映画:50回目のファースト・キス
 久しぶりにアメリカの映画でよかったと思えるものに出合えました。 題名を見たときはまったくどんなストーリなのか想像できなかったのですが、見終わった後では納得です。
 
 交通事故で記憶喪失障害を抱えてしまう彼女と、そんな彼女に一目ぼれしてしまう水族館で獣医として働く彼の恋物語。 とくにそれだけの設定ではごく普通のよくあるお話しとなるのだが、あるとき記憶が戻るとか失った記憶のまま新しい人生を歩むとか。 ところが、この映画での記憶障害は事故前の記憶は喪失されず、事故後の日々の記憶が一日しか残らない(一晩寝て起きると前日の記憶が無い)。 あれ、記憶が短期しか持たない。 「博士の愛した数式」と同じだ。 でも、ストーリはまるで違っているけれど。 どちらもなかなかのもの。

 もう一つ、この映画に登場する動物たち(アザラシ・ペンギン・イルカ)がとってもいい味をだしているんだ。 動物が出演する映画を見ると、なぜかほのぼのするんだよね。
猫のヒゲがほしい
 バス・ルームの出入り口で動けなくなりました。 声も上げることもできず、ただこの痛みが消えるのをじっとうずくまり堪えていました。 左肘をおもいっきりドアにぶつけたのです。 指先までしびれ、感覚が麻痺してました。 もし我が奥様がこの場にいたら、「また本当によくぶつけまわすね。 どこみて歩いているんだか。」と、痛くて口を利くことができない僕をいたわる前に呆れるだろうね。

 どうしてこんなに頻繁に自分の体をぶつけるのかわかりません。 とくに狭いところに限らず、なんでこんな所でと自分でも呆れます。 それも、足先・頭・肘・膝と体のいたるところをぶつけます。 猫のヒゲがほしい。

 猫のひげは、『通説では、猫のヒゲは高性能なアンテナの役割をしており周囲の障害物をチェックするだけではなく、獲物の位置を確認し空気の流れや音までも感じ取ることが出来るといわれている。』だそうです。
悲しい&嬉しい
 悲しい出来事と嬉しい出来事がありました。

 とっても些細な出来事なのですが、なぜか無性に悲しかった。 髪のシャンプーが終わりトリートメントを手のひらに取り出し、容器の蓋を閉めたときです。 わずかに傾いた手のひらからトリートメントが落ちた。 排水溝の周りをくるくると三周した後、音も発てずに姿を消した。 ただ呆然と見ていたら悲しくなった。

 集まるときには集まるものです。 とっても嬉しいです。 とてもとても小さな冷蔵庫の中がフルーツであふれかえっています。 葡萄・桃・梨・林檎が所狭しと。 当分の間、フルーツ三昧に明け暮れそうです。
誤魔化し
 間違いでもなく勘違いでもない。 完全に記憶がすり替わっていたとしか表現できない事が起きた。 それは、他人に指摘されるまでまったく気づかなかった。

 仕事のメールで、生産工場の場所を『インドネシア工場』のところを『シンガポール工場』と連絡していた。 メールした相手からの電話で「シンガポール工場でも生産をしているのですか?」との問い合わせに対して「あれ、ちょっと待ってください」。 ノートを開いて確認してみると、そこには『インドネシア工場』と書かれてあった。 そういえば、シンガポールに生産工場なんかないよ。 「間違っていました。 連絡していただきありがとうございました。 ま〜日本からみたら同じような場所だから……。」と、いつもの調子で明るく誤魔化している自分に呆れた。 でもいつからすり替わってしまったのですかね、自分の記憶。 他の直近メールでも『シンガポール工場』と間違って書かれていました。 こんなことが頻繁に起きるようになったら……。

 さらに電話をしてきた相手(お付き合いしてから3年以上はすでに経っていて、何十回とメールのやりとりをしている)が、「私の名前の漢字が違うのですが。」と申し訳なさそうに言ってきた。 「あれ、そうだった。それはたいへん失礼なことをしていました。」と、相手からのメールをみてみると確かに違っていました。 「本当だね、ずっと勘違いしてましたよ。 益子焼の益(ます)じゃなく、売り上げ増加の増(ます)なんだ。 これからも益々売り上げ増加するといいね……。」なんて、自分でもよくわからない事を連発して誤魔化している自分にまたまた呆れた。 でもこちらは、救いようがある勘違いだよね。
目覚めたら
 深夜ふと目覚めると、消すのを忘れたラジオから「別れはいつもついてくる・幸せのうしろついてくる・それが私のくせなのか・いつもめざめればひとり」と懐かしい唄が流れてきた。 昨晩は、目覚めたら愛犬が僕の顔を覗き込んでいたのに、今夜は……。
どこかがおかしい。
 どこかがおかしい。 まず今朝の会社でのエレベータで、途中で降りる郵便物を台車で運んでいる人のためにドア開延長ボタンを押したはずが、ドアが開ききった瞬間にすぐ閉じ始めた。 そうなんです、開延長ボタンではなく閉ボタンを押していたのでした。 ドアにはさまれたおばさん、ごめんなさい。 わざとじゃないんだから、怖い目で睨めつけなくてもいいじゃないですか。 次に昼食で、オクラ入りの大根おろしに醤油をかけたつもりが、ソースでした。 周りの人にきづかれるのが恥ずかしかったので、きれいにそのまま食べました。 帰宅するのに外に出た瞬間、足元にあたる風を感じました。 会社では靴下を脱ぎはだしで健康サンダルを履いているのですが、そのまま帰ろうとしていました。 オフィスにもどったらまだみんな仕事をしていて、戻ってきた自分にみんなが一斉に振り返り?マークの目で見ていました。 まだまだ続くのですが、駅の改札口でスイカ定期を出したつもりが、社員バッチでした。 とうぜんゲートは閉じピンポンと。 後ろに並んでいる人は、呆れ顔でみていました。 アパートの鍵(平べったいカードの形をしている)を開けようとしたのですが、今度はスイカ定期を差し込もうとしていました。 もう書くのをやめます。 とても疲れた嘘のような一日でした。 どこかがおかしい……。
共振
 会社と駅の途中にある交差点に消防署があります。 その交差点を渉りきった時、消防車のサイレンと出動のアナウンスが響きわたった。 斜め前方を歩いていたおっさんが急にサイレンを真似して叫んだ。 あれ、人もサイレンに共振して叫ぶんだ。 自宅の近所にお住まいになっているワンちゃん達は、まだ人の耳には届かない救急車や消防車のサイレンを感知して遠吠えを始めます。(ちなみに、我が家の愛犬は無反応である。) ワンだけでもなく人もサイレンに共振して吠えるんだ。

 サイレン音に共振して吠える習性は、寂しさを感じている人やワンに起きているのではないかと何の根拠もなく感じた。 寂しさを何かで紛らわすために、心に響く音(音楽)に共振することを望んでいるのではないのだろうか。 と考えながらおっさんの発するサイレンを聞きながら駅に向う自分も鼻歌がサイレンになっていました。
写真公開
 ウエーブ上に先月末から今月初めにかけて出かけた、山形旅行の写真を搭載しました。 二ヶ月ぶりの更新です。 デジタル一眼レフカメラを購入した時から始めたHPです。

 今回の山形旅行において写真を撮るのに一つ計画をしていた事がありました。 月光下での風景撮影でしたが、あいにくの天候で夜になると雲がでてしまい星さえ見ることができませんでした。 もし晴れていても月が出ていたか、事前の調べもしていなかったのですが。

 昼間に巡った出羽三山の風景がそれなりの撮影ができたのでよかったのですが、やはり写真の最後の仕上げは写真紙であらわす事。 フイルム撮影にたとえれば、フイルム現像の段階でしかなく印画紙への焼き込みまでいっていません。 また欲しい欲しい病が発病してしまいました。 写真専用のプリンターが欲しいよ〜〜〜。 それが高価でおいそれとは買えないんだよな。 ちまちまと500円玉でへそくり貯金をしているのだが、いつになることか。 まあ、あと4〜5年はかかるかな。 それまで、撮影データを蓄積することにします。
映画:いつか読書する日
 『毎日の平凡な生活の中に小さな感動を見つけ出す習慣が人を成長させる。』と、10代の頃ある本で読んだ記憶が、この映画を見ていたときにふと思い出した。 この文学的な恋を描いた日本映画に小さな感動を見つけ出しました。

 30年以上も想い続けられる平凡な生活を送るために、本を読む事による非日常的世界に逃避した中年女性が、ついに心に秘めた情熱が現実になったのも一日限り。 老人に「50歳から85歳までは長いか?」と尋ねる平凡な生活を望んでいた中年男性だが、思いを遂げた翌日に微笑みを浮かべて身代わり事故で死んでしまう。 このストーリを静かなタッチで心情豊かに描いている映画。

 小さな静かな感動を受けました。 少しは成長したかな。 中年男性の一人の人間として。
本:ディロン 〜運命の犬
 3カ月前に同タイトルのドラマを、正座とまではいかないけれど背筋を正して拝見しておりました。 なぜなのか、この種のドラマ(この前は「盲導犬クイールの一生」)を寝転んでお気楽気分で拝見することができません。 我が奥様が読んでみる?と又貸しで進めてくれた本。 とうぜん読みますよ。 この種の本は。

 ここにも、犬との共存から犬に支配された人達の生活が描かれていました。 もしかしたら、我が身も共存から支配へと………。
映画:四日間の奇蹟
 録画しておいた「四日間の奇蹟」をやっと見ることができました。 原作本を今年の一月に読み久しぶりに心を癒される本に出合え、その時はすでに映画化されておりぜひ見たかった映画でした。 本では味わえない風景と音楽そして演技者からの感動を期待していました。 本では味わえない映画ならではのピアノの音色を聞けただけで十分でした。

 文章から頭の中に風景や音楽を想い描き話が展開していくのもいいけれど、映像と音を感じながら話しが展開していくのもいいものですね。
もずく
 最近の気候は、湿っぽくあつく不快指数100%が続いている。 会社は空調が効いているため爽快だが、行き帰りの道のりと閉め切ったアパートは最悪状態だ。

 でも、気分爽快になる方法を見つけ出しました。 アパートにつくなり、まずエヤコンを始動させジーパンとシャッツを脱ぎすて、冷蔵庫から「味付け太もずく」を体内に流し込む(片手を腰にあてて)。 酢のきいたもずく、最高です。 あの滑らかなのど越し感とさっぱり感、癖になりそうです。

 今、気づきました。 生協で来週の「もずく」を注文するのを忘れました。 不覚です。
 
十円玉
 最近、洗濯機からの振動音が激しくなり、ときどき「キーン」と回転に重負荷がかかりモーターがきしむ異音が発生しだした。 この洗濯機はアパートに初めから設置されているかなりシンプルな構造のものである。 解体してみようかと考えたけれど、その前にどのタイミングで鳴るのか30分ぐらいじっと洗濯機の前にへばりついて観察してみることにした。 脱水が終わり、部屋干し乾燥時の衣類をほぐす低回転時にかなりの異音を発生している。 左右回転を短時間で繰り返す時となると、回転軸のベアリングがいかれているのかと推測。 では、回転棒から解体してみようかと浴槽を覗き込んでみると、回転棒と浴槽の隙間に金属の物体が。 指でつまみあげるとそれはなんと「ぴかぴかに磨きあげられた十円玉」でした。
 
 ポケットに入れっぱなしにして洗濯機にいれてしまった十円玉。 おそまつなお話でした。 でも、壊れなくてよかったです。 本日の教訓:十円されど十円。十円をないがしろにすると数百倍のしっぺいがえしをくらうぞ。 
麦の海に沈む果実 著者:恩田陸
 恩田陸の二作品目(一作品目:黒と茶の幻想):『麦の海に沈む果実』を読み終え、すぐにページを始めに戻し「謎の序章」を読み返した。 なぜかって、不思議な世界を幻想的な風景を交えて、謎をミステリーとして残して終わってしまったため? 「謎の序章」を読み返してみると、主人公「水野理瀬」の謎を除く全てが要約されており、はじめて全ストーリが頭の中に鮮明なイメージとしてよみがえり構築された。

この種の幻想小説、好きかも。 挿絵も好み。 星四つ半を進呈いたします。 半星の減点は、「水野理瀬」の謎解きの場面から最後の場面までをあと100ページ追加してでも書いて欲しかった。
日本の名峰
 映画を2本続けて観賞した後、シャワーを浴びて寝床に就き何気にTVをつけたのがいけなかった。 時刻は、日にちが変わったばかりの午前零時。 「日本の名峰〜発表!おすすめの山50」という番組が。 番組の冒頭で、「では、おすすめナンバー1から発表」と、なんと面白いというか奇抜な進行に引き込まれ、「あ、わかっちゃった。 日本の一番の名峰といったら、『富士山』に決まっているじゃないか。」と、TVに向かって語っていました。 「一週間前に見た月山は、25位だ。 筑波山は、34位だ。」と、次々に登場する美しい映像の山々に魅了され、結局2時間番組を最後までみてしまいました。

 時刻は当然、午前2時。 明日、仕事なんだよね。 NHKさん、なんでこんな面白い番組を夜中に放映するんだよ。 きちんと2軒分も受信料を払っている善良な一般的国民の生活パターンを考えてよね。 結局、興奮している脳はなかなか睡眠モードに入れず、NHK ラジオ深夜番組の午前3時のニュースまで聞いてしまいました。  
メンヘル
 図書館の新着コーナで何気なく手に取った本「生きているだけで、愛」本谷有希子著者。 帯には、過眠、メンヘル(最初はメルヘンと間違えた)、二十五歳。 ねえ、あたしって なんでこんな 生きてるだけで 疲れるのかな?
 
 メンヘルをメルヘンと間違って(多分、よくある間違いじゃないのかな。 メンヘルという言葉を知らない人にとっては)この本を読み始めました。 ところが、いきなり女子高校生(主人公:寧子)が全身の毛を剃ってしまう。 なんで、こんなメルヘンがあるのかと、帯を見返したらメルヘンではなくメンヘルと書かれてある。 メンヘル? 浅学な自分には、「メンヘル」というカタガナ語の意味がわかりませんでした。
 
ウェブ検索してみました。

『メンヘル:メンタルヘルス  最近はこの略称で呼ばれることが多い。 元来の「メンタルヘルス」は「心の健康」という意味である。 しかしこの言葉は主に、精神病(鬱病を含む)、神経症(ノイローゼ)、心身症など、さまざまな心の病によって生活に不自由をきたしている人々、あるいはそれらの症状を指す。』

 最近やたらと英語をカタガナにしてコミュニケーションをとろうとするが、この言葉はさらに短く略していたのだ。

 本の内容は、メンヘラーの苦しみが描かれている。 「何から何まで全部理解してもらえたら最高に幸せだったのにと思うけれど、あたしが自分のことを何も分からないんだから、それは無理な話だ。」 せいぜい五千分の一秒(北斎が描いた富士山と波の絵をたとえて)でもという、気持ちが迫ってきた。 「あんたの選んでいる言葉って結局あんたの気持ちじゃなくて、あたしを納得させるための言葉でしょ?」 こんなストレートな言葉を投げかけられたら、うなずくしかないよね。 続く言葉が見つかりません。 
おなじみの風景
 今朝は5時に目覚めた。 台風の影響で雨が降っているせいか、外は薄明かりである。 昨夜、頭痛にみまわれ9時前に寝たおかげで、爽快な目覚めである。 昨晩の晩飯の食器を洗ったり洗濯物を干したりしたが、いつもの出社時間にはまだ時間があった。 たまにはみんながそろう前に、オフィスについて驚かすのもいいかもと、アパートを出た。
 
 途中で朝食を仕入れるために、ドトール・コーヒ店に入り注文をしてお金を払おうと財布をのぞいたら、コーヒのサービス券が目にはいった。 まあ時間もあることだからと、サービス券でエスプレッソを店内で飲むことに。 タバコに火をつけて本を読み出してしまったのがいけなかった。 読書に時間を忘れ、きづいた時には9時ちょっと前になっていた。 当然、オフィスに着いたときはいつものように全員がディスクに向かって仕事をいている、おなじみの風景でした。 
偏頭痛による幻覚
 夏休み明けの久しぶりの出社。 東京の山奥も梅雨が明け、朝から猛暑の中の電車通勤です。 きました、久しぶりの偏頭痛が、それも午前中からです。 仕事に集中することもできないくらい、ひどい状態です。 急ぎの仕事をメールと電話で済まし、午後から帰っちゃおうかなと。 いままでの自分であれば迷わず帰っていたのですが、昼飯を食べたら少し痛みが和らいぎ定時まで会社にいました。 すごいです、自分を褒めたくなりました、怠惰脱出だ。 仕事にもやもや感が充満していたのですが、ある決断をしたためかな。 でも、いつまで続くやら。

 しかし、夕方になっても猛暑は続き、帰りの電車の中で頭皮近傍の血管がドクドクと打ち出しました。 やはり無理をせず午後から帰ればよかったと後悔しながら、駅からアパートまでの道を「青いがりがりしたバナナといなりずしが食べたいな」と、意味不明なことを思いながら歩いていました。 これって、頭の血管が数本切れかかるときに起きる、幻覚症状の一種なのですかね。
夏休み
 日常生活の日記、久しぶりに書いています。 10日間の夏休みも本日で終了してしまいましたが、非日常生活を十分に満喫できました。 小学生の頃は、夏休みに絵日記を書かされたけれど、大人になった今はその反逆で、日記を休みました。 
2006 - August
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   
過去記事
Profile
名前ケンケンパパ
毎日の出来事を忘れ去るのが悔しい。
リンク
カテゴリー
カウンター

昨日
今日