格調高き日記
格調高きゲス野郎・管理人の日常です
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朝です
2004年12月30日
本年も有難うございました。よいお年を。
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長州旅行 PART.5 指月公園・萩往還
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長州旅行 PART.4 萩城下町
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長州旅行 PART.3 東萩(松陰神社・松下村塾周辺)
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プロフィール
名前
go_mad
URL
http://ww5.
tiki.
ne.
jp/
~go_mad/
年齢
31
性別
女
血液型
A型
星座
蠍座
●
朝です
12月あたりからずっと残業続きで、もうへとへとです。
そんなタイミングでよそから仕事をもらって、ちょっぴりフリー気分を味わったりしている連休の夜中・・・というかもう朝です。しかし、よその会社から直接もらう仕事だと、こうやって一日徹夜(実働5時間くらいか?)で、普段もらってる月給の3割もらえてしまうのだから、もしかしてフリーっておいしいのでは?などと錯覚してしまいます。但し、この仕事も年1回忘れた頃に電話かかってくるくらいのものなので、とても生活の糧としては考えられないんだけども。もしフリーになったら、今の勤め先の社長が仕事くれそうだし、なんかやれない気がしないでもないなーとも思ったりします。
が。実は私には大変な弱点があります。
仕事が来るのが苦痛なんです。はぁ、こりゃダメだ。
会社でもくもく働く分には問題なく、バリバリ頑張れるのですが、直接電話もらって打ち合わせしたりすると、限りなくブルー。原因は自分でもなんとなくわかっていて、ほっといていいとも思ってないんですけど、なかなか気分の転換が図れません。
この調子じゃ、やっぱり一生勤め人かな。せめて技術に遅れないように頑張るか。
2005/01/10 AM 05:10:37 |
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[日記]
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本年も有難うございました。よいお年を。
本年もいつの間にか終わりです。
さて、毎年年末年始に、この一年に読んだ本のランキングをつけていたんですが、今年はなし。今後もずっと印象に残るほどの本がなかったです。残念。
今年はふと手に取った司馬遼太郎から始まって、半年くらい歴史小説を読んでました。海外小説に関しては、去年に引き続き、ホラー離れが進行し、普通の小説を手に取る割合が増したような。・・・ケッチャム早く出ないかなぁ。
実生活では仕事がヒマでした。4月あたりからほとんど残業つかず、金銭的にも厳しい状況に。が、11月半ばあたり突然忙しくなり、毎日残業残業、朝までひとりで仕事したりと、体力的に辛かった!28日は、仕事納めなのに11時まで残業して、29日も出勤してるし!
というわけで、今日からようやく正月休み。で、早速実家に帰ります。2日には福岡に戻って、初売りに行こうと策を練っています。楽しみ!
ではでは、皆様、本年も有難うございました。よいお年を!!
2004/12/30 PM 12:54:47 |
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[日記]
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長州旅行 PART.5 指月公園・萩往還
萩城跡
のある
指月公園
へ。入口のあたりの
萩焼窯
に入り、萩焼のマグカップに絵付けをする。どうでもいいが、なんで絵付け体験で出来た作品ってみんな小学生並みなんだ?完全にカップの存在を無視した落書きになってしまっている。日付だの自分の名前だの書いたりして、恥ずかしい!と嘆きつつ絵付け開始。そして気がつくと、家でチラシの裏に書いているのと同じぷるよっちの顔を落書きしていた。しかもフキダシまで書いていた。さらに日付入れちゃった。エヘ。
絵付けを定着させる間、レンタサイクルを借りて
指月公園(萩城跡)
へ。萩ってなんて小さな町なんだろう。ここから、あの激しい時代にあんなにたくさん重要な人物が生まれたとは信じがたいほど静かで小さい町。感傷に浸りたいが、海に囲まれた公園は自転車では少々寒かった。萩焼を受け取って、
萩往還
経由で帰路につく。
萩往還
は、
萩城下
から諸国へ旅立つ人が通る道。
松陰
が罪人カゴに入れられて萩を離れるときに、
萩城下
を眺めつつ有名なうたを詠んだ
涙松の跡
など、ミドコロ満載。が、ついてみて初めてわかったが、歩いて通る道らしい。まあ、よく考えたら当たり前なんですけど。今回はもう無理だけど、一度は歩いてみたい。
萩往還
沿いの有料道路の料金所に、
道の駅
と
松陰記念館
があるので、行ってみる。
道の駅
大好きなんだが、このこはかなり小規模。ちょっとがっかり。
松陰記念館
は、まだ新しく、無料なのに、設備満載でかなり楽しめた。入場料取ってもいいと思うよ。私たち以外誰もいなかったが。
そのまま
262号線
に入り山口へ。この
262号線
は、まったく縁もゆかりもない
イチロー
が先日262本安打を達成した際に、危うく
イチローロード
と改名させられそうになった曰くの道。アホか?萩往還あるのに。ただ、確かに高速道路のインターのある山口市から萩市までは、この262号線による峠越えが避けられず、萩への観光客が少ないとしたら、きっとこの山道のせいだと思う。山陰まわりのいい道があればいいんだけどね。
2004/11/27 PM 02:24:38 |
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[日記]
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長州旅行 PART.4 萩城下町
立派な古い建物が大きな道沿いに見える。
松陰
が10歳(8歳だったかな?)で講師となり、
桂小五郎
や
高杉晋作
が学んだ
明倫館
だが、中には入れず、外から見るだけらしいので、車から見て通り過ぎ、
萩城下町
へ。
ここも
萩
に来る度に来ているところ。でも、お金が必要なところには一度も入ったことがないので楽しみ。白壁と夏みかんの狭い路地、
萩
の代表的な風景を楽しみつつ、まずは
円政寺
へ。
晋作
ゆかりの大きな天狗の面がある。結構小さい。近所の子ども達はこの面をものすごく恐がったらしいが、ほんとか?と思いつつ、小学生の頃、鹿児島の長崎鼻パークガーデンというところで、原住民のお面のようなものがたくさん飾ってあるところが恐すぎて泣きわめき、じいちゃんばあちゃんを困らせた記憶がふと甦って、納得。あと、境内にはほぼ等身大の木彫の馬がいる。晋作らはこの馬の鼻面を毎日なでていたそうだ。当時は今と違って、きっと馬に対する色々な思いがあったんだろうね。
晋作の生家
へ。産湯の井戸や小さな祠がある。中には入れなかったが、ここで奥さんは、
晋作
のいない長い長い時間を晋作の両親たちと過ごしてたんだなぁ、と思う。人ひとりやっと通れる門を通って外に出ようとすると、丁度門の前の石段に、門をふさぐようにして子供を腰かけさせ、写真を撮っている夫婦がいたので、写真を撮り終わるまで待っていようと、少し下がって待っていた。「はい、チーズ!」懐かしい言葉で撮り終えたのがわかったので、出ようとすると、今度は子供の横に奥さんを入れて撮ろうとしている。一切まわりが見えていない。そうしてる間に後もつかえてきたので、かまわず横を通って外に出ようとすると、やっと邪魔になっていることに気付いたようだった。ちっとは「急がねば」とか思えよ!と呆れつつ
桂小五郎家
。ここは中にも上がれる。無料なので、何度か入ったこともあるが、奥さんの
松子さん
の写真に今更見入る。元芸者さんだけあってきれいな人だな。
この城下町には、他に
田中義一の生誕地
があったのだが、そこを通り過ぎてしばらく歩いていると、おじさんがひとり歩いてきて、立ち止まり「ここが田中義一の生誕地か!」とものすごくでかい声でうんうんうなずき、全く関係ない人の家を眺めて感じ入っていた。
田中義一の生誕地
はもうちょっと先ですけど。
一周して戻ってきたら、いつも行く喫茶店へ。ここには「コーヒーぜんざい」という名物メニューがあって、
萩
に来たらみんなこれを食べる。私はコーヒーもあんこも嫌いなのでアイスココアで一服。
2004/11/26 PM 02:19:24 |
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長州旅行 PART.3 東萩(松陰神社・松下村塾周辺)
昨夜のうちに萩に着き一泊、朝10時に
松下村塾
へ。ここには少なくとも5回は来ているのだが、ある程度知識を仕入れてくるのは初めて。しかし、あまり盛り上がらない。何度も見ているだけに、今更感がある。どうにかして、なにか涌いてこい!と念じながら、
松陰
や
久坂玄瑞
、
高杉晋作
などを座敷に配置し、イマジネーションを高めようとするのだが、時間が悪かったのか、社員旅行やら団体さんやら観光バス5台分ほどの大集団が通り過ぎていくので、それどころではない。
今までは
松下村塾
と
松陰神社
だけ見て他へ移動していたのだが、MAPを見ると、この周辺には
伊藤博文の別宅
や、
玉木文之進の家
、
松陰の生誕地や墓所
など色々ある。まずは
松陰生誕地
へ。家の土台が少し残る原っぱに生誕地の大きな碑と、産湯の井戸。少し上に
松陰
と
金子重の助
が密航しようと黒船を見つめている姿の銅像があり、萩の町を見下ろす。少し高台になっているこの
団子岩
という場所からみる萩の景色はとてもよい。この銅像の足元にも
吉田松陰
の墓と、
松陰
の家族などそれにまつわる人々のお墓が集まっていた。
松陰の墓
には最近出たばかりの「月間松下村塾」がお供えしてある。ここに前に書いた
晋作
の髪の毛のお墓もあった。じっと見ていると、向こうから若い女性がひとり、よそ見もせず一直線に歩いてきて、
晋作
のお墓の前にしゃがんで手を合わせた。
そこから坂を下りたところに
松陰
の叔父、
玉木文之進の家
がある。幼少の頃、
松陰
はこの叔父にスパルタ教育を受けた。今はあまり訪れる人がいないのか草ぼうぼう、傾いた門。中は見れるように開け放してあり、キレイだ。ここから
松下村塾
は始まった。この裏の畑で農作業しながら、
松陰
は孟子を読んだのかな。裏に回り込んだところで、うんちをしている猫の邪魔をしてしまった。
そこからしばらく歩くと
伊藤博文の別宅
。維新後の
博文
が東京で住んだ家を移築したものらしい。私の幕末維新読書は大政奉還あたりまでで中断しているので、いち早く外国へ行って開眼し、
晋作
に付き従った彼には馴染みがあっても、維新後の彼のことはほとんど知らない。
どうやらこのあたりに、松陰門下で池田屋で死んだ
吉田稔麿
の家もあるらしいが、まだ子孫の方が住んでいるとのことで、やはりMAPなどには載っていなかった。残念。
2004/11/25 PM 02:10:19 |
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