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地上天国建設委員会の日記
『音惚花活気好@kakky(おとぼけ”all_to_a_mash”カッキー)=垣内政治』的『地上天国建設』

飛ぶ鳥あとを濁さず
 本日も出口王仁三郎聖師の『三鏡』”聖地”から、
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      『素尊御陵』

 岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇は、神素盞嗚大神様の御陵である。
 古昔(こせき)、出雲の国と称せられたる地点は、
近江(おうみ)の琵琶湖以西の総称であって、
素盞嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。
湖の以東は、天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御領分であった。
 このゆえに誓約(うけい)は、
その中央にある天(あめ)の真奈井(まない)、
すなわち琵琶湖で行われたのである。
 出雲の国というのは、いずくもの国の意にて、
けっして現今の島根県に限られたわけではないのである。
 素盞嗚大神様は八頭八尾(やつがしらやつお)の大蛇(おろち)を
御退治なされてのち、
櫛稲田姫(くしなだひめ)と寿賀(すが)の宮に住まれた。
 尊百年ののち、出雲の国のうち最上清浄の地を選び、
御尊骸(ごそんがい)を納め奉った。これ備前国和気の熊山である。
大蛇を断られた十握(とつか)の剣(つるぎ)も同所に納まっているのである。
 かの日本書紀にある
「素盞嗚尊の蛇(じゃ)を断(き)りたまへる剣(つるぎ)は
 今吉備(きび)の神部(かんとものお)の許(ところ)にあり、云々」
とあるが、熊山のことである。
 この戒壇ととなる石壇は、
考古学者も何とも鑑定がつかぬと言うているそうであるが、そのはずである。
 ちなみに熊山の麓なる伊部(いんべ)町は伊部焼(いんべやき)の産地で
あるが、大蛇退治に使用されたる酒甕(さけがめ)は
すなわちこの地で焼かれたものである。
 伊部は忌部の義であり、また齋部(いつきべ)の意である。

以下省略
                      (昭和五年二月・月鏡)
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原文には筆者こと加藤明子(はるこ)女史による、
聖師一行の熊山御登山の模様が記されているが、
本日記では今回は割愛させて頂くことにする。
また後日あらためて加筆するつもりである。

王仁三郎聖師は、神素盞嗚尊の御陵は三つあると言われているので、
この熊山の御陵はそのうちの一つである。

往昔、偉人や聖人の御遺骨等、遺品を別け頂いて、あちこちに墳墓を建て、
お祭りするということは多く行われていたので、
御陵が三つあるという事は特に珍しいことではない。

しかし、これは筆者の個人的な感想であるが、
どんなに綺麗にこしらえてあっても、墳墓や御陵というものに対して、
あまり好意的な気分にはなれないのである。

亡骸には、念が残っているかもしれないし、
当然墳墓にも、そうした念が残っている事は考えられるが、
筆者に興味があるのは、今も尚、いきいきと活動する御本体たる精霊であり、
神霊の方である。
こちらとならば思いさえ通じ合えれば、いつでも多くの学びを得る事が出来る。

偉人の墳墓や御陵は、広大な土地を使用するけれども、
もしかしたら、その土地を他に活用出来るならば、
もっと多くの人々が満たされる事になのではないか?
という思いの方が強いのである。

ただ、こうした御陵があるということは、
神素盞嗚尊様の史実が証明されることになるのであるから、
考古学的な価値があることだとは思う。

筆者も決して恩知らずというわけではないので、先祖供養が大切なことは認めるが、
その昔、旅人達は、携帯用の位牌を持ち歩き、行く先々で先祖供養を行ったそうである。
その方が理に適っていると思うのだ。

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      《素尊御陵の続き》

  筆者(加藤明子〈はるこ〉)申す。
 昭和五年五月二十日(旧暦四月二十日)、聖師様は熊山に御登山になり、
 御陵に奠(てん)せられましたので、筆者も随行いたしました。
  当時の記事を御参考のため、掲載させていただきます。

       熊山にお供して    加藤明子(はるこ)

 「私もいずれ行く」とのお言葉が事実となって、昭和五年五月十七日の午後、
 わたしは聖師様随員、北村隆光(たかてる)氏より左(下)の招電を受け取りました。
    セイシサマ一九ヒゴ五ジヲカヤマニオタチヨリスグコイ
 発信局は福岡、さてはいよいよ問題の熊山ご登山と気も勇み立ち、
いそいそ岡山へと志す。
 十九日は払暁(ふつぎょう)より空、いと曇りて天日を見ず。
お着きの五時、細雨、頻(しき)りに臻(いた)って暗い天候であった。
 着岡(ちゃくこう)された聖師様はステーションにて新聞記者の問いに答えて、
「晴天であったら登山するし、天候が今日のごとく悪ければ、
止めて亀岡へ直行するつもりです。」
と申されていた。そしてまた小さな声で、
「熊山登山はまだ一年ばかり早い」とつぶやいておられたので、側聞して、
このたびはあるいは駄目になるかも知れないと、晴れぬ思いで一夜を過ごした。
 おいおい集まる人々のなかには、
遠く東京よりわざわざ馳せ参じた人もあった。
 県下の新聞は申すまでもなく、大朝、大毎、二大新聞が前々よりかなり書きたて、
また新調の駕籠(かご)、揃いの法被(はっぴ)が、これも長い間、
待ちわびているので、どうか晴天にしたいものと願った。
「駄目でしょうか」
「この有り様ではね」
浮かぬ顔をして、皆がこう語り合っている。
 雨はますます降りしきる。
 そもそも、このたび九州へお旅立ちのみぎり、
帰途はかならず熊山へ登るのだと申されていたのを、急に変更され、
「かかる重大なる神事を、
 他の帰りがけのついでに遂行するのはよくないことである。
 帰って出直してゆく。」
と申し出されたのであった。
 だがーーーわたしは心ひそかにこのたびの御登山を、神剣御発動の神事……
 バイブルのいわゆる
「大なるミカエル立ち上がれり」に相当する重大事と考えていたので、
九州おでましは当然なくてはならぬ。
天津祝詞中の「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばま)の小戸(おど)の
阿波岐原(あはぎはら)に御穢祓(みそぎはらひ)ひ給(たま)ふ」
という祓戸(はらいど)行事にかなわせんがためであって、
きっと御登山になるにちがいない、と独り決めにしていた。
北村随行に会って聞いてみると、
「岡山お立寄りのことは、全然予定されていなかった。
 福岡で突如として命が下がったので驚いた。」
とのこと。しかし、神界では限定のプログラムであったに相違あるまい。
 岡山に着いてみると、熊本県小国支部の高野円太氏が、ヒョッタリ顔を出し
「聖師様がついて来なはれ」と仰有ったので随行して来ましたという。
これもおそらく祓戸の神様をご同行になった型であろう、
背の高い高野さんの後からついて行くと、
何だか大幣(おおぬさ)が歩いているような気がしておかしかった。
 北村氏の話によれば、二十日のご旅行中、短冊一枚も書かれなかった、
未曾有(みぞう)のことであると。
 さもありなん、祓戸行事の真最中であったから、したがって、
今日の雨も土地に対する御禊(みそぎ)に相違ないと、高をくくって寝につく。
 明くれば二十日、午前三時より四時にわたって篠つくばかりの大雨、
五時ごろより雨は上がりたれども、明雲低迷して晴れ間も見えない。
 御出発は八時十五分というに……と、皆が顔を見合わせて、
心もとなさを交換しているのみである。
しかるに御起床のころより一天にわかに晴れはじめて、
またたくうちにまったくの好天気になってしまった。
一同、勇み立ってお供する。
 九時三十分満富(まんとみ)駅着、片尾邸に御小懇ののちに十時半というに出発、
五十町の道を突破して先頭は早くも十一時半、頂上に着き、社務所に小懇、
一同待ち合わして零時半、いよいよ祭典の式がはじまる。
 ああ、この光景、またとない偉大なる神事がいま、
まさに行われんとしているのである。
 古今東西、世界の人類がそもそも何十万年、待ちこがれたことの実現であろう。
わたしは身体中を耳にして、聖師様のお上げなさる御祭文を拝聴しようとあせった。
「これの戒壇に永久(とことわ)に鎮まり給ふ掛けまくも綾に畏き主(す)の大御神の
 珍(うづ)の大前に謹み敬ひ畏み畏みも申さく……」
と、玲瓏(れいろう)玉を転ばすごとき御声が聞こえてきた。
わたしは心臓の血が音をたてて高鳴るのを明らかに意識した。
すこし声をおとされた、何かまた奏上されたようであったが、聞きとれなかった。
 悲しいかな、すっくと立ち上がられ、
剣を按じて微笑したもう光景をつくりあげてしまったのである。
 やがて大本祝詞を奏上せらるるに相和して、九天にも通ぜよ、
とばかり奏する祝詞の声は天地を震撼していと勇ましく響きわたった。
 五月の空くまなく晴れて蒸せかえるような青葉若葉の匂い、
迦陵頻伽(がりょうびんが)の声しきりに聞こえて、この世ながらの天国のさま。
 ポッと上気して汗ばみたもう師の御前(みまえ)に手拭(てぬぐい)をささげて
「おめでとうございます」と申し上げると、
「ええ」と答えてしきりに汗をぬぐうておられる。
卯月八日のお釈迦様というお姿。
 お供えの小餅をいちいち別けて下さって式は終わった。
 午後一時、弁当を食し、熊山神社に参拝、亀石、新池などを見られ終わって、
熊山神社および四、五の戒壇を巡拝され、四時半ふたたび片尾邸に入られ小懇の後、
別院の敷地たるべき向山(むこうやま)を検分され、
七時二十四分発にて岡山に引き返し一泊せられた。
 道々うけたまわった事どもを左に……。
「あの戒壇というのは日本五戒壇の一つというのであるが、
約千年ぐらいを経過しているのであろう。尊い聖跡のうえに建てたものである。
 経(きょう)の森といあま一つの崩れたる大戒壇とは、
ともにその下に素尊の御髮(おぐし)等を埋めてあるのである。
櫛稲田姫(くしなだひめ)の綾も同じく三つにわかれていて、
小さな戒壇というのがそれである。
戒壇のかくのごとく崩壊しているというのは、
仏法の戒律が無惨に破れてしまっていることを象徴している。
 高熊山に似通っているし、この山はここらあたりの郡山を圧して高いから、
その意味における高熊山である。
全山、三つ葉躑躅(つつじ)が生い茂っているのもおもしろい。
四国の尾島、五剣山なども指呼のあいだにあり、
伯耆(ほうき)の大山(だいせん)も見えるというではないか。
 ここは将来、修行場にするとよいと思う。わたしは駕篭であったから楽なはずであるが、
急坂をかつぎ上げられたのだから、かなりえらかった。
みんなは徒歩だから一層えらかったであろう。
今日、駕篭をかついでくれた人たちが着ていたあの法被、あれがよい。
ああいいう姿で登山して、戒壇を巡拝して歩くと、かなり行ができる。
 崩れた戒壇は積み直さねばなるまい。亀石は別にたいしたものでもない。
新池には白竜が住んでいて、赤と青との綺麗な玉をもっている。
青のほうは翡翠(ひすい)の如く、
赤のほうは紅玉(こおうぎょく)のような色をしている。
 弘法大師が熊山に霊場を置こうとしたのをやめて、高野山にしたというが、
それはその地形が蓮華台をしていないからである。向山の方は蓮華台をして、
その地が綾部によく似ている云々」

 まだ他にも承ったことがありますけれど、それは実際が物語ってくれると存じます。
 ともかくも、ついに昭和五年五月二十日、旧暦四月二十二日という日をもって、
神素盞嗚尊の永久に鎮まり給いし御陵の前に立たれたのである。
 復活!神剣の発動!
こういう叫声(きょうせい)が胸底(きょうてい)から湧出してくる。
日本も世界も大本もいよいよ多事となって来そうな気がしてならぬ。
 近頃のお歌日記のなかから、

  そろそろと世の大峠見え初(そ)めて
       立ち騒ぐなりしこのたぶれが

というのを見出して、わたしの想像もまんざら根底がないものでもない、
と思うようになりました。
 学術上、この戒壇は日本五戒壇の一と称せられ、大和の唐招提寺(とうしょうだいじ)、
比叡山、下野(しもつけ)の薬師寺、九州の観音寺とともに天下に有名なものだそうで、
ただその大きさにおいて、戒壇としても普通のものでなく、
大乗戒壇であろうと考えらるるのであるが、沼田頼輔(よりすけ)氏や上田三平博士らも、
なんとも見当がつかなかったということである。
 さもあらばあれ、このたびの御登山によって、
すべてが判明したのは結構なことでありました。
 向山(むこうやま)は本宮山(ほんぐうやま)というよりも、
むしろ神島にそっくりの形をしていて、吉野川がその麓を流れている有り様は、
たしかに本宮山に似ています。
「いままでに、たいした因縁の地ではないが、汚されていないからよい」とのことでした。
 そしてまた、
「神様の御気勘にかなったとみえて、今日の登山を無事に了することができた。
もしそうでなかったらこの好天気にはならなかったであろう。」と、
つけくわえられました。
                       (昭和五年二月/六月四日・月鏡)

2004/10/16 AM 12:42:57 | [地上天国建設委員会の日記]

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Profile
名前『音惚花活気好@kakky』  垣内政治
URLhttp://10.studio-web.net/~doukasen/
年齢52
性別男の中の男かも…?^^;
地域神奈川
血液型O型
星座蠍座
『ノストラダムスの大嘘つき!』
『みんなしあわせになれ』
彼の魂には『地上天国建設』への
熱くてハードな夢が渦巻く。

ハードロックなシャウトが、
暗く荒んだカオスを引き裂き、
スカッとイカシタ輝きを呼び戻す。

それが奴の『炎の掟』!!

飢え乾いた魂に注ぎ込まれる
『命水』の言霊が炸裂するぜ!^^

Category
地上天国建設委員会の日記(2212)

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