先週末実家へ帰ったついでに、『誰も知らない』を観てきました。映画の掲示板等で評価が極端に分かれていたし、カンヌで賞を取ったので興味もありどんなものかと・・。

通常私たちは映画を観るとき、ストーリー構成やカメラワーク、演出、効果、演技力など様々な項目を頭の中で無意識に評価しているものだと思います。だからこそ、映画を観終わった後で「あのシーンが良かった」「あの人の演技がカッコ良かった」といった感想が生まれてくるのでしょう。
しかし、正直言ってこの映画を観た後そういったものは私の中に一切浮かんできませんでした。
代わりに心の中に残ったのは、どこまでも重く・・切ない「何か」。

淡々と進んでいくストーリーは、ただ子供たちが生きていこうとする日常を繋いでいくだけです。これを「どこかおもしろいのか分からない」「見る価値などない」と評する人たちの感覚も、あながち間違いではないかもしれません。
私は昔から本を読んだりするとき「行間を読む」ということが好きであり、また大事なことであると教えられてきました。「文章」という形では浮き彫りにされないモノを行間から自由に見つけ出し、感じ取り、考えていく。それは楽しい作業でもありました。

今回のこの映画は、まさにその作業そのものではないかと思うのです。目に見えている「映像」だけを追っていれば、それは何の変哲もない「親に置き去りにされた子供たちの日常」でしかない。若干、中だるみ感があるのも否めない。
でも、そこから何か見つけ出せるものがたくさんあると思うわけです。だからといって、私の中で「いい映画」「素晴らしい映画」というような感動や慟哭があるわけではありません。ただ・・言葉にできないけれど確実に身体の奥の方で「何か」がどすん、と居座ってしまった感じなのです。

短いながらも教育関係に携わってきた私としては、子供たちが笑って、遊んで、ケンカして、怒って、泣いて・・という当たり前にできるはずのものを抑え込まなければいけないことがどれほど辛いことか、少しだけ知っているつもりです。

ただ、誰かに甘えたいだけなんです。
ただ、幸せになりたいだけなんです。
ただ、安心できる場所が欲しいんです。

親の責任だとか、こんな事件を起こさせてしまう社会の現状だとか、そんな難しいことは私が小さく考えたところで何も分かりません。
だけど、私の名前を呼んでくれた弾むような声とか、挨拶のたびに笑いかけてくれる明るい笑顔だとか、悲しいときに泣きついてきた子の涙とか、そんなたくさんのシーンを私は宝物のように大事に記憶に残しているのに、そんな当たり前の子供らしい「権利」すら表に出せない子供たちが私の思っている以上にたくさんいるのだろうということが、たまらなく悔しいのです。

偽善者ぶるつもりは到底ないのだけど、一人でもこんな子供たちが減ってくれれば、と。幸せになってくれれば、と。
祈らずにはいられなかったのでした。