【埼玉県大宮市と埼玉県上尾市の区間を散歩中 】

5月20日 0歩 (雨の為、散歩中止)
5月21日 0歩 (雨【台風】の為、散歩中止)
         映画【壬生義志伝(みぶぎしでん)】を観る。

 映画 【壬生義志伝】原作:浅田二郎 監督:滝田洋二郎

 外は台風二号が接近している影響で、雨脚が激しくなり風が出てきた。午後十時、寝床に入りながら映画【壬生義志伝】を観はじめる。

 NHK大河ドラマ【新撰組】、放送開始当時はたしか数回は観ていたが、今は観ていない。近藤勇役である香取信吾がどうしても自分のイメージと合わないのが一要因になっているのは確かである。脚本が三谷幸喜(朝日新聞連載のエッセイが面白くかならず読んでいる)である為、多少は興味があったのだが。しかし、【新撰組】【赤穂浪士】に代表される、【信じるもののために生き、死ぬことができた稀有なお話し】が好きであるゆえ、この映画を観る事とに。

 今回の映画【壬生義志伝】は、主人公である吉村貫一朗が南部藩を脱藩して新撰組に入隊(多くの不逞浪士を切り捨てる鬼貫と恐れられる)する生涯を、複数の人間が語ることによって、多面的な貫一朗が描かれていくのである。では、この吉村は何のために死を覚悟の上で新撰組に入隊したのだろうか。いや、死など覚悟していた訳ではなく「生きる為に人を斬る」と言うセリフがある。徳川や南部藩主の為ではなく、妻子のためなら死ねるという貫一朗に、今まで抱いていた真の侍像と違っていた。貫一朗以外の登場人物においては、息子嘉一郎の生き様はまた違った今までのイメージどうりの侍(武士)の強さを感じ、親友大野次郎衛門の貫一朗への深い思いやりを感じた。
 侍(武士)というイメージ像に関して、やはり日本人が抱く思いが快く描かれている作品であると感じる。昨年の暮れに見た映画【ラスト・サムライ】が、なぜかこの映画を観た後、武士道の精神の描き方がかなり幼稚であったと思えてしまった。

 <描かれている時代が明治維新であり、現代とは取り巻く環境の違いがある>と、一言でいえてしまうが、なぜこのようなテーマのお話は廃れず引き継がれるのだろうか。<何かのために生きることはできるが、何かのために死ぬことが本当にできるのか>の問いの回をしなくてはいけない境遇に、現実の自分の世界で出会いたくない逃避が、架空の映像・書物の世界に閉じ込めたいのではないのか。