TOPSUK2
【es】〜エス〜
昨日、テレビ東京でこんな映画がやってました。
実は前々から名前は知っており、是非一度観たいと思っていたので
興味津々で観ていたわけです。

あらすじ:
ある大学の心理学部で、ある実験が試みられた。被験者は新聞広告によって集められた24名。彼らは、無作為に「看守役」と「囚人役」に分けられ、監視カメラ付きの模擬刑務所に収容された。二週間、いくつかのルールに従いながら自分の役を演じること、それが彼等に与えられた仕事だった。
ただの一般人たちが「役」を演じるだけだったはずのこの実験。
やがて看守役は役以上に看守になりきり、独自のルールのもと凶暴化し始め、囚人役は囚人らしく卑屈になっていく。
そしてこの実験の結果は・・・。

1971年、実際にスタンフォード大学心理学部で行われた実験だが、わずか7日目で実験は中止。現在、この実験は禁止されている…。

というような内容です。(参考サイトはこちら

なんというか・・人って「役」や「立場」が与えられただけで、こんなに変わるものなんでしょうか?
グループができると、そこからリーダー的な人間が出てくるのはわりと普通のことかもしれません。しかし、そのたった一人が下す命令でグループ全体が動いて、やがて狂気に走っていくというのは何故なんでしょう?
現在のいじめや集団での犯罪など、当てはまるかもしれないことはたくさんあります。戦争だって同じことではないでしょうか。

「誰も止められなかったのか?」というのと、「誰も止めようとしなかったのか?」では意味が全然違います。
良心の残っていた看守役もいました。
でも、築き上げられてしまったそのグループの中で一人良心を残していても、何にも変わらなかった。
それどころか、「裏切り者」としての罰を与えられてしまう。
圧倒的な存在(それが正しいかそうでないかは関係なく)を示す看守役のリーダーに対し、初めは「それはよくない」「そんなことをしてはいけない」と言っていた人々も結局リーダーに屈服してしまいます。そう、せざるをえない状況になっていくのです。
いや、もしかしたら段々と「痛めつける」ということに快感を覚えていくのかもしれませんが・・。

「集団」の中にいると人は変わっていく。
それは多分、普通に生活をしているはずの私たちにしても例外ではないでしょう。強い者の下で自分を保つにはその命令に従うのが一番簡単なのですから。
それが「強い側」の集団だったらなおさらですよね。
私は「弱い側」にいたことがあります。
集団ではなく、たった一人ぼっちでしたけど。
だけど、あきらめちゃいけない、戦うことを忘れちゃいけない、と思えているうちは私は「強い人間」でいられます。「自分」を保っていられます。
何の取り得もないけど、「自分」をあきらめずに今までやってこれたことが私の一番の誇りでもあるのです。

「アイヒマン実験」という服従心理について行われた実験があるそうです。ちょっと口では説明しにくいのですが、実験の内容についてはこちらのサイト様の、第42編220章を参考に。
アドルフ・アイヒマンという人物についてはこちらのページを参考にさせていただきました。

こういう精神的にくる映画は、言いたいことや考えがいくつも浮かんでくるのに、なんだかとても言葉にはし辛いですね(^^;
拙い感想で申し訳ない。

とりあえず今夜は、秋刀魚(一匹100円だった♪)と豚汁です。

『誰も知らない』
先週末実家へ帰ったついでに、『誰も知らない』を観てきました。映画の掲示板等で評価が極端に分かれていたし、カンヌで賞を取ったので興味もありどんなものかと・・。

通常私たちは映画を観るとき、ストーリー構成やカメラワーク、演出、効果、演技力など様々な項目を頭の中で無意識に評価しているものだと思います。だからこそ、映画を観終わった後で「あのシーンが良かった」「あの人の演技がカッコ良かった」といった感想が生まれてくるのでしょう。
しかし、正直言ってこの映画を観た後そういったものは私の中に一切浮かんできませんでした。
代わりに心の中に残ったのは、どこまでも重く・・切ない「何か」。

淡々と進んでいくストーリーは、ただ子供たちが生きていこうとする日常を繋いでいくだけです。これを「どこかおもしろいのか分からない」「見る価値などない」と評する人たちの感覚も、あながち間違いではないかもしれません。
私は昔から本を読んだりするとき「行間を読む」ということが好きであり、また大事なことであると教えられてきました。「文章」という形では浮き彫りにされないモノを行間から自由に見つけ出し、感じ取り、考えていく。それは楽しい作業でもありました。

今回のこの映画は、まさにその作業そのものではないかと思うのです。目に見えている「映像」だけを追っていれば、それは何の変哲もない「親に置き去りにされた子供たちの日常」でしかない。若干、中だるみ感があるのも否めない。
でも、そこから何か見つけ出せるものがたくさんあると思うわけです。だからといって、私の中で「いい映画」「素晴らしい映画」というような感動や慟哭があるわけではありません。ただ・・言葉にできないけれど確実に身体の奥の方で「何か」がどすん、と居座ってしまった感じなのです。

短いながらも教育関係に携わってきた私としては、子供たちが笑って、遊んで、ケンカして、怒って、泣いて・・という当たり前にできるはずのものを抑え込まなければいけないことがどれほど辛いことか、少しだけ知っているつもりです。

ただ、誰かに甘えたいだけなんです。
ただ、幸せになりたいだけなんです。
ただ、安心できる場所が欲しいんです。

親の責任だとか、こんな事件を起こさせてしまう社会の現状だとか、そんな難しいことは私が小さく考えたところで何も分かりません。
だけど、私の名前を呼んでくれた弾むような声とか、挨拶のたびに笑いかけてくれる明るい笑顔だとか、悲しいときに泣きついてきた子の涙とか、そんなたくさんのシーンを私は宝物のように大事に記憶に残しているのに、そんな当たり前の子供らしい「権利」すら表に出せない子供たちが私の思っている以上にたくさんいるのだろうということが、たまらなく悔しいのです。

偽善者ぶるつもりは到底ないのだけど、一人でもこんな子供たちが減ってくれれば、と。幸せになってくれれば、と。
祈らずにはいられなかったのでした。


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現在、医療事務勉強中。
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