せんすぶろぐ
将棋、歴史のオタクです。他の一般の話題についても折をみて触れていくつもりです。

2005年05月21日  名人戦第3局雑感
1. 白砂青松さんの「羽生新手の成否 〜第63期名人戦第3局より〜Date: 2005-05-15」にかなり詳しい研究が出ていて勉強になりました。
 
 よく手を読んでおられるのですね。感心しました。私はこんなに手を読めません。(私の指し将棋は、局面の特性を把握して、それに沿った指し手を選択するという手法に基づいているので) これだけではいけないので、詰将棋を解いて読みの力を充実させようとはしているのですが、読みの絶対量が不足していることには時々げんなりします。

 名人戦第3局の観戦記は恐らく日曜日に終わるはずですので、まとめて何かエントリーを書くかもしれません。

2. 角換わりには腰掛銀系と棒銀、早繰り銀系がありますが、せんすは腰掛銀の方がずっと好きです。右の桂馬とともに戦いたい、ということを居飛車穴熊のところでも書いたことがありますが、要はそういうことです。朝日第3局と名人戦第3局をみていると、桂馬が乱舞する後者の方がダイナミックで面白い。これはどちらが名局かどうかという話しではありません。


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PM 06:47:41 | Comment(200) | TrackBack(0) | [将棋(角換わり)]

2005年05月21日  ブルガリア王:サムエル
 バジリウス2世にとって最強のライバルの登場です。ブルガリア王国は帝国をほとんど攻略しかけたシメオン王の後、国勢が振るわず、一度は滅亡の憂き目を見るのですが、サムエルがツアーを名乗り復興、再びバルカンにて帝国と対峙するだけの力を蓄えるに至りました。

 歴史上でもこれだけ力の拮抗したライバルどうしの競り合いというのはあまりないので、私も薀蓄おやじと化して能書きを垂れまくりたいところですが、ネタがない。乏しいネタで好きなことを書くことにします。

 バルカン劫略を続けるサムエル。バジリウスは内戦対応に明け暮れ、バルカンには手が回りません。しかしトラキアまで侵略してきたサムエルには軍を出さないわけにはいかない。両者の本格的な最初の対戦は986年。結果は惨憺たるものでした。待ち伏せにあった帝国軍はほぼ全滅に近い大打撃を受け、バジリウスも命からがらで逃げ帰ります。親征であり、敗戦は彼自身の指揮のまずさによるものですから、自尊心も砕け散ったことでしょうね。失われた将兵の人命の重さを考えると、廃人になってもおかしくない。さらに、この敗戦のせいで、小アジアの地主貴族の反乱が再発したことは前にも述べた通りです。まさに泣きっ面に蜂の状況ですが、バジリウスはこれくらいで挫けるようなタマではなく、反乱を鎮圧し、大半の戦力をバルカンに投入できるようになります。

 さて、ここで根本的な問題です。ブルガリアには本当に帝国と相撲を取るだけの力があったのかどうか。私ははなはだ懐疑的です。世の東西を問わず、「人口の多い国、経済先進国、高度文明国」が「人口は少ないが尚武の気風に富んだ後発国家」と戦争をした場合、最初の内は後者が勝利を収めることはありますが、結局は前者が最終的な勝利を収めるとしたものです。もとより、中国史をみてみると、遊牧民が漢民族を圧倒して王朝を開くことはままありますが、帝国の場合は不敗の帝都コンスタンティノープルを陥落させることなしに帝国を打倒したとは誰もいわない。そして帝都は陸軍だけではテオドシウスの大城壁があるために内通でもない限りは落とすことは全く無理なのです。となると、延々と持久戦が続くことになりますが、帝国とためをはれるだけの経済力がない限りは、反帝国側の息切れは必定です。

 ブルガリアはどうだったかというと、貨幣経済レベルにはなっていなかったことが分かっていますから、中世のドル「ノミスマ」を地中海世界に流通させ、かつ高品質の織物産業を維持する帝国とは経済力で隔絶した開きがあったといえるでしょう。となれば、帝国はじりじりと進んでいけばよいのであって、ノーウィッチは「帝国軍は溶岩のようにゆっくりと、しかし容赦なく進んでいった」と評しています。1004年までにはバルカンの東側を帝国は奪回。当時、冬になれば軍隊は作戦を終了し、一事本拠地に帰還するものですが、バジリウスが鍛えに鍛えた軍隊は「作戦が終わるまでは作戦を継続する」 よく将兵の不満が爆発しなかったと思いますが、指揮官として彼は「勝ちの見込める将」ということで全幅の信頼を得ていたようです。それはそうで、どのような偶然にも左右されないように兵站と通信を充実する軍事の正道を踏むバジリウスであれば、私が一兵卒であればアレクサンダー大王の軍は滅茶苦茶な距離の移動とかがあるのでいやだけど、バジリウスの軍隊ならご飯もちゃんと食べさせてくれるし、敵陣で孤立するような羽目にもならないようなのでまだいいように思いますね。こういう軍隊ですからいかなる待ち伏せや奇襲にも対応が可能。サムエルも困り果てたでしょうね。

 そして1014年のクレディオンの戦いに至ります。帝国史上最も華々しい勝利とされるこの戦いは、結果としてはブルガリア人将兵1万5千の99%が両目眼球摘出(またかよ〜、と溜息が出ます)、残りの1%が片目を摘出されて引率役を務めさせられ帰郷するという悲劇となりました。サムエルはこの悲惨な人々をみて卒倒し、2日後逝去しました。

 サムエルにとって帝国に対し武器を取らない、という選択肢はなかったのか? 通商特権をもらい共存の道を指向することはできたと思うし、彼我の国力を冷静に考察すればそうすべきでした。初期、帝国は内戦に明け暮れており、火事場泥棒も可能でしたが、むしろ内戦に介入し、キングメイカーになることを目指すべきだったとせんすは考えます。そうではなく、帝国との全面対決を目指した時点でサムエルは博打をしていたわけですね。本来、為政者は軍事行動に訴える時には「何を目標にし、どこまでのリソースをどの期間出すのか」という判断を冷静に下す必要があるのですが、彼の最終目標が何だったのか? ローマ皇帝だったのであれば、彼のしたことは目的に叶った行動ではあっても目的自体が無理。とはいえ、帝国との共存はサムエルの脳裏を1秒もよぎらなかったようですから、いまさらいっても詮無いことです。それでも、サムエルという君主は当時の西ヨーロッパの君主、諸侯に比べれば格段に優れた人物であったことは間違いないと思います。決着がつくまでに要した年数は実に30年。まさに大河ドラマに相応しい大勝負でした。

 さて、最後に。指摘するのも野暮ですが、前述のような酷刑は帝国国民にはほとんど行われないものでした。偉大なるローマ皇帝に反逆した野蛮人にはこういう扱いでよいというコンセンサスがあったのでしょう。さらに、余計なことを言うと、こういう傲慢さは結局、帝国の運命によい影響をもたらすはずがない、とすら私は思うのですが、いかがでしょうか。完全併合を目指すのであれば、ブルガリア人も帝国臣民になるのですから、仁慈を発揮してもよかったのではないか。ましてや、ブルガリア人は教区こそ違えど、正統信仰を同じくする同胞ではありませんか。バジリウスに対する点数(12/10)を変えるつもりはありませんが、たらればの話をすればこういう考え方はあると思います。


PM 06:43:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | [歴史]

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佐藤康光の棋界制覇、矢内理絵子の女流棋界制覇を切望するオジ将棋ファンです。とはいっても、棋士は皆さん、好きです。

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