棋王戦の▲鈴木八段−△安用寺四段戦を今日は取り上げます。新潟新聞の掲載が終わったばかりです。
鈴木大介八段といえば、ここでも紹介しましたが、将棋世界で「順位戦の羽生戦で先手早石田をしたいなぁ」と宣言したにもかかわらず、あっさり外され、第1図の場面を待望しつつも誰も指してくれないと悲哀をかこっていました。ようやく棋王戦3回戦というかなり大きな対局で、真っ向から受けて立つ棋士が出現しました。安用寺四段です。えらいですね。
この将棋については、週刊将棋の所司臨時講座でそのまま指し手が紹介されたことがあります。但し、東大将棋シリーズと同じく誰が指したかは全く言及されておらず、最初、せんすは所司が自分で考案したのかと思い違いをしてしまいました。安用寺の考案した手順だったのですね。本譜は△7四角▲同角に鈴木が予想した△5七角ではなく△5二玉と進み、▲5五角△4四歩▲同角△8四飛▲7五歩△7三歩▲1一角成△7四歩▲2一馬となります。これが第2図の一手前。
第2図の△3三角が鈴木の構想を完全に打ち破る好手。この一手は譜の初手なのでせんすも手を予想する時間がありました。せんすは△5五角しか考えていませんでしたが、これだと▲7七銀△3二銀▲1二馬△7五歩▲6六銀となって先手のダッシュが利いてしまうのですね。なんでも天王山に角を打てばいいというものではありません。角は遠見で使え、というのもまた格言でした。でも、△5五角は鈴木の第一感だったので、せんすが途方もなくへたれだったわけではないようです。
棋王戦は準々決勝が大きな勝負なるのはご案内の通りですが、次の深浦戦に負けたのは安用寺には残念でした。でも、本局の指し回しは当分は定跡として生き残るのではないでしょうか。
せんすとしては、居飛車の好対策を考えてくれたので、安用寺四段に感謝しています。
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PM 08:45:24 |
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[将棋(三間飛車)]
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