Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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お正月
正月の仕事は、2件。
しかし、それも年末にほぼ終わった。

WEBデザイナーのタカダ君(通称ダルマ)から恵んでいただいたホームページ作成の仕事は9割がた終わって、あとは最終校正を待つだけだ。
もう1件の仕事。この10年来レギュラーでいただいている年初の社内報も、年末にほとんど組み終わって、やはり最終校正を待っている状態だ。

この社内報は、2年前に担当者が変わってから仕事がしやすくなった。
以前の担当者は、年末ぎりぎりに原稿を出して、三が日に初稿、2稿を出させるという計画性のないことを平気でやる人だった。
原稿が揃うのがあと3日早ければ、私は人並みの正月を送ることができたのだ。
仕事って、人が変わると、こんなにも楽になるものなんですね。

それによって、私は昨年から念願の人並みの正月を手に入れることができた。
しかし、人並みの正月って、退屈なんだな。
テレビは見る気にならない。

「年末から、同じ顔ぶればっかりじゃん!」という、中学2年の娘の鋭いツッコミが聞こえる。

年末の歌合戦は、NHK主催の敬老会の催し物。ご老人の精神安定剤。
年末年始のバラエティ番組は、予算を無駄遣いする学芸会。
年始の駅伝は、大新聞社演出の綺麗ごとと感動の押し売り。

我々はここ数年、ツタヤで借りてきたDVDを観る習慣になっている。
今年は、「ナイト・ミュージアム2」「ハリー・ポッター/謎のプリンス」「インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国」「レミーのおいしいレストラン」「レッドクリフ」など。

我が家のご老人は駅伝画面に釘付け。テレビに向かって、「頑張れ、キャー、抜かれる!」と叫んでいる。
幼稚園の運動会で、我が子の走る姿を見ている親の気分なのかな。

しかし、倒れこむほど走って、いったい何の意味があるの?
自分の走るペースくらい身体に覚えこませておけよ。
普段、真面目に練習しているのかね(いいがかり)。
母校が出ているが、ニュースのダイジェストで、結果を知れば十分。

そんなことを考えながら、私は元旦恒例のジョギングを自分のペースで、へたり込むことなく終えた。
走り終わったあとの、クリアアサヒが美味い!

世間では正月恒例の初詣には、私は一度も行ったことがない。
大学時代、「明治神宮に行こうぜ」という友人の誘いに、私はこう答えた。
「我が大学内には、ご立派なチャペルがある。手を合わせるなら、何も神社でなくてもいいだろう。お前たちは神道か」

「じゃあ、お前はクリスチャンか」
その工夫のない問いに対して、私は答える。

私は、目に見えないものは、空気以外は、ないものだと思っている。

神様も仏様も、見たことがない。
ご立派な神殿も十字架も、それは神殿であり、十字架であるに過ぎない。
何かを象徴しているのだろうが、ご本体は、目に見えない。
だから、存在が見えない。
存在の見えないものは、ないのと同じだ。

「罰当たりめが!」

そうです。罰当たりです。私は、最低の日本人です。

私のヨメは、ある宗教の信者なので、彼女だけは罰当たりではないが、宗教上の理由から、彼女も神社に詣でたことは一度もない。

そこで、暇を持て余した罰当たり家族は、ブックオフに出かけた。
娘が、昨年から「名探偵コナン」と「One Piece」を揃え始めたからだ。
ただし、娘は105円の中古本だけで全巻揃えるという偉業を成し遂げるつもりのようだ。

「だって、新品を買うと高いだろ」

娘と私は、価値観がよく似ている。
簡単に言うと、感覚が二人とも貧乏臭い。
たとえば、ブックオフで「名探偵コナン・29巻」を売っていたとする。
105円のものと250円のものがある。

ヨメと息子は、250円の綺麗なほうを選ぶが、娘と私は250円の本は眼中にない。
105円のものにしか目がいかないのだ。
「だって、内容は、同じだろ」

たとえば、昼メシ。
正月の繁華街は、どこも混んでいる。
かなりの時間並ばないと、メシにありつけない。

そんな時、娘と私は、立ち食いソバでいいだろう、という価値観を持っている。
しかし、ヨメと息子は、それを「貧乏臭い」と言って嫌がるのである。

「食えりゃ、いいじゃん!」
コンビニでおにぎりを買って、駅のホームで食ったって、娘と私は平気だ。

しかし、それも「貧乏臭い」とブーイング。

「それが平気なのは、心が貧しいからなのよ」と、ヨメ。
痛いところを突いてくる。

確かに私の心は、貧しいと思う。
もしも、「心が貧しいワン-グランプリ」があったら、私は初代王者に輝く自身がある。
優勝だぞ! 誇らしいではないか。

しかし、結局、ヨメと息子連合に押し切られ、30分待って、ファストフード店に腰を落ち着けた。
店内は、大混雑。
うるさいし、慌しいし。
落ち着きませんよ。

娘と私は黙々と食い、そしてすぐに食い終わった。
それに対して、ヨメと息子は、店内の喧騒をよそに、優雅にノンビリ食っている。
息子は、マンガ本を読みながら食っているから、よけい遅い。

何気なくあたりを見回すと、トレイにハンバーガーとフライドポテトを山盛りにして、席を探しているお父さんの姿が、2つあった。
娘もそれに気付いた。
娘は、モグモグのんびり食うヨメと息子を「早く食おう、席の空くのを待っている人が沢山いるんだから」と急き立てた。
そして、席を探しているお父さんに対し手を上げて、「ここいま空きますから」と言ったのだ。

おお、気配りのできる、なんと偉いやつ!
娘は、私と同じ価値観を持ってはいるが、この子の心は、私と違って絶対に貧しくはないと断言できる。

帰りの電車。
ちょうど3席分空いていたので、私以外の3人は、座席に座った。
最寄り駅まで2駅、立っていても疲れる距離ではない。

電車が発車する寸前、杖をついたお年寄りが二人、スローモーションで入ってきた。
それを見た娘と息子は、競うように立ち上がって、お年寄りに席を譲った。

貧しい正月、貧しい家族。
しかし、少なくとも子どもたち二人の心は貧しくない、と私は誇らしげに胸を張った。

正月早々、えげつない子ども自慢でした・・・・・。



2010/01/03 AM 06:35:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

東方神起、椎名林檎
東方神起を初めて聞いたとき、鳥肌が立った。

おそらくJ-WAVEでだ。
グループ名を聞いたとき、面白い名前だと思った。

これはスゴイぞ、と思った。

しかし、そのとき、彼らが「韓国のス●○プ」と紹介されたことに、違和感を持った。
こんなにうまいのに・・・・・。

受け入れられるかな、とも思った。
カラオケ感覚の歌だけが流行る風潮の中で、密度の濃いハーモニーは、時代に合わないのではないか、と。
だから、最初、認知度は低かったと思う。

その後、倖田來未とコラボした曲があった。
それを、当時小学校6年の娘に聴かせたことがある。

声がセクシーだろ?
(小学6年の女の子に向かって言うことばか?)
「ああ、セクシーだな」

クールだろ?
「クールだ! ポップだ!」

娘は、それ以来、東方神起を気に入って、私より詳しくなった。
彼らのことを熱く語るときの娘の目は、異様に熱を持っている。

東方神起の解散報道があったときには、少し落ち込んだ。

「アタシはまだ東方神起のライブに行ってないんだぞ! いま解散されては困る。とにかくコンサートに行きたい。韓国でもいいぞ! おまえ、何とかしろ!」

よし、わかった!
俺が解散させない。
俺の力で、解散を止めてみせる。

「いや、そういうことじゃなくて。とにかくライブに行きたい。何とかしろ!」

う〜〜ん、それは、ちょっと・・・・・。

完全に、軽蔑の目で見られた。

娘の携帯電話の中に入っている曲は、偏っている。

東方神起、椎名林檎東京事変

娘が小学2年の時、椎名林檎の「罪と罰」を聴かせた。

「なんだこれ! スゴイじゃないか!」
一発で、椎名林檎が好きになったようだ。

普通、小学校2年の子が聴く音楽ではないのだが、娘は「他にも聞かせろ」と言って、「無罪モラトリアム」を貸すと、自分専用のCDラジカセで、くり返し聴いていた。

「『丸の内サディスティック』いいな。『モルヒネ』は、すごいが、よくわからん」

アルバム「勝訴ストリップ」の中の「病床パブリック」を聴いて、「わからんが、いいぞ!」と興奮する娘。

アルバム「加爾基 精液 栗ノ花」の中の「葬列」を聴いて、「椎名林檎は神だわ」とつぶやく娘。

こんな小学生って、怖くありませんか?

今では、私より椎名林檎に詳しい娘は、私に対して、「もっと椎名林檎を勉強しろよ」と偉そうに説教する。

「『東京事変』は、世界一の音楽ユニットだぞ! もっと、真面目に聴け!」

それは、3年前まで、私が娘に言っていたことばである。

完全に立場が逆転している。
東方神起や椎名林檎に関する知識は、もう娘には、敵わない。

完敗だ!

しかし、洋楽だったらどうだ。
ジミ・ヘンドリックスのギターこそ、神の領域だぞ。

「ああ、『ブードゥー・チャイル』は、カッコイイな! あれは、確かに神だ。ジミヘンのギターが脳髄に響いてくるゼ」

そうか。
彼女は、私の言ったことを、ちょっとしたことでも逃さず、すべて覚えているのだな。

そう思ったら、迂闊なことは、言えない気がした。
親が何気なく言っている言葉や行動を、子どもは確実に記憶しているということだ。

もしかして、ジャニス・イアンのことも?
「ああ、椎名林檎の『17』は、ジャニス・イアンの歌に影響されて作ったんだろ?」

・・・・・・・・・。

ニルバーナは?
「独特な音楽観を持った3人組のユニットだろ? メンバーのカート・コバーンは、自殺したんだっけ? たしか椎名林檎も歌ってたよな」

恐れ入りました。

子どもの吸収力は、驚異的だ。
親は、よく考えてから子どもに、ものを言わなければいけませんね。

すみません、師匠。「三文ゴシップ」の中で、一番のお勧めは何でしょうか?

「『労働者』かな? あれは、林檎ワールド全開だからな」

ありがとうございました!


2009/09/10 AM 06:26:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

親失格、ついでに人間も
世の中には、困った親がいるものである。

私のことだ。

新学期が始まった。
当然のことながら、中学2年の娘は、学校に行った。
吹奏楽部の部活は、新学期以前から始まっていた。

娘の担当は打楽器。
新学期前日。いつものメンバーと練習をした。
合間に、おしゃべりをした。

おしゃべりをしていた時、娘は少し考えごとをしていたらしい。
だから、言葉を返すのが、少し遅れた。
「なんだよ、K。人の話聞けよ」と、友だちから頭を軽く叩かれた。
「ゴメンゴメン」

次の話題に移ったとき、娘が冗談を言いながら、友だちの頭を軽く叩いた。
それからは、話の途中で、たまに3人でお互いの頭を軽く叩きあった。
叩く真似だけのときもあった。

その光景を、遠くから顧問の先生が見ていた。
しかし、注意はされなかった。

次の日、友だち二人が、家の用事で部活を休んだ。
練習前、顧問がみんなの前で、前日の娘たちのじゃれあいを注意した。
名前は言わない。
ただ、それが娘たちのことを指していると、誰もがわかる言い方だったという。

「中学生にもなって、3歳児みたいなことをして、私は見ていて恥ずかしくなりました。悲しくなりました。今日は、教える気になりません。練習パートを自習しなさい」

そんなことを言って、顧問は部室を出て行ってしまったという。

残された部員たちの間に、気まずい空気が流れた。
特に、娘のまわりに。

当事者のなかで、娘だけが、練習に出てきていた。
せめてあと一人、仲間がいれば、その気まずさも緩和されたことだろう。

ひとりは、つらいよ。

ぎこちない空気のまま、自習が続く。
それぞれが気ままに音を鳴らしている。
しかし、どんなときでも、お調子者はいるものである。

1年生のお調子者が、重い空気を吹き払おうと、他の1年生の頭を譜面で叩いたらしい。
それで、空気が一変した。
場が、明るくなった。

1年生同士が、譜面を使って、頭を軽く叩きあう。
つまり、じゃれあっている。
それを見て、全員が笑っている。

いい雰囲気になってきた。
だが、その笑い声を聞きつけて、顧問が戻ってきたのである。
1年生のひとりが、ノートで人の頭を叩こうとしているところだった。

「何を馬鹿なことしてるの!」と、顧問が怒る。

そして、娘が、名指しで言われたのだ。
「あなたが馬鹿なことをするから、みんなに馬鹿がうつったのよ!」

モンスターペアレントは、それを娘から聞いて、電話で顧問に確認した。
もちろん、低姿勢で。
一応、騒動の元は、娘なのだから。

「すべては、おたくの娘さんが悪いのです」
硬い声で言われた。

確かに娘の行動は、子どもじみていて、無神経だったかもしれない。
だが、友だち同士の行為としては、ごく自然なものだったと、私は思っている。
それは練習の合間の、友だち同士のじゃれあいなのだ。
目くじらを立てるほどのことではない。

それに、注意するなら、翌日ではなく、その場でするのが教育というものではないですか。
その場で注意していれば、翌日の騒ぎはなかったのでは?

名指しで非難するほどのことではない、と私は思いますよ。

それに対して、顧問は、会話を断ち切るように、ひと言。
「私の教育方針にケチをつけないで!」

電話を切られてしまった。

仕方ないので、担任に事の仔細を説明して、顧問と話し合いの場を作ってくれるように頼んだ。

それに対して、担任。
「無理だと思います。教師も人それぞれですから」
一方的に電話を切られてしまった。

そんな対応をされて、私は頭に来て、子どもを休ませてしまったのだ。

明日は、全員休み!

私のその一言で、ヨメは花屋のパートを休み、大学一年の息子はアルバイトを休んだ。
そして、家族全員で、お台場へ。

ファミリーレストランで豪勢に食事をし、ゲームセンターで太鼓の達人を、鬼のように叩いた。
外は、時折、小雨が降っている。
厚い雲の下、砂浜を歩き、適当な場所に腰を下ろして、ビール(発泡酒ではなく)を飲んだ。

沖を絶え間なく船が行き来している。
ヨットも見える。
それを指差しながら、子どもたちが、はしゃいでいる。

デジカメで、景色を撮りまくっている。

暗くなった。
「帰りたくねえ!」
娘が、海に向かって叫ぶ。

晩メシも外食。
ラーメンを食った。餃子も食った。
ビール(発泡酒ではなく)を飲んだ。

帰りたくねえな。
今度は、私がつぶやく。
帰りに、少しだけ、夜の銀座をぶらついた。

子どもに見せる景色ではないのだが、まあ、これも教育のひとつですよ。

家に帰ったのは、12時寸前だった。
「あっ! ガラスの靴を忘れた!」
家に入る前に、まったく同時に、娘とふたり、同じことを言った。

笑いあった。

次の日の朝。
ヨメはパート。息子はバイト。
娘は、学校・・・・・、のはずだった。

しかし、全員、見事に遅刻。
だって、いつも彼らを起こす役割の俺が、寝坊してしまったのだから。

悪い、悪い!

まったく、俺は困った親だ。


2009/09/04 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

いつか削除する話
つまらない話。

いつか削除してしまうかもしれない、つまらない話。

「マミーは、パピーのこと、こき使いすぎだよ!」
子どもたちが、ヨメに抗議をする。
年に数回、そういうことがある。
私が、疲れきった顔をしている時だ。

ヨメからすれば、「え? なんで?」としか、思えないに違いない。

炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、学校行事、Macでお仕事。

すべて私が好きでやっていることだ。
それは、ヨメに強制されたものではない。
私は、楽しみながら、やっているのだ。

娘が3歳の時、独立した。
今も仕事はないが、最初は、もっとなかった。
だから、時間をもてあました。

料理を作ってみた。
すると、自分でも意外なほど、手際よく出来た。
評判も良かった。

洗濯や掃除もしてみた。
キレイになることが、楽しかった。

食材を買い出しに行った。
安い値段で、いいものが買えたときは、嬉しかった。
俺には、節約の素質があると思った。

要するに、家事が楽しくなった。
子どもたちの学校行事にも、積極的に関わった。
子育ての楽しさを実感した。
だから、それを今も続けている。

そうしているうちに、少しずつだが、仕事が増えた。
仕事が込み合っている時は、ストレスが溜まったが、家事をすると、不思議と心が落ち着いた。

特に、洗濯にこだわった。
どの洗剤を使えば、汚れがよく落ちるか。
洗剤、漂白剤、柔軟剤。
その組み合わせを色々変え、試行錯誤しながら、自分なりの黄金比を作った。
干し方も工夫した。

衣類が、キレイになっている! 楽しいぞ!

そんなことをしていると、確実にストレスが収まった。

だが、当然のことながら、それは、主婦の仕事を奪う行為である。
普通だったら、「そんなの、私がやるわよ」と、怒られるに違いない。

しかし、うちのヨメは、そんなことは言わない。

ヨメは、3歳の頃から、ある宗教を信心していた。
つまり、筋金入りの信者だ。
宗教というものは、真面目に信心すると、忙しいものらしい。
それなりに、金もかかるようだ。

私の家事参入は、ヨメの信心に費やす時間を確実に増やしたから、ヨメは以前にも増して、活発に活動するようになった。
その姿は、生き生きしているように、私には映った。

バチ当たりな無神論者の私にはわからない世界だが、連れ合いが生き生きするのは、悪いことじゃない。
先日の選挙前も、かなり張り切っていた。
毎日、知り合いと出かけたり、選挙情勢をチェックしたりで、「疲れちまった」を連発していた。

そんなヨメだが、私には決して「信心しましょ」とか「この人に投票してね」とは、言わない。
夫婦だからといって、宗教観や政治観が同じでなければいけない、とは、お互い思っていないからだ。
それに、私が信条を曲げない変人だということを、ヨメは呆れながらも理解しているからだ。

もしかして、不仲?
あんたら、仮面夫婦かい?

そんな疑問を持つ人もいるようだ。
ヨメの信心仲間の中には、「そんな理解のないご主人、見込みないわよ」と露骨に言う人もいるという。
私が、信心しないかららしい。

我が家に、昨年の11月から生息する異星人も言う。
「あの男は、見込みがないねえ。夫婦ってもんをわかってないよ」

いや、俺はかなり理解があると、自分では思っているんですが・・・・・。
どう・・・・・なんでしょうか?

4年半前から、ヨメは近所の花屋でパートで働きだした。
午前中だけの仕事だ。
私は、ヨメの時給がいくらで、月給がいくらなのか、聞いたことがない。

それは、我が家の家計には、組み入れていない。
私が、それを望まなかったからだ。
それは、もしかしたら、子どもたちが独立したとき、「あなた、別れましょ」と言うために、貯め込まれているのかも知れない。

「別れるときは、所詮はお金よ!」
離婚経験のある信心仲間の女性に、そんなふうに言われたと、ヨメが楽しそうに笑っていた。
そうやって、笑っているうちは、大丈夫なのかな、とは思う。

「お墓、買ってあるからね」
異星人が、くどいくらいに言っている。

「お父さんも、私も、あんたも、そこに入るんだよ」
どうやら、信者のための墓が、特別にあるらしいのだ。
すでに、義父は、そこに入っている。

私は、見事なほどの、無神論者。

そうか、夫婦なのに、墓は別々なのか・・・。

そう考えたら、背筋が寒くなった。
妙に、淋しくなった。

すると、子どもは、二つの場所に、墓参りに行くことになるのか。
それは、申し訳ないな。
俺の骨は、どこかのドブ川にでも流してくれないかな。
畑の肥料にしてくれてもいいし。

そんなことを思っていたら、娘にこう言われた。
「まあ、1パーセントもない確率だろうが」
DSで「レイトン教授と最後の時間旅行」をしながらだった。

「もしもお前たちが別れるようなことがあったら、アタシは、お前についていくからな」
横でDSを覗いていた息子も「俺もだな」。

(シビアな話を、軽いシチュエーションで言いますねえ)
そんな確率は、マイナス百パーセントだよ。ハハハハハ・・・。

軽薄な笑いで、その場を収めたが、心には、赤い火が灯った。

それは、嬉しいことばだった。踊りだしたいほどの。
実際、心の中では、ブレイクダンスを5曲踊った(ブレイクダンスはできないが)。

どうです? つまらない話でしょ。
きっと、いつか削除すると思いますよ。

つまらない俺の体重、58キロ。
とりあえず、目標到達!

ちょっと、めでたい。

朝だったが、バーボンでも飲んで、祝おうかな。

本当に、バーボン、飲んじまった。
しかも、ラッパのみ。



ところで、未曾有の民主党議員大増殖。

コイズミは、彼の言葉どおり、自民党をぶっ壊したが、民主党には、この国の奢りきった官僚システムをぶっ壊して欲しい。


2009/08/31 AM 06:27:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

ボンビーな夏
進行中の仕事が2件。
急ぎの仕事は、ない。

休んじゃえよ! という天使の声が聞こえた。
天使の声は絶対だ。
だから、休んだ。

朝メシを子どもたちと一緒に食って、ノンビリした時間を過ごした。

3か月前から読み始めた、北方謙三の「水滸伝」は、14巻まで進んだ。
結末まで、あと5巻。
一気に読もうと思えば読めるだろうが、急ぐことはない。
一日50ページ程度のペースが、丁度いい。
楽しみは、できるだけ先まで取っておきたい。

他に、重松清の「ビタミンF」と真保裕一の「繋がれた明日」も、同時進行で読んでいる。
そのときの気分によって、手に取る本が違う。

一流の作家の文章は、どんな読み方をしても、脳細胞に染み込んでくるものだ。
本当のプロとは、そういうものである。

ピンポーン!
出てみたら、宅急便だった。

大きなダンボールが二つ。
差出人を見てみたら、イトウだった。
イトウに関しては、このブログに書いた。

そのときのお礼として、アルカリイオン水のボトルを2ケース送ってきたようだ。
中身を覗くと、1ケースに6本のペットボトルが入っていた。
そして、手紙も。

「Mさん、先日はお世話になりました。
(中略)
Mさんが、たまに激しい下痢をするということを聞いて、私が飲んでいるアルカリイオン水を送ります。
私も同様に、腸が弱い体質なのですが、これを飲んでかなり改善されました。
私の経験が参考になるかはわかりませんが、とりあえず飲んでみてください。損はないと思います」

そんな内容だった。
確かに、最近の私は腸が弱い。
1ヶ月のうち、2日程度、激しい下痢に襲われる。

そんなときは、何を食っても腹を下す。
おかゆを食っても、他の消化の良さそうなものを食っても、腹を下すのである。
発泡酒の飲みすぎが原因だろう、と言われることがあるが、発泡酒を飲まなくても、腹を下すのだ。
つまり、原因不明。

それをイトウに言ったことがあるのだろう。
彼は、私の体調を気遣ってくれたのだ。
ありがたいことだ。
感謝感謝。

しかし、どうせなら、ビールを送ってくれたほうが良かったのだが。
ビールも、アルカリ性ではなかったっけ。

「図書館に行かないか」と娘に言われた。
団地の中に図書館はあるが、昔ながらの「とりあえず本を揃えました」という趣のものなので、最近の私は、ほとんど活用していない。

最近よく行くのは、少し遠いが、さいたま市北区にある図書館である。
ここは、蔵書の数はそれほどでもないが、空間がゆったりしていて、コミックも置いてあるので、暇つぶしには丁度いいのだ。

あそこに行こうか。
「よし、行こう」

自転車で行った。
我が団地から、図書館まで約6キロ。
私の足なら、20分程度で行ける距離だが、娘のペースに合わせて40分かけて、安全走行で行った。

娘は、夏休みの宿題の仕上げをするという。
かなりの土壇場だが、宿題に関しては、私はうるさいことは言わない。

それに対して、ヨメは、「早くしなさいよ!」と青筋を立てる。
しかし、宿題は、学校生活で不可欠のものではない。
オマケだ。
オマケに、一所懸命になるなんて、野暮だね。
私は、そう思っている。

そもそも私自体が、宿題をしたことがない。
小・中・高校と、宿題を出したことがない。

だって、授業を聞いていれば理解できるんだから、宿題なんか必要ないじゃないか!(ちょっと嫌み?)

息子にも、娘にも「宿題をしろ」と強要したことがない。
もちろん、「勉強をしろ」とも言わない。

それは、私の子ども時代が、そうだったからだ。
私が言われなかったことを、自分の子どもに強制することはできない。
だから、私は言わない。

しかし、ヨメは、強い口調で命令する。
子どもは、その違いに戸惑っているかもしれないが、どちらを選ぶかは子ども自身だ。

宿題は、してもいいし、しなくてもいい。
どうでもいいのだ。
今のシステムでは、宿題を出さないと内申書の評価が著しく悪くなるようだが、それは現在の教育システムとの闘いだと私は思っている。

ヨメは、「そんな無駄な闘いをしなくても」と抗議するが、私は宿題に意義を感じていない。
ただ、それだけのことなのだ。

まあ、感情論ですね。

私は、コミック「20世紀少年」をむさぼるように読み、娘は、「創意工夫」のネタを調べた。

昼メシは、図書館向かいのイトーヨーカ堂のフードコートで食った。
二人ともしょう油ラーメンだった。

「ビールは、飲まなくていいのか」と、娘に言われたので、隣接する食品売り場で、発泡酒とC.C.LEMONを買った。
3時前だったので、フードコートはすいていた。
家族連れが多かったが、稀にサラリーマンらしき人の姿も見えた。

お好み焼きをひとりで食う、淋しきサラリーマン。
「頑張れ!」と、思わずエールを送った。

娘が言う。
「トシコのアツは、あまりナツくなかったな」(今年の夏は、あまり暑くなかったな)

うん、ナツくなかった(うん、暑くなかった)。

「このメンラー、マイウーだな」(このラーメン、美味いな)

ああ、マイウー。

しかし、トシコのアツも、ボンビーだった。悪いな(今年の夏も、貧乏だった。悪いな)。

「まあ、それは、いつものことだ、気にするな。それよりも」
と、娘は、ラーメンを食う箸を止めて、外を見た。
噴水が噴きあがっているが、それに興味を示す子どもたちの姿は、まばらである。
夏の光景としては、どこか物足りない。

「アタシが一番嬉しかったのは、おまえがジョギングを再開したことだな。つまらないことだけどな」
ぶっきら棒な口調だったが、心に染みた。

私は、いい娘を持ったのかもしれない。

私の夏は、そんな夏だった。



2009/08/27 AM 06:26:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

モンスターの三者面談
中学1年の娘の学校で、三者面談があった。

それは、モンスターペアレンツとしては、かなり不満の残る面談だった。
それを書こうと思う。

繰り返しますが、私は間違いなくモンスターペアレンツです(開き直り)。

最初のトラブルは、面談希望日を提出する書類を「出した・出さない」から始まった。
娘は、その書類を「出した」と言った。
しかし、担任は「出していない」と言った。

その結果、ヨメが絶対に行けない日が、三者面談日に指定されることになった。
モンスターは、そのことで担任に抗議の電話をかけた。
しかし、担任は、「もう決まったことなの」とタメ口で答えるのである。

納得がいかないので、娘のお友達に聞いてみた。
すると、娘のお友だち二人は、声をそろえて、「Kちゃん(娘)は、私たちと一緒に(書類を)出したよ」と言うではないか。

「子どもの言うことは、当てにならない。大人の言うことこそ正しい」と思っている人は、担任の言葉をためらいもなく信じるだろう。
しかし、モンスターは、子どもたちの言うことを信じるのだ。

だから、何だコイツ! と思ってしまったのである。

しかも、私が抗議の電話をかけている間、担任が私に向かって言う言葉のすべてが「タメ口」なのだ。

「私は、書類を貰ってないのね。だから、こちらの都合でスケジュールを組んだの。ウンウンウン・・・
「もう決まったことだから、変えられないわね。ウンウンウン・・・」
「提出してないんだから、これは、もうどうしようもないわよ。ウンウンウン・・・」
「その日が嫌だったら、全員の面談が終わってから、最後に来てもらうしかないんじゃない? ウンウンウン・・・」

父兄に対して、この口調は、いかがなものでしょうか。

教育界では、これが常識なんでしょうか。
世間知らずのモンスターの心は煮えくり返ったが、そんなことで怒るのは非常識かもしれないと、懸命に心にブレーキをかけた。

ヨメが行けない面談日。
「パパが行くけどいいか?」と聞くと、「いいけど、喧嘩するなよ」と娘が苦笑いをする。
父親の性格をよくご存知の娘であった。

40歳前後の女教師。
教科は、体育。
四角い顔が、意志の強さ、頑固さをうかがわせる。

対面してすぐに言われた。

「娘さんは、どの教科も点数はいいのよね。ウンウンウン・・・」
(面と向かって、タメ口かよ)
「でも、『あゆみ』を何度言っても出さないの。ウンウンウン・・・」
(あゆみ? 誰だそれは? そんな子いたっけか?)

ここで、担任は、上半身を乗り出して、私を睨むのである。
「お父さん、知らないの? 『毎日のあゆみ』。みんな出してるわよ」

知ってますよ。
それは、ノート形式の提出物で、毎日何かしらの文章を書いて提出すると、担任が納得する「意味の無い日記」だ。

娘の同級生のある男の子は、毎日「先生、今日もキレイだね」と書いて提出していると言う。
そして、もう一人は「先生、大好き」と毎日書いているらしい。

提出すれば、何でもいいのか!
「キレイ」と「大好き」は許される。
しかし、「あんたなんか大嫌い」「キモイ!」と書いたら、間違いなく親が呼び出しを食らうだろう。

そんな提出物に何の意味がある?

「子どもの考えていることがわかるのよ。いじめとかも防げるし、悩みもわかるわね。ウンウンウン・・・」

教師が読む日記に、生徒が本当のことを書くと思うか?
それほどの強い信頼関係が、あなたと生徒との間にあるのか?

「書かなければ、何もわからないわ」

確かにね。
そうすれば、教師は安心するのだろう。
教師にとって、それは自分が教師であることを実感する自己満足用の必須アイテム。

でも、申し訳ないが、うちの娘は、これからも書かないと思いますよ。
意味の無いことに時間を使うな、が当方の家訓なので。

すると、担任は、窓の外に顔を向けてこう言うのだ。
しかも、小さな声で。

「内申書・・・・・・・」

呆れるほど素晴らしい担任にめぐり合えて、娘は幸せ者である。
嫌なことは嫌だとはっきり言い、納得のいかないことには抵抗する娘(決して反抗期ではないのです)は、教師に嫌われるだろうとは覚悟していたが、実際に直面すると、唖然とするしかない。
他の教科は評価が高いのに、体育だけ評価が低い理由がよくわかる。

だからと言って、世渡り上手になれよ、と言っても今さら遅い(私自身、それを娘に望んでいない)。

面談が終わって、娘に言われた。

「おまえ、偉かったな。よく怒鳴らなかったな。感心したぞ!」

娘のその言葉だけが、救いだった。



2008/11/20 AM 06:26:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

なぜ娘の携帯をのぞきたがる?
娘の携帯電話が目の前にあったとする。
娘は学校に行っているから、いない。

さあ、あなたなら、その携帯電話をどうする?

私なら、絶対に手に取らないし、中身を覗くことはしない。
しかし、ヨメは、ためらいもなく覗くのだ。

「それは、やめた方がいいよ」と私が言うと、親は子どもの交友関係を知っておく義務がある、とヨメは見事に開き直る。

中学1年の娘は、無頓着である。
日常的に、携帯電話を人の目に付くところに置いて平気な性格だ。
勉強机の上はもちろん、リビングのテーブルの上やカーペットの上、下駄箱の上、トイレ、洗面所。
まったく無防備である。
まるで、見てくださいと言わんばかりだ。

私など、娘のこの無防備さを見ると、秘密はないと考えてしまうのだが、ヨメは眼光鋭い検事のように、「いやいや、それでも、怪しい」と、細かくメールまでチェックするのだ。
誰から来て、誰に返信したかをチェックし、内容をチェックする。

見ながら私に、「あら、来週タケちゃんと買い物に行く約束してるわよ」などと話しかけるが、それ以後のヨメの言葉を私は聞いていない(共犯者になるのが嫌だから)。
脳内の会話のスイッチをオフにして、違うことに意識を集中する。

これは、私の特技である。
オフにしたら、完全に会話が遮断される。
言葉が侵入してこないから、都合の悪いことは、まったく聞こえない。

常識外のクレームを付けてくるクライアントの話も、この方式で遮断する。
そうすれば、無駄にストレスがたまることもない。
これは、簡単な訓練でできますので、皆さんもお試しください。

話を元に戻して・・・、

ヨメの素晴らしい理屈を披露しよう。

人間、必ず何かしら秘密を持っている。
そして、隠すから、秘密というのだ。
うちの子は、携帯電話を隠していない。
だから、これは秘密ではない。
秘密ではないのだから、覗いてもいいはずだ。

どうです! この堂々たる開き直り。

この考えには、当然保護されるべき娘のプライバシーが、抜け落ちているのだが、ヨメはその事に気付いていない。
また、親が料金を払っているとはいえ、現に所有しているのは娘である。娘の所有権を侵害していることにも気付いていない。
あるいは、気付いていながら、無視しているのか?
その可能性の方が、高いかもしれない。

子どもを信じてあげようよ。

「え? 取り返しのつかないことになったら、どうするの! 親は子どものすべてを知っていなければいけないの! それが、親の責任ってものよ!」

じゃあ、逆に考えてみたらどうかな? 自分の携帯を子どもに全部覗かれたら、どんな感じがする?
「私の携帯は、パスワードでロックしてあるから、大丈夫」

いや、俺は、そういうことを言っているのではないんだけど・・・。

それなら、娘が、携帯をロックしたら、どうする?
「そんなことはさせません! ゼッタイに!」

話が、完全に空回り。

そして、カシャカシャと右手の指を動かしながら、ヨメが言う。
「スケジュールを見たら、マキちゃんのピアノの発表会、来週なのね。お花を用意しなきゃね。みんなにも教えてあげようっと。みんな気にしていたから」

そう言った後で、勝ち誇ったように、「ね? 携帯をチェックしなければ、マキちゃんの発表会、知らんぷりするところだったじゃない。そんなことになったら、大変よ。あー、大変!」と言うのである。

母親の理屈は、無敵だ(恐怖)。



●無敵な人は、「体育館裏の月」。



大阪府のハシモト知事と朝日新聞の確執。

詳しいことはまったくわかりませんので、テキトーな感想を一つ述べさせていただきます。

新聞は、批判をするのも仕事のうち。
公権力を持った人は、批判されるのも仕事のうち。

だから、お互い妥協しなくてもいいと思います。
「品位のある」論争なら、どうぞ、とことんおやりください。

しかし、品のない「子どもの喧嘩」は、勘弁してください。
時間の無駄です。


2008/10/23 AM 06:22:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

1万8千円の効果は絶大
6月24日は、娘の13回目の誕生日。

誕生日には、プレゼント。
だが、娘は「今年は、プレゼント、いらないからな」と言う。

なぜ?
「色々と金使ったからな」
しばしの間、考えてみた。
そうか、吹奏楽部の楽器などを買うのに、7万円以上かかったことを言っているのか。

それで、気を遣っているのだな。
娘は、最近我が家の経済状況をかなり心配している。
高校3年の息子が、大学受験を控えているから金がかかると思っているらしく、「しばらくお小遣いはいらないからな。友だちとカラオケに行くときだけ、くれればいいから」などと、かなり遠慮したものの言い方をするようになった。

娘は、小学3年までは、誕生日前になると、「ニンテンドーDSが欲しい」「電子ピアノ買ってくれ」「もっと大きなペンタブレットが欲しい」と、遠慮なく希望を言っていたが、4年生あたりから、「洋服だけでいい」と言いだした。

我が家が、貧乏だということを、痛いくらいに認識し始めたようだ。
今年の春、小学校の卒業記念に、ディズニーランドに連れて行ったとき、「1万円お小遣い上げるから、自由に使っていいぞ」と渡しても、結局リトルマーメードのボールペンとファイルを買っただけで、残りは「返すよ」と言って、お釣りを返そうとしたのである。

「一度上げたものは、君のものだから」とこちらが言うと、「じゃあ、郵貯に入れといてくれ」と面白みのないことを言うのだ。
楽器を買うときも、「あの時の残りを使っていいからな」と、痛々しいくらい気を遣ってくる。

中学1年の娘に、ここまで気を遣わせるバカ親父は、おそらく世の中に5人しかいない(他の4人のことは知らない)。
早く、ど貧乏から脱しなくては。

しかし、「プレゼント、いらない」と娘から言われたとしても、親父としては「はいはい」と簡単に頷くわけにはいかない。
それでは、あまりにも情けなさ過ぎる。

そこで、娘が気を遣わない方法で、誕生日プレゼントを買う方法はないかと考えてみた。
現金か? と思った。
現金を見せれば、多少は安心するのではないか。

君のプレゼントを買うために、これだけのお金を用意したのだよ、ということを不自然でない状態で見せてやれば、心が動くのではないかと思ったのだ。

しかし、現実問題として、私は金を持っていない。
このブログでも何度か書いたが、独立してから、私は小遣いをもらったことがない。
小遣いゼロの男である。

SUIKAには、いつもお金がチャージしてあるので、電車での移動には困らないから、普段は別に不自由はしていない。
JRの構内なら、SUIKAで立ち食いそばも食えるので、ほとんど食事にも困らない。
だから、現金を必要とすることがあまりない。小遣いゼロでも困らないのである。

しかし、娘の誕生日プレゼントを買うのに、「お小遣いゼロの男」と威張ってみても、虚しいだけだ。
ヨメに頼んでも、「本人がいらないといってるんだから、今年はいいわよ」とドライなことを言って、出す気配はまったくない。

どうするか、と考えた。
しかし、私は幸運な男である。
先日、ブログに書いたが、工務店の社長にいただいた図書カードが手付かずで残っていた。
総額、2万円ポッキリ。

これを売ろう。

ちまたには、金券ショップなるものがある。
私も、たまに利用する。
サンシャイン水族館の入場券が、3分の1の値段で売られている場合がある。
昭和記念公園のレインボープールのチケットが、半額以下で売られていることがある。
ファミレスの割引き券が、格安で売られている時もある。
どれも、利用したことがある。大変得をした気分になった。

券を購入したことはある。しかし、売ったことはない。
果たして、図書カードは買ってくれるのだろうか、とネットで調べてみると、買ってくれるようである。

売りにいった。

2万円の図書カードが、1万8千400円で売れた。
現金だよ! 現金!
思わず、匂いを嗅いでみた。いい匂いがした。

そのいい匂いを娘にも嗅がせた。
「1万8千円だよ。ほらほら、これが君が大好きな匂いだよ」

頭を一発殴られたが、1万8千円の威力は大きかった。
「服買いに行こうぜ! 原宿に!」
目がキラキラと輝いていた(やっぱり、我慢していたんじゃないか)。

ということで、先週の土曜日、家族で原宿に行って来た。
最初から最後までハイになった娘は、店を渡り歩き、これがいいあれがいい、いや、こっちかそっちか、と迷いながら、3枚のTシャツと2本のパンツとサンダル1足を買った。
全部で、1万1千430円なり。

歩き疲れ、代々木公園のベンチに座って、スポーツドリンクを飲む貧乏家族。
娘だけが、元気いっぱいだ。
その元気な娘が、「パピー」と私を呼ぶ。

こう呼ぶときは、良からぬことを考えていることが多い。
全身の筋肉が硬直し、脳細胞に緊張が走った。

「あのさあ、まだ少しお金残っているだろ。そこで、お願いなんだけどさ。アタシが去年観に行った『Hey! Say! JUMP デビュー&ファーストコンサート いきなり! in 東京ドーム 』がDVDになっているわけさ。確か4千円くらいだったけど、買ってもいいかな」
「いいとも〜!(古い?)」

まあ、誕生日だからいいか。
でも、ケーキ買おうと思ったんだけどな。

「ケーキなんか、いらん! いらん! あんなもん喜ぶのは、ガキだけだ」
そうですか。13歳におなりになったのだから、ガキではありませんものね。

HMVで目指すDVDを見つけ、両手でガッツポーズ。
買った後は、その場で4回ジャンプ(Hey! Say! JUMPだから?)。

そして、そのあと、人混みの中で、あらたまった顔をして「今日は、ありがとうございました」と、頭を深く下げる13歳の娘。

これだから、父親はやめられない(涙目)。



★やめられない人は、CG「いかにもCGな室内」


2008/06/25 AM 06:34:01 | Comment(68) | TrackBack(0) | [子育て]

何でも自分でできる人間
先日のブログで、私が子どもたちの通知表を見ないと書いたら、子どもを持つ友人たちから「嘘だろ!」のブーイングを浴びた。

子どものことが気になるなら、通知表は絶対に見るべきだ。
あれは、子どもを評価するものであるが、学校から親に向けたメッセージでもあるから、親としてそれを無視してはいけない。


それは、もっともらしい意見だが、残念ながら、評価する人間の能力を想定していない。
私は、子どもの能力を引き出せる人間が、教育者だと思っている。
そして、その能力を活かせる人だけが、教育者になる資格があると思っている。

しかし、現実の教師は、学級経営を優先して、まるで流れ作業で単元をこなしているに過ぎない。
集団を意識させる教育は大事だが、個人はもっと優先されるべきである。
残念ながら、生徒や学生の個性が、教師によって引き立てられるのは、よほどの幸運がない限り、あり得ないのが現状だ。

そこで私は、教師は生徒個人を見ていない、マニュアルに沿った評価など教育に値しない、という結論(あるいは偏見)に至った結果、通知表を信じなくなったのである。
だから、信じるに足らない学校からの「お知らせ」は、見ないことにしたのだ。

この私の偏屈な性格の起源は、自分の子ども時代に遡る。

私自身、通知表をもらっても、親に見せたことがなかった。
自分でも、中身を真剣に見たことがない。
特別、教師に反発を感じていたわけではないが、みんなが真剣に評価を気にする姿を見て、「そんなに気にすることか?」と思っていたのである。

これ(通知表)って、ただ担任だけの評価だろ? たったひとりの評価じゃないか?

もちろん、基準があるのは知っていたが、その基準も教師の好悪で評価は変わる、と感じていた。
子ども心に、私はそこが気にくわなかったのである(ただ、まわりからは何故か、マツって先生に贔屓されてねえか、と言われていたが)。

通知表をもらうと、家に持って帰り、自分で保護者の欄にハンコを押して、机の引き出しに仕舞っておく。
祖母や親は、それを無理に見せろとは言わない。

変な家庭だったが、それは、私の家庭環境が影響しているのかもしれなかった。
祖母は、若いころ師範学校の教師をしていた。
母も、10年近く国語の教師をしていた。
父は、ほとんど家に帰らない人だった。
姉は、自分にしか興味のない人だった。

これらすべての要素が、グルグルと混ざり合って、変な家庭環境ができたのだと思う。
高校受験の時も大学受験の時も、自分で願書を買ってきて、「試験受けるから」と告げ、母から受験料をもらって、試験を受けた。
「どこ受けるの?」とも「受かる自信は?」などとも、聞かれたことはなかった。

試験に受かったら、「受かったから」と言って、入学金を同じように母からもらって、自分で支払いに行った。

おそらく母は、荒海を漂う小舟のように不安定な姉の感情に心を捕われて、私に向き合う余裕がなかったのだと思う。
あるいは、私を信じてくれていたのか。

私が中学3年の時に死んだ祖母は、「お前は、何でも自分でできる人間になりなさい」と、いつも私に言っていた。
それは、将来きっと、母親が姉に翻弄され続け、私をかまう余裕がないことを見越していたからだろう。

だから、いつも私の頭の中には、その言葉が居座り続けていた。
残念ながら、私はまだ「自分で何でもできる人間」になっていないが、教育というのは、これが基本ではないかと思っている。

(できうる限り)何ごとも、自分で。

自分で判断し、自分で行動する。
人間を評価するポイントは、こんな単純なことでいいと思う。

学校にとって都合のいい人間に高評価を与える今のシステムは、教育の本質から確実にずれている、と私は思う。
頭のいい子、教師の目に適った子が、いい生徒(学生)。

それは教師目線、学校目線であって、子ども目線ではない。
子ども目線、生徒目線、学生目線で評価を与えてくれたら、私は、学校教育を見直すだろう。

「おまえ、いつも真面目に掃除をしてくれてるなあ!」
「元気な挨拶だなあ! こっちも元気が出るよ」
「体育祭の時、お前が一番声が良く出ていたよ」
「君はえらいね。誰にでも同じ接し方をするんだね」
「君のサポートが、一番のポイントだったね」
「お前が、ムードメーカーになってくれて、助かったよ」
(金八先生?)

テストの点数だけで人を評価することは、素人の私でもできる。
1学期ごとの機械的な評価に意味があるとは、私には思えないのだ。
教育者は、違う視点で人を評価すべきだ。

だから、私は、子どもたちの通知表を見ないのですよ、ノナカくん。
君は、塾を経営しているけど、塾は勉強のテクニックだけを教えればいいから、その分、楽だよね。
成績だけがすべての塾の世界では、本当の教育はわからないだろう。
だから、俺のことには、口を出さないで欲しいね。

それに対して、ノナカは勝ち誇ったように、こう言うのだ。
「いや、わかるよ。お前が、親からも見放された、可哀想な子どもだったってことは、痛いほどわかる。ホント、可哀想に・・・・・」

・・・・・・・・・・・ほっとけ。


★可哀想な人は、CG「どこに向かって跳ぶ?」



2008/06/17 AM 06:29:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

娘のお気に入りの彼氏をビデオに撮ったバカ親父
中学1年の娘の運動会があった。

「いいか、キッチリ、ビデオ撮っとくんだぞ! 失敗は許さないからな!」
「はい」

撮るのは、娘の姿ではない。
娘がお気に入りの男の子をストーカーのように、追っかけて撮るのである。

「かっこいいんだよね! 背が高くて、運動神経はいいし、頭もいい。でも、性格だけが悪いんだ」
目をハートマークにして、娘が声を高くして訴える。
娘は、興奮すると、声が1オクターブ上がるのである。

性格が悪い、というのは、娘の照れ隠しだろう。
人間、完璧な人間はいない。
どこか悪いところがあった方が、人間らしくていい(?)。

「えー! Mさん、娘さんの彼氏をビデオで撮るなんて、それって、おかしくないですか? 普通、男親は、そこは嫌がるとこですよ」
同業者に、そんなことを言われた。

そうなのか?
男親は、嫌がるのか?
なんで?

娘が気に入っている子を、男親が気に入っちゃいけないのか?
親が、娘の喜ぶことをするのは、当たり前のことではないか?
それに、今はまだ彼氏ではないぞ。

「でも、俺だったら、嫌だなあ。『コノヤロー!』って、思いますよ、普通」

ああ、そうか。
でも、オレは普通じゃないから。

ということで、朝の9時から、娘のお気に入りのS君を撮るために、校庭を動き回った。

Sくんは、確かに整った顔立ちをしていた。
表情に、どこか不貞不貞しさがあるが、精悍さもある。
そして、ひとつ感心させられたことがあった。
他の子は、たまに下を向くが、彼はほとんど下を向かず、いつも前を見つめているのだ。

目が一点を見つめていて、表情に迷いがない。
たいしたものだと思った。

これが、中学1年生?
俺が中学1年の時は、もっと落ち着きがなかったぞ。

ビデオの液晶モニターを見ながら、私は、ひとり感心していた。

「Mさん、そこは5組ですよ。娘さんは、1組じゃなかったですか?」
娘の同級生の母親に言われて、「ヘヘヘヘ」と笑って誤魔化す、バカ親父。

ストーカー親父は、800メートルリレーに出場したSくんを懸命に撮った。
モニター画面で見るS君は、いい走りをしていた。
他の子は、速く走ろうと足を懸命に動かして、もがいているという感じだが、Sくんは、上半身を使って走っていたのである。

私が大学時代、「速く走りたかったら、上半身で走れ」と、陸上部員に言ったら、みんな首をかしげていた。
鼻で笑うやつもいた。

今では、上半身が大事だというのが、だいぶ浸透してきたが、昔も今も、多くの人はまだ、下半身だけでいいと思っている。
「走るのは足なんだから、大事なのは足だよ」と、それを単純に信じている。

ビデオモニターの中のS君は、おそらく意識しないで上半身を使っているのだろう。
つまり、それは、天性のもの。

S君の5組は、ブッチギリの1位だった。
なぜか、嬉しくなるバカ親父。

そのあと、団体競技やクラス対抗の全員リレーも、娘そっちのけで撮った。
運動会で、娘をビデオに撮らなかったのは、初めてのことだ。

全員リレーが終わると、最後の部活対抗リレーまで、S君の出番はない。
だから、その時だけ、娘の姿を追って、ビデオに撮ったのだが、娘に「お前、何している! アタシはいいから、あっちをマジメに撮ることだけを考えろ!」と、邪険に追い払われた。

親父は、つらいよ。

部活対抗リレーまで、つかの間の休息。
学校の校舎側の斜面に、芝生が植えられている。
そこに腰掛け、VOLVICを飲みながら、校庭全体を見回していた。

私の前に、砂場がある。
その前を背筋を伸ばして、ゆっくりと横切ろうとする男の子が視界に入った。

おお、S君ではないか。
シャッターチャンス!
と思って、ビデオを構えようとしたら、S君と目があった。

そして、なんと! S君は、私に向かって、会釈をしてくれたではないか。
え? 彼は、性格が悪いんじゃなかったっけ?

心の中で、「アラララララ」と、唱える。
こいつ、もしかして、いいやつなのか?

S君は、私を4秒ほど見たあと、歩いていこうとした。
私は、咄嗟に「うまい具合に上半身使ってるね。あの走りはいいよ」と声をかけた。
S君の足が、止まった。

S君の目は、「なんだ、このオッサン、変なこと言いやがって」という目ではない。
勝ち気そうな目だが、何が何でも、大人を拒否しようという目ではなかった。

その目を見つめながら、「最後の30メートル」と、私は言った。
S君が2歩、私に近づいてきた。
瞬きをしない目が、真っ直ぐ私を見ている。
濃い眉と目のバランスがいい。

さすがに、我が娘。
いいところに目を付けていると思った。
性格がいいか悪いかはわからないが、その目を見て、S君は、確かな自分を持っているようだ、と私は思った。

「今の走りのまま、最後の30メートルを、もっと両腕を意識して走ってみたらどうかな?」
私がそう言うと、またS君は、私を見つめた。

アスリートの目。
彼は、中学1年で、立派なアスリートの目をしていた。
そして、「はい」と言うと、また会釈して、ゆっくりと砂場を横切っていった。

なんだ、素直ないいやつじゃないか。
なんか、好きになってしまいそうな・・・(変?)。

部活対抗リレー。
サッカー部の一番走者として走ったS君は、ブッチギリで最終コーナーを回ろうとした。
そして、最後の30メートル。
今まで以上に、両腕を力強く振って走るS君をビデオのモニターで見たとき、「なんだよ、こいつ!」と思った。

性格、悪くないじゃん!
メッチャ、素直やん(なぜか関西弁)!

その日の夜。
撮ったビデオを娘と一緒に見ながら、「S君って、いいね!」と言いながら、娘と盛り上がるバカ親父。

こんな私は、変でしょうか?



★変なオヤジは、CG「4人のモデル」


2008/06/01 AM 06:28:06 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

モンスターになれなかったオヤジ
オヤジは、いま反省しております。
余計なことをしてしまったのではないかと・・・。
とんだ勇み足。

眠れない夜は続く。

ことの発端は、中学1年の娘が吹奏楽部に入ったこと。
他の中学校の部活動はどうか知らないが、娘の行く学校の部活は午後6時45分に終わる。
3時半に授業が終わったとして、部活動の時間が約3時間。
そして、朝練(早朝練習?)なるものがある。
朝練は、7時半から1時間程度やるらしい。

無駄に長い。

私は、こういった悪しき伝統が、気にくわない。

一人ひとりの個性を無視して、みんな一緒に長い時間練習をしましょう、というのは個を認めない行為である、と常々思っている。
長い時間練習をしたとしても、練習の意味をそれぞれが理解した上でなければ、本当には身に付かないはずである。

吹奏楽は、全員の調和が大事である。
だから、揃って練習するというのならわかるが、1学期は、全体練習はないと言う。
全員が時間内に適当に音を鳴らして、時間がくれば、自動的にお終いという練習方法らしい。

意味がわからない。

「みんな考えながら練習してるのか」と私が聞くと、娘は首を振って「顧問の言う通りにやるだけ。そうしないと、音楽の授業にも影響するらしい」と言うのである。

まさかそんなことはないと思うが、もしそれが本当なら、あってはならないことだ。
部活動と音楽の授業は、まったく違うものである。
それは、一種のファシズムではないのか。

「でも、現実はそうなのさ。まあ、いいんじゃねえの。真面目にやってる振りしてりゃ、向こうも機嫌がいいんだからさ」
そう娘は、あっけらかんとして言う。

しかし、私は納得できない。
なんだ、この中学は!

そんな中学に対しての嫌悪感が、今回の勇み足の要因だったかもしれない。

先日、娘が夜の7時40分を過ぎても帰ってこないことがあった。
何だよ! 長い部活だな。こんな時間まで練習させるなんて、非常識じゃねえか。
そう思って、学校に電話をした。

文句の一つでも、言ってやろうかと思ったのである。
しかし、部活はいつも通り6時45分で終わって、生徒たちも帰り、顧問も帰ったというではないか。

学校から我が家までは、ゆっくり歩いても15分程度。
いままでは、遅くとも7時10分には帰っていた。
それを聞いて、私は「おかしい・・・・」と呟いた。

その呟きが、いけなかったのかもしれない。
電話に出た教師は、「そうですね、おかしいですね。お子さんの担任は帰りましたが、他のものと相談してみましょう」と早口で言って、電話を切ったのだ。

こちらは、無駄に長い部活動に文句を言おうと思って電話したのだが、事態は娘の「不明事件」へと発展してしまったのである。

それからが、大騒ぎだった。
私と高校3年の息子は、自転車で団地内を駆け回り、子どもたちがたむろしそうな場所を探し回った。
教師より早く見つけないと、娘の立場がない。
大袈裟な事件扱いになったら、娘が可哀想だ。

私と息子は、夜の団地を隅から隅まで、探し回った。
団地の集会所やベンチの置いてあるスペースが、一番可能性が高いと思ったが、全部空振り。
公園にもいない。コンビニにもいない。スーパーにもいない。ドラッグストアにもいない。
30分走り回ったが、娘の姿はどこにも見えない。

「どうしたんだ! まさか誘拐!」と蒼くなりかけたとき、私が住む棟のすぐ近くの棟の上階から娘の声が聞こえた。
「何だ、友だちの家にいたのか。よかった!」と思ったら、娘とお友だちが教師二人と階段を下りてくるのが見えた。

教師の方が、先に見つけやがったのである。
しまった! 最悪の事態だ!

友だちの家の前で、時間を忘れるほど話し込んでいたら、その声を巡回していた教師に聞かれて、捕まったらしい。
教師は不機嫌な顔をしていたが、娘と友だちは、無表情である。
あとで聞くと、謝ろうとしたが、何を言っても「言い訳をするな!」と叱られたらしい。

教師はまだ、高ぶった声で、「何で、早く家に帰らなかった!」と怒っている。
怒られた娘と友だちは、お互い顔を見合わせていた。
そして、娘は最初に友だちの顔を見たあとで、私の顔を見て、2度3度と頷いた。

親バカと言われるのを承知で書くが、私は娘と12年間濃厚な付き合いをしてきたから、彼女の表情で、ある程度のことは察することができる。

この頷きの意味は、「とりあえず、謝っておこうか」というものだったと思う。
自分たちは、おそらく大人たちに心配をかけたのだろう。
だから、ここは謝っておけば、無用な波風は立たない。
ここで、さからってはいけない。
だから、娘は、もう一度謝ろうという態度を見せた。

しかし、教師はただ怒るばかりで、娘たちの反省の意を汲むことをせず、「どれだけ、皆さんに迷惑をかけたのか」ということを延々と熱弁を振るうだけだった。

そうしている間に、探し回ってた教師たちが、教師の興奮した口調を聞きつけて、集まってきた。
その数3名。申し訳ないくらいの大事になってしまった。

教師にも申し訳ないと思ったが、娘たちにも申し訳ないという気持ちで、私は居たたまれない気持ちになった。

これ以上の説教はいい、と私は思った。
確かに遅くなった娘は悪いし、人に迷惑をかけた。それは、事実である。
だが、謝ろうと思っている人間に対して、長々と説教を続けるというのもいかがなものか。

我が家では、「悪いことをしたら、とりあえず謝ること」と教えてある。
まず謝ることが、第一番の礼儀である。
そうすれば、過ちを認めたことが相手にもわかる。
反省していることがわかれば、相手も冷静になる。
だから、その出来事が尾を引くことはない。

娘と友だちは、無表情ではあったが、明らかに謝ろうとしていた。
ただ、機先を制されてしまったのだ。
謝るタイミングを逸した。
教師が、そのタイミングを奪ってしまったのである。

怒ることを優先では、怒る側の一方通行にしかならない。
それでは、怒られた側は納得しないだろう。

娘たちに謝らせてくれなかったので、私は教師の説教に無理矢理割って入って、集まった教師全員に頭を下げた。
そうしたら、熱い教師は、叱るのをやめた。

しかし、彼は、娘たちに向かって「明日の朝、もう一度職員室に来なさい」という捨てぜりふを残すことだけは忘れなかった。

長い説教が終わって、全員にもう一度頭を下げてから、私と娘は、教師たちに背を向けた。

5メートルほど歩いて、娘が、「麻婆春雨、食いたいな」と突然言った。
何という偶然! 我が家の晩メシは、麻婆春雨だったのである。
二人の考えが一致したので、私たちは控えめにハイタッチをした。

しかし、この状況でハイタッチはまずいか、と後ろを振り向くと、娘の友だちを自宅まで送っていく教師と目があった。

これは、ヤバイ!
と思ったが、今さら取り繕っても、もう遅い。

知らんぷりをした。

だからというわけではないだろうが、翌日、娘と友だちは、それぞれの担任と学年主任に、強烈な説教を食らったという。

「ちゃんと謝ったか」
「謝ったけど、少しこちらが何か答えると、言い訳をするなって怒るんだよ。黙って、先生の言うことに頷いていたら、『本当にわかってるのか』って言うし。少し黙ると『聞いてるのか!』って言うし、どうすればいいかわからなかった」
娘は、納得いかない表情で言う。

教師には、独特の尺度があるようだ。
おそらく、彼らが反省していると見えなければ、反省していないことになるのだろう。
それは、あくまでも彼らの主観で、生徒の感情は多くの場合、無視される。

以前にも、ブログで書いたが、教師は生徒にとって王様である。
王様である教師は、おそらく支配を教育と勘違いしている。
3分で終わる説教を延々と続けるのは、支配者の愉悦以外の何ものでもない。

ため息が出る。

私が学校に電話しなければ、こんなことにはならなかった。
いっそ、今流行りのモンスターペアレントになって、「謝ってるんだから、ネチネチと説教してんじゃねえよ! カツアゲしたり、万引きしたわけじゃねえんだから!」と、談判してやろうかと思ったが、冷静な娘に、こう言われた。

「まあ、気にすんなよ。今回のことで、中学教師って、そんなもんだってのが、わかったからさ。いい勉強になったよ」

その娘の言葉だけが救いである。

モンスターにならなくてよかった・・・・・。

(余談ですが、いまモンスターペアレントがメディアで話題になっていますが、私の感覚では、モンスターティーチャーの方が多いような気がする。教室というほぼ密室の中での行為は、外には伝わりにくい。そして、独裁国家の不祥事は、独裁者自らの手で隠すことが出来る。だから、ペアレントだけがモンスターという報道の仕方に、私は疑問を感じています)



★モンスターになりたくない人は、CG「夫婦の距離」


2008/04/28 PM 04:59:50 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

怒らないで褒める
東京の新宿御苑近くに、得意先がある。

ただ、それほど付き合いは長くない(それについては、こちらを参照)。
そのとき、この会社で私が請け負ったのは、社長の奥さんが産休に入るので、その期間だけサポートをする、という仕事だった。
その仕事が終わって、その後、新たな仕事を1件いただいたが、それから9か月、音沙汰がなかった。

そこで、アポイントを取って訪問することにしたのである。

9か月ぶりに会う澁谷氏は、疲れているように見えた。
働き盛りの30代の顔に、隠しきれない疲労が滲み出ているような気がした。

「疲れているみたいですね」
私の言葉に、「いやあ」と言って、無理に笑顔を作ろうとしたが、思い直して、「ああ、そうかもしれませんねえ」と右手で顔をこすった澁谷氏。

仕事の打ち合わせを10分ほどで終えて、コーヒーブレーク。
奥さん(以下シブヤさんと書きます)が、淹れたての珈琲を持ってきてくれた。

「お子さんは、1歳を過ぎましたね」と私が言うと、「はい!」と弾けるような笑顔で頭を下げた。
それは、以前より顔がふくよかになって、すべてのものを包み込むような奥行きを感じさせる笑顔だった。

だが、その顔が少し曇る。
「社長が」とシブヤさんは言う。
会社では、夫のことを「社長」と呼んでいるようである。

「社員を怒れない人なんですよ」

詳しく聞くと、彼より年上の社員が得意先を怒らせてしまい、商談が破談になりかけた。
そこで、澁谷氏が出ていって、ひたすら謝ったところ、得意先は嫌味を言いながらも、仕事をくれたのだという。
ただ、年上の社員の方は、「俺は悪くない。先方が悪い」と言って、いまだに社長を困らせているらしい。

社長たるもの、たとえ部下が年上であっても、毅然とした態度で怒るべきだと、シブヤさんは夫を説得した。
しかし、澁谷氏は、「怒れない」と言う。

さあ、シブヤさんと澁谷氏、どっちが正しいのか、というお話である。
これは、難問か?

私は、難問ではないと思う。

怒っても意味はない。
怒らなくてもいい、と私は、澁谷氏に忠告した。
シブヤさんが、「でも、それではしめしが・・・」と言ったので、一応持論を述べさせてもらった。

「怒る」と「叱る」は違うと、もっともらしいことを言う人がいる。
もちろん、辞書を調べれば、意味が違うのは歴然としている。
それは、私も知っている。

しかし、怒られた方、あるいは叱られた方は、いずれにしても「俺は怒られた」と受けとめるはずである。
つまり、こちらが「叱ったつもり」でも、相手は「怒られた」と思って、それを根に持つ。

それなら、怒らなければいい。叱らなければいい。
相手に、根に持ってもらいたいという人は、怒ってもいいが・・・。

私事だが、たとえば、以前ブログにこんなことこんなことを書いた。

私は、人を怒ることで解決することなど、何もないと思っている。
解決したとしても、それは、怒った結果、怒った姿に対して恐怖心を感じて、反応しているだけである。
だから、それは教育ではなく支配だ。

怒らなくても、人を導くことは難しくない。

私が、大学時代に教職課程を取っていたとき、母校の中学に教育実習に行ったことがある。
そのとき、私が陸上部にいたということを聞いた教頭から「陸上部の練習を見てくれ」と言われた。
私は、走ることが大好きだったし、走る人間が大好きだったから、快諾した。

しかし、練習を一目見て、大きな幻滅を感じた。
陸上部の顧問が、練習の最初から最後まで、怒鳴りまくっていたからである。

丁度、夏の大会を控えていたから、グラウンドでは、リレーの練習をしている最中だった。

「馬鹿かお前! 何度言ったらわかるんだ、この野郎! 今日は、ぶっ倒れるまでやらせるぞ! いや、ぶっ倒れたら、ケツを蹴飛ばしてやる!」
その顧問の罵声と生徒の頭を叩く姿を見て、私は鳥肌が立った。めまいがした。

しかし、私はめまいを感じながらも、顧問に頭を下げて、1週間だけ私に指導を任せて欲しいと願い出た。
そんな私に対して、顧問は「お手並み拝見だな」と、まるで安っぽいドラマの脇役のような皮肉な態度で、渋々ながらも承諾してくれた。

私は、子どもたちが、どんなにミスをしても怒らなかった。
とにかく、褒めた。どんな小さなことでも褒めた。
強面顧問の呪縛から逃れた子どもたちは、最初こそ私を軽く見ていたが、私の走る姿を見せると、顔つきが変わった。

私は、彼らの走るフォームには注文を付けずに、バトンの受け渡しだけを、時に紙に書きながら根気よく教えた。
そうすると、3日もすると、スムーズにバトンが渡るようになり、タイムも上がった。
リレーは、バトンリレーの善し悪しで、タイムが大きく変わる競技なのである。
夏の大会の結果は3位だったが、彼らは、走り終わると真っ先に、私のところに挨拶に来てくれた。

顧問は、「3位で喜ぶんじゃない!」と、相変わらず強面だったが、生徒の顔は、みな誇らしげだった。
彼らの持ちタイムよりも、1秒近くいい記録で走れたのだから、相当な健闘と言っていい。

もちろん、それがすべて私の指導の結果である、と自惚れる気はない。
ただ、怒鳴ったり叩いたりする指導よりは、良かったのではないかとは思っている。

「喜怒哀楽」という言葉がある。
この中の「喜」と「楽」は共有して嬉しいが、「怒」と「哀」は、誰だって共有したくないはずだ。
誰だって、「怒」と「哀」を相手から一方的に押し付けられたくはない。

だから、怒るのは相手のことを思っているから、というのは言い訳で、私には自己中心的な行為としか思えないのである。

私は、自分の子どもたちを怒ったことがない。
私がたとえ、子どもたちと対等だと思っていても、子どもたちは、おそらくそう思っていない、と想像するからである。
対等でない関係の人間が怒っても、それは抑圧以外の何ものでもない。

だから、私は、それをフェアな行為とは認めない。

「では、この場合、ずっと黙っていろと?」
シブヤさんが、納得いかない顔で首をかしげた。
強く抗議したいところだが、強く抗議したら失礼かも、という迷いを含んだ目で、彼女は私を見つめていた。

いや、黙るのではなくて、私なら褒めます。

「○○さん。よく我慢しましたね。今回の場合、相手をぶん殴っても、俺は文句を言いませんよ。さすがに○○さんは大人ですね。本当によく我慢してくれました」

私がそう言うと、「ああ!」とシブヤさんは、一度強く手を叩いた。
そして、「その言い方、わたし、好きかも!」と言って、澁谷氏の方を見た。
澁谷氏も大きく頷いていた。

帰るとき、二人はわざわざ下まで降りて、見送ってくれた。
澁谷氏が私に、「褒めるんですよね」と聞いてきたので、「褒める褒める」と答えた。
シブヤさんも同じように「褒める褒める」と私の目を見つめて、呪文を唱えるように、呟いていた。

褒める褒める、褒める褒める・・・・・。

呪文を唱えながら、三人で、頷き合った。


★褒め上手な人は、CG「異次元から来た人たち」


2008/04/04 AM 06:26:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | [子育て]

短い反抗期?
反抗期、というものがなかった。

人間誰しも、反抗期があるというが、それは本当のことだろうか。
真面目に統計を取った上で、「反抗期は必ずある」と断言しているのだろうか。

子育ての過程で勉強したのだが、第一次反抗期というものがあって、小さな自我が芽生えてきたとき、自分の思い通りにならないと癇癪を起こすことがある。
それは、我が子たちの幼少時代を思い起こしても、何となく理解できる現象である。

ただ、私としては、我が子に「自我が芽生えた」ことを嬉しく思っていたから、それを明確に反抗期だと思ったことがなかった。
私が幼いころも、きっと同じように第一反抗期はあったのだろう。
しかし、そのことは完全に忘れている。誰もが、忘れているだろう。

だから、私が言う反抗期は、第二次反抗期のことである。
いわゆる、思春期特有の反抗期のことだ。

それが、私にはなかった。
友人にその話をすると、「嘘だろ! あったはずだよ。それって、おまえが気付いていないだけだろ」と、よく言われる。

しかし、私の母に聞いても、「ああ、あなたに反抗期はなかったわね。手のかからない子だったから」と言われるのである。
最近少しボケ気味の母であるが、20年以上前から言われているから、それはおそらく間違いないことだろう。

我が家の恥をさらすのは心苦しいが、私の父親は、それなりに名の知られた会社に勤めていたが、稼いだ金を家にまったく入れなかった。
小説家志望を理由にして、「作家は、派手に遊ばなければ駄目だ」と言って、新橋や京橋にアパートを借りて、毎晩銀座や新橋に飲みに行くのを日課にしていた。
だから、稼いだ金は、すべて飲み代に消えた。家にも、ほとんど帰ってこなかった。

私の姉は、50年余の人生で、まともに働いたのが1年にも満たない。
18歳のころから、ほぼ引きこもり状態で、生産的なことは何もしていない。
頭を使うことと、体を動かすことを極端に嫌っているから、彼女の行動範囲は、自宅からパチンコ屋までの数百メートルだけである。

そんな夫と娘を持った不運な母に、反抗など出来るわけがない。

では、教師に反抗すればいいのか?

教師には、特別恵まれていたわけではないが、全身全霊をかけて反抗するほど存在感のある教師には、巡り会わなかった。

ただ・・・・・・、
高校三年の時、一度だけ、4日間だけだったが、授業をサボったことがある。
いま思い返すと、あれが、「反抗期」と言えなくもない。

4日連続で遅刻をした。
高校卒業前の1月中旬、雪が降ったのである。
私は、駅までバスで行って、駅から学校までは、いつも歩いていた。

そのとき、雪のため、バスが大幅に遅れた。
初日は、15分の遅刻。
これは、私が悪い。

雪が降ったら、交通機関に影響が出るのは予測がつくから、早く家を出なければいけなかった。
遅刻した生徒は多かったが、それは皆事態を甘く見ていたためだったから、それはすべて本人が悪い、と言える。

2日目。
いつもより10分早く家を出たが、やはり遅刻。
これも、おそらく私の読みが浅かったのだから、多少なりとも私に非があると言っていい。

3日目。雪は解けた。
だが、間が悪いことに、私が乗ったバスで急患が出てしまったのである。
50代の女性が、車内で急に倒れたのだ。

運転手がすぐさま救急車に連絡をし、10分後くらいに救急車が来た。
急患をそのまま搬送してくれれば良かったが、車内で手当をし始めたから、約15分間、我々は車内で待たされた。
そして、遅刻。

遅延証明書をもらって登校したが、担任は信じられないことを言うのだ。
「3日連続の遅刻は、たるんでいる証拠だ。おまえに罰を与える!」
確かに、2日間の遅刻は、私に少し非があることは認める。
ただ、この場合でも、雪で交通機関が乱れたから、と強弁すれば、普通は通る問題である。

私は、いたずらに波風を立てたくないので、下手に出ていたが、「罰だ!」と言われたら、「ふざけるな!」と返すしかない。
不可抗力の遅刻で、罰を受ける謂われはないと、ホームルームの時間に、反論をした。
思えば、これが教師に対する初めての反抗だった(超オクテ)。
普段温厚な私が怒ったから、クラス全員も私を支持してくれた。

担任は、私を扱いやすい生徒だと思っていたと思う。しかし、その私から反撃を受けて、彼は見るからに逆上していた。
「とにかく、罰だ! 罰! おまえに体育館の掃除を命ずる!」と、うわずった声で叫んだ。

私はそれを無視して、4日目は故意に遅刻をした。
担任は、また騒いだが、私は「掃除はヤダ!」と言って、その場で早退した。

それから、4日間、学校をサボった。
小学校から高校三年の2学期まで皆勤賞だったので、初めて学校を休んだことになる。

私は、学校が大好きだったから、高熱があっても学校に行った。
もし私が休んでいる間に、「何かいいこと」がおきていたら、絶対に後悔する。そんな思いはしたくないので、何があっても学校へは行ったのである。

その私が休むというのは、大事件である。
私にとっても大事件だったが、親にも友人にも大事件だったようだ。
特に、友人たちが、ほとんどパニック状態になった。
友人(女子も含む)が、夕方何人も家に押しかけ、「絶対に謝るなよ。俺たちがお前を守るからな!」と、誰もがくさいセリフを吐いて、自分に酔いしれるように私の肩を叩いたものである。

そんな光景を見ながら、母は、「あんた、意外と人気があるのねえ」と、変なところで関心をしていた。

だが、この事件は、簡単に片が付いた。
大学入試を控えた大事な時期だったので、教頭が間に入り、「何もなかった」ことで決着が付いたのである。

私にとって、小中高を皆勤賞で過ごすという目標が挫折したのだから、4日間の休みは大きな汚点だったが、丸く収まったのだから、それで良しとすべきだろう。

この4日間は、果たして反抗期と言えるのか?

自分でも、よくわからない。
いま冷静に考えると、「掃除くらい、してもよかったか」と思うのだが、それが出来なかったことが「反抗期」の証明だと言えるかもしれない。

その話を娘にすると、「いつも思うんだけど、お前のイベントはいつも小さいなあ」
娘は苦笑しながら、そう言う。

そう言う彼女も今のところ、反抗期はない。
私に対して好き勝手なことを言ってはいるが、関係は良好である。
先日の小学校の卒業式で、彼女の担任から「こんな仲のいい父娘(おやこ)、初めて見ました」と言われた。
「はい、毎日ネタ合戦していますから」と答えたら、「グホッホッホ!」と笑われた。

高校2年の息子も、反抗期はない。
二人とは、友だちのような関係で接している。

いつも、お互い好き勝手なことを言っているが、険悪な関係にもならず、お互いを無視することもない。
気持ち悪い、と思わないでいただきたいのだが、息子などは、いまだに私と手を繋ぎたがるのである(177センチの息子だ!)。

ひとことで言えば、変な親子だ。

「反抗期のない親の子どもには、反抗期がない」
そんな論文が書けそうだが、子どもたちは、たとえば20歳くらいになって突然親に反抗するかもしれない。

その時の自分のうろたえぶりを想像してみると、心が凍えるが、それはそれで面白いかもしれない、とも思う。

他人事のように、私は、そう思っている。



★反抗したくなったら、CG「海の見える家」


2008/03/27 AM 06:26:04 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

出産には二度立ち合った
予定日よりだいぶ遅れたようだが、友人の一流デザイナー・ニシダ君に、初めての子どもが生まれた。
女の子だった。

ニシダ君はこのブログにも、たびたび登場する(たとえば、コチラコチラ)。

ニシダ君とは、6年前に、私が彼にMacの操作を教えたことで、付き合いが始まった。
しかし、彼は、わずか半年で私を簡単に追い越し、さらにデザイナーとしての感性も瞬く間に追い越していった、情け容赦ない男でもある。

いまや彼は、一流企業をクライアントに持ち、海外でも仕事をこなすという恥知らずなことをしている。
うらやましすぎるではないか。
しかも、彼には女優の仲間由紀恵ナウシカを注入したような若くて美人の奥さんもいる。

しかし、だからといって、世の中が不公平にできているとは思わない。
才能のある人間が受け入れられるのは、当然のことだ。
そして、才能のない人間が、世間から背を向けられるのも、当然のことだ。
ただ、彼に美人の奥さんがいるのは、気にくわないが・・・。

ニシダ君の奥さんのチヅルさんは、酒豪である。
私は、彼女がビールを飲んでいない姿を一度しか見たことがない。
それは、このブログで書いた。
そのときは妊娠中だったから、アルコールを飲まないのは、当然のことではあるが、チヅルさんの手にバドワイザーがないというのは、パソコンにキーボードがついていないのと同じくらい、違和感があると感じたものだった。

私は、この半年間で5回、ニシダ君の仕事場にバドワイザーを飲みにいったが、チヅルさんは5度とも私の前に姿を見せなかった。

「センセイに大きなおなかを見せたくないみたいですよ」とニシダ君は言っていたが、本当だろうか。
私の顔が胎教に悪いと思って、顔を見ないようにしていたのではないのか。
(あるいは私の顔を見ると、我慢していたビールを飲みたくなるので、見たくなかったのかもしれない)

久しぶりに会ったチヅルさんは、私の顔を見るなり、こう言った。
「バドワイザーが、20本しか残っていなかったんですけどォ!」

チヅルさんが、妊娠する前にストックしてあったバドワイザーが約70本。
そのうちの50本を私が飲んだ。
だからと言って、「20本しか・・・」と言われるのは、心外である。

古いビールを産後間もないお母さんに飲ませるわけにはいかない。
鮮度の落ちたビールは産後の体に悪いから、私が全部飲むつもりで、今回新鮮なバドワイザーを10本、手みやげとして持ってきたのだ。
だから、「20本しか、ではなくて20本も残ってしまった」というのならわかる。
私は、親切で飲んでやったのだ。

私の屁理屈に、チヅルさんは「まあ、どうでもいっか!」と早速新鮮なバドワイザーを開けて、私には古いバドワイザーを出してくれた。
しっかりした母親である。

「いつ頃から飲み始めたの」と私が聞くと、まるでそれが当然のような顔をして「もちろん、退院してすぐ」と答えた。
しかし、それはまずいだろう。
母乳に影響があるのではないか。

そうすると、チヅルさんは誇らしげに「努力はしたんですけどね、ワタシ母乳あまり出なかったんですよ。だから、市販のミルクでいいやと思って」と胸を張るのである。
まあ、酒まみれの母乳より市販のミルクの方が絶対に安全だろう。
それは、正しい選択だと言える。

あらためて、チヅルさんの顔をじっくりと見てみたが、産後2週間がたっていたが、母親の顔にはなっていないし、育児疲れの顔もしていない。
少々ふくよかになったが、7か月前に会ったときのイメージが、そのまま残っている。
むしろ、ニシダ君の方がやつれているように見える。

赤ちゃんを見せてもらったが、チヅルさん似で、酒豪顔(?)をしている。
将来が危ぶまれる。

「センセイ、聞いてくださいよ。シンジったら、薄情なんですよ。出産に立ち合ってよっていったら、ブルブル震えて、逃げちゃうんですから。センセイは、二度とも立ち合ったんですよね」
そう言いながら、チヅルさんの右のボディが、ニシダ君に炸裂した。
ニシダ君の顔が歪む。

「だって、そんなの見たら、毎晩夢に出てきそうで・・・」
今度は、左のボディが炸裂した。子どもを産んで、さらにパンチにキレが出てきたようである。

顔を歪めながら、ニシダ君が言う。
「センセイ、二度も立ち合うなんて、おそろしすぎますよ!」

私のまわりの男は皆そう言うが、私は立ち合うことが当たり前のことだと思っていた。
子どもが生まれるその瞬間に、自分が参加できる機会が回ってきたら、それを逃すのはもったいないと思っていた。
子育てに最初から関わる覚悟をしていた私にとって、このチャンスは絶対に逃したくなかった。
だから、立ち合った。

私のヨメも母乳の出が悪い体質だったので、夜中にヨメと交代で起きて、ミルクを飲ませた。
当然のことながら、寝不足になって、仕事中たまにボーッとすることがあったが、こんな経験は今しかできないと思って、その時間を楽しんだ。

子どもの離乳食も交代で作った。
この離乳食づくりが、私が料理にのめり込むきっかけを作ったのだから、何ごとも無駄にはならないと言うことだ。
いま思えば、若かったからできたことだが、この経験は貴重だと思っている。

そんな私の経験談を聞いて、ニシダ君とチヅルさんは、口をまん丸に開けて、こう言うのである。

「へ〜〜! センセイって変わっているんですねェ!」

はい! 私は変人です。
それは間違いありません。

変人は、両手に持ったバドワイザーを交互に一気飲みしながら、赤ん坊の寝顔を涙目で見つめた。
赤ん坊の顔には、命を凝縮した厳(おごそ)かさが宿っていた。
それを見て、また涙目になる。

「あのー、センセイ、泣いてる場合じゃないですよ。約束があったでしょ、半年前の」

半年前?
半年前の約束など、私には、鎌倉時代以前の出来事のように思える。
武蔵坊弁慶が、平泉で立ったまま矢を全身に浴びて息絶えたのは、確か1189年のことだったか。
あれは、壮絶な最期であった。あれこそ、男の死に様である。
アッパレアッパレ!

「おい、オヤジ! そうじゃなくて、ワインのラベルに名前を書くんだろ!」
鋭いチヅルさんのツッコミで思い出した。

そうだった。
ヴィンテージのワインボトルにみんなの名前を書いて、子どもの誕生を祝おうという約束を半年前にしたのである。

シャトーマルゴーの1977年。
名前を聞いても、なんじゃ、そりゃ! としか思わないが、とりあえず約束なので、ラベルに名前を書いて、3人で乾杯をした。

飲んでみて思った。
これは・・・・・、うまいのか?

きっと、うまいんだろうな。
でも俺は、ハイネケンの方がいいな。

ということで・・・、私だけハイネケンをリクエストした。
うまい!
シャトーなんとかよりも、こちらの方が断然キレがある。
最高だ!
ハイネケンをグビグビと呷った。

そんな私を新米の親たちは、ワイングラスを優雅に持ち、ため息をつきながら見つめていた。
そして、その二人の目線の先には、赤ん坊がいる。

「いいかい、決してあんな大人にはなるんじゃないよ」
二人の目は、間違いなく、そう語っていた。


2007/11/21 AM 06:27:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

サボテンに話しかける男
「ネギシのやろう! 4ヶ月もたつのに校了にならねえ! こんなに時間のかかる仕事じゃねえだろうが! 何をもたついてやがる! ボツにするつもりか!」
Macの上のサボテンに話しかけるというより、罵倒していたとき、電話が鳴った。

「ああ、コバヤシだが・・・・・、Mさん?」
ぶっきらぼうで、抑揚のない声。
思わず舌打ちをする。
何も言わずに、電話を切ってもいい相手だったが、何とかこらえた。

「昨日は・・・、あ〜、何と言いますか・・・、あ〜、すみませんでした・・・、ねぇ・・・」
字にしてみると、謝っているように見えるが、言葉の調子はとても謝っている人のものではない。
ふて腐れている、と言っていい調子である。
あるいは、穏やかに喧嘩を売っている、という判断もできる。

昨日の昼、高校二年の息子の高校で三者面談があった。
その帰りの電車の中で、この男とトラブルがあったのである。
私と息子は並んで座っていたのだが、息子の前に男が立っていた。

男は、ペットボトルの水を飲んでいるところだった。
そのペットボトルの水を、男が息子の膝にこぼしたのである。
「あっ」と男が言った。
そして、男はその水が、どこにこぼれたのかも認識していた。

それなのに、「あっ」と言っただけで、男は知らんぷりをした。
男は、年齢は40〜50歳くらい。身長は低い。160センチあるかないかというところだろう。
顔は、私以上に貧相で、ガイコツ顔。目に傲慢さがあからさまに見えるタイプだ。

それを見て、私は「おいおい、知らんぷりかよ!」と言った。
しかし、無視された。

この日の三者面談で、息子の担任から、無神経な指摘を受けて、私は担任とバトルを繰り広げたばかりだった。
息子がいつもニコニコしているのを見て、担任が「M君は、なんか緊張感がありませんよね〜、男はあまり歯を見せない方がいいですよ」と因縁を付けてきたからである。

気が付いたら、15分の面談予定が一時間以上かかっていた。
バカを相手にすると疲れる。

電車に乗っている間も、気持ちの中に嵐が吹き荒れていて、怖いお兄さんに絡まれても、立ち向かっていきそうな精神状態だった。
そんなときだったから、なおさらこの無神経な男をほうっておくわけにはいかなかった。

私は、立ち上がって、男を上から睨みつけた。
男は160センチ弱。私は180センチ。
男から見れば、私は大男に感じたことだろう。大きいというだけで、威圧感を感じるものである。

しかし、男は「な、な、な」と、のけ反りながらも、私を睨み返してきたのだ。
そうなると、こちらも意地になる。
気持ち悪かったが、男の顔すれすれまで顔を近づけて、睨み返した(ヤクザか!)。

「し・ら・ん・ぷ・り・か・よ」
にらめっこである。
息子は、私のズボンの膝のところを掴んで「やめようよ、やめようよ」とオロオロしている。

息子にしてみれば、普段は温厚(軟弱)な自分の父親が、ついさっきまで自分の担任とバトルを繰り広げ、今は見知らぬ男と睨み合っているのを見るのは、耐え難いことかもしれない。
トラウマになる恐れもある。

威張ることではないが、私は子どもを怒ったことがない。
怒ることで、子どもが何かを理解したとしても、それはフェアではない。
関係が対等ではないからだ。
頭ごなしのお説教は、そのすべてが感情論だと私は思っている。
だから、私は怒らない。

ただ、他人に対しては怒る。
対等だからだ。

私は、血管が切れそうなほど力んで、男を睨みつけた。
そして、男が少し怯んだ目を見せたときである。
「ちょっと、いいですか」と私たちの間に、入り込んできた男がいる。

30歳前後の角刈り。肩幅の広い色黒の顔。紫色の趣味の悪いTシャツを着ているが、怪しいやつには見えない。
その男が、私たちの肩に手を置いて、耳元に口を近づけてこう言うのである。

「オレ、今日は非番だけど、警官なんですよ。もういい加減にしたらどうですか。これ以上いくと、収まりがつかないでしょう」
私たちは、機械仕掛けのロボットのように、ギクシャクした動きで、彼の顔を見た。
確かに、そう言われれば、警官に見えないこともない体型と容貌である。

彼の肩越しに、私は男と見つめ合った(見つめ合ったからといって、もちろん愛を感じたわけではない)。
男が目線を下げた。おそらく、了解したということだろう。
その雰囲気を感じ取って、警官(自称)は、男の方に向かって言った。

「水をこぼしたのは、あなたが悪いんだから、謝った方がいいと思いますよ。それに、もし、彼のズボンにシミが付いたら、それはあなたが弁償すべきです。だから、あなたの名前と電話番号を彼に教えるのが誠意というものです」
柔らかな物言いだったが、その口調には有無を言わせぬものがあった。

男は、子どものように口をとがらせて、名刺をくれた。
一応、礼儀なので、私も名刺を渡した。
表面上、友好的に名刺交換はしたが、男は謝らなかった。
男は名刺交換が終わってすぐ、電車が駅に止まったので、逃げるように降りていった。

そして、今日の電話である。
謝っているとは言えないような、感情のこもっていない声。
腹が立つ。男のガイコツ顔を思い出して、また舌打ちをする。
こちらも同じように、感情のこもらない声で答えた。

「もう、いいですよ」

ガチャン!
同時に電話を切った。

私は大きく息を吸い込み、「ボケッ! 謝る気がないなら、電話してくるんじゃねえよ!」と叫んだ。
そして、サボテンに向かって、穏やかな声で「なあ、サボちゃん」と話しかけた。
「まあ、電話をしてくるだけ、ましなのかなあ。少しは誠意があるってことなのかなあ・・・。どう思う?サボちゃん・・・」

気配を感じて、仕事場のドアの方を見ると、息子が顔を引きつらせて立ちつくしていた。

トラウマにならなければいいのだが・・・・・。



2007/07/26 AM 06:25:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

給食費
給食費、払ってますか?

最近は、給食費を滞納する家庭が増えているという。
一人だけならたいした額ではないが、まとまると数億、数十億になるらしい。
しかしここでは、「払わない親は、けしからん」という話をするつもりはない。

家庭環境は、一様ではない。
それぞれ事情がある。
余裕があるのに払わない。あるいは、外車に乗っているくせに払っていない。
そんな非常識な親もいると言われているが、確証があるわけではない。
不確かな情報源をもとに、話をしても意味はない。

だから、これについて、私が経験した学校側の対応を述べようと思う。
娘の通う小学校では、今年から、給食費の銀行引き落としをやめて、手集金にすることになった。
引き落としでは、払わない家庭があっても、まわりにはわからない。
だが、手集金ということにすれば、給食費を持ってこない子はすぐわかるから、恥ずかしくなって払うだろう、というのが学校側の目論見である。

効果はあるだろうが、それは、給食費を払わない家庭イコール悪、という単純な発想から生まれている気がする。
苦肉の策だが、どこかずれている感がある。

もし、事情があってどうしても払えない親がいたら、「恥ずかしさ」を強制することにならないか。
給食費くらい払えるだろう、というのは、傲慢な考え方である。
給食費すら払えない、という発想は、組織の画一的な頭脳では、浮かんでこないのか。

システムを変えても、それでも払わない親がいたら、どうする?
その策は、そのあたりまでの展望を持った上での策なのか。
どうやら、それが違うようなのである。

私のヨメは、PTAの役員をしている。
先日、役員を前にして、校長は言ったそうである。
「もし、払わない家庭が相当数あった場合は、給食のおかずを減らすことも考えています」

それを聞いて、ヨメは、聞き違いをしたのかと思った。
真面目に給食費を払っているのに、全員の給食のグレードを落とす?
それは、勘違いをしていないか。
真面目に払っている人間が、なぜ割を食う?

「払っていない子に、給食を出さないわけにはいきませんので」
それはそうだが、確実にその理論は、安易に連帯責任だけを拠り所にしている。
学校側は「魔女狩り」をしたいのだが、道義上できないので、全体で責任を取ってもらいましょう。
つまり、そういうことらしいのだ。
この場合、連帯責任というのは、一番楽な方法であるが、給食費を払っている人に対して、まったく根拠を持たない方法である。

税金を払っていない人がいるので、この地域の人は、道路の使用を制限します、道路の灯りも消します、と言っているようなものだ。
逆に、「給食費が赤字なので、職員の給料を減らさざるを得ません」と言われたら、職員らはどんな反応を示すだろうか。
おそらく、馬鹿げている! 横暴だ! と騒ぎ立てることだろう。
それと同じことなのである。
ただ、職員たちの給料は、法律で守られているだけだ。
つまり、こんな短絡的な説明は、ただの暴論で、一方的な通達に過ぎない。

そして、追い打ちをかけるように、校長はこう言うのである。
「引き落としのときは、学校側がしていましたが、手集金の場合は、役員の方に作業をお願いします。事務が一人なので、手が回りませんので」

これを聞いて、役員全員の眉が吊り上がったという。
引き落としは学校側がやったというが、それは銀行がやったのではないか。
学校は、銀行から回ってくるリストを、チェックするだけで済んだはずである。
威張るほどの仕事ではない。一日もかからないだろう。

それに、手が回らないと言ったって、それをするのが事務の仕事だ。
そのために給料をもらっているのではないか。
給食費の管理をPTAに押し付けて、事務員は何をするつもりなのだ。
空いた時間に、温泉にでも行くつもりか。

「それが本当なら、我が家も給食費を払うのをやめようか」
私がそう言うと、ヨメは「他の役員のご主人もそう言う人が多いらしいわよ」と険しい顔をする。

余裕があるのに、給食費を払わない親は、非難されるべきである。
しかし、短絡的な思考しか持たない、学校という組織も、非難すべきところは沢山ある。
真面目に費用を負担している都合のいい親に、すべてのしわ寄せを持っていく。
給食費を払わないひとがいる、という現象だけに反応して、都合のいい親だけを踏みつけにして平然としている学校という組織。

まるで、自校の事務員を使うように、都合よくPTAを使うというのは、あまりにも横暴であり、まるで独裁者のようである。
おそらく学校側は、PTAの役員、という意味を勘違いしている。
使い捨ての100円ライター程度にしか、思っていないのではないか。

PTAの役員は、学校側に使われるためにいるのではない。
学校と生徒の橋渡しをするためにいるのである。
そのためには、上意下達ではなく、形だけでない議論の場が必要である。

え! 本当! そうなの?
知らなかった!
PTAって、ただの都合のいい道具じゃなかったの!


そして……
だって、払わない人が悪いんだもん!
学校は、悪くないもん!
だから、みんなに責任を取ってもらうんだもん!

(校長の本心を言ってみました)

きっと、素晴らしい人格教育を受けて、お偉くなったのだろう。
うらやましい人種である。

非常識な親がいて、非常識な教師、非常識な校長がいる。
そして、こんな偉そうなことをブログに書く、売れないデザイナーがいる。

主旨とは外れるが、あまりにも自分勝手な言い分を聞かされたので、ここでひとこと自分勝手なことを言わせていただきたい。

NH美術、早く売掛金を払え!
給食費が払えなくなるじゃないか!


変なオチで、まことに申し訳ありません。


2007/06/12 AM 06:25:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

クソバカ機械オタクキモ親父
友だちに、故障したMDコンポをもらった。
「おまえ、壊れた機械好きだったろ」と言われたが、別に好きなわけではない。
私だって、新品の方が好きに決まっている。
ただ、直すことが面白いだけだ。

彼には、以前「ハードディスクの音が変なんだ。直してくれ」と言われて、WindowsのノートPCを預かったことがある。
私は、修理を専門にしているわけではないので、「いつ直せるかわからねえぞ」と言って、それを預かった。

10日後に、安く手に入れたハードディスクに交換したら簡単に直ったが、彼はその時すでに新しいノートPCを買っていた。
金持ちは、待つのが苦手なようである。

その直したノートPCは、メモリを増設して私がいま使っている。
友だちには、「いつか返してくれよ」と言われているが、返すつもりはない。
金持ちは、貧乏人に恵む義務がある。我が家の憲法には、そう太字で書いてある。

今回、彼はMDコンポが壊れてすぐ、SDカードが使えるコンポを購入した。
簡単に買い換えてしまうのである。
機械に対する愛着がない。
金持ちというのは、鼻持ちならない人種だ。

私はそれをすぐに分解してみた。
「おい、そんなことが、よく平気でできるな」
小学6年の娘が、私の横で興味津々という顔で、作業を見ている。
「このクソバカ親父、本当に直せるのか」という顔である。

私の高校2年の息子は、私のすることは何でも尊敬の眼差しで見てくれるが、娘は「クソバカ親父」という目線でしか見ない。
しかし、勉強など、わからないことがあると、彼女は必ずこのクソバカ親父に聞くのである。
母親には絶対に聞かない。

クソバカ親父だと思っていても、それなりに信頼はしているようである。

分解はドライバーがあれば簡単にできる。
露わになったメカニックを、前と斜めから食い入るように見ていると、娘が「かっこつけんじゃねえよ」と小さいツッコミを入れた。

格好をつけているわけではない。
MDコンポを初めて解体したので、感動しているだけである。
機械の美しさに、気持ちが惹き込まれる。
要するに、見とれているわけである。

「機械オタクかよ! クソバカ機械オタク親父!」
娘がまた突っ込んできた。
そうです。私は、クソバカ機械オタク親父です。

クソバカキカイオタクオヤジ、クソバカキカイオタクオヤジ……、と念仏を唱えるように、作業を続けた。

読み取りレンズを覗いてみると、それほど汚れてはいない。
故障箇所はここではないだろう、と思ったが、一応クリーニングをしておいた。
次にMDの窓の部分を開ける歯車。
小さなホコリがたくさん付着していたので、丁寧に麺棒で取り除いて、グリス(潤滑剤)を軽く塗っておいた。

他にメカ的には、いじるところはないようである。
あとは基盤であるが、基盤をいじるのは設計図がない限りは無理だ。
だから、ホコリの見える部分を、エアクリーナーで吹き出すだけに止(とど)めた。
つまり、素人の修理では、これが限界である。
とりあえず、メカむき出しのまま、スロットにMDカセットを入れてみた。

カシャ、ウィーン!
作動している。
音楽が聞こえた!

え! こんなに簡単なの?
これでいいの? ホントに直ったの?!
拍子抜けした。

試しに、何枚か他のMDを入れてみたが、どれも正常に再生されている。
「やったな!」
娘は感動してくれたが、私は物足りない。
全然、感動がない。

難しいと思っていた司法試験に、一発で受かってしまったような気分である。
あるいは、ダメモトでニコール・キッドマンにプロポーズしてみたら、あっさりOKしてくれた気分か。
または、パー3(スリー)の2番ホールで、目をつぶって7番アイアンを振ったら、ホールインワンになってしまった気分。
それとも…………、しつこい!

とにかく、簡単すぎて、面白くない。
「ぜいたく言うんじゃねえよ!」
娘のツッコミに、弱々しく笑うクソバカ機械オタク親父。

MDコンポが直ったと聞いて、顔をのぞかせた息子が言う。
「これ、修理に出したら、いくらくらい取られるんだろう?」
「場合によっちゃ、1万円は取られるかもな」

「ホントに!」
子どもたちが、大声でハモる。

そうなのだ。
修理に出せば、それくらいはかかるだろう。
ということは、得をしたということである。

へへへ……。
自然と、顔がにやけたようである。
それを見て、娘は「クソバカ機械オタクキモ親父!」と言って、私の肩を力一杯叩いた。

痛かったが、得をした気分の方が強い。
へへへ……。

「クソバカ機械オタクキモキモ親父!」

いや、「キモ」を3回言ったかもしれない。
それも、3回目の「キモ」は、かなり力を入れたような気がする。

「クソバカ機械オタクキモキモキモ親父!」

どうでもいいことだが……。


2007/06/07 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

結果オーライ
少々真面目な話をしたいと思う。

先週の土曜日、息子の小学校時代の同級生に偶然出会った。
山手線内回りの車内である。
三年ぶりに会った彼は、だいぶ大きくなって顔つきが多少変わっていたが、私にはすぐわかった。

しかし、彼は私のことを忘れていたようで、目が合っても何の反応も示さなかった。
彼が小学生の時は、毎日のようにゲームをしに我が家に来ていたというのに。

「K君だよね」
声をかけると、頬をぴくっとさせて頷いたが、探るような目をしたその顔は、拒絶らしきものを漂わせていた。

迷惑のようである。
私はそういうことには敏感なので、何も言わずに彼から離れようとした。
嫌がる人間と、無理に話をしたいとは思わない。

回れ右をして、つり革をたどって、彼から遠くへ行こうとした。
5メートルほど歩いたところで、「マッちゃんのお父さん」と呼ばれた。
振り返ると、すぐ後ろにK君がいた。
私のことを思いだしたのだろう。
背はそれほど高くない。165センチくらいか。そして、華奢な体型をしている。

目にあまり意志が感じられないタイプである。
そういえば、昔から何ごとにも反応が鈍かった。ゲームで負けても、他の子のように全身で悔しがることはしなかった。
素直な子だったが、明瞭さがない。

中学の時、いじめられていたという噂があった。
そのために転校した、という噂だった。
K君は、中学二年の6月に、突然彼の母親の実家に引っ越した。
父親は、東京に職場があるので、父親だけ会社の近くに引っ越し、単身赴任というかたちを取った。

いじめ。
それが本当かどうかはわからない。
彼が転校したあとに聞いた伝聞だからである。
しかし、この伝聞がもし本当なら、それは腐臭を放つほどひどい話だった。

K君がいじめられていたのは、ほとんど学校外だったらしい。
だから、表面上は目立たなかった。
暴力とゆすり。
親は何度か学校側に相談を持ちかけたが、学校側は「学校外のことまでは責任は持てない」という態度だったという。
自校の生徒のことなのに、だ。

そして、ここが信じられないことなのだが、「警察に知らせようと思うが」と相談に行ったK君の親に、「そんなことより転校したほうがいい」と学校側がすすめたと言うのである。
いじめる側はほったらかしで、いじめられている生徒に転校をすすめる学校というシステム。
公平を教えるべき学校が、積極的に「不公平」を教えているという現実。

いじめっ子には、学校はさぞ天国に映ったことだろう。
彼らは、学校が楽しくてしかたなかったのではないか。
いじめを陰ながら、学校側がサポートしてくれるのだから。

K君の親が、警察に行ったかどうかは定かではない。
伝聞の中に、それは入っていなかった。

それが三年前の出来事である。
重ねて言うが、これは伝聞である。
本人から直接聞いたわけではない。

いまK君を目の前にして、「いじめられてたんだって?」などと聞けるわけがない。
彼の表情や言葉の調子からその裏付けを取ろうとしても、それは推測に過ぎないし、彼にとっては余計なお世話だろう。

「今どこに住んでるの?」
そんな、ありきたりなことしか聞けない。
「秋田」
左手でつり革をねじりながら、私と目を合わさずに、K君は言った。
私の記憶にあるK君の声よりも、確実に太くなっていた。

「今日は、ひとり?」
K君は、やはり横を向いて、小さな声で「お父さんと約束」と言った。
土日を利用して、一人で東京に出てきたのかもしれない。
デイパックを背負っていた。

電車は、もうすぐ新宿駅に着くところだった。
私は、ここで乗り換える。
K君は、どこまで行くのだろう。
偶然会って、つかの間、話をして別れる。
こんな場合は、それが一番自然である。
そして、お互いに今日のことはすぐに忘れる。
日常というのは、そんな小さな出来事からできあがっている。

新宿駅に着いた。
「じゃあ、俺は降りるから」
私が言うと、K君は「おれも」と言って、私と並んでホームに降りた。

降りた途端、K君が、彼にしては珍しく強い声で言った。
「マッちゃんは元気ですか」
目が合った。
彼は私の目をそらさずに、見つめていた。

「ああ、元気に高校に行ってるよ」
その時、はじめてK君が笑った。
「おれも、秋田で高校行ってるから」
そして、肩に食い込んだデイパックの紐を強く引っ張って、もう一度はっきりした声で言った。
「ゲームばかりしてたら駄目だよって、言っておいてください。マッちゃん、きりがないから」

「そうだね。でも、最近はほとんどゲームはしないんだ。卓球の部活で疲れちゃってね」
私がそう言うと、K君は、両手を強く叩いたあとで、両方のこぶしを握った。
私がはじめて見る、K君の弾けた姿だった。

「良かった! まだ卓球やってたんだ。おれも高校から卓球始めたんだ。そうか! 一緒だ!」
「それを聞いたら、あいつも喜ぶよ」
私は嬉しくなって、K君の華奢な肩を叩いた。
K君がまた笑った。

「今度、もしまたこっちに来る用があったら、遊びに来いよ。卓球のラケット持ってな」
K君は私の言葉に大きく頷いたが、一瞬考える顔をした。
「あの団地に行ったら、もしかしたら、いじめたやつと顔を会わせるかもしれない」
と思ったのか、一瞬だが目の焦点が合わなくなった。

しかし、それは私の思い過ごしだったかもしれない。
彼はすぐにまた頷いて、私を見つめた。そして、身体をゆっくりとひねった。
「うん。夏にまた来るから。じゃあ、さよなら」
澄んだ笑顔を作って、手を一回振ったあと、階段を下りていった。

華奢な後ろ姿が、小さくなっていく。
私は、階段の上がり口の隅で、ずっとそれを見ていた。

彼が、いじめられていたことが、本当のことなのか、それともただの噂にすぎないのか。
それは、とても重要なことだが、今という時点を考えるなら、彼は悪い時間を過ごしていないように思える。

おそらく、いじめは永遠に続くものではない。
しかし、たとえ一瞬でも、いじめられたら、それは心の傷として永遠に残るだろう。
時が傷を小さくしてくれるが、心の傷を負ったという記憶は、永遠に消えることはないのではないか。
だが、その傷が永遠に消えないとしても、いつか笑い飛ばすことはできるはずだ。

K君は、笑い飛ばしたのか。
もし笑い飛ばしたのなら、K君の転校は、正解だったことになる。
しかし、逆に考えれば、いじめさえなければ、彼はあのまま私の息子と一緒に中学を卒業して、もしかしたら同じ高校に通っていたかもしれない。
父親とも離ればなれにならずに済んだ。

転校することによって、彼が捨てたものや無くしてしまったものは沢山あっただろう。
まるで、逃げるように引っ越していった家族。
いじめっ子はそのままなのに。

彼の転校は、あくまでも結果オーライである。

彼のいまの姿を見て、おそらく、こんなことをしたり顔で言うやつがいるかもしれない。
「ほら、転校して良かったじゃないか」

しかし、教育は「結果オーライ」でいいんだろうか?
現状を解決できず、逃げるだけの教育は、教育の名に値するのか。

私としては、あれが、ただの噂だったと思いたい。



2007/04/24 AM 06:22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

バカな親
友人の子どもが、いじめに遭っているらしい。
クラスの子の一部から無視されているようである。

ただ、親にその自覚があまりない。

「本人は、それほど深刻でもないみたいだよ」

バカな親である。だから、叱った。
当たり前のことだが、子どもにも色々なタイプがいる。
感情をそのまま出す子や、我慢する子、気持ちを押し込めて隠す子など、様々である。

平静に見えたとしても、いじめられて平気な子などいない。
深刻そうに見えるか見えないかは関係なく、いじめられているという事実が重要なのである。
親の主観など、どうでもいい。

友人は、その事実を知っても、担任に相談することもなく、夫婦で話し合ったりもしなかったという。
バカな親である。
親がやるべきことを、まったくしていない。

「君は、親なのか、それとも教師と同じく傍観者なのか」
私がそう言っても、反応は鈍い。
詳しく聞いてみると、中学2年の彼の息子は、あまり勉強は出来ないらしい。
運動も苦手である。人付き合いもそれほど上手ではない、という。

友人は自分の息子に対して、こんな思いを持っている。
「出来が悪いから、どうしても学校行事なんかも参加しづらくてね。他の出来のいい子を見てると、嫌になっちゃってさ」

何度も言うが、バカな親である。
これではまるで、出来が悪いから、愛情が持てないと言っているのと同じではないか。
彼には2歳下の妹がいて、こちらは出来がいいらしい。
娘の学校行事には、夫婦して積極的に参加しているというのである。

ため息が出る。
情けない、と言ってもいい。

「本人は、それほど深刻でもないみたいだよ」と言うが、親のお前が真剣に受け止めていないだけの話ではないのか。
つまり、親の怠慢である。

そこで、「お前、もし自分が会社の同僚から無視されたら、どんな気がする? 泣き喚くのか? 喧嘩するか? 会社辞めるか?」と聞いてみた。

「いや、とりあえず、我慢するかな」
「だったら、お前の息子も我慢してるんじゃないのか。自分の息子に我慢させておいて、親のお前は知らんぷりか。『深刻に見えない』のは、お前に想像力がないだけじゃないのか。自分に置き換えて考えてみろよ。お前が嫌なことは、息子も嫌に決まっているだろ!」

しかし、このバカな親は、反応が鈍いままだ。
「ああ・・・」と言い、「でもなあ・・」と言い、「何かなあ・・・」と言うだけである。

腹が立ったので、奥さんを出せ! と怒鳴った。
しかし、彼の奥さんは、近所の奥さんと飲み会に行っているのだという。

彼の息子が可哀想である。
親にも無視されている。

「じゃあ、お前の息子を出してくれ」
お節介だとは思ったが、そう言った。
そうすると、彼は怒ったのである。
「お前にそこまで言われる筋合いはない!」

確かにそうである。
親としてのプライドは、かろうじて持っているようだ。

そこで、私はこう言った。
「学校に金八先生はいない。ヤンクミもいない。グレートティーチャーオニヅカもいない。いるのは、傍観者の教師だけだ。親はこんな傍観者には何も期待してはいけない。そして、親は教師のように傍観者になってはいけない。そばで見てるだけではダメなんだ。子どもを感じなければいけないんだ。子ども全体を感じるからこそ、親なんだ」

こんな言い方で、彼に伝わったのかどうか。
彼は、「でもなあ・・・」とモゾモゾ言うだけだったので、私は一方的に電話を切った。

「親バカ」はまだいいが、「バカな親」は救いようがない。
そして、バカな親を持った子どもは、いっそう哀れである。



2007/02/22 AM 06:38:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

頑張らなくたっていいのに
子どものマラソン大会が、ふたつ。

先月は小学校でマラソン大会があり、今週は息子の通う高校であった。
小学校は1キロ強。高校は9キロ。
私にとって、学校行事のなかで意味のわからない一番のものが、この「マラソン大会」である。

長距離は走りたい者だけが走ればいい。
体調の悪い子は自己申告をする、というのは建前に過ぎず、学校や親の「頑張れ」ムードのなかで、どれだけの子が本心を言えるだろうか。
学校行事だからということで、走りたくない者に強制を暗示するのは、教育としていかがなものか。
小学校の会合などでは、私ひとりだけが反対論を唱えて、ほとんど変人扱いされている。

大半の親の意見として、
「子どもの頑張っている姿を見たい。
運動会と同じく恒例の行事だから、続けるべきだ。
完走することで、子どもたちに達成感を味わわせてやりたい。
冬に向かって体力が付くからいいことである。
自由参加にすると、走らない子は虐められたり、からかわれたりする。」


父兄の間では、私だけがいつも反対の立場なので、「Mさんはスポーツが苦手なんだ」という悪意を含んだ噂が広まっている。

自慢ではないが…、という前フリがつく場合は、大抵自慢話である。
私は、中学一年から大学三年まで陸上部で短距離の選手だった。
百メートル、二百メートル、走り幅跳びを専門にしていた。
全盛期では、百メートルを十秒代後半で走ったから、そこそこのアスリートだった(明らかに自慢!)。

膝と腰を痛めた二十代後半からは有酸素運動に少しずつ移行して、今では5キロから25キロの距離を走っている。
だから、走るのは好きである。
そして、他の人よりも走ることに関しての知識は深い(さらに自慢!)。

その私が言う。
高々、一回のマラソンを走ったからといって、体力は付かない。
そのために懸命に練習をしたとしても、行事が終わって走らなくなればすぐ元に戻る。
達成感もその場限りである。
意味がない。

みんなが同じ距離を走ったからといって、平等とは言えない。
みんなで同じことをしたからといって、友情は生まれない。

陸上に限らず、スポーツは種目に分かれているものが多い。
陸上の場合は、短距離、長距離、投擲(とうてき)、ジャンプ、障害物などがある。
誰もその全部をやろうとは思わないだろう。大抵は自分の得意な種目だけをやる。
短距離の選手、長距離の選手、ハンマー投げの選手などを一緒くたにして、全員でマラソンをしましょう、などという乱暴なことはしない。

水泳の選手を集めて、「さあ、皆さん、一万メートルを全員で泳ぎましょう」などとは言わない。
いくら「無差別級」があるからといって、40キロの人と150キロの人が柔道の試合をしているのを私は見たことがない。
リトルリーグとメジャーリーグの試合も見たことがない。

みんな得意分野が違うからだ。
なぜ、学校もそういう考え方ができないのだろうか。
学校の授業だけはそれが許されるという根拠は、いったい何なのだろう。
生徒の個性を認めると、教師の仕事が煩雑になるから、か。

私は、体育の授業のときも、自分が短距離を走るにあたって無駄になることはやらなかった。
千五百メートル走など私には必要ないから、最初と最後だけ全力で走って、途中は歩いた。
教師の側から見れば、「和を乱すやつ」だったが、これは私としてはどうしても譲れない一線だった。
走る、ということを、学校はなぜこんなにも安易に考えてしまうのか。走る、ということは簡単にプログラム化できるものではないはずだ。

いま、マラソン大会は、行事のための行事になっている。
教師は、管理がしやすいから、皆を同じスタート地点に立たせたがる。
体育大出身の体育教師は、オレができたんだからコイツもできる、コイツができたんだからアイツもできる、だから「できないやつはやる気がない」という思い込みでスポーツをやらせているように思える。
他人と同じことができないと「やる気がない」生徒に見られる。しかし、それは教師や親の思い込みであり思い上がりである。

教師も親も自分は頑張らないくせに、ひとには頑張りを強要する。
「がんばってー!」
「もっと、頑張れ!」
「手を抜くなー!」


先日のマラソン大会でも、「無理すんなよ。力抜け」などと言っている父兄は私だけである。
言われた児童は、キョトンとしてこちらの顔をマジマジと見る。
「何言ってんだ。このオッサン」という顔をする子もいる。
しかし、それでも私は「頑張れ」とは絶対に言わない。

息子の通う高校では、マラソンを完走しないと体育の単位を取れないという。
愚かしいことである。
教師は、監獄の看守ではない。
それなのに、なぜ生徒を檻に入れたがるのだろうか。確かに皆に同じことをさせておけば優劣がわかりやすいし、管理がしやすい。
しかし、それは教師側の都合に過ぎない。

誰も個人を尊重しようとしない。
みんなが頑張っているんだから、という根拠のない押し付け。
頑張っているように見えない子は、やる気がないという決め付け。

高校野球でもそうだ。
誰も彼の肩を壊す権利はないのに、連戦連投の投手に「頑張れ」と言う。

箱根駅伝でも同じ。
関東の大学しか出ないローカルな大会に過ぎないのに、まるでそれが頂上決戦であるかのようにマスコミが煽りたて、「頑張れ」の連呼。
結果、箱根駅伝をピークにして伸び悩んだ選手が何人いたことか。

懸命に練習を積んで選ばれたアスリートたちに、「頑張れ」などと言うのは、応援とは言わない。
彼らは充分に頑張ってきたから、その場所にいるのだ。
そして、子どもに安易に「頑張れ」などというのも、応援ではない。
アスリートや子どもたちを檻に入れて、檻の外からものを言うことはやめろ、と言いたい。

頑張ったかどうかは、他人が決めることではない。
政治家や出世欲の強い人などは、自分から「頑張っています」と見せつける人種ではあるが、それは例外だと思いたい。

極端なことを言うなら、ひとは他人に頑張っているように見られるために何かをするわけではない。
少なくとも、私はずっとそうだった。

だから、
「チカラ、抜けよ」
私は、自分の子どもたちには、いつもそう言っている。

その結果、二人とも随分とユルいキャラになってしまったが……。



2006/12/10 AM 06:26:03 | Comment(8) | TrackBack(0) | [子育て]

桶川西口公園にて
めまいは突然やってくる。

桶川の得意先の帰り、東武ストアの前を歩いていた時、右目が回るのを感じた。
これは、年に数回ある一過性のめまいの症状だ。
10分から30分程度で治まるものなので、じっとしていれば治るはずだ。
近くには休むところがなかったから、少し歩いて、西口公園まで行った。

木のベンチに横になった。
汚いベンチだったが、20年近く着ているスーツだから、汚れても構わない。
横になったが、目は瞑らなかった。気温が低いので、眠ってしまったら、風邪をひく。薄目を開けて、めまいが通り過ぎるのを待った。

10分ほど、そうしていると、かなり楽になった。
体を起こすと、四才くらいの男の子が私のそばに立って、私を見ていた。

「だいじょうぶ?」と聞かれた。
心配してくれているようだ。病人のような顔をしているのかもしれない。

「リョウ君!」
声の方を見ると、少し離れた隣のベンチに女の人がいて、男の子を手招きしている。
変なおじさんに関わっちゃダメ、ということだろう。
顔を小さく横に振っている。

「ありがとう、大丈夫だよ。ママが呼んでるから、行った方がいいね」
「ホント、だいじょうぶ?」
「リョウ君、優しいんだね」
「優しいだけじゃダメ、っていつもママに怒られてる」
口をとがらせ、うつむいて言う姿が可愛い。

余計なお世話だが、つい言ってしまった。
「優しいというのは、強いことなんだよ」

リョウ君は、首を傾げている。口はとがったままだ。
「どうして? ママはもっとしっかりしなさいっていつも言うけど」

「リョウくんは、乱暴な子の方が強いと思っているの?」
「うん、力が強いし」
「乱暴な子は、ただ人が怖いだけだ」
「どうして?」

「リョウ君は、ゴキブリは好き?」
「大っ嫌い!」
「もしゴキブリを見つけたら、どうする?」
「パパに頼んで、つぶしてもらう」
「ねっ、怖いからつぶすだろ。人間もそうなんだよ。相手が怖いから乱暴するんだ。本当に強い子は乱暴なんかしないんだよ」
「そうかな?」
子どもに、こんな論理はわからない。それがわかっていても言ってしまうのが、私の軽薄なところだ。

「リョウ君は、今日初めて会った、このおじさんのことが怖いかな」
「全然、怖くない」
「じゃあ、リョウ君は弱くないよ。しかも、おじさんのことを心配してくれたんだから、優しくて、そして強いんだ」
「へぇ〜、・・・、でも、よくわかんない」
納得がいかないようだ。
この年の子は、母親の存在が大きい。
母親の言うことが絶対正しいと思っている。
だから、私の言うことは、彼のためにも彼の母親のためにもなっていない。
言うだけ、無駄である。お節介はしない方がいい。

「じゃあ、ママのことは好きかい?」
「うん、大好き!」
「それなら、ママのところに行きなさい。君のママは、リョウ君が変なおじさんと話をしているから、心配なんだよ。ね、早くママのところへ」
「でも、ホントにだいじょうぶかな?」

立ち去りそうにないので、適当な嘘を言った。
多少、鬱陶しさもあった。
「ああ、今日はお財布をおウチに忘れちゃってね。朝から何も食べてないから、力が出ないだけだよ。ウチに帰ってご飯を食べれば、元気になるから。心配してくれてありがとう、じゃあね」
手を強く振ったら、彼も手を振ってくれて、母親の座るベンチに帰った。

目の端で、二人が手を繋いで去っていくのを見ながら、空を見上げて深呼吸をした。
風はないが、寒い。気温は10度を切っているかもしれない。
眠らないでよかったと思った。
一度眠ったら、30分は寝ていただろう。確実に風邪をひく。

座ったまま、手足を軽く動かしながら、体調が完全に戻るのを待っていたら、「おじさん」と言う声が聞こえた。
見ると、先ほどの男の子が手を振っている。
「おじさん」と言うからには、私のことだろう。
あたりを見回してみたが、「おじさん」らしき人は見あたらない。
だから、手を振り返した。

リョウ君は、右手に持ったコンビニの袋を私にくれた。
「なに?」
「おなかすいてるんでしょ? だから、あげる」

中を覗いてみると、サンドイッチとペットボトルのお茶が入っていた。
私が彼の母親の方を見ると、彼女は心底申し訳ない、という顔をして言った。
「こんなことしたら、失礼かと思ったんですが、この子がどうしても、と言って聞かないもんですから、すみません、あの、お気を悪くしたら、ごめんなさい」

思いがけない展開である。
子ども相手に嘘を言ってはいけないということだ。
失礼なのは、こちらの方だ。
立ち上がって、頭を下げた。
そして、リョウ君の厚意を無にしてはいけないので、有り難く頂くことにした。

おそらく、こちらが食べるところを見ないと子どもは納得しないだろうから、慌ててサンドイッチをパクついた。
お茶も一気に半分ほど飲んだ。

リョウ君は、満足げに私を見ながら、私の隣に座った。
「ありがとう、ホントに君は優しい子だ」

「でも、頼りなくて」
これは、お母さんのことばだ。

「さっきもリョウ君に言いましたが、優しいのと弱いのとは違いますよ。私が見る限り、リョウ君は弱くはない。強い子です」
「でも、将来いじめられるのではないかと心配で」
メディアが最近頻繁に取り上げるので、いじめに関して過敏になっている親が多い。
弱い子はいじめられる、という報道の仕方は、弱い子はいじめられる確率が高いという謝った認識を生んで、逆にいじめる側に言い訳を与えているのではないか。

弱いから、いじめる。
弱い子は、いじめていいんだ!

負の連鎖である。

「親が守るという強い意志を持っていたら、子どもはいじめられないと思いますよ。同じように、子どもに対する親の意志が強ければ、いじめる側にもならない。教師や社会は当てにならない。肝腎なのは親の強い意志だと、私は思います」

自分の子育てのことを言おうとしたが、今日初めてあった人に語ることではない。
そうでなくても、余計なことを語った、と反省している。

「サンドイッチ、おいしかったよ。これは忘れられないご馳走になった」
リョウ君の小さな手を握って、握手をした。
柔らかい手。

将来、この子がいじめられないように、祈ります。


2006/11/18 AM 06:26:01 | Comment(3) | TrackBack(0) | [子育て]

不器用すぎる親子
東京の広告代理店からポスターのデザインを頼まれた。
ある商店街の秋祭りのポスターである。
はっきり言って、難しい仕事ではない。
昨年撮影された、神輿を担いだ集合写真を大きく扱って、あとは場所と日にちを提示するだけのA1サイズのポスターである。

誰でもできる、想像力や工夫を必要としない仕事だ。
しかし、仕事は仕事。
手を抜くと、後味が悪い。

そこで、早めに仕上げ、サンプルとしてレーザープリンタのA3ノビで分割してプリントし、4枚貼り合わせてA1にしたものを、クライアントに見せた。

「Mさん、わざわざA1でプリントしてくれたんだぁ。別に縮小したものでも良かったのに…。校正ができればいいんだから、A3でも構わなかったのに」

「いやいや、これはA3ノビを4枚貼ったものです」と私が言ったら、「まさかぁ、こんなにキレイにいくわけが……」と言って、担当者はサンプルに目を近づけた。
そして、「おーい、サクライ」と大きな声で同僚を呼んだ。

「見てみろ、これ」
呼ばれたサクライさんは、担当者が指し示すものを見て「ああ、いいねえ」という、素っ気ない感想を漏らしただけ。

担当者は、じれったそうに「バカ! もっとよく見るんだよ。これ貼り合わせてあるんだぜ」と言って、サクライさんの頭を抑えつけるようにして、ポスターに近づけた。

「ええー! アリャリャ!」
サクライさんは、お笑い芸人並みのリアクションで、大きくのけ反った。

おそらく30センチぐらい目を近づかせなければ、これが貼り合わせたものだということを判断することはできないだろう。
自慢ではないが、それほどよくできた貼り合わせである。

「Mさん、器用ですねえ。芸術ですよ」
と誉められた。
その結果、このポスターは校了になったら、20枚を大型インクジェットプリンタでプリントする予定だったが、これほど精密にできるなら、貼り合わせの方が安くつくということで、すべてを貼り合わせで誤魔化すことになった。

そのうちの2枚はパネル貼りにして、残りはラミネート加工して商店街に貼るらしい。
貼り合わせの他、このパネル貼りも私の仕事である。
A1のパネル貼りは難しいが、ある方法を使うと、貼った面がシワにもならず、空気が入ることもない仕上がりになる。
パネル貼りで失敗したことは一度もない。

「Mさん、どうしたら、そんなに器用になれるんですか」
と聞かれたが、私は曖昧(あいまい)に笑うだけだ。

実は、私は人一倍不器用なんですよ、といっても謙遜か嫌みにしか聞こえないだろうから…。

しかし、本当に私は不器用である。
子どもの時から、それは変わらない。
不器用は直らないものだ。

しかし、不器用を不器用に見せないよう、工夫することはできる。
それが、根気である。
我が家の高校一年の息子と小学五年の娘は、私の血を受け継いだのか、不器用である。
それに対して、ヨメは裁縫や編み物などが得意なので、器用な部類に入るだろう。

息子は、根気がないので不器用丸出しだが、娘は根気がある。
だから、ヨメも彼女のクラスメートも、彼女のことを不器用だとは思っていないようだ。
私ひとり、「あー、俺に似て不器用で、可哀想なやっちゃ」と嘆いているのである。

小学五年になると、家庭科で裁縫の授業がある。
娘は、学校から帰って来るなり、私にこう聞いた。
「ねえ、玉止めって知ってる?」
「ああ、何となくね」
「じゃあ、やってみて」

やってみた。
それを見た娘は、「もう一回」と言った。
もう一回やった。
「そうか、そうやるのか」

どうやら、彼女は授業で「玉止め」ができなかったらしい。
聞いてみると、女子の8割はできていたという。
娘は、できない2割に入ったことが悔しかったのだろう。

彼女は、一時間ほど自分の部屋に籠もった。
そして、出てきて、嬉しそうに「見て見て」と言った。
上手に「玉止め」ができている。

一人で懸命に練習したのだろう。
額に汗が浮かんでいる。
それを見ると、「この子は本当に俺に似ているな」と思う。
自分が不器用なことが悔しくて、ひとが見ていないところで、それを懸命に克服しようとする。
そして、人前では何ごともなかったように、振る舞うのである。

ヨメは、自分の娘が不器用だということに気づいていないから、「玉止め」ができないなどと聞かされたら、こう言うに決まっている。
「何でこんな簡単なことができないの。真剣に先生の言うこと聞いてるの? 真面目にやらなきゃ駄目だよ」

こんなことを言われたら、娘は確実にヘコむ。
だから、同じ悩みを共有する親父にだけは、うち明けるのだ。

こいつなら、私の苦しみがわかってくれる(?)。

娘は、高熱で苦しんでいても、決してひとには言わない。そのことを懸命に隠す。
怪我をしても、平気な振りをする。
ひとから罵られても、顔色を変えない。ひたすら我慢する。
誤解されても、言い訳はしない。

要するに、可愛くない人種である。

娘のこれからの人生、この性格で苦労するかもしれないが、私はそれでいいと思っている。
なぜって、私がそうやって生きてきて、格別不都合を感じなかったから。
自分が器用なことをひけらかすやつはたくさんいるが、そんな奴らは抛(ほう)っておけばいい。

器用か不器用かは、その人の個性であって、優劣を決める尺度ではない。
そして、器用なやつが高尚な人種であるという根拠など、どこにもない。
器用で損をするやつもいれば、不器用で得をするやつもいる。

それは、どっちにしても、大したことではない。

娘は、私が料理の時に見せる素早い包丁さばきや、ギターをスリーフィンガーで弾くのを見て、「こいつにできるなら、私にも絶対できるはず」と密かに思っているはずだ。

こんな不器用なダメ親父でも、娘には身近な目標になっていることに、私はこの上ない満足感を持っているのである。



2006/09/10 AM 06:26:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

娘と過ごした八月
学校の夏休みが終わって、一週間以上がたった。
正直、気が抜けている。

高校一年の息子は、夏休み中、部活や合宿があったので、忙しい毎日を送っていた。
それに対して、小学五年の娘は、夏休みの最初こそ、友だちと遊んだりしていたが、八月になると夏風邪を引いて、それが予想外に長引いた。

咳が三週間以上続いた。
泣き言を言わない子なので、こちらが症状の重さに気付くのが遅れて、医者に連れて行ったときは、気管支炎になる寸前だった。
申し訳ないことをした。

その結果、娘は八月いっぱいをほとんど、家で過ごすことになった。
パソコンをいじる時間が増えた。

我が家にはウィンドウズ2台とマック3台のPCがある。
ウィンドウズは、ヨメと娘が一台ずつ使い、マックは私が使っている。
娘はいつもなら、自分のPCを動かすのだが、この夏は私の仕事部屋のマックを使って、インターネットやお絵かきソフトを動かしていた。
ウィンドウズよりマックの画像の方がキレイだという理由で。

三台のうち一台は、「Tiger」を使って、「iTunes」で音楽を流しっぱなしにしている。
これはG3/300MHzに800MHzのアクセラレーターを付けて、使っているものである。
ほとんどMP3プレーヤー化していて、たまにAGFAのスキャナを使うときに活躍する程度である。

この夏、娘はこのPCをいたく気に入っていた。
このPCには、「iTunes」の他に、AdobeのPhotoshop,Illustrator,GoLiveのCS版とShade8が入っている。
娘は、この中のPhotoshopとIllustratorを連日動かしていた。

つまり、八月いっぱいは、ほとんど私の隣にいたことになる。
仕事の邪魔をする子ではないので、仕事に支障をきたすことはない。
「iTunes」で、お気に入りのYUI倖田來未ジャンヌダルクを聞きながら、「ベジェ曲線」と格闘していたのである。

マウスではやりにくいだろうと思って、ペンタブレットを買って取り付けたが、使ってみた結果、マウスの方がしっくり来るということで、ペンタブレットはお蔵入りになった。

PCでお絵描きするに当たって、基本的なことは私が教えたが、娘はマニュアルも読まずに、独自の方法で「オリキャラ(オリジナルキャラクター)」を書くことに熱中した。
そして、私の仕事が一段落したのを見計らって、「おまえ、よくこんな面倒臭いソフト使ってるな」といいながら、疑問点を聞いてくる。

教えたあと、娘はうまくいかなかった箇所を、何度も繰り返して練習していた。
私よりはるかに根気が続くようだ。
見直した。
冒頭の画像は、フォトショップで作った始めての作品である。
たいしたものだ(親バカ)。

昼は、一緒に料理タイム。
我が家のメシは私が一手に引き受けている。
夕食は工程が複雑になるので、娘は邪魔になると悪いと思ったらしく、「昼メシ作るの手伝ってやるぞ、教えろ」と言って、昼飯の時だけキッチンに立つようになった。

シーフードスパゲッティ、ドリア、ラザニア、グラタン、リゾットなど、イタリアンを中心に教えていった。
時に強力粉を使ってパンを焼いたり、ホットケーキミックスを使ってドーナツなどを作る。

娘は、私に似て不器用である。
ただ、根気を持続させるという能力は人一倍持っている。
だから、集中力が高い。
メモを取りながら、料理を覚えていった。
小学校のクラブでは、「料理クラブ」に入っているから、これらの料理はきっと彼女にとってかなり役に立ったと思う。

「こんな簡単に美味い料理が作れちゃっていいのかよ」
と言いながらも、娘は嬉しそうだ。

そんな八月だった。
しかし、学校が始まると、当然ながら娘は学校へ行く。
私のそばで懸命にフォトショップを動かしている姿を探しても、今はない。

最初のうちは、その状況に慣れることができなかった。
気が付くと、いつの間にか娘の姿を探しているのだ。
そして、いないことに気付いて、ため息が出る。

「おまえは、娘が結婚したら、絶対泣くだろうな」
とみんなから言われる。

あー、絶対泣くさ。
もしかして、この世の終わりが来たと思うかもしれない。

だが、今は実感がない。
娘に彼氏ができて、彼氏を紹介されて、そして結婚。
このお決まりのパターンを想像することができない。

娘は、野蛮な馬鹿が嫌いだ。
そして、小学生の男の子のほとんどは「野蛮な馬鹿」だから、今は安心である。

「あいつら、同じ人間とは思えないぜ」
と嘆く娘に、当分は彼氏ができる気配はない。
しかし、いつかはきっと……。

いや、そう思うことがすでにおぞましい

だから、今はただ、早く冬休みが来てくれないか、と思う今日この頃である。



2006/09/08 AM 06:39:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

ソーラン節と恋のプチアゲ天国
昨日は、久しぶりに一日オフ。

息子は朝早くから、卓球の大会へ行き(早朝6時に出かけた。弁当を作るのが大変)、ヨメは花屋のパート。

午前中は、小学5年の娘と二人きり。
彼女は、9月の運動会の出し物「ソーラン節」の練習を懸命にやっていた。

「踊るから、ずっと見てろよ」と言うので、ずっと見ていた。(見せられていた)

娘は、昔からダンスが好きで、人よりも早く覚えることに闘志を燃やしている。
今回もクラスで一番早く覚えた、と言って威張っていた。

「ソーラン節」は、全身を使って表現するので、かなりハードだ。
それを7回8回と、繰り返しやっている。
自分の納得のいくまでやる。

「疲れるだろ、少し休んだら」
と言っても、納得するまでやめない。

10数回踊って、「よし、これだな」
やっと納得のいく踊りができたらしく、大きく頷いて、踊りをやめた。

だが、これで終わりではない。
今度は林間学校で踊る「恋のプチアゲ天国」の振りを見て欲しいという。

少しは休んだ方がいいんじゃない?
汗も拭いた方がいいし…。


「いいの! こういうのは勢いでいかなくっちゃ!」

踊り始めた。

うまいものである。
音楽なしでも、体が反応して、リズミカルに踊っている。

無表情にパラパラを踊る姿を見て、「コイツは絶対にギャルになる」と確信した。

「恋のプチアゲ天国」は、すぐに納得がいったらしく、2回で踊りをやめた。

その途端、娘が言う。

「わー! ヤダ! 汗ビッショリじゃん! 気持ち悪っ! あ〜! ヤダッ!」

叫びながら、風呂場に行った。
シャワーを浴びるようだ。

15分後、シャワーを浴びてきた娘。
「サッパリした。ホント、汗って、気持ち悪っ! 嫌なんだよね、夏って、何で汗かくんだろう、あ〜、ホントにヤダ!」

汗は体の老廃物を流してくれるから、体にとって、いいものなんだよ。
汗をかく気持ちよさを知ったら、夏が楽しくなるよ。
君もパパの子なんだから、きっと夏が好きになるはずだよ。


それを聞いて、間髪入れずに娘は、
「じゃあ、アタシは、おまえの子じゃなくていいから!」

何という、切れ味鋭い、切り返し!

なんと頼もしい娘! (;_;)




2006/07/17 AM 06:29:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

オレ流教育
月曜日提出予定の仕事の目途がついた頃、娘が仕事部屋に入ってきた。

小学校低学年の頃は、よく仕事の邪魔をしに来たが、5年ともなると、さすがに親の仕事がわかってくる。
「この時間帯は、邪魔をしてはいけない」と、自分で判断して「今なら大丈夫だろう」と見当を付けて、顔を出す。

「あのさあ、都道府県の場所がよくわからないんだけど、どうやって覚えたらいい?」

どうやら、授業で都道府県の位置や物産に関してやっていて、それを暗記しなければいけないようだ。
娘は、算数、理科、音楽、図工は得意だが、暗記物は苦手。

いつも「面倒くさっ!」と言って、「こんなもの地球から消えてしまえばいい!」などと、毒づいている。

私も子どもの頃は暗記が苦手だったので、その気持ちは分かる。
だから、今回もこう答えた。

「無理に覚えなくてもいいよ。大人になれば自然に覚えるから、焦ることはない。今は、自分の住んでいるところさえ分かっていれば充分」
(実際、私も子どもの頃、この地図を覚えるのが苦手で、全く頭に入らなかった。しかし、今はすべて把握している。特別なことは何もしていないから、無意識に覚えてしまったのだろう)

「えー、でも、覚えないと、成績に響くぞ」
「他が良ければいいだろ。都道府県を覚えるのだけが勉強じゃない」
「あっ、そうか。そうだな、じゃあ、算数ドリルでもやるか」
「そうしなさい」

次に顔を出したのが、息子。
「あのー、化学式がよくわからないんだけど」

高校の中間試験の化学で「化学記号・化学式」が出るらしく、さっぱりわからないと言う。

「君は暗記が得意なんだから、とにかく丸暗記しなさい。何がどうした、と覚えるより、ひたすら丸暗記。それで、点が取れなかったら、しょうがない。あきらめようぜ」
「そうか、そうだね。丸暗記してダメなら、それでいいか」
「そうそう」

いい加減な親である。

ヨメは、点数や通知票の結果にうるさい(母親はどこもそんなもの)が、「わけのわからん基準で評価されても、参考にならん」と思っている私にとって、学校の評価は重要ではない。(というか、信じていない)
だから、子どもに対して、こういう接し方になる

ヨメと息子は、成績(結果)に一喜一憂するが、私と娘は、良くても悪くても、「通知票なんか、ウゼェ!」と、露骨に思っている。

たとえば、小学校5年生にも、色々な子がいる。
これは、当たり前のこと。しかし、教育界というのは、システム上そのことに目をつむっている。
お偉い官僚さんは、規格外が嫌いだから、先ず「切り捨てること」を考える。

クラスには、早熟な子もいるし、晩稲(オクテ)の子もいる。
ずっと人の陰に隠れている子もいれば、「俺が俺が」という子もいる。
たまたま表現方法を知らないだけで、他人に誤解を与える子がいる。

しかし、だからといって、人はずっと早熟なわけではないし、「俺が俺が」という子も、何かの拍子で急に物わかりが良くなったりする。あるいは、突然人間関係に目覚めて、自分の「言葉の暴力」に気付く子もいる。
それが、「成長過程」というものだ。
そして、「成長過程」には個人差がある。

だから、その「成長過程」を鋳型にはめ込んで、一緒くたに評価するというのが、気にくわない。
そして、その一番の問題点は、その評価の幅が狭すぎることだ。
その狭さは、官僚の心の狭さだ。平均点の人間を好むのは、管理がしやすいからだろう。
それに、「点数が高い子だけがいい子」という評価に偏りやすい。
私は、異端児をすべて「半端もの扱い」するのは、「教育の自殺」だと思っている。

だから、気にくわない。

学校が杓子定規なら、せめて我が家では、その鋳型を外してやろう。
そう思っている。

それが我が家の教育。というより、私の教育。
一方、ヨメは、「学校評価が絶対」というのを捨てきれない。
しかし、それはそれでいい。
私の考えを彼女に押しつける気はない。
彼女は常識人だから、非常識人の私とうまい具合にバランスが取れている。

だから、私は家族に対しては、「押しつけない教育」を貫いている。

こんな父親だからだろうか。子どもに対しては、威厳がない。
小言を言っても、怒ったふりというのを見透かされて、「またまた、カッコいいこと言っちゃって」などと、茶化される。

たまに真面目なことを言うと、「今の話、オチがないぞ」と、ガッカリされたりする。
息子などは、怒られないのがわかっているから、ひどい点数でも平気で見せる。
娘は、「ほらほら、また百点だぞ。えらいだろ」と、ダンスをしながら自慢する。

彼らは、ヨメの前では、決してそんなことはしない。
ヨメの放つ「言葉のトゲ」が怖いので、触りたくないからだ。

そんな私が唯一、ヨメに対して優越感を持っていることがある。
それは、息子も娘も、幼い頃から私にだけベタベタすること。
彼らは、ヨメに対しては、寄りかかったり、体を触ったり、ベッタリと甘えたり、ということをしない。

娘は小学5年になってもいまだに、私の膝に座りたがる。
一緒に歩いているときも、二人とも、私とだけ腕を組みたがる。
プリクラも私とだけ撮る。

彼らにとって、母親は怖い存在である。
しかし、オヤジは全然怖くない。
トモダチ感覚。名前だけの父親。

しかし、よく考えてみると、これは一般家庭の全く逆ではないか!

これで……、いいんだろうか?
喜んでいる場合では、ないのかもしれない……。

ここからは、余談。

この間、ヨットスクール校長が、娑婆に出てきて、怪気炎を揚げていた。
曰く、
「体罰は教育だ!」

しかし、始めに体罰ありき、では、暴力団よりもたちが悪い。
どんな凶暴なお兄さんでも、最初からチャカ(拳銃)やドス(短刀)で脅すヤツはいない。

体罰前提の教育は、教育ではなく「支配」だ。

要するに、小心者の王が、自分より弱いものを支配したいだけ。
あるいは、王様になれない小心者が、支配する相手を見つけて、「支配者」を気取る遊びがしたいだけのことだ。
そんな人間が、教育者を気取るから、話が「教育」というきれいごとで論議される。

もう一度言うが、それは「教育」ではない。
だから、「教育論」でもない。
ただの「ごっご」だ。

「ごっこ」を真面目に議論するほど、無駄なことはない。

「暗黒裁判」「人権侵害」など、この裁判のあり方をかなり真面目に批判している人がいることは、知っています。

しかし、私は死者が出た時点で「彼の負け」という単純な視点で判断しています。

なぜなら、彼が責任者だから。
事故があって、責任者が責任の当否を求められるのは、どの社会でも当然だと思う。

有罪となった過程で、裁判の不備があったなら、それは大問題。
徹底的に闘えばいい。

しかし、死者が出たことと、それはまったくの別ものだと私は思っている。
彼の方法で、救われた人がいたことも事実でしょう。
しかし、失敗があった場合、「こんだけ成果が上がってるんだから、たまには失敗してもいいだろ、俺のせいじゃないかもしれないし」というのでは、プロの管理者とは言えない。

優秀な自動車整備工場で、100パーセント近い整備の実績があったとする。
しかし、そのうちのたった一台が整備のミスで大惨事を起こしてしまった。
そんなとき、整備士が「ミスはたまたま。他は完璧なんだから、いいだろ」と言っても、そんな言い分は通らない。

私は、ヨットスクールの件も、そんな風に単純に考えています。


2006/05/22 AM 06:38:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

オフは仕込みだ!
昨日は完全なオフ。

完全なオフ日にやるのは、大抵が料理の仕込みか、長い距離のジョギング。
ただ、例年5月になると、原因不明の眩暈(めまい)に悩まされることもあり、今回はジョギングはなし。
だから昨日は、仕込み一筋。

料理の仕込みといっても、侮(あなど)ってはいけません。
これは要領がよくなければできないし、記憶力、勘、センス、そして何といっても体力と根気が必要です。

我が家では、私がシェフなので、9割以上の料理を私が作っています。
ですから、料理の進行を早くするためには、この食材仕込みは欠かせない作業になります。

食べ盛りの高一の息子を持っていると、料理に時間をかけてはいられない。
「腹減った攻撃」のすさまじさは、想像を絶する。だから、仕込みが一番重要になります。

我が息子のいいところは、好き嫌いがほとんどないこと。
シメジやマイタケが嫌いなくらいで、あとは何でも食べます。
料理の種類も問いません。ただ、高級そうに見えればいい。
実際は節約レシピでも、見た目が高級そうに見えれば、「うおお、ゴージャス!」と言って、むしゃぶりつきます。

逆に娘は、「食えりゃいいよ」という、私そっくりの性格ですから、見た目や高級感はどうでもよくて、「うまけりゃ文句はない」。

今回最初に作ったのは、サラダ関係。
マカロニサラダ、ジャガイモサラダ、コールスローサラダ、スモークサーモンサラダ、ピリ辛おからサラダを一気に作って、冷凍用のジッパーに入れて保存しました。
(これは解凍するときは、冷蔵解凍が原則)
慣れているので、ここまで1時間もかからない。
いつもはニンジンサラダも作るのですが、千切りしているとき、眩暈がしたので、これはやめにしました。(指を切る可能性があったから)

次はピクルス。
独自に調合した「だし汁」1リットル分を、小さめの梅酒用のガラス瓶に入れ、キャベツ、キュウリ、パプリカ、ニンジン、セロリを適当に切ったものを漬け込みます。
これは4〜5時間すれば、美味しく食べられるようになります。
ピクルス嫌いの人は多いのですが、野菜のバリエーションを増やすと、見た目が綺麗なせいか、「あれれ?」と言って、食べてくれます。

我が家では、ジャガイモやたまねぎを箱買いするので、これもまとめて仕込みます。
ジャガイモサラダを作っただけでは、箱の上の方が少し減ったかな、という程度。
そこで、ジャガイモを15個、おろし金で下ろします。これが意外と大変。単調だし、ジャガイモは固いので、意外と力がいる。15個下ろすのに、30分近くかかります。

しかし、15個のジャガイモは、下ろすと哀しいくらい存在感がなくなる。
せいぜいサラダボール半分ぐらいの量にしかならない。
これを四角いタッパに入れて、冷凍保存する。

これはお好み焼き、明石焼きのベースになります。
我が家のお好み焼きはジャガイモと卵、山芋がベース。小麦粉を使わないから、小麦粉アレルギーの人でも大丈夫。

4年ほど前、友人が娘を連れて遊びに来たとき、お好み焼きパーティをやる予定でいたが、彼女が「小麦粉アレルギー」だということを知り、急遽ひらめきで作ったのが、この料理。
それまで「お好み焼き」を食べたことがなかった彼女は、この「お好み焼きもどき」が気に入って、今も友人の家では「定番」になっているらしい。

さて、次はコロッケ。ジャガイモを3個だけ残して、あとはすべてコロッケにする。
これで、ちょっと大きめののコロッケが、12個出来る。
それを揚げて、冷ましたあとで、冷凍保存する。

箱買いのタマネギの場合は、5個ずつを輪切りにして、10分間レンジで加熱。
その後、10個分のタマネギを、大きめの鍋で中火で10分間煮込む。
そして、水を切ってから、フライパンで炒める。これが結構、力と根気がいる。また、台所が暑くなるから、夏の場合は汗がしたたり落ちる。

透き通るまで炒めたら、鍋に戻し、少な目のお湯に塩を少々入れただけで煮込む。
20分ほど弱火で煮込んだら、冷まして、冷凍ジッパーに分けて入れ、それを箱形のタッパに入れて、冷凍保存。
これは、オニオングラタンスープやロールキャベツなどに使えるし、カレーにも使える。
タマネギは「新タマ」のときは、このままとっておいて、サラダやピザなどに使う。
「新タマ」でないときは、ミキサーで細かくして、挽肉と併せて、小分けして冷凍ジッパーに入れて、やはり冷凍保存しておく。
これは餃子にも使えるし、ハンバーグ、コロッケにも使える。

仕込みをしているときは、周りが食材だらけのせいか、かえって食欲がなくなる。
だから、昼食はとらない。
コーヒーを1杯飲んで、すぐに作業にかかる。

ニンジン、ジャガイモを、細長い消しゴムくらいの大きさに切って、これを煮込む。
竹串を刺して、やや抵抗があるな、くらいのところで火を止め、冷ます。
これも冷凍保存。
熱湯で戻して、煮物や、肉料理の付け合わせなどに使います。

もう一つのコンロでは、熱湯に、酸味の強いトマトを13個入れて、30秒くらいで取り出す。
それを冷水に浸し、皮をむきます。
ヘタをとって、さいの目に切ってから、フライパンでオリーブオイルをニンニクで香り付けしたところに、すべてぶち込みます。

そこに白ワインを入れ、ヘラでトマトを丁寧につぶしながら、煮立たせる。
水分がある程度飛んだら、塩、ローリエ、バジルを入れて味を調える。
味に納得したら、最後にブラックペッパーを加えて、強火で30秒ほど煮立たせた後、火を止めて冷まし、冷凍保存。
これはパスタやミネストローネ、ピザなどに使います。

次は、スパゲッティ。500グラムずつに分けて、塩を多めに入れて茹でます。
併せて1キロ分のスパゲッティを茹でて、これも冷めたら、小分けにして冷凍保存。

クライマックスは生地づくり。
ピザの生地、餃子の生地、ナンの生地。そして、パンの生地。
強力粉が2キロあるので、これを使って、まずパンを作る。

600グラムの強力粉に、40度のぬるま湯に溶かした「ドライイースト」と蜂蜜、卵1個を入れる。
ある程度混ぜた後で、塩を適量入れ、牛乳を少し加える。
それを手でこねていく。
ある程度まとまったら、たたきつけるようにしてこねる。

これは本当の力仕事。
100回以上こねる。そして、ベトベト感がある程度なくなったら、バターを加えて、さらにこねる。ひたすらこねる。

そんなとき、娘が学校から帰ってきた。

「おー、またやってるねキミ。でも、今日は手伝わないぜ。アミちゃんたちと遊ぶからな」
と言って、素早く支度をして、出ていこうとします。
「何時に帰るんだ?」と聞くと、「暗くなったらだよ〜、毎回同じこと聞くな」と言いながら、ドアを閉めました。

しかし、すぐにドアが開く。
「あのさあ、言っとくけど、鏡見てみな。顔が白人になってるぞ」
すぐ、ドアがまた閉まりました。

白人になろうが、黒人になろうが、宇宙人になろうが、妻夫木聡になろうが(?)、誰が見ているわけでもないので、作業をそのまま再開。
こねて、適度な弾力性が出てきたら、2等分にして丸くします。
それを電子レンジで40分ほど発酵させます。
待っている間、発泡酒を飲む。40分間で2本飲んだ。

40分発酵させると、大きさは倍以上になります。
1個は、10等分にして、ロールパン用の生地として、冷凍保存。使うときは解凍して、2次発酵させてから使う。
もう1つは、3等分にして丸くし、そのうちの2個を麺棒を使って、30センチの丸形に薄く伸ばします。
これはピザ生地として、冷凍保存。
もう1個は、さらに4等分にして、わらじ型に伸ばし、ナン生地として冷凍保存。

その後、強力粉300グラムに、薄力粉100グラムを足して、200ミリリットルの塩水を加えてこねます。
ひたすらこね続けます。

100回くらい、「ぐわぉ、カメハメハ〜!」などと言いながら、こね続け、コシが出てきたら、2つに分割して、円筒状にして、20分ほど寝かせます。(発泡酒を1本飲みながら)
その後、等分に切っていきます。

そして、等分に切ったものを団子にして、麺棒で直径80ミリぐらいの薄い丸生地に伸ばしていきます。
これが餃子の皮。大体45〜50枚くらい出来ます。
出来上がったものは、1枚ずつ片栗粉をふって上に重ねていきます。
これは、冷蔵保存。餃子の他に、ラザニアにも使えます。

これでやっと終わり? いやいや、まだ終わりではありません。
今度は、息子の弁当用の惣菜を仕込んでおきます。

息子の学校には食堂がありますが、上級生が幅を利かせているので、入りにくいらしい。
そこで、昼食はいつも弁当。

「市販の冷凍食品は、嫌だなあ」と、生意気なことを言う、血液型O型、卓球好きの15歳。
「お弁当も、晩ご飯みたいに美味しいものが食べたいなあ」
そう言われたら、作るしかない。

しかし、毎朝仕込むのは大変だ。
そこで、暇な時間に惣菜を10パターン以上作っておいて、冷凍保存。
同じ冷凍でも、市販のものと違って、オリジナルの工夫がある。
毎日組み合わせを変えれば、飽きることもない。

サラダは、キャベツとコーンを使った「コールスロー」、ブロッコリーとマカロニ、ジャガイモの薄切りとタラコを使ったマヨネーズ味など3品。

和風の総菜は、里芋を煮て、ほうれん草を絡めたものと、セロリの葉を絡めたもの。
あとは、出し巻き卵(普通より甘みを強くしたもの)を作って、冷蔵。
豆、油揚げ、ひじきを使った煮物も作って冷凍保存。

洋風は、牛肉を小さいサイコロのように切って、薄口しょうゆで味付けして、小麦粉をまぶしたもの。これは冷凍保存して、使うときはフライパンで塩コショーをしながら焼くだけだから、簡単。

ハンバーグ(ミニサイズ)は挽肉系と豆腐系の2種類を作って焼いておき、冷凍保存。
スパゲッティは、タラコと絡めて冷凍保存。使うときは電子レンジで1分加熱するだけでいい。
コロッケも挽肉系と野菜系の2種類のミニサイズを作って揚げておき、冷凍保存。

中華は、野菜炒めを片栗粉でトロミを付けたものを具にして、ミニ春巻きを作ります。これも揚げておいて、冷凍保存。
エビチリは本格的に作るのは面倒くさいので、お麩をエビチリ風にしたものを作って冷凍保存。これは、息子のお気に入りです。

最後は、焼きおにぎり。
電子レンジの「グリル機能」を使って、しょう油や味噌を塗ったおにぎりを焼いていきます。
表側10分、裏側5分焼くと、美味しい「焼きおにぎり」が出来上がります。
これも冷まして、冷凍保存。

この「焼きおにぎり」を作っているときに、息子が帰ってきました。
狭い家ですから、玄関にも「焼きおにぎり」の臭いが充満しています。
「ああ、焼きおにぎりだ! 食いたい!」と叫びながら、キッチンに入ってきました。

丁度、ミソ味の焼きおにぎりが出来上がったところですので、それを2個渡しました。
出来上がったばかりで熱いのも構わず、「うめえ、うめえ」と一気に食べるその姿は、平和そのもの。
食べっぷりの良さは、惚れ惚れするほどです。

彼は、食事を残しません。出されたものは、すべて食べます。
米粒一つ残さず、綺麗に食べます。
弁当も、犬がなめたように綺麗に食べてくれます。

「よくこんなに綺麗に食べられるね」と聞くと、こう答えます。
「だって、仕事忙しいのに、一所懸命作ってくれるんだから、残したら悪いジャン。それに、おいしいし」

コイツ、親を泣かせるツボを心得た「達人」と見た。



2006/05/19 AM 06:27:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

埼玉で一番のビンボー
息子の高校入学祝いも兼ねて、久しぶりにディズニーランドに行ってきました。
あまり頻繁に行くと有り難みがないので、我が家では4年に一度くらいのペースで行っています。

息子は4回目、娘は3回目です。

今回は私の体調が万全でないので、友人の長男(19歳)をドライバーとして連れて行きました。
彼は一昨年の夏休みをずっと、「受験勉強」のため我が家に泊まり込み、私が真夜中に受験の手ほどきをしました。
コイツはそのおかげで大学に入学できたので、「親の恩は山よりも高く、海よりも深い」と言いますが、私の恩はさらにそれよりも高く深い(ハズ)、と思っております。

さて、ディズニーランドですが、当たり前のように人が多い。
春休みだから当然ですね。

お目当てのアトラクションをいくつか回り、昼食はお弁当エリアで自家製の弁当を食べました。
友人の長男(我が家では『アホケン』と呼んでいます)が、「弁当は嫌だ! レストランがいい!」とほざいたのですが、無視しました。

なぜなら、我が家は「埼玉で一番のビンボー」なので、贅沢は敵だからです。

「埼玉で一番のビンボー」と言うと、子どもたちは大きくうなずきます。
これはほとんど、我が家の「合い言葉」のようになっています。

息子が幼稚園の年中だった頃、その時は冗談のつもりでこんなことを言いました。

「うちは家も借り物だし、ベンツもない、別荘もないから、埼玉県で一番のビンボーなんだよ」

我が息子は、これを完璧に信じてしまったのです。
ちょうど都合のいいことに、彼の幼稚園の同じ組の子の父親が私と同じ職業でした。しかし、彼は豪邸に住み、ベンツ他外車が数台あり、館山に別荘を持ち、クルーザー! も持っていたのです。

それと比べると、我が家は惨憺たるもの。単純に比較すると、ビンボーであることは疑いがありません。
それに、私は独立してからというもの、「お小遣い」というものを貰ったことがありません。私の財布の中には、いつも10円玉が数枚しか入っていないというのを彼は知っていたので、私の冗談にも説得力があったのでしょう。
だから、息子は私が言った「埼玉で一番のビンボー」を信じてしまったわけです。

息子よりはるかに世間がわかっている5歳下の娘も、兄からの言い伝えもあったせいか、信じてくれました。

さすがに、今では二人ともそんなことは信じていないようですが、「ビンボー」という言葉を日常で当たり前のように使います。この世代の子で、これほど「ビンボー」というフレーズを使う子はいないのではないでしょうか。

少しでも高い買い物をすると、「こんなの買って大丈夫? ビンボーなのに」と、決まって聞きます。

息子の自転車は5年前に買ったもので、あらゆるところにサビが浮き、サドルもボロボロですが、「まだ一年間は乗れる」と言ってくれています。
靴なども穴が開くまで使い切ります。トレーナーも「ここまで着たら本望」というくらいテカテカになるまで着ます。

娘も鉛筆など、これ以上小さくできない、というくらいまで使い切ります。自由帳も余白を探すのが大変なほど、びっしりとイラストを描いています。
「新しいの買おうよ」と提案しても、「まだ余白がある」と突っぱねます。

ある時、友人から「子どもが余計なものばかり買って困る」と言われたので、我が家のビンボー哲学を実践したらどうかと教えました。
しかし、すぐに却下されました。

「だって、俺ンちは一戸建てだし、車はベンツだろ、狭いけどリゾートマンションも持ってるから、子どもはそんなこと言っても信じねえよ」

あー、そうかい、そりゃ、良かったね!



2006/03/29 AM 06:30:08 | Comment(18) | TrackBack(0) | [子育て]

たとえ過保護と言われても
当たり前のようですが、生まれてから15年たつと、人は15歳になる。
ピーピー鳴いていたのがついこの間のように思われますが、そんな息子もとうとうこの春、高校生。

やさしくて、お人好しで、嘘をつかず、他人の悪口も言わない、控えめな性格。
幼稚園の頃は、いつもニコニコしていて、「スマイルこーちゃん」と呼ばれていた。

しかし、今の時代、この穏やかな性格はむしろ短所と言っていい。
「虐め」の対象になるのは、決まってこんな性格の子だ。
だから、親が守るしかない。
たとえ、人から過保護なバカ親と言われても。

小学2年生までは、まわりの子もそれほど自我が強くないから、まだ安心でした。
しかし、3年になると、特に男の子は身勝手なやつが多くなる。

息子は、勉強は普通、しかし大変な不器用。人が1回でできることが、5、6回かかる。
自分より劣った人間に対して残酷なのが、子どもという生き物。
子どもの論理では、こんなつまらないことも「いじめ」の理由になる。

そこで、どうやって息子を守ったらいいか。色々考えましたが、父親の存在を大きくすることが一番ではないかと結論づけました。
未熟な子どもにとって、強いものというのは、「恐怖」と「憧れ」の対象です。

「『まっちゃん』(とみんなに呼ばれている)のお父さんはスゲエぞ!」と思わせれば、彼らが息子に対して一目置くのではないかと思ったのです。
だから、息子の友だちと積極的に関わることにしました。

夏は一緒にプールに行ったり、冬はスケート、普段はサッカー、野球、ボーリングなどをしました。
スケートやボーリングは不得意ですが、小学生よりは上手い。

水泳、サッカー、野球は得意でしたから、手を抜かず(大人気ない)すごいところを見せつけました。
昨今WBCでイチローが物議を醸したように、「向こう30年は手を出せない勝ち方」で彼らに接しました。

若い頃はずっと陸上の短距離をやっていましたから、50メートル走などでも手を抜かず(大人気ない)に勝負しました。

これは大変効果的で、今に至るまで「まっちゃんのオヤジはすごいぞ」というイメージが続いているようです。
父兄参観などで学校に行くと、廊下のあちこちから「まっちゃんのお父さん」と言って声がかかります。
うっすらとひげの生えた男子生徒から、野太い声で「まっちゃんのお父さん、オッス!」と声をかけられると、何となくうれしくなります。
道ばたで会っても、みんなニコニコと話しかけてくれます。

中学3年にもなると、ヤンキーっぽいお兄ちゃんもいるのですが、彼らも息子には優しいようです。
一度、「おまえの父ちゃん、スゲエ怖いんだって」と聞かれたことがあるそうです。
「それで、なんて応えたの」と聞くと「怖くて、何も応えられなかった」と言っていました。

このように、オヤジの目論見は、ほぼ当たりました。
ただ、息子の性格はずっと変わっていないので、稀にしつこくからかうヤツもいました。

小学5年の時と中学2年の時。
「クラスでバカにする子がいる」
と息子から言われたので、我が家に遊びに来る彼の友だちで、一番押しの強い子を選んで、彼から相手の子に、こう言ってもらいました。

「まっちゃんのオヤジがチョー怒ってるってよ」

これは効果絶大でした。
相手はすぐ、からかうことをやめました

息子の教育に関して無関心なヨメは、「ちょっと過保護すぎない?」と言いますが、「親が守らなくて誰が守る!」と却下。
それに、ヨメは娘に対しては自分が過保護ですから、説得力がない。

義務教育までは、親の存在は大きくあるべきだ、と言うのが私の持論です。

義務教育を過ぎたら、精神的に少しずつ自立させる。
ですからこれからは、親が一歩も二歩も引いて、見守る立場に立ちたいと思っています。

でも、放っておけなくて、また出しゃばる可能性も……。
そんなときは「過保護なバカオヤジ!」と罵ってください。


話は変わって、教師のこと

小学校・中学校と比較的平穏無事に過ごした息子は、9年間で9人の担任に教わりました。

9人いれば、中にはハズレもある。
小学4年の時の担任(男)がそれです。
母親たちには、「穏やかで話のわかる先生」という評判の教師でしたが、息子にとっては最悪でした。

息子は不器用で、特に音楽と図工、家庭科を苦手としていました。
人の倍以上の時間がかかっても、うまくできないということがほとんどでした。
4年生の時は、特に図工など、一度も時間内に完成させたことがありませんでした。

そのことで、担任の教師に呼ばれたことがあります。
「もう少し、時間通りに何とかできませんかね?」
何とかできませんかね、と言われても、本人はさぼっているわけではない。一所懸命やっても、できないのだから仕方がない。

「うちの子は、さぼって迷惑をかけているんですか」と聞くと、「いや、一所懸命ですよ。でも、一度も作品が完成しないというのは、困るんです」と言います。
「一所懸命なら、いいのではないですか。結果として学校内で完成しないだけで、自宅で完成させたのもいくつかあるはずです」
「でも、自宅で完成させたものを評価できませんから」
「ごもっともです。それに関しては評価はしなくても構いません」

また、担任はこんな話をしてきました。
「まわりの女の子が、お子さんの世話をよくしていますが、それはご存知ですか」
「いえ、知りませんでした。しかし、それが何か?」
「その子たちに、あまり特定の子を構うのは良くないと注意したのですが、なかなかやめないのですよ」
「うちの子の世話をすることによって、その子たちの学校生活に何か支障があるのですか。親御さんからクレームが付いたとか」
「いえ、それはないのですが、お宅のお子さんのためにも良くないのではないか、と。休み時間、彼女たちはお子さんに音楽などを教えてるようですが、そんなことをしていていいのかと思うのです」
「つまり、彼女たちからクレームが来たということですか。貴重な休み時間を取られたといって」
「いや、彼女たちは喜んでやっているようですが……」

この担任が何を言いたいのか、私にはさっぱりわからなかった。

「わかりました。じゃあ、彼女たちの親御さんに私がお礼を直接言っておきます。それでよろしいですね」
「いや、そう言うことではなくて……」

本当に何を言いたいんだ、コイツは?

「彼女たちに世話を焼かれっぱなしでは、お子さんはどんどん遅れていってしまうと思います。もう少し、向上心を持たせた方がいいと思います」
「しかし、彼は精一杯やってるはずですよ。手を抜いてはいないはずです。できないから、向上心がないとはいえないと思いますが」
「確かに一所懸命やっているのはわかります。ただ、できないのは事実ですから」

結局、できなければ認めないと言いたいのか。
手間のかかる「できない子」は、どんなに頑張っても「できない」から、認められない、と。

そして、「息子ができないことで、授業の進行に遅れが出ているのですか?」
と聞くと、耳を疑うことを言われたのです。

「いえ、もう無視していますから、授業に遅れはないです」
信じられないことですが、担任は本当にこう言ったのです。

こうなると、馬鹿馬鹿しくて、まともに話をする気にはなれません。

「じゃあ、今まで通り無視して、授業を進めてください」
そう言って、帰りました。

息子の小学校6年間の成績は、総じて普通でしたが、4年の時だけは低評価でした。
その後、5・6年では良い担任に教えていただきました。
どちらの先生も「まっちゃんは器用じゃないけど、それもまっちゃんの個性、それに暗記力は驚異的」と言って、得意な暗記能力をクラスにアピールしてくれました。

「手間のかからない子だけがいい子」という教師は数多くいるでしょう。
しかし、教えて育てる学校の中で、「手間のかからない子」だけしか認めない教師というのは、無能と言われても仕方がないのではないか。

腹立ちまぎれに、そんなことを思い出すバカオヤジでした。



2006/03/27 AM 06:26:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [子育て]

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