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| ■ 国益とは |
| 2009年07月02日 21:30:33 [評論] |
佐藤優(外務省元国際情報局主任分析官)の上告を最高裁が棄却した。当然の判断である。佐藤優は、背任罪に問われた支出について「局長や事務次官の決裁を得て適正に執行されたこと」と主張したが、1、2審は「外務省に鈴木議員の予算や人事への影響力に配慮する傾向があったことに乗じて支出させた」と認定した。鈴木議員を巡る一連の事件では12人が起訴され、鈴木議員と佐藤被告以外は有罪が確定している。
1、2審及び最高裁の判断は正当である。但し、佐藤が背任に問われるのならば、その上司たる局長や事務次官に管理責任が生じることは必須である。管理責任がないとしたら、外務省という役所は、たかだか国際情報局主任分析官の判断で、外交機密費等が自由に支出できる職場だということになる。外交機密費の原資は国民の血税ではないか。
問題は、鈴木宗男や佐藤優が、なぜ、検察に追い詰められかにある。一見今回の事件の始まりと終わりは“竜頭蛇尾”というか、奇妙に見えるが、その原形は規模こそ違え、田中角栄のロッキード事件に求められる。角栄がロッキード社から賄賂をもらっただけならば、検察があれほどまで、マスコミを使って大騒ぎをするには至らなかった。
角栄の「罪」は、ロッキード社との関係ではなく、ロシア(当時・ソ連)との関係であった。独特の外交感覚と事業勘をもった角栄という才能は、シベリア開発について、米国に先んじてロシア(当時・ソ連)と合意に達していた。それを察した米国は、ロシア(当時・ソ連)の経済的拡大と日ロ(ソ)の接近を冷戦時における米国の国益に反する動きとして警戒、角栄の動きを封じにかかった。民主国家体制の日本で角栄を暗殺するわけにはいかないから、政治的抹殺を画策した。
米国は日本の検察と共謀し、文芸春秋社という日本の国家情報部別室を操作し、角栄に対するネガティブキャンペーンを開始、角栄の政治生命を絶つことに成功した。文芸春秋が飼っていたのかCIAが飼っていたのか定かでないが、当時無名のT.Tという自称ジャーナリストが突如登場し、「ペンの力」ならぬ「CIAの力」を借りて、角栄失脚キャンペーンが開始されたのだった。
自称ジャーナリストT.Tが火をつけ、TV、大新聞等がそれに同調し、日本中が反角栄キャンペーンに沸騰した。田中角栄といえば、彼が総理大臣に就任したとき、マスコミは「今太閤」とまで賛辞を贈ったものだ。マスコミの政治記者の目が節穴でないのならば、角栄という政治家が清濁併せ呑む「日本型政治家」であることはわかっていたはずだ。
北に接近しすぎた政治家といえば、当該コラムに何度か書いたことがあるが、中川一郎(自民党)もそうであった。彼は北海道を選挙区とした自民党右派の衆議院議員で、総裁選の軍資金をKGBから受け取っていた。鈴木宗男、佐藤優の場合も、ロシア・コネクションという意味で同じケース。鈴木も北海道を選挙区とした自民党の政治家である。
北ではないが、小泉内閣の外務大臣に任命されながら、短期間で更迭された田中真紀子(角栄の長女)の場合は、親中国が災いした。田中角栄は日中国交を再開させた業績からして現代日本外交史に名を残す政治家であるばかりか、今日の中国政府からの評価も高い。その影響を受けて、娘・真紀子も親中国の立場を堅持し、それが米国の国益に反したことになった。
脱税事件で失脚した自民党の妖怪・金丸信の場合は、同じ北でも、北朝鮮への急激な接近が仇となった。最近では、西松建設事件で次期総理の座を閉ざされた民主党・小沢一郎が、「第7艦隊発言」で米国の国益に反し、政治資金規正法という微罪によって秘書が逮捕され、次期総理の道を閉ざされたことは、以前、当該コラムで書いたとおりである。
いずれの場合も、米国の国益と日本の国益が無条件で合致するという定理の下、米国CIA、日本の検察、日本のマスコミが動いたのである。そのような「国益」をどう判断するかという問題については諸説あるだろうし、そのことについては、筆者に興味がない。
冒頭の問いに戻ろう。佐藤優の場合、彼が接近した鈴木宗男という政治家は、前例として掲げた複数の政治家とまったく同様、日米の国益に著しく反したのである。筆者は佐藤の著作物等を一冊も読んだことはないし、彼から直接話を聞いたこともないのだが、彼が著した書籍の広告を読む限り、「国益」という文字をたびたび目にするのである。ならば、彼が国家公務員として、国益にそった行動をとるべきだったことは、彼自身が最もよく知っているはずなのである。佐藤は政治家・鈴木宗男の尻馬に乗って、ロシア利権の片棒を担いだにすぎなかったのである。彼の上司である外務省の局長、事務次官は、政治家・鈴木宗男のごり押しに屈して、佐藤の起案を承認したのである。検察は日米の国益に基づき、政治家・鈴木宗男と官僚・佐藤優を裁いたのである。
公判中、保釈中の佐藤優は、自己の思想・哲学・国家観を著作及びマスコミを通じた発言により、披瀝したようである。佐藤の著作を読まずにあれこれいうのはルール違反だけれど、佐藤が国益優先を言うのならば、国際情報局主任分析官時代にとった彼の行動は、著しく国益に反したのである。
日本がロシアと友好関係を結ぶことが、悪かろうはずはない。だが、筆者は、スターリン主義時代のソ連、そして、ソ連からロシアに変わった今日においても、かの国は、日本国民にとって、警戒すべき相手だと確信している次第である。アジア・太平洋戦争当時、日ソ不可侵条約が一方的に破棄され、関東軍兵士がシベリアに抑留され強制労働に徴用されたのである。そこで多くの日本人の命が失われた。戦争は既に終わっていたにもかかわらず・・・
このような蛮行こそ、国際法違反ではないのか。それだけではない。最近では、プーチン(当時)大統領が行った、チェチェン攻撃は人道上許されないばかりか、国際法上も違法だと筆者は思っている。日本とロシアの北方領土問題が一向に進展しない現実をどう評価すべきか、という問いも残っている。
一筋縄でいかないロシアを相手として、官僚・佐藤優がなすべき仕事は、日本政府が定めた外交事務だけであって、政治家・鈴木宗男の意の下にロシア政府に働きかけることではなかった。佐藤優は、国家公務員に定められた法(のり)を越え、ロシア政府及び親ロ政治家・鈴木宗男のための仕事をして両者から人望を得、それを後ろ盾にして、外務省という役所内で自分の地位を固めたのである。そのことが日本の国益に反したことはあまりにも、明確ではないか。
佐藤優の検察批判である「国策捜査」は、泣き言にすぎない。バランスを失った親ロシア的傾斜こそが政治家と官僚の罪であり、「検察の有無を言わさぬ起訴決定」とは、検察=日米両国が規定する国益優先の帰結にすぎないではないか。現政府の国益が優先されるべきか、佐藤という実務家官僚の観念的「国益」が優先されるべきかについては、論を待たない。
佐藤が国益に忠実であるべき国家公務員の端くれならば、親ロ政治家の片棒を担いでしまった事実を認め、そのことを恥ずるべきなのである。検察からその罪を問われたのならば、潔く腹をくくるべきなのである。この期に及んで“検察の国策捜査”の“恐ろしさ”とは情けない。“憂国の士”を気取った、売文の徒にすぎないではないか。 |
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| ■ ウイーンエージェント |
| 2009年06月26日 17:29:12 [評論] |
北朝鮮の核実験が世間を騒がせているいま、筆者は、1982年1月に発せられた、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」及び「核兵器全面廃絶と戦争防止を訴える美術家の声明」のことを思い出す。この声明は、いやゆる、当時反戦平和的な文学者及び美術家といわれる以下の方々が発したものだ。いまでは故人になられた方々も相当数おられる。
【核戦争の危機を訴える文学者の声明 世話人一同(五十音順)】 井伏鱒二、井上清、井上ひさし、生島治郎、巌谷大四、尾崎一雄、大江健三郎、小野十三郎、小田切秀雄、小田実、木下順二、栗原貞子、古浦千穂子、小中陽太郎、草野心平、黒古一夫、住井すゑ、高橋健二、高野庸一、夏堀正元、中里喜昭、中野孝次、中村武志、南坊義道、西田勝、埴谷雄高、林京子、藤枝静男、堀田善衛、本多秋五、星野光徳、真継伸彦、三好徹、安岡章太郎、吉行淳之介、伊藤成彦
【核兵器全面廃絶と戦争防止を訴える美術家の声明 代表呼びかけ人(五十音順)】 畦地梅太郎、糸園和三郎、井上長三郎、板橋義夫、小野忠重、大野五郎、木内広、小島功、小松益喜、白土三平、高田博厚、田中忠雄、建畠覚造、滝平二郎、手塚治虫、寺田政明、鳥居敏文、中村善策、中谷泰、永井潔、西常雄、福田新生、まつやまふみを、向井潤吉、村田勝四郎、吉井忠
筆者がこの「声明」をことあるごとに思い出す理由は、1982年当時、ヨーロッパに端を発した反核運動が、実は、スイス駐在の北朝鮮エージェントによって仕組まれていたことが判明したからだ。冷戦当時、西欧の平和主義団体等は、レーガン(当時)米大統領が西ドイツに核兵器を配備することに反対したのだが、その運動のうねりをつくり出したのが、北朝鮮のウイーン・エージェントであった。彼らは西ドイツ、日本等の留学生を組織して、反核運動を煽動したのだ。
推測に過ぎないが、当時、北朝鮮は核開発に着手していたにちがいない。“にもかかわらず”というか、“であるから”というべきか別として、北朝鮮は「反核運動」を組織し、世界の人々を反米へと向かわせようとする一方、自らは「核開発」を進め、以来27年間をかけ、今日、核実験を敢行するまでにスキルアップしたことになる。
27年前の日本における「反核声明」は、前述のとおり、西欧における反核運動の影響を受けたものだった。冷戦当時、西欧及び日本の平和主義団体等は、レーガン(当時)米大統領が西ドイツに核兵器を配備することに反対した。いま、世界の平和団体が、北朝鮮の核実験に反対している。世界中の平和主義者が、北朝鮮にいっぱい食わされた。当時、管見の限りだが、日本の文化人の「反核声明」を批判したのは、吉本隆明ただ一人であったように記憶する(吉本の見解については、吉本の著作『反核異論』を参照)。
冷戦時代も、冷戦後も核に対する世界各国の動きは複雑このうえない、ベルリンの壁が崩壊し冷戦が終わったからといって、世界が恒久平和状態に至ったわけではない。反戦平和運動、反貧困運動等といった、だれもが反対できない普遍的テーマを掲げて体裁を繕い、陰で工作が進められることもある。ナイーブ(うぶ)なだけでは、生きて行けない。 |
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| ■ 地方分権の甘い罠 |
| 2009年06月25日 23:30:51 [評論] |
お笑いタレント出身の宮崎県知事が自民党に「総裁の椅子」を要求した、とマスコミの報道が色めき立った。自民党が退潮傾向を示し、総選挙での民主党優勢が伝えられる中、政権与党側の最後の「切り札」が切られた。
地方分権という建て前は聞こえがいいが、これはタレント知事による、「地方」を人質にした、身代金要求にすぎない。お笑いタレントと侮ってはいけない、現・宮崎県知事は、任期を全うせず、県知事の座をステップにして、上昇志向を果たそうとする、いかがわしい人物にすぎない。この要求に自民党がこたえたふりをし、マスコミ報道に引きずられ、国民が総選挙で自民党に投票すれば、政権交代は起らず、国民には受難の4年間が続くことになる。4年前の「小泉劇場」ならぬ、「東国原劇場」が起きるだけである。
地方分権が進まないのは、総務省(旧内務省)が明治維新以来の権限を捨てないからであり、それが体制維持の根幹に関わるからである。タレント知事は、かりに総選挙で自民党が勝ったとしても、そこで使い捨てられる。「地方分権法」とかなんとかいう、抽象的法律ができるかもしれないが、あるいは、国の事務の一部が地方に下りることもあろうが、国と地方の現実的関係は変わることがない。自民党が負けても、知事の肩書きから国会議員の肩書きに変わった、野党自民党所属のタレント議員が一人誕生する。
「東国原劇場」の幕は開くのだろうか、常識で考えれば開くわけはないのだが、何が起るかわからないのがいまの政治の世界である。筆者は、地方分権という甘い罠がいま仕掛けられたと思っている。その罠は、無党派層が少なくとも民主党支持にまわることを阻止し、民主党政権誕生を阻む第三極として機能するものと考えている。
「地方分権」という政策は、民主党のものであった。自民党は、そこにタレント知事という「切り札」をぶつけて、民主党支持者を自民党に取り込もうとしている。4年前の「刺客」に代わって、タレント知事が地方分権をふりまわして、民主党支持層を切り崩そうというのだ。なんとも「いかがわしい」話ではないか。 |
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| ■ 蔓延する報道的娯楽番組 |
| 2009年06月09日 14:33:48 [評論] |
17人が死傷した東京・秋葉原無差別殺傷事件から6月8日で1年が経過した。改めまして、被害者の方々及びご遺族等に心よりお悔やみ申し上げます。
さて、この不幸な事件直後、マスコミ等において、秋葉原に集まる若者たちが簡単に殺人を犯すかのような報道が絶えなかった。若者たちはTVゲーム、インターネット等の「バーチャル(仮想現実)」感覚によって、現実と仮想の境目がつかなくなったと指摘する心理学者、社会学者もいた。
筆者はこうした論理性を欠如した「若者攻撃」を苦々しく思っていたし、「そうではない」ことを当該コラムに書き続けてきた。この不幸な事件の現場は「バーチャル」な雰囲気が漂う秋葉原であり、秋葉原がアニメ、コスプレ等を愛好する(「オタク」的な)若者の殿堂であることを否定しようもない。だが、そうであったとしても、秋葉原で日々、殺人事件が起きるわけではないのであり、秋葉原に集う若者たちが、仮想と現実の境目の判断がつかないわけでもない。彼らは彼らなりの美意識、価値観、趣味趣向をもちそれを愛し、新しい偶像を求めて秋葉原に集まってくる。いつの時代でも、そういう文化の発信地が存在した。いま、政府がアニメやコスプレをテーマにしたハコモノを企画する時代である。そのことの是非は別の機会に論じるとして、若者文化としての「アキバ」と「秋葉原無差別殺傷事件」の関係を客観的に立証する手がかりはいまのところ何もないに等しい、と筆者は確信している。
10代、20代の若者だけが「だれでもよかった殺人」に走るわけではない。ただ、そのような殺人が自殺願望の反転であることにおいて、若者の発生率が高いことがあるかもしれないが、他の動機による殺人と比べて、特別多いわけではない。殺人事件に係るマスコミ、とりわけ近年のテレビ局の取り上げ方は、報道機関という役割から離れ、事件を素材としたエンターテインメントに堕しているように思える。
報道番組担当者及びコメンテーター諸氏が犯罪統計に一度でも目を通したことがあるのならば、数件の近似した事件をもって、若者一般の犯罪傾向と断ずることとの非を悟るはずである。彼らは主観性とエンターテインメント性に依拠し、「犯罪傾向」を断じてしまうのである。
テレビ番組が視聴率を価値観として製作されるものである以上、報道とは一線を画さなければならない。近年、お笑い芸能系の新進エンターテイナーたちが「報道番組、時事番組」に進出しているのを見る。このことは、テレビのもつ唯一の、逆説的健全性である。いわゆる、知識人と呼ばれる階層――社会学者、心理学者、元官僚、新聞記者等は、視聴者を啓蒙するかのような言辞を弄するが、それとて彼らの主観と直感に基づいているのにすぎない。その一方、お笑い系エンターテイナーは、主観性、直感をギャクとして視聴者に発信する分、事実、真実を歪めることを回避している。
さて、テレビの「報道番組」において、コメンテーターが語る意見は、個人の1つの直感的・思い付きの意見および感想であって、それらは、真実でも事実でもない。ところが、多くのコメンテーターたちは、自らの発言を神の言葉であるかのように、無謬性を自覚しつつ語ってしまうのである。 |
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| ■ 旧内務省との戦い |
| 2009年04月25日 16:19:39 [評論] |
CS放送の時事報道番組を見ていたとき、そこに出演していたあるコメンテーター氏が、現在の政治状況について、おもしろい発言をしていたので取り上げておく。彼は、現在の政治の対立軸は、自民・公明Vs民主ではないこと、日本の権力の本丸は自民党・公明党ではないこと、日本の中枢とは、いうまでもなく霞ヶ関であるが、さらにその中心は旧内務省であること――を押さえ、我妻議員に代表される民主党の一部若手議員の問題提起が、旧内務省の権益に著しく反しているがゆえに、彼らと自民(旧内務省系)との対立軸が生じていると、分析したのだ。
この現状分析は大いに注目しなければなるまい。通常、霞ヶ関の本丸は旧大蔵省にあるものと考えられ、日本の数多くの霞ヶ関ウォッチャーもそのように発言してきた。ところが、このたびの世界金融危機により、巨額な財政出動が要請される今日、旧大蔵省の存在は相対的に低下し、代わって、旧内務省系省庁が抱える問題が、政治焦点化し、攻める民主党、守る自公の代理戦争が勃発しているというわけだ。民主党若手議員の攻撃により、霞ヶ関の本丸が防衛最前線に押し出された、というわけだ。
内務省という名前がマスコミに飛び出したのも珍しいので、この省庁について、簡単に整理しておこう。この役所は、明治維新後の近代日本、とりわけ内政を直接支えた官庁だといって言いすぎでない。発足当初、内務省が所管しなかった省庁は、大蔵・司法・文部の三省のみであった。以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用する。
内務省は、≪内政の全般に及ぶ権限を持っていた。その後、農林・運輸・逓信など各省が独立し、内務省の所管は大正期には地方行政・警察・土木・衛生・社会(労働)・神社(国家神道)などといった分野に限られるようになったが、第二次世界大戦前各省の総合出先機関的な性格が強かった道府県庁を直接の監督下においていたため、地方行政を通じて各省の所管事項にも直接または間接に関係し、内政の中心としての地位を保ち続けた。また、選挙制度も所掌にあったため、政界との関係も深かった。 満州事変・日中戦争など戦時色が濃厚になると、防空事務・国土計画を所管に加えたほか、国民精神総動員運動などの国民運動の中心ともなった。1938年には外局であった衛生・社会両局が厚生省として独立したが、当時の人事は内務省と一体のものとして運用されていた。 明治末期から昭和初期には政党員が内務大臣に就任したり、内務官僚出身者が代議士に転身して政党幹部に就任したりすることで省内に大きな影響力を与える一方、自党が選挙に有利になるように反対する省幹部や知事らを休職・免職にして自党を支持する官僚を後任に充てる人事を頻繁に行うようになり、政権党が変わるたびに大規模な人事異動が行われて「党弊」とも呼ばれた。 後に軍部が台頭すると、それと結んだ革新官僚が政党の影響力を排除した法改正を行うなど独自の政治力を持つようになる。一方、軍部が地方行政や警察への介入を図ったために、双方の間で権限争いも生じた(ゴーストップ事件など)。内務省の次官、警保局長、警視総監は「内務省三役」と称された重職で、退任後は約半数が貴族院の勅選議員に選ばれた。 第二次世界大戦後、GHQは特別高等警察や政府による検閲(日本における検閲参照)、国家神道の廃止を指示、さらに内務省のもとでの中央集権的な警察制度の全面的な変革を求めた。また、警察関係を中心に公職追放の対象となる官僚が続出した。 1947年に公布された日本国憲法は第八章を地方自治として定め、それまで内務官僚が就任していた都道府県知事は公選となるなど、地方行政の大きな転換がなされた(ただし、公職追放との絡みもあり、1945年の段階から内務官僚以外からの知事の政治任命が進んでいた)。同年末、日本の民主化には内務省の分権化が根本であるとするGHQはその廃止を指令、内務省は74年余に及ぶ歴史に幕を閉じることとなった。 かつて内務省が担っていた業務は多岐に渡るが、現在では主に、 ▽地方行政部門は各都道府県、および自治省とその後身の総務省に、 ▽警察部門は国家公安委員会・警察庁に、 ▽土木部門は建設省を経て国土交通省に ▽衛生・社会部門は第二次世界大戦時中に分離した厚生省(およびのちに厚生省より独立した労働省)の後身である厚生労働省に、 それぞれ担われている。今日、特にこれらの省庁を指して「旧内務省系官庁」と呼ぶことが多い。 また、第二次世界大戦終戦直後の1945年10月、GHQの覚書を受けて当初返還財産の受領機関として設置された内務省調査部(内務大臣官房調査部)の業務は、内務省調査局(1946年8月 - )、内事局第二局・法務庁特別審査局(1948年)、を経て公安調査庁(1952年)に引き継がれた。国家神道を統括した外局の神祇院(神社局の後身)の業務は宗教法人である神社本庁に引き継がれた。 第二次世界大戦前の北海道庁・樺太庁・警視庁、各都道府県の特別高等警察は内務省の下部組織であった。≫
注目すべきは、≪明治末期から昭和初期には政党員が内務大臣に就任したり、内務官僚出身者が代議士に転身して政党幹部に就任したりすることで省内に大きな影響力を与える一方、自党が選挙に有利になるように反対する省幹部や知事らを休職・免職にして自党を支持する官僚を後任に充てる人事を頻繁に行うようになり、政権党が変わるたびに大規模な人事異動が行われて「党弊」とも呼ばれた。≫というくだりである。内務省は政敵に対する政治テロを常用してきた官庁なのであり、その伝統は今日まで、引き継がれていることは当然である。
戦後、GHQ改革により内務省は、表向きは解体・消滅したことになっているが、もちろん、組織(官僚、権限、ネットワーク)は温存され、今日に至っている。しかも、橋本内閣時代の省庁合併により、明治時代の旧逓信が総務省に復帰、旧運輸が国土交通省に復帰したことにより、日本の省庁構成は、▽内務省系(国土交通=建設・運輸、総務=自治・逓信、警察、公安、労働・厚生)、▽農水系(内務省から独立)、▽大蔵系(財務)、▽通産系(経済産業)、▽防衛系、▽外務系、文部系の6系統に収斂している。
今日、政局において民主党が攻勢に転じた内政上の諸問題においては、旧内務省系官庁に係わるものが少なくない。以下に列記してみると、 一 年金問題 →厚生労働 二 失業問題(派遣法を含む)→厚生労働 三 医療制度 →厚生労働 四 地方分権問題 →内務省の本質(総務=自治省、地方行政) 五 郵政問題 →総務=逓信 六 地上デジタル、マスコミ問題 →総務=逓信 七 ※選挙制度・検察問題 →総務・公安・警察
内政問題は選挙の争点になりやすい。景気対策や税金(消費税率)問題がそうでないとはいわないが、生活に密着した内政で失敗すれば、与党の投票に影響を与える。戦後の内政を振り返ると、内務省(現「総務省」)は、戦後改革により、その権限を都道府県、地方自治体に渡したものの、主たる権限を巧みに守ることに成功した。しかし、旧内務省は実に多くの問題を抱えたまま、失政を続けたのだが、権益温存に成功してきた。旧内務省系省庁の失政は、実際のところ、経産省、財務省がカバーをしてきたとも言える。
いま現在、民主党が掲げる政策や政府攻撃の材料は、多くが旧内務省マターである。民主党がいうように地方分権の流れを加速させれば、旧内務省のレーゾンデテールはその時点で壊滅する。民主党が戦いを挑んだのは、日本歴史の中に閉ざされた厚い壁である。そんなときに、民主党党首小沢の政治資金問題が発生した。筆者は、この事件は米国CIAが関与していると考えている。つまり、旧内務省(検察)が積極的に関与できたのは、米国の後ろ盾があるからだと思っている。そのうえで、併せて、霞が関の本末=旧内務省が、検察を総合的にサポートした可能性(漆間発言)が高い。
旧内務省は選挙を所管する官庁として、昔から政治との関わりが深い省庁である。さらに、検察・警察を通じた情報収集力は絶大なものがあり、政治家、評論家、報道関係者等の私生活、スキャンダルを収集できる立場にある。
旧内務省は危険な省庁である。明治期には、冤罪で博愛主義者を死刑に処してきたし、戦前・戦中、彼らは特高警察を使って国民総スパイ網を完備し、共産党員、民主主義者、自由主義者を逮捕・処刑している。戦後も、公安警察を使って、共産党員、新左翼各派、反天皇主義者らを弾圧してきた。さらに、自民党歴代の民間出身政治家が失脚させられている。そしていま、テレビ、大新聞等のマスコミ各社を使って、民主党に対するネガティブキャンペーンを行っている。民主党の若手議員が優秀で熱心に現体制の批判を強めても、それが民意に反映されにくい仕組みは、旧内務省の手によって、日本社会の至る所にビルドインされているのである。
1300年前、日本の官僚機構は奈良に誕生し、以来9世紀の高揚を境に12世紀以降衰弱し、江戸時代末期に至るまで、細々と維持されてきたのだが、1868年、明治維新を機に強力に再生し、アジア・太平洋戦争中(1940年体制)に一応の完成を見た。1945年、敗戦によるGHQ改革で表面上は崩壊したものの、日本経済の高度成長を背景にして、より洗練したかたちで権力奪取に成功した。だがしかし、永遠に不滅な権力は存在しない。今日、民主党の若手議員が仕掛けてきた反政府運動=反旧内務省運動は、政権交代という形で成功したかのようにみえたのだが、CIA・内務省が仕掛けた政治テロによって、事前に鎮圧されてしまった。
2009年の4月、ついこのあいだまで、国民の過半が信じた政権交代の希望は消滅し、その代わりに奇妙な凪(=政治の無風)状態が日本列島を覆っている。それは、戦後、大きな国民運動が退潮した1960年6月、1969年11月の様子と似ていなくもない。国民の政治的エネルギーは拡散し、人々は巣篭もりに入り始めたかのようにみえる。国民の“巣篭もり”こそ、旧内務省が望む政治状況にほかならない。彼らは自分たちに都合のよいさまざまな制度を法案として国会に提出し、法案成立をもって、自らの権益を守り続ける。
彼らの野望を阻むことができる唯一の手段は、9月までのおよそ30回あるであろう日曜のうちの1回、その日のわずか5分を惜しむことなく、近くの小学校に設置された投票箱に、“民主党”と“民主党議員の名前”を書くことである。気取って、“共産党”と書いてはいけない。いまの制度では、“共産党”と書くことが、自民党・公明党を優位に立たせてしまう仕組みになっているからだ。
前出のとおり、民主党若手議員が提起した内政上の問題は、日本の近代化以降、日本の内政を支えてきた勢力(=旧内務省)との最後の戦いにほかならない。民主党若手議員にその自覚があるのかどうかは定かではないが、彼らの戦いは大いに価値がある。旧内務省というのは、イデオロギーを伏せた、闇の権力である。この戦いには困難が多いとは思うものの、こんどの総選挙は、それを打ち負かすチャンスでもある。
いま、民主党内は混乱にあるようだ。小沢批判というかたちで、旧内務省との戦いを放棄しようとしているグループが存在している。彼らの小沢批判発言こそ、旧内務省が望むところだ。民主党内の(若手)政治ゴロ=岡田、前原らの愚かさについては、改めて書く。 |
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