Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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楽しい一日
人を苛立たせるのが得意な人間は、確実にいると思う。

おんぼろアパートの呼び鈴が鳴ったので出てみたら、相手は待っていたアマゾンではなく、0.1パーセントも想像していなかった男だった。

その男が、いきなり言ったのだ。
「おまえの父親の墓はどこにある?」

テレビドラマ「世にも奇妙な物語」なら、そんな導入部もあるかもしれない。
しかし、現実世界では絶対にない。

70代後半の横柄な男が、アポイントメントなしに名乗りもせずに私を「おまえ」呼ばわりするのである。
左手で襟首を掴んで引きずり倒しても文句は言われないはずだ、と思った。

その男とは、40年以上前に一度だけ会ったことがある。
私の祖母の百日目の法要のときだ。

あえて関係を述べるのなら「本家筋の男」という表現になるのだろうか。
ただ、その関係については、複雑すぎて、私の単細胞では未だに理解できていない。

私が中学3年に上がってすぐ、私が今も一番尊敬する祖母が死んだ。
医者にかかることなく、病気で寝込むこともなく、どこが痛いと泣き言も吐かず、ある朝、気がついたら息を引き取っていたのである。

心筋梗塞だった。

本当は、かなり我慢していたのだと思うが、家族の誰にも辛さを告げることなく普通の日常を過ごし、突然命の炎を消した。

見事な最期だったと思う。

その年の夏に、祖母の生まれ故郷の島根県出雲で法要が催された。
そこで私は驚きの光景を見ることになる。

参列客がまったく途絶えないのである。
20年以上故郷を離れていた人の法要に、何故こんなにも大勢の人が集まってくるのか。
寺の中は数え切れないほどの人で溢れ、外も人が溢れていた。

祖母の夫は大正時代に34歳で死んだ日本画家である。
そして、祖母は島根にいたときは師範学校の教師をしていた。

それがどれほど凄いことなのか、当時の私はまったく理解できなかった。
想像できなかった。
だから、参列者の波が異次元のものに思えたのだ。

そして、その異次元の中で一人だけ目立った男がいた。
「本家筋の男」だった。

田舎の風習というのが、東京生まれ東京育ちの私には未だにわからないのだが、「本家筋」というのは偉い存在なのだろうか。
そして、その系列の男は、生まれながらにして人を見下してもいいことになっているのだろうか。

この「本家筋の男」は、当時30代半ばだったようだが、頭が高くて横柄な男だった。
彼より明らかに年上の参列客が頭を下げるのに対して、ほとんど頭を下げずに応対していた。
その横で、10歳未満の子どもたちが、たくさん法要に来ていて、寺の中を嬉しげに走り回っていた。

これは、子どもとしては当たり前の行動だと思ったが、「本家筋の男」は、その子どもたちの首根っこを掴んでさらに追い打ちをかけるように頭を押さえつけ、無理やり椅子に座らせることを繰り返した。

「場所をわきまえろ! このガキが!」
「バカタレが! 立つな! 動くな!」
汚い言葉を使っていたから「ヤ」のつく人かと思ったら、あとで親戚の人から聞いたら、高校の教師だという。

だが、そのときの私は、彼が「ヤ」のつく人にしか見えなかった。
目が吊り上がって、「俺の視界を汚すやつは許せねえ!」というようなゲスな視線で周りを見渡す様は、私の友人の極道コピーライター、ススキダほどの大物感はなかったが、危ない人間に見えたことは間違いがない。

だから、私は、祖母の法要そっちのけで「本家筋の男」の顔を凝視しつづづけたのである。

その私の視線に気づいた「本家筋の男」は、吊り上がった目のまま私の前に立って、「なんで僕を睨んでいるんだ」と聞いた。
私は睨んだつもりはないので、立ち上がって、そのご意見に異を唱えた。
中学3年当時169センチだった私より、「本家筋の男」は10センチ近く低かった。

俺が大人になったら、そんな大人にはならないように、目と頭に焼き付かせてるんですよ。
右の人差し指を頭と目に当てながら、答えた。

そうすると、「本家筋の男」の吊り上がった目がさらに吊り上がって、鬼の目になった。

「おまえは・・・・・・・」
このあと、どんな言葉を発すれば、この生意気な若造を懲らしめることができるかと鬼は考えたのだろう。
少し、時間の空白があった。

その間に私は、今回の法要の主役である祖母の名前を言い、その孫であることを告げた。
そのあと、自分の名まえを名乗り、さらに母の名を言い、当たり前のように法要に来なかった父の名を言った。

そして、最後に、あなたのお名前はと聞いた。

しかし、それに対して、頭の高い横柄な高校教師は、吐き捨てるようにこう言ったのだ。
「お前は父親似だな。まったくそっくりだよ。非常識なところがな!」

勝ち誇ったような顔で捨て台詞を残し、頭の高い横柄な高校教師は、私に背中を見せた。
だが、言い逃げは許さない、と思った私は、頭の高い横柄な高校教師の左肘をつかんだ。

頭の高い横柄な高校教師が、鬼の顔を赤く染めて言った。
「無礼者!」

私は今でもそうなのだが、怒りが強くなるほど冷静になるという変態的な性質を持っていた。
そのときもそうだった。

俺が非常識なのは自分でもわかっています。
だけど、いまここにいない人間を貶すのはフェアではない。
俺の悪口はいいですが、俺の父親の悪口を言いたいのなら、本人に直接言ってください。

それができないのなら、今の発言は撤回してください。

そんな可愛げのないガキの言い分を、頭の高い横柄な高校教師は、彼の肘をつかんだ私の手を力いっぱい振り払うことで答えを出した。
そして、また鬼の顔で言ったのである。

「無礼者!」

「本家筋の男」というのは、そんなに偉いものなのか。
私の尊敬する祖母の法要の空気を汚してもいいほどの権力を持っているものなのか。

そのことは、今も私にとって、大きな謎の一つだ。


「本家筋の男」とは、それ以来会っていなかった。

姉が死んだときと父が死んだときに、どこから聞きつけたのか電話がかかってきて、相変わらず横柄な口調で「葬式はしたのか」と詰問してきた。

密葬形式でしました、と私が答えると「罰当たりな男だな」と唾を吐くように電話口で罵った。

私が罰当たりなのは、自分が一番よく知っているので、反論はしなかった。

ただ、姉は先祖の墓に骨を納め、父は川崎に墓地を買って骨を納めたことは一応告げておいた。
そして、ついでに、これ以上、私に関わらないでもらえますか、とも言った。
だから、そこで「本家筋の男」との縁は切れたものだと思っていた。

しかし、いま突然の「お前の父親の墓はどこだ!」である。

その姿を見て、人間の性格というのは、永遠に変わらないのだな、と思った。
あいも変わらず、一本筋の通った方だな、と思った。

昔の私だったら、何も言わずに追い返すところだったが、彼の変わらない流儀に最大限の敬意を表して川崎の墓地の場所を教えた。
ただ、家の中には絶対に入れなかった。

おんぼろアパートのドアの外で応対した。

だが、困ったことに、頭の高い横柄な元高校教師の声はでかい。
きっと、ご近所の皆さまには丸聞こえだったと思う。

あとで、ご近所からクレームが来たらどうしよう、と思った。
だが、私には4年前から懇意にしていただいている自治会の副会長さんがいた。
この副会長さんは、元刑事だから、人を説得する技術を持っていた。
副会長さんにお願いすれば、うまいこと解決してくれるに違いない、と希望を持った。

・・・・・などと都合のいいことを考えていたら、おんぼろアパートの階段の下で声が聞こえた。
「どうしました?」

下を見ると、その副会長さんが、私たちを見上げているところだった。

思ったとおり、丸聞こえだったか!

そこで、私はこう答えた。
この人は私の親類の偉いお方なんですが、金を貸せ、としつこいので、今お帰り願っているところです。

「なんだと!」
「本家筋の男」が40年分の年をとった鬼の顔で、私の右肘をつかんだ。

しかし私は、頭の高い横柄な元高校教師のように手を力づくで振りほどくことはせず、彼の指を一本一本やさしく引き剥がすようにして、自分の右肘を自由にした。

そして、「本家筋の男」の目を見つめながら、父の墓参り、ご苦労様です、と頭を下げ左手を階段の方に向けた。
「本家筋の男」は、舌打ちを残して階段を下っていった。


そのあと、階段を上ってきた副会長さんが私に言った。
「あの人は、お金を借りに来たわけではないよね。ただ、ご親類さんであることは間違いがないでしょう。まあ、お互い軽い恨みを持っている関係といったところかな」

さすが、元刑事。
すばらしい洞察力だ。

旦那・・・・・恐れ入りました。
私がヤりました。

頭を下げ、両手を差し出した。

そのとき、階段の途中で固まっているアマゾンの箱を抱えた宅配便のお兄さんの姿が目の端に移った。

それを見て調子に乗った私は、副会長さんに頭を垂れながら言った。

旦那、オレ、実刑ですかね・・・・・・。
執行猶予は付きませんか?

それに対して、副会長さんが、ため息をつきながら私を褒めた。
「Mさん、あんた、思っていた以上にバカだね。
世渡りが下手だね」


とうとうバレてしまったか。
長いあいだ隠していたのに、私がバカだったということが・・・・・。


頭を垂れたまま、旦那、お供いたします、と言ったら、副会長さんは、もう階段を途中まで下りていくところだった。


呆気にとられた宅配便のお兄さんからアマゾンの箱を受け取りながら、今日はWi-Fiの電波がきついですね、と手で電波を振り払う真似をしたら、顔なじみのお兄さんは、階段を飛ぶように逃げていった。


そんな楽しい一日だった。


2016/02/13 AM 06:34:35 | Comment(1) | TrackBack(0) | [怖い話]

はてしない妄想
消費税増税に反発して、いつもながらの「へ理屈」を。

高校時代の私は陸上部に所属していた。
だが、私は体育会系の非科学的な根性論、精神論に馴染めなかったので、意味のない猛練習をほとんどしたことがなかった。

「疲れきったときに力が抜けて、初めてフォームが固まるんだよ」


固まらねえよ。
疲れたら、怪我をしやすくなるだけだよ。
あんたらに、俺の体を潰す権利はない。


人とは違う練習をして、まわりからは白い目で見られることもあったが、走ることが好きだったので、無知な指導者や先輩がいても、陸上部は辞めなかった。

おそらく、練習量は、他の部員たちの3分の2以下だったろう。
無駄に疲れるのが嫌だったからだ。
ただ、自主的に体を追い込むことは、月に1回程度はやった。

20メートルダッシュ30本、30メートルダッシュ20本、100メートルを全力で10本というように。
汗をかき足りないと思ったときだけ、これをやった。
そして、足がもつれるくらい疲れた。

こんな風に疲れきったとき、私の頭には、いつも同じ妄想が浮かんだ。


俺たち人間が見ている世界というのは、実は違う形をしているのではないか。
それを人間が自分勝手な解釈で、都合のいい形として見てしまっているのではないか。


たとえば、俺が走っている地面は固いと思っているが、実際はマシュマロのように柔らかくて、脳が固いと思い込ませることによって誤魔化し、柔らかいのに固い走り方をしているのではないか。

あるいは、犬や猫というのは実際はいなくて、あれは人間なのだ。
ただ、人間がペットだと思い込みたい人を犬や猫だと思っているのではないか。
彼らは、本当は人間の言葉で話しているのに、人間の都合で、犬猫の形だと思い込まれ、鳴き声も「ワン」「ニャン」と聞こえているのではないか。

そして、ライオンや虎、シロクマなども本当は人間で、怖い存在の人間を、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。

炎なども本当は熱くないのではないか。
熱くないのだが、熱くなくても触ればヤケドをしてしまうので、熱いと思うことで、人間は火を触らないようにしているとか。

自分でもバカだと思う。

しかし、私の妄想は、さらに進む。

もしかしたら、俺が親しくしているサクラダという男は、実際には存在していなくて、俺にだけ見える存在ではないのか。
私にしか見えないのに、まわりの友だちが憐れに思って、私に合わせ、サクラダがいるフリをしているのかもしれない。
担任なども私に気を使って、サクラダの存在が、さもあるように装っているのではないか。

走ることもそうだ。

自分が足が速いというのは嘘で、実は私が走るときだけ、まわりの人の時間が緩やかになって、その隙をついて、ただ私が速く駆け抜けているだけかもしれない。


要するに、この世界は、自分の、あるいは人間の都合だけで「都合のいい世界」が作られているのではないのか。

バカとしか言いようがない妄想だ。


そう思うと、ロシアのプーチン大統領というのは、私と同類ではないかと思ってしまうのだ。

プーチン氏は、ウクライナという国が、「自分の国」だと妄想していたのではないか。
資源なども含めて、あの国があれば、ロシアは大国としての体面を保てる。

もともとソビエト連邦の一つだったではないか。
だから、いまもウクライナは、ロシアの一部だ。

いや、ロシアにしか見えない。


「大阪都構想」を政策に掲げる政治家も同類。

俺の人気は普遍的なもので、選挙で勝てば民意を得たと思い込んで、都合のいい選挙を繰り返す。
「選挙費用は民主主義のコストだ」という主張は、一回だけなら説得力を持つが、2回目には開き直りにしか聞こえない。

さらに、「大阪都構想」に関して、他党との「対話は無理」と答えている以上、最初から話し合いを排除しているのは明白。
民主主義の根幹がわかっていない。
自らが民主主義がわかっていないのに、「日本人には民主主義が根付いていない。本気の住民投票を経験してもらわないと、民主主義は変わらない」という根拠のない独善的な理論を展開するところは、国民を「自分以外はみんなバカ扱い」するプーチン氏と同類。

「構想」には広がりと大義名分があるが、「妄想」が基礎の「構想」には、迷惑な自己満足しかない。

人が自分の頭の中で、何かを確信してしまったら、その人の中では、それは妄想ではなく「事実」になる。

ただ、はたから見ると、とてつもない妄想家、危ないやつ、人格破綻者に見える。


このブログも、実は存在していなくて、これは頭の中で作られた私の妄想ということもありうる。
あるいは、そもそも人間などというものも、この世界には存在せず、実は私自身がパソコンなのかもしれない。

私自身がパソコンなら、私は勝手に電波で他のパソコンと繋がっているということ。
他のパソコンたちも、本人は人間だと思っているかもしれないが、実はパソコンそのものなのだ。


この世界には、パソコンだけがある。

彼らは、勝手に自分で充電して元気になる。
そして、グルメを気取った人も、実はグルメなどは妄想で、何も食べたことがないパソコン。

絵が上手いと自慢している人は、自分が作ったお絵描きソフトで、自動的に描いているだけのパソコン。

俺はモテるんだぜ、と自慢している人は、自分の妄想の中の女性を画像にしてストックしてあるだけのパソコン。

俺んち広いんだぜ、と自慢している人は、ただハードディスク、あるいはフラッシュストレージの要領が大きいだけのパソコン。

俺は金持ちだ、と威張っている人は、宅内ネットワークに繋がっているパソコンの数が多いだけのパソコン。

そして、消費税なども、政治家を気取ったパソコンが、妄想の中で設定した架空のものだ。

絶対にそうだ。



だから、私は8パーセントに上がる消費税は、払わない。




そういうわけには、いかないか。




2014/03/28 PM 04:59:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

意味不明な予知夢
年始の話題としては、どうかと思うが、安倍晋三総理の靖国神社参拝に関してである。

私は、物事は単純なほどいい、と思っている人間なので、単純に考えてみた。

靖国参拝は、日本の保守層にとっては、歓迎すべきことなのだと思う。
だが、欧米中韓の国際政治バランスにとっては、’好ましいものではなかったと思う。


日本の政治は、保守層のためにあるのではないし、ましてや一部の排他的なネット住民のためにあるのではない。
ものごとに完全なニュートラルはあり得ないが、少なくとも現在の国際政治のバランスを勘案するのが、一国のリーダーの務めである、と私は思っている。

特定の支持組織だけが喜ぶ行動は、たとえご立派な信念がおありだとしても、おそらく国際政治では理解されないと思う。
「中韓の顔色をうかがうのが国益ではない」などと右傾の産經新聞は意見を述べているが、周辺国や同盟国の真意を慮るのが外交であり、国際政治である。

もし、日本が孤立化したら、それこそ国益どころではない。
「顔色をうかがうな」という勇ましい言葉で、誤魔化されても困る。
産經新聞が、中韓を嫌うのは自由だが、彼らが思っている以上に、いま中国は強大化している。

だから、アメリカは強大国である中国に気を使って、靖国参拝を「失望している」と、安倍氏に釘を刺したのだろう。


さらに単純に考えてみて、強大国中国が暴走したとき、それを止めるのは、日本だけでは無理だということを認識すべきだ。
米国がいてこそ、かろうじて暴走を止められる。

日米同盟を堅固なものにするためには、政治的な行動は、事前に協議するのが同盟国に対する配慮というものだ。
もし今、靖国参拝を「国際政治の道具」だと思っていない政治家やジャーナリストがいたら、その人は、70年前の世界に戻った方がいい。
70年前の世界なら、快適に生きられるだろう。

近隣諸国がどんなにウザくたって、彼らから逃れることは、国ごと、お引っ越しでもしない限り無理だ。
だが、引っ越し最大手の日本通運でも、この引っ越しは不可能だろう(もちろん冗談で言ってます。最近真に受ける方が多いので)。

一党独裁の七三分けのリーダーから、どれだけ難癖をつけられようと、軍事独裁者だった高木正雄氏のご長女から、どれほど無視されようが、米国民主党の親玉の後ろ盾があれば、三国のバランスが崩れることはない。

その米国民主党の親玉が、七三分けのリーダーに気を使っているのだから、日本のリーダーも気を使うべきだという考え方は単純すぎるかもしれないが、間違ってはいないと思う。

そして、私の単細胞では、対等の立場で、七三分けと仲良く、高木正雄氏のご長女とも仲良く、そして、それ以上に米国民主党の親玉とも仲良く、が「本当の外交」だと思っているのです。

さらに、私の感覚では、その「本当の外交」のできない人は、右傾産經新聞言うところの「国益」を損なう人だ。


国家あっての国民という考え方は、当然。


しかし、ですね………。

律儀に年貢を収めている国民があってこその国家というのも、国の本分だと私は思うのですよ。
(多くの民が、8分の消費年貢を納めることを「やぶさかでない」と思っているはず)

私が律儀に納めている年貢が、どのような使われ方をしているか、私はまったく知らないのだが、年貢の分だけは、好き放題のことを言ってもいいと思っている。

「中韓の顔色をうかがうのが国益ではない」などという腐った脳みそ向けのアジテートは、今の緊張関係にあるアジア諸国との政治状況には、何の役にも立たない。
そんなものは、年末の大掃除で大量に発生したゴミくずに等しい。

少なくとも、私の年貢は、そんな国際政治状況を壊すために使って欲しくはない。

エゴだと思われようが、俺は、俺の年貢を、俺の思い通りに使って欲しい。

年貢の使い方を間違ったら、私は次の選挙では、大与党に入札(いれふだ)することはないだろう。
とは言っても、私は未だかつて大与党に入札したことはないが……。

そして、腰の据わっていない維新(これあらた)の集いにも入札しないだろう。
「維新(変革と同義語)」と言いながら、中央政府におもねり、すりよるなど、過去の弱小政党と同じではないか。


橋の下には、石の原っぱ。
油断していると、安い倍返しを食らって心臓が停止するだろう。

チョット意味不明?

新年の予知夢ですので、ご勘弁ください。




あけましておめでとうございます。




2014/01/04 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

呆れるしかない
まったく無責任なサーバー会社である。

ブログ内にリンクが貼れない。
貼れたとしても、すぐに切れる。

コメント欄が機能しない。
ブログが、突然消滅することがある。

何度メールで改善を促しても、何の返事もない。

今年の3月26日に、奇跡的に返事が来たが、「検査中」というだけで、一向に改善するつもりはないようだ。

そして、昨日から、ブログのページが白紙。


http://2.suk2.tok2.com/user/skydesign-protok2/ のアドレスでは見られるので、申し訳ありませんが、こちらから見ていただくしかない。

ただ、このように告知しても、白紙なのだから、見えない人には、見えないという腹立たしいほど不思議な現象。



呆れるしかない。



2012/04/30 AM 06:25:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

ふたつの悪夢
悪い夢が二つ。

一つは、このブログで何度も書いている、実の姉の夢だ。

私の姉は、50数年の長い人生で、一年足らずしか働いたことがなく、それ以外は引き篭もって暮らしていた。
ただ、ずっと家にいるというわけではなく、パチンコと競馬のときだけは、ひとりで外に出かけた。

姉は、いままで何も生産的なことをせず、人さまの役に立ったことがない人生を、ただ無為に生きてきた。

姉は、買い物と風呂掃除、食器洗いを毎日する代わりに、母から毎月一定のお小遣いを貰っていた。
もちろん、そのお小遣いは、パチンコと競馬に消費された。

ギャンブルというのは、ごく一部の人だけが儲かるシステムになっている。
素人が、ギャンブルで財産を残すのは、ラスベガスやマカオならありうるだろうが、パチンコと競馬では、不可能だと私は思っている。

だから、姉がギャンブルで儲かることはない。
いつも最後には、財布が空になった。

今回も、空になった。

姉の唯一の美点。
それは、約束を守るところだ。
無類の怖がりだから、約束をしたら、その約束を破る度胸がない。
それは、約束を破ったという行為が、脳全体を支配して、自分をコントロールできなくなることが、自分でわかっているからだ。
それが怖いから、約束は破らない(滅多に約束はしないが)。
だから、財布が空になれば、諦める。

いつもは、そうだった。

しかし、今回は、母の認知症という現実が、姉から恐怖心を取ったようである。

ここからは、私にとって、かなり恥ずかしい話になる。

姉は、母が認知症になったことにつけこんで、いつも母がお金を隠しておく箪笥の引き出しから、お金を抜いたのである。
ボケてるんだから、わからないだろう、と子どものような思考方法で、姉は浅はかな行動を起こした。

そして、その金を持って、姉は場外馬券売り場に行った。

だが、母は、認知症ではあったが、8割以上は昔と変わらぬ正気を保っていた。
過去と現在のデータのやり取りだけが、曖昧になっていたが、たとえば家計のやりくりなどは、今までとまったく変わらずにすることができた。
暗算なども若い人と変わらない能力があった。

だから、箪笥の中の変化に、母は、すぐに気づいた。

そのとき、馬券売り場から帰ってきた姉に対して、母がどういったのかは、知らない。

母は、私に対しては、一度も叱ったことも、注意したこともなかった。
「勉強しろ」とさえも、私は言われたことがなかった。

だが、姉に対しては、わからない。
私は姉には興味がなかったので、母が姉に対して、今までどんなことを言ってきたか、まったく憶えていないのである。
私は、冷たい人間なのだ。

今回、母は、きっと姉に何かを言ったのだと思う。
叱ったのか、軽く注意しただけなのか。
それとも、優しく諭したのか。

いずれにしても、姉は、母に何かを言われて、いつものように常軌を逸した行動に出た。

先日、母の誕生日プレゼントを持って実家に行ったとき、その「激情の跡」を私は見つけた。
いや、見つけなくても、それは強烈に私の目に飛び込んできた。

壁一面に書かれた「お願い! たすけて」の文字。
壁だけではない。
食器棚とそのガラス、箪笥の前や横、カレンダーやガラス戸のすべてに、黒の油性ペンで大きく「お願い! たすけて」が、書かれていたのである。

それは、「狂気」としか言いようがない光景だった。

私は、所持していたデジカメで、それを撮った。
誰かにこのことを相談するとき、口で言って通じない場合は、この画像を見せれば、その狂気の凄まじさを判ってくれるのではないか、と思ったからだ。

私が実家に行ったとき、姉は自分の部屋で、布団をかぶって息をひそめていた。

姉の部屋は、一台のテレビと数冊のパチンコ雑誌があるだけという、殺風景な空間だった。
壁は、白くて綺麗なままだ。
自分の部屋を書き汚すことだけは、絶対にしない、という身勝手さも子どものときのままだった。


昨日、実家に役所の認定係の人が来た。
母の介護保険の等級を判断するためである。

役所の人に、立ち会うように言われたが、昨日は締め切りが二つ重なったので、私は残念ながら行くことができなかった。

そのため、また悲劇が起きた。

母は、「狂気の和室」を閉めきって、認定係の人に、それを見せないようにした。
母たちは、狭いダイニングに座って、話を始めた。
しかし、認定係の人は、母への聴取だけでは、公平な聞き取りができないと言って、家族の同席を求めたのである。

当たり前のことだが、認定係の人は、「狂気」の存在を知らない。

母が、しかたなく姉を呼んだ。

だが、姉は何を勘違いしたのか、目を吊り上げて認定係の前に現れ、地団太を踏むようにして「私は悪くないんだよ。私は何も悪いことはしてないんだ。私は悪くない! キィー!」と泣き叫んだのだという。

そして、そこで、立ったまま10分以上泣き続けたというのだ。

認定係の人は、訳がわからなかったに違いない。

突然、自分の前に現れた女が、「私は悪くない!」と叫んで、大声で泣き出したのだ。

母も、恥ずかしくて、説明のしようがなかったという。
結局、その日は、聴取ができなかった。

昨日の夜、認定係の人から私のiPhoneに電話がかかってきて、「そちらの都合のいい日を今度教えてください。その日に合わせますから」と、感情を殺した声で事務的に言われた。
はじめから、そうしておけばよかった、と今にして思う。

いま、実家の壁には、「お願い! たすけて」の文字のすき間に、「私は悪くない!」の文字が埋め込まれているという。
今度行ったとき、それはまたデジカメに収めておくつもりだ。

今回私が見た夢は、悪いことをしても、「私は悪くない!」と、泣きながら言い張るひとの夢だった。

目覚めたとき、私は、全身に、大汗をかいていた。


次に見た夢も、不思議と、その悪夢に似た内容だった。

ある大国の船が、他の国の領海を侵犯し、その船長が捕まった。

しかし、大国も船長も、「俺は悪くない!」と言い張っているのだという。
そればかりか、「悪いのは、あっちだ」とも強弁している。

その国は、無用な摩擦を避けて、船長を解放した。
すると、大国は、さらに強硬に「あっちが悪い」と叫びだした。
大国が、横暴なならず者になった。

そして、デモ隊という名の暴徒が、その国の出向先企業の窓ガラスを割ったり、車を壊したり、看板を壊すところまで事態は、エスカレートした。

彼らは、口々に言う。
「俺たちは悪くない!」
「悪いのは、あっちだ!」

暴力に訴えた正義に、本物はない。

しかし、その大国は「俺は悪くない!」としか言えない16世紀の文化を持った国だった。

これも相当深刻で悪い夢だったから、私は目覚めたとき、大汗をかいていた。


二つの夢に共通しているのは、「自分は悪くない」という幼児的な主張だった。


私にとって、重すぎる悪夢が、二つ。



私は、しばらく目覚めが悪かった。




2010/10/26 AM 06:25:10 | Comment(6) | TrackBack(0) | [怖い話]

のろいのことば
憂鬱な話だが、毎晩「死んでもいいですか」という電話がかかってくる。

もちろん、「死ねば」などと言えるわけがない。

自分の姉だからだ。

一日に最低2回、多いときで10回以上、夜の10時過ぎから、午前1時くらいまでの間にかかってくる。
昨晩もかかってきた。
6回。

最近は、滅多に出ない。
すると、毎回同じフレーズを、留守電に吹き込むのだ。

それを毎日のように聞かされると、私の方が死にたくなる。

ということは、むしろ姉は、私のことを・・・・・・(恐ろしくて、この先は書けない)。


姉が、「私は余命一ヶ月なの。世界で一番可哀想な人なの」と言う。
一昨年の秋に、盲腸癌の手術を受けてから、それが口癖になっている。

だが、何ごとに対しても臆病な姉だったが、律儀なことに、毎月の定期検査には必ず行く。
医者に対する態度は、見るに耐えないものだが、とりあえず検査だけは受ける。

そして、後日、その検査の結果を私が聞きにいくのだ。

医者は、「順調ですね」と言うが、憂鬱そうな医者の顔を見ると、他にも何か言いたげである。
おそらく、「順調」の前に、「心の病のほかは」と付け加えたいのだと思う。

いずれにしても、姉の寿命は、残り一ヶ月ではない。

だから、これからも毎晩「呪いの電話」は続くだろう。

今さら、こんなことを人に相談するのも気恥ずかしいので、表面上は「マイペースのマツさん」のまま、日々を暮らしている。

家族も、このことは知らない。


火曜日に同業者のオオイシと会ったとき、オオイシから「Mさんの話は、半分以上冗談に聞こえますよ」などと言われた。

俺の存在自体が冗談だから、それは当たり前だろ、と私が言うと、オオイシが深くうなずく。

「いくらお気楽なMさんだって、痛いとか苦しいとかは、ありますよね」
オオイシは、私のことをまるで芸術的テキトー男・高田純次師匠のように思っているようだ。

それは、それで嬉しいことだが。

私は、ターミネーターではないので、当たり前のように痛みを感じる。
ただ、それを訴えるタイミングを、ほとんどの場合、逃しているだけだ。


この程度の痛みで、人に「痛い」などと言ったら、笑われるのではないか。
肉体は苦しみを訴えているが、世間の皆様は、この程度の苦しみなら我慢しているのではないだろうか。
高熱があるが、責任感にあふれた仕事人間たちは、この程度では、「つらい」などと言わないに違いない。


そんなことを思っているうちに、大体は治ってしまうから、結局は「痛みはなかった」「つらくはなかった」ことになってしまうのである。

そんなこともあって、私の精神と肉体は、病気に対して、かなり鈍感な体質になってしまったようだ。

だから、体の具合が悪いと自分で気づいたときには、かなり進行していて突然倒れる、ということが年に1、2回ある。
そこで、結果的にまわりの方々にご迷惑をかけることになるのだが、この体質、あるいは性質をどう治していいかわからないこともあって、私は自分の肉体と向き合うことなく、今も流されるままに生きている。


オオイシが言う。
「Mさんみたいな人は、突然死しやすいんじゃないですかね。自分の体を過信しているとかじゃなくて、怖い病気が体に取り憑いても気づかなくて、そのまま死んでいくという・・・・・」

たとえば、ジョッキを呷ったまま、くたばるとか?

そう言って、私はジョッキを一気に呷り、オオイシにお代わりを催促した。

そして、新しいジョッキを手に持ち、半分以上を勢いよく喉に流し込んだ。


爽快・・・・・・、のはずだった。


しかし、そのとき、私の左耳の奥底で「死んでもいいですか」の呪いの言葉が、幻聴のように唸ったような気がした。


死・ん・で・も・い・い・で・す・かぁ・・・・・。




まさか、俺に取り憑いているのは、病気ではなく、真夜中の「呪いの言葉」だったりして・・・・・。




2010/10/16 AM 06:32:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | [怖い話]

風鈴殺人事件
スーパーに行く途中に、軒下に風鈴を下げている家がある。

最近見かけなくなった風鈴。
その家は、3種類の風鈴が下げてあって、それぞれが、涼やかな音を、いつも奏でていた。
昔はよかった、という話は好きではないが、風鈴が世の家の軒先から消えて、私は少し淋しい思いをしていた。
だから、ひそかに、私はその家の前を通るのを楽しみにしていた。

だが、昨日の昼、自転車で家の前を通ったとき、風鈴家の門の前で、小さな諍いの声を聞いた。。
風鈴の音が聞きたい欲望と野次馬根性で、自転車のスピードを落として、私は家に近づいた。
近づいてみると、それは諍いというほどではなく、控えめな抗議の声だった。

70代の男性と40代の女性が、30歳前後の風鈴家の女性に、低姿勢でお願いをしているところだった。
「風鈴の音が気になって、気分が落ち着かないって、おじいちゃんが言うの。ごめんなさいね」
その横で、赤ら顔の小柄なご老人が、「こんなこと、言いたくないんだけどねえ」と、両手を擦り合わせていた。

それに対して、安室奈美恵からオーラを取ったような美形の風鈴家の女性が、両手を頬に当てながら頭を下げ、「ごめんなさい。気がつかなくて」と、二人の顔を交互に見て、また大きく頭を下げた。

「いやいや、神経質だと思われるかもしれませんが、私はあれだけは、駄目でして」と、ご老人がさらに忙しなく両手を擦り合わせながら言った。

残念ながら、その後の会話はわからない。
自転車を停めて、彼らの会話を聞いたりしたら、確実に不審者に思われる。
だから、自然なスピードで、私は遠ざるしか方法がなかった。

買い物を終えた帰りに、風鈴家の前を通ったら、軒先から風鈴が消えていたから、おそらく、話は円満に収束したのだろう。

修羅場に、ならなくてよかった。
「風鈴殺人事件」に、ならなくてよかった。

ほっとした。



これからは、私の妄想。
不謹慎ではあるが、私の中に、一つの殺人事件がある。

主人公は、ルポルタージュを書くことを職業にしている、フリーライター。
歳は、30代半ば。独身。そして、彼は、日本で、いや世界で一番殺人事件に遭遇する確率の高い、ギネス級の探偵だった。
そして、彼には警察機構の上層部に兄がいて、都合のいいことに、行く先々で刑事でもないのに、警察に捜査の協力を頼まれたりするのだ。
彼は、都合のいい偶然に何回か遭遇し、都合よく美女と出会い、都合よく事件の核心を握る事象に突き当たり、都合のいい推理で犯罪者を作り上げる有能な探偵だった。

今回の舞台は、東京郊外の閑静な住宅地。
殺されたのは、風鈴の音が風情を誘う和風建築の家に住む、元教師・稲森いずみだった。
死因は、毒殺。

証拠が少ないため、迷宮入りの噂が立ち始めたとき、ある女が探偵の前に現れた。
蒼井優である。
蒼井優は、稲森いずみの、かつての教え子だった。
恩人である稲森先生の事件が迷宮入りすることを理不尽に感じ、都合よく名探偵を紹介されたのだった。

探偵は、最初は及び腰であったが、蒼井優の熱意に負けて、事件に首を突っ込むことになった。
まず探偵は、隣の家の老人・橋爪功が有名な考古学者であることを知る。
そして、警察官僚の兄の権威を都合よく使って、考古学者に、昔の浮気相手との間に子どもがいることを突き止めた。

それが、都合よく隣に住む、稲森いずみだったのだ。
しかし、彼女が自分の子どもであることは、事情があって、橋爪功は知らなかった。

ただ、実に都合のいいことであるが、橋爪功の長男の嫁である、同居の高島礼子は、そのことをなぜか知っていたのだ。
橋爪功は、溢れるほどの財産を持っている。
だが、子どもが一人増えたら、遺産の遺留分は確実に減る、と高島礼子は考えたのだろう。

そこで、高島礼子が稲森いずみを殺害したのではないかと、探偵は推理した。
しかし、どうやって、殺すことができたのか。
悩んだ探偵は、近所から、橋爪家と稲森家が、風鈴の音のことで揉めていたという話を聞く。

そんなとき、高島礼子が、都合のいい過去であるが、サーカス団にいたことを聞きつけた。
サーカス団にいたのなら、高い塀を乗り越えることなど、雑作のないことだ。
そして、高島礼子の夫が、都合よく毒物を入手しやすい総合病院の医師であることから、高島礼子が犯人であると、探偵は推理した。

つまり、高島礼子が、稲森いずみがいないときに、塀を乗り越えて侵入し、軒下の風鈴の一つを入れ替えたのではないか。
そして、その入れ替えた風鈴に、毒を塗っておいた。
その後、高島礼子は舅をうまく利用し、「風鈴の音がうるさい」と二人でクレームをつけて、稲森いずみが風鈴に触れる状況を作った。

しかも、都合のいいことに、稲森いずみには、指を舐めるという癖まであった。
それをなぜか、都合のいいことに、隣人の高島礼子が知っていたのである。
毒のついた風鈴を触った稲森いずみが、都合よくそのあと指を舐めたことにより、稲森いずみは、あっけなく死んだ。

殺害後、高島礼子が、深夜また塀を乗り越え、毒のついた風鈴と付いていない風鈴を入れ替えることで、捜査の目をくらまし、事件は迷宮入り寸前までいった。

しかし、名探偵は、都合のいいことに、高島礼子が風鈴を買った店を探し出し、証拠を突きつけて、高島礼子を追いつめたのである。

高島礼子は、あっさりと罪を認め、何の活躍もしなかった警察に手錠をかけられて、連行されていく。

最後に、高島礼子は、探偵に向かって、涙ながらに言うのだ。
「私は、ただ幸せな家庭を築きたかっただけなの!」

そんな鮮やかな推理を見せた探偵に、蒼井優は、熱い眼差しをそそぐ。
しかし、探偵は、そんな視線には気づかず、最後にもったいをつけるように、こう言った。

「今回は、悲惨な事件でした。こんな事件は、二度と起こしてはいけない」

去っていく探偵の背中を見つめる蒼井優の目からは、熱い涙が幾筋もこぼれ落ちていた。

そして、探偵は、それからも行く先々で悲惨な殺人事件に出くわし、都合よく犯罪者を作り上げるのだった。


悲惨なる「風鈴殺人事件」。




なお、私は、この妄想小説の著作権を放棄します。
誰かが、これを基にして、素晴らしい小説を書いたとしても、私は文句は言いません。

それが、たとえ江戸川乱歩賞を取ったとしても。





馬鹿。




2010/07/11 AM 07:59:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話
増えていく割り箸。

78歳のご老人は、一日おきに散歩に出る。

往復3キロを2時間近くかけて歩く。
途中百円ショップで休憩する。
そのとき必ず40膳入った割り箸のセットをひとつ買う。
そして、それを家に持ち帰る。

意味不明であるが、それをゴミ箱に捨てる。

中学2年のわが娘がそれを見咎め、拾い上げ、私に聞く。
「どうする、これ」

しばし思案した後で、大きめのレジ袋に格納したが、その後、増える増える。
増え続ける。
段ボール箱に入れることにした。

我が家では、割り箸は、まったく使わない。
お客様が来たときは、格調高い箸でお持て成しをする。
つまり、決して減ることのない割り箸が、一日おきに確実にダンボールの内部を圧迫する。

圧迫した結果、一つ目の段ボール箱は満杯となり、二つ目の段ボール箱も、割り箸が4センチほどの山をなしている。

「割り箸は、もういらないんですが」
そう注意したのは、私が一度。ヨメも一度。

しかし、ご老人は言う。
「私は、割り箸なんか買ってないよ。私は自分の箸を持っているからね」

そう言われたら、何も言えない。
ご本人は、無意識のうちに、割り箸を買い求めているようだ。
人が空気を吸うがごとく、ご老人は、一日おきの散歩の折に、割り箸を買い求める。
彼女にとって、それは息をするのと同じ行為。

言うだけ無駄。

だから、誰にも止められない。

増え続ける割り箸。

それが、怖い。


桶川の得意先のフクシマ氏。

ある日、葱を大量に抱えて、我が家にやってきた。
「田舎からたくさん送ってきたんで、Mさんに、おすそ分けぇ!」

まあまあ、あがって美味い珈琲など。

「いやいや、急いでますんでぇ」
葱を大量に置いて帰っていった。

新聞紙にくるんだ葱、泥つき二束。
数えてみたら、62本あった。

どうする、これ。

午後5時半ば。
ヨメと二人、首をかしげながら、顔を見合わせる。
「ご近所に、配るしかないかな」

そう結論付けて、私は仕事部屋で作業を始めた。
そして、午後7時前、夕飯の支度をしようと、キッチンへ。

そのとき、ピンポーン。

「葱をいただけると聞いてきたんですが」
ご老人のお知り合いの声が、玄関から聞こえた。

葱?
葱は、確かに大量にあるが、なぜ、それがわかった?

ヨメが聞いている。
「10本、差し上げましょうか」
それに対して、相手は「5本で」。

その20分後、また訪問客が言う。
「葱を」
ヨメが聞く。
「10本、どうですか」
「いや、5本で」

なぜ、5本なのか。
今ひとつ釈然としない。
しかし、10本減ったので、よしとしようか。

残りは、52本。
今夜のメニューは決まっているので、葱は、新聞紙にくるんだまま玄関に置いておこう。

さて、次の日。

私は、打ち合わせに出かけ、ヨメは花屋のパート。
娘は、中学へ、息子は大学へ。

午後5時過ぎ。
団地の駐輪場に自転車を置いていた時、ヨメが井戸端会議から帰ってくるところに遭遇。
揃って、玄関に入る。

しかし、その玄関が、異様に汚い。
葱を包んでおいた新聞紙が散乱し、泥が不規則な模様を作っている。
つまり、泥だらけ。

玄関は、家の顔である。
だから、いつも綺麗にしている。
しかし、この玄関の乱雑さ、汚さは!

目眩がする。

気がついて、あたりを見回す。

で・・・・・・・、葱は、どこへいった?

葱がない。

キッチンに足を運んだが、キッチンにもない。

葱が・・・・・・・、消えた?


午後6時前、またご老人のお知り合いが、ピンポーン。
60代半ばの女性が、ヨメに言う。
「お留守の間に、葱を30本いただきました。5本ずつ、知り合いに分けましたが、よろしかったでしょうか」

また、5本ずつか。
まあ、配る手間が省けたから、いいか。

あと、22本。
だが、ここに至って、私の心に居心地の悪い感情が、居付く。

ご老人は、外界と接触する手段は、散歩のときと、週に一度の宗教的な会合の時だけ。
我が家には固定電話はなく、ご老人は携帯電話を持っていても、活用する方法を知らない。

送信履歴ゼロ。
着信履歴はあるが、携帯が鳴ると、席を立ち逃げてしまうほど怖がっている。
対応の仕方を知らないから。

昨晩は散歩をしなかったし、会合もなかった。
では、ご老人のお知り合いは、どうやって我が家に葱が大量にあることを知ったのか。

超能力、あるいは、盗聴。

もちろん盗聴は冗談だ。
こんな冗談でさえも、団地では悪意の餌食になる。
口を慎まねばならない。

だが、不思議。
私が知らない通信手段が、彼らには存在するのだろうか。
糸電話だったりして。

そんなとき、大声。
ヨメが唸る声が、ベランダから聞こえた。

ベランダに駆けつけると、プランターで栽培していたサニーレタスが引きちぎられ、そこに葱が突き立っていた。
勘定してはいないが、おそらく、その数22本。

サニーレタス、無惨、無惨。

ヨメの顔が・・・・・・・怖い。




2009/11/26 AM 06:25:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

鳥肌が立った日
不思議な出来事だった。

これは、本当に不思議な話で、あまりにも不思議すぎて、作り話だと思われるかもしれない。
でも、これは昨日、私の身に起きた実体験なのです。

友人にヘチマのような顔をしたノナカという男がいる。
この男に関しては、何度か書いたことがある(たとえば、コチラコチラ)。

このヘチマとは、お互い不思議な力で呼び合っているかのように、思いがけないところで、いつも出くわす。

今回も場所は、横浜だった。
2年ぶりに訪問した会社。
女優の松雪泰子似の美人から、仕事の説明を受けた。

打ち合わせ時間、20数分。
その間中、その美しいお顔に見とれていた、中年バカ男。
会社を出てからも、松雪泰子似から発散される、何とも言いがたい匂いを鼻で反芻しつつ、元町をぶらついた。

そこで、本日の格言。
いい女は、いい匂いがする(by 中年バカ男)。

元町をぶらついたが、元町は、私を拒否しているように思える。
オシャレな街。
歴史と新しさが混在したクールな街だが、私は確実にその空間で、浮いた存在だった。

若者たちが持つ、純度の高いエネルギーが、私にはない。
街に溶け込むスタイリッシュなものが、私にはない。
シャレた店に入って、何かを買おうにも、私には金がない。

ない、ない、ない・・・・・。

ないものだらけの私を、確実にこの街は拒んでいるように思えた。

だから、わざと胸を反らして、オードリーの春日のように、ゆったりと道を歩いた。
道行く人に、「オニガワラ!」というネタをやってもよかったが、そこまで露骨に浮きたくはない。
その欲望を懸命に抑えながら、歩いた。

元町を山下公園の方向に歩いていき、途中、横道を入る。
そして、坂を上る。

一年ぶりの「港が見える丘公園」だった。

横浜の港が一望に見渡せる場所。
そこは、小さな風が吹いている。
いつ来ても、横浜の風は、新しい清冽な空気を私のまわりに運んできて、心に溜まった澱(おり)のようなものを吹き流してくれるような気がした。

午後2時過ぎ。
台風が過ぎ去った次の日。
陽射しは強かったが、陽の照りつけるベンチの端に座った。

そして、ステンレスボトルに入れてきた熱い珈琲を飲んだ。
額から汗が噴き出してきたが、汗を心地よく感じた。

空を厚い雲が覆っている。
おそらく気温は30度を超えているだろう。
ただ、肌に届く暑さに、強烈さは感じられない。
それは、夏が最後に放出するエネルギー。
それを熱い珈琲を飲みながら、実感した。

気配を感じた。

その気配が何なのかは、説明しづらい。
肌を圧迫するエネルギーとしか言いようがない。

そのエネルギーを発散する方に顔を向けた。
女がいた。少女と言ってもいいかもしれない。
16歳、と勝手に推測した。

細い。そして脚が長い。
黒の長袖のトレーナー。左胸の下にワンポイントで花があしらってある。
長い脚は、ジーンズで隠されていたが、その細さが、際立っていた。

立ち姿がいい。
顔もいい。
肌が、見事なほど輝いている。
女優の堀北真希を少し幼くして、3Dグラフィックスでモデリングしたような感じだ。

この世のものとは、思えない。

見とれた。

普段、女性の顔を、こんなにもぶしつけに凝視することなどないのだが、目が離れてくれないのである。
しかし、少女は、そんな私の視線に対して、何の感情も表すことなく、私から少し距離を置いて、同じベンチに座った。

作りもののような横顔から、目が離れない。
魅入られたとしか思えないほど、目線が、その横顔から離れることを許してくれないのだ。

その時間は、何分だったのだろう。
憶えていない。
暑ささえも感じない、止まった時間。

時間は確実に止まっているように思えたが、そんな空間の中で、少女の顔だけが、動いた。
ゆっくりと私のほうに向いたのだ。
鳥肌が立った。

ガラス玉のような茶色の目。
透明だった。
その透明な目が私を捉える。
そして、唇が、まるで機械仕掛けのように、動いた。

「もうすぐ来ますよ」
天から降ってくるような声。
細く、か細い声だったが、その声は、直接私の脳に届いた。

鳥肌。

「すぐそこに、来てますから」

声が、再び脳に届いた。

少女は、それだけ言うと、浮き上がるように立ち上がって、私に背中を見せた。
そして、浮き上がるように、歩いていく。
たとえようのない不可解なエネルギーが、肌を圧迫する。
私は、少女の背中から、やはり目を離すことができなかった。

少女の姿が見えなくなってから、私はやっと、その呪縛から逃れることができた。
大きく息を吐く。
そのとき、後ろから肩を叩かれた。

緊張していた全身が強く反応して、私は背中を思い切り強く、ベンチの背に打ちつけた。
声も出せないほどの痛みだ。
しかし、その痛みの中で、私はなぜかヘチマの顔を思い浮かべていたのだ。

「おい! 信じられるか?」
ノナカが、私の横に座って、蒼ざめたヘチマ顔を近づけてきた。
そして、とり憑かれたような早口で言うのだ。

「元町を歩いていたら、チョー可愛くて、チョースタイルのいい女の子が、『お知り合いが、いますよ』って教えてくれたんだよ。あれって、おまえの知り合いかい? ちょっと人間離れした感じの子だったが」

それは、いつの話だ。

「15分くらい前だな」

15分前なら、おそらく少女は、私の隣に座っていた。
ただ、時間の経過が異次元的だったので、確信はない。

では、違う子が、ヘチマに声をかけたのか。
しかし、ヘチマは、こう言うのだ。

「ちょっと、堀北真希に似ていたかな。陶器の人形みたいで、気味が悪かったが、チョー可愛かった。目が釘付けになったよ。目が離れてくれないんだ」

鳥肌。

蒼ざめた顔のノナカを見る私の顔も、同じように蒼ざめていたに違いない。

世の中には、理屈では説明できないことが起こる。

信じてもらえるだろうか。


2009/09/02 AM 06:27:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | [怖い話]

突然左足をつかまれた。誰もいないのに・・・
何とも言いようのない不思議な体験をした。
それは、まったく説明のつかない出来事だった。

3年前から懇意にしていただいている同業者Hさんの事務所で留守番をしていたときのことだった。
「せっかく来てもらったのに悪いんだけど、得意先からお呼びがかかったんで行って来ますよ。1時間くらいですぐ戻りますから、待っていてくれませんか」と言われ、ひとり彼の事務所に取り残された。

事務所内の広さは、8畳くらいか。
ウインドウズが2台とコピー機兼用のレーザープリンタ。本棚。そして、壁際に横長のソファ。
その横長のソファに座って、私はボーッとしていた。

PCを触ってもいいよ、と言われたが、他人の事務所に来てまで触りたくはない。
むしろ、何も考えず、のんびりしていた方がいい。
Hさんが置いていってくれたサンドイッチをつまみながら、ビールを飲んだ。

本棚を見ると、パソコン関係の本がギッシリと詰まっている。
「勉強家だな」と感心したが、手に取ってみたいとは思わない。
それさえも、面倒だ。

壁にカレンダーが掛かっている。
なぜか、もう8月がめくられていて、9月の面になっていた。
9月の写真は、紅葉の京都だ。
京都の9月は全然紅葉なんかしていないだろう、と心の中で突っ込みながら、私はなぜか仏滅の日を探していた。

そんなとき、左足の腿に違和感を感じた。
足の付け根の部分を手で掴まれたような感覚がしたのだ。

最初は、気のせいかと思った。
事務所には、誰もいないのだ。これは間違いがない。
ソファの座り心地が良すぎるので、体の重心が移動しただけで、体に違う感覚を与えるのかもしれない、と思った。
つまり、錯覚。

それほど、高級そうなソファだった。
色は、渋い茶色。表面はレザー。座ったときの感触は堅いが、全身にかかる負荷は、適度な弾力があって、腰が安定する。

腿に、手の感触は残っていたが、錯覚と決めつけて、残りのサンドイッチを食った。
レタスが意外なほど美味いな、と思っていたとき、また腿を掴まれた気がした。
いや、気がした、というより、はっきり掴まれた。

思わず、左の腿を叩く。
しかし、そこには私の足があるだけだった。

まわりを見回してみた。
もちろん、誰もいない。
気配もない。
聞こえるのは、ハードディスクの回る音だけだ。

ビールを飲んだが、缶を持った左腕に鳥肌が立っていた。
そして、左腕の毛が逆立っている。
左半身にだけ、何とも言えない不快感があった。

体に変調をきたして、左半身が麻痺したのか。
まさか、脳梗塞? などということを考えたが、指先まで感覚はあるし、左足の指も自由に動く。
体の不調ではないようだ。

ビールを飲んだ。
しかし、左足の腿に残った指の感触は、最初より格段に強くなっている。

私は、まったく霊感のない男である。
それは、断言できる。
鈍感と言っていいくらい、その方面に関しての能力はない。

ただ、不思議体験は、何度かした(そのことに関しては、コチラコチラに書いたことがあります)。
今回のは、不思議体験と言えば、そう言えるだろう。
だが、体で感じる感触が、今までとは全く異なるのだ。

そこに誰もいないのに、腿を掴まれる感触。

自分の頭が、おかしくなったのかもしれない、とも思った。
脳梗塞ではないが、脳のどこか一部分が壊れてしまったのではないか。
そんな小さな恐怖心が、頭に忍び寄ってきた。

今度は、全身に鳥肌が立った。
部屋が、歪んで見えた気がした。
救急車を呼ぼうか、とさえ思った。

30分ほど、恐怖心と闘ってたとき、Hさんが帰ってきた。
「待たせて悪かったね。お詫びに、Mさんの好きなEBISUビール買ってきたよ。スモークチーズも買ってきたから・・・」
Hさんはそう言ったが、私の様子がおかしいのに気づいて、まわりを見回した。
そして、瞬く間に蒼白な顔になって、「ああ、まさか・・・、あれか・・・、あれか・・・、あれか・・・」と呪文を唱えるように、同じことを繰り返した。

「あれか」と言うからには、Hさんも同じことを体験したに違いない。

蒼白な顔のHさんに聞いてみると、4年前、この事務所に越してきたとき、一度だけ私と同じような経験をしたらしい。
Hさんも左足だった。
はっきりした感触で、膝の上のあたりを10回くらい掴まれたのだという。
私の場合は2回。掴まれたのも足の付け根という違いはあったが、この現象は全く同じだと言っていいだろう。

この現象があったのは、4年前に一度だけだったし、それ以来、他に何人もがこの事務所に入ったが、同じ現象は起こらなかったという。
だから、Hさんは今日まで、そのことを完全に忘れていた。
しかし、私の表情を見て、すぐに思い出したのだという。

「右手ですよね。右手で掴まれたような感じですよね」
Hさんが、紫色の唇を震わせて言う。
「そうです。間違いなく、あれは右手です」と、震える声で言う私。

EBISUビールを無言で飲む、中年男ふたり。
そして、時々ふたり同時に、あたりを見回し、左の腿をさする。

弱い笑いを浮かべながら、Hさんが言う。
「疲れているんですかねえ」
「そうですねえ、寝不足ですしねえ」
「ああ、あのときの俺も寝不足でしたよ。平均睡眠時間2時間くらいでしたから」
「俺も、昨日1時間くらいしか寝てないんですよ」
「ああ、それはつらいですねえ。きっと寝不足のせいですよ」
「そうですよね。寝不足のせいに決まってます」
「決まってます」

口のまわりを引きつらせながら、ふたりの中年男は、弱いうなずきを繰り返した。



★うなずく人は、CG「徹夜して・・・」



チキンラーメンが世に出てから、50周年だそうです。

昨年の5月、友人から40食分のチキンラーメンをもらったことがあります。
最初の頃は、定番の食べ方・真ん中のくぼみに卵を落として、刻みネギを盛って、食べていました。

「うまいねー、チキンラーメンは!」
家族全員の満足顔。
やはり、チキンラーメンは、この食べ方が一番です。

我が家では他の食べ方として、鍋のあとのスープにチキンラーメンを入れ、卵を落として、さらにご飯を入れて食べることもしました。これも、うまい!
他には、麺を粉々に砕いて、それを丼ご飯の上に卵と一緒にのせ、お湯をかけて食べる方法。
粉々に砕いて、椎茸やタケノコ、油揚げなどと一緒に、炊飯器で炊き込みご飯にする方法。
煮込んだチキンラーメンを細かく切って水気を切り、厚焼き玉子の具にする方法など、色々と試しました。

レトルトカレーの具をかけても美味しいよ、と教えてくれる人がいて、やってみたこともあります。
うちは、チキンラーメンは、スープ感覚で食卓に出すよ。スープとして常備しているよ、という人もいます。
朝、食欲がないときでも、チキンラーメンだけは食えるんだよね、という人もいます。

15年くらい前に、取材でホテルのバーに行ったとき、バーの支配人がオープン前に、事務所でチキンラーメンを食べていました。
「悪いね。早めに食べておかないと、食いっぱぐれるからさ」と言いながら、タキシードの上に大きなエプロンをかけて、美味しそうに食べていたのを今でもよく覚えています。

チキンラーメンを食べると、人は皆いい顔になる。

チキンラーメン、買いに行こうかな?


2008/08/28 PM 04:59:50 | Comment(4) | TrackBack(0) | [怖い話]

だめだ、こりゃ!
車に轢かれそうになった。

相手がこちらの存在に気づかず、ブレーキを踏まずに左折してきたから、自転車を投げ出すようにして体を傾け、さらに右足で思い切り蹴って体を浮かせたから、間一髪で衝突を回避することができた。

場所は16号。ロジャースに買い物に行く途中の交差点での出来事である。
交差点の角に大型のカー用品店がある。
車は、そこから出てきたミニクーパーだった。

信号が青に変わって、自転車で横断歩道を渡った。
横断歩道を渡って右に行くと、目指すロジャースがある。
左側にカー用品店。そして、車の出入り口は歩道をまたぐ場所にあるから、カー用品店から出てくる車は必ず一旦歩道を通らなければ、車道に出ることはできない。

当然のことながら、車は一時停止して、左右を確認しなければいけない。
だが、ミニクーパーは左右を確認せず、一時停止もせずに、いきなり車道に出ようとしたのである。

そこに、歩道を通ってロジャースに向かおうとした私がいた。
私は、車が当然止まるものだと思って、普通に自転車を漕いでいた。
車がスピードを落とさずに店から出てくることなど、思いもよらぬことである。
ミニクーパーがいくら小さいとはいえ、ドライバーの視線もミニということはないだろう。
歩道を走る自転車が見えないわけがない。

だが、クーパーはまるで自転車など眼中にないような無謀さで、突進してきたのである。
ドライバーはブレーキをかける気配もない。
つまり、私が何とかしなければ、衝突は避けられないということだ。

私は今まで一度も「死にたい」と思ったことがない人間なので、「死にたくない!」という思いを足と身体全体に込めて、必死に「死のゾーン」から逃れた。
幸い自転車は壊れなかったし、体も壊れなかったが、私の人格が壊れた。

全身が、怒りの固まりになった。

て〜んめえぇ〜〜!

自分でも、驚くほどの大きな声が、口から出た。
相手も、さすがに衝突する寸前に私の存在に気づいたから、急ブレーキをかけていた。
だが、相手は車から出てこない。
ミニクーパーの運転席が低いせいか、相手の顔は見えない。
ただ、しっかりとハンドルを握っている両手が小刻みに震えているのが、私の角度から見えた。

私の怒りは、叫んだことによって、さらにボルテージが上がった。
車の運転席側のガラスを手で叩いた。
ドアを蹴ってやろうかと一瞬思ったが、「そこまでは、しちゃいけないよ」という心の声が聞こえたので、手で叩くだけにした。

だが、相手がハンドルを握ったまま反応を見せなかったので、私は右手で20回くらいガラスを叩いた。
そんな私を、歩行者や自転車に乗った方々は、冷ややかな目で見ながら、遠巻きにして避けて通っていった。
カー用品店の店員も何人か見ていたが、誰も声はかけないし、近づいても来なかった。

こんなときは、見て見ぬふりをするのが一番いい。いいじゃないか、轢かれたわけじゃないんだから、そんなに熱くなるなよ・・・、そんな雰囲気をまき散らしながら、誰もが私を避けて通っていった。

私は、普段は「仏のマツ」と言われるくらい温厚な人間だが、これほどの仕打ちを受けて、黙っていられるほど、人間の質が良くはない。
右手が痛くなったので、今度は左手でガラスを叩いた。
そして、左手で叩くのにも疲れた頃、やっとドライバーが出てきた。

青い顔をしている。
ただ、私は出てきた男の顔を見て「しまった!」と思った。
普段だったら、絶対に関わりになりたくないようなゴツい顔をしていたからである。

将棋のような顔。
「歩」や「桂馬」だったらまだいい。「金将」や「銀将」でもいい。
車から出てきた男は、どこから見ても「角」という感じの将棋の駒顔だったのだ。

年は、30歳前後。身長は私より低いが、体重は30キロプラスと言ったところか。
フィッシャーマンズベストを着た、角張った上半身が、プロレスラーを思わせる力強さだった。

男の顔を見ながら、約一秒の間に、私は考えた。
このまま逃げようか・・・。
一発だけ殴って、自慢の足で逃走するか・・・。
それとも、無言で睨みつけて、相手の出方を見るか(逃げる用意をしながら)。

三つの選択肢を頭に思い浮かべながら、私は相手の顔を見つめた。
顔は怖そうだが、その厳(いか)つい顔は、今は蒼白で、小さな目は瞬きもせずに私を見つめていた。
唇を見ると、唇も薄い紫色で、カサカサに乾いているのがわかる。

それを見て、私の気持ちに余裕ができた。
自分では意識していなかったが、口元は笑っていたようである。
そんな私の変化を敏感に感じ取ったのか、相手はすかさず、上半身を硬直させたまま「すみません、すみません、すみません」と3回続けて頭を下げてきた。

「すみません」と言ったときの、男の唇が、可哀想なくらい震えていた。
私は、日本一単純な人間だと思う。
それを見て、怒りが急速にしぼんだのだ。

そして、「ああ、考えごとしてたんじゃないの。俺でよかったよ。オレ運動神経いいからさ、あれぐらいは避(よ)けられるから」と、場違いな自慢をし始めたのである。

男に「すみません、すみません」と、今度は2回頭を下げられると、「いいから、いいから。もう行って」と簡単に許してしまうこの性格、何とかならないものだろうか。
そればかりか、「すみません」ともう一度頭を下げて車に向かう男に、「気をつけるんだよ」とまで言ってしまうこの馬鹿さ加減。

ミニクーパーが去っていく姿を見ながら、自分の両足が小刻みに震えていることに気づいたときは、我ながら「だめだ、こりゃあ!」と呟いていた。
さらに、自転車にまたがろうとしたとき、膝も震えていたから、自転車が傾いて倒れそうになった。

そして、3回目の「だめだ、こりゃ!」を呟いたとき、やっと自転車に乗ることができた。
しかし、自転車を真っ直ぐ走らせることができないから、向かいから来る自転車に乗ったお爺さんとぶつかりそうになるという、みっともなさ。

「酔っぱらってんのか、おまえ!」というお爺さんの罵声を背中に聞いて、今度は大きく叫んだ。

だめだ、こりゃ!


2007/12/08 AM 06:39:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | [怖い話]

アル中のクマさん
ひとのブログを読むのは、楽しい。
ホノボノとしたもの、情報系、過激な内容のものや毒舌系、画像中心のものなど様々である。

私が気に入ったブログがいくつかあるので、これからたまにご紹介していきたいと思う。
いま気に入っているのは、宇多田ヒカルのブログ
これは、面白い。

クリエイティブな仕事をしている人のブログとは思えないほど、どこかが外れているブログである。
適度な虚脱感と四コママンガを見ているような楽しさも感じる。
洒脱な落語家が、寄席の舞台の上で、思いのままに客を操っている粋な風情も感じ取れるブログだ。
また、時に不器用なほど正直なところも見えるので、スーパースターが身近に感じられる。

このブログには、ぬいぐるみのクマと宇多田ヒカルとの会話がよく登場する。
これが楽しい。
まったりした漫才を見ているようである。
以前、彼女の直筆の絵で「ベルサイユのクマ」というのが出てきて、娘と一緒に大笑いした記憶がある。

ぬいぐるみのクマは、可愛い。
宇多田ヒカルが描くクマも大変魅力的である。

しかし、クマ、と書いて、私の脳細胞に、笑えない現実が突然思い起こされたのだ。
それは、1トンの重さのハンマーで、頭蓋骨を叩きつぶされるほどの回復不能の大きな衝撃である。

私には3歳年上の姉がいる。
そのことに関しては、何度かこのブログに書いた。
昨年の1月18日から22日のブログには、かなり詳しく書いた。
もし興味がある方は、それを読んでください。
ただし、どんな不幸があなたの身に降りかかろうとも、私は責任を負えません。
自己責任でお願いいたします。

クマ。
3歳のクマ。
この50歳を過ぎた私の姉が、2年前から、「私は3歳のクマだ」と言いだしたのである。

これは、かなり深刻な話なのだが、深刻な話を深刻に書くと笑える話になるので、笑いたい方は続きを読んでください。

私は可愛い3歳のクマだ。
そう聞いて、「クマも3歳になったら、かなりでっかいだろう。可愛くなんかねえよ!」などと彼女に言ってはいけない。
それを聞いたら、彼女は半日泣き続けて、部屋に引きこもるに違いない。

「あたしは、可愛いんだもん! だって、3歳なんだから!」

ただ、このクマさんの場合、夜の7時になったら、引きこもりを解除して、缶酎ハイを飲み始める習慣があるから、涙にまみれるのは午後7時までである。
どんなに泣いていようが、夜の7時になったら、必ず缶酎ハイを飲むのは、どんな驚天動地の重大な事件が起ころうとも、絶えることがない彼女の優先事項なのである。

たとえ、親が死んだとしても・・・・・(怖)。

「クマはごはんは食べないんだよね」とクマは言う。
これは文字通りご飯、つまりお米のことで、クマさんは米は食べないのである。
野菜もまったく食べない。

「だって、クマさんは、米も野菜も嫌いでしょ」

だったら、クマは、缶酎ハイも飲まないんじゃないか。
などと言ってはいけない。
そんなことを言っても、彼女には意味が通じないのだ。
「クマだって、お酒飲むんだよ!」
その一言で、おしまいである。
クマは、すべてを自分の都合のいいように解釈する生き物なのだ。

朝は、ハムにマヨネーズをかけて食べたり、ローストビーフを食べるらしい。
昼は、チャーシューや豚肉の生姜焼きなどを食べる。
夜は、缶酎ハイを飲みながら、ウナギの蒲焼きや牛丼の具だけを食べる、とクマの母は言っていた。

クマさんの生態を知らない第三者からは、幸せで、のどかな娘さんだと思われているかもしれない。
このクマさんは、にこやかに隣近所に挨拶ができるのである。
私は、いい娘です、というのを全身で表現する演技力は過剰なほどに備わっている。
そして、身内にはニコリともしない、という徹底ぶりである。
3歳のクマは、賢いのである。

しかし、クマさんの日常は、限りなく怠惰だ。

朝10時頃起きて、肉を食う。
寝っ転がって、テレビを見る。
何もしない。
昼は、2時頃、肉を食う。食わないときもある。
昼寝をしたあと、買い物に行く。
肉が中心の買い物である。
ほかに何もしない。たまに、パチンコをする。
そして、夜7時になったら缶酎ハイを飲み始める。
肉を食う。
母親に愚痴をこぼす。
3本目の缶酎ハイの頃には、激しく罵倒する。咆吼して、のたうち回る。

私は、世界で一番不幸なクマだ!
40過ぎまで一生懸命働いて、家族を養ってきた。
だから、結婚もできなかった。
子どもも産めなかった。
いったい、誰が悪いんだ!
母親のお前が悪いんだ!


母の名誉のために言わせてもらうが、クマさんは、50余年の生涯の中で、働いたのはたった1年足らずである。
それ以外は、ずっと家にこもって、夜7時になると酒を飲んでいた。

何も生産したことがない。
誰かの役に立ったこともない。
だから、40過ぎまで一生懸命働いたというのは、クマさんの妄想である。

妄想の中に逃げなければ、自分があまりにも惨めだからだろう。
妄想の中でクマさんは、月に100万円以上稼ぐキャリアウーマンになっている。
10回以上、結婚を申し込まれたことになっている。
しかし、母が病弱なので、それを理由に、すべての結婚を断ったというストーリーができあがっている。

「ゴメンナサイ。私は、長女なので、母親の看病をしなければいけませんから・・・(泣)」

昨年母は、6度入院し、3度手術をしたが、クマさんは母の入院先でまわりに愛嬌を振りまいていただけだった。
世話らしい世話はしない。

酒を飲むと、病弱な母親相手にも、クマさんは容赦がない。
自分が一番可哀想だと思っているから、年老いた母がどんなに疲れ切っていたとしても、妄想の中に入り込んで、何も感じないのである。
現実は、彼女の頭の中では、ボウフラほどの大きさでしか存在しない。

そして、彼女の頭の中では、自分以外の人すべてがボウフラほどの大きさであり、自分はクマなのである。
たとえ身内であっても、自分以外はボウフラなのだ。

最近、クマさんの生態をこと細かく精神科医に伝えた(相談するだけでも結構高いので、皆さんお気を付けください)が、「ああ、それはアル中ですね」とあっさりと言われた。
たしかに、酒を飲まない日は一日たりともない。
母親を罵倒するのは、酒が入ってからである。
妄想を繰り返すのも、酒が入ってからである。

アル中だってさ。
母にそう言うと、彼女は「そんなのは、昔からわかってました。でも、お酒を取り上げようとすると、部屋中の壁を叩いて、『人殺し!』って叫ぶのよ。救急車を呼んでも、『醒めれば治りますよ』と言って帰ってしまうの」と、涙目で語るのである。
私も、その現場は何度も見た。

何度か病院に無理矢理連れて行こうとしたが、クマさんは、壁を叩いて「人殺し!」と叫べば、すべてが収まると思っているらしく、いつまでも壁を叩き続けるのだ。
2時間でも3時間でも、こちらが諦めるまで。
その結果、実家の壁は、あっちこっち凹んでいる。

昨晩は、突然「クマ牧場に行く!」と言って、旅行の支度をし始めたらしい。
「クマ牧場はどこにあるの?」と母親。
「登別よ。知らないの! バッカじゃないの!」とクマさん。

クマ牧場のクマさんに会うために、失礼があってはならないと思い、歯を何度も磨き、顔を何度も洗い、手を何度も洗う3歳のクマさん。
慌てて実家に駆けつけてみると、玄関先にクマさんが横たわっていた。

突然アルコールが切れて、玄関先で寝てしまったのだという。
口元には、ベッタリと歯磨き粉が付いていた。
母親と顔を見合わせて、笑うしかない。
苦笑いではない。
お互い疲れ切った笑いである。

だから、そのままほったらかしにした。
一応、クマの柄のタオルケットはかけておいたが。

2時間かけて我が家へ帰る途中、私はずっと寒気がしていた。
それは、冷房のせいだけではないと思う。

アル中の3歳のクマさん。
童話の中のクマさんは可愛いが、さすがにアル中のクマさんは童話に出てこないようだ。

だから私は、いま本気で、アル中のクマが登場する童話を書こうかと考えている。
童話のエンディングは、立派に自立するクマさんの姿を書いて、ハッピーエンドで終わらせたいと思うのだが、それは私の妄想で終わる可能性もある。


2007/08/21 AM 06:27:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

霊感・正夢・守護霊
一週間前の出来事で恐縮だが、また、新潟県で大地震があった。
現地の深刻な状況を見ると、他人事ではない。
日本列島のどこにいても、我々は地震の恐怖からは逃れられない。
無力感がつのる。

しかし、世の中には、そんなことさえも話の種にする軽薄な輩(やから)がいるから、腹が立つ。

私の得意先に、俺は霊感が強い、と自慢する人がいる。
その人に関しては、昨年5月のブログに書いた。
この人は、世の中のすべてのことを「霊」に結びつけて考えている人なのである。
そして、当たり前のことだが、その思考方法は、まったく論理的ではない。

「新潟で地震がありましたよね。ボク、前の日に地震の夢を見たんですよ。目が覚めたとき、この夢は絶対にあたると思っていました。そうしたら、あの地震でしょ。ビックリしましたよ」

ほぉー、そうですか。

「今年3月の能登半島地震の時も、ボク、夢を見たんですよ。あの時は、はっきり兼六園が揺れている夢を見ました。それが当たったんですから、自分でも怖くなりましたよ」

ほぉー、そうですか。

「この間、ボクの家内が友だちと銀座に買い物に行ったんですけどね。デパートのトイレ前に倒れているお年寄りがいたらしいんですよ。その人はすぐ救急車で運ばれていったんですが、そのすぐあとで、家内がボクに電話をしてきたんです。携帯を取ったとき、ボク、ピーンと来たんですよ。そこで、家内に『誰か、具合が悪くなったんじゃない?』って聞いたら、家内のやつ、ビックリしてましたよ」
Kさんは、鼻をピクつかせながら、得意気に胸を反らした。

ほぉー、そうですか。

「そして、今朝、僕の乗った電車で痴漢騒動があったんですけどね。電車に乗ったときから、何か事件が起きるって、胸騒ぎがしてたんですよ。いつもは、MP3プレーヤーで音楽を聴いているんですが、今日は何となく気持ちが落ちつかなくて、音楽が全然耳に入ってこなかったんです。そうしたら、痴漢騒ぎでしょ。いやー、自分が怖くなりますよ」

ほぉー、そうですか。

この種の話を聞いて、「Kさん、スゴイですねえ。素晴らしい能力をお持ちですねぇ! いやあ、うらやましいですよ!」と言える人が、私はうらやましい。
私には、そんなことはとても言えない。

胡散(うさん)臭え!
嘘くせえ!

と思ってしまうのである。
ただ、この年になると、さすがに正直に顔に出すということはしない。
普段より、0.1ミリほど目が細くなる程度である。

しかし、心の中では、こんなことを思っている。

夢と霊感って、関連があるんですか。
夢が正夢になるのは、その人の霊感が強いからなんですか。
素人には、なかなかわからない世界ですね。
それほど素晴らしい能力をお持ちなら、占い師として充分にやっていけるのではないでしょうか。
ぜひ、その卓越した霊力を一般人のために使って、地震予知や厄災防止に役立てていただきたいものです。
こんなところで、こんな五流デザイナーに自慢するよりも、それは、はるかに有意義なことではないでしょうか。


アクビが出そうになった。
私は、それを誤魔化すために、右手で頬を軽く叩いた。
そして、頭を軽く振った。

それを見てKさんは、「Mさん、眠そうですね。それは、Mさんの守護霊が眠っているからですよ。Mさんの守護霊を、ボクが起こしてあげましょう」と言って、両手を「パチン!」と強く叩いて、合掌した。
そのパチンという音があまりにも大きくて、その会社の社員のほとんどが、こちらに視線を向けた。
みんなの眉間に皺が寄っている。
「仕事中に、うるせえよ!」という顔である。
しかも、みんなKさんではなく、私の方を見ているのである。

濡れ衣だ!

しかし、Kさんは、平然とした顔で言うのだ。
「どうです? 今ので絶対にMさんの守護霊は目覚めたと思いますよ。もう、眠くないでしょう?」

確かに、目が覚めた。
しかし、あんな大きな音で手を叩いたら、守護霊でなくても、誰だって目が覚めるだろう。

だが、反論するのも大人気ないので、私はこう言った。
「本当だ。目が覚めましたよ。でも、私は目が覚めましたが、私の守護霊は、どうでしょうか。私には見えないんで、確認できないんですが」

それに対して、Kさんは、まるで江原ナントカのように、にこやかにこう答えるのである。
「大丈夫です。目が覚めてます。ボクの守護霊と仲良くしていますよ」

それは、スゴイ!
私の守護霊は、なかなか社交的なやつらしい。

2007/07/22 AM 06:38:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖〜〜〜い話
久しぶりに「いいちこ」が飲みたくなったので、「隠れ家」に行った。
今年二回目。時刻は午後5時過ぎである。

隠れ家には、「いいちこ」が常備してある。
普段、寝酒には「麦盛り」という、ロジャースで800円台で売っている焼酎を飲んでいるが、これは香りがきついので、たまには上品な味わいの「いいちこ」を飲みたいと思ったのだ。

倉庫に入ると、天井の明かりがすべて点いていた。
誰かいるのか、と思って声を掛けた。
「あの〜、誰かいますか。M ですYO!

しばらく待ったが、誰も出てこない。
壊れた事務機の陰からも、衝立で仕切られた事務所からも、誰も出てくる気配はない。
「かくれんぼ」をしている人は、いないようである。

ということは、消し忘れか。
ほぼ一ヶ月ぶりの隠れ家は、さぞ埃が積もっているかと思ったら、そうでもなかったから、倉庫の所有会社の社員が、掃除をしたのかもしれない。
そして、明かりを消し忘れた。
おそらく、そういうことだろう。

しかし、一応倉庫の持ち主に電話で確認をしてみた。
ひと月遅れの新年の挨拶を交わしてから、明かりのことを聞いてみた。
「いんやぁ、この一ヶ月は誰も行ってねぇんじゃねぇの。おそらく、Mさん以外には YO!」
社長は、素晴らしく品のいい話し方で答えてくれた。
近くにいる社員にも聞いてもらったが、誰も行っていないと言う。

ということは、一ヶ月前に私が行ったときに消し忘れたのか。
あのときは、高熱と闘っているときだったから、うっかり消し忘れたのかもしれない。
そうだとしたら、この件は、これ以上掘りかえさない方がいいのかもしれない。

「もしかして、私の勘違いですかねぇ〜、最近ボケてますから…」と適当なことを言って、電話を切った。
ついでに、事務所以外の明かりも切った。
ほの暗い灯りがいい感じである。
そして、事務所の隅っこに置いた大型の段ボール箱から「いいちこ」を取りだして、ホット焼酎にして飲んだ。

これは、いつ飲んでも、上品な香りと柔らかなのどごしの、品のいい味である。
まったりとした味に満足しながら、事務所のソファに足を投げ出し、段ボール箱に入れておいた司馬遼太郎の「項羽と劉邦/上巻」を読み始めた。
BGMは、ジョーサンプルの「虹の楽園」である。

読み始めて、20分くらい経った頃に、倉庫の蛍光灯がいきなり点いた。
倉庫の蛍光灯は1列に4基並んでいて、それが3列ある。
その中の一列が、何もしないのに点いたのである。

これにはビックリした。
事務所の衝立から出て、「何だ! 何だ!」と叫んで、ドアの鍵を確かめに行ったが、鍵は閉まっていた。
つまり、誰かが入ってきたわけではないようである。

試しに、「あの〜、誰かいますかぁ〜」と声を掛けたが、返事はなかった。
電圧の影響か、と思って配電盤を確かめようとしたが、配電盤は外にある。
懐中電灯を持っていないので、点検するのは難しいだろう。だから、それはやめた。

結局、ソファに戻って、文庫本をまた手に取った。
しかし、また一つ気が付いたことがあった。

トイレの電気が点いている!

つい今し方までは、トイレの明かりは点いていなかった(はずである)。
そこで、恐る恐る、トイレに近づき、ドアを「エイッ!」と開けてみた。

当たり前のことだが、誰もいない。
ホッとした。
トイレの電気を切ると、トイレの暗闇が何となく怖くなって、かなりの勢いを付けてドアをバタン! と閉めた。

しかし、これは一体どういうことだ!

何で、電気が勝手に点いたりするんだ!

これは、もしかして…………(怯)。

そこで、「いいちこ」のホットをまた飲んだ。
文庫本に目を移して文字を追ったが、活字が全く頭に入ってこない。

「だれか、いるんですかぁ〜!」
かなりの大声で叫んでみたが、返事はない。

大きい声を出すと、腹が減る。
段ボールには、カップ麺が数種類入れてあるので、ノンフライのカップ麺を選んで、食べることにした。
339Kcalと書いてある。おやつ程度のカロリーだから、晩飯に負担がかかることはないだろう。

ズルズルッと、大きな音を立てて麺を啜っていたとき、また電気が点いた。
今度は、全部である。
しかし、トイレの明かりだけは点かなかった。

もしかして、本当に呪われたのか………、あるいは、ポルターガイスト? (震)。

そのとき、音楽が突然止(や)んだ。
ビクッとしたが、これはただ単に、CDの再生が終わっただけである。
この程度のことでも、ビクつく自分がおかしい。

ズルズルッ!
キョロキョロとまわりを見回しながら、カップ麺を食べ終わった。

さすがに、文庫本を続けて読む気にはならない。
「いいちこ」も飲みたくない。

なんか、不気味である。
そこで、天井に向かって、「ワー!」と叫んでみた。
2回叫んだ。

しかし、ノドが痛くなっただけである。

私には稲川淳二のような霊感はない。
しかし、もしかして、これがきっかけで霊感に目覚める可能性があるかもしれないので、目を閉じて五感を澄ませてみた。

何も感じない……、どころか、寝てしまったのである。

馬鹿馬鹿しくなったので、我が家に帰ることにした。
すべての電気を、入念に確認しながら、消した。
その後、扉の前で5分ほど待ったが、電気は点かなかった。

「よし!」と意味のない気合いを入れて、自転車にまたがった。
しかし、ここで私はまた驚くのである。

壊れていた自転車のライトが、点いているではないか!
これは、一週間前から調子が悪くて、直さなければ、と思っていたのだが、つい先延ばしにしていたものである。
それが、点いている。光っている。

背筋が寒くなった。
まさかね〜、偶然だよねぇ〜、ありえないよねぇ〜。
一人ブツブツと呟きながら、私は懸命に自転車を飛ばして帰った。



2007/02/07 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

マジメな遺伝学
遺伝、ということをまじめに考えてみた。

昨年の終わりに、私の姉が、言葉にするのも恥ずかしい不始末を立て続けにしでかし、各方面に迷惑をかけた。
そのことが、今でも我が家に大きな影を落としている。
年末の忙しいときに「なぜこんなことを!」と言っても、本人は自分のことしか考えていないから、虚しくなるだけである。
しかも風邪まで感染(うつ)してくれる、というおまけまでついて、年末年始はそれで苦しめられた。

「子どもは、産まれるとき、親を選ぶことが出来ない」とは、よく言われることだ。
ただ、二人の子どもを持つ親の心情としては、私とヨメは、この子どもたちに巡り会うために人生を辿(たど)ってきたと思いたい。
そして、彼らにも、私たち親と巡り会うためにこの世に生を受けた、と思って欲しい。

しかし、私はこうも考えるのだ。
兄弟を選ぶこと、これだけは出来ない。
これはまったく別のものだと思っている。

だから、「遺伝」ということを考えてみたのである。
姉が悪いのではなくて、彼女を形づくる遺伝子が悪いのではないか、と思ったのだ。
つまり、代々受け継がれた血が絡み合って、悪さをしているのではないか、と。

わかる範囲でたどってみると、父方の祖父は、大分県の生まれで、郷土史研究家をしていたという。
私の父は、四人兄弟の四男で、長男は父親を継いで郷土史研究家、次男は漫画家、三男は絵描きだったらしい。
つまり、三人ともサラリーマンではなかった。人付き合いは悪かったようである。

人付き合いの悪いところを、姉は受け継いだようだ。

私の父は、働きながら小説家を目指していた。
勤めていた会社は、それなりに名の知れた会社だったが、彼は稼いだ金を自分のためだけに使った。
「小説家は、銀座新橋で名が売れなければいけない」といって、新橋にアパートを借りて、毎晩新橋、銀座で飲み歩いていたのである。
だから、我が家には月に1回程度しか、帰ってこなかった。
そして、我が家には、お金を一銭も入れないという徹底ぶりだった。

このあたり、私の姉に似ている。
彼女も、人のために何かをする、という観念が見事に抜け落ちている人だからだ。
これは確実に、父親の遺伝子を受け継いでいる。

父方の祖母は、「小町」といわれたほどの美人だったらしい。
若い頃の写真などを見ると、目元ぱっちりで小顔である。可愛いらしいお姫様という感じだ。
これは、親類の誰にも似ていない。
彼女の器量は、誰も受け継がなかったようである。小顔というところだけ、私の娘に似ている。

私の母方の祖父は、島根県出身の日本画家だっが、33才の若さで肺結核で死んだ。
帝展(今の日展)にも、何度か当選していたから、それなりに成功した画家だったのだろう。
祖母に言わせると「あの人は、絵を描くのと鳥を撃つだけの人だった」らしい。
毎日鳥を撃ちに行き、それを自分で器用に剥製にして、その絵を描く。
絵が描ければいい。他には何もいらない。そして何もしない。芸術家の典型のような人だ。
そして、煩わしいことからは徹底的に逃避する、怠け者だったようである。

このあたり、私の姉に似ているようである。

母方の祖母は、島根県で師範学校の先生をしていた。
いつも穏やかで、私は彼女が、怒ったり、人の悪口を言うところを見たことがなかった。
どんな状況でも、物事を冷静に判断して、理詰めで人を諭す。
教師になるために生まれてきたような人だが、決して自分の意見を押し付けることはしない人だった。

この祖母の持つ「人間の優美さ、崇高さ」というものを受け継いだ人は、祖母ほどのレベルではないが、二人いる。
私の母と私の息子である。

私の母は、人を疑うことが苦手である。
人間性善説の固まりのような人だ。しかし、現代ではこの種の人は多大なストレスに晒(さら)される。
お人好しを騙す人は、刈っても刈っても芽を出す雑草のごとく大勢いる。
母は何度も人に裏切られてきた。
しかし、それでも人を信じるのである。80年間もこれを維持できるというのは、たいした才能だと私は思っている。

私の息子も人を信じる。そして、嘘がつけない。
こういう話を聞いた人は皆、「嘘をつかない人間などいない」と必ず断言する。
私もいないと思う。
ただ、どんなことにも必ず例外はある。
息子がその例外である。

私と娘は、そろって悪戯(いたずら)好きなので、ヨメや友だちを騙して楽しんでいる。
それを息子にもやらせようとするのだが、彼の表情で、必ずばれてしまうのである。
嘘をつこうとすると「心臓がバクバクする」と言って、真っ赤な顔になるのだ。
息も荒くなる。ハァハァ言っているから、それでアウトである。

「オレ、嘘をついたら、心臓麻痺で死んでしまうかもしれない」
息子は、顔を真っ赤にしながら、そう言うのである。
部活から遅く帰ってきた彼に、私が「モスバーガーで何か食ってきたな」というと、すぐに顔を赤くして固まるのだ。
そして、心臓を抑えてこう言う。
「しっ、死ぬかも!」

何と可愛い高校一年生ではないか!(親バカ)

彼は人の悪口を言わない。人からからかわれたら人並みに怒るが、からかった人間を悪く言うことはしない。
彼は人を裏切らない。
しかし、人は平気で彼を裏切る。そのために、いつも泣くことになるのだが、それでも悪口が言えないのである。

成長期だから、情緒不安定なところはあるが、人間の出来という点では、はるかに父親(私)を凌いでいる。
このまま成長していって欲しいものだが、世の中は悪意に満ちている。その悪意を真正面から受けて、彼の「いい性格」が歪まないように、親が見守らなければいけない。

私の姉の性格と息子の性格は、地球の表と裏側ほども違う。
しかし、不思議なことに、彼は心配しているのである。
「俺って、叔母さんにちょっと似てるんじゃないかな」

私が、「まったく似ていないから心配するな」と言っても、「そうかなぁ、だって、人の話を聞いていないって、たまに怒られることがあるジャン!」と心配する。
確かにたまに集中力が途切れて、人の話を聞いていないときがあるが、それは私もヨメも娘もそうである。
人の話を聞いていないのは、「M家の呪われた血」によるものである。気にすることはない。
威張ることでもないが……。

姉の悪口を書いてきたが、彼女も負の部分だけがあるのではない。
絵の才能と手先の器用さは、祖父譲りで天才的だし、文章の才能は父親譲りである。そして、怖ろしいまでの記憶力の良さは、祖母譲りである。
この天賦の才能は、「無敵」と言っていいものだ。

しかし、残念なことに、彼女は人を信じない。そして自分自身でさえも信じていない。
だから、自分の才能をまったく信じていない。
人がどんなにその才能を褒めても、その言葉は岩に打ち寄せる波しぶきのように、はじけ飛んでしまって、実体がない。
一人の天才が、ひきこもってその才を発揮できないのは損失だが、天の岩戸よりも頑丈なその戸をこじ開けることは、誰にも出来ない。

我が家系のすべての「負の要素」が、いたずらに絡み合って彼女を創造したのだから、これは血を恨むしかない。
そして、この負の血脈がこれから先、誰にも受け継がれることがないように祈ることしか、私に出来ることはないのである。

こんなことを書いていると、私のブログを事前にチェックしている娘がこれを見て、私の足を蹴飛ばした。

「アタシのこと、また書いてるだろ! 出演料百円出せ!」

いったい、この性格は、誰に似たのか。



2007/01/20 AM 06:26:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

五十女と機関銃
毎月5日締めの仕事が、昨日の夜データを印刷会社のサーバにFTP経由で送って終了した。
この仕事は、例年正月を挟むときは新年は10日前後が締め日となるが、今回は先方が8日まで正月休暇だということで、次号は12月26日が締め日になった。
つまり、もう次の仕事の締切まで3週間しかないということになる。
慌ただしいことである。

年末を実感させられる。

と思っていたら、電話がかかってきた。
ナンバーディスプレイを見ると「新丸子」とあるから、私の実家からである。

嫌な予感。

取るのをためらったが、緊急の用事だと困るので、取った。
そして、突然の泣き声。
普通の泣き声ではない。
号泣? 慟哭? 咆吼? 雄叫び?

どの形容も生ぬるいほどの泣き声である。
ライオンと象が喧嘩して、仲裁にトラが入って、結局三つどもえで喧嘩をしたような。
あるいは、ヤクザの出入りで弾丸が乱れ飛ぶ中、女子高生が入ってきて機関銃を乱射した感じか(?)。

肝が冷えた。
老父母に何か悪いことが起きたのではないか、と思ったのだが、この電話の主はもし私が「泣くのをやめて冷静に」などと言おうものなら、さらに事態は悪くなる。
ライオンと象、トラの喧嘩に恐竜が入ってくるようなもの、あるいは、ヤクザの出入りに参加した女子高生が機関銃を捨ててバズーカ砲をぶっ放したような悲惨な状況になる。

だから、彼女が泣きやむのを待つしかない。
電話を切るという手もあるが、もし父母の身に何かあった場合は、取り返しがつかない。

想像して欲しい。
この世のものとも思えない「騒音」を5分以上も聞かされるという不幸を。
私は何も悪いことはしていないのだ。
もし私が何かしたのなら謝ればいいのだが、それさえもさせてくれない理不尽さ。

そもそも私は、この電話の主「戸籍上、血縁上の繋がりは姉」となっている人に、なるべく関わらないようにしている。
自分から電話をしたことは数えるほどしかない。
話しかけることもしない。
要するに、接点がないのだ。
だから、私が彼女の怒りをかうことは、地球にエイリアンが侵入する確率より遥かに低い。

私も同じように叫んでやろうか、と思ったが、私の中に残されたごく僅かの理性がそれを押しとどめた。
しかし、これほどの騒音となると、必ず受話器から音は漏れる。
私の仕事部屋で期末試験の勉強をしていた高校一年の息子が、その声を聞きつけて「警察呼んだら」という提案をした。
考えようによっては、これは「電話の暴力」ということで立件できるかもしれない。

しかし、いくら何でも実の姉を警察に売るわけにはいかない。
私は息子に向かって、口に人差し指を当てて、「シー」という仕草をした。
息子は、「いつも大変だねえ」という慰めの言葉を残して、仕事部屋を出ていった。

泣き声は止まない。
時折、大声を出し過ぎて「苦しい」という声を漏らすが、またすぐに泣き出す。
午後9時。
夜の動物園なら、夜行性の動物以外はそろそろ眠りにつく頃ではないだろうか。
しかし、この24時間態勢の動物は、決して眠りにつかない。

今度は、娘が仕事部屋に顔を出した。
白い紙に手書きで「ファイト!」と書いてある。
同情しているようである(茶化しているのか)。

その時である。
「ぐぁああああああ!」という声のあと、「いつも上からものを言ってよぉ!」と叫んで電話が切れた。

うーん?
わけがわからない。
私は彼女に何も言っていないのだから、「上からものを言う」ことはありえない。
すると、これは間違い電話か。
他の誰かの家にかけたつもりが、間違って私にかかってしまったのか?
しかし、友だちのいない彼女に、他に電話をかける相手がいるとも思えない。

では、これは一体なんだったんだ!
といっても、誰もこの説明ができるわけがない。
異常現象は、学者の数だけ様々な考え方がある。

だから、災難、のひとことで片づけるのが一番いいかもしれない。

災いはいつも、突然やってくるものだから。

       □・*・■・*・□・*・■・*・□・*・■・*・□・*・■

しかし、腹が立つ。
こういうときは、私の嫌いな「讀賣新聞」の悪口を言ってみよう。

仕事で調べなければいけないことがあったので、昨日図書館に行って新聞を読んだ。
我が家では新聞を取っていないので、新聞を読みたいときは図書館に行く。
今回は、讀賣と朝日、日経新聞の記事をメモった。

メモを終わって、讀賣新聞の一面を見ると、FAで入団した小笠原と監督の写真がデカデカと載っていた。
静かな図書館ではあるが、思わず「ケッ!」と声に出して言ってしまった。
隣に40才前後の女性がいて、私の顔を盗み見ているが、知った顔ではないので気にしない。

他の新聞の一面は、自民党に復党した「11人のこびと」か、宮崎の談合事件が大きな扱いである。
讀賣も一応トップ記事は、宮崎の談合事件だが、小笠原の写真がデーンと真ん中にあるのだから、誰もがこちらをトップ記事だと思うだろう。
この讀賣新聞の体質の意地汚さは救いようがない。

いつだったか、ヤンキースタジアムのフェンスに大きな文字で「讀賣新聞」と描いてあったのを見たことがある。
私はそれを見て、あまりの醜悪さにもう二度とヤンキースタジアムでのBS中継は見ないと心に誓った。
アメリカの球団の本拠地に、日本語で宣伝をデカデカと載せるこの無神経さと想像力の無さは呆れたのを通り越して、情けなくなる。
今、その広告がヤンキースタジアムにあるかどうかはわからない。
まったく見る気が失せたので、確かめようがない。

この新聞社の品のない体質は、もはや如何ともし難い。
小笠原がどれほどの一流選手だったとしても、すべての記事を差し置いてトップ記事扱いする価値はない。
讀賣はスポーツ新聞ではないのだ。曲がりなりにも全国紙である。それなりの節度が必要だろう。
彼らは、あまりにも長いこと傘下の球団に肩入れしすぎて、「私物化」という言葉の意味を忘れてしまったのかもしれない。
勘ぐれば、自民党の応援団である讀賣が、「11人のこびとの復党問題」を誤魔化すために、わざと小笠原を一面に持ってきたと言えなくもない。

腹が立つが、あまりに露骨なので笑いのネタとしては、使える。
もう一度「ケッ!」と言って、新聞を所定の場所に置いた。

隣の女の人が、今度は盗み見るのではなく、露骨に私の顔を凝視している。
彼女に小さく頭を下げて図書館を出てきたが、もう一度「ケッ!」と言うと、警備の人が椅子から立ち上がるのが見えたので、慌てて自転車に飛び乗って逃げた。




2006/12/06 AM 06:28:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

必殺仕事人のテーマ
私には3歳年上の姉がいる。
姉は未婚。子どもはいない。友人もいない。無職。

姉とは、子どもの頃から、ほとんど会話を交わしたことがない。
どんな話をしても、話が噛み合わないのだ。

どんな話題でも、最後になると話の方向が「姉の妄想」に行き着いてしまうので、話していて虚しくなる。
子ども心に、「姉はおかしい」といつも思っていた。
だから、なるべく関わらないようにしていた。

姉は、頭は普通以上に切れる。優秀な部類に入る。記憶力の良さは比類がない。
しかし、努力をする才能がない。
自分の可能性をすべて閉ざして、妄想の世界に浸るだけの人生を生きている。

今年の5月ごろから、その状態がさらにひどくなった。

ゴールデンウィークに、姉から私宛にCメールが来た。
この4月に携帯電話を新機種にしたのだが、運悪く姉と同じ「au」だった。
姉と同居の母に新しい電話番号を教えたところ、それが姉に伝わってしまい、「恐怖のCメール攻撃」が始まったのである。

姉からのメールは、わかりやすいように「必殺仕事人のテーマ」に乗ってくる。
平均すると、一日5回くらい「必殺仕事人」が鳴る。

内容は、8割方、理解不能。
残りの2割は、病気の母親の病状報告。これは普通に理解できる。
8割のメールは、主語がなく、句読点の全くない文章で、しかも話が前後するから、全体を捉えづらい。
今日のことを言っているのかと思ったら、ひと月前のことを言っていたりすることがある。

概して、他人の悪口が多い。
それも、姉が会ったことのない人の悪口だから、根拠がわからない。
ただ、すべてのメールに共通していることは、「自分は悪くない。自分は世界で一番可哀想な人間である」というところ。

それを、妄想を交えて、時間軸を無視して書くから、話が伝わらない。

同じ内容のメールを立て続けに、6件送ってくることもある。
内容が理解できないから、返事の書きようがない。
絶えず興奮しているようなので、「落ち着いて」とだけ返信する。(返信は20回に1回くらいの割合でしている)

こちらの頭がおかしくなりそうなので、最初「着信拒否」をしようかと思ったが、あとの展開が怖いので、それは止めにした。
夜中の3時、4時でも、平気で「必殺仕事人」が鳴る。
内容は、とても夜中に寄こすようなものではない。

すごい人だと思う。

あまりすごいので、誰かに相談することにした。
本当は、本人を精神科などの医者に診せたいところだが、それは北朝鮮を翻意させるよりも難しいことだ。
異常な怖がりで、異常にプライドの高い姉が、承諾するわけがない。

そこで、精神科医の「メール相談」を利用することにしたのである。

このままでいったら、「俺がノイローゼになる」と思ったからだ。
仕事に支障をきたす。

「メール相談、3往復で5,000円」というシステムのものを利用した。
怪しい感じがしたが、藁をもすがる心境である。

最初は、姉の人物を客観的に描写したものを送った。(正確で細かい描写を心がけたのでかなりの長文になった。全部読んでくれたか心配)

そして、こんな返信が来た。
「もし、薬物中毒でなければ、社会不安障害かもしれません。あるいは、診察行為をしてみたら、統合失調症と診断される可能性もある」(要約)

そんなことは、こちらもインターネットで調べればわかる。予想していたことだ。その病名のことは、メールに書いたはずだ。
そんなことを聞くために、金を払ってるんじゃねえぞ。
素人にわからない精神医学理論と治療方法、対処方法を教えてもらいたいから、メールしてるんだろが!


そこで、支離滅裂な姉のメールを一件添付して、これで判断できないかと聞いてみた。

「文章としては全く意味不明で、判断のしようがない。この心境に至った心理的背景がわからないと、何とも判断できない」(要約)

アホか! 1件目のメールで、ほとんどすべての状況を時間の経過に合わせて説明しているのに、何で判断できないんだ。意味不明なのは、こちらも同じだ。だから専門家の意見を聞いてるんじゃねえか!

いけない! あまり頭に来たものだから、乱暴な言い方になってしまった。

最後に、姉から来た意味不明のメールをさらに5件、添付して聞いてみた。
「そちらは専門家ですから、解読能力を期待しています」という、皮肉の効いた文章を最後に添えた。(こちらもかなり感情的になっていたかも)

「残念ながら、ご本人と直接会話してみなければ、判断できかねます。一度ご足労ですが、ご本人をお連れください」(アッサリ)

唖然、呆然。
語る言葉なし。


本人を連れて行ったところで、自分を美化する能力は天才的だから、本当のことを言うわけないだろう!(姉は高校の時の心理テストで、『行動は極めて積極的、他人への思いやりが強い』と判断されたことがある。あまりにも嘘の答えばかり書くので、母親が学校に呼ばれて説教された。お節介な学校だが、本当のことだ)
だから、私が客観的に、細大漏らさず事実を伝えたというのに!

期待した私が馬鹿だった。

「必殺仕事人」に頼んで、この医者、抹殺してもらおうか。

ほらまた、「必殺仕事人のテーマ」が鳴ったぞ。



2006/07/27 AM 06:26:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

高校野球のJUON
「夏はやっぱり、高校野球だよね!」

「あの清々(すがすが)しさ、純粋さ、ひたむきさを見てると、涙が出るよ」


昨日の夜、最近親しくなった友人と電話で話したとき、彼が言ったことだ。

それを聞いて、ひねくれ者の私はいつも思うのだ。

ひたむきなのは、高校野球だけじゃない。
暑い夏の盛り、陸上部は誰も見ていないところで、野球部の何倍も練習をしていた。
硬式テニス部もそうだった。バスケ部も、剣道部も…。

高校野球だけが、清々しく、ひたむき?
お前らは、ただ大手新聞社の商業主義に踊らされているだけじゃないか。
スポーツの本質を何も知らない。(可哀想な人たち……)

昨年の8月、得意先でこんな雑談があった。

「カスカベキョウエイ、惜しかったね。相手が悪かったかな。これで今年の夏の楽しみがなくなったよ」

は? カスカベキョウエイ? 何じゃそりゃ!
何が惜しいんだ? 夏の楽しみがなくなったということは、「カスカベキョウエイ」というのは、夏に関係しているイベントなのか?(春日部市の競泳大会?)


高校野球に興味がない私にとって、「カスカベキョウエイ」というのは、埼玉県春日部市のイベントとしか思えなかった。
そこで、間抜けにも、こう言ってしまったのだ。

ああ、カスカベキョウエイ? え〜と……、あれはいつからやってたんでしたっけ?

相手は、私が何を言っているのか理解できず、10秒間くらい固まっていた。
「いつからって、昨日、負けたでしょ。○○○○(何て言ったか、覚えていない)に! 見なかったの!」

「負けた」という言葉で、何となく「カスカベキョウエイ」が、高校野球の出場校だと理解できた。
少し考えて、甲子園大会のことを言っていたのだ、と遅ればせながら気付いた。

彼は、日本人ならみんなが高校野球に興味を持っていると決めつけて、いきなり「カスカベキョウエイ」という話題を振ってきたのだ。

高校野球に興味のない私は、この時期、肩身が狭い。
私が知っているのは、PL学園だけだ。しかも、清原の出身高校であるという非常に薄い知識しか持っていない。

このように高校野球に関して、私の知識はゼロに近い。

時に人から憐れみの目で見られる。

「あんな面白いスポーツに興味ないなんて、珍しいね(可哀想に)」

しかし、高校野球に興味はないが、イチャモンはいくらでもつけられる。

炎天下、同じピッチャーに予選から決勝戦まで投げさせるのは、狂気の沙汰。
野球というスポーツは、投手の運動量が、他のポジションより圧倒的に多いのだから、投手こそ休ませるべきなのに、高校野球では投手が酷使(虐待)されている。

一回表ノーアウトで送りバントをさせるのは不可解。
試合の初めから、わざわざ相手にアウトを一つ献上するのはあまりにも消極的だ。策がない。
それに、バントがあまりにも多すぎて、試合の流れが止まるのが嫌だ。

毎日練習している割りに、パワーがない。守備が下手。肩が弱い。足が遅い。とっさの判断ができない。
監督に個性がない。笑顔がない。審判が下手。選手の坊主頭が気持ち悪い。

そして、一番気にくわないのが、あまりにも美化されすぎているところ。

汗と涙の甲子園。
純粋な球児たち。


主催する新聞社の思惑通りに、見事に洗脳されている。
読売新聞社が、販促の一環として「巨人」を利用したのと同じ手口である。
それを朝日新聞(夏の甲子園)と毎日新聞(春の甲子園)が踏襲している。
胡散臭(うさんくさ)い

昔、私が通っていた高校にも野球部があった。
地区予選一回戦でいつも負けていたのに、女子マネが2人もいた。

それに対して、彼らよりはるかに運動神経のいい、イケメン揃いの我が陸上部には女子マネがいなかった。

その恨み、いまだ忘れず!
(私の高校野球嫌いには、こんな高尚な理由があった!)

今年もまた、恨みの夏がやってくる。



2006/07/15 AM 06:33:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

パラレルワールド
以前、このブログで「不思議体験」のことを書いたことがある。(6月1日と2日のブログ)
今考えても説明できない4つの出来事、と書いたのだが、その後4人の方から、ほとんど同じ内容のメールを頂いた。

それは、
あなたは、パラレルワールドを経験した
というものだった。

SFの世界で言う「平行社会」である。
私が、別の歴史を持った世界へ、一時的にトリップしたのではないか、というのだ。

確かに、私たちが暮らす世界とは異なる世界が、存在することはあるかもしれない。
「神隠し」などを、そのように説明している人もいるようだ。
だが、一旦別世界を経験したものが、そう簡単に元の世界に戻ってこられるものだろうか。

私自身は何もしていないのだ。
普通に生活しているだけなのに、何の意識もなく、行ったり戻ったりできるというのは、全然ドラマティックじゃない。

違う世界にいくのだから、稲妻が世界を切り裂いたり、信じられないほどの突風が吹いたりする、というような演出が欲しい。バック・トゥ・ザ・フューチャーか?)

私自身に実感がないのだから、「パラレルワールドを経験した」と言われても信じられない。

話は変わって。

大学3年の時、友だちにトリックを仕掛けたことがある。
彼は小松左京星新一筒井康隆などのSFものが好きで、いつもSFに関して熱っぽく語っていた。

私にパラレルワールドを教えてくれたのも、彼である。
こういう偏った分野に深い知識を持っている男というのは、騙(だま)しやすい。
こういう男を見ると、私はイタズラ心が湧いてくるのを抑えられない。

この時の小道具は、双子(ふたご)。
アルバイト先で、顔はもちろん、背丈も声もそっくりな双子と知り合った関係で浮かんだトリックだった。
この双子、違うのは、坊主頭のてっぺん、やや左寄りにある傷跡くらいなものだろう。
漫画のように、よく似た双子だった。

仕掛け場所は、大学の学食だ。
SFマニアの友人と昼食を摂るというシチュエーション。
私も彼も「かき揚げ丼」を食べた。
その他友人4人も「かき揚げ丼」を我々の周りで食べている。(かき揚げ丼に意味はない。ただ単に安かったから選んだだけだ)
この4人は、彼の注意を逸らす役目を持っていた。

彼の左隣の席と私の右隣の席は、わざと空けておいた。
そこへ双子の片割れ(双子A)が座り、「カレーライス」を食べ始める。
椅子はやや後方に引き、浅く座ってもらった。(双子は、我々とは違う大学だったが、わざわざこの仕掛けのために来てもらった。『うちの大学は可愛い子が沢山いるよ』と言ったら、快諾してくれた)

双子Aがカレーライスを一口食べて、むせる。咳き込む。それによって、彼に双子Aの存在を印象づける狙いだ。
案の定、友人は双子Aの顔をマジマジと見ていた。

次に双子Aは、凄い勢いでカレーライスを平らげた。
あまりに凄い勢いなので、友人は驚いてずっとその様を見ていた。
友人は気付かないが、後ろで双子Bがカレーライスを持って、スタンバイしていた。

そこで、友人4人が彼の気を惹こうと違う方向へ注意を逸らす。
その間に、双子が入れ替わる。
双子Bは、カレーライスを一口食べて、大きく咳き込んだ。

それを彼がまた見る。
今、平らげたはずのカレーライスがまだ山盛り残っているのを見て驚き、私の反応を見るように、こちらに視線を向けた。

私は何ごともなかったように「どうした?」と言って、かき揚げ丼を食べている。
「いや」
彼は、一度首を傾げただけで、自分の丼を掻き込み始めた。

そして、双子Bが、凄い勢いで、カレーライスを平らげる。
友人はその光景を、固まった状態で見ていた。
その時、双子Aがカレーライスを持って、後ろでスタンバイ。

双子Bは私の友人の方を向いて、「すみません。飲み物を買ってくるので、この席とっておいてもらえますか」と言った。
友人は、間抜けな固まった顔で、「はい」と頷く。

そこでまた他の連中が、彼の注意を5秒間くらい逸らし、その間に双子Aが隣に座って、カレーライスを食べ始めた。

彼は気配を感じて横を向き、「あっ、そこは先客が…」と言ったが、双子Aの顔を見て、思わず「ぐぇっ!」
双子Aは、また同じように、カレーライスをガツガツと食べ始める。

すがるように、私の顔を見るが、私は「どうした?」と言って、かき揚げ丼を食い終わり、味噌汁をすすった。(笑いをこらえるのに大変苦労した)

そこへ、飲み物を持った双子Bが来て、私の右隣の席に座る。

双子Bを見て、また彼の口から、「ぐぇっ!」
彼は、まばたきもせず、30秒くらい固まっていた。
そして、双子AとBを交互に見て、顔を机に伏せる。

「やられた〜! クッソー!」
机を叩いて悔しがっていた。

私と他の4人は、拍手とバンザイを繰り返した。
まわりの学生たちは、「?」顔の人や、眉をひそめる人もいたが、若い頃はそんなことは全然お構いなし。(今考えると、馬鹿丸出しですが…)

空気が落ち着いたあとで、「パラレルワールドを経験した感想はどうだね?」
私が得意気にそう言うと、彼は悔しそうに、ひとこと。

「このヒマ人が!」

これは全く単純なトリックなので、パラレルワールドでも何でもないが、ジョークということで、笑って済ませられる(と思う)。

ただ、「パラレルワールドですよ」と言いながら、ほとんど検証のない意見を言われた場合は、「それは、ちょっと」と思わざるを得ない。

だから、メールをくれた人には申し訳ないが、「私の不思議体験が、パラレルワールドだった」というご意見は、まったく信じられない。



2006/06/29 AM 06:30:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

アンビリバボーじゃない偶然
前回、アンビリバボーな不思議体験を書いたら、それを読んだ友人から電話があり、「ひとつ忘れてないか?」と言われた。

いや、あれで全部のはずだが…。

「そんなことないだろ? あれだよ、俺とおまえとの出会いとか、その他諸々のやつだよ、忘れたのかよ」

ああ、そうだな、確かに色々と面白いことはあったが、あれはただの偶然だ。
アンビリバボーじゃない。

「いや、一応書いてくれよ。滅多にないことだからさ。ウケルと思うよ」

別にウケようと思って書いているわけじゃない。
ボケ防止に書いているだけだ。

「だから、ボケ防止のついでに書いてくれよ」

と泣きながら頭を下げるので、書くことにした。

彼、ノナカとは、大学1年の時、同じクラスになって、親友になった。
彼との最初の出会いは、まったくおバカを絵に描いたようなものだった。

私は大学で、第2外国語として「フランス語」を選択していた。
初めてのフランス語の授業を受けるため、講義室に入って待っていると、ヒョロッとしたヘチマ顔の男が隣の席に座った。

横目で見てみると、彼は隣で「フランス語」の教科書を広げて、左脇に辞書を置いていた。
その時、私も同じように教科書の左脇に辞書を置いていたから、「ああ、同じか」と単純な感想を持った。

そして、このヘチマ顔が同じクラスなら、俺が一番先にあだ名を付けてやろう、と思った。
ヘチマ。これで決まりだ、と思って心の中でニヤついているとき、講師が入ってきた。

講師は、黒板にいきなり字を書き始めた。
漢詩らしい、というのはわかった。
そして、講師は、それを本格的な中国語で読み始めた。

この人、中国人か。中国人が「フランス語」を教えるのか。
そう思っていると、講師が思いがけないことを言った。

「中国語は、日本人にとって大変なじみ深いものです。そして、漢字のルーツですから、習得することは決して難しくありません。この一年間、楽しみながら一緒に学びましょう」

中国語!
隣のヘチマと同じタイミングで顔を見合わせた。
真正面で見ると、さらにヘチマに似ている(?)。

「ここ、何号室?」
「842号室だよね」
「そうだよな、間違いないよな」

その会話を聞いていた後ろの女の子が、小さい声で「852」。

階を間違えたのだ。
私とヘチマは、慌てて教室を飛び出した。
教室の表示板を見ると、確かに「852」となっていた。

二人揃って、教室を間違えるなんて、なんておバカなふたり。
これが二人の出会いだった。

ヘチマ、いや、ノナカと私は、性格はあまり似ていない。
彼は、薄っぺらい顔から受ける印象と違って、皮肉屋で、言葉に鋭いトゲを持っていた。
バカな人間が我慢できないタイプだ。おそらく、頭が良すぎるせいだろう。(これって、褒めたことになるのかな、ノナカくん?)

評論家になったら、さぞ舌鋒鋭く攻撃するタイプになったに違いない。
彼は今は、故郷で塾を経営し、街の名士になっている。(褒めといたよ)

しかし、性格は違っても、どこかで繋がっているのではないかと思うほど、彼と私は波長が合う。

大学2年の春、友人3人と京都に旅行したときのことだ。
西本願寺の境内を歩いていると、庭園の池のそばに見覚えのある顔を見つけた。
間抜けなヘチマ顔で、口笛を吹いている男。
ノナカである。

お互い、春に京都を旅するなど、言っていなかったが、偶然にも出くわしてしまったのだ。

さらに、その夏、陸上部の合宿が終わって、友人3人と合宿の疲れを落とそうと「妻籠・馬込宿」に寄った。
そこの「梅の家」という民宿に泊まったのだが、食堂で夕食をとろうとしたとき、入口寄りのテーブルにヘチマがいたのだ。

このときも、お互い「妻籠・馬込宿」に行くとは、ひとことも言っていなかった。

まだまだ偶然がある。
これも大学時代だが、銀座の「ニュートーキョー」で皿洗いのバイトを募集していたとき、面接会場にヘチマ顔があった。
社会人になってから、お互い勤めている会社は全く違う場所なのに、昼間、銀座の旭屋書店の同じコーナーで出くわしたこともある。

そして、極めつけは、これだろう。
25、6歳の頃、私とノナカは、たまに駒沢公園でジョギングをしていた。
駒沢公園のジョギングコースを5周走ったあとで、いつもクーリングダウン(心拍数を緩やかに落とす)のため、サイクリングをした。

駒沢公園のサイクリングロードを、自由自在にペースを変えながら漕いでいたときのことだ。
6周目だったと思う。
坂道のちょっとした勾配。全く同時に、二人の漕ぐ自転車のチェーンが切れたのだ。

「うわぉっと!」
掛け声まで一緒だった。

これは、偶然としてはかなり高度な偶然だろう。
自転車を買った時期が違って、メーカーも違うのに、全く同じ時間にチェーンが切れるなんて、かなりレアな偶然に違いない。

この冬は、お互いの息子が全く同じ時期にインフルエンザに罹ったりもした。

この分でいくと、もしかして、死ぬときも同じ時間かもしれない。

だから、ノナカくんにお願いする。
私を道連れにしないでください。

君の地獄行きに付き合ってはいられない。


2006/06/03 AM 06:35:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

4つのアンビリバボー (その2)
前回の不思議体験の続き。

3つめは、29歳の時のこと。
当時私は、体の衰えを少しでも先延ばしするために、住まいのある私鉄沿線のボクシングジムに通っていた。

当時は今と違って「ボクササイズ」などというものはなくて、私以外の人はすべてが現役ボクサーかプロ志望の練習生だった。
ボクサーというと、今話題の亀田三兄弟のように闘争心丸出しのイメージを持つ人が多いと思う。
しかし、むしろ彼らは例外で、リングの外ではシャイで優しい人が多い。

ジムに練習生が何人いたかは忘れたが、しばらくすると、その中の一人とよく話をするようになった。
彼は18歳のプロ志望の青年で、ジムに来るとき愛犬を連れてきていて、練習が終わるまで、近所の骨董屋に預けていた。

犬は中型の雑種だ。名を「サム」と言う。(本当は「サムライ」と名付けたが、面倒くさいので縮めて呼んでいるらしい)
立派な巻き尾をしていて、雑種といえども凛々しさを感じさせるハンサムな白い犬だった。
私も動物が好きなので、ジムの帰りに、犬の散歩に一緒について行ったりした。

彼の家は、ジムのある駅から2つ目だが、いつも家から愛犬と走りながら来ていた。

事件は、彼と犬の散歩に付き合うようになって、2ヶ月が過ぎたころに起きた。
いつも通りジムに行くと、しょげて憔悴した彼がいて、私にこう言ったのだ。

「サムがいなくなったんです」

前日、多摩川の土手道を一緒に走っていたら、リードが手から離れた。するとサムは、全力で走って行った。名前を呼んでも、一度も振り向くことなく、すぐに彼の視界から消えていった。
だが、そういうことは今までにも度々あって、一時(いっとき)姿が見えなくなっても、走ったり探検するのに飽きたりすると、同じ場所で待っていたという。

だから彼は今回も慌てず、犬との待ち合わせ場所でずっと待っていた。
しかし、3時間待っても、サムは姿を見せなかった。
もしかして、車に轢かれたのかもしれない。
彼はそう思って、周りの道路を探し回り、最寄りの交番に行って聞いてみたが、それらしい事故はなかったという。

家に帰ったのかもしれない、と思い直して、帰って犬小屋を除いたが、サムの姿はそこにもなかった。

リードが着いたままだから、飼い犬だということは分かる。
首輪に「サムライ」の名と「電話番号」が彫ってあるから、親切な人が電話をしてくるかもしれない、そう思って昨晩は一睡もせずに待っていたそうだ。

今日はジムに行くのを止めて、心当たりを探し回ろうと思ったが、ジムの周りも犬の縄張りなので、一縷の望みを託して来てみたという。
彼の落ちくぼんだ目を見ると、私も練習に身が入らず、練習を中断してジムの半径1キロを探索した。しかし、犬は見つからなかった。

そして、それからさらに1ヶ月。
「もう、あきらめましたよ」と彼は言うが、顔には「未練」が貼り付いている。
「電柱に『迷子犬』の張り紙でもしてみたらどうかな」
可哀想になって、提案してみたが、彼は弱々しく首を振る。

「誰かがきっと持っていったんだと思いますよ。そうだとしたら、帰ってくる確率は低いでしょう。もういいです。本当に諦めましたから」

そんなとき、奇跡が起きた。

私が当時住んでいた賃貸マンションは、彼の最寄り駅から7つ目にあった。
途中、多摩川を渡る。
線路際の緩やかな坂の途中に、マンションはあった。
駅から歩いて5分。いい物件である。

ある日の夜の11時過ぎ。
仕事帰りで疲れた私が見たものは、マンションの入口に背筋をピンと伸ばして座る犬。

一目見て、それがサムだということが分かった。
リードは取れているが、首輪は見覚えのあるものだ。
だが、それをわざわざ確かめなくても、私にはわかった。
凛々しい姿、特徴のある巻き尾、そして雰囲気。すべてがサムのものだった。

なぜ、サムがこんなところに…、という疑問より、とにかく嬉しくて、私はサムに抱きついた。
サムも当然のことながら、私を覚えていた。
両方の前足を私の膝の上にのせて、私を見つめている。

「ゴー」と言って、指を指すと、サムは私が指さした方へ30メートルほどダッシュして、すぐに戻ってくる。
反対側へ「ゴー」というと、同じようにダッシュして戻ってくる。
私が教えたことを覚えていたのだ。

それから、彼へ電話をした。
私の話を聞いても、彼は半信半疑だったが、車を飛ばしてすぐにやって来た。

彼の顔を見た途端、サムは飛ぶようにして抱きついた。
さすがに、私に対する態度とは違う。
私の場合は、あくまでも知り合いに対する接し方だった。
しかし、飼い主には、思い切り甘える。

感動の再開のあと、残ったのは、「なぜサムがここに?」という疑問だ。
彼の家からここまでは、10キロ近く離れている。
しかも、1ヶ月以上たった今、なぜサムは私が住んでいるマンションの入口に現れたのか。

多摩川ではぐれたのなら、彼の家の方が近いはずだ。道筋もよく知っている。
何もわざわざこんな遠いところまで来ることはない。
迷ったとしても、なぜ私の住むマンションまで来ることができたのか。

この謎は今も解けない。
彼も考えたが、納得のいく答えは見つからなかったようだ。

犬の能力はすごい。
そんな陳腐な結論しか浮かばないところをみると、人間というのは案外、犬よりも劣っているのかもしれない。

次の不思議体験は6年前。
横浜の得意先に行くために、渋谷から東横線に乗ったときのことだ。

朝は地獄のような混み具合の東横線も、昼間はすいている。
始発なら、急行でも悠々と座れる。

私が座ろうとした、桜木町行きの急行1両目も、思った通りすいていた。
そして、2両目寄りの座席に座って、文庫本を読み始めたとき、私の隣に人が座った。
気配からすると、年配の男の人だ。70歳過ぎだろう。
電車に乗っていて、隣に老人が座るのは、日常では普通のことだ。
だから、その時はほとんど気にも留めなかった。

電車は定刻に走り始め、私は文庫本を読み進んでいた。そして「代官山駅」を通過する寸前、隣から老人の声が聞こえた。
「久しぶりですよ、東横線に乗るのは」

まさか、私に向かって話しかけたとは思わず、私は文庫本を読み続けていた。

「一番最初の結婚の時、菊名に住んでいましたからねえ。横浜で教師をやっていたんですよ」
その話し声に、誰も答えを返さないのを不思議に思って、私は隣を何となく見てみた。

70年配の丸顔の老人が私の顔を見て、微笑んでいた。
顔のシワは深いが、血色が良くて、健康そのものという感じだ。

私の方を見ているということは、私に話しかけたということか。
しかし、本を読んでいる人に向かって話しかけるというのは、あまり常識的な態度とは言えない。
知り合いならわかるが、初めて見かける顔だ。
そもそも、東横線に乗るのは、年に数回しかない。
しかも、老人の知り合いは一人もいない。
私は少し身構えた。

「今の家内は、3番目。つまりバツ2ですな。結婚するたびに相手は若くなる。今の家内は、23歳年下ですよ」

赤みがかった元気な顔は、奥さんが若いからか。
そう納得したが、なぜ私に話しかけたのか? その疑問は解けない。
老人特有の、「話したがり症候群(?)」か。
「嫁が私につらくあたるんですよ…ウウウ(泣)」という、あれか。

しかし、この血色のいい顔には、そんな湿っぽさは微塵もない。
人生を楽しんでいる顔だ。
彼は構わず話し続ける。

「僕の連れ合いになった人は、三人とも島根県出身でしてね。いやあ、島根の女性は日本一ですな」
ここで、なぜか私の心臓は、ドクンと一拍早くなった。
何かの予感がした。それが何かは、その時はわからなかった。

「島根県は地味な県ですから、県庁所在地を知らない人もいますが、僕は県庁所在地の松江というところの出です。失礼ですが、あなたはどちらのご出身?」
「私は東京ですが」と言って、私は次のことばを言うのを少しためらった。
今度は、心臓の鼓動が早くなった。

老人はそんな私の顔を見つめながら、次の私の言葉を待っていた。
このとき、なぜか私はほとんど確信に近いかたちで、この先の成り行きを想像することができた。

老人の目の奥に、祖母の顔が見えたような気がした。

私は老人の目を見通すように、話を続けた。

「私の父母と祖母は、島根県の出雲の出身です」
そして、まるで重大な秘密を打ち明けるように、こう言った。
「私の祖母は、松江で師範学校の教師をしていました」

「ああ」
老人も話の筋が、読めたのだろう。
納得するように、大きくうなずきながら、今までと違ったかすれた声で、私に問いかけた。

「お祖母様は、M先生ですね」
「そうです」


それから、老人が「日吉駅」で降りるまで、私たちはこの不思議な出会いについて語り合った。

「僕は普段、見ず知らずの人に話しかけることはないんですよ。昔は教師をしていましたから、人と話をするのは好きなんだけど、見ず知らずの人に話しかけるほど図々しくはない。若い人に嫌われたくないですからな。しかし、今日はまるで導かれるように、あなたに話しかけてしまった。不思議です。M先生が導いたとしかいいようがない」

老人も私も、この東横線に乗るのは、年に数回しかない。
そんな二人が、同じ日同じ時刻に、隣り合わせで座る確率というのは、どの程度なのだろう。
しかも、ただ隣り合わせになっただけでなく、初対面で自分のことを話す確率というのは、どれくらいなのだろう。
それは、確率という味気なく薄っぺらな統計学の範疇を越えて、違う領域の出来事だったような気がする。

6年たった今も、その老人は元気で、私たちは年賀状と暑中見舞いだけのお付き合いを続けている。

そして、老人は、最初の暑中見舞いでこんなことを書いてきた。

「あなたのお祖母様は、公平な方でした。今で言う『落ちこぼれ』の私を、呆れることなく、見捨てることもなく、他の生徒たちと同じように扱ってくれました。自分でも気付かなかった僕の長所を、M先生は教えてくれた。これが本当の教師というものです。僕も教師をしていたから、よくわかるが、簡単なようで、これが一番できないことなのです」

まったく不思議な体験だった。
私が老人の話に付き合っていなかったら、私たちは永遠に交わることのない関係だった。
押しつけがましい老人のことなど、電車を降りた途端に忘れていたことだろう。

誰かが書いたシナリオをなぞるように、老人と私は出会って、良いひとときを過ごした。
偶然と呼ぶには、重すぎる体験だった、と言えるだろう。

こんな不思議な体験なら、何度してもいいと思うのだが、残念ながら、それ以後の私は「不思議体験能力」が落ちてしまったらしい。

平凡すぎる日常には、アンビリバボーは入り込みにくいのかもしれない。


2006/06/02 AM 06:27:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

4つのアンビリバボー (その1)
前回、霊感のことを書いて、思い出したことがある。
それは、霊感とは全く関係ない出来事だが、今も私の中で説明がつかない4つの不思議な体験だ。

果たして、この程度の体験は、誰にでもあるものなのだろうか?

先ず、中学2年の時の運動会前の出来事から。

私は短距離が得意だったから、運動会では必ずリレーのアンカーを任されていた。
リレーは4人のチームワークで走るものだ。特に、バトンリレーの善し悪しで結果は大きく変わる。
そこで、他の3人から、早朝にバトンリレーの練習をしないか、と持ちかけられた。

しかし、生意気盛りの私は「いや、俺はいいよ」と断った。
当時の私は、すでに100メートルを11秒台で走っていた。
それに比べて、他の3人や、違うクラスのリレーの選手は、早い子でも12秒代後半がほとんど。傲慢な言い方だが、「力の差がありすぎる」状態だった。
だから、練習など必要ないと思ったのだ。(嫌なやつでした)

クラスの友だちは、運動会の前々日まで、早朝7時から8時まで練習をしていた。
そして、ここからが不思議体験。

運動会の前々日、つまり、早朝練習の最終日。
私がいつも通りの時間(授業開始5分前)に教室に入っていくと、リレーの仲間が寄ってきてこう言った。
「マツ、ご苦労さん。最終日になってやっと来てくれたな」
(?)
「校庭の隅を全速力で駆けているおまえを見て、嬉しくなったよ。バトンリレーの練習は出来なかったけど、あれだけ走れたら、勝ったも同然だな」
「え、なに言ってんだおまえ! 俺は朝練なんかしてねえぞ」
「またまた、なに照れてんだよ。この学校で、あんなに早く走れるやつは、おまえしかいないんだから」

この時、まず最初に頭に浮かんだのが、(こいつら、俺をからかってるんだ)ということ。
一度も早朝練習に付き合わなかったから、ちょっとお仕置きをしてやろうという魂胆か。

そこで、変わり身の早い私は、すぐその「からかい」に乗って、こう言った。
「ああ、そうそう、確かに走ったよ。朝走るのは気持ちいいね。もう優勝間違いなしだよ」

こう言えば、からかっている方は、意表をつかれて「冗談冗談」と言ってくると思ったのだが、案に相違して、彼らは真面目に「あの走りだったら、絶対負けねぇ」とうなずき合ったのだった。

しかし、朝7時といえば、私はまだ寝ていたのだから、どう考えても校庭の隅を走れるわけがない。
こいつら絶対、俺をからかっている!

そんな釈然としない思いを抱きながら、私はその日の授業を受けた。
そして、給食を食べたあとの昼休み、私はいつも通り、廊下の隅にあるテーブルに座って、中学1年の後輩たちと話をしていた。

今でもそうだが、なぜか私は、後輩(年下の男)にウケがいい。
最初は、教室に後輩たちが押し掛けてきたのだが、だんだん人数が多くなってきたので、廊下の隅に移動して、そこで相手をすることにしたのだ。

その会話の中で、最近転校してきたばかりの後輩の言った言葉が、私の背筋を寒くさせた。

「マツさん、今日の朝練、すごかったですね。僕らのクラスも朝練してたんですが、みんなマツさんのあまりの速さに、ビックリしてましたよ」

嘘だろ。
重ねて言うが、俺は、早朝練習なんかしていない。
こいつ、もしかして、うちのクラスの奴らと示し合わせて、俺をからかってるんじゃあるまいな。


しかし、彼は転校しておよそ1ヶ月くらい。おそらく、うちのクラスの連中は、彼の存在さえ知らないはずだ。
住んでいる地域も、学年もクラブも違うのだから。

私の両腕には、かすかに鳥肌が立っていた。
だが、精一杯の明るい声を出して、こう言った。
「ああ、なんだ、見ていたのか。見ていたなら、話しかけてくれればいいのに。おまえらしくないじゃないか」

「はい、でも、何となく、いつものマツさんと違って、声をかけるのが怖い雰囲気で、できませんでした」

これはいったい何なんだ。
当時私が通っていた中学には、私より早く走れる生徒はいなかった。そして、教師にもいなかった。

走っていたのは、一体誰だ!

家に帰ってから、私は祖母に聞いてみた。
「おれ、今朝の7時に何してた?」
「寝てたわよ。寝ながら大きなオナラをしてたよ」

祖母の言っていることは、絶対に間違いない。
祖母が冗談を言うわけがない。
では、彼らが見たものとはいったい……?

次は、大学2年の時の不思議体験。

祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。
この時は一人旅だった。

墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。
「日御碕」には、東洋一高い灯台がある。
そして、海猫の繁殖地としても、知られている。
中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがある。

海猫の声と、潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。

以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。

かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。
「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。
そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。

昼食を摂ってから電車に乗ったから、時刻はおそらく1時15分過ぎくらいだったと思う。
普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない。
乗り継ぎの時間も5分とかからなかったはずだ。

途中、電車が停まった記憶もない。
車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて、「出雲大社駅」に着いた。

かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。
これが「旅情」というものなのだろう。
肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。

そして、ここから先は、「日御碕」までバス。
駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。
乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。

見ると、1時50分の「日御碕」行きのバスがある。これに乗れそうだ。
そこで、自分の腕時計を見てみた。

2時25分。

えっ! 2時25分?
時計が狂ったか?

1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。
私の感覚では、1時45分から50分くらいだ。

そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。
「2時25分だね」

嘘だ。
「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。
「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。
途中、電車は停まらなかったし、乗り換えもスムーズにいった。
ここまで30分もかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。

もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。
「2時25分過ぎかな」

これは、どういうことだ。
時間の落差。
この空白の30分は、いったい…!

駅に戻って、駅員に聞いてみた。
「電車、遅れてましたか」

まったく正常運転だったそうだ。

これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。

誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。

しかし、私は、朝、寝屁ェはするが、昼、寝ぼけたことはない。



2006/06/01 AM 06:28:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

霊感の強い人たち
「ボク、霊感が強いんですよ」

昨日、得意先で仕事を受け取った後、担当者との世間話の中で、彼はそんなことを言った。

彼は大変礼儀正しい男で、顔が四角いせいか、融通の利かない堅物というイメージがある。
だから、「霊感」という不条理なイメージと、彼のイメージが重なり合わないので、何と答えていいのか戸惑ってしまった。

そんな私を見ながら、彼は「見てください」と立ち上がって、私に窓際に来るように促した。
彼の会社は9階建てのビルの5階にある。
そして、通りを隔てて、向かい側に4階建ての古びたマンションがある。築30年以上の、灰色の壁のシミがかなり目立つ、老朽化した建物だ。

彼はそこの4階左端あたりの窓を指さした。
「あの部屋は、いま無人なんですが、霊が沢山いるんです。この2年間で4回引っ越しがありましたが、長い人でも4ヶ月でまた引っ越してしまうんです。早い人は2週間以内で、引っ越していきました。おそらく『霊』が、そうさせるのだと思います。Mさんには、見えませんか?」
いかつい顔で、無表情に言ったのだが、「霊」の見えない私には釈然としないものがある。

自分に霊感がないから、そのての話は、どうしても作り話めいて聞こえてしまうのだ。
ヨメのパート先の社長は、「馬の霊がウジャウジャいる」とか「朝、出がけに忍者の霊を見た」などと言うことがあるらしい。

こんなものは、笑い話としても、ちっとも面白くない。
忍者の霊って何だ!

ここで、大人気ない反論をひとつ。

私たちが「忍者」というときには、時代劇やコミックの中の忍者を思い浮かべる。(NIN-NIN!)
しかし、昔の本当の忍者というのは、そんなにわかりやすいものではないだろう。
「私は忍者です」という格好をしている「忍者」なんているわけない。
本当の忍者は、時代劇などで見る「忍者着」など着ていなかったはずだ。人混みに紛れやすい格好をしていなければ、忍者は務まらない。

では、社長はなぜ、その霊が「忍者」だということが分かったのか。
霊が「俺は忍者だ」と告げたのか。

ここまで考えて、あまりに大人気ないので、思考は停止。

こういう話は、「笑い話だよ」と言われれば、つまらなくても、とりあえず納得できる。
しかし、本気で言われると、鼻白む。

今回も、「あそこに霊が沢山見えます」と言われて、心の中でため息をついた。
こういうのは、「言ったもん勝ち」だ。
こちらには全く見えないのだから、「見える」という人間に勝てるわけがない。

喧嘩で必殺の右フックを食らったようなものだろう。
「見えないよ、そんなもの。バカじゃないの!」
と小さいジャブを放っても、信じている人間には、蚊が刺したほどにも、応えない。

「見えないんですか。しょうがないですね、霊感のない人は…」という、優越感と諦めが混ざったような視線で見られるだけだ。

ただ、今回は、少し無駄な抵抗をしてみた。
「なぜ、あそこにだけ霊が沢山いるんですか? その下の階にはいないんですか?」
4階のその部屋にだけ住み着く事情があるなら、聞いてみたい。殺人事件でもあったのか?

「事件は何もありません。霊が、ただそこを好きになっただけです。居心地がよかったからでしょう」

どういう場所が、霊にとって、居心地がいい場所なのだろう。

「人がそれぞれ、居心地のいい場所が違うように、霊の場合も居心地のいい場所は、それぞれ違うのです」

それは、霊に聞いて確かめたわけ?

「いや、感覚でわかるのです。会話は出来ません。生きている人間と霊とでは、音の波長が違いますから、お互いの声を聞くことはできません。ただ、あそこにいる霊は、大変気持ちよさそうに見えます」

私は、ここまで聞いて、急に興味がなくなったので、「その霊感を良いことに生かしてください」と、適当なことを言って、逃げてきた。

この話を、「俺は霊感が強い」と日頃から威張っている友人に、電話で話したら、「それは俺の霊感とは違うな」と言われた。

「俺は『霊』を感じるだけだから、その『霊』が遠いと見ることが出来ない。だから、自分の感じる範囲の近さでしか、『霊』を感じない。しかも、俺の目には『霊』の姿は、はっきりと映らない。いつもぼやけている。強いて言うなら、俺に見える『霊』は、『気配』と言った方がいいかもしれない」

こういう話を大真面目にされると、性格の悪い私は茶化したくなる。

「おい、そう言えば、さっきから、この電話に怪しいノイズが入るんだけど、これはもしかして『霊』の仕業か!」

「ああ、おまえも感じたか。俺も最初から感じていたんだ。なんだ、おまえも結構『霊感』あるじゃないか」

話のオチとしては、「それはただのノイズだろ!」というのを期待していたのだが、予想外の展開に、慌てて電話を切った。

怖くなって、電話を切ったわけではない。
「電話線にどうやって、『霊』が入り込めるんだ! 説明して見ろ!」と怒鳴りたくなったからだ。

ただ、この場合、相手の言うことは大体想像がつく。

決まってるだろ、電話線の中が居心地がいいからだよ。



2006/05/30 AM 06:25:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

真夜中の怖〜い出来事
パッケージデザインを2種類作成した昨夜の出来事。

プリンタの最大許容範囲の厚紙を使ってプリントしようとしましたが、ローラーの摩耗のせいでしょうか、紙詰まりを起こしてしまいました。

何度やっても手差しの入口部分で紙が止まってしまい、最後は中で紙がジャム状態に。
裏蓋を開けて内部の紙を取り除きましたが、「カミヲトリノゾイテクダサイ」のエラーマークが消えず、プリント不能になってしまいました。

時間があれば分解して取り除くのですが、クライアントに見せる時間まで約9時間しかありません。時間が惜しい。
そこで、近所の印刷屋さんのプリンタを借りることにしました。(会社の鍵は常時借りた状態なのでフリーパスで使えます)

真夜中の1時。防寒を万全にして、自転車で印刷屋さんに向かいます。
霊感の強い人に言わせると「霊がウジャウジャいる」というお寺の前を全速力で駆け抜け、3分ほどで印刷屋さんに着きました。

無人だし、機械も動いていないので、ひどく寒い!
すかさずエアコンを全開にします。
プリンタが暖まるまで約10分、冷蔵庫にあった缶コーヒーをゆっくりと飲みながら、池宮彰一郎の「島津奔る 上巻」を読みながら待ちました。

プリンタが正常ならプリントは簡単。
2種類のパッケージを3部ずつプリントするのに、5分もかかりませんでした。
1つはクライアントに、そして1つは保存用、もう1つは組み立てをミスしたときのための予備。

印刷屋さんのライトテーブルの上で、パッケージを組み立てているとき……。
電話が鳴りました。
時計を見ると、1時35分。
こんな時間の電話は「間違い電話」か「いたずら電話」に決まってる。だから無視!
それに、ひとの会社の電話を勝手に取るわけにはいかない。

しかし、電話はほぼ1分おきに3回鳴りました。
いくら何でもしつこい。
そこで、4回目は受話器を取りました。
「はい、目黒警察署!」(市外局番048で目黒警察はおかしいが、目黒警察署の近所で育ったので咄嗟に出てしまった)
その効果は絶大。
それから、電話はかかってきません。

そして、組み立てにミスがないかを確かめて、出来上がりを紙袋に放り込み、すべての機械を「指さし点呼」しながら消しました。
時刻は2時過ぎ。

鍵をかけて印刷屋さんの前に置いた自転車に乗ろうとしたところ、「ワッ!ビックリした!」という声。
見ると、背の低い黒のジャージ姿のおじさんが、まん丸い目をして立っていました。
「こんなに遅くまで仕事?」
聞かれましたが、この寒空、こんな真夜中にジャージ姿でいるオッサンはどう見ても怪しいと思ったので、無視して自転車を走らせました。

「なんだ、アイツ!」と罵られましたが、知ったこっちゃない!

「霊がウジャウジャいる寺」の前を全速で通り抜けたときです。
横にパトカーが止まって、「ちょっと止まって!」と言われました。

やましいことは全くないが、この時間帯に制服警官を見ると、少しビビリます。
しかし、パトカーを降りてきた警官の顔を見ると、二人とも明らかに私より10歳以上若そうので、何となく余裕ができました。
「その紙袋は何ですか?」
まったく威圧的でない態度なので、さらにホッとしました。
「仕事帰りです」といって、紙袋を差し出すと、「なんだ、これ」と言われたので、簡単に説明しました。
「へえ〜、色々な仕事があるんですね」と警官二人顔を見合わせています。

「あのォ、オレそんなに怪しく見えました?」
「そりゃ、紙袋持ってあんなに全速で走ってたら怪しいですよ。しかもこんな真夜中に(下着泥棒だとでも思ったか?)」
確かにそうだ。私が警官でも絶対問いつめるだろう。

身元を確認する物を見せて、無罪放免。
2時20分過ぎに、家に帰りました。

身体が冷えたので、焼酎のお湯割りを飲んで、3時過ぎに寝室へ。

さあ、寝ようと思ったら、隣で寝ている娘が「プリンター、直った?」と聞いてきました。
ん? この子は11時前に寝たのだから、プリンタが壊れたことは知らないはず…。
そこで、顔をよく見てみると、目を閉じています。
つまり、寝言! しかし、なんとタイムリーな寝言でしょう。

よく寝言を言う子ですが、こんなにタイムリーだとちょっと怖い。

「フレンチトースト……食べるゥ……zzz」
朝食のリクエストまで寝言でするとは、さらに怖い。



2006/02/17 AM 06:29:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 最終話
私が家に入ったとき、姉は2本目のワインを飲んでいるところだったが、私の顔を見ると、慌てて自分の部屋にこもった。
私が何を言っても、姉は無言。
私は約1時間ドアの前にいたが、もちろん「説得」はしない。無駄だからだ。
私は、年老いた病気がちの親が悲しんでいる、泣き喚いている声はおそらく外にも聞こえているのではないか、ワインは一番アルコール中毒になりやすいなど、物言わぬ姉に、客観的な事実を述べただけで帰った。

家に帰ってすぐ、姉から電話があった。
「あんたは、子どもの頃から成績が良くて、運動会でも目立って、まわりから愛されて、そんなあんたに、あたしの気持ちなんか分からないわよ。このジコチュー野郎!」
姉はそれだけ言うと、電話を切った。

妙な話だが、それを聞いて私は少し嬉しかった。
姉の言っていることが、まともだったからだ。
姉が、私に思った通りのことを思ったまま言うのは、おそらく何十年か振りだろう。
姉はまともだ。私は確信した。

ただ、姉は自分の感情(怖いものを避けることに全神経を傾けること)にしか興味がないから、自分の弟がどれだけ努力したかをまったく見ていない。
努力という概念を理解できない姉の中で、「うらやましい」という感情だけが増幅する。

そして、自分がどれほど愛されているかを感じ取る能力が、姉にはない。
さらに、これが一番姉にとって不幸なことだが、「愛情を持った説得」を受け入れる能力が、その脳細胞のどこにもない。

忠告や褒め言葉は、姉にとって「言葉の暴力」でしかない。

「怖さ」が、脳細胞を埋め尽くす。

話を元に戻す。
姉の心には、14歳年下の彼への心配が渦巻いていた。
姉はきっとこう思っているはずだ。
「こんな素敵な彼が、ずっと私と付き合ってくれるはずがない。いつかきっと捨てられる」

この心配は、極めて普通の心配だ。思考方法も正常と言っていい。
そして、この「騒動」が続いているときは、逆に考えればまだ安心だと言える。
屈折した形だが、自分の中でその心配を拒否しようという力が働いているからだ。
しかし、その心配が、真実は別として、姉にとって「誤った確信」に変わったときが怖い。

もし、「彼は絶対私から離れていく」という考えが、姉の中で確信に変わったとき、それがたとえ本当でなくても(彼に姉と別れる意志がなくても)、姉のその「誤った確信」を誰も覆すことはできないからだ。

つまり、「彼は私と別れたがっている」と、姉が一度思いこんだら、もう誰も説得はできない、ということだ。たとえ彼が何度否定しても、姉が変わることはない。
愛なんて、姉の前では無力だ。

私は、それをずっと心配していた。

それが現実のことになったのは、昨年の12月半ばだ。
母からの電話でそれを知った。
「妄想で問いつめられるのは我慢できない、もう疲れたから、別れてください」
姉は彼からそう言われたらしい。

「ワイン飲んで、泣いてるの?」
私がそう聞くと、「泣いているけど、ワインは飲んでいない」と、母の答え。
そして、「食事もまともにしないのよ」と言う。
「死んだりしないわよね」
声を潜めて、母が言う。

「ぜったい、しないよ」
これは断言できる。
すべてが怖い姉が、この世の中で一番怖いのは、(この世の中で一番大事な)自分が傷つくことだ。
だから、姉は絶対に自殺はしない。
これほど確かなことはない。
姉はすぐ立ち直って、また彼女の日常を取り戻すだろう。

そして今、姉は私が考えたごとく、彼女の日常を取り戻している。

しかし、私が怖いのは、先のことだ。
両親がいなくなったとき。
そのとき……。

両親が死んだ後、この異常な怖がりの姉は一体どうなってしまうのか。
怖くて、親の死からも目をそむけ続けるのか。逃げ続けるのか。
そして、ひとりきりで怖がり続けるのか。
正気のまま、「怖さ」を生涯の友として、こもり続ける覚悟なのか。

このことの予測だけは、私にもできない。

それが一番、「怖い」



2006/01/22 AM 06:38:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 第五話
そんな姉には、14歳年下の彼氏がいた。
一大決心をして、パートタイムで働きだしたときに、知り合ったという。
パートはすぐクビになったが、姉にとっては短い間ではあったが、生涯の一大イベントだったろう。そして、彼氏もできるというおまけが付いた。
携帯を持ち、メールができるようになった。
外に出れば、それなりにいいこともある。普通は、そう考えるが、姉にとっては、苦痛以外の何ものでもなかったらしい。
酒量が増える、という「おまけ」も付いた。

私は、彼氏に会ったことはないが、電話で話をしたことはある。写真も見たことがある。
母が見せてくれて、そのとき携帯電話の番号も教えてもらった。
姉にとって自慢の彼氏なので、皆に知ってもらいたかったのだろう。

写真を見ると、清潔感のある整った顔立ちの男で、電話で話をしても、少し頼りなさ気だが、言うことはしっかりしていて好感が持てた。
付き合いは四年くらいか。

彼氏との付き合いが順調にいっていた昨年の3月、「姉がおかしくなった」と母から電話があった。

聞くと、突然泣き喚いたり、霊が見えるとか言って父母を困らせているらしい。
もっと詳しく聞くと、ワインを飲んだ後に必ずそんな状態になるらしい。

少し考えて、それは演技だよ、と私は答えた。
姉が「本当におかしくなること」は、絶対にない。
これは断言できる。
異常な怖がりで、傷つくことを極端に恐れる姉の性格が、自ら壊れることは絶対にありえない。

姉は、今まで人を傷つけることを言ったり、したりしたことは、私の知る限り一度もない。
怖いからだ。人に嫌われるのが怖いからだし、人が怖い。
だから、人を傷つけることができない。
ひとを傷つけたり、自分を傷つけるような状態になったとき、彼女は親にそれをぶつける。
ただ、暴力はふるえない。それも怖いからだ。
ではどうするのか。自分の気持ちを親に知ってもらいたいために、謎をかけるのだ。

泣き喚くのは、いつものこと。これは何十年も続いた、姉の声なき訴えだ。
それだけでは伝わらないと思ったとき、普通の人なら言葉で自分の感情を表現するのだが、姉にとっては、それが伝わらなかったときが、また怖い。
そこで、「霊が見える」という「謎かけ」になる。

14歳年下の彼氏のことが、心配で心配で仕方がない。
それを言葉で表現できなくて、屈折した表現で訴えている。
私は母にそう話した。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「自分で恥ずかしくなったら、やめるさ。話を聞くだけ聞いて、そばにいるだけでいい」

そして、そんな私の予想は当たった。
「ワインを飲んで、泣き喚いて霊が見える騒動」は毎日続いたが、いつも突然静かになって、突然寝てしまうらしい。ワインを飲まなければ、泣き喚くことはないという。

「霊が見える騒動」の後は「過呼吸で入院騒動」、「熊が憑く騒動」、「ガムしか食べない騒動」などが続いた。
さすがに、「熊が憑く騒動」は異常なので、川崎の実家に様子を見に行った。


2006/01/21 AM 06:27:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 第四話
姉は、それから「家事手伝い」という名目で、家にいるようになった。
しかし、家事はほとんどしない。
包丁が怖いので、料理はできないし、大きい音が怖いので、掃除機も滅多にかけることはない。洗濯だけは危なくないので、これだけは毎日した。
これは、一種の「引きこもり」と言っていいかもしれない。
家から出ないというわけではないが、姉は外界の「怖いもの」からは、確実に引きこもっていた。

父母は、姉に対して色々なアクションを起こした。
旅行に行く、通信教育で絵の勉強(姉の絵の感性は鋭い)、通信教育でシナリオの書き方を習う(姉には文才がある、父が文筆家だから、彼女はその才能を受け継いでいる)、近所の奥さんに裁縫を習う(姉は手先が器用だ)。
この中で、旅行に行くことだけは、拒絶はしない。ひとりで行くのは怖いが、家族となら安心だからだ。
しかし、その他のことは、すべて拒絶。

私は絵が下手、文章も下手、不器用だから、やるだけ無駄!

いったい、これ以上誰が彼女を説得できる!?
どんな手をさしのべれば、彼女はその引っ込めた手を出してくれるのか?

精神科の医者? カウンセラー?
では、どういう方法で、そこに連れて行けばいいのか。首に縄を付けて? 殴りつけて?
それはまったく現実的ではない。
姉は頭がいい、そしてプライドが高い。
姉は、自分を傷つけた出来事、あるいはその人間のことを、いつまでも克明に覚えている。
たとえ、ひとが善意でしたことでも、「自分が少しでも傷ついた」なら、それは姉にとって善意ではない。
そして、そのことを姉は、いつまでも忘れない。
そして、こう言うのだ。
「あたしは、ぜったい悪くない!」

そう、姉は何も悪いことはしていない。本当に、何もしようとしないのだから。
そして、悲しいくらい正常だから、そんなところへは断じて行かない。

こんな姉のことを、私は結婚する前、妻にどう説明すればいいか悩んだ。
悩んだ結果、結局何も言わないことにした。
説明してもわかってもらえないと思ったからだ。
姉の日常を壊そうとしなければ、姉の本当の姿は見えてこない。なぜなら、日常生活の中で、姉は限りなく正常に見えるからだ。

怖くて包丁やハサミを持てない人のことを、ひとは異常とは言わない。
推理小説を結末から読む人のことを、ひとは異常とは見ない。
連続ドラマをビデオ録画しておいて、最終回を見てから一回目を見る人を、ひとは異常とは思わない。
朝起きてすぐシャンプーして、昼食後にシャンプーして、夕食後にシャンプーして、寝る前に風呂でシャンプーする人を、ひとは異常とは感じない。
ただ笑い話だと思うだけだ。

そして、姉が妻と接しなければ、姉の本性はいつまでも見えることはない。
20年近い生活の中で、妻と姉が接触を持ったのは、おそらく10数回。
親密な会話を交わしたことは、一度もない。
だから、妻には姉の「怖さ」が、いまだにわからない。
私の言うことを冗談だと思っているフシがある。

「姉は絶対に誰の説得も聞かないんだ」
私の嘆きに対して、妻はこう言う。
― それって、説得の仕方が悪いんじゃない?
― お義姉さん、見た目は普通よ。あまりしゃべらない方だけど。
― 誰にも迷惑かけなけりゃ、いいんじゃない。
そう、誰にも迷惑はかけていない。何もしないのだから、迷惑のかけようがない。

ただ、私は悔しいのだ。
この世に生を受けて、何も残そうとしない人間を身近に見ている父母の悲しさ、無力感を伝えられないことが。

「笑い話ならどんなに幸せか」
母はいつも切実にそう言う。
その切実さがわかるのは、他には父と私だけだ。


2006/01/20 AM 06:24:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 第三話
ただ、私はそんな光景を見ていて、ひとり思ったことがある。
姉は、無類の怖がりだ。
虫が怖い、暗闇が怖い、高いところが怖い、大きな音が怖い、怪我が怖い。
姉が友だちと遊んでいて、怪我をしたところを一度も見たことがない。
危ない遊びになると、いつもその輪から離れて、見る側にまわっていた。
姉が、体を使う遊びをしているところを見たことがない。
そして、小さなおできができただけで、大騒ぎをする。
それもすべて、怪我や病気が怖いからだ。自分が傷つくのが病的なほど、怖い。

そしておそらく、姉はこの世のものすべてが、「怖い」。
変わったことを何もしなければ、怖さは感じない。
毎日自分ができることだけをしていれば、結果は予測できるから、怖くはない。
何も変わらない日常だから、安心だ。

私が、祖母にそのことを言うと、祖母は私の頭に手を乗せて小さくなでながら、「スゴイね、私も気付かなかったことがわかるなんて、えらいね」と、ほめてくれた。

高校の入学試験の当日、姉は突然泣き出した。
「行きたくない!」
祖母、父母、担任の先生が、またも説得する。
しかし、この時はもうみんなが知っていた。

この子に何を言っても、絶対に入学試験には行かないだろう。

結局姉は、入学試験のない高校に入った。
この時、今さらながら全員が姉に対して無力感を持った。

大きくて動かない岩がある。
クレーンなら動くかもしれない。
そこで、クレーンでつり上げようとした。しかし、彼らはそこで信じられないものを見る。なんと、その岩自身がワイヤーを切ってしまったのだ。
岩は動くことを拒絶し続けている。

祖母が死んだとき、姉は火葬場に行かなかった。
死に顔も見なかった。
ただ、部屋にこもって泣くだけだ。
「おばあちゃんにお別れをしましょう」
母がそう言っても姉は泣きつづけ、通夜、葬式の間中、こもり続けた。

私は逆に、祖母の死に顔をこの目に焼き付けた。
絶対忘れまい、と思った。
その顔は30年以上たった今も、はっきりと覚えている。

姉は、祖母が骨になって戻ってきたとき、やっとのことで仏壇に手を合わせたが、ずっと下を向いたままだった。骨壺も遺影も見ない。

親類の人たちは、姉のその姿を見て「悲しくて仕方ないのね、可哀想に」と泣きながら同情した。
確かに、祖母の死は悲しいに決まっている。

しかし、姉は怖いのだ。
ひとが死ぬということは、日常ではない。
それは、大変特殊なことで、その特殊なことが、姉にとってはこれ以上ないほど怖い。
ただ、怖い、怖い。

就職試験の当日、姉は泣き出した。
そして、就職試験には行かなかった。
まわりの説得は、ただ形式だけのものに変わっていた。

そこで、姉は父の知人が経営するビル会社に就職することになった。もちろん無試験で。
しかし、姉は一年足らずでそこを辞めたいと言い出した。
父は大変怒ったが、その怒りは空回りするだけ。
怒っている最中に、父もそのことに気付いたのだろう。
急にしらけた顔になって、そして泣き出した。
父の涙を見たのは、後にも先にもその一度だけだ。


2006/01/20 AM 06:26:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 第二話
そして、祖母が評価した「姉の性格」。
そのことも、私の頭に強烈に刻み込まれた。

確かに、姉はひとの言うことを聞かない。
これは今に至るまで、見事なほど変わっていない。

姉が、「こうだ」と決めつけたら、そのことを覆(くつがえ)すことは、誰にもできない。
父母、教師、恋人、友人、そして私。
誰の言葉も、彼女の心を揺さぶることはできない。理屈も感情も、その他すべてのものが、無惨にも跳ね返されてしまうのだ。

姉は、頭がいい。
何百人の教師の卵を教えてきた、熟練の教師であった祖母がそう言うのだ。それは間違いがない。
私も、姉は大変優秀な頭脳の持ち主だと思う。
父母もそう思っている。
しかし、ただひとり本人だけが、そう思っていないのだ。

「私は頭が悪い、だって学校の成績、良くないもん!」

それはそうだろう。姉の教科書はいつもきれいなまま。書き込みも、折り目も付いておらず、ほとんど新品同様。
彼女の同級生に聞くと、「Hちゃんは、授業中、ノートに落書きばかりしている」と言う。
つまり、授業中はほとんど先生の話を聞いていないのだ。
家に帰っても勉強はしない。絵ばかり描いている。
しかし、授業に全く集中していないのに、成績は普通なのだ。
落ちこぼれではない。

授業をまともに聞いていれば、どれだけ良い成績が取れたことか。
そのことに、本人は気付かない。
ただ、普通の点数が並んだ「通知票」を見て、「私は頭が悪い」と決めつけている。

そんな姉に、祖母も父母も、担任の先生もこう言う。
「Hちゃんは、頭いいのよ。授業を聞いていなくて、ちゃんとわかるんだから。もっと勉強すれば、一番になれるんだよ」
普通なら、そう言われれば、その気になる。
ああ、私はやればできるんだ。じゃあ、やってみよう!
それが、まともな受け止め方だろう。

ところが、姉は違う。
「成績が良くないんだから、頭が悪いに決まっている!」

重ねて言う。
成績は確かに良くはない。だが、悪くもないのだ。
授業をまともに聞かず、勉強もしていないのに、だ。

まわりは、ほめ続ける。
あらゆる言葉を使って、姉をその気にさせようとして、ほめる、ほめる。
しかし、彼女の心は動かない。
「私は頭が悪い」
まるでその思いを変えたら、自分が自分でなくなるかのような頑固さで、周囲の説得を拒絶する。

みんなが、 姉が毎日描いている絵をほめる。
「これだけ、いい絵を描く子は、他にいない」
「色づかいがいい」
「天才的だ」

それに対して、姉は「だって、賞取ったことないもん! だから、私は下手!」と言いきる。

確かに、賞を取るタイプの、一般受けのする絵ではない。
ただし、その独特の感性や表現力は、小学生とは思えないほどの「濃密さ」がある。
33才で早逝した、祖母の夫(つまり私の祖父)は、天才的な日本画家だった。
祖母は、姉の感性は、祖父に似ていると言って喜んでいた。
祖父の天才の血は、間違いなく、姉にそのすべてが受け継がれている。(残念ながら私には一滴も受け継がれてはいない)
専門家に習えば、その能力はさらに磨き上げられるに違いない。
皆がそう思った。

「絵を習いましょう。あなたには絵の才能がある」
祖母、父母、担任の先生が、またも説得する。
しかし、またも姉はこう言うばかり。
「私は下手!何の賞も取ったことないもん!」

神様も仏様も、彼女を説得することはできない。

2006/01/19 AM 06:27:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

怖い話 第一話
3歳年上の姉がいる。
この姉とは、子どもの頃から、あまり話をしたことがない。
姉に何かを教えてもらったことはないし、世話を焼いてもらったことも記憶にない。
世間の姉弟が、どのような関わり方をしているかわからないが、私には話をしないことが不自然だとは思えない歴然たる理由がある。

その話をしようと思う。

ただ、話をしないからといって嫌っているかと言えば、そうではない。少なくとも私は姉を嫌ってはいない。
一番適切な表現を敢えて探せば、「姉には関心がない」というのが一番当たっているかもしれない。

冷淡、といえば冷淡かもしれない。
それは、あまりに存在が生々しすぎて、そういう風に見ないと、こちらの神経がすり切れてしまうからだ。
冷淡に見ておけば、神経が波立つことはない。関心を持つと、私の心が壊れる。

唐突だが、私には世界で一番尊敬する、祖母がいた。
もう30年以上前に亡くなったが、いまだにその尊敬の念は消えない。
グランドマザーコンプレックスの一種か、と自己診断している。

そんな祖母が、私が小学校に入学する前の日に、私にこう言った。
「お前は頭が悪いから、よくひとの話を聞く訓練をしなさい。ひとの話を真面目に聞いていれば、必ずわかるようになるから」

自分のことを、「頭が悪い」と思ったことはなかったが、子供心に「俺はすごく不器用だ」とは思っていた。
そして、祖母が言うんだから、私は「頭も悪いんだ」ということも、改めて頭に刻み込んだ。

「じゃあ、ネェちゃんは?」
と祖母に聞くと、祖母はこう言った。
「H(姉)は、お前よりはるかに頭がいい。でも、あの子は、ダメ。Hは、誰の言うことも聞かない。たとえ神様でも、仏様でも、あの子をセットクすることはできない」

「セットク」という言葉がどういう意味か、その時はわからなかったが、あとで「説得」と書くのを知って、意味も知った。
私の中で、姉に対する一つの確固たる「定義」ができたのが、この時だった。

祖母は、若いとき師範学校の教師をしていて、彼女の教え子は、そのほとんどが学校の先生になっていた。
祖母は、「ほめて育てる」を実践していた人で、教え子が我が家に遊びに来ると、皆必ずそのことを言って、祖母に感謝していた。

私もほめて育てられた。
だから、小学校に上がる前に、祖母から「お前は頭が悪い」と言われて、強烈に頭に刻まれたのだ。
いつもはほめるだけの祖母が、はじめて私に対して厳しいことを言った。その効果は抜群だった。
小学校に上がると、私は先生の話をよく聞こうと努めた。
小学1年・2年では、その効果は現れず、私は本当に「頭が悪かった」が、3年になると、集中力が付いてきたのか、成績は顕著に上がってきた。
1や2ばかりだったのが、4や5ばかりという、まわりも驚くほどの変わりよう。
これは、まったく持って祖母の神通力のすごさだと言っていい。



2006/01/18 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [怖い話]

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