
ご無沙汰になってる昭和バイク史。
そろそろ完成させなくちゃいけませんね(汗)
浪人生として、原付(RX50)で腕を
磨く日々でしたが、当時就職したり、
大学へ行ったりしていた仲間や、
高校時代の同級生が乗ってたバイクは、
Z400LTD, Z400GP, XJ400D, RZ250, CBR400F
などでした。
いくつかは無免許で借りて、
少しだけ運転させてもらったりした事もあります。
しかし大切な自分のRXを、他人に貸して目の前でコケられ、
幸い大事に至らなかったものの、本当に悲しい気持ちを味わった俺は、
他人のバイクを借りる事に、もの凄く抵抗がありました。
そのため、未だに他人にはバイクを貸さないし、
試乗や点検など、必要の有る時以外は、
他人のバイクを借りて乗る事はほとんどありません。
なので30年間バイクに乗り続けていますが、
9割9分は自分のバイクしか乗った事が無いのです。
その意味では、実はバイクの事はまるで知らないのと同じです。
同級生で、俺にロカビリーやロックンロールを
教えてくれた相棒の「周ちゃん」は高校を出て就職し、
一歩先にバイクライフを楽しんでいました。
実は仕事でもバイクに乗る仕事だったため、たしか中型免許も
会社が取らせてくれたんだったと記憶しています。
今まで何度か話題に出て来た、二輪免許の「限定解除」。
当時の岐阜県は、3ナイ県としても全国有数の厳しさで、
限定解除に関しても北海道と岐阜が1・2を争うと言われるほど、
難しいとされていました。
ただでさえ合格率は1%と言われる限定解除。
当時既にバイク屋には出入りしていましたが、周りの先輩にも、
限定解除で大型バイクに乗っている人は皆無でした。
そんな中、当時多治見市に住んでいた周ちゃんと久し振りに会い、
実は関市に限定解除に特化した二輪の教習所が有り、
職場の先輩と一緒に通い始めたんだ、と聞いた時は驚きました。
何故なら彼がそこまでバイクに熱を入れているとは思って無かった
というのも有りますが、ようやく岐阜県にもそんな施設が出来た事を知り、
自分の夢が大きく近づいた気がしたからです。
もちろんもの凄く興味が有ったので、早速教習に通う彼に連れて行ってもらい、
その学校を見学に行きました。
関市の坂祝という山あいにある、中日本自動車短大がサイドビジネス的に
始めた、バイク専門の未認可の練習場。
小型から大型まで、一発試験のための実技講習を専門とした学校でした。
教習車に使われていたのはCB750FCを中心として、
CB750FIIと、CBX750ホライゾン、そしてZ750Four。
そして中型はホークIIでした。
学校と言っても未認可で、おおらかな雰囲気があり、
俺が見学にいくと「ちょっと乗ってみる?」とCB750FCを渡され、
先生の先導で、コースを20分ほど走らせてくれました。
もちろん俺は当時、原付免許しか持っておらず、
中型バイクさえ、そんなに長い時間乗った事はありませんでしたが、
ナメられちゃいけないと、必死にCBを操りました。
今では想像も付きませんが、車体の重さを支えるため、
走りながら両腕がパンパンになってメゲそうだった事を覚えています。
これが記念すべき、自分のナナハン初体験となります。
バイクを降りて実は原付しか持ってない事を話すと、
「そんな風には全く見えなかった」と先生も驚き、
そう言われた事が誇らしく、嬉しかった事を良く覚えています。
この学校の合格者一覧も見せて貰い、20回以上受けている人も居ましたが、
割と1ケタ台で合格している生徒さんも多く、
この学校に通えば、限定解除が夢じゃない事ははっきりと分りました。
「ウチは中免も教えてるから是非来てよ」と誘われましたが、
その時は、春になったら地元の実地免除の認定校に通って
中型免許を取るんだと考えていました。