せんすぶろぐ
将棋、歴史のオタクです。他の一般の話題についても折をみて触れていくつもりです。

2005年01月26日  スランプ
 ところで、森内名人は下の将棋が指された昨年12月3日頃は普通の調子でしたが、棋王戦挑戦者決定戦で羽生二冠に負けてから6連敗です。

 あれほどの棋士でもこういうことがに指されたこのあるのか、といぶかしい思いですが、そういえば彼は2年前も年末からひどい連敗街道に入り込んだことがありました。

 強い人がスランプに入るというのはどういうことなのか、不思議な気がします。なんといっても将棋は運動系の競技と違って怪我とかはないわけですから、調子の波は小さくてしかるべきと思うのですが、自分自身の将棋を見てもぶれはあるのは分かります。

 どういう理由でスランプは発生するんでしょうか。

 であれば、私などの普通の事業法人の会社員でも普段の仕事においても知らないところでぶれが出ているのだろうか、と思うのですが、正直よく分かりません。

<3897>

PM 09:06:15 | Comment(40) | TrackBack(0) | [将棋]

2005年01月26日  5四銀型四間飛車について
 持久戦における四間飛車側の銀の位置となると、。柑亜↓■柑諭僻展して5三)、5四というところが相場だと思います。どの位置も居飛穴側からみると苦労はあるわけですが、ちょっと整理してみたくなりました。

 ,狼鑒穴登場時に大山十五世名人が指していたやり方ですが、攻撃力がないので、四枚穴熊に組める可能性が高く、嫌ではありません。
 △録業車側から攻めてきてくれることがたいていなのでそれほど頭を悩ませる必要はありません。
 は旧型といわれていますが、6筋からの攻めもないわけではないので、完全な四枚穴熊に組むのは無理。飛角の通りもいいので下手な組み方をすると一気に捌かれる、というわけで、結構、悩みます。飛車を7筋に展開して▲7五歩から一歩を持って戦う手順とかが四間飛車の急所1にも出ていたし、去年のNHKの阿部講座でも取り上げられていたのですが、ちょっとした後手の工夫でだめになるので、大変です。

 まして穴熊でない時はますます指しにくい。そういう将棋が棋王戦本戦決勝▲羽生−△森内戦で出ていましたのでご紹介します(新潟新聞で今、掲載中)

 第1図は既に後手作戦勝ちの雰囲気の中、待つ手もない先手が仕掛けたところです。後手の角の利きが強烈ですが、以下△同角▲2四飛に△4一飛がいい感じです。振飛車党の方はこういうのは一目なのでしょうか。

 この仕掛けは居飛車党もよく検討する筋ですが、だいたい上手くいかないようですね。桂馬を跳ねずに3筋からいくのも3二飛の迎撃があるのでダメ。2筋はこのようにダメ。4筋は論外。玉頭方面も角銀がよく利いている。 

 この将棋は全く羽生二冠の強さが出ないまま終わってしまうのですが、組み合った段階であれでは止むを得ないでしょう。出だしが陽動振飛車だったのですが、もう少し工夫の仕方がなかったのかな、と思いますが、観戦記では矢倉に組んだこと自体は特に問題がないような書き方でしたが、かなり問題があるのでは? 例えば、2図で▲5八金としたこと自体がどうなのでしょうか。後手の右四間は消えたので陽動振飛車、恐らくは四間飛車の気配が濃厚。であれば▲5七銀右などを考えてもよかったのでは、と思います。
 
 陽動振飛車については後ほど、何かまとめておくつもりです。

PM 09:02:13 | Comment(244) | TrackBack(0) | [将棋(四間飛車)]

2005年01月26日  帝国の魅力
 そもそも、なぜ帝国ファンになったか、素朴なところを書いておきます。

 世界史の年表をみていると、多くの国が割りと短期間に滅亡していますよね。一代で築いたものの晩年には終わっているような国も多く、儚さを滲ませています。

 ひとつだけ、ページをかなりめくらないと国名が変わらない国があります。ビザンチンです。もとはローマ共和国から国制を引き継いでいますから、2000年。聖都コンスタンティノープルに遷都してからでも1100年。その間、やたらに「コンスタンティノープル攻囲」という文字が出てきます。どうやら、外敵に何度も襲われたにしては全て跳ね返していたらしい。何気にどういう国だったのだろう、と興味を持ったのです。

 乏しい本や資料を読んでも、大城壁、海軍によって守られた都、当時としては隔絶した商業の発達がもたらす活況、各地から参集する諸民族、強烈な政争など、魅力あふれるコスモスをイメージさせます。しかし、日本の歴史教育では帝国の比重は軽いといわざるを得ません。取り扱っているのは、遷都→ユスティニアヌス大帝(ローマ大法全)→聖像破壊→十字軍招請(この理由がエルサレムをトルコ人に占拠され、キリスト教徒の巡礼を妨げたから、とかもう論外な理屈をつけている場合もありましたね)→第4次十字軍で占領→1453年、オスマントルコ攻略、くらいではないでしょうか。

 文化面でも西欧のルネッサンスの下地を作ったとか、古代の優れた文明を保存したということに意義を説いている例もあります。でも、ビザンチンの文化はそれ自体が偉大なものであり、西欧のために存在していたのではありません。

 いい面を強調しすぎるかもしれないですが、帝国では

・政権担当者は失政しないよう絶えず緊張感を持って国事に当たることが求められた。(でないと悲惨な末路があるのみ)
・帝都民衆が一定の政治権力を持っていた。(帝都だけ、というところに、引っかかる人はいるとは思います)
・善政をしく施政者には惜しみない歓呼を送るが、へたれにはあらゆる誹謗中傷が飛ぶ辛辣な面ももっていた。
・非キリスト教徒にも一定の権利があった。
・10世紀までは出自に関わりなく社会を上昇する途が開かれていた。
・武力行使よりも外交交渉や政略、謀略を上に置く頭脳国家であった。
・必要な場合は、その巨大な経済力が担保する戦力の発動があり、効果を上げていた。特に強力な海軍をほぼ常時維持していた。
・帝都においては市民の関心を惹くためある種の政治ショーが行われ、退屈しなかった。
・帝都自体が数々の栄誉に包まれた建造物で埋め尽くされており、傑出した外容を誇っていた。

 挙げていくと切りがないので、この辺でやめますが、帝国が人類史の中でもかなり個性的な国家であることは間違いありません。今の世の中がともすれば多様性に対しやや器量の狭いところがあり、かつ極めて容易に武力を行使してしまう傾向があることを考えると、ビザンチン帝国の足跡をたどることは、意味があると思うのです。

 私自身の知識が浅薄ですし、筆力が不足しているところもあるので、その魅力を十分にお伝えしていないと思いますが、お付き合いいただければと思う次第です。

PM 08:42:50 | Comment(12) | TrackBack(0) | [歴史]

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プロフィール
名前せんす
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佐藤康光の棋界制覇、矢内理絵子の女流棋界制覇を切望するオジ将棋ファンです。とはいっても、棋士は皆さん、好きです。

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