日本には、いまでは表だっては出ませんが厳然としたヒエラルキーがあるのです。佐藤はそれを「世間」と称しています。天皇を頂点として、それを取り巻く官立大学(特に東大)出身者、どんどんさがってホームレスといった階層です。ホームレスごときのものが上部の者たちに批判めいたことを言うのは不謙信だという無言の目には見えない「オキテ」(ホンネ)があるのです。いくら日本が近代化したといっても、いくらちゃんとした法整備がなされたとしても、これが理路整然としていると言語(タテマエ)で主張してみても、実際日本社会を動かしているのは「非言語的」な「情実」(ホンネ)なのです。景気のいいときにはこの「情実」の世界ではあまり問題がないようにみえます。しかし今日ように景気が悪くなり、中間層に一部が上層に大半が下層に落ち込むとき、上層に上がれない下層に問題が先鋭化します。「足の引っ張り合い」、要するに陰湿な「いじめ」が起こるのです。下層では上層に這い上がろうとするものを集団で蹂躙します。皆が皆お互い監視しあってこの集団から抜け出さないようにしてしまいます。一種の監獄状態になっているということです。「息苦しさ」と「閉塞感」が蔓延します。ときたまこの「閉塞感」を突き破って、わけのわからない動機で何人もの人を殺す犯罪者が出てきます。だから一方的にこの種の犯罪者を言語道断だと決め付けることはなかなかできにくいのではないでしょうか。その集団の中でおとなしく諦めて生きる人が大半でしょう。しかし日本人には「桜」の思想も持ち合わせています。「ぱっと散って」「潔く死ぬ」という考え方です。ウジウジとして長生きするか、ぱっと散って短命で終わるか、貧乏人にはこの二つの選択しかないように思われます。 その点上層部になるともっと意地が悪くて、これもまた下層部から這い上がれないようなバリアを築き、新規参入を許さない方式を採用し、おいしいものはこの階層でしか味わえないような社会を作ろうとしています。階層の固定化と言われていますが、いまでは東大に入れるのも金持ちの子弟しかいません。幼いときから教育にカネをほしまない裕福な家庭の子供だけがこの難関な試検に合格することができるのです。また世襲もはびこり、みだりにどこの馬の骨かわからない人間を自分の陣営に入れようとはしません。貧乏人でも唯一美しい女性だけが銀座のホステスからこれら上層部の愛人になれるかもしれません。若くて美しい間だけは贅沢が許されるかもしれません。 |
AM 10:48:57 |
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