Macでお仕事?
Mac歴22年。独立して15年。日に日に減っていく仕事……。そんな売れないデザイナーのひとりごとです。
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逃げました
情けない思いが続いていた。

ゴールデンウィークに、大学時代の友人ノナカ、オオクボ、カネコが熊本にボランティアに行った。
友人ニシムラの兄の家を含む倒壊家屋の整理をするためだ。

他に、(私が用意した、ささやかなものも含めて)物資も届けたという。

私はと言えば、ゴールデンウィーク明けに、2つ仕事の締切を抱えていることを理由に、誘われたが行かなかった。

ノナカたちも仕事を抱えていたと思うが、彼らは行った。
しかし、私は行かなかった。

口先だけの卑怯な男、と責められても反論できない。

それを長年の友人の尾崎に話すと、「俺が代わりに行く」と言ってくれた。

しかし、それでは意味がない。

だから、やめてくれ、と言ったが、尾崎は「俺が俺の意思で行くのだから、意味もなにも関係ない。おまえはおまえの仕事をしろ」と言って、一人で熊本に向かった。

あとで聞いたところによると、テクニカルイラストの達人・アホのイナバも奥様とふたりでボランティアに行ったという。


つまり、俺だけが逃げたのだ。



申し訳なさすぎて、いまも少し落ち込んでいる。




(本当は、貧血と不整脈で熊本まで行く自信がなかった・・・・・マスゾエ氏並みの醜い言い訳)




2016/05/24 AM 06:22:09 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

陽はまた昇る
熊本出身の知り合いは、大学時代の同級生・ニシムラだけだった。

ニシムラはいま神奈川小田原に在住しているので、被災は免れた。
ただ、ニシムラの兄が住んでいる熊本市のご実家は、倒壊の危険があるという。

大学のときからニシムラと親しかったオオクボは、「俺ができる最大限のことは何だろうかといま考えているところだ」と、思いつめたような目でカネコと私の顔を交互に見た。
オオクボは東京南新宿で、コンサルタント会社を経営していた。

オオクボが生意気にも私を呼び出したので、出向いてやった。


黙祷をしておこうか。

3人で立ち上がった。

1分ではなく、3分にしよう。
「なぜ?」

3分で俺たちの祈りが熊本に届くわけがないが、1分よりは近づける。

3人で祈った。

「東日本大震災を思い出したな」と言ったのは、芋洗坂係長そっくりのカネコだった。
カネコは、当時、千葉市に支部のある会社の支部長をしていた。

そこで、液状化現象を目の当たりにしたというのだ。
「体がすくむって、ああいうことを言うんだな。頭では何が起きているかわかっているのに、体が動かないんだよ。液状化も知識としては知っているんだが、目の前で見ると恐怖しか感じなかった」

「俺の会社が入っているこのビルは免震構造になっているから、極端に大きな揺れというのはなかったが、揺れている時間が長くて社員も右往左往していたな」とオオクボが固い表情で言った。

そして、「マツは?」と聞かれたので、俺は生きていることに感謝した、と答えた。

私の答えに、少し座が白けたのを感じたのか、カネコが不自然なほど明るい声で、「オオクボ先輩、本当に助かりましたよ。俺を拾ってくれて」とオオクボに媚びを売った。

カネコは、30年以上勤めていた会社を今年の2月で辞め、4月から大学時代の友人ノナカが経営するミニパソコン塾の塾長になった。
その他に、オオクボの会社の相談役にも就くという世渡りの上手さを見せた。

誰にでも媚びを売れるデブは得だ。
売れる媚びを独立と同時に捨てたガイコツは、一人で生き抜くしかない。

「普通は相談役ってのは名誉職みたいなものだが、カネコには俺の相棒として働いてもらうつもりだ」とオオクボ。

そういえば、もうひとりの「相棒」は元気か?

「サトウのことか? おかげさまで、存分に働いてもらっているよ。俺の会社は、サトウでもっているようなもんだ」

サトウさんは、オオクボより10歳以上年下の社員だ。
6年ほど前だったと思うが、サトウさんが突然理由も言わずに「会社を辞めたい」と言い出して、オオクボは慌てた。

サトウさんの事務処理能力の高さを買っていたオオクボは、慌てふためき、何を勘違いしたか、一番役に立たない私に愚痴をこぼした。

「あいつは俺の片腕なんだよ。あいつがいないと俺の会社は機能しない。片腕なんてもんじゃない。両腕を失うようなもんだ。どうしたらいい?」

四角い顔から血の気をなくしたオオクボに、私はいつものように、いい加減な答えを返した。

おまえ、そんなに大事に思っているのに、なんでサトウさんは「片腕」なんだ。
おまえは、サトウさんを「片腕」としか思っていないのか?
俺がサトウさんなら、それは嫌だな。

「しかし、年下だぜ。部下だぜ。それ以外なにがある? なにができる?」

俺だったら、年下だろうが部下だろうが、自分にとって大事な人なら「相棒」として接するけどな。
「片腕」なんて失礼な言い方は絶対にしない。

日本語としての「片腕」の意味は、信頼できる腹心だから、おまえは正確な日本語を使っているつもりだろうが、俺からすると対等じゃないんだよ。
俺には「片腕」が「手下」にしか聞こえないな。

「第三者が勝手なことを言うんじゃねえよ!」
オオクボは四角い顔を真っ赤にして怒ったが、サトウさんは、その後辞表を撤回したという。

オオクボが、どんなマジックを使ったかは知らない。
私は、オオクボの会社には興味がないからだ。

成功者に媚びを売る卑屈な芋洗坂係長と高級なスーツを着た偉そうな成功者が前に座っている。
テーブルをひっくり返して帰りたくなった。

だが、そのとき「銀のさら」の店員が、極上ちらし2つと助六1つを運んできた。
オオクボが昼メシを奢ってくれるというので、助六さんをお願いしたのだ。

私は高級なものを食うと腹を下す可愛い体質をしているので、助六さんしか選択肢がなかった。
昼メシはワンコイン以下と決めているから、私にとって「648円」の助六さんはご馳走である。
極上ちらしには興味がないので、値段は知らない。

「美味しいですよ、オオクボ先輩!
寿司は、日本人のソウルフードですね。
元気が出ます!」

芋洗坂の媚びは、とどまることを知らない。
太鼓を持たせたら、さぞ似合うに違いない。

そんな風に、助六さんを食いながら、太鼓持ちの太鼓腹を冷ややかに見ていたら、ケツのiPhoneが震えた。
ディスプレイを見たら、吉祥寺の馴染みの居酒屋で店長代理をしていた片エクボさんからだった。
片エクボさんは、結婚出産のために昨年末で居酒屋をやめていた。

出た。

「白髪の旦那、産まれたよ!
今朝だよ!
男の子だよ!」

それは、めでたい。
ご苦労様でした。

旦那様は、喜んでくれたかい?

「それがね、札幌に出張中で、明日帰ってくるんだよね。
だから、赤ちゃんとの対面はまだ」

予定より2週間早く産まれたというのだ。
旦那様も立ち会えなくて悔しかっただろうと思われる。

「それでね・・・言いにくいんだけど、白髪の旦那に来て欲しいんだけどな」

まさか、旦那様の代わり?
いいのだろうか?
旦那、あとで知って怒らないかな?

「大丈夫。説明すればわかるやつだから」

ようするに、旦那の代わりに褒めてほしいっていうことだよね。

「親と友だちには褒めてもらったんだけど、それだけじゃ足りないんだよね。
だから、褒めて、褒めて!」

わかった、札幌ドームいっぱいの褒め言葉を用意して行くよ。

「札幌ドームじゃなくて、東京ドームの方がいいんだけど」

俺は、東京ドームが大嫌いなんだ!

「ハハ、相変わらず大人気ないね。
じゃ、待ってるから」


会話を聞いていたオオクボが、ゲスな仕草で小指を立てて聞いた。
「これか?」

いや、こっちだ。
親指を立てた。

「おまえ、いつから、そっちの趣味に変わったんだ?」

何をおっしゃっているの?
大学時代からよン。

オオクボが、健康のために毎日飲んでいる「ヘルシア緑茶」を吹き出した。
しかし、リアクションが素人だった。
私だったら、芋洗坂の顔の真ん中に吹き出していただろう。

そんなんじゃダメだ。
もう一度やり直せ。
カネコめがけて吹くんだ。

ホラっ!

「おまえは、そうやって、いつも俺を・・・・・」

「オオクボ先輩。
こいつは、ただ非常識でバカなだけです。
惑わされてはいけません。
これが、こいつの手なんです!
まともに受け取ったらダメです!
我慢してください」


2歳下の生意気なカネコが、珍しく正しいことを言ったので、私はカネコに向かって立ち上がって拍手をした。
スタンディングオベーションだ。

それを見たカネコは、オオクボの肩に手を置いて「オオクボ先輩、これって、俺を完全にバカにしてるんですよね」と半泣きの顔で訴えた。

「あのなあ、カネコ。
まともに受け取るなって言ったのは、おまえだろうが。
惑わされるな!」

正しいことを言ったオオクボに対しても私はスタンディングオベーションを送った。

すると、同じようにオオクボも立ち上がって、私に向けて拍手をした。
太鼓持ちのカネコもオオクボにならって、私に向けて拍手をした。

つまり、二人で生意気にも「スタンディングオベーションがえし」をしてきたのである。


飽きた私は、自分のバッグを開けて、中から特大サイズのオニギリを取り出して食うことにした。
まさかケチなオオクボが奢ってくれるとは思わずに、どこかの公園のベンチで食う予定で特大オニギリを持ってきたのだ。

具は、豚カルビの甘辛煮だ。
海苔好きな私は、二重に海苔を巻いて真っ黒い砲丸のようなフォルムのオニギリにした。

銀のさらの助六さんも美味かったが、砲丸オニギリはもっと美味かった。

一口食って、その砲丸オニギリをオオクボたちに投げるフリをしたら、二人とも本気でよけやがった。

こんな風に、バカを相手にするひとときが、私に至福の時間を与えてくれるのでございます(私が一番バカですけどね)。



ご実家が被災した友人ニシムラ。

(ここにいないノナカも含めて)俺たち4人で出来ることは限られるかもしれないけれど、立ち上がるお手伝いはしたいと思っている。

俺たちは、肥の国・熊本の人たちが持つ大きな力が、ガレキの下から復興の陽を燃え上がらせることを信じている。


陽はまた昇る。


微力ながら、いま一度、陽がキラキラと昇るお手伝いができたら、と思っている。


2016/04/23 AM 06:22:01 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

勝ち負け人生
奇跡は確実に起きている。

大学時代の友人ヘチマ顔のノナカと東京駅地下街のカフェで話をした。
昨年、医師から余命宣告を受けたノナカの奥さんの命が、期限を4か月過ぎても続いていた。

末期ガンだと宣告されたとき、ノナカの奥さんは手術を放棄しようとしたが、ノナカが懇願するので手術を受けた。
その後、一度昏睡状態に陥ったが、回復した。

ノナカの奥さんは、昨年の10月から年末まで、入退院を繰り返していた。
だが、今年に入ってからは、月に一度の検査入院以外は医師の世話になることはなくなったという。
家事も百パーセントではないが、ノナカに頼らずにこなしているらしい。

ノナカが言った。
「なあ、奇跡は起きるのかな?」

いや、それは違うだろう、ノナカ。
奇跡は、もう起きているんだ。

俺たちはいま、その奇跡が永遠に続くのを目の当たりにする幸運を手にしているんだ。
俺は、その仲間に加えてもらって、嬉しいよ。

ヘチマの醜い泣き顔は見たくなかったから、私はうつむいて密かに目から水をこぼした。

書き忘れたが、私の斜め前に、芋洗坂係長氏にしか見えないカネコがいた。
カネコの泣き顔もブサイクだった。

カフェの店員に追い出されたとしても文句は言えないほど、我々三人の姿は迷惑だった。
営業妨害と言われても弁解はできない。

だから、追い出されないために、カネコをいじることにした。

塾長! 今日はお忙しいところ、ご苦労様です!

立ち上がって、最敬礼した。

カネコは、大学卒業後30年以上勤めた会社を今年の2月に辞めた。
そして、4月1日からノナカが東京で経営する2つのミニパソコン塾の塾長になった。

おまえ、なんで、あと3年、定年まで無事勤め上げようと思わなかったのか。
給料もかなり減っただろうに。

何を考えているんだ!
リアル「紅の豚」は。

「他にオオクボ先輩の会社の相談役もやらせてもらうことになったから、それほど大きく稼ぎが減ったわけじゃない」

オオクボというのは、私の大学陸上部時代の友人で、東京南新宿でコンサルタント会社を経営する生意気なやつである。

だが、もっと生意気なのは、この芋洗坂係長だ。
カネコは、私より2年後輩なのに、私を「おまえ呼ばわり」する無礼者だ。
そのくせ、私と同い年のノナカやオオクボに対しては「先輩」と呼んで、礼を尽くすのである。

豚のくせに、誰のおかげで、二足歩行できるようになったと思っているのだ。
私は、荻野千尋のように優しくないから、豚のまま「神隠し」してもいいのだぞ。

・・・と心の中で毒づいていたら、豚が、「決定的だったのは、オオクボ先輩の言葉だったな。俺が会社を辞める決心をしたのは・・・」と鼻をブヒブヒさせた。

「客観的に見て、俺たちにはマイホームがあるし、社会的にも必要とされている。仕事のスキルもある。
普通に考えたら、俺たちは、おまえに10対0で圧勝だ。楽勝だ。
だけどな・・・オオクボ先輩は、おまえに勝った気がしないって、いつも言っていたんだ。
俺もこのままでいたら、絶対におまえには勝てないと思った。
だから、会社を辞めることにした」

よくわからない理屈だが、もし人生に勝ち負けがあるのなら、俺はおまえたちにボロ負けだろう。
それは認める。

「いや、ノナカ先輩も俺も、オオクボ先輩と同じで、まったく勝った気がしないんだ。
それは3人の共通意見だ。
なんでだろうな?」

それは、最初からおまえたちが勝っていたのだから、いまさら勝つ気がしないということじゃないのか。
相撲で言えば、俺は最初から土俵を割っているのだから、勝負にならないということだ。

「いや、それは違うな」と、ブヒブヒ。

「オオクボ先輩は、何年も前から、都議選に出ないかって誘われているが、断っているそうだ。
その理由がわかるか」

あいつは、元々は長野の山奥から出てきた田舎者だから、都議になるのが恥ずかしいんだろう。

「違う。都議会なんかに立候補したら、マツに笑われるって言うのが理由だ」

そうか、しかし、俺はその程度のことで笑うほど、楽しい性格はしていないぞ。
ただ、顔をペロペロするかもしれないが。

「ほら、そういうところなんだよ!」と、ブヒブヒ。

どういうところなんだよ!

「わからないよ。でも、俺たちは、おまえの前ではいつも力が抜けるんだ。
人差し指一本で倒せそうなのに、倒してはいけない気になるんだ」と、今度はヘチマ顔のノナカ。

それと同じようなことは、喧嘩の達人である友人の尾崎にも、言われたことがあった。

「おまえのことを倒すのは簡単かもしれないが、倒してしまったら、俺が惨めになる。
だから、俺はおまえを倒すことは一生できないだろうな」

要するに、それは、俺の立ち位置が哀れだってことではないのか。
あるいは、俺がルックス的に天使だから、傷つけたくないとか。

天使過ぎるのも・・・なんか・・・・・・・罪だな。


おや? 空気が一気に冷えたか・・・・・。


そんな風に空気が冷えたところに、20〜29歳に見える、どこかの企業の制服を着たお嬢さん二人が、我々のテーブルの前にやってきて、カネコに聞いた。

「あのぉ、芋洗坂係長さんですよね?」

いや、彼は本名カネコ ユウキという一般人です、と答えたのは私だった。

だから、芋は洗いませんし、手も洗いません、尻も洗いません。
ただ、皿は洗います。
さきほど、そこの厨房で皿を洗ったのは彼です。
つまり、彼は皿洗坂塾長なんです。
人違いです。

私の説明に、目を見合わせた二人は、ブヒブヒ言いながら何も言わずに店を出ていった。
あれ? レジを素通りした?
無銭飲食か?


ふたりが店を出たあと、ヘチマと芋洗坂とガイコツの間に、すきま風が流れた。
そして、二人は、コソコソと私の悪口を言いだした。

「先輩、こいつは自由人だと思っていましたけど、ただの非常識男だったんじゃないでしょうか」
「ああ、人とまともな会話ができない人間失格かもしれない」
「相手にしないほうがいいかもしれませんね」
「たしかに」

私一人、まるで1月の青森県酸ヶ湯温泉の白い景色に取り残されたような気がした。

寒さが身にしみたので、コーヒーのお代わりを注文した。

新しいコーヒーが芳醇な香りを運んできたとき、先ほどのお嬢さんたち二人が店に入ってきて、またブヒブヒと我々の前に立った。
「あのぉ、これにサインをいただけますか」

店を出て行ったのは、色紙を買うためだったようだ。
つまり、カネコのことを本当の芋洗坂係長氏だと思ったということだ。

ノナカとカネコは、まるで2年間付き合った恋人同士のように、見つめ合った。
そして、ノナカが立ち上がって言った。

「あの・・・お嬢さんたち。こいつは、本当に芋洗坂ではないんです。似ているかもしれませんが、カネコ ユウキという普通の男です。だから、サインはできません」

ノナカが頭を下げたあとで、カネコも立ち上がって、頭を下げた。
頭を下げると、二人とも薄い頭頂部が目立った。
思いやりのある私は、その光景を見なかったことにした。

しかし、頭頂部を5秒ほど凝視したふたりは、目をまん丸にして、口元を抑えながら小さな叫び声を上げた。

「あらあ!」
「本当にぃ! や〜だぁ!」

そして、顔を見合わせたあとで言った。

「でも、この二人が言うんだから、間違いないわよね」
「ごめんなさい。私たちの間違いでした。失礼しました」

ふたりのお嬢さん方は、深く頭を下げたあとで自分たちのテーブルに帰っていった。

つまり、ここでは一つの事実にたどり着くことができた。
おふたりが、私の言うことより、ノナカとカネコの方が信用できる、と判断したということだ。


ノナカとカネコが、2年半付き合った恋人同士のように、また見つめ合った。
そして、興奮を抑えきれない顔で頷きあった。

「ノナカ先輩。今のって、俺たちの勝ちですよね」
「ああ、勝ちだ。今のは確実に勝ちだ」

二人で、ブヒブヒと勝ち誇った。
ヘチマも「ブヒブヒ」鳴くとは知らなかった。


おまえら、そんなつまらない勝ち負けにもこだわるのかよ。
本当に、顔をペロペロしてやろうか。



しかし、ちょっとだけ悔しく感じたのは、なぜだろう?・・・・・へっくしゅん(RADWIMPS)



2016/04/16 AM 06:32:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ゼットユーアールユー(ZURU)
社長を辞めた男に会いに行った。

場所は世田谷羽根木だ。
私の感覚では、豪邸あるいは御殿と言っていい物件である。

その広い家に、長谷川は一人でいた。
長谷川の奥さんは、二つの病院の勤務医をしているので、その日はいなかった。
息子二人は、すでに6年前に家を出ていたから、長谷川は無駄に広い家を持て余していた。

長谷川は社員400人規模の会社の社長様だったが、奥さんを医者として復活させるために、社長を辞めて奥さんをサポートする道を選んだ。

しかし、会社の株式の半分以上を持っている男が無役では困るというので、便宜的に取締役として会社に籍は残してあるようだ。
とはいっても、社内に長谷川の部屋はなく机もない立場だから、会議に出たとしても発言するつもりはないし、報酬も受け取らないのだという。

要するに、自由人。

今の長谷川の仕事は、犬4頭の散歩と猫一匹の世話、家の掃除、洗濯、庭の手入れと奥さんの送り迎えだ。

料理だけは苦手なので、朝晩の2回、ケータリングを頼んでいるという。
昼メシはカップラーメンだ。

それまでカップヌードル、カレーヌードルしか知らなかった長谷川は、自由人になって3ヶ月で、30種類以上のカップラーメン、カップ焼きそばの味を覚えた。
人は短期間に、簡単に変われるものだ。

その日の昼メシは、カップラーメンではなく、ブリのしゃぶしゃぶだった。
私がブリをさばいて、呆れるほど広いダイニングのテーブルに並べた。
ブリの他は、薄くスライスした大根と人参だけだ。

それをM家特製のゆずポン酢につけて食う。
メシは玄米だ。

「マツは器用でいいよな。料理はうまいし、絵もうまいし、パソコンも自由自在だ。羨ましいよ」

おまえは、間違っている。
料理と絵とパソコンは、不器用なやつのほうが上手いんだよ。
工夫をするからな。

器用なやつは、工夫をしないから下手なんだ。

「でも、おまえは誰よりも早くパソコンに手を付けて、すぐにできるようになったじゃないか。
俺なんかリタイヤしてから本格的に始めたから、情けないことに、おまえと較べると30年は遅れている。
キーボードを打つたびに指が震えるんだ。俺のほうが不器用だ」

不器用自慢をしたら、キリがない。
どっちにしたって、料理が苦手でも絵が下手でもパソコンができなくても、人は生きていける。
俺は、食うためにパソコンを手なずけなければいけないが、食う手段を他に持っているやつは、そちらを極めればいい。

ブリしゃぶ3人前を平らげた長谷川が、血色のいい顔を綻ばせて言った。
「おまえにとって、法律ってのは何だったんだろうな。全然役に立っていないようだが」

飾りだな。
それを言うなら、おまえこそ、会社を継ぐのだったら、法学部ではなくて経営学部だったんじゃないのか。

長谷川が、遠くを見るような目をして、私の肩の後ろ側を見つめた。
「いや、俺は、会社を継ぐつもりはなかったからな」

そうだった。

長谷川の父親は、世襲を嫌っていたのだ。
会社は社長のものではなく、「社員や顧客、社会のためのもの」という考えの人だった。

だから、自分が退任するときは、息子ではなく有能な部下に譲るつもりでいたらしい。
長谷川は父親の会社には入ったが、帝王学を身につけることをせず、会社の本業とは違う「社員教育」や「自己啓発」のセクションを社内に作って、好き勝手にやっていたのである。

だが、そのセクションを独立させて、新しい会社組織にした37歳のとき、父親から「会社を継いでくれ」と頼まれた。
それに対して、長谷川は「それでは話が違う」と2年間拒否し続けたが、父親が重い病に罹ったことを知って、押し切られるように継ぐことを決意した。

そのとき、病院の勤務医をしていた奥さんが、医者を辞めて長谷川のサポートに回ることになった。

長谷川は、それをずっと負い目に感じていたという。

「だって、そうだろ。
俺は誰一人救うことができないのに、俺の妻は、これから先、何百人何千人以上の人を救うことができるはずだったんだ。
どっちが、人として必要とされていると思う?
俺じゃないのは、わかりきったことじゃないか」

「それに、俺はズルをして社長になった男だ。
100メートル走で、みんなはゼロメートル地点からスタートしてるのに、俺は50メートル先からスタートしたんだよ。
それって、確実にズルだよな」

それは、考えすぎだな。

「何を言っているんだ、おまえ!
俺が社長を引き受けるって決心したとき、そう言ったのは、おまえだろうが。
忘れたのか。
おまえは50メートル先から走る、というズルをして社長になるんだから、ゼロメートル地点にいる人たちの気持ちを忘れるなよ、って言ったのはマツだったよな。
俺は、その言葉を忘れたことはないぞ」

いや・・・・・それは、きっとおまえが羨ましかったからだな。
順調に人生の階段を上っているおまえに嫉妬して、腹立ちまぎれに言ったんだろう。

俺は、嫉妬深いんだ。
そんなこと、真に受ける方が悪い。

「そうか。
ついでに言うとな。
俺は政治家の世襲も嫌いなんだ。
最初から半分近い票を手にしたお坊っちゃま、お嬢ちゃまと限りなくゼロに近い票しか持たない候補者が戦うなんて、不公平すぎるだろ。
あれも俺には、『ズル』に思えるんだよ。
ズルをして社長になった俺が言うのはおかしいが、今はリタイアした身だからな、言う権利くらいはあるだろう」

優等生だった長谷川が、随分過激なことを言うようになったものだ。

だがな、長谷川。
ズルをしても、ズルで偉くなっても、そのズルが人の役に立っているのなら、ズルも悪くないんじゃないか。

俺も会社や政治、国家を世襲にして、我がもの顔でいる人は、「ズルの極み」「ゲスの極み」だと思う。
世の中には「ズル」が溢れていると思う。

しかし、おまえはズルをして社長になったが、ズルをしたおまえを支えてくれた人は沢山いたはずだ。
その人たちにとって、おまえの「ズル」は、必要なズルだったんじゃないのか。

俺は世襲を断ち切ったおまえの決断力には頭が下がるよ。
大したものだ、と思う。

「APR」と褒めてやろう。

「なんだ? エーピーアールって?」


日本語では、「アッパレ」と言う。


??????


ちなみに、ゼットユーアールユー(ZURU)は、何の意味か知っているか?

「知らん!」


ゼッタイに ウソをつくのは ロクでもないやつの方が ウマい


「そんな言い方をするタレントがいたな。
たしか、相当な美人女優と結婚した男だ」

ああ、DANGOだろ。

「ダンゴか・・・・・ちょっと違うような気がするが」

ディーエーエヌジーオーは、何の略かわかるか?

「わからん!」


特別に教えてやろう。


ダレもが アカるい時間に ノミ食いすれば ゴキゲンに オドリだす


「で・・・・・そのあと、『なんちって』って続くんだろ?」

なんだ、おまえ、なぜ、わかった?

「だって、おまえの大学時代からの口癖じゃないか。俺は何万回も聞かされたぞ」


おまえ、エヌディー(ND)だな。


「エヌディー?」



「なんちって泥棒」だ・・・・・・・・・なんちって(RADWIMPS)



2016/04/02 AM 06:27:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ニコラスの旅
友人カネコの娘、ショウコの夫・マサが道端で外人を拾ったらしい。

それを聞いた私は、交番には届けたのかとショウコに聞いた。

すると、ショウコは、「持って帰った」と答えた。
それは、ネコババではないのか。

「ネコババではなくて、ニコラスだったよ」

ショウコとの会話は、いつもskypeのビデオ電話だった。
電話やメールでは駄目だというのだ。

「だって、サトルさんの日々老けていく顔を見るのが楽しみなんだから!」
ということで「skype以外NG」なのである。

・・・で、ニコラスは名前からするとイギリス人のようだが、フィッシュ&チップスは食わせたのか。
それさえ食わせておけば、イギリス人は暴れることはない(偏見)。

しかし、さすがに私の影響を色濃く受けているひねくれもの・ショウコは、外国人に媚びるような食い物を食わせたりはしなかった。
ニシンの甘露煮と菜の花の辛子和え、舞茸と茄子のソテー、鶏団子の吸い物を食わせたというのである。
しかも辛子和えは、通常の2倍以上の辛さにしたという。

だが、ニコラスは、すべてを美味しいと言いながら箸を進め、満足の笑みを浮かべて完食したらしい。
(イギリス人の味覚がおかしいのは本当だったようだ)

とは言っても、ニコラスは、菜の花の辛子和えを食いに日本に来たわけではなかろう。
まさか、日本のTOYOTAに轢かれるために道路に寝そべっていたとか?

「ヒッチハイクだよ。当たり前すぎて、ひねりも何もない話だけどね」
その日の夜、困ったことに、ショウコの夫のマサもショウコも英語が得意だったから、彼の「ヒッチハイク武勇伝」を延々と聞かされることになった。

イギリス人・ニコラス33歳は、大学時代に小型飛行機の操縦免許を取得し、27歳でヘリコプターの免許も取得した。
そして、大学を卒業すると同時に、遊覧飛行会社を立ち上げた。
ただ、ニコラスは、操縦免許は持っていたが、実際に会社で小型飛行機とヘリコプターを操縦したのは、キャリアを積んだエキスパートだった。

つまり、彼は経営に専念したということだ。
それは成功して、会社を立ち上げたときに負った借金をほぼ3年で返済するほどニコラスの事業は順調に推移した。

事業は成功、その間に、ニコラスいわくスカーレット・ヨハンソン似の女性と結婚し、子ども3人を得た。
住まいは、ロンドン市内のプール付きの豪邸(賃貸)。
住み込みのメイドとベビーシッターが1人ずつ。

しかし、そんな成功者が、なんでヒッチハイクなんかを。
それが金持ちの道楽だとしたら、鼻持ちならないな。

「会社を立ち上げて10年。成功はしたけど、ずっと他人事に感じていたんだって。
目が覚めたら、実は夢だったっていう恐怖心を、この10年間、ずっと持ち続けていたらしいよ。
自分が、こんな幸運な人生のパスポートを得られるなんて信じられないってずっと思ってた。
それが、怖くて逃げ出したくなった結果のヒッチハイクらしいよ」

ヒッチハイクをすると決めたニコラスは、会社の経営権を人に譲って、身軽になった。
そして、奥さんもニコラスの無謀な挑戦を止めることはなかった。
(会社を売って得た金が、奥さんにとって満足のいくものだったからだろう)

それが、昨年の2月のことだったという。
つまり、ヒッチハイクを始めてから既に1年以上が経っていた。

ロンドンからシンガポールまで飛行機で行き、そこからヒッチハイク・スタート。
タイ、マレーシア、ベトナム、香港、台湾、韓国、そして日本。
日本の富士山が最終目的地だという。

日本に到着したニコラスは、BBC放送で見た「釜石の奇跡」(児童・生徒、震災生存率99.8%!)を目に焼き付けようと岩手県釜石に向かった。
そのあと、新幹線で仙台まで戻り、ヒッチハイクをスタートさせた。

日本海側を通って広島まで行き、大阪、京都を経て東京。

そして、3月8日。
河口湖に行く途中に、マサに拾われ、マサの家に泊まることになった。
本人は河口湖まで絶対に行くと言っていたが、車内でくしゃみを連発していたので、マサが「無理しない方が」とお節介な親切心を発動したらしい。

症状からすると、ただの花粉症だったようだが、英語が通じる相手がいたという安心感もあって、ニコラスはマサの好意を受けた。
ショウコのガキ二人は、突然の外人の出現に最初はビビっていたらしいが、すぐに打ち解けて、八王子のスーパー銭湯で裸の付き合いをしたときは、ニコラスの両腕にぶら下がってはしゃいだ。

ニコラスは、脱いだら凄かったらしい。
ムキムキのマッチョだったというのだ。

ヒッチハイクをするにあたって、ニコラスが恐れたのは、犯罪に巻き込まれることだった。
だから、たとえ巻き込まれたとしても、自分で苦境を打破できるように、彼は自分を鍛えることにした。

空手道場に通い、キックボクシングのジムにも通った。
さらに、護身用の特殊警棒の扱い方も専門家に学んだ。

10ヶ月近い訓練の結果、ニコラスはマッチョになった。
東南アジアでは、何度も危ない目にあったが、特殊警棒を出して威嚇すれば、相手は戦意を喪失した。

ただ、それほど用意周到なニコラスのヒッチハイクだったが、本当のヒッチハイカーからは邪道だと責められることが度々あったという。
基本は野宿だが、身に危険を感じたとき、ニコラスは迷うことなくセキュリティのしっかりした一流ホテルに泊まった。
さらに、危ないと思った地域は、飛行機で素通りをした。

ニコラスは、金には困っていないのだ。
彼は、アジア旅行の一つの手段としてヒッチハイクをしているに過ぎない。
目的は旅行であってヒッチハイクではない。

そんなニコラスだから、同じヒッチハイカーから行く先々で批判にさらされた。
時には、彼を乗せてくれた親切なドライバーからも批判されたという。
乗せてくれたのに、途中で「あんた、降りてくれ」と言われたこともあったらしい。

「俺たちは人々のギリギリの善意に支えられて、危険と背中合わせで旅をしている。
しかし、おまえからは観光気分の匂いしかしない。
そんな旅をして、『俺は世界をヒッチハイクした』と言われたら、俺たちの立場がない。
おまえは、すぐにヒッチハイクをやめて、大手旅行代理店が計画したツアーに参加すべきだ。
そして、俺の前に二度と姿を見せるな。クソ野郎が!」

ショウコも私も本当のヒッチハイカーを知らない。
一年以上も異国で不安定な旅を続けるニコラスは、「立派なヒッチハイカー」のように我々には思える。

大金持ちニコラスだって、同じようにギリギリの善意に支えられて旅をしているのではないか。
金持ちには金持ちのヒッチハイクの方法があると思う。
ニコラスは今まで彼が積み重ねてきた努力で得たもので、旅の危険をすり抜けているだけである。

最低限の金しかないヒッチハイクは崇高なドラマを持つが、金で危険を回避するヒッチハイクにだって、同じようなドラマはあるはずだ。
ニコラスは「ニコラスの旅」をすることで、確実にドラマを作っていると私は思う。

ニコラスのヒッチハイクが、どんなものであれ、彼は間違いなく人々の善意を受けている。
そして、ニコラスはそのことをとても感謝している。
それで、いいのだ、バカボンのパパなのだ!

大金を持っていることは、決して「クソ」ではない。

あ、ごめん!
本当にクソがしたくなってきた。


「そんなオチかよ」とショウコ。


クソのあとで、またskypeを再開した。

「ところでさ・・・・・サトルさんがもっと若かったら、絶対にヒッチハイクをしていただろうね。
でも、サトルさんの若い頃は、飛行機も車も電車もなかったから、できなかったんだよね」

そうそう。
俺の若い頃は、馬が主流だったね。
金があれば、籠にも乗ることができたが、総楊枝(ふさようじ)を作る内職では、食っていくのが精一杯で籠なんて夢のまた夢さ。
暗い行灯の光で総楊枝を作るのは大変なんだよ。
当時は眼鏡も庶民には買えない時代でねえ・・・・・。

「おい!
ここは、ノリツッコミをするところだろうが!
延々と時代劇に入り込んだら、いつまでたっても話が終わらないぞ」

そういえば、昔は高い建物がなかったから、お江戸からも富士山が間近に見えてねぇ。
雪をかぶった富士山は、拝みたくなるくらい綺麗だったよ。
ありがたや、ありがたや・・・・・。

「おい!
ニコラスから泊めたお礼にもらった特殊警棒を持って、これから白髪の雪をかぶった脳天を可愛がりに行こうか」


(何事もなかったように)さて、ニコラスは、最終目的地の富士山には、行けそうなのかな。
彼には、ぜひ無事に富士山まで到達して欲しいものだ。
ニコラスには、彼が決して「クソ野郎」ではないことを証明してもらいたい。
私は、それを切に願う。

「でもね・・・・・ニコラスは勘違いしていたんだよね。
富士登山はいつでもできると思っていたみたい。
私たちが、富士の山開きは7月だよって言ったら、ものすごい落ち込んでた」

「ただね・・・さすがに金持ちは立ち直るのが早かった。
インターネットで、ヘリコプターで富士山クルーズができるのを知ったの。
そうしたらね・・・イギリスから家族を呼び寄せて、空の上から富士山を見ることにするって言うんだ。
金持ちがやることは、スケールが違うよね」


そうか。
チェッ! とんだ「クソ野郎」だな、ニコラスは。

ヘリコプターで富士山を見るなんて、クソにしか思いつか・・・・・。

あ、ゴメン、またクソが・・・・・。



「結局、そんなオチか〜い!」



2016/03/12 AM 06:25:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

黒ずくめのキンイチ
昨年の9月ごろから、月に2回程度、道端で出くわす少年がいた。

目の大きなキリッとした顔の(おそらく)ハーフの可愛い少年だ。
年は10歳に届くか届かないかではないかと思う。

取引先との打ち合わせに行こうと家を出たとき、出くわすことが多い。
朝の10時前だ。

平日の朝10時といえば、10歳前後の子なら普通は小学校でワイワイやっているはずだが、なぜこんな時間に彼は・・・・・とは、私は思わない。
他人のことには興味がないからだ。

ただ、私を見上げてハニカミながら言う少年の「こんにちは」の笑顔は好きだ。
その笑顔は、キュンとくる。
(変な趣味はございませんよ)

その少年と今年の1月下旬、オンボロアパートの前で、また出くわした。
いつもと違うのは、横に大人の男の人がいたことだ。
おそらく外人さんだと思われる。

私と同じくらいの背丈だから、179.6センチだろう。

ナニジンかは、わからない。

少年がいつものように、「こんにちは」と笑った。
それを見た隣りの外人さんが驚いた顔をした。

「知り合い・・・・・?」

この時間に4、5回コンニチハの挨拶をしました。

「いや・・・しかし、この子はすごい人見知りで・・・」
日本で長く暮らしている外人さんらしく、流暢な日本語だった。
イントネーションにも違和感はなかった。

「この子が、自分から大人の人に挨拶するのを初めて見ました。なんででしょう?」

(知りません)

どういうわけか私に親近感を覚えた外人さんは、いきなり私に個人情報を漏らし始めた。
自分はトルコとイギリスの混血である。
15年ほど前に日本にやってきて、数年後に今の奥さん(ニッポンジン)と結婚し、子どもができた。

それ以来、ずっと日本で暮らしている。
私の子どもは、とても引っ込み思案である。
彼は、昨年の9月から学校に行くのを嫌がっている。

本人に聞いてもクラスの担任に聞いても、いじめられてはいない、と言っている。

そのことで、学校の校長から「学校に行かせないのは児童虐待と思われても仕方がない。だから、説明に来なさい」と怒られて、今これから学校に行くところだ、と私に向かって戸惑ったように肩をすくめた。

しかし、親が無理やり子どもを学校に行かせないのなら「児童虐待」かもしれないが、子どもが自主的に行かない場合は、虐待ではないだろう。
校長は、児童虐待の意味を間違えているのかもしれない。

ただ、数多くの校長がいる中で、何人かはバカがいるだろうから、そんなことを言う校長もいるかもしれないとは思った。
今は、バカでも校長になれる時代なのだ。
(運動会の組体操で、毎年5千人以上の怪我人が出ても反省をしない教育者は「バカの称号」を送ってもいいと思う)


そうですか、それは大変ですね。

私には関係のない話なので、テキトーに答えて、私は少年に手を振り、誕生日祝いに、極道コピーライターのススキダに買ってもらった自転車にヨッコラショイッとまたがって、二人の前からモタモタヨロヨロと消えた。

自転車をフラフラと漕ぎながら、黒のフリースと黒の長ズボンを着けた少年の姿を思い出した。
エキゾチックな顔立ちには、黒い洋服がよく似合う。
私がプロデューサーなら、絶対に子役としていい役を与えたであろう。

これほど黒が似合うのは、私の知る限りでは、梶芽衣子さんとブラックジャックしかいない、と思った。

黒ずくめの少年の姿は、確実に私の大脳皮質に記憶された。

しかし、私の大脳皮質は老化が早いので、そのことはずっと忘れていた。
だから、今週の木曜日の午後、杉並の建設会社に行こうとオンボロアパートの駐輪場から「エンヤーコラヤッ」と自転車を出していたとき、背後から声をかけられても、その声の主が「外人さん」だとは思いもしなかった。

うるせえな、忙しいから、いま声なんかかけんなよ! としか思わなかった。
舌打ちをする寸前の顔で振り返ると、人の良さそうな「外人さん」が、少年に似た笑顔を作ったあとで、お辞儀をした。

ああ、どうも。

日本語の「どうも」は、使い勝手のいい言葉だ。
いろいろな感情を誤魔化すことができる。
ちょっとした後ろめたさも、「どうも」と言っておけば、大抵は消えてなくなる。

「どうも」のあとで、外人さんが、笑顔のまま話しかけてきた。

あれから、少年は真面目に学校に通っている、と嬉しそうに語った。
ただ、少年は休み時間のクラスの空気が嫌なので、休み時間は職員室で時間を過ごしているという。
担任の机の横に椅子を用意してもらって、次の時限が来るギリギリまで座って教科書を読むのが日課らしい。

昼休みも教室で給食を食ったらすぐ職員室に行って、そこで過ごす。
それが許されたことで、少年の表情はかなり明るくなった、と外人さんが安堵の笑みを漏らした。

その安堵の笑顔は、かなり魅力的だった。
彫りの深い顔立ちの中で、笑った時の目が極端に細くなって、それが温かな安心感を与えた。
私が女だったら、確実に惚れていただろう。

その笑顔を見て、彼は、きっと「いいお父さん」に違いないと思った。
私は、「いいお父さんマラソン大会」では、日本陸連の設定記録を大幅にクリアするオリンピック級の「いいお父さん」だから、同じいいお父さんのことは匂いを嗅いだだけでわかる。

この外人さんは、絶対に「いいお父さん」だ。
それは、共和党のトランプ氏が、米国の歴史上最も排他的・国粋主義的な政治家であるのと同じくらい確実なことと言っていい。

だが、いいお父さんには申し訳ないが、私には杉並まで猛スピードで自転車を走らせなければ、現地で怒りの竜巻と雷を食らう運命が待っている。

だから、急ぎますので、と飛ぶように自転車にまたがった。

だが、そのとき、外人さんが慌てたように、ああ・・・あのぉ、体は大丈夫ですか、と聞いてきたのだ。

からだ・・・・・?

「いや、うちの子が、あのオジさん、具合悪いんじゃないのかなって心配していたんですよ。うちの子は、ああ見えても鋭いところがありましてね。私がどんなに隠しても具合が悪いのを当ててしまうんです。あの子が言うんだから、あなたも具合が悪いんじゃないかな、と思って」

1月下旬の記憶をたどるのに、4秒44ほどかかってしまったが、確かにあの頃の体調は、あまりよくなかった。
しかし、私の大学2年の娘以外には、体調が悪いことに気づかれていない自信が私にはあった。

外人さん親子と遭遇したあの日、中央区新川の得意先との打ち合わせを終えてから、私は夢遊病者のように病院に侵入し、主治医の優香観音様の診察を受けた。
血液を抜かれ、15分後に速報値が出た。
ありえへんくらいヘモグロビンの数値が下がっていた。

(年に数回、食べるのが面倒になって絶食に近い形になることがある。そのとき、ヘモグロビンの数値が下がることに最近になって、やっと気づいた)

「いいですか! 我慢したって、ちっとも偉くなんかないんですよ! 
なんでもっと早く来ないんですか! 呆れますよ! 死にたいんですか!」

怒られた。
でも、すこし気持ちよかった。

Mさんは、実はどM・・・だった?

点滴と輸血を同時にしてもらって復活した。
そのあとに優香観音様が言った。
「いつもの倍の鉄剤を欠かさず飲むこと。それで良くならなかったら、入院、入院、入院!」

か、か、かなりお怒りのご様子だ。

(怯えながら)はい、わかりました!


そんな私の無様な光景が少年の目には見えていたのかもしれない。
少年は、超能力者か、あるいは名医ブラックジャックか。

違うとは思うが、一応聞いてみた。

お子さんの名前は、「黒男」くんですか?
(ブラックジャックの本名は間 黒男=ハザマ クロオ)

「いや、キンイチです」


なかなか日本的ないいお名前で。

(単細胞のガキなら『キンイチ? 百円均一かよ、これから、おまえのこと百円って呼ぶからな』と、からかいそうな名かもしれない)



おっと、危ない!

遅刻だ!

竜巻だ!

雷だ!


東京武蔵野から杉並区高井戸西までは9キロ。

設定タイム25分で疾走しなければならない。




余裕の22分でした。


みなさまのおかげで、今日も私は元気だ。



2016/03/05 AM 06:25:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ブリちゃんがシンクロ
神田のイベント会社に、約束の時間10分前に到着した。

しかし、担当者の中村獅童氏似は、イベントの設営の立会いが長引いているので遅くなると言われた。

事務所の隅っこの応接室で、出されたインスタントコーヒーをすすりながら無の境地に浸っていたら、獅童氏の後輩のナントカさんがやってきて、私の前に座った。

前に座ってくれてよかった。
膝の上に座られたら、どうしようかと思った。

なぜなら、私はこのナントカさんが苦手だからだ。
獅童氏と打ち合わせをしていると、このナントカさんが、女性事務員をからかっている光景がたまに目に入るのだが、そのネチネチっとしたしつこさが私は苦手なのだ。

私は、自分が人から繰り返し同じことをされたり言われたりした場合、2回目までは赦すという心の広さを持っているが、3回目には必ず股間を蹴ることをルールとしていた。

そのルールに従えば、すでにこのナントカさんは、6回は股間が腫れ上がっているはずである。
女性事務員の心が広いことをナントカさんは、感謝すべきではないだろうか。

そのナントカさんが、私に「Mさん、知ってましたか? タチバナ(獅童氏)さんは、上司からMさんの担当を若手に変えるように言われたんですけど、拒否したんですよ。なんでですかね?」と答えようのないことを聞いてきた。

知りません。

この会社は、頻繁に担当者が変わるという変な会社だった。
8〜9年のお付き合いになるが、短い人は半年足らず、長くても1年とちょっとというのが普通だった。
だが、なぜか獅童氏だけは3年続いているのである。

とは言っても、それは会社の事情だろうから、私には関係がない。
私は仕事をいただいて、銀行口座の残高が一時的にでも増えれば満足である。
それ以上の面倒くさいことは考えたくない。

しかし、ナントカさんは、「タチバナさんは、去年の7月からチームリーダーになって忙しいのに、なんでですかね」とまた聞くのである。

テーブルの下の右足がムズムズしてきた。
ヤバイことになってきたぞ、我慢できるだろうか・・・と思っていたら、獅童氏が「すみませんねえ」と鼻の頭を赤くして帰ってきた。

危ないところだった。
暴行罪で訴えられる寸前だった。

「さんむいですよ。風が冷てえ〜!」と言いながら、獅童氏が去年の暮れにボーナスで購入した高級そうなコートを自慢げに脱いだ。
そして、後輩のナントカさんに向かって、「シッシッ」と右手のスナップを効かせ、ケツを蹴る真似をしながら追い出し、私の前に座った。

15分の遅刻だったが、だからといって我々のルーティンである雑談を端折ることはしない。
私は、お得意様と仕事の話しかできない人は「人間のクズ」だと常々思っている男である。
雑談の一つもできない人に、偉そうに地球上の酸素を消費して欲しくない。

元祖「人間のクズ」は、本気でそう思っているのだ。

そこで、雑談好きで変化球の嫌いな私は獅童氏に、担当変われって言われたのに断ったんですって、と直球の話題を振った。

「ああ、ヤマダが言ったんですね。あいつは、口が軽いしチャラいからなあ」
(あなたも相当にチャラいですがね)

それに、チームリーダーになったんですって?

「会社に入って5年以上経ちますからね。大したことはないですよ。そんなに難しいことをするわけでもないですから、二股かけても負担はないです」
(女性の二股で慣れてるから?)

そのあと、獅童氏が心持ち背筋を伸ばして、重要なことを宣言するように言った。
「最初、俺、Mさんのこと嫌いだったんですよね」

俺も・・・と言おうとしたが、そんなことで張り合っても仕方ないので、それは言わなかった。

「なんか、悠然と構えていて、何を考えているかわからないから、不気味だったんですよ」

何も考えていないんですけどね。

「そうそう、今はわかっているんですよ。本当に、何も考えていないってことが」

(褒められました?)

「でも、最初は、本当に絶対に話が合わないな、と思って、適当に仕事をやっつけて担当を変わるのを待っていたんです」

もちろん、そのことは薄々気づいていました。

「でも、いつのまにかMさんのノンビリしたペースに合わされていくうちに、『あれ? このペースって気持ちいいかもしれない』って思うようになったんですよ」

思うツボですな。

「決定的だったのは、去年の3月でしたね」

ああ、柴咲コウ様の「〇〇妻」の最終回で、私が号泣した次の日ですね。

「違います。号泣したのは、俺の方です」
完全否定された。

確かに、次の日、獅童氏が目を腫らして私の前に座ったことを私の灰色の脳細胞は憶えていた。
それは、もちろん「〇〇妻」の最終回を見て泣いたのでないことはわかっていた。
獅童氏は、信じられないことに「〇〇妻」を見ていなかったのだ。

チャラい人間には、あの繊細なストーリーは無理なのかもしれない。

そのとき、獅童氏の目が腫れていたのには、何かの理由があったのだ、とは思った。
しかし、私は人の目が腫れていようがいまいが関係ない、と思う冷血動物である。

だから、そのことには触れなかった。
私は、呆れるほど軽い口調で、家族に内緒で日帰りで痔の手術をしたんですよ〜、貧ケツを治す前にケツを治しちゃいました・・・みたいな、というデリカシーのない話題を振ったのだ。

普段なら、「ええーーーーー!」と大げさに驚いてくれる獅童氏が、「ハハ」と軽めの愛想笑いを返したことで、私は低俗な話題を振った自分のお茶目さを後悔することになった。

そのあと、獅童氏は、こちらが聞きもしないのに、8秒間ほど目をつぶってから、歌舞伎役者のように視線を一点に集中させて語り始めた。

獅童氏には、4年間同棲している彼女がいた。
一緒に住み始めるにあたって、その彼女が「犬を飼っているんだけど連れてきてもいい?」と獅童氏に許可を求めたというのだ。

偶然にも獅童氏は犬が好きだったので、「もちのろん」と答えた。
彼女が連れてきた犬は、当時すでに13歳の老犬パピヨンだった。
人間で換算すると70歳くらいの高齢だ。

その老犬は、すぐに獅童氏に懐き、彼をご主人様のパートナーとして認めたようだ。
獅童氏は、彼女と犬のいる幸福溢れる生活を手に入れた。

しかし、犬は明らかに老いていた。
年齢を重ねるごとに、段々と体がいうことをきかなくなってくるのは、犬も人間も同じことだ。

老犬は、徐々に散歩をするのも辛くなり、食事も細くなり、排便もうまくできなくなってきた。
それに対して、獅童氏は老犬をバスケットに入れて外の空気を吸わせ、根気よく食事を与え、下の世話も献身的におこなった。

「だって、家族じゃないですか」

その老犬「ブリちゃん」は、昨年の3月半ば、天に召された。
16歳だった。

同居の彼女は、覚悟を決めていたので、涙は流さなかった。
獅童氏も覚悟はしていたが、どうしてもブリちゃんの死を受け入れることができず、夜通し泣き通したというのである。

だから、そのとき獅童氏の目は腫れていた。
まったく眠ることができず、心は「ブリちゃんロス」で満たされていた。

「目を開けていても閉じていても、ブリちゃんが目の前に出てくるんですよね」と、言いながら獅童氏が懸命の表情を作って、涙の蛇口を閉める姿は痛々しかった。


それは、いい話だ・・・・・とは思う。

しかし、私には関係がない。
私は、ブリちゃんに会ったことがない。
だから、感情移入のしようがない。

人が可愛がっている犬が死んだところで、私の生活には何の変化もない。
そんなことを聞かされても私の心は動かない。
私は、薄情な人間なのである。

だが、獅童氏が言うのだ。
「あれ? Mさん、泣いてくれてるんですか?」

泣いているわけがないでしょう!
何を言ってるんですか!

「いや、間違いなくボロ泣きですよ」

きっと水漏れですね。
このビルが老朽化しているんです。
リニューアルしたほうがいいんじゃないですかね。

「いや、まだ建てられてから10年くらいだと思いますけど」

・・・・・というようなコントをしたことは、老朽化した私の頭がかろうじて憶えていた。


獅童氏が、上半身を17度前傾させて言った。
「あのMさんを見たとき、俺、もう少し、この人を見ていたいと思ったんですよね。
だから、上司に、もう少しやらせてくださいってお願いしたんです」


フッ・・・あんな嘘泣きに騙されるとは、獅童氏、あんたも若いな。
甘っちょろいな。


ところで、タチバナさん。
気持ち悪い、と罵られても私は一向に構わないのですが、あのとき、ブリちゃんの画像をくださいってお願いしましたよね。

「そうですね。4、5枚送りました」

その中の1つがいま、私のiPhoneの待受画面になっているんですよ。
そう言って、私はiPhoneの待受画面を獅童氏に見せた。

在りし日の気品あるパピヨン様の毅然としたお姿が私のiPhoneの画面を占領していた。

そうすると、獅童氏が「アッギャー!」と叫んだのである。
そして、私に自分のiPhoneを差し出したのだ。

そこには、同じブリちゃんの待受画面が・・・・・。


きっもち悪いですねー!


二人の声がハモった。



そのあとの短い沈黙は、アホな男ふたりが涙をこらえるのに必要な時間だったのだと思う。



2016/02/06 AM 06:28:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

無防備な生き方(エルボーを3回くらった日)
前回の続きになるが、大学時代の友人カネコの娘ショウコとの会食を終えた帰り道のことだった。

駅の手前の横断歩道で、「ペットショップは近くにありますか」と40歳前後の男性に聞かれた。
サンロードを抜ける手前の角にあります、と答えた。

しかし、道を聞くなら普通は交番だろう。
10メートルほど先に交番が見えるのだから、そこで聞けばいい。
なぜ、わざわざ私を呼び止めて聞くのだ。

その後、吉祥寺駅の中央線下りホームでは、白人の25〜39歳くらいのカップルに声をかけられた。
おそらく、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、南アフリカあたりの人だと思われる。

「今日は、八王子のインターネットカフェに泊まって、明日高尾山に行こうと思うが、おまえは高尾山に行ったことがあるか?」というようなことを英語で聞かれた。

聞かれたら答えないと失礼になると思って、カタコトの英語で Uh...,before the Edo shogunate era about 200 years,sometimes climbed Mt.Takao (えーと、200年ほど前の江戸幕府の時代に高尾山に登った)と答えた。

そうしたら、ショウコの右のエルボーが、私の左脇腹に炸裂した。
「This guy's a fool」(こいつは、アホやけん!」
「Don't trust ! 」(信用しないで)

そのあと、八王子在住のショウコが流暢な英語で、高尾山はいいところだということを熱弁した(らしい)。

だが、なぜか白人さんは、私の顔を見ながら、「高尾山のソバは有名らしいが、食ったことがあるか?」と私に英語で聞くのである。

聞かれたら、答えねばなるまい。
イエス、ソバ イズ ソウルフード オブ ジャッパニーズ!

「ソウル・・・・・フード?」

ヤア! ソウル、ソウル! ジェームス・ブラウン、ゲロッパ!

左脇に激痛が走ったが、白人さんが「オー! ジェームス・ブラウン! ソウル! ソバ! アイ インジョイット!」と盛り上がってくれたので、ショウコの険しい顔が笑顔に変わった。

危ないところだった。
トドメのエルボー・ドロップを喰らうところだった。

白人さんは、フレンドリーにフェイドアウトした。

「でも、不思議だよね。あの二人は、なんで私を無視してサトルさんにばかり話しかけたのかなあ。顔がマヌケだから、話しかけやすいのかなあ」と首をかしげるショウコ。

そのことに関しては、私の中で結論は出ていた。

私も生まれてから275年間ずっと不思議に思っていたからだ。


たとえば、むかし函館空港のロビーで搭乗時間を待っていたとき、「函館に壱番館という珈琲店があるらしいのですが、どう行けばいいでしょうか」と、突然聞かれたことがある。
(なぜか近くのソファにゴルフバッグを横に置いた笑福亭鶴瓶師匠がいた)

島根県松江の小泉八雲記念館を観光客の顔で巡っていたら、「八重垣神社の行き方を教えてください」と、顔を覗きこまれたことがあった。

岩手県北上駅の東横インの前で、旅行かばんを持ってタクシーを待っていたら、「朝からラーメンを食べられる店を知っていますか」と、二人連れの若い女性に聞かれたことがあった。

福井県敦賀市のビジネスホテルのカフェでモーニングセットを食っていたとき、隣りのサラリーマンに「昨日から歯が痛むので、歯医者を教えて」と言われたことがあった。

中央線三鷹駅前でアンケートに答えていたら、横から若者に「自転車屋さん、この辺にある?」と聞かれたことがあった。

静岡県浜松市の赤十字病院に入院中の友人の見舞いに行くため、浜北駅前でバスを待っていたとき、「この辺で桜の名所ってどこかねえ?」と、地元のオッサンらしき人に聞かれた。

このへんに住んでいるわけではないので知らないんですよ、申し訳ありませんが、と答えるとたまに舌打ちを返す人がいた。
このヤロー、顔をペロペロしてやろうか・・・と思うことが5回のうち5回はあるでございます。

あたりを見回してみると、大抵は交番が近くにあったり、お巡りさんが平和そうに自転車に乗っている姿や暇そうなオバちゃんを見かけることが多い。
なぜみんなお巡りさんや地域のオバちゃんを有効活用しないのだ。
ガイコツをいじめるのが、そんなに楽しいか。


話の趣旨は少し変わるが、たとえば、ショウコがガキの頃、ショウコは私の膝の上によく乗ってきた。
ショウコには9歳下の弟がいたが、いま大学1年の弟のレオンは、10歳くらいまで私と手をつないで歩くのが好きだった。
ショウコは、父親のカネコの膝に座ることはないらしいし、レオンもカネコと手をつなぐことはなかったという。

我が家でも、息子と娘は小さい頃、私に寄りかかったり、膝の上に乗ったり、手をつなぐことはあっても、母親に同じことをすることはなかった。
私と同じ布団で寝ることはあっても、ヨメと一緒に寝たことはなかった。

長い付き合いの友人・尾崎の娘の水穂と里穂は、私の顔を見ると、必ず「しゃがんで」とリクエストした。
そして、私がしゃがむとホッペにチューをしてくれるのだ。
二人とも尾崎の膝の上に座ることはあるが、チューはしないという。

小学校6年のとき、2学年下の男の子たちが、給食が終わると私のクラスに遊びに来るのが日課だった。
10人以上いたと思う。
その子たちが話すことを私は黙って聞き、ときに相撲やプロレスをして遊んでもらった。

私が中学3年になると、その子たちは同じ中学に入学して、ほとんどが私と同じ陸上部に入った。
それまでは、多くても15人程度だった部員が30人に膨れ上がったから、顧問は大慌てだった。

イヤラシイ自慢になるが、高校はそれなりに偏差値の高い私立高校に入学した。
3年になったとき、陸上部に3人の見慣れた顔が入ってきた。
小学校から、私を慕ってくれた3人が「マツくん、俺たち、一生懸命勉強して、マツくんと同じ高校に入りました!」と言って、彼らは私を驚かせた。

彼らは、大学も私の後を追って、同じ学部に入学した。
もちろん彼らは陸上部に入部した。

いま彼らは、一人はドイツで暮らし、一人はインド、もう一人は四国愛媛に生きる場所を見つけて羨ましい人生を歩んでいた。
ほとんど会うことはないが、私が死んだら、きっと墓参りくらいはしてくれるに違いない。

俺は磁石なのかな、などと意味不明のことを考えてみたことがあった。
俺が磁石で、彼らが鉄。

くっつくのが運命だったんだ、などと格好をつけたこともあった。

しかし、それが馬鹿げた妄想だということは、すぐに気づいた。


そのことに関しては、理由づけは簡単だった。

俺が無防備だからだ。

ショウコがむかし言ったことがあった。
「サトルさんは、『構えない人』だよね」

ショウコが言うには、たとえば父親のカネコは、人間としての法則が決まっていて、こう言えばこう返ってくるとか、こうすればこうしてくれるという定義を持っているというのだ。
そして、ほとんどの大人は、その定義を持って、それぞれの時間を生きるのが普通らしい。

だが、私はその都度、対応が違うと言うのである。
子どものころは、それに関して深く考えたことはなかったが、大人になってからそのことに気づいた、とショウコは言った。

同じことを聞いて、同じ答えが返ってくるのが「大人」。
しかし、私は違った。

だから、面白いというのだ。

「それって、無防備だよね。だって、『大人』は身構えて同じ答えを返すけど、サトルさんは構えてないから、隙だらけなんだよ。悪い言葉で言えば、『いい加減』。でも、私はそこに親しみを感じたんだよね。隙だらけの大人って、子どもには楽しいものなんじゃないかな」

確かに、俺は無防備だな、とは思っていた。

陳腐な例えだが、すべての侍が刀を二本差して街を歩いているところを、自分だけは丸腰で歩いているような感覚は持っていた。
二本差しのお侍さんを羨ましいと思ったこともなかった。

ボロいスーツを着ていて、それを人から笑われていることを想像したことはないし、公園のベンチで握り飯を食っている姿を人から笑われているとも自分では思っていなかった。
鈍感なのだと思う。

そして、こいつに道を尋ねたら、絶対に断らないだろう、という安易な気持ちを人が持っていることにも私は気づかないで、人に道を尋ねられる日常を今も繰り返している。

身構えたお巡りさんや大人たちに道を聞くことにはためらいがあっても、法則を持たない男に人が道を聞くのは簡単だということがわかったからだ。


繰り返すが、無防備。


日本のことをよく知らない外国人にとって、流暢に英語を話す「構えたショウコ」よりも、無防備な私のほうが、異国の地に舞い降りて不安な異邦人には、話しかけやすかったのだと思う。


「無防備」で得をしたことは私にはないが、今さら変えるのも面倒なので、このままの生き方を続けようかと私は思っている。


「でもね、サトルさん」とショウコが言う。

「東京オリンピックもあるし、外国人観光客も増えたんだから、ニッポンの恥になることは、お願いだからやめてよね。さっきの・・・あれはヒドイよ!」


わかった。
悪いと思っているんだ。
俺は今モーレツに反省してる。

これからは・・・・・・・もっと発音を勉強することにするよ。

本当は、「ゲロッパ」ではなく「ゲラップ」だよな。



中央線下り高尾行の電車の中で、ショウコのエルボーが左脇腹に炸裂した・・・・・と思ったら後頭部に何かが落ちてきた。

エルボー・ドロップを喰らったのかもしれない。



2016/01/30 AM 06:25:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

神々のレシピ
目の前に27歳の人妻がいる。

だからといって、私が不倫をしているわけではない。
大学時代の友人、カネコの娘ショウコが、お年玉袋を3つ手に持って、勝ち誇った顔をしているのである。

ショウコとショウコの子ども2人のお年玉だ。

その代わりに、私はショウコから2つのお年玉を受け取った。
私の子ども2人の分である。

ただ、同じお年玉だとは言っても、その意味合いは全く違う。

ショウコの場合は、私からお年玉を強奪するという表現が的確だ。
しかし、私の場合は、ショウコから謹んで頂戴する、という情けない状態になる。

そんな情けない正月が、何年も続いている。

そんな風に私を情けなくさせるショウコが、吉祥寺の串カツ屋で食べ放題の串カツを食い、昼間から生ビールをお代わりしながら言ったのである。
「普通の人は、私が翻訳の仕事をしているっていうと必ず『儲かるの?』って聞くけど、サトルさん、一度も聞いたことがないよね」

ショウコは、大学院を卒業してから、自宅で翻訳の仕事を始めた。
二人の子どもを育てながらする仕事として、何が適切かと考えて、得意な語学を活用することを思いついたのだ。

英語とドイツ語。

トリリリリリ・・・・・・・ンドル(ガル?)ですよ。

そりゃあ、2種類の外国語を駆使できれば、儲かるでしょうよ。
だが、私は内心の動揺を隠しながら、気取って言うのだ。

もし、ショウコが、俺より収入が上だったら、俺はその瞬間から仕事を辞めたくなってしまうだろう。
だから、聞かないのさ。

「ふ〜〜〜〜ん」
どうやら、信用していただけなかったようだ。

そのあと、話を強引に変えられた。
「娘の通う幼稚園でね・・・去年からママ友カーストがすごいことになっているの」

両頬に大量に散ったソバカスを赤く変色させて、ショウコが一気に語った。

ママ友カーストとは、お母さまたちの間を上下関係で縛り付ける序列のことだ。

ショウコの娘が通っている幼稚園でも、そのカーストが幅をきかせているらしい。
ショウコの娘と同じ組のお母さんで、とても強烈な個性の方が一人いて、その人の吸引力に負けて、組のお母さん方の7割以上が、そちらへなびいていると言うのだ。

そこでは、歴然たる階級が存在するらしい。
つまり、その世界のママたちは「平等」を選べない状態になっていた。

その現状に馴染めない人は、馴染めない人同士で他に一つのグループを作って群れているらしい。
しかし、ショウコは、どちらにも所属しないことに決めているという。

「だって、サトルさんだって、どちらにも属さないでしょ、ゼッタイに!」

困ったことに、私のひねくれた性格を受け継いでいる人が、この世界に2人いた。
私の大学2年の娘と友人カネコの娘ショウコだ。

ショウコが私の目の前に現れた6歳のときから、私はショウコに勉強や運動、料理など様々なことを教えた。
そして、今にして思えば余計なことだったが、「俺、多数派が好きじゃないんだよね」ということも吹き込んだのである。

ショウコと娘は、私の考えをまともに受け止めて、やや斜めになりながら大人になった。
二人の本質は、強くて明るく賢くて社交的な眩しいくらい「人間くさい」性格なのに、幼い頃に植え付けた私の言葉が、二人に呪縛を与えてしまったのは、百パーセント私の責任と言ってよかった。

じゃあ、ポーちゃんは、幼稚園にお友だちがいないってことか。

「ああ、それは大丈夫。他の組に家が近い子が3人いて、その子たちと仲良く遊んでいるから。
それに、あと少しで卒園だからカーストとは、お別れできるし」

しかし、小学校に上がってもカーストは存在するかもしれない。
そのときショウコはまた、同じように群れから距離を置くことを選ぶのだろうか。

私は、自分がそれを選んだのだから後悔はしていないが、私以外の人に、この生き方は勧めたくない。
私は、誰よりも人恋しいくせに、それを拒否することでかろうじてアイデンティティを保っている弱い人間だ。

そうしないと、人との区別がつかないからだ。
その方法しか、私の精神を安定させる方法が見つからない。
つまり、中身が空っぽだから、その程度のことでしか、自分を主張できないのである。

しかし、心の綺麗なショウコと私の娘は、そんなことをする必要はない。
そんなことをしなくても、誰とでも対等以上の良好な関係を築けるはずである。

今なら修正がきく、と思った私は、こんなことをショウコに言った。


俺には、前から思っていることがあってね・・・。

この地球上では、72億人以上の人が、それぞれの人生を紡いでいる。
その上で、この銀河系には、たくさんの神が存在すると私は思っている。

さらに、その神たちは、我々ひとりひとりに貼り付いていると想像している。
その我々に貼り付いた神は、貼り付いた人間のためのレシピを持っているのだ。

つまり、我々は、そのレシピに沿って生きているということだ。
塩や砂糖の分量、焼く時間、煮込む時間、寝かせる時間、それらの多くは神がレシピで決める。
我々人間は、最初はそれに従わざるを得ない。

ただ、この神は完全無欠ではない。
人間の意思の全てをコントロールする能力まではない。
人間に選択の余地を残してくれているのである。

もし人がいいことをしたら、途中でレシピを変えてくれるのだ。
もちろん、悪いことをしてもレシピは変わる。

私の場合、今まで一つもいいことをしていないので、レシピ通りに料理を作ったら味は劣化するばかりだ。
塩の量だけが異常に多い「しょっぱい人生」をレシピ通りに実践している。

しかし、ショウコや私の娘は、まだ途中で胡椒やニンニクを加えることができるのだ。
それで、いくらでも「おいしい人生」に変化させることができる。

つまり、神々のレシピは、このように完璧ではない。
人間一人ひとりが、優秀なシェフになれば、そのレシピはその人のオリジナルになる余地をまだ残している。

ショウコたちは、レシピを変える純粋な力を持っているのだから、俺の真似をすることはない。
みんなレシピが違うのだから、真似なんて無意味だ。

これからは、独自のレシピを生きてみたらどうだ。


私は、かなり説得力のある話をしたつもりだった。

しかし、ショウコに笑われた。

「あのね、サトルさん。そんなイイ話も前歯が1本抜けた間抜けな顔で言われたら、苦笑するしかないんだけど・・・」

そうなのだ。
昨晩、おこげの中華あんかけを作って食ったら、差し歯が折れてしまったのだ。

私は滅多に鏡を見ることはないのだが、17ヶ月ぶりに見た自分の顔は、前歯の部分が空洞になって、とてもお茶目なガイコツだった。


俺って、マヌケでお茶目?

「うん、お茶目ではないけど、だいぶマヌケ。
どんなレシピを書いたら、そんなマヌケな顔になるんだろうってレベル。
ほらほら、あと10分で食べ放題の時間が終わるから、マヌケ顔で早く食べちゃいな」

そして、ショウコはさらに追い打ちをかけるのである。

「マヌケ顔で白髪でガイコツ。
そんなレシピのオッサンには、ハイエナもゼッタイに寄り付かないと思うよ」


そんな風に褒められたので、蓮根の肉詰めを抜けた歯の部分にハメて、お茶目顔を見せた。

ブーツの足で、むこうずねを蹴られた。



この痛さも、レシピ通りかぁ!


2016/01/23 AM 06:22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

支配する側とされる側
今年、後悔したことはたくさんある。

世界の恒常的な平和が叶わなかった。
イスラムステイトを平和な集団にすることができなかった。
中国による南シナ海の横暴な支配を防げなかった。

フランスの同時多発テロ、タイの連続爆破テロを防げなかった。
中国が開催した戦勝者の論理による「抗日戦争、反ファシズム戦争勝利70年」を、他の第2次世界大戦勝者たちは無批判に見守っていただけだった。

中東からの欧州への難民避難を他人事として見るだけだった。
アメリカが正義の名のもとに、罪のない「国境なき医師団」を誤爆して多くの犠牲者を出した。
イギリスのキャメロン首相が、中国マネーの圧力に負けて、中国の軍門に下る決断をした。
台湾総統が、中国と接近し、独自の国家としてのプライドを捨てた。

公約のインフレ率2パーセントを達成できなかったのに、日銀総裁は「予定通り」と言った。
達成できないのを予定通りというなら、目標を掲げるべきではない、と平民である私は思った。

安全保障関連法案が可決されて、公明党が「平和の党」の看板を下ろし、戦争待機の政党に変化した。
大阪都構想が実現できなかった。

「一億総活躍社会」という意味のわからない日本語を政府が勝手に使い始めた。
かつて公的資金をタップリもらったみずほ銀行が、預金者の金を自民党に献金する方針を固めた。

自公政府が株価を上げることを優先したことで、金が上場企業にだけ吸い上げられ、20パーセントを超える若者の貧困層を見殺しにする結果になった。
底の浅い科学者や政治家たちが、大きな災害を人災を含めて全て「エルニーニョ現象」のせいにした。

2020年の東京オリンピックのエンブレムが、パクリだと袋叩きにあってボツになった。

しかし、あの程度の類似は、世界を見渡したら数知れずあるはずだ。
対象物を「トレースする」のと「参考にする」の意味は、180度違うと私は思っている。

トレースしたのならパクリだが、参考にしたのなら、ただ類似しただけだ。
日本はいつから「類似」さえも許さない潔癖症の社会になったのだろう。

新国立競技場のデザイン変更も茶番だったが、エンブレムの取り消しは、開催国として腰が座っていない茶番だった。

ここでまた話は脱線。

今年の春。
新宿でコンサルタント会社を経営する大学時代の友人・オオクボとこんな話をした。

権力者が、どんなに力を誇示して人を支配したとしても、彼らにも絶対に支配できないものがある。

「なんだ、それは?」

自分の内臓だよ。
ジンギスカン、ナポレオン、ヒトラーは多くの人民を支配した。

だが、人民を殺人兵器で支配したり、自分の手や足、目、頭脳は思い通りに動かせたとしても、自分の心臓、胃、肝臓、腎臓などは思い通りに動かせない。
内臓のどれか一つでも死んだら、彼らも死ぬのだ。

その生理的メカニズムは、支配者も人民も等しく同じだ。

つまり、権力者がどれほど力を誇示したとしても、人としての出口は我々と同じなんだ。
支配者は、我々を殺人兵器で殺すが、彼らは自分の内臓に殺されるんだ。

そう考えたら、権力者なんて大したことないだろ?

私が得意げにそう言ったら、「ちょっと待て。その話はなにかの本で読んだことがあるぞ。コラムだったか、小説だったかは忘れたが、同じような文章を俺は読んだことがある。おまえ、それって、パクリじゃないのか」と、オオクボが私よりさらに得意げに問い詰めたのである。

しかし、考えてみて欲しい。
いま、地球上には72億人以上の人が暮らしている。
そのなかで、同じ考えを持つひとは、いくらでもいるだろう。

いや、むしろ、いないほうがおかしい。
かつてコペルニクスが地動説を唱えたとき、同じように思っていた人は必ずいたはずだ。
ニュートンが万有引力を発見したときだって、同じことを思っていた人はいたと思う。

世の中には、そんな偶然はいくらでもある。
我々人類の思考能力や想像力は、天才と凡人で数パーセントしか違わないという説もある。

俺が考えたことが、人の意見と同じになる確率だって、数パーセントはあるだろう。
俺の今言ったことは、決してパクリではない。
俺の頭脳から湧き出てきた独自の理論だ。

しかし、オオクボは、私のそんな説明に聞く耳を持たず、「パクリだ、パクリだ」と言い募るのである。

おまえ、そんな固い頭で、よくコンサルタントなんか、やっていられるな。
そんなことで、顧客の重要な課題を解決できるのか。

だが、オオクボは私の忠告を鼻で笑うように、顔を赤くして非難するのだ。
「そうやって、俺の方に問題点をふるなよ。おまえ、パクったんだろ? パクッたって認めろよ!」

パクリと決め付けたら、頭の固い人間は、その考えを自ら捨てることはない。
つまり、「冤罪」とは、このようなシステムで人の身に降りかかるらしい。

エンブレムに関しては、誰がパクリだと断定したのか、その経緯が私にはよくわからない。
だが、少なくとも私の感覚では、あれは「露骨に類似している」わけでもなく、トレースしたわけでもないように思われる。
(トートバッグの件は、一部は完全なトレースだったが、それとエンブレムを関連付けるのは根拠として乏しい)

不特定多数の潔癖症の「けしからん」が、ルックス的に謙虚に見えないデザイナーに、無理やり頭を下げさせた、と私は今でも思っている。


話が大きく脱線したことをお詫びいたします。

このように、私の話が脱線することを私が抑えきれなかったことも、今年後悔したことの一つだ。


そして、個人的には、成人した娘に晴れ着を買うことができなかった自分の不甲斐なさを一番後悔している。


次に後悔していることは、庭のダンボールに住み着いたセキトリという名の野良猫への仕打ちだ。
1週間前の朝、カニカマを細かくほぐして、それを雑炊風に柔らかく煮込んだメシに乗せて出したときのことだ。
普段なら、喜んで食いつくはずのセキトリが、一歩も動かずに固まってしまったのである。

どうしたんだろう?
食欲がないということは、具合でも悪いのだろうか?
病院に連れて行ったほうがいいかも・・・・・と私は心配した。

しかし、私はそのあとすぐに気づいたのだ。
私のサンダルの足が、セキトリの尻尾を踏んでいたことを。

しかし、セキトリは鳴き声をあげることもなく、私を避難がましい目で見るわけでもなく、我慢していたのである。

私は、セキトリを支配しているわけではない。
私とセキトリは、友だちだ。

しかし、セキトリは、食事を貰う自分の立場をわきまえて、私に抗議しなかった。
その姿を見て、これでは、まるで支配する側と支配される側の構図ではないか、と私は気づいた。

セキトリ、ごめんな、と何度も謝ったが、セキトリが私を許してくれたかどうかの自信が私にはない。

この件に関しては、後悔したまま、年を越しそうな気がする。


皆さま方には、こんな後悔をしない一年を過ごしていただきたいと思います。



それでは みなさま  よい お年を



2015/12/31 AM 06:27:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ストイックではないが禁欲的
今年の同業者との忘年会は出ないつもりだった。

前回の飲み会で私は、こう提案した。
二ヶ月ごとに飲み会を開いているのだから、忘年会も新年会も同じ飲み会としてやったほうが効率がいいんじゃないですか。
しかし、全員から「忘年会と新年会は特別。今年もきちんとやりましょ」と却下された。

きちんとしたことが嫌いな私は、それならパス、と思ったのだが、毎回飲み会で使わせていただく吉祥寺居酒屋の店長代理が、オメデタもあって今年いっぱいで居酒屋を辞めるという情報が偏西風に乗って飛んできた。

そこで、考えが変わったのだ。


私は臆病者なので、馴染みの店を作ることに慎重である。
モノや人に愛情を持ってしまうと、それを失くしたときの喪失感が大きい。
それが怖いので、なるべくモノや人から距離を置いて生きてきた。

そんなこともあって、初期の頃の同業者との飲み会は毎回店を変えていた。
そのほうが、気が楽だからだ。
飲み会に限らず、同じ店を利用することを私は今も病的に避けている。

一回限りだったら、その店のことはすぐに忘れることができる。
「通りすがりの人」でいられる。

それは、私の精神を安定させるために、なくてはならない儀式だった。
だが、3年ほど前に利用した居酒屋が、私のそんな思惑を無視して、困ったことに今は馴染みの店になってしまったのである。

そこの店長代理の女性を(私を除く)スケベ親父どもが気に入ってしまったからだ。

「活発な感じで女将っぽっくて、いい子だよね」
「北乃きいを成熟させた感じだよね」
「愛人にしたいよね」(キモいぞ、お前ら!)

その結果、そんなスケベ親父どもの下心丸見えのスケベ目線がフォースとなって、その居酒屋がレギュラーポジションを得てしまったのだ。

私はいつものように、なるべく馴染まないように馴染まないようにと最初は努力した。
しかし、生まれついてのお茶目さが出てしまったせいで、店長代理・片エクボさんと一番仲良くなったのが私、というなんとも皮肉な結果になった。

ただ、店長代理・シモコーベさんが私のことを「白髪の旦那」と呼んで、カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウよりも私に懐いてくることが、私をいつも居心地悪くさせた。

毎回、片エクボさん相手に軽口を叩くのだが、軽口を叩くたびにケツが椅子から浮揚して、さらに居心地の悪さが増幅した。

だが、実にうまいタイミングで、片エクボさんが妊娠し入籍するという幸運に遭遇した。

それを聞いたときの私は、ああ、これで居心地の悪さから解放される、とケツを椅子に落ち着かせたものである。
落ち着いた気分でグビっと飲む一番搾りの中ジョッキが、体の奥深くまで浸透して私の気分を高揚させた。

やはり、うまいですね、ビールは。


ここで、話はいつものように脱線して、私の貧しい血の話を。
主治医の優香観音様の指示通り、一ヶ月間に亘り一日缶ビール1本を摂取したのち、先週血液の数値を計った。
すると、貧血の判断基準である残留鉄は変化しなかったが、ヘモグロビンの数値は1.5ポイント上昇するという結果が出た。

そこで、優香観音様から「本当ならアルコールは、このままやめたほうがいいのかもしれませんけど、ヘモグロビンの数値が増えていることから影響は少ないと考えていいでしょう。適度に飲むのならいいかもしれません。Mさんはストイックだから、ご自分でブレーキをかけることができるはずです。だから、『適度に』摂取するならいいですよ。ただ定期検査はこれからも続けていきましょう」と許可が出たのである。

わけあって、私の英語の辞書では、「stoic」の箇所が黒く塗りつぶされていることもあって、私はストイックの意味を知らない。

だから、観音様に、私は全然ストイックではありません。でも、禁欲的な男です、と言った。

そうしたら、「は〜いはいはい、要するにストイックなんですね」と、あしらわれ、出口を指さされた。
お忙しかったようだ。


ストイックではないが禁欲的な私は、中ジョッキ一杯で満足した。
カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウが酒をすすめてきたが、動物どもの言うことは無視した。

そんなとき、私服姿の片エクボさんが我々のテーブルにやってきた。
その美脚を見てガイコツは密かにヨダレを垂らした。

9時を過ぎていたようだ。

今までは、店長代理ということもあって、店のクローズまで勤めていたが、妊娠してからは負担を軽くするため9時に上がることにしたという。

「皆様とは、これで最後だと思いますので」と片エクボさんが、一人ひとりに頭を下げた。
動物どもが拍手をした。
ガイコツも拍手をした。

そのあと、なぜか片エクボさんに「白髪の旦那、立ってくれます?」と促された。
言われるままに立ち上がると、片エクボさんに「うわっ、デカッ! 細ッ!」と今更ながら呆れられた。

片エクボさんの身長はわからない。
きっと150センチから161センチの間だと思う。
そんな片エクボさんから見れば、私は不自然に肥大したガイコツに思えたことだろう。

その変態ガイコツに向かって、片エクボさんが言った。

「ねえ、最後にハグしてもいい?」

ほとんど何も考えずに頷いたら、軽く抱きしめられた。

あ・・・・・ハグって、これのことかぁ、と棒立ちの間抜けなガイコツに向かって、片エクボさんが、「骨が当たるゥ! 何だぁ、このゴツゴツした気持ちよくない感触は!」と罵った。

勝手にハグしておいて、なんだこいつは、と思った。
抗議しようと思ったが、片エクボさんに真剣な表情で下から見上げられたので、やめた。

「白髪の旦那には、何かと助けてもらったからね。これは感謝のしるしだよ」

だが、私は片エクボさんを助けた覚えはないので、それはきっと片エクボさんの勘違いだろう。

6秒間のハグのあとに、私は、では俺もお礼にフォースを送ろうか、と言った。

「フォース?」

(白目で)ドゥルルルルルルルルルー・・・ブン!
安産でっす!

手をたたいて受けてくれたが、「ありがとう。でも、相変わらずバカだね」と褒められた。
そして、「産まれたら電話するから」と、片エクボ・シモコーベさん(結婚後の姓を聞いていなかった)は、美脚を翻して私の目の前から消えた。

もちろん、喪失感はなかった。
ただの「通りすがりの居酒屋」の店長代理だからだ。

それよりも鬱陶しかったのは、カピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウどもが私に向ける非難の目だった。
その動物の嫉妬が鬱陶しかったので、私は全員の頭をかじってやろうと決心した。

ガォーッと口を開けようとしたとき、私の前に一番搾りの中ジョッキが置かれた。

何ですかこれは?
なにかの間違いでしょう。
私は頼んでおりませんが。

私がそう言うと、片エクボさんよりルックス的に45パーセント劣る店員さんが、「店長代理からでっす」と愛想笑いで私を見下ろした。
その顔を見て、私は8パーセントだけ喪失感を味わったが、すぐに立ち直った。


最後に中ジョッキを奢ってくれるとは、粋ですねえ、片エクボさんは。

美味しくいただきました。


それを見たカピバラや馬、オランウータン、ナマケモノ、オオスズメフクロウどもが、私を指差して合唱した。

「なんだよ! どこがストイックだよ! ただのスケベじゃないか!」


うるさいぞ!
それならむしろ「セクハラオヤジ」と呼んでくれ。

片エクボさんにハグされたとき、どさくさに紛れて、髪の毛にキスをしてしまったのだから。


でも、臆病者でなければ、抱きついて離れないところだろうから、私はストイックではないが間違いなく禁欲的だ。


2015/12/28 PM 04:59:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

長男と次男
91歳を超えても、母は元気である。

もっと認知症が進むかと思ったが、家族が近くにいることが母の脳にいい刺激を与えているのか、思いのほか平穏な日常を過ごしていた。

そんな母の口からは、3年前に死んだ娘のことや2年前に死んだ夫のことが話題に上ることは一度もなかった。
仏壇の位牌は、母の両親のものだけだ。
娘や夫のものはない。

それを「死者に対して冷たすぎるだろ」と言う人はいるかもしれない。

しかし、母をずっと見てきた息子だからこそ、その感情は理解できた。
世の中には、思い出さなくてもいいことなど、たくさんある。

母にとって、娘と夫のことは、きっと思い出さなくてもいいことなのだ。
無理に思い出さなくても生きていける。

死者を弔う役目は、息子一人が負えばいい。
とは言っても、墓を建てただけで、墓前に自分の手で花を手向けたことは一度もないが。


私は最近よく思うのだ。

母が、もしも父と結婚せずに、娘や息子を産まなかったら、母はもっと幸せな人生を歩んでいたのではないかと。

大企業に勤めながら、家に帰ってこず、生活費を入れなかった身勝手な夫。
高校を卒業して、何も生産性のあることをせず、40年間家に引きこもった娘。

そして、いい大学を出してもらったのに、母の希望する仕事につかなかった出来損ないで、はみ出しものの息子。

働いて働いて、病気を抱えながら生きてきた母。
その結果、80歳を過ぎて3回も手術を受けるという、容赦のない現実が母を苦しめた。

私が唯一知っている、さだまさし氏の歌に、「無縁坂」というのがある。
その歌詞は、まるで母のことを歌ったのではないかと私はいつも思っている。


運がいいとか悪いとか 人はときどき口にするけど
そういうことって 確かにあると
あなたを見てて そう思う


母は運が悪い人だった。

仕事には恵まれたが、家族に恵まれなかった。


我がおんぼろアパートから自転車で数分のバリアフリーのワンルームマンションに住む母。

その母に、先日、こんなことを言われた。
「私は運がいいですよ。
だって、あんなにいろいろな病気に罹ったのに、90歳を過ぎても生きていられるんですもの」

違うだろう、と思ったが、反論はしなかった。

顔を上げて母の顔を見ることができなかった。

笑顔の中に浮かぶ深い皺。
それを見るのが怖かった。

しかし、母は話を続けるのだ。
「あなたが近くにいてくれてよかったですよ。
あなたがいなければ、私なにも出来ませんから。
世間知らず、ですからね」

それも違うだろう、と思った私は、なおさら顔を上げることができなかった。
自分が蟻以下の存在になった気がした。

そんなとき、友人の尾崎が、いきなりやってきた。

尾崎と私は一年以上会わないことがよくあったが、そんなときでも尾崎は私の母には会いに来てくれたのである。

尾崎は、私の母を「母ちゃん」とか「母ちゃん先生」と言って慕っていた。

10月8日の母の誕生日のときも来てくれたのに、また来てくれたのだ。
「母ちゃん先生、神代植物公園に行こうぜ」

私がいないときに、花好きな母と神代植物公園に行くことを約束したらしいのだ。

成功者の尾崎は車を2台所有していたが、私の母のために、そのうちの1台を車椅子を乗せられるように後部座席を改良していた。
植物園内は歩いたとしても、車内では車椅子の方が楽だと思ったのだろう。

「母ちゃん先生、車椅子に乗ろうか」
尾崎が母を抱きかかえて、車椅子に乗せた。

まるで出来のいい息子と母のようだった。

「あなたも来るでしょ」と、笑顔の母が私に聞いた。
顔の皺が輝いて見えた。

だから、目をそらした。

いや、尾崎がいれば安心だから、俺は・・・・・。

そう言ったら、尾崎が私を睨んだ。
「俺は母ちゃん先生の『次男』だ。
でもな、長男がいるから俺は次男なんだ。
親孝行は、息子二人でするもんじゃないのか」

母はよく尾崎に、「尾崎くんは、私の『次男くん』だからね」と言っていた。

それを母に言ってもらったときの尾崎はいつも嬉しそうだった。

母がなぜ、はぐれ者の尾崎を気に入ったのか。
そして、なぜ尾崎が母のことをこれほど慕うのか。

その理由はわからないが、尾崎は懸命に息子になりきろうとしているように思えた。
そして、母は間違いなく尾崎に、息子に対する感情を持っていた。


ありがとう。
声を出さずに、尾崎に頭を下げた。


母が神代植物公園に来るのは、初めてだったようだ。
それはそうだろう、と思った。

そんな安らぎの時間など持てなかっただろうから。

花を見る母の顔は、ずっと笑っていた。
苗を買い、鉢植えを買っているときも笑顔だった。

そして、園の外の蕎麦屋で九割蕎麦を3人で食ったときも、笑顔だった。

「こんな美味しいお蕎麦は初めてですよ」

普段は、胃がもたれる、と言って食べない天ぷらも食べていた。

「母ちゃん先生、もし胃が変になったら、俺が医者に連れて行くからな」
尾崎が、本当の息子に見えてきた。
寒いからと肩にストールをかける姿も、まるで実の親子だった。

「ごちそうさま」のあとで、母が言った。

「私は、本当に息子には恵まれましたよ。
あなたたちがいてくれて、本当に良かった。
私は幸せ者ですよ」


それは違うだろう、とまた思った。


顔を上げることができないでいる私の背を尾崎が叩いた。

「次男は長男のやることを見て育つもんだ。
だから、俺がしたことは全部おまえがしたことと同じだ。
おまえは、よくやっている。
そのことは母ちゃん先生もわかっている。
胸を張れよ」


30年前、母に尾崎を引き合わせたことだけが、私の唯一の親孝行かもしれない、と思った。


情けないことに、俺は「次男」に助けられっぱなしだ。


2015/12/05 AM 06:25:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

ツイッター世代
悲しいことに、年をとると一つの持病とお友だちになっただけで、体の機能が言うことをきかなくなる。

血液が正常に回っているうちは、階段を全速で駆け上がっても息切れはしないが、血流がストライキをおこすと何もしていなくても糸の切れたマリオネットになる。

たとえば、得意先での打ち合わせを終えて、駅への道を歩いていたとする。
得意先の担当者に言われたことを頭で反芻しながら、今回も仕事をもらえたぞ、これで家族四人少しは生き延びることができるぞ、と心の中でガッツポーズをした2秒後に、突然地球が回るのだ。

もちろん、地球が回るのは自転しているのだから当たり前だが、惑星の自転よりも非科学的な回転が私の脳の中に起こるのである。

すぐに、しゃがみこみたいが、歩道は私だけのものではない。
だから、人様の迷惑にならない場所を瞬時に見つけて、そこでしゃがみこむ。

地べたに座り込むとスーツが汚れるが、西友で買った安いスーツなので、汚れてもいいのだ。
そうやって回復を待つのだが、毎回のように私は日本国民の「やさしいDNA」に救われることになる。

「どうしましたか?」
「救急車を呼びましょうか」
「おうちは、どこですか?」

こんな汚いガイコツなど、放っておいてくださればいいと思うのだが、皆さんが看護師さんになってくれるのである。
そんな風に救われたことが6回はある。

歩いているときは、まだ危険度は低いが、自転車に乗っているときは危険だ。
倒れそうになる自転車と体を重力に逆らいながら立て直し、人様の迷惑にならない道路の隅まで自転車を移動させるのは、皆様が思っている以上に大変なのでございます。

なるべく自動車や歩行者の邪魔にならないところに自転車を立てかけるのだが、自転車がハーレーダビッドソンのように重く感じられて、1メートル移動するのに13秒はかかる。
なんとか、ハーレーダビッドソンを道路の隅まで移動させることに成功した私の体は、スケルトンのマリオネット同然である。

糸が切れた状態でその場にうずくまるのだが、そんなときでも高い確率で声をかけてくださる方が、必ずいらっしゃるのだ。

「どうしましたか?」
「救急車を呼びましょうか」
「おうちは、どこですか?」

もし近くに自動販売機かコンビニがあれば、ノーブランドの小銭入れを相手に渡して、申し訳ありませんが、ミネラルウォーターを買ってきていただきたいのですが、とお願いすると、皆さん必ず要望を叶えてくださる。

500ccの水を飲めば、10〜30分で、大抵はフッカーツ! する。

そうやって、何度救われたことか。

日本は、ガイコツにとって、とても住みやすい国だ。


この症状は、なにゆえ突然現れるのでしょうか、と主治医であられる優香観音様に聞くと、「初めて聞く症状なので、推測ですが、ヘモグロビンか残留鉄が限界値を超えて下がるのかもしれません」とのことだ。

では、水を飲むと復活するのは、なぜでしょうか。

「わかりません」

観音様にも、わからないことはあるのだ。

だって 人間だもの。


昨日午後4時前、仕事の打ち合わせの帰りに、中央線吉祥寺駅の階段を上った。
そして、ホームに上がって11歩進んだとき、「いつものヤツ」が来た。

しかし、私の脳には、中央線吉祥寺駅下りホームのどこにベンチがあるのかインプットされているので、宇宙遊泳をするように歩いて、空いていた右端のベンチに腰を下ろした。

おそらく私は、長い人類の歴史の中で、中央線吉祥寺駅下りホームを宇宙遊泳した初めてのガイコツになった。

ベンチのすぐそばに、飲み物の自動販売機があったが、立ち上がる力が残っていなかったので、私は弱々しい腹式呼吸を繰り返した。
これで回復することもあるのだ。

そんな風に、空気を体に取り入れていたら、「あのー、具合悪いんですか」という声を左耳で聞いた。

力を振り絞って顔を上げると、高校の制服らしきものを着た女子学生がガイコツの顔を覗き込む姿が、霞んだ網膜に入ってきた。

高校の制服を着ているからといって、女子高生とは限らない。
高校の制服を着た大学生かも知れないし、高校の制服を着た社会人、高校の制服を着た人妻、あるいは高校の制服を着たマツコデラックスさんということもありうる。

決めつけてはいけないと思う。

だから、高校の制服を着た女子高生らしき人、と表現することにする。
その高校の制服を着た女子高生らしき人が、遠慮がちに、「あのー、これ飲みますか。キャップは開けていないので、綺麗ですよ」と言ったのである。

見ると、「い・ろ・は・す」だった。

私は、普段は「図々しさ」を「りそな銀行吉祥寺支店」の貸金庫にしまっているから、図々しさとは無縁なのだが、このときは即座に、ありがとうございます、と受け取った。

りそな銀行吉祥寺支店には申し訳ないが、貸金庫から出す余裕がなかったので、SUICAで代用したのである(?)。

キャップをひねって、い・ろ・は・すを飲んだ。
そのい・ろ・は・すは、驚いたことに無色なのに桃の味がしたが、桃は嫌いではないので、一気にいただいた。

水分が喉を通るだけでも、私の体は落ち着くのだ。
5分もたつと、な〜んか、元気になった気がする〜、と体が言い出してきて、視界がはっきりしてきた。

はっきりしてきたので、左に首を回すと、い・ろ・は・すをめぐんでくれた高校の制服を着た女子高生らしき人が、左隣に座っているのに気づいた。
どうやら、私のことを心配して、立ち去らずにいたらしいのだ。

ありがとうございます、助かりました、と頭を下げた。
一度では、誠意が伝わらないかもしれないと思ったので、もう一度下げた。


そんなふうに頭を下げたガイコツに向かって、高校の制服を着た女子高生らしき人は、「ああ、気にしないでください」と右手に持ったスマートフォンを左右に4往復させた。

そして、言った。

「ちょうど、ツイッターのいいネタになったんで、まあ・・・いいかなって」
「3回、つぶやいちゃったし」

さらに、「いいことしたから、フォロワーが増えそうだわ」と言いながら、左手でガッツポーズを作った。
ガッツポーズをしたまま、去っていった。


そうですか。
体の不調をツイッターのネタにされてしまいましたか。



まあ・・・・・しかし、私はそれをブログのネタにしたのだから、この場合、「おあいこ」ですかね。


2015/11/21 AM 06:27:01 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

自由人のウソ
大学時代の友人・カネコからランチの誘いがあったので、吉祥寺の焼肉屋に潜入した。

芋洗坂係長と見間違うほどのデブは、肉が大好きだった。
大学時代は、175センチ、60キロの痩せ型で、180センチ、64キロの私より華奢に見えた。

しかし、今は・・・・・私は当時と比べてマイナス7キロだが、カネコはプラス40キロに華麗に変身した。
35年間、肉を食い続けたら誰でも確実にこうなる、という見本だ。

40キロの肉を体に貯蓄するには、どれだけの牛、豚、鶏、羊、猪、ワニ、恐竜を食わなければいけないのだろうか。
そんな計算ができるアプリがあれば、購入してもいいのだが。

ただ、カネコの場合、肉ばかり食っているわけではない。
それと同じ量の野菜も摂取しているのである。

カネコは、「なんで焼肉屋に来て野菜を食わなきゃいけないんだよ。バッカじゃねえの」などという白痴的なことは絶対に言わない。
彼は、バランスのいい賢いデブなのだ。
そこは認めてもいい。


バランスデブ、カネコが肉を頬張りながら言った。
「伝えたいことは2つ。まず、簡単なことから済ませよう」
そう言って、テーブル越しに賄賂を渡してきた。

袋を開けてみると、リボンの付いた賄賂だった。
開けると、箱の中で大きな財布が自己主張していた。
色は明るいブルー。
箱にはブランドっぽい名前が印刷されていた。

私は、ブランドは「しまむら」と「ユニクロ」しか知らないので、それは、その他大勢のブランドということになる。
だから、値段はわからない。

「ショウコがな、5月に会ったとき、おまえの財布があまりにもボロっちかったので、いたく心を痛めたらしいんだな。だから、誕生日には財布を恵んでやろうと半年間考えていたんだとよ」

ショウコというのは、カネコの子どもで、26歳、ふたりの子持ち、夫あり、職業は翻訳家。
ショウコが6歳のときから、私たちは友だちづきあいをしていた。

一緒に風呂に入ったこともあるのだ(人妻になる前の9歳ごろだったから、全然セクシーではなかった。いまもセクシーではないが)。

「俺も半分出したから、これは俺とショウコからのプレゼントということになるな」

じゃあ、半分に切ろうか。
俺は、ショウコのだけでいい。

「冗談だろ?」

俺は、冗談が嫌いだ。
だから、これは嘘だ。

「そういうところなんだよな。俺が、おまえを羨ましいと思うのは。
馬鹿なことを平気で言えるのは才能の一つだって、この間、オオクボ先輩と話をしたんだ」

カネコは、新宿でコンサルタント会社を経営しているバッファロー・オオクボのことを「先輩」と呼ぶ。
なぜなら、大学で2学年上だったからだ。

しかし、同じ2学年上の私のことは、「おまえ」である。

後輩思いの私が大昔に宣言した、先輩後輩を忘れて、友だちとして付き合おうぜ、という言葉をカネコは真っ正直に受け止めた。
さすがに、20代半ばまではカネコにも可愛らしい遠慮があったが、私が「あっち向いてホイ」を5回連続で負けたときから、タメ口をきくようになった。

あれから私は、「あっち向いてホイ」をしていない。


「ここからが重要な話なんだが」と芋洗坂が居住まいを正した。
デブは得である。
どんなブサイクな男でも、背筋をピンと伸ばせば、威厳が生まれる。

私が、そんなことをしても、ガイコツが標本らしい格好をしているとしか思われない。

「俺、会社やめることにしたんだ。
これは、女房にも伝えたし、ショウコにも言ってある。反対の声はなかった」

あっ、そう。

「反応が薄いな」

だって、もうショウコから聞いているし、オオクボからも聞いた。
ついでに、ノナカからも聞いた。
ノナカが東京で展開する高齢者向けミニパソコン塾を、おまえが全面的に引き受けるって話だよな。

カネコは大学卒業後、自己啓発セミナーや、ビジネス書、ビジネス手帳を出版する、いかがわしい会社に勤めた。
その会社は、今では人材派遣業を主流にしていて、カネコは千葉支部長にまで上り詰めていた。
つまり、ちょっとした成功者だったのだ。

今より確実に年収が減るのに、なぜ転職をしたいと思ったのか私には理解できないが、どっちみち他人の人生だから、私は干渉はしない。

だから、あっ、そう、としか言い様がない。


ただ、あっ、そう、だけでは字数が少ないので、ついでに、おまえの人生だ、と私はカネコに言ってやった。
さらに字数を増やすために、好きにすればいいさ、も付け加えた。


「そう、俺の人生だ。
俺は、おまえみたいに自由に生きる」

俺みたいに?
俺が自由に見えるのか、おまえには?

「ああ、オオクボ先輩やノナカ先輩とも話したんだが、結局、おまえが一番羨ましい生き方をしているんじゃないかって」

俺が羨ましい?
低収入で、持ち家もなくおんぼろアパート暮らし。低スキルで心と血の貧しい俺が羨ましいだって?
おまえ、俺に喧嘩売ってんのか?

顔をペロペロしてやろうか!

「ほら、そういうところだよ。
俺たちが、羨ましいと思うところは。
俺たちは、絶対にペロペロなんて言えないからな」

簡単だろうが。
舌を出して、それを上下左右に動かせばいいだけだ。
生後101日のワンちゃんにだってできる。

「・・・・・・・・・・」

(随分、沈黙が長いな。その間にトイレにでも行っておこうか)

トイレから帰ってくると、カネコが「8種の肉盛りあわせ」を追加して、肉と同化しているところだった。
どっちが食われているか、わからない光景だった。

肉を頬張りながら、カネコが言った。

「とにかく俺たちは、おまえが羨ましいんだよ。
だから、少しだけでも近づきたいと思って、俺は会社を辞めることにした。
俺は、自由になりたいんだ」

まあ、自由になるのは自由だが、自由になりたいのなら、もう少し痩せることだな。
デブは、四方八方どの角度から見ても、幸せにしか見えない。

俺みたいに痩せ細っていたら、人は「ああ、可哀想だな。でも、こいつとは関わりたくないから、こいつはこのまま放牧しておこうか」と考えて、柵を取り外してくれるんだ。

おまえ・・・今のようにデブのままだと、飼い慣らしたほうが得だと思って、一生柵から出してもらえないぞ。
美味しそうな姿は、自由には似合わない。
利用されるだけだ。

だから、痩せろ。

「本当か?」



嘘だ!



自由人は、焼肉を奢ってもらうためなら、平気で嘘をつく人種なんだ。



実は、それも嘘だが・・・・・。


2015/11/07 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

ヘチマとガイコツとバッファロー
今年の春から、大学2年の娘が週3回、夜だけイトーヨーカ堂でアルバイトをしている。

だから、少しでも売り上げに貢献しようと思って、先週末イトーヨーカ堂に行ったら、「GO! GO! ジャイアンツセール」などというものをやっていた。
その文字を見たとき、猛烈に腹が立ったので、回れ右をして大股で店から逃走した。


善良な日本国民の誰もが、読売に洗脳されたジャイアンツ教の信者だとは思うなよ。


企業には、「提携」という大人の事情があるのはわかるが、今回のセールは純粋に欲しいものを買いたい客としては、こじつけの度が過ぎて興ざめした。

nanacoには9千円以上の残高があったが、13階段から飛び降りる覚悟でヨメにプレゼントした。
ヨメは「ヒーハー!」と、飛び上がって喜んでくれた。


そんな話を宮城県仙台から、呼びもしないのにやって来た友人にした。
場所は、東京駅八重洲地下街のオムライスの店だった。
ヘチマが、「東京のオムライスが食いてえ!」と言ったからだ。

ふわふわのオムレツ嫌いの私が、我慢してふわふわオムライスを食ったあとのコーヒータイムに、「おまえのジャイアンツ嫌いは病気だな」と、ヘチマ顔のノナカが褒めてくれた。
「俺は楽天が勝って、『優勝セール』をやってくれたら大喜びだけどな」

おまえは相変わらず馬鹿だな。
それは、お前がゴールデンイーグルスのファンだからだろ。

俺は、読売系列のものは、この世からすべて消え去って欲しいと思っているんだから、そもそもの前提が違う。
俺のほうが損得がない分だけ純粋だ。
ピュアだ。
天使だ。

そんな馬鹿馬鹿しい絡み方だったが、ノナカは、怒りもせず相手をしてくれた。
それはきっとノナカの奥さんが危機を脱したからだ。

8月8日のブログで、ノナカの奥さんが余命宣告を受けた、という友だち甲斐のない文章を載せた。
ノナカの奥さんは、3週間前に突然昏睡状態に陥ったが、奇跡的に回復し、先週は一日だけだが家に帰ることを許されたという。

そのことをノナカから電話で知らされたとき、私は、ノナカの奥さんの「生きたい」という思いの強さに心打たれ、感動し、メシだけしか喉を通らなかった。

その日、私はおんぼろアパートの風呂場でシャワーを浴びながら号泣した。
風呂から出たとき、大学2年の娘から、「おまえ、目が真っ赤じゃないか。とうとう念願のウサギに変身したのか」と言われた。

いや、湯上りに目薬を差そうと思ったら、間違って赤ワインを差してしまったんだ。

そう言ったら、娘が、右手の親指を突き出して「グッジョブ!」と褒めてくれた。

うちの娘は、すごい、と思う。


で・・・いいのか・・・奥さんをほったらかしにして。
おまえも心配だろうに。

「墨田区のミニパソコン塾の責任者が、突然辞めちまって」
ノナカは、仙台で塾を経営していたが、その他に東京墨田区と江東区にミニパソコン塾を持っていた。

二つのミニパソコン熟は、大学時代の友人で今は新宿でコンサルタント会社を経営しているオオクボに任せきりだったが、担当者の一人が突然失踪に近い辞め方をしたというのだ。

「まったく連絡がつかないんだよ」
ヘチマ顔が困った顔をすると、本当に困ったように見えるからわかりやすい。

私が困った顔をしても、貧相なおっさんが、1円玉を落としたのか、5円玉か、10円玉か、50円玉を落としたのか見分けがつかないから、誰からも心配されない。

しかし、そんなこと、オオクボに任せればいいだろうに。
そのために、あいつはいるんだから、何もおまえが東京に出てこなくても。

「いや、女房に行ってこいって言われたんだよ。そして、おまえに謝れって怒られたんだ」

なんだ? 俺に謝れって?
俺は、おまえの性格と顔と生まれが悪いことは、初めて会った日からわかっていたから、いまさら謝られても困るぞ。
それが、おまえの個性なんだから、俺はそんな小さなことは気にしない。
俺は、顔面が個性的なやつには優しいんだ。

そんな私の軽口を無視して、ノナカが渋柿を食ったような顔をして言った。
「女房がな・・・俺がおまえにミニパソコン塾の面倒を見て欲しいと頼んで、おまえに断られたと言ったら、怒ったんだよ。
Mさんは、今まで何があっても自分の体のことは言わなかったのに、今回だけは素直に病名を告げた。あなたには、その意味がわからないの? 何年付き合っているのよ! 馬鹿なの、あなたは? ってな」

まあ・・・おまえが馬鹿なのは、間違いないからなあ。
それは、奥さんが正しい。

私がそう言うと、「俺たちは、おまえのその軽口にいつも騙されるんだよな。というか、甘えてしまうんだよな」と、両手で薄くなった頭を掻きむしった。

おまえ・・・確実にあと2年でハゲる頭を粗末にするなよ。
明日にも頭皮完全脱毛してしまいそうだぞ。

「で・・・大丈夫なのか、本当におまえ? 女房が絶対に聞いてこいって言うんだ」
ハゲの部分は、聞こえないふりか。

まあ、今すぐ命を取られる病気じゃないからな。
俺は不整脈の持病があるから、それを併発して運が悪ければ、って話だよ。

「おまえ、運は良かったけ?」


安心してください。
すこぶる運の悪い男ですよ。



ただ・・・俺の病気は、5.7秒前まで元気だったのに、突然具合が悪くなって、立っていられなくなることがたまにあるんだ。
でも、道行く人がみな優しくて、こんな汚いガイコツのことを看病してくださるんだ。

その点では、俺は運がいいと言えるかもしれない。


だけど、俺はともかく、おまえだって運のいい男じゃないか。

「俺が? 運がいいのか。そんなこと、考えたこともないが」


奥さんと結婚できたこと。
そして、その奥さんが、おまえの子を産んでくれたこと。
それって、この地球上で最高の運だろうが。


ヘチマ顔の目に、水滴が盛り上がって、すぐに溢れた。
ヘチマの肩が大きく震えていた。

その両肩を掴んだとき、ヘチマの思いと私の思いが同期して、私の目にも水滴が溢れた。
大人ふたり、声を殺して泣いた。

そのとき、新宿でコンサルタント会社を経営するオオクボが、約束の時間を40分過ぎて店に入ってきた。

私たちの醜い姿を見て、オオクボはすべてを悟ったようだ。
呆れたことに、オオクボも泣いてしまったのだ。

ヘチマとガイコツと成功したバッファロー。

なかなか興味深いトリオ漫才ではないか。


ウェイターが注文を取りに来たが、私たちの異種格闘技的な泣き姿を見て、大きな鼻息を吐きながら後ずさりをして逃げていった。

申し訳ありません。
驚かすつもりは、なかったのですよ。


このトリオ漫才は、最近水の量が多くて困っているのです。


しかも、このバッファローは社長のくせにアホだった。

オムライスを食ったあとで、突然踊るように痒がりだし、全身を掻きむしり始めたのだ。
そして、叫んだのである。

「俺、卵アレルギーだったんだぁあ!」

すぐに、タクシーで病院に搬送しました。
そして、入院。



ホント、アホの相手は、疲れます。



2015/10/24 AM 06:22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

72億8千万番目
木曜日、神奈川横浜に行くため、朝8時前に武蔵境駅のホームに並んでいた。

首都圏のどの路線もそうだと思うが、8時前後はかなり混む。
この日は、吉祥寺〜三鷹間で車両点検をした影響で、少し遅れが出ていたから余計混んだ。
電車を2本乗り過ごし、最前列に並ぶことができた私の後ろには10以上の列ができていた。

上り東京行は、定刻より5分遅れてオレンジの姿を現した。
降りる人はいない。
乗る人だけだ。

乗る前から、ほぼ満員の状態だったが、頑張ればまだ10人程度は隙間に入り込めるだろう。
まだ着膨れの季節ではない。
そう思って、一歩踏み出そうとしたとき、私の後ろの男が私を強い力で押しのけて真っ先に乗ろうとした。

私がよろけるのも構わずに、男は満員電車にぐいぐいと突進していった。
右手には弓、背中には大きなリュックを背負っていた。
背は低くて150センチを超えたくらいだった。

もしかしたら、弓道大会でもあって、開始時刻に間に合わなくて焦っていたのかもしれない。
70歳は超えているように見えた。
2メートル以上ある弓とでかいリュックが、満員電車ではかなり迷惑だという想像は働かないようだ。

しかも、「すみません」という、この場合、当然発すべき言葉もない。
見事な仏頂面だった。

弓道というのは剣道と同じように、礼に始まり礼に終わる、礼儀を重んじるスポーツという印象があるのだが、それは私の間違いだったか。

満員電車の中で、長い弓の存在は明らかに異質で、多くの人がその弓とでかいリュックを見て眉をひそめていた。

電車は混んだまま新宿駅に到着した。
私は、そこで降りたのだが、弓道老人は車内の半分近くの人が降りようとする流れに抵抗して、ずっと同じ位置に立ち止まったままだった。
弓道老人の周りにいた人たちが「降ります」と告げても、「う〜ん」と踏ん張って、譲ることもしない。

私は、痩せているというメリットがあるので、この種の混雑でも平気でくぐり抜けることができたから、簡単に新宿駅のホームに降り立つことができた。
降り立つ寸前に、「おい、ジジイ、突っ立ってないでどけよ! みんなが降りられないだろが!」という男の怒声を聞いた。
それに続いて、「降ろせよ、閉まるだろうが!」の叫び声。
さらに、「どけ、どけ!」のいくつかの声が続いた。

そのあと車内とホームで、どのような修羅場が演じられたのか私は知らない。
先を急いでいたからだ。

皆さま方が、平和な状態のまま、新宿駅に降りたてたことを願います。
(無理かもしれない)


……というような話を、体はミニチュアだが、世界で72番目に心が広いクロサワにしたら、小さく首をかしげながら、困ったような顔で語り始めた。

「キリンおやじさん。どんな事情があったにしても、お年寄りには優しくすべきです。そのお年寄りは頑固に足を踏ん張っていたわけではなく、身動きができなくてパニックになっていたのかもしれません。年をとると咄嗟の判断が鈍るものです。それをフォローするのが、若い者の役目ではないでしょうか。満員電車で長い弓が邪魔なら、邪魔にならない場所にお年寄りを誘導すればよかったのでは」

しかし、現実問題として、ほぼ身動きの取れない満員電車で、そんなメルヘンのような光景が期待できるだろうか。

「それをメルヘンと言ってしまったら、日本は若者の事情だけが優先される国になって、老人の事情を考えない弱者置き去りの国になってしまいます」

その老人擁護論は、私を強い力で突き飛ばして、満員電車に長い弓とでかいリュックを背負って乗車するというマナー無視を考慮していないと思ったが、今回の訪問の目的は違うところにあったので、その話はここで打ち切った。


「ありがとね、キリンおやじ。わざわざ朝早くから来てくれて」と言ったのは、ポニーテールさんだ。
キリンおやじ、という愛すべきなまえは、ポニーテールさんが、私の首がキリンばなれ(?)して異常に長いことから付けた呼び名だ。

ポニーテールさんは、無謀にも誰も知り合いがいないのに、高校卒業後に奄美大島から東京に出てきて、都会や職場で何となく居場所をなくしていたころ、不運にも横浜根岸森林公園をランニング中にガイコツと出会った。

そして、理由は定かではないのだが、なぜか武蔵野のガイコツに懐いて、ガイコツを東京での親代わりに仕立て上げ、その後、体はミニチュアだが世界で71番目に心が広いクロサワと昨年結婚した。

そのポニーテールさんは、今年の8月末にめでたく子どもを出産。
だが、古い言い方になるが「産後の肥立ち」が悪く、一度家に帰ってみたものの、立ち上がるのもやっとの状態だったので、再入院した。
(出産時の大量出血の後遺症らしい)

入院期間は2週間で、その後退院。

ポニーテールさんの病名は貧血(私と同じだが、私は『命にかかわる貧血』だから、私のほうが偉い)。
最初は、ポニーテールさんの負担を軽くするため、クロサワの母上が赤ん坊の面倒を見た。
そして、次に奄美大島からポニーテールさんの母君が横浜にやってきて、交代でサポートをした。

だが、この日だけは、皆のスケジュールが調整できずに、クロサワから私あてにラブコールが来たのだ。
「申し訳ありませんが、キリンおやじさん、半日だけ、妻と赤ん坊の面倒を見ていただけないでしょうか」

私は、人の窮地を積極的に救うほどの良い性格を持ち合わせていないので、「面倒を見ることにやぶさかでない」と性格の悪い答えを返した。
「ありがとうございます。やぶさかでお願いします」

ということで、朝早くポニーテールさんと赤ん坊の面倒を見にいったのである。

クロサワ、朝メシは食ったのか?
「はい、ツマが作ってくれました」

そうか、それはツマらないな。

私の今世紀最低のダジャレに、盛大にズッコケてくれたクロサワ。
これほど気持ちよくズッコケてくれるのは、世界で70番目に心の広いクロサワだけだ。
ポニーテールさんは、いいやつと結婚したと思う。

その世界で69番目に心の広いクロサワは、横浜の介護用品販売会社に出勤するため、9時22分に横浜大倉山のアパートを出て行った。

出かけるとき、思春期の私の目の前で、ポニーテールさんと赤ん坊の頬にキスをするという暴挙に出た。

私が頬っぺたを突き出したら、クロサワはキスをしてくれただろうか。
やってみる価値はありそうだ。
次回を期待しよう。


「キリンおやじ、悪いね」

悪いって、俺の頭のことか?

「たまには、真面目に話そうよ。そうじゃないと、感謝の言葉が正確に伝わらないよ」

まさか35歳離れた子に説教されるとは思わなかった。
長生きはするものだ。

では、役割分担を決めようか。
俺は、君と旦那のメシを作る。
そして、キッチンまわりと風呂、部屋の掃除を受け持とう。
奥様は、赤ん坊の世話をしていてくだされ。

「え? でも、それってキリンおやじの方が負担が大きくない? 貧血、まだ治ってないんでしょ。それは悪いよ」

ヘモグロビンの数値は、医者からいくつって言われた?

「8前後だったかな。9を超えることもあるよ」
(ヘモグロビンの数値より、ジャニーズの方に興味がある、あるいは『バクマン。』の方が面白いという人には、意味不明の会話でしょうが)

俺は、5.9まで下がったことがある。
(今はありがたいことに10を超えることもある)
でも、俺は強いから、普通に生きている。
俺に任せろ。

「5.9って!(絶句した?)」

俺は7や8でも動いているし、歩いているし、働いている。
今は絶対、赤ん坊を産んだ君のダメージの方が大きいと思う。

俺は、残念ながら子どもが産めない体質だから、産んだ人の辛さはわからない。
ただ、貧血の辛さはわかる。

だから、俺に任せろ。

「任せろって言ったって」
ポニーテールさんが泣き出してしまった。
つられて赤ん坊も泣き出してしまった。

余計なことを言うんじゃなかった。
赤ん坊を産んだあとは、肉体的にも精神的にも不安定だから、迂闊なことを言ってしまった私が悪い。

だから、嘘だよ、もう治った。せっかく来たんだから、働かせてくだされ、とお願いした。

そんな見え透いた嘘に騙されるほど、ポニーテールさんは愚かではない。
私は、愚かではない人に適した説明方式に変えた。

俺は、さっきも言ったが、普通に働いている。
家族のメシも作っている。
武蔵野から杉並まで自転車で往復することもある。
そんなことをしても、嬉しいことに生きている。

しかし、君はいま人のサポートを受けなければいけない状態だ。
君がサポートを受けなければ、赤ん坊に影響がでる。

俺は、サポートがいらない。
君は、サポートがいる。

つまり、サポートのいらない俺が、君をサポートをするのは当たり前のことではないだろうか。

変顔で赤ん坊をあやしながらの話だったから、説得力はなかったかもしれない。
だが、赤ん坊が泣きやむと同時に、ポニーテールさんが小さく頷いた。

そして、私を罵倒した。
「この強がりキリン!」

強がりキリンは、不得意な掃除をマイペースでこなし、たまにキッチンのダイニング・テーブルの上でMac Bookを開いて仕事をした。
そして、昼メシ時になると、チャチャッと親子丼をつくり、ポニーテールさんと食った。

そして、食い終わるとまたMacでお仕事?(宣伝)

3時を過ぎたので、晩メシの仕込みをはじめた。
7時前にクロサワが帰ってくるらしいが、私の役目は5時までだ。
なぜなら、私は9時から5時までのパートタイム・キリンだからだ。

晩メシは、イカと大根と絹さやの煮物。
サバの照り焼き。
そして、タケノコとアサリの炊き込みご飯。
それに、シメジとひきわり納豆の味噌汁がつく。

そんな超絶なご馳走を仕込んでいた3時半過ぎに、クロサワが帰ってきた。
奥様の様子を見に帰ってきたのかと思ったら、早退したのだという。

クロサワは、仕事が思いの外はかどったので帰ってきたというが、ポニーテールさんから密かに連絡を受けて、急遽帰ってきたに違いない。
私が無神経なことを言ったせいで、二人に余計な気を使わせてしまったようだ。

その自分勝手ぶりは、朝の弓道老人と同じではないか、と私は阿蘇山のカルデラ並みに凹んだ。
そして、秋保大滝並みに落ち込んだ。

凹んで落ち込んだ思春期の私の目に、クロサワがポニーテールさんと赤ん坊の頬にキスをする姿が映った。

そうだ!
ほっぺにキスをしてもらえば、立ち直れるかもしれない。
そこで、私はクロサワに右の頬を突き出し、右の人差し指で「ここでキスして(作詞作曲・椎名林檎様)」と、我ながら気持ち悪い仕草でアピールした。

しかし、「ああ、剃り残しがありますねえ。シェーバーをお貸ししましょうか」と、いなされた。


クロサワは、世界で72億8千万番目に優しくない男だった。


2015/10/17 AM 06:29:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

お金持ちのトレンド
2015年9月28日3時半過ぎのことだった。

私は新宿駅から中央線の下り電車に乗った。
車内は、そこそこ混んでいた。
座席はすべて埋まっていた。

立っている人が20人程度いたかもしれない。
その中で、学校帰りの高校生が乗客の4分の1を占めていて、高い声の会話が行き交っていた。

電車が、そんな雑然とした空気を荻窪駅まで運ぼうとする寸前に、女子高生の一人がひときわ甲高い声で叫んだ。
「福山雅治が、結婚したんだってぇ!」

同じ学校の高校生ではないと思うが、他の高校生が「え? うそ?」と反射的に叫んだ。
そして、車内の乗客の7割以上が、「え? え?」と声こそ出さなかったが、何かを探すように首を伸ばして驚きの空気を作った。

車内の空気が一変した瞬間だった。

その変化の様子を見て、福山氏の結婚に、こんなにも多くの人が興味を持っているのかと驚いた。
もちろん、福山雅治氏がビッグネームだというのは知っていたが、車内の空気を一変させるほど大きな影響力を持った人だとは思わなかった。

吉祥寺駅に着く頃には福山氏のお相手の話題に移り、私の降りる武蔵境駅まで、「福山氏の結婚」が車内を浮遊していた。
私は見ていないのだが、その日の夜のNHKのニュースでも取り上げられたというのを聞いて、そんなに大物だったのかと認識を新たにした。


日本中がお祝いしてくれる結婚は、スケールが大きすぎて現実感がないのだが、老年に差しかかった人の結婚は、現実感丸出しでほのぼのとする。

このブログではミズシマさんという人が、過去何回か登場した。
最近、登場しなかったのは、面白い出来事にぶつからなかったからだ。

ミズシマさんは、おそらく60代半ば。
大学時代に、いくつかの特許を取得し、それなりのロイヤリティを獲得して、彼は数多い万札を手に入れた。

彼は、その収入を堅実に不動産経営に投資した。
東京下北沢に、アパートを2軒建てたのである。
そして、残った資金は貯蓄と株の投資に回した。

ミズシマさんの勘のよさが生きたのは、バブル絶頂期をやや過ぎた頃に、取得した株をすべて売り払ったところだ。
多少の傷は受けたが、致命傷にはならずに済んだ。

彼は、アパートから得る収入と貯金のおかげで、大学を卒業してから40年以上、悠々自適の暮らしを送っていた。
サラリーマンを経験したことがない。
気まぐれに年に半年間だけビル掃除や厨房の調理補助などの仕事をするのが、彼の楽しみの一つになっていた。

それを鼻持ちならない、と言う人は多い。
人生を舐めている、と言う人もいた。

だが、金持ちには金持ちの暮らしがあり、それに付帯する悩みもある。
ビンボー人に身の丈に合った暮らしがあり、悩みがあるのと、それは同じことだ。

ミズシマさんは「特許」というクリエイティブな方法で大金を手にした。
それは、彼が常人以上の努力をしたからであり、彼に才能があったからだ。

自分の力で多額の金を手に入れた彼が、どんな人生を送ったとしても、凡人である我々がそれを非難するのは僭越すぎるだろう。
日本経済に、それほど貢献していない我々ビンボー人が、日本経済に貢献した人にかける言葉は、ひとつしかない。

「よっ! 大富豪!」

その大富豪に、今年初めてご招待を受けた。
ミズシマさんと知り合って30年近くが経つが、ほぼ毎年高級料理を奢っていただいてきた。

銀座や東銀座、麻布あたりの寿司屋が多いが、浜松町や日本橋の高級懐石料理屋でご馳走になることもあった。
(ミズシマさんは洋食のマナーが、『あんな非合理的なものはない』といって嫌っているので、高級レストランは利用しない)
図々しいことに、30年近く、私は一銭も払ったことがない。

高級な店でメシを食ったからといって、自分が偉いわけではない。
ただ、ミズシマさんが上手に金を浪費する場面のお手伝いをしているだけである。
そのことだけはわきまえて、いつもご馳走になっている。

未婚、子どもなしのミズシマさんは、絶えずこう言っていた。
「僕は扶養家族がいないですから、自分が気持ちよく食事できる人だけにしか奢りませんから」

ミズシマさんにとって、東京武蔵野のガイコツは気持ちよく食事ができる手頃なガイコツだったということだ。
ガイコツに生まれてきて良かった!


今回ミズシマさんにお呼ばれしたのは、誰もが知っている居酒屋チェーン店だった。
場所は、中央線中野駅から徒歩数分のところだ。

ミズシマさんは既に来ていて、私の姿を認めると立ち上がって手を振った。
相変わらずの標準体型で、血色のいい「うまいもの食っている顔」をしていた。
その「うまいもの食っている顔」の横には、中年の女性がいた。

少し不意をつかれた気分になったが、私は大人なので、「Mでございます。お初にお目にかかります」と礼儀正しい男のふりをした。
先方も立ち上がって、90度のお辞儀を2回繰り返した。

女性に対する私の第一印象は、「給食のおばさん」だった。
私の中で安心感のある女性といえば「給食のおばさん」だったので、直感的にそう思った。
年齢は、47から56歳の間ではないだろうか。

そのあとで、ミズシマさんが、「この人、介護福祉施設の栄養士をしているんですよ」と紹介したから、大きく外れていたわけではなかったようだ。

ミズシマさんは、30代の頃、2回プロポーズしたことがあった。
しかし、定職を持っていないということで、相手のご両親に嫌われ、結婚は叶わなかった(ミズシマさんは親に祝福されない結婚は不幸だというポリシーを持っていた)。

定職を持っていないとは言っても、世間一般のサラリーマンよりは遥かに自由に金を操れるのだが、先方には貯蓄やアパート経営のことは告げなかったという。

「それが、僕の美学ですから」

その美学を貫いたせいで、ミズシマさんは独身だった。
では、となりにお座りになった栄養士さんは?

ミズシマさんが、いたずらっぽい笑顔を作って言った。
「Mさん。今日がこの人との5回目のデートですよ」
ウィンクまでしてきた。

5回目、と聞いて、私の脳にミズシマさんとの過去の会話が蘇った。
過去の2回のプロポーズも5回目のデートのときだったと聞いた。
きっと、それがミズシマさんの「美学」なのだろう。

その美学を貫くのなら、ミズシマさんは、過去と同じように栄養士さんに自分が資産家であることは告げていないはずだ。
彼は、「ありのままのミズシマさん」として、30年ぶりにプロポーズをするつもりだ。

とりあえず私に紹介をして、その後どこかプロポーズにふさわしいところに場所を移して求婚するというのが常識的な流れだろう。

……と思ったら、ミズシマさんがコンビニでミネラルウォーターを買うような軽い口調で、栄養士さんに向かって「結婚してください」と言ったのだ。

栄養士さんが「え?」
私も、え?

え? ここで言う?

だが、もっと驚いたのは、栄養士さんが「はい、よろしくお願いします」と顔を少し上気させて、簡単に頭を下げたことだ。
嘘ですよね、とも、ご冗談を、などという野暮な反応はしなかった。
まるで既定路線のように、プロポーズを承諾したのである。

その少しも芝居がかっていない姿を見たとき、ミズシマさんは、とてつもない宝物を手にしたのではないか、と思った。

初のプロポーズ成功?
三度目の正直?

さらに驚いたのは、ミズシマさんが嬉しさのあまり、立ち上がって阿波おどりをし始めたら、周りの人が手拍子をして乗ってくれたことだ。
栄養士さんも満面の笑みで手拍子をしていた。

幸せそうだった。


それから4日後の今週の木曜日、ミズシマさんから電話があった。
栄養士さんと付き合い始めたのをきっかけに、生まれて初めて持った携帯電話を使って、かけてきたのだ。

「この間は、ありがとうございます。そのほかの挨拶は面倒なので省きます」
そのあと、新居のことやら、栄養士さんの娘さんと息子さんが祝福してくれたこと、結婚式をするほど自分は恥知らずではない、入籍だけで十分などという報告をしてくれた。

ちなみに、娘さんは2年前に結婚し、息子さんは消防士として新潟に勤務しているので、栄養士さんはいま一人暮らしである。
もちろん、旦那様はいない。
どこか空高いところにいらっしゃるようだ。

そして、栄養士さんは東京墨田区押上に一軒家を持っていることもあり、二人の「愛の生活」はそこでスタートすることも教えられた。

余計なお世話かと思ったが、栄養士さんには、ミズシマさんの資産のことを話したのですか、と聞いてみた。
資産のことを告げると、栄養士さんは、それほど驚きもせず、「では、もっと年をとったら、私の家を売ったお金とミズシマさんのお金を足して、老人ホームでも建てましょうか」と言ったというのである。

ミズシマさんは、その提案に、すぐに賛同した。
「最終的に僕たちもそこに入る予定ですから、Mさんもどうですか。楽しい老後を過ごしましょうよ」と勧められた。
ミズシマさんは軽口を叩かない人なので、それは絶対に本気だと思う。

だから、ぜひ、とお願いしておいた。


そういえば、私の知り合いのテクニカルイラストの達人・アホのイナバの奥さんも大金持ちで、近い将来に老人ホームを建てることを計画していた。


もしかしたら、最近の金持ちの間では、老人ホームを建てるのがトリンドル? いや、トレンド……………なわけはないか。




ただ、私はその老人ホームが完成する前に、血の供給が止まって突然死しているでしょうけど………トホホ。



2015/10/10 AM 06:26:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

バチあたりな3人
久しぶりに、朝の目覚めが良かった。

5時間に足りない睡眠だったが、もう常連さんになった感のある「立ちくらみ」もなく、朝の清々しさが体中を満たしていた。
朝食の野菜たっぷりのタン麺もうまかったし、そのあとのトイレもキレのあるでっかいのが出た。

オンボロアパートの庭のダンボールに住み着いたセキトリ(猫)に、薄味の牛丼を振舞ったら、18秒で間食したあとで、感謝の眼差しで見上げられた。
「うまかったぜ。ありがとうよ」

どういたしまして。

すべてが、心地よかった。

だが、人生というのは、こんなときこそ不幸が忍び寄ってくるという真理もある。

昔の人は、味のあることを言った。
禍福はあざなえる縄のごとし(これは来年の入試に出るので、受験生の方たちは予習をしておいてください)。

災いと幸せは、背中合わせ。
人の一生は、すべて同じバランスで移ろい過ぎていくものだ。

iPhoneが震えたとき、私は、その人生のバランスを痛感した。
ディスプレイに表示されたのは、「ススキダ」という、おぞましい文字だった。

この瞬間、朝の清々しい時間は飛び去り、災いが私の頭に降りかかってきた。

極道コピーライターのススキダが言った。
「兄貴が死んだ。くも膜下出血だ。いま俺は病院にいる」

わかった。
通夜は無理だが、葬儀には参列させてもらう。

「悪いな。疲れているのにな」

気にするな。

ススキダの兄貴は、今年還暦(60歳)になるはずだ。
60歳になったのか、59のまま人生を終えたのか。
それはわからない。

ススキダの兄貴とは、10数回しか会ったことがない。
すべてが、ススキダの横浜の事務所でだった。

ススキダの兄貴は、日本人の父親と中国人の母親の間に生まれた。
だから、もちろんススキダも日中の混血である。

ススキダの場合は、日本人として、ごく普通の名前を親から与えられたが、兄貴の方は、なぜか中国人を連想させるような名前を親に授かった。
おそらく、それが兄貴の人生を少し捻じ曲げたのだと思う。

小学校、中学校で、そのことで兄貴はイジメにあった。

人は、異質なものを排除する傾向にある。
善悪のわからない子どもなら尚更だ。

この社会では、たとえ異質なものであっても強いものは排除しないが、弱い者は徹底的に排除することが力学的な法則になっていた。
ススキダの兄貴は弱かった。
だから、いじめられた。

高校生になって、環境が変わればイジメはなくなるかと思われたが、それなりに偏差値の高い私立高校でも彼は排除された。
いつの時代もそうだが、教師は何の力にもならなかった。
だから、高校一年の夏に、彼は退学した。

彼に、わずかでも幸運があったと思うのは、親が少しだけ裕福だったことだ。
彼の父親は、本職は普通の会社員だったが、新宿歌舞伎町にビルを持っていた。
父親が、そのビルの管理をする会社を子どものために立ち上げ、16歳の彼が、そのビル管理会社を取り仕切ることになった。

もちろん、社長はススキダたちの父親だったが、実質的に運営をしていたのはススキダの兄貴だった。
それからずっと、ススキダの兄貴は、そのビル管理会社の責任者であり続けた。

そして、責任者のまま、死んだ。

人付き合いが下手なススキダの兄貴は、結婚はせず子どももいなかった。
ビル管理会社の責任者だから、報酬はかなりのものだったと思うが、彼の暮らしは質素で、住まいは東京府中の古い賃貸アパートだった。
車も持っていなかった。

ススキダの兄貴の趣味といえば、種々の資格を取得することとランニングだった。
資格は、大検や不動産鑑定士、司法書士など50種類以上を持っていたという。
しかし、それを活用することは生涯なかった。

ランニングが趣味だということだけで、私との小さな接点が生まれた。

「今度、東京マラソンを一緒に走りましょうよ」とススキダの兄貴から何回か誘われたことがあった。
結局それは叶わなかったが、ススキダに、「兄貴が自分からそんなことを言うのを初めて聞いたよ。おまえのことを気に入ったのかもな」と言われた。

日陰者。
おそらく、ススキダの兄貴は、私に同じ日陰者の匂いを感じたのだと思う。

そして、実は私も同じことを感じていたのである。
私はいじめられたことはなかったが、絶えず多数派から距離を置いて、強いものに反発し楯突くことを繰り返していた。

俺は異質なんだ、とずっと思っていた。
いまも思っている。

ススキダの兄貴は、そんな私の日陰の部分を感知して、心を開いたのだと思う。
今更、確かめようがないが。


葬儀は、友だちのいない兄貴にしては参列者が多かった。
多いといっても20人弱だったが、それなりに形にはなったと思う。
ススキダの同業者と歌舞伎町のビルのテナントの人がほとんどだった。

「家まで送ろう」
東京府中の斎場から武蔵野のおんぼろアパートは、車なら15分程度だ。
だから、送らせてやる、と答えた。

だが、その前に湿っぽい空気は飛ばそうぜ。
吉祥寺のカフェでランチしようか。

私の提案を聞いて、ススキダが無言で方向を変えた。
助手席にいたのは、ススキダの奥さんだった。
兄貴のお骨は、奥さんが持っていた。

吉祥寺のカフエに入った。
白い壁、白い調度品。
普段なら、唾をかけたかもしれないが、葬儀帰りには、その白づくしは悪くなかった。

メニューを見ていたススキダがメニューの一点を見つめていた。
そして、目から水が溢れた。

店のBGMには、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」が流れていた。

私は、人を慰めることができない人格破壊者なので、放っておいた。
ススキダの涙は、次の「マイ・ライフ」で突然止まった。
時間にしたら4分程度かも知れない。

「悪いな。兄貴の思い出をたどるのに3分もかからないことに気づいて、哀しくなってな。兄弟なのに薄情なもんだな」
ススキダが涙で腫れた目に老眼鏡をかけてメニューを確かめたが、メニューで悩むのが嫌いな私は、ウエイターを呼んで勝手に注文した。

ススキダ夫妻は、ボンゴレ・ビアンコとアイスミルクティー。
私はツナサンドとホットコーヒーだ。

ススキダの苦笑い。

いつもは、ススキダの13倍は喋る奥さんが、今日は静かだった。
だが、ススキダの笑いを見て安心したのか、水を一気に飲んだあとで口を開いた。

「ボンゴレ・ビアンコと言えば、今年の春に、横浜の事務所で作ってくれましたよね。あれは、ニンニクが適度に効いていて美味しかったです。ここのは、どうでしょうかね?」

まあ、俺が食うわけじゃないから、美味くてもまずくても関係ないですけどね。

「その言い方。Mさんにしては、ひねくれ度が足りませんね。
普段は、もっとねじ曲がったお答えが返ってくるのに、お疲れなんじゃないですか?」

苦笑するしかなかった。
ススキダと10歳離れた奥さんは、顔の表情と声で判断すると30代といっても通用するほど若々しかった。
そして、頭の回転が早かった。

「美女とゴキブリ」

これも目に見えない誰かが、バランスを取っているのかもしれない。
そうでなければ、ススキダにこんな幸運が巡ってくるわけがない。

喪服に似合わない笑顔で、ススキダの奥さんが言った。
「でも、忙しいのに、なんで料理なんかしようと思ったんですか。睡眠時間を削ってまで、ご家族のお弁当を作ったりして」
無邪気な笑顔だった。

負い目ですかね。

「負い目?」

妻には、俺なんかが夫で申し訳ない、という負い目。
子どもには、俺なんかが父親で申し訳ない、という負い目。
母には、俺なんかが息子で申し訳ない、という負い目。

だから、俺の妻になってくれてありがとう、俺の子どもに生まれて来てくれてありがとう、俺の母になってくれてありがとう、という感謝の気持ちを忘れないために料理を始めたんですよ。
そうしたら、料理は科学だということに気づいて、ハマってしまったというところですか。

ボンゴレ・ビアンコとサンドイッチが同時に運ばれてきた。

話を中断して、食うことに専念した。
ツナサンドは、塩加減が絶妙でオイル臭さを感じさせない完璧なサンドイッチだった。
プロフェッショナルを感じさせる味と言って良かった。

ボンゴレ・ビアンコは?
「不味くはないですけど、平均的な味ですね。もしかしたら、人に対する『負い目』が足りないのかもしれませんね」
ススキダの奥さんが、片頬にスパゲッティを含んで首をかしげた。

「いや、これは『負い目』よりも『感謝』が足りないのかもな」
ゴキブリが得意げに鼻を膨らませた。
そして、話を続けた。

「さっきの話が本当なら、俺が友だちだということにも、おまえは感謝しなきゃいけないってことだよな。つまり、俺にも負い目を感じているってことか?」

確かにな。
昔はゴキブリが大っ嫌いだったが、今では冷静に彼らの生き様を観察することができる。
そのことに関しては、感謝しているよ。


それを聞いて、手を叩いて喜ぶ喪服の美女。


おそらく、これでススキダの兄貴の供養はできたはずだ(と思う)。



エステマに取り残されたススキダの兄貴。

バチあたりで申し訳ない。



2015/09/19 AM 06:27:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

チャーシューからスペアリブへ
デブとのデートは、「おふろの王様」だった。

いつもなら、チャーシュー・デブ、スガ君とのデートはラーメン店というのが恒例だった。
しかし、今回は、デブと裸の付き合いという気持ち悪い状況になった。

おそらくスガ君は、ダイエットしたボディを私に見せびらかしたかったのだろう。
何を思ったのか、3か月前からライザップに通い、「結果にコミットした」デブは、130キロの体を115キロに落とすことに成功した。
それがあまりにも嬉しくて、裸になることを決意したに違いない。

「あたし、脱ぐわ!」

ただ、15キログラム結果にコミットしたとはいっても、まだ私の倍の体積はありますがね。

しかし、これ以上、男の裸について語っても誰もときめかないだろうから、男の裸は今回のテーマから外すことにします。


なぜ、今回はラーメン・デートではなかったのか。
そのことを湯上りに、施設内のレストランで遅い昼メシを食いながら聞いてみた。

スガ君は、十割とろろそばとミニいくら丼、ミニねぎとろ丼、いかげそ唐揚げ、味噌汁。
私は、十割そばと焼きおにぎり。

そんなに食ったら、「結果にデブっとする」ぞ、と思ったが、スガ君が余りにもメシを美味そうに食うので言えなかった。

食い終わって、水を何杯もおかわりするチャーシュー・デブ。
その大量の水分の摂取がトラブルのもとだったと言われて、はあん? と首をかしげた。

今年の夏も、スガ君は、58杯以上のラーメンを胃袋に放り込んだ。
そして、大量の水も放り込んだ。

食べる前に水を飲み、食べている最中も水を飲み、食べ終わったら、もっと多くの水を飲んだ。
そのことは、私が知っているスガ君がラーメンを食うときのルーティンだから、これは崩しようがない。
デブは汗かきなので、水を飲まないと死んでしまうのだ。

しかし、この夏、そのことで3軒のラーメン店から文句を言われたというのだ。

「お客さん、水飲みすぎだよ。そんなんじゃウチの自慢のスープが薄くなっちゃうよ」
「本当は、水なんか出したくないんだよね。味がわからなくなるからね」
「ラーメンを食べに来たのか、水を飲みに来たのかわからないね」

何様だ、こいつら!
それが客に言う言葉か!

私は、そう思った。

そして、普段は温厚な175センチ、体重115キロ、柔道三段のデブも、そう思ったのだという。
スガ君は、体のどこを切っても「温厚」と書いてあるほど、天然記念物的な金太郎飴のような「温厚マン」である。

そのスガ君が、店の「黒Tシャツはちまきマン」に腹を立てた。

商売というのは、お客様に最高の技術を見せるのはもちろんだが、あなたたちが得る報酬の中には、お客様を心地よくさせる「おもてなし」の価格も入っているんですよ。
それが入っていない店は、ただの自己満足で金をぼったくっていると言われても仕方がない。

それなら、俺は大学や高校の学園祭の屋台の焼きそばのほうが、はるかに価値は高いと思う。

どんな商売でも、お客様は千差万別です。
だから、すべてのお客様に味を合わせろとは言わないが、「おもてなし」だけは誰に対しても同じクォリティのものを提供できるはずだ。

店が客を選ぶんじゃない。
客が店を選ぶんだ。

俺は、そう思って仕事をしてます。
何か間違ったこと、俺、言ってますか。


そんな風に喧嘩を売ったらしい。


しかし、ラーメン店の店主というのは、つくづく唯我独尊タイプが多いようだ。
3軒の店主が、「もう次からは、来ないでくださいよ」と言ったというのだ。


もう一度言わせていただく。
何様だ、こいつら!

店名を曝そうかと思ったが、スガ君に「Mさん、ダメですよ。いつも『ネットの暴力は嫌いだ』って言ってるじゃないですか。ここは我慢してください」と言われて、冷静になった。

よかった。もう少しで、ネット暴力団に魂を売るところだった。
(スガ君は、心が広いなあ)

しかし、スガ君にとって、その事件はかなりショックだったらしく、その仕打ちを受けて「ラーメンを食べる気力がなくなりました」と、太い首を左右に振って、悲愴なため息を漏らした。

かつて静岡で4年半ほどラーメン店を経営し、今は年間5百杯以上のラーメンを食うスガ君が、もう2週間以上ラーメンを食べていないというのは異常だ。異常気象だ。
こんなラーメン愛に満ちた男に、たかが水でクレームをつける、その驕り高ぶった姿に、私は怒り心頭に発し、それを冷ますために、思わず生ビールを注文しようとしたほどだ。

「待って待って待って! Mさん、ドクターストップ! ストップ!」
スガ君が止めてくれなければ、私はこのまま地獄まで堕ちたに違いない。

危ないところだった。

「完全にラーメンに対する熱が冷めたわけではないですけど、少し距離を置こうかな、と思ってるんですよね」
「今は、うどんにはまってましてね。手打ちうどんの看板が出ているところには、お昼を食べたあとでも、条件反射的に入ってしまうんですよ。Mさん、うどんって、美味しいですよね」

ラーメン業界は、つまらないプライドを振りかざしたことで、VIP級の顧客をなくそうとしている。
(私の心の声をお届けします。もてなしの心も知らないで、プライドを煮込んだスープ作ったって、そんなの、ただの自己満足じゃねえか!)

「でも、ここでソバを食べて思ったんですけど、ソバも美味しいですねえ。日本人なのに、早く気づくべきだったなあ。他にも日本には美味しいものたくさんあるんですよねえ。和食は無形文化遺産ですからね。これを機会に、色々食べ尽くしてみようかな」
結果にコミットした男に、いつもの活力が戻ったようだ。


しかし、そうNARUTOですね・・・・・スガ君。
困ったことに、君のことをチャーシュー・デブと呼べなくなってしまうんだなあ。

うどん・デブではインパクトがない。
ソバ・デブなんか言葉の響きが弱すぎて使おうって気にもならない。

パスタ・デブ、カレーライス・デブ、おにぎり・デブ、焼肉・デブ、餃子・デブ、たこ焼き・デブ。
まったく響かない。

そう思っていたら、スガ君がナイス・アシストをしてくれた。

「この間、家内がスペアリブを作ってくれたんですけど、感動するほど美味しかったなあ。感謝のしるしに、家内のことを抱きしめたら、あれ以来、夕食に週2回はスペアリブが出るようになったんですよ。それが楽しみで楽しみでっ!!」


はい!

スペアリブ・デブ。

いただきました。







ところで、先ほど5時50分頃、東京武蔵野揺れました。
お気を付けください。


2015/09/12 AM 06:25:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

社会不適格者ふたり
社会不適格者が、二人いる。

一人は、このブログを読んでいる方はご存知だと思うが、私である。

もう一人は、大学時代の同級生、ヘチマ顔・ノナカだ。
ノナカは、変人とか偏屈とかいう、わかりやすい性格ではない。
大学時代のノナカは、彼自身は何の悪意もないのに、口から言葉の毒を吐いて人を嫌な気持ちにさせる天才だった。

おそらく本人が自覚してなかったからだろうが、まわりを不愉快にさせても平気でいられる神経は、絶えず導火線を踏んでいるような危うさがあって、そばで見ていた私はハラハラの連続だった。

だから、同級生たちは、2ヶ月もしないうちにノナカから離れていった。
私は、ノナカに自分と同じ匂いを感じていたので、毒を吐かれても同じ毒を吐き返せばいいと単純に受け止めて、むしろ自分に向けられる毒を楽しんでいた。

そんなこともあって、ノナカは学食では、いつも一人でメシを食っていたが、少数派が好きな私は、ときどき彼の隣に席を取って黙ってビーフカレーを食ったものだ。

社会不適格者だった私には、幸運にも陸上部というコミュニティがあったから、孤独を骨の髄まで味わうことがなかった。
しかし、クラブや同好会に入らなかったノナカは、傍からは孤独に見えた。

ただ、本人がそれをまったく意に介していなかったのは、驚嘆すべきことだった。
「鈍感」は、ひとつの才能だ、と思った。
そのあたりも私がノナカを気に入った理由の一つだった。

卒業年に、ノナカは生まれ故郷である宮城県の教員採用試験を受け、宮城県の中学の社会科の教師に採用された。

その口から毒しか吐けない男が、教育者になる。
同級生の誰もが心配した。

在学時代はノナカを疎ましく思っていた同級生の誰もが、ノナカのその決断を心配した。
つまり、ノナカは、クラスメートに本当に嫌われていたわけではなかったということだ。
誰もが、その存在を少し煙たがってはいたが、「同級生」として認めていたということだ。

「ノナカが、中学校の先生だって? 長続きするかぁ? 大丈夫か? 一番ノナカに合わない職業だろう!」
クラスメートの多くが口を揃えて言っていた。

そのノナカは、11年間中学の教師を勤めたあとで独立し、学習塾の経営を始めた。
そのときも大学の同級生の何人かは、「塾? できるのか? あいつに。教師だって似合わなかったのに、塾の経営なんて!」と心配した。

しかし、私も含めた同級生たちの心配は杞憂に終わって、ノナカは意外にも経営の才能を発揮し、彼が宮城県に開いた2つの塾は、少子化の逆風にも負けずに今もそれなりに繁盛していた。

私が、ノナカの友だちとして認められていたかどうかの自信が私にはないのだが、ノナカは仙台に帰ってからも定期的に私に電話をよこし、近況を報告してくれた。

だが、事業が順風満帆だったノナカに突然、「誰か」がイタズラをした。
5年前に、胃ガンを発症したのだ。
そのとき、胃の3分の2を切り取ったノナカは、手術と抗癌剤治療の効果が劇的に作用して、黄泉の世界に行かずに済んだ。

ノナカのガンは、その後も再発せず、塾の経営者として、さらには地方の名士としての暮らしを続けていた。

だが、人の運命は、どんなときでも、目に見えないものに理不尽にも翻弄されることがある。
4年前に、今度は奥さんがガンを患ったのだ。

どの種類のガンだったのか、私は詳しいことは聞いていない。
それを聞くことに意味を見出していない。

奥さんの手術が成功したとき、ノナカが泣きながら言った「神よ! もし本当にいたのなら感謝します!」という言葉は、今でも私の脳の特殊な部分に残って、年に何回かはリバースされるフレーズになっていた。


今週の水曜日、3年ぶりにノナカと会った。
場所は、吉祥寺のドトールだ。

ノナカは、年に2〜3回東京に出てくるが、私とスケジュールが合わないことが多いので、いつもすれ違いだった。
今回は、あらかじめ1か月近く前からノナカが日にちと時間を指定してくれたため、久しぶりに会うことができた。

老けたヘチマ顔の目には、私は顔色の悪いガイコツに見えたようだ。
ノナカが私の顔を見ていきなり言った。
「血が足りてない顔だよな」

じゃあ、おまえは、幸せが足りてない顔か。

何気なく口から出た言葉だったが、ノナカが出す空気が101パーセント曇ったのを見て、私は後悔した。
ノナカが、目の奥に深く暗い沼のような重い闇を満たして言った。

「女房が、ナオミが、余命宣告を受けた」

大きく息を吸っても酸素が肺に入ってこなかった。
薄い空気しか取り込むことができなかった。
貧血、酸欠とは種類の違うめまいを感じた。
そして、頭の奥がしびれて、目の前に薄暗闇の世界が広がった。

闇が重かった。


ここまでキーボードで打ち込んで、俺は何を伝えようとしているんだ、と思った。

友人の奥さんの余命宣告。

そんなことを軽々しく表現していいわけがない。
そのことは、どんなに私が鈍感でも理解していた。
だが、いけないこととは思いつつも、友が絞り出すように言った言葉を平然と私は打ち続けるのだ。

なぜなら、社会不適格者だから。

「なあ、俺はナオミに何をしてやればいい?」

暗い沼からノナカが私を覗いたが、私は「おまえが一番大事な重い命に向き合うこと」という白々しいことしか言えなかった。


それから一時間、ノナカと私は、お互いの暗黒面を覗くような会話しかできなかった。
というより、私はノナカの話をただ聞くだけの木偶の坊に変身していた。

ノナカを励ました方がいいのはわかっていたが、私はノナカと同じ位置で同じ表情で、ため息を吐き出すことしかできなかった。


話の中で、ノナカが私に頼みごとをした。
ノナカは宮城県の学習塾の他に、東京に「ミニパソコン塾」を2店舗持っていた(墨田区と江東区)。
4年前に、その開店準備をしたのは私だったが、経営も頼むと言われたとき、私は場所が遠いことを理由に断った。

そこで私は、新宿でコンサルト会社を経営している大学時代の友人オオクボにサポートを頼んだ。
オオクボは、快く受けてくれて、今も彼の部下がミニパソコン塾をうまく軌道に乗せていた。

「でもなあ、俺は本当は、おまえにやってほしいんだよな」
ノナカが頭を下げた。

だが、社会不適格者の私は、冷酷にも今回も断ったのだ。

悪いな。
俺が二人いれば引き受けたかもしれないが、残念ながら俺は今ひとりしかいない。
だから、無理なんだ。

それを聞いたノナカは、諦めの表情を眉だけを動かすことで作って「そうだよな。悪かったな。無理な頼みごとをして」ともう一度頭を下げた。

目の前で、背を丸めながら冷めたコーヒーをすするノナカを見て、私は体が震えるほど後悔した。


社会不適格者がふたり。
何の結論も出せぬまま吉祥寺で別れた。

きっとノナカは、身動きできないほどの心細さに己を縛られているいま、何の役にも立たない友人を持ったことを後悔しただろう。
中央線の中で自分の運命を呪い、東北新幹線の中で呪い、帰りのタクシーの中で私を呪ったはずだ。

だが、そんなノナカが我が家のドアを開けたときは、精一杯の笑顔を作って、「ただいま」と言ったに違いない。

ノナカは、年を経て、そんな風に人間くさい男に変化していた。


変化と進歩を忘れた人間くさくない私ができること。

私は目に見えるものしか信じないバチあたりな男である。
ただ「無神論者」と威張るほどの確固たる信念を持っているわけではない。
神仏に頼ることが怖い、ただの臆病者だ。

そんなバチあたりな私だったが、朝起きたときと夜眠る前に、ヘチマ顔ノナカの奥さんの生きてきた軌跡を讃えることは普通にできた。


祈りはしないが、社会不適格者の私にも、人を讃えること、感謝することはできるのだ。



ノナカと結婚してくれて、ありがとう。

本当に、ありがとう………と。



2015/08/08 AM 06:39:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

価値のあるひと
クラウン・ハイブリッドの乗り心地は、思いのほか良かった。

大学時代の同級生、長谷川に中央線武蔵境駅のロータリーで拾ってもらった。
私に相談とお願いがあるというのだ。

相談とお願いは別物なのか。
2つが別件だとすると、割増料金がかかるが。

「基本は同じだ」
割増料金のところは、完全に無視された。

「まず、相談の方からだが」と言って、長谷川が話し始めた。

武蔵境から長谷川の家のある世田谷羽根木までは、車で40分程度だ。
その間に、相談とやらを済ませようというのだろう。

「社長を辞めようかと思っている」

長谷川は東京池袋に本社のある中堅商社の2代目社長様だった。
社員の数は、400人を超えるという。
確か、40過ぎに父親から社長業を受け継いだはずだから、まだ20年は経っていない。

飽きたのか、それとも社内クーデターで追い出されそうになったのか。

だが、私の質問はまたも無視されて、長谷川が生真面目な顔を一瞬だけ私に向けて言った。
「俺の後継になりそうなのが、二人育ってきた。ちょうど身を引きどきなんだ」

つまり、二人の息子のうちのどちらかを社長にしようということか。

長谷川は首を横に振った。
「俺は、世襲企業にするつもりはないんだ。相応しい人がなるのが社長業だろう。あの会社は、俺のものじゃない。それに長男は不動産会社、次男は外資系だ。あいつらは会社の人間じゃない」

相変わらず、優等生だな。
では、その優等生の考えそうなことを当ててみようか。

奥さんに、医者に戻ってもらいたいんじゃないのか。

長谷川の奥さんは、むかし女医だった。
子どもが生まれても大学病院の勤務医をしていたが、長谷川が社長業を受け継いだときに医者を辞めた。
そうしなければ、本気で長谷川をサポートできないと思ったからだろう。

要するに、夫婦揃って優等生だ。

その優等生が笑った。
「大当たりだ」
そして、こう話を繋げた。

「女房は名医だったと思う。患者の病気と向き合うのを生きがいとしていた。そんな名医を20年近くも俺は埋もれさせていたんだ。それって、犯罪に近いエゴだよな」

しかし、社長業をしながらだって、奥さんのサポートはできるだろうに。

「俺は女房の才能という重い犠牲の上で仕事を続けていたんだ。これ以上、それを背負うのはもう限界なんだ」

鼻持ちならないくらい優等生のお答えだ。
自分に酔っているのか。
意地悪なことを言ってみたが、長谷川は「おまえらしい言い方だな」と笑っただけだった。


まあ、いいんだが、なんで俺なんだ。
なぜ俺が、お前の奥さんを説得しなければいけない?

私がそう言うと、長谷川は一瞬だけ顔を動かして私を見たあとで、こう言った。
「だって、おまえは、いつもそんな役目だったじゃないか。
大学時代、仲間と飲みに行っても、お前は絶対に酔わないで、一番酔いつぶれたやつを看病して、家まで送るのが役目だったよな。
酒飲んでも酔えないって、辛いところだよな。
でも、それが、お前の役目だったんだ。今もな」


羽根木の家に着いた。
建物は洋風2階建てだが、塀と門は、木の香りのする和風だった。
要するに、センスが悪い。

社長をするやつには、こんな曲がった自己顕示欲を持ったのが多い。
きっと金の使い方を知らないのだろう。

3年ぶりに会う長谷川の奥さんは、1年分だけ老けていた。
年齢はきっと51歳から54歳の間だ。

前回来たときに好評だった「横浜レンガ通り」という菓子を土産として渡した。
「ありがとうございます。ヨッシャ」と言って、喜んでくれた。

長谷川は大学時代から生真面目で融通が利かない男だったが、人を信じるのがうまい「人くさい」男だった。
対照的に、長谷川の奥さんは冗談のわかる乗りのいい人だった。

その性格が、医者として長所になるか短所になるかは、人間嫌いの私には判断できない。
患者を殺さないのが、いい医者の条件だとすれば、そんなことは、どうでもいいことなのかもしれない。


私は、まわりくどい話と駆け引きが嫌いなので、応接室のソファに座るとすぐ、奥さんに直球を投げた。
おそらく、170キロはあるかという剛速球だ。

長谷川が社長を辞めたいと言ってます。
そして、奥さんに医者に戻ってもらいたいとも言っています。

あまりの剛速球に、長谷川の顔が強ばった。
まさか、いきなり切り出すとは思わなかったのだろう。

しかし、奥さんが「マツさんらしい直球ですね」と笑うと、長谷川もつられるように苦笑いをした。

奥さんが言う。
「でも、私は主人を辞めさせてまで医者になる価値のある人間なんでしょうか」

少なくとも長谷川400人分くらいの価値はあります。
私と比べると、2015人分くらいの価値でしょうか。
来年には2016人分になる予定です。

「ああ、1年で一人分増えるわけですね。わかりやすいですね」
「でも」と言って、奥さんは長谷川の横顔を見た。
「即答はできません。自分がマツさんがいうほど価値のある人間かを滝に打たれて自問自答してみないといけませんし」

滝行をするんですか?

「はい。多くの方はシャワーと呼んでいますけど」

ああ、その滝行なら、俺も好きです。
特に夏は、いい。

そんな私たちの会話を聞いて、長谷川が「おまえら、こんな重大なことを俺が話しているのに、これじゃ、まるで俺が馬鹿みたいじゃないか」と肩をすくめた。

社長ってのは、馬鹿なほうがいいんだよ。
私がそういうのと同時に、「ふな〜」という声が足元でした。

そして、声を聞いて1秒もしないうちに、柔らかい生き物が、私の膝に乗ってきて、また「ふな〜」と言った。

日本猫だった。
どこにでもいるような日本猫だ。

私の体には、おんぼろアパートの庭のダンボールに住み着いた「セキトリ」という名の猫のにおいが染み付いているのだと思う。
私は、毎日セキトリに遊んでもらっているのだ。

猫は、私の閉じた両膝の窪みの位置に、うまい具合に収まって、くつろぎの体勢を取ろうとしているところだった。

「まったくイネったら!」
長谷川と奥さんが、同時に困り眉を作って、猫好きの人間特有の愛情と苦笑が混じったため息をついた。

猫の長い尾が、私の腿に絡まりついていた。
そして、腿全体が温かかった。

猫の名は、イネ。
きっと女性として日本で初めて西洋医学に従事したフォン・シーボルトの娘「楠本イネ」から取ったのだろう。

奥さんが付けた名ですか、と聞いてみた。

「はい、私が付けて、主人も子どもたち2人も気に入ってくれました」

楠本イネですね、と念を押した。

「そうです」

長谷川が「何だ、それ? くすもと?」

おまえ、知らなかったのか。

「女房が京都の伊根町出身だから、そこから取ったのかと思ったよ」

「違いますよ。伊根町にいたのは、2歳までです。半世紀前のことなんて憶えていません」


私の膝の上のイネは、完全に眠っていた。
その猫の首筋を撫でながら、今からでもイネになれますよ、と言った。

奥さんは、「そうですね。でも、イネにも聞いてみないと」とイネを指差した。

猫と一緒に、滝行とか。

「はい、今晩」

猫がうらやましい。
そう言ったら、眠っていたはずのイネが「ふな〜」と鳴いた。


安心しろ、長谷川。イネのお許しが出たぞ。


長谷川が眉間にしわを寄せて、首をかしげた。



人くさい長谷川には、猫語は難しかったようだ。



2015/07/04 AM 06:26:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

星を翔ける子
偶然なのかどうか、友人の尾崎に男の子が産まれた。

6月24日だった。

49歳のときの子が、水穂。
52歳のときが、里穂。
そして、56歳のいま、男の子が生まれた。

私の娘の二十歳の誕生日にだ。

狙ったのか、と聞いてみた。

「それは、神の領域だな」と尾崎。

それで、おまえ……子どもが二十歳のとき、おまえが何歳になるってことを現実として受け止めているんだろうな。

「ああ、俺は、足し算だけは得意だからな」

じゃあ、百歳まで生きろ。

「もちろんだ。おまえは百二歳まで生きろ」

つまり、一緒に死ぬということか。
気持ちわるいな。

電話が切れた。


東京中野の産婦人科に行ったら、尾崎は20分前に帰ったと言われた。

尾崎の妻、恵実の横には、生まれたばかりの赤ん坊。

尾崎恵実。
おそらく42歳。
30歳半ばと言っても、人は信じるかもしれない。

その恵実に「抱きますか」と言われたので、抱いてみた。

3310グラムの男の子。

抱いてみれば、軽いという印象しかないが、その軽さを両腕で味わっているうちに、こみ上げてくるものがあった。

男の子は熟睡している。
無防備な顔のまま、血の繋がりのない私の腕の中で、彼は寝息を立てていた。

その寝顔を見たとき、この無防備な生き物を守らなければ、という動物の本能が私の心を衝き動かした。

「尾崎も泣いてましたよ」と恵実が言った。
「声には出しませんでしたけど」
その尾崎の心情は、この子を抱けば、すぐに理解できた。

この子に与えたいもの。
きっと、それは尾崎と私、同じだと思う。
おそらく、尾崎が見たものと同じ景色を私も見ているのだと思う。

「夏帆ちゃんと同じ誕生日だということ、尾崎はとても喜んでいました」

20歳も違う私の娘と尾崎の子。

しかし、抱いてみて、20年前の娘のときと同じ波動を腕が思い出していた。


56歳の尾崎が背負うものは、私の想像を遥かに超えているかもしれない。

だが、その背負うものは、共有できるものだ。
30年を超える付き合いが、それを共有させるのだと思う。


「尾崎が、どこに行ったかわかりますか」と恵実が私に聞いた。

俺の母親のところじゃないですかね。

恵実が頷いた。

30年近く前、どこから見ても「はぐれもの」の尾崎を私の母に会わせたことがあった。
道を歩く尾崎の顔を見たら、誰もが顔を背けて、災難から逃れる仕草をするほど、尾崎の醸し出す空気は発火寸前の弾薬の匂いがした。
そんな危険な匂いを絶えず振りまく尾崎の第一印象は、誰にとっても極めて悪いものだった。

ただ、教育者だった私の母は、絶対にその危険な匂いを疎ましく思わないだろう、という自信が私にはあった。
私のその予感はあたって、母は、尾崎を一目見て気に入り、尾崎も私の母に心酔した。

「俺が、この世で唯一尊敬できる人は、おまえの母ちゃんだな」

尾崎と私はときに2年以上会わないときがあったが、そんなときでも尾崎は、私の母にだけは会いに行ってくれたのである。
尾崎の中で、私の母は、師であり母でもある存在なのかもしれない。


軽い認知症の私の母は、死んだ自分の夫や娘のことを忘れることがあっても、尾崎と私のことを忘れることはない。

6月24日の夜。
尾崎から電話があった。

「母ちゃんが、おめでとうって2回言ってくれたよ」

よかったな。

「この『おめでとう』の意味がわかるか」

もちろん、赤ん坊におめでとう、ってことだろ。

「それもあるが、夏帆ちゃんにも、おめでとうってことだと俺は思うんだがな」

孫の誕生日は、忘れていないってことか。


「忘れるわけがないだろう。俺たちの母ちゃんが……忘れるわけがない」


そうだな。
忘れるわけがないよな。


「3人目も、名前をつけてもらおうか」

尾崎のふたりの娘、水穂、里穂は、私が名をつけた。
だから、断る理由がない。

わかった、と答えた。


耳元に尾崎の乾いた笑いを感じながら、電話を切った。


まる一日考えた名前を一昨日(25日)尾崎に告げた。

ありがとう、と言われた。
恵実も喜ぶだろう、とも言われた。


「星翔」(ほしと)。

「意味は聞かない。ありがたく使わせてもらう」


意味なんかないさ。
俺とお前が友だちだということに、明確な意味がないのと同じことだ。

「確かにな」

ただ、おめでとう、だけは何度も言わせてもらう。

「じゃあ、俺も何度も『ありがとう』を言うべきかな」

ありがとう、は言葉に出さなくてもわかる。


「確かにな」


2015/06/27 AM 06:26:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

少し早いチチの日
あえて、反感を買うことを主張しようかと。

インターネットの世界で、クリックを繰り返していたら、「今は空前の肉ブーム」という短いコラムを見つけた。
他にも、「女子も肉食が増加」などという記事もあった。

よかった。
これで、大っぴらに「肉嫌い」を宣言できると思った。

子どもの頃から、肉が好きではない。

それはきっと、私の死んだ生物学的な父親が、肉しか食わない人だったので、その反発から来ているのだと思う。

ただ、好きではない、とは言っても、私はメシはバランスを重要視しているから、肉も普通にメニューに加えている。
我が家では、私がメシを作るから、家族のことを考えて、肉食のレパートリーは20種類以上用意してある。

みな、喜んで食ってくれている。
ただ、私一人だけが、喜んでいない。

繰り返すが、父親への反発が大きいからだと思う。

だから、私は「父の日」に意味を見い出していない。

自分が、生物学的に「父」になった今でも、むしろ「乳の日」の方が嬉しい。
これは、いやらしい意味ではありませんよ。
「ミルクの日」の意味ですから。

我が家では、「乳の日」には、ミルクラーメンを作ることが慣例になった。
世の中には、「味噌カレー牛乳ラーメン」などという欲張りなものがあるようだが、我が家のは、単純に玉ねぎとベーコン、藻塩、ニンニクと乳脂肪分の多い牛乳を沸騰させてスープを作ったあとで、茹でた中太麺を投入し、最後に鶏油(チーユ)を回しかけるシンプルなものだ。
トッピングは、レタスと煮玉子だけ。

我が家では好評だが、「ラーメン通」を気取った方には、これは邪道かも知れない。

だが、2年前の「乳の日」に、友人のチャーシューデブ・スガくんに食ってもらったら、「Mさん、これは革命ですね」と褒めていただいた。

そのFカップ・チャーシューデブ・スガくんは、年間500食以上のラーメンを胃袋に収める「ラーメン愛」を極めた男だ。
その男から、ラーメンデートに誘われた。

場所は、東京八王子。
どうやら、知ってる人は知っている「知られている店」らしい。
私は知らなかったから、要するに、知らない人には「知られていない店」のようだ。

スガくんが食ったのは、とんこつラーメンと無料の大盛りライス。
私は、とんこつラーメンだけ。

味は、王道を行くコッテリ系。
麺が硬めで、口の中で適当に抵抗してくれたから、麺の味を存分に感じた。
トータルで言えば、完成度は高い。

いつも感心するのだが、スガくんはラーメンに限らず、とても幸せそうな顔をして、食い物を腹に収める。
その姿を見ていると、こちらも幸せな気持ちになる。

176センチ、体重130キロ、柔道三段の体が食い物を摂ることによって、「幸せ色」に染まるのだ。
私は、その姿を見るのが好きだ。

さらにいいのは、いちいち感想や薀蓄(うんちく)を垂れないところだ。
「チャーシューが柔らかくて、舌の上で溶けてしまいました〜」という、ふざけたことは絶対に言わない。
(舌の上で溶ける、イコール美味いという表現は、安易すぎて同意できない)
スガくんは、全身が「うまい」を表現しているから、見ていて飽きることがない。

とんこつラーメンと大盛りライスを完食し、私が残したスープをおかずに2杯目の大盛りライスを食う姿も、「幸せオーラ」を発散して、眩しいくらいだ。

そのスガくんに、私は、お中元とお歳暮に毎年送ってくれる牛タンのブロックは、今年いらないからね、と言った。

「えー、どうしてですか? 飽きたんですか?」

いや、世間が知らないうちに「肉ブーム」になっているという情報があってね。

「ああ、わかりました。じゃあ、マグロのトロを送りますよ」

いや、マグロは全国的大人気だからねえ。

「ああ、つまり、日当たりの悪い深海で拗ねているような、ひねくれたMさんみたいな魚が、いいんですね」
(本当にこう言ったんですよ)

さすが、スガくん、お察しがいい。
いい友だちを持って、俺はしあわせ者だよ。


その日の夜、友だちの少ない私には珍しく、16年2ヶ月ぶりに、昼夜連続でメシに誘われた。

大学時代の友人、カネコだった。

カネコは、大学の友人とは言っても、私より2歳年下だ。
(私が2年浪人したり留年したという意味ではない)
普通なら、後輩として、私の下僕(しもべ)のポジションにいるべきところだが、芋洗坂係長に似たルックスが貫禄十分なのと、私が後輩を甘やかしすぎることもあって、私を「おまえ」呼ばわりする失礼な男なのである。

メシは、吉祥寺の焼肉屋。

俺、肉、嫌い。

「わかってるよ、世の中が『肉ブーム』だからだろ」

話が早い。
だから、「8種の肉食い放題」を奢れ。
(矛盾していますか?)

「最初から、奢るつもりだが」

なぜかわからないのだが、後輩のくせに、いつも私におごってくれるカネコもメシを幸せそうに食う男だ。
いや、「幸せそう」ではなく、全身が「幸せオーラ」に包まれているから、私は、カネコがメシを食う姿を見るのも好きなのである。

カネコは、基本的に肉食動物だが、「俺、野菜とか魚とか、そんな軟弱なものは食べないんだよね。肉があれば充分」などという白痴的なことは絶対に言わない。

「だってさ、俺たちは、俺たちが食べなければ、もっと長生きしたものを贅沢にもいただくわけだろ。すべての食材を感謝して食べないと申し訳ないじゃないか」

だてに、芋洗坂係長に出世したわけではないようだ。

私にとって、友だちとしてのランクは遥かに下だが、食い物に対してのカネコの生き様は見事だと思う。
食いながら屁をすることをやめたら、もっとランクを上げてもいい、と私は思っている。

そのカネコが、私の前に紙袋を無造作に置いた。

はん?

「まだだいぶ早いが、ショウコがお前に、乳の日のプレゼントだってよ」
Dカップのカネコが言った。

袋を開けると、かぶれない白髪染めが2つ入っていた。

カネコの娘、ショウコに関しては、このブログに何度か登場しているので、ここで説明はしない。
26歳、二人の子持ち、人妻、とだけ記しておく。
ショウコは、カネコの娘であるが、私にとっても娘のようなものだ。

つまり、乳の日に、何かを貰う権利が私にはある?

「ショウコの命令を伝える。『少しは洒落っ気を出せ!』」

わかった。
ところで、お前に聞きたいことがあるんだが。

「なんだ」

今年もショウコにお年玉を強奪されたのだが、俺は、いつまでショウコにお年玉を渡さなくちゃいけないんだ?

「俺は、ショウコが大学に上がった時点で、お年玉はやめたぞ。あいつ、意外と貯め込んでいるからな。今は翻訳の仕事もしているから、俺よりも金持ちだ」

そうか、それなら、俺もやめてもいいということだな。

「それは、やめておけ。あいつの関節技は怖いぞ。下手をすると、仕事ができなくなる。仕事を犠牲にするか、お年玉を喜んで渡すか、考えなくてもわかるだろ」


俺、肉をたくさん食って乳をたくさん飲んで、関節を鍛えようかな。

そんなことを考えていたら、ショウコから「Skypeでビデオ電話」が来た。

無視することも考えたが、後が怖いので、すぐに出た。

「焼肉をどれだけ食べたって、サトルさんは、私には勝てないんだからね。一生お年玉を払い続けてね。その代わり、毎年白髪染めを送るから」

店の防犯カメラの映像が、ショウコまで繋がっていたのかとカメラを四方八方キョロキョロと探した。

カメラ、見っけー。
(カネコがLINEで動画を送っていたようだ)



お年玉と白髪染め。

間違いなく、俺のほうが損している、と思うのは気のせいか。



でも、黒髪が復活したから、まあ、いっかぁ。

乳の日に、感謝。


2015/06/13 AM 06:34:35 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

武蔵境の妖怪
仕事の打ち合わせが終わって、東京駅から中央線の下りに乗った。

午後2時半頃だったせいか、車内はすいていた。
目の前に、筋肉の塊のような白人が座っていた。
ただ、顔は、ムキムキの体には不釣り合いなベイマックス顔だった。

申し訳ないが、ちょっと笑った。

新宿駅で、20歳前後の男が二人乗ってきて、私の左隣に座った。
そのとき、アナウンスがあった。

「武蔵境駅でバッグが挟まった影響で、下りの電車に遅れが出ています。お急ぎのところ、申し訳ありません」

新宿駅をやや遅れて発車。
中央線は、事故が多い路線だが、バッグが挟まった程度なら軽いものだ。
遅れたとしても、3分程度だろう。

たいしたことはなかろう、と首をゴキゴキと鳴らした。

そのとき、隣のふたりの会話が耳に入ってきた。
「なんだよ! また人身事故かよ! 武蔵境なら、どうせ亜細亜大の学生が飛び込んだんだろうよ。ツイートしてやろ」
「ああ、やってやれよ!」

顔は見えないが、左隣の男がスマートフォンを取り出して、指を動かし始めた気配を感じた。

なかなか、面白い想像力を持った若者だ。
バッグが挟まって電車が遅れるというアナウンスが、「人身事故」「亜細亜大生飛び込み」に変換できる頭脳というのは、相当変換能力が秀でているか、相当悪意を持ったバカか、どちらかだろう。

そのツイッターを見た人は、もちろん、その文章を真に受けて、「武蔵境駅で人身事故」と思い込むに違いない。
受け取る側は、ツイートした人間の頭脳の優劣をいちいち想像しない。

だから、彼らの中では、それが事実になる。

ツイッターというのは、本当に面白い道具だ。
こんなふうに、アカウント主のバカが、平然と空気中を浮遊できるのだ。

こんなツイートをしていたら、毎日が楽しいだろうな、とも思う。
彼らには、真実を伝える気はさらさらないのだから、何でもありだ。
羨ましくて仕方がない。

偶然隣りに座り、私と同じ武蔵境駅で降りた、名前も顔も知らない、妖怪さん。
その想像力溢れた頭脳で、これからも世界を歪ませてください。
期待しています。


電車は、2分遅れで武蔵境駅に着いた。
そして、私は、猛烈に腹が減っていた。
朝メシは、フルーツグラノーラを食っただけで、そのあとは、何も食っていない。

家に帰れば、カップラーメンが待っていてくれるが、今日は、カップラーメン君には申し訳ないが、待ちぼうけを食らわせようかと思う。
それほど、腹が減っていた。

今すぐ食えるものは何か、と考えたら、「すき家」が思いうかんだ。
牛丼は誰もが食っているだろうから、ポークカレーがいい。

武蔵境駅北口のスキップ通りを抜けた斜め前の「すき家」に入ろうとした。

しかし、店の手前2メートルほどのところで、声をかけられた。

「M先生じゃないですかあ!」

その声の主に思い当たった私は、違います、人違いですと答えた。
そして、相手の顔も見ずに、店に入ろうとした。

すると、「ちょと待てちょと待て」と、首から下3センチのところを這うナメクジのようなジメっとした声で、左肩から18センチ下の二の腕をつかまれた。

その20代後半の男の顔と声は覚えていたが、名前は忘れた。
ただ、住所とメールアドレス、携帯電話の番号は知っていた。

なぜなら、2か月前に、「Mac出張講習」で、家にお伺いしたからだ。
西東京市の8階建て高級マンションの4階のどこかの部屋で、私はその男にMacを教えた。

「Macは、以前結構やっていたんですけど、気が変わってWindowsに変えたんですけど、Windowsはもう大体把握したんですけど、Macをもう一度やり直そうと思っているんですけど・・・・・」

言ってることが、わからないんですけど。

とは言いながらも、教えて欲しいという申し出を拒む選択は、私には許されていないので、1日3時間を2日続きで教える約束をした。

しかし、信じられないことだが、初日の講習が終わったあとに、男が「大変勉強になりました。だけど、講習料、千円まけて欲しいんですけど」と言ったのである。
そのとき、私は右手でグーを作った。
さらに、「来週の土曜日、彼女とデートなんで、少し現金を残しておきたいんですけど」と言われたときは、左手もグーになった。

だが、暴力は犯罪である、ということを1才の頃から祖母に教え込まれた私は、すぐにグーをパーに変えて、約束は約束。たとえば、あなたは小田急センチュリーホテル・レストラン・トライベックスでフィレステーキを食ったあとに、レジで「負けてくれ」と言えますか、と冷静に訪ねた。

「いや、それとこれとは違うんですけど」

メールでやり取りしたときに、こちらの金額を提示しましたよね。
それに対して、あなたは、わかりました、と返事をした。
そこで、契約は成立しているんですよ。
それは、レストランのメニューを見て注文したのと同じことです。

わかりますか? 違わないんですよ、ちっとも。

すると、男がアッサリと言った。
「ああ、じゃあ、明日はもう来なくていいです。お金がもったいないんで」

家に帰って、メールアドレスの下に得意げに載せていた男のツイッターのアカウントを開いたら、「あんなケチ初めてだぜ」と褒めてくれた文章を見つけた。

私は「アンナ」という名前ではないのに「あんな」呼ばわりされた。

そんな男が「ちょと待てちょと待て」と言いながら、首から下3センチのところを這うナメクジのようなジメっとした声で、私の左肩から18センチ下の二の腕をつかむなんて、こんな悪夢があっていいわけがない。

2か月前の経緯を思い起こしたら、男の方が、バツが悪いはずだ。
それなのに、声をかけてくるなんて、天使の私には、「妖怪の所業」としか思えない。

妖怪嫌いの私は、あっ、やばい! ここに自転車を停めてはいけなかったんだぁ〜、と叫びながら、店の横に置いた自転車に颯爽と飛び乗り、すき家前から逃走した。


家に帰って、寿がきやのカップラーメンを食いながら、男のアカウントを開いたら、「シラガのおっさん必死の逃走(笑)」だってさ。


男の姓名と住所、電話番号、メールアドレス、ツイッターのアカウントをコピー&ペーストしたい衝動に駆られた。

しかし、日本国には個人情報保護法、というものがある。


助かりましたね、オカダさん(笑)。



2015/05/26 AM 06:25:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | [日記]

2分で消滅
おバカが帰ってきた、という話を以前このブログでエントリーしたことがあった。

フクシマさん、というおバカ偏差値99の男がうつ病を克服して帰ってきたことは、今年一番の嬉しい出来事だった。
そのフクシマさんの奥さんから、先週末に電話をいただいた。

「ご迷惑をおかけしたので、お礼の意味も兼ねまして、外でお食事でもいかがでしょうか」

私は、フクシマさんに迷惑をかけられたおぼえはまったくないのだが、ご馳走してやる、という人様の好意を踏みにじるほど極悪人ではない。
ただ、ご馳走になるにあたって、偉そうだとは思ったが、二つの条件を出させていただいた。

一つは、桶川の会社でフクシマさんと同僚だった麻生久美子似の元事務員を呼ぶこと。
そして、二つ目は、高級な食い物を食うと腹を壊す私のために、食い物は庶民的なものにして欲しい、というもの。

「では、ガストにしましょうか」と言われたが、私の希望としては、いま猛烈な逆風を浴びている「マクドナルド」か「すき家」が望ましい、とお願いした。

そのことはきっと、私と同じように、少数派、逆風が大好きなフクシマさんや麻生久美子似にも絶対受け入れられるはずです、と熱弁した。

その結果、すき家では長話はできないだろうということもあって、場所は新宿駅西口のマクドナルドに決定した。

お昼時間を過ぎていたし、逆風を浴びているから空いているに違いない、と予測したが、店内は意外と混んでいた。
本当に逆風を浴びているのか、これなら同じように逆風を浴びている「ワタミ」にすればよかった、と後悔した。

なんだかなあ〜、期待はずれだったなあ、と妊娠9ヶ月の麻生久美子似と愚痴をこぼしあった。
麻生久美子似のお腹は、だいぶ目立って、マクワウリをまるごと飲み込んだみたいに膨れていた。
お腹を触りたい衝動を抑えるのに、全身全霊を使ったので、疲れた。

しかし、麻生久美子似は、相変わらず大物だった。
「触っていいですよ〜」

触らせていただいた。
何でもないときにこんなことをしたら、明らかに犯罪だが、今回は幸運にも前科がつかずに済んだ。

幸せな胎動を感じて、体が震えた。

しかし、可哀想なのはフクシマさんだった。
同じように、腹に手を伸ばしたら、「あんたはダメ!」と、奥さんと麻生久美子似から、頭を叩かれていた。

触ったら、純正のおバカが伝染る、と本気で心配されたらしいのだ。

そのフクシマさんに対する扱いを見て、フクシマさんが、本当に帰ってきたことを実感した。
それを見て、両目から水が出そうになったが、右目だけで抑えておいた。
右目は、著しく視力が衰えているので、涙くらい流させてやらなければ可愛そうだと思ったのだ。

頼んだメニューは、全員が違うものだった。
なぜなら、ひとと同じものを食いたくない、という大人気ない4人が集まったからだ。

私が何を食ったかって?
それは、内緒です。

ちょっとしたいたずら心で、フクシマさんが頼んだチキンフィレオに、いつも持ち歩いているビタミンB群の錠剤をふた粒、密かに混入させた。

ゴリッ!
「あれ! なんか変なものが入っていたぞぉ! なんだこれは?」

「安定剤じゃないの。店が気をきかせたのよ」とフクシマさんの奥さん。

「ああ、そうか。じゃあ、食べても大丈夫だね」
何事もなかったように、完食したフクシマさんだった。

信じられないでしょうが、こんなおバカが、この世界には存在するのですよ。

大阪都構想や橋下市長、行列ができる法律ナンタラの話をしたあとで、唐突にマーチの話になった。
フクシマさんの奥さんが、私の大学の後輩だということが、発覚したのである。

「ああ、では、全員がマーチなんですね」と麻生久美子似が、マクワウリのお腹をさすった。

MARCH、とは、東京の大学の頭文字で、早稲田慶応上智国際基督教大学ほどは、優れた知能を持たない中途半端な位置に甘んずる大学の総称だった。

我々3人が、マーチだったことは知っていたが、フクシマさんの奥さんまでマーチだったとは。

「では、この会合を『マーチの会』と名づけましょうか。これからは、定期的に『マーチの会』を開きましょうよ。いいと思いませんか?」
フクシマさんが、近所迷惑を顧みず、立ち上がって宣言した。

「いいね、いいね!」、と一度は、話の流れに乗って、全員が、それを受け入れた。

しかし、2分後に、全員の顔が曇った。

そして、誰もが思い浮かべたことを、私が代弁した。

俺たちって、少数派が大好きで、絶対に派閥を作らないのを生きがいにしてきたんだよね。
ここで「マーチの会」なんか作ったら、そのポリシーを覆すことになるよね。
それは、俺たちが一番やってはいけないことじゃないだろうか。

全員の首が、縦に振られた。

フクシマさんが、アイスコーヒー。
フクシマさんの奥さんが、ホットミルクティー。
麻生久美子似が、野菜生活。
そして、私がプレミアムローストコーヒー。

各自違う飲み物を飲みながら、全員が互いの目を見ながら、頷きあった。

一時間程度だったが、とても楽しい時間を過ごした。

そして、帰り道。
全員が、中央線沿線の住民だった。

中央線の快速下り。

我々は、当たり前のように、ホームに散らばった。

フクシマさんが、4両目。
フクシマさんの奥さんが、5両目。
麻生久美子似が、6両目。
そして、私が、7両目。

窓の外の景色は同じだとしても、違う車両に乗るという行為が、妙な安心感と満足感を我々に与えて、4人は満ち足りた気分で車窓を眺めた。

車窓を見ながら、関係ないことを思った。
私は、橋下市長の手法が好きではないが、大阪都構想は、いいな、と思った。
新しい時代の匂いが、プンプンした。

余計なお世話かもしれないが、新しい時代を切り開けない民意は、既得権という過去の亡霊をのさばらせただけではなかったか。

大阪市、という名前だけが残ることに、大きな意味はあったのか。
「変革の機会」を逃した代償が、いつか重くのしかかるときが来るかも知れないとも思った。

中央線の車窓とは、何のつながりもないけれど……………。


あれから二日。

三人からは、メールは来ず連絡もない。
こちらからも、する気はない。



その居心地の良さは、わかる人にしかわからないかもしれない。



2015/05/20 AM 06:26:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | [日記]

オチなかったオチ
ここだけの話ですが、右目の調子が悪い。

光は感じるのだが、ほとんどのものがボヤけて、靄がかかった幽体物にしか見えない。
要するに、右目だけ役に立たない。

「眼科に行けよ」という天使の囁きが絶えず聞こえているのだが、眼科に行ったら、検査の後、悪徳メガネ屋を紹介されて、天文学的なメガネ代金やコンタクト代金を請求されるのではないかと不安になって、夜も眠れない。
メシも喉を通らない。
2キロ太った。

だから、眼科に行ってきた(あれ? オチてない?)。

検査の後、「視力、だいぶ落ちてますねえ」と言われた。

まあ、だから、来たくもない眼科に来たんですがね。

2百メートル離れたマサイ族とジャンケンができそうな視力8の眼科医に、「もっと詳しい検査は、機器の揃った大病院でないとできないです」と、深刻な顔で言われた。
そして、「ただ、私の経験上、これは、ストレスからくる視力低下のような気がしますがね」とも言われた。
「だから、心療内科の分野かもしれません」と、胡散臭さ100%の真顔で追い討ちをかけられた。

「病院を紹介しますので、そちらで検査を受けてください」

そうですかぁ。
じゃあ、面倒くさいので、見えなくてもいいです。

だって、私にストレスなんぞ、あるわけがない〜んだから〜。


ヨメが無言で、「カネ稼げ! 働け働け!」と圧力をかける。
大学2年の娘が、「学費よこせ! 教科書代、早く出せ!」と脅す。

2歳年下の極道コピーライター・ススキダが「年上なら年上らしく威厳を見せろ! オラオラァ!」と威嚇する。
10歳年下の杉並の顔デカ社長が、「仕事出すからよお!」と、でかい顔を近づける。

オンボロアパートの庭に住み着いた猫の「セキトリ」が、「メシがマンネリだな。工夫しろよ!」と上目遣いで睨む。
4月から、ケチャップ、食用油、乳製品、インスタントコーヒーの値段が上がった。

私が不在のとき、大切にしていた食器を皿洗いの最中に、2枚割られた。
友人に「お茶をこぼしたら起動しなくなった」と泣きつかれ、ノートパソコンを1ヶ月かけて直して返したら、その日のうちに、今度は缶コーヒーをぶちまけやがった(嫌がらせか)。

毎週楽しみにしていた柴咲コウ様主演の「○○妻」が終わった。しかも、最後にコウ様が死んだ。泣いた。
年が明けて3ヶ月以上経つのに、友人金子の娘・ショウコに「お年玉、まだもらってないんだけど」と押しかけられて、3人分のお年玉をふんだくられた。

むかし埼玉の団地のゴミ捨て場に捨ててあったアコースティックギターを拾って、修理して今も使っていた。しかし、昨日弾いたら、全部の弦がネックの上の部分から切れた。左指を怪我した。

そして、極めつけはこれ。
5年間乗った愛車(自転車)で武蔵境駅近くの駐輪場に行こうとしたとき、工事中の段差を乗り越えた途端、奇跡的に前輪後輪が同時にパンクした。
自転車屋さんに持っていったら、「二つともタイヤとチューブを代えなければダメですねぇ。両方で8千円」と言われた。

8千円あれば、メイド・イン・チャイナの新品自転車が買える。
新しいのを買おうと思ったが、私のは国産なので、いまさらグレードを落とすのは、プライドと矜持と自尊心が許さなかった。
だから、言われた通りタイヤを替えることにした。

サドルもボロボロで、剥がれた部分をガムテープで止めて使っていた。
それを見た店の人に、「このサドルでは、お尻が可哀想でしょう」と言われた。

確かに、このサドルでは「サトルのケツ」が可哀想なので、ケツに優しいサドルに「サトルのサドル」を替えてもらった。
トータル1万円以上の出費だった。

営業に持ち歩くバッグがボロボロだったので、買い換えるつもりだったが、諦めた。
バッグと同じ色の頑丈な糸を買って、綻びを縫い付けて使うことにした(不器用だから苦労した)。
取引先の人に、「すっごいオリジナルバッグですね」と、産業廃棄物を見るような目で言われた。


私にとって、これらはストレスでもなんでもない。
娯楽だ。
毎日が楽しくて楽しくて仕方がない。

それに、右耳が聞こえず、右目が見えない、という場合、都合のいいこともある。

たとえば、ヨメの文句を聞くとき、右側に立ってもらえば、文句はあまり聞こえないし、姿も見えない。
ススキダと仕事の打ち合わせをするとき、右斜め前に座らせれば、醜い極道顔を直視しないで済む。

あるいは、右側を宇宙人やオバケや稲川淳二氏が通り過ぎても、気づかないから怖くない。
たとえば、右側で落とし穴に人が落ちたとしても、気づかないから助けなくても心は痛まない。


ただ、困ることがひとつだけある。

3D映画を観るための3Dメガネが、全く役に立たないことだ。
そして、サラウンド音声が、サラウンドに聴こえない。

ただ、私は3D映画を観たことがない。
これからも、観る予定はない。

本気で困ってはいない。


だから、時間ができたら、病院で検査を受けてみようかと思う。
(あれ? これもオチない)



2015/04/12 AM 06:25:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | [日記]

お約束の熱
桜は満開。

東京武蔵野は満開。
横浜港北区も満開。

「満開だから、見に来てくださいよ」とポニーテールさんに誘われた。
「見に来て」と言われても、もう中央線武蔵境駅の桜並木を満喫したから、別にいいよ、と言ったのだが、ポニーテールさんから「親子の縁を切るぞ」と脅されたので、涙目になりながら行ってきた。

ただ、お断りしておくが、私とポニーテールさんは親子ではない。
親子もどきだ。

奄美大島という羨ましいほどのいい環境で育ったポニーテールさんは、誰も知り合いがいないのに、高校を卒業するとすぐ東京に紛れ込んできたのである。
そして、都会に幻滅を感じ始めた3年目に、横浜根岸森林公園で、シラガのガイコツに出会った。

すると、なぜか私にすぐになついたポニーテールさんは、私を「キリンおやじ」(首が長いから)と呼んで、強引に私を「東京での親代わり」に仕立て上げる暴挙に出たのだ。
そのポニーテールさんは、昨年の春、横浜戸塚生まれの「ちっちゃい男」(差別用語を使ってしまいました。謹んでお詫び申し上げます)と結婚して、いま人妻のポジションにいた。

幸せですか、と聞いたら、「つまらないことを聞くなよ、キリンおやじ!」と言い返す様は、出会った頃の初々しさはカケラもなく、「安定」を手にした女の自信に満ち溢れていた。

随分、偉そうではないか。
そんな偉そうな態度は、子どもを産んでからにして欲しいね。
(マタニティハラスメント用語を使ってしまいました。謹んでお詫び申し上げます)

「まだ産んではいないけど、できたんだもんね!」

できたんだもんね?
まだ膿んではいないが、できものができたということか?
これから痛くなるかもな。

「ベイビーに決まってるだろうが!」

つまり……やったぜ、ベイビー! ってことか?

「それは、昭和の流行語か?」

いや、アメリカ南北戦争の頃だな。
カスター中佐が、流行らせたんだ。

「それ、全然面白くないよ」と無情のダメだし。

(うろたえながら)で………いま何ヶ月だ?

「安定の5ヶ月だぁ!」

それは……おめでとうございます(涙目)。

「だから、桜を見に来てくださいまし」

おくんなまし?

「くださいまし!」

という軽いコントを演じたあとで、東横線大倉山駅から徒歩16分のポニーテールさんとちっちゃい男・クロサワの暮らすアパートに行ってきた。

私の顔を見るなり、ポニーテールさんが、「キリンおやじ、太った痩せた、どっち?」と聞いてきた。
俺は、1.7キロ太った、と答えた。

「勝ったぞ、私は7キロ太ったからね。人生で初の50キロ超えだ! まだまだ太るぞお!」

ポニーテールさんの身長は、155センチあるかないか。
体重は、だいたい45キロ前後をキープしていたらしい。

それが、50キロを超えたというのだ。
それは、おめでとうございます。
確かに、全体が丸まっていたかな……。

「でも、あまり太りすぎるのも良くないんですよね」と、クロサワが真面目な顔で異を唱えた。

身長180センチの私から見ると、まるで微生物のような存在だが、その微生物は性格が温厚で気配りが体を支配している男なので、まったく不快感はない。

品格という言葉が一番似合わない私と比べたら、その品格のレベルは、確実にメジャーリーグで「殿堂入り」してもいいクラスだ。
3千本安打も300本塁打も300盗塁も3333三振も成し遂げてはいないが、彼は品格だけで殿堂入りする資格を持っている男と言っていい。

その男が、「大倉山公園に行きましょ。桜が綺麗ですから」と言ったのである。
しかし、私は、大倉山公園に、いい思い出がないのです。

結婚して数年間、横浜日吉に住んでいた頃のことだが、私たち夫婦は、たまに大倉山公園に足を運び、有名な梅園を散策したりした。
だが、私はそのあと大概、熱を出したのですよ。

もちろん、「鉄人」である私は、そんなことで仕事を休むことはしなかったが、61パーセントの確率で熱は出した。

大倉山公園の「熱の妖精」が、その都度、私に取り憑いて、天使のように純粋な私がそれに反応したのだろうが、そこは間違いなく私の貴重な時間を奪い取った「悪夢のエリア」だった。

そんな風に、大倉山公園に行くことを遠まわしに拒否したら、クロサワが、「大丈夫ですよ。そのときと今では、時代が変わっています。21世紀に、そんな非現実的な現象は起きませんから」と、真顔で私に説教をしたのである。

そんなことを真顔で言われたら、こちらも真顔で「どすこい!」と言うしかないので、悪夢の大倉山公園に3人(プラス0.5人)で行かざるを得なくなった。

桜は満開。
有名な梅ほどの数はないが、上品な枝ぶりの桜が多くて、目の保養にはなった。

見覚えのある、趣ゆたかな大倉山記念館の前で記念撮影。
そのあと、私がポニーテールさんに、ほとんどのレシピを伝授したお弁当を公園の隅っこで食いながら、楽しいときを過ごした。

「今年の夏には、赤ちゃんが、私の腕にいるんだよね」
「そうだよね。夢のようだね」
「夢じゃないよね。キリンおやじ、夢じゃないんだよね!」

はいはい、夢ではございませんよぉ。

悪夢かもしれませんけどねえ………。

……というような、リアルに充実した二人の姿を目に焼き付けて、大倉山公園を後にしたシラガのキリンおやじでした。




そして……昨日から、37.7度の熱が出てるんですけど、これって、誰に文句を言えばいいんですかね。


この大倉山には、知人の極道コピーライター・ススキダの事務所があった。


この熱は、つまり、ススキダの呪いということかもしれない。


除霊の費用を請求することにしようか。



2015/03/31 AM 06:27:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

流行語の間違った使い方
ジブリには縁がある。

東京武蔵野の我がオンボロアパートから、三鷹の森 ジブリ美術館までは直線距離にして、3.5キロほどである(あまりに近すぎて、まだ入ったことがない。死ぬまでに一度は入ってみたいと思っている)。
中央線東小金井駅近くのスタジオシブリまでは直線距離にして2キロ程度だ。

スタジオシブリの前で、宮崎監督様のお姿を一度だけ、お見かけしたこともある。

先日、極道コピーライターのススキダの事務所に行ったとき、美味しいメロンパンをご馳走してもらったあとで、腹を下した。
おそらく毒が入っていたものと思われる。

そのとき、トイレを拝借したのだが、壁に「もののけ姫」のポスターが貼ってあった。

つまり、私は、それほどジブリと縁があった。

ジブリ映画は、「となりの山田くん」「ゲド戦記」「コクリコ坂から」以外は、すべて何度も観ていた。
どれもクォリテイが高いが、好みを言わせてもらえば、「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「借り暮らしのアリエッティ」「かぐや姫の物語」の4つが特に気に入っている。

どれもが、上質のファンタジーだと思う。
そして、他の作品も、ファンタジーとして上質だ。
はずれがない。


だが、「ジブリはつまらなくなった」というご意見を最近よく聞くようになった。

先月の同業者との飲み会の席でも、その話題が出た。
私以外の同業者が、「新鮮味なくなったよね」「飽きたね」と言うのである。

いやしかし、飽きるほど見たんですか。

「だって、テレビで同じのを何回もやっているじゃない。もうお腹いっぱいだよ」
「絵が綺麗なのはわかるんだけど、テクニックに走りすぎているんじゃないかな。綺麗なことしか印象に残らないんだよね。ほら、美人の顔は、すぐ忘れるって言うでしょ。あれと同じだな」
「それに比べて、手塚治虫は良かったよね。ストーリーがしっかりしていたからね」
「そうだよ。むしろ、ストーリーにもっと力を入れるべきだよ。手塚治虫のように」

そうですか。
で………手塚先生の作品は、何をこ存じでしょうか。

「鉄腕アトム………」
「ブラック・ジャック………」
「ライオンなんとか……(おそらくジャングル大帝)」

それで、ジブリの映画は、何を?

「千と千尋の……」
「トトロ……」
「ラピュタに…もののけ………」

まさか、全部テレビで観ただけとか。

全員が「もちろん!」

そして、手塚先生のアニメも、子どものころテレビで見ただけだと………。

「もちろん!」

子どものころ見たアニメは、確かに印象深いでしょうね。
他に娯楽のない時代に見たものの記憶は、思い出に何度も焼き付けられる。

つまり、「思い出」というフィルターが何層も重なって、脳の特別なポジションに刻み込まれる。
ジブリの「もののけ姫」や「となりのトトロ」も、彼らの頭の中で、面白いアニメとして確立しているから、フィルターの層は薄いかもしれないが、それらも「思い出」のフィルターを通して記憶しているのだと思う。
だから、印象深いのだろう。

ただ、いろいろな娯楽が手に入る現代では、映画というコンテンツは、必ずしも優先順位が高くない。
記憶されたとしても、「飽きた」という感情が入ってしまったら、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」と同じクォリティのものを作っても、「思い出」ではなく「飽きた」のフィルターがかかるから、それらを新鮮に感じることができない。

つまり、ジブリ映画に対して、「熱が冷めた」状態になる。

その結果、お決まりの「昔の方が良かった」あるいは「他のアニメの方がいい」となる。

「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」「思い出のマーニー」は、傑作だと思うんだけど、と私が言っても、全員が「もう観る気にならないね。たまたま暇なときに、テレビでやっていたら観るかもしれないけど」と頷きあった。

「でも、『アナと雪の女王』は、観てみたいな」
「そうそう」
「ありのままで〜」

突然歌いだしたが、「ありのままで〜」ではなく、「ありのままの」ですがね。


ただ、私もその「熱が冷めた」感覚はわかる。

私の中で「お笑いブーム」が来た時代はなかったが、志村けん大御所の「だいじょうぶだぁ」とウッチャンナンチャン名人らが出ていた「夢で逢えたら」が終わってからは、お笑いから少し熱が冷めた自覚はあった。

もちろん、今も優秀なお笑い芸人(漫才師、ピン芸人)の方々はいるが、数少ないMCとひな壇の席だけが到達地点の「芸人生存競争」には、私は馴染めない。

好きな芸人さんはいるが、彼らがテレビ局に飼い馴らされて、個性のないMCをする姿を私は見たくない。

私の好きな芸人さんの一人にバカリズム師匠がいる。
しかし、バカリズム師匠のMCは見たくない。
ブラックな毒気をうすら笑いで隠して、どんなときもブレない笑いを演出する彼の持ち味は、番組進行役というポジションでは生きない。

これは勝手な言い方になるが、バカリズム師匠には、出演者のいいところを抜き出して、番組を進行させる役柄は似合わないと思う。
ずーっと、テレビ画面の端っこで、薄い毒を吐き続けて欲しいと思う。
そうでないと、私の熱は、もっと冷めてしまうだろう。


話は脱線したが、そんな風に、私は「お笑い」に対して、冷めた状態を持続している。

しかし「お笑い芸人起源」の流行語は、使うことがたまにある。
それを使うと、よそ様と円滑に会話が進むと思ったときだけ、都合よく使っている。

ベタすぎるかもしれないが、昨年は「もしかしてだけど〜」と「ダメよ、ダメダメ」を色々なシチュエーションで使わせていただいた。
人によっては、いまだに「ゲッツ!」や「だっふんだ!」「オッパッピー」が通用することもある。

だが、いま流行っていると言われる「あったかいんだから」は、シチュエーションが限定されるし、あまり面白いと思わないので、使わないようにしていた。

一昨日、中央線吉祥寺駅のホームで、自動販売機から出てきた缶飲料を手にした女子中学生ふたりが、「あったかいんだから〜」とはしゃいでいる場面を見た。
これは、可愛くて良かった。

しかし、50過ぎの男がこれをやったら、後ろから4メートルの巨大ハリセンで叩かれて憤死させられても文句は言えない。

何でも、流行語を使えばいいというものではない。


どうでもいい話だが、私は、我が家にいるときは、1年オールデイ、オールタイム、半袖、半ズボンである。
仕事部屋でも、そうだ。

人から何度も聞かれるのだが、寒くはない。
少なくとも、全裸よりは、あったかいんだから。

そして、ゴミを出しに行くときも、半袖、半ズボンで行く。
昨日の朝(外気温8℃は私にとって春真っ盛り)は、燃やさないゴミの日だったので、朝7時40分ごろ、ゴミ捨て場にゴミ袋を運んだ。

そのとき、70歳過ぎと思われる男性が、チワワを散歩させている場面に遭遇した。
私の寒そうな姿を見たご老人は、まるで渋柿を食ったあとのような甘い顔をして、「あんた、寒くないのか」と聞いた。

「はい、大丈夫です。あったかいんだからぁ〜」

すると、ご老人は、まるでイタリアンレストランで、食後のドルチェを食ったあとのようなスイーツな顔で、チワワを小脇に抱え、「馬鹿にしとんのか!」と、喜びながら早足で逃げていった。



これは、流行語の使い方を間違えると、こうなるという見本でございます。



2015/02/26 AM 06:25:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

受けた 回りました
4か月ぶりに、同業者との飲み会に参加した。

いつも利用する吉祥寺の居酒屋には、私が愛飲するノンアルコールビール「龍馬1865」がない。
好物のトマトジュースもメニューにない。
ウーロン茶や緑茶はあったが、お茶系が苦手な私は、それを飲めない。

「ペリエがあるじゃない」と、馴染みになった居酒屋の店長代理•片エクボさんが、メニューを指差しながら言った。

ペリーか••••彼が浦賀にやって来たのは、確か嘉永六年のことだったな。
あれから、162年も経ってしまったか。
日本が道に迷わないように、現代文明の入り口までエスコートしてくれたペリーさんに、我々はもっと感謝すべきではないだろうか。

たとえ手段は威圧的だったとはいえ、新世界の存在を知らしめてくれた「白い人」は、間違いなく我らの「水先案内人」だった。
ペリーさんは、もっと評価されてもいいのではないか。

「お客さん? ひとっつも面白くないよ!」
腕組みをした片エクボさんに、真っ二つに切られた。

まあ、そうですよね。

ということで、水道水、プリーズ。

「ペリエではなく?」

ペリエは、320円、水道水はタダ。
どっちが得か、子どもでもわかる。

そんな二人の会話に無関心な同業者5人は、声を高くして、「自己責任」「平和ボケ日本」を語り合っていた。

「危ないところだってことをわかって行ったんだから、同情できないよね」
「日本に迷惑をかけている時点で、何を言ってもアウトですよ。正義はないでしょ」
「こんな平和ボケの国にいたら、戦争の怖さなんて、所詮は別世界だろうからね」

その平和の恩恵に、ドップリ浸かっている人が論じる「自己責任論」「平和ボケ論」の矛盾に気づかない人は、「無知な平和びと」にしか私には見えない。

今にも発火しそうな導火線を肌にヒリヒリと感じて、テロリスト集団と相対峙している政府要人たちが言うなら説得力があるが、ヌクヌクとした環境で、「異国の囚われ人」を糾弾するだけの人たちこそ、「平和の陰から、もの言う人」だ。

彼らは、自己責任からは、最も遠いところにいる人たちだろう。

その発言が、たとえ酒が入っていたから、という言い訳があったとしても、その矛盾は手前勝手で、人間として無様だ。

平和ボケを誰よりも愛する私は、紛争地域に足を踏み入れた勇気ある人を讃え、紛争地域で拘束された勇気ある人を懸命に救出しようとした政府の方たち、それに力を貸してくださった近隣諸国の勇気を讃えながら、ジャガイモピザ、串焼きのつくね、シシトウをありがたく頂戴するのである。

そんな風に、ネギ塩つくねの2本目を口にくわえたとき、「はい、お待ちー!」という威勢のいい掛け声とともに、美しい色をしたボトルが私の手元に置かれた。

見覚えのあるペリエのボトルだった。

あのー•••••こんなもの、頼んではおりませぬが•••••。

「あたしの奢りですよ! 水道水じゃ、なんか、可哀想でぇ」

奢っていただく理由がありませんが•••••。

「店長代理の自己判断ですよ。なんか、可哀想でぇ」

つまり、自己責任ということで、よろしいでしょうか。

「自己責任って言うと堅苦しくなるから、ポケットマネーってことです」

しかし、そうなると、そちら様にご負担をおかけすることになりますね。
それは、私の望むところでは、ありませんが。

「とおっしゃいましても、水道水を飲む貧乏くさい白髪頭のお客様の姿を見るのが耐えられない私の気持ちをお察しください。
まるで故郷に残してきた貧乏くさい父親の姿を見るような気がして、放っておけないのです」

ビンボーはお嫌いですか?

「嫌いではありませんが、貧乏くさい親を間近で見るのは、心が痛みます」

でも、オレ、あなたの親じゃないし!

私が、そう抗議すると、「あたしが、そう思ったんだから、いいの! とにかく、ペリエを飲んでほしいの! 水道水じゃ嫌なの! わっかんないのかなあ!」と、まるで血の繋がった娘が、貧乏くさい実の親に当たるような情の濃い圧力で言われた。

私も固まったが、同業者も固まった。

その中の一人、人類史上最も馬に激似の男、「お馬さん」が、片エクボさんを見上げて言った。
「もしかしてだけど〜、Mさんって、あなたのお父さんに似てるとか?」

そう聞かれた片エクボさんは、私の顔を食い入るように見つめながら、シミジミと言ったのである。

「顔は、うちの親の方がイケメンだけど、貧乏くさいところ•••••そっくりだよねえ」

この居酒屋は、客の悪口を平気で言う「自由すぎる居酒屋」なのか。
貧乏くさい、貧乏くさいと、くさいの2乗、3乗、四条畷駅で客を弄ぶのが、最上のサービスだとか。

•••••と思いながらも、人の「奢ってやる」という崇高な好意を拒むポリシーを持たない私は、素直にペリエのふたをシュワっと開けた。

美味ですぞ。
娘よ、ありがとう!

「とうちゃん、美味しいものさ、たくさん食って、早ぐ良ぐなるだよ〜」と私の両肩を軽く揉んだあとで、娘は下手(しもて)に消えた。

同業者たちの「自己責任論」「平和ボケ論」は、いつの間にかフェイドアウトし、5人の視線が私に集中した。
その中の一人、最長老のオオサワさんが、ブルドッグ顔を小刻みに左右に振りながら言った。

「結局、Mさんは、どこが悪いの? 僕たち、詳しいことは全く聞かされてないんだけど」
同じように頷く同業者たち。

それは•••もちろん、武器商人でしょう。
テロリストの所業が鬼畜以下なのは明白です。
どんなに宗教の教えを拡大解釈しても、市民を殺していい経典など、この72億人が暮らす世界に存在するわけがない。

そんな「死の宗教」は偽物だ。

ただ、この世界には「死の商人」という本物の悪魔もいる。

アメリカ、イギリス、ロシアがテロリストに武器を売らなければ、ここまで世界は火薬くさくならなかったはずだ。

テロリストに武器を売っておいて、そのテロリストを糾弾する大国のエゴに、正義などあるわけがない!
大国が手にするドル、ユーロ、ルーブルには、大量に流された罪なき人の血がこびりついているのだ。

血塗られた紙幣を持つ彼らも悪い。
つまり、悪いのは、彼らかもしれない。

そうキッパリと言って私は、ペリエを飲み干した。
美味美味。

そして、私の後ろを通りかかった片エクボさんに、「娘よ、ペリエをもう一本」とリクエストした。

「とうちゃん、おごりは一本だけだよ」

もちろんでございます。
今度は自腹です。ご安心ください。

「ありがとうございます、お客様。自腹ペリエ、うけたまうれ、うけたまいれ、うけたま•••••」

受けた 回りましたぁ!
(違う? いつものことだが展開が Siri Metz Lets)

「そう! その•••••受けた 回りました!」
軽いガッツポーズとともに、片エクボさんが下手に消えていった。

その様子を見ていた「お馬さん」が、眉をしかめながら言った。
「いつものことだけど、Mさんを見てると『平和ボケ』って、Mさんのためにある言葉だなって、思いますよ」

褒めてくれたようだ。



その言葉、

受けた 回りましたぁ!



(アルコールが一滴も入っていないのに、よくここまでバカになれると、我ながら感心する)




2015/02/02 AM 06:27:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

天使すぎる? でも悪魔
昨年の5月、我が家族が住む武蔵野のオンボロアパートのオーナーから、昨年中にアパートを解体して分譲地にする、と脅された。

それを聞いた私はパニックに陥り、熱海温泉に日帰りで行くという現実逃避をした。
意味のない現実逃避だったが、多少なりとも気分転換できたのだから、「よかよか」とポジティブに捉えた。

それで、アパート解体はどうなったか、というと今だにオンボロのまま存在していた。
なぜかというと、オーナーの長男が強行に反対したのと、オーナーが昨年の10月から体調を崩して、入退院を繰り返していたからだ。

オーナーの体調が気になった私は、お見舞いに行くことにした。
病院に見舞いに行くと堅苦しくなるので、退院して落ち着いたときに行こうと思った。

今週の月曜日、小さめの段ボール箱に有機野菜をたくさん詰めて、ご自宅に伺った。
長男さんから、最近では「有機野菜しか食べない」と聞いていたからだ。

8ヶ月ぶりに見るオーナーは痩せていた。
以前は、小太りの印象だったが、やつれたとは言わないまでも萎んだように見えた。

病名は聞かない。
聞くことに意味があるとは思えない。
病名を知ったからといって、私には何もできないからだ。

10畳ほどの和室に通された。
「嬉しいねえ。カミさん以外誰も見舞いに来ないから、世間から見捨てられたのかと思ったよ」と歓迎してくれた。

同居の奥様と長男さんは、デパートに買い物に出かけたという。
その方が、こちらも気が楽だ。

「Mさんは、お茶はダメなんだよね」と個人情報を開示しながら、ドリップコーヒーを振舞ってくれた。
かたじけのうございます。

「おからだは?」と聞こうとしたとき、和室の壁に「全国衛生労働週間」と書かれたポスターを見かけた。
私の記憶に間違いがなければ、一人で笑顔をふりまいている女の子は、「天使すぎるアイドル」と呼ばれた子だ。

誰かに頼まれて貼っているのだろうと推測した。
しかし、その推測は高速で覆された。

私の視線に気づいたオーナーが、「最近、この子に夢中でねえ。テレビで初めて見たとき、ビビッと来たんだよね。運命かもしれないね」と照れながら言ったのである。

入院していたときは、A4サイズの生写真をラミネート加工して、それを目の届く範囲に、いつも置いていたらしい。
さらには、アイドルをプリントしたマグカップも持っていったという。

こう言われて、どうリアクションをとったらいいか、悩んだ。
ハハハと笑うのは失礼だし、「お若いですね」と調子のいいことを言うのも嫌だ。
だから、スルーするのが無難かな、と結論づけた。

見舞いは、10分程度で帰るのが望ましい。
それ以上だと、相手の体にも負担がかかる。

ここは「ドロン(死語?)!」するのが、一番だ。

ドロン!
気配を消そうと黒装束に着替えようとしていたら、オーナーが大きな仕草で両手を叩いた。

オーナーは、立ち上がると、2冊の厚いスクラップブックを本棚から抜き出し、テーブルの上に置いて、満面の笑みを浮かべて説明し始めた。

60半ばのオッサンが、若いアイドルについて語ることに異議は唱えない。
私は、心の広い男だ。
だが、言っていることが、さっぱりわからない。

嬉しそうなオーナー。
アナログな人は、こんな風に雑誌などを切り抜くのが楽しいのだろうな、と思いつつも、私はそのあと言った自分の言葉を悔いることになる。

iPadを使って、iCloud経由で画像を保存すれば、いつでもどこでも彼女の写真が見られます。

私がそう言うとオーナーは、初めてサンスクリット語を聞いたトランスフォーマーのような顔で固まった。
オプティマスプライムほど格好良くはなかったが、今にもトラックに変身して、走りだしそうだった。
(映画トランスフォーマーを知らない人には、ナンノコッチャでしょうが)

だが、変身を諦めたオッサンは、風速4メートルの鼻息を吹き飛ばして、こう言ったのだ。
「そのアイパーとやらを買えば、カンナちゃんが俺のものになるのかな?」

俺のもの?
まあ、放っておこうか。

……と、また黒装束に着替えようとしたとき、「じゃあ、アイパー買いに行こう!」と猛烈な圧力で言われた。
そして、荻窪のソフトバンクまで拉致された。

その後、オーナーのご自宅に帰り、画像ダウンロードに時間を費やし、ファイリングしたり加工したりしたあとで、必要な操作だけを教えた。
そんなオーナー様のお姿を見て、人間というのは、自分が関心を持っていることには、一所懸命になる生き物だということを実感した。

お見舞いに伺ったのが午後1時過ぎ。
解放されたのが午後7時15分。

デパートからお帰りの奥様に、晩メシを食っていけと勧められたが、満腹でござる、とお断りした。


家に帰って、天津飯と野菜たっぷりのあんかけ春雨を食っているとき、オーナーから電話があった。
iPadの操作がわからないので、電話をしてきたのかと思った。

しかし、違った。

「あのね、さっき言い忘れたんだけどね。アパートを壊す件なんだけど、俺が元気になったら、潰すからね。転居先を考えといてね。悪いんだけどね」



「天使すぎるアイドル」が好きなオッサンは、実は「悪魔」だったというお話しでした。








2015/01/27 AM 06:26:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | [日記]

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