Yuki コルクボード
川面を流れる木の葉のように、時の流れに身をまかせて、、、っていう生き方は好きではありません。

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以下は秘密事項
ひとはこう呼ぶYuki
とうとうウソのような47+14
内緒だが、、、
今のところまだ愛知
どうせ変人のAB型
常に公平冷静な天秤座
還暦過ぎました。

でも、まだまだ知らないことがいっぱいで。

いつまで経っても、人生の新春でいたいものです。

Today is the first day of my life.

2004年11月07日  なかなか粋な落書き?斜塔
ピサの街を歩いていると、歩道の地面に粋な落書を見つけた。

と、思った。で、パシャっ。

が、しばらく歩いていると幾つか見つけたので、これは単なる落書きではないことがわかった。

なかなか鮮やかなブルーでうまく書けている。

全体的に斜めでありながら、地上階は場所によっては、柱の長さが違っていたり、最上部は、また戻っていたりしているこの落書きは、なかなか正確な落書きである。
(昨日の文も読んでね。)

ちょっと画角が悪くて、そのサイズがよくわからない撮影をしてしまったのが反省点である。

P.S

完全に落書きと思いこみ、一瞬、足でもみ消してやろうかと思った自分が、今となってはこわい。

AM 10:49:21 | [イタリア紀行]

2004年11月06日  人類にとってはツライ話のピサの斜塔
今日は、細かく写真解説。

左の写真の説明であります。

まず右側:ピサの斜塔であります。

実にこれは、話をし出すと長い。のでここでは割愛する。

がやっぱりちょっとだけ。

この斜塔、傾いた原因は、地盤沈下である。

三階まで作った時点で傾き始めた。ところが建築家は、各部の柱とアーチの高さで調節して何とかした。

が、その後も何度も工事を中断しながらも再設計を繰り返し、約200年もかけて完成させたのである。

最後の最後の頂上の部分は、地上に対して鉛直状態に戻っているのがおもしろい。(写真でもわかるかな?)

ちなみに左側の写真、上から

・最上部の通路。
・この斜塔、ほんとうは鐘塔なのである。その釣鐘群。
・そこに寝転ぶ女性達。ったく。
・塔上層階からの眺め。洗礼堂方向。
・釣鐘階を最上部から撮影

P.S

本来、この斜塔は、放っておけば倒れる運命にある塔なのであるとか。

現代になってさえも、それを莫大な予算と技術で斜塔のまま維持し続けているという事実がある。

最初の設計者は、地盤沈下の起こりやすいことも知っていたともいう。

まやかしで作り始めたものの、それを強行し続け、芸術となってからは、歴史的にその維持に人類の負担を強いられることとなった事実の象徴であるとも言う。

はじめついた小さなウソを隠し続ける為には膨大な労力を払うことになるのだぞ。

子供に諭すような内容を人類が地で実行している象徴であったりもしそうである。

AM 11:15:32 | [イタリア紀行]

2004年11月05日  わずかに複雑な思いが残ったピサ・洗礼堂
これも美しい。

が、ここの美しさは、見た目だけではない。

内部は洗礼盤があれどもその空中空間は空っぽである。

が、その為にめずらしいすばらしい音響空間がある。

手を叩くだけでも、その響きが美しい。

ちょうどここの係員というか切符切りというかいわゆる関係者がその音響効果の実験をしてくれた。

彼が美しいトーンを発すると、この洗礼堂は、不思議な響きに包まれる。

そして、それが実に美しいのである。

定期的に実験をしてくれるようである。ちょっと待ってでも聞く価値はありますぞ。

ちなみに写真左下のライオンに注目されたし。

柱を支え、子らを養うたくさんの乳房を持った雄ライオンである。

比喩と象徴を重ねすぎた結果、現実のものではなくなってしまっていることがなんとも複雑な思いとなった。


P.S

案内人が言っていた。

このドームは、頭蓋骨のイメージで作られたとか。

中身の脳ミソを取り除けば、私もこんな音がするのかしらん?

試してみたくとも永遠に試せない課題も残った。

AM 10:46:44 | [イタリア紀行]

2004年11月04日  美しきものは不実も許される?ピサ・ドゥオーモ
ピサのドゥオーモである。

実に美しい。

私の素人写真でさえも、白と空の青とがまるで絵に描いたようである。

内部も美しく荘厳である。

柱も装飾品もたとえ戦利品と言われても、その趣味は、私は好きである。

尚、下部の写真にかろうじて、ガリレオが振り子の法則を発見したというランプがぶら下がっているのが見えようか。

が、時代考証の末、どうもガリレオよりも後でぶら下げられたランプであるとか、、、。

美しきものには、不実の話も生まれて、それが許されてしまうことの証明かもしれない。

P.S

けど、私は、美人には騙されないぞ。

と思うのであるが、、、。

AM 11:13:37 | [イタリア紀行]

2004年11月03日  真意が知りたいピサ・ドゥオーモの壁
ピサは、当時、軍港であった。

華やかな頃、イスラム軍に勝利し、各地との交易で栄え、建物の壁、内部の円柱なども略奪したものであると言う。

ちなみに写真は、大聖堂の大理石の外壁である。

文字がさかさまになっているのは、宗派が違う国から略奪した大理石だそうである。わざと逆さまにして使ったということである。

美しい大聖堂なのにねぇ、、、。

P.S

フト思ったりもする。

大聖堂は美しい。

こんなにきれいに大理石を切り出したり、積んだりする技術が既にあったわけである。

略奪した大理石に文字が彫られていたとしても、それを削り去る技術ぐらい既にあったのではないかと想像できる。

ならば、やはり見せしめの為にわざわざそのまま逆さまに積んで使ったのであろうか?

真意が知りたいものである。

AM 10:26:06 | [イタリア紀行]

2004年11月02日  ま、ごく一般的撮影手法でピサ・ドゥーモ広場
ピサの斜塔はどなたもご存知であろう。

けれど、それがどんなところに立ち、周りがどういう状況などを知らない人が多いのではないか、、、と、紹介写真である。

写真は、ドゥーモ広場である。

建物は、手前から礼拝堂、大聖堂、斜塔と並んでいる。

正直言って、私も意外であった。

斜塔なぞは、一本立ちで存在しているのだろうと勝手に想像していたが、回りにも歴史的建造物が多く存在するのである。

せっかくだからそれぞれを紹介しようと思っているが、それは明日に続く、、、。

P.S

斜塔は、斜めに倒れかけているのである。

その斜塔を支えているかのように人は手を挙げて、斜塔と人との合成写真を撮っている。

その数多数。国籍も無関係である。

その撮影風景は、とても恥ずかしいのであるが、みんなが撮っている。

私も撮ってみたかったが、他人に頼んでまでは、、、ねぇ。

(ちょっと残念であった気もする。)

AM 10:58:33 | [イタリア紀行]

2004年11月01日  虹の歓迎。
今からピサへ向かうバスの中、街に虹のかかるシーンが目に留まったので、パシャっ。

なんとなく歓迎を受けているようでうれしいじゃないですか。

ただ、それだけである。

P.S

デジカメを持っていると、単に虹でもとりあえず撮影してしまう哀しい性である。

しかもせっかく撮るとなかなか捨てられない性分であったりする。

けっして、ブログのページ稼ぎではないことをお伝えしたかった。


AM 10:12:33 | [イタリア紀行]

2004年10月31日  メイド・イン・イタリーの靴。
私は、海外に旅行に行くと必ず買うものがある。

靴、である。

私の足のサイズは、ちょっと大きい。したがって、日本国内では、なかなか自由に選べないのである。

海外でのクツショップは、とてもうれしい。

選り取りみどりというのは、まさにこの状況である。

が、今回は、長旅であまり予算がないので、こんなクツを買ってしまった。安かった。

しかし、日本じゃこんなキザグツ、履く機会ないぞ。

ちょっと失敗かも?

P.S

うんにゃ、これから流行らせりゃいいのである。

もしくは、流行るまで待つか。カビが生えるな。

PM 01:53:57 | [イタリア紀行]

2004年10月30日  焼け残ったサンタ・マリア・デル・カルミネ教会
ルネッサンス
  ↓
フィレンツェ
  ↓
フレスコ画
  ↓
と、言ったら、この教会であろう。

フレスコ画の見学は、1回30人ぐらいで制限時間は15分。写真は、ストロボを焚かなければOKだけど、メチャ暗いもんねぇ。

私は、ここのアダムとイブの楽園追放の絵がもっとも哀しそうで、当時のアダムとイブの状況をもっとも正確に再現されているものと思っていたりもする。

(写真の左上あたりに小さく写ってはいるが、このサイズじゃよく見えないねぇ。)

ちなみにこの教会、ビデオシアターもある。

建物が焼け残ったシーンのCGや、絵画の解説がとてもわかり易く解説される。

是非、ご覧になるべきである。

P.S

教会の入場チケットを買う時に、ビデオシアターを観るかどうかを聞かれた。

観たい、と応えると、イタリア語でか英語でかを二者択一で聞かれた。

選ぶ余地なく「英語で」と応えた。

シアター内では、赤外線タイプであろう音声ガイドを渡された。チャンネルを替えれば、イタリア語でも英語でも聞くことが出来た。

あの受付は、何の為にイタリア語か英語かを聞いたのだろう?

永遠の謎となった。

ちなみに日本語はありませんでした。

AM 01:32:52 | [イタリア紀行]

2004年10月29日  ガチャガチャ at フィレンツェ
まぁ、いわゆるガチャガチャであろう。

中身にテーマやジャンルがあるわけで無く、ガチャガチャゴチャゴチャである。

そういう意味では、昔のグリコのオマケもテーマなど無かったな。

中を見てもこれと言って魅力は無かったけれど、自称ガチャガチャマニアとしては、ただ単にここを通り過ぎるわけにはいかない。

で、やってみた。

出てきたのが下の写真である。

P.S

私にとっては、いわゆる、「ハズレ」であった。

AM 09:23:18 | [イタリア紀行]

2004年10月28日  募集ベビーシッター
フィレンツェの街を歩いていて目に留まったのである。

たぶんベビーシッターの募集なのだろう。

バス停の横に連絡先の電話番号が書いてあって、お持ち帰り出来るようにしてあるのがとてもイキである。

もう何枚か持って行かれた後もあり、連絡は来たかしらん?

こんな手段なんかで、大丈夫かしらん?
 変なヤツが来たりもするんじゃないか?

とも思えたが、まあ普通に募集記事を何かに載せたって、条件はたいして変わらないだろうな、とも思う。

こういう張り紙を許すこの建物の住人にもうれしかった。

P.S

次回、会社が求人する時は、ハローワークよりもこっちの方がいいかな?

ま、まさか!

AM 01:29:24 | [イタリア紀行]

2004年10月27日  フィレンツェ版女人街
ちょっとタイトルがまずいな、とも思ったがそのままでいく。

サン・ロレンツォ教会周辺の市場である。

私は、第一印象で香港の女人街を思い出してしまったが、よくよく思い返してみれば、世界中どこだって市場の店の形態はたいして変わらないものである。
(それが、不思議と言えば不思議だし、当然と言えば当然だな。)

そして本物か偽者かわからないものがいっぱい並んでいる。

値踏み交渉が好きな方々には、楽しいところであろう。

P.S

それにしても買いたいものがなかったなぁ。ボクは、ブランド志向人間じゃないんだけどさ。


AM 09:16:54 | [イタリア紀行]

2004年10月26日  ルネッサンスのふりだし、サンジョヴァンニ洗礼堂
ルネッサンスは、ここから始まったと言われる。

この八角形の建物の入り口の扉のデザインコンクールに全ての端がある。

まぁ、そんなに詳しくない私がここで解説するのはパスである。

それよりも私の気になったのは、内部のクーポラの壁画である。

この「最後の審判」の部分(写真下右)は、まるで仏教の地獄の絵である。

他の場所でもたびたび見かけるこの同様な絵は、

仏教徒もキリスト教徒も、所詮思い浮かべ想像することは同じってことか?

それとも何らかの方法で真実を知ったってことか?

真実かもしれないなら、明日からちょっとまじめに生きようか、とも思った。

P.S

が、手遅れ。

AM 01:26:14 | [イタリア紀行]

2004年10月25日  PIAZZALE DELL'ISOLOTTOにて
タイトルをイタリア語のままにしたのは、検索に引っかかろうとしての意図ではない。

日本語名の読み方がわからなかったのである。
(ちょっと調べたいくつかの情報誌でもみんな言語で書いてあるんだもん。)

ボーボリ庭園の中を私はピッティ宮の方から下った。

優雅に一人歩いてみる。静寂の中でその時代に思いをはせる。

昔、メディチ家の人々も同じシーンを見ていたはずだ。
ここで何を思い、何を語らったのであろう。

恋を語るには、最高のシチュエーションなんだろうな。と、
何か場違いな映画のワンシーンに自分が居るような気がした。

木立を抜けると小さな池に至る。

結構距離があるので、ここまで来る観光客は少ない。

池の周りには、ベンチがあって、地元のファミリーの憩いの場所っぽい場所である。

赤ちゃんの乗った乳母車を横にベンチでお弁当を食べているカップルなんぞ見ると、もうこれ以上の幸せはないんじゃないか、、、って感じだった。

いつまでも時間が止まってほしくなるポイントである。

P.S

ホモと言ったら誤解かもしれないが、手をつないで歩くオトコ二人も居た。

彼らとすれ違った時に挨拶も交わした。

彼らもとても幸せそうに見えた。

(ボクって、ちょっとキケン?)

AM 09:15:23 | [イタリア紀行]

2004年10月24日  なんと優雅なネコ達。
陶磁器美術館にネコが2匹。

何だかとても優雅なネコのような気がして、パチリ。

でも、ちゃんと食べるものはあるんだろうか?と心配もしてみたりするが、彼らにとっちゃ余計なお世話であろう。

P.S

まさか、観光客に恵んでもらって、生をつないでいるんじゃないだろうなぁ。そうなら写真撮ってやんなかったぞ。

AM 01:22:30 | [イタリア紀行]

2004年10月23日  この壮大なピッティ宮。
フィレンツェの商人ピッティが建設を始めたのでこの名前が付いたと言う。

パラティーナ美術館や衣装博物館、ボーボリ庭園があり、盛りだくさんで結局見るところを選ばざるを得なかったのである。

やっぱり写真が撮れなくて、記憶が薄れていってしまいそうなことが悔しい。

ちなみに4写真上から

ピッティ宮正面広場
Antiteatro
ピッティ宮をボーボリ庭園から
Vivaio d.Nettuno

である。

P.S

私は、衣装博物館を諦めて、ボーボリ庭園を歩いた。

眺めはすばらしかったが、その広さに全部が見きれない悔しさにもちょっと後悔した。

AM 08:40:33 | [イタリア紀行]

2004年10月22日  何もコメントはない。ウッフィツィ美術館である。
フィレンツェ一番人気の美術館である。

下の写真は、美術館の入り口である。年がら年中混んでいそうである。私は、日本で予約を取って行ったので長蛇の列に加わる必要は無かった。

館内は、全面撮影禁止である。

唯一、撮影が許されるのは、窓から見えるヴェッキオ橋であった。すかさずパッシャッ!が写真上である。


P.S

しかし、
ガイドブックなどがかろうじて記憶をとどめてくれるようなものの、美術品などというもの、実際に見たものの、写真でも撮っていないと時間が経てば、どんどん忘れていってしまう自分が哀しい。

まぁ、フィレンツェの人間から見れば、また来りゃいいだろう、であろうが、こちらは早々そうとはいかんのだよ。

私は提案したい。

外国人だけには撮影を許したらどうか?


AM 01:21:04 | [イタリア紀行]

2004年10月21日  イタリアホテル事情(フィレンツェ)
さて、今日からフィレンツェである。

まずはホテルにチェックイン。通されたホテルは超狭かった。
ま、よくよく考えて見れば、シングルだもん、しゃーないわな。

ちょっとシャワールームだけ紹介する。(写真参照のこと)

シャワールーム(浴槽がないのだからバスルームとは呼びたくないぞ。)の広さは2畳もなさそう。そこに全部が集約されているのが何ともコンパクト。

シャワーもごらんの通り、L字にカーテンを引き、固定の出水口からセマセマと水を浴びる。

下は、浴槽があるわけでなく、トイレと同じ床である。シャワーの水がはねるとベッドルームまで流れていく。

狭いから体にカーテンがまとわり付くし、なかなかシャワーも難作業であった。

「ま、どーせ寝るだけだから。」

この一言が全てを越えさせた。

P.S

シャワーの水圧も低かった。

山の中の涌き水で体を洗うようで、何だか修業気分になれた。

AM 08:37:00 | [イタリア紀行]

2004年10月20日  さらばローマ。
ローマ最後の一文となろう。

今、ローマを背にしてテルミニ駅でこの列車に乗る。
ESである。

いろいろあった。楽しかった。想い出いっぱいである。

また来たいけど、まだいっぱい行きたいところもあるし。来れるかなぁ。

んじゃ、ローマよ、またね。

と、心でつぶやきながらフィレンツェに向かうのであった。

P.S

と、ロマンチックなのはここまで。

列車に乗り込んだところ、私の指定席には、もう既にスーツ姿のビジネスマン風のオトコが座っていて、書類を広げ仕事をしていた。

大きな荷物を持って彼に近づいていく。
自分のチケットを何度も確かめて自信があったものの、
「あ〜こんなヤツと今からやりあうのかぁ。」とちょっとユーツ。

案の定、こっちはジーパンのアジアンである。
「何だ?コイツ。」そんな私への目つきがミエミエであった。
回りも最初は、ビジネスマン側だったよなぁ。

向こうは自信満々。
こっちのチケット見せて。
「アンタのも見せろよ。」(近似訳)と私。

でも彼の席が隣の車両だったとわかった瞬間、今度は彼が可哀想になった。バタバタと書類を片付け始めて、テンテコ舞いで。

冷たい回りの視線は、私から彼に移っていった。

何かこの勝負、勝ってもすっきりしなかったな。

AM 01:15:26 | [イタリア紀行]

2004年10月19日  あくまでも元黄金宮殿です。ドムス・アウレア
ドムス・アウレア。ネロ帝の黄金宮殿である。

が、黄金を期待して行ってはいけません。

あのネロ皇帝が理想を求めて造った宮殿でありますから、そりゃ当時はとてつもなく広大な敷地の宮殿であるとは想像がつきますが、現状のこの跡は、やはり遺跡でしかなく。

右の写真の「八角形の間」では、当時さまざまな芸術品が飾られ、横臥食卓に身を委ねて美食と芸術の喜びに浸ったという。(地球の歩き方より引用)

そう聞いて、ついスーパー銭湯のリクライニングルームを思い浮かべてしまった私は、相当庶民。

ちなみに入場は、基本的に予約が必要です。空いていれば不要。

日本語音声ガイドがあります。が、この音声ガイドがクセもの。

ガイドを渡される時にひとこと言われますが、入場前に約10分ほどの解説を聞いておかないといけないのであります。

しかもハイテク機器ではなく、カセットテープ。

要所要所でガイドの人が「ここで○番をお聞きください。」と説明をしてくれるが、ピーっという音でちゃんと止めないといけない。

操作を誤って、見るべきところと聞くべき内容がヅレてしまうと、元に戻るのは極めて困難である。

心して操作すべし。

P.S

更に言えば、どうも回りと比べて、私の聞き終わるのが遅くて、次へのポイントへの移動が遅れがちとなった。

同じ内容をいろいろな言葉に直すと、きっと日本語は長くなるのだろうな、と思ったがホントかな?




AM 08:35:05 | [イタリア紀行]

2004年10月18日  ちょっと断念 フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ外からの写真である。

古代ローマの民主政治の中心である。

コロッセオの近くでいつでも行けると思って、時間調整用に最後にとっておいた遺跡である。

が、余りにも広い。

とっておいた残り時間でここを見ようなんて気持ちが甘かった。

ほとんど見れてない、無念の遺跡となった。

まぁ、いいや、また来りゃ。

P.S

したがって、いつかまた来ることになるはずである。

(マジか?)

AM 01:12:36 | [イタリア紀行]

2004年10月17日  やっぱりローマのテルミニ駅
やっぱりローマと言えばテルミニ駅の写真を載せておかないわけにはいかまい。

上:テルミニ駅構内から撮影。

下:ホテルへ向かう道から後を向いてフト撮影。

イタリアへ観光旅行に来て、ローマ以外の都市にも行くとすれば、必ずお世話になる駅である。(でもないか、全てバスという手もあるな。)

観光ガイドを読むと、スリに気をつけろ、とか、親切にしてくれる人には気をつけろ、とか、とかく難しそうな駅ではあるが、まぁ私の場合のように、大きなトラブルに会うこともなかった人間には、とても助かった駅である。

地下鉄・バスの一日券や地図や食料・水、果ては歯ブラシまでお世話になったもんなぁ。
日常品は、ここでとりあえずは揃うもんね。

注意を怠らずに、大いにお世話になるべきポイントである。

P.S
また、来ることがあるかしらン?

来たい。是非、来たい。


AM 11:33:45 | [イタリア紀行]

2004年10月16日  不本意なサンタンジェロ城の夜景
写真は、サンタンジェロ城の夜景である。

ほんとは不本意な写真なのである。

実は、ナヴォーナ広場からホテルに帰るつもりであった。

すると近くにバス停があった。路線番号を見るとテルミニ方面である。ラッキー!思わず飛び乗った。

が、行き先を確認しなかった。路線番号しか確認しなかった。要は逆行き方向だったのである。

フト気がつくとバスは帰りたい方向からどんどん外れていく。

やっべぇ〜。

とりあえず降りたところがどこかもわからず、このサンタンジェロ城が見つかって、自分の居所がわかったのである。で、思わず迷い記念写真。パシャッ。

実に不本意な写真であるが、とてもきれいなシーンであった。

ちなみにここから再び乗った路線バスもまた逆方向だった。
要は、一歩通行のポイントなのである。何に乗ってもテルミニからは遠ざかってしまうのである。

どうにもわからなくなったので、いつかは戻るであろうと、テルミニ路線に乗った。

乗りつくして、終点まで行った。
終点は、サンピエトロ駅であった。

終点で降りないのも恥ずかしいので、とりあえず降りた。

乗客がポチポチ乗り始めたところで、運転手に見えないようにまた乗った。

この路線のバスの始点から終点まで乗りつくしてテルミニ駅に着いた。

で、無事帰ってこれたこの出来事も恥ずかしいが書いておこうと思う。

P.S
バスの一日券を買っておいて正解だと思った。

やっぱり観光者には、バスの一日券は、私からのイチオシのお奨めです。

AM 10:33:58 | [イタリア紀行]

2004年10月15日  ナヴォーナ広場の発射台のような教会
ナヴォーナ広場である。

一応、今日の行程の最終ポイントのつもりであった。

この広場は、古代ローマの戦車競技のために長細くなっているという。中世は、水遊びの場所だったという。

ここは実ににぎやかであった。

路上売りやパフォーマーも多く、観光客でごった返していた。

中央には、三つの噴水があり、その彫刻についての解説は、私が解説を書くには及ばないであろう。

P.S
ちなみに写真は、中央の「河の噴水」からサンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会を撮ったもの。

補修工事中でまるでロケットの発射台であった。

AM 11:22:03 | [イタリア紀行]

2004年10月14日  この信じられぬ「パンテオン」
パンテオンである。

紀元前25年の建築物というから驚きである。

いろいろ調べるに、建築物としての技術はすごい。とんでもない広さの中空のドームがそもそも紀元前に作られること自体がすごい。

コンクリートの技術もあれば、ドームの重量を減らす工夫デザイン、それらを支えるベース構造。

机上で図面を描き、一発で作り上げてしまったのであろうなら、この設計者は、ものすごい。

いろいろ知っていく上で、ただただ感心するばかりである。

P.S
ただひとつどうしてもしっくりこない点がある。

それは、このパンテオンが何のための建物かがはっきりしないということである。

未来人にいつまでも興味を持たせようとの、これも設計者の意図か?

それならそれで、もうひとつすごいな。

AM 10:29:28 | [イタリア紀行]

2004年10月13日  サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会での共同作業
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会である。

建物の外観は、とても質素であるが、中はなかなか見ごたえがある。

小美術館とも呼ばれているそうな。(地球の歩き方より)

雰囲気もとてもよかった。心の荒波が静まる気がした。
しばし、椅子に腰掛け、その雰囲気を味わった。

ただ、中はとても暗い。壁を彩る絵画もほとんど真っ暗で見えない。

案の定、入館、ちゃう入教会は、無料であるが、各個室の壁画を見るために、50セントを入れると一定時間照明が点灯するシステムが設置されている。

なんとも感心させられるシステムである。

P.S
したがって、誰かが50セントを投入すると、その個室の壁が明るく照らし出される。すると、そこに人が集まって、みんなで中を鑑賞することになる。

「さっき見させてもらったから、この部屋の50セントはボクが払うよ。」

拝観者同士のこのやりとりがなんともうれしかった。

AM 11:00:05 | [イタリア紀行]

2004年10月12日  手が入れられなかった「真実の口」
実に無念であった。
到着した時、既に「真実の口」は、隔離されていた。

これが、あのオードリーが手を入れられなかった、且つ、グレゴリーが、一芝居打って彼女の意をゲットした「真実の口」である。

鉄格子の隙間からデジカメを手にした腕を伸ばし、まともな写真を撮ったものの、実は、左下のように、近づくことも出来なかったのである。

この口に手を入れてデジカメ撮りたかったなぁ。
悔しい、実に、悔しかった。

P.S
ご存知であろうか?この「真実の口」は、ウソをついた人が手を入れると噛み切られるという伝説があるのである。

そういう意味では、私は、助かったのかもしれない。
くわばら、くわばら。

AM 12:11:41 | [イタリア紀行]

2004年10月11日  コロッセオも古いがオマケも古い。
何を隠そう、ローマの円形闘技場コロッセオである。

不覚にもいい写真がなく、私のオマケ付きとなった。(あ〜ヤだなぁ)

写真上は、コロッセオ内部のパノラマ写真。(やっぱちっこくてダメだぁ。)

紀元80年に作られたこの闘技場。後世に建築資材として大理石が持ち去られてしまったために、今のような無残な状態になってしまったという。

けれど、ここで観客がひしめき合い、「グラディエーター」のような戦いが行われていたかと思うと感無量になるなぁ。
(この広さじゃ、「ベンハー」は無理だな、とも思った。)

しかし、現代のボクシング程度でなく、まさに命を賭けた戦いが行われていたのであろうか?

血シブキが飛び交う戦いに観衆は、酔いしれていたのであろうか?

何か哲学的にいろいろ考えさせられるところもあった。

P.S

ちなみにオマケは、57年産である。

AM 10:46:13 | [イタリア紀行]

2004年10月10日  自然の演出がすばらしいサン・ピエトロ寺院
写真上は、サン・ピエトロ寺院の内部の突き当たり部分である。

内部の細部の解説は省略する。

それよりも、窓から入ってくる太陽光の光の帯の演出が何とも神々しい。

何ともイエスの復活の瞬間に立ち会ったような気にもなりそうで。

目には見えてるけど、写真に撮ったら写っていないのじゃないか、、、と思ったりもして。

その場ですぐ見られるデジカメの偉大さも感じた。

写真下は、ミケランジェロの「ピエタ」である。

ガラスの向こうに置かれ、何とも遠い存在であったが、噂どおり美しかった。

ピエタには、イエスが十字架から降ろされた時には、マリアはその場にいなく、実際にピエタなるシーンは、存在しなかったのだ、という説もあるが、ま、そんなことは気にしまい。
(なら、書くなよっ。シラけるじゃないか!)

バチカンに行ったら、必ず見なければならぬ像のひとつに間違いない。

P.S

どこの国の子なのか知らぬが、かわゆいオンナの子二人連れに写真を撮ってくれと頼まれた。

ホイホイと撮ってあげたら、背景の入れ方が気にくわないから撮りなおしてくれという。

かわゆいものには、芯があった。

その場ですぐ見られるデジカメの偉大さも感じた。

AM 11:22:36 | [イタリア紀行]

2004年10月09日  バチカンのクーポラで天使の気分
写真上は、サン・ピエトロ寺院のクーポラの頂上からの眺めである。眺めの感想は、不要であろう。

遥か昔に書いたボルゲーゼの気球が左上の方の森の中に写っているのだけれど、このブログ掲載の為にサイズを縮小したら見えなくなっちゃた。

クーポラの頂上は、満員である。

「こんなに多人数が乗ってて、クーポラは内側につぶれないのか?」フト不安になるものである。

だって、この真下、中空でしょ? 今、来る時に見てきたばかりだもんね。

そう考えると、怖い。けど、見えないものに恐怖を感じるのは、バカげている。そう信じるのである。(理性の勝ち。)

屋上まで降りた時に、上の写真の下方部に写っている聖人像を後ろからアップで撮って見た。

後姿さえも、聖人たちは、何か一生懸命で、何か明るいのがうれしい。

P.S

「後ろからなんか撮るなよぉ!」

何となく聖人たちの声が聞こえてくるようであった。

AM 11:36:24 | [イタリア紀行]

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