06:34:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

四日間の奇蹟
今日は、私には関係ないバレンタイン・デー。

だから、関係のない話を。


好きな映画は何かと聞かれたら、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の「スティング」と答える。
これは、20年以上変わらない答えだ。

しかし、何度も繰り返し見た映画は何か、と聞かれたら「四日間の奇蹟」と答える。

日本映画だ。

20回以上、観ているかもしれない。

もとは、小説である。
「このミステリーがすごい大賞」を受賞した作品らしい。

恥ずかしいことに、私は生まれながらの中二病なので、ベストセラーは読まないのだが、これは古本屋の50円セールの箱に入っていたので、迷わずに買ったものだ。
この他にも合わせて10冊買ったのだが、10冊買っても500円。
全部が、黄ばんで年季が入った文庫本だったが、読めれば何の文句もない。

私は、小説を買った場合、たいていは2回以上読むことにしている。
(ただ内田康夫氏と海堂尊氏、東川篤哉氏の小説だけは、最後まで読んだことはないが)

このとき買った10冊の中に、宮部みゆき氏の「理由」があった。
しかし、私は小説の読解力がないせいか、一度読んだだけでは、この小説の良さが全くわからなかった。

これが直木賞? この長くて登場人物が多いだけの小説のどこに、権威ある賞を取るだけの優れたものがあるというのだ、とさえ思った。

しかし、2回読むと、作家の意図が少し見えてきて、これは面白いかも、と思えるようになった。
そして、3回読んだら、これは傑作だ! これを選んだ直木賞の選考委員の方は、さすがプロ! と賞賛したくなった。

「四日間の奇蹟」も同じだった。
最初読んだときは、これがミステリー? ただの人格入れ替わりの話じゃないか、としか思えなかった。

2回目。
これは、ミステリーとは言えないが、人間の悲しさを書いた良質の作品なのではないか、と思えてきた。

3回目。
人間の心の不思議さを奥深くまで掘り起こしたものもミステリーと呼ぶなら、これは紛れもなくミステリーに違いないと思った。
そして、これを大賞に選んだ選考委員の方々の眼力に脱帽した。

読解力のない私は、3回読んで何とか理解できたのに、プロの方たちは、いとも簡単にこの小説の良さを判断できてしまうのだから、恐れ入るほかない。
尊敬する。


そして、映画。

私の思い違いかもしれないが、この映画は公開時には、ほとんど話題にもならなかったと記憶している。

映画としての出来も、映画を芸術と捉える方たちには、鼻で笑いたくなるほどのものかもしれない。


ミステリーとしてのヒネリはない。
大きな仕掛けがあるわけでもない。
どんでん返しもない。


いたって淡々と2時間弱の時が過ぎていくだけの映像。

出演者の方々の誰もが、熱演という意識もなく普通の人を演じるだけの作品。

しかし、その普通さが、私には心地いいのである。

淡々とただ淡々と俳優さんたちが演じる役柄が、穏やかに映画全編に浸透していく映画。

胸を打つセリフがあるわけではない。
泣ける映画というわけでもない。
(もちろん泣く人が、いてもいいのだが)

しかし、最後まで穏やかに見ることができる映像作品。

その静けさ、穏やかさが、毎回私に大いなる安らぎを与えてくれるのだ。


初めて、これをツタヤで借りて観たとき、観終わったあとで、全身から力が抜けている自分を感じて、不思議な思いがした。
この感覚は何なのだ、と思った。

その感覚の正体が知りたくて、DVDを買った。
(柴咲コウの作品以外のDVDを買ったのは初めてだ)

そして、何度も繰り返し観た。

特別、主人公に感情移入しているわけでもないのに、こんなにも何度も繰り返し観ることの意味が、自分でもわからない。

ただ穏やかに時が過ぎていくから、としか説明のしようがない。


この映画を20回以上も繰り返し観ているのは、この映画に携わった映画関係者だけではないか、と想像すると不思議な気がするし、何故か誇らしい気分にもなる。


そんな不思議な映画を、今日も朝の4時半から観ている。



不思議な映画、というより、きっと私自身が不思議な人間なんだと思う。




2012/02/14 AM 06:33:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

どろろは、まだ観ていない
どろろ 観た?」

私が以前このブログで、柴咲コウが好きだと書いたら、友人や同業者から同じことを聞かれるようになった。
どいつもこいつも、まったく同じ反応をするんだから、私の周りの人間は単純に出来ているらしい。

しかし、どろろは、まだ観ていない。

中には「一緒に観に行きましょうか」と親切に言ってくれる人もいる。
だが、映画は一人で観るものだろう。

2時間前後、ずっと前を向いて、動く画面に集中しているわけだから、複数で行く必要はない。
会話もスキンシップもない2時間は、一人だからこそ我慢できる。
もし友だちや恋人なら、その2時間はもったいない。
一緒にダーツでもした方が、楽しいのではないか。

だから、悪いね。俺は映画は一人で観る主義なんだ。

そう言うと、「Mさんって、変わってますね」と必ず言われる。
そんなに改めて強調しなくても、私が変わっているのは、自分が一番よく知っている。
ほっといて欲しい!

だいいち、二人や三人で見たからといって、映画の楽しさが二倍や三倍になるわけでもないだろう。黙って画面を見ているのだから、一人で観ても同じではないのか。

だから、なぜ、私をそんな目で見る?!

何度でも言うが、私が変態、いや、変人なのは、自分が一番よく知っているのだから、いいじゃないか!

「どろろ、観たんですけどね。漫画の方が良かったです」

予想はしていたが、やっぱりこういうことを言うやつがいたか。
いいんだよ、そんなことは。
私は、柴咲コウが出ているから見たいだけで、漫画と映画の比較論はどうだっていいんだ。

そもそも、映画という媒体になってしまえば、映画は原作とは別物のはずだ。
脚本家と監督の頭の世界の「どろろ」があればいいはずだろう。
君たちは、そんなことも知らないのか。

そんなことをしたり顔で言うなんて、「映画を知らない」と言っているようなものだ。
漫画の「どろろ」がそれほど好きなら、映画は観なければいい。
だいいち、漫画と映画がまったく同じものだったら、映像にする意味がないではないか!

素人だねぇ。

「どろろ」は観ていない。しかし、先日、レンタルで「メゾン・ド・ヒミコ」は観た。
かなり良かった。
特殊な設定の映画だが、無理なく展開して、監督である犬童一心の力量を存分に感じる作品に仕上がっている。

ゲイの老人ホームという設定が、奇怪な感じになっていなくて、自然である。
柴咲コウは、ほとんどの場面でスッピンを晒(さら)している。
しかし、その方が、彼女が本来持っている「目力(めぢから)」が活きるのである。
父やゲイに対する嫌悪感がその目に宿って、物語に説得力を持たせている。

オダギリジョーもいい。
彼は異能の役者だが、それがはまりすぎるほど、うまくはまっている。

どうでもいいことだが、オダギリジョーのことを「オダジョー」と言うらしい。
まったくセンスがない。
縮める意味がわからない。

志村けんを「シムケン」と言うらしいが、ただ「ら」を抜いただけじゃないか。
一文字だけ省く意味があるのか。
じゃあ、柴咲コウは、「シバコー」か。
柴咲コウになら、シバいてもらってもいいかもしれないが……。
いや、こんなことを言うから、「変態だ! 変人だ!」と言われる。
世間の人は意外と真面目だから、言葉には気を付けなければいけない。

話変わって、これは本当のことか判断はつきがたい話だが、昨年だったか、一昨年だったか、友人が彼のブログで、某有名人のことを「キムタク」と書いたら、フアンからクレームが来たらしい。
彼のブログには、ほとんどコメントがつかないが、その時は珍しく11件もコメントがあったという。
喜んで読んでみると、すべて批判的な内容で、しかも強烈なくらい感情的なものだったので、彼は大変ガッカリした。そして、恐怖心を持った。

まったく意味不明の出来事だが、フアンというのは怖い。

「オダジョー」
ああ、いいネーミングですね。
センスが溢れています。


さすが!
オダジョー 最高!



2007/02/28 PM 04:59:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

映像は先入観の餌食になる
遅ればせながら、ジブリの「ハウルの動く城」を観た。
以前、テレビで放映したものをビデオに撮っておいて、今頃観たのである。

「ハウルの動く城」は、インターネットでレビューなどを読んでみると、あまり評判が良くない。
しかし、ネットの評判はあまり当てにならない場合が多い。
観てもいないのに、「つまらない」と断定する人がいるから、そのあたりは差し引かなければならない。

ただ、今回はネット以外にも、「映画評論家(評判家?)」と称する人たちの評価もあまり高くなかったような気がする。
反戦の主張が中途半端で、何を言いたいのか伝わらない、というものがいくつかあった。

若いヒロインの声を60過ぎの倍賞千恵子が演じるというのが不自然、という「感想文」を書く評論家もいた。
原作に忠実ではない、という見当はずれのことを言う人もいた。
しかし、原作は原作であって、映像に転じれば、それは「別物」というのが、映画の世界の常識ではなかったか。

このような先入観を持って映画を観るというのは、ネット社会ではもう当たり前のことになっていて、そういった雑音をすべて受け入れた上で「覚悟して観る」というのが、現代の正しい映画の見方である。

映画というのは、映像を見せるものである、という単純な見方しかできない私にとって、この映画を観た感想は、「満足」の二文字で単純に表すことができる。
「映像」の中には、当然「ストーリー」も含まれる。

先ずは、滑稽な姿をした城が動く様がいい。
卓越したイマジネーションを感じる。
ダイナミックに、コミカルに動くこの映像は、ジブリにしか創ることはできないであろう。
それだけで、最大限の評価をしてもいいのではないか。

倍賞千恵子の声にしても、たいしたものだと思う。
倍賞千恵子の実際の歳に必要以上の先入観を持つ人には、それがこだわりになって、物語に没頭できないだろうが、それは個人の感性の問題である。
私は物語に没頭したから、まったく気にならなかった。
見事である、と賛辞を送りたい。

倍賞千恵子は、紛れもなくソフィを演じていたと思う。
木村拓哉も悪くない。「棒読み」「鼻の詰まったような声が変」などという悪意に満ちた感想は、井戸端会議的主張に過ぎない、と私には思える。

反戦の主張が中途半端、という評があったが、私は普通に恋愛映画として見たから、正直なところ、その評価の意味がわからない。
一つの作品では、いくつものテーマを要求してはいけない、と私は思っている。
私はこの映画は、「ソフィの恋愛」をテーマにしたものだと思っているから、それ以外のことに細かい意味を求めない。

エンターテインメントとしてテーマが破綻していなければ、枝葉末節は物語を支える「伏線」に過ぎない。
伏線にまで、テーマを求めるのは、見当違いというものだろう。

娯楽大作として、この「ハウルの動く城」は破綻なく、見事なダイナミズムを見せてくれる。
だから、傑作である、と私は思うのだ。
他の誰が、こんな作品を創ることができるだろう。

ネットでは、ジブリの作品は「もう飽きた」と評する人が意外と多い。
つまり、「飽きた」という、作品の正当な評価とは関係ない部分で評価しているのだ。
飽きたら、観なければいい。
新しいものに飛びついて、そしてまた飽きればいい。それは、ご自由に、と言っておく。

ジブリの新作「ゲド戦記」も、評判があまり良くないようだ。

先日、作者が作品に対して批判した、などというニュースもあった。
作者が、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」と比べて、細密な正確さや斬新さがない、あるいは、一貫性に欠けている、などと言っていると報じられた。

これを読んで、私は「となりのトトロ」などを引き合いに出すのは、フェアではないと思った。
「となりのトトロ」は外人から見れば、エキゾチックに見えるだろう。「千と千尋の神隠し」は、エキゾチックで、しかも幻想的に見えただろう。

だが、「ゲド戦記」は、原作者である彼が書いたものだ。
比較するのは、見当違いだ。
原作に忠実でない、原作の倫理観の表現が不十分だと言うのなら、誰にも映画化の権利を与えるべきではない。
紙の世界だけに閉じこめておくべきだ。
彼の読者のためにも、映画化すべきではなかった。

だから、私には原作者の言っていることは、「戯言(たわごと)」にしか聞こえない。
あるいは、政治の世界で言うところの「ネガティブ・キャンペーン」か。

こんなアンフェアな「戯言」が一つの評価の基準になって、まことしやかな「否定的感想文」がネットに充満するとき、映像作品は、巨大な先入観の餌食にされる。

「ゲド戦記」を観に行く時間はないが、DVDで発売されたら、観てみようと思う。

先入観をタップリ頭に詰め込んで、映像に浸るのは、もう慣れてしまったから。




2006/09/16 AM 06:32:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [映画]

TAKESHIはどこへいく?
子は親の鏡。
多かれ少なかれ、子どもは親の影響を受けている。

息子は独自の世界観を持っているので、自分のペースを崩すことはないが、娘は思考方法や好みが、年々私に似てきている。

娘は、昨年あたりから、音楽の趣味も私に似てきて、彼女のMP3プレーヤーの中には、YUI、宇多田ヒカル、倖田來未、ミスチル、柴咲コウ、浜田省吾、MINMI、矢井田瞳の曲が入っている。
私と趣味が違うのは、KAT-TUNとジャンヌダルクくらいのものか。

つい半年前までは、SMAPも気に入っていたが、私がけなすので、最近では同じようにけなすようになった。

SMAPは5人もいるのに、ハモらない。ユニゾンで歌っているが、そのユニゾンさえも満足にできない。低い音、高い音で確実に音が外れる。ユニゾンは高い音がきれいに決まらないと、聞き苦しい。ボイストレーニングを満足にしていないのが、見え見えである。プロとしてみっともない。

これは私が以前から言っていたことだが、最近では娘も友だちにそう言っている。
「えー、SMAPチョーうまいじゃん!」と友だちは言っていたが、娘は音楽、特にコーラスのあり方について、私の教え通りに説明したので、今では友だちでSMAPファンは少なくなったという。

SMAPファンの方、ごめんなさい。

さらに、この間、娘の部屋から漏れてきた会話。

「タモリやタケシは、名前だけで、何もしてないよね」

「えー、トリビア面白いよ。うちでは面白いってみんな言ってるし」

「でも、タモリは何もしてないじゃない。面白いこと何も言ってない」

これは確実に私の「受け売り」である。

私は普段、こう言っている。

「お笑いの人は、普段バカなこと言ってるけど、本当は頭がいい」
そんなことを言う人がいる。

これは、何が根拠になっているか知らないが、こういう風に言う人は多い。

私が思うに、「お笑いの人は(特にタモリとタケシ)は、頭がいい」というのは、「こいつらの笑いがわかる俺は、同じように頭がいい」というプライドが満足できるからだろう。

タモリやタケシ本人(最近では島田伸介)も、「頭がいい」と思われることを意識しているから、少なくとも「お笑い芸人」としては、三流に成り下がっている。
人を貶(おとし)めて、楽に笑いをとろうとしている。
自分では何もせず、「格の違い」を強調して、差別を笑いの種にしている。
これは一番下等な「刹那的ないじり笑い」で、落語の「粋」と比べると、恥ずかしいほど幼児的である。

北野武は、映画監督として、一時代を築いている。
私も、「あの夏、いちばん静かな海」や「菊次郎の夏」、「キッズ・リターン」は、大変好きな映画で、これらは日本映画が誇るべき傑作だと思う。
特に、「キッズ・リターン」などは、後半きらめくようなシーンの連続で、エポックメーキングな作品だ。
また、金子賢と安藤政信を世に出したという点でも、画期的な作品だと思う。

しかし、最近の彼の作品、「TAKESHIS\\\\'」や「座頭市」は、目を覆いたくなるような出来だ。
混乱しているとしか、言いようがない。
評論家というのは、力関係でものを言う人種だから、太鼓持ちにならなければ生きていけない。
しかし、ファンだけは、もっとハッキリとものを言うべきだ。
駄作は駄作。
つまらないものは「つまらない」と言わないと、「タケシ教の盲目的信者」になるだけだ。

「『世界の』がついてからのタケシは、勘違いをするようになったよね」

娘は、私とまったく同じ言い方で、友だちを啓蒙する。
しかし、彼女の友だちは、ただこう言って聞き流す。

「へ〜! あの『カブリもの』のおじさん、映画も撮ってたの?」

余談だが、私は高田純次が好きだ。
あの力の抜けたバカさ加減がいい。
自分を貶(おとし)めることはあるが、人を貶めることはしない。
彼は絶対に、人から「アイツは頭がいい」と思われたがっていないと思う。

あの馬鹿馬鹿しさは、あっぱれだ。
彼は一流の芸人ではないが、「あっぱれな芸人」である、と思う。
その姿勢は、粋な江戸落語に通じるものがある。

毒舌、毒ガスなどは、いつか必ずその効果が薄れる。
私は「北野武」が見習うべきなのは、黒澤明やゴダールではなく、「高田純次のあり方」ではないかと思っている。

「BROTHER」以降の彼は、ただの器用貧乏にさえ、なれていない。

究極のバカになれた人こそ、一流で、愛すべき人である。

長島茂雄は「野球バカ」。
三浦知良は「サッカーバカ」。
高橋尚子は「マラソンバカ」。
岡本太郎は「芸術バカ」。
ガッツ石松は「OK牧場バカ」(?)


「自分の映画は客が入らない」などと、つまらない自虐ネタを言うよりは、高田純次が「おバカ」に徹しているように、北野武も「映像バカ」に徹するべきだと、私は思う。

人から「頭がいい」と言われたがっている、「ビートたけし」はもういらない。


2006/06/04 AM 06:26:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [映画]

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