今回は、夏の甲子園大会のことに
ついて書いてみます。

第1には準々決勝で大苦戦した話
です。

相手校は、埼玉県立飯能高校でした。
ここには、捕手で4番、2年生で
松原という選手がいました。

そうです、大洋ホエールズで4番を
打ち2000本安打を放った
あの松原です。

結果は、我が大宮高校が2−1で
勝ったのですが、松原のスイング
スピードの速さに驚きました。

レフトで守っていて一発当たれば
ホームランを予感させるスイング
スピードでした。

試合をしながら、将来相当有望な
選手だなーと感じさせるには十分でした。

案の定一流の選手になりました。
その後、松原さんにはお会いして
おりませんが松原さんもあの試合の
ことは鮮明に覚えている事と思います。

その後大宮高校は順当に勝ち進み
優勝することができました。

甲子園に出場するには山梨県の優勝校
と対戦し勝つたなければ出場できません。

山梨代表は甲府工でした。
県営大宮球場で代表決定戦を行いました。

私の逆転打もあって6−3で勝ち
甲子園に出場することができました。

甲子園は2回目でしたので試合では
上がりもせずセンバツとは大違いの
余裕でした。

1回戦は青森高校、2回戦は群馬の
桐生工、桐生とは延長戦になり11回
に1点を入れ3−2で勝ちました。

準々決勝は四国徳島の徳島商業でした。
当時の四国勢は非常に強く、
前の晩に監督から言われ明日はいよ
いよ高校生活最後の試合だ、荷物を
まとめてすぐ帰れるようにして捨て身
で試合に臨めといわれ布団に入りました。

試合は前半当校が断然有利に進みました。

1・2・3回にそれぞれ1点づつ取り
3−0で7回まで進みました。

魔の8回が来て四球、エラーも絡み
一気に5点をとられれて5−3で
逆転負けを喫し甲子園は終わりました。

非常に残念な試合でした。

徳島商の3番打者はその後慶応大学
から中日に入り、巨人戦で9回裏
代打サヨナラ満塁本塁打で派手な
デビューを飾った広野のです。

現在、西武ライオンズの打撃コーチ
をしていると思います。

この大会は神奈川代表の法政二高が
優勝いたしました。

投手はその後巨人に入った柴田です。
投手力と猛打で勝ち抜きました。

準決勝では法政二高と浪商でした
浪商の投手は後に東映フライヤーズ
に入った怪童・尾崎です。
2年生でした。

1年生でレフトを守ったのが後の
巨人の高田でした。

この年の歴史的背景を思い出しますと
テレビが白黒でしたが貴重品で
一般の家庭では手に入らないもの
でした。

私が甲子園に出るということで
親父が運輸省に勤めておりましたが、
夏のボーナスを全部はたいて
テレビを買ったことを覚えています。

宿舎の芦屋旅館にはクーラーが
付いておりました。
その当時クーラーなどは見たことも
ないものでした。

大阪の夏は蒸し暑く夜寝るときは
閉口しました。

監督からクーラーをつけて寝ると
体を冷やすということで夜は
クーラーを切られました。

寝苦しくて目を開けると同級生の
マネジャーが毛布をはいだ選手の
毛布をかけなおしていました。

口には出しませんでしたがこんな
ことまで毎晩してくれているんだ
と思うと試合では頑張らなければ
という思いがこみ上げてきました。

そんなことで、甲子園は選手の力
だけできたのではなくチーム全員
で勝ち取ったものだという事も
分かり将来の自分に大変役立ちました。

甲子園でベスト8に残ると秋の
国体に出場することができました。

次回は国体の話しをして見ます。