徳川慶喜は戊辰戦争で、大坂から戻った江戸城での会議で、小栗忠順らタカ派の家臣に対して
「討幕の中心には西郷隆盛や大久保利通のような優れた戦略家がいる。今の徳川の家臣の中に彼らに勝る人物はいるか?」
と問いただし、タカ派を押えて、ハト派の勝海舟らに実権を任せたといわれている。
この発言は、戦禍を最小限に食い止めようとした点でも慶喜の聡明さを示す逸話である。またもはや謹慎を決めたからの発言である。もし慶喜が主戦的ならば、この会議でこう言い換えて問いただしたのではなかろうか。
「儂はすでに将軍職を朝廷に返上しており、一大名にすぎぬ。儂に辞めろというなら「儂より若い大名のうち」で儂に勝る国政を担える大名はいるか?」
いうまでもなく島津久光や山内容堂らは慶喜より年長である。そしてなにより明治新政府の主要官人は有能な人材を、薩長に限らず、登庸されたそのなかに、元大名はほぼいない。
そのことを考慮しながら(明治政府は結果論だが、勝海舟なら多様な人材登用は想像できたはず)、上のように言われれば、勝海舟も「殿より若い大名には」おりませんと応えるかなかったろう。
「その提案」をしなかったところがいかにも歴史のターニングポイントらしい。
